2019年11月22日以前の住職のつぶやき

●2019年11月22日●
違和感が大切だと改めて感じた。

葬儀に向かう車を運転しながら、「なんで、こんなことをしなければならないのだろう」と感じていた。

人間界では、「それは仕事だから、仕方ないだろう」で済ませている。
しかし、阿弥陀さんは、許さない。
「それが、お前の生きる意味とどう関係しているのか」と問い詰めてくる。

この違和感は、その問いから引き起こされてきた違和感だ。

〈真実教〉は、「いつでも・どこでも・だれでも」だから、いつでも究極の生きる意味と関係していなければならない。
運転中は、無関係というわけにはいかない。

「大いなる無意味」、つまり、「何の役にもたたないということ」に〈意味の病〉が解体されなければならない。

「大いなる無意味」だけが、救いだ。

その違和感は、「それでいいのか」と問いかける阿弥陀さんのご催促だった。

何かの役に立ちたいとか、何かの意味を得たいという姑息な煩悩をうっちゃってしまわなければならない。
そして、宇宙に〈いのち〉が誕生した「存在の零度」に帰らなければならない。帰れなければならない。
●2019年11月11日●
連続5日間の法話ツアーが、昨日終了した。
秋葉原親鸞講座から始まり、三条別院の報恩講、最後に茨城県日立市の光円寺だ。
さすがに、身体に疲れが溜まっていたようだ。
「身を粉にしても報ずべし」と言われても、凡夫には難しい。
 ただ「説法は聴聞なり」なので、聴聞するためには説法をしなければならないとよくわかった。話し手は阿弥陀さん。私は聞き手に徹した。
 だから話がよかったかどうかは、凡夫の私が云々できる立場にない。話をすることは、言葉を発しなければならない。無理にでも発しなければならない。そうすると、いままで曖昧だったことが、「こういうことだったの!」とさらに深く教えられてくる。無理にでも発しなければ、曖昧なままだ。これはトンネルを掘るために、最前線で掘削する掘削作業と同じだ。放っておけばトンネルは完成しない。そのためには掘削作業が欠かせない。 「いのちの背景をいただく」「いまは三十八億年の最先端」「三十八億年かかった上でのおっしこか」「おのおの十余ヶ国のさかいを超えて~は、人生の行方を問うこと」「百千万劫を背景としたいま」「問うのは絶望、問われるのが解放」「一回限りの〈いま〉を当たり前と見る堕落」「そこに阿弥陀さんがいるか」「念仏とは溜め息なり」「阿弥陀さんにまかせて生まれてきた身体」「それはいかなる意味空間で感じていることか」「天皇と呼ばれる煩悩具足の凡夫がいる」「真宗門徒としての条件をすべて剥奪される」「何があっても〈一人一世界〉内部の出来事だ」「何のために生きるのかの答えが『この世は私一人を教育する阿弥陀さんの学校なり』だ」そして「阿弥陀さんのためにこそ生きてやれだ」「人生に目的がなくなると、あらゆる瞬間が目的になって下さる」「母の背中は尊い、しかしお腹は醜い」「全宇宙を動かしている阿弥陀さんの馬鹿力」藤原正遠先生の「生きるものは行かしめたもう 死ぬるものは死なしめたもう 我に手のなし 南無阿弥陀仏」だ。「差別は分かっても、どういう状態が差別を超えた状態かが分からない」「真宗門徒内的日本人か日本人内的真宗門徒か。どっちだ」「究極的アイデンティティをどこに置いているか」「人間界は植松を有罪だというが、阿弥陀さんは無罪だという」「阿弥陀さんに悪人よと呼ばれた善人は柔和忍辱の人間となる」「あらゆる人間は被害者として誕生する」「人間は生まれた途端に死んでいる」「阿弥陀さんに一生問われることの幸せ」「答えがあったら絶望だ」「自力の罪は死ぬまで永続する」「真の平等は如来回向の信心で成り立つ」「一世界全人類包摂世界観は危ない。〈一人一世界〉の覚醒以外にない」「私と対面する、あらゆる人間の向こう側には阿弥陀さんがいる」「阿弥陀さんが生み、阿弥陀さんが引き取る」「自分の名前を自分で付けた人間はいない。本名は南無阿弥陀仏」「魔郷という人間界を超えん」「仏法を食べているひとは、激昂しても柔和忍辱だ」
 いま振り返ってみると、以上のようなコトダマたちが御利益として与えられている。人間界の喜びは一過性で空しい。ただただ聴聞以外の喜びはないなあと、いま感じている。
●2019年11月09日●
生まれて初めて、「今日」という日を迎えた。
記憶にある「昨日」という日々は、すでに過去のことだ。
間違いなく確認できた、地球上に誕生して、初めての日。
それが「今日」だ。
私が「今日」を迎えることは、宇宙的な規模の出来事である。
そんな大事件が起こっているのか!と驚愕するのみだ。
これが〈ほんとう〉ということか!
親鸞は「真実」という言葉を321回使用している。
親鸞が直感していた「真実」とは、この〈ほんとう〉のことだろう。
「真実」という言葉は、人間が理解することを完全に拒否している言葉だ。
だから、「真実」という文字はあるが、内容は人間には把握できない。
把握できないで不満な人間と、把握できないで幸せな人間とがいるだけ。
所詮、「真実」は「不思議」なものだ。
親鸞は「仏智不思議を信ずれば」とか「仏智の不思議を疑えば」と言っているのは、そのことだ。
信じようが疑おうが、ただ、ただ、「不思議」だ。
「不思議」に頭が下がった人間と、「不思議」を疑う人間がいるだけだ。

●2019年11月04日●
阿弥陀さんは無時間
「時間」は人間だけにある

 阿弥陀さんは永遠だから、無時間だ。しかし、人間には「時間」がある。「時間」という観念は人間だけにある。
 その「時間」という秤の上に自分の人生を置いてしまう。
「昔はこうだった」という観念を過去と呼び、「やがてこうなるだろう」という観念を未来と名づけた。それもこれも幻想だが、人間だからそう考えざるを得ない。
 ただそれは〈ほんとう〉じゃないと、阿弥陀さんから教えられている。
〈ほんとう〉はそんななことじゃないぞと教えられる。それでは〈ほんとう〉はどこにあるかと探しても、人間には見つからない。人間に見つかってしまったら、それは〈ほんとう〉ではないから。もっと言えば〈ほんとう〉の力が消え失せてしまうから。
 「鶴の恩返し」という昔話で、見てはいけないと言われていたものを見てしまい、すべてを失う男の話が面白い。
 あれと同じだ。〈ほんとう〉を見たいのだ。見たくし仕方ないのだ。しかし〈ほんとう〉を見てしまったら、〈ほんとう〉は逃げて言ってしまう。それは〈ほんとう〉自身の優しさだ。もし〈ほんとう〉を見てしまったら、〈ほんとう〉から受け取る利益を失ってしまうからだ。
 だから「時間」は幻想だと知りつつ、あたかもそれが本当であるかるかのようなふりをしながら生きているしかない。〈ほんとう〉のことは無時間なのだ。永遠なのだ。
 阿弥陀さんは十劫正覚だと言うけれど、それは〈ほんとう〉のことなのだ。
無時間の世界を暗示しているのだ。
 それにどこかで触れることだけが救いである。
「時間」からの解放は、「無時間」が〈ほんとう〉だと知らされること以外にない。

 かつて私も「時間」が本当のことだと錯覚していて、回心を体験のように考えていた。「ひとたびの回心」を自分はしたのかしないのかと考えていた。つまり、今はまだ回心していない。しかしやがて回心できるだろう。そうやって聴聞生活をしてくると、どこかで回心らしき体験をする。するとあの時は回心していなかったが、今は回心したと自分で自分を納得させることになる。
 いまではそれが間違った観念だと教えられ。
「回心」とは、自分が人生の主人公だと思っていたものが客人にさせられることだった。というか、これはもともとそうだったという話だ。三十八億年前から、そうやって人間として生みだされてきたのに、それを忘れていたのだ。
 そうやってひっくり返されてみると、「回心」などは必要なかったのだ。「回心」を体験という傲慢から救い出さなければならない。
 もし「回心」を体験と考えてしまうと、「回心後」の自分とは、「信心をいただいた傲慢の徒」と堕す。それは龍樹が言うように「菩薩の死」でしかない。
●2019年11月01日●
手紙を書く、それは当面、相手を思って書く。
しかし、その先には阿弥陀さんがある。

つまり、相手を予想して書いているんだが、究極は、その向こうにある阿弥陀さんに向かって描いている。

こんなこと書いてどうかなとか自己内省をしながら書くのだが、そうやって書いてしまったものは、阿弥陀さんに向かって表白されたものだ。

仕事も、そう。当面の相手はあるが、その向こうには、阿弥陀さんがいる。

その仕事の結果は、阿弥陀さんに向かって差し出されたものだ。

全人生は、阿弥陀さんに向かって投げ出された、奉仕人生となる。
阿弥陀さんに養育され、阿弥陀さんのなすがままにされてきた人生。だから、人生のゆくえも阿弥陀さんまかせ。

一歩も阿弥陀さんから、抜け出ることはできない。

一ミリも抜け出せない。
阿弥陀さんが人生の主人公。
私は客だから、仕方ない。
言いなりだ。

先日、やまゆり園の植松君は、「無罪」だと述べて、ある聴聞者に衝撃を与えてしまった。あれほど酷いことをした人間が「有罪」であるはずがないと思ってきたからだ。
この問題を解くには、「意味空間論」に立たなければ解けない。
まず第1の意味空間は、「私が植松をどう見るか」という意味空間。そして第2には「人間社会は植松をどう見るか」という意味空間。第3は「植松が植松自身をどう見るか」という意味空間。第4は「阿弥陀さんが植松をどう見るか」という意味空間だ。
第2の意味空間は、分かりやすい。司法が裁く意味空間だから。彼を裁判にかけて、死刑にするかどうするか量刑を決める。また民事で言えば、被害者本人並びに家族に対してどういう賠償・謝罪をするかだ。
さらに、彼を教誨・教育して、彼自身に自らの罪の重さを自覚させる精神的教育システムをどう作るかという問題もある。それを突き詰めていけば第3の意味空間内部で植松自身が自分の行為を内省していくことにもつながるだろう。
しかし、聴聞者は第1の意味空間で、植松を決して許せないという自分があることを感じていたという。彼が「無罪」であることを認められない自分がいたと。
これには共感される人々も多いはずだ。やまゆり園の障害者は、第三者だから、自分と遠くにあると感じているひとには、そうは切実な問題にならない。それが当事者、あるいは当事者家族であった場合には、決して許すことはできない。その聴聞者は、1人称の当事者でもないし2人称の当事者家族でもない。しかし、かといって3人称の、つまり第三者でもない。言わば「2.5人称」の立場で苦しんでいた。
この苦しみを問題にされている人々も多いはずだ。
私にもこの第1の意味空間はあるから、彼を許すことはできないという意見と軌を一にする。ただし、そこに第4の意味空間が介入してくると変化が起きる。

つまり第4の意味空間は、阿弥陀さんが植松をどう見るかだ。この意味空間だと、阿弥陀さんは一切衆生の救いを誓っているのだから、あらゆる存在を無条件に救わなければならない。それこそ「蜎飛蠕動」までを救いの対象としているから、救いは人間に限定していない。そうなってくると、植松もその中の一人ということになり、彼も救われなければならない。もし彼が救われないようであるならば、阿弥陀さんはウソを言っていることになる。このひとは救うけれども、このひとは救わないという限定付きの救いならば、阿弥陀さんは虚言の誓いを語ることになる。
そうなると、植松が救われなければならない。救われるということは、「無罪」になるということだ。
しかし、ここで意味空間の混乱が起こる。第1と第4とが錯綜してしまい、自分の内部で混乱が生じる。聴聞者はそこに立っている。
私は、そこで、第1意味空間と第4意味空間は並列していないと考える。第1意味空間が第4意味空間に包摂されていると考える。並列か包摂かで、「救いの概念」が違ってくる。
植松は阿弥陀さんから見たら「無罪」だ。彼が行った行為は「罪」ではない。親鸞的に言えば「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」(『歎異抄』第13条)だ。そうせざるを得ないような必然性がやってきたならば、どのような行為もしてしまうものなのだという意味だ。
絶対他力の立場であれば、どのような行為もすべてが他力のなせる業であり、それは如来回向の行為だ。
まあそれを言えるのは第4意味空間内部でのことだ。第1や第2では絶対に許すことができない。
ただし、それだけでことは済まない。それは第3意味空間があるからだ。もし植松に第4意味空間が開かれたとしてだが、その場合に第3意味空間が変化するに違いない。第4意味空間が開かれなければ、いくら第2意味空間で教誨・教育したとしても、彼は心底ではこころが改変されてはいない。第4意味空間が開かれたとき、初めて自分自身の行為の「罪」がいったいどういうことだったのかということが自覚される。そこで初めて阿闍世がたどったこころの軌跡を辿るのだ。初めに慙愧が起こる。慙愧が深まると、自分自身を追い詰め自殺願望を生む。もし彼に慙愧のこころが芽生えたら、彼は死刑にしてほしいと願い出るに違いない。そのとき第2意味空間に立つ我々はどうするか。死刑でよしとするか、あるいは死刑を阻止して、生涯罪を償わせるか。まあこれは司法が決めることだから、そこにまかせるしかない。「死刑反対」を主張するひとたちは、死刑阻止に立つだろう。
ここまで「罪」に括弧をつけて書いてきたが、果たして「罪」とはいかなるものなのか。それをもう一度根底から問わなければならない。
いかなる罪を罪とするのか。まだ誰も〈ほんとう〉の「罪」を見たことがないのではないか。
私は第4意味空間が開かれれば、阿闍世の軌跡を辿り、やがて「無根の信」という世界が開かれると思っている。それは阿鼻地獄に落ちてもよしという、「地獄一定」に定まることだ。阿闍世が「罪」に目覚めるときには、仏さんの赦しが切っ掛けとなる。阿闍世に「罪」があるのならば、私にも「罪」があると仏さんは述べる。その「無罪性」の赦しがあって初めて、阿闍世は「罪の自分」と一体化する。そして地獄へ落ちていく決意をする。つまり、植松が慙愧にのたうつとき、仏さんと出遇い。それを通して初めて「罪の自分」と一体化するのだ。大事なことは、「無罪」の赦しを受けて「無罪」になるのではない。そこで初めて「罪の自分」に目覚め、「罪の自分」が誕生するのだ。
〈一切衆生人〉の誕生だ。
親鸞が『教行信証』信巻でこだわったのは、五逆と誹謗正法の問題だった。五逆は第2意味空間での問題。誹謗正法は第4意味空間の問題だ。それが並列するか包摂するか。それは一人一人の決断にかかっている。
第2意味空間での「五逆(行為の罪)」は、第4意味空間の「誹謗正法(存在の罪)」から派生して起こってくる。だから問題は第4意味空間なのだ。つまり宇宙に唯一無二の自己存在と阿弥陀さんとがどのように出遇っているかなのだ。

●2019年10月29日●
「極楽浄土」などという仏教語を使って、我々に、「そっちのほうへ」とこころを動かす。初めから「地獄行き」などという表現であれば、人間は見向きもしないだろう。
だから、「安楽」「安養」「安穏」「妙楽」「虚空」「空」「真如」「実相」「寂静」などの用語を使って、我々をいざなう。「往生」も「成仏」も、みんなそうだ。
仏教語は、「そっちのほうへ」という矢印に過ぎない。しかし、その「そっちのほうへ」という方角がよくはわからない。なぜならば仏教語はすべて「メタファーmetaphor(隠喩)」だから。
「さとりは夢から覚めることだ」などと言われる。夢を見ているときは、夢を見ていることも知らずに、ドキドキハラハラしながら見ている。いやいや、多少は「これは夢だな」とどこかで感じつつもだ。夢から目が覚めたとき初めて、「ああ、あれは夢だったのか」とハッキリと自覚することができる。
しかし、そんなたとえ話を聞いても、「自分は目覚めてはいるけれども、さとりの目から見たら、やっぱり夢の中なんだろうな」と考えてしまう。「夢から覚めるってどんなことだろう」とも考えてしまう。
〈ほんとう〉のことを言えば、人間には夢から目覚めることはない。どこまで行っても夢の中だ。「夢の中だ」という表現も、またまた矛盾している。どうして夢の中にいるのに、それが「夢の中だ」と言いうるのか。
まあそれが覚めるということなのだ。いつかこの夢から覚めるのではないかと期待しているこころは、まだ余裕のあるこころで、まだまだ夢が見たいこころだ。それは貪欲が見せる夢だ。
この「現実」が夢だったらいいのにと思う人もいる。それは「現実」から逃げたいだけなのだ。「現実」から逃げよう逃げようとしている間は、「現実」は逃げ水のように追っかけてくる。しかし、この「現実」が「現実」という幻想だと覚めたとき、いままで「現実」だと思っていた世界が激変する。私には「現実」などというものはない、すべては阿弥陀さんの教材だったと激変する。(そうやって阿弥陀さんをここに登場させて、何事かを完結させようとしている自分がいる)
だから自分が「現実」だと思っている世界全体がメタファーになり、「極楽」とか「浄土」などの言葉が指さしている世界が〈ほんとう〉だと覚める。
「覚める」と聞けば、また「覚めた世界はどんなにいいのか」と夢想する。「覚める」ということの〈ほんとう〉の意味は、「覚めるということはありえない」ということだ。もし目覚めてしまったら、目覚まそうとする阿弥陀さんと縁が切れてしまう。永遠に目覚めないものだから、永遠に目覚まそうとする阿弥陀さんの覚醒作用が必然するのだ。
(これを読んで、「そうか目覚られなくていいのか」と自分を慰めている自分もある)
どうしても人間は、「時間」という幻想をもっているから、「過去・現在・未来」という計量的な時間で、自分自身を当てはめて苦しめる。目覚めていなった自分=過去。目覚める自分=現在。目覚めるだろう自分=未来と。
我々が「現実」だと思っている「時間」すらもメタフアーなのだ。
そうやって、幻想の皮をひとつひとつ剥がされていくことが、阿弥陀さんの御利益なのかもしれない。
●2019年10月28日●
あれよあれよといううちに二日間の報恩講は終了した。

「祭の後の寂しさは、たとえば女でまぎらわし~♪」という吉田拓郎の歌を思い出した。やはり、時間というやつは、「過ぎていく」という幻想と強く結びついている。〈ほんとう〉の時間は、「流れ」ではないのに。時間は流れないのに。そう感じてしまう自分の傲慢さを感じる。
自分は「時間」を知っている。「時間」なんか、みんな知っている。地球はそうやって動いていると思っている傲慢さだ。
ただ、それが「幻想」であることを教えられた喜びだけがある。

少し残っている二日間の疲れが、その痕跡を残して、清々しい。
法話では、「忘恩講」と、まず話した。これは平野修先生の言葉だったのではないかと記憶しているが、間違っているかもしれない。
報恩講とは、親鸞聖人のご命日に門徒が集い、親鸞聖人の遺徳を偲び、御恩に感謝する集いだと「世間」では言われている。まあそれは「正しい報恩講理解」なのだ。それはまあよしとして、それでは、どんな御恩を受けているのかと、自分に問われると、これがまったく不確かになる。
あげつらえば、あれこれ「御恩」らしきものも見えるのだが、そんなちっぽけなことが御恩かと言われそうで、親鸞聖人に面と向かって「有難うございます」と言えない後ろめたさを感じる。
そう感じた平野先生は、「忘恩講」だとおっしゃったのかもしれない。「御恩を忘れているお講」と。しかし、それでもまだ傲慢だなと私は感じた。「忘報」の「忘」は「忘れている」という意味だから、かつては知っていたということだ。知っていたものを忘れたというのだろう。そうすると、かつては御恩を知っていたのかと問い返される。反問性だ。
そうすると、「忘恩講」という言葉も使うことができない。
それでは何かと問うて、向こうから立ち現れてきたものが「背恩講」だ。
「恩に背くお講」という意味だ。そうか、むしろ恩に背いていたのではないか。
そうは思ったのだが、それもまたひっくり返され、傲慢だと教えられた。
なぜならば、恩に背くということは、その恩を知っていなければ背くこともできない。恩を知っているならともかく恩など知らないわけだから、恩に背くことも不可能だ。
となると、どうなるか。
つまり何のために報恩講をするのかという究極の理由は、こちら側から、つまり人間の側から決めることができないということだ。
そうやって報恩講が空ぜられると、ようやく報恩講の本質が見えてきたように感じた。
本質は空洞で、ドーナツの穴と同じだ。その周りだけがいろいろと見える。なんやかんやいいながらやっている日常やら報恩講が見えている。しかし、その本質、つまり〈真実〉は人間には見えない。その周辺しか見えない。
●2019年10月25日●
人間は、未来と言っても、過去の中に未来を見る。
過去以外に、人間には「時間」なし。
未来は見えない。
いまも見えない。

未来は阿弥陀だから。
いまを知覚したときも、それは第二想起で捉えたとき過去となるので、過去以外にない。

死を知らず。故に生も知らず。
ほんとうに生きるとはどういうことかがわからない。

直感で生きているだけだ。
想いの中の自分しか知らない。〈ほんとう〉の自分には会ったことがない。
それは、自分を握りしめる意識からの解放でもある。

阿弥陀さんから、そう教えられる。
●2019年10月22日●
阿弥陀さんを食べて
阿弥陀さんを飲んで
阿弥陀さんを吸って
阿弥陀さんを吐く

これがすべてだ。
今朝は豆腐を食べた。豆腐が私の口に入るまでの「歴史」を思うと、これが果てしない。かい摘んで言えば、豆腐を作っているひと、大豆を育てているひと、そして大豆という豆が地球上に存在してから2019年の現在まで辿ってきた先祖たちの「歴史」。それをもっともっと遡れば、阿弥陀さんにまで行き着いてしまう。
大豆の歴史を、私は究極まで追い詰めることはできない。最後は阿弥陀さんだ。
そうすると、この豆腐は阿弥陀さんだ。
私は阿弥陀さん以外を食べたことがなかった。
こんな不可思議なことがあろうか。
この壮大な宇宙開闢の歴史に、この瞬間に立ち会っているのだ。

今日は天皇即位の日だそうだ。
首都高三宅坂で黒煙が上がったとテレビで報じていた。これはもしや政治的意図かと色めいたが、いまのところ単なる車の事故らしい。事故らしいと聞いて、「なんだ」と思っている自分がいた。
私の深層ではまだ「天皇制」に対峙している思いが隠れていたようだ。それも「共同幻想」だと頭では分かっていても、その底にくすぶっているものがあったらしい。
「教団」も「天皇制」もともに「共同幻想」なのに。
私のいまいる場所は、「方便化身土」だと徹底的に教えてくるものがなければ、火照った頭がクールダウンできない。

●2019年10月17日●
自分が他人のように見え、他人のように扱えたら、どれほど楽なことだろうか。

自分と「自分自身」とを切り離せないことが、あらゆる問題の根っこかもしれない。

その切り離しを、阿弥陀さんが助けてくれる。

どうしても自分と「自分自身」が癒着してしまう。煩悩とは癒着の名人で、その関係をどろどろに溶かしてしまう。

それを何とか剥離させ、切り離しをさせて下さるのが阿弥陀さんの力だ。

阿弥陀さんにおまかせする以外にない。

●2019年10月15日●
「煩悩具足」という言葉の重みは何トンか?
軽く感じるときもまれば、ものすごく重たく感じるときがある。
でも、まだその重さを、本当には量ったこともないのではないか。
恐ろしい言葉だ。

もしかしたら、もともと人間には量ることのできない言葉なのではないか。
「煩悩具足」の一部分だけを見て、「俺はなんという煩悩だらけの存在か」と嘆いてみたり、「みんな煩悩具足の人間ばかりじゃないか」と腹立たしく思ったり、「煩悩具足なんて言っていたら、誰も向上心を起せやしない」などといきり立ってみたり。
それは、みんな「煩悩具足」の一部分だ。
まるごとの「煩悩具足」、根こそぎの「煩悩具足」など、知るよしもない。
蟹は自分の甲羅に見合った穴を掘るという。
それは、そういうことを言い当てたことばではないか。
自分に見合った世界を自分自身で作っては、その世界に反応しているだけだ。
そこには〈ほんとう〉が見えていない。
いや、〈ほんとう〉は人間には見えない。
見えないで「助かっていく世界」なんだな。

●2019年10月13日●
台風19号
たくさんの被災されている方々には、こころよりお見舞い申しあげます。

因速寺には、甚大な被害はありませんのでご安心ください。
しかし、因速寺も昨日の夕方16寺30分には、荒川が氾濫危険水位に近づき、避難勧告が出されました。まだ台風本体が来ていないのに、ここまで水位が上がっているとは。こんなことはいままでの人生で経験したことがなかったので、不安になりました。
町会の班長さんから電話が入り、避難場所は砂町中学校ですとお知らせ下さいました。
速報メールによりますと、建物の3階以上に避難せよとあったので、大事なものを3階まで運び始めました。過去帳やパソコンのハードディスク等、飲料水や薬や電池等。
ネットで荒川の水位や河川カメラを注視していました。
午後8時ころから、台風本体がやってきて、9時には、そうとうな暴風が吹き荒れました。しかし9時15分頃になると、風も止み、雨はあるものの静かになりました。テレビで台風情報を見ながら、荒川の水位が心配ではありましたが、11頃には床に就きました。
今朝6時頃にネットを確認すると、水位も下がっていたので安心しました。また昨日の天気がウソのような、太陽が燦々と照らす晴天が広がっていました。
テレビを付けると、やはりいろいろな河川で氾濫が起こっていました。
地球温暖化ということになると、これからも毎年このような台風災害が起こると思います。亜熱帯の気候風土になった東京の防災をあらためて考えるべきだと思いました。
●2019年10月6日●
10月3日に「無人の会 公開講座」(テーマ:天皇制を超えるための〈意味空間論〉が開催された。講師は西田真因先生で、十数年連続開催されてきた。
 講義の中で先生は、「誓願不思議の信心と名号不思議の信心」の違いを強烈に語られ、「名号不思議の信心」こそが、《天皇制》を生む我々の観念体系だと暗示された。
 歎異抄の著者とされる唯円も歎異抄第11条で、その問題を見間違っていると批判された。「誓願不思議の信心」以外に真実の信心はなく、それを誤解しているのが「名号不思議の信心」だと。それを11条では「誓願の不思議を、むねと信じたてまつれば、名号の不思議も具足して、誓願・名号の不思議ひとつにして、さらにことなることなきなり。」と誤解していると批判された。
 先生の「名号不思議の信心」の理解はこうだ。
「〈名号不思議の信心〉では誓願不思議を憑む念仏ではなく誓願不思議の功徳を頼む念仏となるので、その念仏には念仏者の利己的な意志が加わっており、それは自己を利するための念仏であり、それはいくら念仏に励んだとて、暗い念仏、不安の念仏、したがって疑心暗鬼の念仏である。ここでの名号不思議は名号の中に不思議な功徳を秘めているがゆえにその名号は不思議なのであり、その神秘的な力を具足しているから名号不思議なのだと考えられている。」(『歎異抄論』西田真因著作集第1巻 所収「信仰の問題としての天皇制」法蔵館、2002年5月12日)
「名号」つまり南無阿弥陀仏という記号に万徳が込められているという発想は、「南無妙法蓮華経」にしても、また「南無大師遍照金剛」にしても、「南無釈迦如来」にしても、同じようにある。それは、信仰理論を詳細に述べると時間と手間がかかるから、それらを濃縮ジュースのように煮詰め、モノ・フレーズ化するという発想だ。
 まあ南無阿弥陀仏と他のモノ・フレーズの意味場は違うのだが、それは置いておくとして、モノ・フレーズ化することで、やがて濃縮されたジュースを還元して、その信仰的意味が自覚されるときがくると期待した発想であることは間違いない。つまり、それは極めて「臨床教学的発想」である。
 絶対他力の教えは、人間からの作意や努力を完全に否定するので、「易行」化する。よって、たったの六文字(南無阿弥陀仏)で救いの全体系を暗示する。またそうでなければ絶対他力とは言えない。
 それで唯円は「誓願の不思議によりて、たもちやすく、となえやすき名号を案じいだしたまいて、この名字をとなえんものを、むかえとらんと、御約束あることなれば、まず弥陀の大悲大願の不思議にたすけられまいらせて、生死をいずべしと信じて、念仏のもうさるるも、如来の御はからいなりとおもえば、みずからのはからいまじわらざるがゆえに、本願に相応して、実報土に往生するなり。」と記しているのではないか。
 唯円が、如来回向の信心に開かれたのは、やはり「名号」という記号が救済法則を表現しているものであり、そのおかげであるという感激があってのうえのことではないか。最初に「名号」に接していたときには、まだ如来回向の信心の意味が開示されていなかったが、やがて、その意味が開示された、だから「御約束」という言葉が生まれたのではないか。自分は当初は自覚していなかったが、阿弥陀さんが、私のことを哀れに思い、かねてから約束して下さっていたのだという感謝の表現である。
 西田先生の言うように「名号不思議の信心」という言葉で「名号不思議」を概念化してしまうのは、ちょっと行き過ぎではないかと思った。確かに先生の論理展開で「名号不思議の信心」を「異議」として剔抉すれば、それはそれとして理路は成り立ちうる。しかし、「名号不思議」に、親鸞的にいえば「第20願の信心」を読み込むことができるのだろうかという疑問が残った。
 この問題には唯円も親鸞も気づいていないのだとおっしゃっておられたが、私にはいまひとつ疑問が残るところでもあった。
 ※「モノ・フレーズ」は武田の造語である。ある意味場を表現するには、膨大な説明が必要なので、その意味を凝縮した短い熟語で暗示すること。また暗示されたフレース(熟語・成句)のこと。モノは「mono」(単一の。ひとつの」という意味。
●2019年10月1日●
仏語は問い返しの言葉だ。
たとえば、「浄土」とは、お前はいかなる世界を生きているのかと問う言葉。
また「仏」とは、お前はいかなる存在かと問う言葉。
「本願」とは、お前の本当の願いは何かと問う言葉だ。
それらは、すべて「反問性」だ。仏教語があるから、実体があるように錯覚してはならない。実体はない。すべては私を問うている「反問性」だけ。

 阿弥陀さんの悲愛は、あらゆる苦悩する存在に平等に投げかけられているという。しかし、唯円は「いそぎまいりたきこころなきものを、ことにあわれみたまうなり。」(『歎異抄』第9条)という。
この「ことに」が大事だ。
阿弥陀さんは、あらゆる衆生に向かって平等に悲愛を投げかけておられる。だから、私だけ特別に愛してくれるわけではない。しかし、ここに「ことに」とあることは、特別に愛して下さるのだと強調されている。
これは自覚の言葉である。阿弥陀さんの悲愛の強度の問題ではない。
急いで浄土に往きたいと思うこころのないものを、特に強く阿弥陀さんはあわれに思い、絶対の悲愛を投げかけてくださるのだと。
 なんという都合のよい解釈ではないか。
 阿弥陀さんは、どんなふうに思っているのか、そんなことはどうでもよいという潔い態度でもある。
 「私においては」という受け止めだけがすべてだ。
 
 そのことと関連して、親鸞が末法史観を援用して説くのは、その底に「疑惑」があるからだろうと思った。
 道元は、末法史観を採らない。仏法の法則性は、常住普遍だから、いつでもどこでも平等に流れているのだという。だから正法・像法・末法などは人間が勝手に作った幻想だと言いたいのだろう。そんなことより、ただ修行する気持ちがあるかないかだけだ問題だという。こっちのほうが真っ当だと思える。これこそが仏法だ!と言いたいほどだ。
しかし親鸞は末法史観に乗っかりながら説いていく。
まあ私は親鸞ではないから、ことの真相はわからない。またわかる必要もない。
ただ、気になるのは、この「ことに」という問題だ。
 時代が戦乱やら飢饉やらで「非仏法化」していくことへの歎きの底に、私自身の「疑惑」が関わっている。
 仏法は時間を超越することくらいは親鸞とて知っていたはずだ。それでも敢えて末法史観を採るのは、その底に人間の抱えている「疑惑」があるからだろう。
 阿弥陀さんは超時間であり、平等だが、「私においては」それが「ことに」深く感じられるということだろう。
 非仏法化していくことが、「ことに」阿弥陀さんの悲愛が強まっていくように感ずるということだ。非仏法化の原因を「自己」の内部に見ていく眼だ。そうでなければ、時代の濁りは他人のせいにできる。非仏法化していくのは、あいつが悪いからだ、時代が悪い、社会が悪いと敵を向こうに見てしまう。その矢印が「自己」の内部に向かっているのが親鸞だろう。
 「ことに」という受け止めは「ひとえに親鸞一人がため」(後序)の出来事なのだ。
〈一人一世界〉での出来事なのだ。
※行事予定
次回のブッディーサロンは11月17日(日)16時~
因速寺報恩講は10月26日~27日
無人の会公開講座は10月3日(木)14時~。会場:文京区本郷の求道会館。講師:西田真因先生。テーマ「天皇制を超えるための〈意味空間論〉です。
●2019年9月30日●
5歳の孫から学んだこと。

彼は、いわゆる「幼児の万能感」をもっている。ボールを使った遊びをしていても、とにかく万能感をもっている。つまり、「自分はもともと何でもできるものだ」という万能感だ。だから、難しい遊び方をすると、すぐに拗ねてしまう。やろうとしてもできないからだ。
その態度を見て、私はひるんだ。
まだ5歳なんだから、すべてのことができなくて当たり前だと思っていたからだ。しかし彼はできなきことが当たり前ではない。すべてのことはできて当然と思っている。思いは万能感なのだが、現実はできないことばかり。だから拗ねてしまう。
遊び方を教えてあげると言っても、もはや拗ねて聞いてくれない。
そんな態度に私は当惑した。
まだ5歳なんだからできなくて当たり前だろと言っても通じない。少しずつできるようになればいいんだからなどという言葉も通じない。
ということは、人間というやつは、もともと「自力作善」を本能的にもったまま成長していくということだ。後天的なものではないらしい。
 それで観無量寿経ではお釈迦さんが韋提希に向かって、1からやってごらんと騙し騙し勧めたのかもしれない。もともと人間というやつは「自力作善」でできあがっているものだから、最初から南無阿弥陀仏を与えたんでは、子どもに刃物を渡すようなものだ。
 それで1をやってごらん、それができるようなら2をやってごらんと騙し騙し、南無阿弥陀仏に誘引していったのかもしれない。
 「いずれの行もおよびがたき身」と気づくまで、気長に待たれたのかもしれない。
とても人間には真似のできないことだ。
 
●2019年9月29日●
仏の完成態が菩薩である

一般仏教では、凡夫は煩悩だけで生きるもの、菩薩は、そこから菩提心を発し仏を目指すもの、仏は、その修行が完成したものと言われている。

しかし、〈真実教〉では、最後が違う。仏は目指すべきものではなく、むしろ水泳の選手がターンして戻ってくるのに似ている。仏は留まるべきものではなく、ターンして菩薩に帰ってくる折り返し地点だった。
いままで仏がゴールであり、そこを目指していた眼が逆向きになる。ゴールとしての仏は幻であり、「菩薩の死」だと見た。そして、ターンして戻ってきたら、いま・ここ・わたしが菩薩だった。間違っていけないのは、「私が菩薩」ではなく、「菩薩が私」だったというところ。
菩薩とは未完成態ではなく、完成態だった。
未完成態だと見えてみた眼は、「いま」を否定し、「さあこれから」と、仏をゴールに幻視した眼だった。
完成態だと見えた眼は、「すでにして」という眼だ。もう何も足さない、何も引かない、そこにある、いま・ここ・わたしが完成態だった。
ここより他に自分の生きる場所はなかった。
完成態を生きる眼は、苦の娑婆を「芸術化」する。
「芸術化」とは、一期一会の作品に変えることだ。
あらゆる瞬間、あらゆる行為を、一回限りの芸術作品にする。
芸術作品だから、「ごらんの通り」でしかない。ひとがなんと言おうと、「これはこう」としか表現できない。

●2019年9月26日●
ヘラクレス大かぶと虫の幼虫をいただいた。
小さい水槽の中に腐葉土らしきものが敷きつめられ、その中に幼虫が入っている。時たま、白い肌が水槽から透けて見えるときがあるから、確かに入っているのだろう。
孫にどうかと勧められたので、息子に電話したら、「じいちゃんがやってくれるなら、いいよ…」という返事で、私が飼育を引き受けることになってしまった。
聞くと、この秋に成虫になるか、はたまた来夏に成虫になるかは分からないという。もしサナギにならなければ来夏に成虫になるらしいし、もしサナギになれば、この秋に成虫になるらしい。さらにオスともメスとも、未定なので、角があればオス、無ければメスだそうだ。
いまのところの飼育方法は、水槽の蓋にはガーゼの窓があって、そこに霧吹きでシュシュっとやって水槽内の湿度を保ってやれば、あとは何もする必要はないらしい。
もし成虫になってしまったらどうするの?と聞いたら、大きい水槽に移して飼育しますというので、ホームセンターで大きめの水槽を購入して、置いてある。
万が一、成虫になったら、なってしまった段階で、飼育方法をお尋ねするしかない。
いただいたときに、ひとつ注意事項がありますと言われた。
このかぶと虫は外来種なので、万が一逃げてしまったり放されたりすると、日本の生態系に影響を与えるので、それだけは注意して下さいとのことだった。
なんだか、とても大変な代物を預かってしまったようで、気の抜けない日常が始まっている。
いまは、できれば来夏を待って成虫になってくれることを願うのみだ。

●2019年9月25日●
「何かをしなければダメ」はダメ
「何もしなくてよい」というのもダメ
「するかしないか」という意味場から遊離するのが〈真実教〉
人間は、「する動物」だから「する」しか価値を見出さない。その「する」から遊離する。その零度の基点が他力の場所だ。
結局、「する」という関心からは、そこを脱出する出口はない。「無有出離之縁」だ。
してもダメ、しなくてもダメだからだ。
自力のこころが、そこで窒息させられる。
どうしてよいか分からなくなる。

その窒息状態から見えてきたものが、「せしめられてある世界」だった。
そこは絶対受動の世界だった。
絶対受動の世界で呼吸し始めると、もともと自分は絶対受動から始まっていたことに、あらためて気づく。
そして、三十八億年のいのちの最先端に自分の〈いま〉があることに愕然とする。
それが「ただほれぼれと」(歎異抄・第16条)だ。

Eテレの「100分で名著」で大江健三郎の「燃え上がる緑の木」を取り上げていた。
「信仰なきものの祈り」とか「自分よりも相手を先にする」とか、キリスト教のモチーフを底辺にして、それを小説化しているような印象だった。
 しかし、そんな問題は、すでに『歎異抄』が第4条で取り上げている問題だ。
「聖道の慈悲」と「浄土の慈悲」として。
 そして歎異抄は「人間を超えよ」と叫んでいる。人間を超えるべきものが人間の本質だと見ている。人間は人間を超えられないと、最初から決めつける必要はない。
 人間は人間を超えるために、この世に現れたのだ。
 その「超える」が、究極の課題だ。
 それを曇鸞は「門」というメタファーで暗示する。
超えてしまったら、もはや「門」は必要なくなる。「門」が消滅したら門の意味はない。
この世とあの世をつなぐための「門」があって初めて、「超える」ということが成り立つ。「門」が見つかればよいのだ。「門」が見つかれば、超えずして超えるのだ。
 浄土からの視線と穢土からの視線とが交差する場所。それが「門」だ。
●2019年9月24日●
我が内面こそ、原始林。

新生児は、大人の食べ物を食べられない。それは咀嚼するための歯がないとか、ハード面の問題でなく、内臓がまだ未発達だからだそうだ。それは内臓には消化をおこなう腸内細菌やらが、まだ内臓に住み着いていないからだという。だから、外界にいる細菌を徐々に体内に取り込むことで、自分の内臓に住まわせる。その準備ができあがった段階でないと消化ができないらしい。
そう思うと、人間というのは、外界の細菌、つまり「環境」を内部に取り込まないと人体として生きることができないということになる。
考えてみると、「人体」というやつは、もっと自立的に単体の「主体」だけで独立に生きているものだと思っていたが、そんなことはない。「環境」が「主体」を成り立たせていたのだと、あらためて思った。
もっと言えば、「人体」全体が「環境」なのだ。目で見て、皮膚で覆われているほうが「人体」だと考えているだけで、本当は「人体」そのものも「環境」の賜物だ。
そんなことを考えていたとき、「我が内面こそ原始林」というイメージがやってきた。
外界に不可解なものがあるという場合もあるが、もっと切実に自分自身のことに置き直してみれば、自分の内面こそが原始林だった。
つまり、自分の内界こそが不可解そのものなのだ。
一般的には、自分の内界など分かりきっているじゃないかとタカをくくっている。自分のことなど、自分が一番よく知っていると。
どっこい本当のところは、自分の内界こそが不可解そのものだ。
こんな原始林を抱えているのが自分という領域だ。

自分の表層だけを自分だと思って生きているがそうではない。中層も深層もすべての環境を含めて自分なのだ。
●2019年9月22日●
獲れたての鼻クソを見ていて、鼻クソから問いかけかれた。

「あなたは、私を見捨てられるのですね。
いまのいままで、私はあなた自身だったのに。
鼻からほじくりだされて、ポイと捨てられた。
なんだか、もう私は、必要なくなったんですね。
さっきまでは、あなたそのものだったのに。
要らなくなれば、もうあなたは見向きもせずに、非情にも、指先で摘まんで、ゴミのように扱うんですね。
まるで、汚いものでも見るかのように。

分かりました。
あなたは、そういう人だったんですね。
もういいです。
さようなら。
私はあなたに嫌われるゴミと一緒になっていきます。
もういいんです。
言い訳など聞きたくありません。
さようなら。」

そんな声が、鼻クソ、いやいや鼻クソさん。いやいや鼻クソ様から聞こえてきた。

あらためて言う。
人間って、なんという自我中心的な生き物なんだ!

●2019年9月20日●
ある門徒の奥さんがこんなことをおっしゃった。
老齢になる姑が数週間入院し、一時はどうなるかと危ぶんだが、幸いにも退院できたときの話だ。
奥さんが「退院できてよかったですね」と言ったときの姑の返答が、これだ。
「あんた!私が死ねばいいと思ったんだろ!」だ。
奥さんは「そんなことはちっとも思いませんでしたよ。なんて酷いことを言う姑なんだろう」と内心で思ったそうだ。
私も、「それにしても、ひでえ姑だ!鬼だな!」などと奥さんに同情した。なんだかんだと日頃から文句を言われながら、それでも介護を続けている奥さんは素晴しいと思った。
そんなことがあってから数日して。
しかし、ちょっと待てよと思った。
それは、奥さんの内面で、「あんな姑は死ねばよかったのに」と、チラッとも思わなかっただろうかと。百パーセント思わなかったと言い切れるだろうかと。
ほんの少しくらいは、「いいかげんにしてよ」とか「もう顔もみたくない」とか、そんなことを思わなかっただろうか。
そう問い返してみると、やはり、あの姑の吐いた毒言は、〈真実〉を言い当てていたのだ。死ねばよいのにと思ったか、思わなかったかと聞かれれば、はやり思ったのだ。
そういう毒を私自身も抱えていた。
あの姑だけが鬼だと思っていたが、実は私も鬼だった。
それに気づかされてみると、同罪の凡夫が、そこにいただけだ。憎まんでもよい相手を憎み、殺さんでいい相手を殺し、火宅無常の世界を這いつくばっている。
ただ、二人の頭上には、阿弥陀さんだけが、ニコニコと笑いかけておられる。
●2019年9月18日●
二カ月に一回、血圧の薬をもらいに近所の医院に通っている。
その待合室で、近くに座っていたおばあちゃん二人が話していた。
「もうじきお彼岸で、お寺さんが来るからね。いまのうちにここ(病院)へ来たの」
「働いてるときは、何とも思わなかったけど、いまは年金だから、大変よ!!
お茶も何も出さないで下さいとお寺さんから言われたから、何も出さないけどね」
「年金だから、大変よね」
「私は向こうは関係ないというか、うちはどこって(決まった寺は)ないけど…かかるからね…」
「1つと車代だから、大変よ!!」と、指を一本曲げていた。
「前は、(お寺が)お参りに来てたけど、いまは断ったわ。
お寺さんは黙ってもってくだけだから。」

最後の「お寺さんは黙ってもらっていくだけだから」が、もの凄く重たい響きをもって聞こえてきた。
 隣で聞いていて、早く話題が変わってくれないかと願ったいた。万が一、小生の知り合いの年寄りが入ってきて、「住職!」とでも声をかけられたら、たまったもんじゃない。
看護婦さん!早く!「治療室へ入って」と、声をかけてくれ!と願った。
 待っている時間は長かった。
ようやく治療室へと声をかけてくれて、問診が終わり、採血も終わって、再び待合室に帰った。すると、知り合いのおばあちゃんが、「住職!」と声をかけてきた。びっくりして見ると、ごくごく知り合いのひとだった。最初は、誰かわからなかったが、話しているうちにようやく人物が特定できた。89歳にもなると顔が変わってしまうものだと、つくづく思った。世間話をしていたが、例の二人のばあちゃんは、傍にいないだろうかとヒヤヒヤしながら会話をしていた。
 なんだって、こんなにヒヤヒヤするんだ。
 よっぽど坊主は大罪人だと実感した。
 「年金暮らしで、もうお参りは結構です」と言やあいいじゃないか!と思ったが、それも言えず、ずるずると因習に従っている。寺も寺で、「もうそろそろお参りはいいんじゃないですか?」とも聞けず、これもずるずると習慣に従っている。
 そうやってずるずると来たのが、いわゆる「習俗仏教」だ。
 こんなことでは将来どうするのだと叱咤するひともいるが、どうしようもないのだ。
 仏法を喜んでいるひとだけが、「ありがとう」とお布施をくれるわけではない。そんなことをしたら、いまの「習俗仏教」はつぶれてしまうだろう。喜んでいようが喜んでいまいが、そうするより仕方がないということで、ずるずるとやっているのだ。
 まあ日常生活は「ずるずる」が本質かもしれないな。
 理詰めで、日常生活を送っているわけではないから。すべてに理詰めで、目的があるのだと意識的に生きている人間は、おそらくいないだろう。
 やはり「ずるずる」がもっている力も信じなければならないな。
 
●2019年9月15日●
今朝のお朝事の和讃は「五十六億七千万 弥勒菩薩はとしをへん まことの信心うるひとは このたびさとりをひらくべし」だった。
弥勒菩薩とは、「必至補処の菩薩」と言われ、お釈迦さん亡き後、仏処、つまり仏さんの役割を担う菩薩という意味だ。それまでは兜率天にいて、五十億六七千万年後にこの世に現れる菩薩とされている。
それが、「まことの信心うるひとは このたびさとりをひらくべし」だから、〈いま〉真実の信心のひとは、弥勒菩薩と同じ役割を担うというのだ。
これも親鸞の「如是我聞」(親鸞におきては…)という了解だ。親鸞とて、弥勒菩薩に会ったことも、ましてお釈迦さんに会ったこともない。だから、そうに違いないと親鸞の内心で思っているというだけのことだ。客観的な保証などない。そんな保証を必要としない。
だから、「親鸞におきては…」なのだ。それをお前はどう受け取るか?!と迫ってくるだけだ。
そう思ったら、信心とは極めて流動的だと直感した。
「さとりをひらくべし」と言ってみたり、「恥ずべし、傷むべし。」と言ってみたり、いろいろな表現をする。それは信心が流動的なものだから、どこかを切り取ってみれば、みんな静止画のような言葉になる。信心は動画だ。
そしてどれだけ、言葉で静止画を撮ったとしても、それはすべてが影でしかない。
影でしかないということを悲しむ必要もない。影以外には人間には知り得ないのだから。影で結構だ。
ただ影に固執してはならない。〈ほんとう〉は動画であり流動だからだ。
人間には決して知り得ないのだから、〈ほんとう〉は犯されない。
〈ほんとう〉を〈ほんとう〉のままに、そっとしておけるのが信心だ。
●2019年9月13日●
この夏、高野山に参詣した。高野山の奥の院には25万基のお墓があるそうだ。その中に親鸞のお墓もあった。なぜ高野山にあるのかが知りたくなり、ネット検索などで調べてみた。その結果、高野山・西禅院のHPに興味深い文章が掲載されていた。
────────────────────────────────────────
●高野山 西禅院●

当院は平安時代、弘法大師が高野山開創直後、壇上伽藍至近の谷上の地に明寂阿闍梨にって開かれた由緒深い寺院です。
高野山の念仏の基をひらいた真義真言宗の開祖である覚鑁上人が高野山へ登って師事しのが明寂阿闍梨とされております。
後に第三世泉勝阿闍梨の時代に現在の地に移り、親鸞聖人が高野山に訪れ当院で念仏のに励んだと伝えられております。

●親鸞聖人自像●

浄土真宗の宗祖親鸞聖人が高野山へ登山されたのは1235年の春、聖人63歳の頃と伝えれております。 聖人は当院本尊阿弥陀如来の御宝前にて100日の修行をなされました。当院の本堂には聖人自作の自像が奉納されており、奥之院にある「御髪爪塔」は一時は法大師廟をしのぐほどの参詣者があったといわれています。

〒648-0289 和歌山県伊都郡高野町高野山154
 高野山 別格本山 西禅院
TEL 0736-56-2411
mail saizenin@koya.or.jp
────────────────────────────────────────

「親鸞聖人自像」があるとは更に驚きだ。よっぽどの縁があったのだろう。
 そういえば房総半島の鹿野山・神野寺にも親鸞像があり驚いたが、それに匹敵する。
まあ、五輪塔に関しては、おそらく西禅院の縁者が建てたものだろう。しかし五輪塔は供養塔であり、墓所ではないと言われる。西禅院のHPにも「御髪爪塔」とある。
親鸞の63歳と言えば、関東から京都へ帰った頃の歳であり、京都から足を伸ばされたとも考えられなくもない。しかし、「100日の修行」とはいかなるものなのか、ちょっと分からない。弘法大師以降の高野山には念仏信仰が取り入れられ、真言浄土教が成り立ったことを考えれば、あながち縁がなかったとも言えない。
 親鸞の伝記をざっと見たが、60歳頃の記述には、高野山に参詣したことは見当たらなかった。もしご存知の方があったら教えてほしい。
●2019年9月8日●
「共に」は阿弥陀さんだけが使える言葉

「共に」は人間には使えない言葉だ。人間の使う「共に」は煩悩まみれだ。だから、仲間作りが、仲間外れを必ず生む。
阿弥陀さんだけが、「共に」と呼びかけ得る。
その「共に」という声を聞いた私は、「自己一人」で受け止める。
孫と「おかあさんといっしょ」(Eテレ)を見ていたら「ベルがなる」というエンディング曲に真・宗を聞いた。
歌詞はこうだ。
「元気にベルを鳴らす君
 ひとりで遊んでいたボクは
 ベルにつられて歩きだす」だ。
ベルを鳴らす君とは阿弥陀さんのことだ。それが聞こえてきて、自分ひとりに閉じこもっていた世界から、広大な法界へと呼び出され、歩き始める。素晴しい歌詞だ。

この世に「生きている」のは「私一人」だから。
これを私は〈一人一世界〉と呼んでいる。
この世界が開かれないと、どうしても、世界の重さにやられてしまう。向こうにある「客観的」世界の方が重たくて、自分ひとりくらいと「私一人」が軽くなる。御国のために比べれば、自分ひとりくらいどうなってもよいという観念もそこから生まれる。
あるいは、世界は広大で、その中に「私一人」くらいは紛れ込んで、ひっそりと逃げおおせると無責任の底無し沼に落ちていく。
だから、世界の重さをどうやってひっくり返すかが緊急の課題だ。
まだまだ、私たちが、あたかも「客観的」に存在しているであろうと考える「世界」とか「生活」とか「死」とか、そんな大雑把なものは解体し得る。
 解体される喜びが、〈真実教〉の醍醐味である。
●2019年9月6日●
みどり子のこころ

近頃、一歳になる孫にいろいろと教えられている。

まあ、何をやっても愛らしい。

そして、屈託がない。
そのまんまの煩悩まるだし。

人間は、老齢化すると「大人」と呼ばれる文化の仲間入りをする。
「大人」になると、煩悩を取り繕うことに長けてくる。

何か、もっともらしい理由があって、こういうことをしているのだと、自分で自分に言い訳をする。

孫には、そんな小賢しさがない。

彼女に接していると、私が教育されていく。
ほんとうの姿は、「大人」じゃないんじゃないの、と。

私の腕時計など、ヨダレでベトベトにしてしまう。

でも、こっちがほんとうじゃないの、人間らしいんじゃないのと、訴えてくる。

だから、もっと老齢化してくると、みずからの過ちに気づいて、みどり子らしくなってくるんじゃないか。

ボケとか認知症とか世間では呼ばれているが、それはほんとうの人間に戻るための一歩ではなかろうか。

ボケた親から、「あなたは、どちらさまですか?」と声を掛けられる日を楽しみにしている。

無意味とは、ほんとうと同義語なんだ。

無意味は人間を解放する大切な言葉だったんだ。
●2019年8月31日●
今朝のお朝事は、曇鸞さんの和讃だった。
「如実修行相応は 信心ひとつにさだめたり」だ。
結局、〈ほんとう〉の修行というのは、「信心」以外にはないという結論だ。修行と言えば、我々が何がしかの行為をするという文脈で受け取ってしまう。その修行が「信心」ひとつに解消されている。
そこで人間は「おやっ!」と思う。いままでは、どのような行為をするか、〈ほんとう〉の行為とは何かと考えてきた思いが、肩すかしをくらわされる。行為が「信心」ひとつ納まってしまえば、それは何もしないことと同じではないかと。
そうだったのだ。何もしないことと同じなのだ。
「えっ!何もしないことが『如実修行』なの?」と私は問う。
すると阿弥陀さんは、「そうですが、何もしないことにご不満でもございますか?」と問い返す。
私が沈黙していると。
「何かをしていないとご不満なのは、あなたの勝手な考えでしょう。私は最初から、あなたに何も要求していませんけど」とさらに追い打ちをかけてくる。
そうやって、「信心ひとつにさだめ」られてしまったのが親鸞だったのだろう。
しかし、親鸞など、本当はどうでもよいのだ。
私と阿弥陀さん以外には、この世で大切なものはないのだから。私と阿弥陀さんとの無言の対話の中から、「親鸞も、そうだったんではないか」と思いを馳せているだけだ。
親鸞も「お釈迦さんだったらそうお考えではないか」と言っているから、同じ方式を採っている。「客観的真理」などないのだ。
そもそも、この世には私と阿弥陀さんの関係しか存在していないのだから。
その関係の中から生まれてきた言葉を、他人が「ひろってよろぶ」だけだ。

明日は、震災記念堂(東京都慰霊堂[墨田区横網])での大法要に参詣する予定になっている。どうなることか。
●2019年8月27日●
〈真実教〉は「騙し舟」の如し。
 一番大切なものは何か?と問われれば、親鸞は、「行」だという。えっ、「信心」が大事ではないのですか?と問えば、信を成り立たせるのが行だと答える。それでは「行」をすればよいのですか?と問えば、いやいや信心がなければただの南無阿弥陀仏という発音になるという。しかし、行と信があったとして、いつになったら「証」(目的=成仏)が得られるのですか?と問えば、それは信の定まったときだという。信心の他に「証」はないという。
 証か?と問えば、信と答え、信か?と問えば、行だと答え、行か?と問えば信だと答える。これは丁度、折り紙の「騙し舟」のようなものだ。
 結局、どこにも落ち着ける場所を与えない。
 これが〈真実教〉の救済地点だ。
 人間の自我は不安定なものだから、何らかのアイテムを身につけて安心したい。そのアイテムをことごとく剥奪してしまう。
 これは人間にとって、恐ろしい教えだ。こんなものを人間が欲するわけがない。
 欲するわけもないのだが、これがなければ、また究極的に納得できないものも人間である。
 「人間」とは、かくも不思議な、まだまだ原始未開のなにものかなのだ。
それを分かったことにしたとたんに、地獄に落ちる。自業自得という地獄へ。
●2019年8月25日●
孫(一歳)を抱っこして、墓地を歩く。
両腕に、ずっしりと10キログラムの重みを感じつつ。
一歩一歩、歩みを進め、次々と墓石を眺める。
覚えている人もあり、その方の顔を思い出す。
おそらく、参詣に来られる方々は、生前のその方々に会いに来るのだろう。
単なる物質的な石に会うためではない。
石を通して、その向こうにイメージしている生前のそのひとにだ。
 何もなければ思い出すこともできない。思い出すためのきっかけが石である。
 生者は、亡き人の思い出を胸に秘めてしか生きられない生き物なのか。
 そう思ったら、亡き人たちは、まだ死んではいなかったのだ。生者の胸には、生前の、そのひとたちが、まだ生き生きと生きている。
 生者の世界には、死はないのかもしれない。
 生のみしかないのかもしれない。
 果たして、「生きる」とはどういうことなのか、〈ほんとう〉のところはまだ何も分かっていないのが、人間という生き物なのだ。
 もっと正確に言えば、他人のことは分かっているのだ。
分かっていないのは、他ならぬ「自分自身の生きる」ということなのだ。
●2019年8月24日●
即身成仏を説く真言宗は、この世以上に、あの世を強調する。
一方、西方浄土への往生を説く真宗は、あの世以上に、この世を重視する。
これは面白いコントラストだ。
 いずれにしても、「この世」というのも「あの世」というのも、「人間の考え」以外のところには存在しない。
 問題は「人間の考え」ひとつだ。
そう言ってしまえば、すべてが「現世」のことになってしまうではないかという批判も、「この世」と「あの世」という「人間の考え」にとらわれたところからの発言だ。
 果たして「人間の考え」が、どこにあるのか?は、よく分からない。
 人間が希望を懐くのも、落胆するのも、いずにれしても「人間の考え」内部の問題であることは間違いない。
 「人間の考え」の外部に出たことがないのだから、「人間の考え」そのものも完全に相対化して、手にとるように知ることもできないのだ。
そうすると「人間の考え」なんぞはほっておいて、達観できればよいのだが、それもままならない。
「人間の考え」は、これもよくはわからないのだが、無意識の深いところから表面へ表れてくるようで、自分で制御することも不可能だ。
 自分にわかるのは、意識のほんの一部分の、些細なことのようだ。
 生きることの全体は、ほとんどが未知の領域にある。
 生をミクロに見つめてみると、そんなことが言えそうだ。
まあ真宗はとことんアブノーマルだから、世間の真反対に位置を占めているのだろう。
●2019年8月17日●
やはり、物語が大切だ。
まあ物語という言葉も、偏見をもたれている。
イソップ童話とか、日本昔話とか、寓話のようなものだけが物語だと思われている。
確かに、それも物語の一部ではあるが、全体ではない。

私の考える物語は、文化人類学や哲学の領域にある、いわば河合隼雄先生が用いる物語だ。

自分がなぜこの世に誕生し、何をして、どこへ去っていくのかという、自分が生きるこのできる「自分だけの物語」のことだ。

目に見える世界は、因果論で解決がつく。しかし、不条理に出会ったとき因果論では解決がつかない。

不条理は結果だ。昨日も水難事故で4名のいのちが失われたという。
小田原の海で11歳の女児が溺れ、それを44歳の母親が助けようとして、母親が溺れ亡くなったという。

因果論は簡単で、人間は肺呼吸の生き物だから、海水中では肺に酸素が取り込めないから、窒息状態になり、死亡する。

なぜ海に行ったのか、なぜ親が同伴しなかったのか、なぜ高波の危険のある海に行ったのか。
因果論は果てどなく、なぜ?が湧いてくる。しかし、それにいくら因果論で応答しても、人間は満たされないものを抱えている。

因果論は物理的要因は解けても、実存性が解けない。
なぜ、私の娘であり、なぜ私の母親に起こらなければならなかったのか?
が解けない。

我々の住んでいる世界は、因果論の世界だが、多重なる因果が重なりあっていて、その因果の束のひとつひとつを人間は、完璧に知ることができない。

この世は、人間には分からない因果で動いている。
一部しか人間には知らされていない。

そんな因果を支配する魔物などはいない。

もとを辿ると、私がこの世に誕生したという一点にすべてはある。
それは、生の誕生であると同時に死の誕生でもあった。

その初めと終わりをどう受け止めるか。

そこで初めて物語が必然する。
人間は、「物語的生き物」であるから、物語を生きるかどうかという選択ではなく、どの物語を生きるかという決断の問題になる。
死ぬために生きる絶望の物語か、生と死を超越する信仰の物語かだ。
●2019年8月15日●
今朝、長年、因速寺の責任役員・総代をお勤めいただいた佐々木曻さんが亡くなられました。長年のご功労を偲び、ここに深く哀悼の意を表します。

尚、通夜は8月17日土曜日18時~
葬儀は8月18日日曜日11時30分~

会場は平安祭典(南砂会館)
カルチャーパビリオン 平安 南砂
住所 東京都江東区南砂4-3-9 電話 03-5633-6111 FAX 03-3632-6267
●2019年8月14日●
昨日(8月11日)、小田原の海で11歳の女児が溺れかけた。お母さんが助けようとして、溺死し、女児は助かったと報じられた。これからの一生を、女児はどういうふうに過ごしていくのだろうか。
自虐的になるのではないかと、心配した。なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?と、なぜ?の矢が無尽蔵に彼女を襲うだろう。
その時、彼女を免罪してくれる論理はどんなものだろうか。
どういう理屈なら彼女は、この不条理を、引き受けるのだろうか。

死の根本原因は誕生だ。条件は様々だ。

彼女の中に母のたましいが乗り移り、一体になって生きることしかないように思う。母の、彼女を生かそうとした願いに蹂躙されるしかないと思った。
(以上をフェイスブックに投稿した)

この世は「不可逆性」だ。
未来を見通す眼が人間には与えられていない。
いわば、人間には「過去」しか与えられていない。人間に輝かしい「未来」などない。
その「過去」をどのように解釈し、受け取り、受け止めるかだ。
そのためには、「この世」全体を見通す「物語」がなければならない。
いかがわしい「物語」でなく、健康な「物語」でなければ。
人間的に解釈された「物語」ではなく、非人格的物語でなければ。
●2019年8月9日●
昨日は、NHK青山教室の2回目だった。小生はガラケイなんで、写真は載せられない。テーマは「なぜ悪人が救われるのか?」だった。歎異抄の第3条。
先輩たちは、悪人を「道徳的悪人・法律的悪人」あるいは「存在的悪人」(殺生・虚言・悪口せざるを得ない存在)などと定義されているが、歎異抄のいう悪人は「信仰的悪人」だ。
いわば人間からは見ることができない存在だ。唯一、阿弥陀さんからしか本当の姿の見えない存在だ。だから、人間が、「やっぱり俺は悪人だよな」と歎くようなところに真の悪人はない。悪人に、否定的な感情が混じっていたら、それは真の悪人ではない。

以上の文章をフェイスブックに投稿した。
 やはり「罪」の対義語が、人間にはわからない。太宰治も、なんか曖昧な形で語っている。暗示的に女性の「純粋無垢、無防備、博愛性、無疑性」になぞらえていた。
 普通は、人間が考えうる範囲内での、自己反省的な悪性、つまり欠損というか、マイナス部分を「悪」や「罪」は表現している。
「信仰的悪人」とは、本願に背く「悪」と、一応言ってみた。だから、人間の社会的な悪とは無縁だ。阿弥陀さんと自己の関係における「悪」だ。
 『歎異抄』は、「自力作善」を「悪」と見ている。なぜならば、阿弥陀さんは、まったく救いの手がかりすらない存在を、無条件に救いとると言っているのに、そんな心配は要りませんよ、私は私の力でやっていけますからと拒否することが「悪」だ。つまり阿弥陀さんの救済を拒否し、阿弥陀さんの救済を無駄にさせることが「悪」である。
 まあ第3条の表面上は、それを「善人」と述べているが、深層は、「偽善の善人」であることに無自覚であることが「善人」だ。それが、「善人」の偽善性を自覚したとき、阿弥陀さんから「悪人」と呼んでいただける。だから「悪人」は阿弥陀さんから言い当てられた私自身の名前である。
 それは私を自己紹介するときに用いる「姓名」を失うことでもある。まあ姓名は、自分で名乗ったわけではない。親か誰かが私に貼り付けたレッテルに過ぎない。そのレッテルを剥がして見れば、剥き出しのいのち、「無名のいのち」でしかない。
 その「無名のいのち」を「悪人」と呼んで下さるのが阿弥陀さんだ。そして無名の存在をようやく、初めて、「存在」としてこの世に誕生させて下さるのだ。
 だから、「私は悪人です」と他人に向かって自己紹介することができない。自分で自分自身を「悪人」だとは呼ぶことができないし、思ってもいけない。それは越権行為だ。阿弥陀さんだけが、私を呼ぶことができるからだ。「悪人」とは「呼びかけ」であって、「自己紹介」ではない。
 阿弥陀さんの救済力を拒否すると言ったが、そんなことをするだけの力も私にはないのだ。阿弥陀さんに背いているように思っているだけで、阿弥陀さんに背くなどということもできないのだ。阿弥陀さんの悲愛を拒否することができるなどと思うのも、思い上がりの傲慢というものだ。
 だから、やはり「罪」の対義語は、人間には見出せないのだ。
昨日の、青山教室の語りでは、言い切れなかったところを補いたくなったので、ここに記すことにした。
 
●2019年8月6日●
娑婆のことは
娑婆の内では
決着つかん

今朝、またまたいただいた聴聞法語(救済詩)だ。
「いま・ここ・私」が、娑婆を超越するしかない。
何も足さない、何も引かない、そこに厳然とあるもの。
これが娑婆を超越している現事実。
「いま・ここ・私」を、そうあらしめている全背景。
それを思ったときには、もうはや超越している。
超越した視点から、娑婆を眺めている。死から現在を眺めている。
死から出発する生になっている。

問題は、超越なのだ。
自分から超越する必要のない超越。
全人類が願っている超越。
「超越」という言葉が解体された超越。
永遠とスパークしている〈いま〉
これこそ「超日月光」だ。
●2019年8月5日●
「無条件の救い」と聞くと、素晴しいことを語っているようだが、手っとり早く言えば、「人間は何にもする必要がない、ただおまかせ」という意味だ。
戦争や差別や貧困や、様々な人間の諸問題を改善しようとする観念から見れば、とんでもないことを語っているように見える。
これをどう考えるか。
結論から言えば、この問題が問題として成り立っている意味空間(意味場)が違っているということだ。この「意味空間異次元論」そのものが、反動的だと見る見方もある。しかし、その見方そのものが成り立っている意味空間を、視座を後退させて、再度検討しなければならない。
「無条件の救い」を問題にしている意味空間は「信仰意味空間」で、戦争等の問題が成立している意味空間は「政治的意味空間」として、異次元化してみた。
「信仰意味空間」は、すべての意味空間を包摂するので、すべてが「信仰意味空間」内部の問題となる。しかし、「政治的意味空間」は、この意味空間だけが正しい意味空間であり、他方は成り立たないと見えてしまう。単純に言えば「信仰意味空間」は「あれもこれも」だが、「政治的意味空間」は「あれかこれか」ということになる。
だから、自分はどちらの意味空間に生きているかの見極めが問題になる。

「信仰意味空間」は、「個と絶対(永遠)」の関係、つまり「自分と阿弥陀さん」との関係の意味空間だ。「自分は、必ず死ぬのになぜ生きるのか」が最大の問題関心となる意味空間だ。これを私は「タテの意味空間」と呼んでいる。井上洋治神父の言葉を借りれば、「自分が、どれほど悲惨な状況にあろうとも、それをイエスと受け入れ」られるかどうかの「意味空間」だ。
そして「政治的意味空間」は、「個と他者」の意味空間だ。これを「ヨコの意味空間」と呼ぶ。「ヨコの意味空間」は、目に見える関係だ。たとえば選挙権が男性だけに認められるのはおかしいといって、女性も選挙をできるようにする。仕事における賃金の格差を是正してお互いに納得したものにする。つまり、状況を改善することによって何事かを成り立たせようとする意味空間だ。
これはその時代時代の生活条件の変化改善の意味空間だ。だから時代の生活条件に左右される。しかし「信仰意味空間」は、時代の生活条件を問わない。それこそ釈迦の時代も、親鸞の時代も、現代も問わない。生活条件の変化改善が現代化していなくても、成り立つ意味空間だ。
これが「永遠」という言葉で象徴される。「永遠」は時代を問わない。超時代性だ。
これが冒頭の「無条件の救い」が成り立つ意味空間だ。
私も「政治的意味空間」に住んでいたことがあった。例の赤軍派の残党と同じ意味空間だ。まさに「あれかこれか」という意味空間だ。それは〈真実〉を叶えるための「あれかこれか」だった。そこで挫折したが、そのあと〈真実〉追求というテーマはどうなったのだろうか。コミュニズムが幻想だと分かったとき、他の〈真実〉を追求するエネルギーはどうなったか。
このテーマを拾い上げてくれる意味空間がないままに、いまだに心から血が流れ続けているように見えた。
この「政治的意味空間」を掬いあげてくれたのが、「信仰意味空間」だった。
この言い方も、以前の自分には「挫折」と映ったに違いない。
これは人間に〈真実〉はわからないという、大いなる断絶を経なければならなかった。
人間が求めるいかなる〈真実〉も、それは〈真実〉の幻影に過ぎないという断念だ。
この断念を引き起こす作用が〈真実〉だったのだ。
人間が求める〈真実〉を断念させられると、〈真実〉を求めることから解放される。むしろ〈真実〉に背を向けることこそが、唯一、生き延びる道として開かれてきた。
この言い方もおかしい。〈真実〉がわからない以上、「背を向ける」という表現もおかしい。
それでも人間は何かを欲動している。欲動せざる得ないように日々生きている。何を食べるか、何を行為するか、何を考えるか、その根底には欲動がある。それが〈真実〉へと轍をひとつにしているかどうかと以前は問うた。一挙手一投足が、〈真実〉に適っているかと問うた。しかし、いまは、そうは問わない。
〈真実〉と轍をひとつにしているかどうかは、自分にはわからないと開き直ったからだ。
つまり、何を食べ、何を考え、何を行為するかは、バラバラの連続でしかない。自分にはそれをひとつの轍へと統一することができない。できないということが分かった。
譬喩的に言えば、それは闇だ。以前は光の世界と闇の世界があると思っていたが、いまは、すべてが闇になった。
闇って、こんなに居心地がよく温かいものだと、いまでは闇に安住することができた。
「信仰意味空間」とは、人間がメタ化される意味空間だった。メタ化作用を擬人的に「阿弥陀さん」と呼んでいるだけだ。この身体が、何を食べ、何を考え、何を行為するか、そのすべてがメタ化だ。メタ化作用が、極々末端の行為にまで表出してくる。
完全にメタ化されることが「無条件の救い」だったとは。
この世は「メタ化の学校」だったのだ。
●2019年8月2日●
 少し前に、Eテレで連合赤軍のその後をやっていた。もうみんな70歳くらいだ。その中の一人だが、その人は、仲間をリンチで殺してしまい、何年も服役した人だった。その彼は、仲間の親から、謝ってほしくないという申し出を受けて、「謝罪をしない」と言っていた。謝ってしまうと、そのことが過去のことになってしまうからと。それを聞いて、こころが動いた。
 この世では、人に迷惑をかけたら謝ることが是とされるから、彼の態度は批判される。
ただ彼の態度決定を、そのとおり、と受け取っている自分がいた。
 まあ謝罪は感情から発するものだから、それを知性で云々はできない。
謝らざるを得ないのだが、謝っている自分を、どこかで肯定する感情がはたらく。それを突き詰めれば、「謝らない」に行き着く。
「ほんとうに謝る」ことは、「どこまでも謝らない」に行き着いてしまう。それが究極の謝罪だったとは。
 そうすると、心が癒されることはない。心が中ずりにされたままになる。しかし、そこから少しでも、心が謝罪のほうに動いてしまってはならない。苦しくなって、動こうとすると、「これだけ謝っているのに、なぜ許してくれないのか」と、相手に要求することになる。謝罪している自分を受け入れろという暴力になる。
 決して謝らないという彼は、問題をつねに「現在化」させている。これは、意味場が異なるが、親鸞の「現生正定聚」への直感と通じるものがあると、思った。

以上の文章は、フェイスブックに上げたものとほぼ同じものだ。
 これを「つぶやき」に転載して、あらためて見つめてみると、結局、「自己責任」などということは成り立たないのが人間だと思った。すべては、「阿弥陀如来の御はからい」以外にないと、あらためて思った。
 
●2019年7月28日●
 あの津久井やまゆり園の事件に比べて、京都アニメーションの事件では、さほど心が動かないのはなぜだろうか、とふと思った。
やはり、犯行人の動機がよくわからないからだろうか。
やまゆり園の場合、犯行人の動機は優生思想であり、資本主義の倫理であって、理解し易かった。これは自分の中にも流れている思想だから。
しかし、少ない情報から推測すると京アニの場合は、個人的な逆恨み程度のことだろう。動機が違うと、何十人もの人が亡くなっていても、こころが動かないのだろうか。
まあ、突き詰めれば、どちらにしても自分は当事者ではないというあたりに行き着きそうだ。
京アニ事件の動機は「怨み」であることは間違いないだろう。ところが、やまゆり園の場合には、「善意」であった。「心失者」(犯行人の使用言語)は、「健全な社会」にとって不要の存在であり、「健全な社会」に損害を与える存在だから、その存在を排除するという考えだ。自分は「善いこと」をしているという意識だ。
しかし、人間は「善意」であれだけの人間を殺すことができるのだろうか。「善意」にはそんなエネルギーがあるだろうか。
その「善意」にはどこかで屈折したものがあるのではないか。
その「善意」はどこかで「怨み」を内包していないか。
「健全な社会」の構成員である「犯行人」を内側から蝕む害虫のように恨んではいなかったか。障害者をそのままにしておくことができなかったということは、やはり彼らの存在が自分に不利益を与える存在と見えていたということではないか。
もしそうであったなら、そう感じさせたものは「犯行人」の「貪欲」ではないか。

やはり人間は「未生怨」ではないのか。京アニはもちろん、やまゆり園の「犯行人」の根底にも「怨み」が、こころの土台を形成していたのではないか。
現代人は、いや人類は、みんな「未生怨」であるのではないか。
何か生活条件が悪いから怨みを懐くのではなく、本質的に、生まれながらに「未生怨」だ。
「なんであんなに酷いことを!」とひとは言うけれど、人間はもともと「酷いもの」なのではないか。
そのことを白日のもとに表明していくべきではないか。
誰しもが、みんな「未生怨」なんだと。怨みを抱えていない人間は、この世にひとりもいないのだということを表明すべきだ。
「煩悩具足の凡夫」ということは、そういう意味ではないか。
 人類とは怨みを抱えて生きている生き物だと言っていくべきではないか。

それだから、外から強制的に、「怨みを晴らす行為」を押さえ込まなければならないと人類は考えてきたのだろう。近代法を単純化すれば、「自分がしてほしくないことを他者にしてはいけない」というものだ。
これが複雑な法律の束をそぎ取って、一番「核」にある倫理の源泉ではないか。
ただ、屈折すると「自分がしてほしくないこと」をすることが、「善い」ことだというマゾヒズムもあるから厄介だ。
人間は、幾重にも屈折していく生き物だから。

まあ究極的に、その「未生怨」を溶解させるには、阿弥陀さんの謝罪との出遇い以外にはないのだ。それが一番根源的なことで、その他の表層のことは、「それなりに」ということになろう。
やまゆり園事件も京アニ事件も、究極的解決策は、「阿弥陀さんの謝罪を聞いたか」という問いかけとの出遇いしかない。
●2019年7月27日●
「NHK文化センター青山教室」の 次期講座日程が決まりましたのでお知らせします。
10月からは、午前ではなく夜の講座です。
講義時間はいずれも18時30分開始~20時迄です。

内容は、『歎異抄』というテキストを第1条から順番に読んでいくというスタイルです。

ご興味のある方、また一度は学んだことがある方へ。
『歎異抄』は、初めて読んでも、また何度読んでも、新しい気づきが与えられる書です。『歎異抄』と自分が、共にスパイラルに深まっていく醍醐味を体験しましょう!

第1回 2019/10/15(火) テーマ:第1条
第2回 2019/11/26(火)テーマ:第2条
第3回 2019/12/24(火)テーマ:第3条
第4回 2020/01/21(火) テーマ:第4条
第5回 2020/02/18(火) テーマ:第5条
第6回 2020/03/17(火) テーマ:第6条

ご興味のあるかたは、ぜひお申し込み下さい。

「冬 講座」になりますから、まだ申し込み受付は始まっておりません。開催2カ月前くらいから申し込み可能です。→https://www.nhk-cul.co.jp/school/aoyama/
●2019年7月19日●
なんだろう。この存在の空虚感は。

22年間、生活をともにしていたネコ(プチ子)が、昨夕亡くなった。
もはや、彼女の往生は、ネコとか人間とかの段階を超えている。

我々の家族とともに身体化してしまっている。
(だからといって、一緒に墓に入りたいなどとは、まったく思わない)

いつも、ダラッとしていると、彼女は必ず私の右脇腹にのそのそとやってきて、身を横たえ、トントンをせがむ。
トントンというのは、隠語で、私の手のひらを彼女の腰の辺りもっていき、正確には、仙骨の辺りだが、そこを、こぎみよくトントンと叩いてやることをいう。
彼女はトントンが大好きで、必ずせがんできた。
私が、忘れていると、まるで、「ねえねえ」とでもせがんでいるように、ニャゴニャゴと寄ってきた。

トントンをしてやると、えも言えない顔をしていた。

その顔がみたくてトントンをしていたときもある。

私と彼女だけの、極めて閉鎖した関係を、お互いに分かっていて、トントンで確認しあっていたようだ。

いまは、私の右側に、妙に空虚感がある。

彼女の〈一人一世界〉が消えてなくなった。

私はプチ子のために、泣いているのではない。プチ子を縁として、自分の空虚感のために涙を流していた。
●2019年7月15日●
お盆やお彼岸など、真宗寺院では報恩講以外の、すべての法要は日本の習俗にお付き合いしてやっていることだ。
だからお盆の四日間だけ、お彼岸の一週間だけが、仏さんと対面する時間ではない。それこそ365日、24時間、仏さんと対面する時間だ。
まあ正確には仏さんから問われる時間だ。〈ほんとう〉にあなたは、仏さんと対面していますか?と。
この「〈ほんとう〉に」という言葉が付くと、大変なことになる。この「〈ほんとう〉に」は、「あなたのこころの中だけで仏さんを思っているようでは〈ほんとう〉ではありませんよ」と問い詰めてくるからだ。
まあ「仏さん」と言えば、差し当たって思い当たるのが、自分の身内である。その身内の生前のことを思い浮かべる程度で、それが「仏さん」だと思っている。
しかし、それが「〈ほんとう〉の仏さん」ですかと、さらに問われる。
そうやって「〈ほんとう〉」に問われ続けると、人間の思いは、身ぐるみはがされてマルハダカにさせられる。
そうやってマルハダカにさせられると、「仏さん」などと、〈ほんとう〉には出遇っていなかったのだ。
ただ「自分の思い込み」を「仏さん」だと錯覚していたという、お粗末な話だ。
その底から、地鳴りのように叫び、吹き上がってきた言葉が「親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏まうしたること、いまださふらはず。」(歎異抄第5条)だった。
●2019年7月9日●
この言葉は2回目だけど、再び登場してもらった。

人間の諸問題は
人間界では
決着つかん

まあ「諸問題」も表層の問題から深層の問題まであるから、これも一概に括ってしまうと異論が出る。
深層の問題とは、「生老病死」に関する問題としておこう。
別の分け方もできる。表層の問題と深層の問題の違いは、自分が24時間の間、何にこだわり何を問題としているかだ。その時間の多い方が深層の問題ということになる。
これもひとによって違うから、また一概に括ると異論が出る。
NHKで放映していた、その後の連合赤軍の人々を観た。
その中で、静岡でスナックをやっているひとが、「自分は、自分のやったことを謝らない」と言っていた。同士を殺して、懲役刑に服した彼。「なぜ?」と思う私。彼は「謝ってしまえば、それは過去のことになってしまうから」というようなことを言っていた。
これも面白い。普通は被害者に対して謝罪するというのが、「表層の問題」領域での処し方だ。ところが彼は、謝ってしまえば、あの事件は過去のこととして葬り去られてしまう。だから、謝らない。彼にとって、あの事件は、「現在」の問題だからと言う。
これもある意味で、まっとうな処し方だと頷いた。
人間の諸問題は、人間界では究極的に決着つかん。
他者が彼を罰したとしても、また彼自身が自分自身を罰したとしても。あるいは被害者からの許しがあったとしても。さらに、彼自身が彼を赦したとしてもだ。
事件や事故は「たまたま性」だが、この「たまたま性」」が、「そうだったのか性」に変わるには、どうしても阿弥陀さんが介在してこなければならない。
表層のレベルで、いくらあれこれやったとしても、最終的には「たまたま性」は解消されない。
もっと深層の、つまり生老病死の次元で、深く「そうだったのか」と腑に落ちるには、〈真実〉が関わらなければならない。
それは決して過去にならない。いままさに立ち現れてくるようなものでなければ「そうだったのか性」には満たされない。
●2019年7月5日●
昨夜、九州の妙好人から、久しぶりに電話があった。
どうも体調が良くないらしいことはおっしゃっていた。
 しかし、たましいは、相変わらず法界を生きておられるので、お声をお聞きすることができ、本当に嬉しかった。

(『救済詩抄』第2巻の感想で)自分の言いたかったことを書いてくれて有り難かったと、感情を込めて、何度も言っていた。
(そうか、親鸞も、「よくぞ書いてくれた!」と想っているんやないかなぁと、それを聞いて連想した)

できれば、先生に会いたいと言っていた。

もう、念仏に生きる者は、無言で会話できるもんやと思った。
もう言葉が要らんという、感慨を得た。

ただ言葉を聞いているだけで、それでもう何も要らない。
嬉しかった。

(法縁の波紋)
●2019年7月3日●
絶対性の根拠が相対性である。
相対性の根拠が絶対性である。
この相互根拠性が〈真実教〉である。

簡単に言えば「仏を救わずんば我ならず。 我を救わずんば仏ならず」ということだ。
天台本覚論や西欧一神教は、「相対性の根拠が絶対性である」になる。
しかし〈真実教〉は、一方的ではなく、相互的に根拠になる。それを「相互根拠性」と言ってみた。
ここまで来ると、「絶対性」とか「相対性」という言葉自身も意味を持たなくなる。
無明を脱するのではなく、無明を味わいに転じていく。
ただただ、〈真実教〉が、具象化しただけなのだ。
●2019年7月1日●
南直哉の『超越と実存』の一部を読んだ。(新潮社2018年1月・p222)
「親鸞のアイデアは、かろうじて『仏教』の範疇に留まっていた法然の浄土教思想を突破し、それが内包する超越的理念(阿弥陀如来と極楽)を、悉く『念仏』という行為に落とし込み、消去してしまったのである。」
「その脱落は『信じる』主体を放棄し、『信じられる』対象(阿弥陀如来と極楽)を消去するだろう。このとき、念仏はただの音声、意味を理解する必要のない発音の連続になるのだ。」(p220)
南は、かなり深いところまで親鸞を理解している。法然を深化発展させたのが親鸞ではなく、まったく別物だとも言っている。その通りだと思う。まあ法然の思想にヒントを得て、そこから親鸞独自の問題意識が展開したと読むべきだろうが。
そこで、ここに「南の理解する親鸞」が述べられていた。
親鸞は「信/不信」の問題を越えて、ただ南無阿弥陀仏の発音という行為へと抜けたと。
 後に、道元のことについて触れて、坐禅という行為を南は問題にする。「自分が行為する」のではなく、「行為する自分」と逆転することだと強調する。つまり「自分」という自意識を無化して、無意味な行為のみを重んずる。行為を重んずるから、親鸞も念仏という行為を重視したと見えるのだろう。
 そこでちょっと疑問に思った。自意識を行為で解体するところまでは、その通りだと思うのだが、その「行為する自分」が、とことんまで行為に細分化されてしまい、今度は「統合」できなくなるのではないだろうか。
 南は、「悟った」とか「信心を得た」とか言うことを拒否する。それはその通りだ。過去形で語った場合、信仰は死ぬことを知っている。それを解体するのが単純で無為な行為だということも分かる。
 しかし、それらが解体されたままで「統合」されなければ、「自分が生きる」ことにならないのではないか。この「自分」は「能動詞としての自分」ではなく、「受動詞としての自分」なのだが。
 解体されて再統合されなければならないように思う。それを私は〈一切衆生人〉と呼んでいる。
 いま(時間)・ここ(空間)・わたし(主体) の統合体が〈一切衆生人〉だ。
●2019年6月29日●
2019年度 秋葉原親鸞講の日程が決まりました!粗々ですが、お知らせしておきます。

①2019年10月9日(水)午後19時~20時30分
②2019年11月6日(水)午後19時~20時30分
③2019年12月11日(水)午後19時~20時30分
④2020年1月15日(水)午後19時~20時30分
⑤2020年2月12日(水)午後19時~20時30分
⑥2010年3月11日(水)午後19時~20時30分

会場:TKP秋葉原カンファレンスセンター(千代田区神田松永町4-1ラウンドクロス秋葉 原) ※前回のUDXビルよりも広い会場になりました。

テーマ:まだはっきり決まってはいません。ただ『歎異抄』を巡って、親鸞の法界を遊ぶことになろうかと思います。
●2019年6月28日●
【止まる修行】
こっちが止まると、世界の動きが見える。こっちが動いていると、それが見えない。視点が動き通しだと、世界の動きがよく見えない。まず止まる。
「他力の修行」とは、こっちが止まる修行だ。
千石イエスが、「客観が動き出す」と述べていたことと通じる。
人間が「修行」と言えば、自分からすることだと思い込む。
自分から迎えに行く修行は、本当の修行ではない。
それが、止まるときがある。
止まってみたら、周りが動いていたことに初めて気付く。
「する」→「止まる」→「ある」→「されている」という順番に深化する。
●2019年6月27日●
【おことわり】
先日、本山の高廊下に小生の言葉が二つ掲示されるとお知らせしましたが。それは取りやめになったというお知らせ。
理由は、①あの高廊下は亡くなられた先生方(偉い)の言葉を掲示してきたところで、現在存命の方(チンピラ)の言葉を掲示したとはない。また、掲示すると、その方に直接問い合わせなどが行き、ご迷惑をお掛けすることになるかも知れない。(括弧内は武田の補記)
②存命の方の言葉を掲示すると、「なぜあの方の言葉を掲示したのか?」とか、「それならば、この先生の言葉を掲示するのが本当だろう」などのクレームが寄せられる可能性がある。(「そんなクレームが来たら、どう対応するんや、いらぬ仕事が増えるやろ」、武田の補記)
本山内部でそういう意見が上がり、掲示は取りやめとなったらしい。
これは邪推だが、恐らくこれは「武田定光」ブランドへの反発のあらわれではないか。
もっと偉い先生の言葉であれば、生前の方でも問題なく掲示できるが、あの「武田定光」だけは許せんというやつだ。
本山が、あらぬクレーム対応に追われるのは困るという教団としての嫌悪感であれば組織体としての正常な忌避観の表れであって納得できる。
それならば分かる。
しかし、もし「武田定光」ブランドへの拒否感であれば、それは逆に、凄いことだと誇りに思った。あってもなくてもどちらでもよいと思われるのではなく、あってもらっては困るという拒否感だから、それは「武田定光」ブランドの「劇薬性」が証明されたことになる。
 まあ本山の報恩講法話で「私の信心と親鸞聖人の信心は同じです」などと、「劇薬」をばら蒔く人間の言葉など、あの尊い「高廊下」に掲示させるものかという反発だろう。
これは、喜ぶべきことに違いない。
 「武田定光」ブランドというリトマス試験紙を、ある種の液体に付けると、赤になったり青になったりするだけ。リトマス試験紙本来の色はまったく変わることはない。
●2019年6月23日●
人間の諸問題は
人間界では
決着つかん

田んぼに、道路を通す計画が持ち上がり、その所有者に補償金が入ることになった。お金が入ることで、当人は豊かになり喜んだ。しかし村人たちには、羨みが起こった。もう少し道路が逸れてくれれば、自分の田んぼにも補償金が出たのにと。
「妬み嫉み怨み」が噴出した。空は青く、田んぼは緑、吹く風は心地よいのに、人間のこころは真っ暗闇だ。
そんなある日、補償金をもらい豊かになったひとの子どもが交通事故で亡くなった。村人は、嫉妬心を少し撫で下ろした。ひとりだけ上手いことやってるから、ああいう目に遭うんだと。
何が幸せで、何が不幸なのか、人間界の「規則」は、ただただ煩悩だ。
この煩悩の「規則」に操られて一生を終わっていく。
人間のあらゆる問題は、人間界では決着つかんのだ。
人間界を解脱しなければ。人間界を解脱して〈阿弥陀界〉に生きなければ。
●2019年6月22日●
昨日、小生が留守の間に、ある女性が訪れてきて、「三世一念の理」について教えて下さいと言われたと聞いた。女性は、他のお寺へも訪ねたらしいが、「うちは違うから、浄土真宗のお寺へ尋ねたら」と言われてやってきたそうだった。
寺に戻ってから、その女性に電話して説明した。
「三世」は「過去世・現世・未来世」のことで、これが「一念」であるという意味だと答えた。彼女は「一念」を「一心不乱で、一生懸命に念ずる」と受け取っていたようだ。そうではなくて、過去世も現世も未来世も、ただこのひと思いの中にあるという意味だ。
過去のことを振り返っているのも、未来のことを考えているのも、すべては「ただいま」の思いでしかない。どうやって考えるかと言えば、過去は「後の祭り」、未来は「取り越し苦労」だ。過去や未来が実体的に、あるわけではない。過去と未来への執着があるだけ。その執着は煩悩のなせる業だったかと、覚めること。簡単に言えば「取り越し苦労と後の祭りからの解放」が「一念の理」だと説明した。
どうも文言のルーツを調べると、「三世一念の理」は日蓮系の文献にあるらしい。法華天台の教学から生まれた言葉らしい。
しかし、親鸞の目からいただけば、そういうふうになる。
「いささか所労のこともあれば死なんずるやらんと、こころぼそくおぼゆることも煩悩の所為なり」と親鸞は『歎異抄』第9条で言っているではないか。ちょっと風邪でも引いて病状が長引けば、死ぬんではないかと心細く思ってしまうのも煩悩のせいだと。
つまり「取り越し苦労」ということだ。人間は、自分の未来を二つの目でしか見られない。ひとつは「悲観」、もうひとつは「楽観」だ。そうやって「観る」のも煩悩の目でしかない。〈ほんとう〉のことは、如来さんだけがご存知なのだ。人間には過去も未来も〈ほんとう〉に観ることはできない。そうやって覚めていくのが「三世一念の理」である。
そんなことを説明したら、女性は、「よくわかりました。」と電話越しに感動の声を上げていた。
その時は、分かったような気になるが、また再び疑問の雲に覆われるだろう。そうやって阿弥陀さんは、私たちを丁寧に養育するのだ。
●2019年6月21日●
「自己解体の文脈」か、「自己肯定の文脈」か。
二つに一つだ。

「本願ぼこりといましめらるるひとびとも、煩悩不浄具足せられてそうろうげなれ」
だ。
煩悩不浄具足とは、自己肯定以外に生きられんやろうという批判である。
その自己肯定も、他力よりの促し以外にないのだ。
自分は人生の主人公ではないのだから。

させられて、しているのだから。

「さるべき業縁のもよおさばいかなる振る舞いもすべし」をどっちの文脈で読むかだけが、喫緊の課題だ。
●2019年6月19日●
京都・東本願寺、つまり本山の御影堂から参拝接待所に渡る廊下を「高廊下」というが、あそこにはいくつか法語が掲示されている。そこに小生の言葉を載せたいと本山から申し出があり、許可した。

それで掲示の期間は2019年7月~12月で、

「悪人が救われる」のでなく、救われた人間の自覚が「悪人」だったのです。

が掲示されるそうだ。

次のは2019年12月~2020年6月迄が掲示期間で、

阿弥陀如来の本願は私たちを一方的に愛し続ける「永遠の片思い」なのです。

が掲示される予定。これらの言葉は拙著『なぜ?からはじまる歎異抄』の中に出てくる言葉だ。
 掲示ばかりでなく、LINEによる法語配信と、しんらん交流館が配信するメールマガジンで配信するそうだ。現代の機器はよくわからんが、そういうことらしい。

万が一、本山に行かれたら見てやって下され。
それもこれも、ひとえに、みんな阿弥陀さんのためでしかない。
●2019年6月17日●
法蔵菩薩が私
私が法蔵菩薩ではない

寝床で、今朝、阿弥陀さんから、そう教えられた。言葉としては曽我先生から、それに似たフレーズは聞いていた。
ただそれは言葉だけであって、自分に身体化していなかった。言葉が身体化したとき、その言葉が生き生きと蠢く意味場に、私が生きることになる。
「法蔵菩薩が私」というのは、大経の「群生を荷負して重擔とす」だ。この身体が法蔵菩薩だったということだ。四苦八苦の私と一心同体にになって同感同悲されている姿が法蔵菩薩だ。
だがそれは「私が法蔵菩薩」という文脈とはまったく違う。この「私が」というところからすべてを出発すると、あらゆることが「自己肯定の文脈」に堕す。

先日も、「私が法蔵菩薩だなんて」とか「私が法蔵菩薩の仕事をさせていただくのですか」と問われたが、それはまったく違う。
法蔵菩薩が仕事をされている姿が、私の身体だったのだ。私はその法蔵菩薩を、我が物と思ってはならない。私の身体となって私の苦しみ悲しみを同感、同悲されていることに頭を垂れるのみ。
●2019年6月16日●
「自分が」見ると
自分は見えない
映されて
初めて見える

38億年前から、いのちの噴出として、自分は、いま、ここに、ある。
誕生してから何歳というのは、リンゴの皮と同じ。皮でしか、自分を見ることができなかった。
何だか分からないのだが、「意識」と呼ばれているものがあって、「自分と世界」とを見させてくれた。それで「自分と世界」が見えたように錯覚した。
だって、木は緑、空は青いのだから。それが〈ほんとう〉の「自分と世界」だと思ってきた。
ところが、そうではなかった。
映されなければ「自分」は見えなかった。何が映しているのか。その主体を自分は見つけることができない。映されていることは分かるのだが、何が映しているのかは不明だ。 映されてみると、「自分と世界」はひとつのことだった。分けることができなかった。

人間は、自分では「自分」を見ることのできない悲しい生き物なのだ。
●2019年6月14日●
説者は阿弥陀。聴者はわたし。
どうも法話の発話主体は阿弥陀さんだったようだ。わたしはそれを聞いて、スピーカーのように拡声するだけ。
だから布団の中でも、阿弥陀さんは法話を始めることがある。私は、うるさくて寝られないこともある。
そうだったのか。
わたしは拡声器だったのか。
●2019年6月9日●
人間が貼ったレッテルをすべて、ぶっ壊す。
それが阿弥陀さんの破壊力だ。

レッテルが剥ぎ取られてみれば、そこは生々しいいのちの爆発だ。

だから、〈ほんとう〉の世界には名前はない。人間が把握することのできない不可思議態である。

そっちがほんとうだ。人間のレッテルは、幻想だ。

生々しいいのちの爆発の爆風に吹っ飛ばされるのみ。
●2019年6月7日●
今度、NHK文化センター青山教室で、「歎異抄」の話を頼まれた。
テーマは「歎異抄を読む いま、親鸞が語ること」だ。
↓↓↓↓
https://www.nhk-cul.co.jp/school/aoyama/
7月11日・8月8日・9月11日の三回連続講座だ。
果たして、現代に「歎異抄」に対する要求があるのかどうかを確かめる実験だ。
第1回目が「歎異抄とはどういう書物か?」まあ、初心のひともいるから、階段を一歩ずつ登っていく。
第2回目が「悪人が救われるとはどういうことか?」だ。まあ歎異抄と言えば「悪人成仏」が有名だから、名所旧跡を尋ねる。
第3回目は、「信仰は信か知か?」というテーマにした。
まあ、「信」か「知」かというテーマを付けた段階で、「信」と「知」は別物だという観念が浮かび上がってくる。ほんとうに「信」と「知」は違うものだろうかという問いかけだ。
まあ、突き詰めて言えば、問題は歎異抄ではなく、歎異抄を読む私が明確になることだ。「私が歎異抄を読む」ではなく、「歎異抄に私が読まれる」という体験にまで深化できれば幸だと思う。
●2019年6月6日●
親鸞も、浄土なんか、知らんで生きてたんだ。
分かったところに往生しようと考えたわけじゃない。
わからんところに往生したんだ。
分かったところに往生しようとしたのならば、そこは化土だ。

「真実」と言っても、わかって使っているわけではない。
わからんということだ。
わからんによって不安になっていないだけだ。

「輝かしいわからん」なのだ。
わからんで解放される「わからん」だ。

それを〈真実〉という。
●2019年5月30日●
東京駅に降り立った時、ちょっと、ゾッとした。

ここは人間の知恵から生まれた疑似空間だ。見渡す限り。
唯一の自然は、生身の人間のみ。

1+1=2というハウツーの知恵から生み出された擬似空間を人間たちは、当てもわからずに歩いている。それがあたかも、「現実」であるかのように。
これは「現実」ではない。
老病死という3次元が、見えない。
観念だけが溢れかえっている。
整然と植えられた街路樹も、人間の知恵に渋々承諾し、遠慮がちに立っているようだ。
いったい人間の知恵はどこに向かおうとしているのか。

思い通りにすることが、幸せだとするなら、それは狂気だ。
人間の思い通りは、地球を破壊してしまう。
この沸騰した人間の知恵をクールダウンするものは何か。

でも、知っていると思い込んでいるんだ。道を歩いている無数の人々は。自分の行き先くらいはちゃんと分かっている。だが、それをずっと突き詰めると、いったいどこに向かって歩いているのか。
そんなことは、問わないようにしているのだ。
そんなことを考えていたら、車に轢かれてしまうから。

永遠は知っているんだ。人間は、本当は「死なない」ことを。
擬似空間が「現実」だと思い込んでいると、「死」で終わる絶望的な人生になる。

川崎の殺傷事件は、本当に痛ましい。テレビ報道を見るたびに、気分が沈む。
あの殺人者が生まれるのも、我々に罪の一端がある。
〈未生怨〉は、現代人のこころの深奥に、間違いなく存在しているからだ。目には見えない〈未生怨〉が、都市には充溢している。特に、川崎は近年、地政学的に見ると、旧住民と新住民との格差が生じている場所らしい。特に武蔵小杉は象徴的らしい。
殺人者は、社会は大きく、自分は小さく取るに足らないものに見えていたのではないか。この世界観をどうやって対自化するかだ。
●2019年5月28日●
『救済詩抄』の76ページ「もう済んだと思ったが まだ始まっていなかった」を、あるお寺で輪読したらしい。ご門徒の90歳の男性が、「自分と同じだ。前半はわかる」とおっしゃったという。
しかしあるひとは暗く受け止められたという。
そのかたは親の介護でヘトヘトのひとで、この介護生活は、もう終わりにしてほしいのに、まだ始まっていなかったんですかと、がっかりされたようだ。
その時、若住職さんが、その方にどんな言葉をかけたらよいのか…と悩まれたそうだ。
 これにはいろいろ考えさせられた。
 まあ、人間は自己関心でしかものを見たり考えたりできない生き物だとつくづく思い知らされた。介護をされている方は、「もう済んだ…始まっていなかった」を、そのような関心で受け止めしまったということだ。それは私の意図とは違うのだが。
 人間はつくづく「誤解」の生き物だと知らされる。ただし、「誤解」以外には生きられないので、その「誤解」を「誤解」のままにするのではなく、その「誤解」が正解に導かれるようにと願うばかりだ。
 how toの次元で言えば、介護生活がいくらかでも楽になるようなアドバイスを介護専門の方に聞く以外にない。それから、「介護するかしないか」「介護できるかできないか」という次元の問題は、その方の業縁に任されている。まさに「当事者性」だ。
 それで、私ならどう答えるかと聞かれたので、「その介護生活を阿弥陀さんはどうご覧になっていらっしゃるでしょうね?」とお返しするだろうと言った。
 介護を頑張れとも言えないし、大変ですねと慰めることもできない。介護なんかやめて施設に入れる手立てを考えろなどとも言えない。それは人間にはどうしてみようもない次元の問題だから、阿弥陀さんにおまかせするしかない。
 当事者は、ヘトヘトになりながら介護生活をしているのだろう。疲れ果てて、もういい加減に死んでほしいという思いも起こる。そういう思いが起こることについても、「なんといういやらしい、鬼のようなこころを自分は思っているのか」と絶望的にもなるだろう。肉体はしんどいのだが、それ以上に、自分で自分自身のこころのありようをどうしたらよいのかと、持て余し苦しんでいる。
 そんなどん底状態のときには、人間の慰めなど通用しない。ただひとつ。阿弥陀さんは、どうあなたをご覧になっているのでしょうかという問いかけしかない。そしてそのひと自身が阿弥陀さんと対面していただくしかない。
 
 まあ、その場面で、その時どう動くか、どんな発言ができるか、そんなことも阿弥陀さん任せだ。だから、どんな言葉をかけるかではなく、沈黙するしかないときもある。
沈黙は、人間の言葉が通じない状況でのみ重みを発揮する。言いたいけど言えない、言葉を失ってしまう。その沈黙は、言葉以上に雄弁に何かを語るものである。
 沈黙すればよいのだと、そっちのhow toに逃げてしまったら、沈黙の重みはなくなる。何かを言いたいのだが、言えないもどかしさ。そのもどかしさだけが沈黙の重みを増す。
 最後はその方と、自分がともに阿弥陀さんの前に端座するしかない。

●2019年5月26日●
阿弥陀さんから、どんどん遠くなっていく感じがした。
 遠くなれば遠くなるほど阿弥陀さんの救済力が強く増してくる。阿弥陀さんに近づこうとすれば、救われない。阿弥陀さんから遠ざかれば遠ざかるほど、救いの力が強くなる。
 親鸞は末法を悲しんでいるが、その裏で阿弥陀さんの救済力がより強力にはたらくことを喜んでいる。

 完璧なひとには近寄りがたい。話しかけたくもない。そういう阿弥陀さんの近くにいるひとには近寄りがたい。
 目指すのは、向こうから話しかけられる存在だ。黙っていても、向こうから近寄ってきて、「ねえねえ…」と話しかけられる存在こそが、「菩薩」というイメージではないか。
それはミヒャエル・エンデのモモの立ち位置だ。
●2019年5月25日●
「方便」という言葉をどう受け取るか。
「方便」という言葉を聞くと、すぐに連想されるのが「ウソも方便」ではないか。
これは「有相(うそう)方便」から連想された言葉ではないかと言われている。「有相」とは「相(すがた)が有る」ということで、「現象」という意味だ。
そのせいか、「方便」という言葉を耳にすると、どうしてもマイナスの雰囲気を連想してしまう。方便=嘘(ウソ)であって、「真実」ではないものという観念が、頭の中に惹起させられる。
つまり、その時、頭の中には「方便=マイナスの価値・真実=プラスの価値という観念が出来上がっているということだ。固定観念という執着だ。
その時の観念は、ちょうど同じテーブルの上に「方便」と「真実」が並べられていて、「方便」はダメで「真実」はオッケイというデジタルな観念になっている。
まあ、そういう並列的(デジタル)な意味場で「方便」と「真実」とが用いられる場合も当然ある。法然の「選択・選捨」という意味場だ。一方を取って、他方を捨てるという意味場で決断を迫ってくる意味場だ。
しかし、違った意味場もある。
それは、人間が接することのできる「言葉」や「意味」は、すべて「方便の次元」にあるという意味場だ。つまり、人間が用いる「方便・真実」という言葉は、すべて「方便の次元」にあるという意味場だ。たとえ人間が「真実」と用いたとしても、それは「方便の次元」にある「真実」という意味になる。
〈ほんとう〉の「真実」は決して、人間につかみ取ることも表現することもできない領域にある。人間にとっては、「非知」であり、「不可思議」としか言えない。これも形容矛盾である。人間にとって表現できない領域のものを、どうして人間は「非知」と命名することができるのか。だから、唯一、許される表現形式は、「非」という非定型での表現しかない。阿弥陀の「阿=無」が、それを表している。
宮沢賢治が『銀河鉄道の夜』で、「本当の神様」の話をしていて、僕のいうのは「本当の神様」のことで、君の考えている「本当の神様」ではないという。しかし相手も、君の考えている神様の上にある、本当の本当の神様のことを僕は言っているのだという。記憶違いかもしれないが、そんなやりとりがあった。
これも「真実」と「方便」の問題だ。まあ西洋一神教は、そうやって、「本当の神様」の上にある「本当の本当の神様」として絶対神を立ててきた。これは私の主張する「一世界全人類包摂世界観」である。まあ現代人は、この世界観が「客観的真実」であり、これしか世界はないのだとマインドコントロールされている。
しかし、人間は、これでは死んでいけない。〈一人一世界〉でなければ。
「本当の神様」という観念の中に自分が包摂されてしまう。まあ包摂とは言わずに救済というのだろうけど。神様が一元で、私はおおぜいの人間の中のたった一人という観念になる。この観念だと一元の神様は絶対的な存在になってしまう。神様は、苦しんでいる者のために救済のはたらきをするのだが、そうなると神様が絶対であり、自分は相対、つまり被救済者になってしまう。それは神様に救済される者として、自分は神様の支配を受ける存在になってしまう。
親鸞が直感した〈真実教〉は、「我をたすけずんば仏ならず。仏をたすけずんば我ならず」だ。西欧一神教は、救われていない人間がいたとしても、そんなこととは無関係に絶対的な神様だ。完璧な神様だから、人間を救うことができると言っている。ところが阿弥陀さんは、救われないひとが一人でもいたら、自分は仏として失格だと言っている。これが「誓願」である。
つまり、私が救われない限り阿弥陀さんは仏に成れないのだから、私が救われることによって、初めて阿弥陀さんが仏に成れる、つまり仏として救われるわけだ。こうなってくると、阿弥陀さんも命懸けで関わらざるを得ない。もし私が救われなければ、自分は仏に成れないからだ。絶対の神様だと、一人の救いは片手間といっては失礼だが、救済力のすべてを使わなくてもよい。76億人を救う神様であれば、76億分の1のエネルギーだけで済む。 西欧一神教は、「76億対1」だが、阿弥陀さんは「1対1」だ。
阿弥陀さんは、たった一人の被救済者がいたなら自分は仏に成れないのだから、全身全霊で救済を果さなければならない。阿弥陀さんも命懸けになる。
私も助かるためには命懸けになり、阿弥陀さんも命懸けになる。こういうやって救済者と被救済者とが、共に助かっていく世界が、親鸞の直感した〈真実教〉だ。どちらかがどちらかを一方的に救済することになると、救済されたものは救済したものの奴隷にならざるを得ない。
 
●2019年5月20日●
「あらゆることに対するアンチテーゼが、真宗だ」と、酔っぱらっている最中に、自分が自分自身にメールを送っていた。
 まるで、へそ曲がりな人間の言いぐさのような言葉じゃないかとも思ったが、案外そうでもないと、覚めてから眺めている。
 その「あらゆること」とは、何かと問えば、「自分が知っていること、人間が決めていること、万人が、これでよしと肯定していること」その全体を指しているようだ。
 そうすると、「これでよし」と自分自身に言い聞かせる現象がすべて溶解していく。
いわゆる「既存」のものが、すべて溶解していく。
 そうして、甦ってくるものは、「いま・ここ・わたし」という不可知だった。

阿弥陀さんだけが、唯一の批判の主体である。人間には立場とすることのできないものだ。ただし、そうやって、いま、ここで、こういう文章を書いている、自分は、そのことを知ってしまっている。
 知るということは、どこかで、その阿弥陀さんの立場を奪っていることにならないか。
その通りだ。
 だから、〈ほんとう〉は、そういうように表現することも憚られることなのだ。
決して、阿弥陀さんの立場に立つことができないにも関わらず、そのように表現してしまう罪だ。
 それも果たして罪と言いうるものでもないのかもしれない。
 言葉で表現してしまうこと、そのことは「未知」が「既知」へと引きずり込まれてしまうことだから。
 そうやって、見ていくと、自分は何十万年も前の原始人の眼へと戻ってしまったようだ。「近代文明」の生みだした建物や道などが東京には氾濫しているのだが、それすらも原始林のような有り様ではないか。
 原始未開の眼が、レントゲンのように「近代文明」を骨抜きにしてましった。
●2019年5月18日●
 本当の仏教とは何か、お釈迦様が語った真実は何か。そう問い詰めてきた歴史が「仏教」といわれているものだっだ。しかし、いくら古い経典に、「これこそが真実だ」と書かれていても、それが自分の救いに無関係であれば、それはただのお飾りに過ぎない。
 歴史的により古い経典が出てきても、それが本当のことを語っているかどうかを吟味しなければ、信用できない。より古いものが「真実」だと考える発想は、考古学的関心だ。歴史的に古いというだけで「真実」を述べていると思い込むのは、「古い」という観念に対する権威主義だ。
 たとえそれが「古い」ものであったとしても、それが本当のことを語っているかどうかを、自分自身が吟味しなければならない。極論を言えば、自分自身の吟味を「救い」というわけだ。
 つまり、いかなる権威にもおもねることなく、自分自身の「救い」をもって、経典を「真実」と認定する以外にない。だから、自分の「救い」を抜いて、経典の真実性を証明することはできない。
「仏教」がどこにあるのかと言えば、古めかしい経典の文字にあるわけではない。そこに書かれている文字によって、自分自身が救われ、これこそが間違いのない教えだと認定する以外にない。だから、「客観的証明」などは必要ないのだ。もし国家が認定したとしても、自分を抜きにすれば、それは何の役にも立たない。
 しかし、その「自分自身の救い」というやつが、また怪しいのだから、いたちごっこだ。それは個人的なことであって、決して普遍的な救いとは違うのではないかと言われてしまえば、それで終いだ。
〈ほんとう〉のことは、決して言語で表現することはできないので、どれほど普遍的な救いだと喧しく言っても、無意味だ。
 ただ、それは〈ほんとう〉のことではないのではいかということを直感できるようになる。その表現には〈ほんとう〉の濃度が低いのではないかとだけは直感できる。それが「自分自身の救い」の普遍性だろう。
 そう直感させるものこそが、〈ほんとう〉というものだろう。
●2019年5月17日●
結局、罪の対義語は、分からない。

太宰治は「しかし、牢屋にいれられる事が罪じゃないんだ。罪のアントがわかれば、罪の実体もつかめるような気がするんだけど、……神、……救い、……愛、……光、……しかし、神にはサタンというアントがあり、善には悪、罪と祈り、罪と悔い、罪と告白、罪と、……ああ、みんなシノニムだ、罪の対語は何だ」(『人間失格』)と言っている。
アントとはアントニム(対義語)の略であり、シノニムは(同義語)という意味だ。
ただ、それらの単語を対義語ではなく、同義語として太宰は考えている。
その次の段階では、内縁関係のヨシ子が他者に強姦というほどのこともなく犯されていく。
「ヨシ子は信頼の天才なのです。ひとを疑う事を知らなかったのです。しかし、それゆえの悲惨。
神に問う。信頼は罪なりや。
ヨシ子が汚されたという事よりも、ヨシ子の信頼が汚されたという事が、自分にとってそののち永く、生きておられないほどの苦悩の種になりました。」と述べている。
太宰は次のページに「はたして、無垢の信頼心は、罪の源泉なりや。」と述べ、その次のページにも「無垢の信頼心は、罪なりや。」と記す。
ヨシ子のひとを信じて疑わない性格が、他者の犯罪行為を引き起こしてしまう源泉だという意味だろうか。それでは対義語になってはいない。同義語的解釈だ。
 それともここにはヨシ子の信頼心が、太宰の愚かさ(つまり罪)と対比されているのだろうか。

何かに背いている、非本来的なあり方をしているということを、罪と言うのであれば、本来的なことが自分に分からない以上、罪は分からないということになる。

誹謗正法は、一見するとわかったような雰囲気になるが、本質的に言えば、そもそもその正法とは何かが分からない以上、それを誹謗することもできないことになる。
そうなると、罪とは何かが分かるということは、すべて自己解釈の範疇内のことでしかない。
つまり、生きてること全体が、「自力という煩悩」で汚染されているとなると、「本願ぼこり」でしか生きられないことになる。

つまり、それは言わば無罪性でしかない。いや違う。対義語がない以上、「無罪」という言葉も成り立たない世界だ。
人間の、側から爪がかからない以上、無罪性もない場所だ。
 すべては、許されてあるということだ。「許されて」という言葉も間違っている。「さるべき業縁」性としてあるということだ。行為も意志も、それらが引き起こされてくる原初は、人間には知らされていないからだ。
しかし、この世は「偶然性」という虚無主義で覆われているから、「必然性」などということは人間界では口に出して言ってはならないのだ。
〈真実教〉の範疇でしか言えないことなのだ。
「救い」などということは、自分勝手な、個人的な、つまり「蜘蛛の糸」のカンダタなのだ。
●2019年5月15日●
共著『ここが わからん 浄土真宗』(大法輪閣1700円+税)が発刊されました。
内容は
第1章 知っておきたい浄土真宗の基礎
浄土真宗とは何か……深川宣暢
 浄土真宗の教えとは…武田定光
 浄土真宗の仏事としきたり…直林不退
 浄土真宗の分派とゆかりの地…佐々木隆晃
 浄土真宗が自慢できること…狐野秀存

第2章 浄土真宗への「疑問」に答える
 親鸞・真宗の歴史についての疑問に答える…直林不退
 教えについての疑問に答える…藤丸智雄
 葬儀・法事・信仰生活などの疑問に答える…義盛幸規
 
