法事は回心の稽古

 なぜ「法事」をするのか、と問われた。それは、亡き人と自分が共に救われていくためだ。亡き人だけではない、自分が同時に救われていくためなのだ。なぜ一周忌とか三回忌とか七回忌をしなければならないのかと言えば、それは生者が毎日、「法事」を勤めなくても済むようにだ。本来、「法事」は毎日勤めなければならない。それができないから、取りあえず中国で流行した文化を用いて、三年・七年と決めたまでだ。この三・七は中国ではおめでたい数字だった。その文化がストレートに流入し、日本の「七五三」という文化になっている。これは奇数が尊いと考える中国文化である。中国も時代によっては偶数が尊いと考える文化の時代もあった。いずれも中国文化の受け売りだ。ところがそれが日本に流入して、「法事」の年回として定着してきたようだ。だからお釈迦さんが、「法事をしろ」と命じたわけではない。
たまに、「親鸞は父母の教養のためとて、一返にても念仏もうしたること、いまだそうらわず。」(『歎異抄』第五条)と言っているから、「真宗」では「法事」を勧めていないのか、と問われたりする。まあそういうふうに質問するひとの「立ち位置」はどこにあるのだろうか、と思ってしまう。それは「自分」という「立ち位置」が抜けた質問だ。つまり、「『真宗』では『法事』を勧めないのか」という発言は、第三者的発言であり、「自分」が抜けている。「自分」は、それだから「法事」をしなくてもよいと考えるのか、あるいはそうであっても「自分」は「法事」をしたいと考えるのか、はたまた「一般的仏教」では「法事」を勧めているのに、なぜ「真宗」では「法事」を勧めないのか、それが解せないと思っているのか。そういう「自分」の「立ち位置」の吟味が自覚化されていない。それが明確にならなければ、そんな問いに答えるのも「暇人の時間つぶし」であって、時間の無駄だと思われる。まあ、小生は「優しい」ので、たとえそういう問いが出てきたとしても、質問者の深層の意図を考えながら、つまり、質問者の「立ち位置」を想定しながら、そこをターゲットにして、丁寧に応答するようにしている。
 まず、これは親鸞の応答発言であるということを確認しておかなければならない。親鸞にこういう発言を引き出した門弟の問いがあったはずだが、それはここに記されてはいない。しかし最初に門弟の問いがあったはずで、それに対して親鸞が応答したことは間違いない。親鸞がなぜそのように発言したのか、この言葉を引き出した門弟の問いがどういうものだったのかを考えなければならない。そこに思いを馳せずに、うかつにこの表現を「自分」の意味場に引きずり込んで、「これが親鸞の言いたかったことに違いない」と、結論づけてはならない。それを断ってから、次に進もう。
 果たして、親鸞は「父母の教養」をどのように考えていたのだろうか。「法事」を「追善」の意味で受け取っていたのだろうか。ちなみに『岩波仏教辞典』の「追善」を見ると「善事を修し、供養を施して死者の冥福を祈る行為。」とか「民間において、死者が先祖の霊魂へと昇華していくための通過儀礼でもある」とあった。この「冥福を祈る」を丁寧に言えば、「冥土(あの世)での幸福を祈る」となろう。つまり、ここにも以前に書いた「死者差別」が現れている。生者は亡くなられた身内を、生者の思いの中に引きずり込み、「生=幸福」・「死=不幸」と決めつける。なぜ「冥土での幸福を祈る」必要があるのか。それは「冥土」は不幸な場所であって、何とかその不幸から脱して幸福に成って欲しいと願うからだ。それは人情としては、実に優しく温かな愛情表現なのだが、それだからと言って〈真実〉に適っているかと言えば、そうは言えない。親鸞はそこに着眼するのだ。親鸞の真意は分からないが、『教行信証』(化身土巻)に「出家の人の法は、国王に向かいて礼拝せず、父母に向かいて礼拝せず、六親に務えず、鬼神に礼せず」と書いているところを見ると、親鸞自身の帰依の対象が阿弥陀さん唯一であると考えていたことは想像できる。