四十八歳で亡くなられた女性の四十九日納骨法要が行われた。一人娘がいるのだが、ここのところ体調を崩していて、参列が叶わなかった。それで、山形の門徒のおばちゃんが作ってくれた可愛いブレスレット念珠を、お父さんに渡した。娘さんが気に入ってくれるといいのだが。欲を言えば、念珠ではなくて、柔らかいビーズクッションでできた大きな阿弥陀さんをプレゼントしたかった。気分が堕ち込んだときや、滅入ったときには、それを思い切り抱きしめて、ムギューっとできるものがいい。そんなことで、気分は変わらないのだが、それでも阿弥陀さんを抱きしめていれば、やがて何か温かいものを感じられるかもしれないから。
ともかく、先立たれた人間は大変だ。なぜこんな思いまでして生きなければならないのだろうかと、思ってしまう。お彼岸に挨拶に見えた九十代後半の女性は、「こうやって、いつまで生きるのか」と辛い思いを漏らしていた。しかし、生きたくても生きられないし、死にたくても死ねないのがいのちというものの厳粛性だ。いのちは自分の所有物ではないから、思いはいつも、このいのちの後をトボトボと付いていくしかない。
それでも、余計なことだが、世間の仏教は亡くなられたひとを「可哀想な存在」にしていると語ってしまった。供養とは、浮かばれていない故人に対して、お坊さんが読経をし、故人を浮かばせようとすることだ。だから、供養の前提には、故人が浮かばれていないという「死者差別」がある。しかし親鸞というひとは、それとまったく逆の考え方なのだと話した。可哀想なのは、故人ではなくて、生きている我々のほうなのだと。故人は、仏さまになられて、もう人間の身体を脱して自由になっている。二度と苦しむことのない仏さまに成られ、我々を哀れんで下さり、そして我々を教え導こうとされていると。それなのに、生きている人間は、仏さまが仏さまに成ることを許さない。人間だった彼女の「思い出」を彼女だと思い込み、それにしがみつこうとする。もう彼女は仏さまに成っているのに。だから、彼女を解放してあげなければならない。人間の「思い出」に閉じ込めないで、自由にしてあげなければならない。
親と死に別れない子どもは、この世にはいない。さらに伴侶と死に別れない者も、この世にはいないと付け加えた。
究極的には、自分自身が死んでどこへ往くのかということが明らかにならなければならない。自分の往き先が明らかにならなければ、故人の往き先は分からない。自分の往き先が「死という不幸」だと邪推しているから、彼女も「不幸」になったと思い込んでいるに過ぎない。この生きている者の「死者差別」を超えなければならない。
そう阿弥陀さんは叫んでおられるのだ。