第3章 淨土真宗への「誤解」をとく
 親鸞・真宗の歴史についての誤解をとく…武田未来雄
 教えについての誤解をとく……本多静芳
 葬儀・法事・信仰生活などの誤解をとく…佐々木隆晃
 
第4章 浄土真宗 ホットな論点
 浄土真宗をめぐるさまざまな議論…藤原正寿
 親鸞は往生をどう捉えたか…臨終往生説…小谷信千代
 親鸞は往生をどう捉えたか…現生往生説…長谷正當

この本は大法輪閣の編集部が編集したものですが、ハウツーものとしては、なかなか面白い作りになっている。ぜひお勧めします。
因速寺では、著者割引で1500円でお分けしている、らしい。

●2019年5月11日●
明日まで、生きてると思うな、と呼び掛けられているのに、明日の予定を見て、溜め息をついている自分がいる。
なんという反逆。

すべては、自己批判以外にない。

大津で53歳の女性が、2歳の保育園児を二人、轢死してしまった。
あの事故に加害者はいない。

両者ともに被害者ではないか。

ああ、〈私〉が悪いのだ。すべては〈私〉の責任だ。全人類は、そう受け取るべきだ。

すべての罪は、〈私〉一人にあり。
●2019年5月8日●
お話に遅刻した。
大阪でのお話だった。前の晩は、スタッフのひとたちと夕食をし、ホテルに泊まった。翌朝、十分間に合う時間に起床した。電車を乗り継ぎ、会場へと急いだ。ところが、目指す駅がどこだったか分からなくなってしまった。
いま改札を通った駅が目的の駅のはずだが、今度は乗るべき電車が分からない。どうも、ここで電車に乗ってはいけないことに気が付き、再度、改札からでなければならなくなった。しかし改札が混雑している。モバイルスイカで改札を抜けたので、出札するときにもピッとやって出なければいけない。それなのに改札口には、他の客が溜まっていてなかなか出ることができない。
ものすごくイライラしていた。ようやく、自分の番が来た。スイカは一度解除してもらわないと、改札を抜けられない。その作業をしてもらうように頼んだ。ところがそれが新米の女性駅員だったから、その作業に戸惑って、先輩職員に聞いている。やっとスイカは解除された。次に、私は自分の持っている地図(略図)を見せて、ここへ行くには、この駅で降りればいいんだよねと確認した。駅員は、そうですと答えた。
駅を抜けて、タクシーに乗れば、時間に間に合うと思っていたら、とても間に合わない時間だと分かった。
朝の電話では、もうすでに会場には50~60人のひとたちが集まって先生を待っているという。またまたものすごく焦った。今度はタクシー乗り場がわからない。あれこれしていると、スーツに間衣を着た関係者が待ち構えていて、こっちですと教えてくれ、同伴してくれた。
その中には、私を指名して呼んでくれたひともいた。
大きな槗を渡らないと会場にはいけない。流しのタクシーを拾おうにも、先客が乗車していて拾うことができない。気が付くと、スタッフが増えていた。焦りながら会場へと数人のスタッフと向かった。朝8時からの講演なのに、もう既に9時になっている!ええっと思ったが、もう手遅れだ。
そんなことをしているとき、向こうから空車のタクシーが来た。これ幸いと乗ろうとしたら、客席にはネコが二匹乗っている。運転手の飼っているネコらしい。そんなことにかまっていられないので、乗せてもらった。乗ろうとしたら、スタッフが8人にもふえていて、助手席に無理やり4人乗り、後部座席には3人が乗った。これは定員オーバーで違反だと嘆きつつ、運転手はどうにか乗せてくれて、会場へ向かった。
私は私を呼んでくれたスタッフに、タクシーで迎えにきてくれればこんなことにはならなかったのにとぼやいた。他の会場ではホテルまでタクシーで迎えに来てくれるから遅刻することもないのにと、なじった。
 そのスタッフは「えっ!」という顔で、言い返してきた。「自分は今度、池袋のスタッフになるんですよ!」と。小生は、何を言いたいんだろうと当惑した。そんなことをしているうちに、タクシーは会場へ着いた。
控室にも寄らず、まず皆さんが待っている会場へと急いだ。すると朝の7時ころから待っていたお客さんが、三々五々と、会場から出てきてしまった。もう9時だから、開始時間の8時をオーバーしている。会場を後にするお客さんの顔をみると、ムッとしている様子だった。会場へ着くと、ほとんどのひとたちが帰り支度をして、席を立っていた。私は「申し訳ありません。申し訳ありません。」とペコペコ、頭を下げるしかなかった。
その中の一人が、すれ違いざまに、頬に涙を流しているのが見えた。私は、それほど期待して待っていてくれたんだ、酷いことをしてしまったと、さらに申し訳なく思った。
取り返しの着かないことをして、本当に申し訳なかった。
もうほとんど会場にはお客さんが残っていなかった。
ただ、数人だけ残っている様子だった。そんな中でも、私は計算していた。全員帰ってくれればお話をしなくてもよいのに、数人残ってしまったら、そのひとたちのためだけに話をしなければならないと。こうなったら、できたら全員帰ってほしいと願っていた。
会場で謝罪をしながらも、こころの中では、さもしいことを思っている自分がいることをも気付いてしまった。
 
 その辺で夢が醒めた。しかし、つくづく夢でよかったと思った。しかし、これは予知夢かもしれないのだ。
●2019年5月7日●
お朝事で、「一代諸経の信よりも 弘願の信楽なおかたし 難中之難とときたまい 無過此難とのべたまう」(淨土和讃)を唱えているとき、「難中之難」に目がとまった。
「難中之難」と言われてしまえば、やはりそれは私にはとても難しいことなのだろうなと思った。そのとき、そう感じている意味場があぶり出された。
「私にはとも難しいことだ」と感じる意味場は、「自力」の意味場だった。
その意味場は、一生懸命に努力精進していけば、何とかなると思っている「自力のこころ」が感じる意味場だ。とても自分にはできそうにない難しいことなのだろうと思ってしまった。
そうではなかった。
〈ほんとう〉は、「難中之難」と受け止めただけで救われているのだ。「難中之難」とは救いの言葉だった。その「難」は「困難」の「難」ではなく、「不可能」という意味だからだ。
「不可能」という言葉を「自力」の意味場で受け取るか、「他力」の意味場で受け取るかが問われていたのだ。
あまりにもた易いことだと、人間は、疑ってしまうのだ。少しくらい、何かしなければ、申し訳ないのではないかと。
あ~あ、いま・ここ・わたしだった。このままで救われていくことを受け入れられなかった。それこそが「難中之難」だ。
●2019年5月1日●
自らのアイデンティティーを、売り渡してはならないと思う。

平成から令和へと、マスコミは浮かれている。これも、視聴者という「見えざる大衆」におもねた情報提供だから、マスコミが悪いわけでもない。
マスコミと大衆が相乗効果で、ある種の「共同幻想」を作り上げていく。
これは、日本だけのことでなく、国家というものの宿命みたいなものだ。

それは、よいのだが、果たして、真宗門徒は、自分のアイデンティティーをどこに立てるべきだろうか。このことが気になっている。

どっこい生きてたISのバグダディは、異教徒を殲滅すると言っていた。
彼は自分のアイデンティティーをどこに立てているのか。
少なくとも、この世とあの世を貫いたところに立てているのだろう。
この世だけにアイデンティティーを立てている人間よりも深いアイデンティティーだということは間違いない。だから、この世のことが軽くなってしまう。
また、この世とあの世を超えたところの意味空間を、自分が知っていると思っているところが、危ないところだ。本当は知らないのだ。カミのみが知っていることなのだろう。カミのみが知っていることを、人間の自分が知っていると思うところに信仰の傲慢がある。

真宗門徒は、当然、この世とあの世を超えたところにアイデンティティーを立てているが、その場所を自分は知らないということを知っている。最後は阿弥陀さんにまかせている。だから、〈ほんとう〉のところは「分からない」として、その熱気を抜いている。

ところで、真宗門徒のアイデンティティーだが、これは一人一世界以外にない。
この世が私一人の世界というアイデンティティーだ。
世界が一つとか、ある仲間が一つだとか、我々が自分を自己肯定するようなところにアイデンティティーをたててはならない。その自己肯定は、すべて独我論だ。

自己肯定が溶解していくところにアイデンティティーを立てなければ、ウソだ。
天皇の支配する時間から、抜け出すには、一人一世界しかない。
一人一世界に軸足を置いて、「共同幻想」を仮のこととして生きなければならない。
●2019年4月30日●
夫婦喧嘩が絶えないということから、私の主張する「一人一世界」は、まったくその通りだと実感するという印象を聞かせてもらった。
同じものを見ていても、食べていても、一人一人感じ方は全部違うのが「一人一世界」だから、私と女房の感じ方が違って当然、だから喧嘩が絶えないというのだ。
確かに、その通りなのだが、どこかが違う。
私の言う「一人一世界」は、この世界全体、つまり目の前にしている女房にしても、私の世界を構成していて下さる諸仏だから、感謝と尊敬をもっていただく存在である。その諸仏に対して、自分と意見が合わないということで諍いを起こす。これは諸仏を傷つける罪である。
そう言ったからといって、明日から夫婦喧嘩を止めろと言っているわけではない。喧嘩が起きるのは娑婆の常である。本当は、喧嘩をしたくて喧嘩をしているわけではない。本当は、旦那も喧嘩をしたくないに違いない。始めから喧嘩が目的であれば、結婚などしないのだから。本当は喧嘩をしたくないのに、ついつい意見が食い違って喧嘩になってしまっているというのが現状だ。煩悩は止めることができないし、「さるべき業縁」(『歎異抄』第13条)で催すものだから、決して人間が止めることはできない。我慢はできても、止めることはできない。
そのとき、どうするかだ。
親鸞は、女房の恵信尼を「観音菩薩」の化身として見ていた節がある。それは「六角堂夢想偈」(通称「女犯偈」)から連想されることだ。あそこには、「犯」という文字がある。自分にとって恵信尼は連れ合いなのだが、その連れ合いをただの連れ合いとしてではなく、観音様の化身としていたようだ。その観音菩薩を「犯す」という罪だ。
当然親鸞と恵信尼は夫婦だから、夫婦喧嘩をしたに違いない。そのとき、親鸞はそれをどういただいたのか。そこに「犯」という文字があるということは、恵信尼=観音菩薩を「犯す」という自覚があったということだ。そこに罪人親鸞という自覚が生まれている。
それを敷衍すれば、夫婦であっても、親兄弟であっても、すべて自分が対面する人間は、自分にとって「観音菩薩の化身」となってくるのだ。それが「一人一世界」の真髄だ。
だから夫婦喧嘩とは観音菩薩を傷つける大罪なのだ。
それであっても、日常生活に戻れば、夫婦喧嘩が絶えない。本当はしてはならないことなのだから、止めることができない。
そのとき、阿弥陀さんからの批判の矢がが届く。本来であれば、感謝と尊敬をもつべき相手に対して、異議申し立てをし、腹を立てて喧嘩することは、「観音菩薩」を傷つけている罪を犯しているのだぞと。
その犯罪者の自覚を親鸞は「犯」という文字によって、教えられ続けたのだろう。
これが「一人一世界」を、〈ほんとう〉に生きるということだ。

●2019年4月26日●
守中高明著『他力の哲学』-赦し・ほどこし・往生-河出書房新社を読んだ。
 ネットでお勧め図書として上がってきたもののひとつだった。当初は、まあここで読まんでもいいかと流しておいたのだが、ちょっと気になって買ってしまった。
 著者は、浄土宗の僧侶であり、早稲田大学の哲学の先生をしている。まあ全体は読んでいないのだが、ざっと目を通し、これはこれはと思ったので、ちょっと感想を書いてみた。
 著者は、一遍上人を本物だと見ているようだ。
 一遍は、法然の孫弟子筋のひとで、こんなことを言っている。
「我執を捨てて南無阿弥陀仏と独一なるを、一心不乱といふなり。念々の称名は、念仏が念仏を申なり。」(『播州法語集』)
 これを引用して、「『一心不乱』という境位が出現するとき、そこに立ち昇る称名は、衆生をその主体と見なすことすらもはや無意味となる。称名念仏という行為が『一心不乱』に遂行されるとき、そこにあるのは出来事としての称名だけであり、その出来事は誰の人称にもけっして回収され得ない。『念仏が念仏を申』すとは、そのような非人称的遂行性の出来を指している。」(141)
 南無阿弥陀仏という発語行為そのものがあるのであって、それを「誰が称える」という意識が消えている状態を指しているのだろう。
 さらに面白いのは、
「又云、決定往生の信たたずとて、人毎になげくは、いはなれき事なり。凡夫の心には決定なし。決定は名号なり。しかれば、決定往生の信のたたず共、口に任せて称名せば往生すべきなり。所以に、往生は心品によらず、名号によりて往生するなり。決定の信心たつて後往生すべしといへば、なほ心品にかへるなり。我心を打捨て一向によりて往生すと心得れば、やがて決定の心はおこるなり。是を決定の信たつといふなな。」(『同書』)
を引用している。
 これは信心がなくても、口に任せてただ南無阿弥陀仏と唱えれば往生は間違いなしだと言っている。「心品」というのは、人間の属性のことで、それを条件にしないのが往生だから、ただ信心があるかないかにとらわれず南無阿弥陀仏を唱えよというのだ。
いかにも一遍らしい。
 そして中守さんは言う「ここには先行者たる法然、そして親鸞に対する批判が、否、両者になおわずかに残る『自力』的なるものを一掃しようとする思考の速度がある。『決定往生の信たたず共、口に任せて称名せば往生すべきなり』という一句は、法然を捕らえていた『決定往生』へのかすかな意志をも無意味と断ずるものであろうし、親鸞における『信』を獲得すれば往生へと導かれるという理路は、まさに『なお心品にかへる』態度として斥けられているだろう。(略)その『他力』の力に『心品』が関与する余地を一切認めない--これこそが一遍の思考の核心なのだ。」と。
 ここまで読んだとき、ちょっと待った!という思いがやってきた。
これが一遍の了解だとすると、それは「法然帰り」したことになる。法然の往生理解は、「守中さんが理解している一遍」と同じ論理だからだ。そしてもうひとつ、一遍は信心はいらない、ただ称名すべし、それで往生決定だと考えているのだが、実はその「考え方」をこそ「信心」というのだ。弟子たちは、信心が必要だと思っているが、一遍は不要だという、その信念はどこからくるのか。その信念をこそ「信心」というのだ。だから、一遍は「信心」を持っていることになる。ひとには信心は不要と言いながら、自分は信心を持っているという間違いを犯している。というか、一遍にはそれが間違いだは見えていないのだろう。自分は「信心」など持っていないという「信心」を持っているのだから。
 一遍は「一心不乱」に、ただ念仏し、つまり忘我の状態を作り出そうとする、それは「宗教」の危ない部分でもある。ファナティックなものは、確かに「宗教」には必然するし、これがなければ「宗教」にはならない。しかし、もうひとつの要素として、このファナティックを覚ます装置がなければならない。「熱狂と覚醒」の両方がなければ、「成熟した宗教」とは言えない。
 ええと、往生には人間の属性を条件としないという考えは、法然も親鸞も一遍も同じ考えだ。そこで忘我状態で一心不乱称名念仏するというのが法然・一遍の傾向性だ。まあ法然は一遍まで突っ込んではいないが、法然を延長すれば同じ系譜に属する。
 ところが親鸞は、なぜ人間の属性を条件としないかと言えば、それは阿弥陀さんが自己を信じているからということになる。信心は、人間が阿弥陀さんを信ずるものではなく、阿弥陀さんが人間を信ずるという形になる。だから、絶対他力なのだ。しかし、そのように受け取ることを「信心」と言うのだと守中さんはお考えなのだろう。
 まあ一遍にしても親鸞にしても、「信心」を持っていることに変わりはない。どちらの「信心」が真実に適っているかということなのだ。親鸞の「信心」は、「信ぜよ」という「如来の絶対命令」だから人間に属することは一切ない。
●2019年4月9日●
今朝のお朝事の和讃は「願力無窮にましませば 罪業深重もおもからず」(正像末和讃)だった。この和讃を見たとき、そうか私たちの罪業深重を嘆くことはないのだな、阿弥陀さんの救済願力が超越的なものだから、と受け取ってしまった。
どんなに罪が深くても、阿弥陀さんの願力のほうが深いのだから、大丈夫なんだと受け取ってしまった。
ところが、これはとんでもない受け取り間違いだと気づいた。罪業深重など、私に分かるはずがない。自分の知っている程度の罪しか私は知り得ない。「深重」など、私の与り知らぬ深さだ。
だから「願力無窮」など、夢のまた夢。想像も及ばない。
ただ、親鸞がそういう表現、つまりメタファーを通して、私に何かを訴えてくるのみ。それを私がどう感じるかだけだ。
つまりそれは、救われたことと救われないことが、ひとつのこととして感じられなければならないということだ。
●2019年4月2日●
いつから「私」が始まったのか。
自意識が芽生えた時からか。「私」の発見は他者の発見と同時だと言われる。他者が最初に発見され、その他者の他者としての「私」が、やがて発見される。
もし他者がいなければ、「私」は「私」として発見されることがなかった。
とすると、「私」という意識そのものも「私」単独では成り立っていなかったようだ。

ラカンが「鏡像段階(stade du miroirフランス語)」という理論を打ち立てている。
ここからはネットに載っていた文章だ。
「フランスの精神分析学者ラカンの用語。生後6か月から1歳半に至る発達段階のことをいう。幼児の自我は身体像を通して形成されるが、鏡像段階以前では身体像は全体として統一のとれたものでなく、ばらばらに寸断されたものであり、「寸断された身体」とよばれる。鏡像段階になると幼児は自分の姿が鏡に映っていることに特別の関心を示し欣喜雀躍(きんきじゃくやく)するが、これは全体としてまとまりのある身体像をみいだすことができるからであり、全体としてまとまりのある自分というものを発見することができるからである。この発達段階以前では、幼児の身体的動きは全体として協応しておらず、ばらばらな運動をしている。この時期になって初めて統一のとれた運動ができるようになり、鏡に映った自分の姿は幼児の全体像を表すようになる。つまり、幼児は鏡像によって、初めて自己の全体像をつくりあげるようになる。とはいえ、幼児が自分の姿と思っているものは鏡に映し出されたものであり、自己疎外された鏡像にすぎない。この意味で幼児の自我は、鏡像を通してつくられるもので、幼児が自我とみなしているものは、自分自身ではなく、眼前に差し出された鏡像(他者)なのである。この鏡像と根源的な同一視をする幼児にとって、自我とは他者にほかならない。鏡像段階は、こうした対人関係の基本的構造を示したものであるが、幼児の対人関係だけでなく、一般的な対人関係の構造を示すものと理解されている。[外林大作・川幡政道]」
 
「幼児の自我は、鏡像を通してつくられるもので、幼児が自我とみなしているものは、自分自身ではなく、眼前に差し出された鏡像(他者)」であり、「自我とは他者にほかならない。」がグッとくるところだ。
 これは幼児だけでなく、大人もそうだろう。つまり〈ほんとう〉の自分というものを人間は見たことがないのだ。いままで自分を知っていたと思っていた意識がゲシュタルト崩壊していった。
 本当は、自分というものは、未知未開の出来事なのだ。
●2019年3月31日●
自分の「身体」が阿弥陀さんだった。
自分の「身体」はなかなか自分の思い通りにはならない。若いときには筋肉系の自由が効くので、思いどおりになっているような感じがする。しかし内臓系は思いとはひとつになってはいない。
「身体」は思いで計ることができない。これは阿弥陀=無・量というこことだ。阿弥陀さんも思いで計ることができないし、「身体」も計ることができない。「身体」が阿弥陀さんだったんだ。
いや、この言い方は違う。「身体」を阿弥陀さんと受け取るところにあるものだ。
そう受け取るか受け取れないかが雲泥の差。
「不請之友」とは阿弥陀さんが私の「身体」として、頼みもしないのに一体になって下さっていたということではないか。
「身体」の声を、静かに聞いていこう。

●2019年3月26日●
『仏教抹殺』鵜飼秀徳著 文春新書を読んだ。
京都の四条大橋には、明治期の廃仏毀釈で壊され、溶かされた寺院の仏具類が資材として使われているそうだ。明治政府の取った神仏分離令により、廃仏毀釈の波が日本全国に広がった状況が詳しく述べられていて興味深かった。
政府は神仏判然令を出しただけで、僧侶を還俗させたり、寺院を取り壊せとまでは言っていないと弁明しなければならないくらいに燃え上がったようだ。それは各藩の受け止めに温度差があったり、それまで仏教教団に抑圧されてきた民衆や神職たちが蜂起したかららしい。
まあ、それは政治現象であって、なぜ明治政府がそういう方針を出したのか、そしてそれが私たちにとってどんな意味があるのかというところまでは掘り下げられていなかった。
徳川幕藩体制が約三百年間温存してきた機構そのものを明治新政府は欧米をならって改革するわけだから、それは強固な政策を必要としたのだろう。
一言でいえば、天皇制の導入であり、国家神道により民衆のアイデンティティを天皇に直結させるイデオロギーを欲したのだ。
いままで神仏混交でやってきた日本の精神を分断することで、いままでの神道とは違った国家神道を打ち立てようとした。
日本人が精神を一極集中にもっていこうとするとき、仏教は目障りだった。
仏教は、インド発祥であり中国・朝鮮も伝承国としてあるから、日本人だけの純粋な神を主張するわけにはいかない。一言でいえば「不純」ということになる。どうしても日本古来の、日本人だけの純粋な依代として天皇像を作り上げなければならなかった。
これは蘇我氏が仏教を日本に導入するとき、物部氏と争ったところまで遡る問題である。物部氏が仏教を排除しようとした理由は、日本古来の神があるのに、なぜ外国の神をまつる必要があるのかという論理だ。日本古来の神が嫉妬するではないかと。この論理の方が「常識」ではないか。この「常識」に頷く自分がどこかにある。何が頷かせてしまうのか、問題はもっと深いところにある。
この問題を、日本人のアイデンティティの問題として考えてみなければならないだろう。
自分はどのへんの深さに存在の根拠をもっているかだ。
アイデンティティを「深さ」という観念で計れるならば、固有名詞としての姓名→日本人としての自己→人間としての自己→一切衆生としての自己と、深まっていくように思える。それはより深いものに根ざしていないかぎり、「時代の空気」に翻弄される。
明治期の廃仏毀釈に遭った僧職が、みずから率先して衣を脱ぎ神社の社職へと衣替えしたこともあったという。そのときの彼のアイデンティティはどこにあったかが、あぶり出されてしまった。
時代が変わっても、つまり過去であっても未来であっても、「日本人として」とか「日本古来の日本人の素晴しさ」などということを要求するとき、第2、第3の廃仏毀釈は必ず怒るからだ。

●2019年3月22日●
〈真実教〉は、お彼岸だろうが何だろうが、毎日が報恩講でなければならない。
それは、いつでも、仏さんと対面している生活でなければならないということだ。言葉を換えれば、「死」と対面しているということだ。
いま既に死す。そこからさあどう生きると問われているだけだ。
そう考えると、次の一瞬は「私の余生」だったのだ。
まあおぎゃーと生まれたときに「」として誕生するわけだから、生まれた途端に余生が始まるのかもしれない。
私はいつから私に成ってきたのかと言えば、38億年前からだ。38億年という時間そのものが私だった。
そんな壮大なことが、私に起こっていたとは。
まったく驚嘆する以外にない。

●2019年3月14日●
存在の磔(ハリツケ)
親鸞が直感した真宗なるものは、「存在の磔」だった。つまり、「さあこれから修行するぞ」「さあこれから聞法するぞ」「さあこれから念仏するぞ」という思いの死である。
「さあこれから…」と思うとき、〈いま〉ある存在が否定されてしまう。世間では「さあこれから…」という思いは、良いこととされているのだが、親鸞はそれを許さない。「さあこれから…」という思いが死ぬこと、それが真宗だと親鸞は直感した。
「さあこれから…」は、〈いま〉ある存在ではダメだという認識から引き起こされる。
だから、その「さあこれから…」が、存在から殺されなければならない。
誤解をされると困るので、一応断っておくが、子どもが「さあこれから勉強するぞ」を否定しているわけではない。この世の過ごし方としては、「さあこれから…」も大切だ。ただ、「救いの問題」、つまり、自分の存在根拠の確立という問題に関しては無効なのだ。 「さあこれから…」が殺されるというと、それではなにもしなくていいんですねという反論が出てくる。そういう反論が起こってくるのは、やはり「さあこれから…」がよいと思っているからなのだ。そうやって、自分の発想を肯定したいという狡賢い考えが生まれる。
「さあこれから…」が存在から殺されると、「いま・ここ・自分」が回復してくる。それは自己肯定や自己弁護ではなく、自分の思いを打ち破る形で「いま・ここ・自分」が輝きを放ってくる。まぶしいような「いま・ここ・自分」だったのだ。
思いを超えた、超え続けている「いま・ここ・自分」だったのだ。
目で見ることもできないほどに純粋な「いま・ここ・自分」だ。
●2019年3月7日●
「生かされている」でいいのか?
 天地いっぱいの力で生かされている、自分などという障碍はないと聞いた。確かに「生かされている」で間違いないのだが、「生かされている」だけでよいのか!?と問いかけてくるものがある。 
「生かされている」でいいじゃないかと言いたい自分もいる。しかし、そこに留まらせないものがある。そういう作用を阿弥陀と名づけているだけだ。
「生かされている」という土台にも落ち着かせないもの。そこにも留まらせないはたらき。そして自分の落ち着こうとする土台をもひっくり返してくるもの。
 それが有るか無いかだ。

★『大法輪』4月号(2019年4月1日発行)に小生の講演録「時間論で考える『往生と成仏』」が掲載されました!これは中野サンプラザで開催された、在家仏教協会定期講演会(2018年1月13日)の講演の一部を収録しました。
 ご縁のある方はお読みくだされば幸です。
 
●2019年2月17日●
従果向因
これは、「果従(よ)り因に向かう」という教学タームだ。
因というのは、「救われていない状態」のことだ。まだタネの状態で、これから育てられて果実になることを待っている状態だ。これは法蔵菩薩の段階もある。法蔵菩薩は、あらゆる苦悩する存在を救わなければ、私は仏(阿弥陀仏)には成れませんと誓っている菩薩だ。だから、法蔵菩薩は「従因向果」(因従り果に向かう)ことを願いとしている。
常識的には、すべての宗教は「従因向果」だ。救われていない状態から救われた状態へと目指す。
ところが、〈真実教〉は、「従果向因」だ。
「果従(よ)り因に向かう」とは、もはや救われた状態(果)から、救われていない状態(因)へと向かう。阿弥陀仏の物語で言えば、「救われた状態=阿弥陀仏」から「救われていない状態=法蔵菩薩」へと向かうという意味だ。
 この阿弥陀仏を曽我量深先生は「成り下がられた仏さま」と呼んだ。これから成り上がるのではなく、もう完成して仏になったのだが、あえてその仏の位を放棄して、菩薩と成り下がられたのだと。
 これは唯識の言葉を使えば、「現行」(生きてはたらくはたらきそのもの)を言い当てようとしているのだ。つまり、阿弥陀とか法蔵とは何かと言えば、私を一瞬も休むことなく救おう救おうとはらき詰めにはたらいている運動そのものということになる。
 曽我先生が「仏さまの本願によって、われわれもまた仏さまと同類だということを教えられる。我々のようなものでも仏さまと同様かと言われるかもしれないけれども、本願を聞くと、同類ということが分かる。(略)もう成仏したと言ってもよい。そういうわけではないかもしらんけれども、成仏したと同じことなのです。」(「法蔵菩薩」)
と曽我先生に語らせるはたらき、それが「現行」である。
もう、我々は救われているのだが、そこにとどまるわけにいかない。救われていることを証明するために、救われていない場所に立つ。救われていることを、本当に証明する場所は、救われていない場所以外にはない。
 
●2019年1月28日●
いまここが、槍ヶ岳の頂上だったとは。
お正月のテレビ番組で、北アルプスの槍ヶ岳山荘をドキュメンタリーでやっていた。あんな険しいところに山荘を開いて、いまは二代目と三代目の方が護っている。三代目は若夫婦なのだが、山荘が開いている時期は、旦那は山で連れ合いは下界で、夫婦離ればなれになって暮らしていた。連れ合いも、山荘とはつねに無線でやり取りして、下界の情況や山荘の天候など情報交換をしていた。
そんなある日、お連れ合いが初めて山荘へ登山して来た。旦那の仕事場や普段の暮らしを知るためもある。山荘は、山頂より少し下の場所にある。そこから山頂へは、まだ少し登っていかなければならない。連れ合いは、断崖のように切り立った場所を手さぐりで進んでいく。恐ろしさのあまり、立ちすくむこともあった。そしてとうとう槍ヶ岳の山頂への登頂を達成した。
感想を聞かれたとき、「生きてる」という実感がしたというようなことを述べた。
それを見ていた私は、〈真実教〉は三千メートルを登ったひとと同じ利益が与えられるんだと、驚いた。何も三千メートル登らなくても、いまここが槍ヶ岳の山頂だといただくことができる。足を滑らせれば、転落していくような危険な場所を生きていることと、私のいま生きている場所は、そうそう違ったことではない。
「思い」とはしてはずいぶん違うのだが、「事実」はあまり変わってはいないことを知らされる。
臨終は「一瞬先に」あるのだから、槍ヶ岳の山頂も、いま・ここも、そうそう違わないのだ。
●2019年1月21日●
ここのところ、つぶやきが更新されていないと、御意見をいただきました。
その理由のひとつは、いま『救済詩抄』の第2巻目を執筆していることが考えられます。しかし、そんな言い訳もできませんので、ひとつつぶやいておきます。

「七高僧は親鸞の頭の中にしかいない」
親鸞は浄土教の系譜を七高僧としてまとめた。龍樹→天親→曇鸞→道綽→善導→源信→源空と。仏教史を一応「編年体」に則ってまとめている。
しかし、七高僧のご当人たちは、自分たちが浄土教を後世に伝えるために、あたかも駅伝マラソンのように、タスキを受け伝えていったわけではない。おそらく生きていれば龍樹も天親も、「私はそんなことをひとつも考えていませんよ。むしろ七高僧として位置づけられることは、はなはだ迷惑だ」と言うだろう。それぞれの七高僧に駅伝ランナーとしての承認をもらったわけでもない。すでにこの世を去っているので、承認を得ることもできない。
曽我量深先生は「浄土真宗は親鸞の仏教史観」と述べた。つまり七高僧という見方そのものが親鸞の仏教史観だとおっしゃったのだ。
考えてみれば、仏教とは何かとひとことで言えば、私がどういう仏教史観に立っているかというだけのことだ。
この考えに立てば、私から仏教が始まる。もはや「仏教」というものがどこかにあるわけでもなく、まして本に書かれてあるものでもなく、私が主体的に、仏教の歴史、それはもはやお釈迦様を遡り、阿弥陀さんから私にまで届いた〈真実〉を受け取るだけのことだ。 私が受け止めたところ以外に「仏教」は、どこにもないのだ。
●2019年1月6日●
「時間」を受け取る感受性
「空間」を受け取る感受性
そして「自己」を受け取る感受性
これらは、すべて感受性の問題だ。つまり、「固定的」なものでは、決してない。「固定的」なもので「絶対的」なものだと、思い込まされているだけだ。
お正月に原宿の路地を軽自動車で突っ込んだ青年も、おそらく「世間(社会)」が「固定的」なものに見えてしまっていたんだろう。「世間(社会)」は、決して「固定的」なものではない。「共同幻想」に過ぎない。「共同幻想」なのに、それを「固定的」なものだと受け取ってしまった。「固定的」だと思い込まされている感受性を疑うべきだった。あまりにも信じ込みすぎている。
疑って、疑って、疑い尽くして、疑っている意識そのものを疑い尽くす。そうやって掘り進んでいくと、感受性が変化してくる。
だから、まず疑うことだ、信じること以上に、疑うことが大切なのだ。
●2019年1月5日●
目の前の 阿弥陀に向かいて 猪突猛進
 例年のことだが、皆さんに年賀状をいただいた後に、返信のような形で年賀状を出した。300枚くらいか。
 賀状には「この世に 一本として 同じ枝振りの 木はない」と印刷した。そして返信を書いているとき、「目の前の 阿弥陀に向かいて 猪突猛進」が浮かんできた。
 ちょうど今年は、猪(イノシシ)歳らしく、「猪」と「猪突猛進」が重なった。
 思えば、自分はどこに向かって生きてきたかと言えば、目の前の阿弥陀さんに向かって生きてきたのだ。38億年のいのちの流れを旅して、「私」というものを生みだし、さらに引っ張っているのは阿弥陀さんだ。目の前にしてきたのは、家族とか、学校とか、仕事とか、そのときそのときに出会う人間であるとか、しかしそれらを透過して対面してきたのは阿弥陀さんだった。
 そして、これは私ひとりのことだと思っていたら、そうではなかった。全人類が、そうやって生きているのだ。だから、「目の前の 阿弥陀に向かって」全人類が生きているのだ。
 阿弥陀に向かってというか、阿弥陀に引っ張られてというのが正しい言い方だろう。
目の前には阿弥陀さんしかいなかった。
●2019年1月3日●
もうはや、1月3日だ。「おめでとう」という言葉にも飽きてきた。
もうすぐ今年も大晦日を迎えるだろう。
正月は確かに「おめでたい」に違いない。だが、元日は「おめでたい」が3日にもなると「おめでたい」がインフレ状態になって、「なんともない」に変化していく。そこで親鸞というひとは、確かに人間社会では元日が「おめでたい」のだが、「ほんとうにめでたいとはどういうことか?」と考えたひとだ。
「ほんとうに」ということは、日がたつに従って「おめでたい」が段々「なんともない」に変化していく「おめでたい」は、「ほんとうのおめでたい」ではない。いつでも、どこでも、だれにおいても「ほんとうのおめだたい」と言いうるとしたら、それはどういう条件によってなのかと考えたひとだ。
まあ、「淨土」とか「安楽」とか「常楽」とか「安養」というイメージ言語で親鸞は、「ほんとうにめでたい」を考えたひとだ。
なんでも最初に、「〈ほんとう〉か?」という問いを立てれば、すべてが〈真宗〉になっていく。
窮極を言えば、それは「自分が」問うている問いではない。阿弥陀さんから問いかけられている問いなのだ。その問いを「自分」の問いにしてしまったら、絶望しか与えられない。問うているのではい、問われているのである。
いつでも、どこでも、問われているのである。
臨終の一念にいたるまで問い続けられているのである。
これぞ新鮮な、空前絶後の〈いま〉である。
●2019年1月3日●
もうはや、1月3日だ。「おめでとう」という言葉にも飽きてきた。
もうすぐ今年も大晦日を迎えるだろう。
正月は確かに「おめでたい」に違いない。だが、元日は「おめでたい」が3日にもなると「おめでたい」がインフレ状態になって、「なんともない」に変化していく。そこで親鸞というひとは、確かに人間社会では元日が「おめでたい」のだが、「ほんとうにめでたいとはどういうことか?」と考えたひとだ。
「ほんとうに」ということは、日がたつに従って「おめでたい」が段々「なんともない」に変化していく「おめでたい」は、「ほんとうのおめでたい」ではない。いつでも、どこでも、だれにおいても「ほんとうのおめだたい」と言いうるとしたら、それはどういう条件によってなのかと考えたひとだ。
まあ、「淨土」とか「安楽」とか「常楽」とか「安養」というイメージ言語で親鸞は、「ほんとうにめでたい」を考えたひとだ。
なんでも最初に、「〈ほんとう〉か?」という問いを立てれば、すべてが〈真宗〉になっていく。
窮極を言えば、それは「自分が」問うている問いではない。阿弥陀さんから問いかけられている問いなのだ。その問いを「自分」の問いにしてしまったら、絶望しか与えられない。問うているのではい、問われているのである。
いつでも、どこでも、問われているのである。
臨終の一念にいたるまで問い続けられているのである。
これぞ新鮮な、空前絶後の〈いま〉である。
●2018年12月29日●
食べるということは、世界を受け入れるということかもしれない。
味噌汁を食べると、鰹節の香りを食べる。鰹が太平洋を泳いでいた姿が目に浮かぶ。ワカメを食べると、海の揺らぎをいただく。豆腐を食べると、大豆が畑に実を結び、やがて収穫されて、豆腐屋さんが、それを加工している姿が目に浮かぶ。
お米だって、たくあんだってそうだ。たくあんは、あの北風の寒さが歯ごたえを生むらしい。たくあんに風を感じ、ワカメに海の塩味と大海原の揺らぎを感じる。
そうそう秋田にはイブリガッコがある。あの燻製の味はなんとも言えない。チーズとイブリガッコを合わせると非常に美味い。あっこれは、このあいだ秋葉原で食べた味だった。何といっても、香りは脳の深いとこにまで届いて記憶されるようだ。
そうか、食べるということは、そういう世界をすべて丸ごと自分に受け入れることだったのではないか。そして、その世界が、すべて〈私〉という国境を蹂躙し、溶解させていくのだろう。〈ほんとう〉は〈私〉なる国境はなかったのだと。
そうすると、偏食というのは、世界を拒否している姿かもしれない。自分は、そう思っていたのだろう。自分の苦手な食べ物を、少しずつ食べる訓練をしていたようだ。それでも、まだあの香菜(シャンツァイ・コリアンダー)は受け入れられない。
まだまだ、感受性の部分で、世界を受け入れられない自分がいる。

●2018年12月28日●
風邪で体調が、いまいちだ。
今朝のお朝事をしていて、お朝事のできる、お寺でよかったなあとつくづく思った。
お朝事の、この本堂の畳の、私の座っている、この場所は、「存在の零度」だなあと思った。
何も済んでいないし、また何も始まっていない。言い方によっては、もう済んでいる場所であり、その済んでいる場所こそが、まだ始まっていない場所なのだ。
この畳の上で、大きな声を出して、和讃を称えていると、これはもしかしたら原始人の産声かもしれない。
「存在の零度」とは、現代人の言葉で言えば「無意味なる一点」だ。何かのためにお朝事をしているわけではない。ただ大きな声を出している。この畳の上に座っている自分自身が、宇宙と同じ重さに感じられた。
お寺とは、「無意味なる一点」を与えて下さる場所だ。
それに、たまたま人間が触れると、人間が、根底的に癒されるようになっているだけだ。 だから、お寺は、根底的には、何をする場所かは決められていない。何のために存在しているのか分からない場所である。それだから、何をしてもよいし、何もしなくてもよいのだ。まさに自由。
●2018年12月26日●
いつも思うことだが、この年末年始というやつは、サラサラとした砂のようなものだ。
サラサラと落ちてきて、サラサラと過ぎていく。
鯨や鳥やネコには、まったく無関係の、これは人間だけの、「恣意的な時間」だと、うそぶいてしまいたい。
しかし、否定できないような、圧倒的な、この「共同幻想」の年末年始。
それをうっちゃってしまいたいのだが、なかなか強敵だ。
やはり、自分は「人間」という生物から一歩も抜け出ることができないと、つくづく知らされる。
宗教を突き詰めると、その「感受性」までをも変化させられるのかということだ。
意識はどうでもよい。そんなものを相手にしてはいない。
その意識を支えている「感受性」までをも、変化させられるのか。
「感受性」にまで根を下ろして、ものごとを考えているのかと、問われ続けている。
問題は「感受性」なのだ。
●2018年12月18日●
本日、新潟の方から蟹をいただいた。
蟹たちが、真っ赤に茹でられていた。
法語を思い出した。
「ぼく 今日 蟹を食べた
蟹の一生を
食べたんやなぁ」
という法語だ。
蟹を食べたのではない。
蟹の一生を食べたのだ。
何の言い訳も、弁解もできない。
先方の思いはともかく、これは「罪悪深重の衆生」であることから、一歩も足を踏み外してならない!という阿弥陀さんの厳しい説法だと受け止めた。
●2018年12月12日●
昨日は、東京7組の聞法会に行ってきた。
法座は、まさに一期一会、空前絶後の一回きりのライブである。二度と同じ法座はない。

 真宗の教えは何の役にも立たないが、住職に言われたから、義理で参加したというひとがいた。この方は参加者の多くのこころを代表したものではないかと思った。真宗の教えは、譬えれば空気のようなものだ。空気があってもなくても、普段の生活には何の影響もない。しかし空気がなければ、我々は生きられない。そんなものだ。
 だから、そんなものは当たり前じゃないかというひともあれば、これ無くしては生きられないというひともいる。それらはすべて「いただく世界」の違いだ。
 私は、役に立つか立たないかということも大切な論理だが、それだけに頼っていると、自滅しますと語った。老いるということは役に立たなくなることだから、その論理を当てはめれば、自滅の論理になる。その論理が自滅の論理だと知りつつ関わらないと足をすくわれる。
 この世全体が、〈ほんとう〉は阿弥陀さんの体内のようなものだ。毎日の生活は阿弥陀さんの体内を駆け回っているようなものだ。
 母が書道教室で、書道の先生から「一切唯心造」という言葉をお手本にもらって来た。「これってどういう意味?なんて読むの?」と聞いてきた。「いっさいゆいしんぞう」と読むのだと教えた。そうしたら「意味はどういう意味?」と聞くので、「そんなのは書いた先生に聞け!」と跳ね返したら、「先生は、たまにしか教室に来ないから聞けないのよ!」言い返す。それで仕方なく紙に意味を印刷して渡した。

 「一切唯心造」(いっさい ゆいしん ぞう)
「一切」→「すべて」
「唯」→「ただ」
「心」→「意識(=妄想)」
「造」→「つくる」

「一切唯心造」は「すべてのものは、あなたの意識が作り出した妄想である」という意味。
「すべては、あなたの妄想であると目覚めなさい」というお釈迦様の説法の言葉である。
 
さて、何と言ってくるか。
●2018年12月11日●
●来年の1月から、静岡親鸞講座というのが静岡駅ビルパルシェで始まる。
テーマは正信偈。正信偈を本格的にテーマにするのは、初めてなので、自分の中からどんな正信偈が生まれてくるのか、楽しみにしています。
詳細は「浄土真宗の法話案内」を参照のこと。

●孫の「宮参り」というのに行ってきた。
場所は水天宮。水天宮は予約は受け付けていないので、当日、全員集合してから受付に申し出るシステムだった。リニューアルされた水天宮は、建物も近代的で、機械化されていた。我々よりも少し前に来ているグループもあった。少し待たされて、本殿に案内された。巫女さんらしきひとと、宮司(禰宜とか権禰宜とかいう位かも)がペアになって、儀式を進行する。ときたま、「頭をお下げ下さい」と女性に言われて頭を下げる。そして宮司の祝詞を聞いて、「二礼・二拍手・一礼」という作法でやって、退出。僅か15分ほどの儀式で、あっと言う間だった。これが「戌の日」だと大混雑するらしい。水天宮は安産祈願の名所だからだ。
我々は六曜には無関係に、ただ両家の日程を優先して決めた。
以前の私だったら、「水天宮は神道で、自分は真宗だから…」とわだかまりもあっただろう。しかし、今の自分は、そんなことはまったくお構いなしになった。
恐らくそれは、神道と真宗が並列関係になくなったからだ。並列関係だと思ってしまえば、同じ秤の上に乗ってしまう。そして、同じ秤に乗ってしまうと「比べる意識」に襲われる。この「比べる意識」は、最終的には内ゲバの論理へと変質していく。
今の私には、その秤が不必要になった。
なぜならば、私にとって、真宗が絶対的になったからだ。もやは「比べる意識」に襲われなくなった。絶対的とは、私=真宗ということだ。私が体験すること、思うこと、すること、すべてが真宗内的出来事になったからだ。
神道も真宗内的神道で、19願という意味場だ。いずれも真宗内的出来事だから、何一つをとっても真宗と無関係のことはない。
最後に、境内に置かれていた、親子の戌の置物の頭を撫でて、水天宮後にした。

●本日は14時~東京7組の聞法会(願徳寺・北区王子本町1-8-9)があります。行ってきます!
●2018年12月7日●
『ゴッホと〈聖なるもの〉』の著者・正田 倫顕さんに、続々と講演依頼が届いております!

 これからは、「ゴッホと言えば正田倫顕!」と呼ばれるほどになるに違いありません。
ぜひこの機会に、ご参加下さればと思います!
現在はNHK青山教室で、講義をされていますが、これからは「新宿」「横浜」「柏」と、巻頭一円からのアクセスも網羅しておられます。
お近くの教室に、ぜひどうぞ!

 朝日カルチャーセンター新宿教室「ゴッホと『聖なるもの』」
 https://www.asahiculture.jp/shinjuku/course/bec75b77-426f-478f-50f0-5bad96e99aef

 朝日カルチャーセンター横浜教室「ゴッホの芸術―その本質に迫る」
 https://www.asahiculture.jp/yokohama/course/1e23d2f6-1f4b-e478-97b5-5bc84aa3400a

 NHK 文化センター柏教室「ゴッホを読み解く―その作品を貫くもの」
 https://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_1164312.html

●2018年12月6日●
新潟県での真宗教団連合の研修会に行ってきた。
真宗各派の研修会だ。今回の当番は仏光寺派で、いろいろとお心遣いいただき、大変有り難いご縁をいただいた。
こじんまりとした教団だからか、アットホームで、皆さん温かかった。

懇親会でも、小生の話と絡むかたちで、皆さんが語って下さった。これが、我が派だと、「話は話、宴会は宴会」と断絶することが多い。残念至極だ。
持参した本もすべて完売して下さった。
〈ほんとう菌〉が伝染することだけが願いだ。
日常は仮のことで、非日常こそが、〈ほんとう〉だと、引っくり返る蝶番があるかないかだ。

お邪魔した日は、歴史上、12月の最高気温を記録した日だ。
親鸞が島流しになった日にも、こんな日があっただろうか。
すでに刈り取られた田んぼには、白鳥がエサをついばんでいた。
真宗教団に元気がないのは、もう済んだことになっているからだ。
そして、親鸞を流罪にしたのが私の罪だと見えていないためだ。

自分たちは流罪にされた〈正しい教団〉だと錯覚しているからだ。むしろ、親鸞を流罪にした旧仏教教団と同質の自分である。

親鸞の末裔でもなんでもない。親鸞を踏みつけ踏み台にした教団だ。
親鸞がいのちがけで、訴えたことは。
ひとつも済んだことにするなということだ。
現在、成り立っている教団は、あくまで途中経過であり、発展途上だ。
決定版ではない。

この世には、自分しか生きていないのだから、自分が真宗を生きなければ、真宗などどこにもない。
あるのは幻想のみ。
自分の前には道がない。
だから自由であり、融通無碍だ。
 ある仏光寺派の住職さんは、今回、欠席された。わけを聞いたら、「詰め番」だという。「詰め番」とは、正しくは「勤式当番」といい、京都の仏光寺派の本山に全国の教区から当番が参勤する制度らしい。京都・仏光寺の日常のお勤めをする当番らしい。これもこじんまりとした教団だからこそのことだろう。
 こんな当番があったら、やはり自分たちで本山を支えているという意識も高まろうというものだ。仏光寺で出版した『晴れてよし、降ってよし』という写真法語集は、良い本だった。もう絶版かもしれない。法語も素晴しい。
 今回は、仏光寺派のお徳に触れさせていただいた研修になった。
●2018年12月1日●
もう12月になり、季節が早く過ぎていくことを実感している。おそらく皆さんもそうだろう。しかし季節が早く過ぎていくという感覚は、堕落以外の何ものでもない。時間は早いものでも遅いものでもない。それを人間だけが、早いと感じる。
それは日常がルーティーン(お決まりの日常)になったと感じるからだ。〈ほんとう〉のことは、日常は幻想であり非日常こそが〈真実〉である。
そうやって〈真実〉に目覚まされることで、人間は正気に戻れる。
人間は〈真実〉を生きることはできないけれども、そっちのほうが〈真実〉だったのだと覚醒することだけはできる。それで正気に戻されるのだ。
人間は「物理的な時間」を生きることはできない。人間が生きられるのは「時間という意味」だけなのだ。
●2018年11月27日●
ニュースでは、今朝も家族内殺傷事件が報じられていた。こういうニュースを見るたびに、どうして、何があってそういう事件になったのかと、いつでも理由を追求したくなる。もう、あまりに痛まし過ぎて、ニュース番組を見るのも嫌になってしまう。
そんなとき、阿弥陀さんから「さるべき業縁のもおよせば、いかなる振舞いもすべし」と聞かせてもらった。聞かせてもらって、「さるべき業縁」かと受け取ったのだが、何かもうひとつシックリこないものを感じた。
それは何だろうか。
それは、「さるべき業縁」と言えば、何か分かったような気になっている自分があったことだ。「さるべき業縁」とは、阿弥陀さんの説法だが、それを聞いて、「さるべき業縁でしたか」と受け取る自分の側に違和感が残ってしまった。
「さるべき業縁」という言葉は知っていても、〈ほんとう〉の「さるべき業縁」をお前は知っているのかという問いとなって聞こえてきた。
とすると、どこまでいっても、「さるべき業縁」という言葉を使えるのは、阿弥陀さんだけだな。人間がこの言葉を使って、何事かを納得することはできないのだなと思った。
人間は原始未開の時代から、何にも変わっていないのだなと教えられた。
近代人は「因果論」に洗脳されているから、そういう結果が起こったことには、必ず理由があるはずだという幻想にとらわれている。本当は原因など分からないのだ、自分にも他者にも。
原始林を黙々と歩いていた自分が、思い出される。
●2018年11月24日●
昨日は、平塚市・真福寺の報恩講に行ってきた。
真福寺は室町時代の創建だった。やはり、親鸞は鎌倉にも行っていたし、このあたりも歩かれていたのだろうと、親鸞の足音が聞こえた。平塚駅からは、東に一キロ強の位置にあった真福寺まで、御旧蹟巡拝の気持ちで歩いた。
お話は午前と、午後の二回だった。住職からは、お昼のお斎(昼食)を食べると門徒さんは、大半のひとは帰ってしまいますから…と聞いていたが、午後も対して減った感じがなかった。やはり、自分自身のいのちにまつわる〈ほんとう〉の話は、聞かざるを得ないと思ったのだろう。
真宗の法話は、「教訓話」でも、「こういうふうになりなさい」という教育話ではない。
いま、眼の前で、いつ死ぬとも知れぬいのちを生きている、そのいのちをどう受け取るか、いのちの〈ほんとう〉に驚いた感動の表白だ。だから、聞いたからといって、どうなるというものでもない。
現実はまったくかわらない。相変わらずの苦の娑婆だ。
しかし、だからといって、いのちの〈ほんとう〉は、明日のために生きているわけでもなく、何かのために生きているわけでもない。ただいのちそのものが、爆発しているだけだ。
その爆発に打ちのめされているということを、私が語るだけだ。
打ちのめされると、現実が何も変わる必要がなくなる。
娘さんが拒食症で、大変にうろたえている親御さんがいる。しかし、教えを聞いたところで、その現実がどうにかなるわけではない。現実はそもそも、人間が変えることができないからだ。その現実の前に、頭を下げるしかない。
それは、そうなるべくして、そうなっているだけ。それが現実。
その現実を拒否しているのは、何かと言えば、「こうあるべき、こうあるのが本当」という予定概念だ。
人間ほど不可解なものはいない。自分ほど神秘的な生き物はいない。
だから、自分や身内に何が起こるかなど分かったことではない。
ただ、起きてきたことをひとつ、ひとつ拾っていくだけだ。
「業を果す」とはよく言ったものだ。現れてきた現象は、自分の予期しないことばかりだ。しかし、その起きてきた現象に驚きたじろぎする。平然としてなどいられない。それこそが、自分でも、思っても見なかった業の出現である。まあ、そんな業を貯めて抱えているわけではないのだが、あたかも貯めてでもいるかのように業を果すと言う。果すというのは、その業を、その業のままに受け止めていくということだろう。
いま、ここ、わたしの、一瞬一瞬の〈いま〉は、私の思いを超えて、不可知不可解な〈いま〉なのだ。それが〈ほんとう〉のことだ。それをあたかも当たり前のこととして生きている、この思いが砕け散る。この砕け散る音が、こころよいのだ。

●2018年11月22日●
昨日の秋葉原親鸞講座で、ひとりの男性が、質問してくれた。
「お話の中で、ひとが愛する人を失ったとき、涙を流すのは、失ったひとへの思いとか悲しみではなくて、自分が寂しいから泣いているのだ、ひとは自己関心以外に泣くことができないのだ、とおっしゃいましたが、いま目の前で、家族を失って泣いているひとがいて、それも自己関心だけと言えるのでしょうか?」
ちょっと違うが、そんな質問だった。
私は、何も、いま目の前で泣いているひとに向かって、「それは自己関心ですよ」という必要はまったくないと申し上げた。それは、阿弥陀さんからいただく言葉で、人間が人間に向かって使える言葉ではないと答えた。
つまり、阿弥陀さんからいただくとは、〈真実〉からいただく言葉だ。
感情は、すべて自己関心をベースにする以外に動かないというのは、〈真実〉から教えられることだ。つまり、自己と阿弥陀さんとの対話の中で聞き取られる聞き言葉である。
ということは、私が昨夜お話したことは、すべて、阿弥陀さんに向かっての表白に過ぎない。
その阿弥陀さんへの表白を、たまたま、そこに座ったひとが、耳にしたというのが、昨日の講座の真の姿だ。お話のターゲットは受講生ではまったくなく、阿弥陀さんそのものなのである。
●2018年11月21日●
本日は、近田昭夫先生(86歳)の本葬だ。
御指名で法話を頼まれている。私は近田先生とのご縁も長く、いろいろなことが思い出される。
そして、最終的に、いま何を思っているのかと言えば、近田先生は「南無阿弥陀仏に成られた」という感覚だ。
淨土に往生された諸仏というイメージよりも、南無阿弥陀仏に成られたのだという思いが強まった。
南無阿弥陀仏は、我々への覚醒運動であり、いま現にはたらいている仏さまの姿だ。
近田先生の方便法身は亡くなったが、法性法身は、いま現に脈々とはたらいているのだ。そのはたらきを受けた和讃が、親鸞の「南無阿弥陀仏をとなうれば、十方無量の諸仏は百重千重囲繞して、よろこびまもりたまうなり」だ。
これは、往生を済んだことにしてはいない。いま現に「よろこびまもり」というはたらきを受けている感動を謳っている。
お念仏に生きた方々は、いま現に南無阿弥陀仏に成られたのだなぁ。
そして私とひとときも離れることなく、真実へと目覚まし続けて下さっているのだ。
それが生きた近田先生なのだ。

そんなことを憶念しながら、法話の場に立たせていただきたいと思っている。
●2018年11月16日●
★真実の切り口。
一面の真実。
真実は細部にしか宿らない。

★分かることは縛られること。
人間にとって、分かることは嬉しいことだ。
しかし、それは同時に、自分が縛られることだった。
ふとした場面で、「自分は男だから〇〇すべきだ」とか、「日本人だから〇〇すべきだ」とか、「坊さんだから〇〇すべきだ」とか、「大人だから〇〇すべきだ」とか、「人間だらか〇〇すべきだ」と、自分で自分に言い訳をしている自分がいた。
それって、言い訳だな。言い訳をすることで、自分を縛っているようだ。
〈ほんとう〉のことは、分からないのだ。
〈ほんとう〉は、人間なのか大人なのかどうかは分からない。
つまり、分からないものがいまここで呼吸をしているだけだ。
それが〈ほんとう〉のことなのに、その上に分かったことをあれこれと塗りたくって、言い訳にしているようだ。
醜いものだ。
スズメは、何の虚飾もなく、マルハダカで生きているのに。
いのちを剥き出しにして、生きているのに。
人間は、なんとも恥ずかしいものだ。
●2018年11月13日●
今朝のニュースで、71歳の男性が34歳の女性を金目的のために刃物で襲ったと、トップニュースで報じていた。これが20歳~30歳の男性だったら、おそらくトップニュースにはならなかったのではなかろうか。なんと71歳の高齢者が襲ったというのでトップになったのではなかろうかと思った。
71歳と言えば、大人としての分別もあり、また強盗をするほどの体力もないだろうと普通は判断しているからだ。テレビの監視カメラ映像では、なんと杖をついている。あれは偽装ではなさそうだ。近所のひとが、病気をしてから杖をついていたと証言している。
71歳の貪欲の煩悩はまだまだ盛んだったということだ。強盗をせざるを得ないような事情があるのだろうが、果たして他の方法手段はなかったのだろうか。思いつかなかったのだろうか。
71歳の男性は、おそらく自分の貪欲が見えていなかったのだと思う。それが見えていれば、躊躇したことだろう。真宗は、煩悩を対自化し対象化して、自分と煩悩の距離感を生む教えである。ということはだ、我々真宗教団に所属している人間たちの怠慢ということにならないか。世界中に、自分と煩悩を切り分ける装置をばら蒔いていたら、あのような犯罪が起こる可能性が、多少は少なくなる。
あのような犯罪が起こる要因のひとつは、なんと、私の責任でもあったのだ。
●2018年11月12日●
月刊雑誌・『大法輪』の12月号「特集 浄土真宗がわかる基礎講座」に原稿を依頼され、書きました。もしご縁がありましたら、買って下さい。
目次は以下のようなものです。「巻頭→浄土真宗が自慢できること。(迷信を拒否する。権力に負けないなど)。
第1部これでわかる浄土真宗。(真宗の利益。親鸞の名言名句。蓮如の名言名句など)
第2部ここがわからん浄土真宗(修行しない?戒律がない?、悪人ほど救われる?など)」 小生の担当箇所は第一部「これでわかる浄土真宗」です。「これでわかる」かどうかは、面々のおんはからいです。東西両本願寺の学者さんが、それぞれ担当して執筆しています。巻頭は狐野秀存先生です。
ぜひ買って下さい。
●2018年11月9日●
生まれ出たところがゴールだったんだなあ。
生まれ出たところが、の現場だった。
その不可思議な現場から、いままで一歩も動いてはいなかった。
生まれ出たところがゴールだったんだ。
ところが、人間は「成長」という幻想を与えられ、その幻想に惑わされて人生を送っていく。
「成長」などということは一切ないのだ。
生まれ出たの現場に、還っていく修行をさせられるのだ。
人間は眼が前に付いているから、前進するのだ、どこかへ行くのだと、前ばかり見ている。
しかし、〈ほんとう〉は、の現場から逃げ出そうと迷い走っているだけ。
の現場に帰ろう!と叫び続けているものがある。
魔郷にはとどまるべからずと、叫んでいるものがある。
一歩、一歩と、の現場に還っていく。そのための修行が人生だったのだ。
何のための修行か?だって。
そんな目的など必要としない修行だ。目的があったら、修行にはならない。苦行になってしまうからだ。
すべては、向こうから教えられてくる。
●2018年11月3日●
想念の視覚化、そして構造化をする。
言葉は必ず、意味場にのみ存在する。意味場は目には見えない。だから私たちは、言葉が、どの意味場にあるのかを、つねに探っている。
 家族に、「それ取って!」と言われても、「それ」が分からず、違うものを手渡すなどということはよくある。家族には「それ」がありありと分かっているのだが、私にはそれがわからず、「違うよ、それじゃなくて、これよ」などと言われてしまうことがある。
 家族と私は、視覚的には、つまり眼球には同じものが映っているはずだが、その映像の中のどれが「それ」なのかが違うのだ。これは家族の意味場と私の意味場が異なっていることを表している。
 以前にも書いたが、「私の息子は女です」もそうだ。この言葉(文章)も、どの意味場で言われているかがわからないと理解できない。多くの人々は、「私の息子は男であって、女であるはずがない」という意味場が開かれてしまうだろう。それはこの意味場が「生理的」な意味場で読まれてしまうからだ。ところが、意味場はそればかりではない。この言葉(文章)が、同窓会での会話であり、同級生の長男のところには男の孫が生まれたが、私のところには女の孫が生まれたということを述べている意味場だとすれば、すっなり理解できる。つまり私の息子には女の子が生まれたということを言おうとしてたのだ。
 これは、「意味場論」である。
 この意味場論を用いて考えていかないと、親鸞の文章も理解できない。さらに、それは親鸞を理解するためだけでなく、親鸞を親鸞たらしめた〈真実教〉を理解できない。私たちの、一番の関心は、親鸞ではなく、私なのだから。つまり私の救いである。私の救いとは、私が、いま・ここに・いることの意味の解明である。
 
●2018年10月31日●
近田昭夫先生が、2018年10月26日にご逝去されました。86歳でした。生前の御教化のご功徳を憶念しつつ、謹んで哀悼の意を表させていただきます。
もしご縁の方がおられましたらと思い「つぶやき」に掲載します。

真宗大谷派東京教区第7組顕真寺前住職・近田昭夫先生(87歳)の本葬の日程が決まりました。

日時・2018年11月21日(水)13時~

場所・真宗会館(練馬区谷原1-3-7)

電話・03-5393-0810

何卒宜しくお願い申し上げます。

※葬儀・告別式のち、法話(武田定光・約30分間)の日程です。およそ2時間はかかる見込みです。(-人-)
※仮通夜・密葬は近親者と七組寺院関係者で既に勤められました。

南無阿弥陀仏(-人-)
●2018年10月30日●
一昨日は拙寺の報恩講で、昨日は「無人の会」の公開講座だった。
 連ちゃんで、身体は疲れているのだが、こころは晴れやかな感じで、今日を迎えている。報恩講で西田真因先生は、富山の越中水橋門徒・吉田家の家訓を示され、これこそが真宗の信心の本質を言い当てていると語られた。
 吉田家家訓とは、これだ。
「婦夫ノ中に 申ス事 出来候テ 腹立候供 扨々 此ニテ 永ク大悲ノ御胸ヲ焦シ
 又モ大悲ノ御胸ノ イタマシモノヲト 早ク 回心可仕事」(夫婦の中に 申すこと 出で来そうらいて 腹立ちそうらえども さてさて これにて 永く大悲の御胸を焦がし またも大悲の御胸の 痛ましものをと 早く 回心つかまつるべきこと)
 これは真宗門徒のエートスをよく表している。夫婦ばかりでなく、家族等の人間関係で、腹の立つことが起こる。その時、阿弥陀さんが自らの御胸を焦がしておられることを思い、さらに、いくたびも、いくたびも阿弥陀さんを悩ませ傷ましている罪を思い、それに気づいたならば、いち早く、その心をひるがえしなさいという意味だ。
 自分の怒りや腹立ちが、阿弥陀さんのこころを踏みにじっているという罪の自覚が生々しく感じられる。
 真宗門徒は、この世のあらゆる関係性を、すべて阿弥陀さんを媒介にして再解釈していただいていく。自分のアンデンティティは、阿弥陀さんと自己存在という宇宙軸なのだ。それが絶対だから、「天皇」とか「日本」とか「国」とか、「教団」とか、そういったものはすべて幻想である。阿弥陀さんとの絶対関係があって、その中に幻想として「日本」や「教団」や「世界」がある。絶対関係が、〈ほんとう〉であって、他のものは仮のものなのだ。
 昨日の「無人の会」公開講座では、「未来の戦時下教学を超えるために」というテーマで西田先生に、約三時間、熱のこもったお話をいただいた。
 暁烏・曽我・金子、三先生の「天皇と阿弥陀さんの心は一つ」という発言をキッカケにして、西田先生は、三人の「人格」や「人間」を批判しているのではなく、三人の「教学」を批判しているのだと断言された。
 その「教学」の問題は、「教・行・信・証・四法型概念装置」であり、それらの先生方の発想の基本になっている。(特に金子大栄先生について語られたが)親鸞の晩年完成した教学は「要真弘三門型概念構造」だとおっしゃった。これこそが真宗の信心だと。
 「教行信証」という教学構造は、いわゆる「聖道門」の教義体系で、それはどこまでも修道論の文脈で成り立っている。ところが親鸞の教学は、「存在」が問題であり「行為」の問題ではない。
 「報化二土」を道綽は立てているが、報土と化土とが別物、あるいは報土の手前の化土といった構造になっている。それは源信も法然もそうだ。ところが親鸞は、報土の中に化土があるので、別物とは考えていない。
 つまり、自分が真実と向き合っていることを構造化している。自分は真実か虚偽かという見きわめだけでは、並列的だ。どちらかしかないということになってしまう。しかし親鸞は、真実に出遇えば出遇うほど自分の虚偽が暴かれ、その虚偽を暴いて下さる阿弥陀さんと出遇っていく。螺旋状に深まっていく。そういう構造が生きた信仰である。
 私は、曽我先生が、なぜ「阿弥陀さんと天皇のこころはひとつだ」とおっしゃったのかが気になっていた。
 曽我先生は「感応の道理」という講題で、昭和23年3月29日に石川県小松大谷学場で講話されている。(蓮如上人450回忌御遠忌ね年講話。→『曽我量深選集』第11巻所収)
そこで次のように述べられている。
「蓮如上人以来、久しい間、年代は経って、特に徳川幕府250年、その間に真宗は盛んになったようでありまするが、ある一部の同行の間にだけ真宗の御法(みのり)が限られてしまったやうであります。(略)明治維新以後になりますと、仏法というものはただ私生活にだけ止まってしまい、公の生活には仏法はなくなってしまったようであります。御門徒の家の中には仏法はあが、一度家を出て所謂、公の社会に出ると、そこには仏法はありません。
 町を歩いていても汽車に乗っても仏法はない。仏法は寺のみにある。ただ私の家庭生活に仏法はその命脈をつないでいるが、一般社会または学問・思想界・公の政治には仏法はない。公の世界では、全く無宗教の生活、唯物主義の生活をしています。強いて申せば、神道があるが極めて外面的なもので、なんら深い人間の精神には無関係のまた力のないものであります。ただ明治以来、学校教育は、宗教と関係のないところの『教育勅語』が発布されましてから、一種の国体信仰が教育の方針となって来たようでありますが、高い宗教というものから見れば、今日の日本の学問・思想・政治・社会・教育等に亙って無宗教と申してよい状態であって、まことに慨かわしいことであると思うのであります。
 かくてわれわれ日本人は、無宗教の世界、無宗教の政治・社会の中に住んでいる。その結果はどうなるか。まことに恐ろしいものがあると思う。明治の45年に二回、大正の15年に一回、そして已に昭和に入って満州事変より大東亜戦争のあの恐ろしい戦争にぶつかって、ああいう戦争をした。そしてそれを善い戦争であるか、悪い戦争であるか、それに対する批判力がない。ただ御国のためというような漠然として、東洋平和のためという名義の下に幾百万幾千万の人が命を失った。そして戦争は惨めな敗戦を以て終った。この戦争は誰か或る特種な指導者があって、その人々に指導されたのだと云えばそうかなあと思うようであるけれども、しかしその責任は各自各自にあると思うのであります。戦争を正しく批判する眼を奪われていた、眼を失っていたと、そういう風に云へばそれまででありましょうが、結局こんな状態になったのは各自各自の自覚の不足に帰着するのであると私は思うのであります。」(139~140頁)
 これを読んだとき、曽我先生は自分自身の発言(天皇と阿弥陀さんはひとつ)をどう考えておられたのかが気になった。曽我先生たちが、そう言って日本の若者たちを戦場に駆り立てたことは間違いない。それを「その責任は各自各自にある」という無責任な表現で終ってしまってよいのだろうか。「戦争を正しく批判する眼を奪われていた、眼を失っていた」という言葉が、自らの罪の懺悔であるのかと思ったが、「そういう風に云へばそれまででありましょうが」というような、開き直りとも受け取れる表現になっていることが問題である。
 その時の曽我先生の教学の構造、つまり頭の中はどうなっていたのだろうか。やはり戦前あるいは戦時中は、みんなが「戦争を正しく批判する眼」が奪われていたのだから、私がそのような表現をしても仕方なかったのだと思っていたのだろうか。もしそうだとしたら、そのように考えたことと、自分自身の真宗教学とはどういう関係になっていたのだろうか。
 私は、曽我先生の頭の中では、やはり「世界」は大きな入れ物であり、その中に教団や個人が住んでいるというふうになっていたのではないかと思った。「公の生活には仏法はなくなってしまった」という表現をみると、「公の生活」が大きな入れ物であり、私生活、個人は小さな存在と考えられていたようだ。
 その発想があるために、大きな入れ物である「公の生活」を形作っている天皇が絶対であり、その入れ物の中の小さな存在である教団や個人は、それに従うべきだと考えたのだろうか。どうも、天皇というものが西洋一神教の神の概念と同質になっていたのではないかと思える。明治維新政府は、八百万の神として相対的に遍在していた神を、西洋一神教のような唯一絶対の神に仕立てることで、人民のこころをマインドコントロールしたのだ。明治生れの曽我先生は、そのマインドコントロールの嵐の中に誕生され、その幻想世界を生きられたのだろう。
 だから曽我量深のアイデンティティは、世界は大きな入れ物であり、その中に教団や個人が暮らしているというものになっていたに違いない。
 奇しくも曽我量深の直弟子・西田辰正さんが、師・曽我量深に向かって「それでよいのですね!」と迫ったのは、まさに阿弥陀さんと自己の絶対関係というアイデンティティを裏切ったからではないのか。自己のアイデンティティを、阿弥陀さんから天皇に売り渡してよいのですかと叫んだのだろう。西田辰正さんに、そう叫ばせたものこそが真宗ではないか。
 しかし、世界は大きな入れ物であって、個人はその入れ物に入っている存在という世界認識は現代でも同質である。私はそれを「一世界全人類包摂世界観」と呼んでいるが、この世界観にマインドコントロールされている人間は、曽我先生と同じような過ちを侵すに違いない。
 阿弥陀さんと自己とが絶対関係に入らなければ、つまり私の言い方で言えば「一人一世界」へ覚醒してしかなければ、同じ過ちが繰り返されるに違いない。
  
●2018年10月25日●
昨夜の第1回秋葉原親鸞講座には定員60名を超え、80名以上の方が来られた。事前申し込みをされていない当日参加者には椅子のみで、机が当たらなかった。池袋よりも狭い教室で、超満員という感じだった。狭いという印象だっのだが、狭さが却って熱気を生みだしていた。
娑婆では、狭いよりも広いがよいに決まっている。しかし狭さが御利益を生むこともあるのが浄土だと頂いた。
秋葉原は2008年の殺傷事件があった場所だ。まさに、現代を象徴する事件だった。この場所で親鸞講座が開かれる意味は重いと思っている。現代人の精神を象徴する言葉が「未生怨」だ。いまだ生まれざる怨みを抱えて生きているのが現代人だ。
「誰でもよかった」という発言は、社会という幻想に圧迫されている人間共通の発言だ。〈一人一世界〉が本当の世界なのに、社会という世界が強大で、自分はちっぽけな存在と思い込んでいる悲劇だ。だから、〈一人一世界〉を取り戻すことが喫緊の課題なのだ。
まさに絶望の人生観から柔和・忍辱の人生観へと転換せねばならない。
資本主義は絶望の人生観しか生みださない。この共同幻想に、老いも若きも毒されている。老人だけが、死ねば死に切りで、何にも残らない、無意味な人生だった、あとは子どもたちに迷惑をかけずに樹木葬か散骨でもなんでもしてくれと絶望的になっているわけではない。若い人々も同じ人生を、着々と、確実に歩んでいるのだ。
さて、この「絶望の人生観」が、「柔和・忍辱の人生観」へといかにして転じられるか。これが人類の普遍的課題である。
幻想から目覚めるためには、〈ほんとう〉に触れなければならない。
私も以前は、この世に〈ほんとう〉などあるわけはないと思っていた。それこそが絶望感の人生だった。しかし、〈ほんとう〉に出会えないと、いくら拗ねてみたところで、やさぐれていくだけだ。どうせ人生に意味などないのさと、ふて腐れていくだけ。
そのくせ、本当のところは、喉から手が出るほどに〈ほんとう〉が欲しくて欲しくて仕方ないのだ。
〈ほんとう〉に出遇うと、この世が違って見えてくる。嘘偽りの娑婆を、嘘偽りと知りつつ悠然と生きられるようになる。まあ生きるのがよいのか、死ぬのがよいのか、本当のところはわからないところだが。
人間は何万年前も、これから何万年経とうと、進歩発展はしていない。生老病死だけを繰り返してきた。人間の本質は原始人だからだ。その原始人が跋扈する秋葉原で、〈ほんとう〉を叫んでみたい。
あの会場の熱気は、そういった要求が沸騰した状態ではないかと受け止めた。
●2018年10月24日●
佛は2、人間は3
佛には真実か虚偽(方便)かしかない。しかし、人間には真実から虚偽への橋渡しがいる。 それが言葉であり、意味である。
 人間が真実に触れるためには、言葉が不可欠だ。その言葉を通して、意味以前の真実に触れるしかない。そういうこともすべて、言葉を通してしか表現できない。
 言葉で言えば、「真実に触れ得ないという形で真実に触れる」としか言いようがない。
南無阿弥陀仏と言おうが、阿弥陀さんと言おうが、浄土と言おうがだ。
 しかし、人間は真実に触れ得ずして、決して究極的に満足できないようにできている。この人間という不可思議な海へ、いざ漕ぎだして行こう。
●2018年10月22日●
なんだか、「信心」とか「本願」とか「念仏」とか「浄土」とか、そういった宗教語で、ものを語ることが辛くなってしまった。
それらの言葉で親鸞が語ろうとした〈意味界〉があって、そこに足を浸していると、もはや親鸞の語った言葉は、親鸞だけの個性的表現だと思えるようになった。つまり、以前のように「親鸞が考えたように考えよう」という強制から自由になった。
以前は、親鸞が残した表現から遡って、「なぜ親鸞は、そういう表現をしたのだろうか」と考えていた。まあそれで追い詰められることもあるのだが、それはある程度までだ。そこから先は、「…と、私は思う。」と言わねばならぬ領域に入っていく。
つまり、最終的には、親鸞はそう考えたか、そう考えなかったかは分からないのだ。
そうなると、いままで自分が頼りにしてきた「確かさ」がこころもとなくなってくる。
果たして、自分の考えていることが〈ほんとう〉に適っているのかと。
そして親鸞を自己身体化させていく。自己身体化とは、親鸞を自己の内面化することだ。
つまり、自分が感じたり、考えたりすることと、親鸞が考えたり、感じたりすることは、差ほど違いがないと思うことだ。いままで親鸞を理想化していたときは、そんなことは露ほども考えれないのだ。それこそカリスマ化だ。
もし〈ほんとう〉が親鸞の中にあるのならば、私の中にもなければならない。それが〈ほんとう〉というものだ。私にも流れている〈ほんとう〉に響かせて、親鸞の表現を見ていくと、私の中から新たな表現が芽生える。もはや、親鸞の言わなかった表現だ。それが創造的な〈真実教〉だ。誰しもの中にも芽生え始める。
それが普遍的な〈ほんとう〉の表現であるのかないのか。それを顕彰するのは、あなた一人以外にはない。決して、他なる権威を持ってきても、それを正当化することはできない。
この世は、一人一世界なのだから。
●2018年10月21日●
やはり、私だけがこの世に生きていると、はっきり言える。
 私だけの世界。
 私だけが生きている世界。
 私は何のために生まれてきたのか。
 その答えを出すために生みだされたのだ、苦の娑婆へ。
 その仕組みが教えられていないから、人間は戸惑う。
 この世と関わる触覚は三毒の煩悩以外にない。
 貪欲・瞋恚・愚痴という触覚。
 戦時中は天皇制に洗脳されていた。
 現代では、資本主義に洗脳されている。
 新興宗教には洗脳されていなくても、資本主義には洗脳されている。
 それは幻想であり、妄想だと教えるものに身を委ねる。
 〈ほんとう〉からの批判を受け続ける。
 そしていつも、私は「零度の存在」に返される。
 「零度の存在」から出発し、「零度の存在」へ帰る。
 
●2018年10月14日●
縁瑞寺報恩講へ行ってきた。
山梨県は念仏砂漠と言われてきた。しかし、親鸞聖人が越後から茨城に来たときの状況もそうだったのではないかと思った。
根本的に、念仏に無関係の人間はいない。そもそも、死ぬために生まれてきたのだから、生きる意味についての答えが、喉から手が出るほどに欲しい生き物なのだ。ただ、それが分からないから、気晴らしで生きているに過ぎない。電車の中でスマホをせざるを得ないのと同じだ。人生という電車に乗り合わせ、することもないからスマホをいじる。スマホいじりは娑婆での生活と同質だ。することもないからいじる。やがて電車は目的地へ着いてしまう。そのときスマホから目を離す。
あっと言う間に、死と対面する。この人生で、いったい何をやっていたのかと振り返れば、スマホいじり以外にはなかったと愕然とする。
それは「生きていた」のでは、「死なないようにしていた」というだけのことだ。
寺では、六組聞法会が開かれ、岐阜から田中謙次先生にお越しいただいた。小生は聞法会に間に合わず、懇親会のみ参加した。
田中さんは、娘さんと各地の同行さんと六人ほどで東京へ来ていただいた。ほんまもんの生きた念仏者だ。自宅を開放して、毎月2日に法座を開かれているという。お話にもあちこちへ歩かれている。本物の妙好人に会いたいひとは、田中先生に会っていただきたい。六組聞法会では連続二回来ていただいた。
懇親会場(味久)の座敷の床の間には「大道無門」と軸が掛けられていた。これは『無門関』の言葉だ。禅宗ではどう了解するのか分からないが、小生は、仏道は360度の道だから、日常のあらゆる場面に転がっている。ところが、そこに入る門が見つからない。道は広い。誰でもが、その場で入門できる。しかし、その門が見つからないという痛ましさを感じた。
おそらくそれは近すぎて見えないということだろう。

そうそう、何で仏道を説くひとを「先生」と呼ぶのですかと聞かれたことがあった。確かに「曽我先生」とか「暁烏先生」とか、「〇〇先生」と呼ぶ。小生も「武田先生」などと社交辞令で呼ばれることもある。しかし、そんなところに私はいないのだ。まあ「〇〇先生」と呼ぶひとの中にしか「〇〇先生」はいないのだ。「〇〇先生」と呼ばれる実体などどこにもないのだ。おそらくそう質問したひとの中には、すでに「先生」という、何か固定観念があって、それが「あいつが先生などと呼ばれることは納得できない」と叫んでいるのだろう。それはそのひとの「思い込み・固定観念」でしかありえない。しかしそれも無駄ではない。なぜそれが納得できないのだと、阿弥陀さんから「反問」されるからだ。
要するに、自分の固定観念以外では、この世のことと関係できないのが我々だ。
果たして実体はどうかと言えば、何もないのだ。問題は、その固定観念以外にないのだ。
●2018年10月11日●
その先の言葉にならないところを言葉にする。
 何を感じ、何を思っても、それはすべて自分の固定観念・思い込みである。
 言葉は、つまり文字は、私の眼前にある。
 しかし、その言葉に何を感じ、どう反応するかは、自分の固定観念という限定を受ける。つまり、「自分の意味場」以外からは生まれない。
 その固定観念の意味場は無色透明で見えない。
 その見えないところをさらに掘り進む。
 掘り進んで、〈ほんとう〉がほの見えるところまで掘り進む。
 これが私の生きている意味である。

 私は、誰でもが同じように感じ、同じように考えられることを第一義に思ってきたようだ。だから、文章を書くときも、自分から吹き出てきた感情を、まず横において、それで、「さて、他者の目からみたらどう見えるか」と思って、冷静な文章に仕立ててきたように思う。
 しかし、もはや、そんな他人の目を気にすることもいらないのではないか。
それよりも、自分の深淵を掘り進んで、個人を掘り進んで、それが普遍にまで到達する井戸を掘削する以外にない。
 人間は、どこまで行ってもモノローグ以外に表現のすべをもってはいないのだ。
果たして、モノローグだからといって、自分がすべてそのことを把握しているかと言えば、そんなことはない。言葉として外化された段階で、それは自分を超え出てしまい、もはや「私」と呼べるものではなくなる。
ただ、外化し、表現し、その表現したものから再び刺激を受ける。これが生きている意味だろう。
●2018年10月9日●
雖陜舎の報恩講へ行ってきた。
東京駅から高速バスで一時間半。知らなかったが、鹿島への高速バスは約10分間隔で運行されている。こんなに鹿島への本数が多いのかと驚いた。これは鹿島臨海工業地帯への唯一の(つまり鉄道のアクセスが悪いので)アクセスだったのだ。
 大原求道さんが、鹿島セントラルホテルまで車で出迎えてくれた。そこで東京からこれらる方々を待って自宅へと向かった。
 大原さんは自宅を「雖陜舎(すいこうしゃ)」と命名し、報恩講を開催しておられる。そこには土浦から茨城・親鸞の会の川島さんや原さんが集ってこられていた。他の参詣者は大原さんのご家族方で、十数人の集いとなった。
 この「雖陜舎」という名前は、谷田暁峰師から頂いたという。これはもともと石川県能登で櫻井鎔俊師が、戦前、若人と仏道の鍛練の場として海岸に建てた小屋の名前だという。戦後、櫻井師は、葬式法事をやらずに本当の仏道を広めるという願いで東京(豊島区)へ「真々園」を建てられた。そこで谷田師は櫻井師に出会い、自宅を「雖陜舎」と名のられたそうだ。その後、谷田師はサラリーマン生活を定年退職され、出身地の石川県能美市へ戻り、「広大舎」を名のられたので、「雖陜舎」を大原氏に譲られたという経緯らしい。
「雖陜舎」の出所は、法然上人の『漢語燈録』にある「念仏の草庵隘しと雖も、しかも恒沙の聖衆雲集して、庵羅園の華座に同じ。三昧の道場陜しと雖も、しかも無数の賢聖側塞として、霊鷲山の苔筵に等し。若し人念仏せざれば、則ち恒沙の聖衆一個も接せず。無数の化仏一佛も来らず。念と不念と得失天渕、行者まさに知るべし。」だそうだ。
(茨城親鸞の会 会報『じねん』2018年1月1日発行第71号所収・大原求道著「雖陜舎報恩講」参照)
 まさに「維摩の方丈」を思わせる。そこには念仏のいぶきを感じた人びとが集い、まさに地下茎の如き熱気を感じた。
 これは「地下茎のサンガ」だと直感した。地上には政治経済の出来事ばかりが目につく。しかし、その大地を支える地下には、地下茎の如き念仏のサンガがあった。〈ほんとう〉を求め、〈ほんとう〉のコトに触れたいという願いと、それに触れ得た感動が満ちあふれていた。
 インド発祥の仏教も、地上から消えて地下に根を張った、その根から中国やベトナムなどに芽が生まれ、やがてそれがアジアの東端の日本に芽を出した。
 地上がどれほど喧しく変化しようとも、決して変化せず、またひと目につかない地下にこそ根を張っている。この念仏のサンガの底力を実感させられた。
 いわば宗派や〇〇教というのも、地上の出来事だ。地下茎はひとの目には見えない。その地中深くを見つめる眼がなくては。
 お斎のそば屋で出された、巨大なえび天には驚かされた。一本食べたら満腹で、もう一本は持ち帰り晩御飯のおかずにした。いくら海老好きの小生にも荷が重かった。
 霞ヶ浦でこんな海老が取れるはずもないがなぁと思いつつ、鹿島の地を後にした。 
このお念仏の集いの後の余韻がなんとも言えず、いいものなのだ。
●2018年10月7日●
★『救済詩抄』出版しました!★
この本は、右頁に「救済詩」が墨書で書かれ、左頁にはその「味わい」が書かれた法語集形式の本です。「救済詩」の墨書は、小生に響いてきた〈真実教〉の響きを詩的に述べたものです。全200頁で、実費500円(税込み・送料別)でお分けすることが可能です!ぜひどうぞ!

【今日のつぶやき】
それでよいのか!?
浄土真宗本願寺派では、「住職」の資格を取るための必須科目に、比叡山の「居士林」での修行を取り入れるべきだという意見が出ているらしい。この問題が気になっていた。
これは宗派の質を云々しているわけではないことを、まず断っておきたい。
つまり、親鸞の「絶対他力」の教えから見たとき、どうなのだろうという質の問題だ。
昨今、いわゆる「住職」の質が問われる時代になり、「住職」の質を「向上」させるには、自力修行も必要という考え方ら出てきたことではないかと思う。宗祖の親鸞も比叡山で20年間ものあいだ修行をしたのだから、そのご苦労を偲ぼうということも考えられる。
宗祖・親鸞のご修行の苦労も知らずに、「他力」などと軽々しくは言えない、という考えもあるのかもしれない。もっと言えば、親鸞聖人は、その修行をしたお蔭で「他力」の教えに目覚めたのだから、修行もせずに、「他力」など分かるはずもないということもあったかもしれない。
まあ、2500年もの間、仏教は、いわば「お釈迦さん」のやり方を真似てきたのだから、そういう発想があっても仕方ないだろう。
また、現代の坊さんがしっかりしないから、教団に元気がないのだという、教団に属する重鎮が愚痴るのももっともな気もする。
しかし、親鸞が直感した〈真実教〉は、そういう発想を執らない。大事なことは、私は釈迦でも親鸞でもないという絶対現実だ。だから、真似をしてもよいし、真似をしなくてもよい。また、親鸞が20年間修行したから「他力」の教えに目覚めたといっても、それでは、私が20年間修行したら目覚めるかと言えば、それは別の問題だ。お釈迦さんが「勤苦六年」と言ったから、私も苦行を六年やれば、目覚めるというわけでもない。それが開祖であろうと、宗祖であろうと、その人間と自分とは業が、まったく違う。
いわば〈真実教〉の前には、道はない。
つまり「どうしたらよいか?」という方法論は、自分自身が自己責任で負うしかない。
その問いは誰もが問うという質ではなく、私自身が私の全責任で負うとき、「問いの中に答え」が見つかる。
まあ、「真実を求める」という問題と、ある宗派の「住職になるための養成コース」とを同じ質で論じてしまうことに間違いがある。
やはり、基本は「いわゆる〈仏教〉は、修行をしなければ救われない。しかし、〈真実教〉は、修行をしようとしたら救われない」ということだ。
肉体的な修行をするかしないかは、業縁の決めることだから、人間が「するな」とか「しろ」とかは決められない。つまり、「修行をするかしないか」という行為の問題と、「修行をしなければ救われない、修行をしたら救われる」という発想の問題とは次元が違うのだ。
そもそも、救われる前には、「救い」など分かってはいないのだ。分かっていないにも関わらず、「救い」がほしいと言っているだけだ。おかしなことだ。
まあ、「救い」を求めるこころそのものが求道心などではなく、ただの貪欲だったのだ。
●2018年10月5日●
生後二カ月半の孫が5000グラムを超えた。
あれを見ていると、やはり人間は、絶対他力から誕生する以外にないと確信した。
生まれるのも他力、死ぬのも他力。
すべてが他力の中の出来事。
それで「いいのですね?」と阿弥陀さんに吐露している自分がいる。
おそらく以前の自分であれば、「それでいいはずがない!」と、批判したい気持ちになっていたことだろう。
「世界全体が幸福にならないうちに、個人の幸福はあり得ない」のだから。
でも、それは人間の願いではない。阿弥陀さんの願いだ。
そんなものを願える、あるいは願おうとしたら、人間が潰されてしまう。

つくづく「意味場」だと思う。いま、自分はどんな「意味場」に住んでいるのか。
経済の意味場か、政治の意味場か、音楽の意味場か、芸術の意味場か、欲望の意味場か、信仰の意味場か。
私のこころは、それらの「意味場」を次々に渡り歩く。
「私」などという実体はないのだ。「私と思うこころ」があるだけだ。そのこころが、点々と「意味場」を遍歴する。

時間を超えろ。存在に開かれろ。それも「零度の存在」にだ。
●2018年9月30日●
寺に住む人間は、寄生虫。
今朝の蓮如の『御文』は、きついお聞かせだった。二帖目第十二通(真宗聖典790頁)
「それ、人間の五十年をかんがえみるに、四王天といえる天の一日一夜にあいあたれり。またこの四王天の五十年をもって等活地獄の一日一夜とするなり。これによりて、みなひとの地獄におちて苦をうけんことをばなにともおもわず、また浄土へまいりて無上の楽をうけんことをも分別せずして、いたずらにあかし、むなしく月日をおくりて、さらにわが身の一心をも決定する分もしかしかともなく、また一巻の聖教をまなこにあててみることもなく、一句の法門をいいて門徒を勧化する儀もなし。ただ朝夕は、ひまをねらいて、まくらをともとしてねぶりふせらんこと、まことにもってあさましき次第にあらずや。しずかに思案をめぐらすべきものなり。」
 「四王天」とは、四天王の住む場所らしい。人間の寿命が五十年と考えられた時代に、その五十年は、四王天のたったの一日で、その四王天の五十年が、等活地獄の一日に当たると、比喩的に語る。つまり、地獄に堕ちて、地獄の苦しみを味わう時間は永遠だと強調する。
 それだから、一日もはやく地獄行きの人生から、極楽浄土の生へ目覚めなければ、人間に生まれた甲斐がない。それなのに、ただ毎日をのんべんだらりと空しく月日を送り、お聖教を開いてみることもせず、どこかの一節を引いて門徒を教化することもしない。ただただ、暇を見つけて、枕を共として安眠を貪っている。これはほんとうに浅ましいことではないか、よくよく考えてみなければならない、と。
 これは、蓮如さんをも含めたことを歎かれているのだろうが、これを突き付けられてみると、いま寺で生活している人間は、まさに仏法の寄生虫ではないかという批判に聞こえる。
 いま、小澤竹俊(ホスピス医)さんの『今日が人生最後の日だと思って生きなさい』が25万部の売れ行きだという。彼はクリスチャンだが、この言葉は仏説ではないか。これこそが、南無阿弥陀仏ではないか。
 この題名を見て、何を感じるかだ。このタイトルに対して、どう反応するかが、自分の〈いま〉を物語っている。
 まあ、いろいろ言いたいこともあるが、今日のところは、止めておく。 
●2018年9月24日●
1、もう少しで『救済詩抄』が出版できそうです。
これは、右ページに墨書(小生の墨で書いたもの)があり、左ページには、その「味わい」が書かれた構成になっています。100の墨書を選びましたので、やく200ページものになっています。

2、月刊『大法輪』12月号の「浄土真宗」特集の原稿を書いています。
親鸞の名言名句や蓮如の名言名句なども載せています。
ご縁のある方は、買ってください。

3、とにかくこの娑婆を、仏法の言葉であふれらせることだけが願いのように思えます。
「真実」(〈ほんとう〉)ということだけが、人間を納得させ、人間を癒し、人間を救います。
生きていれば、いろんなことが降りかかってきます。それもこれも、すべては娑婆の「味わい」です。
一生涯が、修行の場ですから。目的を教えられていない修行の場ですから。目的のある修行は「苦行」です。目的が教えられていないから、娑婆の修行が、「味わい」に変わってくるのです。
人間には、そして人生には結論はありません。
●2018年9月20日●
自分が、自分であって、自分でない。
長生きすると、いままで見えなかったものが見えてくる。これもやって、あれもやってと、自分では思っていたのだが、それもこれも「縁」が熟さないとやり通すことはできない。
「佛は細部に宿りたまう」で、日常の細部を見ると、そこに自分の人生のすべてが現れている。
トイレに入って、トイレットペーパーで肛門を拭いたあと、床を見たら、トイレットペーパーのほんの小さな切れ端が落ちていた。どうしても、ペーパーをちぎる時、ペーパーの紙片が落ちてしまうのだ。
それを、拾って水と一緒に流せば、床が綺麗になると思っていた。その時までは。
しかし、実際にトイレから出て、後から気付いたら、ペーパーの紙片を水に流すことを忘れていた。
後から思うと、あの時、ああするはずだったのにと、ああしておけばよかったと後悔する。
やはり人生は「後の祭り」と、「取り越し苦労」の連続だ。
〈いま〉の抜けた人生は、その二つで終っていく。
●2018年9月17日●
高岡教区第2組の第35回同朋大会に行ってきた。
当日は雨模様の中100人くらいのひとが、砺波文化会館に集まっておられた。
初っぱな、三帰依文を称えてお話を始めようとしたら、途中で三帰依文を忘れてしまった。懇親会で、門徒の方々と飲んだが、これがよかったとおっしゃって下さった。
別に自分では何の作意もなく、ただ三帰依文が途中で消えてしまって、聴衆の方にお聞きして、助けていただいた。
しかし、聴衆は、さあこれからどんな話が始まるのだろうと緊張していたが、あのど忘れで、皆さん、どっとリラックスしてしまったと、おっしゃっていただいた。
何が幸いするかはわからない。何の作意もなく、ただのど忘れも、阿弥陀さんのお手回しと思うしかない。
100人の聴衆は、みなさん、集中して聞いていただき、とても熱気のある集会になった。それもこれも、みんな阿弥陀さんのひとりばたらきだ。
合唱団「蓮の音(ハスノネ)」の皆さんの歌声に聞きほれた。「花は咲く」は3・11の震災から流行した。みんなで歌った。「花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に 花は 花は 花は咲く わたしは何を残しただろう」で終る。
〈ほんとう〉に私は何を残せるだろうと問われた。
やはり、仏法の言葉を世界中に、あふれさせることだけが願われているのだろう。
言葉は、時間も空間も超えてしまうからだ。
●2018年9月12日●
「無人の会」公開講座のご案内
日時:2018年10月29日(月)午後2時~5時(受付は1時30分~)
会場:求道会館 文京区本郷6-20-5(℡03-5842-4803)
参加懇志:3000円
〔懇親会:3,000円・住職は5,000円〕
講師:西田 真因 先生(真宗大谷派 元教学研究所所長)
テーマ:未来の「戦時下教学」を超えるために
ご案内:
 今年、西田真因先生が、大谷専修学院編集部発行の『願生』第169号特集号(2018年2月26日発行)に「戦時教学」論の一断章-「教学」の〈体系性〉の缺如を問う-」という文章を発表されました。ここで先生は、太平洋戦争の戦時下における真宗大谷派の教学状況を問題にされています。当時、暁烏敏師が「天皇の本願と阿弥陀佛の本願と同様である」と発言し、金子大栄師が「第十八願が天皇の願いであるから四十八願がそのまま陛下ののりである。」と言い、曽我量深師が「弥陀の本願と天皇の本願と一致してゐる。」と発言されています。
 このことのもっている教学的問題性について、先生方は、戦後言及されませんでした。政治的圧力によって、仕方なくそのような発言をしたのであればまだしも、先生方は、どうも「本心」からそのように発言されているようなのです。
 これは、戦時下という特殊状況の中での発言ですから、2018年を生きる者が、真意を推し量ることはできません。
 しかし、〈真宗〉という真実に照らした場合にどうなのでしょうか。三師の発言のもっている教学的問題性を「個人」に特殊化するのではなく、「人類」の問題として明らかにしなければなりません。
「過去は未来の鏡」です。やがて当来するであろう「戦時下」に、現代を生きる私たちはどのような教学的態度を取り得るでしょうか。皆さんと共に考えてみたいと思います。
 
※参加ご希望の方は、当方(武田)まで、ご連絡下さい。尚、当日の参加も大歓迎です!
宛て先
 ℡03-3644-0986
 メール insokuji@at.wakwak.com
●2018年9月10日●
自分のやったことを、自分の手柄にした途端に、やったことが濁ってしまう。
ついつい人間は、「俺もまんざらではない」とか「俺のお蔭で会社がうまくいっている」とか思ってしまう。思ってしまうことは、よいことでも悪いことでもない。あるがままに、そういう心が沸き起こってくるものだから。
ただ、何でも、それを自分の手柄だと思ったとたんに、その行為自体が汚れてしまう。
それでも、人間は褒められたいという煩悩をもっているから、厄介だ。
今朝のテレビを見ていたら、いまペンギンが流行っているという。ネット上で流行っていて、それが人形等の関連商品を生み、いまでは五億圓産業になっているという。このペンギンは、些細なことでも、すべてをほめてくれるのだ。「朝、目が覚めた、あんたら素晴しい」とか、「電車に乗れて、凄い!」とか、ささいな日常の行為をすべて肯定してくれる。そうすると人間は、やる気が出てきて、心地よく生きられるというわけだ。
なんとそのペンギンの名前が面白い。それは「肯定ペンギン」だ!
あらゆる行為を肯定し褒めてくれるから、「肯定ペンギン」。これは「皇帝ペンギン」をもじった命名なのだ。
 私には、阿弥陀さんという「肯定ペンギン」がいるのだが、ちょっとそのペンギンとは性質が違っている。阿弥陀さんは、ただすべてを肯定することはしない。最初に、「絶対否定!」があった上での「絶対肯定」だ。
 ただの「絶対肯定」に人間は耐えられない。そのうち肯定されていることに不満を感じる。肯定が日常化してくると、肯定の効果が薄まってしまうからだ。
 それで、阿弥陀さんは、まず「絶対否定」してくれる。
 なんでも自分の手柄にしたい、そしてほめられたいと思っている自分を「絶対否定」して下さる。そのうえでの絶対肯定だ。
 
●2018年9月7日●
なんということだ。北海道で震度7!
小生の先輩の寺が、苫小牧にあるので連絡したが、当然、つながらず、災害伝言ダイヤル(171)に伝言だけは録音した。他にも北海道各地に知人があり、無事を祈るばかりだ。
 地震は五不思議の中の「龍力不思議」にあたるだろうか。
 この「日常」は、「非日常」の土台の上に成り立っていることを改めて教えられた。
インフラと呼ばれる、水・電気・水道がなければ、人間は、ほんとうに無力だ。
 テレビの中で、住民が、東日本大震災は遠いひとごとだと思っていたけど、初めてわかりましたと話していた。そういうことだろうと思った。
 ひとごとか、我が身に降りかかってきたことかは、業縁が決めることだから、これは人知を超えている。
 いずれやってくる関東大震災に、私も同じ思いをするのだろうと思った。
 2011年以来、日本は地震の活動期に入ったそうだ。北海道の地震も、「予震」というひともいる。「本震」はこれからやってくると。
 日本は、地震大国だということを、改めて思い出すべきだろう。
 いろんな備えをすべきだとテレビは言うけど、いつでも人間のやることは「間に合わん」が本質なのだ。
 
●2018年9月6日●
孫が寺にやってきた。3500グラムほどの、小さい肉のかたまり。しかし、目も二つ、耳も二つ、眉毛までついてる。小さいけれど、人体のフィギュアになっている。片手でホイと投げ棄てられるほどの軽いいのち。
 この小さないのちに圧倒されている。
 小さないのちを見ていると、中世の出家者が仏像を観想しているのと同じ効果がある。仏像の顔と小さないのちの顔は似ている。寝ていても微かな動きがあり、停まってはいない。レム睡眠のように瞼の下で目の玉がクルクルと動き、ときたま、ニヤ~ッとした表情を作る。この小さないのちは、いったい、どんな夢を見ているのだろうか。
 ときには悲しい顔をしたり、泣きそうになったり、仁王のように憤怒の貌になる。
 たぶん、私とそうは違った夢をみてはいないと思う。夢は経験したものを再現したものではないからだ。感情というやつは、いのちの小ささには無関係だ。
 果てしない夢を見て、彼女も人生を生きていくのだろう。
 まあ、〈ほんとう〉のいのちは「」なのだが。
 
★新刊講演録・『救済詩の旋律』が出版されました。(実費冥加金500円)
 ご希望の方は因速寺までご連絡下さい!
●2018年8月30日●
聖典を開くと、昔読んだ馴染みのある場所もあり、まったく新鮮な場所もある。何十年も「真宗」と関わってきたのに、まったく読み飛ばしている箇所があるなぁと嫌になった。まったく読めていなかったなぁと思うこともある。
 しかし、それは間違っていた。
 聖典を開くたびに、まったく新しい出遇いがあるのが〈ほんとう〉だ。
 今朝初めて開いて、教言に出遇う。馴染みがある場所だと思っていたのだが、それをよくよく見つめていると、まったく理解が届いていないということが露になる。それは、理解が届いていないのではなく、新鮮な出遇いを求められているのだ。
 聖典から求められているのだ。
 だから、いままでの理解とか、分かっていたことなどは吹っ飛んでしまっう。毎回が、「万劫の初事」であり、人生で一回こっきりの出遇いの場なのだ。
 聖典を読むのに、「玄人」になったらお終いだ。いつでも、「素人」なんだ。
「素人」にさせていただけるのも聖典の御利益だ。
 
●2018年8月27日●
親鸞の言う「信」も「願」も「浄土」も、すべては、ひとつのことのメタファーなのだ。それは、〈ほんとう〉ということ。
 それを、あの手この手で、暗示してくる。
 目の前にしている景色も、光景も、すべてが〈ほんとう〉のメタファーだった。
特に、人間の手を通していない景色が素晴しい。「他力度」が、人工のものより勝っている。
 セミの鳴き声も、まさにお念仏ではないか。ちょっとここんところ、セミの鳴き声が、か細くなってきて、盛夏が過ぎていくことを知らせている。
 ああ、すべてが「お浄土」の荘厳ではないか。
 何一つをとってみても、「他力」で成り立っていないものはない。
〈ほんとう〉など、人間には知ることはできない。〈ほんとう〉の片鱗が、世界中に遍満しているだけだ。
 
●2018年8月25日●
すべては、無駄の上に成り立っている。
そうだったのだ。人類には明るい未来などない。地球もやがて、無くなるときがくる。
そのときは、人類もこの世からいなくなっているはずだ。
マクロの視点で眺めてみると、自分の日常がいかにちっぽけなことであくせくしていることかと、呆れてくる。
しかし、このマクロの視点が、あの相模原事件の被告にはないのだ。地球が無くなり、人類も滅亡するという、その視点に立って、〈いま〉を眺め直してみなければならない。
そうすると、〈いま〉、ここ、わたしというものが、奇跡的なことだと、見直されてくる。 見直さないと、役に立つものは〇、役に立たないものは×という殺人の論理から抜け出せない。そして、やがて彼にもやってくる老病死という限界状況を受け入れることができないだろう。

《ご報告》
娘が8月22日に女児を出産しました。つまり、小生にとっては孫です。
ご心配いただいた方々に、取り急ぎ、感謝を込めてご報告させていただきます。
●2018年8月14日●
ああ

見くびっていた

まさか

ここに居るのが

仏縁だなんて

目にするもの

すべてが

仏縁だなんて

見くびっていた

なんということだ

オセロが

真っ黒に並んでいるのが

俺の人生だと思ってきた

この一点に目が止まると

目の前が真っ白になった

なんということだ

一気に

いままで真っ黒だったオセロが

ずずずんと

バタバタばたと

真っ白にひっくり返ってしまった

ああ

なんということだ

これが

〈ほんとう〉のことだったとは

ああ恥ずかしい
●2018年8月3日●
ようやく講演録第五巻『反問性という運動』(8月)は出来上がりました。
さらに続けて、講演録第六巻『救済詩の旋律』の出版を準備中です。いま第一稿を印刷所に搬入しています。これから校正段階に入ります。
 その次に、『救済詩抄』という一行詩とその心を合わせた本を作成中です。これは書き下ろしです。
 よって、「つぶやき」の更新ができません。また、縁が熟したときには、更新させていただきます。
 更新されてないじゃないかと、ご心配をいただくといけないので、一応、報告しておきます。
 
●2018年7月26日●
安田理深先生は、生前、自分の話したものを本としてまとめることを忌避されていたと聞く。発行を希望する人間が、「どうしても」とお願いして、ようやく先生も了解されて出されるということだったようだ。
名著となった、『自己に背くもの』(文明堂)がある。これは曇鸞の『浄土論註』の「八番問答」についての講話だ。私も、何度も読んだことを覚えている。親鸞も、「八番問答」は『教行信証』信巻の末部に引用している。まあ、「疑と信」の核心部分を問題にしているところだ。
内容ではなく、この書の書名についてエピソードがあったと聞く。
当初、発行を希望してたものが『本願に背くもの』という書名で出そうとしていたが、それを安田先生はよしとされなかったという。(あるいは出版してしまったとも聞く)そもそも凡夫が本願に背くなどということはできないというのだ。だから、もし付けるのであれば「本願ではなく、自己に背くもの」ではないかと。本願は絶対なるものであるのに、相対である自己が、その絶対に対して背くなどということはできないというのだ。つまり本願を受け入れるべき「本当の自己」に対して、「疑いの自己」が背いているのだと先生は言いたかったのだろう。
確かに、そのように言われれば、そうかもしれない。しかし、私は内容はそうであろうけれど、書名としては「本願に背くもの」のほうがよかったのではないかと思っている。
私たちは、本願を信じたいと思っているのだが、その本願を信じたいということそのものが、実は本願に背いていることなのだというアンチテーゼが表現されるからだ。
そもそも、凡夫が「本願」という言葉を用いることそのことが、「本願」を冒涜しているのだ。本当の「本願」は、人間が考えることも、語ることもできない真実そのものなのだ。その不可称不可思議の本願を、人間の恣意的な言語世界に引っ張り込んで、勝手に「本願」と命名しているに過ぎないのだから。冒涜以外に何ものでもない。
ただ、人間には、そういうやり方でしか、「本願」というものを考えることも触れることもできないので、それも致し方ないことだ。
本当は、「本願」などに人間が触れ得るものではない。
人間は、自分の考えた「固定観念」に対して、「阿弥陀」と言ってみたり、「本願」と言ってみたりしているだけだ。そういう形で、「絶対と相対」を綺麗に断絶してくれることで、救って下さるのだ。
もし私が「本当の阿弥陀さん」を知っていたり、「本当の本願」を知っていると思ったら、それは大いなる誤りである。それだけは間違いのないことである。
●2018年7月22日●
いかなる「物語」を生きるかが問われている。
先日のBサロンのとき、電車に乗っても、優先席に若者が平気な顔をして座っている。座った途端にスマホを取り出し、没頭し、あたかも周りにひとがいないかの如くに閉鎖した世界に没入する。あれはいかがなものかという話になった。
確かに、マナーが悪いのは目に余るほどだ。若年層に問題はある。
しかし、高齢者にも問題があるのではないかと話した。尊敬すべきお年寄りがいないという問題だ。
「朝は、いつ起きてもいいし、毎日、学校に行かなくていいし、宿題もないし、毎月、おこづかい(年金)をもらえるし、年寄りはいいなあ。はやく年寄りになりたいなあ」と、小学生が言ったという。尊敬されるべき老人が、これだとすると絶望的だ。
それらは、突き詰めれば、そもそも、人生の「物語」が描けていないことの問題だ。誕生して青年期を過ぎ、老化して死ぬのが生理体としての人間の有り様だ。社会の役に立つ人間が、徐々に役立たずになっていくという、「絶望の物語」を現代の老人は生きてしまっている。
だから尊敬されるはずもない。

浄土教は「往生という物語」を説いてきた。自分がここに居るのは、阿弥陀さんの淨土へ往生するための生という物語だ。「死」で終っていく絶望の物語から、「死」で終らない物語の提起だ。
自分は「物語」なんかを生きていないと思い込んでいるのが現代人である。ところがどっこい、自分は「物語」を生きてしまっていたのだ。「絶望の物語」を。
 この「絶望の物語」を脱して「往生の物語」を生きませんかと浄土教は呼びかける。「魔郷には停まるな」と善導も呼びかけている。
 ただし、「この世」は苦しいけれども、「あの世(淨土)」は安楽な場所だから、そこへ往くのだという物語ではない。その物語の描き方を親鸞は第十九願の往生物語と見た。
「この世」はダメで、「あの世」がオッケイという描き方は、オウム真理教のポアに通じてしまう。「この世」は仮の世で「あの世」が本当の世界だと言う新宗教は多い。それもこれもみんなオウムのポアと軌を一にする。それは恐ろしいことだ。
 親鸞は、極楽が安楽なところだから、そこへ往くというのは「功利主義」であり、利害損得の心が、そう言わせているのだと見ている。親鸞のいう往生とは、行き先をすべて阿弥陀さんにおまかせした信心だ。
 もし「この世」がダメで、「あの世」がオッケイというふうに描いてしまったら、それは恐ろしい。
 『歎異抄』第九条は「踊躍歓喜のこころもあり、また急ぎ淨土へもまいりたくそうらわんには、煩悩のなきやらんと、あやしくそうらいなましと、云々」と述べている。
 念仏を称えて嬉しいとか、早く淨土へ往きたいなどと言うのは、煩悩がないのではないかと、怪しく思えると言っている。これこそが第十九願の往生を批判するストッパーである。
 「絶望の物語」を生きるか「往生の物語」を生きるか、ふたつにひとつしかない。
●2018年7月22日●
NHKスペシャル「相模原障害者殺傷事件被害者たち2年に密着」を観た。
もう2年も経ったのかという思いと、まだ2年しか経っていないのかという思いとが交錯した。
最首悟さんは、障害者の娘さんを夫婦で介護し生活をしている。彼が植松被告に面会に行った。しかし、植松は「心失者」という用語を作り、その「心失者」は社会にとって不利益を与えるから存在しないほうがよいと、いまでも主張していたという。
この問題は私が寺報「よびごえ」114号(2017年2月)に書いていたので、改めてここに引用しておきたい。タイトルは「相模原事件を根絶する方法」だ。

■相模原の事件■    
「相模原障害者施設殺傷事件とは、二〇一六年(平成二八年)七月二六日未明に神奈川県相模原市緑区千木良にある神奈川県立の障害者福祉施設で発生した、刃物による大量殺人事件である。同日中に一九人の死亡が確認され、二六人が重軽傷を負った」等とウィキペディアに出ている。
 事件そのものの全容はまだ明らかになっていない。かつて容疑者は、この施設の職員でもあったという。「優生思想」に感化されての犯行で、戦慄したのは、自分の犯行を「善いこと」と考えているところだった。
■事件のもっている普遍性への注視■
 森達也はこの事件について述べた末尾に、「特異性と併せて普遍性をこそ見つめるべきだ」と強調している。(『現代思想』二〇一六年一〇月号)私たちは事件が起きると、必ず「なぜ?」と原因を問う。そしてその原因を「特異性」に押し込めてしまう。精神的偏向や家族関係や遺伝的気質が原因だと。森は、それは危ないと見ている。むしろ事件の「普遍性」に目を開けと言っている。そして次の言葉を置く。「衆議院議長宛の手紙に容疑者が書いた「安楽死」という言葉を目にしたとき、僕は(少し大袈裟に書けば)戦慄した。怖かった。例えば身内が重度の意識障害で植物状態に陥って長い時間が過ぎたとき、必死に看病しながらも、もう一人の自分がこの言葉を囁く瞬間は、きっと誰にでもあるはずだ。それを誰が責められるのか」と。つまり、私自身の内部に、容疑者と同じ傾向性があることを発見したのだ。誰にでも当てはまること、それが普遍性だ。
■「他人に迷惑をかけないように」という言葉の毒■
 社会学者の大澤真幸は、こう言う。「U(容疑者)は言う。障害者は殺すべきだ、と。とんでもない! 微塵も賛成できない。ほんのわずかでさえも、共感の余地はない。誰もがそう思うだろう。私もそうである」そこで「だが」と大澤は続ける。「私たちはどう反論すればよいのか」と。それに反論することは「人を殺してはいけない理由を説得的に提示することが困難だったのと同じように難しい。どうしてか、私たちが普段、素朴に正しいと信じている道徳的な規定を、純粋に論理的に敷衍していけば、Uの主張を正当化しかねないところまでいくからだ。」と言って、森が「普遍性」として述べた文脈をわかりやすく説いていく。
 「私たちは、できるだけ多くの人ができるだけたくさん幸福であることがよい、と考えている。言い換えれば、不幸や不快ができるだけ少なく、小さくなることがよい、と。これには、ほとんどの人が賛成するだろう。このアイデアを、倫理学的な原理にまで高めたものを、功利主義と言う。だが、功利主義は危険な思想である。功利主義に基づくと、他人に多くの快楽や幸福をもたらすことができる人の生は重んじられ、逆に、他人に苦労を要求せざるをえない弱者の生は軽いものになってしまうからだ。その弱者には、障害者や老人が含まれる。すると、気づかぬうちに、私たちはUの主張のすぐ近くに来てしまう。(略)素朴な功利主義と同じことだが、もっと単純に、ほとんどの人が、こう思っているし、こう言って子供たちを教育しているのではないか。『他人に迷惑をかけてはいけないよ』と。確かに、これは文句のつけようがない道徳的な項目だ。(略)考えてみれば、人が生きるということは、ほとんど常に、他人に迷惑をかけることでもある。そして、この当たり前の規範が、障害をもつ人にとっては抑圧的なものになりうる。」だから、大澤は「他人に迷惑をかけたっていいではないか」、「ときには、他人に迷惑をかけるべきだ、と。私たちは、場合によっては、他人に迷惑をかけることを望まれてさえいるのだ、と。こう言い切ることができたとき、こう断定する自信をもてたとき、私たちは不安をほんとうに払拭することができる」と結論づけている。
森も大澤も、容疑者の動機と私たちの何気ない「常識」が同じ所から生まれてきていることを教えている。そこをしっかりと押さえておかないと、「障害者を差別すべきではない」というスローガンが上滑りしていく。私たちは、いのちの重さは誰も変わらない、いのちこそもっとも尊いものであると、平然と主張するのだが、その主張は「恐ろしき功利主義」から生まれてくることも知っておかねばならない。
 私は、そこに逆の揺さぶりをかけるべきだと思っている。つまり「なぜいのちは平等に尊いのか」、「なぜ障害者を差別してはいけないのか」という突きつけだ。その問いに真正面から答えられなければ、〈ほんとう〉の意味で、相模原の容疑者を非難することはできないだろう。「基本的人権があるじゃないか」というヒューマニズム程度の批判では、毒の根っこを根絶するところまでには矢が届かないだろう。
■阿弥陀さんの叫びを我一人が受ける■
 やはり私は「一神教的なるもの」、つまり「絶対項」からの矢が一人一人に打ち込まれなければダメだと思う。「絶対項」とは、様々な民族が描いた絶対的なる存在、Godや神や仏などのイメージのことだ。
 歴史を振り返れば、人類は「宗教的なるもの」なにしはいられなかった。それが一神教であれ多神教であれだ。幸いにもというか、奇しくもと言うべきか、私たちの浄土教は一神教的な「絶対項」をイメージとして与えられてきた。それが「阿弥陀さん」である。
 この「阿弥陀さんと自己」という関係の中で差別観とか功利主義が批判されなければならない。「絶対項」からの批判はヒューマニズムの意識を貫通し、もっと底にある毒まで届く。その矢は意識を貫通し感受性の部分にまで達する。私たちの感受性にまで浸透しているのが差別観であり功利主義だ。つまり自分さえよければ他人はどうなってもよいというエゴイズムだ。
 この最深部にある毒にまで光が届いたとき、初めて、相模原の容疑者を批判しうるだろう。つまり、「いのちは平等に尊い」というメッセージが人間のスローガンであることを透過し、「絶対項」からの絶対命令とならなければならない。そうでなければ、差別問題と同じように、差別心は「差別はいけませんよ」というスローガンの背後に隠れ、ぬくぬくと温存されてしまう。
阿弥陀さんは、一切衆生に呼びかける。あらゆる苦悩する存在が、絶対肯定され、存在が許されなければ、私は仏に成れないと。この「一切衆生よ!」という雷の如き叫び以外に「いのちが共に尊い」ということは成り立ち得ない。その叫びを人間のスローガンに持ち替えれば、理想主義に堕す。いのちが平等に尊いと叫ぶことができるのは、阿弥陀さんだけだ。この叫びだけが、最深部にある毒を撃ち、とろかす。誰一人として見逃さないという悲愛を「私一人」が浴びるときなのだ。