国王や父母を礼拝しないというのは、国王に向かって、あえて反旗を翻すとか、父母にあえて不孝をするという意味ではないだろう。親鸞が言いたかったことは、世間で考える「礼拝」と阿弥陀さんを「礼拝」することは位相が違うということだ。国王とか父母は、自分と相対的な関係にあるが、阿弥陀さんと自分との関係は絶対的なのだ。これを混乱してはならないというのが、親鸞の表現の真意だろうと、私は考える。「相対的な関係」というのは、縁次第でどのような態度を取るか分からない関係のことだ。だから「自分」は「親孝行」だと考えようと、「親不孝」だと考えようと、「法事」をしようがしまいが、そんなことと無関係なのが「絶対」との関係だ。
 ここまで考えてきて、「親鸞は父母の教養のためとて、一返にても念仏もうしたること、いまだそうらわず。」に戻ると、「私親鸞は、いまは亡き両親の追善供養のためだと思って、南無阿弥陀仏と称えたことは、いまだかつて一度もない」というふうに現代語訳することができよう。親鸞は「追善供養」が「死者差別」の上に行われている行為であることを知っている。それだから、そのために南無阿弥陀仏を利用するようなことは、いまだかつて一度もないと言ったのだろう。本来、南無阿弥陀仏は、親鸞自身の阿弥陀さんに対する信仰告白であって、南無阿弥陀仏を称えることによって自分の欲望を叶えようとする道具ではない。ただ、第五条の文章は、その後にも続いているから、そこまでを含めて考える必要があるが、ここでは割愛する。
 最初の質問者の問いに帰れば、親鸞は「法事」をせよとか、するなとかは言っていない。だから、親鸞の表現を根拠にして、「自分は法事をしなくてもよいのだ」と考えることは間違っている、とは言えそうだ。「法事」をするかしないかは相対的なことであって、縁次第だ。私は親鸞も「追善供養」の意味ではないけれども、「法事」はしていただろうと思う。どのようにしていたかは定かではない。たとえ儀式張った法要をしていないとしても、亡き身内を悼むことはしていたのではないか。亡き人を前にしたとき、人間に起こる感情は、必ず「感謝」と「謝罪」である。簡単に言えば、「有り難う」と「申し訳ない」だ。「あなたのお陰で尊い人生を送ることができました」と言う感謝と、「もっとこうしてあげれば、もっとよかったのに、そうできずに済まないことをした」という謝罪だ。そういう感情が起こってきて、思わず南無阿弥陀仏と念仏が口から漏れたかも知れない。それは親鸞に聞いてみないと分からないことだが、おそらく人間であるならば、同じような感情をもったに違いないと思う。しかし、その感情が起こってきたとき、「この慈悲始終なし」(『歎異抄』第四条)という思いも起こってきただろう。「この慈悲」とは、亡き人を思う感情のことだ。どれほど愛しく思おうとも、人間の感情は長続きはしない。一日、二十四時間のうちで、何時間、いや何分、亡き人のことを想い続けられるだろうか。本来は、二十四時間絶えず想っていなければならないのに、それができない悔しさが残る。そのとき「この慈悲始終なし」と親鸞はつぶやいただろう。
 二十四時間絶えず亡き人を想うことのできない悲しい存在が人間だと覚めることで、親鸞の眼は引っ繰り返った。いままで自分が故人を見ていた眼が、根こそぎ引っ繰り返されて、「向こうから」の視線を浴びたのだ。「向こう」とは絶対なる阿弥陀さんだ。それで、いままで確かに見えていたと思っていた「人間の眼」が引っ繰り返されて、「見えていなかった」と気付いた。これが親鸞の言葉で言えば、「愚」という告白になる。阿弥陀さんはひかりそのものだから、阿弥陀さんを見ることはできない。あまりに強烈なひかりだから、逆光になり、目くらましにされる。しかし、これもいつも言うことだが、阿弥陀さんのひかりに背を向けるのだ。世を向けることで、背中から阿弥陀さんのひかりを受ける。そうすると、自他共に、阿弥陀さんのひかりによって包まれる。この背を向けることを、親鸞の言葉では、「回心」という。
「法事」は「回心」の稽古をしているのかもしれない。自分も亡き人も共に救われていくための稽古なのかもしれない。