「考え」というじゃじゃ馬

若い住職の通夜が終わった。そして気がつくと、ここは相変わらずの、「先立たれた人間たちの世界」だった。彼の遺体は時間と共に少しずつ変化してきていた。彼の遺体を見つめるほどに、この遺体は「抜け殻」だと思わされた。頬を触ってみると、とても冷たかった。これはドライアイスの効果だ。冷たさと共に、堅さもあって、鼻先だけは多少、柔らかさが残っていた。こんなものは彼そのものではない。「抜け殻」でしかない。
それでは、「本当の彼」はどこに行ったのかと、ついつい「先立たれた人間」は考えてしまう。自分が考えるというのではない。「考え」が強引に自分を、そう考えるように仕向けていくのだ。この「考え」は、実に恐ろしい。自分は、自由に考えているわけではないから。あらぬところへ連れて行かれることがしばしばだ。「考える」ということも他力で成り立っているから、自分の自由にはならない。だから「考え」というものに、余程注意を払わないと、「考え」そのものにたぶらかされてしまう。
「本当の彼」なんて、「考え」が見つけることはできない。「考え」が見つけられるのは、「過去の彼」以外にはないから。それに飽き足らない「考え」は、「本当の彼」などという観念をねつ造するのだ。そして「本当の彼」はどこへ行ったのかなどと考えるように仕向けてくる。もし残された彼の子ども(小学校低学年)が、「お父さんは、どこへ行ったの?」と私に問われれば、私は、苦し紛れに、「仏さんの国へ往ったんだよ」と応えるしかない。彼の「考え」が取りあえず満足するように応える以外にない。お父さんがどこへ往ったのかなんて、人間の私に分かるわけないだろう、そんなことはお前自身が阿弥陀さんと相談して、初めて見えてくることだ、とは応えないと思う。そんなまどろっこしいことでは、彼の「考え」は穏やかに鎮まってはくれないと思う。娑婆は待ったなしの現場だから、即答以外に応える術はない。仏教は、一口に言って「八万四千巻」で表現される思想だが、それが人間を頷かせるときは、たった一言になる。道元禅師にとっては、「ただ坐れ」だし、親鸞にとっては「ただ念仏」だった。
じゃじゃ馬のように飛び跳ねまわる「考え」を飼い馴らすにはどうすればよいか。それはじゃじゃ馬馴らしが、馬にまたがって、暴れる馬を無理矢理、おとなしくさせるようなことではないだろう。ただ、じゃじゃ馬が行きたいところへ自由に行かせておけばよいのだ。これ以外にじゃじゃ馬とうまく付き合う方法はないように思える。それが「おまかせ」という方法だ。「おまかせ」は、じゃじゃ馬が跳ね回り、蹴散らかした後をトボトボと付いていくことだ。トボトボと付いていって、じゃじゃ馬がぐちゃぐちゃにした道を整理し、じゃじゃ馬がしたウンコを拾い、綺麗に後始末をすることだ。
そうやってじゃじゃ馬の後を付いていくと、あるとき、じゃじゃ馬が私の方へ、ふと振り向くときがあるだろう。そのとき私は、馬と顔を合わせ、馬に「それがどうした?」と声を掛ける。馬は自分がぐちゃぐちゃにした道を見て、私に何かを訴えたかったようだ。しかし私はそんなことに、一向かまわずにいるものだから、馬はキョトンとする。そして相変わらず、「それがどうした?」と声を掛けると、馬はおとなしくなり、馬の方から頭を垂れた、どうぞ私にお乗り下さいと言ってくる。「それがどうした?」が、永遠の特効薬だ。
「先立たれた人間」が直面しているのは、一瞬先にある、未知なる臨終である。つまりいままで他人事と見ていた臨終が、まさに自分のことだと見える場所だ。まさに「焦眉の急」である。いままで彼のことを考えていた「考え」が、グルッと一回りして、自分に向いてきた。つまり自分の臨終以外のところに彼はいないのだ。「自分」をどう考え、「自分はどこから来てどこへ去っていくのか」。この最大の難問が解かれるときと、彼の「死」の謎は同時に解かれるのだった。彼が私に取り移ってきて、ここで初めて一心同体になれたような気がする。彼と横並びになれるのは、ここ以外にない。