以上が、「よびごえ」の文章だ。
字数の制限があるためか、まだまだ言い足りない部分がある。
昨夜のテレビを観ていて感じたことがあった。それは最首さんの娘さんや、相模原の入所者の生々しい「障害者」の姿だ。テレビの映像を観ながら、自分の内面が「植松被告」の主張に揺さぶられていることを実感した。最首さんは、「障害者に意志が無いと彼は言うが、そんなことは無いのだ」というふうに反論していた。そして思ったのは、ここにも一人称の問題と二人称の問題、三人称の問題で、「意味場」が違っているということだ。「意味場」とは、見え方や感じ方、つまり「世界」のことで、それが違っているということだ。
私は「よびごえ」で、最後は、一人一人が阿弥陀さんの批判に遇うしかないと書いた。それはいまでも変わっていない。それしか結論はない。
阿弥陀さんだけが、人間だけでなく、「蜎飛・蠕動の類」にまで悲愛を注ぐ。「蜎飛・蠕動の類」とは、蚊やミジンコや蛾やミミズやナメクジたちだ。彼らと人間とは、何にも変わらないと言いうるのは阿弥陀さんだけだ。『聖書』のカミは、どうも人間だけを特別扱いしているふうに感じる。そこをもうひとつ破っているのが阿弥陀さんだ。このいのちの絶対平等の叫びに一人一人が遇わなければならない。

さらに、なぜ「被告人植松」が誕生したのかと考えた。彼が誕生した養殖場は「功利主義牧場」だ。そして第二第三の「植松」が養殖されていく場所が「現代社会」という養殖場である。それを根絶させるためには、やはり「一人一世界」への覚醒しかないと思えた。 「植松被告」は、「一世界全人類包摂世界観」に浸かっている。世界はひとつであり、その中に私も住んでいるという発想だ。世界はひとつだから、障害者にパイを与えれば、健常者のパイの取り分が減ってしまうという発想だ。
阿弥陀さんは言うのだ。「蜎飛・蠕動の類」が、そこに一人いれば、そこにひとつの世界がある。私が一人いれば、そこには一つの世界しかないと。そう見えないのは、人間の眼で見ているからであり、人間の眼で見ていることが「真実」だと錯覚しているからである。「蜎飛・蠕動」も人間も、生まれ方は同じである。ミミズもミミズに生まれたいと思ってミミズに生まれたものはいない。人間の私も、人間に生まれたいと思って、人間に生まれたわけではない。投げ出されるようにして誕生せしめられたのだ。阿弥陀さんは言うのだ。ミミズもお前も、生まれ方は同じだと。ここには「人権」などという傲慢な言葉は存在できない。その言葉を借りるならば、許される言い方は「衆生権」だ。
しかし、人間は、そういう平等の見方が成り立たないのだ。テレビを見ていて分かった。ただ食べて寝て排泄しているだけの存在が、果たして幸せだろうかと感じてしまう自分がいたのだ。それは否定できない感情だった。
そう思ったとき、やはり私はこの問題を三人称の意味場でしか見ていない自分を発見した。最首さんは二人称の意味場で生きておられた。そこには、他者には分からない愛情関係が成り立っていた。
まして一人称の、当事者にしてみれば、もっと違った内面性があるに違いないのだ。それをこちらが理解できないだけなのだ。
私の中には、「植松被告」を否定できない自分がいる。彼とつながっている自分がいる。このことだけは、間違いのないことなのだと、つくづく教えられた。
●2018年7月21日●
富山に行ってきた。
会場は富山湾に近いお寺だったので、暑い中にも浜風が吹き抜け、東京とはやはり違った。エアコンなしでも、窓を開け放っておけば、浜風が心地よかった。
 ずいぶん昔のことだが、京都の高倉会館でお話を聞いているとき、講演台の上に置かれていた水差しのコップを講師がひっくり返し、水がこぼれてしまい、聴衆も慌た様子で水を慌てて拭いていた光景を思い出した。
 その時、講師は、「如来の命じられたようにしたまでのこと」というふうな言葉を吐いた。私は、その言葉にずんぶんと引っかかっていたようだ。水をこぼすというのは、世間的に判断すれば、自分の失態ということになる。しかしそれが、如来の命令ということになると、何でもこの世の失敗とか過失とか、すべてが如来の命令ということになってしまうではないかと思ったのだ。ひいては犯罪もすべて如来の命令になると。そんな馬鹿なことはない、そんなことは許されないと。
 それが、今になって思うと、そう感じていた自分の浅はかさを恥じることになった。
その講師が語られていた「意味場」は「阿弥陀さんと自己」という救済の場の話だったのだ。私は、それを間違った意味場で受け取っていた。「世間の意味場」で受け取ってしまっていた。「世間の意味場」は、過失や失敗や犯罪を決して許さない。だから、そこには救いは、決してない。
 ただその講師は、「阿弥陀さんと自己」の救済の意味場で語られていたのだから、それは救いの表現だったのだ。人間には「自己責任」などというものはひとつもないということだ。
 自分がどこから自分に成ったのかといえば、絶対受動からである。絶対受動なのだから、何を思い、何を行為するか、その全体が絶対受動、つまり阿弥陀さんの言う通りということになる。
 それに不満を感じていた自分は、「自己責任」を追求し、叱責し、処罰する「世間の意味場」に生きていたのだ。「如来の命じられるまま」という言葉に対して、どう反応するかも、「如是我聞」だったのだ。 
●2018年7月15日●
【阿弥陀さんの身投げ】
新盆のお宅でお経を上げた。
親戚一同が会しているお内仏の前で読経をした。犬までが身体を横たえ、読経の声を静かに聞いた。私の読経の声は、私から生まれているようだが、私のものではない感じがした。ひとりでに響きだけが、部屋に反響した。
部屋中に読経が響きわたり、皆さんのこころの静寂と共に、空間がひとつに溶け合った。読経後に、本堂で聞くのと、自宅で聞くのは違いませんか?とお聞きしたら、確かにそうだと頷いて下さった。
私も本堂に比べて狭い空間の響きに酔いしれた。狭いから、また響きが強く伝わり、皆さんのこころをひとつにしたように感じた。
いまは亡きご主人のたましいも、そこに確かにあったと感じた。
「南無阿弥陀仏をとなうれば 十方無量の諸仏は 百重千重囲繞して よろこびまもりたまうなり」(現世利益和讃)が、おのずと称えられた。
お念仏を称えれば、そこに無量無数の諸仏方が、十重二十重に、そのひとを取り巻き、喜んで護って下さっているのだと実感した。
阿弥陀さんの救いは、条件を変えて救うものではない。問題を取り去って救うのではない。苦しみ悩んでいる、そのひと自身とひとつになって、苦しみ悩みを共感し、荷なうかたちで救うのだ。
私の身体の中に、阿弥陀さんが身投げするのだ。
阿弥陀さんの身投げだ。
●2018年7月13日●
第五回目の桑名別院での講話がもうじき本になる。
題名は『反問性という運動』だ。
毎回、お話にはテーマはないのだが、それを編集し校正している間に、浮かんできた如来回向のテーマだ。話は、「音声言語」で表現されているから、それはこの世に停まることがない。法座という「祝祭空間」での、一期一会のライブでしかない。話は話者の声帯の響きが空気を振動させて、聞き手の鼓膜を震わすという生理的な行為だ。また、そこには話者と聞き手が同時に存在し、その場の「意味場(空気)」を形成する。
だから決して、一期一会のライブを再現することは不可能である。たとえテープに録音されたとしても、そこには「意味場(空気)」が存在しない、ただの「音声言語」しか残らない。
よく言うことだが、「バカ!」という「音声言語」も、他人同士の「意味場(空気)」なら軽蔑と怒りの表現であっても、恋人同士の「意味場(空気)」なら、愛情の表現になるようなものだ。
しかし、それをテープ起こしという作業をしていただいて、「音声言語」から「文字言語」に変換されたとき、また違った位相の空間が広がる。
私が話した「音声言語」が「文字言語」に変換されたものを、再び私が読むという不思議な空間に移行する。話したのは間違いなく私だから、私の口から出てきた言葉には違いないのだが、その言葉たちと再び出会うとき、私の中に再び何かが動き出す。動き出す場合もあるし、動き出さない場合もあるのだが、動き出す場合が多い。
私の口から出てきた言葉たちは、果たして私のものなのかどうか、これがわからなくなる。間違いなく口から出てきたものなのに、それが今度は自分を読み手として突き放していく。
時々、「えっ、それってどういう意味?」と原稿に向かって語りかけたくなるときがある。そうかと思うと、「そうだったのか!」と自分を驚かし感動させてくれることもある。
もうそうなってくると、自分の話ではなく、一聴聞者とされた自分が、そこに誕生する。
だから、『反問性という運動』は、単純な講演録ではなく、講演録とはひとつ位相の異なった読み物になってくる。
今回の講演では、やたらと「反問性」が出てくる。すべてのことにおいて、「それでよいのか?」「それが本当か?」と問われるということだ。人間は、問われることをヨシとしない生き物だ。結論を握りたくなる。「これをもって瞑すべし」と言いたくなる。
まあそれは貪欲という煩悩なのだ。その煩悩を、「それでよいのか?」「それが本当か?」ととことん追求してくるはたらきが「阿弥陀さん」だ。
問われ続けることが、喜びなのだ。問われ続ける限り、「答え」という過去にしばられなくなるからだ。
この世で息が停まるまで、問い続けてくる。この問いに晒され続けていることが「」を生きることなのだ。だから「これまで!」と言う必要がなくなる。
答えを握ったときには、阿弥陀さんと縁切りだと思っていたほうがよい。
●2018年7月10日●
ネコが、お茶の入っている茶碗を、尾っぽでひっくり返した。器の中のお茶がこぼれて床を濡らした。
まあ、床に茶碗を置いている自分も悪いんだが、ネコなんだから、自分の身体感覚くらいしっかり覚えておけよ!尻尾が茶碗に当たるなぁくらいのことは分かるだろうに!と、いらっとした。
しかし、こぼれてしまったお茶を拭かなければならないので、慌ててティッシュを探して、拭き取った。
この事件の顛末は、それでお終い。
ただ、これが人間だったらどうだろうかと思った。おそらく、もっと激しい怒りがやってきたに違いない。「なんで茶碗をひっくり返したんだよ!気をつけろよ!ごめんなさいと、ちゃんと謝ってないじゃないか!」などと毒づくだろう。
さらに、相手が謝らなければ、「人間には礼儀というもんがあんだろう!」などと追い打ちをかけるに違いない。
なんせ、自分で茶碗を割ったときは、「割れた」と言い、ひとが割ったときには「割った」と言うのが人間だから。それが本能のように、自動的に、口をついて出てきてしまう生き物なのだ。
よくよく考えてみると、怒りは甘えから起こってくるのだと思わされた。ネコの所行にはいらっとしたが、それで怒りの煩悩はさあっと去っていく。ところが人間に対しては、そうはいかない。いつまでも怒りが滞留してしまう。
それは、ネコと人間とで、無意識のうちに自分は違った対応をしていたということだ。
人間がやったことに対しては、「人間なのに、何でそんなことをしたんだ」「人間だったらもっとましな対応があるんじゃないか」という期待を、相手に対してしているということだ。
自分は、そんな不当な扱いをされる覚えがはない、もっと自分に対して丁重な謝罪なりをすべきではないかという、「甘え」があった。そこに人間に対しての過信というか、過大評価が潜んでいる。それも無意識のうちに、そう思ってしまっている。
ネコに対しては、そんな期待は持たない。だから、仕方がないなと、すぐにあきらめが付く。ところが人間に対しては、そうはいかない。そこには、相手を、すでにして「人間様」として扱ってしまっているからだ。憎たらしい相手であれば、ネコ以下の扱いでもよいのに。ネコ以上に優遇してしまっていたとは。
人間を「ネコ並」に扱う訓練をしなければと思う。相手に期待しない訓練だ。
期待するから、期待外れというしっぺ返しがくる。期待した分だけ、期待外れの分も増大する。
やはり「一切衆生人として」生きようとしているのだから。
でも、それができたら越したことはない。そんなことができたら、阿弥陀さんとお別れだと、またしても「零度」に戻されてしまった。
●2018年7月8日●
いまだかつて、誰も成仏していなければ、誰も救われてはいない。
私が往生するときに、十方無量の諸仏も一緒に往生するのだ。
親鸞が「南無阿弥陀仏をとなうれば 十方無量の諸仏は 百重千重囲繞して よろこびまもりたまうなり」(現世利益和讃)と語ったのは、そういう意味だと受け取っている。
たとえ身を失ったとしても、たましいはまだ成仏していないし、往生してもいない。
私と共に往生するのだ。
この世の苦しみのすべては、諸仏の励ましであり、諸仏から与えられた宿題である。
さてそれをどうやって解いていくかだ。
そもそも、この世に生まれたこと自体が、自分の意志ではなく、阿弥陀さんのご催促だ。だから、人間は、自分がどうなったら本当に幸せか?、またどうなりたいか?も分かっていない。
ただただ貪欲(愛欲・欲望)と瞋恚(怒り)の煩悩の板挟みになっているだけだ。二河の譬えでは、これを「火の河」「水の河」と説いている。このふたつの河に溺れそうになりながら日々を喘ぎながら生きているだけだ。
だから、何のために苦悩し、何のために苦労して生きているのか、その究極的な目的は知らされていない。行き当たりばったりの人生というのが、〈ほんとう〉のことだ。
さあ、どこに向かって生きているんだ、何が欲しいんだと、阿弥陀さんからせっつかれている。
さあ
さあ、と。
●2018年7月7日●
オウム真理教の井上嘉浩君が、国家によって殺されてしまった。
まさかこのタイミングでと、驚いた。しかも教祖・麻原彰晃(63)以下6名(早川紀代秀[68]・井上嘉浩[48]・新実智光[54]・土谷正美[53]・中川智正[55]・遠藤誠一[58])を別々の刑務所等で、一気に死刑にしたのは歴史上初めてだ。
大きな政治的意図を感じざるを得ない。
昨日、死刑執行の事実を教えられた後、正信偈をお勤めした。正信偈をお勤めする私のこころには、井上君が絞首刑になる姿が見えた。刑がいつ執行されるかは受刑者には告げられていない。朝、看守がやってくるまでわからない。
再審請求も出していたこともあって、なぜ、このタイミングで、と彼も思ったに違いない。
しかし、事実として彼は国家によって絞首刑にされた。
「死刑を回避するための恩赦を求める署名」のお手伝いをしていた自分は、いま、呆然としている。
署名のお願いをしているとき、「なぜ井上君だけなんだ、なんで麻原はやらないんだ」と質問を受けた。それは縁のあった、狭い関係の中で、自分の身が動く以外に、動けないのだと答えた。
私が井上君にシンパシーを感じていたのは、なぜだろうかと自問してみた。それは、元信者・高橋英利さんが書いた『オウムからの帰還』(草思社・1996年3月)を通してだった。高橋さんを勧誘し、彼との関係を述べる部分に、井上君への共感を得ていたのだ。

「アーナンダ(井上君の出家名)には麻原さんとは大きく違っていたところがあった。それが何かを僕はうまく表現できない。だが、実際に面と向かったときに感じるあの温かさの深さは、麻原さんには感じられなかったものだった。ほかの誰にも感じたことはなかった。アーナンダに導かれてオウム真理教に入信した人があれほど多かったことも当然だと僕は思っている。
おそらく彼は、心の底から人びとの『救済』ということを願っていたのだと思う。だが、その彼が『救済』の名のもとにヴァジラヤーナのもっとも過激な先鋒に立たされていったのだ……。」

これはほんの一面のことかもしれない。しかし、井上君が「純粋」だったがゆえに、教祖のクローンのように人格を奪われ、教祖のロボットと化してしまった悲劇を思わざるを得ない。
彼には、生きて「オウム真理教」という未解明の出来事を生涯において語り継ぎ、解明して欲しかった。
いずれにしても、「国家による殺人を存続させてはならない」と思う。
本日、19時~お通夜が、明日は13時~葬儀が、京都の岡崎別院で執り行われるという。
※この「つぶやき」は、自分の狭い狭い縁の中での独白だ。だから、これを読まれた方は、「被害者の苦悩を思え!」「死刑で当然だ!」という思いをお持ちの方もおありだと思う。
もし自分や自分の家族が被害に遭っていたら、自分の考えも変わっていたに違いない。しかし、いまの自分の狭い狭い縁の中で感じられたことだけを述べたまでに過ぎない。唯一、阿弥陀さんだけが、被害者も加害者も、そしてあらゆる衆生をも、共に救って下さるに違いない。
●2018年7月5日●
河合隼雄先生の話をNHKテレの「100分で名著」で観た。
ユングは「howどうしたら?」ではなく、「whyなぜ?」を大事にした。しかし、whyは答えがない。どうして恋人が死んだのかには答えられるが、なぜ、他でもないこのひとが死んだのかには答えられない。「どうして」に対しては出血多量ですとか、医学的答えができる。しかし「なぜ」に対しては答えはない。これはスピリチュアルペインとも呼ばれている。
ところが、whyに問われると、「自分の物語」が生まれると言っていた。whyは、いまある自分のいのちに対して向き合うことになるからだろう。言わば、人間の理性では答えのない問題に対して、立ち向かうことになるからだ。
さらに、人間の理性以上に、深く、ありありと「ある」ものが自分のいのちだったのだと、思い至る。いままでは、理性万能で生きてきた。ところが、それがスピリチュアルペインに出会うことによって、理性以上に重たく深いものが、この自分といういのちだと逆転させられるわけだ。理性といのちの逆転現象だ。
そして過去と周りを見渡すことが始まる。古代人はどうやって、このスピリチュアルペインを乗り越えてきたのか、そして他の人々はどうなのかと。スピリチュアルペインは、古代から現代までを、根底で貫く深層問題だ。それは古代人にもあったし、現代人にもある。
さらにこの問題は、他ならぬ自分自身のいのちの問題として、誰も答えを出してもらえない。他者の事例や意見は参考になっても、自分自身の答えにはならない。
ここに至って、ようやく、代替え不能の自分といういのちと向き合うことが始まる。いや、「自分といういのち」というよりも、自分をも支えている広大ないのちと向き合うと言ったほうが正確だろう。
「ガンの宣告を受けたときに、初めて生が始まる」と述べた米沢慧さんの言葉が重たい。(『自然死への道』朝日新書)
howの次元で通用していた自分が、実はwhyの次元ではまったく通用しないことが暴露されてしまった。
ハダカのまま、太平洋の真ん中の無人島へ放り出されたようなものだ。
「二河の譬喩」で言えば、「無人空迥の沢」に立たされたということだろう。
そこでユングは「自分の物語が生まれる」というのだが、私流に言えば「一人一世界」に目覚めるということになる。私の見渡す世界も、そして私自身も、実は私一人が受け取るべき、私だけの世界だったという受けとめだ。この世には、私以外に、私を一人称で生きる存在はなかったということだ。そして、私の受け取っているこの世界は、私がどのようにでも受け取り直すことのできる世界だという目覚めだ。「客観的な世界」はどこにも存在しない。唯一存在できるのは「理性の世界」の中だけである。そこには〈ほんとう〉の私は住めないのだ。
 さて、whyの前に立たされてた自分は、古代人と通底している自分だった。そして人生のどの時間を切り取ってみても、whyの前に立たされ、whyの前から一歩も動いていない不動の自分の発見だった。
これが一切衆生の立つべき地平だったとは。
(100分で名著は、現在放映中)
●2018年7月2日●
ご飯を食べていて、「あれっ」と思った。
次に味噌汁をすするか、納豆とご飯を口に運ぶのか、はたまた漬け物を摘むのか、そんなことまったく意識していないなあと。
なんで漬け物なんだ。なんでご飯なんだ。その順番は誰が決めているのか。
そう思って、もう一度自分に聞いてみた。
「次に何に行く?」と、その途端に箸が迷い出した。
しかし、ここに人生のすべてが凝縮していると感じた。
この些細な、ご飯を食べるというシーンと自分の一生とが同じ構造をしていたのだ。
つまり、次に箸で何を摘もうとしているのかなんて、考えたことはないのだ。もう機械的に、自動的に、無意識に、摘んでは口の中に放り込んでいるだけ。これが私の一生だ。
果たして、「自分」などというものが、どこにあるのか。
「自分だ、自分だ」と自分にばかり関心を集中させていたが、それは「ドーナツの穴」に何かを詰め込もうとしきただけじゃないのか。

固く固く
掴もうとしている手
掴もうとしてきた手

その手を開くための練習が
の真実かもしれないなあ。
●2018年7月1日●
こっちから
追いかけようとすると
つかまらない

むこうから
つかまれて
おちつく

いままで能動で
生きていた

思っていた

ほんとうは
すべて受動だった

さめてしまった

能動など
どこにもなかったのだ

●2018年6月26日●
ああ、万劫の初事だ。
運転していて、信号が赤に変わり、停まった。その瞬間に無為な時間が発生する。理屈をこねれば、赤信号で停まるのが交通ルールだとか、停まることで、初めて横断歩道を横切る人間の安全が確保されるのだとか、あれこれと理由がある。
そんな理屈が吹っ飛んでしまうように、無為な時間がノペーッと展開してしまう。
何をするわけでもなく、何かのためにある時間でもない。
すると、あの赤信号は、「お前の人生は何のためにあるか?」という問いとなって、私に迫ってきた。この人生全体も、実は「無為な時間」ではないのかと。その「無為な時間」を無為ではないように、悪足掻きしている「無為な行為」なのではないかと。

ちょっと待てよ、あの赤信号に、そんな重大な意味があるとは、まったく気付かなかった。
そうなんだ、人生全体が、阿弥陀さんの教育現場なのだから、どこを切り取ってみても、阿弥陀さんの何かを暗示しているに違いないのだ。

そうして、横断歩道の前で停車していたとき、ああそうだったのかとやってきたのが。
「この瞬間って、万劫の初事だった」という気づきだ。
〈ほんとう〉の時間というのは、一瞬たりとも「流れない時間」だったのだ。
自分が誕生する何億年前のいのちから、ずっと時間はとまったままだ。
「流れない時間」こそが救いなのだ。
「流れる時間」は絶望しか生みださない。赤信号とは、それを教える。赤信号で「流れる時間」が遮断されたとき、「無為な時間」が現れてしまう。それが問いとなって、「それでは無為でない時間とは何か」と迫ってくる。
あたかもこの時間は何かのための時間、この時間は何かをするための時間と自分では思っていたのだが、それは「無為な時間」を「無為ではないことにしたい」という煩悩のあせりが感じていた時間ではないか。

一寸先に「死」があるのだから、つまり、その「有意味な時間」が断絶されているのだから、本当は、「有意味」などは幻想だったのだ。
そう思えたとき、この瞬間が実は「永遠」から流れない時間だったと、落ち着いた。
「流れない時間」があるから、この娑婆の「流れる時間」を悠然と生きられるのだ。
「流れる時間」だけでは絶望だ。
赤信号で止められたとき、「流れない時間」が顔をのぞかせた。ああ万劫の初事よ!
●2018年6月24日●
〈真実教〉は、〈ほんとう〉ということしか教えない。
自分が生まれるためには両親があって、その両親二人にも、それぞれ両親があるから四人の両親があって、その四人の両親にも…と、やっていくと無量無数の両親があったことがわかる。それは〈ほんとう〉のことだ。
先日も、近頃のひとは「先祖供養を忘れている」と、もっもとらしいことを言っているひとがいた。先祖にあれこれとお願いするのはけしからん、先祖あっての自分たちなのだから、先祖に御礼を申し述べるのが当然だという。それも一理ある、世に言う「信心家」の発言だ。
〈真実教〉は、「先祖に御礼を申し述べよ」とは決して言わない。ひとに対して、あれこれと注文はしない。ただ〈ほんとう〉ということだけに対面し、〈ほんとう〉だけを表現するのみだ。
自分には、自分を生んだ親があって、その親を生んだ親があってと、どんどん遡っていくと、地球上にいのちが誕生するところまで遡れる。自分がいま、ここに生きている「いのちの背景」には何十億年がかかっている。それは〈ほんとう〉のことだ。
だからといって、「それらのいのちに感謝せよ」とか「恩義を感じろ」とは、決して言わない。また言ってはならない。言ったら、それらの〈ほんとう〉が汚されてしまう。
ただその〈ほんとう〉を感じたとき、自分の内面に様々な感動などが惹起されるだけだ。それは各人各人にまかされている「受けとめの世界」だ。その〈ほんとう〉をどう感ずるかは、「面々のおんはからい」でなければならない。
それを、世に言う「信心家」のように、「先祖供養を忘れている」というような「似非道徳」に変えてはならない。もし「信心家」のように発言してしまうと、その発言が、今度は自分に跳ね返ってくる。
「先祖供養を忘れている」とお前は言っているけれども、〈ほんとう〉に片時も忘れずに先祖を供養できているのかと。先祖供養を〈ほんとう〉に考えているのであれば、起きているときは勿論、寝ているときも先祖を供養し続けていなければならない。そんなことがお前にできるかと、〈真実教〉は批判してくる。
「いやいや、せめて起きているときだけ供養ができるので、寝ているときは無理です。そこまで先祖も望んでいないと思います」とでも言い訳したら、そんなものは〈ほんとう〉でも、仏教でも宗教でもない。
生きている人間の胸先三寸で、先祖という亡き人々を、「ああではないか、こうではないか、こうやったら喜んでいるんではないか、こうやったら先祖に失礼ではないか」と、推し量っているだけだ。それを窮極まで突き詰めていくと、「先祖供養」と言いながら、「先祖を自分のこころで推し量り、生きている自分たちを慰める道具」にしているだけということにならないか。
〈真実教〉は、〈ほんとう〉という原理だけを生きている人間に提示する。その〈ほんとう〉とどう関わるかだけを、私たちひとりひとりに願っている。
まあ「願っている」というのも、私一人の受けとめには違いないのだが。
●2018年6月23日●
「間に合わんから、始まる生活」

間に合わんは
〈真実〉を暗示している
間に合っているあいだは
まだ〈真実〉が顔を覗かせていない

間に合わんがあって〈真実〉にであう

人間は
間に合わんが、嫌いだ
だから、〈真実〉は嫌いなんだ

にも関わらず、〈真実〉に出会うようにできているのも人間だ

間に合わんから、始まって、
間に合わんで終わっていく

だって、この世への誕生すら
自分には間に合わん出来事だったのだから
●2018年6月21日●
昨日は専超寺報徳会(夏安居)に行ってきた。
最後に、聞法経験豊かな男性から質問を受けた。私が「真宗以外は、修行をしなければ救われない教え。真宗は修行をしたら救われない教え」と言ったことを受けて、「修行をしたら救われない」とはどういうことかと説明してほしいといわれた。
社会通念にまでなっているのが、「仏教は修行をして悟りを開く」という考え方だ。別に仏教徒ではなくても、仏教というものは、そんなものだと漠然と考えている。だから、因速寺の門徒に対して、「みなさんは私が修行をしてお坊さんに成ったと思っていませんか?」と質問する。そうすると、みんな「そうだ」というふうにうなずく。しかし私は「真宗は修行をしたら救われない教えですよ」というと、キョトンとした顔をする。
まあ、ふつうはキョトンとする。
まあ、そういう私も以前は、そういうものだと思っていた。しかし親鸞の言葉を学んでいくと、そういう発想は「自力のこころ」と教えられ退けられる。それでも、何もやらないということは人間にはできないので、あれこれとやってみることになる。法然門下の弟子たちも、旧仏教の修行は駄目でも、浄土門で認定している念仏くらいならよいのではないかと、百万遍でも称えてみようということにもなった。
人間は、救いを得るために、あるいは悟るために何かをしなければ気の済まない生き物である。
ところが親鸞は、そもそも修行をしたら何とかなると思っている、その発想そものもが「自力のこころ」なのだから、その修行をしたら何とかなるという思いが断念しなければ、〈ほんとう〉の救いにはならないという。
そう言われてみて、私たちは、あれこれと何かをしなければならないと思ってしまう。何かをしないなければ、それは仏教ではないと考えているからだ。何かをするということは、将来に何かを期待してやるのだから、何かをすることそのことが方法になってしまう。手段になってしまう。何かをすること自身が満たされていないことになる。
ところが、親鸞は、それは自分の力や努力を信じている「自力のこころ」であって、そのこころでは決して救われないと、また応答される。
つまり、さあこれから念仏を称えようとか、修行しようと志した時点で、もうそれは〈ほんとう〉の救いに近づけないのだ。
明恵上人は、そんなことを言ったら悟りに近づけないじゃないか、そんなのは仏教ではないではないかと批判された。その批判も一理ある。
それは「常識」だ。
むしろ親鸞の言うことの方が、「非常識」だ。
さあ、修行しよう、さあ念仏しようと思うことは、親鸞以前は「菩提心」と呼ばれてきた。しかし親鸞はその「菩提心」こそが、「貪欲の煩悩」だと暴いてしまったのだ。
そうなると、さあこれから念仏しようという思いがあるうちは〈ほんとう〉ではないということになる。
そこで、さあ念仏しよう、念仏して何とかしようという思いが死ぬのだ。
死なないことには、話が始まらない。親鸞の〈真実教〉は、「自力のこころ」の死から始まるのだ。
親鸞の言い方だと、もともと人間というものは修行をしたくらいでは救われないという。そもそも修行ができると自惚れていることで、躓いているという。人間は何でも努力で出来ると思っているけれども、そんなものは、「思い」だけであって、事実は他力以外では成り立たないと思っている。
そうやって、「自力のこころ」が死ぬことが、初めて〈真実教〉だったと目覚めたのだ。
まあ正確に言えば、「修行をしたら救われないのではなく、修行をしようと思ったら救われない」と言わなければならない。修行をするかしないかは、縁が決めることであって、人間がどうこう言えるものではない。ただ、修行をしようという思いは「自力のこころ」だから、そのこころでは救われないと言っているのである。
「自力のこころ」では救われないということに目覚めたのが「他力の信」である。
だから、「他力の信」に転じなければ、「自力のこころ」は駄目なのだということにも気付かないのだ。
そうやってひるがえってみると、自分はこの世に誕生する何億年も前から、阿弥陀さんのお世話になっていたのだ。阿弥陀さんの絶対他力のはたらきの中にいたのだ。
だから、自分にとってはあらゆることが受動である。もはや「自分」という意識すらも受動的に与えられたものである。どこにも「自分」という実体がない。

この瞬間も、どの瞬間も、阿弥陀さんに対面していた時間であり、対面している時間である。
●2018年6月16日●
ようやく「まっさん塾」の宿題をやり終えた。宿題とは、講演のテープ起こしを書籍化するための手直し作業のことだ。
「話」は、それこそライブなので、その場に居た人間と空間を共有することで生まれるものだから、立体感のある生き物である。それが「文字」という平面の世界に置き直されると、立体感がなくなってしまう。
「ばかっ」という言葉も、恋人同士なら愛情表現になるが、他人同士なら喧嘩売ってんのかということになる。しかしただ「ばかっ」だと、そこに居ない人間には判断が付きにくい。文字とは、平面な記号に過ぎず、その場の臨場感は再現できない。
ジュリア・クリステヴァがいうように「書かれたものは死体」に違いない。その死体をどのように扱おうと、それは読む側に全権が委譲されている。読む側は、頭を白紙にして読むわけではない。テープレコーダーなら、録音される前のテープは「白紙」状態で、何も書き込まれてはいない。しかし人間は違う。人間は、すでにある情報という紙の上に、新たな情報を乗せていく。「すでにある情報」とは、先入観や思い込みや固定観念のことだ。
つまり、パソコンであれば、OSはすでに出来上がってしまっているのだ。そのうえに様々なソフトを乗せていく。ソフトによっては、OSと不具合が生じることもある。その場合にはソフトのほうの故障を疑う。
まあ聴聞もそれと同じことが起こっているのだ。
しかし、いわゆる「真宗」は、法話を聞くという修行だけをやってきた。それは何をすることかと言えば、ソフトが乗っているOS自身を解体することだ。
そして、一から組立直すことだ。しかし、いままで、散々自前のOSで生きてきたから、それを壊されることに恐怖を感じる。
それは人間にとって、二回目の誕生の苦しみである。一回目は生理体として産道を通る苦しみ、そして二回目は、こころの「死と再生」の苦しみである。
それが見事にドキュメンタリータッチで述べられているのが歎異抄第九条だ。
唯円が苦しんでいるのではなく、「how toの知恵」自身が苦しんでいるのだ。念仏したら歓喜が起こる。1+1=2という発想だ。その発想が通じないのはなぜかと問うている。
 「how toの知恵」が成り立つ世界もあるから、それを応用しようとするのだが、それが通じない世界がある。それがお釈迦さんが出家せざるを得なかった「老病死」という限界性だ。
 親鸞は、死ぬんじゃないかと不安になるのも煩悩のせいだという。念仏していても、喜びが起こらないのも煩悩のせいだという。
そして唯円の「自己責任」という発想を解体していく。自己責任というのは、「how toの知恵」の世界でしか成り立たない。
 この「how toの知恵」というOSが解体されたのだ。
最後には、急いで阿弥陀さんの淨土へいきたいなどと考えるのは、煩悩がなくなってしまったのではないかと怪しく思われると結んでいる。
ここに「断煩悩」→「不断煩悩」→「煩悩拝跪」という、人間解放の原理が成り立ったのである。
●2018年6月12日●
阿弥陀さんと関わるのは、人間にとって、面倒くさくい。
だいたい、あなたが見ている世間は、「あなたが見ている世界」であって、そんなものは〈ほんとう〉の世界ではありませんよと、言われ続けることになるからだ。
お前の見ている見方は、「偏見」だぞと、批判され続けることだからだ。
お前自身の見ている見方を信じるなと、徹底的に糾弾されるからだ。

自分の見ている見方を信じてしまうことは、ものすごく恐ろしいことだ。
 それは『仏説無量寿経』で言われる、「国王」の視線になってしまうからだ。
「見る」というのは、見られるものを対象物に変えてしまうことだからだ。
「見る」というのは、自分の見方で相手を評価し、価値付けするという毒をもっている。「見る」という視覚は、暴力的なのだ。
「国王」の座はいつでも、高所にある。
 見られる対象は、いつでも低い所に据えられてしまう。
「国王」が気に入らなければ、他者にナタでもナイフでも振り下ろす。
 それを支えているのが「国王視線」である。
 見られる対象物は、国王によって切断された画像でしかない。それは「いのち」ではなく「モノ」に変えられてしまう。
 だから「見る」ということは恐ろしい。
もし、その「見る」を信じるなと糾弾する阿弥陀さんがなければ、
私たちは、いつ、純粋な形で他者と出会うことができるのだろうか。
阿弥陀さんのご覧になっている視線に晒されたい。
 晒されねばならない。
●2018年6月11日●
東海道新幹線の車内で、殺人事件が起こった。男性一名が亡くなり、女性数名が怪我をしたと報じられた。容疑者は22歳の小島一朗という氏名だそうだ。少し前に韓国映画「新感染」を観ていたので、列車の中を逃げまどう乗客の姿が、手にとるように感じられた。
小島が語った犯行の動機は、「むしゃくしゃしてやった。誰でもよかった」である。
テレビでは実父と母方の祖母がインタヴューを受けて話していた。二年前から両親と折り合いが悪く、祖母と同居していたが、一年前から家には戻っていないという。
テレビ等からいろいろな情報が流れてきた。
そして私の中で感じ取られてきたことは、彼は両親から「丸ごとの受けとめ」がされていなかったのだろうということだ。この手の犯行には、「だれでもよかった」が流行り言葉のように聞かれるようになった。彼もこの言葉を自分で開発したわけではなく、おそらく以前の容疑者たちの言葉を模倣したものではないかと直感した。
そして私は感じた。あの「だれでもよかった」の裏には、「両親」が張りついているのではないかと。本当は、両親を殺したかった。しかしそれが叶わなかったので、仕方なく誰かを、つまり誰でも両親の代理として殺したくなったということではないか。だからあれは誰でもよかったのではなく、誰でもが両親の代理に代わりうる限りにおいて「誰でも」ということではなかったか。
もうひとつ気になったのは、彼の出身地が「愛知県岡崎市」という地名だ。ここは、私が先月訪れた場所で、真宗門徒の多く住んでいる場所と認識している。何か、真宗の免疫力が作用しなくなってしまっているという申し訳なさも感じた。
つまり芹澤俊介さんの「ある-する理論」(武田命名)を援用すると、家族が「する」に価値をおきすぎてしまって、彼の「ある」をそのまま、無条件に受けとめきれていなかったということだ。資本主義社会は、「する」一辺倒だから、「ある」の不安定な人間ならば、あっと言う間に、抑圧され圧殺されていく。
 やはり、「一人一世界」をいかに獲得していくかが緊急の課題なのだと、思わされた。
「する」という世界は、「比べる世界」でしか通用しない観念だ。「出来る出来ない」は娑婆の論理だ。
 それは「危ない世界」だ。
 本来的に人間は「一人一世界」以外を生きられないのだし、もともと生きているのであり、そのことを忘れているだけなのだ。いつの間にか「一世界全人類包摂世界観」にマインドコントロールされてしまっているだけなのだ。
 「独生独死 独去独来 身自当之 無有代者」(大経)
「独り生まれ、独り死し、独りゆき、独り来る。身、みずからこれに当たる。だれも代わる者なし」を「一世界全人類包摂世界観」で受けとめれば絶望だ。
 それを「一人一世界」で受けとめねばならない。
●2018年6月7日●
昨日は、東京教区の同朋大会だった。文京シビックホールに、何百人かが集った。
芹澤俊介さんの「親鸞と家族」というテーマの講演があり、その後、花園一実君との対談がおこなわれた。
その中で、芹澤さんの「母性は本能ではない」が印象に残った。母性が本能であったら、子殺しは起こらないはずだ。確かに、そうだ。母性が本能であれば、児童擁護施設に子どもがやってくるはずがない。確かに、そうだ。
人間は本能がぶっ壊れた、理性の生き物だと言ったのは、ユングだったか。育児もセックスも、すべて人間は本能でしているわけではない。自然界の動物には発情期があるが、人間は365日発情期だ。これは本能のなせる業ではない。
親鸞がなぜ結婚したのか。それも、〈ほんとう〉のところはわからない。親鸞自身にもわからないことだった。いつでも人間の行為というやつは、「行為の条件」は無量無数にあるが、結果はたったひとつだから。
結果がひとつだから条件もひとつだと、人間は思いたいのだ。ところがどっこい、無量無数だ。よって、人間にはわからない。

「親殺しの前には子殺しがあった」というのも芹澤さんの言葉で印象に残った。
阿闍世が父王を殺す前に、阿闍世が両親から三度殺されていた。その報復として親殺しがあったと。
そして、その視線は、やがて自分のほうへと矢印が向いてくる。果たして自分は、子殺しをしていないかと。
子どもには必ず「受けとめ手」が必要だと芹澤さんはいう。それが母親だったら子どもにとって最高だ。しかし、母親が「受けとめ手」になれない場合もある。むしろ「受けとめ手」を許否する場合だってある。その場合、子どもは最悪の状況だ。
善鸞は親鸞によって受けとめられていたのだろうか。
芹澤さんは、受けとめられていなかったのではないかと考えている。それが、善鸞義絶という結果になって現れたと。
芹澤さんは、どうしても、親に全責任があるという立場だ。「誕生は親が子どもに対する強制的贈与であり、暴力だ」という立場だ。
しかし、「親」って〈ほんとう〉にいるのだろうか。世間で「親」と呼ばれている存在は、〈ほんとう〉のことを言えば、みんな「子ども」じゃないのだろうか。
子どもは親によって無条件に受けとめられなければ、生きる居場所がないというけれども、果して、受けとめられる「親」っているのだろうか。
その「親」って、「親」自身が受けとめられたことのない、「永遠の子ども」なのではないだろうか。
受けとめられたことがないから、当然、受けとめ手にはなれないのだ。
問題は、その「親」というやつが、まず、〈ほんとう〉に受けとめられることだ。それが最初の、最初の、最初の第一歩だと思ってしまった。
●2018年6月6日●
仏道の道幅は 360度。
「道」というと、どうしても細長いものをイメージしてしまう。ところが、〈真実教〉の道幅は、360度だ。
まあ、これは形容矛盾だ。道幅であれば、何㎝とか何mとか言わなければならない。しかし、それを度数で表現したところがミソだ。
〈真実教〉の道幅は360度だ。つまり、全方位が道である。そんなものを娑婆では「道」とは呼ばない。
「道」とは、非日常性のメタファーなのだ。
非日常性を埋没させてしまうのが「日常」だから、この「日常」が、〈ほんとう〉は「道」だったのだと、覚醒させるはたらきをもつ。
「道」だと教えられて、ようやく息の詰まるような娑婆で呼吸ができる。
娑婆は、毒ガスが蔓延している世界だから、人間はどうしても腐ってしまう。身体が腐ってしまい、こころも腐ってしまう。
しかし、「道」というメタファーは、非日常性のメタファーであると同時に、プロセスのメタファーでもある。「道」は、必ずどこかへ通じているものだからだ。この世の出来事はあくまでプロセスだと教え、結論付けたい欲望をはね除ける。
これは結論付けたい欲望を排除するはたらきはあるのだが、ここにもう一つ問題がある。
プロセスは、〈いま〉に満たされないからだ。
この世の不条理に遭っても、それはプロセスだと教えられれば、不条理を受けとめる力とはなる。しかし、それは一面、〈いま〉に満たされない。プロセスとは、「〈いま〉ではない」と教えるものだから。
〈真実教〉は〈いま〉に満たされた上で、プロセスを楽しむ世界だ。だから、「道」というメタファーで表現することもできない。
いやいや、人間はどうしてもプロセスだと教えられて救われる生き物だ。どうしても、「時間」は昨日から今日へ、今日から明日へと流れるように感じてしまうからだ。共同幻想なのだが、どうしても人間には「物語」がなければ生きられない。
〈ほんとう〉は、弥陀成仏の昔から、阿弥陀さんの前に端座していたのに。つまり、「もう済んで」いたのだ。
「もう済んで」いたから、「まだ済んで」いない物語を生きることができるのだ。
「もう済んで」いた世界は、いわば無時間の世界。「まだ済んで」いない世界は流動的時間の世界。無時間という一点を根拠にして、流動的時間という「道」を生きるのだ。
●2018年6月3日●
有名で厳格な仏教学の大家であろうと、また読み書きのできない農民の一人であっても、そんなこととは無関係に、「そうだ!」と納得できるものでなければ、「さとり」でも「すくい」でもない。
〈ほんとう〉とは、そういうものであるはずだ。

有名な仏教学者・中村元先生が、私たちの常識を覆す表現をしていた。
まず第1に「仏教そのものは特定の教義というものがない。ゴータマ自身は自分のさとりの内容を定式化して説くことを欲せず、機縁に応じ、相手に応じて異なった説きかたをした。だからかれのさとりの内容を推しはかる人々が、いろいろ異なって伝えるにいたったのである」
第2に「特定の教義がないということは、決して無思想ということではない。このようにさとりの内容が種々異なって伝えられているにもかかわらず、帰するところは同一である。既成の信条や教理にとらわれることなく、現実の人間をあるがままに見て、安心立命の境地を得ようとするのである。」
第3に「実践としての立場は、思想的には無限の発展を可能ならしめる。後世になって仏教のうちの多種多様な思想の成立した理由を、われわれはここに見出すのである。」
(『ゴータマ・ブッダ』上(普及版) 春秋社 2012年8月発行)
要するに、いままで2500年の歴史をもって、ガッチリと「仏教」という実体があるかの如くに語られてきたが、〈ほんとう〉は、まだ発展途上の思想であるということだ。「無限の発展を可能ならしめる」という言葉がそれを物語っている。
私は、釈迦のさとりの内容を「縁起の法」だと、漠然と考えていたが、中村先生は「釈尊はすでにさとりを開いたあとで、しばらくたってから十二因縁を感じたのであり、縁起説とさとりとのあいだに本質的な連関は存在しない。」と述べられている。これにはびっくりした。縁起説がさとりの内容ではないと語られているからだ。
それでは、どこから仏教が出発するのかと言えば、それは他でもない、「私自身」という場所だ。「2500年間語られてきた仏教」は、文字として、そして文化としてはある。しかし、それと「生きられる仏教」とは別物だった。
中村先生が「現実の人間をあるがままに見て、」と語られているのは、いま・ここを生きている私のことである。
この「私自身から始まる仏教」こそが「生きられる仏教」である。
そう思うと、いままで「2500年間語られてきた仏教」という伽藍が音を立てて崩れてしまう。ただし、「私自身から始まる仏教」は、一面、解放と自由を与えるのだが、今度は、それでは何を頼りに道を求めていけばよいかがわからなくなる。いままで「ある」と思ってきた仏教を頼りに生きてきたから、そうは思わなかったが、「自分から始める」となると、頼りとすべきものは何もない。方向を決められれば、それに沿って歩むとか、道に逸れているとわかるのだが、360度の方向へ自由に進んでよいと言われると、今度は一歩も歩めなくなる。
そうなると、自分自身のたましいに聞き耳を立てて、聞いていくしかない。唯一のツルハシは「それは〈ほんとう〉か?」という〈反問性〉だ。オウム真理教から離脱した高橋英利さんも、その〈反問性〉のおかげでオウムから離れることができた。親鸞が29歳で比叡山を捨てたのも〈反問性〉だ。
〈反問性〉に晒され続けていく。そうすれば、必ず〈真実教〉にたどり着く。
この世に、一人称で〈私〉を生きる人間はいない。つまり、この世に「生きている」と実感できる人間は私以外にはいない。これも〈反問性〉から問われて、見えてきた世界だ。そして、そこにこそ〈ほんとう〉がある。
●2018年6月2日●
近頃、ますます阿弥陀さんと自分との距離が遠く離れていくように感じる。
本当であれば、ますます近づいてくると言えなければならないのだろうが、それが逆だ。
惑星探査ロケットが、惑星からどんどん離れていってしまうイメージだ。
それだからといって、阿弥陀さんとの関係が無くなったとか、薄くなったとは、まったく感じない。離れていくほど、身近に感じられるという不思議な感覚だ。
つまり、長年真宗と意識的に関わったならば、それなりに真宗の影響を受けるとか、理解が深まるとか、そういうことがあるはずだと思ってきたのだ。
ところが、自分のありのままのこころを覗いてみると、真宗と縁をもつ前の自分とあまり変わっていない。「あまり」ではなく、ますます「全然」変わっていないと、より鮮明に見えてきた。
それなので、阿弥陀さんとの距離感が隔たってきたと感じたのだろう。
しかし、阿弥陀さんの鏡は、まさに「浄玻璃」で、どんな些細な内面の罪までも映し出す。より赤裸々に、映し出す。
これが〈真実教〉だったか。
とにかく、人間は「これから、これから」と考えてしまうのだが、阿弥陀さんは、それに対して「すでにして、すでにして」と答えられる。
この阿弥陀と自己の乖離こそが〈真実教〉なのだ。
●2018年5月31日●
立て続けに、愛知県岡崎第六組と石川県羽咋本念寺の親鸞聖人750回忌に行ってきた。
何をやっているのか、自分でも、よくわからない。
阿弥陀さんにこき使われて、西へ東へといった按配だ。
本念寺では、拙著を買ってくれたひとに、オマケとして色紙を付けたいので、色紙に言葉を書いてほしいと頼まれた。12枚頼まれたが、結局、置かれていた18枚の色紙すべてに言葉を書いた。
書き終わって色紙を眺めていたら、この色紙たちをひとにあげてしまうのが惜しくなった。それで携帯電話で写真を撮った。
「一人一世界への覚醒」とか「いま いま いま 生まれて はじめて 生きる いま」とか「弥陀成仏の昔より 阿弥陀の前に 端座せり」とか「私の人生は 阿弥陀一人の 救済実験場」とかね。
やはりワープロ文字よりも、手書きの墨書のほうが味わいが深い。自分から生まれた言葉であっても、自分の言葉ではない。やはり仏法という普遍の法則から生まれた言葉たちだから、これを私有化してはならないのだろう。
自分が生きる意味とか、自分が生まれた意味とか、すべて「自分」へ「自分」へと還元しようとする。そういうベクトルが逆流し始めていくのが仏法だ。
そして「阿弥陀さんのためにこそ 生きて やれ」という言葉も生まれてしまった。
●2018年5月30日●
ご縁のある皆様へ

あの『ゴッホと〈聖なるもの〉』の著者・正田倫顕さんが、ベルギー大使館で発表されます。もし、御興味がありましたら、またどなたか興味を持たれている方も、ぜひ足を運んであげて下さい。150人~160人くらいの集会になるようです。詳細情報を以下に記します。武田定光
------------------------

日本ベルギー学会開催のお知らせ
下記の通りBJASを開催致しますので御案内申し上げます。

今回はベルギー学の将来を担う若手研究者に学会報告の機会を提供し、今後一層の研究奨励を図ることを目的としております。気鋭の4名の研究者の報告がございますので、皆様宜しく御出席下さいますよう御願い申し上げます。


日 時:2018年6月15日 金曜日18時 開始 (開場は17時半から)

場 所:ベルギー大使館 (東京都千代田区二番町5-4)

報告者およびテーマ:
1)正田倫顕 「ボリナージュの祭壇とオーヴェールの教会」

2)大迫知佳子 「19世紀フランス語圏におけるリズム理論と生理学の関係 -ベルギーの音楽理論家達によるリズム理論を中心に-」

3)加来奈奈 「カール5世治下ネーデルラント女性総督マルグリットの平和外交」

4)佐藤龍一郎 「フランドル彩飾写本の都市図像における実景とその転用 -パリ国立図書館本(ms.fr.9087)を中心に-」

当日の予定
17:30 開場
18:00 開会の挨拶 ヴェルゲイレン公使および北原和夫BJAS代表

18:10 報告 司会・武居一正
20:30 レセプション
21:30 お開き

その他会合運営のための会費として、当日お一人1000円のカンパを御願い致します。

日本ベルギー学会事務局 武居一正
ご出席いただける場合は、お手数ですが下記宛に6月11日(月)までにお知らせください。
宛先  e-mail : hiroko.date@diplobel.fed.be (ベルギー大使館 伊達泰子様宛)
●2018年5月28日●
「西方淨土」の「西方」とは、物理的方角ではなく、人生の究極的意味を表す言葉である。日常生活は、いわゆる「雑事」に追われて日々が過ぎていく。「雑事」という言い方は、あまりに大雑把で、種々様々な行為の連続という意味だ。
それが、意識的に「〇〇のためにこれをしている」という自覚があれば、その行為は充実している。たとえば、赤ん坊のオムツ換えを、「子どもの成長のため」と意味づけできれば、汚らしいオムツ換えも問題にならなくなる。というか、汚いという意識もないままに機械的に、やっていることではある。
あるいは、「一流大学に合格するため」と意味づけできれば、受験勉強もやりおおせることが可能だ。毎朝の通勤ラッシュも「家族のため」と意味づけできれば、それに堪えることもできる。まあ、問われれば、そのように応えるだけで、普段の生活は、そんなことを意識することもなく、ルーティン・ワーク(決まりきった日常茶飯事)に埋没しているだけだ。
それも、まあ意味づけできる目的があるうちは成り立つ論理だ。人生も後半になると、意味づけする目的がなくなる。子育ても終わり、親の介護も終わり、さて自分は何のために生きているのだろうと、ポッカリと穴が開くことがある。
そのときに問題になるのが、「西方」だ。実は、「西方」という課題は、人生の後半の問いでもなんでもない。幼いころから、死ぬまでを包む時間の問題だ。
日常茶飯事の取るに足らない単純なひとつの行為の意味が、「西方」を指さしているかどうかという問題だ。
地球上のどの場所においても、「方位磁石」を取り出せば、針は「北」を指す。これと同じだ。生きている、あらゆる場所で、「意味磁石」を取り出せば、針が「西方」を指しているかどうかだ。
臨済録の「随所に主となれば、立処みな真なり」(随所作主 立処皆真)は、そのことを問題にしている。まあ、これは臨済録の中を流れている〈真実教〉で、〈真実教〉の一部分を表現している。
 あらゆる場所で主体性が成り立っていれば、自分のいる居場所はすべて真実という意味だろう。これも、様々な文脈で解釈されるが、まず「主」が問題だろう。
自分で意識している「主体」などは仮のもので、〈ほんとう〉は「空っぽ」でなければならない。仏法は無我が本質だからだ。
 まあ、それはともかく、臨済録が、矢印を「主」という中心に向けているのに対して、「西方」は外に向けている。
 中心を向こうとする矢印が、すべて「西方」という外を向いているということが、何か大きな問題を暗示しているように思う。「西方」は、人間が意味づけできる意味ではないから難しい。むしろ逆に、人間の「意味づけ」を解体される方向だ。
 人間の「意味づけ」を解体して、「西」を向かせる。
●2018年5月26日●
うちの子どもが幼いころ、家族で出かけることがあった。すると子どもが、口癖のように、「ねえ、今日は何時に帰るの?ねえ、何時に帰るの?」とせっつくように聞いてきた。あまりしつこく聞くので、「まだ出発もしていなのに、いつ帰るかなんてわからんよ!」とぞんざいに応えたことを記憶している。
彼にとっては、家族で出かけることがあまりに楽しく、この楽しい時間がいつまで続くのだろう、早く終ってほしくない、出来るだけ楽しい時間が長続きしてほしいと切実に願っていたのだ。
まだ、家から出てもいない段階で、この楽しい時間が終ってしまうのに堪えられない、せめて楽しい時間が終ってしまう時間だけは知っておきたい。そしてその終わりを覚悟しておきたいという思いでいっぱいだったのだ。
彼のこの切実な願いは、私にもよく分かった。確かにそうだ、この時間が楽しい時間であればあるほど、長続きしてほしいし、終ってほしくない。しかし、いつか終わりがくることは間違いない。そのことも知っている。ああ、いやだ、終ってほしくない。

この感覚はどこから来るのかと考えたら、やはり、人間にとって、「時間」というもののありようをよく表しているのだと思う。「流れていってしまう時間」に人間は堪えられないのだ。ということは、逆に言えば、人間は決して「流れていかない時間」を求めているとも言えるのではないか。
親鸞が「時剋の極促」(教行信証・信巻)と詩的に語っているのは、そんな時間を暗示していると思った。
この言葉を『教行信証』で二回使っている。
「行巻」では、「『即』の言は、願力を聞くに由って、報土の真因決定する時剋の極促を光闡せるなり。」(ここでは「即是其行」の「即」の解釈をしている)と述べている。
「信巻」では、「それ真実信楽を案ずるに、信楽に一念あり。『一念』は、これ信楽開発の時剋の極促を顕し、広大難思の慶心を彰すなり。」と言っている。
 この箇所の星野元豊先生の解釈(『講開教行信証』信の巻・法蔵館)によると、「その一念というのは、信心をうるその端的、その刹那を一念といったのであって、時間的に極めてすみやかに一瞬であることを示しているのである。真実信心は獲信のその瞬間パット明るくなるようにえられるのである。ここではまず時間的に極めてはやいことを一念といったのである。」等と述べている。
 さらに追加の解釈があって、「一念はこのように時間的な意味をもつと共にその極点としての零点というような意味をもったものであると思う。」とも述べ、続けて「時間を超えた念である」とも言い、シュライエルマッハッーの「神秘に満ちた瞬間」gehemnisvolle Augenblick)であり、それは「先験的、神秘的零点と表現したいと思う」とも述べている。
シュライエルハッハーはドイツの近代神学者だから、キリスト教内部においても「時間」というものが大問題だったことがわかる。
それは、真宗とか仏教とか宗教とかが捏造した教義ではなく、やはり、そもそも人間というものが本質的に持っている欲求に応じたまでのことなのだと思う。キリスト教においても、「流れない時間」というものを予見していた。
私は、「流れない時間」を「弥陀成仏の昔より 阿弥陀の前に端座せり」と表現している。
いつ、自分が自分になったのだろうと考えてみたい。自分は人間に生まれたいと思ったわけではないから、自分の思いより前に、自分は自分だったはずだ。この身体というものは、どこからやってきたものだろうか。自分を生んだ母、その母を生んだ母と遡っていくと、少なくとも38億年にまで遡れる。
この時間がなければ自分は自分になっていない。つまり、自分の身体は38億年かかって、ようやく自分になってきたのだ。その38億年前から自分は阿弥陀さんの前に端座していたのだと思った。
そして〈いま〉も端座している。これこそが「流れない時間」だったのだ。この〈いま〉という時間は38億年と融合する時間であり、いつでも〈いま〉として私の前に現れる「流れない時間」だったのだ。
これを親鸞は「時剋の極促」という言葉に定着させたのではないか。究極の時間というものは阿弥陀如来からの促しであるという意味だ。
 まあ38億年と言ったが、それは少なく見積もってのことであって、〈ほんとう〉は「永遠」なのだ。永遠という時間を背景にした〈いま〉こそが、決して流れることのない時間だ。人間にとって、〈ほんとう〉の意味で生きられる時間は、〈いま〉以外にないのだから。
「時間が流れる」と感じるのは、人間の意味現象であって、そんなものは仮のものだ。〈ほんとう〉の時間とは永遠に流れることのないものだったのだ。
 それは幼ない子どもでも直感しているものだったのだ。
●2018年5月25日●
阿弥陀さんの立像を見ていたら、私の内面を外に立てているのだなと、改めて感じた。
もし偶像として、前に立てていなければ、どうしても仏さんのイメージが自分の内面に出来上がってしまう。どれほど阿弥陀さんのイメージを内面に取り込んだとしても、それは、偶像ですよと注意して下さるのが、偶像として目の前に立っている阿弥陀さんだ。
偶像を否定することは、一面純粋のように見える。偶像は人間の手で作り上げたものだから、そんなものは〈ほんとう〉の神でも仏でもない。
親鸞は、そんなことくらい先刻ご承知だ。ではなぜ偶像としての阿弥陀仏立像を前に立てるのか。それは、どれほど人間の内面に神や仏のイメージが出来上がっても、それは目の前に立っている偶像と同じ質のものだと批判するためだ。
だから、本堂の阿弥陀さんと人間が「対面形式」に出来上がっていることが重要なのだ。これは単なるお飾りではない。とても深い意味があるのだ。
もし人間の内面に神や仏のイメージができあがり、それが批判されなければ、神や仏と自分とが一体化してしまうのだ。これは、仏教の文脈に置き直せば、「天台本覚論」や「即身成仏」の論理になり、西洋一神教の文脈に置き直せば「イスラム原理主義」の論理にもなる。
親鸞を揺さぶった〈真実教〉は、決して、自分の内面に出来上がった神や仏のイメージを許さない。それはそれは徹底して許さない。
そうやって対面形式にすることによって、神や仏の「奴隷」になることから人間を救っているのだ。神や仏のイメージを内面化すると、神仏との一体化という神秘主義にも落ちていくし、また一方では神仏の奴隷にもなってしまうのだ。
どこまでが、自分の思いで、どこからが神仏の願いなのかが峻別されなくなるからだ。
親鸞がやろうとしたことは、神仏と人間との棲み分けとでも言うべきものだ。
曽我先生の言葉でいえば「仏と人間とが不可侵条約を結ぶこと」だ。
神仏と人間とは、「絶縁」という関係で出遇う以外にない。
絶縁という関係は、髪の毛一本で〈ほんとう〉に触れることであるし、「牛盗人と言われても、仏法者と見えるように振舞うな」という絶対戒律を生きることでもあるのだ。
●2018年5月21日●
いま、オウムの「井上嘉浩さんの死刑執行を回避するための恩赦を求める署名」をお願いする場面が増えている。これはもともと友人の鈴木君代さんからのお願いで、小生も共感しているので、署名をお願いしている。
彼女は、井上さんが東京拘置所に拘置されて10年以上も面会を重ね、交流をされてきた。現在、大阪刑務所へ移送されても、面会を続けている。この度、オウム裁判がすべて終ったということで(麻原教祖は済んでいないが)、各受刑者が、地方の刑務所へ移送された。
これは死刑が早まるのではないかという危機感をかきたてた。来年5月の改元を前に、「死刑」というけがれは、前の天皇と共に洗い流し、「新天皇」は清浄無垢な存在として誕生させるという政治的思惑があるようだ。
そこで、何とか多くの人々の署名を集め、井上さんの死刑を思い止まらせようと願っている。
しかし、署名のお願いをすることで、様々な反応をいただく。「なぜあれほど残忍な殺人事件を引き起こした容疑者を許すのだ」、「日本はまだ死刑制度を法的に認めているのだから、粛々と法律に則って死刑を執行すべきではないか」、「死刑を回避する恩赦の署名活動など、大谷派にとっての汚点になるのではないか」。
そして私は考えた。これらの反応を総合すると、この事件に対する三つの立場があることだ。
1つには当事者の立場。容疑者本人と容疑者の家族などの立場。
2つには被害者の立場。被害者は容疑者を死刑にしても、最愛の家族が戻ってこないことはわかっているが、せめて死刑にでもしてくれなければ、気が済まないという立場だ。
3つには第三者の立場。私の立場はここにある。不特定多数の人々もここにある。
なぜ署名活動に協力しているかと言えば、井上さんの資質に真宗的なものを感じたからだ。1995年已来、事件に対する様々な情報が提供された、それらの中で井上さんの表現などを見ていて、私には共感が持てた。大谷派との縁もあって、恩赦を求めるひとたちも多くいる。
彼を死刑にしてしまうと、いままでのオウム事件の全容解明が不可能になる。なぜ「宗教」がひとを殺してしまうまでの幻想を与えるのか、なぜこういう事件が起こったのか、彼は当事者として、そのことを生涯をかけて、獄中で表現し続けていかねばならない。それが被害者への、せめてもの謝罪行為ではないか。
また大谷派教団の責任も感じる。もし彼らの宗教的欲求を吸い上げられていたら、彼らはオウムには行かなかったかもしれないのだ。その意味で我々、教団に属するものの責任も感じている。
 親鸞はこう言っている。
「一人にてもかないぬべき業縁なきによりて、害せざるなり。わがこころのよくて、ころさぬにはあらず。また害せじとおもうとも、百人千人をころすこともあるべし」(歎異抄第13条)
 たとえ一人であっても、殺すような「業縁」がないから殺さないだけだ。自分のこころが善良だから、殺さないのではない。また殺したくないと思っても、「業縁」があれば一人はおろか、百人、千人も殺すことだってあるのだ、と言っている。(戦争がその例だろう)
 もし私に業縁があれば、オウムに走っていたかもしれない。あるいは、業縁がもよおせば人を殺すようなことだってあるかもしれない。自動車を運転していて、それはいつも思うことである。だから、自分の心が善良だから殺さないなどとは思えないのだ。縁があれば、いつでも事件や事故を起こすのが自分自身だ。
 署名に反対するひとたちの心情を推し量ってみると、自分は「善良」であり、決して事件や事故は起こさないと思い込んでいるようだ。果たしてそうだろうか。
 またこういう意見も聞いた。なぜオウム事件の容疑者たち全員の恩赦ではなく、井上さんひとりなのだと。
 これは私の限界であり、まさに「有縁を度すべきなり」(歎異抄第5条)と記されているように、自分に縁のあった中での署名活動というだけのことだ。もちろん阿弥陀さんは、全員を愛し続けているに違いないのだ。教祖の麻原をも見捨てることはない。ただ、人間としての私には、限界のあるなかで、縁のあった井上さんの恩赦をお願いしているだけである。もしご賛同いただけるかたがあったならば、空メールで結構ですから送って下さい。返信用のメールにPDFファイルを添付して返送いたします。ここにPDFファイルを添付しようと試みたのですが、出来ませんでしたので、ちょっと面倒なことになり済みません。自ら印刷していただき、ご署名いただき用紙にある宛て名へお送り下さい。何卒宜しくお願い申し上げます。
●署名用紙(A3版)にある鈴木君代さんのお願いの文章を載せておきます●

「井上嘉浩さんの死刑執行を回避するための恩赦を求める署名のお願いです。
〈 趣 旨 〉
2018年1月20日、オウム真理教の被告であり元信者の高橋克也さんの刑が確定しました。このことによって、1995年7月に始まったオウム事件の裁判は、22年6カ月を経て全てが終りました。共犯者の刑が確定するまでは死刑を執行しないことが慣例とされていますが、裁判の終結により、いつ死刑が執行されてもおかしくない状況になりました。
 私は、井上嘉浩さんと十年間にわたり東京拘置所で面会を続けさせていただいています。死刑判決を受けた井上さんを支援する会の通信『悲』に掲載された私の投稿文を読んだ井上さんから手紙が届き、交流がはじまったのでした。
 井上さんの存在を知ったとき、「京都で同じように悩みを抱えた一人の人間として、すれ違っていたかもしれない人」と私は思いました。幼少期から暗い闇の中で、「何のために生まれてきたのか」と道を求め、寺院を訪ね歩き、たまたま親鸞聖人の仏教に出遇えた私は、悩みながらも今、歩ませてもらっています。「どんな人に出遇ったか」、人はその出遇いによって一生が決まります。そして誰もが、思いどおりにならない現実の中で悩みを抱えて生きています。誰もが出遇おうとしても出遇うことの出来ない苦しさ、押し寄せる不安感、どうすることもできない孤独感と共にあります。
 井上さんは、高校二年生のとき、「何のために生まれてきたのか」という深い悩みの中で、オウム真理教に入会し、真摯に道を求めたからこそ、教団の要職を任されました。彼が高校生まで暮らしていた場所(京都市右京区)は私の生家の近くでしたから、尚更に他人事には思えずにいます。ですから、拘置所のアクリル板の向こうにいるのは、私だったかもしれないと思いながら面会しています。私と井上さんとは、たまたま出遇った人が、出遇った教えが違っていただけなのです。
 井上さんは、毎日、自分の犯した罪の重さに苦悩し懺悔されています。「二度と救済の名の下において、同様の事件が起きませんように、何度も自問せずにはいられません」と言われています。その存在は、誰の中にも在る闇を見つめさせ、常に、「どんな人も殺してはならない、殺さしめてはならない」と知らせます。同じように悩みを抱えた若者たちが、カルト宗教に向かわぬよう、再びカルトによる悲劇を繰り返さないために、被害者すべての人に贖罪しながら、一生、拘置所の中で深層を明らかにしてもらわなければなりません。
 1995年オウム事件以後、2001年9・11同時多発テロ、最近ではイスラム国の台頭により、一般に「宗教は怖い」と言われるようになっています。何が怖いのかを吟味することなく、「宗教は怖い」と線引きすることは、もっと怖いことだと私は思います。むしろ「何が人間を迷わせるのか」「何が人間を目覚ませるのか」をはっきりと見きわめる眼こそ宗教の本来であろうと思います。井上さんには自身の過ちを通して見えていること、真実を求めながらも流転し続ける人間の業について、語り部になっていただく使命があると私は信じます。
 井上さんには、宗教という名のもと、もう二度とあのような犯罪が起こることがないように、世界でも類を見ないオウム事件の真相を明らかにしつつ、決して償いきれるものではない重い罪を自らに受けとめ続けてほしい。そう願わずにはいられません。一審で無期懲役の判決を下した井上弘通裁判長は、「一人の人間として、自らの犯した大罪を真剣に恐れ、苦しみ、悩み、反省し、謝罪し、慰謝するように務めなければなりません」と言われています。 
 生きて償い続け、カルトの恐ろしさを伝えるために、死刑執行を回避し恩赦を求める署名をお願いするものです。                真宗大谷派僧侶 鈴木君代」
●2018年5月20日●
「なんやかんや、ありまして」。
Eテレの「デザイン・あ」の中のコーナーに、「なんやかんや、ありまして」がある。
トイレで手をかざすと、自動に水が出てくるやつ。手を出せば、水は出るという単純なことなのだが、実際には手を関知する赤外線センサーがあり、それを電気信号へ変え、水道からの水を開栓し、蛇口まで水を送る。洗い終わって手を引っ込めると、それを赤外線センサーが関知して閉栓するという複雑な機械だ。
そこで、「なんやかんや、ありまして」というメッセージが流れる。
今朝、トイレで自分のウンコを見たとき、「あっ、なんやかんや、ありましてだ!」と驚いた。これはトイレの水どころではない。口から入った食べ物が、ものすごく複雑な経路を辿って排泄される。これって「まさに、なんやかんや、ありまして」だ。食べ物がどこでどうなって分解され、栄養分が摂取され排出されるのか。
そんなことを意識は、まったく知らない。
結果は、単純なたったひとつ。しかし、そのための条件は無量無数だ。
これは何にでも応用できる。自分の人生の〈いま〉にも応用できる。
まさに、なんやかんやありまして、いまの年齢だ。
そして、今だかって生きたことのない、未知なるこの一瞬だ。
●2018年5月19日●
「まっさん塾」に行ってきた。
ここで話したものが、文字となり本となって結実している。前4回までは本になっているが、5回目は、まだ形になっていない。そして今回は第6回目だった。早く形にしてくれないと困るというプレッシャーが、まさに残雪のように溜まっていく。はやく第5回目のを形にしないと、どんどん上に積もっていき、やがて屋根が押しつぶされてしまいそうだ。雪かきを迫られた状況の中、圧迫感で生きている。
今回の「まっさん塾」は、何とも不思議な感じのする時空間だった。話し始めて、一時間半ほどたったのだろうか、何だか、まどろみの中にいるような、まさに聴衆と一緒になって温泉にでも浸かっている感覚だった。桑名の気温も高く、部屋の温度も高かったせいもあるのだろうが、そればかりではなかった。聴衆のたましいの熱気とでもいうようなものが感じられた不思議な時空だった。
話はダラダラと、いろいろな話題に展開していった。オムニバス形式の法話だったようにいまでは記憶している。その雰囲気が懇親会にまで影響を与え、まさにカーニバルのような興奮状態で、終焉した。おかげで、アルコール後遺症に悩まされているかたもいた。

いつも感じることだが、話し手は、「楽器」に過ぎない。聴衆のたましいの指によって、自由自在に奏でられる楽器に過ぎない。だから、私はいつも受け身でしかない。
前夜は韓国映画「新感染」を観ていた。ホラーのような、人情噺のような映画だった。あるひとから、「講演前夜なのに、映画なんか観てるんですか」と尋ねられ、私は「別に何も考えてないから」と答えた。それは奇を衒ったわけでもなく、正直な思いを返しただけだった。
私はいつも、何も考えてはいないと言ってみたものの、それは厳密な意味では正確ではないとも思っている。いわばことさら考えてはいないのだが、いつも気にかかっているものがあるのだ。海の表面は、さざ波やらうねりやらがあって意識は波立っているのだ。しかし、深海では、いつも同じ流れが流れている。その深海では、寝ても覚めても、いつも考えているのだ。いつも深海で考えているので、ことさら、取り立てて、講演前夜にあれこれと考える必要がないのだ。深海で考えることを親鸞は「憶念」と言ったのだろう。親鸞は、いつでも「寝ても覚めてもへだてなく」という世界を生きている深海生物だった。
そこには、海面のような風も吹かず、さざ波もない。いわば「無時間」である。いや、無時間ではないな。超時間だ。
マッコウ鯨は、深海に潜ってイカを主食にしているそうだ。深海に潜らないとイカには会えない。これは私と同じだと思った。
深海に潜らないと阿弥陀さんと出会えないからだ。
●2018年5月15日●
物語を受け入れられるのは、物語性を捨てているからである。物語を「物語」として受け入れるのではなく、物語を〈真実教〉の象徴として受け入れるからだ。
「物語」という言葉に抵抗感をもつひとは、「この世」の現実社会が、「実在」として存在しているという思いにマインドコントロールされているひとである。「宗教が『物語』を説くのは、なんかうさん臭い」と感じるひとは、自分の生きている現実社会が、真っ当で、客観的事実だと、固く思い込まされているからである。
この現実社会が、ありありと、いかにもリアリティーをもって感じられるのは、そういう「リアリティーを信じたいという宗教」に洗脳されているからだ。
〈真実教〉は「覚醒」の教えだから、その洗脳を解こう、覚まそうとする。しかし、そういう「宗教」に洗脳されているひとは、覚まそうとするものを許否し、拒絶し、殲滅しようとする。それが「承元(建永)の法難」という弾圧事件だった。
事情は、中世も、現代も、何も変わってはいない。
「孫」という、未開の生き物と接する時間が多くなった。公園の地面に広がっている砂利を、手で掬っては、掌からサラサラと地面に落下させている。掌に砂がなくなると、また同じようにサラサラと、愛おしむように落としている。
私は、その光景を眺めているうちに、縄文時代の原始人の時代にトリップした。この砂利を掌から、サラサラと落としている行為そのものは、恐らく原始未開の世界を象徴しているはずだ。私は、その行為を眺めて、うっとりしてしまった。うっとりし過ぎてしまい、意識が表層から深層へと落ちていくのが分かった。
孫の、そんな行為を、彼女が飽きるまで、いつまでもいつまでもさせておきたかった。それが永遠に続いているように、うっとりと眺めていた。見ているうちに、だんだん、眠気まで催してきた。いかんいかんと、意識を表層に戻そうとした。
孫の、その行為は、もしかしたら原始未開の「宗教行為」だったかもしれない。この行為に「無意味」とレッテルを張ったのは、現代人という名のつく「善人」だった。
「効率」とか「時間」とか「意味」とかいう、「善人」の作った「宗教用語」は、そんな厳粛な行為に対して、まったく太刀打ちできない。

そういう原始未開のたましいを回復する装置を、浄土教は「阿弥陀仏救済物語」として表現したのだろう。
貴方が原始未開のころから、心配されお世話になってきた仏さんがいるんだよと「物語」で教えてきた。現世の親は「仮の親」で、「本当の親」は、その仏さんなんだよと教えてきた。正確に言えば、「生んだ親」は現世の親、「生ませた親」が阿弥陀さんだ。
そして、その「本当の親」の言いなりになって、いままで生きていたんだよ。だから「自分の意志」で生きてきたのではない。その「自分の」というものも、そのように思い込まされているだけだ。身体のどこを切り刻んでみても、その「自分の」というものは取り出すことができない。「自分の」というのの原初は、免疫細胞の免疫システムじゃないかとも言われてきた。しかし、現代ではその免疫システム自身が瓦解し始めている。自分が味方なのか、敵なのか、もはやわからなくなってきてしまった。
全世界の政治状況がまさにそうではないか。自国の利益を追求しようとして、他国を圧迫することが、実は自国を傷つける結果になるという。奇々怪々な現象が起こっている。 もはや、いわゆる自国に対するアイデンティティは、自分を支える根拠にならなくなってしまった。「アメリカ人だから」「日本人だから」「中国人だから」ということが、そのひとを支える根拠にはならなくなった。まあ、それよりもう少し強固な基盤が「宗教」だった。「キリスト教徒だから」「ユダヤ教徒だから」「イスラム教徒だから」「仏教徒だから」
とか。西洋一神教は、淵源は同じで、「物語」を「物語」として生きようとしている。浄土教以外の仏教は、物語を捨ててしまった。親鸞浄土教、つまり〈真実教〉は、仏教を超えて物語性で信仰を表現してきた。人間は、本質的に「物語」を抜きに生きることのできない生物であるからだ。だからといって、西洋一神教のような、「物語」を「この世に実現しよう」とか、「この世」の成り立ちのすべてを、神という一神に還元して考えようとはしない。まあちょっと変な言い方をすれば、西洋一神教と仏教を淘汰したところに〈真実教〉を表現してきた。

さて、これからは、何が自我を支える根拠になるのだろうか。「日本人として」なのか、あるいは「人類として」なのか。
私は、それではまだ根拠の基盤としては弱いと思っている。究極的には「一切衆生人として」までいかなければダメだと思っている。〈真実教〉を生きる主体は「一切衆生人」でなければならないと思っている。
●2018年5月14日●
昨日は永代経法要だった。
講師は高柳正裕先生。愛知県からお越しいただいた。当初の予定では懇親会まで残られる予定だったが、12日に師である児玉暁洋先生がお亡くなりになり、急遽、帰路につかれた。先生のお話では、「死を分かったことにしているひとは、生も分かったことにしている」ということが印象的でした。生を分かったことにしているということは、自分は自分を知っている、人生を知っているという傲慢顔になっているということです。それで、親は子どもに向かって、自分は人生を知っている、お前より知っている。だから愛情でもってお前を導いてやる、お前のためを思って私はやってるんだ、だから従いなさいと暴力という名の「愛」を押しつける。
だから、〈ほんとう〉には知らないということを、ちゃんと知っていなければ、人間はいつでも傲慢に成り上がる。

なんか人間とは、真っ赤に焼けている鉄の棒ような気がした。いかにも元気そうに赤々と光っているが、だれもその鉄をもつことができないし、近寄ることもできない。もってしまったら、こっちが火傷してしまう。近づこうにも、熱くて近づくことができない。
灼熱の刃をクールダウンさせ、バケツの水に浸けることこそ、人生最大の課題だ。
焼けた鉄が水につけられたとき、ジューッという。これこそ人間の傲慢が阿弥陀さんに破られた、断末魔の叫びだ。ナンマンダブツという断末魔の。
●2018年5月12日●
森岡正博(早稲田大学人間科学部教授)の「宗教性を哲学者ばどう考えるか」を読んだ。
(『現代と親鸞』第36号(2017年12月号・親鸞仏教センター発行)この本の中で、森岡さんが次のように述べている。
「素人としての違和感をというものをもってもってしまうのです。それが、浄土真宗に戒律がほとんどないというところです。(略)実は、これが浄土真宗、あるいは親鸞というものの根本と繋がっている話ではないかと予感するので、最初にこの話をしたいと思うのです。その中で特に、お酒を飲むということが引っかかるのです。私の友人である淨土真宗のお坊さんもお酒を飲みます。これはもう皆さんいろいろな方から言われていますでしょうから、目新しいテーマではないとい思ますけれども、仏陀の五戒の中に「不飲酒戒」というものがありまして、お酒を飲むなと書いてあるわけです。」
「世界各地に仏教が広まっておりますけれども、世界的に見た場合、やはり飲酒をしないという戒律を守っている仏教徒が大変多いです。その中で日本では、そこがどうなのだろうかということは常に感じることです。そのときに、こういう主張を言われるのかなといろいろ予想するのですけれども、例えば、人間は弱いものである。そして、お酒は飲まないほうがよいことはわかっている。それでも止めることはできない。そういう煩悩具足の凡夫であると、その自覚からスタートするのが親鸞の教えだと。まさに凡夫であるから救われるというわけです。ですから、酒をんでしまうということを否定するのではなくて、酒を飲んでしまうことからスタートするのが親鸞の教えであると。
 ただ、もし仮にそういう説明を私が受けたとした場合、私は何かそこに引っかかりとうか、欺瞞を感じてしまうのです。
これはおそらく倫理とか、戒律などというものと救済、救いというものとの関係がどうなっているのかというあたりに納得できない部分があるからではないかと思います。
倫理や戒律を守る、守らないこととは無関係に救いというものは行われるというのが、親鸞の教えのかなり根本的なところではないかと理解しています。しかし、これが真宗を民衆に伝えていく際の躓きの石になっている可能性は十分にあると考えています。」 
「浄土真宗の特に大谷派の皆さんは、ハンセン病の差別問題ということに宗派をあげて取り組んでこられていることはよく存じあげております。自らの歴史を振り返る、大事な試みをされているわけですけれど、飲酒問題への取り組みはされているのでしょうか。」 
「これに対する理屈を予想してみますと、たとえば僧侶の方はこういうことをおっしゃるもしれない。絶対他力の信頼によって私は救いを得ている。また仏教僧侶として私は酒を飲まない。だけれども一般人と一緒にいるときには、きっと一般人が酒を飲むわけですら、一般人に疎外感とか圧迫感を与えないために、わざと彼らの習俗に合わせて一般人といるときは飲酒をするということを選びとっているのであると。そう言われると私は納得します。なるほどそういう深い配慮があって、一般の方と会食するときはお酒を飲んでいるのかと。あるいは、こういう理屈というものもきっとあるのではないでしょうか。
絶対他力への信頼というものによって救いを得ていること、それが一番大事なのであって、あとは現代社会の法と正義にのっとって生活をしていればよいのだと。現代社会におい飲酒は許容されているということですね。 
 また大谷派は特に、ことあるごとに死刑反対の声明発表をしておりまして、それを読たびに私は本当に力づけられる思いです。ただ、ここでも先程と同様のことが気になっしまうのは、その大谷派の方が死刑廃止をする根拠なのです。
 真宗は死刑反対をする理由がどこにあるのか。これは私の見たところ、それは現代世界に生きる人間としての倫理というところから出てきているのであって、真宗の宗教性から出てきているのではないのではないかと。そのように考えます。
 真宗の宗教的な教えへの核心部分というのは罪を犯しても、犯していなくともそれと救いは無関係であるというところにあるのだと私は理解しています。救いへの希求がある限りにおいて、罪を犯す、犯さないであるとか、それによって死刑を受ける、受けないであることと救いは別の次元で果たされる問題だとすると、実は死刑反対論理というのは真宗の宗教性から出てきているのではなくて、真宗の道を生きているひとたちが、この現代社会の一市民として生きるときの倫理観や人間の尊厳というような人間観・生命観から出てきているのではないかと思います。」
 まあ抜粋なので、すべてを知りたければ、本誌をお読み下さい。
 ここで森岡さんが、疑問に思っていることは、ごく普通に感じる疑問ではないかと思う。その疑問の切っ先を突きつけると、「真宗における倫理性はどうなっているのか?」ということになる。
 まあ最初の問題は「飲酒」ということで、これは釈迦が始めた仏教の初期に生まれた「五戒」のひとつであり、これを守っていないのでは仏教と言えないのではないか。それがハッキリしないから、真宗は民衆から見て得体の知れないものになっている。それこそが「躓きの石」だという譬喩で語っておられる。
 もうひとつは、ハンセン病問題と死刑反対問題に関わる真宗人の反対の論理が、現代人の倫理観から生まれてきているのであって、真宗教理の必然性から生まれているのではないのではないかという疑問だ。
 これも飲酒問題と同様に、なぜ真宗人はそういう行動を取るのか、その行動を取るときの基準とは何なのかという疑問だと思う。
 まあ、森岡さんは、真宗の教えについてあまり馴染がないようで、親鸞が「無戒名字」と述べていることを御存じないようだ。だから、釈迦の仏教を、仏教の正論だと考えてしまっているようだ。親鸞は釈迦の仏教を正論と考えていないので、そもそもの理解が混乱している。
「五戒」が生まれた経緯も、当初は原始教団の緩い決まり事として始まったものだろう。やがて、教団にはさまざまな例外事例が生じ、その例外を禁ずることで戒律が膨大なものに増えていく。戒律の「戒」は自戒であり、自分自身がこころに誓うこと、「律」は、規則であり、集団の秩序安定のための決まりである。
 戒律の当初は、健康そうに見えるのだが、やがて後期になってくると、戒律を守ることそのことが目的化して、本末転倒してくる。そして戒律を守るものが悟りに近く、守らないものが悟りから遠く置かれてしまった。だから、親鸞は戒律を守ることで、救いに近い存在と、そうでない存在が生まれるのは仏教ではないと考えた。それで自分自身を「無戒名字の比丘」と呼んだのだろう。大切なことは、「破戒」ではなく、「無戒」と言ったことだ。破戒は、「戒」のあることが前提になっていて、それを破るという意味だが、「無戒」とは、そもそも人間には「戒」ということが成り立たないという意味だ。それで、親鸞は『教行信証』化身土巻に、最澄の『末法灯明記』を引用して、無戒こそが末法における宝だと証明する。
 しかし、それでは無秩序にならないか、それが真宗なのかと批判を受ける。まあこれは真宗の系譜で言えば、「本願ぼこり」の問題と同じである。阿弥陀さんが救ってくれるのだから、あえて悪事を犯してもよいのだ、むしろ悪人を救ってくれる阿弥陀さんは、悪事を好むのだとさえ曲解した。
 無戒は、無秩序という意味では、まったくない。むしろ秩序を生む源が無戒という自覚である。この無戒の精神こそ、「恥ずべし、傷むべし」という親鸞の懺悔である。それは、親鸞が述べる言葉にも感じ取れる。
「凡夫というは、無明煩悩われらがみにみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと、水火二河のたとえにあらわれたり。かかるあさましきわれら」(『一念多念文意』)
 このように「あさましきわれら」という受け止めが懺悔である。この「あさましさ」は、阿弥陀さんのひかりを浴びたところから生まれる懺悔の言葉である。
 だから、なぜ酒を飲むのかと聞かれれば、それは人間にはわからないとしか言えない。あれこれと飲酒を正当化する論理はすべて欺瞞である。〈ほんとう〉は、なぜ人間が酒を飲むのかなど、人間にはわかるはずがないのだ。それをわかったようにしていうことはできない。いわば宿業因縁としか言いようがない。
 なるべく飲まない方がいいが、飲んでしまうのは煩悩のせいであり、その自覚から出発するのが真宗だなどいう論理は、自己正当化と自己弁護以外の何ものでもない。また、本当の飲むべきではないが、みんなと一緒に飲むときに、ひとりだけ飲まないひとがいると場の雰囲気を崩してしまうから、敢えて飲むのだというのも欺瞞だ。自分で飲まないと決めているのであれば、飲まなければよいだけの話だ。飲みたければ飲めばよい。それが仏法の道理だ。場の雰囲気におもねるというのは、大衆の無言の要求に応えようとする偽善の現れだ。この「大衆の無言の要求」に応えて、戦争翼賛していったのではないか。
 飲酒を「酒は百薬の長」と言ってみたり、「ストレスを取り除く妙薬」と言ってみたり、「人間関係の潤滑油」と言ったみたり、人間はあれこれと飲酒の言い訳を考える。何とも見苦しい。飲酒に理由などないのだ、飲みたいから飲む、ただそれだけ。他に理由はない。酒を飲むのも宿業因縁なんだ。飲むのがよいのか、悪いのかなど誰にもわからないことだ。これは原始未開の人類が、なぜ酒や麻薬などの毒を愛飲するようになったのかという問題にまで遡る問題なのだ。
 もうひとつ。死刑反対の〈真実教〉の根拠を考えてみた。
 まず、一切衆生は阿弥陀さんが救おうとする悲愛の掛かった存在である。阿弥陀さんが私を愛するように、その被疑者をも愛しておられる。それなのに、被疑者を殺させるということは、阿弥陀さんの愛を裏切ることになるから。
 いのちは阿弥陀さんのものであり、人間の所有物ではないから、被疑者本人が、罪を感じて「死にたい」と訴えたとしても殺してはならないのだろう。
 死刑がよいことなのか、悪いことなのか、本当のところは分からない。ただ、私はよくないことと思っているというだけのことだ。ここにも一人称・二人称・三人称の意味場があって、自分が犯罪の当事者であったらどうか、被害者であったらどうか、第三者であった場合はどうかという意味場で、意見が違ってくることも考慮に入れておかねばならないだろう。
 
もうひとつ「南無阿弥陀仏こそが倫理の源泉」であると言っておきたい。
これこそ禁止事項を持たない自律的倫理感の誕生だ。
 歎異抄には、「自然のことわりにて、柔和忍辱のこころもいでくべし。」(第16条)と出ている。第6条には「自然のことわりにあいかなわば、仏恩をもしり、また師の恩をもしるべきなりと」とある。この「自然のことわり」こそが倫理の源泉である。
 この「ことわり」に適えば、自律的に「柔和忍辱」、つまり「柔軟で穏やかなこころが生まれ」、「忍辱」とは、「たとえ苦しみの境遇にあっても、その苦しみとひとつになってそこを逃げずにちゃんと受け止め立ち上がるこころ」である。さらに、「仏恩と師の恩」だから、阿弥陀さんへの報恩感謝の思いも、そして、そこへ導いて下さった師匠の御恩をも一生涯忘れないで生きるようになることである。この「自然のことわり」こそがもっとも大切な倫理の源泉である。
 もうひとつの源泉は、次の親鸞の文章である。
「われはこれ賀古の教信沙弥 この沙弥の様禅林の永観の『十因』(往生十因)にみえたり の定なりと云々 しかれば、縡(こと)を専修念仏停廃のときの左遷の勅宣によせましまして、御位署に愚禿の字をのせらる。これすなわち、僧にあらず俗にあらざる儀を表して、教信沙弥のとくなるべしと云々 これによりて『たとい、牛盗(うしぬすびと)とはいわるとも、もしは善人、もは後世者、
もしは仏法者とみゆるように振舞うべからず』とおおせあり。」(『改邪鈔』)
 犯罪者と言われるよりも、念仏者とか仏法者と見られることの方がもっと悪いと親鸞は言っているのだ。ここで何が言いたかったのかを考えてみた。
 突き詰めて考えてみると、「牛盗」とは、何の象徴かと言えば、自分で自分自身を「自己規定」できない存在のことだ。仏法者とは、自分で自分のことを「仏法者」だと自己規定でき、自認できる存在のことだ。自分で自分自身を自己規定できる能力のある存在を「仏法者」と親鸞は見ている。自分は「聖なる者」の領域にあって、これでよしと自認している人間のことだ。自分で自分のことを自己規定できるのであれば、何も阿弥陀さんは必要ないではないか。だから〈ほんとう〉は自分は「自分」のことをひとつも知らないのだ。
 つまり、生きる主体としての自己を、阿弥陀さんに明け渡した存在に、親鸞は「教信」を見ていたということだ。阿弥陀さんが自己に乗り移り、「自己」が客体にされたのだ。
 そうなってくると、「我に真無し、故に自由」という言葉が輝いてくる。
「自己」には一切の真実はないのだ。真実はないと阿弥陀さんから教えられ続けるのだ。阿弥陀さんから、そう言われると、自分は完全な「偽」になることができる。「偽善」に安住することができる。それこそが「自由」の源泉である。
 その「自由」は欲望の自由ではなく、「仏の捨てしめたもうをば捨て、仏の行ぜしめたもうをば行じ」という善導の言葉が象徴しているような精神生活が始まるということだ。
 生きる主体が阿弥陀さんになり、自分は真っ黒な偽善に棲み分けされてしまったのだ。
●2018年5月10日●
満員電車の中で、ほとんどの乗客は、スマホをいじっていた。
本を読むひとも、新聞に目を通すひともいない。ただひたすら多少うつむきながら、片手でもったスマホに目をやっている。メールを打つひとはすくないようだ。むしろ、ひたすらスマホのガラス面に指を滑らせている。
この光景に、ずっと違和感を感じていた。おそらくスマホをいじっているご本人は、そんな違和感などないに等しいのだろう。
そして、ずっと、この違和感が、私の身体深くで疼いていたのだろう。そして、ハッと気付かされた。
これは、まさに出家精神のあらわれではないか、と。
満員電車は、まさに娑婆そのものだ。過密な人口の中で息苦しいような無言の娑婆が展開している。この裟婆の息苦しさから解脱したいという欲求が、あのスマホいじりに象徴されているのではないか。
だから、やっぱり、自分だけの「一人一世界」を欲求しているのだ。
そうなのだ、そうに違いない。
どれほど息苦しい娑婆にあっても、「いま・ここ・わたし」だけの世界を獲得したいという欲求だ。それも、「やがて」ではなく、「いま、即座」でなければ、我慢できないのだ。
頓速でなければ、ならないのだ。
ああ、私は見間違っていたのではないか。スマホに依存しなければ生きていけない病的な人間たちだと思っていたのではないか。その見方は間違っていたのではないか。
むしろ彼らは、いま、ただちに、この娑婆の鬱陶しさから解脱して、自分だけの「一人一世界」を獲得したいという欲求のあらわれだったのではないか。
自分でも抗うことができない菩提心の欲求につきうごかされて、ひたすらスマホのガラス面を指で擦っているのだ。
満員電車の乗客たちは、スマホ依存の病的人間ではなく、むしろさとりを求める菩薩たちだったのではないか。
〈ほんとう〉の情報がほしいのだ。〈ほんとう〉に、いま・ここ・わたしが心底うなずけるような情報がほしいのだ。
●2018年5月8日●
「私は淨土から来たのだから、一生が終ったら淨土へ帰るのだ」という言い方は、間違いじゃないか。
高僧和讃で法然を讃える親鸞は「阿弥陀如来化してこそ 本師源空としめしけれ 化縁すでにつきぬれば 淨土にかえりたまいにき」とか「本師源空命終時 建暦第二壬辰歳 初春下旬第五日 淨土に還帰せしめけり」と歌っている。
「淨土に帰る」とか「淨土に還帰」するというのは、親鸞のいただいている法然像で語りうる言葉だ。我々、一般大衆には当てはまらない。
だからといって、よくご住職が亡くなったときの挨拶文に、「お浄土へ還帰された」と記されていることが間違いとはいえない。やはり、それは、自分から見て、向こうにいるひとに対して、用いられる言葉だからだ。ただし、自分自身のことを、自分が表現する言葉としては間違いだと思う。
自分自身のことに関しては、徹底して「往生」というような言葉で言い表すべきだろう。なぜ、「往生」のように、こちらから向こうへ行くという意味場で語るのかといえば、自分はもともと淨土の住人ではないからだ。もともと淨土の住人であれば、そこへ帰るということも成り立つが、自分は淨土の住人ではないのだから、「帰る」という言葉は不適当だ。
しかし、そこをもっと深く掘っていくと、また違った考えも浮かんでくる。
私は「弥陀成仏のこのかたは、いまに十劫をへたりまえ」(『讃阿弥陀仏偈和讃』親鸞)と「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫より已来、常に沈み常に流転して出離の縁あることなき身」(『歎異抄』)が対応しているように感じている。
曠劫已来、流転してきたということは、「十劫」という言葉と同じ長さを言っている。自分が迷ってきた時間は、この世に生まれてからなどという短い時間ではなく、それこそ「曠劫」であり「十劫」である。そうなると、自分の曠劫の時、阿弥陀さんが関わっていないということはないのだ。この世に誕生してから、阿弥陀さんと関わりだしたのでなく、「十劫」の昔、「曠劫」の昔にまでご厄介になっていたということだ。
そうすると、阿弥陀さんがおられるのは淨土だから、自分を淨土にいたんじゃないかという考えにも流れやすい。ところが、それは違う。阿弥陀さんがおられるところは、お浄土ではなく、娑婆だからだ。もしお浄土に阿弥陀さんがいたとしても、阿弥陀さんがするべき仕事はない。なぜならば、淨土は救われたひとたちの場所であって、いまだ救われていない人などいないからだ。阿弥陀さんが必要としている場所は、地獄の最下底でしかない。そこで苦悩する存在ひとりをも残さず救わなければ、私は阿弥陀失格だと誓われているのだから。
地獄の底におられて、その地獄を支えておられるのが阿弥陀さんだ。
そこまでいけば、もはや「帰ろう」が「往生していこう」が、どっちでもよいことになる。どんな言葉を用いて、それを語ってもよいのだ。だいたい、阿弥陀さんしか、私が死んでどこにいくのかを御存じないのだから。親鸞も、門弟に、先に行って待っていてねとも言うし、自分が先にいったら待ってるからねなどとも言っている。そこに「往生のファンタジー」が無限に広がっていくのだ。
そうそう、「真宗は『死なない』宗教」だから、私はやがて「あのひとが死んでいったように死ぬ」ことはない。「死ぬこと」は決して、絶望感でとらえるべきことではない。実は、その絶望感こそを打ち砕き破壊していかなければならないのだ。
打ち砕くというのは、大げさだな。正確には、阿弥陀さんにおまかせしていくということに尽きるのだ。
 だから人間は、どっち向いて生きているのか、自分ではわけもわからず、ただ迫りくる娑婆の要請に応じているだけの「根無し草」なのだろう。
●2018年5月6日●
今朝のお朝事で、御文の拝読を聞いているとき、ふと目を上に向けてみたら、自分の出した本の束が、目の前に積まれていた。これだけ世に出してきたんだなぁと感慨に耽りそうになった。しかし、そんなことを考えていたとき、間髪を入れず「こんなもんは、紙の束に過ぎん!焼けてしまえば、すべて無くなってしまうではないか!」と阿弥陀さんの声が聞こえてきた。
そして次にやってきたのが、「焼けても失せぬ重宝は、南無阿弥陀仏なり」という蓮如さんの言葉だ。
一番新鮮な〈ほんとう〉の言葉は、いま、私の口をついて出た、ナンマンダブツしかない。もう口から出てしまったナンマンダブツは死語だ。出てしまったら死体になってしまう。
こんなに足の早い言葉はない。口をついて出たら、もはや腐っていく。鮮度だけがいのちだ。
だから、誰も〈ほんとう〉の念仏など称えたことはないのだ。お釈迦さんでも法然上人でも親鸞聖人でもだ。人間が称えられるような念仏は、すべてカスだ。

〈ほんとう〉が言葉になったとたんに、腐るということは。一面ではひとを受け入れるのだが、一面ではひとを拒絶するという言葉だ。浄土真宗に馴染んだ人間に、南無阿弥陀仏は快いが、日蓮宗で育った人間には不快だろう。まして外国人には意味不明な呪文にしか聞こえないかもしれない。
だから、何も言わないのが一番よい。言葉にならないのが一番よいのだ。純粋とは、そういうことだ。
しかし、では、なぜ、そんな危険まで犯して、敢えて言葉になって下さったのか。それは、他ならぬ、貴方のため、私自身のためなのだ。あなたのいのちは、あなたのものでは決してない。そうやって教えてくれるためだ。それ以外に、南無阿弥陀仏は意味はない。

「いわれなき
ひとのいのちと
そいたまう
かたじけなさに
なみだ
こぼるる」か。
●2018年5月5日●
テレビをつけたら、あのマンガ「進撃の巨人」の作者・諫山創が出ていた。なんと、あのマンガ、7400万部を売り上げたそうだ。
チャンネルを変えられなかったのは、彼が大分県日田市の出身だったからだ。日田盆地の風景が、四方を山々に囲まれ、ちょうどあの「進撃の巨人」に出てくる「壁」を連想させた。これが諫山さんの心象風景だったようだ。日田は、連れ合いの父、つまり義父の若いころの赴任地でもあり、実家の宇佐からも近いので、何度か訪れたことがあり、すごく馴染があった。
諫山さんがインタヴュアーから聞かれていた。「進撃の巨人」で何を表現しようとしたのか?と。ここからは、私の受け取ったところの彼の表現だから、正確には違っていることを断って述べてみたい。
日常生活に対する違和感を表現したかったようだ。「壁」の中の日常は、ごく普通のありふれた日常だが、どこかに違和がある。つまり「壁」の外を覗くことができないし、語ってもいけない。そこは危険な非日常の巨人の住む空間だからだ。主人公は、その日常に対しストレスを強く感じだす。あるとき巨人が壁の向こうから壁を破って、人間の住む場所へ侵入してきて、人間たちを喰い殺す。その巨人と主人公は戦っていく。
物語は、まだ連載中で、終ってはいないようだ。直に結末を迎えるらしいが。

もうひとつ印象に残ったところがある。それは主人公が巨人たちと徹底的に戦っていくのだが、実は、主人公も巨人に変身する能力をもっていたことが判明したこと。そして巨人になった主人公が住民たちとの軋轢から、今度は、巨人として敵視されていく。いままで巨人は外敵だったが、今度は、自分が逆に外敵にされてしまう。
諫山さんは、我々は、ついつい自分が被害者であるかのように思って暮らしているが、あるとき、自分の中にある加害性が目覚めるときがある。いままで善人であり、被害者だと思っていたが、実は加害者だったという、そういう逆転を描きたかったとも語っていた。

そして、究極的に何が描きたかったのかというインタヴュアーへの応答として、諫山さんは、「わからない」と答えた。何か、理由もなく自分を圧迫してくるものに対する反発を描きたかったのではないかと、いかにも他人事のように語った語り口が素晴しかった。
なぜ他人事だったのか。それは〈ほんとう〉の表現の能動者は、わからないからだ。ただ作者は、その能動者からの促しによって、手を動かされ描かされていくだけだからだ。
これはうがった言い方でいえば、「如来回向」である。

また「壁」の中の生活とは、我々現代人が住んでいる日常そのものではないか。巨人が何の象徴かといえば、「老・病・死」であり、「四苦八苦」の象徴である。だから巨人という外敵は、実は外にいるのではなく、我々自身の内部に潜んでいるということだ。自分自身の存在が死へ向かって一歩一歩、歩いている姿だからだ。だから、いくら「壁」の内部の暮らしが、ありふれた日常だとしても、それは言い知れぬ危機感を土台にした日常だったのだ。
さらに、被害者と加害者の問題でいえば、これは歎異抄第3条の「善人・悪人」問題そのものだ。現代人は、自分は被害者であり、善人であり、悪いやつは外部にいて、自分は決して加害者ではないという意識で生きている。その被害者が実は、一番危ない加害者だったと教えるのが歎異抄だ。そう考えていくと、「進撃の巨人」とは、現代において、まさに歎異抄のテーマを赤裸々に問題提起している書ではないかと思い至った。
だから、7400万部も売れているのだろう。それは、抜き差しならない自分自身の問題を問い詰めいる書だからだ。その、ことばで表現することのできない圧迫感と恐怖感とストレスを諫山さんは、マンガという象徴的媒体で、現代人に突きつけている。

●2018年5月4日●
目が覚めて見れば、なんということはない、生まれる前から回心していたのだ。
回心という宗教的覚醒が、いつ起こるのか。いつか起こるのか。それまでは、自分は、まだまだ信仰が徹底していないと思っていた。もし回心がなければ、自分の人生は、まったく無意味だとさえ思っていた。
その回心という人生における一点がなければ、この世のあらゆる価値を手に入れたとしても、それはすべて虚しいことだと思っていた。
そして、この世のあらゆる「楽しみ」が、すべて色あせていった。それでもこの世を生きていれば、「楽しいこと」がある。テレビを観ていて、思わず笑ってしまったり、食べた料理が、ものすごく美味かったり、あまりに天気がよく、ウキウキした気分になったり。しかし、そんな上機嫌な自分を発見したときこそ、決まって、地べたに叩き落とされた。どれほど上機嫌でも、回心の一点を体験しなければ、人生のすべては無価値だからだ。
そうなると、今度は、日常の中で、上機嫌を恐れるようになる。浮ついた気持ちになったときほど、地べたに叩き落とされるのだから、浮足立つこころを起こさない。用心して、上機嫌にならないように、いつでも自分のこころを監視するようになる。
このノイローゼは、親鸞も、そして宮沢賢治も体験したことだと、同病愛哀れむことが、いまはできる。
そのこころは、〈いま〉を許否するこころから、起こっていたのだ。親鸞の分析だと「第19願」というノイローゼだ。気がつけば、いつでも〈いま〉は、まだ回心を体験していない。だから、「いつか」「やがて」と回心を先送りしてしまうのだ。
阿弥陀さんは、〈いま〉と言っているのに。私は〈いま〉ではありませんと拒否し続けるのだ。そうやって阿弥陀さんに抵抗し続けるのも、やはりいまから思えば、必要なことだったのだ。
目が覚めてみれば、生まれる前から私は回心していたのだ。阿弥陀さんに心配され続けていたのだから。阿弥陀さんの心配を「回心」というのだ。まったく、人間がこれから体験するようなちっぽけなものではない。
いつでも「こころをひるがえせ」という命令が「回心」なのだ。真実に帰れ、目を覚ませと命じられ続けることだからだ。
生まれる前から、私は阿弥陀さんの前に立ち尽くしていたのだ。そして、それは〈いま〉もずっと同じだ。阿弥陀さんの前ににいる自分は、決して流れない。時間が永遠に止まっている。これが〈ほんとう〉の時間だ。
人間が感じている「時間」は、第19願が感じている時間だ。親鸞が「時剋の極促」と語ったのは、それではないか。
「即」の言は、願力を聞くに由って、報土の真因決定する時剋の極促を光闡せるなり。」と言い、「「一念」は、これ信楽開発の時剋の極促を顕し、広大難思の慶心を彰すなり。」と『教行信証』で述べている。
 この「時剋の極促」とは、「時とは、究極のご催促」という意味だ。私たちが感じている「時間」の本質は「究極のご催促」、つまりこの時間こそが、阿弥陀さんのご教示という意味だ。
阿弥陀さんの時間は、いつでも「ただ〈いま〉」だが、人間の時間は、いつでも「いつか」なのだ。
この永遠の乖離の一点が、阿弥陀さんに出遇うところだった。
流れていく時間を生きる人間に、決して流れることのない〈いま〉を与えようという、「究極のご催促」だったのだ。
●2018年4月30日●
住職修習でのこと。
私は、総代さんたちに、「自分は、仏法の話で飲める総代さんが一番好きです」とお話した。まあ、酒を飲む飲まないはさておき、仏法の話で、にこやかにお話ができる関係が一番好きだと。
その話を聞いて、総代さんたちが、「住職と仏法の話ができる」とはどういうことかと問題になったそうだ。
そして、「そりゃ、お経の話をするということだろう」という意見もあったそうだ。
それを聞いていて、私は、こう思った。
「お経の話なんて、つまらないなぁ」、「まあ、仏法の話をするとは、どういうことなのか?と住職さんと話してみたらどうだろうか」とも思った。
それで、ああは言ってはみたけれども、改めて、「仏法の話ができる」とはどういうことだろうかと考えてみた。
そしてよくよく突き詰めてみたら、どうも話のネタのことではないらしいことが分かった。そうではなくて、そのひとの「こころの構え」のことではないかと思った。つまり、同じように阿弥陀さんの方を向いている「こころの構え」なのかどうかということだ。
その「こころの構え」さえ同じ方向に向いていれば、話のネタは、どんなことでもよいのだ。
またネタとしては、親鸞というひとが、そこでどんなことを考えたのか、なんでそんなことを言ったのかと、俎上にあげてもよいだろう。ネタは多種多様だ。
これは聞いた話だが、かつての専修学院院長・信国淳先生と、親友のように付き合っておられた仏者・安田理深先生が、学院の報恩講で隣り合わせに会食する場面があったそうだ。それとはなしに、お二人の会話が耳に入ってきた。お二人は、さぞや仏法について深い会話をされているのだろうと思って聞いていたが、そんな話はまったくなかったというのだ。「あのお店の〇〇は美味しい」とか、「どこどこの〇〇はよかった」とか、いわゆる世間話だったそうだ。
それを聞いて、私はそうだろうなと思った。話のネタはどのようなものでもよいのだ、その方と「こころの構え」が同じ方向を向いているのであれば、どんな話でも、それは仏法の香りのする話に転ぜられるのだ。
「こころの構え」は、決してひとに教えることはできない。一人一人のことなのだ。
●2018年4月29日●
 京都(本山・東本願寺)での住職修習(二泊三日)に行ってきた。住職修習とは、新しく住職さんになる方々の研修会で、本山では、毎月の26日~28日までの二泊三日で行っている研修である。
 全国から、様々な事情で新住職になろうと志されている方々が集まった。現住職が高齢で、息子さんが住職を継ぐために来られた方もある。また定年退職するまでは公務員をされていたが、この度の退職で住職を継ぐことになった方もある。あるいは現住職が急逝され、急遽、住職になる方もおられた。門徒数もまちまちで、寺を専業にされている方も、また兼業で凌いでおられる方もおられる。
 面白いのは、新住職が、必ず「帯同者」を1名伴って参加する決まりになっているところだ。だいたいは寺の「総代」さんが来られるが、様々な事情で総代さんが来られない方もいる。高齢であるとか、あるいは寺の内部で様々な事情があって、代理の方を帯同されている方もいた。
 初めは、住職班と総代班の合同の講義になったが、二日目は住職班と総代班とが別々の講義になる。班別座談会の時間もたくさんあり、その中で、ある総代さんが「住職の研修なのに、なぜ我々まで来なければいけないのだ?」と愚癡とも疑問ともつかないことを言われていたという。その疑問もさもありなんと思った。
 しかし、真宗寺院は、僧俗共々の協力によって成り立ってきたという事情がある。決して、寺に住む人間たちだけで寺を維持運営してきたわけではない。東本願寺第12代の教如上人が、現在の東本願寺がある京都烏丸七条の土地を徳川家康が寄進されたときのことが思い出される。家康は、伽藍も建ててやると申し出たのに、教如上人はそれを辞退し、土地は有難くいただくけれども、伽藍は門徒の手によって再建いたしますと申したそうだ。さすがに、真宗は僧俗を超え、門徒の手によって成り立ってきたのだという伝統を守ったのだ。
 住職も総代も、共に「住職の仕事とは何か?」「寺は何のためにあるのか?」「総代の仕事とは何か?」と、二泊三日考え抜いた。
 研修開始当初は、みんな「住職って、そんなに責任が重たいのか。住職になるって大変じゃないか。ここに来るまで、そんなことは考えていなかった。」などと戸惑っていたようだ。しかし、後半には、徐々に煮詰まってきて、「住職をやってみよう。やれそうな気がする。いろいろと試してみよう。門徒に声をかけていこう。開かれた寺にしよう。」などと積極的になってきた。
 寺は必要とするひとのためのものであり、究極は「真実信心の畑」である。通夜・葬式・法事・月参りなども大切な仕事だが、中核は、「信心の畑」ということだ。その畑を耕し続ける農業が、真宗寺院ではないか。だからまだ、発展途上なのだ。
 私は「真宗大谷派」の間に点を打って、「真宗・大谷派」と黒板に書いた。「真宗」と「大谷派」の意味がまったく違うからだ。みなさんはこれから研修を受け、28日には住職任命式を経て住職になります。「大谷派」という組織としては、それで晴れて「住職」だが、「真宗」という視点から見たら、それは違う。「真宗とは、〈ほんとう〉か?」という問いかけであるから、「あなたは〈ほんとう〉の住職か?」という問いかけを受け続けることである。そうすると、ひとりも「〈ほんとう〉の住職になりました」と過去形で語ることが許されない。「住職になりつつある存在」ということになる。
 そして、住職とは、人類の一番先頭に立って、「死ぬのに生きる意味はどこにあるのか?なぜ生きるか?」と問う人間のことであるとも語った。人間から問いが始まるのだが、やがてその方向が変わり、人間が問うのではなく、人間が問われるという状態になる。仏さんから問われるという方向へと変わってくる。
 だから、「住職」だからとか、「総代」だからとかという問題ではない。本当は、「人間に成るとはどういうことか?」ということを学ぶ研修だったのだ。もっと根源的なことを学ぶ場所だから、帯同さんも対象外では、まったくないのだ。

 いろんなことを考えさせられたが、以下に思いついた言葉を記してみた。

●「住職」は成っていくもの。
だから、いまだに、「成った」ひとは一人もいない。むしろ、「成って」しまったら住職失格である。
これは阿弥陀さんと同じだ。まだ阿弥陀さんは仏には、「成って」いない。阿弥陀さんに成ろうとしている法蔵菩薩だ。
阿弥陀さんに「成って」しまったら、阿弥陀失格だ。
成らしめようとする願いだけが、〈ほんとう〉なのだ。

●真宗の寺は、「問われる場所」だ。
寺とは何のためにあるのか。住職のほんとうの仕事とは何かと、つねに問われる場所だ。
しかし、それは寺ばかりではない。寺を出て、他の場所でも同じように問われる。
なぜ生きるのか?という問いは、人間である限り避けて通れない問いだから。それを人類の最先端で問う場所が「真宗寺院」だ。

●人間の考案した研修は、二泊三日ですが、阿弥陀さんの研修は、一生涯です。

●住職とは何か、総代世話人とは何か?について、これほど人生で考えたことはないでしょう。
しかし、この問いは、住職、総代世話人にとどまるものでなく、人間とは何か、私とは何かにまで通じる問いである。

つまり、いま、ここ、わたしの境遇全体が、「なぜ?」と問われているのだ。
これは問いのみしかない。
自分が問うのではない。問いの主体は阿弥陀さんだ。
わたしは全身全生活をあげて、それに答えるのみだ。
それを「因位に生きる」という。

●いま、ここ、わたしが、必然だったのだ、という仰せを聞き続ける。
 いま、ここ、わたしが、一生涯、偶然としか感じられない人間だから。

いま、ここ、わたしが、全体を受け止められてしまったら、阿弥陀さんの仕事がなくなる。

●あの世とこの世をともに超える。
 住職とは この世のものでなく、あの世のものになること。
「善悪のふたつ総じてもって存知せず」だ。

この世がいいのか、あの世がいいのか。
ほんとうは分からないのである。

分からないと阿弥陀さんから教えてもらうのだ。

●自力はダメなんですか?という問い。

それに対して、他力がなければ、自力を尽くす基盤がないとか。
他力に安んじて自力を尽くすとか。
いずれにしても、自己正当化の文脈に置き換えようとする傲慢さがある。

すべて自己正当化の文脈だ。
他力をも自力の文脈におき直し、自分の不安を払拭したいのだ。
「ああ、そういうことだったんですね」と理解して安心した途端に、法蔵菩薩のご苦労が踏みにじられる。

●自力は「思い」。
 他力は「行為」だ。
●2018年4月24日●
なぜひとは、「善」がほしいのだろうかと問われた。
私は、それに「人間は不安だからです」と答えた。
不安なものだから、善という虚飾、富という虚飾、健康という虚飾、名前という虚飾、やり甲斐という虚飾がほしいのです。
それらを身にまとわせてみても、所詮、マルハダカなんですから、無意味なことです。
阿弥陀さんは、「あんたは、もともとマルハダカじゃないかね」と問いかけ、
「あっそうでした!マルハダカでした」と私は頷くだけです。

私自身は、「中空構造」なのでした。
中空構造だから、その中を自由にいろんなものが流れ、透っていけるのです。
煩悩も通れば、阿弥陀さんもすり抜けて、透っていくのです。
●2018年4月20日●
お皿に残っていた、ちりめんじゃこ。
カボチャの煮物に混じり込んでいたちりめんじゃこ。
そのじゃこを箸の先でつまんで、口に放り込んだ。
あっ、ちりめんじゃこの、あの胡麻粒ほどの目と、会ったような気がした。
お前、俺を食うんだな。
そう聞こえた。
もう、そのときには、奥歯でじゃこを、噛みつぶしていた。
あいつの、一生を喰ってしまった。
あいつの肉を、おのれの肉に変えてしまうのか。
もう、あらゆることに手遅れだと、思い知らされた、朝。

罪が深くなれば、深くなるほど、いのちの根っこが太くなる。
罪と共に、いのちの大地へ降下していく我。

●2018年4月15日●
昨日は、梛野先生の「聖徳太子伝の絵解き説法」をお聞きした。三河の御自坊から、六幅の掛け軸を車に積んで、東京までお越しいただいた。大変なご苦労をお掛けした。
太子は、日本人にとっては馴染深い存在で、日本人のこころの拠り所にもなっているようにさえ思える。大勢のかたの話を一度に聞き分けたので、「豊耳」とか「八耳」とか呼ばれたとか。文武両道の才能の持ち主だったとか、彫刻や大工さんにも尊い存在として祀られている。
親鸞も、太子を激愛している。父の如く母の如くに愛している。また日本に仏教を伝来させた功労者としても尊崇している。親鸞は幼くして母を亡くし、父とは別に暮らしていたらしく、両親に対する愛情を太子に向けていたようだ。私は、親鸞にとっての太子を「元型アーキタイプ」と考えている。
だから、親鸞の内面にある太子は、観音のイメージだったのだろう。和讃には「救世観音大菩薩 聖徳皇と示現して 多々のごとくすてずして 阿摩のごとくにそいたまう」と詠んでいる。多々は「パパ」だし、阿摩は「ママ」だ。救世観音とは、世を救う観音だ。その観音が聖徳太子として現世に表れ、パパやママのように護り養育して下さるという。
昨日の絵解きでも触れられていたが、親鸞の19歳と29歳の夢の告げは、聖徳太子が深く関わっている。
19歳の「磯長の御廟の夢告」は、「叡福寺(えいふくじ)」にある。ネットを調べると、次のようにあった。「大阪府南河内郡太子町太子にある仏教寺院。聖徳太子の墓所とされる叡福寺北古墳(磯長墓〈しながのはか〉)があることで知られる。山号は磯長山(しながさん)、本尊は如意輪観音である。開基(創立者)は、聖徳太子または推古天皇とも、聖武天皇ともいわれる。」
親鸞は、比叡山からここまでやってきて、三日間ここで参籠したという。そこで受けた夢の告げが、「聖徳太子 善信ニ告勅シテ言ク 我ガ三尊 化塵沙界 日域大乗相応地 諦聴諦聴我ガ教令 汝命根応十余歳 命終速入清浄土 善信善信真菩薩」(三夢記より)である。
「聖徳太子が、善信(親鸞・つまり私)に告げておっしゃった。私(弥陀・観音・勢至)は砂粒のように遍満する世界を教え導く。ここ「日域(日本)」は、大乗仏教が説かれるに相応しい場所である。あきらかに聞け、あきらかに聞け、私の教えである命令を。お前のいのちは後十年足らずだ。いのちを終えたら清浄の淨土へ、すみやかに入りなさい。善信よ、善信よ、本当の菩薩よ」という意味だ。
親鸞は比叡山に入山して、10年が経っている。そのときの親鸞の求道的課題はどういうことだったのかはよくはわからない。誰を師匠として学んでいたのか。伝記には様々な仏教を勉強していたと書かれているが、どうも師が明確に示されていない。後に七高僧として選ばれる源信にしても、過去の人物だから、直接会うことはできなかった。何かもうひとつ仏教の核心を掴むことができなかったのだろう。
その求道の煮詰まりが、聖徳太子の廟所での参籠を促したのかもしれない。それを観音菩薩の化身である聖徳太子に聞きたかったのだろう。最後の「善信善信真菩薩」をどう読むかというのも問題のようだ。「善く信ぜよ、善く信ぜよ、真の菩薩よ」と命令として聞くか、あるいは「善信」は親鸞の房号だから、「善信よ、善信よ、真の菩薩よ」と読むか。まあそこはどちらでもよいような気がする。
それよりも、この日本が大乗仏教が説かれるに相応しい場所であり、親鸞のいのちがあと十年ほどしかないという、死刑宣告のような内容である。
それから10年ほど経って、親鸞が28歳のときには比叡山にある大乗院で、如意輪観音から、再び夢の告げを受け、さらに29歳のとき六角堂で夢告を受けるという流れである。この三夢記は、偽作ではないかという説もある。
因みに28歳の夢告は「如意輪観音 自在大士 告命シテ言ク 善哉善哉 汝願 将 満足 善哉善哉 我ガ願 亦 満足」とある。「如意輪観音が、告げられた。いいぞいいぞ、お前の願いは、もうじき満たされるであろう。よかったよかった、私の願いもまた満たされるだろう」という意味になろう。これも観音菩薩からの夢告だ。
磯長の夢告から十年ほどで、如意輪観音からの知らせがあり、とうとう29歳に親鸞は六角堂で、通称「女犯偈」(六角堂夢想偈)を受ける。この夢告を受けて師の法然のもとへ入門したという伝記もあるし、すでに法然の弟子となってから夢告を受けたという伝記もある。あるいは兄弟子の聖覚法印の導きで法然の門下に入ったという説もある。そのへんはよくわかっていない。
 29歳で受けた夢告は、六角堂である。この寺は聖徳太子が建立したことになっている。「三夢記」には、こうある。「六角堂ノ救世大菩薩、告命シテ善信に、言ク 行者宿報設女犯 我成玉女身被犯 一生之間能荘厳 臨終引導性極楽」。ここでは救世菩薩が告げている。
親鸞にとって聖徳太子は、両性具有の観音菩薩として、彼を導いていったのではないか。「夢告」というのは、現代人が見る夢とはちょっと違っていたらしい。必ず行者は、求道的課題をもって堂に参籠する。だから、参籠するときには、仮眠状態で御告げを待つのだそうだ。ただお堂で眠っていたら夢の告げを受けたというのとはわけが違う。必ず求道的課題がある。それは行者にしかわからないのだ。
また、行者であっても、夢告はイメージとして受け取るもので、それを言語に変換するときには、どうしても知の脚色が入る。これは現代人の私にもよくわかる。夢の内容を他人に語るとき、どうしても実際の夢とはズレてしまう。また、夢は決して言語に変換できないものでもある。
これは歴史を遡って、後から意味づけることになるが、親鸞が三歳のときには、法然が既に比叡山から降りて、吉水に草庵を開いていた。おそらく親鸞は、その事実を知っていたに違いない。やがて比叡山や興福寺から目をつけられ、弾圧を受けるのだが、それほど当時の仏教界にとっては、奇異な存在に見えていたに違いない。そのウワサを聞いて、一度や二度は吉水に様子見で行ったことがあるかもしれない。法然の吉水教団は、現代の感覚で押してみると、奇異な新興宗教集団のように映ったかもしれない。旧仏教も、何とか教えを広めようと、大衆に門戸を開こうとしていたという話もある。それにしても、身分も問わず、職業も性別も問わない教団は、やはり奇異な集団に見えたのではなかろうか。
親鸞が見てきた教団は、男性のみの閉鎖集団だったからだ。一応、日本の仏教はすべて大乗仏教だから、あらゆる人間を救うという建前は立ててある。しかし、現実には男性中心の閉鎖社会であることは間違いない。それが建前ではなく、現実に展開している吉水教団には、奇異な感覚と共に、仏教の〈ほんとう〉があるのかもしれないと直感したのかもしれない。半信半疑なままに、29歳の親鸞は、法然を尋ねたのかもしれない。
そういえば、和讃にもこういうのがある。
「正像末和讃
康元二歳丁巳二月九日夜
寅時夢告云
弥陀の本願信ずべし
本願信ずるひとはみな
摂取不捨の利益にて
無上覚をばさとるなり」
これは、親鸞が85歳の2月9日に見た夢告和讃である。
こう見てくると、親鸞は人生の中で、夢をみるタイプだったのかもしれない。この85歳の和讃は、さすがに参籠をしてみた和讃ではないように思う。

そういえば、六幅の聖徳太子絵伝に、守屋が打たれている絵が描かれていた。守屋は、蘇我氏に敵対し、仏教を日本へ導入することに反対した。その守屋を目掛けて聖徳太子が弓を引き、なんとその弓矢が守屋の胸に突き刺さり、血が滲んでいる絵が描かれていた。これを見たとき、太子の作った「和らかなるこをもって貴しとし」(よく「和をもって貴しとなす」と読まれる箇所)という『十七条憲法』と矛盾するではないかと思った。
また、現代の日本人ならば、太子より守屋に加勢するのではないかとも思った。外来の神様を導入するなど、とんでもないと思うのではないか。それもインド・中国・朝鮮などの民が崇めている神様を祀るなどは、拒否するだろう。まあ、当時の人々は西欧の存在は知らないので、文化はインドや中国などの先進国から入ってくるので、状況は違っている。だから、蘇我氏、つまり太子は、先進国の神様を日本へ導入したいという思いだったのだ。仏教より以上に、先進国の政治や文化を輸入したかったのではないか。
この守屋の廃仏思想は、明治維新政府の廃仏毀釈にまで繋がってくる。日本人が、「日本は素晴しい」「日本古来のものは素晴しい」と自尊感情を煽るとき、仏教は必ず弾圧される。
「過去は未来の鏡」なので、廃仏毀釈は、未来に必ずやってくる問題である。
だから、聖徳太子を尊崇することは結構なことだが、それが加熱するとナショナリズムへ偏重することだけは知っておくべきだろう。
●2018年4月14日●
坊守連盟の坊守研修会へ出講するため、京都・東本願寺(本山)へ行ってきた。
全国30教区から、80人の坊守さんたちが集まった。二泊三日の研修だが、遠くは鹿児島や北海道からもみえるので、前泊をされてのご参加だから、三泊四日の行程の方もおられた。
方言もさまざまで、とても温かい集いだった。
小生のお話の後、7班に分かれての班別座談も、大変に盛り上がった。小生が7班全部を回るのに時間切れとなってしまったが、それでもずっと小生が来るのを待っておられて、予定の時間が終了しているのに、そのまま待っているという、何ともアグレッシブな方々の集いだった。
普通の座談会は、予定の時間がくれば、それでやれやれと終了して片づけてしまうのがほとんどだ。しかし、彼女たちは違った。これはなんとしても講師に尋ねなければならないという熱い思いでお待ちいただいたようだ。
坊守さんたちは、明らかに危機意識を持っておられた。お寺から門徒の方々の足が遠退いてしまったことを何とかしたいという思いでいっぱいだった。葬儀や法事の儀式も簡略化し、そもそもそういう儀式を執り行う人数が減ってきた。これは東京でも見られる現象で、あきらかに少子高齢化の影響だと思われる。特に地方の寺院の場合、お年寄りがその地方にとどまり、若い世帯は都市部に暮らすという別居世帯が圧倒的に多くなった。そのお年寄りが夫婦で暮らしているとして、どちらか一人が亡くなれば、残された親は、若い世帯に身を寄せ、いままでの家が無くなるという状態が続いている。
これは産業構造の変化と、家族形態の変化が表れた現象であることは間違いない。
これは迂遠な構想だが、日本の食料自給率をあげる方策を考えなければならないだろう。日本は第二次産業と第三次産業で稼いでいて、第一次産業は明らかに減少している。第二次産業もかなり危なく、ほとんどが第三次産業である。つまり日本人の食料は外国から買って喰っているという状態だ。
もし外国から食料輸入がゼロになったら、たちまち日本人は喰えなくなる。まあいつどうなるか分からないが、食料が政治の材料になる日もやってくるのではないか。つまり、「おれの言うことを聞かないと、お前の所には食料は売らないよ。それでもいいのか」という脅迫に使われかねない。
政治のことはよくはからないのだが、自給率を上げる方法はないのだろうか。

まあそれはともかく、どうすれば寺が活性化するかというテーマは重たく、とても小生の答えられることではない。臨床的な対処方法は、まあいろいろあるだろう。つまり、いま流行のヨガ教室をやるとか、写経の会をやるとか、映画鑑賞会やら、子供会や、俳句や川柳の会、落語会などなどがある。
しかし、根本的に、寺は何のためにあるのかという第一義の問題が抜けてしまっては、何にもならない。寺は、必要としているひとのためにあるものだが、その「必要」ということも、様々あって、根源的には「必ず死ぬのに、なぜ生きるのか」という大問題に応答していく場所だということだ。
この世に生まれたということは、死ぬ(いのち)を手に入れたことだ。それではやがて死んでしまうのに、なぜ生きなければならないのだろうか。この問いは、何も特別なものではなく、人類である限り誰しもが避けて通ることのできないもんだいである。
その「人生の意味」を解くために寺があることが第一義の存在理由である。

そのためには、まず寺にいる人間が、この問いに切実に向き合わなければならない。自分を棚上げして、寺にひとを集めるということは、本末転倒である。
ただ、「生きるための意味」を求めても、なかなか答えはおいそれと与えられないところが、また難しいところだ。顔は全人類すべて違うように、その答えも全人類にそれぞれ違うのだから、これは難しいのだ。
美味いご馳走があっても、それを自分が喰ってみて、初めてこれは美味いと身心ともに頷くことができる。それと同じだ。いくらひとが喰って、「美味しい」と聞いても、まず自分自身が食べて見ないことには、美味いのか不味いのか分からないことになる。
それでも、坊守さんたちは、危機感に揺れていた。
 しかし、不安や戸惑いがあるということは、まだ「生きている」ということの証だ。まだ免疫力がはたらいていて、何とか宗門という身体を活性化させようともがいておられる。だから、不安や戸惑いが無くなってしまえば、それは「死に体」なのだ。
 この不安や戸惑いにも「様々」あって、私は、それらを「阿弥陀さんの揺さぶり」と考えている。このままでよいのだろうか、何をしたらよいのだろうか、果たして寺とは何をするところなのかという問いは、阿弥陀さんから賜わった問いである。
 まあ、こんなことを言えば、元も子もないが、この問いの答えは、永遠に無いのだ。
「これが寺の存在意義だ」と決定してしまえば、それは傲慢というものだ。私たちは自分たちの居場所を安定したいという欲求を持っている。だから、これこれこういうことをしていれば、これで寺として健全に動いているということだと自らを慰めたいのだ。
 それを阿弥陀さんは見透かしたように、揺さぶってくる。それが〈ほんとう〉の寺の存在意義なのだろうかと。この問いは、問いのみあって、答えはないのだ。
 私たちを不安にし戸惑わせる、根本の力は、阿弥陀さんの力だからだ。
 この不安や戸惑は、私たちの努力不足でも何でもない。それは阿弥陀さんの力なのだ。それを見誤ってはならない。だから、不安や戸惑いが起こってきたら、それは阿弥陀さんの動揺力なのだと感じ取らねばならない。
 ようこそ、ようこそと受け取らねばならない。それは人間にとって、とても迷惑な感情なのだが、仕方がない。阿弥陀さんの力に逆らうことなど、人間にはできないのだ。
 
 しかし本山の「お朝事」(本堂での朝のお勤め)はよかった。あの早朝の、凛とした雰囲気。本堂内部の独特の香り。そして何といっても、黒々と光っている親鸞聖人座像の存在感。彼と対面するのが、何とも言えなく、嬉しいのだ。
 本山での行事や研修で、何といっても一番好きなものが「お朝事」だ。親鸞聖人座像は確かに偶像である。ただ偶像だから、様々なイメージと遊ぶことができる。偶像が無くなれば、親鸞聖人が人間の内面に閉じ込められ、貴人化されカリスマ化されてしまう。それを敢えて外化し対象化し偶像化することで、カリスマ化を免れているのだ。やはり「対面性」が大切なのだ。対面性が抜けると、聖なるものと自己が一体化する神秘主義に堕していくのだから。
 そうそう、「お朝事」では晨朝法話(ジンジョウホウワ)があるのだが、そのとき法話された方が、『末燈鈔』(親鸞の手紙)を引用して、「浄土宗のひとは、愚者になりて往生す」という法然上人の言葉を語られた。それは法然上人が語られた言葉だと親鸞は手紙に記している。(「浄土宗」とは、法然・親鸞の信仰のこと。後世の「浄土宗」という宗派のことではない)
 それをいままでは、「そうか、我々は偉いもの、尊いものになって往生するのではなく、愚か者のままでよいのだ」と受け取っていた。ところが、それをお話で聞いたとき、ハッと気付いた。
 「愚者になりて」ということは、「愚者のままで」ではなかった。「愚者になりて」は、「愚者に成って」と聞こえてきた。(因みにお西の現代語訳では「愚かさに気付いて」と訳されている)
 私には「成って」と聞こえてきた。ということは、私はまだ愚者ではないのだ。これから愚者に成って往生するのだ。いまはまだ愚者ではない。「賢善精進の善人」だったのだ。私たちの、もともと愚者だと自認している傲慢さがあぶり出された。
 まだ愚者には成っていないのだ。
●2018年4月8日●
山形でも、秋田県に近い地域でお聞きした、感動的な話。
今年の冬は雪がひどく、雪かきも大変だったそうだ。
あるお寺の娘さんが、住職として跡を取り、結婚相手のひとが、御養子として入寺された。もう結婚されて何年にもなるという。
その彼が、本堂の大屋根に登って雪下ろしをしていた。その姿を下で娘さんが見ていて、涙ぐんでいたそうだ。
大屋根にいる彼が、「どうしたの?何で泣いてるの?」と聞いた。
すると娘さんは、「私と結婚しなければ、こんな苦労をすることもなかったのに、私と結婚したためにこんな苦労をさせて、ほんとうに申し訳ない…」と言って涙を流していた。
それを聞いた彼は、「なに言ってる!もう結婚して何年も経っているのに。この寺は自分の寺だと思っているから…」と、娘さんの肩を抱いた。そのとき彼も同じように涙ぐんでいた。
この話を聞いたとき、聞いている私のほうも感動していた。
これが親鸞の六角堂夢想偈(通称、女犯偈)の「犯」という精神ではないかと直感した。
これは私も「結婚第2条」として語っている話だ。
「犯」とは、自分と相手が結婚することで、相手にしなくてもよい苦労をさせてしまうという「犯」の罪意識である。お互いに「犯」の関係に入ることが「結婚」という意味場だ。意味は違うが「共犯」という関係なのだろう。
もし、「結婚」という意味場が、「当たり前」のこととなってしまったら、そこからは、あらゆる煩悩が惹起されてくる。
それは、たとえば「結婚」であり、それをもっと根源的に考えれば、「生きる」ということにまでつながっている。
他なるいのちを殺し食うという「犯」の関係が、その根底にあるのだから。
●2018年4月7日●
わかったことをしゃべるんじゃない。
わからんことをしゃべるんだから不安も、またワクワク感もあるんだ。
何で不安があるのかと思ったが、それは、自分でもわからんことを語るからなんだ。
わかったことをしゃべるのは、ある種の優越感がともなう。
つまり、話し手が安心してしまって、聴衆を啓蒙するという意味場が開けてしまう。
法話とは、そういうものであってはならない。

聴衆を前にして、つまり、対面性だが、内面の暗部にある対面の場に、たましいがおりてゆき、その暗部から、言葉が湧きだしてくる。
言葉なきものが言葉となって現象化されてきて、方便化する。
方便化してしまうと、再び自分に対面し、反問性へ姿を変える。

やはり、方便化されることで、反問され、再びその言葉と対面させられて、新たな創造性へと歩まされる。

唯識でいえば「種子生現行(シュウジショウゲンジョウ) 現行薫種子(ゲンギョウクンシュウジ)」だ。
種子は、阿頼耶識という深層意識に種として保存されている。それが発芽して、現象界に姿を表すことを「現行」という。つまり言葉となって方便化されることだ。
方便化されると、つまり「現行」となると、再びその現行が、深層の種子に薫りを付ける。
この無限運動こそが、〈真実教〉ではないか。
●2018年4月3日●
瞬間の〈真実教〉

すべての結論は、今度、生まれてきたときに出す。

あらゆる、結果は、今度生まれてきたときに出す。

ええっ、それはどういうこと?

そして

ああ、そうだったのかと納得させられた。

すべての結論を、この世にいる間にだそうとするから、〈いま〉に力点を置けない。

結論があの世だったら、〈いま〉に全力が入る。

これは、〈真実教〉のある瞬間を切り取った言葉ではないか。

危なっかしい第19願の世界なのだが、第18願の意味場で受け取り直してみると、それも〈真実教〉だなぁと思う。
●2018年4月2日●
私というパンドラの箱
「世界」は、私というパンドラの箱がぶちまかれたような状態だ。ギリシャ神話に出てくるパンドラの箱は、慌てて蓋を閉めたので、中には「希望」だけが残ったといわれている。
しかし、私というパンドラの箱は、「希望」すらもぶちまかれてしまった。
だから、世界中の出来事などを見ているのは、自分の内側を覗いているようだ。
ひとつも自分と無関係なものがない。
これこそが自分の内部ではないかとさえ思えてくる。
●2018年3月28日●
花見というが、いったい花の何を見るのだろうか。
花より団子というのもある。雰囲気、風情を感じるというのもある。
しかし、「〈ほんとう〉の」という言葉をつけてみると、花見がゲシュタルト崩壊してくる。「〈ほんとう〉の花見」とは。
これは大問題だ。
何ごとにおいても、〈ほんとう〉の?という問いがつけば、いままで済んだことにしてきたことが、すべて崩壊し、不可思議という顔をむき出しにしてくる。
〈ほんとう〉の夫婦関係とか、〈ほんとう〉の親子関係とか、〈ほんとう〉の政治とか、〈ほんとう〉の人生とか。
今朝のお朝事では、やけに阿弥陀さんの立ち姿が輝いていた。「木像より絵像、絵像より名号」と蓮如はいうが、「名号より絵像、絵像より木像」ということもあるのだ。これが両方なければ、〈ほんとう〉の〈真実教〉にはならない。
蓮如は、意味の限定性を突きつけてくる。突きつけてくるには、「言葉」が必要だ。しかし、それだけではファンタジーが死んでしまう。つまり、知にとっては「分からない」という世界が確保されていなければならない。感情やイマジネーションが自由に遊べる世界が確保されてあるべきだ。
知にとって、それは曖昧なもので、我慢ならないものだが、しかし知の根っこを養うものが、イメージでもあるのだ。
所詮、「分かること」以上に「分からないこと」の方が圧倒的なのだから。
●2018年3月25日●
亡きひとを、そっとしておけるなんていうことは、とてもじゃないが、なかなかできるもんじゃない。

どうしても、亡きひととの縁によっては、自分の思いの中に引きずり込みたくなる。

可哀想だとか、懐かしいとか、様々だし、時間が立てば、思いが変化していくこともある。

頑固でぶっきらぼうな舅を介護していた長男の連れ合い、つまり、嫁が漏らしていた。
晩年、舅が病院へ入院したとき、着替えや身の回りのものを持参して毎日のように見舞っていたが、相変わらずぶっきらぼうで、「有り難う」の一言もなかったという。

そんな中、舅は亡くなっていった。舅が亡くなっても、悲しみの感情はなかった。やっと頑固爺が亡くなったと、清清していた。
ところが、亡くなってから、嫁が病院の看護婦さんたちに挨拶に行ったら、看護婦さんたちは、「いつも、お父さんは、貴女に感謝してると話してたわ」とか「あんなに優しい嫁はいないよ」と話をしていたというのだ。
それを聞いた嫁は、自分が恨んでいた我が心を、恥ずかしく思い、いままでの恨みが感謝へと転じたという。
お父さんに対して、本当に済まなかったと謝っていた。
そのときようやく、悲しみが込み上げてきたそうだ。

〈事実〉は何も変わらない。
ただ、そのことの「意味」が転じたのだ。
やはり、人間は「意味」によって地獄になったり、お浄土になったりする哀れな生き物だったか。
●2018年3月24日●
阿弥陀さんが、はたらかれる運動場を「私」という。
「する」ということに価値をおこうとする人間社会。
それに対して「ある」ことにすべてを見ようとする阿弥陀さん。
「ある」とは、阿弥陀さんがはたかられる場所である。だから、私にとっては、「ある」は、「されている」ということになる。
「ある」は名詞でなく、動詞である。

だから阿弥陀さんの救いとは、自分が客体になり、阿弥陀さんが主体に入れ代わることだ。
●2018年3月21日●
自分を優遇してほしいから政治家と付き合うわけだ。政治はみんな、そうだ。
だから、それを延長すれば、森友問題になるだろう。
原理的に言えば、自分を優遇してくれなくても、貴方の政治理念を支持するとならなければならない。
しかし、そんなことが成り立つのだろうか。
人間が掲げた「自由・平等・博愛」が、その理念足りうるか。圧政や抑圧を粉砕するアンチテーゼの理念にはなっても、その結果もたらされた、安定期の市民社会の理念足りるか。

国家のためとか、人類のためとか言うけど、その理念が、個人の利害を超えうるかだ。
そして、その理念を打ち立てられなければ、森友学園問題の範囲を誰も超えられない。与党も野党もだ。

そう考えると、利害性から、遠ざかっているのは大谷派だ。
自分が優遇されるために議員選挙があるわけではない。
むしろ、優遇されないために組織があるのかもしれない。

個人の利害を優先するのが政治だとすれば、それと真反対の組織だ。
組織のために末寺があるというのが、理念だった時代もある。
今は違う。
どうしても、利害感情が優先する。これだけ支払ったのだから、優遇されるべきではないかと。
突き詰めると、優遇性から絶縁されているのは、本願を、組織の基準に、辛うじて保っているからではないか。あくまで「辛うじて」だ。

人間は、究極的にどうなればよいのか、何のために生きてるのか、その結論を人間が限定していないところがよい。ひたすら本願にまかせているから、どこか「組織」として硬直化しないで済んでいるのではないか。大谷派が「組織以前だ」と批判されるけれども、それは、むしろ本願がはたらいているからではないか。

人類が目指してきたのは、共産世界(社会主義=理性主義)でも、欲望絶対世界(資本主義=欲望主義)でもないだろう。
ただ歴史は、理性以上に、欲望のほうが信じられると判断したのだ。理性以上に「煩悩」のほうが信頼できると判断したのだろう。
資本主義を世界が選んだのは、そういうことだ。
だがそれは、造悪無碍に偏重する。欲望礼讃は、つねに、そっちへ偏重する。
そこから、欲望拝跪へと深化しなければならない。
それには、どうしても、「阿弥陀さん」という絶対項がなければならない。阿弥陀さんというワンクッションを置くことで、「欲望礼讃」が解毒できるだろう。

そこまで来ないと、金子みすゞが言うように、「みんな違って、みんないい」にはならない。
●2018年3月20日●
病床で、ただ空を眺めておられるかたがおられる。
眺める空は、どんな模様だろうか。
薄曇りだろうか
どんよりした曇りだろうか
雨模様だろうか

こころと空模様はつながっている

いつまで、こんな生活が続くのだろうか

まさか、こんなに高齢まで生きるとは…

兄弟はみんな、往ってしまったのに…

じいちゃん、ばあちゃん、早くお迎えにきてよ…

空は、薄曇りだ。

そこに阿弥陀さんは、いるのだろうか。

阿弥陀さんは、何と言っているのだろうか。
阿弥陀さんが介入してこないと、何も始まらない

まだ、何も済んでいない
はじまってもいない

〈自分〉という病床から

ひとは、一度たりとも、起き上がったことがないのだ
※3月25日のBサロンにご参加の皆様へ!できましたら、何か一品、おつまみをご持参いただけると助かります。何でも結構です!
●2018年3月17日●
この一点が成り立たないと、人生のすべてが無意味になる。
そういうものが親鸞の直感した「信」だ。
その一点は、何をしたからといって満たされる一点ではない。
難行苦行をしたからといっても、
人にはできない危機や災難を体験したからといっても、
刻苦勉励し必死の思いで頑張ったからといっても、
満たされるものではない。
いわゆる「doing」でもって満たされる一点ではない。
その一点は、こちらから捕まえようとすると、スルッと逃げいてってしまうような一点だ。
別に、何が不足しているわけでもない。ただ、虚しさに飲み込まれていく。
自分では、どうしてよいのやらわからないような一点だ。
自身の内部で、「そうではない…そうではない…」と囁く声が聞こえてくると、すべてが虚しさに飲み込まれていく。
この虚しさは、自分の方に問題があって、起こってくる虚しさだと思っていた。
「自分の方に」と考える、その考えが、「劣等感」だったのだ。劣等感とは、能力地獄から生まれる言葉だ。つまり、自分に自信がある人間が感じる感情なのだ。
それは変だろう。自分に自信がないから劣等感に落ち込むのではないか。ところが〈ほんとう〉はそうではないのだ。
劣等感とは、自分の能力のないこと、努力の足りないことを知ってはいても、もし能力があり努力しさえすれば何でもできると思い上がっているこころが感じるマイナス感情なのだ。つまり、その一点を成り立たせる能力や努力が、いまの自分には無いだけで、本当は何でもできると思い上がっているのだ。
その思い上がりが、その一点を納得していなかっただけなのだ。

親鸞が「人の執心、自力の心は、よくよく思慮あるべし」(『恵信尼消息』)と漏らした声が、響いてくる。また、
自力諸善のひとはみな
仏智の不思議をうたがえば
自業自得の道理にて
七宝の獄にぞいりにける(「疑惑和讃」)
が、それをよく表している。
その一点を拒否して、虚しさに落ち込んでいたのは、「自業自得の道理」だったのだ。
しかし、その一点とは、一点ではなく、「常」だったのだ。
「自業自得」だと思って苦しんでいたことそのことが、阿弥陀さんの大いなるお育てだったのだ。
あの虚しさの根源も、阿弥陀さんの摂取不捨の力だったのだ。
誰が悪いわけでも、努力が足りないからでも、やり方が悪いわけでも、能力がないわけでもない。
私は、「一点」だと思っていたのに、〈ほんとう〉は、「よるひるつねに」その一点が成り立っていたとは。
その「つねに」は、今ばかりでなく、自分が誕生する以前の、あらゆる時のことだったのだ。
「たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ」(『教行信証』総序)と親鸞は述べる。
「たまたま」は偶然ということだ。自分の意識にとっては、すべてが偶然なのだ。しかし、その偶然とは、本当は必然のことだったとひっくり返ったのだ。
「遠く宿縁を慶べ」の「遠く」とは、「弥陀成仏のこのかたは」といわれるほどに遠いのだ。
そうやって夢から覚めてみると、欲していた「一点」は消えてしまい、「つねに」という時間に変わってしまった。
●2018年3月14日●
〈ほんとう〉とは何ですか?と聞かれるとき、私は、「それは違うなぁ」と感じさせる感性だと答える。
何かを聞いたり、体験したり、読んだりするとき、当初は分からないのだが、やがて、「何か違う、どこか違うなぁ」と違和感がやってきて、その淵源を尋ねていくことになる。
それが〈ほんとう〉への旅だ。
違和感とは、よい言葉だ。
明確に、「それは違う!」と断言できるまでには成長していない〈ほんとう〉の芽みたいなものだ。その芽が育っていって、やがて「それは違う」と言いうるまでになる。
違和感を育てることだ。
違和感を、この世を生きるアンテナにするのだ。

●2018年3月13日●
「自分のもの」はひとつもない。
自分の服も、自分の名前も、自分の子供も、自分の孫も、自分の車も、自分の家も、自分のご飯茶碗も、自分のペットも、自分の身体も、他のどんな「自分のもの」であっても、「自分のもの」はひとつもない。

この「自分のもの」という思いすら、「自分のもの」ではない。
となると、この「自分の…」と考えている、これは一体何なのか?

何か、楽しくなってきたぞ!

●2018年3月12日●
九州の妙好人のおばあちゃんから電話が掛かってきた。
もう90歳を越えた年齢であるにも関わらず、「私はねぇ…まだまだ苦労が足りませんでねぇ。日々、阿弥陀さんのご厄介になっております」とおっしゃった。
これが妙好人の生きている世界だ。
一般人は90歳にもなれば、「私はここまで苦労して生きてきた。やれやれ」と、自分を振り返るのではないだろうか。ところが、彼女は「まだまだ苦労が足りない」と漏らされる。
これは、やはり「もう済んだと思ったが、まだ始まっていなかった」という世界ではないか。
この世は、私、たった一人が阿弥陀さんから教育を受け続ける現場なのだ。
ただ、問題は、教育を受けていることが分からないという病である。不感症なのだ。
 お父さんとお母さんがセックスしたことで、偶然、事故のように生まれたのが私である。
右も左も分からず、右往左往して生きている。その場その場の出来事への対応で、人生のすべてを費やしてきた。
 そう思っているひとには、「教育現場」ということが分からない。

 怒り、腹立ち、ねたみ、そねみ、愚痴は、すべて私を教えて下さる教材なのだ。
私の何を教えて下さるのか。
 それは、この世には私一人以外は生きていないという真実を、だ。
 
人生の「底」が変わらなければならないのだ。
私が、いったいどこから始まって、私に成ってきたのか。
その「基点」を明確に、刻みつけなければならない。
●2018年3月10日●
信心は小我を超え、大我を自己とする。 「一切衆生の我」となる。
こんな変な直感がやってきた。
というか、釈迦が直感した「無我」ということだから、そうそう目新しいことではない。
親鸞も筆が滑ったように、「この如来、微塵世界にみちみちたまえり。すなわち、一切群生海の心なり」(『唯信鈔文意』)と記しているから、これも目新しいことでもない。
この世のあらゆる現象は、自己一人の精神の展開したものだから、一切の現象に対して、私に責任があるということだ。責任というと大げさか。私と無関係に成り立っているものはない、と言うほうが事実に近い表現だろう。

それでも「三界」は、ひと言で言えば、苦海というよりも「面倒海」「厄介海」だ。
苦海というと、精神的痛みや肉体的痛みを連想させるが、「面倒海」「厄介海」といえば、苦海ほどではないにしても、娑婆を生きるについての面倒事や厄介事が付きまとう泥沼の感覚がよく表われている。

「面倒海」「厄介海」の岸辺にたって、海を眺めている時がある。
もちろん自分もその泥沼の中の存在なのだが、岸辺に立って、その海を眺めていると感じることもある。
自分が立っている背景はわからないのだ。見えないのだ。眼は前を見ることしかできないから、後は見えない。
ただ背中に、悲愛の視線を感じるだけだ。その視線は温かい。

人間というやつは、最初から最後まで、愚かなものだという感覚が与えられる。
愚かというのは、自分は正しい、間違っていない、これこそが人類の願っている正しい方途だと思って愚行をする生き物という意味だ。

ああ、第一原理は「損か得か」、これは経済的原理だ。(マクロ経済等の問題)
第二原理は、「快楽か不快か」、これは生理的原理だ。(医療・福祉・介護等の問題)
第三原理は、「善か悪か」、これは政治的原理だ。(グローバリズム、戦争等の問題)
この三つの原理で最高の方途を目指してやってきたのが人類である。それを「愚行」というひと言で言ってしまえば、あまりに高飛車な表現になってしまうだろう。
しかし、それを「愚行」と言い切ったしまったのが法然・親鸞ではないか。
だから、弾圧を受けたのだろう。弾圧の中核にある真髄を取り出して、現代に置き直してみれば、そういうことだった。
間違っていけないのは、人間が人間に対して「愚行」というのではない。
阿弥陀さんが「愚行」とおっしゃっているのだ。
唯一の批判原理は、阿弥陀さんにしかない。
この批判を受け続けるところに広がる世界が〈真実教〉だ。
宗教でも仏教でもない、〈ほんとう〉を解き放つ教えが、〈真実教〉なのだ。
●2018年3月5日●
人生のあらゆる場面で、「任せよ」と叫ばれている。

葬式の場面で、一人一人が、この現事実に、「任せよ」と叫ばれている。

そのことを人間が認識し、意味づける。

また、意味づけざるを得ないのだが、そのときには「任せて」いないことは確かだ。

常に問いかけかれついるのだ。
この事態をどう受け止めるかを。

常に「有ること」から、問いかけられているのだ。
この事態を、どう受け止めるかを。

9歳の孫が突然死した、この事態を。

「思い」を「まさか」と裏切る事態を。

その態度決定以外に、「この世」ですることは
他にないのだろう。

過去は当然のことだが、未来をも、現在をも、常に「過去」としてしか対面できない。
未来も現在をも包み込んだ、「過去」と、どう対面するかだ。
●2018年3月3日●
歎異抄のいう「回心」とは、この世のすべてのことがメタファー(隠喩)に転換されること。
私は、いままで、この世に成り立っているあらゆることが、「客観的な事実」だと思い込んできた。
ところが、そうではなかった。
すべては、メタファー(隠喩)だったのだ。
私には「客観的な事実」を見る眼はなかったのだ。

そうやって、私一人を愛し、私一人を養育し、私一人のために世界が用意されていたとは。
露程も気付かなかった。
●2018年3月1日●
門井慶喜の『銀河鉄道の父』を読んだ。
宮沢賢治の父・政次郎一家の空気が、手にとるように分かった。
 また、その中で育った賢治との親子関係が、隠しカメラで隠し撮りでもしたかのような小説だった。
7歳の賢治が赤痢に罹ったときの政次郎の看病ぶりは、子煩悩丸出しだ。母親にも看護婦にも指一本触らせない看病ぶりは、あまりに子煩悩過ぎる。
政次郎が、大沢温泉で夏期講習会なるものを催していることは知っていた。代々浄土真宗の檀家だった宮沢家は、文化人などを花巻まで招聘し、講演会を開いていた。その中に暁烏敏や多田鼎に近角常観の名前もあった。
賢治の妹・トシの問いに答えた常観の手紙もあったという。トシは東京へも出ていたから、本郷の求道会館へも通っていたことだろう。自らの病弱な体質もあってか、信仰へ心を寄せる中での問いに、常観が応答していたのだろう。
しかし政次郎自身の信仰は、さほど堅いものではなかったと小説は記している。確かにお朝事(朝のお勤め)では正信偈を唱えていたようだが、質屋で稼いだ金を社会に還元するというような、慈善事業的関心で講習会を開催していたようだ。

父・政次郎は、長男の賢治を、目の中に入れても痛くないほどに可愛がっていた様子が印象的だ。看病もさることながら、家業である質屋を継がないことも許し、東京へ出ていった後も仕送りを怠らず養育している。明治期の家業承継は長男相続が当たり前になっていた時代にである。
私は、政次郎と賢治の間は、もっと冷めたものだったのではないかと勝手に想像していた。ところが、この小説を読んで、思いを新たにした。まあこの小説が、どれだけ史実に近似値を得ているかが問題であることは当然考慮すべきである。
東北の農民の貧しさ、弱者への視線は、賢治のたましいを大きくかたどっている。
童話作品などは、常に弱者への視線と共感を基調音にしていることは、誰もが認めるところだろう。家には島地大等の『漢和対照 妙法蓮華経』が具えられていたという。
賢治の健康的な感性と法華経とが相俟って、父と衝突する場面が描かれている。
政次郎の台詞から引用しよう。
「うちは代々、浄土真宗だ。わかってるべ。いったい何を考えている」
賢治も立ち上がり、充血した目で、
「嘘いつわりの宗派です」
「何!」
「南無阿弥陀仏とくりかえせば極楽往生だなんて、そんだら現世の努力の必要がねぇ。ただ人間を堕落させるだけでねすか」
「お前……」
政次郎は、ただの檀家ではない。
小学校を出てからの学問的な関心は、すべて親鸞につぎこんでいる。反論はきわめて容易だった。
「それはお前、他力本願ということばの解釈がまちがっている。よくよく字を見ろ。他力とは仏の力をさし、本願とは仏の願いをさす。力と願いが合わさったところに一切衆生の救済が成り立つ、そういう意味が元来なのだ。われわれ人間にひきおろして言うなら、力とは才能、願いとは大志。才能ある者が大志を抱き、さらに努力をかさねれば、きっと成功をおさめられる」
「たしかに、お父さんは、才能と大志と努力で成功したじゃ。弱い人からお金をしぼりあげることに」
「だから、いつも言ってるだろう、質屋はそういう商売ではねぇのだ。質屋のおかげで客たちは当座の金が手に入る。飢え死にせずにすむ。人造宝石よりは人をしあわせにする」
「おらの大志は、質屋にはねぇすじゃ」
「こらえ性がねぇだけだべ」
「おらの大志は、日蓮聖人の教えを世にひろめること」
「あすは何になる」
「二度と変えない」
「どうだか。これまで何度…」
「おらは死を賭けている」
(死)
その一語に、政次郎は心臓がふくれあがる。
「思いあがるな。ろくろく世間も知らぬ者が軽率に言うな」
ほとんど悲鳴だった。賢治はぐっと顔を近づけて、
「お父さん」
「な、何だ」
「お父さん、おらと信仰をともにしませんか。お父さんの生きかたは、じつは法華経の生きかたなのす」
賢治の口から、熱いしぶきが飛んでくる。どうやら皮肉などではなく、
(本心から、改宗を)
政次郎は横を向いて、
「ばか」
父子のこんな論争は、二、三日おきに繰り返された。ひとたび始まれば近所に声がとどくほどの激語となり、深夜におよぶこともめずらしくなかった。

そして作者は「こんな対立がかさなる理由は、ふたりが正反対だからではなく、逆に、(似た者どうし……だからか)」と記している。
 妹・トシが結核で亡くなり、賢治も後を追うようにして37歳で亡くなる。
賢治の遺言ともいうべき「雨にもまけず」は有名だ。死に際に、父・政次郎に法華経を千部印刷して縁者に配ってほしいと遺言したことを父は、後に実行した。
小説の末尾には、こうある。
「政次郎はふと、改宗しようかと思いついた。」と。
政次郎の信仰理解を読むと、このひとは浄土真宗の檀家とは言いながら、内面は法華経にフィットした人生だったのだろう。簡単に言えば、昨日よりは今日、今日よりは明日のほうが幸せになっているはずという信仰だ。
 まあ法然・親鸞を弾圧した旧仏教も、それと共鳴する信仰形態だった。
 そして私自身の内面も、そうあってほしい、そうなったらいいなぁと思っているのだ。努力をしなければいけないし、努力をしたことが報いられる社会でなければダメだと思っている。
 ところが、それが〈ほんとう〉か?と問われると、その考えが揺らいでくる。
 そこには、「(いのち)」の〈ほんとう〉が抜けてしまっている。(いのち)は、明日のために生きているわけではない。難しい表現だが、(いのち)は〈いま〉のために〈いま〉を生きている。
 私の「思い」を突き破るようにして、(いのち)の〈ほんとう〉が暴き出されてくる。人生は意味が有るものではないし、また意味の無いものでもないと。この「意味の有る・意味の無い」という「有無の思い」を超越させて下さるのが〈ほんとう〉の力である。
それがよく法座で聞く、「聞いてから成るのではない。成っとることを聞け」である。
 阿弥陀さんは幸せか、不幸せかでなく、〈ほんとう〉か〈ほんとう〉でないかと問いかけてくる。
 
●2018年2月25日●
「わた~しは なにを 残しただろう~」(「花は咲く」歌詞)

ご飯を食べて、トイレに行って、またトイレに行って排尿。

はて、わたしは何を残しただろう?と、おっしっこから、問いかけられる。

生々しいなぁ、生命は。

生々しい、問いかけだ。

昨夜の豚汁、美味かった!

牛蒡にニンジン、コンニャク、ネギ、豚…。
みんなに、口に入れてもいい?と承諾を得たわけではない。
「生命」を「食物」にしていい?と聞いたわけでもない。

はて、わたしは何を残しただろう?何を残せただろう?

問いのみあって、答えがない。

いのちは、とことん、生々しい。
●2018年2月24日●
人間もワラスボも同じだ。
ひょんなことから、昨夜はワラスボの話題になった。
ワラスボは、日本では有明海だけに生息し、泥の中をうごめくウナギのような生き物だ。
長い顔の先端に歯があって、ちょうど、エイリアンのような形をしている。
ワラスボも自分自身を見たことがないから、驚かないが、もし目があったら、さぞ驚くのではないか。実際に見たことはあったが、まだ食べたことはない。
そこで正確な情報をウィキペディアで調べてみた。
「成魚は全長40センチメートルに達し、オスの方が大きい。体形はウナギのように細長く、背鰭・尾鰭・尻鰭も繋がる。体色は青みがかっており、青灰色や赤紫色にも見える。目が退化していて、頭部にごく小さな点として確認できるのみである。上向きに開いた大きな口には牙が並び、独特の風貌をしているが、噛まれてもあまり痛くはない。鱗も退化していて、体の前半部に円形・後半に楕円形の鱗が散在する。これらの外見が海外映画『エイリアン』シリーズに登場する宇宙生物の頭部に似ていることから、メディアで採り上げられる際はしばしば「エイリアンのような魚」と比喩される。」

泥の中を、エサを探してくねくねとうごめく姿を考えると、醜く、おぞましいが、これは、もしや我が姿ではないかと思い至った。
何が欲しいのか、何が幸せなのか、究極的にどうなりたいのか、まったくわからずに、ただ行き当たりばったりで、汚泥の中の如き人生を生きているのだから。
そんなことはない。人間にはちゃんと前を見る眼があるじゃないかと批判されそうだ。
しかし、「見えている」という過信があるだけではないか。「見えているという過信が」、〈ほんとう〉のことを見えなくしているのではないか。

我が姿は、そして、我々の姿はワラスボではないだろうか。
●2018年2月23日●
阿弥陀さんの教育現場で寝起きする

老病死というベッドが

阿弥陀さんの揺りかごである

ああ

肺に

生まれて初めての

空気が

流れ込んできた

ああ
●2018年2月16日●
息を
しているのか(A)
させられているのか(B)
どっちだ?
これが〈ほんとう〉からの問いかけだ。

しかし、この問いかけに対して、AかBかと結論を出すことができない。
なぜならば、〈ほんとう〉はどちらでもないからだ。

自分は目的地に向かって行くのか
それとも
目的地が自分に向かって来るのか
どっちだ?
これも〈ほんとう〉には答えが出せない問いかけだ。
どちらかを中心にするかで、答えが違ってくるからだ。

〈ほんとう〉は、そうやってAかBかに決めようとする人間の知を砕く。
決めることは、閉鎖系だが、〈ほんとう〉は永遠の解放系だ。
●2018年2月15日●
今朝のお朝事の和讃は「真実信心うることは 末法濁世にまれなりと 恒沙の諸仏の証誠に えがたきほどをはらわせり」、そして「往相還相の回向に もうあわぬ身となりにせば 流転輪廻もきわもなし 苦海の沈淪いかがせん」だった。
親鸞聖人は、「真実信心うることは」と、いかにも人間が信心を獲ることができるように謳っている。まあ、そうでも言わなければ人間は「信心」を求めるという動機すらないから仕方がない。「真実信心」がどれほど素晴しいものか、どれほど人間にとって手に入れがたい宝物であるかと思わせぶりだ。
もし、人間が欲望し、思い描いている「信心」を手に入れてしまったなら、それは「真実信心」ではないのだ。手に入れるという形では決して表現できないものが「信心」だからだ。人間が「獲た」という思いをも捨てさせるものが真実信心である。
そういう意味では、本当に信心とは流動的であり、結論を人間に掴ませないものだ。
次の「往相還相の回向に」の回向とは、如来回向ひとつのことなのだ。如来回向の能動の面と受動の面とを表した言葉が、「往相・還相」だ。自分が往相で淨土に往生して、それから淨土から帰って来て、つまり還相して人々を救うなどという戯言ではない。
私たちの課題は「往相」しかない。往生淨土の相が往相だ。ただ往相が発動する根拠が、往相回向だけにはない。そこで、往相回向が発動する根拠を還相回向という。つまり還相とは淨土から阿弥陀さんが還ってくる相になる。還相を根拠にして往相回向が発動するから、絶対他力なのだ。もし往相回向が発動する原因を人間が生み出すとなると、これは他力にならない。 
 ここにも阿弥陀さんの流動性が示されている。人間は、あらゆるものを固めたいのだ。そして過去形にして自分はその過去形を眺めてみたいのだ。しかし、〈ほんとう〉のことはすべて流動的なので、固めること、固定することができない。
 固定化し、固めたい欲求を、サラッと流して下さる阿弥陀さんがいなければ、自分は、石になってしまうではないか。
●2018年2月12日●
鎌倉時代の親鸞や法然や栄西や道元や日蓮などの諸師方の関心とは、いったい仏教とは何か?というテーマだった。
いかにも仏教は2500年の間、営々と確実に続けいてきたかのような幻想があったが、果たしてその伝統とは何か?という問い返しが、鎌倉時代に起こったのだ。
その問い方の切り口は、「要するに仏教とは何か?」だ。
そうしてみると、2018年の現代、まさにその問いが再燃する時ではないのか。
「要するに仏教とは何か?」という問いが、現代の問いだったのだ。
いかにも仏教が分かったかのように、自明のことになっていたが、果たして仏教とは何なのだろうか。
この問いを現代にぶつけてみると、やはり、どうしても、よくわからないということになるのではないか。
この問いに、一人一人が答える時代になったのだ。
決して、誰かの権威におもねることは許されない。〇〇さんがこう言っているから、これが正しいのだろうという曖昧な答え方は許されない。〇〇教団や〇〇宗が、こう述べているから、これが正しいに違いないという答え方も許されない。
裸の、剥き出しの一人が、自己の実存責任において答えなければならない。
そういう時代がやってきたのだ。これは鎌倉時代の仏者たちの問いそのものなのだ。現代は鎌倉時代だったのだ。
●2018年2月8日●
仙台教区・学仏道場へ行ってきた。
二泊三日で、9時間くらいお話した。仙台の方々は、熱心に、二泊三日の聴聞をされ、その姿勢に頭が下がった。この聴聞の場に身を据えたということで、この研修会の目的は達成している。
この研修会に皆さんを押し出した力、それこそが仏法の力であり、阿弥陀さんの力である。50名ほどの人々だったが、法座は、始まってからほんの数時間のことで幕を下ろす。いまは、会場となった場所はガランとして誰もいない。
まさに何事もなかったかのように静かだ。
蓮如さんの「幻の如くなる一期なり」(白骨の御文)である。あの熱気のある法座はどこへいってしまったのだろう。
「無為にして化す」という言葉を聞いたことがある。作為的なことでも、企みでもないのに、ただそのことによって自分が教育を受け、救われるという意味だ。救う主体なくして、救われるという、まさに天衣無縫の教育力が阿弥陀さんの力である。
寺に戻って、何をするかと言えば、仕事は、やはり、阿弥陀さんとの対話以外にはない。身が仙台にあろうとも、東京にあろうとも、仕事は同じことだ。
それが、私がこの世に関わる接点なのだから。
●2018年2月2日●
[悲しみ]

かなしみと
わたしと
足をからませて たどたどゆく

これは八木重吉の詩だ。
汲めども尽きぬものに出会ったひとは、幸せだろう。
舐めても溶けない飴を見出したひとは、幸せだろう。

[不思議]

こころが美しくなると
そこいらが
明るく かるげになってくる
どんな不思議がうまれても
おどろかないとおもえてくる
はやく
不思議がうまれればいいなあとおもえてくる

生活全体が、人間にとっては、「暗号の山」なのだろう。
一カ所も安全地帯のない、「暗号の山」なのだろう。
「不思議」が「不思議」だと思えない「不思議」さもある。
「不思議」を人間が、ちゃんと分かっていれば、「不思議」などはないに等しい。
人間にとっては、いつでもこの世は「暗号の山」であるに違いない。
自分の内部から、どんな「暗号」がやってくるのか。まわりから、どんな「暗号」が突きつけられてくるのか。
すべては「暗号の山」だ。

●2018年1月27日●
ホームページの情報が、新しく更新されました!他の部分もご覧くだされ!♡

あるひとに、「阿弥陀さんを仲間に入れてあげて」と応答したら、それはどういう意味かと問われた。
これは困った。よく「阿弥陀さんと相談して」とか「阿弥陀さんと対話する」などと語っているのだが、それがどういうことかと聞かれると、答えに窮する。
 私の中では、そういう表現がピタッとくる領域があるのだが、それをひとに説明するのは至難の業だ。
それでも、一応、あれこれ考えてみた。
ええと、普通、人間は、自分を縛りつけて生きている。「もっとこういう自分でなければ駄目」とか「こんなことを考えるような自分は駄目」とか「情けない自分は自分じゃない」などと。
人間は努力して向上するのが正しいあり方だと、思い込んでいるから、自分を自分で縛りつける以外にないのだろう。先日も、技術畑の方が、「技術を常に向上させ、新しいものを生み出す努力でやってきたのに、あなたは絶対受動とか、あるがままとか言って、そんなことでは日本は世界から置いてきぼりにされますよ」と、言われた。
確かに、そうなのだろう。戦後の貧しい時代を経て、あの「三丁目の夕日」(映画)の時代をくぐり、日本人は奮励努力して、今日の日本をつくってきたのだ。
だから、まず努力しなければならないという考えもさもありなんと思う。
結論を言えば、努力で実現できる問題と、決して努力では実現できない問題とがあるというのが正しい見方だろう。
その考えは、機械技術やテクノロジーには当てはめられても、「自分の生きる」ということに関しては、無駄なのだ。
「自分の生きる」という次元が問題になるのは、「不条理」に出会ったときだ。まあ最大の不条理は、「死ぬために生まれてきた」という大問題だ。
それ以外にも、人間の不条理は、どこにでも転がっている。まさに白昼の闇のように存在している。その辺を歩いているひとに、「ちょっと困っていることはありませんか」と尋ねれば、何かしらある。「ものすごく困っている問題」もあるが、「ちょっと困っている問題」もある。まあ、それは不条理のロープでつながっているのだが。

それはともかく、自分を自分で縛っている、そのロープを解くのが、「阿弥陀さんとの相談」である。まあ私もこの歳になれば、もはや「理想の自分」などは、幻想だと思っている。ただ、過去の自分の取り返しのつかない汚点は、できれば消し去りたいとか思っている。
 しかし、今日という日は、人生を生きてきて初めて迎える一日なので、未知の出来事なのだ。大部分は昨日と同様のことが展開するように見えて、どこかは違う。〈ほんとう〉は、まったく違うのだが、意識はそれが耐えられないから、「昨日と同じ」という幻想で麻痺させている。
 ということは、まだ自分の内部で、未知の状態で眠っている自分から、今日、初めて溢れ出てくる自分が、必ずある。何が起こるかわからないから、何かを恐れているのだが、〈ほんとう〉は「自分」が一番怖いのだ。
 その自分を縛りつけて、不自由にして、何とか平穏に暮らそうとしている。しかしだ、エロスの裏側にはタナトスが張り付いているように、「自分」は呪縛を突き破って溢れだしてくる。
 そいつをさらに縛りつけようとするから、日常は、ものすごく疲れるのだろう。
阿弥陀さんと相談するということは、その縛りつける手を緩めることだ。もっと言えば、縛りつけようとする腕を切り落としてもらうことだ。
 そうやって、自分を解放し、自由にしてあげること。まさに、縛りつけようとする自分から見れば、それは無秩序だ。無秩序を恐れる必要はない、阿弥陀さんは「悪をもおそるべからず」(『歎異抄』第一条)とおっしゃっている。
 
●2018年1月25日●
昨日の講座で、初めてお会いしたMさんが、声をかけてくれた。
拙著『なぜ?からはじまる歎異抄』(108頁)の「真実は『無義』(はからいを超えている)なのですから、人間がいくら言葉で表現したとしても、それは如来に指一本ふれたことにはなりません。」を指摘して、この「指一本ふれたことにはなりません」という言葉に感動したとおっしゃる。
これは、歎異抄第十条の私の味わいだ。第十条は「念仏には無義をもって義とす」で始まる。南無阿弥陀仏は、人間のはからいの無いことこそが正しいという意味だ。唯円は、これから異義批判をしていくには、義を立てていかなければならない。しかし義を立てるということは、人間の理屈をもって、異義を批判することだ。つまり、異義を批判できる資格は、自分が「正義」でなければならない。ところが、異義を批判するにせよ、自分が「正義」の立場に立って異義者を批判するとなれば、それは自分を「善人」の立場に立てることになる。それは歎異抄全体の主張と矛盾してしまう。
歎異抄は、「悪人成仏」の立場だから、「善人」では往生できない。それでは、どうやって、その隘路を唯円は超えたのだろうか。
それが、人間の言葉で異義者を批判したとしても、自分が善人にならない立場である。それは、自分がどれだけ如来について表現したとしても、それは真実に指一本触れていないという確信である。そうすれば、自分は、「善人」にならずに済む。
異義者を批判することが、「正義」の立場にならない場所とは、自分も異義者と同じく、阿弥陀さんから歎異される場所である。異義者と通底している唯円の立場が明確になったのだ。
それは異義が異義者という特殊な人間の引き起こした問題ではなく、唯円の中にもある、「人間存在」そのものの持っている「偽善」だと自覚した立場だ。
その立場は、どれだけ異義者を批判しようと、義を立てようと、指一本、真実に触れてはいないのだから、義を尽くして表現してゆく勇気を得たのだ。
ただし、この「指一本触れていない」という確信も、如来から回向されてこなければだめなのだ。
人間が人間の知をもって語ってしまえば、それこそ偽善になってしまう。ここが難しいところであり、また信仰の醍醐味である。
本願、第十八願には、それで「唯除」が付けられている。これもなぜ付いているのか、いろいろな意味場があるが、信仰のダイナミズムとして親鸞は受け取ったのだろう。
救いから「唯除」していただいたところ以外に、信仰は成り立たないのだから。
信仰は常に、「逆説的表現」でなければ、語ることはできない。
   
●2018年1月24日●
先日の勉強会で、「念仏三昧」という言葉が問題になった。
お通夜の時に、東京では「龍樹和讃」を次第四首で称えることになっている。龍樹は「八宗の祖」と呼ばれるくらいに、どの宗でも、自らの宗の草分けだと受け止められている。 その和讃は、「生死の苦海ほとりなし ひさしくしずめるわれらをば 弥陀弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける」から読み始め、「恩愛はなはだたちがたく 生死はなはだつきがたし 念仏三昧行じてぞ 罪障を滅し度脱せし」で終る。
いつごろから、東京で、この和讃が称えられていたのかはわからないが、真宗大谷派では、通夜勤行の定式はない。葬儀勤行の定式はあるのだが、通夜は地方色が強いために、統一できなかったのだろう。それこそ「弥陀成仏のことかたは…」という和讃をあげるところもあるし、通夜には坊さんを呼ばないで、門徒たちだけで正信偈をお勤めするところもあると聞く。
それはともかく、ここに「念仏三昧行じてぞ」と書いてあるけれども、皆さんはどんな気持ちでこの和讃をあげていますかという質問が出た。
もちろん「ナンマンダブ、ナンマンダブ」と大声で称えて、朦朧とするような念仏のことを言っているわけではないとは分かっているのですが、とも付け加えられた。
一応、柏原祐義の『三帖和讃講義』(平楽寺書店1959年第十一版)で、その「念仏三昧」の解説を載せておく。
「一心に念仏すること。三昧は三摩地ともいひ、梵音サマ-ドヒ(samadhi)で、等持と訳する。禅定のことである。即ち心を一境に止めて動かぬことである。それで念仏三昧とは、一心に念仏して余へ心を乱さぬことであるが、この念仏について、ここでは理観の念仏と解釈する(の)と、憶念の念仏と解釈するとの二種の見方がある。理観の念仏とは、法身仏を観きはめることで、初めに定(じよう)に入って仏の相好荘厳(すがたおかざり)を観念(おもひみ)し、その観ができあがると、次に法界に周辺(ゆきわたり)する法身の理を観念するのである。つまり真如の道理を思ひ観ることである。
また憶念の念仏とは憶念称名のことで、信心を得て口に御名(みな)を称へることである。然るに、この二種のうち、宗祖聖人は第二の憶念称名の他力念仏として、念仏三昧を解釈せられる。そのわけは理観の念仏は自力の観察であり、称名は他力念仏である。そしてすでに述べたやうに、勢至菩薩は超日月光仏(ちようにちがつこうぶつ)の教(おしへ)を受けて、念仏三昧を証(さと)られた。即ち西方淨土の阿弥陀仏の教を受けられたのである。従ってどうしても理観の念仏と見ることはできぬ、是非とも弥陀の名号(みな)を称ふる称名念仏とせねばならぬからである。」
 結構、面倒なことが言われている。「理観の念仏」は自力で、「憶念の念仏」は他力念仏であり、これは称名念仏のことだと述べている。まあ「信心を得て口に御名を称へる」と述べているように、信心からの促しで、口をついて出る念仏のことを言っているようだ。 それで、勉強会では、「あなたは念仏が出ますか?」という問いになって、次々にひとを渡り歩いた。「あなたはどうですか?」と聞かれると、「なかなか出ませんね」、「出ませんよ」と応えるしかない。次のひとに、「あなたはどうですか?」と尋ねられると、「出ますよ!」と応えられないような雰囲気になった。
 私は、出るか出ないかは問題ではないと思っている。出るか出ないかは、阿弥陀さんの仕事だから、私には無関係の領域なのだ。念仏を出そうと思って称えるときもあるし、ただ無意識に口ずさんでいるときもあるし、場面によっていろいろだ。
 私は「念仏三昧行じてぞ」という「行ずる主体」は、私でなく阿弥陀さんだと思っている。阿弥陀さんが念仏三昧を行じて下さっているのだろう。もっと言うと、阿弥陀さんの念仏三昧とは、そこにものが「ある」という存在肯定なのだ。ものが「ある」ということは、阿弥陀さんの念仏三昧のお蔭で、あるのだ。「ある」も「ない」も引っくるめた存在肯定なのだ。
 藤原正遠さんの、この詩が、それを物語っている。
生きるものは生かしめたまふ 死ぬるものは死なしめたまふ
                         われに手のなし 南無阿弥陀仏
 そうなってくると、私が目にしている世界すべてが念仏三昧の世界になる。
それが「私が客」、「阿弥陀さんが主体」になるということなのだ。
   
●2018年1月23日●
都会は、ちょっと雪が降ると大騒ぎすると、よく雪国の方々から揶揄される。
確かにそうだ。雪に馴れていないのだから、そう言われても止むなしだ。
昨夜、雪が降りしきる中、地下鉄で帰宅した。私が乗った次の駅で、ご老人が乗り込んできた。私は自席を譲るために、思わずそのご老人に、「座りませんか」と声をかけた。明らかにご老人だと思ったからだ。すると、その方は「あなたと同じくらいじゃないですか」とニヤッとして応えた。同じような老人が、老人に向かって席を譲るなど、ちゃんちゃらおかしいんじゃないの!お前!自分では若いと思ってるようだが、もう立派な老人だぜという意味だ。
それを聞いて、私の隣に座っていた後輩が立ち上がり、ご老人に席を譲った。
隣に腰を下ろしたご老人に、私は、「干支は何ですか?」と聞いてしまった。すると、その方は「ウマですよ」と応えた。
私は内心で、エッと思った。実は私もウマだったからだ。しかし、同い年のウマではないはずだ、ひと回り違っているはずだと思ったが、もう「何年生まれですか?」と質問することはやめた。
万が一、同い年のウマだったらどうしようと思ったからだ。私から見ると、そのひとは、明らかに白髪のご老人だ。しかし、その方から見ると、私も老人に見えたということだ。そう思ったら、すかさず「世間」に頼りたくなった。つまり、「世間的に見て、彼のほうが老人だよな」と、世間を味方につけたくなったのだ。
ということはだ、やはり、私は老人に見られたくないという思いが強くあったということだ。「年齢のわりには、お若いですね」と言われ続けてきたから、思わぬ逆襲を、そのご老人から受けることとなった。
「あなたと同じくらいじゃないですか」は、いままで生きてきて、人生で初めて投げかけられた鋭い問いだった。
 「老・病・死を見て世の非常を悟る」(『大経』)、か。
●2018年1月22日●
いま
いま
いま
生まれて
初めて
体験する
いま

もう「いま」ということを言い過ぎて、語り過ぎて、「いま」のインフレ状態で、何の感動もしないはずなのに、あらためて「いま」に感動してしまった。
生まれて初めて、体験しているのだ。いまを。
未知であり、未来であり、当来のいまだ。
だから、昨日と、「まったく」異質な、いまを生きている。
何が起こり、何を考え、何をするか。そんなことは、「まったく」予知できない。
この「まったく」というところが、またいい。

「当たり前」は幻想であり、「万劫の初事」が真実である。
いつでも、真実に帰ることができるから、安心だ。
どれだけ幻想の世界を生きていてもいいよと、真実は言ってくれる。
八木重吉の「心よ」を思い出した。

こころよ
では いっておいで
しかし
また もどっておいでね
やっぱり
ここが いいのだに
こころよ
では 行っておいで

この詩に押し出されて、「それでは、行ってきます!」

●2018年1月20日●
在家仏教協会の定期講演会のテーマは「時間論で考える往生と成仏」だった。
このテーマは、ものすごく大事だと、いま思えている。
小谷信千代大谷大学名誉教授が、『真宗の往生論-親鸞は「現世往生」を説いたか-』(法蔵館(2015/6/20)・武田は未読)を出されてから、俄かに、親鸞が説いたのは「現世往生」か、「臨終往生」かということが、新たに脚光を浴びてきたようだ。小生も、2012年に三河地域教化センター主催のシンポジウム「往生とは何か-現生往生説と臨終往生説-」に呼ばれ、西本願寺の総合研究所研究員の方と二人のシンポジウムに参加したことがあった。西本願寺の方はは、小谷教授と同じ意味場で「臨終往生説」を主張されていた。その主張を小谷教授の言葉でうまく表現されていると思われる箇所があったので、引用する。
「当時最も信仰を集めていた命終時に如来の来迎をたのむ半自力半他力の臨終来迎の往生ではなく、本願力によって現生に正定聚の位に就かされ、臨終時には直ちに淨土往生がかなえられる、完全に他力のみによる往生」が親鸞の確信であると述べている。(『親鸞の還相回向論』法蔵館(2017/6/20)
 そして小谷教授が批判している、つまり小谷教授が間違いだと考えている「現世往生説」は、「往生はこの世で死んで淨土に生まれ変わることではなく、現世で精神的に新たに生まれ変わること」(同書)である。
 三河のシンポジウムでも語ったことだが、私は、親鸞が「現世往生説」であるとも「臨終往生説」であるとも主張しなかった。なぜならば、その場合の「臨終と現生」をいかなる時間論に立って主張するが解明されなければ、どちらを主張しても無意味だからである。 つまり、小谷教授の主張するように、親鸞は現世では信心獲得、臨終には往生確定という説は文献上で見る限り正しい主張だと思われる。しかし、その場合に、小谷教授のみている「臨終」とは、いつのことなのかが問題になってくる。何十年後なのか、それとも今晩のこと、もっといえば、一分後なのか。それが問われなければ、親鸞以前の「臨終往生説」と、親鸞の「臨終往生説」の違いが不明確になってしまう。もし「何十年後」の未来と考えているのであれば、それは間違いである。
 親鸞にとって「臨終」とは、「いのち終る時」ではなく、「いのちおわらんときまで」(『一念多念文意』)だから、「次の一瞬」である。「次の一瞬」であれば、「現在」と言ってもよいわけだが、厳密な意味では「現在に往生した」と語ってはならない。人間は、「現在」を生きることができないからだ。人間にとっての「現在」とは、人間が感じ取り、意味づけした「現在」であるからだ。人間が意味づけした「現在」とは、すでに「過去化」された「現在」でしかありえない。 
 もし、「現世往生説」を主張するひとが、現世で精神的に生まれ変わり「往生した」と語るのであれば、それも間違いということになる。人間にとって、「往生」が過去形で「往生した」と語られてはならないし、未来形で「まだ往生していない」と語られるのも間違いなのである。
 これは、親鸞の表現に、〈ほんとう〉の片鱗が見えているだけなのかもしれないのだ。まだ親鸞も、信仰の生々しいダイナミックスを完全には表現できていないのだろう。信仰の〈ほんとう〉は、親鸞の思考世界をも超えているからだ。
 それを曽我量深は、「純粋未来」という言葉で感得したのである。曽我量深の直感的信仰理解は、親鸞の思考世界をも超えて、〈ほんとう〉と対話したところから生まれてきたものである。曽我は「釈迦以前の仏教」と言ったが、それをパラフレーズすれば、「親鸞以前の仏教」を直感していたのが曽我量深である。
 さて、小谷教授が、好意を持っておられる金子大栄の言葉を、『親鸞の還相回向論』に引いている。
「念仏申させて貰うことによって(中略)有難いという感覚をおこさせるものがあるのであります。死ねばお浄土へ行けるのであると〔思うのであります〕。人間の生涯の終わりには淨土へ行けるのであり、死の帰するところを淨土におくことによって、それが生の依るところとな〔るのであ〕って、淨土を憶う心があると、その心から光りがでてきて、私たちに不安の只中にありながら、そこに安住の地を与えられるのであります。」(『往生と成仏』)
 それに続けて、「金子師の言葉は、親鸞の往生を願う心を的確に捉えている。」と述べている。まあ、金子大栄が、どういう意味場でこれを語ったのかがわからないので、一概には批判できないが、「念仏申させて貰うことによって(中略)有難いという感覚をおこさせるものがあるのであります。死ねばお浄土へ行けるのであると〔思うのであります〕。」という文章と、『歎異抄』第九条の「念仏もうしそうらえども、踊躍歓喜のこころおろそかにそうろうこと、またいそぎ浄土へまいりたきこころのそうらわぬは、いかにとそうろうべきことにてそうろうやらん」という唯円の言葉が、ひとつに感じられない。
 それは親鸞ではなく、唯円の言葉だから、ひとつの意味場で論じるのは問題外と一蹴されるかもしれないが、私には、そうは思われない。「親鸞学」ならば、問題外でよいかもしれないが、「真宗学」ということになれば、それは大変な問題だと思われる。
 私は、唯円の言葉の方が身近に感じられる。そして、この唯円の発言が、人生のあらゆる場面で顔を出すというのが、凡夫の偽らざる姿ではないか。この唯円の心情が、丸ごと肯定されているのが真宗ではないか。そして、この心情のところにこそ、「往生せよ」という阿弥陀の悲愛が響いてくるのである。この心情を抜きにしては、真宗は成り立つ場所を持たないと言ってもよいのではないか。
 いずれにしても、私は、「臨終」を「通時的時間」で見るか、「共時的時間」で見るかが問題なのだと思っている。「通時的時間」とはカレンダーやか時計で量れる時間観念のことだ。そして、信仰とは「通時的時間」しか知らなかったものに、「共時的時間」が開かれることだと考えている。比喩的に言えば、時間の逆流が起こることなのだ。

通時的時間 未来 ← 現在 ← 過去
 
共時的時間 未来(当来)→ 現在 ← 過去

今日のところは、ここで留めておきたい。
●2018年1月11日●
経験や人格や能力に還元しない見方
どうしても、聞法とか坐禅とか念仏とか、いわゆる「行為」に重きを置いて考えてしまうと、経験や人格や能力へと思考が還元されてしまう。
歎異抄が「老少善悪をえらばれず」(第1章)というとき、それらへ還元しようとする傾向性が完全に払拭されていく。
そういう言葉が出てくる背景を考えると、未来に絶望しているのだ。つまり「行為」をすることで、未来に何かを期待していないのだ。
いかなる「行為」であっても、それが動き出す原点を自己意志に定礎すると、そうなってしまう。
「老少善悪をえらばれず」は、自己意志を基点とせず、さらにその自己意志すらも促されたものと見る、徹底した受動性の世界からしか生まれない言葉だ。
自己意志を煩悩だと見限ってしまうと、そこから先へは進めない。たとえ煩悩であろうとも、その煩悩の底を突き抜けていくと、煩悩すらをも賜わったものという世界へ抜けていく。
そこまで突き抜けていくと、もはや、これが「自己」だとか、これが「意志」だとかいうリミッターは破壊されてしまう。
まあ、破壊されて終わりではないのだ、破壊されたところから、「何でもないような日常」へと再び帰ってくる。
「何でもないような日常」が、阿弥陀さんから一番遠い場所になっていればよいのだ。
「神も仏もあるものか!」という日常に帰っていられればよいのだ。
そこが私の
唯一無二の
「何でもないような日常」の
場所だから。
●2018年1月6日●
オセロの黒の前には、必ず白が打たれていたということだ。
人間は、まず「自分」があると考える。その「自分」が、この世をどう生きるか、なぜ生きるかと自分の人生にかかわるものだと考える。
それは、オセロゲームが開始する前に、すでに黒=自分があり、その黒から、あれこれと考え出していくという発想だ。
しかし、黒の前には、必ず白が打たれていたということに愕然とするのが〈真宗〉だ。
そもそも、身は意識を超えている。常に、身が先、意識は後だ。
そういうことに気付いて、眼を外に向け、世界を眺めてみると、すべてが意識より先にあったことに、またまた愕然とする。
木々や花々、太陽や風や雨、それらは、意識より先だとはすぐにわかる。それだけではない。マンションや団地、電柱や道路。それたちもこの世の意識より先行しているものを加工したに過ぎない。やはり、意識よりも先だったのだ。この世界も。
●2018年1月4日●
法然も道元も、まず自分から能動的に、ある行為を発するという条件において仏道を成就しようと考えている。
法然は、称名念仏という行為を起こす能動的な意志によってだし、道元も坐禅という形を取ろうと能動的に意志することによってだ。
法然は称名念仏、そして道元は坐禅というひとつの行為を選び取った。やはり、一つの行為という形式がなければ、真実の道理に触れてみようがないと考えている。
そして、ひたすら人間の能動性に呼びかける。
しかし、親鸞まで行くと、人間の能動性をすら否定してしまう。つまり、菩提心を発そうとする能動性をも「自力のこころ」として否定されてしまう。それではまったく人間から真実の道理にたどり着く術がなくなってしまうではないか。
ただ、そこまで行かなければ、「平等の救い」(誰もが真実の道理にふれること)は成り立たないと親鸞は直感しているようだ。
人間の側に、ほんの少しの能動性が残っていたなら、それは仏道ではないと言うのだ。
だいたい、仏道は、「さあこれから求めよう」という菩提心から出発することになっている。それすらも否定されてしまっては、もはや「仏道」ではないと明恵も批判した。
明恵の批判もよくわかる。
そうすると、親鸞の発想は、もはや「仏道」ではないのかもしれない。まだ、我々が見たこともない思想なのかもしれないのだ。
人間の側から、一歩でも真実の道理に近づこうと意志した途端に、それは平等な救いから逸脱してしまうのだから。
人間は、そこまで追い詰められると、逆切れする。そんなことじゃ、誰も真実の通りに近づくことはできないじゃないか!と。それは親鸞に対する我々の逆切れであると同時に、かつての親鸞自身の逆切れでもあったのだろう。
しかし、人間は、意志する生き物だから、自分から能動的に行為しようとする本能をもっている。もはや、平等の救いからは、永遠に断絶された存在だ。
そこで親鸞はひっくり返ったのだろう。そもそも、人間に能動的な意志などというものがあるのかと。人間が自身の内を覗き込んでみて、「能動的」だと考えているだけで、そんなものは〈ほんとう〉の「能動性」なのかと。
その「能動性」が怪しいものだと感じ始めたとき、親鸞の中を絶対の受動性という電流が貫いたのだろう。
人間は、いつでも「さあこれから!」だが、仏法は、「もう済んでいる」と応じてくるのだ。昔から、「聞いてから成るのではない。成っとることを聞け」と言われる通りだ。
●2018年1月3日●
報恩などと、呑気なことが言えなくなるのが、真の報恩である。

 元旦の拙寺の修正会と真宗会館の修正会が終った。いろいろなことが私の口をついて発語された。人間は発語しかできない。それは決して法ではない。ただ、その発語を通してしか法は生まれないことも確かだ。発語を法として調理できるのは、聞き手以外には無い。 僧侶とは、何か。
僧侶とは、表現者である。また、表現者、足り得なければならない。
 曽我量深先生は、「回向は表現なり」と直感的に教えられた。表現が人間から生まれるのは、如来からの促し以外にないということだ。
 つまり、自分は客体になり、真の主体を阿弥陀さんに譲ることである。
 
 正月の初詣とは、人間の欲望の数々を、ありありと自覚する場所である。神社仏閣には、人間の欲望が、賽銭箱に投げ入れられる。商売繁昌は欲望だとしても、家内安全は素朴な願いじゃないかと言う。しかし、元宮司が現宮司を刀で切り殺す場所で、祈られる願いであることも悲しい現実だ。
 人間があれこれ願うのは、現実には、それが決して叶うものではないからではないか。叶うものではないから、いつまでも願い続けなければならないのだろう。
 そうであっても、唯一の救いは、そういった現実を、ありありと対象化して見せてもらえることである。「対象化」とは、自分のこころそのものが、向こうにある対象のように見えるということだ。欲望も、貪りも、「対象化」されれば、それが「教え」になるチャンスである。煩悩が無くなってしまったら、私を教えてくれる材料がなくなってしまう。 だからこそ、この世で一番堕落した存在にならなければならない。煩悩が肥大化すればするほど、教えの教材が増えるのだから。
 この世で、もっとも救いの可能性が少ない存在にならなければならない。もっとも可能性のないものだけにしか、救いは届かないのだから。
 全人類が救われたとしても、私は決して救われない場所にいなければならない。そこだけが、唯除の悲愛が渦巻く場所なのだから。
●2017年12月31日●
誕生した途端に終わっていたのだ。

誕生した途端に「死んでいた」のだ。
だから、〈いま〉、生きているのは、一種の幻想なのだ。
「現実」だと思っている〈いま〉が、実は幻想の内容だったのだ。

しかし、まだ物語の幕は閉じていないようだ。誕生した途端に、「余生」だったのだ。
幻想には、終わりが知らされていない。だからまだ結論が出ていない。

確かなことは、「弥陀の本願」だけ。
絶対の片思いだけ。
これだけが、間違いないことだ。

「自分」という思いも一種の幻想なのだ。幻想の中では、「自分」というものがあるように思い込まされ、主人公として演技させられる。

「自分」という確かなものがあって、それが生きているという幻想は辛い。
無いものの上に、有るという砂上の楼閣を建てているのだから。

それも、これも、幻想だったのだと、教え続けている阿弥陀さんの悲愛だけが確かなことだ。
 これぞ永遠の片思いだ。

「自分」というものは客体であって、主体は阿弥陀さんなのだ。
だから自分に、真実は教えられていないのだ。
ゆえに教えられ続ける窓が開かれる。

●2017年12月30日●
身もだえする教団に縁を得て
弥陀の悲愛の言いなりのまま

「身もだえする教団」とは、現大谷派教団のことだ。親鸞已来800年の宿業を抱えて現在にまで至っている。私はよく、こんな言い方をする。「古代から現代にいたるまで、様々な宗教教団が誕生した。また現代も誕生しつつあるのだろう。しかし、現大谷派教団の内部を覗けば、それらの教団の体質をことごとく有している。だから、将来起こるであろう新しい教団であっても、大谷派の内部の体質と同質の教団なのである。もちろん喜ばしい体質もあるし、喜ばれざる体質も内包している。例えばオウム真理経的体質も、イスラム原理主義的体質もある。だから、新しい教団が誕生しても一喜一憂する必要がない。なぜならば、それらの体質は、すでに大谷派が温存しているのだから。」
 この視点に立てば、大谷派は間違いのない正しい「聖なる教団」だとも、また大谷派は抹殺すべき「醜悪な教団」だという主張からも身を遠ざけることができる。とにかく、人間が「共同幻想」として作り上げた組織は「玉石混淆した教団」なのだ。若いころの私は、玉石混淆は間違っていると思っていて、何とか「玉」=宝=聖なる教団だけを残し、石=罪悪を抹消していくべきだと考えていた。それは正しい考えのように見えて、ちょっと人間存在の罪業性を軽く見積もりすぎていた。人間という存在は、そんなに聖なるものでもないし、また醜悪過ぎるものでもない。いずれにせよ、中途半端な存在なのだ。もっとも、聖と悪を混在させているのが人間という生き物の「偽らざる、ありのままの姿」だ。そういう人間の大地に着地してからは、教団の諸問題に一喜一憂することがなくなった。
 しかし、それでも、この「中途半端さ」に耐えられなくなり、なんとかせねばとか、この曖昧としたアンニュイに対して、ストレスを感じてしまい、何らかの動きを始めだそうとする。そのとき、想わなければならないのは、阿弥陀さんの悲愛である。阿弥陀さんの悲愛がなければ、私たち人間は人間の力で、そのアンニュイをやっつけなければならなくなる。
 だから、どうしても人間を「超えた」ところから人間が照らされ、アンニュイがおのずと溶解されていかねばならない。それが「弥陀の悲愛の言いなりのまま」である。
 阿弥陀さんの愛には必ず、悲しみがある。それを唯円は「歎異」という言葉で受けとめた。「異なるを歎く」と。「異なっている」という批判も、「歎く」という悲しみも、すべて阿弥陀さんの悲愛である。人間には、起こらないこころである。人間の「歎く」は煩悩の歎きであり、絶対的なものではない。「もっとましな人間になってほしかったのにと歎く」とか、「現代の政治状況を歎く」とか、「自分自身の不甲斐なさを歎く」とか、さまざまに人間は使うのだが、それもこれも、自分が貪欲によって描いた「思惑」と違った結果になり、その姿を瞋恚の煩悩によって、つまり怒りの感情を底辺にして、残念がるのである。
 『歎異抄』第四条の言葉を借りれば、人間の「歎く」は「聖道の慈悲」で、すべて条件付き、つまり煩悩内部の出来事だ。
 阿弥陀さんの「歎く」は「淨土の慈悲」で、無条件、つまり「人間を超えた歎き」である。
 「超えた」ということも文字でしか言い表せない。
しかし、「超えた」という言葉を使わずに、そのことを言い表すことのできないものが人間にはどうしても必要なのだ。「超えた」という言葉では、決して言い表せないのだが、この言葉を使わずに表現できないもどかしさだけがある。
 「超越」とか、「彼」とか、「畢竟」とか、そういう言葉で「超越」の手触りを何とか伝えようとしているのだ。いつも言うように、デッサンでしか人間には〈真実〉を描くことができないから。
 連れ合いから、筧忠治という画家のいることを知らされ、驚いた。
「筧忠治(1908-2004)は、現在の岐阜県一宮市萩原町東宮重に生まれ、市内小信中島で機屋を営む父のもとで幼少期を過ごしました。9歳の時に名古屋市中区上前津に転居し、高等小学校卒業後に愛知県測候所(現・名古屋地方気象台)に勤務するようになってから画家を志しますが、画壇との交流もなくほとんど独学で絵を描き続けました。」(ネットより)
 とにかく、何十年も自分の自画像を書き続けたひとだ。絵を見てギョッとするくらいの自画像ばかりだ。写真の彼とは、違っている。鬼のような、悪魔のような、閻魔のような形相だ。
 そして思ったのだ。彼はなぜ、自画像にこだわり、何十年も書き続けたのかと。
私は、自分の顔など見飽きていると思っているが、彼にとってはそうではなかったのだろう。未知なるものであり、いまだかって、「描けた!」と満足しなかった題材なのだろう。だから、死ぬまで自画像を書き続けたのだろう。
 彼にとり憑ついていたものこそ、〈真実〉だろう。〈ほんとう〉の自画像を描きたかったのだろう。それは私と同じことではないか。やはり、形式は違っても〈ほんとう〉を表現しきったとは言わせないものがある。筧さんも表現者なら、私も表現者だ。
 〈ほんとう〉にとり憑かれているかどうかだけが、究極的なことなのだろう。
「弥陀の悲愛の言いなりのまま」とは、自分にとって、「弥陀の悲愛」の仰せの言いなりになるという受け身体験を語っている。この「言いなりになる」も、どういうふうな意味場で味わうかで違ってくる。人間が、自分の自己肯定に使うならば、それは「造悪無碍」だ。私はむしろ、「弥陀の悲愛」の仰せによって振り回され、こき使われるという受け未体験の意味場で使っている。
 自分が生きているという根本の真実は、阿弥陀さんの悲愛の仰せのままに生きているということだ。私は「阿弥陀さん」を〈無・意味〉と翻訳しているのだが、誕生という〈無・意味〉に押し出され、未来という〈無・意味〉に向かって、〈無・意味〉な生を〈いま〉生きている。その全体が阿弥陀さんの掌の中だ。
 自分には「真実の自分」を見る眼がない。それでよかったと、言い得る喜びだけがある。
 
●2017年12月27日●
南無阿弥陀仏はブラックホールか!
 善導は『観無量寿経』を総括して、「上よりこのかた定散両門の益を説くといえども、仏の本願の意を望まんには、衆生をして一向に専ら弥陀仏の名を称せしむるにあり、と。」(『観経疏』散善義)で述べている。
いかにもこの経全体が、観想の行を説いているように見えるが、結論は「南無阿弥陀仏」を称えることだと言っている。
この善導の受けとめ方をどう読むかだ。要するに、お経には「定散二善」(定善13観・散善3観)という観法を説くのが中心のように説かれているが、結局、それもこれも南無阿弥陀仏を称えさせるためだったとも読める。
 しかし、この善導の文章を読めば、そんな無駄なことをしないで、最初から南無阿弥陀仏を称えろとだけ言ってくれればいいじゃないかとも読める。あるいは、南無阿弥陀仏を称えることの重要性を知るためには、まず定散二善という難行をしなければ分からないのだ。16観をやったお蔭で、初めて南無阿弥陀仏の重さがわかるようになるのだとも読める。果たして、どうよむかだ。
 『観経』は、お釈迦さんが、韋提希に向かって、淨土へ往きたいならば、とにかくやれるもんならやってみろというふうにけしかけている。そして、定散二善を説く。『観経』はやはり、王舎城での事件をキッカケにして展開したお経なので、どうしても臨床教学であることは免れない。だからこれは韋提希というクライエントに対してだけ、カウンセラー釈迦が処方した教えなのであろう。
 そうではないとお釈迦さんは言ってはいる。「未来世の一切衆生の煩悩の賊のために害せらるる者のために」とは言ってはいる。それを受けて善導は、韋提希だけでなく、全人類の救済の経典だと普遍妥当性を読み込んでいく。しかし、そうなると、我々も定散二善をやらねばならなくなる。まあ、定散二善をやるかやらないか、またやれるかやれないか、あれこれ様々に受け取れるが、そんなものを一切合切全部飲み込んでしまうのが『観経』のようだ。
 やはり、『観経』は、すべてを南無阿弥陀仏に飲み込んでいいくブラックホールだと言いたいのではないか。

『観経』という経典は物語である。だから、教科書や教訓話として読んではいけないのではないか。いわばおとぎ話のように、「むかしむかしあるところに韋提希がいて…」というふうに読めばよいのだろう。この物語性が、これを読む人間の物語性と響いてくるのだ。王舎城という家庭が物語の設定として使われる。そしてこれを読む我々も自分の家庭を、それに重ねて読んでいく。まず家庭が仏法が説かれる、仏前であるというのがいい。ここが仏法を聞くためのど真ん中のかぶりつきということだ。
 そこに事件性があり、次々と家族の人間像が浮き彫りになり、登場人物の台詞が折り重なっていく。物語は、つねにこれを読む人間の物語性と共鳴していく。
 そして、最後のクライマックスが南無阿弥陀仏だ。南無阿弥陀仏が人生という物語の結論であり、南無阿弥陀仏によって、人生のすべての吉凶禍福、喜怒哀楽が吸い尽くされていく。南無阿弥陀仏で物語の幕が下ろされる。
 それが、「仏の本願の意を望まんには、衆生をして一向に専ら弥陀仏の名を称せしむるにあり」なのだろう。
 善導はどうか分からないのだが、親鸞は、「称するにあり」ではなく「称せしむるにあり」と読んでいる。称えるのも、受動体験だと見ている親鸞がいる。

 そういえば、2013年8月に新宿の専福寺で「親殺し」という芹沢俊介さんの作った劇が、野外劇で夕方から夜間に掛けて上演された。それこそ王舎城の事件を題材にした芝居だった。その劇中に出演者たちが、次々に大声で「親を殺せ!親を殺せ!親を殺せ!」と叫ぶシーンがあった。観客の私は、あまり大声で叫ぶものだから、大丈夫だろうかと心配になった。つまり、専福寺は近隣住民に近接しているので、夜でもあって、近所から苦情がこないだろうかと不安になったのだ。上演二日目に、その予想があたった。パトカーが来たと聞いた。
 そして苦情を言ってきた男性が、やってきて苦情を述べたそうだ。聞くと、その男性の親が、少し前に亡くなって、悲しんでいるという。そんな時に、親を殺せ!とは何事だというのだ。
 まあ、その文脈も分からないでもない。
だが、「親を殺せ」という記号が、我々の想定を超えて、不特定多数に響いたという、これこそが仏教の神髄なのかもしれないと思わされた。苦情を言ってきた、その男性には、切実に迫ってきたのだ。
「非常識極まりない!」と。しかし、それが生きた仏言ではないか。そういう形で、〈ほんとう〉の仏教は伝わるのかもしれない。そのひとの日常を抉りだすようにして、切り付けてくるものこそ、〈ほんとう〉なのかもしれない。
そういうライブの生々しさを「おとぎ話形式」で教えるのが『観経』なのではないか。
●2017年12月26日●
他者の言動に対して、腹が立つのは、その背景に「甘え」があるからだ。
つまり、「夫なら、私にもっと優しくするのが当然でしょ」とか。「女房なら、俺のやっていることくらい理解してくれているのが当たり前じゃないか」とか。
頭に来るなぁと思っているこころの裏側には、私を愛し、優遇してくれるのが当たり前じゃないかという「甘え」が潜んでいた。逆に、「甘え」のないところに腹立ちは起きない。
 車を運転していても、青信号でどんどん進めるのは心地よいが、黄色信号になり、赤信号になると不快になる。自分が走っていて、何度も赤信号に引っかかるとさらにイライラが募ってくる。これも「甘え」が関係している。
 本来ならば、自分は青信号で快適に進めるはずなのに、なんで赤信号ばかりになるのかと腹を立てる。「本来ならば、私は快適に進めるはず」という「甘え」が、逆にイライラを募らせるのだ。別に、ひとを苛つかせるために、赤信号になっているわけでもないのに。
単なる機械的なシステムにさえ腹を立てるのが、人間の浅ましさだ。それはやはり人間が「物語」無しには生きられない存在であることを証明している。機械的なシステムを人間が、「人間的物語」に変換してしまい、腹を立てているのだから。信号は、単なる機械なのに、それをあたかも人格化し、自分の快適さを敢えて阻止する「物語の登場人物」に仕立ててしまうのだ。
しかし、何度も何度も、進んでいくたびに青信号から赤信号に変わってしまうと、「今日は、なんて日だ!」と絶叫したくなる。それもこれも、自作自演の物語だったのだ。
「甘え」も、仏教的に解釈すれば「貪欲」だ。快適を、そして優遇を貪りたいだけだ。
その快適と優遇を遮断されたとき、「貪欲」は「瞋恚」という怒りに変質する。
「本来なら、こうして当然じゃないか」という、その「本来」ということろにいろいろなものが当てはまる。「夫・妻・父・母・子ども・孫・社員・上司・親友・友だち・同僚・日本人・人間・現代人・社会人・政治家・警察官・医者・看護士」等々が当てはまる。
 しかし、果たして、その「本来」というのはどういう性質のものなのだろうか。それは「甘え」ではないか。いくら「本来」を立てたところで、現実にトラブルが起きているのだから。阿弥陀さんなら、「本来」なんか、「本来無いよ」というのではないか。人間が七〇億人いれば、七〇億の理屈があるのだから。
 まあ確かに、社会的に見てどうなのかという特殊な例もある。たとえばゴミ屋敷の住人とか、極端な音量で音楽を流す住人とか。誰が見ても、それは異常じゃないのかと思われるものは、「本来」に当然あてはまる。
しかし、問題なのは、「社会的に見て異常」と言われるほどではないけれども、自分にとっては不快という境界域ではないか。むしろ、これのほうが大問題だったりする。人間のストレスの八割は人間関係だと言われることが、それを証明している。
人間は集団生活をする生き物だから、恐らく、これは原始未開の頃からある、人間にとってはとても深刻な問題なのだろう。
対人関係でストレスを感じたとき、人間は、そのストレスをそのままにすることができない。ストレスは澱のようにたまっていくからだ。まあひとによって、ストレスを開放していく方法は違うのだが、そのひとつには、「仲間作り」という方法がある。つまり、嫌いな上司がいて、その「異常」さを同じように感じている仲間を作り、自分たちは「まっとう」で、上司は「異常」と振り分けて、飲み会で上司の悪口を言い合うという方法だ。一対一の場合は、なかなかそうはいかない。
 いずれにしても、本当は、慎ましやかに、あたかも道端に咲いている健気な雑草でありたいと願っているのだが。そんなことを許してもらえるはずもなく、相変わらずイライラ、腹立ちというステージでスポットライトを浴び、怒りのエネルギーで全身をギラつかせているのだから。どこにも逃げ場がない。
●2017年12月23日●
行為は否定
存在は肯定

麻原の行為は絶対否定だ。しかし、存在は絶対肯定だ。
もし麻原が、助からなければ、全存在を救うといった阿弥陀さんは嘘つきになってしまう。1995年のオウム事件のとき、吉本隆明さんは、「麻原は救われる」と言って、マスコミから叩かれた。おそらく彼が言いたかったことは、そのことだったのだろう。
しかし、足指一本、土俵を割ってしまっていた。それは、「麻原が救われる」と断言したことだ。〈ほんとう〉のことを言えば、救われるか、救われないかは、麻原個人と阿弥陀さんとの関係でのみ言いうることであって、それを第三者が救われるとか救われないとかいうことは越権行為だ。救いはどこまでも、一人性でしか確認できないことだ。
だから、もし麻原が救われなければ、阿弥陀さんの慈悲は不完全なものであり、そんな阿弥陀さんなら、私たちは願い下げだとだけとだけは言いうるということだ。そもそも、阿弥陀さんは「一切衆生」を救うと断言していいるのだから。まあ、正確に言えば、阿弥陀さんが断言しているのではなく、もし普遍的な救いを成就させる「阿弥陀」というはたらきがあるとするならば、それはあらゆる存在を救えなければ、「阿弥陀」とは言えないというだけだ。
「阿弥陀」さんは、殺人罪に問われる人間をも助けるのかという批判を受ける。その問いに対しては、その通りだと答えなければならない。一方に被害者遺族の心情をどう考えるのかという意味場は確かにあって、その意味場は限定された意味場の中で、誠実に共感・同情・哀悼の意を評していかなければならない。被害者が、もし貴方の肉親だったらという、前提で、それは成り立つ。
ただ、その意味場と、「救い」の教えの意味場は次元を異にしていることは間違いない。意味場を混乱すると、〈ほんとう〉が見えなくなく。
あらゆる苦悩する存在を救えないようでは、阿弥陀さん失格だ。それでは阿弥陀さんはどんな者でも肯定していいくのかといえば、そうではない。
「行為」は絶対否定、「存在」は絶対肯定だ。
第18願には、五逆を「唯除」されている。五逆とは犯罪だから、犯罪行為は救いから除外される。しかし、それだからといって、五逆の者を救わないとは言っていない。五逆の行為は絶対否定だが、犯した存在は絶対肯定する。犯した存在も、「一切衆生」の範囲内だから。
行為は絶対否定。存在は絶対肯定。これが〈ほんとう〉の筋道だ。こうやって意味場の次元を腑分けして、棲み分けていければ、信仰生活の混乱はなくなるだろう。
●2017年12月20日●
12月17日の「つぶやき」の文章について、質問がありましたので、同じような疑問をお持ちのかたもあると思い、質問文と応答文を転載いたしました。
【質問文】
武田定光 様
「住職のつぶやき」をいつも拝見させていただいております。
頭の中がひっくり返されるような先生の表現が、わが身に響く阿弥陀さんのはたらきのように感じられています。
昨年、大垣教務所に来ていただいた時、初めて先生のご講演も拝聴しました。
講演の内容はあまり覚えていませんが、「なぜ?からはじまる歎異鈔」は買って読みました。
先生の言葉の中で私の中でのキーワードを少しあげさせていただければ

・まだ表現されていない真宗

・仏法(阿弥陀さん)は、絶対否定装置

・「言葉を超えている」ということも、また言葉以外では伝えられない
などです。

本日は、失礼ながらお聞きしたいことがありメールさせていただきました。12/17のつぶやきの以下のところですが

「~だから聞く」は、まだ済んでいない世界だ
「~を聞く」は、もう済んだ世界だ

のところが、うまくいただけません。
逆ではないかと思うのですが、私が領解できていないのかもと思案しています。
お教えただければありがたいです。

【武田応答文】
メール拝受いたしました。いつも「つぶやき」をご覧くださり有り難うございます。
さて、お尋ねの件に付いてお答えします。
2017年12月17日の「住職のつぶやき」には以下のようにあります。

「邪見憍慢だから聞くのではない
邪見憍慢を聞くのである
この二つの言い方だが、世界がまったく違う
「~だから聞く」は、まだ済んでいない世界だ
「~を聞く」は、もう済んだ世界だ
もう済んだ世界を、まだ済んだこととしない新しい世界の開けである
どこまでも開けていいく世界である
宇宙の終わりまで、開き続けていく世界である」

以上が、「つぶやき」の文章です。
 結論的に言えば、貴方と私の「済んだ世界・済んでいない世界」の言葉の受け取りが、ちょっと逆さまになっていただけのことではないかと思います。
 私は「邪見憍慢だから聞く」ということになると、自己の「邪見憍慢」をマイナス評価して、それを足場として、さあこれから聞法しなければならないと考える世界で、「済んでいない世界」と表現したわけです。
 一方の「邪見憍慢を聞く」というのは、「邪見憍慢」が自己を教える教言となって、自己の罪悪性を白日のもとに照らし出し、息の根を止めるので、「もう済んだ世界」と表現したのです。
 ですから、この「済んだ」という言葉をどの意味場で受け取るかの違いです。これは私の中でも、違った意味場で使われているので、混乱するのも当然かと思います。
 私は去年、『もう済んだと思ったが、まだ始まっていなかった』という題名の講演録を出しています。(※「単語」は同じでも、「意味場」が違った意味に用いられる場合もあります)
 この場合の「済んだ」は否定的な意味で使われています。もう「仏教はある、真宗はある、本山はある、教団はある」と済んだことにしてしまっていて、それが〈ほんとう〉は「まだ始まっていなかった」とひっくり返ることこそが真宗だと表現したのです。
 しかし、「つぶやき」では、「済んだ」を肯定的な意味に用いていますから、混乱してしまいますよね。ここでの、「済んだ」は、曽我量深先生の言葉で言えば「信に死して、願に生きよ」の「信に死して」という意味で用いたのです。「信に死す」とは、自分自身のこころの有り様を「邪見憍慢」だと劣等感情で見ていた、その「自力のこころ」に死ぬことを意味しています。ですから、「邪見憍慢だから聞く」というのは、まだ死んでいない、つまり19願の意味場で考えられた「邪見憍慢」です。
 それが18願の意味場に転じられますと、「邪見憍慢」は、自分で自分のこころを劣等感情で価値判断した、その「自力のこころ」に死んで、自己への教えと転じた世界です。ですから、そこには阿弥陀さんが介在してきます。自分が自分自身を振り返って、「ああ俺は邪見憍慢だなぁ」という意識をひっくり返して、それは、阿弥陀さんのご覧になった私のこころの世界だと逆照された世界です。
「邪見憍慢」は自分で自分のこころを劣等感情で受け取ったものではなく、阿弥陀さんが、あなたに教えて下さった教えに転じたのです。ですから、「自力のこころ」に死んで、阿弥陀さんの教えの世界に出ていくことになります。
 この阿弥陀さんからの逆照に会って、「邪見憍慢」を教えとして転じられたならば、そこからますます教えを聞いていく新たな世界が開かれてきます。まあ、阿弥陀さんの教えを聞くことのできる「耳」が生まれたということでしょう。
 阿弥陀さんから「汝、邪見憍慢なる者よ」という声が聞こえてきたならば、懺悔するのみです。その懺悔は阿弥陀さんの、私への直説ですから、それはそのまま有り難い、悲愛の讃嘆へと抱かれていきます。懺悔と讃嘆は、紙の裏表の関係です。
 これでお分かりいただけたでしょうか。ご質問、本当に有り難うございました。
2017年12月20日    武田定光 拝
●2017年12月17日●
邪見憍慢だから聞くのではない
邪見憍慢を聞くのである

この二つの言い方だが、世界がまったく違う

「~だから聞く」は、まだ済んでいない世界だ
「~を聞く」は、もう済んだ世界だ

もう済んだ世界を、まだ済んだこととしない新しい世界の開けである
どこまでも開けていいく世界である
宇宙の終わりまで、開き続けていく世界である
●2017年12月15日●
決して、ひととは交わらない線路を、ひとは、ひた走っている。
初めから、ひととは決して交わらない線路だったのだ。
隣の線路を見ては、いろいろとモノを言いたくなるのだが。
だから、決定的に、他者と「孤絶」している。
もっと、もっと、「孤絶」して、徹底的に孤絶し尽くしたとき、初めて、他者が「不可解な他者」として、甦ってくる。

●2017年12月8日●
富岡八幡の宮司殺傷事件に驚いている。
同じ江東区ということもあり、あの八幡様の境内に隣接している門徒もあり、小生もその門徒宅へお参りに行った見覚えのある場所なので、ギョッとした。
 まあ、以前から宮司の悪いウワサは、漏れ聞いていたのだが、まさかここまでこじれているとは知らなかった。因速寺の門徒で、国会議員の柿沢未途さんのお宅も、ご近所でなので、テレビのインタビューで顔をのぞかせていた。
 場面はまったく違うのだが、『観無量寿経』の王舎城の物語を連想してしまった。まあこっちは王宮内での事件で、欲望空間だから、権力闘争等が頻発しても、さもありなんと思える。ところが、今回のは神社という、「清められた清浄な宗教空間」内部での事件だけに、ギャップが大きすぎる。テレビで放映された、宮司宅玄関前のおびただしい血痕が、より鮮烈に、違和感を感じさせた。
 そして、直感的に、ああ、ここには阿弥陀さんがいなかったのだと、思い至った。神道には阿弥陀さんがいない。様々な事情、つまり宮司後継問題とか兄弟間のカインコンプレックス問題とか、金銭問題などがあったことは当然だ。しかし、それらの諸事情を洗い流して、本質を突き詰めてみると、やはり、そこには阿弥陀さんが介入するキッカケがなかったということに尽きる。
 当然、神社・神道も阿弥陀さんの救済空間内部の出来事であることに違いない。神社だから、阿弥陀さんの治外法権ということはない。神社だろうとキリスト教会だろうが、阿弥陀さんの救済空間内部の出来事だ。
 だから、それをもっと突き詰めると、行き着くところは、阿弥陀さんの救済力が弱かったということに尽きるのかもしれない。そこで、泣いておられるのは、阿弥陀さんだろう。
 あの宮司家族には、阿弥陀さんがあっても、無きが如しという生活だったのだろう。
結局、自分自身の煩悩を映す鏡がなかったのだ。神社には鏡と刀と勾玉(三種の神器)が安置されているという。その鏡は、人間の欲望をありありと映し出す鏡ではなかったのか。ただの神様を象徴するためのアイテムだったのか。
 阿弥陀さんをこころの鏡とすると、口で言うのは簡単だし、真宗のお話では、在り来りの話だが、それが「我がこと」として切実にはたらきだすのは、地球が逆回転するほどの奇跡だったのだ。
 
●2017年12月7日●
今朝、「自己化」という言葉が、回向された。
 一体自分は、何に向かって、日々を「生きている」のだろうか。今朝も「思い」を超えて、目が覚めた。これは「自分の意志」ではない。意志を超えた行為であって、自分の「思い」からすれば、超越的なことだ。それを私は「宗教行為」と名づけている。
 呼吸をするのも、目が覚めるのも「宗教行為」だ。
 「思い」を超えている行為を、すべて「宗教行為」と呼んでいる。
その「思い」を超えている宗教行為を、思いはつねに後付けして「自分が思った、自分が意志した、自分がやった」と思い込もうとする。これはひょっとすると、越権行為かもしれない。
 ただ人間は、そうとしか思えないのだ。
 そうとして思わせるのも、宗教行為なのかもしれない。それは何のために。
そう、それは自分が「自己化」するために。
 まだ、自分は自己になっていないのだ。自己になっていないから、娑婆にはいろいろな仕掛けがしてあって、自分を自己として育ててくれるのだろう。
 人生は、自己化の装置だったのではないか。
 まだ、自己になったひとはいないのだから。
●2017年12月5日●
世間のお役に立とうとすると嘘になる。
仏法は、世間の価値観はダメだと絶対否定する装置だから。
しかし、「世間のお役にたたなければならない」と考える僧侶も多い。「寺の社会的存在意味」とか「公益法人としての役割」とか、「反戦平和の担い手」とか、様々な有言・無言の要求やら強制がある。
 これは、時代の空気だから、絶対に目で見ることはできない。その時代の「良心的な僧侶」はその空気をいち早く察して動いた。
 その空気は右にも左にも吹きつける。
 曹洞宗の僧侶・仙涯は「気に入らぬ 風もあろうに 柳かな」と詠んでいる。柳を揺らす風。気に入る風も、気に入らぬ風もあるだろう。ただ、目に見えない風が見えていた。
 目には見えない風だけを、見つめていたい。
また、それを見つけることだけが僧侶の存在意味ではないか。
  
●2017年12月3日●
同じことの繰り返しはない。これが「真実」である。
しかし、人間は「同じことの繰り返し」が好きだし、喉から手が出るほどに欲しいのだ。やはり、「真実」に背いているのが自分、ということなのだ。
それが自分の定位置だ。
今日は、お天気がよく、公園の紅葉が真っ赤に色づいている。
その赤に感動している自分がいる。
それも、いつまでも感動していられるわけではない。
いわゆる「時」と共に、その感動も薄れていく。
感動も電流ようものだから、自分を経過して、大地に放流されていく。
ああ、同じことの繰り返しはない。
繰り返しはない。
それなのに、いや、それであっても、自分は、「明日も生きている」と固く思い込んでいる。
とことん、自分は「真実」に背いている存在なのだと、あの紅葉から証明されてしまった。
●2017年11月27日●
息が詰まるほどの、〈いま〉を生きろ。
漫然と、眺めることのできない 〈いま〉を生きろ。
超越的な〈いま〉を生きろ。

と、聞こえてきた、今朝。
「思ってしまったこと」は、決して「思わなかったこと」にはできない。
「やってしまったことは」は、決して「やらなかったこと」にはできない。
全部、阿弥陀さんはお見通しだ。

阿弥陀さんから、見られた私は。
マルハダカだ。 
●2017年11月22日●
「救いの道理」と「自分の心情」とを分割し峻別する。
たとえ自分にそれができようが、できまいが、「救いの道理」は、それ自身で厳然として成り立っているものだ。ただ、「救いの道理」を徹底して解明し、表現し尽くしていく責任が人間にはある。
 『歎異抄』第一条の冒頭荷は、「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて往生をばとぐるなりと信じて、念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり」とある。
 この文章を読んで、自分自身のこころの内を探りだす。「果たして、信じているのか?信じて念仏しようと思ったことがあるのか?」などと。そして「そんなことは自分には、ないなあ」と結論づける。
 ここには「救いの道理」が述べられているので、果たして、それを人間ができるかどうかという意味場とは違ったことが述べている。まず、「救いの道理」と「自分の心情」とをきちっとわけなければならない。
 つまり、「できるか、できないか」ではなく、「できても、できなくても」という世界だ。
 南無阿弥陀仏がちゃんとできているか?と問われれば、できていないとしか答えられない。それはそれでよいのだ。ちゃんと称えられるようになったとしても、またちゃんと称えられなくても、それは阿弥陀さんとは無関係だ。
 ただ、ちゃんと称えられようが、称えられまいが、そんなことと無関係なのが南無阿弥陀仏だ。そこに救いの道理が厳然と成り立っていることだけは確かだ。救いの道理だけは、燦然とひかりを放っている。
 やはり、阿弥陀さんとの不可侵条約を結ぶしかない。
 河合隼雄先生が「一人でも二人、二人でも一人で生きるつもり」ということで、ひとりで生きているひとは、こころの中にパートナーをもっていると述べていた。それが、「父なるもの・母なるもの・内なる異性・もう一人の私」など、様々な顔をもっている。
 私も、「阿弥陀さんと対話する」などと話すこともあるので、何か二人の人間が面と向かって話し合っているようにイメージされるきらいもある。しかし、阿弥陀さんなど姿は見えないし、声もしないし、イメージすることは不可能だ。だから「対話」などという表現も正確ではない。
 それでは、私が「対話」と言ったのはどういうことかというと、時々、「それは違うんじゃないか?」「それは〈ほんとう〉だろうか?」という疑問形になって阿弥陀さんが関わってくるということなのだ。初めは、違和感程度のことだったり、あきらかに疑問形であったり、ほんの些細な御知らせなのだ。
 それが阿弥陀さんとの不可侵条約ではないか。決して、阿弥陀さんとの絶縁ではない。「条約」を結ぶというメタファーは、そのためにある。
●2017年11月20日●
❶あるお寺の伝道掲示板に、こんな言葉が書かれていた。

あれもできる
これもできる
と言う弱さ

確かに、そうだ。年齢がいくと、そういう言葉が多くなる。たくさんのことが「出来たほうがいい」と思っているから、そういう言葉を吐いてします。しかし、そういうことを言わなければならないほどに、自分は弱いものなのだと法語は語っている。

❷中年期の憂鬱

子育ても終わり、親も見送った
さて
私は、これからなんのために生きるんだろう

当面の目的が達成されてしまうと、生きる目的が曖昧になる。
青年期には、生きる目的などは必要ないのだ。
そんなことを考えているひまはない。子育てに親の介護に明け暮れている。
しかし、それがすべて済んでしまうと、目の前のやるべきことが消えてしまい、生きる目的が無くなり、憂鬱になる。

ここで初めて〈出家〉が問題になる。
●2017年11月16日●
 あの赤信号にイライラさせられる。青信号から黄色になりそうなとき、前を走っていた車が、停まった。「おいおい、この速度だったら、まだ交差点を走り抜けられただろう!」とイライラした。それから青信号に変わって、イライラも過ぎ去って気持ちよく走っていた。ところが、また青信号が黄色に変わり、赤になって停車させられた。
ここでまたイライラ。東京は、信号が多すぎる!走っている時間より、停車している時間が圧倒的に長い!などと、内心でつぶやく。
 いつも、あの赤信号にイライラさせられ、このイライラと自分自身とが分割できない。自分自身とイライラとを分割できることが真宗のはずなのにと思うが、それができない。それが「現事実」。
 イライラはコールタールのように自分自身に張り付いていて、ぬぐい去ることができない。皮膚の細胞の穴、髪の毛一本一本、内臓脂肪に溶け込んでいる部分、自分では見たこともないような自分の微細な部分にまで、ベットリとコールタールのように塗り込められている。
 この煩悩以外では、自分は出来上がっていないはずなのに。どこかで、この煩悩を何とかしたいと思っている。煩悩は、相手に対して害毒を流すが、実は自分自身を汚し、傷つけ、疲労させていくのだ。
 そうそう、二車線の道路を走る方が、一車線の道路を走るときよりも疲労するのは、そのためだろう。二車線あるいは三車線の道路だと、車線変更をしなければならないからだ。「しなければならない」というのは間違っている。そのまま自分の車線を行けばなんの問題もないからだ。ただ、車線変更をして、できるだけ前へ、速く行こうとする煩悩が黙っていないのだ。だから、二車線道路で、追い越し車線が渋滞すると、左側の車線に移動したくなる。左側の車線が混みだすと、右へ移動したくなる。そうやって、まさに「右往左往」することで疲れて果ててしまうのだ。
 それに比べて、一車線の道路は疲労度が少ない。混みだそうと、停まろうと、この道を行くしかないからだ。右往左往する煩悩が起こらない分、疲れないのだろう。このどうしようもなさを、いつも味わわされている。
 以前、門徒を乗せて走ったことがある。そのとき、「住職はハンドルを握ると、性格が変わるねえ!」とたしなめられた。つまり、車線変更を繰り返したり、追い越し車線を多く走るとか、(いやいや、法令遵守の範囲内ですよ)まあいろいろあるのだが、それを揶揄されたのだ。
 しかし、私はそれを聞いて「いやいや、性格が変わるんじゃなくて、もともとの性格が表に現われただけですよ」と言い返した。門徒の見ている私は、門徒が懐いている「幻想の私」である。住職というものは、そんなにあくせくしないで、泰然自若と構えて、小さなことには目もくれず、ゆったり豊かに生きているものだという幻想である。思い込みと現実とは、常に乖離しているのだ。
 ところで、あの赤信号の意味転換が、ようやくできた。
あの赤信号は、いわば私の貪欲の煩悩を遮断するはたらきをしていた。貪欲が遮断されると、遮断した対象に対して瞋恚(怒り)の煩悩が引き起こされる仕組みになっている。そこまではすでに分かっていた。
 今回、あの赤信号は、「臨終現前」の象徴だと意味転換することができた。あの赤は、お前が明日も生きられるという思いを遮断して、臨終が目の前に現われ、突きつけられたという教えに転換できた。貪欲の煩悩を遮断するばかりでなく、いのちがある、明日もある、という「思い上がり」が断絶される教えだったのだ。
 意味転換できたことで、あの赤信号の味わいが変化してきた。だてに赤信号をやっているわけではなかった。あの信号機も阿弥陀さんのお手回しだったとは。
 「摂取不捨」とは、このことだったのかと、あらためて感じ入った。
●2017年11月15日●
親鸞聖人も、お人が悪い。
「仏智を疑惑するゆえに」とか「如来の諸智を疑惑して 信ぜずながらなおもまた 罪福ふかく信ぜしめ 善本修習すぐれたり」などと言う。
仏智や如来の智慧を疑える者は、仏智と同質・同格の者でなければならない。私たちには、仏智など知ることなどできないのだ。
それなのに、「お前は仏智を疑っているだろう」と、痛くもない懐を探られるようなもんだ。こう親鸞聖人に問い詰められれば、私たちは立場が弱いもんだから、「申し訳ありません。仏智を疑っているつもりはないのですけれども、仏智を疑ってしまっているのです。ごめんなさい」と、苦し紛れに詫びなければならない。
親鸞聖人は、仏智と同格でもない者が、仏智を疑えるはずはないと、先刻御存じなのだ。御存じのことを、隠しておいて、「お前は仏智を疑っているぞ」と恫喝しているのだ。なんとお人の悪いことを言うのか。
そもそも、その恫喝を契機にして、自分自身が仏智を分かっていると思い上がっている罪を自覚させようとするのだ。そう思うと、なんともお手回しのよいお説法だと、やはり、親鸞聖人は私より、役者が二枚も三枚も上だと、脱帽せざるを得ないなあ。
●2017年11月12日●
阿弥陀さんに起こされて、寝床の中で目が覚めた。
「生きる」ことも、阿弥陀さんの命令だったのか。
阿弥陀さんに命じられるままに、娑婆での修行が始まった。
阿弥陀さんの舞台は、なんと広大なんだ。
ハナミズキは、春先白い花を咲かせ、夏には緑の葉を繁らせ、秋には紅になり、冬には一枚残らず、葉を落とす。
そいつの近くに立っている源平桃は、春先には白とピンクの咲分けで春の訪れを、誰彼、隔てなく伝えてくる。あの美しさは、見たものを、感動させずにはおかない。しかし、11月の現在でも、緑の葉は繁ったまま。ひとつの葉っぱも落としてはいない。
なんだか、ハナミズキは老病死を象徴しているのに、源平桃は、青年のままかと、想えたりする。なんだ、この個性の違いは!ひとつとして同じハナミズキは存在しない。唯一絶対の存在だった。我々は、あれはハナミズキだとか、植物だとか、分類して分かったことにしているが、そんなところには〈ほんとう〉のハナミズキは存在していなかった。それなのに、ハナミズキなどと、人間は勝手にレッテルを貼っている。これほどの差別はないだろう。
ああ、それも、これも阿弥陀さんの舞台内部のことだった。
まさか、阿弥陀さんが紅葉にしたりしてはいないのだが、あたかも、阿弥陀さんがそうしているように感じてしまう。
この世は、あらためて阿弥陀さんの「教え」の世界なのだと、実感した。この世のどれほど些細な部分を切り取ってみても、それが「教え」でないことはないのだ。
なんの「物語」もなく、「孤独」に存在しているものは、この世にはないからだ。
●2017年11月9日●
仏教を何らかの形で表現するものは、それがどんな場面であろうとも、必ず、あの釈迦の「梵天勧請」のエピソードが、再現されていなければならないだろう。
釈迦は、さとりを言葉として表現することをためらった。それは、表現することが、必ずしも、よろしき影響を他者に対して与えるとは限らないからだ。むしろ、他者にとっては毒となるような影響を与えかねない。真実は、誰にでも公開されなければならないことは当然だが、それをこの自分を通過させることで、変質させてしまうからだ。でもそれは、個性だから、仕方のないことだ。真実は、言葉を超えているが、「言葉を超えている」ということも、また言葉以外では伝えられないからだ。
この表現へのためらいが、仏教を表現する人間には付きまとう。また、このためらいのないような表現は、仏教表現にはならないと思っている。
それが、「牛盗人とは呼ばれても、仏法者と見えるように振舞うな」という親鸞のたましいの掟である。
●2017年11月7日●
自分は知っていたのだ。
古代に。
そのことを。
ただ。
それを忘れていたのだ。
何億年ものあいだ。
だから。
その毛先ほどの。
真実の。
味を。
おお。
このことか。
と。
いまさなながら。
おおっ。
と。
至極。
当たり前のように。
あっけらかんと。
驚き。
惚けて。
いるだけだ。
●2017年11月5日●
親鸞の「禿」とは。
 流罪以後、愚禿親鸞と名のったという。果たして、この「禿」という言葉に、親鸞はいかなるイメージをもっていたのだろうか。
『真宗新辞典』には「頭髪がないこと。髪を剃って僧侶の形をしているが、僧としての修行ができておらず、単に頭髪がないという意で、親鸞が自身の姓とされた文字である。自己をへりくだっていう。「僧にあらず俗にあらず、この故に禿の字をもって姓とす」(化身土巻)」とある。
それで、「愚禿」を見よと指示があり、調べると、いろいろ書かれてあって「越後配流を縁として自ら名告り、その後、生涯を通じて用いた。『愚と言うは是れ卑謙の詞、禿は姓となす』[六要鈔]、なお「愚禿」の語は、最澄の入山発願文に「愚中極愚、狂中極狂、塵禿有情、底下最澄」に拠るといわれる。」とあった。
さらに「禿居士」を調べると「〈かぶろこじ〉とも、本来は漢語で、〈とくこじ〉ともいう。頭髪を剃っているだけで生活は俗人同様の者の意で、戒行を欠く半僧半俗的僧侶をさす、破戒僧の蔑称とすることが多いが、僧がみずからを謙って言う場合の謙称ともする。親鸞が愚禿と称した類は後者の例である。〈俗聖〉〈毛坊主〉〈禿驢〉なども類義語。」(『岩波仏教語辞典』)とあった。
広辞苑には「禿(かぶろ・かむろ)頭に髪のないさま。はげ。幼童などの髪を短く切りそろえて垂れたもの。また、その幼童。」などの意味が載っている。
禿風な親鸞木造もあるので、まんざら、「禿」が精神性だけでなく、容姿にも影響を与えていたとも考えられる。
 ともかく、愚禿の「愚」のほうは、いろいろとイメージしやすいのだが、「禿」のほうのイメージが定着しにくい。最澄の文章から「愚禿」を連想したとするのも、ありえるかもしれない。しかし、最澄の場合には、自己卑下のイメージが強い。最澄には阿弥陀さんがいないからだ。仏道を求めるなどということは、とても恐れ多いことで、私のような浅学非才の輩には、不遜なことなのだと謙って表現するのが、入門の常套手段でもあるからだ。
しかし「禿」のイメージは、外見上や生活態度は、半僧半俗で、僧侶の生活態度からすれば、僧侶失格というイメージだ。髪形から言えば、散切り頭で、稲刈りの済んだ田んぼに稲が刈り残されている状態だ。つまり、中途半端、不徹底というイメージだ。毛髪を蓄えるということは、虚飾をまとっているというイメージで、煩悩を断ずる僧侶にはあるまじき格好ということになる。だから、頭髪を剃ることで僧を表し、長髪は俗を象徴することになる。
親鸞は、半僧半俗ではなく、非僧非俗だから、なおさら難しいイメージだ。まあ外見上の格好は、二次的な問題として、内面性はどうなっていたのか。
それはやはり不徹底とか、中途半端というイメージではなかろうか。仏道を求めているとはいいながら、すべてが不徹底なのだ。だから、「これでよし」と非の打ち所がないほどに自己肯定することができない。
 今朝のお朝事で、読経していたとき、その中途半端・不徹底が、まざまざと自分に現われてきた。今日まで、「これでよし」と言えるような法事や法話や葬儀をしたことがないからだ。商品の売買であれば、品物を定価で売って、売り手も買い手も「三方よし」になれば、「これでよし」と納得できるのだろうが、寺の生活は、すべてにおいて中途半端だ。
 でも、待てよと思われた。
 その中途半端さは、どこから促されてきた中途半端さなのだろうかと。もしかしたら、ここに親鸞の「禿」のイメージがあるのではないかと思い至った。
 この中途半端さは、仕事だけの話ではなかった。この人生全体を象徴する言葉だったのではないか。
 つまり、「これでよし」と言わせないものがはたらいているということだ。中途半端さは、自分の堕落した状態で、ダメさ加減だと思い込んでいたのではないか。それは〈ほんとう〉かという揺り戻しのはたらきだったのではないか。
 だから、この不徹底や中途半端さが、大事なのだ。そこに〈ほんとう〉がはたらいているのだから。この世のことは、「これでよし」と言い切れるようなものは、一つもないのだ。
 そう言わせないものがはたらいていることの象徴だった。
  
●2017年10月28日●
今朝のお朝事をおつとめしていたとき、ナ・ム・ア・ミ・ダ・ブ・ツ~が、口から出てくるとは、なんと不思議な、またなんと有り難いことか~と感動のあまり、涙が滲んだ。
また、ナ~ム~ア~ミ~ダ~ブ~と称えているクチビルが、蓮如さんのクチビルではないか!そして、親鸞の舌だったのではないか!と教えられ、ビックリした。
このクチビルと舌が、自分のモノだと思い込んでいた意識が砕かれた。これは彼らの遺産であり、御旧蹟だったのだ。
ああ、アムアミダブツという言葉は、なんということか。なんという重さか。ああ~
そうか、今日は親鸞聖人のご命日だったのか。それで御回向して下さったのか。
●2017年10月23日●
昨日の報恩講では「如来大悲の恩徳は…」の恩徳讃で終了した。
ところが、今朝の「お浚い勤行」では、その次にある「不了仏智のしるしには 如来の諸智を疑惑して 罪福信じ善本を たのめば辺地にとまるなり」をうたう。
この和讃の順番は、親鸞が考えたのか、あるいはその後のものが考えたのか、実に素晴しい。
「如来大悲の…」でファナティックに感激した感情を、「不了仏智…」でクールダウンさせるからだ。如来大悲の恩徳を感じているようなふりをして、〈ほんとう〉は仏智を疑っているのがお前ではないかと、重い鉄槌を下される。
「報恩講」といっておきながら、何に恩を感じ、何に報いようとしているのか。表層の感情で「ありがとうございます」などとは言えないような重さを「報恩講」はもっている。
だから、何が有り難いのか、そんなことはとんと頭にあがってこない。むしろ報恩講の準備やらの作業でアタフタとさせられ、疲労させられ、疲れた疲れたで終わるのだから。
だから、この「報恩」はもっと深層のことを言っているのだ。〈ほんとう〉は身を粉にしてでも、報いるべきことなのだが、そんなことがまったく感じられない。
感じられない深い底で、初めて感じられる「恩」なのだ。つまり、自分が生きているのではなく、自分は阿弥陀さんの手足とさせられるということなのだから。
まあ、そんなことに感激していい気になっている、そのいい気が危ない。
この頭から水をぶっかけるような否定力こそが〈ほんとう〉の宗教の証明である。ファナティックがなければならないが、それを覚ます作用が同じようになければならない。
熱狂と覚醒とが螺旋状に展開していくのが〈ほんとう〉だ。
●2017年10月20日●
「分かったと言わせない喜びを与える」
これは昨日の東京七組聞法会で誕生した言葉でした。
自分はエンジニアだとおっしゃる方が質問されました。私たちは、いままで分からないことを分かるようにしてきました。それなのに、分からないことが〈ほんとう〉だとはどういうことでしょうか?と。
まあ、人間が知的に分かることは確かにあります。いままで不可解だったことが科学の力で分かることも当然あります。古代、雷は竜神等が起こしていると思われていましたが、科学の知恵で、空気中のマイナス電子とプラス電子がスパークしていると解明されました。それでいままで分からないことが、分かるようになったと、言われるようになりました。
それら科学技術の「分かる」というのは、「how toの意味場」の話です。なぜか?と問い、どうしたらよいのか?と問い、「ああ、こうすればよいのか」と分かる意味場です。
しかし、人類にとっての「宗教的なる関心」は、自己存在の不可解さから出発しています。
なぜ自分は自分なのか?なぜ、他ならぬ自分は、必ず死ぬのに生きねばならないのか?という根本的問いです。これは科学技術で解明することはできません。
この問いに対して、知的に「分かろう」とする知が絶対否定されなければなりません。それが「分かったと言わせない」という力です。
ところが、それが知にとっては、あたかも絶望のように感じられるのです。知が断絶されてしまえば、原始未開の時代に舞い戻ってしまうではないかという批判も生まれます。知的な疑問を全部封じられてしまえば、為政者の指示を鵜呑みにする愚民になってしまうのではないかという不安も感じるでしょう。
知は、知が断絶されることを極度に恐れますから、様々な理由をつけて、それを阻止しようと、グロテスクな言い訳を、もっともらしく仕立て上げます。
そこで聞こえてきたのが、『歎異抄』第一条の「悪をもおそるべからず」です。知は悪を恐れます。いつも無色透明で純粋な善でありたいのです。
しかし、知の化けの皮が徐々に剥がされていくと、知で「確かだ」と思えていたものが不確かなものに変化していきます。なぜ自分はゴキブリに生まれず、人間に生まれたのか?この単純な問いに対して、知は答えを出せません。私は人間に生まれたくて人間に生まれたわけではありません。気がついてみれば人間だったというのが〈ほんとう〉のことです。それはゴキブリにしてもそうでしょう。存在には、確固たる誕生の理由がありません。やはり不可解なのです。そうやって、化けの皮を剥がしていくと、「分からない世界」の方が圧倒的に多いことに気付きます。
そしてとうとう「分かったと言わせない喜び」に導かれていきます。
 親鸞が「愚」という言葉を使うのは、その世界です。愚は、知恵←→愚というレベルの愚ではありません。愚は、人間存在の根源的不可解さの表明です。さらにいえば、愚は愚という存在の基点を得たことの喜び表現でもあるのです。知は愚を否定しますが、愚は知を愛情をもって受け止めます。最後に、知は愚に破れ、降伏して、悦服します。悦んで服従するのです。知が存在に負けて、降伏することが、実は知の喜びだったのです。
●2017年10月19日●
人間は、人間を超えたものに出会わなければ、
自分を納得して受け取ることができない。
人間は「人間程度の幸福」では、
決して満足しないように出来上がっている。
人間は、
もともと、
人間程度を超えている何かだからだろう。
●2017年10月14日●
鼻の調子がよくない。朝から、鼻水が出る。法事の読経中も出てきた。顔をなるべく上向きにしていないと、鼻水が垂れてきてしまう。途中で鼻水をかんだり、くしゃみが出たりと、難儀をした。
もともとアレルギー性鼻炎をもっているので、仕方がない。
なんでこんなことをやっているのだろう?と思った。こんな思いまでして、お経を読む意味など、どこにあるのかと…。
そうこうしているうちに、「意味など無し!」と、阿弥陀さんの悲愛がやってきた。
そうだったのか!意味なんか無いんだ。そう教えられると、わだかまりがスーッと消えていった。
人間は、いつまで生きても、この「意味の病」から自由になることはできないようだ。
あいかわらず鼻水は垂れてくるのだが、その目の前のことに、ピタッとひとつになって行為することができた。
もし、「意味」などというものがあるとしたら、〈ほんとう〉の意味を知っているのは阿弥陀さんだけなのだろう。
 やはり、阿弥陀の「阿」は、否定の動詞だった。
●2017年10月12日●
何をしたいのか。
何が〈ほんとう〉に願いなのか。
何が〈ほんとう〉の幸せなのか。

その答えもわからずに生きている。

降りかかってくる火の粉を避けるように
日々の生活に追われている。

何がどうあろうとも
人間は
そして私には

〈いま〉以外を生きることができない。

この永遠の〈いま〉を生きる以外にない。

娑婆は「神話」の中の現実だから。
一切の人間が出した結論を
結論とする必要がない。
●2017年9月30日●
おろかの
ままで
うれしい

おろかの
ままが
うれしい朝
●2017年9月26日●
「きよこのくら」上映会のご案内のチケット差し上げます。

「詩人 永瀬清子の魂に映画作家中村智道が挑む! 蔵は壊され 記憶は残る」
監督 中村 智道
音楽監督 坂本 弘道
声の出演 二階堂 和美

詩人・永瀬清子とは
「現代詩の母とよばれる詩人永瀬清子は明治39(1906)年に岡山県豊田村大字松木(現:赤磐市)に生まれた。
17歳で詩人を志し、翌年には「詩の家」(佐藤惣之助主宰)同人となり、24歳で処女詩集『グレンデルの母親』を発刊。
戦禍を逃れ昭和20(1945)年、39歳のときに、東京より帰郷し、のちに岡山市内へ転居するまでの20年間を、映画の舞台となった生家で暮らす。清子はここで初めて農に取り組み、詩を作り、二男二女を育て上げる。
農へ関わる生活者として言葉を紡いだ『あけがたにくる人よ』は美智子さまが英訳し、そのみずみずしい感性は多くの人を励ました。
清子は詩に「誰もが尊重され、何ものにも束縛されず、自分の人生を全うできる世の中であってほしい」との願いを託し続けた。
ライフワークとして40年間、ハンセン病患者の隔離施設である長島(岡山県瀬戸内市)へ通い、詩作の指導に勤めた。昭和27年に創刊した詩誌「黄薔薇-キバラ」は今も縁のある詩人達の手で発行され続けている。
昭和61年三木記念賞受賞。
昭和62年『あげがたにくる人よ』で地球賞受賞。翌年、同書によりミセス現代詩女流賞を受賞。平成7(1995)年、誕生日と同じ2月17日に逝去した。」

※映画制作を企画したNPO法人永瀬清子生家保存会は、清子の生家を文藝活動の研究と交流の拠点として整備し「文学記念館」として立ち上げるべく平成17年より活動をスタートさせました。映画の舞台となった蔵は崩壊寸前で、隣接する母屋へと傾き始めたため、平成29年解体という苦渋の選択へ。壊れゆく蔵を影像で記録するとともに、清子を知るひとたちへのインタビューを通し清子の魂も残したいと願っています。映画をご覧いただき、文学記念館立ち上げまでの道程に、みなささまのお力添えを頂戴できればこの上なき幸いです。
「活動についての多い合わせ先」
NPO法人永瀬清子生家保存会 事務局
岡山県岡山市東区瀬戸町二日市276-4
電話070-3783-217 Eメール kiyoko@unita.jp
HP www.nagasekiyoko-hozonkal.jp

■10月7日(土)岡山県立美術館ホール 上映15時~
岡山市北区天神町8-48

■12月3日(日)くまやまふれあいセンター 上映15時~
岡山県赤磐市松木621-1
(以上:チラシの案内文)

※小生、両日とも先約があり岡山まで行けません。もし、お時間のある方、ご興味のある方がおられましたら、チケットを無料にてお送りします。
ペア券×6枚あります。お知らせください。(先着順です)
(当日券は1名1,000円です)
●2017年9月24日●
親鸞の言葉に引きずられながらやってきたが、いままで親鸞の言葉が「概念」だと思っていたが、徐々に、「詩」に、そして「詩」からも溶解していき、とうとう「メタファー」に変化していった。
「概念」が意識の表層の領域のことであるならば、「メタファー」は深層の領域のことである。
たとえば、親鸞にとっての「牛盗人」とは、どういう意味場にあるのか。これは覚如の『改邪鈔』にあるから、覚如が引用した意味場にある言葉だ。ただし、親鸞がその言葉をどういう意味場で用いたかということと、意味場がズレているだろう。
また、その親鸞の言葉を、現代人の私が受け取る意味場ともズレているだろう。私は、自分を「偽」であり、「悪」であり、「罪」の立場に見出した親鸞の言葉だと受け取っている。
果たして親鸞の意味場がそこにあるのか、それは確かめようもない。
親鸞の言葉は、いつも「光度」によって受け止めの深さが変わる。光の強さによって、闇を照らし出し、闇をより黒々と抉りだす。光は、闇を晴らすはたらきではなく、闇の黒々とした部分をより鮮明に照らしだす。だから、光が弱ければ、闇も灰色としてしか反照しない。光が強くなるほど、闇の黒々とした部分がより鮮明に黒々と輝きだす。
となると、私が「偽」であり、「悪」であり、「罪」であると表現するときの、光度はいかほどの強さだろうか。
当然、自分の反省や後悔程度の光度であっては、親鸞の意味場とは乖離してしまうだろう。
そうなると、親鸞が「仏智うたがうつみふかし」と歌う意味場にある「つみふかし」はどの程度のことなのだろうか。
何か、いままで、そういう言葉たちを手がかりにしてきたが、その言葉たちのゴツゴツとした引っ掛かりが溶けていき、とうとうその手がかりがなくなってしまったようだ。つるっとした表面のどこにも、手をかけることができない。爪さえも引っかからないで、落ちていく。
落ちていく、落ちていく。
落ちつつあることだけは、分かっている。果たして底があるのかどうか、おそらく、ないのだろう。地獄には底はないのだろう。深広無涯底なのだろう。
 
●2017年9月10日●
浄土真宗は、仏教界の中の一神教だ。

やはり、阿弥陀さん一仏に限定するのは、「あなた一人」を救う限定性なんだ。
あれもこれもは、曖昧になるだけ。
あれもこれもでは、誰でもよいという、曖昧さだ。
やはり、私でなければダメなんだ。他のひとではダメなんだ。
それを阿弥陀一人に限定して教えるのだ。
この世が滅んだとしても、自分さえ助かればよいというふうに思わせて下さるのも阿弥陀さんの差し金だ。
そうでもして自分を愛させなければ、人間は、〈ほんとう〉の意味で、自分を愛することができないからだ。
人間は、自分の「思い」、つまり自分の都合で、自分の存在を消そうとする生き物だからだ。
●2017年9月7日●
「私ほどの悪人はいない」という自覚。

相模原事件の犯人よりも、ヒトラーよりも、私のほうが、ずっと悪人である。

それこそが、阿弥陀さんの救済対象者の自覚だ。

我々から見て、犯罪を犯した人間がどれほどの悪人であったとしても、そのひとを救済から除外するということでは、真宗にならない。それは、阿弥陀さんの救済力を侮辱することになる。

人間は悪人を除外して決して許さないが、阿弥陀さんは決して除外せずに悲愛される。
そして、人間には信じられないことだが、阿弥陀さんは極重悪人ほど深く悲愛される。

つまり、私ほどの悪人はいないと、徹底的に地獄の底におりなければ、阿弥陀さんに出遇うことはできない。

自分は、まだましだ、まさかヒトラーやあの相模原の犯人よりは、罪は浅いのだと思い上がっているのだ。

その思い上がりが、阿弥陀さんの悲愛を見えなくしている原因なのではないか。

「悪人成仏」などと口では言っていても、こころの中は「善人往生思想」になっているのではないか。

これが阿弥陀地獄の鉄槌か。

●2017年8月27日●
当たり前のことは
ひとつもない
ああ
ひとつもない
ひとつもない

 当たり前すぎて、そのことが、改めて見えなくなっていた。しかし、当たり前のことなど、ほんの些細なことまでを含んで、まったくなかったのだ。
そんなこと、言われなくても分かっているし、これ見よがしで、言うことすら憚られるようなことだろう。
 ところがだ。当たり前のことはひとつもないのだ。「当たり前」とは、観念に過ぎないのだ。「思い」に過ぎないのだ。事実は、空前絶後の奇跡の連続だったのだ。
 寝床で、目が覚めてみたら、そのことが教えられ。慌てて、パソコンのキーボードを叩き、「つぶやき」のためにホカホカの法を載せてみた。
 このほんの些細な、口の中に唾液が充満していることすら、目に目脂がついていることすら、これも、実は、阿弥陀さんのおはたらきだったとは。
 見くびっていた。馬鹿にしていた。まさか、阿弥陀さんがそんなことまでされているとは、露知らずだ。
 そんな罪の自分が、教えられて、嬉しかった。
しかし、娑婆は「相対的」な意味場で、それを断罪する。すべてが阿弥陀さんなら、戦争も阿弥陀さんのはたらきかと。それは、そうに違いないのだ。人間には、まったく責任も罪もないのだ。また、罪を負えるような力もないのだ。
 そう言うと、ますます、「そんな馬鹿なことはないだろう。無責任過ぎるじゃないか」と批判を受ける。自分の罪を、すべて阿弥陀さんになすり付けて、自分を許しているだけじゃないかと。
 この問題を煎じ詰めると、歎異抄第13条の親鸞の発言に収斂する。
「これにてしるべし。なにごともこころにまかせたることならば、往生のために千人ころせといわんに、すなわちころすべし。しかれども、一人にてもかないぬべき業縁なきによりて、害せざるなり。わがこころのよくて、ころさぬにはあらず。また害せじとおもうとも、百人千人をころすこともあるべし」だ。
 業縁の促しが、人間の全存在なのだ。
 人間には罪を犯すことも、あるいは善かれと思ってやっていることでも、すべてそれは人間が責任を負えるようなことでなく、ひたすら業縁だと親鸞は見ている。
 まあ、この「業縁」という単語を、どういう意味場でいただくかが分岐点だ。
自分が自分に対して、「それは業縁だから仕方がないのだ」と慰めに使うか、あるいは阿弥陀さんから自分に対して、「自分の罪を自分で負えると思っている傲慢を思い知れ、すべては業縁(私のはたらき)なのだ」と教えとして聞くかの違いである。
 自分が自分に対して使うときには、決して「救い」にはならない。自己保身の罪を犯しているだけだ。いわゆる歎異抄で言えば「造悪無碍」という考え方だ。
 だが、それを「教え」としていただいた場合には、私は私に内包されている全人類の罪とひとつになる。
 如来が「一切衆生の救い」を約束しているということは、「一切衆生を包含した自己」にならなければ救いは完結しない。「一切衆生の中のひとり」では、完結しない。
   
●2017年8月18日●
自分自身を、分かったことにするな。
人間を、分かったことにするな。
私は、「自分自身」を分かったことにし過ぎている。
「人間」などいうものも、分かったことにしてきたのではないか。
いつも言うように、それは「もう済んだ」ことにしてしまっていた。
〈ほんとう〉は、「自分自身」など、分からないくせに。
 ああ、そうだったのだ。
「自分自身」のことなど、ほとんど分からないのだ。
だから、原始未開の「自分自身」と、今日も、歴史始まって已来、初めて出会っていくのだ。
「自分自身」とは原始未開が溢れだしてくる噴火口だったのだ。
 
●2017年8月17日●
意味は、人間の内面に沸き起こる何かである。
人間はいろいろなものを欲しがるが、究極的に欲しいものは「意味」だ。
スイカが大好きだが、食べてしまえばなくなってしまう。愛し合う者でも、いつかは相手がいなくなってしまう。
不安で、お金を溜めているひとがいる。何億円を溜めても不安だ。でも、物理的なお金という数字が問題なのではない。これでまず安心だという「意味」を確認して生きているのだ。
〈ほんとう〉は物ではなくて、意味が問題なのだ。
「意味」は、永遠になくならないから。

どれほど小さなことからも、どれほど些細なことからも、どれほど他愛ないことからも、汲み取ることのできる「意味」がほしいのだ。

人間は、井戸のようなものかもしれない。
その井戸にツルベを垂らせば、いつでも、どこでも、汲み取ることのできる「意味」を湛えている。
でも、それが自分ではなかなか気がつかない。
自分が井戸だなんて。
●2017年8月14日●
かなりの確率で、〈いま〉というのは非常事態だ。
昨日の水難事故で11名が亡くなったという。そのニュースを見ていて、「なんで?海になんて行ったんだ?子どもをそのとき、親は見ていなかったのか?なんで酒なんか飲んで海に入ったんだ?ええっ、こんな浅瀬でなんで水死?」と様々な問いが湧きだしてきた。
ここに娑婆の本質がある。
「まさか」という本質である。「まさか」が赤裸々に暴かれるのが水難事故だ。
だから、亡くなられた方たちが、私であった可能性も十分にある。ただそうならなかったのは、ただ縁がなかったから。だから、あの水死体は私である。

まあ日常生活で水難事故に遭うひとの可能性は低いだろう。しかし、そうやって自分の胸を撫で下ろしていられるだろうか。〈ほんとう〉は、その「まさか」は、自分の足元に迫っているし、自分の身にも上陸してしまっているのだ。
水難事故に遭わないひとも、必ず亡くなる。
そうやって、「我が事」として問い詰めてくるものが、〈ほんとう〉の力である。
たとえ寝床で寝ていても、その寝床は「まさか」の上に成り立っているのだ。そして、その「まさか」は、必ず、人間の思いを否定するようにして顔を現す。
だが、「まさか」と対面するとき、実は阿弥陀さんとも対面しているのだ。

昨晩も、「まさか」の上で眠り、今朝は「まさか」の上で飯を食っている。
「まさか」が娑婆の本質であり、「平凡」は幻想だった。
●2017年8月7日●
やはり、「一人一世界」が〈ほんとう〉の世界だ。
生きているのは、私一人しかいない。
〈ほんとう〉の意味で「生きている」といえるのは私一人しかいない。
そして、私一人と阿弥陀さんの関係が〈ほんとう〉の関係だ。
阿弥陀さんと私一人が、どこで関係するかといえば、「罪悪深重煩悩熾盛」の場でだ。
阿弥陀さんに背を向ける、その場所でだ。
阿弥陀さんに背を向けると、全世界、全宇宙が自己の身体になる。
まるで太陽が地球を照らすように。
照らされることによって、存在が立ち現れてくる。

独り生まれ、独り死し、独り去り、独り来る。
●2017年7月31日●
固定しよう
固定しようとすれば
流れていく
固定しようとする意識が
ひっくり返されると

向こうから
固定されてくる
いつでも
どこでも
固定されてくる

お朝事は気持ちがいい。大きな声を出して、声明(しょうみょう)をしていると、意識があらぬところに広がっていく。この世から離れては、遊びだし。再び、この世に還ってくる。そこには「何のために…」という問いは消されてしまう。なんで声明をするのか?という問いは無化されてしまう。
それがよいのだ。
いま大きな声で、念仏を称えている。ただそれだけが、あるだけだ。他にはなんにもない。それでよいのだ。
原始未開の時代、そのものが展開しているのだ。
目の前には、原始未開だ。
どこまで生きても、原始未開。

●2017年7月29日●
講演集第3巻目!『人間からの解放』が出来上がりました!
小生には、この「住職のつぶやき」しかホームページの更新ができません。よって、ホームページに新刊書の紹介がありませんよとおっしゃられても、「ごめんなさい」と謝るしかありません。
 いずれ、更新してもらえると思いますので、その暁には掲載されるはずです。
(※難波別院の『南御堂』新聞には、図書紹介してもらえることになりました。)
話者:武田定光
書名:『人間からの解放』(約180頁)
定価:500円(税込み)〔1冊500円+送料180円〕
内容:三重県桑名別院で開催された「まっさん塾」の講演録。
ご注文は、拙寺まで。
●2017年7月22日●
ひとは三毒のアンテナ以外では、この世と関わることができない。
ダニは、嗅覚と知覚と運動の三つしか、この世と関わるアンテナはないらしい。
交尾したメスは、木に昇って、ひたすら下を温熱動物が通るのを待つ。なんと18年間、血を吸わずに生きたダニがいるという。
運良く温血動物が出す酪酸を感じ取る嗅覚、それを感じたら、下に落下する知覚運動、さらに、皮膚に穴をあけて血をするという運動。これだけだそうだ。
その三つの要素で「世界」と関わっている。
人間は五官(眼・耳・鼻・舌・身)で世界と関わっているという。それは表層の感受システムであって、それを総合している深層の感受システムが「意識」であり、それが「三毒」ということになる。
心理学では「知性・感情・意志」と分類するのだろうが、いかにも純粋な、つまり客観的な心理分析のように語るが、仏教は、それを「罪」として語ってきた。そこには、「客観的」などということは眉唾であって、罪の感覚なしには、人間の存在はありえないという世界認識が横たわっている。
そこで、問われているのだ。あなたは「罪」に立つのか、それとも「客観的」に立つのかと。
●2017年7月18日●
いま新宿駅のホームに降り立った。
ホームから壁を見たら、薄汚れた「初台-新宿-新宿三丁目」という掲示プレートが目にとまった。
そうか、いまこのプレートを「薄汚れてる」と実感しているひとは、世界で自分ひとりだろうなぁ。ため息まじりに、これを見つめているひとは、私たった一人だろうなぁと、いま目が覚めた。
 
 そこに「私」が関与すると、すべてが動き出す。万劫の初事として。

そうやって、いつも、あとからやって来るんだ。
如来回向は。
●2017年7月16日●
青桐が大きな葉っぱをたゆませて、ゆらゆらゆらゆらと揺れている
大きな葉っぱたちが、大きな手をふって、おいでおいでをしているようでもあり
コーラスでも歌っているように、同じように葉が揺れている

人工のものは決して揺れない、揺れないように、団地も出来ている
しかし、自然は揺れる、曲がるのだ。
風に吹かれて、逆らわずに。

仙涯は「気に入らぬ 風もあろうに 柳かな」と詠んだ。
柳は、一見、風に逆らわずにゆらゆらと、しなやかにゆれている。
でも、それは人間が、そう見ているだけじゃないのか。
柳だって、気に入る風も、気に入らぬ風もあろうにという仙涯の皮肉眼だ。
だから
柳を見て、自分は柳のようにしなやかになれないと自虐するのも傲慢だと教えている。
つまり、なんだかんだ言っても、結局、自分で自分を慰めているだけの話だ。
まったく、仏ってやつは、地獄の鍋の底まで、くっついてくるやっかいなやつだ。
●2017年7月14日●
お朝事の終了した時、やっていること、なしていること、すべて、中途半端で、どうしようもないなぁ、という感慨がやってきた。
生きていること、生活していることの全体の意味は、どこにあるのだろうか?という問いと共にやってきた。

その問いがやってくると、自分のやっていること、していること、すべてが偽だなぁと、中途半端だなぁと、思わされた。

果たして、こんな自分を阿弥陀さんはどうご覧になっているのだろうか。

万が一、自分の生活のほんの少しでも、〈ほんとう〉に適っていてくれればなぁと…思った。

自分が、偽だ、中途半端だという立場だけは、決して動くことができない。この一点が動いてしまえば、決して〈ほんとう〉に適うことはない。

親鸞は、それで「恥ずべし、傷むべし」と、深く、深く存在のアンカーを海底に打ちつけたのであろう。

どんな嵐が来ても、決して動くことのない存在のアンカーを。
●2017年7月12日●
嫌なもんを、「嫌だ!」と言ってみる。
口にしてみる。
口にしてみるのと、口にしてみないとでは大違いだ。
口にしてみないときには、見えなかったものがみえてくる。
これって、念仏にも通じそうだ。
正直に、愚癡を吐いてみる。
愚癡を吐いてみると、その愚癡を吐いたという原点が誕生する。
その原点が足場となって、自分を支えてくれる。
まず、その欲求不満を、そして愚癡を、外にだしてみよう。
外に出してみるのと、内にしまっておくのとは、大違いの「現実」が待っている。
●2017年7月11日●
宗教は25時の仕事である。
だから、決してこの世の出来事に還元できないし、またするべきではない。つまり「お役に立つ」ものでは決してない。「お役に立つ」ものだとすると、それはすぐに「お役に立たなくなる」ものでもあるからだ。
緊急のことでもあるようであり、永遠の課題でもあるような、そういう曖昧なところにあるものなのだ。
「曖昧」ということは、因位という意味だ。

人間が感じられる苦しみ以上の苦しみは、決して与えられない。

だから大丈夫。
●2017年6月27日●
明日が来る、という幻想
夜、寝る前に、「また明日が来るのか…ひと苦労だなぁ…」とため息が漏れた。
と思ったら、「明日が来る」というのは幻想だと、すぐさま教えられた。それは幻想だと分かっていたことなのに、「それこそが現実だ」という「幻想」のほうが確実なものだと「信じて」しまっていた。
幻想の力はすさまじい。
まあそれでも、その「現実という名の幻想」に酔っていたと教えられれば、また〈ほんとう〉の現実に戻ることができる。
そう教えられたとき、肩の荷が下ろされる。
「明日が来る」などという幻想にごまかされずに、永遠の指先に触れていればよいのだ。
「いま」というのも幻想であれば、「永遠」などというのも幻想なのだから。
●2017年6月21日●
慙愧のこころの底が抜けると
罪と一緒に
底無し沼へ
落ちていく

もはや そこは
罪を知っているという
自分の底が抜けたところだ

いま
目の前にある罪
そして
ひとに気付かれることのない
微細な内心の罪も

その罪が
お前の本質であると

38億年かけて
いま
教えて
くれているのだ

●2017年6月10日●
一つ一つのつっかえ棒をはずされて
あみださんに
丸め込まれる

取りつく島がない

あとは 人間には
すべて言い訳しか出てこない

言葉よりも
意識よりも
存在が先なんだ

このなんという
圧倒的な力か

阿弥陀さんのいいなりになるしかない

阿弥陀さんは
絶対肯定なんだ

人間の罪など
塵の重みももたない

阿弥陀さんのいいなりになるために
生まれてきたんだ

動詞の世界は

すべて阿弥陀さんの領域だ

●2017年6月8日●
月刊『大法輪』7月号に、在家仏教協会の主催の定期講演会で、小生がお話したものが掲載されましたので、お知らせです。(昨年の4月23日に話したものの抄録です)
そのときの「リレー講演」のテーマは、「慈悲を問う」でした。在家仏教協会ですから、一宗一派にこだわることはしません。いろいろな宗派の方々が「リレー方式」でお話をされていました。
私のテーマは「無縁の大悲」といたしました。
この慈悲は、普通一般に考えられるような「愛情」とは、異質の愛です。まあ世間一般の感覚でいえば、「愛」とも言えないような「愛」です。極論を言えば、人間からは何もしない愛です。むしろ人間からの愛が減額されて、零円にさせられ、そこから更にマイナスにされ、とうとう借金させられるような愛のことです。誰に対してかといえば、阿弥陀さんです。
(ご縁の萌した方はご笑覧のほど)
●2017年6月7日●
『宗教研究』2017年6月が送られてきた。
パラパラとめくっていたら、なんと「『選択集』書写の条件としての見仏」という田中和夫という「広島大学研究員」の論文が載っていた。
そこには「『選択集』の書写を許された者は、幸西(1163-1247)、聖光房弁長・隆寛(1148-1227)・証空・長西(1184-1266)と親鸞であるが、この者達の入門が法然の晩年であることに注意したい。証空は法然58歳の時、弁長は65歳・親鸞69歳・長西70歳・隆寛72歳であり、それは『三昧発得記』に記される法然の見仏体験の時期(66歳-74歳)と重なっている。つまり、皆、法然と共に別時念仏を行ったと推測できる者達である。」
と、田中氏の見方は、「見仏体験」をした弟子にだけ選択集の書写を許したのであって、親鸞も見仏体験者だと判断されていた。
「親鸞の信の確立は、この法然の見仏の期間と重なっている。」、「選択集書写を許された元久二年の正月の別時念仏において、親鸞は見仏体験をし、それを法然が確認したことが、選択集書写につながったことになる。」と書かれていた。
また親鸞は和讃で「子の母をおもふがごとくにて、衆生仏を億すれば、現前当来とうからず、如来を拝見うたがわず」等とうたっているので、これは見仏の証拠であり、そこから信が生ずるのだと田中氏は判断している。
さらに田中氏は浄土真宗では親鸞の見仏体験を否定していると言っているが、それに疑問を投げかけてもいる。
この問題について、考えてみた。
まず「見仏体験」とはどのようなことなのかという問題がある。法然の弟子である聖光房弁長は、より具体的にこのように述べている。
「凡夫の肉眼は無漏の仏身を見るべからずと云ふ難に至りては、機熟し時至れば穢土にありて凡夫肉眼と言えどもこれを見奉る」(『念仏三昧発得事』浄土宗全集第10巻)と。
凡夫の目は煩悩に汚染されているから、仏の身体を肉眼で見ることはできないだろうという批判に対して、我々の求道心が成長し、成熟したあかつきには、この世のこの場所で、仏身を見ることができるというのだ。
弁長が果たしてどのような仏身をみたのだろうか。もし肉眼で仏さまの姿が見えたとしたら、それは妄念妄想ではなかろうか。「私には見えたのだ」というひとに対しては、「そうでしょうね、見えたのでしょうね」、と答えるしかないのだ。これは、霊が見えるという話と似たタイプの話だ。
親鸞の宗教のルールを当てはめると、それが「いつでも、どこでも、だにもでも」見えるのかという問題だ。もしそのルールに当てはまらなければ、「見えた」ということをもって「宗教」だと認定するわけにはいかない。
まあ法然は、「見仏体験」があったのかもしれない。称名念仏を一日七万遍も称えるひとだから、当然、この世を超えるような体験をしていたはずだ。親鸞とて、比叡山の常行三昧堂では、同じような見仏体験をしていたのではなかろうか。そのときの見仏体験を法然に語ったことがあったとしてもおかしくない。だから、それをもって、法然が選択集を書写すに値する人間だと判断したというシナリオも成り立ちうる。
それは書写を許す側の問題であって、書写を許される側の問題ではないから、わからないところである。
また、田中氏が何を「見仏体験」とするのかという体験内容を語られていないので、それを同判断するかという材料にもならないわけである。
私は、親鸞がもし見仏体験をしているとするならば、比叡山でではなかろうかと思っている。ただ、それを後々、第20願という信仰のスタイルだと見抜いたのだと思う。エクスタシーや超常現象やメディテーションによる心像は、すべて、一過性の体験であると見るいたのだ。確かに、そういう精神状態に人間はなりやすい。ただ、それは、残念ながら「いつでも、どこでも、だれでも」というルールに漏れてしまう。
百歩譲って、弁長が「いやいや、やってごらんなさいよ、誰でも簡単に見仏体験はできるんですよ。だから、いつでも、だれでも、どこでも出来る易行なんですよ。大乗仏教として淨土の教えが普遍的なんですよ」と言ったとしても、それは納得できるものではない。
なぜならば、親鸞は「する仏教」と完全に決別してしまったからだ。こちらから、仏さんに近づこうと意志した段階で、それは「易行」ではなくなってしまうのだ。少しずつやってみたら何とかなりますよという、オタメゴカシには乗らないのだ。
いつも言うように「修行をしようと思ったら真宗ではなくなってしまうのだ」。だからいちばん厳しい難行なのだ。
もう「すでにある」ことにはたらいている力を感得する以外にないのだ。だから「ある仏教」なのだ。
私たちはすぐにというか、それ以外に考えられないのだが、「どうすれば?」と問うてしまう。この「問い」そのものが、「ある」という世界から逃げていることなのだ。だから、その逃げている存在が、「ある」によって殺されなければならない。
 それこそ、いつでも、どこでも、だれでも、殺されることが可能なのだ。
というか、瞬間、瞬間、いまここで、殺されて続けているのだ。
それが生きた仏教である。
●2017年5月28日●
世間には、たくさんの苦しんでいるひとがいるんですから、自分がもし真宗に触れて喜びを感じているのであれば、それをひとに伝えてあげなければいけないのではないですか?と問われた。
私は、真宗が必ずしも、万人の喜びにつながるかどうかはわからないと思っている。真宗に出会ったために、自殺されたかたもいるからだ。また、専修学院を卒業しようとしているひとたちが、「真宗に出会わなければ、こんなに苦労することもなかったのに…」と愚癡を吐くのも聞いている。
「真宗は劇薬の如し」であり、「真実は劇薬である」だ。その激烈なはたらきを知っているので、もし病気でもないひとが飲んだりすると、逆に毒になってしまう。真宗は重病人の特効薬であって、健康なひとの常備薬にはならない。
だから、「法話のご案内」とか「お勧め」に、あまり積極的にはなれない。
一応、教団も寺院も「教化」ということは掲げているし、自分もそういうご案内はしていしまっている。しかし、どんなもんかなぁと、いつも躊躇いながら、うろたえながらご案内をさせていただいている。「劇薬であっても、あなたは召されますか?」と、おずおずとお誘いしている。
「そんな自信のないようなことでどうするか!自信のないような教えでは、誰も信じてくれないぞ!」と叱られても、自分は、あまり積極的にはなれない。
それは、どうしても、「牛盗人とは呼ばるとも、もしは善人…もしは仏法者とみゆるように振舞うべからず」(『改邪鈔』聖典680頁)という親鸞の戒めに縛られているからだ。
「こっちに来たら絶対に幸せになれるよ。一日でも早く迷いから覚めて、こっちへおいで」とは、言い難いものがある。いくら仏法に出会った喜びが大きいからといって、その喜びを「善」として、迷っている人間を、こちらに引っ張りこもうとは思わない。
本質は、やはり、「教化」は阿弥陀さんがされるものであって、人間は、その邪魔をしてはならないと思っているからだ。まあ、阿弥陀さんも人間をつかって教化をされるのだから、人間が動かなくてどうすると言われてしまうかもしれない。たとえそうであっても、私は、動けない。
また、それが〈ほんとう〉のものであれば、伝えようとしなくても、おのずと伝わっていくものではないか。
「ひと知るもよし、知らぬもよし、花は咲くなり」と武者小路実篤は詠んだらしいが、そんな花が「教化」の本質を物語っているように思う。

そうすると、真宗の「教化」は、「ポジの教化」でなく「ネガの教化」ではないか。「ポジの教化」とは、自分たちの立場を善であると肯定したうえで、迷える人間を教化教育して、自分たちのところまで引き上げようとする教化だ。一方「ネガの教化」とは、自分の立場を善であるとは肯定せずに、むしろ迷える存在の中にこそ「善」を見出していく教化ではないか。
●2017年5月27日●
●手助け●

阿弥陀さんの一億分の一の手助けをさせていただく

しかし

これはなんという傲慢

思い上がり

それを承知で

させていただく

●阿弥陀さんの光景●

阿弥陀さんが

ご覧になっている光景を

この私に

ずっと

見せてくださっていたとは

あ~

●2017年5月20日●
産業廃棄物を格安で寺院の境内に捨てさせ、その業者から御布施の名目で金銭をもらっていた僧侶がワイドショーで報じられていた。
そのテレビを見ていた私の反応。
その1
「こんな馬鹿な坊主がいるから困るんだ。坊主が金儲けを優先するから、『坊主丸儲け』とか、『坊主のくせに、何やってやがんだ!』と批判を浴びることになる。問題はあの坊主だけの問題ではなく、「真面目にやっている坊主」も世間から同じような視線を浴びることになる。ひいては、仏教界全体の信頼を失うことになるではないか!」という怒りの反応が出てきた。
その2
「あの坊主の精神的経歴はどうなっているのだろう。なぜ坊さんになったのか。あるいはあの坊さんが、境内に残土を廃棄させることを許した動機は何か。単なる金儲けなのか、あるいはテレビには浮上してこない事情があるのか」それを知りたいという好奇心が出てきた。
その3
「もし金儲けが動機だったとして、そういう動機が自分自身の中にはないのか。そう問われれば、自分自身の中にもある。坊主と言えども霞を食って生きているわけではない。できるだけお金はあったほうがよいという意識はある。そうなると、あの坊主を責められるような自分ではないな」と認識した自分があった。
その4
「あの坊主を責めている自分は、『善人の自分』だと自覚した。自分とはまったく別人の、無関係な特殊な犯罪者だと見えてしまった。そしてもう一つは、あの坊主と自分は地続きで繋がっている「悪人」だという自覚もやってきた。」
その5
「最終的にあの坊主を断罪するのも、あの坊主を許すのも、両方共に驕り高ぶりではないかと自覚した。一方に偏れば、善人往生、また一方に偏れば造悪無碍だ。」そこには阿弥陀さんがいないと思い至った。

私は、阿弥陀さんを知っているように振る舞ってきたけれども、それは阿弥陀さんを自分の都合のよいように利用してきただけのことではないのか。
一方では「自己(人間)批判」に、もう一方では「造悪無碍の自己肯定」に。そこには阿弥陀さんはいない。
「善悪のふたつ総じてもって存知せず」だ。
とうとう、阿弥陀さんを知っていた自分が奈落の底へと突き落とされた。そこはブラックホール、そこは深淵、そして透明。
曠劫以来流転してきた奈落の無限スパイラル。
●2017年5月18日●
昨日は、最終回の池袋親鸞講座だった。
やはり、つくづく、小生は、ちっぽけなひとつの楽器だと思った。皆さんの無言の指によって、楽器が爪弾かれ、曲を奏でた。
不思議なもので、聴衆の前にたった、自分は、空っぽだった。レジュメなどを作ってはあったが、それは、すでに過去のことだ。
空前絶後の〈いま〉、ここにおいては、何の役にも立たない。
この世に生まれ落ちた裸のいのちが、聴衆の前に、ただ置かれていた。
ライブが終わってみると、自分を爪弾いた聴衆の痕跡だけが、かすかに残っていた。
やはり、終わりがあるということはありがたい。
人生においても。

今日は、山形へライブに行ってきます。小生を、弾きたいという人々がいるものだから。
●2017年5月9日●
お通夜の席で、喪主の奥さんが、こんなことを漏らしておられた。
「主人が食べられなくなり、そして話せなくなって…私たちが当たり前に、食べたり、話したりしていることは、ほんとうは当たり前のことじゃないんですね」と。
それを聞いたとき、その奥さんの洞察の力に驚かされた。
普通は、自分から見て、病んでいるご主人のことがかわいそうという視線で終わってしまう。しかし、病んでいるご主人から、自分に視線が注がれているのだ。こっちからの視線だけでなく、向こうからの視線がやってきているのだ。
さらに「おかげさま」とか「生かされている」という言葉まで出てきた。お通夜の席で、そこまで、いのちの〈ほんとう〉の姿に接しておられる。これは、大変なことだ。
やはり、この世は、つくづく阿弥陀さんの教育装置だったのだと、また教えられた。
●2017年5月3日●
親子としてしか関われなかったものが、「同行」として横の関係を開くことが、真宗だろう。
 それを「千石イエス」はやってのけた。イエスの方舟で、彼は女房とは離婚し、子供は縁を切って養女のようにして、他の信者と「横の関係」を形成した。つまり、神と等距離の関係を、形として作ったのだ。
 寺が「マイホーム化」しているといわれて久しいが、「横の関係」が形成できていないことが問題だ。
 まあ千石さんのように、離婚したり縁を切らなくてもよいのだ。たとえそれであっても、ちゃんと「同行」として横の関係が開かれているかだけが問われているのだ。
 阿弥陀さんとちゃんと距離がとれていれば、その他はすべて「横の関係」になれるはずだ。
 もうひとつ。
寺の本質は、何のために存在しているのか分からないところだ。これが分かってしまっては、何にもならない。
 それだから、寺はデパートみたいなもんになる。何でも売っている、何でもありなんだ。そこで、欲しいものをみんなが見つけて、欲しいものを手に入れていければよいのだ。
 「寺は聞法の道場だ」などと、一応、言ってみるが、それだけではない。様々なものが通り抜けていける場でなければならない。
 
阿弥陀さんは〈無・意味〉なのだから。
 
●2017年4月30日●
パチンコ屋でパチンコしてるひとも、比叡山で修行をしている修行僧も、五十歩百歩だ。
人間の目からみれば、大違いに見える。でも、如来の目からみたら、五十歩百歩だ。

彼等はみんな、そうせざるを得ないという必然性に促されて、そうしているだけだ。そのそうせざるを得ない必然性、つまり業報に促されている点で同質だ。

その業報は、百千万劫を背景とした、いまなんだ。

だから奇跡だ。

いま、ここ、わたしが奇跡だ。

当たり前、そう見える目は灰色に
一分一秒この場所は、眩しきいのちの噴火口!!
●2017年4月19日●
なんか、阿弥陀さんが、人間と関係をもつと、人間は浅ましいもので、何でも利益に還元しようとする。
救いも、そう。
さとりも、そう。

阿弥陀さんを、反戦の象徴にする意識は、参戦の道具にもする意識だ。

だから、阿弥陀さん。
気をつけて。
●2017年4月13日●
■いのちの初音■
母の胎内で
初めて
いのちの
鼓動を刻んだ
その最初の音を
覚えているか

■阿弥陀さんとの等距離■
親も子も
じじばばも

親鸞、釈尊さえも

自分の前に
置いてはならぬ

横にいる
泥凡夫として
出会いなおさねば
ならぬ

煩悩に喘ぎ
たじろぎため息をつく
孤独なただびととして
横に置く

そのとき阿弥陀さんから、等距離の

「横」の関係が開かれる

阿弥陀さんとの距離以外に

平等の関係は開かれない
●2017年4月5日●
あなたは、何を見ているのか。
どの深さまで、見つめているのか。

物事には、必ず「深さ」がある。
真実は、まだ見ぬ深淵にある。
前人未到の深淵がある。

その底を窮めることが、「生きる」ことではないか。

いやいや、それを「生きる」という一語で、曖昧に決着を付けてはいけない。

どうも苦し紛れに「生きる」という言葉を使ってきたように、想う。

●2017年4月2日●
洗濯物が、風でゆらゆら揺れていた。はあ、洗濯物は自分でゆらゆらと自身を揺らしてはいない。風が洗濯物にぶつかって、ゆらゆらと揺れているのだ。
何という奇跡!何という偉業!
あのゆらゆらは、今世紀最初で最後のゆらめきだ。空前絶後のゆらめきだ。
同じ揺らめきは、今世紀いや未来永劫にない。
風はどこから吹いてくるのか。大自然と宇宙とのゆらめき。何十億年という宇宙の歴史の指先が、いま、この洗濯物をゆらしている。
洗濯物よ、その指はくすぐったいか。
●2017年3月17日●
彼岸の入りのお朝事で、阿弥陀さんから問いかけられた。
「お寺は、何のためにあるのか?」と。
それに対して、私は「南無阿弥陀仏のためにある」と即答した。
そう答えて、間違いないと実感した。お寺が大木だとすれば、ドンと中心には南無阿弥陀仏の幹がある。そこから、様々な枝が延び、その先端には、いろいろな仕事という葉が生まれていく。枝葉にばかり気を取られていると、いったい、何のために寺があるのかがわからなくなる。
「お寺は、お寺を必要としているひとのためにある」も真理の一言だろう。しかしそれは臨床の答えだ。原理としての答えは、やはり「南無阿弥陀仏のためにある」だろう。
「雑事」といわれる仕事の究極的な意味は、南無阿弥陀仏のためであったと頷けなければならない。
南無阿弥陀仏とは空(クウ)だ。人間的に言えば、何の意味もない。何の意味もないものがなければ、「意味の病」に罹った人間は救われないのだ。南無阿弥陀仏は、「何の意味もない」とつねに人間に叫び続け、病に酔っている私を目覚ましめる。
●2017年3月16日●
昨日は、池袋親鸞講座だった。
今朝になっても、まだ余韻が残っているようだ。聴衆と一体に溶け合って、一度きりの法話ライブを楽しんだ。
生きていれば、次年度も講師を担当することになっている。それで時期のコンセプトは何かなぁと思いを巡らしていて、やってきた言葉がある。それは「歎異抄の世界を遊ぶ」だ。
そうか!これだっと直感した。

昨日も「定光和讃」24首をご披露した。この和讃は、一気に出来たのだが、なかなか面白い。何度読んでも味わいがある。自分の中に体験している親鸞を想像してみると、おそらく親鸞も一気に作られたものだろうと思った。作品が出来るときには一気にできるのだ。
日々、コツコツと作られたものではない。一気に出来上がるために、コツコツと仕事をしているのは無意識だ。意識的には、何にもしていないに等しい。無意識君は、実に凄いなぁと、いつも感心させられる。

「忙中、閑あり」という諺がある。どんなに忙しくしている中にも、暇を見つけることができるという意味だ。しかし私の解釈はちょっと違う。生活全体は、何かに追われようにして忙中を生きている。ただ、はっと我に帰る時間があるということだ。別にそれは暇ということではない。やはり、ふと我に帰るという瞬間があるじゃないか。
そして、「俺って何をやってるんだろう…」と思ってみたり、「こんなことやっていて、いったい何になるんだろう…」と時間の隙間に落ち込んでいくときがある。
その瞬間に、「何をやったらいいのか」、「ほんとうに何がやりたいのか」、「いやいや、何もしていないなぁ」という感情に襲われる。
しなければならないことがあるはずなのに、何をしたらよいかわからない瞬間だ。それは言葉を換えれば「自由」ということでもある。「自由」は過去に対して感じる感覚だという池谷裕二の説もあるが、未来に対しても感じるのではないか。さあこれから何をしようかと、自由を前にして空漠とした感覚がやってくるのだから。自由とは、行為する前にある感覚ではないか。
その空漠の瞬間を味わうと、何もしていないし、やるべきこともないし、ただただ、永遠を前にしてたたずんでいる自分に戻される。
自分は何もしてこなかったなぁという感慨だ。それは「零度」に戻されるということかもしれない。存在の零度だ。
「人生は大いなる暇つぶし」という言葉を聞いたことがある。それは徒労という意味で私は受け取っていない。「暇つぶし」の前に「大いなる」と付いているではないか。「存在の零度」から出発したものが、「零度の存在」へ帰っていくという「大いなる暇つぶし」なのだろう。
さてさて、人生という未知の世界へ、さあ船出を試みよう。
●2017年3月4日●
相談の相手が自分しかいないと、孤独になる。
真宗門徒には、阿弥陀さんという相談相手がいる、自分以外に。荷が重すぎて、人間には真の相談相手を務めることができない。たとえカウンセラーがいたとしても、究極的には、絶対なる孤独の自己と、絶対なる超越の阿弥陀さんとが対話して、ことが収まるのだ。 しょせん、人間は「一人一世界」をのみ生きているので、決して他者に成り代わって生きることはできない。他者とは絶対断絶があって、共有することは不可能だ。徹底的に隔絶し、絶縁されている。
その「一人一世界」が自己自身なので、それをどう受けとめるかということしかない。ただ人間には、それを三毒という三つのアンテナで受けとめるしか方法がない。これがまた寂しく悲しいところである。
視覚という、ものを見る感覚も、根底には貪欲が働いている。つまり深層のエゴイズムだ。私たちは、無色透明というか、「客観的に」そして「あるがまま」に世界を見ていると錯覚している。それを「幻想世界」と名づけよう。
〈ほんとう〉は、無色透明でもなんでもない。それは貪りのエゴイズムを根底にした「見る」でるあるから、譬えれば「貪欲の眼鏡」を通した「見る」である。それ以外に、人間には視覚を通した世界は成り立たない。
それも「一人一世界」だから、他者と「見た世界」を共有はできない。「幻想世界」では、みんなで一緒に同じ影像を見ているということは成り立つのだが、「一人一世界」では成り立たない。
つまり、「見る」ということも、厳密な意味でいえば、一人一人、すべては違うということだ。これが「真実」だ。
人間には「客観的」ということは、厳密な意味では成り立たないのだ。
だから、この「一人一世界」をどういただくかということが大問題なのだ。あなたがこの世界をどういただくかが、全世界的な問題なのだ。
この貪欲、瞋恚、愚痴という三つのアンテナだけで世界と関わっていることを重々に知るべきだ。
無色透明で客観的な世界など、どこにもないのだ。
そうやって教えてくれるのが阿弥陀さんだ。そうやって「客観的世界」が〈ほんとう〉だと錯覚しているのを、実は「幻想世界」なんだと教えてくれるはたらきが。
だから、阿弥陀さんと相談するといっても、人間的に相談してはダメかもしれない。
いつも阿弥陀さんから、教えられ、覚醒され、幻想だと教えられ、そして正気に戻されるだけだ。
目の前にしている世界を、阿弥陀さんの教えとして、いただき直せと迫られている。
●2017年2月27日●
有名な親鸞の和讃、通称「恩徳讃」は「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も骨を砕きても謝すべし」だ。法座のお終いには必ず、皆さんで合唱する。
多くはマイナー(短調)なメロディーで歌われる。ただ、「恩徳讃」は他にも二つのメロディーがあり、他のは、メジャー(長調)だ。
まあそれは置くとして、昨日のBサロンでは、この恩徳讃の裏に張り付いているのが「愚禿悲嘆述懐和讃」と呼ばれている和讃だと述べた。「浄土真宗に帰すれども、真実の心はありがたし、虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし」だ。
恩徳讃の「報ずべし」「謝すべし」の「べし」をどう読むかで、宮城先生は、「確信推量」か「当然」で読まれているらしい。しかし、私は「命令」で理解すべきだと思っている。「確信推量」の場合「…にちがいない」とか「きっと…だろう。」になる。つまり「報じていく身になるに違いない」か「きっと報ずるだろう」になるだろう。あるいは「当然」だと理解すれば、「…当然だ」「…べきだ」「…なければならない」だから、「当然、報ずべきだ」「報じなければならない」となるだろう。
これを「命令」と受け取ると「…べきだ。」「…なければならない」だから、「報ずべきだ」「報じなければならない」と訳される。「当然」と「命令」は似ているが微妙に違っている。「当然」の方は、自分が自分自身を励まして、報ずべきだ、当然報じなければならないというニュアンスになろう。しかし、「命令」だと、命令する主体は自分ではない第三者ということになる。つまり、それは阿弥陀さんからの命令という意味になる。ちなみに、西本願寺の現代語訳を見ていたら「深く感謝して報いていかなければならない」となっていた。これだと、「私たちは深く感謝して報いていかなければなりません」という自分たちを励ます「当然」の意味で解釈されているようだ。
一方「愚禿悲嘆述懐和讃」で「真実の心はありがたし」「清浄の心もさらになし」の「ありがたし」「さらになし」と否定しているのは誰かという問題がある。これが親鸞自身なのか、あるいは阿弥陀さんなのかという問題だ。表面上は親鸞の懺悔のように読めるのだが、やはり真の主体は阿弥陀さんで、阿弥陀さんが「ありがたし」、「さらになし」と否定して下さっているのだと理解している。綺麗さっぱり否定されて、こちらには何も残らないようになっている。
恩徳讃では、「ほうずべし」「謝すべし」と述べ、「愚禿悲嘆述懐和讃」では「ありがたし」「さらになし」と働き続けているのが阿弥陀さんということになる。
恩徳讃は、讃嘆の歌で、愚禿悲嘆述懐和讃は懺悔の歌だといわれるが、両方共に、阿弥陀さんのひとり働きをたたえる歌だったのだ。
●2017年2月26日●
安田理深先生の刺激的な言葉を紹介します。

「この『時』は日常的時間を高めると共に形而上的時間を現実性に転じ、時計の時間を永遠に高め、時計を超えて永遠の象徴である形而上学的時間を媒介にする。この日常的時間と形而上学的時間を媒介する時は、「信巻」の真ん中の本願成就である。
本願とは大体いうと未来であるが、未来とは永遠を時間で象徴したものであるから、象徴を象徴として受け取る限り未来往生ということになる。これは間違いではないが、象徴が象徴性を失ったら未来が死後になる。死後の往生になる。未来往生というのはまだ間違いではないが、死後の往生と言ったら間違いである。象徴性を失った未来は象徴の概念であって、宗教を負う時間ではなくなる。だから象徴の象徴性を自覚すれば、それは現在である。本願でなく本願の成就である。乃至一念という言葉が時をあらわしている。これもやはり親鸞の教学を待って始めて明らかになることで、法然上人では一念といっても行の一念だから時ということが充分でない。法然上人では一念でも十念でも、十念であらわされる本願の成就であり、十念が念仏の行を選択された本願であるから、その行の一念を一声の念仏といい、そうなるとそれがどこにあっても行である。親鸞はその意味を否定したわけではないが、一念の中には行の一念があり、行の一念に即してそこに信の一念というものを明らかにされたのである。行の一念は法であり、信の一念というときになると時が入って来る。それが時剋の極促というのであって、時剋の極促とは今の言葉では瞬間である。」
ここに宗教的時間というものを何とか表現しようとしている安田先生のご苦労を感ずる。しょせん、我々の時間意識を土台にして考えれば、それは「矛盾」にしか感じられない。平易な言葉でいえば「もう済んだと思ったが、まだ始まっていなかった」ということである。そういう時間をたまわる。
永遠なる、未開なる、未然なる、純粋なる、時である。浄土とか地獄とか、そういう神話的表現を突き抜けていく時間である。
〈いま〉でありつつ永遠であり、永遠でありつつ〈いま〉である。もう済んでいるのかといえば、そうともいえる。もう済んでいるから、まだ始まっていないのだ。
そういう時間を我々は「矛盾」と感じてしまう。
でも矛盾と感じる方が間違っているのであって、〈ほんとう〉は、矛盾ではないのだ。
●2017年2月23日●
阿弥陀さんとは、意識を徹底的に相対化する原動力である。
昨日の池袋親鸞講座は歎異抄第18条がテーマだった。そこに「念仏もうすに化仏をみたてまつる」という表現があり、そこに眼が止まった。ナンマンダブと念仏を称えることによって、そこに仏さんがイメージされるということがある。ただ、それがどんなイメージであろうとも、イメージされた限りの仏さんは「人間的な仏さん」だ。決して、聖なるものでも、超越的なものでも、人間を超えたものでもない。親鸞が観音菩薩から夢告を受けたということも、それはあくまで親鸞の心なかにイメージされた菩薩像でしかない。
その程度といっては失礼だが、あくまで人間的な、つまり相対的なイメージなのである。それを特殊化したり権威化してはならない、という言葉が「化仏をみたてまつる」ではないか。
思えば、親鸞以前の仏教は、化仏を「真仏」だと受け取ってしまったのではないか。西洋の一神教も、神Godを「実在」だとしてしまったのではないか。その「実在」というのもイメージに過ぎない化仏なのだと相対化させてくれるはたらきそのものが阿弥陀なるものなのだ。
がら、徹底して、「無(ア)・量(ミダ)」と、量るべからず、量ること無用なりとイメージを否定してくる作用のことなのだ。
人間はなんでも実体化し、実体化した他者に対して腹を立てたり、歎いてみたりする。実体化した意識は固定的であり、その固定的な意識は、精神を高ぶらせ、硬化させ、疲労させる。その固定化を粉砕し、量るべからずと、綺麗に否定して掃除して下さる。だから、阿弥陀さんによって固定化が掃除されれば、スッキリし、素面の自分に還れるわけだ。それだから有り難い、助かったとなるのだ。こころの凝りが解消されるのだから。
しかし、それは作用そのものなのだから、はたらきでよいはずなのだが、それを敢えて擬人化して「阿弥陀さん」と親しく呼ぶのだ。
親鸞は「十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなわし 摂取して捨てざれば 阿弥陀となづけたてまつる」(和讃)と歌う。この「阿弥陀となづけたてまつる」という表現が実に奥深い。化仏であれば、それを人間は阿弥陀と名づけるのだと言えばよいはずだ。しかし「たてまつる」という。ここに、実に深い親鸞の信仰世界が暗示されている。現代語にすれば「阿弥陀と名づけさせていただくのである」となろう。なぜ敢えて、謙譲表現を取るのかだ。そこに阿弥陀さんと並々ならぬ交流関係がある。
阿弥陀さんを私は「永遠の片思い」と表現しているのだが、なぜそこまで阿弥陀さんは慈悲に徹底するのか。阿弥陀さんが百パーセントの慈悲であることの原因は、我々にある。我々の苦悩にある。もし我々が苦悩する存在でなければ、阿弥陀さんは慈悲であろうとなかろうとどうでもよいのだ。我々が四苦八苦という苦に喘ぐ存在だから、その存在を救いたいという慈悲が発生したのだ。
阿弥陀の慈悲の源泉は、我々の苦悩にある。
その苦悩をお救いいただくから、どうしても、そこに「有り難い」とか「済まない」という感情が生まれてくる。その感情が、「たてまつる」という謙譲表現を生むのだ。何も念頭に阿弥陀なるイメージがあって、そのイメージに対して謙譲やら尊敬の念を感じているわけではない。まず我々の苦悩を救って下さったという感謝が先にあって、その感謝の感情が、おのずと「なづけたてまつる」という表現を生むのだ。
本来人間が名づけることもできないし、名づけること自体が不遜なことだと知っているのだ。人間が命名するものは、人間的なもの、つまりは人間以下の存在に命名することができるのだ。人間が命名することで、人間に認知され実体化される。そのこと自体が罪だと知っているのだ。
人間を超えているものを人間が命名することは、越権行為だ。本来は命名することも、こころに思い浮かべることも不可能なのだ。そういう行為そのものが傲慢なのだ。それを敢えて「阿弥陀」と名づけるのだ。そのことの罪を懺悔している表現が「たてまつる」でもあるのだ。

●2017年2月7日●
ようやく講演集第2巻『善の毒』が、最終段階に入ったので、再び、「つぶやき」も更新する余地が生まれまた。
というか、寺の行事予定が全然更新されてない!と御意見をいただき、昨日、このホームページ作者の池田君が家族で来たので、手ほどきしていただき、結果的には更新された。池田君に三人目の赤ちゃんが生まれたので、ご家族で「初参式」に来たのだ。
手ほどきの時間が少なかったため、こうして、ああしてと手取り足取り教えてもらって、いざ更新しようとしたら、全然できないのだ。ええっと思って、先程、手ほどきしていただいた手順を思い出し、何度もトライしてみたが、びくともしない。出来の悪い生徒だと思い、池田君にメールして、寝てしまった。翌朝、パソコンを立ち上げて、確認してみたら、更新されていた。夜中に彼が更新してくれたようだ。
ええっと思った。寺のパソコンからやらなくても、更新って出来るんだ!まさにびっくりだ。ただ、結果的には更新されたのだが、自分でできなければ、一人立ちしたことにはならない。再度トライしてみたいと思っている。
さて、アメリカ大統領トランプ氏の一連のパフォーマンスをどう考えたらよいのかと質問をいただいた。
一言でいえば「神Godなきエゴイズム」だ。神は人間に、この世をちゃんと神さまに見せても恥ずかしくない世界にしなさいと命じている。だから、アメリカは「世界の警察」を自負してきた。Godは、アメリカ合衆国だけがよくなれば、それでよしとは言わない。全世界、そして全宇宙がGodのお気に召すものでなければ、お許しにならない。だから、お節介が過ぎるくらいに全世界に干渉してきた。
そこにはアメリカの軍事的優位とか、資源の利害とか、様々に政治的要因もあるのだが、それを煎じ詰めると、そういうことになるだろう。
しかし、彼は「神God」に宣誓をして大統領になったが、本心から誓ったわけではないと、教会側では見抜いているようだ。そんなニュースも入ってきた。
「神God」は人間に、「善人たれ」と命じ続けてきた。しかし、いまや教育ママである神の手を振り切って、悪戯っ子は自由気ままに振る舞う快感を得たかのようだ。彼を支持しているのは、おそらくアングロサクソン系の人々ではないかと想像する。それと早々と電車に乗り込んで、後から続々と乗り込んでくる人間には、「もう満員だから乗るな、もう乗り込んでくるな」と叫んでいる乗客的な人々ではないか、と想像する。
アメリカには全世界が綿密な連携をもっていこうとする協調路線から逆方向に進んでいく恐ろしさを感じる。生みの親であるイギリスもEUを離脱し、協調路線から外れていく。
人類は、大きな歴史的な転換点にあるのかもしれない。それは協調か孤立かの転換点だ。 人類には「宗教的なるもの」がなぜ必要なのか。人類から〇〇教というものが生まれなければならなかった必然性は何か。有名なのはユダヤ教・キリスト教・イスラム教・仏教などだが、なぜそういう「宗教的なるもの」が起こってきたのか。
 それは、「宗教的なるもの」なしに、人間は〈ほんとう〉の意味で人間になれないからではないか。つまり、「絶対項」がご覧になったら、私の存在はどう見えるのか、私の行為はどう見えるのかという視点が抜ければ、私は〈ほんとう〉の意味で人間にはなれないのだ。「絶対項」とは、God・ヤーウェ・神・アッラー・阿弥陀など、いろいろな民族がイメージしてきた絶対的なるもののことである。
 この「絶対項」からの人間否定、人間批判がなければならない。人間のエゴイズムを決して許さない否定がなければ。親鸞ならば「浄土真宗に帰すれども、真実の心はありがたし」(和讃)という否定である。
 人間は間違うものであり、真実と背いて生きる存在であるという阿弥陀さんから批判を受けた表白だ。
 トランプ氏は、エコノミストであって、政治家ではないともいわれる。しかし、商売で有名な近江商人の家訓には「仏さんの前で開けられんような帳簿はつけるな」だったそうだ。だからエコノミーと「絶対項」は対立しないのだろう。むしろ「絶対項」の視座から逆照されたときにのみ、エコノミーも健康性を取り戻すということではないか。
 近江商人は、エコノミーを「お恥ずかしい」という一言で誠実に行ってきたのではないか。
 さかなやさんが さかなを うっているのを さかなは しらない
 にんげんが みんな さかなを たべてるのを さかなは しらない
 うみの さかなも かわの さかなも みんな しらない
これは、まどみちおさんの「さかな」という詩だ。
 ここに、ひたひたと、あなたの足元まで罪がやってきて、それがあなたの身体を形成しているというところまで占領してこないだろうか。
 最初、この詩を読んだとき、ぞっとした。「食べる」ということは、そのまま罪を作っていることなのだから。
 こういう感覚こそ、「絶対項」から与えられる感覚ではないか。
トランプ氏には、こういう感覚を回復してもらうしかない。生きることは罪であり、その罪は「絶対項」との関係の中でしか感じられないものなのだということを。

●2017年1月30日●
なぜ平等でなければならないのか。なぜ格差があってはならないのか、ということの根拠がヒューマニズム程度のレベルでは確保できないのではないか。どうしても、「絶対項」がなければならない。
 神がそう願っているからだとか、阿弥陀さんがそう誓っているからだとか、そういう人倫レベルでなく、もっとそれを深層で支えるものでなければ耐えられないのではなかろうか。
 自分がされたら嫌なことは人に対してもしないというのが人倫レベルである。それはそれで近代国家の法の基本理念だろう。しかし、それだけでは漏れてしまうものがある。それは、ひとに嫌なことをすることに快感を感じる自分がいるからだ。自分だけは安泰な場所にいて、他者を蹴落とすというエゴイズムがあるからだ。邪見憍慢の悪衆生だからだ。感受性が変化するところまでに届く言葉でなければ、耐えられないのではないか。
 相模原の事件を憶念していて、そう感じた。
いのちは平等に尊いのだと評論家は言うのだが、なぜ尊いのかの根拠がヒューマニズムでは弱い。
 
※いま『もう済んだと思ったが、まだ始まっていなかった』の第二弾を制作中のため、「つぶやき」の更新がままならない。お許しくだされ。
●2017年1月26日●
ひとをいたわるとか、優しくするというのは、わかりやすいが。自分自身を大切にするということは、とても難しいことだ。
そもそも自分を大切にするなどとは、考えたこともないからだ。手紙の末尾には「ご自愛下さい」などと偉そうに書くこともあるが、果たして「自愛」などどういうこと自体がわからないではないか。〈ほんとう〉の意味で、自分など愛したことがないのだから。だから、「ご自愛下さい」とはなるべく使いたくない。「御身お大切に、お互いに」などと書くこともある。自分自身を大切にしたことのない人間が、先方さんに、「御身お大切に」とだけは書けたものではない。そんな偉そうなこともいえないのですが、お互いに身体を大切にしましょうねという形でお茶を濁す。まあそういう言葉しかないから、やむなく渋々使ってしまっているだけだ。そういうふうに手紙を書くことで、自分自身を免罪にしているわけだ。
自分の欲望のままにワガママを通すことには慣れていても、〈ほんとう〉の意味で自分など愛したことはない。
まあ都合のよい自分は愛するが、都合の悪い自分など愛せないではないか。だから、〈ほんとう〉の意味で、自分を愛したり大切にすることは、とても難しいことではないか。
まず、自分などまったく知らないのだというところから、自分自身に聞いてみることだろう。自分自身を大切にするということはどういうことですかと。
まず自分自身に頭を下げて、静かに聞いてみるところから始めなければならない。
そうすれば、相手も、教えてくれるかもしれない。
そうだな。まず、自分自身に頭を下げることだな。
そこから、考え直さなければならないだろう。答えが出るか出ないかは、別にしてだ。
●2017年1月13日●
全部が、まだ済んでいない。
いままで済んでいると思えていたものが、済んでいないのだ。「食べる」がまだ済んでいない。いままで、何十年間、いのちを食べてきた。だが、まだ「食べる」という行為が完結したわけではない。また今晩も食べなければならない。ということは、「食べる」という行為が、まだ完結していないのではないか。まだ継続中なのではないか。
朝御飯とか晩御飯とか人間は名づけているが、それは完全に終了して、結論が出たわけではない。いわば朝から晩までのインターバルをもって食べているに過ぎない。だから、まだ「食べる」という行為すら済んでいないのではないか。
そうやって身近な「生きること」を見ていくと、生きることはまだ済んでいないし、誕生もまだ済んでいない。何十年前に生まれたと聞かされているが、まだ誕生しつつあるといったほうがよい。記憶にはないが、母の胎内からこの世へ生み出されたときには産道を通ったはずだ。しかしそれをもっと大きく拡大すれば、生から死への産道を通過中なのかもしれないではないか。そうなれば、まだ「誕生した」と過去形で語れない。「誕生しつつある」というのが〈ほんとう〉のところではないか。
そうなってくると、まだ「生きた」と過去形で語ってはならない。「生きつつある」というのが〈ほんとう〉のところだ。まだ結論は出ていないのだから。
親鸞が大事にしている言葉が「因位」だ。因の位とは、原因の段階ということだ。因位の対概念が果位だが、親鸞は果位には興味がない。いつも因位ばかりを大切にする。利益を得て喜ぶのは常識だから親鸞は好きではない。親鸞は「まだ利益を得ていないのに、得たと思って喜ぶこと」が好きだ。つまり原因の段階だけに関心があるのだ。
まだ済んでいないことだけが好きなのだ。

今朝、トイレでウンコしながら、ふと思った。南無阿弥陀仏の中でウンコをしているのか、ウンコをすることの中に南無阿弥陀仏があるのかと。
これって、ものすごく重大なことだ。もし南無阿弥陀仏のなかでウンコをしていないのならば、それは恐ろしいことだ。ウンコと南無阿弥陀仏が別々になっていたら、それは恐ろしい。考えただけで、恐ろしい。
南無阿弥陀仏の中でウンコができるから、安心してウンコできるんだ。もし別々だったら、出るものも出なくなるはずだ。
食べることもウンコすることも、すべてが南無阿弥陀仏の中に吸い取られていく。まさに南無阿弥陀仏はブラックホールだ。
●2017年1月11日●
写経の会は、静寂の中に、日常を超える時間をもらえる。
やはり、いいもんだと、改めて感じた。筆ペンであらかじめ薄墨で印刷されているお経をなぞり書きする形式のものだが、やっていると、いろいろな意識や感情を体験できる。
それこそ、文字をうまく書いてやろうという欲も出てくる。思ったように筆が進まず、下手くそだなぁと歎いて見たり、そうかと思うと、昨日の出来事を思ってみたり、そのうちに肩が凝ったなぁと感じてみたり、眠気もやってきたり、留まっているということがない。まさに散乱粗動だ。身は椅子に腰掛けてはいても、こころはバタバタと動き回っている。
それもこれも、後から思えば、みんな他力だったなぁと感慨に耽ることもできる。「考える」ということくらい自由にやれるだろうと思っているのだが、そんなことは絶対にない。「考え」も受動性の生き物だから、自分の自由に考えているわけではない。ある種の文脈が強制的に考えさせているのだ。ただ思いは「自分で自由に考えている」と思い込まされているだけだ。事実は他力、思いは自力だ。
写経が終わってお茶を飲んでいるとき、ヨシタケシンスケの絵本『これから どうしちゃおう』を紹介して、みんなでガヤガヤとおしゃべりした。つまり自分の死後にどうしてほしいか、あるいは死後の世界はどんなふうなのか、どんなふうに自分はいのちを終わっていくのか。
実は、そんな話はまったく話題には出なかった。出なくてもいいのだ。みんなの心の中でいろいろな動きがあったはずだし、それは各人各人が家へ持ち帰って考えればよいことだ。
そして、「生きる」でもなく「死ぬ」でもなく、第三の扉が開かれていけばよいと思う。「生きる」も「死ぬ」もあやふやになってしまえと思う。
それがあやふやになってしまえば、もっと〈いま〉が豊かに溢れ返ってくるはずだ。
お釈迦さんは「色即是空」という。そんなものは人間の迷いだ、すべては空なのだ、無実体なのだと。しかしそれだけでは不十分で、虚無主義になってしまう。
そこから、「空即是色」が復活してこなければ、〈いま〉の内容が充実しない。何も無いからこそ、〈いま〉が成り立っているのだ。無いことの豊かさが開かれなければだめだ。
私たちは「行者」だったのだ。
今日、正信偈を称えているとき、「行者正受金剛心」という言葉が気になった。「行者!正(まさ)しく金剛心を受けしめ」と親鸞は読む。我々は自分ではそんなこととは思っていないが、「行者よ!」と呼びかけられているのだ。阿弥陀さんからみたら、我々は「行者」なのだ。修行者なのだ。
ただ、その目的が教えられていないだけだ。
●2017年1月10日●
仏法を外に求めたら
実は 内にあった
そして
まわりを見渡したら
仏法だらけだった

厄介なことを
厄介だと
口に出して
言える喜び

今日は、ふたつの詩が、私にやってきて、留まって下さったので、おすそ分け。
●2017年1月4日●
絵本『このあと どうしちゃおう』(ブロンズ新社)が面白いと勧められ読んだ。
とても面白かった。作者はヨシタケ シンスケさん。
絵本の帯には「しんだらどうなる?どうしたい?いきてるあいだに考えてみよう」とあって、ユーモアたっぷりに描かれたイラストたちを見ていて、思わず大笑いしてしまった。何度も大笑いした。
難しい言い方をすれば、これは「死の準備教育」だ。でも扱い方が実に明るい。子供とか大人とかを問わない、年齢を超越した内容になっているから面白い。
他にもヨシタケさんの『りゆうが あります』とか『りんごかも しれない』とか『ぼくのニセモノを つくるには』を読んだが、『このあと どうしちゃおう』ほどは、インパクトを受けなかった。
彼がお祖父さんを亡くして、考えたことを絵本にしたらしい。「死」についてお互いに語ったり考えたりできるのは、「元気なとき」だと気付いたのだという。それは必ずそうだ。「死」について考えられるのは、元気なときに違いない。お墓のことについてもそうだ。だから、元気なときに「死」について、ユーモアを交えて考えようというのだ。

話は変わるが、ヨーロッパでは日本のように「寝たきり老人」はいないらしい。つまりは「寝たきり」になる前に亡くなっているかららしい。あっちでは、老人に経管栄養とか点滴とかをやらないらしい。老人というのは、もともと弱っていくもので、枯れていくものだから、それは自然の成り行きで、逆に延命医療を施すことは老人虐待だと考えるらしい。
私も、胃ロウとか点滴は拒否すると家族に言ってある。
だが日本の場合、そうはいっても、最後の判断をするのは「家族」に任される場合が多い。病状が迫ってきたとき、「これをやらないと、死ぬかもしれませんよ」と医療従事者に言われて、拒否できる家族もいないのではないか。だから、必然的に「寝たきり」へと加速していく。
後は、「家族のエゴ」という面もある。家族が、一分でも一秒でも長く生きてほしいから、医者の言われる通りに、「はい、はい」と承諾してしまうのだ。悪く言えば、それは家族のエゴを慰めるために、病者を利用することになる。そのときの言葉が「かわいそうだから」だ。病者がかわいそうだと決めているのは家族の意志だということが見えないのだ。そうならないためにも、普段から「死」について考えておく必要がある。お互いの「死についてのエゴイズム」を見える形にして、何度も語り合っておくほうがいい。
我々日本人は明治以後か戦後以後かは知らないが、「死」について考えなくなってきた。まあ文明は「死」を抹消して、無いかの如くに偽装するための道具だから、それも仕方がない。学校でも、唯一「死」については教えてくれない。公教育では、敢えて触れないようにしているのだろう。宗教系の私立学校では少し教えているようだ。
だから、寺は、「必ず死にますよ。人間の死亡率は百パーセントですよ」とだけ言っていればよいのだろう。ひとの嫌がることを言うところが寺というところだ。見たくないことを見せるところが寺なのだ。
寺までが右肩上がりのイメージを植えつけてしまえば、寺の存在意義はないだろう。それでも、「お役に立ちますよ、お寺は」などというメッセージに擦り寄っていこうとするきらいもあるから、困ったものだ。
●2017年1月3日●
やっぱり、聴衆が演奏家で、小生(話者)は楽器だと、つくずく思わされた。
いつも電動車椅子で来られるAさんが、「きょうのお話は、乗ってましたね!」と言い置いて帰っていった。彼女は、昨日も拙寺の修正会に来られていたからだ。
因速寺でお話するのと、真宗会館でお話するのと、どう違うのかはわからない。場が違うということは聴衆も違うし、すべてが違う。ただ、真宗会館での修正会でのお話は弾んでいた。
それは仕方がない。
それはひたすら聴衆の引き出し力にかかっている、と思っている。また、昨日と今日とは、すべてが違う。同じように見えて、まったく違うことが逆に証明された。
むしろ、同じようになることのほうがおかしいのだ。違って当然だ。
拙著の題名は『もう済んだと思ったが、まだ始まっていなかった』だが、今日は、他の味わいも生まれてきた。それは「もう済んだから、まだ始まっていなかった」のだ。「もう済んだ」というのは、弥陀成仏だ。もうあらゆる苦悩する存在が救われてしまい、法蔵菩薩は阿弥陀仏になっているのだ。もう済んでいるのだ。
済んでいないから、始まっていないのではない。済んでしまっているから、まだ始まっていないと言えなければならない。
もう救われてしまっているのだ。それで阿弥陀さんは仏さんとして成仏している。十劫の昔に。しかし、それが自分にとっては、まったく済んではいないのだ。「もう済んでいる」のは、阿弥陀さんの成仏がだ。人間の側のことではない。
弥陀成仏を、その通りだと、人間が「いま」言えなければならない。
そのためには、回心を「体験」という概念から救ってやらなければならない。
回心は自分の努力ですることのできる体験だと思い込んできたのだ。だから、自分で自分の腹を探って、体験したのか、してないのかと詮索する。そんな、自分の「体験」の内容に回心はならないものだ。『歎異抄』第16条でいう「ただひとたびあるべし」の「ひとたび」を体験から救い出さなければならない。
決して、回心は人間の「体験」にはならないからだ。つまり、身に覚えるものにはならないのだ。もし身に覚えるものになってしまったら、「まだ始まっていなかった」が消え失せてしまう。
お話は芸術だ。教訓話や啓蒙になってはならない。一回限りのライブであって、それをどう評価するかという領域にはない。だから夏空に一瞬きらめく、花火なのだ。花火を、「あれはどうだこうだ」と言えないように、法話もそれと同じ質のところにある。だから、それっきりでよいのだ。ただほれぼれとなれればよいのだ。
昨日は、打ち上げ花火を話者も聴衆もともに味わった。
ただそれだけでよいのだ。

●2016年12月31日●
外は、事のほか静だ。
これが「年末年始」という共同幻想を実感する感覚だ。マスメディアから情報を得ることがなければ、「年末年始」など、どこにもないかのようだ。
毎年のことだが、このループ状の一年という繰り返しの時間感覚がどこからやってくるのかを突きつけられる。〈ほんとう〉は「繰り返し」などはどこにもなく、二度と同じことがない出来事の連続のはずだ。
それであっても、人間はループ状の車輪の如き「一年」という時間感覚を固く信じている。日本には「四季」があるからループに受け止めやすいのかもしれない。地球上の四季がない地域では、また違った感覚なのだろう。
〈ほんとう〉の信仰とは、その「当たり前」に感じられる時間というものを疑うことだから、世間とは逆行してくる。
滅罪思想は、その「当たり前」に感じられる時間をベースにして成り立っている。過去の罪を現在に滅することで、罪の重さが軽くなり、未来は清浄になるという考えだ。
「断煩悩」という発想で成り立っていた聖道門仏教も、それと軌を一にしている。
おそらく親鸞の関心は〈いま〉ということだったと受け取っている。
「弥陀成仏のこのかたはいまに十劫をへたまえり」という『和讃』がある。阿弥陀さんはもともと阿弥陀さんでなく、最初は修行中の法蔵菩薩だった。全存在を救い取ったときに阿弥陀仏と名前が変わる。それなのに経典は、阿弥陀さんがすでに十劫(永遠)の過去のとき、既に成仏していると述べてくる。
ということは、現在においては、救われていない存在はいないということだ。ひとりでも救われていないものがいないのであれば、まだ法蔵菩薩の段階だ。法蔵菩薩の願が満足したとき、初めて法蔵菩薩は阿弥陀仏になるのだから。
私も、とうの昔に救われてしまっていたのだ。しかし、そうは言われても救われたという実感がないではないか。それを確認する一点が「いま」である。
それで「弥陀成仏のこのかたはいまに十劫をへたまえり」と言っているのだ。阿弥陀さんが成仏したことを証明できる場所は「いま」なのだ。ということは「いま」が抜けてしまえば、すでに私が救われていることを証明できないことになる。さて、果たしてこの「いま」とはどういう〈いま〉なのかが問題だ。
 哲学者・中島義道は「ある種の有機体S1が言語を学ぶようになると、固有の身体を持つS1は驚くべき転回を成し遂げる。ひとことで言えば、S1は自己中心的な身体に反逆し、自己に現に開かれているパースペクティヴと並んで、他の(とりわけ他の類似の有機体すなわち他の人間の)パースペクティヴをも承認してしまう。いや、むしろ世界にはさまざまなパースペクティヴが開かれていることを理解してしまい、みずからの身体は偶然的にそのうちの一つを受け持つにすぎないと理解してしまうのである。」(『不在の哲学』)
と述べている。
 ここでは、時間論を特に述べてはいないが、「いま(時間論)・ここ(場所論)・私(主体論)」の原点は同じ形をしているから、取り敢えずこれを引用してみた。
 中島の言い回しは「哲学的」なので難しいが、簡単な事実を述べているに過ぎない。
ただ「簡単な事実」を誰もが納得できる形にまで表現することが難しいだけだ。
 まず、人間は「言葉」を抜きにして、時間も場所も自分も「与えられない」ということだ。幼児期、ひとは自己中心的であり、自己中心的であることに無自覚に生きている。ところが言葉を習得することによって、自己中心的な自分の他に他人がいることを理解し、自分以外のひとたちの見え方があることも理解する。さらに、全世界には何十億人の人間が住んでいて、その人々にもそれぞれの人生観や世界観があることをも理解する。
 自分という身体は、たまたま偶然に、全世界の何十億分の一の存在だと思ってしまう。つまり、何十億人の中のひとつに過ぎないと自分自身が「相対化」されてしまうのだ。さらに、全人類のパースペクティヴが「客観的事実」だとマインドコントロールされ、自分のパースペクティヴは取るに足らない「個人的」なものに貶められる。
このマインドコントロールをうっちゃって、自分のパースペクティヴを復権しようというのが、親鸞の直感した信仰であり、〈ほんとう〉から導き出された考え方である。だから哲学者も、私と同じようなことを考えているのだと思う。
そこに流れている〈ほんとう〉は、人間を「客観的」という共同幻想から解放するのだ。それを「あるBeing」という言葉で象徴しているだけだ。
ひとは「するdoing」に目を奪われがちだが、動くための基点こそ「あるBeing」であり、その基点がなければ、すべての「するdoing」は虚仮不実になってしまう。
まずは「あるBeing」が円満しなければならない。「存在の零度」が成り立たなければ、すべては嘘だ。
そうそう臨済録の「随処に主となれば、立処、皆な真なり」は、そのことを語っているのだ。その「主」こそ「存在の零度」であり、「親鸞一人がため」(『歎異抄』・後序)の「一人」である。
特殊的個と別次元に、普遍的個を開くことだ。それが開かれなければ、真にはなり得ない。
長い間、人間に「真」はないと思い込んでいた。「真」に触れたということも傲慢で、人間は不実であり虚偽であり醜いものだと思い込んでいた。「真」に触れたという思いそのものが傲慢であると。当然、その考えは自分を閉鎖的にし、絶望へと導いた。
しかし、触れたという思いも、触れ得ぬという思いも、ともに「自分の心の中の出来事」だった。
阿弥陀さんに、そのこころの根っこの閉鎖性を破ってもらうしか、そこから抜け出ることができない。「触れられるか、触れられないか」その両方の考えを超えさせてもらうことだ。
淨土へのカギは、こちら側にはついていない、向こう側からしか開けてもらえないようになっているのだ。
●2016年12月27日●
NHKの朝ドラ「べっぴんさん」の主役・すみれのセリフが気になっている。
それは「あまちゃん」の「ジェジェジェ」でも、「アサが来た」の「ビックリポン」でも、「八重の桜」の「さすけねぇ」でもない。
あまり感情を刺激するようなインパクトのある言葉ではない。
それは「な・ん・か・なぁ…」である。
必ずすみれが独り言の形で、自分に問い返すように、ゆっくりと、漏れる吐息のようなセリフだ。
それは対人関係で行き詰まったときや、何かを新しく生み出すアイデアをひねっているときに漏れる。
「なんかなぁ…」だ。

例えば、大手デパートへの出店が決まり、すみれたちのベビー服の店舗コーナーの飾り付けが一応整ってからの一言が「なんかなぁ…」だった。
なんかこれでは寂しい、何か現状に満足しないときに漏れた言葉だった。

ドラマの作者は、まさか流行り言葉を狙ったわけでもないと思うのだが、「なんかなぁ…」は、ボディブローのように、効いてくる言葉だ。

それで、気がつくと、自分の日常の中でも、「なんかなぁ…」が漏れていた。

別に文句があるわけでもないし、それでもいいんだが、どうももうひとつ捻らねばならんと感じるときに出てくる。

直近なことでいえば、送られてきた『月刊 同朋』を読んでいたとき、ある文章を見ていて感じた。
別に問題もないし、間違ってもいないし、そうなんだけど、「なんかなぁ…」と感じてしまった。
仏法の言葉が、食いついてこないんだ。
仏法の言葉は、読み手に食い込んでこなければダメだと思っている。
お前はどうなんだと問われれば、何とも答えようがないが、ただ仏法の言葉としては、そういうものだと思う。

読み手のこころに切り傷が残るようなことばでなければ仏法の言葉ではない。
歎異抄の言葉たちが、まさにそうだ。
そして、言葉たちは、そういう表現を待ち望んでいるのだと思う。
たかだか50音しかないんだが、それの組み合わせは無限に近いのだろう。
単なる組み合わせなんだが、そう思わせない力をもっている。

人間は言葉で考える生き物だから、やはり、迷うのも、また迷いから覚めるのも言葉なんだ。
言葉は、考えるための道具ではない。考え、そのものだ。言葉を抜きにして、人間は考えることはできない。ただ、考えることと言葉は別だと思い込んでいて、自由に「考え」ることができるという迷信にとらわれているだけだ。言葉がコードといって、キチンとした規則に則って並べられるように、「考え」もキチンと規則に沿って流れている。規則に沿ってというよりも、その「規則」に縛られているといったほうがよい。その「考え」は自分自身で考えたものか、どこかで聞いたり、読んだりしたものか、またマインドコントロールにかかっている「考え」かのいずれかだ。
だいたいが、自分の独創ということはない。ほとんどが言葉の法則に則った「考え」が自分の考えだとマインドコントロールされているのだ。あの相模原の障害者施設を襲った青年の「考え」もだ。あるいはまた、「平均寿命」という「考え」もだ。
それらは、ある法則どおりに考えられて、法則通りに行為が運ばれるのだ。果たしてその法則に〈ほんとう〉はあるのかと逆照される意味場がない。
そんなときに「なんかなぁ…」が漏れてほしい。

「なんかなぁ…」と、言葉が漏れたときには、何か新しい表現を生んでほしいと言葉が望んでいるときなのかもしれない。そこには〈ほんとう〉はあるのかと自己を問いかえす視点が「なんかなぁ…」である。
●2016年12月25日●
「迷うのも、ただ闇雲に迷っているのではない。迷うのも真理の法則によって迷っているのだ」という安田理深先生の言葉に救われたことを思い出す。
それまで、自分が迷いに迷って沈んでいたのは、自分の側に問題があると思い込んでいたからだ。ところが、迷いが真理と無関係ではなく、むしろ真理の法則に則って迷っているのならば、迷いも自分の劣等性によるものではないと教えられた。まあそれだからといって、すぐに迷いへの執われから吹っ切れたわけではないが、大きな感動を得たことは間違いない。
物語的に語れば、救われないのは、自分の経験や能力ややり方が悪いからで、阿弥陀さんの救いにはあずかれないと思っていた。ところが、迷うのも阿弥陀さんのお手回しで、迷わされて迷っていたのである。となると、迷っているということが阿弥陀さんの救いの一環に組み込まれてくる。
自分では阿弥陀さんとの関係は「無」だと決めてかかっていたのだが、実は阿弥陀さんの手の中だったのだ。
ということは、自分の劣等性で迷っていると考えたのはなぜだろうか。おそらく、自分の頭で自分の力や経験などを判断して、これではダメだと劣等評価を下していただけなのだ。
まさに「弥陀いかばかりのちからましますとしりてか、罪業の身なれば、すくわれがたしとおもうべき」(『歎異抄』第13条所引の『唯信鈔』。『唯信鈔』は「弥陀」ではなく「仏」となっているが)だ。
傲慢にも阿弥陀さんがどほれどの救済力があるかを小賢しい凡夫の知恵で判断した上で、自分のような罪業深い身では、とても阿弥陀さんの非力な救済力では救われないだろうと判断しているのではないかと批判している。
つまり救われるか救われないかを誰が判断するのかといえば、自分自身で判断しているのだ。それで自分のように罪深いものは救われないだろうと思い込んでいる。まして、阿弥陀さんは私のような罪深いものをお救いいただけないだろうと。それは、喉から手が出るほど救って欲しいのに、「救ってくれなくてもいいよ」と拗ねているのだ。
結局、救われるのも救われないのも、それを判断しているモノサシは自分のもっている小賢しい知恵なのだ。いわば自分で自分の罪を判断して、自暴自棄になっていただけだ。そこには阿弥陀さんは介入しいないと思い込んでいた。ところが、それこそが阿弥陀さんの手の内だったのだ。
自分が判断する前の自分、自分が自分自身を考える前の自分、それを一番最初の根底に据えてしまっていた。この根底の岩盤のような自分の底に、それを基礎づけている悲愛があった。
はじめに悲願ありきだ。
●2016年12月22日●
昨日は本年最後の池袋親鸞講座だった。
テーマは『歎異抄』第16条の「回心」の問題だ。
信仰に関わっている過程において、大いなる翻りがやってくる、それを回心と仏教でもキリスト教でも言っている。昨日はイスラムについて触れられなかった。それを補う意味で『岩波イスラーム辞典』から引用しておきたい。
 この辞書で「回心」の項目を引くと、「タウバ」を見よと矢印がついていて、「タウバ」を引くとアラビア語では「tawba 」とあり「改悛、改心、悔悟。自らの罪を悔い改めることで、文脈によって異なる意味をもつ。クルアーンにおいては、それまでの罪を悔悟して神へと回帰することがしばしば命じられている。タウバは一般的には異教徒がイスラームに入信することや、誤った信仰をもったムスリムが正しい信仰に復帰することをさす。またスーフィズムにおいては俗世の関心を捨てて修行道に入ることを意味し、修行者がたどる階梯(マカーム)の第一段階とされている。そのタウバの後に過去の自分の罪を忘れるべきか否かについてが議論の的となった。」等とある。
この辞書の解説も断片的なものかもしれないが、ニュアンスとして伝わってくるものは、以前の自分や罪を脱ぎ捨てて、正しい信仰に入るということのようだ。単純化して考えると「180度の転換」ではないか。
一方、『歎異抄』が語る回心とは、「360度の転換」である。これはあくまで私のイメージに過ぎないのだが。
歎異抄は「一向専修のひとにおいては、回心ということ、ただひとたびあるべし。その回心は、日ごろ本願他力真宗をしらざるひと、弥陀の智慧をたまわりて、日ごろのこころにては、往生かなうべからずとおもいて、もとのこころをひきかえて、本願をたのみまいらするをこそ、回心とはもうしそうらえ。」と語る。
 この「ただひとたび」をどう了解するかだ。『歎異抄』の言葉もすべてイメージ言語なので、曖昧さが付きまとう。私たちはこの「ただひとたび」を、一回の体験と受け取ってしまう場合が多い。つまりいままで人生を生きてきて、その中で大きな信仰体験をすることだと理解する。卑近な礼だが、いままで自転車に乗れなかったが、何回も転びながら乗れるようになる体験と近いだろうか。感動的な映画をみて、それからの人生観が変わったというものよりも、自分の身体を通した体験だから、自転車の譬えのほうが近いような気がする。
 一度自転車に乗るという体験が出来上がると、長い間、自転車に乗っていなくても、いつでも乗りこなすことができる。回心も、それと同じように、人生のある時点に成り立った経験だと理解してしまう。自転車が乗れるという体験は、傲慢を生む。自転車を乗れない人間に対して、優越感を抱く。体験とは「するかしないか」という行為に属しているから、必ず優越感と劣等感に引き裂かれる。しかし、『歎異抄』のいう「ひとたび」という意味は、それとは違っているように思える。
 まあ私も、回心という体験が欲しくてたまらない時期があった。意識的に真宗に触れ始めた40年前のことだ。回心を体験していなければ、人前で法を説くこともできず、一人前の信仰者ではないと思っていた。それで回心の体験を切望していく中で、回心を体験したのだ。ところが、体験としての回心は、すぐに色あせてしまう。「わかった!」と躍り上がり、「これこそが回心だ!」と感動したのが、少し日がたつと、その体験も色あせてくる。元の木阿弥で、あの体験は嘘だったのではないかと絶望に突き落とされる。
 面白いことに、自分が幸せを感じたり、喜んだり、笑ったりしているときに、特に激しい絶望感が襲ってきた。はらわたがよじられるほどの絶望感だった。それでまた振り出しに戻された気持ちになって、またひたすらわかったようなわからないような教えの世界へ埋没していった。こんなことなら、真宗をやめようかなと思うほどだった。まあ真宗はやめてたとしても、自分自身を脱ぎ捨てて生きることはできないのだから、それは無理なのだ。さとりや救いの条件を一切排除したのが真宗だから、方法論がないのだ。これこそが難行道だ。
 それでわかったことは、私は回心を「能力」の問題として考えていたということだ。回心ができるはずなのに、自分に回心の体験がないのは、自分の能力が足りないから、経験がたりないから、勉強が足りないからじゃないかと考えていた。回心できていないのは、自分に責任があると劣等感に沈んでいただけだ。
 実は回心とは能力の問題ではないのに、それを能力の問題と間違って受け取り、自分自身を苦しめていただけだったのだ。それは第9条の唯円の問題と同質なのだ。信心を喜べないのは自分に問題があるんだと考える考え方だ。煩悩を制御できると考えている心が自分を苦しめているだけだ。
 いまでは、回心をしていようとしていまいと、そんなことはどっちでもよくなった。
だいたい回心は体験ではないからだ。回心とは、いま(時間観)・ここ(世界観)・私(主体観)がそっくり転換されることで、人間の「体験」にはなり得ない出来事だ。
 回心が能力だと考えている心は、時間を「客観的なもの」と考えて、過去→現在→未来と考えている。これを通時的時間観と私は呼んでいる。その時間観を土台にして、回心という体験をそれに当てはめようとする。回心の体験をしたかしないかを判定するのは、自分だから、自分に聞いてみれば一番よく分かる。過去に体験がなければ未来に体験があるはずだと考える。その手の体験は自転車の譬喩と同じだ。自分が自転車を乗れるようになったかどうかは自分以外にはわからない。それは能力主義をベースにして考えているからだ。
 ところが歎異抄のいう「ひとたび」とは、いわば「一生涯を包むようなひとたび」なのだ。通時的時間観をベースにして、ある時点に体験を固定化するのではなく、その時間観そのものを転換させることである。それを共時的時間観と私は名づけている。この時間観は、〈いま〉という時間の内部に未来も過去も包み込まれるものだ。つまり時間は過去から未来へと流れるものではなく、すべてが今の内容となるものだ。
 だから、「何年、何月、何日に回心したのですか?」という問いかけが役に立たなくなるような時間論だ。浄土系の新興宗教では、回心の年月日を明記させるものがあるらしい。もしそんなものがあったら、それはカルト宗教に違いない。「信前信後」などという用語自体が、真実を見失わせる見方なのだ。
 もし「信前信後」という言葉を使うならば、信前と信後は何も変わらないと言えなければならない。何も変わらないけれども、まったく変わってしまった、それが360度の転換だ。
 先にも書いたように「いま(時間観))「ここ(世界観)」・「私(主体観)」が360度かわることが回心だ。
1、いま→時間観は、通時的時間観→共時的時間観へ
2、ここ→世界観は、一世界全人類包摂世界観→一人一世界観へ
3、私→主体観は、主体としての自己→客体としての自己へ
3の主体観は、いままで自分自分と思ってきたが、自分は「主体」ではなく、「客体」だったと転換することだ。つまり、すべては受動が先行していて、誕生から死までが「させられて、している」ということなのだ。呼吸は、自分が自由にしているわけではない。意識的に止めようとしても止められない。だから、「呼吸させられて、呼吸している」のだ。「見させられて、見ている」「歩かされて、歩いている」、「考えさせられて、考えている」すべて受動が先行している。
 自分とは煩悩が沸き起こる器だ。自分が煩悩を起こしているのではない。私にとって煩悩は受け身だから、「怒らされて、怒っている」のだ。どこにも自分の能動的な意志は混じっていない。では何が主体になって、そうしているのかといえば、それは阿弥陀さんだ。阿弥陀さんが「私」という場所において腹を立てさせて、私に腹が立つという感情を教えてくれる。主体は阿弥陀さんで、私は客体になることだ。
 
 「真実」とは何だろうか。もっと正しくいえば、親鸞が「真実」という言葉で表現したかったものは何だろうか。それは言葉ではいえないものなのだ。私も「回心コンプレックス」に陥ったが、それはこっちから獲得しようとしていた回心だった。しかし、自分は「回心してはいない」ということははっきりと感じられた。これは不思議なことだった。回心などまったくわからないのに、それであるのに自分は回心してはいないと明確に言うことができた。ということは、私はどこかで回心ということを知っている、感じているのだ。感じているから、「回心していない」と明言できたのだ。
 回心がわからないときは、つまり真実とひとつになっていないときは、何をやっても空しいのだ。どれだけ刻苦勉励して励んでも、苦しい作業などをしても、これでよしとは言わせないものがあった。その一点が明確になれば、何をしていてもよいといえるようなもの、それが「真実」だ。だがその一点が不明確であれば、何をしても、どれほど苦しい修行をしたところで、それはすべて空しいのだ。
 まあ、空しくさせてくれるのも自分を超えたはたらきなのだと、いまでは感謝できる。

いかなる「行為」でも、真実とひとつになることができない。どんな誠実なことをしたからといっても、どんな難行苦行をしたからといってもダメなのだ。何といったらよいか、存在といったらよいか。真実と一部分の接点で触れ合っているといった感覚だ。アンテナの一部分触れ合っている。髪の毛の細さの、羽の毛先の先端で触れていられれば、いつでも、どこでも、何をしていても、それは「真実」なのだ。
 自分が真実と同化したり一体化するわけではない。自分は徹底的に「偽善」でしかない。ただその偽善の私が、真実と毛先の先端の一部分接触している。その一部分があることで、〈いま〉が安定してくる。こっちから真実になろう近づこうとして「行為」している間は、〈いま〉が不安定になる。逆説的な言い方だが、近づこうとする動きが止まって零度に制止したとき、向こうから真実が触れてくる。いや向こうは最初から制止していたのだ。向こうからこっちへ近づいてくるわけではない。こっちの動きが止まったとき、実は最初から触れていたことに目覚めただけだ。
 一点の接触で、自分はどこまででも偽善をなめ尽くすことのできる安心感が与えられる。それが「地獄一定」の安心感だ。 
●2016年12月19日●
真実とは何かと問いを立てている。しかしその問いの中に答えが既に収まっている。
つまり、自分が問いを立てて、自分が答えをつかみ取ることができるという問いの質が、そこに答えを出している。
つまり、自分で掴んだ限りの答えは、答えにはならないと。そうなると、真実とは自分にはわからない、つまり掴めないものとしてしか無いのだ。
親鸞も、「不可称、不可説、不可思議」などといっている。たとえ「真実」という言葉を使っているからといって、真実を知っているわけではない。言葉になって人間に理解される限りでの真実は〈ほんとう〉の真実ではない。真実は人間が語ることも考えることもできないものだからだ。そして人間が掴めないものだから、人間にとっては、それが、いわゆる「救い」になるのだ。人間が掴めるものは、人間より小さいか、人間と同程度のものだけだ。人間を超えたもの以外に「救い」はない。
いわば「逆照」だ。
自分が掴もうとする形で真実は手に入らず、むしろ真実から逆照されることによってだけ真実に触れるということだ。だから、親鸞も釈迦も真実を掴んだわけではない。わかったわけでもない。
それには触れえないという形でのみ、真実と出遇うのだ。
強烈な光に照らされた影のみが光の存在を証明する。影の濃さだけが真実を証明するのだ。 親鸞は自分はとても仏弟子とは言えないといって「釈」を名のらない場所がある。それが「悲嘆述懐」といわれる部分だ。
「誠にしりぬ、愚禿鸞、愛欲の航海に沈没して、名利の太山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快しまざることを、恥ずべし傷むべし。」(『教行信証』信巻)
普通は、「愚禿釈親鸞」と署名するのに、ここでは「釈」が抜けている。なぜ抜いたのかは親鸞に聞かないとわからないのだが、まあ仏弟子失格の自分だとという自覚を表したものだろうと想像する。
それは愛欲の広い海に溺れ、名利の山に迷い入って、さとりに近づこうとか仏道を求めようなどということをまったく喜んではいない自分だというのだ。愛欲は説明しなくてもわかる。名利とは名声と利害損得だ。現代人は、欲望や利害があるのは当たり前じゃないか、それがなければ娑婆を生きていけないじゃないかと、居直る。
親鸞は居直れず、それを「恥ずべし、傷むべし」と懺悔した。これが阿弥陀の光に逆照された証明だろう。「恥ずべし、傷むべし」は自己反省ではない。自己反省は慙愧だ。慙愧の底が破れたのが懺悔だ。これは懺悔の表白だと思う。
さとりを求めようとする心そのものが、個人的な安楽を求める自我関心から出発している。自分さえ助かればよいのだという関心だ。だから仏道を求めること自体が恥ずかしいことなのだ。
それでは、やめられるかといえばやめられない。個人的な自己関心であっても、それでもその道をいくしかない。なおその底を突き破って、そうせざるを得ないものに突き動かされているからだ。
そして突き動かしているものが、実は自分を超えた力だったと気付く。それがオセロのように次々と黒が白にひっくり返され、いよいよすべてが他力だと覚めていき、とうとう自分というものなどどこにもないと覚める。
自分の底で自分を突き動かしているものこそ真実なのだ。真実とは名詞でなく動詞なのだ。
●2016年12月14日●
泣いても笑っても、怒っても悲しんでも、所詮は「一人一世界」の内的出来事だ。
なぜならば、私たちがこの世と関わる先端は五官というインターフェイスだが、それをとりまとめているのが自我意識だからだ。その自我意識を仏教では三毒といってきた。貪欲(欲望)、瞋恚(感情)、そしてそれらを成り立たせている愚痴(意識)である。それを細分化して、唯識では「貪・瞋・痴・慢・疑・見」を六大煩悩とし、それをさらに細分化して「随煩悩」(忿・恨・覆・悩・嫉・妬・誑・諂・害・憍・慳・無慚・無愧・掉挙・惛沈・不信・懈怠・放逸・失念・散乱・不正知)と分析した。
これらが私たちが、この世と関わるときのこころの構えなのだ。これ以外にはないのだ。ただ、それが透明になっていて、自分には見えないというということが最大の問題だ。
究極的に、自分たちは「被害者」なので、それが私たちを煩悩発生装置に変えていく。赤ちゃんは煩悩不具足だが、大人は煩悩も成長し発展し、煩悩具足に育っていく。
そして、あたかも、自分を苦しめるものが外界にあるかのように錯覚する。まあ外界は素材だ。その素材を料理し、味付けして、煩悩の対象物として育て上げるのも煩悩だ。
煩悩は何かを恐れている。恐れて身構えている。
それは自分自身の投影した煩悩が恐ろしいのだろう。
そのとき、歎異抄は「悪をもおそるべからず」(第一条)と訴えかけてくる。翻訳すれば「煩悩をもおそるべからず」だ。
煩悩は幻想だったのだ。自らつくり、自らが恐れおののく。それを自業自得というのである。
●2016年12月10日●
昨日、15時頃、チビ太(さくら)君は生きを引き取った。
ここ数日、動きがかなり緩慢で、餌もあまり食べていなかった。ずっと寝ていることが多かった。お気に入りの場所は、因速寺の大玄関前のマットの上。
 晩年は、そこでよく寝ていた。まるで招き猫のようだった。来客は、一向と動こうとしない猫を邪魔臭そうにしながら、入り口から入っていた。猫好きのひとは、必ずしゃがんで彼を撫でていた。
息子が中学生の頃、拾ってきた雄猫だった。その息子も31歳だから、17歳くらいの老猫になっているはずだ。長い尾っぽを蓄えた、細身の素敵な猫だった。
若いころは、やんちゃな性格で、向こう意気が強く、いつまでも撫でていると、「やめろ!」といわんばかりに爪でひとの手を引っ掻いたものだ。縄張り争いで、怪我をしてきたのは数えきれないくらいだ。雄猫なんで、餌を食べたら、必ず表へ出かけていく。寒い夜も、雨の日も。こんな日くらい、暖かい家の中にいたらと言っても、そんなことはお構いなしで、ドアの前で「出して下さい」といわんばかりに鳴く。仕方なく、ドアを開けると颯爽と表へ出かけていった。
ハルノ宵子さんが『それでも猫は出かけていく』という本を出しているが、その題名の通りの生きざまが猫という生き物なのだ。人間には計り知れない世界を生きている。
母は、やれ病院へ連れて行くとか騒いでいたが、娘たちは、このまま自然の成り行きにまかせて、楽にしてあげればよいと対立した。とうとう、自然の成り行きにまかせることになった。
横たわって、お腹の下の方がかすかに上下していた。それもいまで静まり返り、やがて体が固くなっていった。ノミは現金なもので、自分たちが取りつく宿主から血液が吸えないと察知したのか、宿主からピョンピョンと出ていってしまった。
いのちが、ひとつ、世界とともに消えた。

※生前、可愛がっていただいた方々に、彼に代わって御礼申し上げます。有り難うございました。
●2016年12月4日●
昨日の六組聞法会では、岐阜県髙山市から三島清圓先生にお越しいただいて「必ず死ぬのになぜ生きる」という六組サブテーマに沿ってお話いただいた。
印象に残ったのは「それで?」だった。若いころ三島先生の師匠に「大学の卒論のテーマを決めました」と報告すると、「それで?」と応答されたという。また「結婚することになりました」と報告すると、「それで?」と。「就職することになりました」と報告すると、「それで?」と必ず応答され、それで育てられたと話されたことだ。
それはちょうど夏目漱石の「それらか」と共鳴した。漱石は結局「門」の前に立ち止まり、門をくぐることはなかった。それはもとかく、「それで?」とは、いわば、「人生に結論無し」と師匠が言いたかったのではないかと想像した。
自分自身は、何のためにこの世に出てきたのか、誕生したのか、それが分からないから、あれこれと、それを掴もうとする。しかし、それをことごとく「それで?」と応じられることで、どれもこれも結論ではないとひっくり返されてしまう。だから、報告するたびに、妙な違和感というか不快感を感じられたのではないか。まあ、どれもこれも「取り敢えず」そうしておく問題で、結論ではないと、落ち着かせてくれないからだ。
「必ず死ぬのになぜ生きる」というテーマは、我々に「その答えを見付よ」と迫ってくる。そして結論を出そうとする。「このために生きてきたのだ」、「このために生きるのだ」と。しかし残念なことに、人間が掴んだ結論はすべて「それで?」と打ち消されてしまう。砂上の楼閣というか、粒子の細かい砂を手で掴もうとしても、スルスルと指の隙間から砂は漏れてしまうようなものだ。
私は「必ず死ぬのになぜ生きる」という問いを、人間が自分自身に向けてしまったら、これは究極的に絶望以外にないのだと思う。そうではなく、向こうから問いかけられている問いと受け止めれば、それは光となってくると思っている。「問う者かから、問われる者へ」だ。
擬人化していれば、このテーマは阿弥陀さんから問いかけられている問いであって、自分が自分自身へ向けて問われているのではないということだ。自分でその答えを出そうとすると、自分より小さなものしか答えにはならない。自分で「これだとわかった答え」は、すべて奪われてしまう答えだからだ。自分の手で掴んだ答えは、自分より軽いものだし、自分より小さなものだから、自分が、ひっくり返されるものではない。
その答えで安心しようとするのだが、その答えの賞味期限は早い。あっと言う間に賞味期限切れで、色あせてしまい魅力を失ってしまう。
孫が可愛いからといって溺愛して来たが、成長してくると憎らしいことも言うし、言うことも利かなくなる。そうすると、これまで可愛がってきたのにと愚痴になる。人間の自我は不安定なものだから、なんでも答えにするのだが、その答えに一生涯安定感を見いだすことはできない。
だから、「必ず死ぬのになぜ生きる」という問いは、ある種の脅迫でもある。何ものにも答えを見いださせない脅迫的問いである。
それでひっくり返る。ひっくり返れば、それは人間の問いではなく、阿弥陀さんの問いだと夢からさめる。阿弥陀さんから問われるとどうなるかといえば、その答えは阿弥陀さんだけがご存じだとなる。つまり南無阿弥陀仏ということだ。
「親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり」(歎異抄第2条)である。そもそも「念仏が浄土へうまるるたねにてやはんべるらん、地獄へおつべき業にてははんべるらん。総じてもって存知せざるなり」(同)だからだ。浄土へ生まれるために生きているのか、地獄へ堕ちるために生きているのか、私は知りませんよ、そもそもそんなことは阿弥陀さんにすべておまかせしてありますからというのだ。
そこまで来れば、「生きる意味」という病から解放される。そして脱自的客体としての生が始まる。生きていることの主体が阿弥陀さんそものもであり、「私」とは脱自的客体となる。それが「愚者になりて往生す」(末燈鈔)という法然の言葉の真意だろう。愚とは相対的な愚ではなく、本質的な愚である。無色透明な「愚」である。
それはいつもいうように、「見せられて、見ている」という世界だ。自分の住める世界は「客体」だったのだ。南無の世界だったのだ。
●2016年12月2日●
「論註の会」に佐藤研先生が出てくれた。
観経疏の「三仏菩提尊」の箇所で、なぜ二仏でなく三仏かと質問した。仏身説には二身説と、三身説と四身説がある。1法身と2生身(色身・応身)の二身説。それに3報身を加えた三身説だ。「法身・応身のほかに、仏となるための因としての行を積み、その報いとしての完全な功徳を具えた仏身として報身が立てられた」(『岩波仏教辞典』)とある。
『唯信鈔文意』では、次のようにいっている。
「極楽無為涅槃界 随縁雑善恐難生 故使如来選要法 教念弥陀専復専」(法事讃)。「極楽無為涅槃界」というは、「極楽」ともうすは、かの安楽浄土なり。よろずのたのしみつねにして、くるしみまじわらざるなり。かのくにをば安養といえり。(略)「涅槃」をば、滅度という、無為という、安楽という、常楽という、実相という、法身という、法性という、真如という、一如という、仏性という。仏性すなわち如来なり。この如来、微塵世界にみちみちたまえり。すなわち、一切群生海の心なり。この心に誓願を信楽するがゆえに、この信心すなわち仏性なり。仏性すなわち法性なり。法性すなわち法身なり。法身は、いろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず。ことばもたえたり。この一如よりかたちをあらわして、方便法身ともうす御すがたをしめして、法蔵比丘となのりたまいて、不可思議の大誓願をおこして、あらわれたまう御かたちをば、世親菩薩は、尽十方無碍光如来となづけたてまつりたまえり。この如来を報身ともうす。誓願の業因にむくいたまえるゆえに、報身如来ともうすなり。報ともうすは、たねにむくいたるなり。この報身より、応化等の無量無数の身をあらわして、微塵世界に無碍の智慧光をはなたしめたまうゆえに、尽十方無碍光仏ともうすひかりにて、かたちもましまさず、いろもましまさず。無明のやみをはらい、悪業にさえられず。このゆえに、無碍光ともうすなり。」と述べている。
 親鸞は、阿弥陀如来の本願が報われた身体を「報身」といい、また『末燈鈔』では、「三身というは、一には法身、二には報身、三には応身なり。いまこの弥陀如来は報身如来なり」(『末燈鈔』)と述べている。
法身とは、無色透明で考えることもできない真実そのものだといい、応身とは、応化身のことだろうから、法をさとった肉親の仏さんをイメージしているのだろう。そのどちらでもないのが報身だという。いわば言葉であり意味であるような法のはたらきを擬人化しているのだ。
原理的に考えれば、真実が方便かの二元論でよいのだ。また真実か虚偽かということだから、デジタルな二元論でなければならない。なぜ、3というこうが大切なのか。親鸞の思想世界は「3」で成り立っている。昔から「三々の法門」と呼ばれてきた。
これはキリスト教の「三位一体」説と共鳴している。
1阿弥陀・2釈迦(親鸞)・3本願の関係と、1神(父)・2イエス(子)・3聖霊の関係は似ている。なぜキリスト教では3を大切にするのかという質問をしてみたら、佐藤先生は「3によって動きが生まれる」というように語られたように聞こえた。なにせ耳が遠いので、よくは聞こえないのだ。
どうしても2項ではスタティック(静的)になってしまって動きが消える。「あれかこれか」という二つに一つになるからだ。しかし3を加えると、1から2へ、2から1へという動きが生まれる。1+2=3、3-2=1という流れだ。3とはいわば1から2へ2から1へということが展開する「場所」のことなのかもしれない。
キリスト教でも聖霊がなければ、神とイエスをつなぐものがないのだろう。そこは浄土教と同じ形ではないか。
ただ違っているところもあるという。佐藤先生はキリスト教では「人間は神の被造物であるということで線を引いてしまう」といわれた。だから、被造物である私の本質を究明する、禅では「己事究明」ということなどは論外だそうだ。スタティックな感じだ。おそらくそのへんが気に食わないので、佐藤先生は「禅キリスト教」などとおっしゃっているのだと思われる。
私も仏教とかキリスト教とかは現象であってどうでもよいと思っている。人間についての〈ほんとう〉が表現されていれば、それでよいのだ。だから、モザイクでよいのではないか。
ただし、そこへ行き着くまでには、やはり「2」が大切なのだ。2がなければ3は開けないように思える。つまり、自分の側に「真実」はない、虚偽そのものだという場が決定したところから、3が開かれるのだ。この世のどこかに真実があると希望をいだいたりしたら3にはならない。この世に真実がないから、お互いにボチボチデンナーという世界が開かれるのだし、いろんなひとと対話の場が開かれるというものだ。
お互いに、意味もわからずこの世に投げ出された存在だからだ。
そもそもこの世に誕生してきたこと自体、自分は「客体」で、いま「自分」という「一人一世界」を与えられたわけだ。この世に存在せしめたものの枝葉の展開が「自分」である。「存在せしめたもの」を具体的に想定して言っているわけではないのだが、そんなふうに思える。キリスト教では、「神の御心のまま…」というのだろうが、私は「阿弥陀さんの御心のまま…」といった感じ。人間的に見れば、ひとはみんな「老苦・病苦・死苦」を受けて死んでいくわけで、それでも「生きる意味はあるのか?」と宿題が与えられている。それにどう答えるかは一人一人に任されている。
まどみちおさんの詩に「喜んでいるのだろう」がある。(何度か書いたことだが)

犬は喜んでいるのだろう 自分がちょうど犬くらいに 犬にして貰えていることだけは
スズメも喜んでいるのだろう 自分がちょうどスズメくらいに スズメにして貰えていることだは
ヘビもアリもタンポポもスミレも みんなめいめいに喜んでいるのだろう
自分がちょうど自分くらいに 自分にして貰えていることだけは
で 人間よ もちろん きみも 喜んでいるのであってくれますように!
自分がちょうど人間くらいに 人間にして貰えていることを
そして そのうえに 犬もスズメもヘビもアリもタンポポもスミレも
そのほかのどんな生き物でもが みんな ちょうどその生き物くらいに
その生き物にして貰えていることをまでも

まどさんから「で、お前よ!もちろん 君も喜んでいるのだろうな!」と突きつけられている。この優しい刃から、誰も逃れることができない。
●2016年11月28日●
久しぶりに「大食い選手権」を、ちょっとだけ見た。
以前から、この手の番組は批判を受けやすい。食べ物を粗末にしているとか、飽食の極みだとか、飢えて死ぬ子供たちがいるんだとか、食料不足だった頃のことを思うととても見ていられないとか、まったく下らないとか。確かにそういった批判のあることはよくわかる。私の内部にもそういうわだかまりがある。しかし、下らない番組なのに、なぜひとはそれを見るのか。この文化現象を考えてみた。
まず「食べる」ということは、生き物である限り避けて通れない問題だ。動物は、自ら他の生物に近づき、それを捕食する。ほとんどの植物は素早く動かないが、人間は「動く物」、動物である。動物には、すでに胃袋がある。だから捕食行動をとる。人間以外は、まあいろいろな生き物もあるが、ほとんど食べ物を探し回っている時間が人生ではないか。
そういう捕食性質が、無意識にまで達しているから、なぜだか大食い番組に魅せられるのだろうか。見ていても、そんなに美しいものではない。ただ制限時間内に獲物に武者振りついているのだから。ライオンがインパラを食べているシーンも美しいものではない。美しいものではないし、むしろ醜いものだが、そこに眼が惹きつけられるのはなぜか。
自分が思っている以上に、何かもっと本能的な野獣性がそうさせるのだろうか。
大食い文化をリードしていたのは、ギャル曽根だが、彼女の満腹状態をレントゲンで撮ったら、胃がお腹いっぱいに膨らんでいた。特異体質で、どんどんお腹に詰め込んでも大丈夫なのは、胃が拡大していたからだ。普通の胃袋の持ち主では、とてもあれだけの量を食べることはできない。いくら努力しても、あれだけを食べることは不可能だ。だから、いわば異常体質のなせるわざだ。これもある意味では、オリンピックに近いかもしれない。彼らは訓練や鍛練の結果、ひとが達せられないものを成し遂げるのだが、後天的なものだけではあれほどにはなれない。やはり特異体質でなければダメだろう。
見ている側は、むしろギャル曽根の食べっぷりを見ていて、徐々に、崇高さまで感じてしまうのだ。特にギャル曽根の食べっぷりは美しい。演劇か芝居のように熟練した食べ方だった。これは他の大食いファイターにはないところではないか。
あそこまで、底無しに食べられることに対する羨ましささへ感じてしまう。番組を見終わってしまうと、妙に空しいものが残るのも事実だった。やはり食べるということは、食材を消去することだから、空しいものなのだろう。まあ、彼女たちは、味わっているという余裕はないはずだ。ただ胃袋に食材をできるだけ多く制限時間内に詰め込むという行があるだけだ。
そこには、とてつもない無意味さが横たわっている。
この空しさを見たいために、あの番組に惹かれるのか。そうかも知れない。無意味さを前にして、無意味さへの共感として、あの番組が成り立っているのかも知れない。
●2016年11月25日●
勉強会、「読む会」報告。
昨日は、『教行信証』の「教巻」をすべて読んだ。冒頭の「謹んで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり、一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について、真実の教行信証あり。」から始まった。この「回向」の考え方は、親鸞独自だ。親鸞以前の「回向」という言葉は、行者(人間)が他に働きかけて何らかの効果を得るという文脈で使われきた。桐山靖雄教授は「回向」には経典に現れる回向には大きく分けて二つの意味があると見いだされた。「内容転換の回向と方向転換の回向」。「内容転換」とは、行者の修行が、亡者の利益になるとか、行者の修行の行為が他者の受ける利益に転換されるという意味だ。もうひとつは、回向が自分自身の利益にかえってくるのではなく、他者へ向かうというのが方法転換の回向だ。しかし親鸞のいう「回向」とは、すべて如来が人間に向かってくる回向なので、概念がまったく違う。
 ここで「回向に二種あり」というのだが、これは二つの種類の違った回向があるのではなく、如来回向が表面上二つに現れた回向という意味だ。往相というのは、「往生浄土の相」の略称で、私たち人間が浄土へ往生するという能動の側面、しかし、それは人間の自発性によるものでなく、あくまで如来からの回向という意味で、「還相回向」を説く。還相とは「還来穢国の相」の略称で、浄土から穢国、つまり我々の娑婆に還ってくる方向だ。この二つが異質のように感じてしまうのは、「二種」という言葉があるからだ。ただ二つのはたらきを「二種」といったのだ。譬えれば、回向がループ状になっていると想像すればわかりやすい。自転車のチェーンのようにループになっていれば、上のチェーンが前へ進むと、下のチェーンは後へいくのと同じ。私たちが浄土へ往生するという動きは、実は如来が浄土から娑婆へ戻ってきて、私を後から浄土へ押し出すというイメージだ。回向はループ状なんだ。ただ方向が違うだけ。もし往相回向だけだと、その根拠が不明になってしまう。私たちが浄土へ向かおうとするはたらきの根拠は、私たちにはないのだから、往相回向だけでは不十分なのだ。そこで往相回向の根拠として還相回向がなければならない。つまり、私たちには浄土へ向かう必然性はない、あくまで如来からの促し以外にないということだ。
よく還相回向は、私たちが「社会実践」をして他者を利益することだという説を聞くが、それは誤読だ。回向の主体は、いかなるときでも如来以外にはない。
また続いて、「真実の教を顕さば、すなわち大無量寿経これなり」と親鸞はいう。ここで浄土三部経全部を上げずに大経だけをあげている。もう大経を出せば、その中に観無量寿経も阿弥陀経も包含されているという理解だと思う。だから三部経全部を出さずに大経ひとつをあげている。大経がテーブルで、その上に観経も阿弥陀経も乗っかっているというイメージだ。
さらに「この経の大意は、弥陀、誓いを超発して、広く法蔵を開きて、凡小を哀れみて、選びて功徳の宝を施することをいたす。釈迦、世に出興して、道教を光闡して、群萌を掬い、恵むに真実の利をもってせんと欲してなり。」と出てくる。
ここに「弥陀と釈迦」という浄土教の基本概念である「二尊教」が明記されている。弥陀は「救主」、釈迦は「教主」。釈迦の「言葉」によって教えられた弥陀の本願という「意味」によって救われるのだ。だから、私は弥陀は「意味」、釈迦は「言葉」と考えている。これを一人の人間、つまり釈迦一仏にやられてしまったのが法華経だ。これをやると、釈迦というカリスマが出来上がってしまう。そこをあくまで「教えは釈迦、救いは弥陀」と分けることで信仰の健康性を取り戻した。
続いて「ここをもって、如来の本願を説きて、経の宗致とす。すなわち、仏の名号をもって、経の体とするなり。」と締めくくる。「経の宗致」とは、経の究極的な意味のことで、それは阿弥陀さんの本願だ。また経の体とは「体系」、つまり全体像は南無阿弥陀仏なのだという意味だ。いわばあらゆる経を短縮すれば南無阿弥陀仏という六字になるし、南無阿弥陀仏の意味を展開すれば、そこらか無限の経が生まれる。それでその経が指し示している意味は、阿弥陀さんの悲愛だけだと宣言している。
そこから「何をもってか、出世の大事なりと知ることを得るとならば」と切り出して、大経、平等覚経、無量寿如来会の三つの「大経異訳の経典」を引いていく。大経がインド語から翻訳されたものは、時代によって12本あったといわれる。ところがいま伝わっているのが5本だけなので、「五存七欠」という。五つが存在し、7つが欠けている。親鸞は、南無阿弥陀仏が真実であることを証明するために、大経を中心に異訳の経典も補って引用する。この大経の引文では、従兄弟の阿難が普段と違ったお釈迦さんを見て、「いつもと違うね!輝いているね!」といったと、そして「どうしてそんなに輝いているの!」と阿難がいったら、お釈迦さんは、「お前は凄いところに気付いたね。誰かにそのことを教えられて聞いているか、それとも自分の実感か?」と尋ねたという内容です。そして先の「二尊教」の内容が展開したと記されている。
私は、阿難の「対幻想」(吉本隆明用語)からの覚醒がここで述べられているのだと思う。幻想からの覚醒こそが仏道の要だというのだろう。
『教行信証』といって、教巻・行巻・信巻・証巻(真仏土巻・化身土巻)とあるのだが、分量的にどの巻も同じかと思いきや、「教巻」はわずか3頁くらい。一番分量が多いのが信巻で、親鸞はやはり信巻を重点的に書いたと言えるだろう。教巻はこれで十分だと判断したのだろう。まあ、ほんとうは南無阿弥陀仏という六字以外には経はないのだから、この経こそが我々の教なのだと、それで十分なんだ。
 親鸞以前は、「教→信→行→証」だ。教えを信じて修行して証(サトリ)を得ると。これは何かを成し遂げようとする方法論としては正しいように見える。しかし親鸞は「教行信証」という。信の位置が違う。「教信行証」と「教行信証」は文字は似ていて順番が違うだけのように見えるが、ものが違うのだ。いわば、親鸞が考える「信」には教も行も証も収まってしまうのだ。『歎異抄』(第一条)でいえば「信心を要とすとしるべし」である。教えは「南無阿弥陀仏」ひとつだ。そして信心も、阿弥陀さんのはたらき、つまり「行」からの促しで成り立つことだし、証というサトリも、信心の内容として語られる。一切合切が、阿弥陀さんからの促しの上に成り立つ仏教を確立したのだ。
 親鸞以前は「行」はすべて人間が行うという理解だったが、親鸞が考える「行」はすべて如来が主語である。それの行を受動することを「信」という。さらに、「証(サトリ)」もその信の中に成り立つことだと受け止められている。
 話し合いをしているとき、大経や平等覚経に出てくるお釈迦さんは、ずいぶん傲慢な言い方だねという話が出た。これを「傲慢度」という言葉で量ると、大経も確かに傲慢なところがあるが、法華経に出てくるお釈迦さんの傲慢度はもっと高い。お前たちにのようなものにはとても説けないといって説法を拒否している。舎利弗が三回お話いただけませんかと請うたが、釈迦は三回とも「止めよう」と断ったというので、「三止三請」といわれる。
 まあ、お釈迦さんも、まだ未熟だったので、そのような傲慢な態度を取ったのだと思われる。お釈迦さんも留まることなく生涯、成長していたのではないか。

〔難波別院発行の新聞『南御堂』紙の2017年2月号&3月号の第一面に小生の文章が載ります。ご縁のある方はご覧ください。因みに『南御堂』(ミナミミドウ)紙は、真宗大谷派の大阪の難波別院が毎月発行している新聞で、エッセイや法話ダイジェストなどが載っていて、とても素晴しい新聞です。毎月、講読されることをお勧めします。年間購読料は2000円。申し込みは、℡06-6251-5820。難波別院まで!
 もうひとつお勧めは、京都東本願寺本山が毎月発行している『ともしび』紙〔10頁もの〕です。(これに小生の文章は載りません!)これは本山の日曜講演でピックアップされた方のお話が冊子にされています。よって、京都まで行かなくてもお話が「読める」という優れものです。年間購読料は1500円です。申し込みは、075-371-9189東本願寺出版まで。お勧めです!〕
●2016年11月23日●
河合隼雄さんには、私の人生を生きるについていろいろと教えられることが多く、いつ読んでも、氏の本には刺激を受け、頭が下がる。いわゆる仏教と科学である精神分析とは異質だと考える頭の固いひとには、理解されないことが多い。
しかし、仏教も精神分析も扱っている素材は同じなのだ。つまり「苦悩する人間存在」という素材である。だから、光の当て方が少し違っているだけで、お互いに教えられることが多いのだ。さて、『物語と人間の科学』(岩波書店1993年)の、この箇所に刺激を受けた。
「例えば家へ帰ったら奥さんが死んでいたということがありますね。自分の目の前で恋人が交通事故で死ぬ。あるいは自分自身が思いがけない病気になることがある。急に会社がつぶれることがある。われわれの世界が急にコロッと変わる。自分が支えられていたものを急に失っていく。そのとき、私は本当は何に支えれらているかということが問題になる。
そういうとき、自分の支えをこの世の支えを超えて、超越的な、絶対的なものとの関連において考えることが宗教的なことだと思います。たとえば、死んでからあちらの世界で住む家が確立している人は、この世が急に変化してもそれほど驚かないことでしょう。」
確かに、この世を超えたところに支えをもっているひとは、この世のことが崩壊しても
うろたえないのかもしれない。だから、あの世の支えを持とうというのは、いかがなものだろうか。
確かに、この世を超えた支えとして真宗は「阿弥陀さんの浄土」を語ってきた。願わくは、この世のことが崩壊したときには、支えとなって下さることをと思う。しかし、そのことと、初めからこの世が崩壊したことを想定して、あの世(浄土)を支えとして手に入れようすることはちょっと違うような気がする。
これはなかなか微妙な話だ。
親鸞は、曇鸞の浄土論註を『教行信証』に引用して「楽のためのゆえに生まれんと願ずるは、また当に往生を得ざるべきなり」(真宗聖典293頁)と述べている。自分が楽をしたいから極楽へ生まれたなどというのは、往生できないのだという。「楽のため」というのは、自分の都合に合うようにということだ。この世の支えが崩れたとき、浄土を支えとしたいので「浄土」を願うというのは、これに当たらないか。
 ある新興宗教の信者さんと話したとき、まあ彼はとても明るく快活でエネルギッシュな方だったが、彼は「あの世」を、そのまま信じていた。「あの世」を心にもつことが、これほどひとを生き生きとさせるものかと感心した。彼は、この世はすべて仮の世であり、本当の世は「あの世」なのだと言っていた。だから、この世で失敗しても、何があっても、すべてはあの世へいくための試練だとも言っていた。まあ、ご自分では「あの世」の存在を確かめられないので、超能力をもった教祖が「ある」という言葉を信じてのことだが。こういう信仰のスタイルは、その新興宗教にだけある特殊な形ではない。キリスト教でも仏教の何かもある。
 浄土真宗の内部にもあって、このスタイルを親鸞は「19願」的信仰と位置づけている。19願的信仰では、「真実報土」(=浄土)へはいくことができず、方便化土にしか生まれられないといっている。親鸞も、19願はひとを勇気づけることは知っているのだ。これも本願の内部の出来事だから。しかし、それでは18願の浄土へはいけないという。それはどうしてだろうか。
 それは〈いま〉を〈いま〉として十全に生きられないからだ。〈いま〉が「あの世」へいくための条件や手段になってしまう。まあ、それでもいいじゃないかというひともある。そこで留まって安住したいというひとには、それでもよいのかもしれないが、親鸞は飽き足らなかった。そして19願から18願へと肉薄していった。
「あの世」を知っていて、そこへいきたいというのは、まだ行ったことのないアメリカやベトナムの有ることは知っていて、そこへいきたいというのと、そうそう変わらない。
つまり、「あの世」を知っているという知そのものが、「この世」の知なのだ。「この世」の知でいけるところは、「この世」までだ。
それでも超能力や特殊霊能力で、「あの世」へいけると考えるひとは多い。『歎異抄』第2条に登場する親鸞の弟子たちもそうだ。彼らも「この世」を延長した意識で、「あの世=浄土」を考えていた。そしてそこへいく方法を親鸞という超能力者は知っていると思い込んでいる。
それに肩すかしを食らわすように、親鸞は「念仏はまことに浄土に生まるるタネにてやはんべるらん。また地獄に堕つべき業にてや、はんべるらん。総じてもって存知せざるなり」と答えている。
皆さんは、念仏を「あの世=浄土」へいくための方法だと思っているようだが、行き先は地獄かもしれませんぜというのが親鸞の答えだ。どうしてそのような答え方をしたかといえば、弟子たちは「あの世」を安楽でよいところだと思い込んでいるからだ。安楽ならいきたい苦しいところならいきたくないというのは、信仰ではなく単なる打算だ。打算で「あの世」を求めているのであれば、答えも打算の結果でしかない。「問いの中につねに答えは」あるのだから。
弟子たちは胸算用しているのだ。それは阿弥陀さんにおまかせしている心ではありませんよと親鸞はいっているのだ。私は阿弥陀さんにおまかせした心だけが浄土へいけるこころです、他には何もありませんよと。
だから、人間が行き先を知ったうえでおまかせするのではなく、どこへいくかなどという問題関心から完全に解放されることが、念仏=南無阿弥陀仏なのだ。
『歎異抄』第9条の末尾には「踊躍歓喜のこころもあり、いそぎ浄土へまいりたくそうらわんには、煩悩のなきやらんと、あやしくそうらいなまし」と親鸞はいう。躍り上がるような感動が始終起こり、またいち早く「あの世=浄土」へ参りたいなどと思うひとは、煩悩がないんじゃないかと、怪しく感じられるなあと言っている。
ちょっと具合が悪ければ「死なんずるやん」、死んでしまうかもしれないと不安になるからこそ、浄土へ往生すること間違いなしだとも言う。不安になるこころも自分がコントロールできるものではない。不安にさせて下さっているはたらきがあるからだ。そのはたらきこそ本願のはたらきなのだから、どこまでも本願から逃れることはできない。
不安にもなれる幸せを与えられているということだ。死んだらどこへいくのかわからないといって不安になるか、どこへいくからわからないから安心だと言えるか、二つにひとつだ。
●2016年11月20日●
見るということが、そのまま貪欲なんだ。
透明に、テレビカメラが見るように見るということは、人間にはあり得ない。
五官というインターフェースを取りまとめているのが、三毒であって、この三毒で人間は「この世」と関わっている。
貪欲・瞋恚は、激しいけれども単純な煩悩だ。一番厄介で、巧妙で、タチの悪いのが愚痴と呼ばれる「知」の煩悩だ。
だから『歎異抄』(13条)でも「本願ぼこりといましめらるるひとびとも、煩悩不浄、具足せられてこそそうろうげなれ。それは願にほこらるるにあらずや。」と批判している。ちょっと解説すると、「本願に甘えて悪いことをする人々はいかん!と戒めているひとたちも、煩悩だけで生きているのではないですか。それはあなたが批判している『本願に甘えて悪いことをしているひと』と同じことではないですか」という意味だ。
まあそうやって批判しているひとは、自分は本願には甘えて悪いことなどしていないと思い込んでいるひとだ。ところが唯円の眼からみれば、邪見驕慢で生きている人間は、自己肯定で自分を甘やかし、驕りたかぶって生きているのだから、実は本願に甘えていることと変わらないのだよというのだ。むしろ「本願ぼこり」に無自覚なだけ救いがない。
自分は正しいことをやって生きていると思い込んでいるのだから、かえってタチが悪い。ついでに言っておくと、自分が正しいこと、いいことをやっていると思えたときが、人間が一番危ないときなのだ。
だから宗教が正しいことやいいことを言い出したら、気をつけなければいけない。正しいことやいいことは、誰からも批判されることがないという免罪符だからだ。その危険性を『歎異抄』は通奏低音のように批判していく。
「阿弥陀さんなんか、お経に書かれているだけで、そんなものはいるわけではないでしょう」といわれる。私も「そうですよ、そんなものはいませんよ」と答える。「それじゃ、なんでお経にウソ八百が書かれているんだ」とさらに聞かれる。それに対して私も「それがウソかどうかどうして分かるんですか。あなたは確かめたことあるの」と聞き返す。そして「阿弥陀さんがいるかいないかなんてどうでもいいんです。ただ『阿弥陀さん』とお経に書かざるを得なかった理由を探してみてください」と続ける。
お経は、ひとつの文学作品だ。だから、奇想天外の空想が書かれているようなのだが、そう書くことによって、人間の奥深くに潜む真実を抉りだそうとしているのだ。結局、端折っていえば、人間の内部に潜む真実を抉りだそうとしているものがお経という文学作品なのだ。日常の言語世界では、人間の奥深さに下りていくことはできない。そこにはやはり、ファンタジーが必要なのだ。夢が奇想天外であるように、そこから更に奥へ分け入っていくと、どうしても私たちの人生にはファンタジーがなくてはならない。
昔話やお伽話や神話や物語が必要だったのは、人間がそういうものを内奥に必要としているからなのだ。曽我量深が「念仏は原始人の叫びだ」と直感したのも、曽我量深の生命の根っこに原始人が包み込まれているからだ。原始人と根っこの切れた現代人はいないはずだ。
現代人が、ふたたび原始人を取り戻すには、どうしても昔話や神話や物語が必要だったのだ。河合隼雄が「物語には結びつけるはたらきがある」というのは、そういうことだろう。現代人と原始人を結びつけるものが物語である。不条理なことに出合ってしまった自分とそれに対してうろたえている自分とを結びつけるなどというテーマは、物語抜きには難しいだろう。この世は「阿弥陀地獄」だから、人間は誰しも、必ず不条理に出くわすようになっている。
死に神に出合って驚いたひとは一目散に逃げ出した。死に神も驚いた。こんなところでこのひとと出合う予定になっていなかったからだ。そしてお互いに逃げて走っていった果てに、再開した。実はその時こそ、そのひとの臨終の時だったというお話が落語にある。私たちの日常も似たりよったりではないか。ガンが怖くて、毎月のように検診していたひとが、ガンでなくなるということがある。
 まさに不条理が人生の奥底に横たわっている。でも大丈夫だ。その底に「阿弥陀地獄」が待っているから。
●2016年11月19日●
信仰を処世術にするな!
信仰は芸術だ!
でも人間は処世術がほしいのだ。困ったときにはこう考えよ、こういう形で理解したほうがいいよ、それはダメ、こうしなさいという指示が欲しい生き物でもある。「私たちは煩悩具足の凡夫で罪深いものです、怒り腹立ち、妬み、嫉みで満ちてますなあ」などといわれると、「そうだ、間違いない、私はいつもそういう煩悩で右往左往しているなあ。こんなことではいかんなあ」と処世術で受け止めてしまう。
それをマイナスイメージで受け取れば、劣等感で受け止めているに過ぎない。「こんなことではいかんなあ」という思いは、裏には「もっとよい人間にならねば。もっと優しい人間にならねば」という処世術が張り付いているのだ。それを『歎異抄』は「善人」と呼ぶ。悪人成仏を生きているように錯覚しているだけで、本音は善人成仏を目指しているのだ。
『歎異抄』16条でも「くちには願力をたのみたてまつるといいて、こころには、さこそ悪人をたすけんという願、不思議にましますというとも、さすがよからんものをこそ、たすけたまわんずれとおもうほどに、願力をうたがい、」と批判されている。
 口先では本願を頼みますよといっておきながら、内心では、「悪人をたすける願があるからといっても、ほんとうは、善人を助けるものだ」と本願を疑っているといっている。悪人成仏の教えを、いつのまにか善人往生に変えて受け取ってしまうのだ。それも自分では無意識のうちに変えてしまっているのだ。

現代社会には脳死問題や地球温暖化や防衛問題や貧困問題まで、さまざまな問題がひしめいている。そのとき「宗教者」はどう考えるのかと問われることがある。それらを突き詰めていくと、現れてくるのが、「取り敢えずそうしておく」という次元だ。問題は次々に変化して現れてくるから、それらに対処していくためには、「取り敢えず」そうしておくしかない。それさえ決定すれば、永遠にその決定事項に従っていくということは不可能だ。
まあ「緊急の課題」と「永遠の課題」という具合に、別々の課題なのだと分けてしまうことにも問題があるようだ。二つに分けると、二つが同じテーブルの上に乗っているかのような錯覚に陥るからだ。〈ほんとう〉は、ふたつは比べることも並べることもできないものなのだ。
そもそも「緊急の課題」の場所は、他者と自己の関係、「永遠の課題」の場所は、自己と永遠の関係だからだ。

昨日、大垣別院公開講座へ行ってきた。
話が終わったあとで、「一人一世界はひとりに一つの阿弥陀さんということか」と質問を受けた。そして「世界全体が阿弥陀さんで出来ていると考えてよいのか」とも聞かれた。
私は、阿弥陀さんは、光と譬えられるから、その光を受けるのは、、一人一人だと答えた。
また、世界全体が阿弥陀さんだと考えると、天台本覚論になってしまい、現状維持の現状肯定論になってしまうから危険だとも答えた。
天台本覚論では、そこに阿弥陀さんに背いているとか、罪という問題が抜け堕ちてしまうからだ。
また彼はどうして、阿弥陀に「さん」をつけるのかとも聞かれた。
もし阿弥陀が「概念」に止まるなら、知で人間が阿弥陀さんを掴んだような傲慢さを感じる。いかなる概念規定をも超えているのが、阿弥陀さんだ。
親鸞も「十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなわし 摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる」(『和讃』)、ここに「阿弥陀となづけたてまつる」といっている。
「阿弥陀と名付ける」でよいのに、なぜ「たてまつる」と、「名付けさせていただきます」と書いたのか。そこには名付けることの不可能なものを仮に名付けさせていただきますと、頭を下げている親鸞がいる。
名付けることは、とても失礼なことをしているのだという感情がある。そこに申し訳ないという懺悔である。名付けることは、知による所有であり、貪欲だから。知による暴力だ。決して名付けられないものを名付けるのは、自分が理解しやすいように相手にレッテルをはることだ。自己満足のために。自分の知の獲物にするために。

 阿弥陀に「さん」を名付けることであたかも擬人化されていて気持ち悪い、それがネックで真宗に入れないというかたもいる。
阿弥陀は、はたらきであり、作用だから、擬人化してはダメなんではないかと。しかし、私にはどうしても「かたじけない」という謝念が根底にあるから、呼び捨てにできない。
はたらきなんだが、私の固定観念の迷いを解いてくれたので、それに対しては申し訳ないという感情が起こる。
たとえば、心臓が休まずはたらいているとか、呼吸や体温をちゃんと調節している生理的なはたらきがあるが、それを当たり前と感ずるか、あるいは、驚きに感ずるかだ。別に、阿弥陀さんなるものがあって、心臓を動かしているというニュアンスではない。そういう言い方はちょっと気持ちがわるい。擬人化して受け取っているのだが、それは実体的な人格ではない。無人格のはたらきだ。
やはり阿弥陀さんは情感も知も満たして下さるから、阿弥陀さんなんだ。知だけだと冷たい。切れ味はよいが、切られたものから、血が吹き出す。知だけではダメだ。そこに温もりがなければ。
阿弥陀さんの性格を観音菩薩と勢至菩薩で表現するのは、そのためだ。観音は絶対受容、勢至は条件付き受容である。観音は感情、勢至は知だ。その両方で成り立つのが阿弥陀さんだ。
 
●2016年11月18日●
16日は池袋親鸞講座だった。
一夜限りのライブだった。
その中で曽我量深先生の言葉が、ものすごくインパクトがあったので、ここに再び記しておく。
「仏さまの本願によって、われわれもまた仏さまと同類だということを教えられる。われわれのようなものでも仏さまと同類かといわれるかもしれないけれども、本願を聞くと、同類ということが分かる。
本願ということを別の言葉でいえば、南無阿弥陀仏というのでしょう。南無阿弥陀仏という言葉を聞くと、われわれは本当に仏さまと同類だということを知らされる。
成仏したといってもよい。そういうわけではないかもしれんけれども、成仏したと同じことなんです。これ以上成仏しなくともよい。もう、これでたくさんだ。
何かちょっとたらんところがある、もっと完全でなければならん、などというが、私はそうならんでもいいと思うんです。これでたくさんだと思います。南無阿弥陀仏。これでたくさんであります。」(『法蔵菩薩』)
いわゆる「教学的」な文脈からいえば、「とんでもない!」と批判されるような話だ。「成仏」などは、浄土に往生して、そこで成り立つことで、現世で、しかもいま、ここで成仏したなどとは言ってはいけないというのが、「真宗教学」の正しい理解だろう。
だから、「正統」真宗教学者であれば、曽我先生の表現は、「何を世迷い言を!」と一蹴されるに違いない。
まあ、私は「正統」とはほど遠いところにいるので、「正統か異端か」というもモノサシをもっていない。その立場で読むと、実にインパクトのある力強い表現だと受け取れる。ここには、〈ほんとう〉が流れていると直感する。
 まあ、親鸞の表現も結果であり、そのように親鸞に表現を促したものこそ〈ほんとう〉だから、曽我量深にそのように表現させたものと通底していて当然だ。「正統教学」のニュアンスでは、「何かちょっとたらんところがある、もっと完全でなければならん」に終始してしまう。「往生」が臨終のときに成り立つという「正統教学」だと、今という時点では、必ず「何かちょっとたらんところがある、もっと完全でなければならん」というものが残ってしまう。そのニュアンスを親鸞は19願という文脈で直感したのではないか。そして18願こそ〈ほんとう〉だと言ったのだ。18願とは、〈いま〉がすべてだという直感である。
 さて、ここでいう「〈いま〉」をどう受け止めるかだ。「〈いま〉がすべてだ」という言葉を見た途端に、それを見た人の頭の中には、固定観念としてある「〈いま〉」を思い浮かべるに違いない。断っておくが、その「〈いま〉」では全然ない。
 それは幻想としてある〈いま〉であって、曽我量深の直感した〈いま〉ではない。幻想としての〈いま〉とは、「過去→現在→未来」と流れるかの如くに感じる〈いま〉である。まあ、私たちは、〈ほんとう〉の信仰に開かれるまで、この時間の観念しか知らない。だから、〈いま〉は流れさっていくものだと感覚してしまう。
 〈ほんとう〉の時間とは、流れることのない時間だ。さらに過去も未来をも包み込んだ〈いま〉なのだ。別の言い方をすれば、過去と未来とによって成り立っている〈いま〉である。こんな時間の観念は、信仰以前には成り立たないのだ。そしてこの時間の観念が〈ほんとう〉であり、流れる時間は幻想だったと逆転する。
 まあ、過去を悔いているのも、過去を喜んでいるのも〈いま〉だし、未来に不安を感じているのも、未来に希望を感じているのも〈いま〉でしかない。〈いま〉考えている未来であり、過去だ。だから〈いま〉以外を人間は生きることができない。
 この〈いま〉は物理的な〈いま〉ではない。これは如来回向の〈いま〉なのだ。如来から以外に時間はやってこない。まあ根底には阿弥陀さんの救済物語が流れているのだから、時間も、空間も、主体も、すべて如来回向を背景にしなければ成り立たない現象である。
 それを知るまでは「時間・空間」は、物理的に存在している客観的なものだと信じ込んでいる。しかし、それすら吉本隆明がいうように「幻想」だったのだ。幻想が幻想だと気付くまでは、それが「客観的現実」だと錯覚しているのだ。幻想を幻想だと気付いたときだけ、初めて、それが幻想だったと夢から覚めるわけだ。
 曽我量深が、雄叫びのように叫んでいる。
「成仏したといってもよい。そういうわけではないかもしれんけれども、成仏したと同じことなんです。これ以上成仏しなくともよい。もう、これでたくさんだ。」と。
「もう、これだたくさんだ」という絶対の満足がなければ、それは〈ほんとう〉ではない。ただし、満足は、またつねに枯れていくものでもある。枯れていってもよいのだ、枯れていくのも阿弥陀さんのはたらきだから。それにまかせておけばよい。
 自暴自棄も絶望も、すべてそのままでよい。なぜならば、この世であらゆる存在が救われたとしても、その最後の最後の、一番最後に救われるのが私なのだから。
 それでよい。
●2016年11月15日●
名古屋別院の信道講座に行ってきた。13日は雲一つない快晴で、新幹線の車窓から見える富士山が美しかった。やはり富士山には雪が冠にならなければ絵にならない。末広がりというのだろうか、あの八の字に広がった稜線が、実に見事だ。ため息が出るほどに美しい。以前、山折哲雄が、親鸞が帰洛するとき、必ず富士山をみているだろうに、なぜ富士山についてひと言も書いていないのか不思議だというようなことを書いていた。確かにそうだなと思うのだが、それは文字に書くほどのことでもないと思っていたかもしれないし、文字に表現できないほどの美しさだと思ったのかもしれない。ただし、親鸞の心をも動かしていただろうことは十分に想像できる。
帰りもお天気が続いていたので、上り電車でも見ようと思ったが、あいにく浜松辺りで爆睡し、気がついたのが小田原辺りだった。悔やんだが遅かった。
名古屋市中区橘にある「真宗大谷派名古屋別院」は広大な敷地に立っている。
「元禄3(1690)年、尾張の地に本願念仏のみ教えを伝える道場として、一如上人(いちにょしょうにん)(東本願寺第16代)によって開かれた真宗大谷派の寺院です。当時の尾張藩主、徳川光友公(とくがわみつとも)より織田信長の父信秀(のぶひで)の居城「古渡城」の跡地1万坪の寄進を受けて建てられました。以来、約300年にわたり、名古屋別院は尾張の人々の信仰を仰ぎ、広く「御坊さん」の名で呼び親しまれています。」と案内には載っている。
信道講座は、毎月のように講師を呼んで講座を開催している。今回のテーマは『歎異抄』で、それぞれの講師が一条ずつお話をする連続講座になっていた。私の与えられた課題は第6条だった。問題は、原始教団の中で、弟子を取った取られたという争いが起こったとき、「親鸞は弟子一人ももたずそうろう」と断言したというのが6条だ。宗教は個人から発生するが、個人に終わらない性質をもっている。それは仏教もキリスト教も他の様々な宗教もそうだ。仏教は、お釈迦さんが覚りを開いて、5人の比丘(弟子)が誕生したところに端を発した。イエスにも12使徒が生まれた。なぜ宗教は個人に留まらないのか。
それは人類というものが集団生活をする生き物だからということにも通じるものだろう。それは、原始未開の時代、獲物を捕らえたとき、一人で食べてもよいのだが、必ず分配するという生物学的本能から来るのかもしれない。私たちの日常でもそうだろう、美味いものを個人で食べても十分美味いのだが、それを気心の知れた人間たちと食べると美味さが倍増するというようなものだ。
釈迦の悟りもそういう生物学的本能から、他者への伝達が始まったのではないか。つまり、覚りの素晴しさを知れば知るほど、他者にその喜びを分配したくなったのではないか。それは、梵天勧請という神話で語られてきたが、案外、単純なところにあったのかもしれない。別に、他者が可哀相だから、その苦しみを癒すために説法を始めたというのとは、ちょっと違うように思う。釈迦を覚らせたはたらきそのものが、釈迦を説法させずにはおかなかったのではないか。釈迦個人の内面に留めておけるほど小さな喜びではなかったというとではないか。そういう「はたらき」を親鸞は「阿弥陀の促し」と擬人化して受け取ったのだと思う。
 釈迦の「覚り」がecstasyエクスタシーを伴うものだとしても、それだけで、「さとり」は完結しないだろう。エクスタシーが、やがて知へと浮上してきて、「そうかこのことだったのか」と落ち着いたとき、初めて「さとり」が成就するのではないか。人間は言葉で考える生き物だから、やはりエクスタシーという感情が知へと凝固しなければ「さとり」は未完だったというべきだろう。言葉とは社会的産物だから、言葉化したということは、もうすでにそこに他者が想定されているのだ。だから釈迦がもし覚りを開いたとして、それを音声言語として発語しようとしまいと、もうすでに釈迦の内部では内語として覚りが成立していたと見た方が事実に近いのではないか。
 阿含経典が述べるように、「俺が苦労してやっと証得したものを、なぜ愚かな人々に説かねばならぬのか」という傲慢な態度にはちょっと賛成しかねる。「覚り」とは、自分が苦労したという思いを捨てさせるものだからだ。そして受動的に向こうから覚りが開かれてきたという表現に落ち着くはずである。だから受動的表現のない「覚り」は偽物ではないかと思う。
ところで、親鸞が自分自身をどう受け取っていたかといえば、「法然聖人の弟子」という意識である。だから、自分が「師」(教えの導き手)だと思ったことはないと言い放つ。
その理由は「ひとえに弥陀の御もよおしにあずかって念仏もうしそうろうひとを『我が弟子』ともうすこと、きわめたる荒涼のことなり」(第6条)と述べている。たとえ、真宗に触れる縁が人間(導き手)であっても、その人間が弟子を育てて一人前にするのではないというのだ。人が教育されて一人前になるためには、阿弥陀さんの教育を受けなければならないし、それは「面々のおんはからい」(第2条)で各人各人に任されていることなのだ。決して、「俺のお蔭であいつも一人前の念仏者になった。あいつは俺の教え子だ、弟子だ」などと思い上がってはならないのだ。
 そうであっても、親鸞にはたくさんの門弟、つまり弟子たちがいるではないかと質問されることがある。そこで、私は「相対的師弟関係」と「絶対的師弟関係」と分けたほうがいいように思っている。相対的師弟関係とは、自分を横に置いて、「法然は師で親鸞が弟子ですね」と考える意味場である。それに対して絶対的師弟関係とは、「自分にとって法然は師である」と考える意味場である。そして第6条での親鸞の発言は、この絶対的師弟関係における師弟を語っていると思う。絶対的師弟関係だから、自分にとってはこのひと以外は絶対の師ではないという決断がある。親鸞にとっての師は、親鸞の受け止めた心の世界にしか成り立たない。相対的にというか、客観的に「師」がどこかにいるわけではない。「師」は弟子が仰ぎ見る心の中にのみ存在するのだ。
真実の教えに出遇うには、どうしても師が必然する。『歎異抄』の序文にも「幸いに有縁の知識によらずば、いかでか易行の一門に入ることを得んや」と書かれているし、第2条では「親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひと(法然)の仰せをこうむりて信ずるほかに別の子細なきなり」と言っている。
 師は自分の人生を決定したキーパーソンである。しかしそれだけ絶大な存在だからこそ、弟子が師に依存するということも起こる。その人に会わなければ助からなかった、ゆえに、その人物に依存してしまうのだ。師弟関係は諸刃の刃だ。しかし、その関門をくぐっていかなければならない。蓮如さんも「善知識頼み」は異義だとみている。現代でも、「〇〇先生のいうことは正しい」と受け取って、〇〇先生絶対依存というひとも存在する。
 ここに妙好人・讃岐の庄松さんの興味深いエピソードがある。
又平という同行さんが信仰に不審なところがあるので、庄松さんに尋ねようと彼を招待したという場面だ。
庄松「袈裟衣を掛けた坊さんのお説教は不足なんか。」
又平「いやいや、左様なわけはないが、あなたは無我の同行さんと承り、一口、聞かしてもらうたらと、存じて…」というと。
庄松「食い物のさし嫌いするは病のからだぢゃ」と。
又平「しかれば、どなたのお説教にも替わり目はござりませぬか」といえば、
庄松「何でも食うのも病のからだぢゃ」と申された。

 ここに、法を中心に置いて人物に依存してはならないという信仰のモラルが述べられている。又平さんは、坊さんの説教がわからず、庄松さんが篤信の妙好人だから丁寧に教えてくれるだろうと尋ねたのだ。「食い物のさし嫌い」というのは、「好き嫌い」という意味だ。この先生の話はいい、この先生の話はダメだと好き嫌いしていたのでは、〈ほんとう〉の仏法はいただけませんよと。それを聞いて又平は、「それならどの先生の教えもみな同じなんですね?」と聞いたら、どの先生の話を聞いても同じだというのも病気だと批判している。ここに「聴聞の機微」というか、絶妙な問題を提起しているように思う。
 親鸞の『教行信証』にも引かれている、「法に依りて人に依らざるべし」(依法不依人)という大智度論のモラルだ。しかし、これが難しいのが、人間でもある。自分の好みに合うひとは善し、好みに合わないひとは悪しと決めつけてしまうものだからだ。
 師は弟子を所有し自由に支配したいという欲をもち、弟子は師に依存し没我的に生きたいという欲をもっている。親鸞も「名利に人師を好むなり」(『和讃』)とちゃんと自分自身の支配欲を対象化している。一方、カリスマ信仰や超能力信仰で、自分にはとても及びもつかないほどの人の言うことだから、これこそ本当だと信じてしまう依存型信仰も存在する。ただし、支配したいというメシア・コンプレックスも、また依存したいという小羊コンプレックスも、決して無駄ではない。依存をしたからこそ、初めて依存していた罪を自覚できるのだし、支配したいという思いがあったからこそ、「名利に人師を好むなり」と親鸞は懺悔できたのだ。
 どっちにしても、人間は救われがたい生き物だが、またどっちに転んでも阿弥陀さんのふところのうちだ。
〈ほんとう〉の師とは、人間ではなく阿弥陀さんだけなのだ。
●2016年11月14日●
なぜ「あれかこれか」という選択が必要かといえば、それは「この世」とかかわる接点が、私一人という、このこのひとつだからではないか。なぜ多神教は曖昧で、一神教でなければならないかと言えば、やはり、私が一人の独存として、この世とかかわっているという一人性に起因しているからではないか。
扇子がバラバラにならないのは、要(かなめ)という中心があるからなのだ。
間違いなく「私」という意識が、この世とかかわるインターフェイスは五官だ。眼・耳・鼻・舌・身だ。それらの感覚器官を統合しているのが自我意識だ、と一応考えている。脳科学の池谷裕二は、「脳はさびしい器官なんです」と書いていたのを思い出す。頭蓋骨というヘルメットのような固い骨で外界と遮断され、おそらく内部は真っ暗闇で、外界とまったく自分で接することはできない。そんな孤独な器官がようやく、かろうじて五官というインターフェイスで外界を感じ取っているらしい。脳は一人では何にもできない、劣った器官だ。なんだかとても、可哀相な気がしてきた。
 それであるのに、俺様は一番偉いんだと思っているようで、何だか、とても哀れな感じだ。脳は、ひとつも自分自身で作ってはいないのに、皮膚や眼球や骨や腸が、あたかも自分の所有物であるかのように振る舞う、というか感じている。これは傲慢なことではないか。
 さらに、眼球を通して視覚で見た範囲内を「自分」だと錯覚している。確かに、皮膚で包まれた内側を「自分」だと思うのは、普通の感覚だ。手で触ってみれば、確かに皮膚と外界とは違っている。でも、空気も「無」ではないはずだ。空気を感じるセンサーがあれば、皮膚と空気とは異質だが、つながっている。
 バカなこと考えてるなと思われるが、自分の左手を右手で掴んでみると、自分は自分自身を掴んでいるのか、あるいは掴まれているのか、よくわからなくなる。
 仏教用語に「身土一如」とか「身土不二」という言葉がある。身体と環境(土)とは一つであって一つではない、二つであって二つではないという妙な言葉だ。これは私の言う「一人一世界」のことなのだ。環境と身体との関係は「不二」だ。
だから、生き物と生き物との間には大きな断絶があって、みな絶対の孤独の世界を生きている。ガン患者は、ひとりひとり自分のガンと孤独に向き合う。誰とも代わってもらえないし、誰に話してもこの苦しみを理解してもらえるものではない。絶対の孤独だ。この極限状態になったとき、初めて「一人一世界」へと覚醒されていく。
ただし、「一世界全人類包摂世界観」にマインドコントロールされていると、「なぜ自分だけ?」「どうして自分だけ孤独に死ななければならないのか?」と考えてしまう。まあ長年、空気のように親しんできた世界観だから、その世界観をベースにして自分の死をも考えてしまう。その世界観がようやく死ぬときがきたのだ。それは「仮の世界観」「幻想の世界観」であって、〈ほんとう〉の世界観ではなかったと。
もともと、誕生もそして生も、性も、死も、すべてたったひとりの世界に起こった、たったひとつの出来事だったのだ。だから、他者と比べることができない。もともと絶対異質と異質の関係だから。そして、この限界状況は、私ひとりの出来事ではなく、それぞれの「一人一世界」でも必ず起こることなのだ。それに対して、一人一人が受け取っていかねばならない課題だ。
まあ、この世とかかわる五官インターフェイスを統轄しているのが自我なのだが、その自我を仏教は「煩悩」と命名した。貪欲・瞋恚・愚痴の三毒の煩悩がこの世とかかわる、唯一のインターフェイスだ。だから、いわば人間の自我意識は、煩悩で汚れている。決して、自分の目には「客観的真実」が映っているわけではない。眼という器官を統轄している自我意識のフィルターを透過しているのだ。これは透明だから、フィルターがないように思ってしまうが、そうではない。このフィルターを通さなければ、人間は世界とかかわることは不可能だ。
死ぬのが嫌だというのは、この貪欲の呻き声だ。もっと楽しいことがあるのに、もっと素晴しい人生が待っていたかもしれないのに、それを中断させられるのは真っ平ごめんだと怒っている。この貪欲を殺してもらうのには、阿弥陀さんの劇薬以外にないのだろう。所詮、この世に生み出されたのも、絶対他力の阿弥陀さんの仕業なのだろうから、仕方がないのだ。一人一人が阿弥陀さんと対決し、答えを出していかなければならない。
そして自分のみている世界は「仮の世界」で、自分の生きている時間も「仮の時間」で〈ほんとう〉の世界でも時間でも、そして自分でもなかったと、どんどん殺されていくしかない。
〈ほんとう〉の世界ではないと、知らせてくる作用に翻弄され、殺されていくしかない。最後の最後は、阿弥陀さんといのちのやり取りをする以外に道はない。
●2016年11月11日●
昨日の湘青会研修会(湘南組若手会)では、呉智英の『つぎはぎ仏教入門』(ちくま文庫)をたたき台にして、二時間ほどしゃべった。
呉さんの考えている仏教は、彼だけの特殊な考え方ではなく、おそらくインテリ仏教徒と自認している方々の典型ではないかと思った。彼は現代の仏教があまり芳しくないのは、葬式仏教がダメなのではなく、葬式仏教を徹底していないのがダメなところだという。そして根本的に現代仏教が立ち直るためには、大手術が必要だという。それは現代の日本の仏教は仏教ではないということを認めるところから出直すべきだといっている。ちょっと長いが引用してみよう。
「そもそも釈迦が覚りを開き、それを説いた宗教が仏教である、ということだ。それ以に仏教があり得るはずがない。後世少しずつ新しい解釈が加えられたとしても、基本は迦が説いた教えが仏教である。その釈迦こそが唯一の仏(仏陀、覚者、如来)である。一譲ったとしても釈迦が人類最初の仏である。
釈迦から二千数百年、その教えである仏教は変容に変容を重ねてきた。最初に根本分があり、それを受ける形で大乗とか小乗の分裂があった。小乗仏教では金口(こんく)の阿含経典原則的に守り釈迦一仏論であったが、大乗仏教はいつくもの経典を創作し、いくつものを考案した。        (金口→仏の金色の口の意から、仏の言説・教えをさす)
釈迦入滅後何百年もして成立した経典は、ありていに言って、偽経(ぎきよう)である。そこに描れた諸仏も釈迦の与り知らぬものである。その偽経に依拠し、その仏に帰依する大乗、那・朝鮮を経由して日本に入り、さまざまな宗派のさまざまな祖師たちがさらに自分勝に仏教を解釈してしまった。これを「祖師仏教(そしぶつきよう)」と呼ぶ。大乗の創作した偽経や諸仏にろ、祖師仏教にしろ、それはそれで思想的に全く無意味というわけではないが、そうしものをそのまま仏教とすることは決してできない。(略)
仏教は釈迦の原点に還るべきである。これは各宗派にとって大手術になるが、それでここで大手術をしないと宗派も壊滅する。一方、後で述べる通り、釈迦の原点に還るなば、そして宗派が誠実に対応する限り、宗派の危機にはならないし、寺院の再興も可能ある。
釈迦の原点に還るには、日本のすべての仏教徒は、まず、大乗非仏説論を認めるとこから始めなければならない。大乗仏教は釈迦の説いたものではない。実証的な歴史学や献学が進歩した現在、富永仲基の大乗非仏説論の時代よりさらにこのことは確実になっいる。これを認める知性と勇気を持つべきである。(略)
広義の阿含経典、(四阿含ほかの初期仏典)こそ釈迦が説いた教えの原形に最も近い。して、その中に現れた釈迦は、梵天勧請品に読み取れるように、小乗と大乗の葛藤の中ある。そうであれば大乗は小乗を劣位に見ることをやめなければならない。それどころか小乗はむしろ釈迦の本心である。そして、大乗はその中核となる慈悲を選び取った釈迦決断である。このことが理解できていれば、小乗と大乗はそれぞれの道を協同しながら歩むことができる。
小乗-釈迦の本心を受け継ぐ仏教
大乗-釈迦の決断を受け継ぐ仏教
大乗仏教が非仏説であり、大乗仏典が偽経であるとしたら、非仏説と偽経の上に成立しいる祖師仏教も当然仏教ではない。
 浄土宗・浄土真宗が仏教と余りにもかけ離れた宗教であることは、前に書いた通りでる。法華経が仏教とは縁遠い偽経であることも、前に書いた通りである。禅宗が仏教とうよりも荘子思想であることも、前に書いた通りである。
 しかし、いずれもがいくらかは仏教である。前に初期仏教について書いたところで、う言っておいた。金の含有量が少なく混ぜ物の多い指輪を純金の指輪と呼ぶことはできい、と。ただ、本物の輝きを知ったうえでそれを楽しむことも可能だ、と。」(187頁~)

まあこれはインテリ仏教徒特有の発想ではないか。私はそれを「源流純粋論」と呼んでいる。釈迦の直説、つまり「源流」は純粋な水だったが時代を経ることで宗派仏教になったのは、「汚濁」をくり返してきたからだと。私は、その「汚濁」の中に源流の水が混在しているのだから、その中から純粋なものを濾過できなければならないと思っている。むしろ「濾過純粋論」に立たなければならないのではないか。
大きくいえば、彼は、純粋なものが時代を経ることで汚濁していくという「源流純粋論」に立っていて、仏法の真実が時間・空間を超えて遍在していることをまったく知らないのだ。「純粋な法」が釈迦の口からだけ表現されるのであれば、釈迦という特殊人格だけからしか仏法は生まれないことになる。それこそ釈迦のカリスマ化だ。
まあ呉さんご自身は、「私は仏教の信者ではない。それどころか、仏教以外のどの宗教の信者でもない。今までもそうであったし、これからもそうである。」と言って切っているのだから、あくまで傍観者として評論しているに過ぎない。そこに自分の存在がかかっていない気がした。
そして呉さんは、いまの浄土宗・浄土真宗・禅宗・密教・法華経などは、仏教ではないと批判していき、特に、浄土宗・浄土真宗の批判に多くの頁を割いている。浄土経典は、紀元後に北西インドで成立しているし、阿弥陀如来は西アジアの古い神だから、まったく仏教とは異質だと述べいる。これは仏教史学では、常識になっている考え方だろう。
それをひっくり返すために、いやいや浄土教こそが仏教なのだと力説する必要もないような気がする。仏教史学では、そう考えられているのだから、それはそれでよしとしておくことだろう。
私の関心は、浄土教がどんな形で発生してきたかとか、それが釈迦の説いた仏教であるかないかというところにはない。それが〈ほんとう〉のことであるのならば、人間にとって、〈ほんとう〉がどう現れるのかという関心である。ここでいう「それ」とは、皆さんの頭に固定観念としてある「仏教」や「宗教」や「信仰」である。「それ」を仮に「宗教的なるもの」と呼んでおく。
何千年前も、そしてこれから何千年後にも、人類にとって「宗教的なるもの」なしに人間は生きられるのだろうか。地球のあちこちで一神教や多神教が発生してきたのも、「宗教的なるもの」を人類が求めた結果ではないか。それは人類が政治・経済・文化だけでは済まないものを抱えているからだろう。
簡単にいえば、「どのように生きるか」という関心の根底に「なぜ生きるか」という関心が埋まっているのだ。もっといえば、みすみす死ぬのになぜ生きねばならないかだ。その問いに応じる形で、人類は「宗教的なるもの」を〇〇教という宗教現象として形成した。だから、どの〇〇教も、まだ〈ほんとう〉の「宗教的なるもの」を完璧な形で表現し尽くしてはいないのだ。それを私は「真実のフォルム」と呼んだりしている。
手前味噌になるが、親鸞が「真宗」という言葉で直感していたものは、「真実のフォルム」のことなのではないかと思っている。世界にたくさん存在する「〇〇教」と名のつくものは、その「真実のフォルム」の一部分を表現しているに過ぎないのではないか。砂漠地帯で生まれた一神教monotheismも、まだ完璧な形で、それを表現し尽くしてはいない。仏教もそうだ。誤解を受けるであろうが、親鸞の直感した「真宗」とは、一神教と仏教とを昇華したところに成り立つものだろう。それが「真実のフォルム」により近い形のものであれば、もはや宗教の発生がどの地域だとか、それは仏教ではないなどという問題を超えてしまっている。
いわば法然の「廃立」という姿勢は、一神教的厳しさをもっている。「選択選捨」とは、「あれかこれか」という決断だ。徹底して〈ほんとう〉と対決することだ。そしてこの「廃立」をくぐったところに生まれたものが親鸞の「隠顕」という姿勢である。「隠顕」という言葉そのものは善導のものだが、親鸞はこれを自らの生きる姿勢とした。「隠顕」とは、正確にいえば「顕彰隠密」だ。表面上に「顕れ」ているものの奥に「隠されている〈ほんとう〉を見る視座である。
「廃立」だけでも「隠顕」だけでもダメで、「廃立」をくぐった「隠顕」でなければならない。簡単にいえば「あれかこれか」という信仰的決断をくぐることで、「あれもこれも」の上に〈ほんとう〉を見いだす眼が開かれるということだ。
そして「隠顕」の眼が開かれることで、自分がいままで捨ておいてきたものの中に「真実のフォルム」を見ることができる。だから「あれかこれか」という決断をくぐったひととは、立場が違っていても共感が成り立つ。たとえば、禅宗の青山俊董さんや、キリスト教の井上洋治さんや、詩人のまどみちおさんだ。彼らは私と同じように「真実のフォルム」を探しているし、そのフォルムの一片を掴んで見せてくれる。真宗では「妙好人」という、文字の読み書きなどとは縁遠い在野の方で、〈ほんとう〉の信心を得ているひとが誕生している。この妙好人の言葉には「真実のフォルム」の一片が散りばめられている。それはいわゆるインテリジェントintelligentなどという知性とは異質の「知」である。親鸞は「信心の智慧」といっている。親鸞の著述の中で二回しか出てこない言葉だ。
「釈迦弥陀の慈悲よりぞ 願作仏心はえしめたる 信心の智慧にいりてこそ 仏恩報ずる身とはなれ」「智慧の念仏うることは 法蔵願力のなせるなり 信心の智慧なかりせば いかでか涅槃をさとらまし」と。
竹部勝之進さんという念仏詩人が、「垣ヲスル 垣ヲシテ 垣のウチダケヲ ワガモノト思ッテイルガ ソウデハナイ 天地ガワガモノデアル」(『詩集・はだか』)と歌っているが、これなどは、「真実のフォルム」の表現ではないか。垣根をつくって、その内側だけを自分の世界だと思い込んでいるがそうではないというのだ。「垣根」とは自我意識だろう。世界を区切って、我が物と思っている。しかし、その「思い」が成り立っているのも、その「思い」を成り立たせている全世界があるからだ。「思い」だけでなく、私のいる環境全体が自分の世界なのである。これは私のいう「一人一世界」だろう。大きなひとつの世界の中に、一人一人がいるわけではない。一人一人がひとつひとつの世界なのである。まあこれも私の解釈なのだ。私という視座から切り取られた竹部勝之進さんの詩なのだ。それは果たして竹部さんの言いたかったことだったのかどうかはわからない。もうすでに亡くなっているから確かめようもない。しかし、それはどうでもよいことなのだ。「真実のフォルム」の一片をその中から読み取れればよいのだ。親鸞が『教行信証』で論語を引用して、自分なりに読み替えてみせたではないか。孔子の言いたかったことでは、当然ないはずだ。しかし、「真実のフォルム」の断片を表現しているように親鸞には見えたのだ。それでよいのだ。
 そういう視座を「信心の智慧」というのだろう。これは呉さんの考えている知性の世界ではない。その知性をも成り立たせている環境と一体になった智慧なのだ。そしてそこにこそ〈ほんとう〉が花咲くのだ。おまけにその〈ほんとう〉は他者にも影響を与え、他者に新たな発見と感動とゆとりをもたらすのだ。『歎異抄』のいう「柔和忍辱のおもい」である。
 インテリジェントintelligentは、ものすごく切れ味のよい刃物で、切られたものの切り口を見れば、みんな「おお!」と感心し驚くような切れ味だ。だが、切られたものは死んでいる。しかし「信心の智慧」は、ちもろん切れ味もよいのだが、それだけでは生き物は死んでしまうのだ。そこにすっぱり切ったものを包み込んで生かす愛が「信心の智慧」である。
 これは阿弥陀さんが智慧=勢至菩薩(知)と慈悲=観音菩薩(愛)で成り立っていることと同じことである。「信心の智慧」とは、人間内部から生まれるものではなく、やはり阿弥陀さんと擬人化されて語られてきた、超越項からの促しなのだ。
●2016年11月8日●
「真実のフォルム」を〈真・宗〉という。
そのフォルムは、円形なのか楕円形なのかはわからない。誰も全体像を見たことがないし、全体像など見えるはずもない。ある一部分だけを人間は取り出すことができる。親鸞がやったように。釈迦がやったように。
また、それは人間が書いた文字、経典やら文学やらの中にも見いだせるものである。「真実のフォルム」は部分的に点在しているものだから、この部分は真実のフォルムの一部分を表現しているが、他の部分はそうではないということが起こり得る。
それはひとつの文学作品の中にもあるだろうし、ひとりの人物の人生の中にも存在するだろう。
だから、その真実のフォルムの曲線と合致した一部分をつなぎ合わせてみればよいのだろう。
気をつけなければいけないのは、自分が真実を占有したとか、自分だけが真実を知っているという思いだ。真実は決して人間の手に入るものではない。それはあくまで向こうにあるもので、人間の所有物にしてはならない。人間のものになったと錯覚してはならない。そこが危ないところだ。もし真実を知っているとか自分だけが真実をもっていると錯覚すると、限りない自己肯定の地獄へ堕ちていくことになる。自己肯定は決して幸せではない。自己肯定は苦しいはずだ。
自己と真実とが一体化すると、精神が硬直してしまう。それは親鸞のいう「金剛心」とは違うはずだ。親鸞の「金剛心」は、「柔軟心」と矛盾しないのだから。
親鸞は「ただこの信を崇めよ」(教行信証・総序)といった。その「信」とは、自らの内側にはない真実だ。だから、自分はその「信」を崇めよと対象化できるのだ。
親鸞がそこで「信」と語ったものは、〈ほんとう〉は阿弥陀の願なのだ。私たちは「信」と「願」とは違ったものだという固定観念をもっている。「信」は私がすること、「願」は阿弥陀さんが起こすものと。
確かに、「信と願」を分けて語る意味場もある。しかし「信と願」が同じ意味を示す意味場もあるのだ。「信と願」が同じ意味ということを言葉でいえば「信」も阿弥陀さんの「信ぜよ」という命令だからだ。「願」は当然、阿弥陀さんの私たちを助けたいという悲愛だ。もっといえば私たちに「安楽国に生まれんと願ぜよ」と命令するのだ。この「ただこの信を崇めよ」という場合の「信」は、阿弥陀さんの「信ぜよ」という本願のはたらきを意味している。
だから、人間の「信ずる」という心を必要としないのだ。人間が信じようとしたら、それは「自力の心」であり、阿弥陀さんの悲愛が不要だと言っているようなものだ。
人間には「信」ということが起こらないということを見越して、阿弥陀さんは本願を起こして下さっているのだ。それが「佛、かねて知ろしめして、煩悩具足の凡夫とおおせられたることなれば」(『歎異抄』第9条)である。この「かねて知ろしめして」が有り難い。
「かねて」とは、曠劫よりかねてだ。それくらい前から知って下さっているのだ。
だからもし私に信心が起こったら、阿弥陀さんは不要だと言っているようなものだ。徹底して、信心の起こらない者にだけ、阿弥陀さんは悲愛の焦点を当ててくる。
これが「唯除」の奥義だ。
昨日の湘南組主催の聞法集会を憶念して、いままた、以上のような法の華が咲いた。

[もしご縁がありましたら、以下の法座に出講します。お近くの方は遊びにいらして下さい]
11月13日(日)午前10時~12時 名古屋別院 信道講座 テーマ「法然を師と認可した親鸞」(『歎異抄』第六条を中心に)

11月16日(水)午後6時30~8時30分 池袋親鸞講座 テーマ「覚りと救いの関係-第15条に学ぶ-」(池袋駅側メトロポリタンプラザ12階)

11月18日(金)午後7時~9時 大垣別院仏教公開講座 テーマ「真宗創造論-もう済んだと思ったが、まだ始まっていなかった-」
●2016年11月6日●
「信心とは視座である」。それは「考え方」や「気の持ちよう」ですかと問われることがよくある。しかし、それは違う。「考え方」や「気の持ちよう」では、それを考えている自己意識がドンと居すわって何も変わっていない。「心臓の鼓動が他力だとはわかります」とか、「無量無数の先祖のお蔭で自分が存在していることに感謝しています」という発言を聞くこともあるが、それではまだ、意識の表層の変革でしかない。深層の感受性のレベルまでの変革には至っていない。
 「一応、そういうふうに考えることはできます」という程度だと、「考え方」や「気の持ちよう」だから、「考え方」が変われば、そんなものは吹っ飛んでいってしまう。そうとも考えられるが、こうも考えられるというその「考え」そのもののテーブルがドンと居すわったままだ。
 そのエアーズロックのようにドンと居すわった岩盤のような意識が、揺らぎ始め、柔らかくとろかされていくことが、信心という言葉で親鸞が直感していたものだと思う。「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり」(『歎異抄』後序)とは、その信心のゆるやかさから溢れてきた言葉だ。だから信心とは、表層でなく深層の根っこの問題なのだ。
 今まで何十年か、「人間」という生物を生きてきた「私」は一体何ものなのかが根底的にわからなくなること、それが信心の利益である。
 取り敢えず「自分」というものを知ってはいるが、それが根本的なことではない。それはあくまで「取り敢えず」という次元のことだ。そして、いままで固定観念としてあった「私」とか「世界」とか「時間」とか「生きる」ということが、根底的に不可知になることだ。生きることがよいことなのか死ぬことがよいことなのか、そんなことはわからないことだと開き直れる、広い心だ。
 それを比喩的に「自分が客体になり、阿弥陀さんが主体になること」と語ったりする。何でもわかっている自分が主体ではなく、阿弥陀=不可知が主体になる。そしてわかっていると思っている自分が客体にされる。主客の逆転だ。
 今朝もお朝事をしながら公団住宅を取り囲むケヤキやスズカケの紅葉を眺めていた。ハナミズキは紅葉が早く、いまでは真っ赤っかだ。サクラは徐々に黄色になり葉数も少なくなっている。ケヤキの先端は緑から赤へ、スズカケだと思われる木は真っ黄色だ。
 この光景は、根本的に自分が見ている光景ではない。正確にいえば「自分が見せられている光景」なのだ。自分は見る主体ではなく、見せられる客体なのだ。おそらくこの光景は何百年前の人間たちが「見せられていた光景」なのだ。時間を超えて、その瞬間に立ち会っている自分。これは奇跡だ。
 根本的に、すべては受動されるものだ。歩かされて歩く、見せられて見る、食べさせられて食べる、話させられて話す、息をさせられて呼吸する。そこには「能動」というののない世界が展開している。
 これが信心という視座に映された情景ではないか。
[明日7日午後2時~湘南組主催の「聞法集会」へ出講します。会場は本厚木のレンブラントホテル厚木です。もしご縁があるかたは、ご参詣下さい]
●2016年11月5日●
昨日の「無人の会」公開講座は一期一会の会だった。
求道会館という建築物が、ものすごく宗教的感性を生む場の力をもっている。教会建築と寺院建築とが合体した、不思議な空間なのだ。時代をトリップして、明治時代に人間のたましいを連れ戻す。
遠くは愛知県や山形県からお越しの方々もおられた。会館の椅子が満席の窮屈さもなく、かといって閑散でもない。何か理想的な埋まり方だった。
西田真因先生の講演テーマは「敗戦後70年と真宗のアイデンティティを問う」だった。幕末から明治大正期にかけて、真宗人が西洋文化とぶつかった。その中で、仏教は「学問」ではないのではないかという疑義も突きつけられた。当時の真宗人は、江戸期までの教学と西欧近代の実証主義とのぶつかり合いをどう乗り越えたのか。
西田師の話では、「ぶつかり合い」にならなかったのではないかという提起だ。もし「ぶつかり合い」があったのならば、「阿弥陀さんの実在、浄土の実在」を証明しなければ真宗は成り立たないという問題意識が起こったはずだという。確かに西欧では、近代科学への目覚めがキリスト教とぶつかり合った。いままで誰も問うことがなかった「神の存在証明」という問題意識がキリスト教に起こった。問うまでは、大前提であって、敢えて俎上に昇らなかったものを近代の知は対象化した。
もし近代知と真宗がぶつかり合っていたら、「阿弥陀さんの実在、浄土の実在」をどう証明するかという問題が浮かび上がり、その上で現代へと展開してきたはずだと。それを問えなかったことが、大きな真宗教学の停滞を生んでしまったと。これは講義では触れられなかったが、現代の真宗学は「真宗学」ではなく「親鸞学」、つまり親鸞がこう言ったああ言ったということを研究するものになってしまったとも語られていた。それは真宗の学ではなく、人物の歴史研究学なのだ。どこでボタンを掛け違えたのかといえば、それは近代知と真宗がぶつからなかったことであり、ひいては明治の真宗人の教学の欠点なのだ。
だから、教学者を批判するようなことになるので、自分は敢えて今日のテーマは話したくないテーマなのだともおっしゃった。
しかし、私はなぜ近代の実証主義を額面通りに受け取れなかったのかと思った。その原因を教学者の資質や発想だけに押しつけられるだろうかと。もうひとつは、まだぶつかり合っていないのであれば、これからぶつければよいではないかとも思った。
西欧の一神教の物語は神が「造る」物語だ。天地創造物語は、神が創ったのだから、世界に矛盾があってはならない。しかし現実には矛盾があるじゃないか。神が創った世界なのに貧富の差があり、悪徳がはびこっているじゃないか等という疑問を人間はもった。
どうも「神様」は「いる」ということが大前提になっているけど、本当にいるのだろうか。本当に「いる」のならば、どういう形で「いる」のだろうか。それがちゃんと証明できなければ、信じることはできないではないかと。ニュートンも結果的に「万有引力」という言葉で引力を証明したが、その研究の動機は「神の存在証明」だった。
そういう「創造の物語」が底辺にあったから、近代知もそれとぶつかり合うことができたのではないか。むしろ近代知そのものも一神教を生んだ知と同質なのではないか。同質だから、そこでぶつかり合うことができたのではないか。
ところが真宗には、「創造の物語」がない。『仏説無量寿経』の阿弥陀仏物語は「救済の物語」だからだ。「救済の物語」では、阿弥陀仏が存在するか否かという問題意識は生まれないし、そもそも実在的存在として阿弥陀仏があるとは最初から考えていない。だから、存在証明という問題意識は起こらなかったのではないか。どうも西欧近代の知とキリスト教の知とは異質な知の質で真宗は成り立ってきたのではないかとも思う。
むしろ究極の関心は「自己の救済」だったのだ。昨日のお話でも出てきたが、金子大栄師の「浄土の観念」や曽我量深師の「法蔵菩薩は阿頼耶識なり」は、確かに近代知とのぶつかり合いの中から誕生した発見だったに違いない。しかし、西田師は、それを「正面からぶつかっていない」と批判されていた。正面からというのは、実在証明という方向ではなかったということだ。
私にとっては、阿弥陀仏が実在であるか否か、浄土が実在であるか否かという問題意識はいまだかってなかったし、これからもないと思う。しかし、このような知のあり方は、すでに曽我量深などの影響を受けてしまった知、ゆえのあり方なのかもしれない。
私は、21歳のとき京都大谷専修学院へ入学し、そこで初めて知的に真宗と出合うわけだ。そのころのことを考えても、先生方の語る言語体系、意味体系がどのようになっているのか、どこから先生方の言葉が生まれてくるのか、それを知りたいということだけだったような気がする。だから、先生方の語られる言葉の意味として阿弥陀仏や浄土があったとしても、それを地上の実在としてイメージすることはなかったし、そんなことは無意味だとも思っていた。
だから、ある人間の真実を表現する物語内部の用語だと思っていた。だからそれが実在か否かという関心ではなく、その言葉自体のもっている意味に関心があったのだと思う。阿弥陀仏や浄土という言葉を用いて、人間の、つまり私個人の何を問題にしているのかという関心、ひいては、人類にとって普遍的な問題として、どういう意味があるのかという関心だった。
西田師が正面から問うというのは、阿弥陀仏の実在を問うとなれば、その問い方、そして問う知とは何かということが必然的に問題になってくるだろうということかもしれない。
それをうがって考えてみると、恐らく「真宗」を親鸞学から真宗の学へと開示しなければならないという問題提起なのだろう。真宗を親鸞学にしてしまったポイントの切り換えが、うまくできなかったのは、近代知とぶつからなかったからだと考えられたのだろう。

ところで西田師が冒頭に紹介された精神病院の話が、昨日の講演全体のメタファーになっていたのではないかと思えた。
ある精神病院の患者が、病院の風呂場にいって、バスタブに釣り糸を垂れているという。しばらくすると、また自室に戻り、再び風呂場に向かったという。それを見ていた精神科医が患者に向かって「釣れますか?」と尋ねたそうだ。すると患者は「バカ!風呂で魚が釣れるわけはないだろ!」と答えたという。それだけのエピソードだ。
そこにいる患者とは誰のことか。それは他ならぬ私たち現代人ではないのか。患者は風呂場で魚が釣れないことくらいはわかっているのだ。しかし、わかっていても釣りに行かねばならないのだ。そうせざるを得ないのだ。
これは私たちの日常生活そのものではないか。日々、学校へ仕事へリハビリへ病院へ行く。誰しも、死ぬことを知りつついくのだ。だから、所詮無意味なことなのだと知りつつ行くのだ。しかし、無意味だとはわかっていても、そうせざるを得ないのだ。
「仕事にいかねば喰えないじゃないか」と。宮戸道雄師は「食わなんだら死ぬ。しかし食っても死ぬ」とおっしゃった。我々は、そうせざるを得ないことを、「喰わねばならないから」と理屈付けをしているだけだ。本当は無意味なことと知っていても、無意味なことをしなければならないという絶望感を打ち消したいのだ。

風呂で魚は釣れないと思っているが、釣りに行かざるを得ない患者が、私ではないのか。それに目覚めてしまったなら、もはや釣りができなくなる。それこそお釈迦さんが出家さぜるを得なかった動機ではないか。そして親鸞が山を降りざるを得なかった動機ではないか。
その後、その患者さんは、どうしたのだろうか。

●2016年11月2日●
 宗教とは、ひとがひとに対して、こうしろとかああしろとか、こうしたほうがよいとかああしたほうがよいとか、そういうお節介をやくような質のものではないはず。
ひと知れず。各人格人が、各人の内面において、「お恥ずかしい」と感じさせるものを、各人各人が見いだすことのはずだ。
私も不特定のひとにお話をすることがあるが、その基調音が「指示表出」に傾いていないかと思うときがある。法話はどこまでも「自己表出」でなけれはならないはずだ。つまり画家が絵を描くように、美そのもの、そのようにしか表現せざるを得ないものをそのように表現するだけに徹していなければならない。ところが、どうしてもひとを目の前にしていると、「指示表出」の色合いに引っ張られることがある。「ある」というより、しょっちゅう引っ張られている。
 本質的には「自己表出」なのだが、それもひとりで部屋に閉じこもっていては出てこない話なので、やはり聴衆が必要なのだ。聴衆を目の前にしているから、どうしても「指示表出」の色合いに引っ張られる。引っ張られるのだが、やはり窮極は「自己表出」の産物だから、詩的にならざるを得ない。
 そこに名利心も浮かび上がってくる。人々に素晴しいと称賛されたい名利心、感動したと褒められたい名利心。親鸞も「名利に人師をこのむなり」(『和讃』)の述べているから、おそらく私と同じものを感じていたのかもしれない。ということは、私は自分の内面に親鸞をいま体験しているのだ。
 名利心の顔色を伺っているようなことではダメなんだと思う。それは法話が「指示表出」になってしまっているからだ。その思いを振り払って、「自己表出」の階段を深層へとおりていく。それでも「自己表出」と「指示表出」とを行ったり来たりしている。
 ゴッホは、キャンバスに向かっているとき、完全に「自己表出」の世界だけに浸っていたのだろうか。そうだ、そうに違いない。完全に没入していたに違いない。私も子どものころ絵画をやっていたが、描いているときは、そのこととひとつになり、邪念は介入してこない。だから、没我の状態はわかる。
 ということは、そもそも絵画と講演は異質な表現形態だという単純な結論に落ち着くのだろうか。
 そう思うと講演とは、聴衆と話し手とが共同作業で作り上げる芸術なのかもしれない。講演会は数時間で終るのだが、そのとき聴衆と話し手が一緒になって何かを作り上げる。その何かとは「法」と語られてきたものだろう。それで、時間と共に終わっていき、そこには何もなかったかのようになっている。芸術とはそういうものなのだろう。
 そこに講演会の生と死がある。そしてひとりひとりの生と死が。
やはり終わりがあるから尊いのだ。
●2016年10月30日●
雑多な思いが、ナンマンダブツと口ずさむことで消されていく。
わだかまりや、不安や、後悔などが、消えていく。
ナンマンダブツで、沸騰する思いのレベルがオフになる。そういうときもあってよい。

そして、原始人が目にしていたであろう光景が、展開する。
やっと「存在の零度」にたち戻ることができる。

私がこの世と関わる接点は、何だ。それは、三毒だ。 三毒以外にない。
だから、三毒で感じとられた世界以外を知らないのが私だ。ダニが振動と酪酸の嗅覚でしか世界と接点を持っていないのと同じだ。
三毒とは、貪欲、瞋恚、愚痴だ。
貪欲は、むさぼりの欲望だ。食欲や淫欲や睡眠欲や視欲や笑欲や意欲や飲欲や性欲や考欲や触覚欲などだ。これが無いと人間は生きることができない。まどみちおの「ことり」には「目でなら触ってもいい」という言葉があった。見るというのも自分のものとして触る欲に支えられている。
二番目の瞋恚とは、その貪欲が拒絶されたときに起こる怒りの感情だ。私の目の前をノロノロと走る車があった。私はイライラし始めた。イライラとは怒りの感情だ。なぜイライラしたのか。それは、私が自由にスピードを貪れるのに、その貪りの感情が拒絶されたからだ。
テレビニュースを見ていても、怒りの感情を感じる。築地市場の豊洲移転のニュースでも、盛り土をしたとかしないとか、誰が指示したとかわからないとか。政治家や官僚の杜撰なやりかたに対して怒りを感じ、それを毎度毎度ニュースで流す報道機関へも怒りを感じた。総じて、現代日本は、責任者を特定して、そいつを血祭りに上げなければ気が済まない社会になっているのだ。「罪を憎んで人を憎まず」という感性はなくなった。まあ社会機構を変えて、チェックシステムを構築していくしかないのだが。
私は「過去は未来の鏡だ」と言っているので、この問題も新しいようで古い問題だ。政治家がダメなのでも官僚がダメなのでもない、そもそも人間という存在がダメなものなのだ。そうやってイライラしていたら、紀元後100年頃に成立した『仏説無量寿経』にある「不急の事を争う」という言葉を思い出した。つまり、急がなくてよい問題を人間は常に争っているということだ。〈ほんとう〉に急ぐべき問題は、そこにはないと。
三番目の愚痴とは、人間の意識作用全体を述べている。つまり、貪欲と瞋恚を下で支えている知のはたらきだ。自我中心の意識そのものだ。そもそも無色透明な「意識」というものは人間には存在しない。「自分」という意識も、意識というテーブルの所産である。だからちらっと思うことも、すべて自分というテーブルの上での「思い」なのだ。このテーブルの上に乗っかって「貪欲」も「瞋恚」も動いている。
だから、唯識思想は、自我意識は自覚できる部分と、自覚できない深層の部分があると発見した。それを「末那識」(マナ識)という。自分では決して意識できない深層のエゴイズムだ。さらに、その底にもっと深層の「阿頼耶識(アラヤ識)」があるだろうと類推した。まあ、なんで人間が意識することのできない深層意識を人間が知ることができるのか。それは矛盾じゃないか。確かに矛盾だ。ただインドの瑜伽唯識派(ヨーガ・唯識派)は、ヨーガという瞑想法をもち、それで人間の表層意識を極限まで停止させて、深層意識を感じ取るという修練をする。その結果に感じ取った意識だという。だから日常意識ではまったくわからないのだという話になっている。
親鸞は、唯識思想は「自力の教え」だと考えていたようだ。だからといって、私たちがそれを学ぶのは無意味だとはならない。曽我量深は、唯識思想を学ぶことを通して、「法蔵菩薩は阿頼耶識なり」という直感を得た。唯識思想と浄土教の神話用語とをぶつけ合わせ、新たなテーゼを生み出したのである。仏教研究としては邪道視されるのだが、しかしこれが新しい思想の創造なのではないか。違う意味世界の言葉がぶつかって新しい言葉を生み、そのテーゼが力をもって時代に受け入れられていく。むしろ思想創造運動だと私は思う。
そうそう吉本隆明が「共同と幻想」という言葉をぶつけて「共同幻想論」としたり、あるいは、「存在と倫理」をぶつけて「存在倫理」という言葉を作ったのは、新しい概念を生み出したことになる。日本人の場合、どうしても新しい概念を生み出すのは漢字と漢字の結合だ。西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」もそうだ。鈴木大拙の「即非の論理」もそうだろう。
話がズレた。曽我量深は「法蔵菩薩は阿頼耶識なり」と表現することで、深層のエゴイズムよりも深い意識である阿頼耶識が、実は、我々を救うためにはたらいている作用(これを人格的に法蔵菩薩と呼ぶ)だと直感した。
曽我量深は、浄土教の世界では、人類を救済するための絶対的存在として、向こう側において語られてきた阿弥陀如来を、自己の深層の「内在性」に捉え直したのである。ここに窮極の「救い」の構造を直感したのだろう。超越項が自己に対立するものであるかぎり、「恩寵」の宗教になってしまう。我々は救われる側、超越項は救う側と対立したままで、超越項によって救われることで、我々はそれを拝跪し、恩寵を蒙るという形だ。安田理深がかつて「それでは一生、我々は阿弥陀さんに頭の上らない存在になってしまう」というふうに述べた。自分たちは哀れで救われがたい劣等者であり、それだから超越項は、私たちを哀れんで下さり、救いを恵んで下さると。江戸期の浄土真宗はそういう劣等意識の宗教になっていたのではないか。
それを打ち破ったのが「法蔵菩薩は阿頼耶識なり」という直感だ。実は、超越項だと向こう側に対立的に考えていたものが、自分以上に自分に近く内在していると直感したのだ。そうなってくると、愚痴という煩悩だが、その愚痴を愚痴としてはたらかせている深層意識が見えてきたのだ。
愚痴の痴は「病垂(ヤマイダレ)」に「知」がくっついた漢字だ。知のはたらきなのだが、病んでいる知である。病んでいるということは、真実に合致した知ではなく、エゴイズムに彩られた知であることを教える。エゴイズムは、貪欲を導き出す源だが、それは何かを暗示している。自分を自分以上に愛してやまない知が「末那識」なのだが、それを末那識として成り立たせているはたらき、それこそが阿頼耶識という深層意識なのだ。
なぜ自分が自分だけを愛するのか、その理由を我々は知らない。それは私の意識では届かない、もっと深層から沸き起こってくるものなのだからだ。それが阿頼耶識だ。
三毒で私はこの世との唯一の接点をもっているということを述べようとして、ずいぶん深い話になってしまった。
ここまでおりてくると「救い」とか「さとり」とか、もはやそんなことはどうでもよくなってくる。
自分は「表層の自分」しか知らないということなのだ。いわば火山の噴火口だ。噴火口に吹き出してくるマグマがどのくらい深いところから湧きだしてくるのか。そんなことは知らずに噴火口を生きている。

 とすると、いま目の前に見えている世界は、原始人が目にした光景と、そうはかわらないのだろう。それがたとえ人工物だとしても、地球の素材を加工したに過ぎない。形が変わっているだけで、原始とそうはかわらない。都会も原始林なのだろう。そして私たちは原始人なのだ。
どこに向かって今日を生きるのか。そんな目的地があるのか。果たしてないのか。ただ目的地が曖昧になってくると、〈いま〉という場所が充実してくる。〈いま〉いる場所が目的地なのかもしれないからだ。
その〈いま〉は原始時代と融通している〈いま〉だったのだ。
●2016年10月29日●
妙好人といわれた、森ひなさんの言葉に次のものがある。
他力他力とおもうていたが
  思う心がみな自力
目が覚めるのも他力、呼吸をするのも他力、生きていること全体が他力だ、ああ有り難いといって暮らしていたのが森さんだった。
ところが、その思いが砕けた言葉が、それだ。これも他力だ、それも他力だと思って掴んだこころは自力のこころだったのだと懺悔した。
聞法生活が始まった当初は、みんな、そんなふうに解釈して安心してしまう。生かされているのだ、ああ有り難いで停止してしまう。その底を破ってくるのが、〈ほんとう〉の他力だ。
他力など人間にはわからないことなのだ。それは阿弥陀さんだけがご存じの世界だから。人間には、その他力の片鱗しか感じ取ることはできない。果たしてそれが人間にとって有り難いことなのかどうかもわからないことなのだ。
老・病・死も、他力に違いない。しかしそれは人間にとって「有り難い」ことでは、決してない。安心したいこころは、停滞のこころだ。「これで他力を理解した」と思って掴んだこころは停滞する。そして、御利益の信仰へと堕す。
人間は御利益がほしいものじゃないですかと、いわれると、そうだと答えるしかない。しかし、御利益だけでも救われないのが人間の奥深さだ。
他力だ、他力だと掴んだ手からスルッと落ちていく。それが〈ほんとう〉の他力だ。人間の手では掴むこともできない、純粋で、清浄で、透明なものは。
そう思ったら、その言葉がひっくり返ってきた。
「自力自力と思うていたが 思うこころもみな他力」と。
これも〈ほんとう〉だ。あらゆることが他力であるのなら、「考える」「掴む」という意識性も他力の仕業に違いない。そうであるのに、これは自力、これは他力と差別していたに過ぎない。
だから、絶対他力なのだ。あらゆることが他力の中でのいとなみなのだ。どこかで、分別し、差別し、隔てを作ろうとしていた意識が崩されていく。
落ちていく、落ちていく、他力の底へ落ちていく。永遠の深淵へ落ちていく。
原始人の叫びが聞こえてくる。
●2016年10月28日●
今日は、二人目の孫の初参式だ。
世間では、神社への初参りとかやるらしいが、真宗では「初参式」をする。生まれて初めて正式に阿弥陀さんの前で出産を報告し、お祝いし、これからの赤ちゃんの成長を祈り、菩薩としてこれからの人生を生きてほしいという願いを確認する式だ。
 記念念珠も本山からお祝いとして無料でいただけるのだ。
しかし、初参式も他人事にしていたなと、今朝、気付いた。初参式を受けるのは孫で、自分はお祝いする側だと決め込んでいた。それは間違っていたと今朝、気付いた。
つまり、もう生まれたことを済んだことにしていたのだ。
〈ほんとう〉に自分は、生まれたのか。何十年か前、母の胎内から産道を通って、この世に生み出された、その瞬間など覚えていないのに。だから、無自覚のまま、今日まで、ただだらだらと、悪戯に暮らし明かしてきた。だから、果たして「生まれた」と過去形で語れるのか。
まだ、そんな自覚をもった覚えもないのに。果たして、生まれたのか、自分は。
こういうことを問うていき、「生まれた」と過去形にしていた意識を掘削し、破壊していくのが初参式の趣旨かもしれない。
だから孫の初参式ではなく、自分自身の初参式だったのだ。
まさに「生」を過去形にしていた意識のゲシュタルト崩壊だ。
こうやって、阿弥陀さんから攻撃を受けないと、眼が曇ってしまうのだ。阿弥陀さんは、ほんとうに人が悪いから、いつも、藪から棒だ。やはり阿弥陀さんにとり憑かれていたんだなあ。
●2016年10月24日●
昨日、因速寺で最も重たい行事である報恩講が勤まった。
一日のみの行事なのだが、それまでの準備がある。まず講師の先生の日程調整、そして毎年やっていただくハンドベル(グロッケン・シュピール)演奏家との日程調整。そして報恩講勤修のお知らせを全門徒へ郵送し出欠を確認する。さらに、スケジュールの確認や当日配布するための資料を作る。さらに当日の弁当の手配やお茶の準備、また当日、振る舞うための精進料理の構想と食材の取り寄せと買い出し。懇親会のための酒の買い出しや、仕出屋さんへの注文。さらに、本堂の仏具磨きと清掃等々だ。
当日は、本堂の幕張、荘厳の確認、配布物の詰め合わせ作業、下足の準備、お昼ご飯(お斎)のための調理等々。世話人さんや女性たちにお世話になりながら、ようやく準備が完了する。
今年の報恩講では、御伝鈔といって、親鸞の伝記を拝読する儀式が加わった。京都の本山では毎年お勤めされているのだが、因速寺では初めてのことだった。拝読するための燭台(2本)さらに卓(ショク)という読むためのテーブル、拝読するための巻物。それらを作法に則って拝読した。小生は、声量もなくできないので、息子が拝読した。
朗々と大きな声で拝読するので、文面は古文調なのでわからない部分もあるが、それでもところどころ理解できるところがあり、とにかく感動した。
この御伝鈔の拝読があったためか、通常の報恩講以上に、ずしんと重たみの増した報恩講になった。一日のなんと長かったことか。
昨夜の懇親会場や台所を見渡して、散乱ぶりに、どこからどうやって手を着ければよいのか、唖然としてしまう。その結果、自分では判断不能なので、坊守たちの指示に従って、動くことになった。指示をされないと、どこから手を着けてよいのかも見当がつかないのだなと、あらためて知らされた。
昨夜のお酒も残っているのだろう、体が重たい。喉の痛みもあり、風邪を引いたようだ。とはいえ、この身体の疲労感は、なんとも味わい深い疲労感だ。この気だるさを味わいながら、しみじみと報恩講を思い出している。
報恩講の次の朝は「お浚い」のお勤めが勤まる。そのとき用いられる親鸞の和讃が、これだ。
〈第一首〉
不了仏智のしるしには
如来の諸智を疑惑して
罪福信じ善本を
たのめば辺地にとまるなり

<第二首>
仏智の不思議をうたがいて
自力の称念このむゆえ
辺地懈慢にとどまりて
仏恩報ずるこころなし

<第三首>
罪福信ずる行者は
仏智の不思議をうたがいて
疑城胎宮にとどまれば
三宝にはなれたてまつる

報恩講当日は、恩徳讃で有名な「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も 骨をくだきても謝すべし」を熱唱する。如来に向かって、高らかとこの和讃を熱唱し、ファナティックな熱狂に包み込む。
ところが、報恩講が終了した次の日の朝には、この「不了仏智のしるしには…」からの疑惑和讃が勤まるのだ。これは報恩講の熱狂を覚ますための和讃ではないか。
熱狂も大切だが、熱狂を覚ますことも必要なのだ。如来大悲への恩徳は身を粉にしても報いなければならないと熱狂し、ところが、報恩などということとはほど遠いお前ではないか、仏智を疑っているのがお前ではないかとと覚醒させてくる。この「お浚い」が大事なのだ。
報恩などという、気持ちをこれっぱかしも抱いていないのがお前だと教えられ、自分の「居場所」に戻ることができる。
八木重吉の「心よ」を思い出した。

こころよ
では いっておいで

しかし
また もどっておいでね

やっぱり
ここが いいのだに

こころよ
では 行っておいで

ここが自分の「居場所」なのだ。こころは、いろんな場所を旅する、ときには激しく、優しく、苦しく、悲しく。しかし、自分の「居場所」に帰ってくる。「やっぱり ここが いいのだに」と。
この静寂と透明の原点を、みんな求めているのだ。ちゃんと帰ってくる場所があるから、どこへでも出かけていくことができるのだ。
もう済んだと思ったが、まだ始まってはいないのだから。
●2016年10月22日●
どういう人生という〈物語〉を生きているか。自分という主人公がいて、どのような〈物語〉を生きてきたのか。そしてどのような〈物語〉を生きるか。
仏法を知る以前の物語の描き方は、どうだったか。日本人として生まれて、家族をもち、仕事をして、やがて老いて死んでいくという物語だったような気がする。そのときそのときの人生の場面では、貪欲(欲望)と瞋恚(怒り)と愚痴(作為)に翻弄されながら、死ぬなどということは眼中になく、ただ生きてきたように思える。
仏法を知ったいまはどうか。
根本的には、人間にとって生きる意味などわかるものではないと思っているのだが、そのうえで、阿弥陀さんの救済の物語の中を生きているとは思っている。
仏法を知る前の物語は、最終的には絶望で終わっていたが、いまは究極的には、阿弥陀さんの悲愛が残ると思っている。
それで、だ。〈いま〉という時間が物理的に流れているものではないとも思っている。時間とは「時間という意味」であり、計測不可能ななものだ。まあ、仏法を知る前は、時間は物理的なもので、それを生き物は生きていると思っていた。ところが、いまは違う。
時間は、阿弥陀さんから開かれ、与えられるものだと思っている。
物理的な時間が流れているという感覚は、無味乾燥であり、それは絶望に結びついている。
絶望に結びつかない時間とは、どこからやってくるのか。それは、絶望にすら希望を抱かない真の絶望の底からだ。そこは闇であり、闇を突き抜けると透明になっていく。
唯円が念仏を称えても嬉しいとも何ともないという言葉を吐いた、その感覚だ。つまり、日常という名前の絶望のそこに流れているものだ。
日常とは、いったいどこに向かっているのか、どこを向いているのか、何をしているのか、〈ほんとう〉のところは意味不明の場所だ。だから、念仏を称えても嬉しいとも何ともないのだ。だが、この日常の場所から、何かが生まれなければならない。ありきたりの、とるにたらない、なんの変哲もない、この場所から。
この場所が、自分の一生のおり場所である。
そして、ここが一人一世界のど真ん中だ。目の前に広がっている一人一世界をどういただくかだ。それはあなたに任されている。あなた次第だ。つまり「面々のおんはからい」だ。
他者を貪欲の対象としていただけば、自分にとって都合のよい人間は「好き」、自分にとって都合の悪い人間は「嫌い」となる。もっといえば、都合のよい人間は貪り愛し自分の従属物にするが、都合の悪い人間は殺しても飽き足らない障害物となる。
そういうふうに他者をいただくいただき方が「貪欲」というフィルターを通したいただき方だ。
まあ貪欲と欲望で、瞋恚は貪欲を拒絶されたときの怒りの感情だから、自覚しやすい。一番、厄介なものが「愚痴」である。愚痴とは、意識性そのものだから、自分にとっては透明でなかなか意識化できない。貪欲と瞋恚が実行部隊なら、愚痴は参謀本部だ。参謀本部は、戦場では見つからない。影に隠れているから。
この参謀本部を攻撃しなければダメだ。
自我意識という本丸がすべての病根だ。自我意識は、独我論にも傾斜するのだが、一人一世界の根拠にもなる。
独我論だと、ヒットラーにもなる。この世界は自分が支配することのできる世界とイメージされる。ところが一人一世界だと、支配される他者にもそれぞれの世界があると見える。つまり自我が相対化される。そのうえ、それぞれの世界が、ひとつになることは決してない。それぞれのひとが、それぞれの世界を構成しているからだ。
そうなってくると、世界を統一する視座は、生き物の数ほどあることになる。つまりいわば無秩序だ。これが生き物の世界ではないか。無秩序の中に、不思議な秩序を生んでいる。
阿弥陀さんの悲愛は、それぞれの生き物と一心同体になっている。その悲愛とは、人生には結論がないという緩みを生み出す。「死ぬ」というのも、人間が愚痴で考え出したイメージであって、〈ほんとう〉の死ではない。いままで、ガッチリ、意識で固定化し、実体化していたものが緩み出す。
阿弥陀さんの悲愛だけが、私の物語を〈ほんとう〉に理解してくれているのだろう。
四苦八苦が人生の結論であれば、人生は絶望以外には成り立たない。その人生観をすべてうっちゃるためには、その底に阿弥陀さんの悲愛がなければならない。
「諸々の庶類のために請せざる友となる。群生を荷負してこれを重担とす」と『仏説無量寿経』にはある。
絶望と孤独の淵にあっても、こちらから頼みもしないのに、向こうから友だちとなって下さり、我々の苦しみと一心同体になって、これを担い引き受けて下さる悲愛だ。
愚痴という、自我の思いを当てにしないでよい世界が開かれているというべきか。
これを「物語」という言葉で、果たして表現してよいのだろうか。
「物語」という言葉も、手垢がついていて、すぐに一神教の物語をイメージさせてしまう。あるいはおとぎ話や、ギリシャ神話を想起させてしまうからダメだ。
 阿弥陀さんの悲愛の物語は、人間の知で把握できる物語ではない。阿弥陀さんだけがご存じの物語である。だから、人間から呑気に、「物語」などという言葉を使うこともできない。
 神話といおうが、実存神話といおうが、メソドラマといおうが、言い当てられない。
たとえば、交通事故で最愛の家族を亡くした場合、それを人間が知的に受け止めることができるだろうか。医学では、生理学的な解説をして、出血多量とか多臓器不全とか心肺停止とか命名する。だが、それがなぜ、最愛の家族で、どんな理由があって、こんな目に遭わなければならなかったのかは不明である。そこで登場するのが「物語」だ。
 それは、神の書かれた試練だといわれる場合もある。これはあなたに乗り越える力がるかどうかを確かめる神の試練なのだと。あるいは、あなたには乗り越える力があるから、あなたに不幸が訪れたので、他のひとではこの不幸にとても耐えられないのだとか。あるいは、この不幸に出合うことで、あなたのあの世での霊の位が上るのだとか。様々に「物語」は脚色する。
 しかし、どれだけ解釈しても、本質的には納得できないものなのだ。まあ納得できないものでも、仕方がないと、それらの物語を飲み込み、そうに違いないと思い込もうとすることもよくあることだ。だが、不可解は残るはずだ。
 その不可解さをごまかさないで、それを引き受ける道はあるか。たったひとつだけある。それが、その不可解さをごまかさないで、それをそのまま受容させる世界だ。いい加減な「物語」で納得しない力強さだ。それは人間にはわからないことなのだ。それが本質なのだ。
 でも、わからないことをわからいなこととして受容させる力、それを阿弥陀さんの悲愛とイメージ言語で語ることしかできない。
 そのことで、着実に人生を歩めるという物語が挫折し、そもそも「着実」などということは人生にはないのだと、〈ほんとう〉に着地することができる。
 
●2016年10月21日●
日本料理屋の庭に「鰻霊供養塔」が建っていた。
そうか、やはり鰻を捌くのは生き物を殺しているのだから、職人さんたちの罪の意識が、鰻の霊を弔い感謝するというこころを生むのだろうと納得がいった。当初は、へえ、そういうこともあるなあと思っていた。そう思っていたのだが、その思いが、意外に私の内部の深いところまで浸透してきた。
これは、私たち日本民族のたましいの深い部分にある問題を表現しているようだ。医学部のある大学にも、動物の霊を供養するモニュメントがあると聞く。これは意外に、自分で意識する以上に、根深く我々のたましいにまで達している問題のようだ。
現代は、生々しい事柄は、すべて隠蔽されている社会である。隠蔽されているだけで、それがなくなったわけではない。死体はテレビや写真では流れない。犯罪者もブルーシートで隠蔽される。生き物が殺される場面も隠蔽だ。問題は、古代からある問題で、人間が生きるということはさほど変わってはいない。
ただし現代社会は、細分化された分業社会だから、誰かが自分の生々しい部分を代行してくれているだけだ。古代であれば、漁労・狩猟などは、ひとに変わってもらえず、自分たち自らが行わなければならなかった。さらに生き物を食べるという場合、死んだ生き物の肉を食べるのは例外であって、ほとんど、殺した直後に血液を抜かなければならないという問題がある。日本では死刑執行の絞首ボタンは誰が押しのかわからないようにしている。
本来は自分手ずからやならければならなかったことを、第三者の誰かが代行してやっているのだ。代行してくれているだけで、その罪がなくなったわけではない。罪はあるのだ。ただ殺生が見えないように隠蔽されているだけで、そこには生々しくあるのだ。 我々の「美味い」の背景には、殺生の罪が張り付いている。
それに対して黙っていることができないので、鰻の霊を供養しなければならないのだ。そこには鰻に対する謝罪の気持ちと、自分に対する贖罪の感情が混ざり合っている。以前、生きている伊勢海老をいただいたことがある。みんな触ることも嫌がるので、いざ、それを調理しょうと、包丁で伊勢海老を刺したとき、キューッと何とも言えない声を出した。それがいまでも耳にこびりついている。あのキューッが。
これが生々しい、人間の「生きる」という姿だったのだ。恐らく古代人も感じていたであろう生々しさだったのだ。それが現代の私の内部で疼いた。
だから、罪を帳消しにしたいという思いが積み重なって、滅罪思想が生まれたのだろう。『歎異抄』第14条は滅罪をテーマにしている。滅罪の道具として念仏を称えるというのは、自分の力で自分の身体から罪を削りだすようなもので、不可能だという。滅罪の意識をひっくり返すようにして、「罪消えざれば往生はかのうべからざるか」と問いかけてくる。罪が消えなければ阿弥陀さんの浄土へいけないとでも思っているのですかという意味だ。
滅罪思想そのものが、善人根性から生まれたことをあぶり出してくる。むしろ罪と一体となって、いや、罪と一体になどなれるものではない。
ただ罪を自分の身体から削り取ろうとする善人根性では、「裁きの自己」の罪が問われてこない。「見られる自己」の罪を裁いて排除しようとする自己の罪が。
罪とは、そもそも自分が感じ取れる範囲内のものでしかない。自分がこの世に存在するに到った、連綿と続いてきたいのちの連鎖が負ってきた罪の集積は問われることがない。 だから、自分が罪と感じ取るのは、そのごく一部分でしかない。
そのことに驚愕し、唖然とする。「如来の御恩ということをば沙汰なくして、われもひとも善し悪しということのみ申しあえり」(『歎異抄』後序)だ。
如来がご覧になるように、我が罪をみることはできない。如来がご覧になるように、自分の罪をみることができたら、絶望するしかないだろう。とても生きてはいけないかもしれない。
その絶望する思いよりも、もっと深いもの、その罪のものと一体になろうとする愛にまかせる以外にない。自分で自分の罪を救おうとしてはならない。罪とひとつになって、もっと深く、もっと闇へと堕ちていくしかない。光の届かない深海へと落下していく。
その罪のものと一体化しようとはたらいてくるのは、一心同体になろうとする悲愛なのだから。
そこまでくると、自分は「生きる主体」ではなく、あくまで客体、もっといえば、述語としてあるだけだ。私たちは「私は…」と発想するのだが、そんな実体はないのだ。〈ほんとう〉は「…している私がいる」と感じるだけだ。その「主体」なるものは空洞なのだ。誰もその空洞を占めることはできない。述語として生きるのみだ。
●2016年10月16日●
敢えて自分を加害者の側に立たせる本願の働き。
真宗は、とことん、悪人の側に自分を見いださせる。なぜなら、善人には救いがないからだ。相模原の事件の容疑者と、自分は通底していると見いださせる。
そして法然、親鸞を弾圧した側の人間として自己を見いださせる。
徹底して、罪の側に見いださせるから、一見すると、息が詰まりそうになる。
息が詰まりそうになるということは、まだ自己と罪とが一体化していないのだ。絶望しそうになるのは、まだ自己と罪が一体になっていない証拠だ。
その罪を汚らわしきものと考え、自分から罪を削ぎ落とそうとする意識こそが、絶望の意識なのだ。絶望の意識は、「善人根性」から起こってくるのだ。善人だけが絶望するのだ。
だから、〈ほんとう〉の悪人には成れていない。
〈ほんとう〉の悪人とは、人間が反省して掴めるものではない。反省の意識では、そこまで深く掴むことはできない。
だから、自分以外の力がなくては、罪と自分とが一体化できない。
その力を擬人化して阿弥陀さんと呼ぶ。阿弥陀さんだけが、自分を罪人とご存じなのだ。
その阿弥陀さんという光源に照らされた存在として、自分があるのだ。
だから、自分は常に、阿弥陀さんから悪人として攻撃を受けなければならない。攻撃を受け続けなければ、自分が「存在」として重みを回復できないのだ。
●2016年10月13日●
阿弥陀如来の48願は人間の願いではない。
そのように『仏説無量寿経』には書かれている。正確には「阿弥陀仏」に成る前の菩薩の段階で、「法蔵菩薩」の本願として書かれている。まあ、この世にはすでに経典制作者が存在していないので、どういう趣旨でそのように書かれたのかを正確には確かめることができない。そこで、後代のものは、文字と文脈を頼りに、解読していくしかなかった。
ただ、あまりに、表面上の文字の意味にとらわれすぎると、経典のマインドが死んでしまう。
何が言いたいのかといえば、経典制作者に、このように書かしめたマインドは何かということだ。経典制作者が何を直感して、このように書かざるを得なかったのかということだ。
それを突き詰めて、分かりやすい言葉で表現したのが、宮沢賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」だ。法蔵菩薩はそのように願っている。この願いは、普通の人間の願いではなく、法蔵菩薩の願いなのだと書かれているし、そう思ってきた。
しかし、よくよく考えてみると、これは普通の人間の根本に隠れている、〈ほんとう〉の願いなのではないか。
普通の人間の願いは、確かに欲望でしかない。どれほど純粋な人間の願いであっても、「欲望」の域を出ない。
だから、欲望としての願いではない。むしろ、人間には対立するような、敵対するような形の願いだ。もし人間の願いだとしたならば、それは人間を押しつぶす願いになってしまう。人間が法蔵菩薩のように願ったとしたら、その願いによって人間自身が押しつぶされ、破壊してしまう。それでもなおその願いを追究していけば、最終形態は、連合赤軍の粛清殺人にまで発展する。政治的には革命という変革に力を注ぐと同時に、身近なところでは粛清が行われる。自分が本願の主体になってしまうと、世界中の不幸を、自分が背負って、自分が解消していかなければならないという幻想を自分に背負わせる。最終的には自滅する。
法蔵菩薩の願いと経典制作者が書かざるを得なかったマインドは、人間の願いではなく、異質なものだと言いたかったからだはないか。それであえて人間ではなく、法蔵菩薩と擬人化して人間に対立たせたのだ。人間の本願ではないと。むしろ人間に願われていることだと。
擬人化させて人間に対立させたのだが、それだからといって人間に無関係ではない。擬人化させる形で人間に関係させたのだ。なぜそんなややこしいことをしたのか。
それは、人間の欲望としての願いではなく、人間存在を根底で支える願いだからではないか。欲望としての願いは、未来にある状態、たとえば「世界全体の幸福」が成り立たなければ満足しない願いである。ところが人間存在を根底で支える願いは、「世界全体の幸福」が成り立たなくても、満足する願いでなければならない。満足すると言い過ぎだ。決して満足しないことにおいてだけ満たされる願いだ。なんだか矛盾した言い方しかできない。
そんな願いがあるのかと人間は疑ってしまう。そんなことは自分とは無関係で、自分はただ自分の欲望を叶えることだけで精一杯だと。まあ欲望としての願いはそれでよいのだ。しかし、人間はいくら欲望としての願いを叶えたとしても、それで根本的には満たされたとは言わせないものを抱えている。それが法蔵菩薩の願いとして擬人化された願いである。
つまり、この世に苦悩がある限り、自分は絶対に幸福とは言えないという自覚である。それは、逆にいえば、自分だけいい気になって喜んでいるという状態を許さない自覚である。もっといえば、この世には絶対なる救いは成り立たないと覚めている状態でもある。しかし、そのことにたじろぐこともなく、そのことで絶望するわけでもなく、淡々と、その救いなき状態を生きていく、それを成り立たせるような願いである。
だから、48願は、人間の欲としての願いではなく、人間を根本的に支えるような願いなのである。まったく矛盾した言い方だが、決して満足しないことにおいてだけ満たされる願いなのだ。
●2016年10月10日●
『もう済んだと思ったが、まだ始まっていなかった』の略称を『もう・まだ』と付けてくれたのは能登の畠山正信さんだ。お蔭様で、1000部が捌け、2刷1000部増刷した。嬉しい悲鳴をあげている。
『なぜ?からはじまる歎異抄』は第3刷が増刷された。
『もう・まだ』には『なぜ?歎』が生まれた背景が書かれているので、いわば「親」である。『なぜ?歎』は子ども。だから、この二冊は親子関係である。
これからは「親子丼セット」で売っていこうと思っている。親は子ども以上に過激なのだ。
自分の内心では、『なぜ?歎』は詩集、そして『もう・まだ』は、漫談だと思っている。でも面白いもので、それらの言葉たちが生まれてきたての段階では、小躍りして感動していたのに、それも薄らいでいくものだ。
この世に生まれたときには、あれほど喜んでいたのに、徐々に当たり前になっていく。これは、人間の子どもの誕生と同じだなと、苦笑いしている。
人間というものは、そういうふうになるように出来上がっている生き物なのだから。
いわば、この世に現れたものとは、「方便」という次元にあるものだ。まだこの世に現れない段階を「法性」という。あの言葉たちは、どこにあったのだろうか。とても自分の脳内や心の内にあったものとは思えない。
 自分は、自分の内部のどこかにあるように錯覚しているのだ。やがて言葉たちは現象の世界へ、つまり「方便」の次元へと具体化させられていく。そして紙の上にインクが乗り、日本語というコードに則った「文字」になっていく。もはや「方便」の次元に現象したものは、自分の手を離れ、文字自身が一人歩きをはじめていく。
 当初の感動はどこへやらだ。でも、感動も覚めてくれなければダメなんだ。感動しっぱなしでは、感動してないのと同じだ。やはり、そこには、「覚める」ということがなければならない。
 覚めなければ、また新たな誕生もなくなるからだ。「深広無涯底」という言葉が思い浮かんだ。「深広にして涯底なし」とは、『大経』の東方偈の言葉だ。「如来の智慧海は、深広にして涯底なし。二乗の測るところにあらず。唯仏のみ独り明らかに了りたまえり。」(如来智慧海、深広無涯底、二乗非所測、唯仏独明了)の記されている。
 仏法の醍醐味は、どこまで掘り尽くしても掘り尽くせない、汲み尽くしてても汲み尽くせないところではないか。
 だから、「方便」の次元に現象したものに対して、飽きるということがなければならない。それで満足させないものがはたらいている。
 より深く、深く、底へ底へと掘り進んでいかなければならない。
●2016年10月5日●
「勝つ」ことだけの人生でいいのか。
「負ける」練習をしてこなかったのが現代人なのかもしれない。「負ける勇気」とか「負けを知ることで勝利する」などのテーマは、本屋の自己啓発系か経営者向け系の本の題名のようで、うさん臭い。
しかし、癌にかかれば「闘病」、受験は「受験戦争」、交通事故も「交通戦争」、バーゲンは「争奪戦」等々。
人生の大半を「勝つ」ことに必死になって生きてきたのだから、晩年に癌を宣告されても、打つ手がないのは当然の結末だ。しかし自業自得だと豪説してもいられない。
いつでも、どこにでも、人生のどんでん返しが口を開いているからだ。
切羽詰まったときには、必ずどんでん返しがやってくる、それだけは信じてよいことだろう。
人生に結論はないのだから、それだけは信じられる。
自分が考えている以上に、自分は自分以外のものと関連し絡み合っている。
しかし、どんでん返しは、やはり、どうしても、人間の手を通さないところからやってくるものなのだ。
癌を宣告され、病院をたらい回しにされた男性患者が、早春の、まだ肌寒い海岸で、遠くを見渡したたずんでいたとき、どんでん返しがやってきたように。
また、ふと病室の片隅においてある、花が、いままでの花とは違ってみえたとか。
スピリチュアルなものとは、概して人間の手を離れたところにある。
もっともスピリチュアルな象徴が「阿弥陀」なるものだ。それは言葉であり、文字であり、影像であり、彫像である。つまりそれはイメージなのだ。
イメージだから、概念で説明してしまえば、そのもののいのちは死んでしまう。決して人間の知に還元することのできないものなのだ。
ただ、「阿弥陀」といえば、もの凄く手垢がついた言葉なので、この言葉を使うことすら躊躇われる。「阿弥陀」といえば、「ああ浄土教ね」「浄土真宗ね」「本尊か」と誤解されてきたからだ。
まあ、そうであってもよい。私にとってはイメージ存在として「阿弥陀」があるのだから。阿弥陀は「〈無・意味〉」として私を解放するイメージなのだから。
「阿弥陀」というだけで、仏教の中の特殊な一宗一派の仏という亜流のように感じてしまう自分がいる。どういうわけか、ひとに説明するためには、「阿弥陀」が人類にとって普遍的なことなのだと説明したくなる。だが、それももう必要ないのだろう。
亜流中の亜流で、どんどん狭く狭くなっていった果てに、針先のピンポイントで出遇うものだからだ。
だから、なぜ「阿弥陀」なのかを、決してひとに説明することはできない。説明し尽くす努力は惜しまないのだが、どこまで説明しても決して説明し尽くせない。
説明し尽くせないものだから、生き生きとしているのだ。もし説明し尽くせてしまうものならば、それは「人間的なもの」に過ぎないことになる。そして「人間的なもの」で人間が救われることはないのだ。
人間を救うものは、人間を超越しているものでなければならない。風や雨や、日の光は、常に人間を超越している。そして、この肉体としての自分自身は、つねに「自分という思い」を超越しているのだから。
●2016年10月2日●
昨日は六組聞法会だった。
先生は大阪の藤田恭樹先生。テーマは「尊きいのち」だった。
1、縁の不思議。私がいまここにいるということ。私の先祖は何十億人だ。それを忘れている。
オリンピックでもボルトがいなければ、400メートルリレーで日本が金メダルだった。これも縁の不思議。
2、いのちの重さ
いのちは量的にはかることができない。重たいいのちも軽いいのちもない。
ジャータカ(シビ王の話)。鷹に王様の肉を削って鳩の重さに釣り合うようにしたが、秤は釣り合わなかった。王様が絶命したとき鳩の重さと秤が釣り合ったという話。
3、いのちはなぜ尊いか。
①たまわったいのち
②関係存在としてのいのち
③生死するいのち
④無上尊としてのいのち
4、いのちを奪うもの
①戦争
②原子力という名の核
5、あたり前のことと有り難きこと
以上は当日レジュメの言葉と聞書。
(資料も4部あったが割愛)
お話では信国淳先生の『いのちは誰のものか』より、武者小路実篤の「人知るもよし、人知らぬもよし。我は咲くなり」を紹介された。
これは花だが、我々は「ひと知るは善し、ひと知らぬは悪し」になっているのではないかといわれた。人間は、ひとから知ってほしい、名声がほしいと思う。またひとから「善きひと」として思われたい、そういう欲望をもっている。
お釈迦さんは「天上天下唯我独尊」とおっしゃったが、それは「俺だけが尊いのだ」という自己顕示欲の表明ではなく、「我独りにして尊し」であるといわれた。
さらに『信国淳専修』第六巻「個人と衆生」を引かれた。
「私どもはよく誰かのために苦しむと言い、また実際そう思っているのだけれども、実はそういうことはありえない。誰かのために苦しむということは私どもにはないのであって、いつでも自分のためにそこ苦しむのである。私どもは子のために苦しみ、親のために苦しみ、夫のため妻のために苦しむと思っているが、それは誰かのためにと思いながら、(略)実はすでにその誰かから自分が離れ、それを厭い憎んでいるからにほかならない。(略)それは自分一人を愛する故に他に対して冷酷になり、他に対して冷酷であるが故に、他によって苦しめられ、他のために悩まねばならぬという錯覚をおこさないわけにはいかぬ。」
この錯覚は自己愛が原因だと述べられていく。
この文章を読むと、人間愛とかヒューマニズムとか人情というもののもっている甘い幻想が木っ端みじんにされていくのがわかる。
もっと正確にいえば、「苦しむ」ということは、人間である限り逃れることのできない限界状況である。その「苦しみ」を分析してみると、人間は他者によって「苦しめられる」と感じる。「苦しみ」の原因は他者にあって自分には責任はまったくないと思っている。ところが信国先生は、それは「錯覚」だといっている。
「苦しみ」とは、自分の思い通りにならないという意識が感じる感覚であって、その「苦しみ」を引き起こしているのは自分自身だからだ。「自分の思い通りにしたい」という欲望を仏教は「貪欲(トンヨク)」と呼んできた。
「苦しみ」は感情だから、正確には他者と自己との間に引き起こされる感情だといってよい。だから、他者と自己という関係がなければ引き起こされない。いってみればその両者の合作なのである。
苦しみの縁(条件)は他者であっても、苦しみの因(原因)は自己愛というべきだろう。
他者と付き合う場合に、縁が深ければ、自分の思い通りにしたいと思い、自分の思い通りになっているときには「愛」を感じ、そうならない場合には怒りや憎しみにもなり、その怒りの感情に自分自身が疲れ、苦しみに変化する場合もある。この怒りと苦しみの循環は、人間である以上逃れることはできない。
ただその「苦しみ」の感情分析がちゃんとできれば、その感情から少しは身を遠ざけることができるということなのだ。まあそれが仏教の御利益といえば、そういえる。
たとえ、分析がちゃんとできたとしても、相変わらず他者が苦しめているという思いは残る。縁も因も他者に押し付けたくなる「善人意識」も兼ね備えているからだ。
以前にも書いたが、安田理深先生は「夫は夫自身を愛するが故に妻を愛し、妻は妻自身を愛するが故に夫を愛す」といっている。つまり人間は自己愛以外には他者に対して「愛情」を感じることはないというのだ。
何だか、立つ瀬もないというか、身も蓋もないというか、完膚無きまでに人間の情愛がエゴイズムという罪であると抉りだし、白日のもとに曝け出してしまった感じだ。
これが〈ほんとう〉がもっている力だ。
〈ほんとう〉は人間に真実はあるのか?とつねに問いかけてくる。
この問いかけに対して、「人間には無い」と応答せざるを得ない。注意すべきことは、これは〈ほんとう〉が問いかけているので、人間が問いかけているのではないということだ。人間の他者批判や自己批判には冷酷さしかない。そこに救いはない。ただ〈ほんとう〉からの絶対批判にだけ温もりが宿る。
そうそう、例の相模原の事件にもお話で触れられたが、やはり現代社会の根底にくすぶっている問題が現象化したのだと私は思った。
最大の問題は「自己」なのだ。自分自身が一番危ないのだ。自分自身の根底に眠っている凶悪性をこそ引きずり出して、それを殺していくべきだろう。(「殺す」というのも譬喩だが)
座談会のとき、車椅子で通ってくる女性が恐ろしい目に遭ったと話された。バスに乗ろうとしているとき、車椅子の場合、バスの中央の扉から運転手の介助で乗るそうだ。その間、乗客は出発を待たされる。そのとき男性の老人が「あんたのようなものがいるから困る。あんたたちは家に引っ込んでいればいいんだ!」と怒鳴ったそうだ。と、その声を受けて、40代の男性が、その老人に対して、食ってかかったそうだ。まあやがてその場は収まったらしい。近くのひとが、「あんな言葉を気にしちゃダメよ、へこたれてはダメですよ」と励ましてくれたし、運転手も「また利用して下さいね」と女性に対して優しく語った。
彼女は、相模原の事件があってから、外出するのが怖くなったと言っていた。
この話を聞いて、ますます現代人の心が劣化していることを知らされた。例の「キレル高齢者」問題だ。
結論の結論を述べれば、自分自身の心を映す鏡がないということだ。決して、自分自身の心は、自分自身の心を映す鏡にはならない。まあ、〈ほんとう〉という鏡が必要なのだ。
人間の鏡は「評価」の鏡だ。大雑把にいえば、「劣等感(絶望)と優越感(楽観)」の秤だ。
「有用か無用か」の秤だ。
そんな秤をもって自分自身の心をはかってはならない。〈ほんとう〉という鏡がなければならない。
果たして〈ほんとう〉の鏡を手に入れることができるかが、これがまさに現代の窮極の課題ではないか。
危ないのは、自分自身なのだ。他者ではない。
●2016年9月30日●
浄土真宗の修行って何ですか?と問われたので、私は「生活」ですと答えた。
しかし、それだけでは足りなかったなと反省している。質問した相手は「そうなんだ」という顔をしたが、〈ほんとう〉は、「あなたの考えている『生活』ではありませんよ」と付け加えなければならなかった。
「生活」という言葉を聞けば、「なんだ生活か」と、わかったこととして受け取られてしまう。さらに「それだったら信仰も要らないし、信じているひとも信じていないひとも同じじゃないか」と思われてしまう。
だから、対話も気をつけなければならない。対話はつねに言葉を媒介にするのだが、言葉があるから、分かり合えるということはない。言葉があるから逆に、迷いが深まるということもあるのだ。人間は誤解の生き物だから、自分の経験した範囲内でしか言葉の意味を想像することはできない。それで、言葉を理解して、わかったことにして済ましてしまう。
つねに人間は、「意味場」を生きている。ただ、意味場はいつも揺らいでいるので、いま、そのひとがどういう意味場を生きているかを考えに入れておかなければならない。意味場も、自分で意図的に作ることができないものだ、まるで気分のように浮遊している。

私が「生活」と答えたのは、根源的受動性の上に成り立って、生きることを引き受けたという意味だったのだ。簡単にいえば、「させられて・している」という意味なのだ。そこに死と再生が激突しているのだ。自分というのは、その「場」のことだ。
 そういう意味場で「生活」を使っていたのに、その質問者には届かなかったかもしれない。
 信仰は、「一人一世界」の意味場で起こっていることなので、決して他者と合致することはない。
 昨日のクローズアップ現代で、ベテルの家の向谷地生良と池上彰がコメンテーターとして登場していた。話題は、例の障害者施設での殺人事件のことだった。なぜあのような事件が起こったのか。それは現代社会が多様性を認められない社会になっているとか、弱さを表現できにくくなっているとか、社会に役に立つか立たないかで人間の価値が決められているとか、様々に話されていた。
 結論としては、生きていることそのことが素晴しいという価値観をどう生み出すかなのだ。しかし、そこから先は、やはり「信仰」という領域に降りてこなければならないだろう。政治・経済・文化などの根底には、「宗教」がなければならない。政治・経済・文化と並列的に「宗教」があるのではない。それらを根拠付けるためにこそあるのだから。
 人間というものは、そもそも、そういう階層的な構造をもっているからだ。how to(どのようにしたらよいか)という問題だけで人間の問題は片づかないようにできているではないか。だから、「なぜ?」という実存的な問いが必然的に起こってくるのだ。そしてこの問いに答えを出さなければ、決して「生きているだけで素晴しい」という価値観は生まれてこない。無条件の生の肯定は、人間の精神が根底的に無条件の意味場に変更されていなければ成り立たないからだ。
 ただ、NHKでは、そこから先の問題には触れなかった。まあ薄々は予期しているのだろうが池上彰もそこからさきに踏み込めていない。「宗教」という言葉を使うことすらタブーになっているからだろう。
「宗教」はとにかく妄信であって、信じた人間にだけ成り立つことで、普遍的なものではないという思い込みがあるからだ。そういう危険性をもっているものが宗教だが、危険性があるものだから、ひとを根底で生かす力にもなるのだ。そもそも、人間そのものがグロテスクなものを内面に秘めた危険な存在なのだ。
 だから、一度、人間の危険性を抉りだし、そいつを解毒しなければならないのだ。そのためには信仰が不可欠なのだ。
 その「普遍性なもの」というのは、幻想なのだ。誰が飲んでも、そこそこの効き目しかない薬は、重病には役に立たないのだ。重病に効くのは、やはり劇薬なのだ。
●2016年9月29日●
蓮如が「細々に信心のみぞをさらえて、弥陀の法水をながせといえる事ありげに候う。」(御文・第二帖第一通)と述べている。
改めて、お朝事で耳にすると、そうだなあと教えられる。この「弥陀の法水」という表現は、唯一、ここにしか出てこないようだ。
まるで水洗便所の譬喩である。でも、だからこそ、身に覚えがあって、よくうなずける。日常生活では、泥のように煩悩滓が溜まってくる。自分では気付かないうちに溜まっているのだ。自分で意識できているうちはまだよいのだろう。無意識のうちに、溜まっていて、それがわだかまりになっていく。
おそらく自分にもたくさん溜まっていたのだろう。「弥陀の法水をながせ」という言葉を聞いて、初めて溜まっていたことがわかった。
水洗便所だなあ。
法水を流せという声を聞いたときにだけ、自分の汚物の溜まっていることに気付くのだ。
だから、普段は溜まっていても、それに気付くことはない。まあ、溜まっていることを知らないのは自分だけで、周りにいる人にはわかっているのだ。汚物の悪臭が漂ってくるから。だいたい自分の体臭に自分は無自覚でいられるから。
法水を流せという言葉で、何事かのスイッチが入るのだろう。まあ、流せと聞いても、流し切ることはできないのだが。またすぐに溜まるから。
でも、流されたときには、「零度」に帰ることができる。禅宗でいえば「父母未生以前の自己」だろう。「零度の存在」に帰れればよいのだ。
もう済んだと思ったが、まだ始まっていなかったのだと、「零度」に帰れれば。
布団の中で、他力によって眼が覚めて、あっ「零度」だったのだと教えられる。目が覚めることが、宗教行為だったのかと驚かされる。
●2016年9月27日●
相模原の犯人があんな犯罪を犯したけれど、あそこで展開した凶行が、人間の本質をまざまざと曝け出させた。
「どうしてあんな悲惨な事件を起こしたのか?信じられない!」というふうな受け止めは、元来、人間はあんな凶行を行う素地はないはずだという性善説に立っている。本当はあんな犯行は行えないはずだ、どこかで何かが間違って、ああいう偏向した考えになり、犯行に及んだんだと考えてしまう。
しかし、そうだろうか。あれが人間の本質なのではないか。「罪悪深重煩悩熾盛の凡夫」(歎異抄第一条)とは、そういう意味ではないか。人間の本質を、暴き出し、白日のもとに曝け出したのが、あの事件じゃないか。
 あまりにも無惨な凶行だから、あの事件から眼を背けたくなるのだ。
しかし、あの犯行を見たとき、「あれこそが人間の本質なんだ」と見なければならないだろう。何かが間違って、あんな犯行をしたのではないのだ、人間はもともとああいう犯行を行う素地をもっている存在なのだ。
 あの犯人と自分とは地続きなのだ。一体なのだ。だから、まず自分自身を恐れなければならない。もっとも危ないのは「自分自身」なのだ。
性善説に立っているひとは、「自分」はあんな犯行は行わないだろうとタカをくくっているのだ。「自分」ほど優しくいいひとはいないのだから、あんな犯行を行う人間は鬼か蛇かと思っているのだ。まして、「自分」とは無関係だと思っている。果たしてそうだろうか。
イエスは、姦淫の思いをもったひとは、実際に姦淫をしたことと同じなのだというふうに言っている。やはり犯罪の根っこを「自分」と地続きだと考えている。こういう受け止めを〈ほんとう〉の宗教というのだろう。
〈ほんとう〉の宗教とは、〇〇教でも〇〇派でもない。そこにも内包されているが、それがそのまま〈ほんとう〉ではない。いわば〈ほんとう〉の宗教は超党派だ。
あの凶行から眼を逸らすことなくしっかり凝視できる力が、むしろ信仰の底力ではないか。
 凶悪は、人間の偏った異常形態ではく、むしろ人間の基本形態なのだ。だから、犯罪を見たとき、最初は驚愕するのだが、次には、人間の本質として目を背けずに、ちゃんと凝視し続けなければならない。人間の本質を教え続ける、〈ほんとう〉の教材として。
●2016年9月26日●
昨日のBサロンには、初めて埼玉県から参加された青年がおられた。
ここに来られた因縁をお聞きしたら、小生の本がきっかけだったという。書店で、『逆説の親鸞』を手にとられたのがきっかけだったそうだ。お話を聞くうちに彼は「『新しい親鸞』だったら手には取らなかったと思います」と語られた。
以前から来たい来たいと思っていたが、なかなか都合がつかず、昨日ようやく念願が叶っておいで下さった。〈ほんとう〉に頭が下がった。
そして『逆説の親鸞』という書名についてお話しした。実は、あのタイトルは小生が付けたタイトルではない。雲母書房で小生の編集を担当して下さった上田恵子さんが付けてくれたタイトルなのだ。
本ができあがって、タイトルをどうるすかという段になり、上田さんと相談した。小生は「流罪の親鸞」を提案したが、そのタイトルでは、歴史書のジャンルに誤解されて分類されるから、ダメだといわれた。それでは「実存の親鸞」はどうですかと話すと、それでは哲学書でしょうと却下され。数日後、彼女から提案されたのが「逆説の親鸞」だった。このタイトルを見たとき、私の言いたかったことを一言でズパッと射抜いてくれた快感があった。自分では、あれこれと言いたいことがあるのだが、それを一言で射抜くというのは、至難の業だ。やはり、自分では自分のことは見えないものだとつくづく教えられる。 そういえば、『なぜ?からはじまる歎異抄』も大須賀護さんという編集者の提案だし、『歎異抄の深淵』は芹沢真幸さんだった。
すべて編集者に助けられ励まされ、ようやく本を作ることができた。一切合切が、やはり他力の所産なのだ。
もと辿れば、五十音も借り物だし、漢字文化や様々な知識なども借り物に過ぎない。どこにも、自分というものはない。
辛うじて自分というものがあるとすれば、それは編集眼だろう。親鸞が『教行信証』を編集した眼だ。
この眼がけが個性なのだろう。それは間違いなく個性なのだが、その個性が単なる個性に終わってしまえば、これまたそれだけのことだ。その個性が、人類の普遍性に根を降ろしていなければならない。
個人が、極めて個人的なことを書いていて、それが永遠の普遍性に根を降ろしていること、それを目指している。
奇しくも『逆説』という言葉が、彼を射止めたように。
●2016年9月21日●
お釈迦さんが、悟りを開いてから三週間は無言のままだったといわれる。悟りを、人間界の言葉に変換してしまうと、必ず誤解を生じることを危ぶまれたからだ。さらに、言葉にするということは、言葉が理解できる人間やら民族を限定してしまうことになる。
お釈迦さんは、日頃、釈迦族がつかっていた地方の俗語をしゃべっていたようだ。だから、いわば方言で悟りの内容を語ったのだろう。方言とは、極めて限られた空間の人々にしか通じない。
「限られる」ということで思い出すことがある。
特急電車の「特急」を英訳すると「limited express」となる。最初、この英語を見たとき、妙な違和感を感じた。limitは「限度・限界」という意味で、日本語にするとどうしてもマイナスのイメージがつきまとっていたからだ。限度や限界をもった「急行電車」では、何だかスピードに限界があるような、それでいて特急電車というのは、どうも違和感を感じてしまった。
それが解けたのは「別」に二つの意味場があることに気付いてからだ。limitを日本語の「別」と訳すと、この語が二つの意味場に浮いている。ひとつには「差別・区別」という、いわば否定的な意味場であり、もうひとつは「特別・格別」という肯定的な意味場だ。特急電車の場合は、その肯定的な意味場だったのだ。それを否定的な意味場で受け取っていたから違和感を感じたのだ。

お釈迦さんの言葉が方言であれば、やはり狭い地域における意味場でしか通じなかったことだろう。それが特別な言葉であるがゆえに、却って他の地域の人々には区別された限界性をもってしまう。
これは言葉そのものが持っている限界性である。
南無阿弥陀仏に親しんだ人間にとって南無妙法蓮華経は親しみをもてない。そればかりか違和感すら感じてしまう。それは逆の立場でも成り立つだろう。三遊亭円歌が日蓮宗で出家してお勤めをしていると、舅たちが、ナンマンダブナンマンダブとやるから、たまらんと話していた。
法が言葉として語られたために、却って、結果的にはその言葉に親しみのない人間を排除してしまうことになる。
だから、〈ほんとう〉は言葉に限定しないほうがよいのだ。お釈迦さんは無言のままで死んでいったほうがよかったのかもしれない。
そう思うと、お経や教えの言葉の一文字一文字の裏側には、仏さんの涙が張り付いているように感じる。
ある人に通じる言葉は、あるひとを排除する言葉でもあるからだ。
こうなるとナンマンダブツといって有り難がってばかりはいられないだろう。ナンマンダブツを耳にして、違和感や嫌悪感をもつ人々が生まれてしまうのだから。
本願が、あらゆる存在の救いを誓っているのであれば、そういうことが言えるのではないか。
よくよく、私たちは意味場に意識を払わなければならないだろう。長川一雄先生は「バカ!とバカーンは違う」と言われていたそうだ。文字にすれば「バカ」だが、それが侮辱の意味場にあるのか、それとも甘えの意味場にあるのかで意味が違ってくる。
あの蓮如さんの『御文』(御文章)にも「女人」という言葉が使われているが、あの女人という文字をどの意味場で受け取るかだ。
近頃は、女性差別の意味場であれを受け取る傾向が強い。男性の蓮如が女性を蔑視して女人は罪深いものだと受け取る意味場だ。まあそういう意味場で受け取ることは可能なので、それを否定するつもりもない。
ただ別の意味場もある。「女人」という言葉を「機の深信」で受け止める意味場である。
汝、女人よと蓮如が語るとき、それを聞いた女性たちは自分自身の罪悪深重性で受け止めていたのではないか。そういう意味場で受け止めていたから、苦渋に満ちた日常生活をしっかり受け止めて黙々と生きる力になっていたのではないか。女性蔑視という意味場で受け止めていたのであれば、そこにはルサンチマンがくすぶってしまう。つまり怨みが残る。
怨みは「否定の感情」であって、決して「肯定の感情」にはならない。
問題は、「意味場」なのだ。
言葉は一つだが、意味場は受け取る人間の数ほどにあると言ってもよい。やはり窮極の問題は、「言葉」ではなく、それが浮いている「意味場」なのだ。
●2016年9月19日●
「如来のよびごえ」とか、「聞こえる」という比喩は、意味場が与えられたということだ。「天の声が聞こえた」とか、「神様の声に命じられた」とかいうものとは違う。そんな声が聞こえたとたら、それは幻聴か妄想に違いない。
そういうことを言いたいわけではない。
私が「汝、悪人よ」という呼び声を阿弥陀さんから聞くというとき、それは、「意味場」が開かれたことを言っているのだ。
阿弥陀さんと出遇う前には、自分という存在は無色透明な透明人間だったのだ。それこそ娑婆の三原則で、「快-不快・損-得・善-悪」という原則に操られて、フラフラと根無し草のように付和雷同して生きていたのだ。譬えては悪いが、海に漂うクラゲさながらの存在だった。
 その存在に意味が与えられ存在の足場が出来た。その存在の足場というのが「意味場」だ。その「意味場」を「汝、悪人よ」という弥陀の呼び声によって与えられたと比喩的に述べているのだ。
 それは自分が自分の存在を「これでよし」と把持したのではなく、向こうから言い当てられるという安定の仕方だ。自分で自分を安定させようとしても、所詮、その自分そのものが付和雷同しているのだから、それでは不安定そのものでしかない。
 だから、「向こうから」というのだ。向こうは人間に捕まえることができない。向こうからは掴まれるだけで、それを人間が捕まえられない。だから、自分で自分のことをハッキリと了解したという意味ではない。あくまで自分は「客体」として把持されたと受動的にしか語れない。
 「汝、悪人よ」とは、自分で自分自身を意味づけできない存在に、存在を与えて下さったということだ。「悪人」というのは、人間が使うことのできる言葉ではない。これは阿弥陀という「向こう」から把持された名称であって、自分ではよくそのことがわからない。なぜ「善人」ではなく「悪人」として把持されるのか。
 それは、存在の重みが罪の重さと関係しているからだ。罪が軽ければ善人、重ければ悪人だ。存在の重みは、「悪」とか「災」とか「罪」という意味場にある。
 その「罪」ということも、人間の言葉のようだが、実は「阿弥陀さん」からの視線で成り立っている言葉なので、〈ほんとう〉のところは人間が理解できないのだ。
 自分で自分の存在の意味がわからなくなることが、「悪人」という意味なのだ。〈ほんとう〉のことは阿弥陀さんしか知らないのだ。だから、自分で自分を理解する手を放棄して、おまかせしているに過ぎない。
 根本は、「させられて」「している」に過ぎない。
●2016年9月18日●
講演録『もう済んだと思ったが、まだ始まっていなかった』をお読みの方々へ。
36ページ5行目の「恵信尼」は「覚信尼」の誤りです。謹んで訂正させていただきます。親鸞の墓守をしたのは、お連れ合いの恵信尼ではなく、末娘の覚信尼です。ご指摘いただいて、アレッという感じです。なんで、このような間違いに気付かなかったのか、後悔しております。すでにお読みいただいた方々もお気づきのこととは存じますが、改めて訂正させていただきます。
在庫の本には、訂正用紙を挿入させていただきました。悪しからず、お許しください。
●2016年9月17日●
信仰を処世術にしてはならない。
しかし、処世術にならないような信仰を人間は欲するだろうか。つまり、信ずることによって、人間の側に何らかの好ましい変化が生まれなければ、そんなものを欲するだろうか。親鸞も、無言の要請によって、現世利益和讃を作っている。この和讃を真言系統のひとが、「親鸞は真言宗を理解した真の真言宗徒だ」というのもわかるような気がする。
親鸞としては、人間の欲望や願望のあらゆるものをぶち込んで、最終的に、なんとか我々が南無阿弥陀仏に縁を結んでほしいと願っている。その必死感が伝わってくる。
 そうであっても、親鸞の根底的な座り所は、「信仰は処世術ではない」というところではないか。
 つまり、処世術とはこの世を生きるために役立つものだから、それでは信仰がこの世的なものにならざるを得ない。この世的なものを超越させるのが信仰だったはずだ。
 この世的なものを超越すること、それが第一義であって、そのことで、生まれてくる「好ましいこと」はグリコのおまけみたいなものだ。おまけは、あとから付いてくるもので、おまけを目当てにしてはならない。
 まず、この世的な価値観が、こころの座り場所として崩壊していることが信仰の大前提だ。
 近頃は、阿弥陀さんが本願で願っているのだから、私たちもその本願に従わなければならないというふうなニュアンスで誤解されているひともいる。本願には無三悪趣の願があって、この世に地獄・餓鬼・畜生がある限り、私は仏には成らないと阿弥陀さんは語る。だから、本願がそのように願っているのだから、人間もそのような願いに沿って生きなければならないと理解してしまう。
 それは誤解である。もし本願の願いを人間が背負おうとしたら、人間の肩が砕け、身体は押しつぶされてしまう。
 本願は私たちの願いではない。私たちは常に本願に背いている存在だからだ。むしろ地獄・餓鬼・畜生製造器が私なのだ。
 しかし、常に、私に向かって、本願に背いているものだと教える形で本願は悲愛を伝える。背いているということは、よいことでも悪いことでもない。この「背いている」ということにも固定観念があって、「背いていてはいけないのだ」と受け取ってしまう。そういう意味ではない。「背いている」ということも、本願の教えだから、自分の理解に変えてはならない。
 「背いている」ということは、本願と自分とがつながる唯一のパイプなのだ。
「背いている」ということも、本願の教えだから、人間が理解できる事柄ではない。自分とは全人類の罪悪が詰まっている「パンドラの壺」である。この「パンドラの壺」から、すべてが溢れだして世界を形成している。
 だから、〈ほんとう〉の意味で、自分のダメさや愚かさを人間は知らない。新聞を見れば、諸問題が噴出していることがわかる。これらが「パンドラの壺」から展開する諸現象だ。その罪悪と対面していくことしかできない。
 歎く必要も、楽観する必要もない。これこそが「処世術を超える信仰」の座り場所だ。この世的な価値観が、日々崩されていくこと。この世的なものが死んで、再生されていくこと。それが信仰のダイナミズムである。
 ただ再生には、「物語」が必要なのだ。
●2016年9月13日●
「弥陀成仏のこのかたは、いまに十劫をへたまえり」とは、永遠の過去こそが、永遠の未来であることを暗示している。
阿弥陀仏は、あらゆる存在を救い尽くせなければ自分は仏には成らないと語る。つまり、「弥陀成仏のこのかたは」とは、あらゆる存在が救われて、法蔵菩薩が阿弥陀仏になってからという意味になる。阿弥陀さんが仏になってから「十劫」という永遠の時間が過ぎてきて、〈いま〉があるのだという。
ところが、阿弥陀さんが既に仏になってしまっているのであれば、いまだに救われない現在の人間はどうなるのか。未だに救われていない人間がいるということは、法蔵菩薩が仏には成れていないということではないか。
阿弥陀さんがあらゆる苦悩する存在を救って仏になるのは、永遠の未来のことでなければならない。未来にも苦悩する存在があるからだ。過去に仏さんに成っていてもらっていては困るのだ。
そもそも、本願は最初から矛盾した論理で成り立っているのだから、そういう疑問は必ず出てくる。私は「矛盾こそ真実」と語っているので、矛盾の底を追究していかなければならない。矛盾の底をどこまでも掘り進んでいくと、矛盾が「逆説」に変化していく。そこまで突き詰めていかねばならない。

それで、私が直感したのは、弥陀成仏という永遠の過去の問題こそが、永遠の未来の問題として解決していたということだ。
未来に置いて解決される問題が、実は既に過去において解決されていたということだ。
阿弥陀さんが全存在を救いたいという「御約束」が、成り立つのは、〈いま〉以外にない。
未来以外にない。
限りなき未来において、永遠の過去の問題に触れる。
未来の問題は「これから、これから」だが、それが「すでにして、すでにして」と過去に答えられていく。
なんと時間とはダイナミックなものではないか。
●2016年9月11日●
罪にも個人的次元、民族的次元、人類的次元、生物的次元と深さの違いがあるのではないか。
戦争という課題であっても、個人的、民族的、だけでは済まない、人類的、生物的次元までをも含めて罪を問題化して見なければならない。
加藤典洋が言うように、広島原爆投下の罪をアメリカに申し立て謝罪要求をしなければならない。それと同時に、日本が占領した国々に対して謝罪をしなければならない。
それで、「日本」は日本人としてのスタートラインに立てる。その上で、これがもっとも難しいことだが、アジア史全体を各国が検討して、共通理解として作り上げていかねばならない。
その上でだ、人類的、そして生物的次元の罪へと眼を向けなければならない。

佐藤優は、「恐慌か、さもなくば戦争か。資本主義システムが続くためには、この二つのどちらかが起きることは必然なのです」(『資本主義の極意』)と述べている。
やはり「過去は未来の鏡である」というテーゼこそ真実だ。

常に自己の内面世界に、全人類の罪を発見していかなければならない。この内面世界への着目こそが、全人類の平和を導く基礎となる。
ちらっと他人をうらやみ、妬み、怒るこころの糸をずっとたどり続けて、降りていくと、その底には全人類の罪へとつながっている。
そこまでを親鸞は「唯除」と、救いから除いている。つまり免罪符から除いている。
親鸞は、一人だけ救われてはダメなのだ。全人類の一番最後に救われていかなければダメなのだ。
●2016年9月10日●
私は「オシッコをするのも宗教行為」と言っているが、そんなのは「考え方」だけで、事実は生理現象ではないかといわれる。実は、この生理現象を、どう意識が了解するか、その了解の仕方が重大なのだ。
オシッコはただの生理現象だと思っているひとは、ニヒリズムの「意識」に支配されているひとだ。つまり、生命体としての人間が水分を補給し、体内の老廃物を体外へ排出する生理現象がオシッコだとのみ考えている。あるいはそれに価値付けして、「汚く汚らわしい液体排出行為」と考えているかもしれない。
 そこには、感動もくそもない。だからオシッコを生理現象だとのみ受け取っているひとはニヒリズムなのだ。
 「オシッコをするのも宗教行為」という意識は、オシッコをする生理体としての自分と、それを受け止める信仰主体とを、まず分離している。オシッコは自分の意志で出したいと思っても出ない。オシッコを出したいという思いは、生理体そのものの促しからやってくる。その意味で、オシッコは自分の意志を超越している。
 だから、オシッコが実際に放出されるとき、信仰主体を超越した現象が起こっていることに感動する。
 そうか、オシッコは自分が行う宗教行為ではない。生理体そのものが信仰主体を超越して展開する宗教行為だったのだ。
 単なるオシッコを、宗教行為と受け止められるものを信仰主体というのだ。

オシッコがそうだったとすると、そこから浜辺にある砂上の楼閣のように、あらゆる現象が雪崩を打って崩れ出していく。
 生理現象は、崩れやすい。もっとも崩れにくいのが「意志」だ。意志くらいは、人間がコントロールできるのではないかと、最後に立てこもる砦だ。しかしその意志すら受動性が支配していることを知ったとき、もやは楼閣は跡形もなく波に崩されていく。
 そして最後には何も残らない。
たったひとつ残るものは波の音だけだ。
●2016年9月8日●
我々の主催している「無人(ムニン)の会」の公開講座を下記の要領で開催します。参加ご希望の方は、ぜひお申し込み下さい。(無人の会では毎年、11月に公開講座を開催しております)
「無人(ムニン)の会」公開講座のご案内

謹啓、秋麗の候、皆様におかれましては日々ご清祥のこととお慶び申し上げます。
敗戦後、アメリカ隷従できた日本人のこころは、もはや「日本人」ではなく、アメリカと日本のサイボーグだ。安倍政権は、そのアメリカに対して面従背腹しつつ「美しき国」を画策している。その方向性は国家神道を捏造した精神への回帰でしかない。
 そこには民族を超えた普遍的な真実は見いだせない。一方、西欧は国家がそれぞれに独立しても、一神教という強固な地盤をアイデンティティの根拠にしている。
 このような状況の中で、いまこそ真宗の真のアイデンティティを思想に耐えうる形で表現していくべきではないか。骨の髄まで資本主義に洗脳されてしまった脳を、どのように対自化し、蘇生させていくか。その方途を皆さんと一緒に考えてみたい。
 今年も講演と共に武田定光さんと西田先生との対談の中で、再びスリリングな講座になると予感いたします。たくさんの皆様がご参会くださいますようご案内申し上げます。

テーマ 戦後70年と真宗のアイデンティティを問う

日時 2016年11月4日(金)午後2時~5時(一時半より受け付け)

会場 求道会館(キュウドウカイカン)
   東京都文京区本郷6-20-5電話03-5842-4803

講師 西田 真因 先生(真宗大谷派 元教学研究所所長)

会費3000円(学生及び年金受給者は千円)
懇親会 五時半より希望者のみ(三千円[僧職は五千円])
懇親会会場 求道会館近隣の「ルベソンベール」にて

「無人の会」発起人 花園 彰・建部 真文・近角 真一・菅原 建・大内 真・武田定光)

無人の会事務局
 〒111-0035台東区西浅草1-9-3(円照寺内 花園彰住職)
   電話03-3844-1990

※参加お申し込みは、武田にメールかファックスを下さるか。あるいは事務局へ直接電話で参加の趣旨をお伝え下さい。

※10月20日が参加応募の締め切り日です。

因速寺メアドinsokuji@at.wakwak.com
因速寺fax 03-3648-4391
因速寺℡03-3644-0986
●2016年9月5日●
〇講演録『もう済んだと思ったが、まだ始まっていなかった』を出版した。
これは、三重県の志、篤きひとたちによって開催された学習会での話を中心に加筆したものだ。120頁の小さいもので、読みやすい。
ご希望の方があったら、実費冥加金500円程でお分けしている。

〇また、この度、『なぜ?からはじまる歎異抄』の第3刷が発刊された。
初版3000部、2刷り3000部、3刷り5000部、合計、11000刷が世に出ることになる。
これは、無上の喜びであり、快挙ではないか。
世間でいうミリオンセラーとはいかないが、宗教書としては快挙ではないか。恐らく勤行本を除けば、東本願寺出版でも、無類の成績なのではないか。
これは「濾過純粋論」のお蔭だと思っている。
2500年前のお釈迦さんの源流が、長い歴史の地層を染み渡り、アジアの東の島国に伏流水として湧出し、親鸞へ届いた。また親鸞から、800年という歴史の地層を沁みて、現代に湧出した。地層によって濾過されて、ようやく飲める水になったのだ。
あまりに純度の高い水は、人間の飲み水には適さない。むしろ砂利やら砂のミネラルが混じることで、ようやく人間が飲める水になる。
それが『なぜ?からはじまる歎異抄』だ。
これは散文の文章ではなく、私は詩集だと思っている。
だから、短い文章の言葉に立ち止まり、「なぜ、そういうことがいえるの?」と疑問が湧く。
その疑問という湧水が泉となり、飲み水となる。
「なぜ?」がなければ、泉は湧かない。
この「なぜ?」だけが、真実の井戸を掘り進む唯一のツルハシなのだ。
●2016年8月28日●
京都の専修学院に在学中、「真実に生きよう」がテーマだったことを思い出す。
何だか、小学校か中学校のスローガンのようで気恥ずかしかった。人間はとても真実になど沿うような生き方はできないのではないかと思っていたからだ。何だか、ずいぶん甘いというか、楽観的なテーマで、くすぐったかった。初めからできない目的を掲げて努力するような、偽善すらも感じていた。
このスローガンをどのように受け止めるかということも、いまになって思えば、「一人一世界」のことだったのだ。私が感じたように、すべてのひとが感じていたわけではないだろう。ただ自分の感じた感じ方が「客観的」なものであって、それが「正しい感じ方」だと思い込んでいただけだ。
そういうふうに感じたのは、人間が人間に向かって叫ぶスローガンだと受け取ったということだ。人間が人間に向かって叫ぶスローガンなら、まさに偽善でしかない。スローガンの発端には、人間が真実に生きられないからこそ、真実に生きようという叫びがある。
それは、絵に描いた餅でしかない。
ところが、これが阿弥陀さんからの呼びかけだとしたら、違った文脈が生まれる。
阿弥陀さんは人間がもともと真実に生きられないものだと見抜いているからだ。真実に生きられないものに向かって、なぜ「真実に生きよう」と呼びかけるのか。できない努力を重ねろということではないだろう。
徹底して、真実に背を向けてしか生きられないものに向かってだけ、「真実に生きよう」と呼びかけているのではないか。
そこからもうひとつ奥に問題のあることがわかった。
それは、「真実」というものを自分が知っているのかという問題である。いままで真実を知っているという前提で、真実に背を向けて生きていると感じていたのだ。そのあなたが前提としている「真実」とは、何なのかという問題である。
こう問われると、いままでわかっていた「真実」が曖昧になってくる。ただ「真実に生きよう」と呼びかけられると、自分は真実に背いているなあ、真実になどなれるはずがないなあという挫折感が湧いてくるだけだ。
ということは、私は「真実」の一部分をどこかに感じていたということではないか。言葉でそれを表現することはできないのだが、どこかで直感していたということだ。その直感があるから、「真実に背いているなあ」という感覚が湧いてきたのだろう。
これが阿弥陀さんの呼びかけの本質なのではないか。
それで親鸞は「善悪のふたつ、総じてもて存知せざるなり。そのゆへは、如来の御こゝろによしとおぼしめすほどに、しりとをしたらばこそ、よきをしりたるにてもあらめ、如来のあしとおぼしめすほどに、しりとほしたらばこそ、あしさをしりたるにてもあらめど、」
(『歎異抄』後序)と語ったのではないか。
ここでは「善悪」といわれているが、それは「真実と虚偽」と言い換えるとわかりやすい。
阿弥陀如来がご存じのように真実も虚偽も知らないのに、あたかもそれをわかったような顔で生きていることの、なんと傲慢なことかと思い知らされる。
そうだとすると、「真実に背いているなあ」と直感したことも、傲慢のあらわれだ。真実など感じることもできないはずなのに、それを感じた思うことは、どこかで真実を直感しているという自惚れが潜んでいる。
そうやって徹底的に、「真実」とも「虚偽」とも絶縁していることを教えられて、「ゼロ度」に立たされる。
相対的な価値判断のとどかない深淵に突き落とされる。
それで、親鸞は、自分を名のるときに「釈」の一字を外したのではないか。「悲しきかなや愚禿鸞」と。
 「釈」は釈迦の弟子という意味だが、つまり仏教徒として自己規定していた範疇から逸脱したのだ。
 ということは、仏教をも超えたと言ってよいのかもしれない。

●2016年8月26日●
共同幻想の国(クニ)にアイデンティティを置くことは、どこか危ない。
安倍さんたちの発想は「戦前の日本」の美しさや尊さにアイデンティティを置いているようだ。政治的手法でいろいろと画策しているが、その夾雑物を取り除いて、一番ホットな部分を取り出してみると、そういうような気がする。
この問題を、日本だけに限定しないで、いろんな国に応用してみると、まずアメリカはどうか。移民の国であり、多民族国家であるアメリカは、やはり「一神(God・ヤハウェ・アッラー)」なる概念が国民のアイデンティティを形成しているように見える。
アメリカには、やたらと国旗がはためいているらしい。それは、統合の象徴をいつも目に見えるところに置いて確認していないと不安になるからだといわれる。日本では国旗掲揚は、現在では稀なことになっている。
だからアメリカ人の感じる「国」の中身と日本人の感じる中身は違っているに違いない。アメリカばかりでなく、一神教文化圏は、そういうことではないか。国の中身を支えているのは、共通の「一神」ではないか。だから政治的な手法で線引きをした国境は、二次的なもので、それを超えたところにアイデンティティを見いだしているのではないか。
日本はどうか。
日本が危ないのは、いつも「日本古来の」という考え方だ。日本神話を持ち出し、それをあれこれ捏造して「尊いもの」を作り出してしまう。人類学的にいえば、日本人はモンドロイドだから、アジアの民と基層ではつながっているはずだ。
ところが、現在の日本人は、アジアの民と断絶する手法で、自分たちのアイデンティティを立てようとしている。
だからどうしても「民族」という程度の分類で、アイデンティティを立てても、それはもろいのではないか。むしろ民族を超えた普遍的なものでなければ駄目なのではないか。 なぜ日本人は凄いのかといえば、民族を超えた普遍的な真実をもっているからだという手法でなければ駄目なのではないか。
神道は日本民族限定だが、仏教と名のれば、いちおう民族を超えていける。インド、シルクロード、中国、朝鮮を経由しているから。しかしそれでもまだ狭い。もっと広くなければ。
まあ、これは所詮無理な話だが、「真実」というのはどうだろうか。
〇〇教とか〇〇宗とか、名のったとたんに狭くなる。だからそういう名前を外して、ただ「真実」とする。
政治経済の原理は、「①快-不快・②善-悪・③損-得」だが、それでは国家や民族を超えられない。その根底に「真偽」という原則がなければならない。この「真偽」原則を生きる根底に据える。
それは「〈ほんとう〉か」と問われる人民だ。それが「善」であっても、国益という「得」であっても、まだその根底から、それは「〈ほんとう〉」だろうか」と、真実から問われる手法だ。
「真実」を生活の最も根底に据えている民族だから日本は素晴しいのだと、こういうアイデンティティを立てるべきだろう。
 これがあれば、日本古来の云々というアイデンティティを超えていけるのではないか。
「真実」を誰かが知っているということでもないし、誰かが占有できるものでもない。「真実」とは、つねに人間が問われるところにはたらくものだ。それは「〈ほんとう〉」だろうか」「真実に適っているのだろうか」と。
 だから、「真実」を、自分を支えるアイデンティティにしてはならない。いわば固まろう固まろうとするアイデンティティをつねに揺さぶり続けてくるものである。民族や国家は固まろう固まろうとする。それを揺さぶり続けてくるものなのだから、逆に人間はそれを拒否するかもしれない。
 まあ、話は飛ぶが、鎮護国家の宗教は固まろう固まろうした。それを解体するところに真実があるのだと叫んだ専修念仏は弾圧された。そういうと、また一宗一派の狭い話に終わってしまいそうだ。
 ただ、それ以外に、全人類が国を超えて民族を超えて、出合っていける地平はない。真実から問われるところ以外に。
●2016年8月23日●
親鸞は晩年(84歳)のとき息子(善鸞)を勘当している。
いわば、息子ひとりをも救うことができなかったのだ。それを取り上げて、「だから親鸞は駄目なんだ」というひともいる。
しかし、私は、「だから親鸞でよかったのだ」と腑に堕ちている。
親鸞が息子ひとりを救うことができなかったと考えるひとは、「親鸞」という人間が救いを左右できると考えているひとなのだ。だが、救いはあくまで阿弥陀さんと個人との関係での出来事であり、人間と人間の関係で成り立つことではない。だから、いくら親子であっても、人間と人間との関係で救いが左右できるわけではない。イエスも、預言者は身内には尊ばれないというように、宗教は身内という関係にこそ大きな溝があるのだ。むしろ他者のほうが、宗教的人格とは触れやすい。「遠きは近き道理なり」とはこのことだ。
近いからこそ、逆に遠くなってしまう。釈迦さんと阿難の関係もそうだ。従兄弟だからこそ見えなかったのだ。
宗教的人格は「ある種の人格的影響力」をもっているから、逆に身内には、それが強く反応する要因にもなる。私は、職人の奇形を想う。竹細工の職人にしても、彫刻職人にしても、一流になると、指など身体のどこかが「奇形」している場合が多い。いわば「通常」ではないのだ。それが宗教的人格の場合には「精神的奇形」になっているのではないか。
それが他者には、あまり見えないが、身内には耐えられない場合が多い。他者からは「几帳面」と見えても、身内からは「神経質」と見えたり、他者からは「大胆」と見えても、身内からは、「いい加減」と見えたりする。親鸞の場合も、そうとう頑固だったようだから、身内からは「扱いにくい」と感じられていたかもしれない。むしろ精神的奇形のないところに、宗教的人格は生まれないとも言えるかもしれない。
親鸞でさえ、息子に手を焼いたのかと、微笑ましく思える。ただそのことと親鸞の生きた信仰とは別物である。親鸞の表現はあくまで、真理の一部分でしかない。だから限界も奇形もある。
親鸞が真理というご馳走を全部食べ尽くしていたら我々には食べるところは残されていない。親鸞が真理の一部分だけを食べていたので、我々にもご馳走が残されたのだ。これは有り難いことだ。
しかし、親鸞も息子を勘当するまでには、いろいろと悩んだことだろう。いわばこれは、いつの時代にもある親子の問題だから、悩みを共有できる部分もある。その悩みを抱えつつ、阿弥陀さんとどういう対話をしたのだろう。この世の問題があれこれ起こってきたときには、それをどう受け止めたらよいかと阿弥陀さんと相談しているはずだ。
そして、最後には、息子が混乱を引き起こしたことで、あなたたち(門弟たち)の信心がはっきりしていなかったことがあぶり出されたのだから、よいことだったではないかと腑に堕ちたのだろう。
親鸞と阿弥陀さんの距離も、門弟と阿弥陀さんとの距離も、そして私と阿弥陀さんとの距離も、つねに等距離なのだから。
●2016年8月19日●
すでに救われたということを知れば知るほど、いよいよ、まだまだ救われざることを思わされる。
 救われたということが、いまだ救われざる根源に帰らせるのだ。
この窮極の救いの動態を、表したものが「弥陀成仏のこのかたはいまに十劫をへたりまえ」だ。言葉にすれば、大矛盾だ。
 あらゆる苦悩する存在が救われなければ、私は成仏しないと弥陀自身が言っているのだ。しかし、それが永遠の昔、十劫にすべての存在を救い取って阿弥陀仏になっていると言い張る。これは大矛盾ではないか。
 その大矛盾の意味を追い求めていくと、究極的に、救われたということは、いまだ救われざる根源に、ことごとく帰らせられるということなのだ。
救いなき場所以外に、救いは起こらないということだ。
 簡単にいえば、不幸のないところには救いはないのだ。
 人間は不幸から逃げるために日々を生きている。だから、救いからどんどん遠ざかって逃げているのだ。
●2016年8月17日●
とても在り来りなことを述べているようで、自分でもためらいながらいうのだが、虚無感や空虚感を何が超えさせるのかといえば、それはたったひとつの感動である。
この「感動」という言葉も、安っぽい言葉で、「なんだ感動か」という感動もある。また「感動がなくて、なんで生きているのですか!」と熱っぽく語れる感動もある。
そのふたつの「感動」ではない感動を言い表したいのだ。
オリンピックの卓球女子団体戦で、銅メダルが決まったとき、自分の内部からこみ上げてくるものがあった。これを自分の意志で押しとどめることができなかった。知らずに涙が出ていた。
長い戦いの末に、ようやくというか、辛うじてというか、勝ち取ったメダルだった。すべての試合を観戦したわけではないが、彼女たちの戦いぶりを観て、そして彼女たちのコメントを聞いていた。
それらが知らず知らずのうちに、自分の内部に何かを形成していたのだろう。まさか銅メダルが決まったとき、涙が出てくるなどとは予想もしていなかった。
予期せぬことが起こったのだ。
お釈迦さんが「さとりを開いた」ときも感動があったはずだ、親鸞が信心を開いたときにもそうだったのではないか。自分では予期せぬ感情が襲ってきたに違いない。
そのたったひとつの感動の意味を、一生かかって表現し尽くしていったのではないか。
親鸞でいえば「憶念弥陀仏本願」だ。「弥陀仏の本願を憶念すれば」だ。人間になぜ感動が起こったのか、そのことの理由は人間にはわからない。それは「弥陀仏の本願」だけがご存じのことだ。それであるのに、人間にはわからないそのことの理由を一生かかって「憶念」する。
決して溶けることのない甘露の飴を、一生かかって味わい尽くす。
そのためには、いつでも、つねに目の前の出来事が「不可知」でなければならない。
うちの猫は、決して、「当たり前」を前提に生きていない。洗濯物が置いてあっても、「こいつは何ものだ」「あやしいやつめ」と、前足でちょっかいを出す。
人間は、いつもそのへんに置いてある洗濯物じゃないかと思うのだが、彼らには「当たり前」が存在しない。必ず、自分の疑いをこそ信じて疑わない。
人間以上に、猫は仏に近いのだなあと思い知らされる。
●2016年8月15日●
「素晴しい戦いをして監督を黙らせてみたい!」とオリンピック選手がテレビの中で言っていた。
私は、「よっぽど監督に酷い訓練をされてきたのかなあ?監督を黙らせてみたい!なんて、こんな場所で言っていいのかなあ?」と家族に言い放った。
すると家族は、「監督じゃなくて、観客だから!」と応答してきた。私は「なんだ観客かあ!」と撃沈した。観客ならば、話が通じるぅ…。
単なる「耳が遠い」せいだったのか。恥ずかしくなるやら、ショボンとするやら。
まあ日常茶飯事なので、慣れてしまった。
家族がテレビを観ながら笑っていることがある。私にはよく聞こえないので何が面白いのかがわからない。それで「ねえ、ねえ、何が面白いの」と聞くと。「いま面白いところだから黙って!」とか、「説明したら面白くないじゃないか」などといわれ、すごすごと好奇心を引っ込めることになる。
まあ「耳の遠い」ご老人のやるせなさがよく分かるようになった。
補聴器はハウリングを起こして装着する気がしなくなるし、人間の声以外の音まで拾ってしまうので、鬱陶しい。
「目には蚊を、耳にはセミを飼っている」という老人川柳が納得できるのは、自分がまさに老人に成ったということだろう。(目は飛蚊症、耳は耳鳴りという意味です)
この老人というのも定義が難しい。高齢者を60歳以上とも、65歳以上というのもあるし、65歳から74歳までが前期高齢者、75歳以上が後期高齢者という分類もある。
 まあ、「年齢と寿命」は違うし、「加齢年齢と健康年齢」とも違う。日本は「超高齢化社会」に入った。
 まあ高齢化=役に立たない存在、むしろ足手まとい、などのマイナスイメージが、嫌がうえにも覆い被さってくるから、それを何とか払拭したいと、「老」ではなく年が熟する「熟年」と言ってみたり、日本語を嫌悪して「シニア」とぼかしたりもしてきた。
 しかし、若年層ばかりでなく、高齢者自身が、資本主義に洗脳されているから、それを払拭することができないでいる。
 相模原の障害者施設を襲った青年も、役に立つ者は生きてよい、役に立たないものは死ねという資本主義の観念に洗脳されていた。
この洗脳をどのようにぶっ壊すかが、全人類の課題なのだ。
そういえば西本文英先生が「金というのは生活という機械をまわす油である。多すぎても駄目、少なすぎても駄目」とおっしゃっていたのを思い出す。
そんなことを話していたら、「あなたは、まだまだ若いじゃないですか。私など」と高齢の方に慰められた。そのとき感じたのは、老化の愚痴を漏らす相手も選ばなければないといけないということだ。
そうか、老化も「比べる」ための武器になるのだ。生理的な年齢と、そのひとが「老化」をどれだけ内面化させ、思想化しているかということは別なのだ。明恵上人が15歳になったとき、「我は既に老いたり」と述べていることをどういただくかだ。
たしかに5歳の子どもより15歳の子どもは老化している。しかし、普通の子どもはそんなことは考えない。さすが明恵だと思う。「老いる」ということを仏道の課題として思想化しているのだ。
だから、明恵に、「まだまだ若いじゃないですか」などととても言えない。29歳のお釈迦さんが、老いるということを仏道の課題としたように。
老化も「一人一世界」の内的体験なのだ。別に生理的な「老化」を問題にしているわけではない。だから、「比べる」こともできない。若年者と年齢を「比べる」ことで、「まだまだ若いじゃないですか」と自分を高みにたてることも、「昔は若かったのになあ」と悲観することもないのだ。
 その「比べる」という毒を、どう仏道の課題として昇華するかだ。
●2016年8月10日●
 お朝事のときに、ふと思った。親鸞は「和讃」をどういうときに上げてほしかったのだろうと。
我々坊さんは、葬式や法事のとき、あるいは法要のときに上げるのが当たり前になっているが、親鸞は果たしてどういうときに上げてほしかったのだろうか。
「和讃」は「大和言葉で経典の意味を和らげほめ讃える」という意味だ。これは当時の今様形式と呼ばれ、誰でもが口ずさめる歌謡曲なのだ。だから、民衆が洗濯しながら、ご飯を食べながら、歩きながら口ずさめるようにという意味だったのかもしれない。困ったことに親鸞には「和讃」の取扱説明書がない。
 だから後世のものが、あれこれ思案して、なんとか称えられるように作り上げてきたのだ。まあ真宗には基本形はないのだから、どのような形でもよいことはよいのだ。
 そういえば、親鸞には「和歌」がない。和歌は庶民の歌ではなく、上流階級の所有物だと思っていたフシがある。『親鸞聖人正明伝』には、慈円と親鸞が朝廷に呼ばれた「恋の歌事件」が記されている。不犯の聖僧である慈円が、見事な恋の歌を詠んだことで、こいつは女性と交わっているに違いないと疑義が生まれ、それでは僧侶がしたことのない狩り(殺生)の歌を読めと天皇から要求され、詠んだら見事だったと。これで疑義が晴れたついでに、お付きの親鸞にも狩りの歌を詠めといわれ、これも見事だったので、天皇から「衣」をいただいたというエピソードだ。そのエピソードを親鸞は「あさましや」と歎いている。歌が上手く詠めたからよかったものを、もし上手に詠めなければ殺されるような貴族の世界は空ごとたわごとであり、まったく「あさましい」ことだと言っている。こういうエピソードが残っているということは、親鸞が生涯「和歌」を詠まなかったことのひとつの裏づけになるのかもしれない。
 それでも「和讃」をたくさん残しているということは、やはり庶民になんとか仏法の味を知ってほしいという願いが込められているように感じる。
 また漢文の著作以上に、「和讃」に自分の本心を込めたふうにも感じる。疑惑和讃や愚禿悲嘆述懐和讃は、親鸞の内面を十分に表現している。もしこれらの和讃がなければ、親鸞の重みは半減したであろう。
 たとえば、阿闍世の獲信でも『教行信証』だけでは十分に伝わってこない。これらがあるから、阿闍世の内景が十分に忍ばれるのである。まあ、それも親鸞の眼から見た限りでの阿闍世には違いないのだが。
 仏法は、自分の内面に他者を経験することである。自分の内面に親鸞を釈迦を、そして阿闍世を経験していける。これが「無我」の仏法ではないか。
●2016年8月9日●
真宗には基本形はない。
お朝事(朝のお勤め)のときは、声明作法に則って読経が進む。カネを打つひとを、鏧役(キンヤク)という。鏧役は、最初に発声する「調声人」が合掌を解く、つまり両手を離したと同時に第一打のカネを打つ決まりになっている。
すべてに決まりがあるのだ。習い始めの頃は意識しないと、所作がこなせないのだが、慣れてくると、それが無意識でおこなえるようになる。それが「身につく」ということだ。身につくと、所作が流れるようにスムースに進むので、気持ちがよい。
気持ちよくお朝事が終わって、ハタと感じた。そうか「真宗には基本形はない」のだと。だから、真宗大谷派の儀式としては、その所作で間違いないのだが、それは、「共同幻想としての正しさ」ということだ。
〈ほんとう〉の儀式作法ではない。この「〈ほんとう〉の」という問い返しを、擬人化して「阿弥陀さん」とか「真実」とか「仏法」と言っているだけだ。「〈ほんとう〉の儀式作法は阿弥陀さんしか知らない」と神話的表現で語ったりもする。
それは、つまり、人間の決め事は「取り敢えず」であって、決して「決定版」ではないということだ。
その見方をすべてに当てはめていくと、儀式作法だけでなく、「人間の生活」とか「人間の生き方」ということまでを包んでしまう。
「人間の生活」や「生き方」に〈ほんとう〉はないのだと教えられる。人間はどこまでも「取り敢えず」のことでやっているだけで、決して、〈ほんとう〉のことは知らない。
知らないからこそ、いろいろとフレキシブルに変形させていけるのだ。
憲法改正論議も、〈ほんとう〉を感じ取る教化活動としては面白い素材だ。
私は安保法制が成立したとき、これなら憲法を変えなくても、権力はなんでもやれる手応えを再確認したと思った。まあ違憲の軍隊である「自衛隊」を「憲法解釈」という魔法で、成立させているのだから、何でもやれるのだ。
憲法論議で、日本国民が「国」というものを考える切っ掛けになれば意味のあることだと思う。もし国民投票で改憲が決まれば、少なくとも「自分たちが決めた」ということで腹が据わる。どうもGHQ指導の憲法は「お仕着せ」じゃないかという観念が日本人の中にはある。誰かが決めた憲法だから、自分は無関係という無責任感覚だ。国民投票をやれば、その感覚だけは払拭できるのではないか。まあどの程度の国民が投票に参加するかにもよるのだが。
護憲論者は、よいものはよいので、それは誰が決めたというものではないとも言っている。憲法九条を護るとはいっても、外国から見れば「軍隊」をもっている国が、戦争放棄を主張するのは矛盾しているんじゃないかと思われても仕方がない。現況の国際情勢の中で、自衛隊解体、そして完全武装解除は、あまりに危険ではないか。まあいずれにしても、アメリカの核の傘と、その下にある「自衛隊」という軍隊の日傘の下にいるから何でも言えてしまうのだ。
こういうことも含めて、やはり「国」ということを日本人が考える切っ掛けが憲法論議だろう。
まあ果たしてどの国の国民でも、「自国を護る」というときの「自国」のイメージは共同幻想でしかないだろう。戦前の日本はその中心に「天皇」という本尊を捏造したわけだ。しかし敗戦で、カリスマ性を失った天皇は二度と日本の象徴にはなれないだろう。
果たして、「自国」の内容をどう豊かにイメージするかだ。
日本人の国民性を日本人は大好きなはずだ。謙虚とか温厚とか人情味とか協調性とか控えめとか柔和とかいう言葉に親和性を感じる。一方、自己主張の強い西洋人や中国人を嫌悪するのは、そういう人間性があるからだ。
以前、河合隼雄さんが、スイスで生活しているとき、ご子息が通っていた幼稚園の話が面白かった。スイスには日本の「ジャンケン」がないようで、遊ぶときの遊具を誰が優先するかというルールがない。朝、先生が順番に子どもに聞くのだそうだ。「〇〇ちゃん、何して遊びたい?」と。するとその子は「ブランコ」と言うと、先生は「ブランコに行きなさい!」いう。次の子にも同じように聞くと、「滑り台」というと、「滑り台に行きなさい」と指示するという。そうすると、「ブランコ」に人がたくさん集まってしまい、誰が最初にブランコに乗るかで揉めるそうだ。それでもかまわず先生は、次の子どもがやってきて「ブランコ」といえば、「ブランコに行きなさい」とどんどん送り込むという。日本人の先生なら、「ブランコは込んできたから滑り台に行ったら」などというだろう。しかしスイス人はそうしない。日本には「ジャンケン」があるので、順番を決めることができるが、スイスにはそれがないので、いきなり「話し合い」というか喧嘩というか、揉め事が起こる。
 それでも先生は、「揉めてるな」とは知っていても、そんなことは知らん顔でどんどん子どもを送り出すそうだ。そうやって、子どもたち自身でその難局をいかに解決するかに気を配っているのだそうだ。つまり、幼稚園の頃から、そうやって「自己主張」を研鑽してきているのが西洋人だというのだ。日本人とは「自我意識」の鍛え方が根本的に違うのだ。そう思うと、ジャンケンという「偶然性に任せる解決方法」があってよいのかどうかわからなくなる。河合さんは別にスイスがよくて日本人がダメと言おうとされているわけではない。これからの日本人は、国際化していくから、外国人の人間性を理解していないと付き合えなくなるよというわけだ。また、相手を知ることによって、日本人自身の特異性とか特徴が理解されてくる。自己と他者を理解することで、関係がスムーズに結べるのだいう主張だ。
 まあ日本人は、自己を主張するよりも、全体の流れを察知して、「空気」を読んで、その流れに身を任せようとすることが多い。引いては、それが、日本の治安の良さをかもしだしているのかもしれない。衛生観念も、日本の緑豊かで四季のある環境からやってくる日本人独自のものかもしれない。
オリンピックでも日本人選手が外国人選手と戦う場面では、知らず知らずのうちに日本人を応援している自分がいる。金メダルでも取ろうものなら、「日の丸」の掲揚を神々しくさえ感じる。歌詞には問題があるが、あの独特の「君が代」のメロディーに親和性を感じる自分がいる。
 そうではあっても、「自国」の何を大切に思っているのかと問われると、戸惑ってしまう自分もある。問われるまでは感じていた、しかし問われた途端に曖昧になるという、どこかで聞いたようなフレーズを思い出した。
 親鸞ならば、聖徳太子を「日本国」の内容としてイメージしていたかもしれない。仏法の理念で政(まつりごと)を治めようとしたのだから、政教一致なのだ。
 しかし、「いかにするか」という政治問題と「なぜあるか」という宗教問題は水と油のような関係にしておかなければ駄目だろう。宗教問題を政治問題の言い訳にしては駄目なのではないか。つまり、物部氏を叩くのは、仏法護るためなのだと、言い訳にしてはならないのではないか。神が肯定するから、他者に制裁を加えるというふうに言ってしまえばカルト宗教に堕してしまう。宗教をもって政治を肯定する論理は、邪道だ。
政治の次元は、つねに「いかにするか」という次元だ。それは、どのスーパーマーケットで買い物をするかという次元から、日米安保条約をどうするかという次元までを包み込んでいる。そして「いかにするか」という場面に出くわしたとき、我々は往々にして、「なぜあるか」という宗教の次元で、その問題を解こうとする。
つまり、自分がこうしたのは、聖書に書いてあるからとか、コーランに書いてあるからとか、親鸞がこう書いてあるからとか、そこに回答の答えを求めてしまう。それを言い訳にして、自分の行為を正当化してしまう。それは危ないのではないか。
我々、「真宗大谷派」に属するものは、阿弥陀如来の本願があるから、本願が願っているから、我々も徹底して平和主義にならなければならないと、ついつい考えてしまう。つまり、自分で選んだ問題なのに、その選びの責任を阿弥陀さんに負わせてしまう考え方だ。
つまり、「阿弥陀さんが平和を願っているのに、我々は、それに反逆しているのではないか。だから、徹底的に平和主義を主張しなければいけないのではないか」という論理だ。
その論理は、殺人をも神が許すのだという論理に一致してしまう。
 イエスも「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」(マタイ5-48)という危ない表現をしている。隣人を愛せとか、むしろ迫害する者のために祈れという意味は、お前たちも神様と同じように成れるのであり、そう成りなさいというのだ。『聖書』のここの表現だけを取れば、これは「善人思想」だ。
真宗は、阿弥陀さんと我々凡夫との間には、決して超えられない境界をもっている。だから、阿弥陀さんのように願えとか阿弥陀さんのように成れとは決して言わない。むしろ成れると思うこと自体が傲慢なことである。
阿弥陀さんは、徹底して平和主義であることはわかる。「無三悪趣の願」で願われている。それに対して、我々は徹底的に三悪趣の生き物である。貪欲・瞋恚・愚痴の生き物である。それが戦争の根源にある毒だ。
 だから、その毒の存在に対して、平和でありますようにと願っているのだ。平和は阿弥陀さんだけが願っているので、我々は戦争だけを願っている存在だ。反戦論者は参戦論者を憎み、排除したいという煩悩を起こしてしまうのだから、人間の平和は不完全な願いでしかない。
 そこまで言ってしまっては、人間に夢も希望もないではないかと言われそうだ。人間だって平和を願うことがあるではないかと。確かにそうなのだ、戦争だけを願っているわけではない。極悪人のカンダタにも、ふと蜘蛛を助ける「ホトケごころ」があるのだ。
その「ホトケごころ」を増やしていけば、やがてもっと「聖なる存在」に成れるのではないかと幻想してしまう。それが危ないのだ。
親鸞がやろうとしたことは、人間には平和を願うこころも、他者を思うこころもない、「極悪深重」として自己を見いだしたことだ。
「悪性さらにやめがたし こころは蛇蝎のごとくなり 修善も雑毒なるゆえに 虚仮の行とぞなづけたる」さらに「小慈小悲もなき身にて 有情利益はおもうまじ 如来の願船いまさずは 苦海をいかでかわたるべき」(『愚禿悲嘆述懐和讃』)と述べている。
自己の心の中を覗けば、毒々しい煩悩が渦巻いている。それをどこまでも見逃すことなく暴き出すのが阿弥陀の光だ。つまり阿弥陀の光に遇うということは、自分の中には慈悲の心が皆無であることを知らされることなのだ。
光が強ければ強いほど、闇の内部まで闇を照らしだす。
だから阿弥陀さんが平和を願っているから、我々も一緒になって願わねばならないという論理は成り立たない。
 政治には「聖なる部分」は決してないと知りつつ、「取り敢えず」の形で収めるしかないのだろう。民主主義にしても微妙な問題は49対51になる。イギリスのEU離脱国民投票がそうだ。負けた49が51に従わなければならない〈ほんとう〉の理屈はどこにもない。
 全世界の生き物の幸福を目指すのが政治だとするならば、それを目指すのは若者たちだけでよいように思う。「大人たち」はその考え方に無力感を感じているのだから。
 インドの四住期のように、年齢に応じたライフスタイルがあってよいようにも思う。還暦を過ぎたら、「いかにするか」という次元から「なぜ」という次元へ深化してよいのではないか。
 老齢になっても、「いかるするか」ということにかかずらっていると、人間に生まれた醍醐味が味わえないのではないかと、邪推してしまう。
 いずれにしても、世界に展開している災厄は、この自分自身の内面から流出したものなのだから、「過去は未来の鏡」であって、人間は同じことを営々とくり返してきたのだから。
「なぜ」という問題は解決のないような問題だから、いつまでも「くよくよ考える」ということがよいのだ。そう簡単に答えを出さずに、いつまでも「くよくよ」と。
●2016年8月6日●
ブラジルでのオリンピックが始まったが、まったく気分が乗らない。
今朝も開会直前に、開会反対のデモ隊を警官隊が催涙弾で鎮圧したとニュースで報じられていた。ブラジル各地から警官をリオデジャネイロに集めて治安を維持するらしく、ブラジル全土が無法地帯だ。警官が「welcom to hell」と書かれた看板をもって、空港から出てくる外国人たちにアピールしていた。
治安の悪さ、衛生面の悪さなどが報じられ、とてもオリンピックを平然と観覧する気分にはなれない。
オリンピック開催地が北半球に集中しているので、このあたりで南半球でも開催せねばという論理から、ブラジルでの開催が決まったらしい。開催国の経済的事情もある。開催を決定したときのブラジルの景気は右肩上がりで、これから経済も治安も回復していくと見込まれていた。ところがあにはからんやである。
開催期間中、選手の体調管理や身の回りの警護は大丈夫なのだろうか。不安ばかりのオリンピックだ。
これは素人の勘繰りだが、選手たちは、あまりブラジルへは行く気がしなかったのではないか。男子ゴルフでは、世界ランキング上位の選手は参加を辞退した。いやそれでも、全世界で四年に一回しか開催されないのだし、それはそれこれはこれで参加の決意は別だいうことかもしれない。
オリンピックはそもそも、人類の極限を見せてくれる「見本市」のようだ。訓練によって能力が開発されるのだろうけど、もともともっている特殊能力がベースにあって、いわば「超人」の戦いを観覧する感覚だ。
大食い選手権で、ギャル曽根に相撲取りやプロレスラーが敵わないように、特殊能力というか、特異体質というか、そういうものがなければ、決して優勝は難しいのではないか。ロシアも国ぐるみのドーピング不正で、オリンピックに泥を塗ってしまった。以前、NHKスペシャルでシンクロナイズスイミング選手の潜水能力の凄さをデータ検証していた。彼女は幼いころから潜水の訓練をすることで、潜水時に脾臓から心臓への血流を増やし、脅威の潜水時間を獲得していた。これが長時間、水に潜ったまま競技を継続できる底力だそうだ。
洗練された肉体や競技の素晴しさを見ることで感動することもあるが、それにしてもオリンピックとは何なのかが改めて考えさせられる。
以前、岡本太郎が、広大な場所に何万人も集めて、そこで世界の人々と一緒に体操をしたらいいんだ、それこそオリンピックだと語っていたのを思い出す。
確かに、一部の人たちがやるのではなく、全員が参加するというのも面白い考えではある。まあ私は、やりたくはないが。子どもの頃から、「みんなでやる」ということに対して馴染めない性格だったので、どうしてもそうなってしまうのだ。
オリンピックは、それこそ、ひとつの文脈で切り分けられるほど易しいものではないのかもしれない。文化現象は、その時代を映す鏡ではあっても、その正体を一面的に分析できるものではない。
●2016年8月5日●
介護殺人
近頃、ご高齢の家族、特に夫婦が、どちらかの伴侶を死に至らしめるケースが多いとニュースで報じられていた。以前は「老人介護」といえば、ご老人を若い世代が介護することをいっていたが、現代では「老々介護」が当たり前の状態になってしまった。以前は、「老々介護」という言葉に驚いていた自分があったが、最近は驚くこともなくなってしまった。
ご老人を介護する伴侶自身が高齢化していて、とても介護生活を続けることが困難な状態になっている。
この度、天皇が「退位」を表明するというが、いままではそのようなことすら問題にならなかったそうだ。「退位」を表明する前に、すでに天皇は存命していなかったからだ。一世一代で、すんなり世代交代が進んできた。皇室にも「高齢化」が課題として迫ってきたということだ。宮内省は天皇がアドリブで本音を語られることを恐れて、ライブ放映ではなくビデオレター形式で「お言葉」を報じる作戦らしい。
しかし「介護殺人」という言葉には、あまりに悪意が混じっているのではないかと思う。せめて「介護心中」とか言えないものだろうか。
老齢の伴侶の介護は並大抵ではないだろう。自分自身の世話も大変なのに、伴侶とはいえ生活不自由者をケアするのは、心身ともに疲弊する。食事の世話、排泄の介助、入浴の介助、夜間の不眠対策等々。ケースによって、様々だ。
その介護生活の中で、もし自分が伴侶を世話できなくなったらどうしようかという不安を常に抱えている。そのような状況がやってきたら、相手がいま以上に苦しむのではないか、そうなる前に自分の手で何とかしてあげようと考えてしまう。考えがどんどん坩堝にはまってきて、最後は相手を死に至らしめてしまう。
ここまでに夫婦が閉じられた関係になっていれば、他人が介入する余地はない。
決して、それは相手を「苦しめよう」としてすることではなく、相手を何とか楽にしてあげようとする結果の苦肉の策ということではないか。
あるケースの場合には、おばあちゃんがおじいちゃんに「殺して、はやく殺して」と懇願したという。おじいちゃんも殺したくはなかったのだ。しかし、ギリギリのところで、懇願に負けて、やってしまっただけなのだ。それは極限の優しさだったのかもしれない。
だから、これは「殺人」ではなく「心中」に属することではないだろうか。
後追いをするけれども、死に切れず残ってしまっただけなのだ。
その二人の閉じた関係には、「社会」は介入できない。それを犯罪だといおうが何といおうが、それはそれで完結していることではないか。そのことについて他人がどうのこうのと口をはさむことはできないのではないか。
●2016年8月1日●
親鸞は、たくさんの和讃を残している。八代目の蓮如は、その中から『三帖和讃』として三五〇首を選び出している。それを本願寺では長年、声明作法として詠み伝えてきた。ところが、声明(ショウミョウ)の習わしとして、つまり儀式のときの読経では、決して声に出して読まない和讃がいくつかある。

正像末和讃の冒頭にある、これだ。

康元二歳丁巳二月九日夜
          寅時夢告云
弥陀の本願しんずべし
本願信ずるひとはみな
摂取不捨の利益にて
無上覚をばさとるなり

 この和讃にはご覧のような、前文がついている。親鸞が85歳(1257年)の二月の九日の夜というから、翌日の午前四時ころに夢の御告げで聞いた和讃という意味だ。誰の告げであるかは分からない。それは誰でもよいのかもしれない。ただ「告げ」ということは、自分から思いついたというよりも、誰かから受け取った、つまり受動された言葉という意味だ。これから130首を制作するための基調音となる和讃なのだろう。
 これは究めて親鸞の個人的な内面の自覚を表現した和讃であるから、声明作法として大きな声で称えることを慎んだのだろう。読経作法である「節符」は付されていない。「節符」とは発声のリズムや長さを表現するための記号なのだが、これは恐らく蓮如の頃に出来上がったのではないかと思う。
 
さらに「節符」の付されていない和讃が正像末和讃の中に、もうひとつ納められている。
念仏誹謗の有情は
阿鼻地獄に堕在して
八万劫中大苦悩
ひまなくうくとぞときたまう

「念仏を誹謗する人間たちは、無間地獄に堕ちて、永遠の大苦悩が永遠に続くのだと説かれている」という意味だ。
 親鸞は、和讃を制作するときには、その和讃の元となる経典や論書の制約を受けている。つまり、自分勝手な思いで和讃を作っているのではない。そこには必ず先人の教えがあって、その教えを易しい言葉で、誰にでも称えられるようにという思いがあるのだろう。
この和讃も『十往生経』や『観仏三昧経』を下敷きにして作成されていると解釈されている。(柏原祐義『三帖和讃講義』平楽寺書店)
 しかし、それらがあったとしても、単に下敷きの本を解説したというだけではないように思う。ここには、親鸞の感情が入っているのではないか。
 最初にあげた冒頭の、通称「夢告和讃」と呼ばれるものを受けた日付が、2月9日である。
 この日付は「承元の法難」(1207,建永2年)で、安楽房遵西が六条河原で首を刎ねられた日付と同じ日である。これから憶測すると、親鸞が無実の罪により「専修念仏」を弾圧した権力に対して怒りの感情を抱いていたと考えても不思議はない。
 有名な「主上臣下、法に背き義に違し、忿を成し怨を結ぶ」(『教行信証』後序)という表現には、どうみても怒りの感情がにじみ出ている。
 それにしても、この和讃をどうして声に出して読まないのか。
蓮如が編集して、節符まで工夫したと考えれば、蓮如が不読を指示したと考えられる。
あるいは、時代が下って江戸期に「節符」が作成、あるいは改変されたと考えれば、江戸期の本願寺教団の指示であったとも考えられる。
 本願寺教団が時の権力から弾圧を受ける「被弾圧教団」であった時代は、むしろこの和讃を称えることに抵抗はなかったように思える。悪いのは権力であり、無実の罪で専修念仏が弾圧されたのだから、彼らこそ無間地獄へ堕ちるべきだと主張することに抵抗はないだろう。
 しかし、本願寺教団が蓮如を経て巨大化し、時代が下って江戸期に入ると状況が違ってくる。江戸幕府から庇護された東本願寺教団は、「被弾圧教団」の面影は消え失せて、逆に「加弾圧教団」の勢いすらあったと想像できる。
 それだけの力のある教団が、この和讃を大声でとなえるとなると、他教団と不協和音を生じかねない。一番、ぶつかるのは法華教団であろう。日蓮は「念仏無間、禅天魔」(『四箇格言』と高らかに標榜した。本願寺教団も、いわゆる「大人の教団」となった以上は、無下に他教団との軋轢を好まなかったのだろう。むしろ大声でこの和讃を称えることは、一歩間違えば、教団同士の「内ゲバ」の論理に傾斜してしまう。そういう理由から、称えることを忌避したのではないか。
 あるいは本願寺教団内の急進派、つまり「造悪無碍派」の人々が、この和讃を大声で称えることを恐れたのかもしれない。できるだけ穏やかな、体制保管作用として本願寺があろうと志せば、このような和讃を大声で称えること自体を慎んだのかもしれない。
 もちろん親鸞の意図を我々は知り得ない。だらかすべては想像の域を出ない。
 私は、やはり「内ゲバ」の論理に傾斜しかねない和讃を、敢えて称えないというのが作法なのかなと思っている。もしそこに親鸞の並々ならぬ怒りがあったとして、その怒りにケチをつける気はまったくない。むしろ法難を意識していたとすれば、その怒りはまっとうな怒りである。
 それとは別次元の問題として、そう思うのだ。開祖の勇み足は、後世のものが、塩梅よくしておくのがいいように思う。つまり日蓮宗であれば、『四箇格言』は否定する必要もないが、敢えて、クローズアップしないとか。我々であれば、この和讃を大声であげないとか。日蓮にしても、親鸞にしても、若気の至りの部分は、否定はしないが、強調する必要もないのではないかと思う。
 いずれの先輩も「発展途上の求道者」であることに間違いなので、彼らの表現が「絶対」だとは思わないことだ。玉石混淆が、人間が何かを表現するときのまっとうなあり方だ。だから、石の部分はそっとしておき、玉の部分を大切にいただいていけばよいのではないか。それは、いささか大人びた考えに傾斜しすぎだろうか。
 
●2016年7月28日●
今日が〈ほんとう〉の誕生日。
今朝、寝床で眼が覚めた。眼が覚めるのも受動体験だ。決して、みずからの意志で眼を開くことはできない。思い起こせば、自分には記憶はないのだが、この世に誕生した日があったようだ。それを誕生日という形で、肉親に教えられた。〈ほんとう〉の誕生日かどうかは、自分自身で知ることはできない。いわば「事後報告」の形以外で、誕生日を知ったひとはいない。だから誕生日を教えられるのも受動体験以外にない。
この誕生日というのは、自分にとって必ず過去の出来事である。〇年〇月〇日と。カレンダーという謎の時間計測装置があるので、それに当てはめると、毎年誕生日がやってくるような錯覚に陥る。1月1日から始まって12月31日で一周し、また新しい年が始まると幻想的に考える。間違ったり困ったりしたことがあっても、それは水に流して、また新しい年が目の前に広がると幻想する。
〈ほんとう〉の時間というのは、「同じことの繰り返しはない」ということだ。だから、カレンダーのように時間が循環するという観念は「幻想」でしかない。
「去年今年貫く棒の如きもの」は高浜虚子の句だが、「貫く棒」とは時間の直線性を表現しているように感じる。決してカレンダーのように循環しない時間だ。おそらく時間の直線性に人間の意識が耐えられないから、循環する幻想の時間を作り上げたのだろう。
時間が直線であれば、些細な罪も決して浄化されることがないし、過ちや、後悔も、決して削除されることがない。これではあまりに辛すぎる。そこで年が改まり新しい年がやってきたときには、それらが徐々に薄らいでいくように幻想したのだろう。
仏法は「同じことの繰り返しはない」と主張するのだから、時間は直線性だといっているのだ。それが「一期一会」だ。
観念は「繰り返し」という循環幻想を生き、事実は「繰り返しがない」という直線の時間を生きているのだろう。
そう考えると、「今日が〈ほんとう〉の誕生日」ではないか。
この世に生まれて、今朝は、生まれて初めて体験する朝だ。眼が覚めるという受動体験と、この世に誕生した受動態件は同じ意味だ。事後報告の形で知っている「誕生日」ではない、生々しい自覚的な「誕生日」が今朝だった。
その体験を、後付けで、〈いま〉記している。人間は「過去」しか知ることのできない悲しい生き物だ。「後悔」という人間特有の感情は、過去しか知ることができない証拠だ。
その「過去」を突き詰めると、「阿弥陀さんの十劫正覚」だったのだ。私がこの世に生を受けるための長い旅路と阿弥陀さんの救いの歴史が同じ長さだった。それは何十億年かわからないのだが、私を生んだ母、その母を生んだ母といのちの流れを遡及していくと、何十億年といういのちの旅路がイメージされる。
どっちが先かといえば、阿弥陀さんだ。私は後だった。私がこの世に生を受けるための原初には阿弥陀さんの悲愛があったのだ。悲愛があって、それを受動していのちの旅路が始まったのだろう。
それを〈いま〉思い知らされる。未来は、人間にとって未だ知らされないことだが、それが〈いま〉となって人間に自覚され、「過去」となるととき、何十億年といういのちの旅路が開かれる。未来とは、永遠なる過去を知るための〈いま〉の内容なのかもしれない。それで親鸞は「弥陀成仏のこのかたは いまに十劫をへたまえり」(『和讃』)と書いたのかもしれない。
阿弥陀さんの悲愛は、〈いま〉明かされる永遠なるいのちの旅路だったのだよと。今日という誕生日に、永遠なるいのちの旅路がお前自身なのだと、つねに未来から教えられるのだろう。
●2016年7月27日●
「阿弥陀」といおうが「浄土」といおうが、すべては自己了解のための契機に過ぎない。それらを考えなければならないのは、自己自身の根底に理由があるからである。
人間は何を考えて暮らしているのだろうか。
「自分、自分」といって暮らしているけれども、その「自分」とはどこからどこまでを意味しているのだろうか。自分を包んでいる空気はどうか、自分の食べる食物はどうか、自分が「自分」と考えている身体はどうか。そうやって「自分」というものを考えていくと、厳密に線引きされた「自分」などというものはないように感じる。
「自己了解」と先に書いたが、その「自己」とは人体のことだけではない。自分が見ている空や世界、自分を包んでいる環境、つまり人生観や世界観までをも含むものだ。
それらを引っくるめて、自己とは何ものなのか、それを一生かかって考えていくものなのだろう。
そもそも、人間は何のために生きているのかを知らない生き物なのだから。火の粉を振り払うように、向こうから迫ってきた問題に対処しているのが日々の暮らしだ。
「シシュポスの神話」さながらだ。
だから、どうしても、人間は〈自分〉の窮極の意味を知りたいのだ。
だって、自分が頼んでこの世に生まれてきたわけではないから。気がついてみれば、自分は自分だったのだし、理由があって、この世に誕生してきたわけではないから、この世は本当のところ、「未知なる世界」に満ちあふれているのだ。
目にするもの、すべてが未知なるものだ。ちょっと見ただけで分かった気になってはいけない。〈ほんとう〉はあなたが見ている世界は、あなただけの特殊な世界なのだから。いくら障害者や老人が世の中に役に立たないと思ったとしても、それでひとを殺めてはいけない。役に立つか立たないか、役に立つものは存在価値があり役に立たないものは存在価値がないという判断は、あなたが描いた妄想なのだ。だから「ちょっと見ただけで分かった気になってはいけない」のだ。
実はあなた自身も「役に立つか立たないか」という差別思想によって、自分自身が殺されてしまうのだ。
〈ほんとう〉のことは分からないのだ。自分の狭い妄念によって分かった気になってはいけない。人生のどの場面でも〈ほんとう〉のことは分からないと思えたら、そこに謙虚が生まれる。

●2016年7月25日●
「如来は我なり」は曽我量深先生の言葉です。(『曽我量深選集』第2巻)
どうしても浄土真宗は「阿弥陀さん」という偶像を立てるので、そこが受け入れられないというひとがいる。仏教はもともと、法(ダルマdharma)を悟ることであって、「阿弥陀さん」という一神教のような仏を立てる必要はないではないかと。
そういうひとには、必要はないのだが「敢えて立てる」のだと答えている。何のためにといえば、人間が〈ほんとう〉に出遇うためにである。「法を悟る」という説き方だけでは、まだ不十分だったのだ。
「阿弥陀さん」という言葉があるからといって、そんなモノが存在するわけではない。またそんな偶像が実体的にあると信じているわけでもない。まず、理念として、「阿弥陀さん」というものがあると考えてほしい。
なぜ理念として必要なのかといえば、それは「私」が人格的存在だからだ。この人格的存在の救いを考えるためには、人格的偶像として「阿弥陀さん」が理念的に必要なのだ。
もし私が、人格的存在でなければ、「阿弥陀さん」は必要ないのだ。
だいたい、「阿弥陀さん」は浄土教の救済物語に登場している架空の存在だ。
仏は、修行段階のときには菩薩と呼ばれ、この菩薩の願いが成就して仏となるという構造になっている。無量寿経の法蔵菩薩も同様に、あらゆる存在を救うために本願を発し、もうすでに十劫の昔にすべての存在を救い尽くし願を成就されて、阿弥陀さんに成ったと説かれている。だから、それが〈ほんとう〉ならば、この世に苦しんでいる存在はいないことになる。
ところが現実には救われずに苦しんでいる存在がたくさんあるではないか。だから、十劫の昔に阿弥陀仏になったということは、一見、架空の話だ。
だから阿弥陀さんは、〈ほんとう〉は存在しないのだ。ただ、その苦しんでいる存在を救うために、いま現在進行形で救済活動をされていることは確かだ。そのエネルギーを法蔵菩薩と、これまた人格的に呼ぶ。
この菩薩の救済活動の動機は、どこにあるのかといえば、これが「阿弥陀の誓願」ということになる。ひとりでも救われないものがいるのならば、私は苦しい、私は救われない、だから是非この機会に救われて下さいという必死な誓いだ。
それではいつ私が救われるのかといえば、それは〈いま〉である。〈いま〉法蔵菩薩の救済活動によって救われましたと救いを自覚したときである。その〈いま〉の自覚内容をみると、それは〈いま〉ではなく、実はもうすでに「十劫」の昔に私は救われていたのだという確信になる。やがて救われるという確信が、もうすでに救われていたという内容に転換する。
決して完璧に救われてしまって、もう救われる必要はないということにはならない。だから救いは未来にしかない。しかしその未来の内容が永遠の過去に救われていたという安心感なのだ。
未来は、実は過去の中にあったのだ。
阿弥陀さんはもうすでにあらゆる存在を救って仏となったのが十劫の昔だ。それに対応するのが「機の深信」のことばで「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこの方つねに沈みつねに流転して、出離の縁あることなき身」である。
阿弥陀さんは「永遠の昔」に救っているといい、我は「永遠の昔」から迷い続けてきた身であるという。これが「現に」というところでスパークする。仏さんは「十劫」であり、自分は「曠劫」である。この「曠劫」は、自分自身の迷いの深さを暗示した言葉だ。この世に生まれて迷ったのではなく、大昔から迷い続けて、ようやく人間に誕生してきたという迷いの長さへの感慨だ。
それはただ闇雲に迷ってきたのではない、大昔から阿弥陀さんが救おう救おうと働きづめにはたらいていた長さと同じなのだ。それが「現に」いま出遇い、阿弥陀の悲愛と自己の存在がひとつになったのだ。

いままでは自分一人が救われれば、それが救いだと思っていたのだ。ところが〈ほんとう〉の救いとは、あらゆる存在が救われなければ自分は救われないという確信だ。自分一人が救われればよいということでは、救い自身が満足しないのだ。
だから、阿弥陀の誓願とは、人間の奥深くにある、〈ほんとう〉の願いだったのだ。
あらゆる存在が救われていくにしても、自分はその一番最後に救われる存在になったということだ。
いままで、「阿弥陀」という言葉が、自分とは無関係に、超越した存在としてイメージされていたのだろう。それが、〈ほんとう〉は自分自身の内奥のことだったのだと教えるのだ。阿弥陀とは自己のことだったのだ。
 それが曽我量深先生の「如来は我なり」という表現と共鳴する。その展開で「如来我となりて我を救ひ給ふ。如来我となるとは法蔵菩薩降誕のことなり」である。
 間違っていけないのは、これは「梵我一如」とか「仏凡一体」ということではないということだ。
 たとえば白隠禅師にこういう和讃がある。
「衆生本来仏なり。水と氷のごとくにて。水をはなれて氷なく。衆生の外に仏なし。」(『坐禅和讃』)
 これが悟りの表現だとして、これを誰がどの立場で語るかが問題だ。もし人間の立場で語っているのであれば、これは「天台本覚論」と同じことになり、現状肯定、自我肯定の罪を犯すことになる。
 衆生はもともと仏さんなのだから、もはや修行する必要もないし、何をやってもいいのだと自我肯定の骨頂に堕す可能性もある。
 「如来は我なり」とはまったく異質な表現だ。
これは、曠劫以来犯してきた罪の集積体である自己と、その自己を永遠の昔から同伴して救おうとしてきた法蔵菩薩が、いまここで出遇い、「機法一体」になったということである。機法一体もいろいろな解釈があるが、私はモーターのたとえを使う。自分がS極であり、菩薩がNだ。それが軸を中心にして引きつけ合う。そしてグルグルと回り始める。決して「一体」だからといって、SとNが密着して一つになったわけではない。それでは「救済」というダイナミックな運動が死んでしまう。機法一体とは、永遠に引きつけあって運動が始まることをいうのだ。
 S(自己)は永遠に救われない。それをN(菩薩)が永遠に救おうとはたらく。そういう運動体のことなのだ。固定したら信仰は死ぬのだ。
 

●2016年7月22日●
お勤めの終わりには「回向文」というものを称える。一番馴染の深いものが「願以此功徳」だろう。これは、善導大師の「勧衆偈」(帰三宝偈・十四行偈)の末尾の四句だ。「願以此功徳 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国」が、それだ。
書き下しにすると「願わくは、この功徳をもって、平等に一切に施して、同じく菩提心を発して、安楽国に往生せん」だ。
親鸞はこの偈文を解説していないようだ。
どうも善導大師の文脈だと「我々が以上の功徳をもちいて、平等にあらゆる存在に施して」と「我々」が主語に読めてしまう。まあほとんどの回向文の体裁は、「人間」が主語だろう。
しかし、親鸞の文脈に置き直せば「主語」は阿弥陀さんと読まなければならない。つまり「願わくは、私があらゆる存在を救おうと建てた悲愛によって」と、そこまではよいのだが、その後の「同発菩提心」をどう読むかだ。
法然は浄土宗独立のために「菩提心」を諸行のひとつとして廃捨した。まあ法然の捨てた菩提心とは、人間が努力して発す心、つまり「聖道の菩提心」である。法然は「末代になりぬれば力及ばず、行人の不法なるによりて機は及ばぬなり」(『十二問答』)で述べ、時代も末法で荒んできたし、それを行う人間の能力も低下しているから、発すことができないのだという。ただし浄土に生まれたいと素朴に願う菩提心は肯定的に評価はしている。
これを受けて弟子の親鸞は、「横超の大菩提心」と積極的な表現に打って出た。法然の『選択集』を断罪した明恵は、仏道の大前提として「菩提心」を見ている。その菩提心を否定した法然を許せなかったのだ。その批判を受けて、実は師・法然の真意は「横超の大菩提心」を表現したかったのだと弁明した。
ただし、同じ「菩提心」でも、明恵の見ている「菩提心」と親鸞の見ている「菩提心」はまったく異質なのだ。
親鸞は、明恵の考える菩提心は「自力の菩提心」、法然のいうのは「他力の菩提心」と定義し、さらに「真実信心はすなわちこれ金剛心なり。金剛心すなわちこれ願作仏心なり。願作仏心すなわちこれ度衆生心なり。度衆生心すなわちこれ衆生を摂取して安楽浄土に生ぜしむるの心なり。この心すなわちこれ大菩提心なり。この心すなわちこれ大慈悲心なり。」(『教行信証』信巻)と展開した。
親鸞のいう「菩提心」とは信心のことなのだ。明恵の考える信心は、恐らく人間のこころの内なる経験だろう。しかし親鸞のいう信心とは「如来から信ぜよとはたらく命令」のことなのだ。その命令こそが菩提(さとり)を求める心なので、人間の起こそうとする意志ではない。
親鸞は「菩提心」とは何かとこだわって考えたに違いない。「菩提」はbodhiの音写語で、漢訳では「智・道・覚」などと訳された。「これを得た者が仏であり、これを目指す有情(衆生)を菩薩という。(『岩波仏教辞典-参照)仏は仏陀の略語で、buddhaの音写語だし、菩薩もbodhisattaが原語だ。そられはすべてbudhが語根になっている。budhは「知る・知覚する」という意味らしい。
すると「菩提心」とは、「仏に成りたい」「仏法を知りたい」「悟りを得たい」という素朴な発心を意味する。僧侶は誰しも、その心がなければ仏法を求めることが成り立たないではないかと明恵は考えている。
しかし、親鸞はもう少し意地悪く考える。菩提心は聖なるものを求める心で、一見するとよさそうに見えるが、果たして人間にそんな心があるのかと疑った。人間が「悟りを求める」というとき、その人間は煩悩の眼で悟りを見ているのではないか。だいいち、まだ「悟った」こともない人間が、どうして「悟り」が素晴しいなどと分かるのだろうかと、意地悪く考える。所詮、迷いの眼でしか物事をみえないものが、「悟り」に近づこうとするのは、そこに欲心や邪心があるからに違いない。
そのように考えると、もはや仏道に近づくことが煩悩の手で悟りを掴もうとしていることになる。それはとても聖なる菩提心ではない、煩悩の泥沼の中の出来事でしかいのだ。
まあ、人間が仏法に近づくのには、そういう方法しかないのだ。ウンコに銀蠅が吸いよせられるようなものだ。仏道を求めようなどという聖なる心は、自分にはひとつもないと親鸞は見抜いている。
その自分に、信ぜよ、まかせろと迫ってくるもの。それこそが「横超の大菩提心」だと言い当てた。煩悩具足の凡夫が、妙な臭いに吸いよせられる。この吸引力こそ阿弥陀さんの力だ。自分の外部から関わってくるはたらきだ。これを「大菩提心」と言い立てたのだ。
ここまで噛み砕いて、初めて「同発菩提心」が、落ち着いてきた。これは「同じく、等しく信心を発して」と読めた。
まあ、善導の文脈を再度、親鸞の文脈に置き直して読まなければ、真宗にはならない。そうすると「願以此功徳」は、「願わくは、この功徳を以て」とは、人間の願いではなく、阿弥陀の本願と読まなければならない。そして「此の功徳」も南無阿弥陀仏という名号として読むべきだろう。
「阿弥陀如来がおっしゃるには、『願わくは、この南無阿弥陀仏の功徳を、あらゆる苦悩する存在に施し、ひとしく同じ信心を発して、私の国に生まれたいと願いなさい』と」このように回向文を読むことで、私への呼びかけとしてシックリと受け止められた。決して人間が人間に対して発す願いではなかったのだ。

●2016年7月20日●
駅へ着いたとき、タッチの差で電車が出てしまった。次の電車が来るまでの間が、実にむなしい。
可能な限りの最長の待ち時間だからだ。
仕方なくホームを歩いていたら、南無阿弥陀仏がやってきた。
ここはお前の思い通りになる場所じゃなく、本来、南無阿弥陀仏の場所じゃないか、と。
いわれてみれば、その通りで、その瞬間、退屈感が吹っ飛んでいった。そうか、ここは南無阿弥陀仏の場所で、南無阿弥陀仏の時なんだ。
万劫の初事だったんだ。すべて目の前の事故的現実は。
しかし、それがすぐに「日常」に飲み込まれてしまうのだ。「古池やカワズ飛び込む水の音」(芭蕉)だ。飛び込んだカエルの波紋は、円を描いている。しかし、飛び込んでカエルは池深くに潜ってしまって、姿はない。後に残ったのは、ポチャンという水の音、それすらいまは消えてない。目に映るのは、水の波紋。
日常というやつは、なんとも不思議だ。この「当たり前」感覚なくして、おそらく人間の自我はやっていけないのだろう。自我はつねに揺れ動いているから、不安定な状態には耐えられないのだろう。新婚さんは、相手から、つねに「愛している」というメッセージをもらい続けないと不安になってしまうのだ。職場でも「あなたがいるお蔭でうまくいっている」というメッセージがほしいのだ。こういうエサを補給し続けないと自我は不安になるのだ。誰かが認めてくれなくても、「自分が苦労しているから、この家もうまくいってるんだよな」などと慰めている。
このように「自我」の不安定を相手にして一生をうかうかと送ってしまうものこそが人間なのだ。
自我とは、私のいう「一人一世界」なのだが、その繭玉のような世界で一生を終えてしまう。「私の思いの中の人生」、これを曇鸞は「蚕繭自縛」(サンケンジバク)とメタ化している。蚕が自分の糸で自分を縛り、自分の世界の中に閉じこもっているようなものだと。この「私の思いの中の人生」を食い破って、そこから抜け出ることが願われている。
なぜ?か。それは〈ほんとう〉に背いているからだ。まさに自己中心的世界は、真実に背いていると教えるものがあるからだ。自己中心的な世界は、どこかおかしい、間違っていると知らせてくるものがあるたらだ。
それは何なのかは人間にはわからない。ただそれを〈ほんとう〉とか「真実」と命名しているに過ぎない。
「一人一世界」しか生きてはいないのだが、その世界はあなたの恣意的な世界だと教えてくるものがある。「一人一世界」は不実の世界だと。
それでは、その外にあなたの生きられる真実の世界があるのか、そこへ抜け出ていけるのかといえば、それは不可能だ。そんなものは外にはない。たとえ外へ抜け出ていけるとして、そこへ行ったとしても、そこは相変わらず「一人一世界」の内部になってしまう。
「一人一世界」は不実の世界だと知らせてくるかたちでしか真実は姿を表さない。
親鸞が「念仏には無義をもって義とす」(歎異抄第10条)と語ったようにだ。人間のはからいを「義」というのだから、はからいで念仏(真実)を表現してはならない、それでは真実が人間の「義」になってしまうではないかという批判がある。お釈迦さんが覚りを開いてから沈黙した問題だ。
覚りは真実を体験したことだが、それを人間の言葉に還元すれば「不実」になることをお釈迦さんは知っていた。親鸞も、そして唯円も、その問題に突き当たった。
そこをどう超えたか。それは、人間が覚ったとか、信心を得たとかいうことで、真実を知ったことにはならないという諦観である。真実を知っている人間ならば、その真実を言葉に表現することも可能だろう。しかし真実を知ったとか体験したということ、そのことが不実そのものだったと、底が抜けたのだ。つまり、真実の味を知ったとか、わかったという世界と決別したのだ。そして自分の体験も、人間の言葉も同じように「不実」の側にしかなかったと諦観した。
その諦観から、親鸞も唯円も、ともに無尽蔵の言葉で「真実」を表現していったのだ。表現することの勇気は、自分には、そして人間には不実以外の場はないという絶対認識だ。だから、真実を感じたとか、体験したとか、それを言葉にしたとか、それらは同じ次元のことなのだ。人間の体験は、それが体験として感じられたときには、すでに「言葉」の次元に入っていたのである。
それを自分は真実を得たから、とても大衆に説くことはできないと錯覚したのがお釈迦さんだ。その時のお釈迦さんは自分を「真実の側」に置き、大衆を「不実の側」に見ている。それをも超える言葉が「無義をもって義とす」だ。
義とは人間のはからい、観念の世界たから。それを不実、つまり「無義」と教える作用そのもの以外に真実はないのだ。
それで、真実に触れ得たとか、ちょっとでもかすったとか、そういう幻想から解脱できたのだ。真実という天界に飛翔できたという幻想が破れ、天使の羽がもぎ取られ、地上へ突き落とされた。この地上以外に自分が安心して生きられる場所はないのだ。
「罪悪深重、煩悩熾盛」が自分の安住できる住処だったのだ。それで真実に一生涯、背を向けて生きることが始まったのだ。絶望的な娑婆の生活だが、それはもともと娑婆の本質がそうだからなのだ。その本質を味わう以外にない。
電車が自分を待ってくれなかった。空しくホームにたたずむ。その空しさこそが娑婆の本質なのだ。娑婆の本質が剥き出しになって、赤裸々に娑婆のありのままを私に教えて下さっているのだ。実は、ここが逆説的に「浄土」だったのだ。

●2016年7月19日●
うわぁ、この世界は、私だけの、私一人の世界だったのだと気付いたとき、またまた驚いた。わかっていても、ついつい忘れてしまうのだ。だから、「忘れる」というのも御利益がある。
「一人一世界」だった。たったひとりの私の世界だから、とても丁寧に扱わなければならない。細心の注意を払いながら、丁寧に、大切に扱わなければならないと思った。
他者と生活しているのだが、他者との関係は、「貪欲と瞋恚」の関係だから、激しい関係なのだが、まだ単純な関係だ。自分にとって都合のよい相手か、都合の悪い相手かという関係だけで成り立っているのだから。
〈ほんとう〉は、もっと重大な問題があるのだ。
それは、阿弥陀さんとの関係だ。小林勝次郎という、妙な念仏者がいたそうだ。彼が二階堂行邦さんのお寺にふらっと立ち寄って、まだ大学を卒業したての二階堂さんにこう尋ねたそうだ。「坊さんとは何だ?!」と。二階堂さんはビックリしていると、小林さんは続けて「坊さんというのは、仏さんのことだけを相手にしている人間のことだ!」と言い放ってさっさと立ち去ってしまったと。
この話を二階堂さんから伺ったことがある。
二階堂さんは、学校を出て、さあこれから門徒の皆さんたちと仏法の会を立ち上げたりといろいろと考えていたそうだ。だから人間をどうするかということだけを考えていたところに、それとまったく反対の答え方をされて驚いたそうだ。
でも、小林さんの言葉は真理の一言だろう。坊さんが仏さんのことだけを考え、仏さんのことだけに専念していたら、アマゾンの「お坊さん便」などは生まれてこなかったに違いない。
どうしても、自分とか他人とか、人間のことにかかずらわってしまったので、駄目になったのだ。〈ほんとう〉は仏さんのことだけを一生懸命に考えなければならない。
いや〈ほんとう〉ということのみに関心の中核を置かねばならないのだ。
曇鸞は「如実修行相応」ということをいう。「如実」は「真実の如し」だから、まあ〈ほんとう〉ということだろう。親鸞はそれを「実の如く修行し相応せんと」と読んでいる。その「〈ほんとう〉の如くに修行すること」と一つになろうという意味だ。その「修行」とは、簡単に言えば「生活」ということだろう。つまり生活の一部分だけを「修行の時間」とするのではなく、生活全体が「修行」にならなければ嘘なのだ。つまり、「生きる」ということと修行がひとつになっているということだ。修行が「何かのための修行」であるなら、生活全体を営む意味も「何かのための生活」でなければならない。
その「何か」がわからないから、生活が「如実」、つまり〈ほんとう〉にならない。それを曇鸞は「不如実修行」という。その問題を突き詰めて、「〇〇のため」と目的意識をもってしている生活、修行は「不如実修行」だと見抜く。「〇〇のため」と未来に目的を設定して何かに励むのでは、目的が欲望の対象になってしまうではないか。それは「如実」から生まれた修行ではない。「不如実」の生活だ。
答えは、ハッキリしているのだ。
目の前の生活の瑣末な部分に、「如実」が顕現しているとみえなければならないのだ。それを曇鸞は「出第五門」という問題で暗示している。「阿修羅の琴」の譬えでそのことを語る。神話的表現だから、「阿修羅の琴」なんか誰も見たことがない。たとえば、「阿修羅の琴の鼓する者なしといえども、音曲自然なるがごとし」という。つまり演奏者がいないのに自動演奏のように琴が自分で音を出すという。これは、生活を能動的にする主体がなくても、生活そのものが自然に動き出すということで、私のいう「生活の客体」になることを暗示している。いつもいうように「させられて」(受動)、そのうえで「している」(能動)のが〈ほんとう〉の有り様なのだ。
もうひとつは、ライオンが鹿を捉えるようなものだとも譬えている。ライオンは鹿を捕獲するのに、必死ではなく、遊んでいるようなものだという譬えだ。そこに「遊戯」を暗示する。まあこれも人間がライオン(獅子)が鹿をとる様子を見て感じただけのことだ。いかにもライオンは必死ではなく、遊んでいるかの如くに鹿を捕まえているように、人間には見えるだけのことだ。当のライオンは、必死になってやっているのかもしれないのだ。
うちにも猫がいて、たまに雀などを捕まえてきた。猫は、別に雀を食べるために捕獲するようでもない。確かに最後には食べてしまうのだが、捕まえた当初は、飼い主に褒めてもらいたくて半殺しの状態の雀をくわえて室内に運んでくる。半殺しの雀は動かないでいるが、猫がちょっかいを出すと、バタバタと逃げ回る。それを面白がって猫は捕まえる。この仕種は、確かに猫が遊んでいるように見える。
それは、ひとつには「余裕」というものを我々に教える。もうひとつには、していることそのことが目的であって、していることと、その結果とが分裂しないということだ。
これは「趣味」に似ている。すること自体が目的であるような行為だ。
厳密に見ると、「する」ことで、もうすでに、「完成」があるということだ。「する」ことは何かを期待してするのだが、実は「する」ことでもうすでに「する」こと自体が完了し完成しているという見方だ。
確かに、ビールを飲むのは、別に酔っぱらうためでもなく、疲れを癒すためでもない、ただビールを飲みたいから飲むのだ。「飲む」ことで「飲む」こと自体が完了し完成している。酔っぱらうためとか、疲れを癒すためというのは頭で考えた理屈であって、それこそ「不如実」だ。
日常生活は「する」ことで満ちているけれども、厳密にその日常を数ミリほどに切り分ける道具があれば、その数ミリごとに切り分けられた日常は「する」ことが「する」ことで完結し完了しているのかもしれない。
如実にビールを飲む行為が、如実にビールを飲む行為自体で完了している。そう思えると、日常を生きることは芸術を創作しているようなものではないか。一瞬一瞬の行為は、一瞬一瞬で完結した芸術作品ではないか。料理なんかもそうだ。どれほど時間をかけて作ろうと、数分ですべては無に帰す。彩りやら味付け、温度、歯ごたえ、風味やコクなど、ものすごく複雑な芸術作品だ。それが一瞬でもないが数分で胃袋に入り、無に帰す。まるで夏の夜空に花咲く、花火の大輪の如しである。一瞬にためにすべてがあった。
ひとは、日々、生活という芸術作品を創作しているのだろう。
それがどんなに詰まらなく意味のないものに思えてもだ。いつも意識が介入すると、すべて「不如実」になる。でも、「不如実」だと知りうるのだ。「不」だと知っているのだ。その「不」がやってくると、すべてが「如実」として復活する。

●2016年7月18日●
今年のお盆は参詣人も少なく、いったいどうした現象だろうと不可解に思っていた。休日がお盆期間中(13日~16日)に含まれなかったことも、ひとつの要因かもしれない。私は、「真宗とお盆とは無関係。他宗派がやっているから、お付き合いしてやっているだけです。仏さんを13日に迎えて16日に送ってしまうなんて、非人情なことはしません。仏さんとは四六時中一緒にいるから、家族のような関係です」などと説教するので、その効果の表れかもしれない。
いやいや、そこまで私の説法が効果をあげるはずもないので、社会現象として、そうだったのではないか。東京や北海道は明治以降の太陽太陰暦を採用したので、7月だが、他の地域では、明治以前の太陰暦だから8月が一般的で、7月のお盆は馴染まないというふうにもいわれる。しかし、その分析も怪しいものだ。
あるいは、お盆のときに墓参りをするのを習慣化していた老人たちが亡くなってしまって、次世代に受け継げなかったからかもしれない。
まあ、真宗は民俗学的に見た習俗というか、習慣というか、そういうものが極端に少ない。いわば真宗以外の民俗習慣で大衆と仏教がつながってきた面が大きい。お盆の迎え火送り火、施餓鬼や灯籠流し、針供養などの〇〇供養、地蔵盆、お彼岸や、焙烙灸等々だ。そういう民族習慣を取り除いてしまえば、仏教と大衆の接点はないのかもしれない。
真宗は、徹底的に仏法聴聞だけをすべての中核に据えてきた。だから、儀式や行事の中核はいつでも「説法を聞く」ということだけに焦点を当ててきた。なんのためにと問われれば、真実に奉仕するためだ。仏さんの願われていることに従っているだけなのだ。
説法を聴聞して、その後に何かを期待しているわけではない。聴聞すること、そのこと自体が尊いことだと考える。
それは、私流にいえば、「真宗を創造すること」だからだ。真宗を創造するということは、〈ほんとう〉をそこに顕現させることだ。
そうすることで、どんな利益があるのかわからない。また、何か自分が真実を知っていて、それをみんなに分け与えるということでもない。真実とは誰においても未知のものでなければならない。誰かが占有してよいものではない。
その真実と人間の関わり方は、難しい言い方でいえば「否定媒介」である。人間に真実は肯定的に関わらない。人間には必ず否定的にしか関わらない。人間が真実を知りうるはずだという思い込みを否定することを通して、真実を暗喩的に関知させるのだ。
向こうに真実があるはずだと思っていたころ、真実は自分には無関係だと思った。「向こう」とは浄土でも、親鸞でも、釈迦でもよいのだ。とにかく自分から向こう側にあって、自分にはないのだと考えていた。それはちょうど、自動車のヘッドライトをつけて闇夜を走るようなもので、ヘッドライトで照らされた部分にだけ「真実」が浮かび上がると思っていた。その考え方が破れてしまってからは、真実とは太陽的なもので、向こうからこっちに降り注いでくるものになった。
ただ太陽を見ると逆光で眩しくて見えないのと同じで、真実は肉眼で見てはいけない。逆に太陽に背を向けると、目の前の世界が光の世界に転じる。わざわざ向こうにいって真実を捕まえる必要がなくなる。目の前が光の世界だったのだから。
そうは言っても、光の世界はなかなか厄介な場所でもある。光は障害物にぶつかったところでだけ光になることができるからだ。宇宙空間で光は光になれない。宇宙空間は光を遮るものがないから、透明の中では光は光になれない。光が光になれるのは、それを遮るものに出合ったときだけだ。
だから、光を遮る障害物が大事なのだ。尊いのだ。
●2016年7月16日●
我々の眼が、そもそも妄念妄想で凝り固まっているので、その迷っている眼に応じて真理を説こうとしたのが浄土教だ。
だから、阿弥陀さんという仏を説いたのも、浄土という他界を説いたのも、往生という人生観を説いたのも、念仏という行を説いたのも、すべては我々の側の問題に応じるためだったのだ。
お釈迦さんは縁起、つまり因縁の法則を「真理」だと語ったのだが、それだけでは迷っている我々の眼には懇切丁寧に「真理」が伝わってこなかった。そのために、「阿弥陀」などの浄土教の専門用語を駆使して、やむなく説明をしたのだ。発展途上の求道者である釈迦の説法の不備を補ったのだ。
お釈迦さんの覚った法dharmaは縁起の法則といわれる。いわゆる関係論で、すべては関係性で成り立っていて、そこに実体的なモノがあるわけではないという発想だ。だから、物事に執われてはならないと、所詮、無我であり、無自性であり、関係性が織りなす「幻の意味」なのだと説いた。
しかし、それだけだと、突き詰めれば「存在の否定論」になり、どこからも「存在の肯定論」が生まれてこない。般若心経でいえば「色即是空」(物質は所詮、関係性だ、何もないのだ)というだけで、我々の煩悩を否定しろ、そこに真理があると否定論で語ることになる。
その説き方のまずさを補って「空即是色」と説いたのが般若心経だ。「実体的な存在が何もないから、そこにあらゆる存在があらしめられる」という意味だ。この世には同じ場所に二つのモノが同時に存在することはできない。
しかし、「空即是色」でもまだ、足りないのだ。「空即是色」だと、現状肯定の傲慢が残ってしまうからだ。「あるがままでいいよ」という存在肯定では、怨みが残る。つまり、それでしか生きられないんだから、それでいいんだよ。所詮、人間というものは、そういう生き物なんだよといって、自分たちの愚かさを慰め、現状肯定の言い訳でしかなくなる。 その傲慢さをどうにかしなければ仏法にならないので、仕方なく「阿弥陀さん」というものを立てた。というか、「阿弥陀さん」という言い方を思いついたのだ。
親鸞も「十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなわし 摂取して捨てざれば 阿弥陀となづけたてまつる」と和讃でうたっている。私たちを救うはたらきを「阿弥陀」と「名づけ」ているわけで、「阿弥陀さん」が実体としてどこかにあるわけではない。ただ、「なづけたてまつる」という言い方が大切だ。
人間が「名づける」ということになると、そこにもまた傲慢が生まれてしまう。人間が命名したものは人間以下の存在だからだ。人間が人間の言葉によって命名するのだから、それは「人間的なモノ」ということになる。
「所詮、阿弥陀なんてものは人間が名前をつけただけで、そんなものはどこにもいないんだよ」と傲慢にならないために「なづけたてまつる」と尊敬語で、その毒を消している。本来、名前をつけることなどできないものなのに、それをあえて人間に分かるように、人間の言葉で命名することは、罪を犯すことなのだ。「阿弥陀さん」といえば、阿弥陀さんを人間が知っているように傲慢に考えてしまうが、そんなところに阿弥陀さんがいるわけではないよと、教えているのだ。
なんとか、人間の自己肯定や現状肯定という傲慢を超えなければ、〈ほんとう〉の仏法にはならない。そのために、あえて架空の存在を、人間に対立する形で立てて、「お前の考えている仏法や仏さんは、人間の考えにすぎないぞ」と教えるのだ。
現代の言葉でいえば、「阿弥陀」とは自己の存在了解の問題であり、「浄土」とは人間が場(空間)を生きる生き物だから、いかなる場を生き、いかなる場へ死ぬのかという他界の問題である。また「往生」とは、それらに関連して、「人生という物語」をどう考えるかという問題であり、これは時間をどのように考えるかの問題でもある。
 そうやって考えていくと、お経の真理性は、お釈迦さんが説いた原始経典が真理だという考えも、また後代に作られた大乗仏教が真理だという考えも通用しないように思える。
「真理は部分にしか存在しない」のではないか。
 言ってしまえば、どのお経も、すべて人間が、人間的に、人間の言葉で表現した作品に過ぎないのだ。だから、人間の凡情や物語に応じて、等身大に説かれなければならない。(ここに図が入っているのだが、やり方が分かりません。ご容赦下さい)
そこには古いとか新しいという基準を設けてはならない。古いのがよくて新しいのが駄目ということになると、仏教は衰退していくしかない。これから新しいお経は生まれないのだから、時代が新しくなるほど衰退していく。それを防ぐために孔子は「温故知新」などといったのだろう。古いものの中に、常に新しいものを発見していけるとは、その意味だろう。〈ほんとう〉は時代を超越している。
人間は発展も堕落もしていない。何万年たっても同じ生き物であることに変わりはない。
娑婆は、私の内部から流出してきたもので満ちあふれている。だから娑婆のよいところも悪いところも、私の内部から流出してきたものと通底している。
●2016年7月14日●
はじめの問題。
自分は、どこから始まっているのだろうか。考えれば、旧約聖書の創世記から始まっているともいえそうだし、自分の母、その母を生んだ母といのちの原初へ遡及するイメージも持つことができる。
そういった「考えられた」はじめではなく、自分の存在が何において存在たらしめられているのか、考える以前のはじめの問題である。
前にも「意識」の問題だと、述べたことがある。「我、思うゆえに我あり」というデカルトの表現が示すように、「意識」が、どうしても自分の存在のはじめのように考えていた。 「私」は「私という意識」なのだと。
その「私」に乗っかって、私は「私」を生きてきたと思う。私は「武田定光」であると、人に向かって表明することができるのだから。しかし、「意識」をはじめに据えてしまうと、何かが抜け落ちていく。
「意識」が私の「主体」だと思っていると、どうも不安定になる。自我はつねに不安定なものだと心理学では考える。不安定なものだから、何らかのものを足場にして自我を安定させたいのだ。それが家族や家やお墓や特権意識や自尊感情や名声や地位や健康や財産や生きがいだったりする。そうそう、差別意識もそうなのだ。
だから、どうも「自我」という意識は不安定なものだと、自分はどこかで気づいているのだ。だから、躍起にやって足場を固めようとかかる。
それはどうも不安定な「意識」を足場にしているがゆえの不安定さだ。
その不安定感を、「阿弥陀さんの揺さぶり」と理解してしまえば、もはや真宗の内部のことになってしまう。
以前は、「阿弥陀さんの揺さぶり」とは受け取っていなかったのだから、むしろ不安定感をなんとか打ち消して、強固な足場を築こうとしてきたのだから。
なんで、いまは、「阿弥陀さんの揺さぶり」を〈ほんとう〉だと感じてしまっているのだろうか。
あれこれと、考えてみた。だから、この行と次の行が書かれる間には、物理的時間が存在した。そうしているうちに「御知らせ」が、やっと届いた。
どうも根底には愛というか、悲愛というか、慈悲が「ある」ということなのだろう。どっちが不安なのかといえば、不安定を安定させようとして足場を築こうとしているほうが不安なのだ。
逆に、不安定の状態が、阿弥陀さんの悲愛という「安定」からの促しだと受け取ると、安定に変わる。それはいくら不安定であっても、いや、不安定であればあるほど、大きく揺さぶられているわけだから、悲愛の「安定」が強くはたらいて下さっていることになるからだ。こうなると、不安定を拒否したり、恐れる必要がなくなる。
不安定のまんまが、実は安定の存在証明になるわけだ。

やはり、「はじめに悲愛あり」が〈ほんとう〉ではないか。悲愛の中に自分が存在を恵まれてあるということではないか。親鸞も「大慈悲は仏道の正因なるがゆえに」と『教行信証』(信巻)で述べている。何から仏道が始まるのかといえば、「大慈悲」だったといっている。
おもえば『歎異抄』第1条も「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて…」で始まっていた。阿弥陀の悲愛から、自分という存在は始まっていたという驚きだ。
自分という意識から始まるのか、それとも悲愛から始まっているのか。
まあ、人間の手を通さない、草花や木々は、意識から始まってはいないのだから、彼らのほうが、やっぱり〈ほんとう〉のあり方なのではないか。仏教は「一切衆生」の存在が存在たらしめられることが〈ほんとう〉だと直感してきた宗教だろう。人間だけではない。そんな狭いものものではない。
そうは言っても自分の目の前には、愚痴と妬みと嫉みと絶望が渦巻いているのだ。しかし、その前には悲愛があるのだ。それらが成り立つためには、悲愛が前提にあって、その中で展開しているのだ。
だから、言葉としては「南無阿弥陀仏で、まだ不足ですか」と問い返されてくる。不平不満の現実を前に、つねに「南無阿弥陀仏で、まだ不足ですか?南無阿弥陀仏でまだ不足ですか?」という問いかけ襲ってくる。
●2016年7月13日●
昨日、お風呂に入っているとき、自分の急所を洗いながら思った。思ったというか、違った世界が見えた。
それは、俺のチンチンなのか、俺がチンチンなのか、チンチンが俺なのか、それが不透明になり、茫洋としてきて、わからなくなってしまった。いままでは、間違いなく「俺のチンチン」だったはずだ。それが、果たしてそうか?となって、それが逆転してきて、「チンチンが俺」ではないのかと逆襲してきた。
チンチンが俺なのに、「俺のチンチン」と所有格で呼ぶことができないのではないかと思えた。
それではいま、目の前で、チンチンを洗っているという行為そのものは一体なんなのか。その〈ほんとう〉のところは、まだよくはわからないことだったのだ。
この「所有格」の世界が、ごく当たり前のように、感覚されていること自体が、狂っているのだろう。
「自分が」「自分は」「自分の」「自分に」と感覚して、何十年も生きてきたから、これが、もはや問われることがなかったのだ。親鸞以前の仏教は、それを断ずることで、〈ほんとう〉が見えてくると錯覚した。
しかし、親鸞は、その「所有格」を断ずるのではなく、それが生まれてくる根源に、問いの矢を向けた。
それは、根底に、というか、原初に、というか、「所有格」以前の世界に、悲愛があったのだという直感から、生まれてきたに違いない。そこまで根源に戻って、問うてみると、なぜ悲愛があるのに「所有格」を必要とするのかという問いになる。
「所有格」を我々に与えた意味は、どこにあるのだろうか。
それは恐らく「所有格」の世界は、自由に自分の思い通りの世界を作っているようにみえて、実はそれが全部幻想であることを教えるためではないのか。実に手の込んだやり方だ。
「所有格」によって、操るものなくして操られているということなんだ。自分でもどうして「自分の」「自分が」「自分は」「自分に」と考えてしまうのかは、わからないのだ。わからないのだが、その自我のエネルギーに翻弄されてしまっている。
そのカラクリを教えるために、あえて「所有格」という意識を与えたのではないか。
猫は年をとると性格が丸くなるが、人間は、ますます棘が出て、角張ってくるからだ。
寺の猫は若いころ、気が荒く、背中を撫でていると、すぐに人の手を引っかいた。だからみんな傷が絶えなかった。とても気難しく、人前にも顔を見せなかった。
ところが近頃は、いくら撫でても引っかいてこない。むしろ気持ちがよいという顔をしている。来客には邪魔になるのだが、玄関前のマットで寝ていて、来客に「かわいい!」などといわれて、撫でられている。この変わりようはなんだ。
やはり、年をとると猫は性格が丸くなる。ところが、人間は逆に、ますます気難しく、短気になり、とげとげしくなってくる。こう思うと、人間は猫以下の生き物だ。
だが、それも無駄なことではない。猫を「ご立派!人間にはとても真似ができない」と感じる感受性のあることを教えるからだ。

だから、自分のチンチンではなく、チンチンが俺だったのだ。〈ほんとう〉は逆だったのだ。この世は、「所有格」の罪を教えてくれる、大いなる阿弥陀さんの教育現場だったのだ。さて、今日も、どういう教育が展開されるのだろうか。
●2016年7月10日●
「流される生き方ではなく、敢えて流れる生き方」だと安田理深先生がどこかで述べていた。欲望や怒りや妬み、つまり煩悩によって、嫌々ながら押し流されて生きる生活ではなく、あえて、その煩悩の流れに乗って、流れる生活をするのが信仰生活だというのだ。
煩悩を恐れる必要のない信仰、これは歎異抄で「悪をもおそるべからず」(第1条)と述べられている信仰だ。
煩悩の中でも、感情はまだ他愛ない幼稚な作用だ。怒り腹立ち、妬み、嫉みは、強烈に自分と他者を傷つける煩悩だが、単純なのだ。激しいけど単純だ。煩悩の中でもっとも厄介なものが「はからい」、つまり意識という煩悩だ。
感情を、水路を流れる汚水に譬えれば、「はからい」は水路そのものだ。水路がなければ汚水は流れることができない。つまり、感情は意識化しやすいが、「はからい」は無色透明で意識化することが難しい。
いつも自分を操っていて、操られていることをわからないようにしている。
操り人形のようにされていて、操られていることを決して見破られないようにできていてる。
ものすごく巧妙な仕掛けが「意識」なのだ。
意識がなければ、幸せなのだが、我々はすでに意識で出来上がっている。東本願寺に片足の鳩がいた。片足で、他の鳩たちに混じって、必死になって餌をついばんでいた。あの鳩は、自分が片足であることを「意識化」していないのだろう。「意識化」していれば、もっと卑屈感を周りに放っているに違いない。「なんで自分ばかり、こんな不自由な目に遭っているのか」と愚痴も出るはずだ。しかし彼は「不自由と不幸は違う」と悟っているのだ。不自由感は確かにあるはずだ。他の鳩たちは両足で安定しながら、差ほど苦労なく餌をついばんでいるのだから。それに比べて、片足の鳩は、移動するにも片足でピョンピョンと全身で跳ねて移動するのだから、ものすごい労力だ。側で見ていても、あの全身で跳ねる労力は大変だろうなあ、よくぞ逞しく生きているなあと感動さえ覚える。
恐らく彼には「意識」が人間のようにはできていないのだ。だから自分自身の姿を相対化することができない。それはむしろ幸せなことだ。
人間は、不幸だ。意識をもってしまっているのだから。自分では意識するしないにかかわらず、無意識にというか、自動的に他者と「比べ」てしまっているのだ。比べることは苦しいことだから、比べたくないのにもかかわらず、自動的に、待ったなしに比べて苦しんでいるのだ。まさに「させられ」て「して」いるのだ。
これこそが「意味の病」を背負った人間の不幸だ。それで初期の仏教は、その「意識」を殺して、働かなくすることに躍起になった。ただ、それを突き詰めれば「死」が目的になってしまう。それで、親鸞は「意識」をもっていながらも、その「意識」を対象化できる方法を覚った。それが「不断煩悩得涅槃」(煩悩を断ぜずして涅槃を得る)という正信偈の言葉で示される。
もし、覚った自分と覚った法とが、別々のものであったならば、それは「覚り」とはいえない。そもそも「覚る」とは、「観察者と対象」という別物であって、観察者がその対象を認識するという知り方ではないからだ。観察主体である「観察者」そのものが変革されることを「覚る」というのだから。
だから、「ああこれは自分の煩悩だ」と対象的にわかって、それを「そのまま」にしておくという知り方ではない。もし観察者そのものが変革されていなければ、それは実に傲慢な、「造悪無碍」に堕す。つまり、阿含経で述べられている「苦労してやっと証得したものを なぜまた人に説かねばならぬのか 貪りと怒りとに焼かれる人々には この法を悟ることは容易ではない」(『阿含経典』2 ちくま学芸文庫)という傲慢を生む。
ここにはお釈迦様の「自分が苦労して手に入れた」という自我煩悩がよく表現されている。手に入れた自分と、手に入れた法とが分離してしまっている。この「自分」が残ったままで、「不断煩悩得涅槃」を解釈すると、煩悩は縁起、つまり条件によって起こるものだから、「煩悩のままでよい」という現状肯定になってしまう。自分が「断ずる」か「放置するか」というだけのことで、結局「自分が」という意識性は何ら変革されていない。 まあ煩悩を断じようとする意識そのものが煩悩なのだから、人間は煩悩から一歩も出ることはできないのだ。このお釈迦様の絶望をくぐって、初めて親鸞のいう「不断煩悩得涅槃」が再生されたのである。
それは煩悩の「肯定」でもなく、「否定」でもない、第三の道の開けである。
いわば「煩悩を拝む道」である。
簡単にいえば、煩悩は「起こす」ものでなく、「起こるもの」という視点の転換だ。「起こせる」と思っているから、「起こる」のは自分の努力不足だと退一歩してしまう。あるいは「起こせる」と思っているから、煩悩を放置しておけるとも思うのである。
その両者を超える世界が「起こる」という世界だ。考えるということ全体が意識という煩悩なのだから、そもそも意識から抜け出ることはできないのだ。
「煩悩を拝む」というのも、自分と煩悩が二つに分離しているではないかと批判を受けそうだ。確かにそうだ。「意識」という煩悩は透明だから、捉えることはできないのだが、怒りや欲望は強烈だから捉えやすい。そのとき、怒りや欲望を嫌悪する意識が生まれる。そうなったとき初めて、怒りや欲望が自分を超えて、自分に展開していることを知る。そこで煩悩そのものとなっている自分を教えられる。もはや「自分」と「煩悩」を分離させる意識はない。「自分=煩悩」であり「煩悩=自分」だ。
だから、自分の意識に嫌悪感や違和感が沸き上がってきたとき、その「煩悩」を拝むということが起こる。自分を超えて自分に煩悩が展開して下さっていること、そのことが法の展開だと教えられる。
そこで煩悩を断ずる宗教から、煩悩を拝む宗教へと深化したのだ。
あの鳩のようになれたら覚りだ。鳩は覚らずして覚っているのだから、「覚り」そのものも味わうことができない。人間は、鳩のようにはなれないから、鳩には知ることのできない「覚り」を味わうことができる。これが人間の、人間たる由縁かもしれない。
「大いなる無駄」こそ、人生の妙味ではないか。

●2016年7月9日●
ここのところお葬式が多い。何がしかのバイオリズムが、それを左右しているようだ。
お寺のジンクスで、「一軒、亡くなると、葬式、続くよね」というのがある。不思議と二軒、三軒とつながる。「このタイミングで!」とついつい愚痴が出る。
そして、人間のいのちは「待ったなし」の限界状況にあることを教えられる。「同じことの繰り返しはない」が真実のいのちのすがただ。いつまでもいのちが続くように幻想を抱いているというだけのことだ。だから、〈ほんとう〉は人間の「予定」などあってないようなものだ。
先日、交通事故を目撃した。夕方、自転車が通りを横断しようとして、そこにバイクが突っ込んだ。ちょうどスーパーマーケット近くだったので、大勢のひとたちが、それを目撃した。自転車の主は、みんなに支えられながら抱き起こされた。「よかった、頭部は打撲していないようだ…」と思った。
事故は、まさに一瞬の出来事だ。あと数秒ズレていれば起こらなかった。ただ冷酷な時間の「不可逆性」というやつが支配しているので、動画再生のように時間を巻き戻すことができない。ああ、これが〈ほんとう〉の世界だったのだ。
「後生の一大事」とは、いま、自分が寝ている、すぐとなりに展開していたのだ。ただそれを忘れているだけだ。そうだったのだ、寝るのも「我が思いではなかった」のだ。
寝るのも、阿弥陀さんの仕事をさせてもらっているのだ。傲慢にも「自分が寝る」と思い込んでいた。「自分が生きている」と思い込んでいた。
自分は人生の主体ではない、あくまで客体だったのに。

●2016年7月4日●
やはり、〈ほんとう〉のところは、亡くなられた方と自分が一緒に救われていくということなんだ。
どちらか一方が、先に救われていくということはない。故人が先でも自分が先でもない。自分と故人とが一緒に救われていくこと以外にない。
自分が救われなければ、お釈迦さんも親鸞も、そして故人となった身内も救われてはいない。どうも私は、もう既にお釈迦さんも親鸞も、そして故人も、救われてしまったことにしてきたようだ。それは間違いだった。
それを敷衍していくと、地球上の何兆という死者たち、あらゆる死んでいった生き物たちと一緒に救われていくことだ。
自分の思いの中で死者たちは、もう既に死んで、ここにはいないと過去のことにしてしまっていたのではないか。
そうではなかったのだ。
●2016年7月2日●
阿弥陀仏木像は、我々が人間という人格をもっているものだから、仕方なく、敢えて人間に似た形で作り上げたものだ。人間のために人形の形にした。その意味は、人間が人間以上の人格神をイメージすることで、人間をそのイメージした人格神に支配されないようにするためである。
西欧の一神教は、偶像を嫌う。それは人間を超越したものを人間の手で生み出してはならないという規制である。この純粋性は確かに理解できる。偶像として対象化すれば、人間は必ず自身の欲望を叶えるために偶像を利用するからだ。仏教もそのことは重々承知している。しかし、偶像を敢えて外化して対象化しないと、人間にとってかえって偶像が毒となるのだ。
だから、神仏の事情ではなく、もっぱら人間の事情によって偶像が作られねばならないのだ。偶像を否定しようとする人間の意識は、逆に人間の内面に浮かび上がる神仏のイメージを否定することができない。さらに、その神仏のイメージに支配され、神仏の奴隷となるのだ。イスラム過激派と称される人々の行動を見ていると、そう思われる。
あれは偶像を立てないことの弊害である。
偶像は、内面に浮かび上がるファナティックな神仏のイメージをクールダウンさせるはたらきをもっている。「お前のイメージしている神様は、〈ほんとう〉の神様じゃないぞ」と常に否定のブレーキがかかるからだ。
人格神の人格性を脱色し排除するために、敢えて人間には偶像が必要なのだ。
「永遠の片思い」を表現するために、敢えて立てたのだ。我々の阿弥陀さんは、所詮偶像に過ぎない。木彫りであろうと内面にイメージしようと、所詮偶像なのだ。姿が見えない阿弥陀さんをイメージして、「その阿弥陀さんと対話している」というが、それも自己内対話に過ぎない。どこにも阿弥陀さんは存在していない。
決して、阿弥陀さんと出遇うことはできないのだ。
そういうものこそ〈ほんとう〉の超越性だ。
人間がどこかで超越神をわかってしまえば、それは超越神ではない。そのためにア=無・ミタ=量、「量れ無い」「量ってはいけない」と働きづめなのだ。

※法然上人800回忌記念出版として、浄土宗から『新纂 浄土宗大辞典』(一冊本)が発売されている。27000円+税と高価だが、「現在の浄土宗」を理解するためには必須のアイテムだと思う。ひとりに一冊しか売らないようなので、関心のある方は是非、この機会にお求めください。
●2016年7月1日●
「因位」とは救いの窮極性を表す言葉である。

親鸞は信心を獲ることの喜びを、「歓喜」と「慶喜」で表す。
「『歓喜』というは、『歓』は、みをよろこばしむるなり。『喜』は、こころによろこばしむるなり。うべきことをえてんずと、かねてさきよりよろこぶこころなり。」(『一念多念文意』)
歓喜とは、獲るべきはずであることを、予期してよろこぶこころだという。一方の「慶喜」は「信をえてのちよろこぶこころをいうなり。」(『尊号真像銘文』)と述べていて、信心を得てから後に「よかった、よかった」と慶ぶこころだという。
慶喜のほうは、思わぬプレゼントをもらって嬉しかったと慶ぶことだし、歓喜は、まだもらってもいないのに、それを予期して喜ぶということは、明日が誕生日だから明日になったらプレゼントがもらえるんだと前日に慶ぶという意味になる。
プレゼントであれば、娑婆事だから予想がつくが、「信心」という信仰体験は未知の出来事だから予想がつかない。よって、予期して慶ぶということは想像を超えている。

 しかし、どうして親鸞は、歓喜と慶喜を分けて、信心のよろこびを表現するのか。
親鸞の教学の特徴は「因位」だといわれる。「因位」とは、原因の位であり、まだ信心を得ていない菩薩の位を意味している。「因位」に対応する言葉が「果位」だ。「果位」とは結果の位であり、信心を得て仏になった位を意味している。それを歓喜と慶喜に置き直せば、因位が歓喜であり、果位が慶喜だ。
親鸞以前の「仏教と呼ばれてきたもの」によると、苦労して修行して、やっとのことで真理を覚るとか、苦悩から解脱して信心を得たということで仏教が完結してしまっていた。
もう救われたのだから、二度と迷わない、もう覚ったのだから、死の覚悟ができたとか、そういうふうに思われてきた。
ところが、親鸞はそれは〈ほんとう〉の覚りでも救いでもないと直感した。
つまり、もし苦労の末に救われてしまって、よかったよかったとなったならば、もうこれ以上阿弥陀さんが救わなければならない必然性が消えてしまうではないかというのだ。
たとえば大きな網を阿弥陀さんが持っていて、それで娑婆で苦しんでいる人々をお浄土へと救い取ってしまえば、もはやお浄土に救いとられた人々は、阿弥陀さんが救う必要がなくなってしまう。
もし救われなければならない人間に等級が付けられていて、1~10段階まであったとしよう。等級1の人間は、まあそれほど罪悪も作っていないし善良な人間たから、阿弥陀さんが手をですまでもなく、自分で浄土へ往けるひと。2~5段階のひとは、家族を泣かせ博打に手を出してしまったが、いまではそのことを悔いている、まあその程度のひとでも、まだ後悔の力によって自分でお浄土へ往けるだろう。そして10段階の極悪非道の人間で箸にも棒にもかからず、反省もなければ後悔もしていない。俺こそ善良だと思い込んでいる人間。
この人間は、さすがに自分の力では浄土へ往ける可能性がゼロだ。こういう極悪深重の人間だけは阿弥陀さんの救いの力でなければ、とても救いとることができない。
その考えを応用すると、救いの可能性が限りなくゼロに近くなければ阿弥陀さんの救いが働かないことになる。少しでも救いの可能性が残っていれば、それは阿弥陀さんの力を頼まなくても自分で浄土へ往けるということになる。
 
 まあ、これは「もし」という前提のついている譬えである。いわば『大経』『観経』の三輩九品がそれに当たるだろう。『観経』では、極悪の愚人の臨終の現場で、念仏をする殊勝な思いがなくても、ただ口に南無阿弥陀仏と称えるだけで、罪が除かれ往生が叶うと述べられている。
 この救いの論理を突き詰めると、救いの可能性が少しでも残っていたのでは救われないということになる。つまり、救いから一番遠い場所にだけ阿弥陀さんの救いが働くことになる。その場所はどこか。それこそが、「唯除五逆誹謗正法」と第18願本願文が暗示している場所である。
 阿弥陀さんは、あらゆる存在を救いたいと誓っているのに、その誓いの最後に「唯(ただ)五逆と正法を誹謗する者は救いから除く」と言っている。まあ救いは「逆説的」なのだ。
 説明すれば「誹謗正法」とは、「この世には神も仏もあるものか、大事なのは、自分の努力だけだ。浄土なんかあるかどうかもわからないし、そんなものは信じられない」と思っていることだ。こう言われれば、「誹謗正法」でない人間は誰もいないのではないか。
 実はこの場所だけが、救いの可能性が存在しない「零度」の場所なのだ。ところがこの場所にだけ阿弥陀さんの救いが発動するのだ。限りなく救いの可能性のない場所にだけ。
それは阿弥陀さんの誓いから「唯除」された場所である。永遠に救い無き場所である。

 それで親鸞は「因位」の場所を大切に語る。「因位」とは常に救いの発動する原因の場所である。それは救いから排除された「零度」の場所以外にはない。親鸞にとって「果位」はどうでもよいのだ。「因位」の場所が見つかれば、「果位」など期待せずともよいのだ。つまり、浄土に往生できようができまいが、そんな問題関心そのものから解放されるのだから。
 以前にも紹介した讃岐の妙好人・庄松さんに面白い話がある。
それは興正寺のご法主とのやり取りの場面だ。法主が「そちは信をいただいたか?」と庄松へ問いかけると、庄松は「へぇいただきました」と答える。そこで法主は「その得られた相(すがた)を一言申せ」と詰め寄ると、庄松は「なんともない」と答える。さらに法主は「それで後生の覚悟はよいか」と問うと、庄松は「それは阿弥陀さまに聞いたら早う分かる、我の仕事じゃなし、我に聞いたとて分かるものか」と答えている。
 この「なんともない」が絶妙の味わいだ。そうそう、よくぞ庄松さん言い切ってくれたと感動した。ここには「歓喜」とか「慶喜」とかを完全に超えている世界がある。法主は信心を得たら、それで往生浄土の問題はすべて片づいた、これで安心だと思っているのだろうと勘繰ったのだ。しかし庄松は「そんな覚悟などいらないのが〈ほんとう〉の信心だ」と応答したのだ。
 庄松はそれこそ「平生業成」とか「平常心」という超越した世界を生きている。まあ庄松の内面を腑分けしてみれば、感動も慙愧も後悔もあるに違いないのだ。ただ、そんなことに一喜一憂する世界を捨てさせて下さるのが阿弥陀さんの救済力だ。
 そして目の前の「万劫の初事」と、常に対面して生きる厳粛さをいただいていくのだ。
●2016年6月28日●
寺の男性便器は、人がそこにいなくても定期的に水が流れる。近頃の便器は匂いや排水管の詰まりを防ぐために「設備保護洗浄」という装置が付いている。これって、蓮如さんのいう「弥陀の法水をながせといえる事ありげに候う」(『御文』2-1)と同じではないか。
煩悩のゴミが澱のように溜まっていくのが日常だ。ドロドロのコールタールのような煩悩は、なかなか洗浄できない。怒りや妬みや嫉みはまだ軽度の汚れだ、いわゆる「はからい」というやつが重度の汚れで、なかなか落ちにくい。
「はからい」は、そこに怒りの煩悩を起こす対象がいないときにも、自分の内面へと内向させて、人間を腐らせる。「内向」しているときは、「はからい」に支配されている時間だ。
それも綺麗さっぱりと流してしまいたいのだが。流れることはない。
ところが「内向してるなぁ」と思っていたら、自動洗浄で弥陀の法水がジャーっと流れてきて、汚れをさっぱりと落としてくれた。あっこれは便器の保護洗浄じゃないかと思い到った。
やがて自動洗浄が流れてくるから、それにまかせておけばよいのだ。
煩悩でボルテージの上った意識が、零度に冷却されていく。この零度は「弥陀成仏のこのかたはいまに十劫をへたまえり」(『讃阿弥陀仏偈和讃』)と親鸞が書いている「いま」である。
この〈いま〉は、永遠に未知なる〈いま〉である。その〈いま〉が実は「十劫(永遠)」と同時に開示されるのだ。大昔からやってきて〈いま〉があるのではない。〈いま〉そのものが永遠なのだ。それを「零度の〈いま〉」と呼んでいる。

一昨日は富山県氷見市の高岡教区第7組同朋大会へ行ってきた。
100名くらいのひとが集まっていた。例のように「もう済んだと思ったが、まだ始まっていなかった」というテーマでお話しした。まあ初めて聞く話で、皆さん驚かれたと思う。「眼からウロコの真宗」だから仕方がない。でも、聴衆の引きの良さが伝わってきて、あっという間の二時間だった。さすがに越中門徒の底力を感じた。細々とではあるが、〈ほんとう〉の法脈の流れていることを感じた。
信心の眼は、〈ほんとう〉か〈ほんとう〉ではないかを見極める眼のことだ。そして〈ほんとう〉の味を生きる力にしてきたのが門徒である。
ひとりひとりが信心の眼を開いたとき、初めてお釈迦さんが成仏し、親鸞聖人も往生されるのだ。だからまだお釈迦さんは成仏していないし、親鸞聖人も往生していない。私が成仏し往生するときに、一緒に成仏・往生されるのだ。
そして、私にしか語れない言葉で〈ほんとう〉の味を残していく、つまり創造していくことだけが「真宗繁昌」なのだ。親鸞の語っていたことだけを語っていたのでは、真宗は衰退していく。親鸞の言わなかったことを言っていくのが〈ほんとう〉なのだ。それをやってのけたのが妙好人だ。
ひとりひとりが妙好人になっていくこと、それが課題だ。

●2016年6月25日●
私のこころに起こった出来事は、あらゆるひとのこころに起こっている出来事でもある。怒り、腹立ち、妬み、嫉み、憎しみ、貪りなどのマイナス感情は、なくした方がよいと、誰がいうこともなく、そう思い込んでいる。
仏教でも三毒といって、「貪欲(むさぼり)・瞋恚(いかり)・愚痴(自我意識)」を敵視してきたように思う。『阿含経典』でも「憍慢と慢心とを去って」とか「貪欲と瞋恚と愚痴とを滅して」とか「汝、人々にたいする欲を滅せば 心むさぼりを離れて安らかならん」とか言っている。
親鸞のように「不断煩悩得涅槃」(煩悩を断ぜずして涅槃を得る)というような〈ほんとう〉のことは語られていない。つまり『阿含経典』は、どうしても人生訓か処世術になってしまう。そこから信仰へと転ずる言葉が少ない。
煩悩を断つことが仏教であるならば、親鸞の信仰は仏教ではない。親鸞の信仰が仏教であるならば、断煩悩の教えは仏教ではないといわなければならない。親鸞の信仰は、断煩悩ではなく転煩悩なのだ。
「源流純粋論」に洗脳されているインテリたちは、現在の細分化といってもよい「宗派仏教」を汚れたものに見ている。それは実は逆なのだ、時代が下れば下るほど、仏教は純化してきているのだ。つまり、あなたの顔や身体にフィットするまでに具体化し、純化してきているのだ。釈迦の未分化の仏教が、歴史の地層で濾過され、現代にようやく純化して湧出してきたのだ。純化とは、誰にでも応じていけるものになったということだ。
〇ここから「です・ます調になっちまいました」酔っぱらってるんで〇
釈迦は、苦からの解放を目指して覚りを開いたといわれます。四苦八苦の原因を煩悩と見定め、煩悩を退治して覚りを開いたことになっています。しかし、覚りを求めるこころそのものが煩悩だから、煩悩から抜け出ることはできません。それで、阿含教の釈迦は死にました。
煩悩から抜け出ることができないものが、どのように〈ほんとう〉に出遇うことができるかが問題です。
それには、やりかたというか方法があるようですが、方法はありません。またそんな方法論があったら〈ほんとう〉ではありません。だから、仕方なく釈迦は出家して苦行してみただけです。
いま、私が立っている地点も、釈迦がそうせざるを得なかった地点と同じです。
なんだか、釈迦のやったことが成功して現代にまで「仏教」が伝わってきたというウワサで私たちはマインドコントロールされてきました。もうその夢から覚めるときです。
まだ〈ほんとう〉の仏教は始まっていなかったのです。
だから、〈ほんとう〉に接近する方法もないのです。

さあ、これが〈ほんとう〉の仏教ではないでしょうか。
方法があったら、仏教ではありません。仕方なく、「出家」とか「坐禅」とか「回峰行」とか「断食」とか「念仏」とか「題目」とか「不殺生」とか「苦行」とか「布施」とか「ヨーガ」とか「瞑想」とか「呼吸法」とか条件を付けてみましたが、それは全部ウソです。本当のところは方法はないのです。
まあ、それらは挫折するためにあるということが、〈ほんとう〉のところです。
方法はないから、どうやったら、救われるか、あるいは覚れるかわからないのです。
あの知恵の輪を力一杯、ひっぱったり叩いたりして、あれこれやるけどほどけないような状態です。でも、気がつくと、アッというときに抜けているんです。
それから、なんで抜けたんだろうと思うんだけど、なんでかはよくわからないんです。
言葉で説明したら全部ウソになっちゃう。
 
昨日のブログを書いていて、「怒ることが仏さんの仕事だ」というのは、自分でもビックリですね。恨むのも、憎むのも、怒るのも、「ぶっ殺すぞ!」という思いも、仏さんの仕事をしていることだったとは、それこそビックリです。
 あっ、これが「悪をもおそるべからず」(『歎異抄』第1条)だったのかと気づいたんです。
自分自身を「クソやろう!」という思いも、仏さんの仕事だったんですね。
 こうなったら、遠慮なくひとを憎み、怒り、誹り、思う存分「生きる」ことができますね。絶望も享楽も、すべて仏さまの仕事をさせていただいていたんです。
 親鸞でよかったと、いま思っています。
●2016年6月24日●
「地下鉄と飛行機がぶつかったという話は聞いたことがない」
このフレーズはお説教で聞いたことがある。これは対人関係の譬喩で、たとえば嫁姑の関係、夫婦の関係、親子の関係の諍いを暗示した説教だ。地下鉄と飛行機がぶつかったという話は確かに聞いたことがない。なぜならば空間が違う、つまり住んでいる世界が違うからだ。地下鉄と地下鉄がぶつかるということは、可能性としては高い。それは同じ空間、同じ場所にいるから。飛行機とぶつかる可能性は低い。でも娑婆は縁の世界だから、可能性がゼロということではない。縁があれば飛行機と地下鉄もぶつかる。
これは諍いが起こり怒りが湧いてくるのは、同じ場にいるからだと暗示しているだけだ。しかし、現実の対人関係は、それこそ業道自然の劇場なので、待ったなしでぶつかり合う。ぶつかり合うことは善いわけでも悪いわけでもない。ただご覧の通りというだけのことだ。
事故というだけのこと。
でも、ぶつかり合うのは、どういうわけか自分にとって苦しいのだ。四苦八苦の怨憎会苦だ。憎しみ合う者同士が顔を会わせなければならない苦しみだ。この苦しみから逃れたいと娑婆では悪戦苦闘する。手っとり早い方法は、その人間と会わないということ。だけどこれが難しい。相手がいなくなれば安らかだし、自分がその場から逃げられれば安心だが、なかなかこれが至難の業だ。家族はやめられないし、職場を変えるのも難しい。
怒りの起こるフェーズを如何にずらせるかが勝負だが、なかなかずらすことも難しい。
まあ、親鸞も息の根が止まるまで、怒り腹立ち妬み嫉みが襲いかかってくるのが人生だと言っている。怒りが、怒っている自分自身を焼き殺してしまうのだ。
 どうしても人間は骨の髄まで「善人」に出来上がってしまっている。この自分の善人性から逃れることができない。怒れるだけ怒っていいんだよ、恨むだけ恨んでいいんだよと阿弥陀さんは言っている。「悪をもおそるべからず」(『歎異抄』第1条)と。でも私は「善人」だから、それはいけないことだと自粛してしまう。できれば怒りたくない。怒りは他者に向けられる刃であるが、それは自分自身をも切り裂く刃だから。
 怒りは、自我があるから起こるのだ。つまり「自分の思惑通り」に相手が動かないから起こるのだ。しかし相手には「相手の思惑」があって、それが自分とぶつかり合う。これが同じ場所にいるという意味だ。
 まあ、仏法的にいえば、それは「妄想の世界」なのだ。「一人一世界」が生み出す妄想なのだ。ただそれが妄想とキッチリ思えるかどうかが勝負だ。
 〈ほんとう〉の世界ではない。絶対に〈ほんとう〉の世界ではありえない。徹底的に〈ほんとう〉の世界ではない。
 つまり、阿弥陀さんがご覧になっている世界ではない。〈ほんとう〉の世界とは、誰が善いわけでも、誰が悪いわけでもない。ただ宿業因縁の世界で親子になり夫婦となり嫁姑となっているだけだ。だから、そこには「自分」というものはどこにも介在しない。「自分」というのは妄想のなせる出来事だから。
 でも、この「自分」から抜け出せないでいるのが我々だ。親鸞は「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり」(『歎異抄』後序)という。つまり、「自分の思惑」が正しいのか「相手の思惑」が正しいのか、そんなことを判定できる力を自分はもっていないというのだ。
 自分では、殺してしまいたいと思う相手であっても、相手は阿弥陀さんの悲愛の中を生きる奇跡的存在なのだから。そこに「ある」ということは、阿弥陀さん的には意味のあることなのだろう。そこに「ある」雑草や、そこに「ある」小鳥も、そして「殺してしまいたい人間」もだ。
 だから、殺してしまいたいという思いも、清々しい煩悩の健康性をあらわしている。憎むものなくして憎んでいるだけだ。その〈ほんとう〉の意味は、誰にもわからない。怒らないでいられれば、それに越したことはないが、怒らないでいられるということは、死んでいるのと変わりないことなのだ。
 やはり健康的に、煩悩が盛んに起こって、「この野郎、殺したろうか!」と思えるほうがよいのだ。その煩悩に蓋をして、鬱々としては駄目なのだ。それでは不完全燃焼だ。煩悩はガスみたいなものだから、引火すれば大爆発を起こす。それが煩悩の健康性だ。
 いま思い出したことがある。
それはある男性がお寺に入寺してからのことで、そこでの愚痴を指導の先生に述べている場面だった。男性はお寺で仏教書を読み勉強していた。そのことを知っている姑だが、「〇〇さん、コーヒーを出してあげて!」と注文してきたというのだ。渋々、玄関に行ってみると、郵便配達が来ていた。彼はそこで怒りを感じたという。郵便配達にいちいちコーヒーを出すな!出したいのならば、自分で出せばいいだろ!俺は勉強に忙しいのに!邪魔すんな!馬鹿にするんじゃねぇ!と思ったそうだ。
 これを聞いているとき、彼は姑にいじめられているのかなと勘繰ってしまった。コーヒーを出すことと仏教の勉強をすることのどちらが意味のあることなのかといえば、勉強に決まっているとも思った。ところが指導の先生は、意外なことを述べられた。
「君が、姑に言われて、嫌々ながら郵便配達にコーヒーを出すのも、お念仏かもしれんねぇ」と。
もう何十年も前に聞いたことだが、この言葉が耳に残っている。いまになって思えば、お念仏は「いつでも、どこでも、だれでも」に働いているのだから、仏教書の勉強だけでなく、コーヒーを出すのも念仏だと言えなければ嘘になる。この世に自分が生きていて、日常生活は、つねに待ったなしの状況に置かれている。向こうから差し迫ってくる要求に応ずるだけで一生が終りそうだ。しかし、その生活のあらゆる場面、どこを切り取ってみても、それがお念仏だったのだ。
 そう思うと、無駄なことはひとつもなかった。怒りたくなくても、怒るのがお念仏の仕事をさせてもらっていることなのだ。怒るのもお念仏の仕事なのだ。
 私の身体の中を電流のごとくに走り抜ける煩悩、これこそが健康性なのだ。電流は、流れているときだけ仕事をする。時間が経てば怒りの電流は消えていく。
 つまり、そこに相手がいないのに電流を自家発電してはならないのだ。電流は流れ終わったら放電できるようにしておくこと。それが南無の生活である。「悪人」の世界である。
●2016年6月22日●
信心一異の諍論は、親鸞が法然を「師」と認めた出来事だった。
そして、この出来事が成り立ったときに、初めて「師と弟子」が誕生した。師は師だけで客観的に存在するものではなく、弟子も弟子として客観的に存在するものではない。師を師として仰ぐ弟子の心の中にしか師は存在しない。そして弟子は、弟子自身の自覚の場以外には存在しない。もし「あいつは私の弟子だ」という思いが師の中に沸き起こったならば、それは妄想なのだ。
 親鸞が52歳のときには『教行信証』を書き進めていた。その中で29歳のとき「建仁辛酉の暦 雑行を棄てて本願に帰す」と述べ、さらに33歳のとき「元久乙の丑の歳、恩恕を蒙りて『選択』を書しき」と、法然から『選択集』の書写を許されたと記されている。師である法然の『選択集』の書写を許されている弟子は、親鸞を除けば、幸西・弁長・隆寛・証空・長西の五人だけだといわれる。
さて信心一異の諍論という出来事がいつおきたのか、それは特定しがたい。ただ29歳~33歳までの間と想定できる。親鸞の伝記をあれこれ見てみると、比叡山へ戻らなくなった、つまり下山したのが29歳であり、その後、吉水の法然を訪ねたことになっている。大谷派では29歳のとき吉水入門の年と考え、法然の弟子となったとしている。
 まあエポックとして29歳という歳に「師と弟子の誕生」を込めて記しているのだろうが、厳密には、29歳~33歳までの間のことと考えなければならない。それは、この「信心一異の諍論」が「師と弟子」の誕生の出来事だからだ。
 まず信心一異の諍論を発起したのは誰か。それは先輩や同輩ではない。親鸞その人が手を挙げて論争の発端を作ったのだ。なぜ、師匠と弟子である自分の信心が同じだということを確認するのに、わざわざ大衆の面前でする意味はどこにあったのだろうか。
このシチュエーションを親鸞が設定したことの意味が重大だ。
 実際に、弟子の親鸞が、師・法然の信心と同一の信心であると発言したとき、先輩や同輩たちが、言葉を荒らげ「そんなはずはあるか!」と怒りをあらわにしている。親鸞は吉水に入門したての新参の弟子という立場である。先輩や同輩たちが反感と怒りをあらわにすることは、たやすく想像できる。むしろ親鸞はそれをすでに予想していたのではないか。そのことも親鸞のシナリオにはすでに折り込み済みだったのではないか。むしろ、反感と怒りが起こることで、問題の本質をより際立たせようとしたとも考えられるのである。親鸞にとっては「案の定」の反応だったのではないか。
 そこで親鸞は「聖人の御智慧才覚ひろくおわしますに、一ならんともうさばこそ、ひがごとならめ。往生の信心においては、まったくことなることなし、ただひとつなり」と反論していく。この「智慧・才覚」とは、知識の量や知能、経験や器量のことであり、それは明らかに私(親鸞)は劣っている、しかし「往生の信心」は同質だという。
 それでもまだ先輩や同輩たちが納得しないので、とうとう師・法然にお出ましいただいて、ことの成否を決着してもらおうということになった。
ところが法然は先輩や同輩たちの予想に反して「源空が信心も、如来よりたまわりたる信心な。善信房(親鸞)の信心も如来よりたまわらせたまいたる信心なり。されば、ただひとつなり。」と述べた。
 この「信心一異の諍論」が記されている書物は『歎異抄』と覚如の『御伝鈔』(本願寺聖人伝絵)しかない。恐らく覚如は『歎異抄』を関東で入手し、それをもとにしてこの出来事を、多少脚色しながら記していると思われる。『御伝鈔』に記された文章の末尾には「ここに面々舌を巻き、口を閉じて止みにけり」と記されている。これは恐らく覚如の想像だと思われるが、誰でもそのように感じられるところでもある。先輩や同輩たちの面目は丸つぶれだったのだから。
 そういうこともあって、先輩や同輩の残された書物等には、「信心一異の諍論」という出来事は残されていない。先輩や同輩たちの到らなさが証明されるような出来事を書き残すはずもない。いわば、真宗系以外にこの出来事の記録はないのだ。
 「信心一異の諍論」の他にも「信不退・行不退」の問答や「体失往生・不体失往生」の問答が残されているが、これらも真宗系にだけ存在する伝承だ。これらの問答の発端もすべて親鸞が引き起こしている。彼は、目の前にぶちあたった問題を、即座に問わずにはいられない質だったと思われる。そうとうやんちゃな人間だったのだろう。おそらく同級生であっても、あいつとは友達になりたくないと嫌われていた存在ではないかと想像する。変人とか、変わり者と思われていたのではないか。それで先輩方や同輩から無視をされたというか、もっといえば黙殺、抹殺されたのではないかと想像できる。

 もういちど論争の舞台に戻ってみよう。親鸞が法然の信心と同じだと発言し、先輩たちが反感をもって、法然を舞台のまん中にひっぱりだした。そのとき、法然はどのように応じたのだろうか。親鸞の発言を受けて、間髪を入れずに「親鸞と私の信心は同じだ」と応答しただろうか。私は、多少の時間的間隙があったのではないかと想像する。
 親鸞の問いを聞いて、法然は「うっ!」とその問いを受け止め、少し考えをめぐらして、それからおもむろに応答していったのではないか。
 法然にとっての課題も「救いの平等性」がどこで成り立つかだった。そして法然は、「救いの平等性」を易行である「称名念仏」に置いた。いつでもどこでもだれでもが称えられる念仏こそが「救いの平等性」なのだと考えた。ところが親鸞は「念仏」ではなく、それを「信心」という言葉に特化して、問い詰めた。
 法然は、この問いに多少たじろいだのではないだろうか。いままで称名念仏を救いの平等性に置いてきたが、親鸞は「信心」はどうかと問うている。親鸞にとっては「念仏」が口で称える称名という行為であれば、それはやはり能力の問題に還元されると思っている。つまりまだ「救いの平等性」というレベルまで普遍化されていない。それを「信心」という言葉で法然にぶつけたのだ。外面にあらわれる行為ではなく、完全なる内面性へと問い詰めた。
 最終的に法然の口から出た言葉が「如来よりたまわりたる信心」であった。こういう表現は、ここにしかないはずだ。法然の著述などにはない。また親鸞の表現の中にも、たった一カ所しか見つけられない。それは「末燈鈔」(第18通)にある「弥陀他力の回向の誓願にあいたてまつりて、真実の信心をたまわりてよろこぶこころのさだまるとき、摂取してすてられまいらせざるゆえに、金剛心になるときを、正定聚のくらいに住すともうす」である。
 ということは、この「如来たまわりたる信心」とは、法然・親鸞の全著述の中で、ここにしか表現されていない珠玉の法語なのではなかろうか。むしろ、親鸞の問いが法然の口から引き出した空前絶後の仏語だったのではないか。
 そして、もし法然の口から「信心」ではなく「念仏」と出てしまったなら、親鸞はその場で立ち上がり、吉水の草庵を捨ててしまったかもしれないのだ。あるいはこれは想像だが、法然が、「親鸞、お前の質問もわかるが、ここは先輩方もおられるのだから、新参者が、そのような質問をしてはいけない。後で私の書斎まで来なさい」などと発言していたら、親鸞は法然を捨てて、その場から立ち去ったに違いない。
 親鸞は、あえて法然の書斎ではなく、先輩方のおられる大衆の面前で、ことの本質を明らかにしようとしたのだ。つまり、法然の逃げ道を塞いだのだ。法然を逃げられない大衆の面前に引っ張りだし、その衆人環視の中で、ことを決したかったのだ。
 果たして、それを親鸞が意識的におこなったのか、あるいは無意識だったのかはわからない。しかし、親鸞にとって、この問題が、一世一代の退っぴきならない大事件だったことはわかる。
 そして法然の口から出た「如来よりたまわりたる信心」によって、初めて親鸞の「救いの平等性」が証明されたのだ。これは親鸞が法然から印可されたと、普通は読まれているのだが、私は、親鸞によって法然が師として印可された出来事だと読んでいる。もし「如来よりたまわりたる信心」という言葉が生まれなければ、親鸞は法然を師としては認めず、いわば親鸞という存在も誕生していなかったかもしれないのだ。この出来事によって、「師と弟子」が同時に誕生することで、初めて「救いの平等性」が歴史上に証明されたのである。
 しかし、問題はそれだけではまだ終わってはいなかった。
果たしてその「如来よりたまわりたる信心」とは、どういう質の心なのかという問いが次に待ち構えているからだ。まあ、それを展開する場は、主著である『教行信証』を待たなければならなかった。
 比喩的にいえば、「月の太陽の関係」「電流と電灯の関係」である。

さらに、この出来事は先輩や同輩たちが、「信心」を人間の能力と考えていたことをあぶり出した。「智慧才覚」と同質の問題として「信心」を受け取っていた。これは私たちにも通底する問題ではないか。「信心」とは、各人が内面に溜め込む心構えのように受け取ってしまっているからだ。
 〈ほんとう〉は、人間の思い込みや心構えを破って、あるがままの心根を赤裸々に曝け出させるはたらきである。いわば「信じる」とか「おまかせする」とかいうこころがまったく起こらない状態だ。
 親鸞が『教行信証』総序で「ただ斯の信を崇めよ」(唯崇斯信)と述べていることでわかる。「信」が自己の内面に成り立つことであれば、「崇めよ」という言葉は意味をなさない。自己の外部にあることだから、それを「崇めよ」という命令が聞こえる。親鸞が見ている「信」とは、それを突き詰めると、「願」なのだ。「信ぜよ」「願ぜよ」という命令として以外に、「信」は人間に成り立たない。こちらには、信心のかけらも残らなくなること以外に「救いの平等性」は成り立たないのだ。
 つまり、私にとって無条件でなければ、救いは成り立たない。だから「信ずる必要もない」のだ。
 
●2016年6月21日●
真実という言葉。
親鸞は「真実」という言葉を全著作の中で321回も使用している。これに着目しているひとはあまりいないのではないか。しかし、驚きの使用頻度ではないか。それに相当する用語が「浄土」313回、信心は316回だ。本願は230回、まあ信だけだと1037回だから、行の752回に比べれば圧倒的だ。
親鸞は9歳で出家したが、これも父親の政治的失脚の煽りを受けたすえの出来事で、親鸞にとってはいい迷惑だったはずだ。日野家は下級とはいえ公家の流れだから、日の当たる世界から日陰の世界へと「出家」させられた。自ら望んで出家したというふうに後代書き換えられただけのことで、親鸞は「被害者」から出発した。
それから20年間、比叡山を根拠地にして生活した。比叡山は学生(ガクショウ)・堂僧・堂衆の三階級があったが、親鸞は常行三昧堂の「堂僧」だったといわれる。20年間の全期間を「堂僧」だったのかどうかはわからない。また20年間、比叡山を下山せずに山に籠もっていたわけでもない。京都や奈良などの寺々へ勉学へ出向き、再び比叡山へ戻るという生活をしていた。
これは伝説だが、「親鸞聖人そば喰いの御像」がある。28歳の親鸞が六角堂へ百日の参籠を発願して毎晩比叡山から通われた。その晩も親鸞は六角堂へ向かうべく山を降りた。ところが、同輩たちは親鸞が下界にいくのは女性と逢い引きをしているに違いないと勘繰って、夜中に蕎麦を打ち全員に振る舞うことにした。そこには偉いお坊さんも当然、同席される。同輩たちは「蕎麦が出来ました」と全員を起し振る舞った。同輩たちは当然親鸞が不在であり、彼を貶めるために仕組んだ芝居なのだ。ところが、同輩たちに並んで親鸞も蕎麦を食べているではないか。これには同輩たちも驚いた。翌日、親鸞の坐っていたところを調べると、そこには親鸞の木像が置かれ、口から蕎麦がはみ出していたとか。こういうエピソードが残っているくらいだから、親鸞は仲間からも「変わり者」と見られていたことが伺える。みんなとつるんで世間話などはしないし、同輩からは付き合いづらい奴と思われていたのではないか。
この20年間、親鸞を虜にしていた「問い」はなんだろうか。つまりこの「問い」こそが親鸞をして親鸞たらしめたものなのだ。
恐らくそれが「真実」という謎の言葉で表現せざるを得ない当体ではないか。釈迦は真理を覚ったといわれるし、「真如」とか「縁起」とか「道理」とか「真理」という言葉でしか表すことのできないものなのだ。それを如実に知見するというのが仏道だ。
それも、「いつでも、どこでも、だれでもが、真実とひとつになること」が親鸞の課題だったのではないか。親鸞の課題というと個人を持ち上げすぎだ。これは釈迦の課題でもあったはずだし、仏教にかかわった祖師方の課題でもあったはずだ。そして、現代を生きる私たちの深層の課題でもあるのだ。
ところが真実を手に入れたいと思って様々に励んだ結果、手に入らなかったのかもしれない。まったく手に入らなかったのではないだろう。あるときには手に入れたと思ったに違いない。それで29歳の六角堂参籠を発願して、救世観音にヒントを請うたのではないか。
親鸞は「夢」で一生を決めたような男だ。
夢とは、表層意識と深層意識の中間帯に属する。深層とは仏の領域だから、人間には意識化できない。その深層から表層意識へと、辛うじて現れてくるものが「夢」である。夢に現れる「素材」はこの世のものだが、夢の「シナリオ」は深層が司る。親鸞は六角堂参籠によって夢告を受ける。それは「六角堂夢想偈」、通称「女犯偈」ではないかと現在では考えられている。
六角堂は頂法寺の中にある本堂で、聖徳太子建立といわれる。ここの本尊は現在、如意輪観音であるが、曾孫・覚如の『御伝鈔』には「六角堂の救世菩薩」となっている。また親鸞は『尊号真像銘文』で「聖徳太子は救世菩薩にておわします」と述べているので、親鸞が夢告を受けたと考えているのは、救世菩薩からであろう。
また救世菩薩が聖徳太子の垂迹と考えられているところも注意が必要だろう。
もし夢告が「女犯偈」であったならという前提で考えたい。
「行者宿報設女犯 我成玉女身被犯 一生之間能荘厳 臨終引導生極楽」が、それだ。
(行者よ、もし宿世の報いによって女性を犯すのであれば、私は美女となって貴方に犯されましょう。一生の間よくお仕えし、添い遂げ、この世を去るときには私が阿弥陀様の世界へ導き生まれさせてあげましょう)
この夢告について親鸞は、まったく解説していないので、これは私の想像でしかない。また解説していないということが、親鸞らしいと思ってもいる。恐らく、これも想像だが、親鸞は、この夢告を座右に置いて一生を過ごしたのではなかろうか。とても解説することなどできない。この夢告に一生、生々しく導かれていたのではなかろうか。そんな気がする。
これをフロイト的な解釈で性的な解釈のみに終わらせているものもある。それだけではもったいない。気になる言葉は「女身」「犯」「一生」「生極楽」だ。そして全体が、観音菩薩が親鸞を導くというモチーフであることだ。
赤山明神の伝説が暗示するように、親鸞の課題は「救いの平等性」だった。誰でもが救われなければならないという課題だ。そうすると、「自分が救いの主体」ということになる。いかにしたら苦悩の存在を救えるのかと。ところがこの夢告では親鸞は救いの主体ではなく「客体」になっているということだ。
さらに親鸞は「被害者」でなはく「加害者」として受け止められている。「犯」という言葉がそれを暗示している。加害者は「悪人」という言葉で、やがて結実していく。
そうすると、存在の加害性、つまり宿業の罪を犯すものが、観音菩薩に導かれ、極楽へ往生するという文脈で読めてくる。『教行信証』で親鸞は「悪人往生の機たることを彰す」(化身土巻)と述べている。
そうすると、「いつでも、どこでも、だれでもが、真実とひとつになる」という課題が、「悪人往生」という言葉に込められていると了解してよいだろうか。
 いつでもが、〈いま〉へ、どこでもが、〈ここ〉に、だれでもが〈わたし〉へとロックオンされてきたとき、客体としての「悪人」を得るといえそうだ。
 つまり、それまで茫洋として、曖昧模糊だった、「自分」というものに初めて存在が与えられるという体験だろう。注意しておくが、「悪人」とは人間の使える言葉ではなく、あくまで超越項(阿弥陀)から逆照されてきたときの「聞き言葉」である。
 私の意識は、自分自身から逃げていく意識だ。「いまではない、いつかへ、ここではないどこかへ、私でない誰かへ」と逃亡しようとする意識だ。意識は無罪性へと逃げていくのだ。そういう性質をもっている。その意識性を親鸞は「自力のこころ」と言い当てた。簡単にいえば、「つねに言い訳をしている人生」ということになる。自分はそんなことをするつもりではなかったのだ、〇〇がそうしたから、私はそうしてしまっただけだと、自分自身の限界状況に対して、つねに言い訳して生きている。
 ところが、それは〈ほんとう〉ではないぞと教えるものがある。
「あたかも牢獄を逃るるごとく、 人はみな自己の前を逃れんとすれども」という言葉がリルケの『時祷詩集』(じとうししゅう)にあるそうだ。
 そういえば、40年も前に信国淳先生から伺ったことを思い出す。
 自分自身に出遇うということは、至難の業だ。それは自分自身の罪との出合いだからだ。
その詩には、後半がある。それは「世に一つの大いなる奇跡あり、 我は感ず、いのち、みな生きらるべし」である。
 前半と後半がどういう関係になっているのか、よくわからない。まあ解釈次第という面もある。
 真実と自分がひとつになりたいと願っていたのだが、もしひとつになってしまったら、恐ろしいことになる。そうかといって、真実を目指すのをやめることはできない。そして最後に親鸞が出ていった地平は、真実と虚偽との分断だった。
 自分の側に真実を置かない。自分をつねに虚偽の側に発見する。真実は「仰ぐ」ものであり、「崇める」ものであって、自分の側にはひとつも成り立たない。真実を得たいと欲望していたが、得られないので諦めたという残念としての「仰ぐ」でも「崇める」でもない。偽善の側に安住させて下さる真実である。
 つまり、言葉を換えれば、自分が「覚り」や「救い」の主語から脱却することだ。それでも「自分が」という思いはやってくるのだが、それは意識が言わせていることで、〈ほんとう〉ではない。〈ほんとう〉は「自分が」と言えるような主体はない。無我だ。
 客体として以外に自分は存在していない。言葉を換えれば「述語としての私」である。
先日、「仏法は一期一会なのでしょうが、どうしても自分は、明日があるし、今日やらんでもよいことを明日に延ばしてしまうんです」とおっしゃる方がいた。それは、私もそうですとお答えした。「一期一会」という言葉は〈ほんとう〉のことなのだ。同じことの繰り返しはないのだから、いまの出合いは一生の中で最初で最後の出合いなのだ。でも、人間はそうは思えないで、明日があると思ってウカウカと生きるものだ。それが偽らざる姿だ。「一期一会」だなどと思えるといえば、それは嘘になる。ただ「一期一会」が〈ほんとう〉のことなのだと知っているというだけだ。そして人間はいつも〈ほんとう〉と乖離していると自覚しているだけだ。
 だから〈ほんとう〉と虚偽をきちっと棲み分けできなければならない。我々の手には届かないところにあるから、〈ほんとう〉なのだ。指一本でも触れてしまったら、それは〈ほんとう〉ではない。
 親鸞も、いつでも、どこでも、だれでも、〈ほんとう〉に触れ得ないかたちで、〈ほんとう〉と出遇い続けたのだろう。
〈ほんとう〉は仏のみに属す、人間は虚偽のみに属す。
 
●2016年6月20日●
信仰は窮極の「拠り所」を要請する。
マタイ福音書(10-34)には次のようにある。
「地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。そして家の者が、その人の敵となるであろう。わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう。」

イエスの宗教は「愛の宗教」だといわれているが、この文章は、そんなホンワカした雰囲気をたちどころにぶち壊している。私がこの世にやってきたのは、平和ではなく、むしろ戦をもたらすためだ、平和な人間関係をズタズタにして、喧嘩をさせるためだという。
なぜ平和な状態に波風を立てるのかといえば、誰を、そして何を一番大切にしているかを暴き出すためなのだと。
 イエスは「お前は、わたしよりもむすこや娘を愛」しているのではないかと詰め寄る。ひとは自我の遠近法をもっているので、身近なものから遠いものへと愛は薄まっていく。イエスは導き手ではあっても他人だ。やはり弟子たちにとって身近な存在は肉親ということになる。それでは駄目なんだとイエスはいう。
 ちょっと気になるのは、「わたし」というイエスの言い方だ。イエスは一人称として「わたし」を使っているのだが、もし「一般的人間」という意味で使っているとしたら、単なる傲慢でしかない。「わたしにふさわしくない」など、どれだけ傲慢な言いぐさだと嫌気が差す。イエスの本心はそうではなく、「預言者としての私」という意味なのだろう。
 仏教に翻訳すれば、「方便法身としての私」ではなく「法性法身としての私」を意味していると読まなければならないだろう。牽強付会だが、そう読みたい。
そうすれば人ではなく法、つまり「原理」を問うていることになる。
 つまり、あなたは究極的に何を一番大切に生きているのか、という問いになる。これは、親鸞が『教行信証』化身土巻に引用する以下の文章と同じ文脈になる。
「『菩薩戒経』に言わく、出家の人の法は、国王に向かいて礼拝せず、父母に向かいて礼拝せず、六親に務えず、鬼神を礼せず、と。」
信仰に生きるものは、国王や父母や肉親や八百万の神などを窮極の拠り所にしてはいないのだという意味になる。そういう自分を取り巻く外部の者を拠り所とするのは、信仰ではなく損得(御利益信仰)だと見ている。
 つまりそれらは煩悩がよろこぶ関係だから、そういった関係を望んでいるし、利用しているだけだろうと批判しているのだ。
 安田理深の言葉を使えば「夫は夫自身を愛する故に妻を愛し、妻は妻自身を愛する故に夫を愛す」となる。夫がなぜ妻を愛するのかといえば、夫自身を愛してくれているからなのだ。夫の思い通りにさせてくれている存在であり、夫に反逆する関係であれば愛は起こらない。夫は、自分自身にだけエロスを解放してくれる存在だから妻を愛するのだ。妻が無差別平等に誰にでもエロスを解放したら、夫は妻を愛する感情が起こらない。人間の愛はエゴイズムを中核においてはたらくものだ。妻からしてみても同じことだ。
 イエスの発言を表面的に受け取れば、家族を捨てて私にしたがって来なさいと聞こえる。つまり出家の勧めになってしまう。家族を捨てて宗派のために働けというカルト宗教に傾斜していく危険性も孕んでいる。
 それは脱煩悩、断煩悩の善人道に堕す。それは煩悩を恐れている信仰だ。煩悩に染まってしまえば、堕落した信仰になると恐れているのだ。だから煩悩からできるだけ身を遠ざけようとする。その信仰は虚弱だ。
 〈ほんとう〉は煩悩を恐れない信仰だ。煩悩まみれになっても、揺らがない信仰だ。
出家の精神が成り立つのは在家生活以外にはない。在家生活の中にしか出家の精神は成り立たないともいえる。
 親鸞は、次のようにもいう。
「『般舟三昧経』に言わく、優婆夷、この三昧を聞きて学ばんと欲わば、乃至 自ら仏に帰命し、法に帰命し、比丘僧に帰命せよ。余道に事うることを得ざれ、天を拝することを得ざれ、鬼神を祠ることを得ざれ、吉良日を視ることを得ざれ、と。」
 仏法僧の三宝を窮極の拠り所にするということがあって、天や鬼神や日の善し悪しの御利益信仰から自由になれるのだという。仏法僧といっても、中心は法である。
この法は天や鬼神と並列にあるものではない。天や鬼神を捨てて法を拠り所とすると言った場合の「法」とは何を意味するのか。
 教えや経典を「法」とするのか。それではその教えや経典の何を「法」と考えるのか。そうやって突き詰めていくと、「法」と言っていたものが曖昧なものへと変質していかないか。その意味での「法」とは天や鬼神と並列になってしまっている。
 そうではなく、むしろ天や鬼神を頼りにしている自我心を明確に浮き彫りにする作用をこそ「法」というのではないか。
 ちょうど「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのことみなもてそらごとたわごとまことあることなきに、ただ念仏のみぞまこにとておわします」(歎異抄後序)と同じ構造ではないか。「煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界」をそらごとたわごととして自覚させる作用こそ「ただ念仏」と語っている。
 つまり、我々の側には「まこと」はないということだ。
 「まこと」は鏡であって、そこに自分と世界が映し出されるのだ。
 「まこと」など人間のこころのなかに入るわけがない。だから「拠り所」ど意識できるものではない。「拠り所」が意識されていたならば、それは天や鬼神と同列のものになってしまう。
 後半の「自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない」も面白い表現だ。
 これも仏教で解釈すれば、自業自得ということか。自分自身の宿業を背負って私に従えというのはそういうことか。決して、誰かのためにそうしていると言い訳するなということだろう。自分自身の決断で自分の信仰に進めと言っているように聞こえる。
 歎異抄第2条の「このうえは念仏をとりて信じたてまつらんとも、また捨てんとも面々のおんはからい」と同じようにも読める。
 自らの自己責任において信仰を全うしろという意味だ。信仰的決断を自分以外の強制だと言い訳したなら、それこそ、自分自身の信仰ではなくなってしまうのだ。ここには信仰的自立が促されている。
 
 もう一度戻ると、「まこと」の鏡に映った世界は「そらごとたわごと」のはずだ。私がこだわっている真宗教学懇談会の話題と、それをぶつけてみたい。
 教学者の心には、天皇制、国家神道が「そらごとたわごと」だと映っていなかったのだろうか。ダブルスタンダードにはなっていなかったのだろうか。
 明治期以前は、神仏混交が常識だった。神社にお坊さんがいるというのが普通の光景だった。そのためか、村の鎮守の神主を寺の住職が勤めるということはざらにあったようだ。この場合、先程の「自ら仏に帰命し、法に帰命し、比丘僧に帰命せよ。余道に事うることを得ざれ、天を拝することを得ざれ、鬼神を祠ることを得ざれ、吉良日を視ることを得ざれ」が住職のこころの中でどのように受け取られていたのかが興味のあるところだ。
 私は、絶対他力の信仰は、阿弥陀さんにとり憑かれることだから、とり憑かれたひとのあらゆる行為は念仏なのだ。その住職が祝詞を挙げようと、「清めたえ祓いたまえ」と口で言おうと、その深層心理は南無阿弥陀仏とひとつになっている。だから、その住職のこころの中では何ら矛盾はきたしていないはずだ。
 むしろ、神主の仕事をすることが信仰と矛盾すると意識されていたならば、〈ほんとう〉の念仏にはまっていないことになる。
 神社神道は、念仏へと誘われていくための方便だという理解があるのだ。だいたい神社神道は、我々の煩悩から生まれてきたものなのだ。清めたいのは、もともと汚れているからだ。五穀豊穣や鎮護国家は、煩悩から生まれてきた考え方なのだ。私たちはその煩悩を断ち切っていく教えではない。その煩悩を阿弥陀さんに出遇う大切なきっかけとしていただいていくのだ。だから、その意味では神社神道も真宗の内部の出来事になる。排除することは逆に、断煩悩になってしまう。
 しかしいわゆる日本古来の神社神道と明治期に人工的に作り上げた国家神道とはわけて考えなければならない。その峻別ができなかったから、国家神道に飲み込まれたのではないか。
 つまり違った言い方をすれば、「念仏者としての私」の方が、「日本国民としての私」以上に大きくなければならなかった。ところが、真宗教学懇談会の先生方は、それが逆になってしまっていた。日本人の純粋主義で日本人のアイデンティティを立てようとすると、そうなってしまう。
〈ほんとう〉は仏教がインド・中国・朝鮮・韓国・ネパール・ミャンマー・ベトナムなど民族や国家を超えた普遍性をもっていたのだから、そこにこそアイデンティティを立てておかなければならなかった。日本国民や日本人の純粋性に立ててはならなかったのだ。
キリスト教の場合にはカソリックという言葉が「普遍性」を意味するように、日本という共同幻想を相対化することができた。真宗もそうあるべきだった。
 どうして、真宗と国家神道が包摂関係ではなく、並列関係になってしまったのか。
やはり、一人一世界観が不徹底だったのだろうか。
●2016年6月19日●
信仰的決断は人間的決断ではない。
法然は選択摂取と述べ、決断を迫る。教学は「廃立」だ。自力の諸行は廃するが、専修念仏のみを立てる。しかし、人間が努力して、「えいやぁ!」と決断する決断ではない。
それは「決める」であるが、〈ほんとう〉は「決まる」でなければならない。
それは信心という眼を得ることだろう。その眼からみられた世界は、すべてが信心の内容となるからだ。そこまでくれば、他宗教とは衝突しない。意味場が完全にズレたからだ。衝突するのは、同じ意味場にいると考えるからだ。
その眼はたった一つでなければならない。その眼が多数にあるわけではない。たった一つの眼(視座)の中に世界が包摂される。だから、他宗教もその包摂された世界の内容になる。つまり、私の内部になる。いままだ外部だと思っていたものが内部になる。

どうして阿弥陀さんじゃなければ駄目なのか。
どうして南無阿弥陀仏じゃなければ駄目なのか。
それがどうしても説明できない。たまたまの縁で出遇ってみたら南無阿弥陀仏だったというだけのことだから。メニューを選ぶみたいな形で南無阿弥陀仏を選んだわけではない。そんな余裕はなかった。
とにかくバタバタとジタバタしてもがき足掻いてみたら、南無阿弥陀仏に捕まっていただけのことだ。
だからといって南無阿弥陀仏は絶対だという気持ちもない。これは出遇いだから、出遇う縁がなければ、それまでのことだ。私にとっては絶対だが、他者にとっては絶対であるかどうかは別問題だ。
しかし、人間において重大な出合いというものは、みんなこういう形ではないか。結婚相手と出合うのも縁だ。何百人を天秤にかけて結婚相手を選んだわけではない。ただはずみで、というのが〈ほんとう〉のところではないか。重大な出合いとは、多くの中から価値を評価して、こっちのほうがよさそうだからこっちにするというような選びかたではない。待ったなしだ。

まあなぜ私にとって阿弥陀さんが絶対なのかといえば、それは、阿弥陀さんが「永遠の片思い」だからだだろう。自分というもの以上に、自分を揺さぶり、自分を愛し続けておられるからだ。自分の「自我」というやつは、意味のありそうなこと、自分に好都合なことなら近寄っていくが、絶望的なことや無意味なことは毛嫌いする。
 ところが阿弥陀さんは、あらゆる苦悩するものが救われなければ私は仏には成らない、成れないという悲愛を本質としている。
阿弥陀さんの本願は私ひとりを目当てに投げかけられてくる。私に向かって、助かってくれと叫んでいる。私に向かって助かってくれ、そして私を助けてくれと叫んでいる。阿弥陀さんの本願は利他なのだが、阿弥陀さんからいえば、その利他こそ〈ほんとう〉の自利なのだ。
 そして阿弥陀さんの悲愛に出遇って助かった、となったとき、どこで救いが成立したのかといえば、阿弥陀さんの悲愛こそが、私の悲願だったのだと一体化したときである。
 最初、私は阿弥陀さんの本願が自分に対面するものだと思っていた。私を救いの目的として救って下さる悲願だと思っていた。それは私の外から私を照らして下さる太陽のようなものだ。その太陽に照らされて、救われたというときには、その太陽の熱が私を熱し、私の中にも阿弥陀さんの本願が宿ってしまうのだ。
「あらゆるものが救われなければ私は救われない」という本願に出遇ったものは、その本願が自分の本願となって助かるのだ。自分の本願とならなければ自分は救われないということだ。阿弥陀の本願とは実は私の「根本の願」だったのだ。それを忘れていたのだ。阿弥陀さんを外に置いて見ていたからだ。
「私が救われた」ということは、その本願が自分のいのちとなったということだ。
阿弥陀さんが、あの誓願を表白できたのは、阿弥陀さんが救われたことの証明だったのだ。そして、あの誓願の表白が、この私の表白にならなければならなかったのだ。
つまり、簡単にいえば「救い無きところにしか〈ほんとう〉の救いはない」ということだ。
救いのない場所にしか、〈ほんとう〉の本願ははたらかない。それが第18願文の「唯除」の意味だ。
阿弥陀さんは永遠に救われていないのだから、本願が未完成の形ではたらいているのだ。そしてその未完成の願を私の土手っ腹にぶち込んで、未完成の救いで救って下さる。救われてみれば、救われる必要もないのだ。むしろ救われてしまったならば、救いのはたらきがもはや不要になってしまうのだ。

 救われるということは、つまり「個人が幸福」を得たということは、どういうことか。それは自分の煩悩が満たされて、思い通りになったということではない。それだけで人間は根本的に満足しない。
〈ほんとう〉の救いとは、無仏の国への往生であり、浄土のいのちを捨てて三界雑生の火の中に生まれても、願いは焼けないという安心感なのだ。
 ようやく阿弥陀さんの気持ちがわかった。
●2016年6月17日●
梵天勧請を呉智英は、ここに「釈迦の相矛盾する意志がよく現れている」という。続けて「釈迦は本心では『苦労してやっと証得した』真理を、欲望の汚濁に塗れた衆生になど説きたくはない。しかし、その衆生の哀れさを考え『哀憐』の心によって衆生済度のため真理を説くことにする。これがそれぞれ小乗と大乗に対応していることは明白である。」という。
 そして呉は仏教とはそもそも「智慧による解脱」を目的とした「覚りの宗教」であって、「救いの宗教」ではないといっていく。「救いの宗教」である浄土教は、キリスト教の影響を受けた「偽物」であり、仏教でもなんでもないという。最後には「理知的な宗教であることは、宗教としては決定的に弱点になっている。宗教として広汎な人々の信仰を得るには、感動的で分かりやすい物語である神話を教義とした方が有利に決まっている。」と結論する。
 呉自身は「私は仏教を含むいかなる宗教をも信じていない」と断言する。それでは、どこに自分自身の視座を据えて、仏教を評論しているのだろうか。それではどこまでいっても、外野からの野次の域を出ない。つまり、外野からあれこれ仏教経典を拾い読みして、いいとこどりをして、自分の評論家としての見識を展開するだけである。まあ一言でいえば、「信仰」ということに身を浸したことのない人間、ということになる。また、いわゆる「知識人・インテリ」として、「いかる宗教も信じていない」と発言することで、暗に自分の表現が「客観的真理」だと商品価値を高めているようだ。
 まあこの手の言い方と考え方は、インテリに往々にしてありがちなスタンスなので、呉だけの問題ではない。「信」に入ってしまえば、それは「知」を放棄した野蛮人というイメージなのだ。「知」にしても「信」にしても、所詮、人間の「思い込みと固定観念」でしかないことを知らないのだ。「信」が「知」の放棄であるということを信じているのがインテリなのだ。
 呉は、おそらく自分自身で刻苦勉励して、知的に努力した果てに覚りという目覚めがあるとイメージしているのだろう。「禅宗は釈迦の本心に近い」とも言っているのはそういうことだ。ということは、「自力聖道門的な自信満々」なひとなのだろう。
 阿含経典に記されている釈迦は、覚った当初、自分が並々ならぬ努力をした結果に得たものだから、とてももったいなくてひとになど分け与えることはできないとエゴイスティックに述べている。
「苦労してやっと証得したものを なぜまた人に説かねばならぬのか 貪りと怒りとに焼かれる人々には この法を悟ることは容易ではない」(『阿含経典』2ちくま学芸文庫)
 しかし、この表現か果たして〈ほんとう〉に釈迦の口から出たものであるのかどうかは確かめようがない。あくまで伝聞であり、釈迦の死後、弟子たちがまとめたものであるからだ。まあそれはどちらでもよいことだろう。
 このように釈迦が言ったとして、実際にはそれで留まらなかったのだから。呉は「衆生の哀れさを考え『哀憐』の心によって衆生済度のため真理を説」いたのだと考えた。衆生への哀れみで、つまり同情心で説いたと。そこから大乗という「偽物」が生まれたと考えているようだ。
 私は、釈迦がサトリを人間の言葉にしたということは、サトリがもっている本来性に由来すると考えている。つまり、釈迦は自分の努力でサトリを勝ち得たと思ったかもしれないが、〈ほんとう〉はサトリそのものが釈迦に乗り移り、そのサトリそのもののはたらきが釈迦に言葉を吐かせるように仕向けたのではないかと思うのだ。
 サトリ自身がサトリを釈迦という個人の神秘体験に終わらせなかったのではないか。そもそも体験というものが、どれほど強烈なものであったとしても、その体験を人間は無意識のうちに言葉化してしまっている。体験は体験が言葉化されなくては、満足しないように出来上がっているのだ。
 なぜならば、私たちは言葉で考える生き物だからだ。言葉は考えるための手段などではなく、言葉で考えているのである。それを「内語」であるとメルロ・ポンティは語っている。
言語学者・丸山圭三郎(1933年4月25日- 1993年9月16日)が『生命と過剰』(河出書房新社1987)で、丁寧に述べている。
「私たちはともすれば、言語以前に何かを分節肢として明確に認識して、それからその認識した対象に名前をつける、というふうに思いがちである。しかし言語以前にはそれと認識される事物もなければ普遍的な純粋観念もない。
『思考が表現以前にそれ自体で存在するものであるかのように私たちが思いこむのは、それがすでに構成され、すでに表現されてしまった思考であるのに、私たちはそれを口に出さずに沈黙したまま想起でき、そのために内面的生活といったものが存在するかのような錯覚に陥っているからである。ところが実は、そのいわゆる沈黙なるものも、言葉でざわめきたっているのであり、この内面的生活なるものも、一つの〈内語 langage intérieur〉なのだ。』(メルロ・ポンティ『知覚の現象学』)」

 ここで丸山が使う「言語」について多少説明しておかないと誤解を生じるだろう。
ここでいう言語とは「存在喚起機能としての言語」であり、単なる「レッテルとしての言語」ではない。私たちが「人間」になるためには言葉が不可欠である。言葉によって人間になるともいえる。赤ん坊から幼児をへて成年する段階で、私たちは「第二の皮膚」といってもよい言語を着てしまった。つまり、言葉によって、世界を認識し、環境を認識し、自分自身を認識するまでになり、それが無自覚の、つまり当たり前の状態になっているのだ。だから、私たちは窓から外を眺めたとき、目に映る建物や樹木は、「客観的」に存在していると錯覚しているのだ。〈ほんとう〉は、「客観的」な環境などはない。それは人間の眼で切り取られた、つまり言語で分節された限りでの環境なのだ。歎異抄的にいえば、「自見の覚悟」なのだ。

 恐らく呉は、釈迦がサトリを体験し、それを言葉にするかどうかを躊躇ったと考えているのではないか。これは呉だけでなく、我々もそのように考えてしまったのではないか。ところが、それは間違いなのだ。
 そもそもサトリという体験は、「意味体験」なのだ。私たちの意識に昇ってきたもの、これは夢でもそうだが、奇想天外なストーリーも「意味体験」なのだ。夢に出てくる「素材」は現世のものだが、それを構成する「シナリオ」は自分自身を超えているので、それを言語で表現することが難しい。
 釈迦のサトリもそれに似ていると考えられる。意味体験を言語に還元することは不可能だ。人間が意味としてサトリを体験してしまった段階で、サトリは「人間的に理解された体験」になる。メルロ・ポンティの言葉を借りれば「言葉でざわめきたっている」のである。
 だから、釈迦がサトリの内容を「言葉」にするということは、すでに言葉によって成り立っていた体験を、音声として弟子たちに語ったということだけのことなのだ。まあ厳密にいえば、サトリは意味体験なので、それを表現するとなると、やはり言語表現とはずれを生じることは確かなのだが。
 釈迦の意識としては、サトリを独占しておきたかったのだろう。だが、サトリ自身が言葉で成り立っている以上、言葉で表現され外化されることをサトリ自身が求めたのではないか。
 やはり、どんなに美味いものを食べても、その体験を共有したいというものを人間はもっているからだ。それを仏教用語でいえば「自利利他円満」ということになる。仏教は、人間の根本の願いを「自利利他円満」と言い当てただけで、それは人間が本来的もっているものなのだ。
 人間は「自己満足」だけを願っている生き物のように見えて、実はそうではかったのだ。自己満足は半面、もう半面は「利他満足」だ。これが一致しなければ根本的には満足しないのだ。しかし呉には、「自己満足」だけが人間の根本的願いだと思っているのだろうか。
 
『つぎはぎ仏教入門』(ちくま文庫)の別のところでは、浄土教を「一神教化する仏教」と批判している。浄土経典では仏を「光」で表現するのは、インド土着の神話にはないから、キリスト教などの一神教が外から影響を与えた「仏教と似て非なるもの」というのだ。
浄土教経典の原初形態は北西インドで紀元後100年ころに編纂されたと推定されているらしい。これが一神教の影響を受けて発生したものかどうか、それはどちらでもよいことなのだ。だいたい、仏教そのものがバラモン教の影響を受けて発生したものなのだから、様々な思想の影響により胚胎したのだ。
 ただ、そこに〈ほんとう〉のサトリ、〈ほんとう〉の救いが表現されているかいないかだけが問題なのだ。
 呉は浄土経典群が「釈迦の説いた覚り、すなわち無明の苦しみからの智慧による解脱については一言も触れられていない。このあたり、キリスト教に近似している。」と述べる。まあ、呉はちゃんと浄土経典を読んだことがないのではないかと思う。『仏説無量寿経』には、釈迦の覚りの内容が48願として説かれているのだ。神話的に語られているのは、それほどに「覚り」が深遠であるからだ。「出家しました、修行しました、そして解脱しました」などという日常語の範疇を超えているからなのだ。
 『仏説無量寿経』は、釈迦の覚りが受動体験であることを教えるために、敢えて「覚りのはたらき」を擬人化して阿弥陀の作用と表現したのだ。だから、「阿弥陀さんの本願からの促し」となる。「覚る」と表現すれば、主語が「自分が」となってしまう。しかし覚りは本質的に、向こうからやってくるものであって、法そのものの作用である。だから、受動体験であり、正しく語れば「覚らされる」ということになる。むしろ自分が「客体」にさせられる体験だ。
 もし釈迦が、俺の努力で勝ち取った覚りだという認識で終わってしまえば、その覚りとはどれほど傲慢なものになっただろうか。俺にはわかったけど、お前たちにはわからんだろうなと、鼻持ちならないカリスマに堕していたことだろう。
 むしろその覚りを勝ち得た努力意識が完全に超越されなければ、〈ほんとう〉の覚りとはいえない。つまり、どれだけ艱難辛苦の修行をしたとしても、覚ったならば、その修行をしたという思い上がりが、きれいさっぱり無化されていなければならない。自分の手柄だと思い上がっているうちは〈ほんとう〉の覚りではないということだ。
 
 確かに浄土教は「阿弥陀一仏」以外を礼拝の対象とはしない。宗派としての浄土真宗も、必ず阿弥陀一仏しかまつらない。だから、仏教界の中の一神教だといわれる。それだからといって、西洋の一神教とはまったく違うのだ。形は似ているが、内容はまったく違う。
 西洋の一神教は、いま目の前に苦しんでいるひとがいたとしても、神Godは神の資格を失わない。神は苦しんでいるひとを救ってあげようと願っているという程度のことである。
 しかし阿弥陀さんは、苦しんでいるひとがいたならば、自分は仏ではないと断言している。つまり、苦しんでいるひとがいる限り、自分は仏の資格を剥奪されているというのだ。これを私は「永遠の片思い」と名づけている。だから、〈ほんとう〉は阿弥陀さんなどは存在しないのだ。
 私たちはそれを誤解して、絶対者として阿弥陀さんがいて、哀れな存在を救ってあげようと願っていると考えてしまう。これが「救い」という言葉のもっている存在喚起力の魔力だ。
 まあ我々が誤解してもらわなければ、理解へ到達できないので、あえて「救い」という言葉で誤解をを与えているのだ。〈ほんとう〉は「覚る」でも「救い」でも「解脱」でもなんでもよいのだ。
 阿弥陀一仏しかまつらないのは、信仰が「あれかこれか」という受動的決断だからなのだ。八百万の神をまつるのは、ただ曖昧な信仰というだけのことだ。それは寛容性ではない。〈ほんとう〉の寛容性は、「あれかこれか」を経過しなければ成り立たない。
 「あれかこれか」は諸宗教を排除するためではない。むしろ諸宗教を内包するためなのだ。禅宗でも「怎麼生(ソモサン)」といって、要するにどういうことだ!と信仰的決断を迫る。
 譬えれば、自分はどの親からでも生まれてよかったのだが、どういう因縁か、自分の親は限定された二人でしかなかった。誰からでも生まれる可能性はあったが、現実は目の前の両親という限定を受ける。どの宗教でもよいのだが、自分が出会ったのは真宗だったのだ。
 禅宗でもキリスト教でも、信仰は一人一人違う。だから何宗が絶対だということはいえない。聞いてみれば、おなじ真宗でもそれぞれ違うのだ。信仰はひとにあるのであって、宗派にあるわけではない。ただ〈ほんとう〉というものに触れているひととは、宗派が違おうが宗教が違おうが、共感できるだけのことだ。〈ほんとう〉は宗派に属するのではなく人に属する。これが〈ほんとう〉の寛容性である。
 
●2016年6月16日●
嫌いな人間を「嫌い」と言っていいんだ。
どうも仏教なんかにかかわっていると、相性が合わないとか、肌が合わないとか、苦手とか、そういう人間を「嫌い」になってはいけないのではないかという、変な抑圧が生まれてしまう。
どうしても仏教を「禁欲主義」で受け取ってしまっていた。これは仏教が長い間、禁欲をモットーにしてきたから仕方のないことなのかもしれない。自分の無意識にもそれが染みついていて、いつの間にか禁欲的に自己抑圧していたようだ。
なんだか、公明正大な仏法という法則性なのに、それを偏狭にねじ曲げて理解していたようだ。
蓮如さんが「寒なれば寒、熱なれば熱と、そのまま心の通りをいうなり」(『御一代記聞書』203)といっているではないか。あるがままのこころに蓋をして、いかにも冷静に振る舞おうとする、そのこころこそ煩悩であった。
「心の通り」とは、私のこころに起こってきたまんまのことだ。それをひとに向かって言うか言わないかはどちらでもよいことだ。しかし、「嫌いなひと」に会っていて、嫌いだという感情が起こるのも、自分のはからいを超えている仏法の道理なのだ。
煩悩は起こすことはできない、起こるものである。だから法則性そのものの展開だ。
なぜ「苦手なひと」を嫌いと感じるのかは、自分自身にもよくわからない出来事なのだ。もっといえば、「嫌いなひと」は客観的に「嫌いなひと」にはなれない。つまり、自分と「嫌いなひと」との間に「嫌い」という感情が起こるのだ。「客観的」に嫌いが成り立つことではない。
だって、自分がその人に会って、何らかの関係ができた時に、「嫌い」という感情が沸き起こるのだから。自分の内面での出来事なのだ。周りから、それが知られることはないし、相手にもわからない。まあ現実には、言い返したり、憮然とした態度で、何となくわかってしまうのだが。
それだからといって、対象となる「嫌いなひと」には何の関係もないことだ。ところが、我々はその「嫌いなひと」を、「反社会的なひと」とか、「人格破綻者」とか、「変人」とかレッテルを貼って、さらに貶めたいという欲望ももっている。それは自分の「嫌い」という感情を逆に正当化したいために、そうしてしまうのだ。あの人を嫌うのは当然でしょう、誰だってあの人を嫌いになりますよねと、「嫌い」の感情を正当化して安心しようとするのだ。
その裏には「嫌い」という感情をもってはいけないと後ろめたさを感じているのだろう。それを否定しようと禁欲的になっていることの証拠なのだ。
その「嫌いなひと」も仏法の法則性を体現して生きているだけで、あるがままに生きているだけなんだ。自分でもどうしてよいやらわからず、ただそうしているだけなのだ。だから、私がそのひとを「嫌い」になったとしても、そのひと自身の徳には指一本触れてはいない。それは「私が『嫌い』と感じたひと」というだけのことで、そのひと自身の尊厳はまったく犯されていない。
そう気づいたとき、「嫌いなひと」を嫌いと正々堂々と感じてよいし、言ってもよいのだと楽になった。
つまり、その目の前のひとの尊厳とは、何ら関係ないことだった。そのひととの間に起こってきた感情であり、自分が受け止めた範囲内でのひとり相撲なのだ。
他者は、すべて仏法の法則性を体現している存在だった。
それを自分の「思い通りにならない」という煩悩が、嫌いという感情を生んでいただけのことだった。ひとを嫌うことも、自力のはからいを超えている絶対他力のはたらきだったのだ。
やはり、娑婆のどこを切り取ってみても、ほんの些細なことでも、絶対他力の世界のことから外れたことはないのだ。そう思うと、妙に軽々としてきた。そして「嫌いな人間」を拒否するのではなく、未知なる存在として新たに出会っていける可能性が開かれてきた。〈ほんとう〉は、他者のことなど、爪の垢ほども知ってはいなかったのだ。

●2016年6月15日●
舛添都知事が、とうとう辞意を表明した。
連日、公私混同の金の使い道を追究され、八方塞がりになり、とうとう辞意を表明せざるを得なくなったようだ。猪瀬都知事のときもそうだった。ということは、次期の都知事もそうするということだ。
「過去は未来の鏡だから」、必ずそうなるのだ。
だから、次にはそうならない検査機構を作る以外に、網の目を細かくする方法はないように思える。そういうことに努力すべきなのではないか。必ず公私混同するのだから。そうであるのに、舛添個人がすべて悪いようにして、まるでイジメのように都議会でも、マスコミでも騒ぎすぎだ。もうテレビも新聞も、連日、うるさすぎて、ニュースも見る気がなくなった。
結局、政治家は自分に万が一都知事という御利益が回ってくるのかもしれないから、一生懸命に批判するのはわかる。つまり批判の動機は「自己利益」や「党派の利益」だから。損得だ。しかし、それに動かされて、周りのウルサイ銀蠅のごときマスメディアや「匿名の善人大衆」は、どこに利益があるというのか。しまったマスメディアは間違った。彼らは「視聴率」とかの御利益のためになんでもするのだから、「自己利益」のために騒いでいるだけだった。これも損得だ。
最大の問題は、マスメディアに乗せられて、右往左往している「善人大衆」だった。つまり我々が騒いでいるから、マスメディアも欲得ずくで煽る。おそらく「都民を代表している」と錯覚している政治家先生たちも、煽る。
その結果、次期の都知事選では何億かのお金が、我々の税金として盗まれることになった。都知事をやめさせないほうが安くすんだのではないかと思う。
「金の問題じゃないんだ」というのは空論ではないか。それじゃ、どうしますか?と都民のみなさんに問うべきだった。知事をやめさせると、これだけ税金がかかります、やめさせなければ、これだけですと。そうすれば、決着がついたことだろう。

まあ連日の舛添ネタがテレビから消えるということは、すこしの御利益ではあったが。
いつでもそうだが、みずからの罪が問われることのない場面では、「匿名の善人大衆」がものすごい力を発揮してしまう。これはいつでも、これからも厳重に注目しておくべきものではないか。

●2016年6月13日●
念仏の本場といわれた北陸、石川県・小松教区へ行ってきた。
私が以前、北陸中日新聞(東京では東京新聞)に書いたものを読まれた「雑光の会」のメンバーである江野さんが、ぜひ一度来てほしいと白羽の矢を立てて下さった。そのお蔭で、能美市の称仏寺さん、それから能邨英士元宗務総長のお寺・勝光寺さん、さらに翌日は小松教務所の「十二日講」でお話をすることができた。
「雑光の会」は門徒さんたちが自主的に作ってきた聞法グループだそうだ。やはり北陸は念仏者の層が厚い。東京では、まず無理だ。
初めての石川県だった。さすがに北陸は真宗王国というだけあって、数は少ないが、まだまだ気骨のある念仏者が揃っていた。お蔭で、いろいろに尊い出会いをさせていただいた。昔は、お念仏者が「面」で育てられていたようだが、いまでは「線」で育てられている感じだった。でも細々とだが、その線は確実につながっていくものだと驚いた。
十二日講は、教区組織とは別に門徒さんたちが自主的に作り上げてきた組織だそうだ。驚いたことに、地域の公民館にはすべてお内仏(仏壇)が設置されているらしい。東京では考えられない。「公共」の施設に仏壇があるなど大問題にされてしまう。「公共」は政教分離原則で、どの宗教にも属さない形式に作るからだ。しかし石川県では、公民館に仏壇が置かれていても、何にも、誰も違和感を感じないのだ。だから異議を唱えるひともいないという。これは念仏生活が日常化されていて、まさに空気のようになっているからなのだ。これはものすごいことである。
それでも、産業構造の変化から、小松も全国の地方都市と同じように過疎化しているのかと思ったら、何十年も前から10万人なのだそうだ。それでも町のアーケード街を歩いても、土曜日の午後なのに、人とは数人と行き交っただけだった。やはり寂しい感じではあった。
それでもどの会場でも、聴衆は熱心に耳を傾けて下さった。やはり耳が肥えている。
テーマは「問いの中に答えあり」「真宗創造論」「もう済んだと思ったが、まだ始まっていなかった」である。
お釈迦さんが2500年前にサトリを開いたといわれているが、お釈迦さんに会ったことのあるひとはいないし、果たして開いた「サトリ」が何だったのかもわかっていない。どうも歴史教科書にはそのように書かれていても、自分が「生きる」ということとは無関係なのだ。
だから、まだ仏教は始まっていなかったのだ。2500年前に始まったというのは、単なるウワサでしかない。自分が確かめたことがないのだから、ウワサだったのだ。お釈迦さんが35歳でサトリを開いたとき、サトリを言葉にしても誰にもわからない、むしろ誤解をして争いの種になるから、このまま黙って涅槃に入ってしまおうと考えたそうだ。
もし、サトリを言葉にされなければ、私たちの仏教はなかったのだ。
なぜ、言葉にされたのか、それはサトリというものが個人の体験に終わってしまったならば、それこそサトリとはいえないのだと、サトリ自身が叫んだからだ。(梵天感情の神話はそういう意味だ)
料理人がいたとしよう。彼はお客に出す料理をあれこれと苦心して考えて調理する。料理人は料理を出すということで完結しているのだ。後は客が食べようがどうしようが、料理人の云々できる範囲を超えている。しかし、もしお客が食べて、「あんたの料理は美味い、マイッタ!」と絶賛することがなければ、〈ほんとう〉の意味で料理は完成していないのではないか。
つまり料理を作った満足は「自利の満足」、それを客が食べて、「美味い!」叫んだときには「利他の満足」、そこにいたって初めて料理人の満足が成り立つのではないか。
そのようにお釈迦さんのサトリは、自分がものすごい体験をしたということだけでは完結しないのだ。それはサトリの半面、つまり「自利の満足」でしかない。
これもよく叱られることだが、「自利の満足」だけであったならば、オウム真理教の「麻原」が最終解脱をしたというのとほとんど変わりはない。
サトリが言葉となり、その意味が周りのひとに心底理解され、「お釈迦さんはこのことをサトリといったのか!これで私の生死無常のいのちを生きていける!」と叫んだとき、初めてお釈迦さんのサトリが完成するのだ。だから、〈ほんとう〉はお釈迦さんは、まだ成仏されていないのだ。サトリが完結するためには、私がサトリを体験し、このことだったのかと腑に落ちなければならない。だから、まだ仏教は始まっていなかったのだ。
私たちは仏教は、もうすでにあるのだと、済んだことにしてしまってきた。だから、必死にというか、真面目にというか、ワクワクしながら仏教に向き合うことがなくなったのだ。まだ仏教は始まっていなかったのだ。これが〈ほんとう〉の見方なのだ。
これは親鸞にも当てはまる。親鸞の信心が腑に落ちなければ、親鸞はまだ往生できてはいないのだ。真宗もまだ始まってはいないのだ。
私たちは真宗は、もうすでに「ある」ものだと、考えてしまってきた。そのうえ親鸞が100パーセント表現し尽くしてしまったと、済んだことにしてしまったのだ。さらに、親鸞は凄い、なんといっても「聖人」だから、自分にはとても及ばないと、持ち上げ、敬遠し、自分とは無関係のカリスマにして貶めたのだ。親鸞は、「他力の信心うるひとを 敬いおおきによろこべば すなわち我が親友ぞと 教主世尊はのべまもう」とうたっているではないか。他力の信心を得れば、お釈迦さんから「私の親友」と呼んでいただけるというのだ。親友とは、こころが通じ合う存在という意味だ。
親鸞は他力信心によって、お釈迦さんのサトリを共感したということだ。親鸞の中では、そのとき初めてお釈迦さんが成仏したのだ。
まあ、私たちは親鸞も「はだかの王様」にしてしまったのではないか。その幻想を破って、「親友」として出会いなおさなければならないのだ。
決して親鸞が真宗を100パーセント明らかにしたとは、親鸞自身が述べていないのだ。『教行信証』の末尾に「真宗の詮を鈔し」といっている。「詮」とは肝心要の核心である。それを「鈔し」とは、一部分を手でかすめ取ったという意味だ。つまり真宗の一部分を表現したに過ぎないと親鸞は述べている。それにも関わらず、私たちは親鸞が真宗を完璧に表現してまったのだ。これ以上の表現はないのだと金科玉条に仕立て上げ、我々に手の届かない「画餅」にしてしまったのだ。この罪は重い。
だから、これからは親鸞の言わなかったことを言わなければ駄目なのだ。何も真宗は親鸞の専売特許ではない。これは不変の法則であるから、別の言葉で道理とか縁起とか空とか、様々な言葉で言い換えることができる。その法則性を親鸞は抜きだして表現したに過ぎない。
親鸞が真宗を完璧に表現してまったとすると、もはや私たちのするべきことはなくなるのだ。むしろ私たちが怠慢になって、手を抜くために、親鸞を完璧な存在にしたのかも知れない。まあ、それはちょっと悪意が効きすぎた言い方かもしれないが。
また、真宗大谷派の坊さんは「真面目」なので、間違ったことを門徒に伝えてはならないと考え、親鸞の言わなかったことは言ってはならないと自主規制してしまった。
もし門徒さんに「あんた、そんなこと親鸞聖人はおっしゃっているのか?」と聞かれたとき、坊さんは「ええと、真宗聖典の〇〇頁をお開き下さい。ここに〇〇とありまして…」と答えなければならないと考えたのだ。これだと、親鸞の表現世界から抜け出ることはできない。坊さんは間違ったことを言ってはならない、つねに親鸞聖人に帰らなければと「真面目」に考えた。いわば善人になってしまい、善人の宗教にしてしまったのだ。
門徒に「親鸞聖人はそんなことを言っていないではないか?」と聞かれたら、「それでは、言わなかったということを証明できますか?」と私は逆に質問する。確かに言わなかったかもしれない、だが言わなかったと断言することもできないのだ。だから、自分はこう思うと言ってよいのだ。何といっても歎異抄は親鸞の言わなかったことを言ったから、いまでもものすごい力で、現代まで残ったのではないか。
自主規制が真宗の表現を閉塞させてきた病根である。これが親鸞の言ったことの範囲内でしか真宗が表現できなくなった原因だ。これが真宗の沈滞ムードを加速させている。
それを突破するためには、「釈迦と親鸞」を完璧なカリスマではなく、「発展途上の求道者」と、頂きなおすことだ。
因位の求道者だ。だからまだ釈迦は成仏していないし、親鸞もまだ往生していない。
窮極は、私が「そうかこのことでお釈迦さんは苦労され、これで解放されたのか!」と腑に落ちたとき、成仏されるのだ。成仏するもいないも、私の救いひとつにかかっている。だから、私のサトリであり、救済が成り立つことは、逆にいえば、釈迦を救い親鸞を救うことなのだ。
それだけの仕事が、貴方に課されているということだ。だからまだ済んではいないのだ。これからなのだ。

おそらくこんな話を二日間、したように記憶している。
真宗王国の人々の、「思い込み」と「固定観念」がガラガラと崩れていく無音を聞いたような気がする。
ある念仏者が、「遠慮はいりません。言わんならんことは、言わんならんのやし」と激励して下さった。さすがに、強者(つわもの)だ。
しかし、行きも帰りも満席の新幹線、「金沢」ブームはいつまで続くのだろうか。
●2016年6月8日●
■「殉教記念法要」に行ってきた■
(「殉教記念会」主催→愛知県西尾市一色町赤羽上郷中14 正念寺内))
明治維新のとき、明治四年二月の出来事である。「所領およそ一万石を統轄するため、大浜に陣屋を構えた菊間藩(旧沼津藩)は、管内の寺院・領民に対し、天拝・日拝(歴代天皇・天照大神の神霊を拝す)の強要や、神前念仏の禁止等の政策を打ち出した。これらは、神道国教化を協力に押し進める維新政府の方針に忠実に従ったものであった。しかし、熱心な真宗門徒である領民や、石川台嶺を中心に青年僧で組織される三河護法会には、到底受け入れられるものではなく、「宗風にあるまじきこと」として強固にはねのけた。同三月九日未明、台嶺をはじめ三十数名の有志が血誓し、政策に同意を示した二カ寺の糾弾と、菊間藩との談判を目的に、暮戸会所から大浜へ向かった。途中門徒農民が次々と一行に加わり、鷲塚へ到着した時には数千人に達していた。
 菊間藩はこの動きを知り、急遽、杉山少属以下五名を鷲塚へ派遣した。そして、庄屋・片山俊二郎宅で台嶺ら護法会代表との談判が行われたが、双方の主張は日暮れになっても平行線のままで、帰りを待つ僧侶・門徒は次第に殺気立ってきた。やがて、蓮成寺の鐘を乱打し、片山邸へなだれ込み、逃げ出そうとした役人を襲い、そのうちの一人、藤岡薫を殺害してしまった。
 翌十日、台嶺をはじめ事件に加わった者は逮捕され、取り調べを受けた。四月末に岡崎城で裁判が行われ、判決は十二月二十七日に申し渡された。事件の中心人物である台嶺と、藤岡薫殺害犯とされる榊原喜代七が死刑、以下血誓僧に懲役刑が課せられた。また始末書を出した門徒は千人を越える。
 この事件以後、排仏運動は鎮静化していくが、明治政府の宗教政策は、やがて日本人の精神に根本的な大転換が生じる程の成果を挙げることとなる。それとともに、台嶺らの護法精神や、真宗の風儀(宗風)は忘れられてしまった。私たちはいま、大浜騒動が時代を越えて訴えるものを正しく受け止め、自らの信仰を貫き通した人々の魂を甦らせねばならない。」(「殉教記念」発行パンフレットより)
 それから明治四〇年に石川台嶺の三十七回忌を記念して、「台嶺殉教之地」と刻んだ石碑が作られ、五十回忌(大正九年頃)、台嶺が処刑された葵町(西尾市)の西尾藩牢獄跡に「記念碑建設を!」との声が西尾寺院(現11組)の中に起こり、平野円玄(正念寺)・泉慧嶽(聖運寺)が中心となり、建碑運動を展開し、「殉教記念碑」が建てられたそうだ。
明治期には、他の地域でも権力による宗教統制(神仏分離令)により断罪された宗教者は多かったという。
それまでの日本は、神仏混交でやってきた。神社と寺院は同居しながら日本人の精神を支えてきた。愛知県豊川市にある、通称「豊川稲荷」は曹洞宗のお寺(妙厳寺)である。吒枳尼天を鎮守とする社殿が建てられ、通称「豊川稲荷」と呼ばれるようになった。あそこがお寺であることを知っているひとは少ない。私も最初に訪れたとき、「なんか変だなあ」と感じたことを覚えている。お寺と神社が共存していることに違和感を覚えたのだ。
しかし、いまでは、この「なんか変だなあ」と感じる意識こそ、明治以降の、つまり近代人感覚なんだとゾッとした。むしろ古代から神仏共存で生きてきたのが日本人の日常感覚だったのだ。
まあ現代でも「この世のことは神様に、あの世のことは仏さんに」と使い分けをしているのだから、根本的には神仏混交かもしれない。中世からいわゆる「本地垂迹」説で神仏の関係を解釈してきたのが日本人だった。仏さんが仮に神となって現れて、庶民を救うのだと考えられてきた。因みに、熊野権現の本地は阿弥陀如来であり、垂迹は証誠殿。伊勢神宮の本地は大日如来。鹿島神宮の本地は十一面観音、垂迹は大明神などと受取られてきた。
 明治期には「本地垂迹」説が仏教側の論理をもとにしていることに抗して、神道学者は、「神本仏迹」説を唱え出したものもいた。つまり「神様が本地で、仏様は仮のもの」という論理だ。
江戸幕府を倒した薩長連合軍は、明治維新と命名し、これからの日本をどのように形作っていくかを模索した。そして日本人の精神を「国家神道」へと洗脳していった。「神仏分離令」を出し神社と寺院を分け、神社・神道は非宗教と位置づけた。寺院・仏教は宗教、いわば「私的な集団」、だが神社・神道は「公」のものであり、宗教の上に位置づけられた。「公」のものであるから、政治が掌握するのは当然だと、「東京招魂社」を「靖国神社」に改名させて国家管理の道具にした。
明治維新政府は、西欧列強諸国に植民地化される国々を目の当たりにしていた。インド、中国と西欧列強は東漸してきた。維新政府は西欧列強の東漸を恐れ、それに抗するため、富国強兵・殖産興業をスローガンに日本を形作ろうとした。軍事、経済はそれでよいとしても、それらを具体的動かすのは日本人の心だ。そのため日本人の精神をどのように束ねていくかが課題になった。それで教育勅語を考案し、国民の精神を国家神道へと洗脳していったのである。
私は、維新政府が、表面上の名称はキリスト教と神道と異なるが、精神の形式を「一神教」に真似たのではないかと考えている。天照大神を天地創造の原初に置き、それを現世の天皇に結びつけた。『古事記』などに出てくる神様は、実に人間的な要素を多くもっている。ところが、その古代人の意識から、神様の「人間的要素」を脱色し、完全に超越的観念として「天皇」を作り上げた。
明治天皇の親とされる「孝明天皇」まで、天皇の葬式は仏式で行われていた。菩提寺は京都の泉涌寺である。ここには歴代天皇の位牌が安置されているという。こういう事情まで維新政府は抹殺し、徹底的な「国家神道」信仰を植えつけていった。仏教徒としての天皇から仏教信仰を奪い取り「国家神道」を洗脳するためのカリスマに仕立てたのである。
 神社もいままで葬儀を行ってきたが、明治になって葬儀を禁止した。(現代では復活しているが)葬儀は仏教、つまり死のケガレと共にあるが、神道にはケガレを払う作用のみを担わせたのである。
なぜ維新政府が国策として神道を選んだのかは、簡単に想像がつく。それは「日本古来のものであり、純粋で、純潔なもの」と想像すれば、やはり神道という観念に行き着くだろう。
仏教は、インド・中国・朝鮮・韓国・ネパールなど諸外国の人々が信仰してきたものだから、外来のものである。外来のものでは日本人の純粋・純潔を証明できない。だから、外来のものを排除して残ったところにあるもの、それこそを拠り所としたのだ。
これは遠くは蘇我氏と物部氏の仏教導入争いに関する争いに端を発しているともいえる。
物部氏は、蘇我氏が仏教を導入しようとする態度に反対した。仏教は外国人の神である、それを信仰することは日本古来の神々が嫉妬するというのだ。日本には日本古来の神々があるのだから、外来の神様を信仰する必然性がないというのだ。結果的には物部氏が負けたので、日本に仏教が導入された。聖徳太子は、仏教の精神をもとにして十七条憲法を作成した。親鸞も聖徳太子には深い思い入れがあり、自分にとっての精神的父母であり、日本におけるお釈迦様のようなものだと尊崇している。まあ客観的な聖徳太子像と親鸞の尊崇した聖徳太子像を分けて考えなければならないのだが、そのことはここでは置いておく。
しかし、考えてみると物部氏の考え方のほうに理があるように思えてしまう。
何も日本にある神様で十分じゃないか、なんで外来の神様を信仰する必要があるのかという論理に対して、なかなか反論は難しい。蘇我氏であっても、純粋な仏教信仰という面ではなく、当時の先進国の文化・経済を導入したいという程度の思惑だったのだと思う。
まあ親鸞までくれば、諸外国の人々が尊崇したものだから普遍的価値があると考えるのだが、それ以前であれば、やはり日本古来の神々が純粋・純潔であり、混じりっ気なしのものだと考えるのが普通である。私の深層意識の中にも、そう考える意識が存在している。
ここに個別性を重んじる精神と、普遍性を重んじる精神の差異があらわれてくる。
個別性を重んじる純潔主義は、夾雑物を排除する精神だ。より純粋なもの、より純潔なものを追い求めていくと、タマネギの皮むきと同じにならないか。これは仏教の文脈に置き直せば、断煩悩の仏道となる。
煩悩の汚れを排除し尽くせば、そこに純粋なものが現れるという発想だ。この発想はダメなんだと親鸞は発見した。つまり純粋なものを求めようとする精神そのものが汚れているという達観である。いままでは純粋なものをもとめること自体は純粋なのだと思ってきた。ところが純粋なものを求めようとする精神そのものが汚れていれば、それは論理的に成り立たないことになる。
その論理が破綻したとき、親鸞は純粋・純潔を人間の外部に発見した。つまりそれは日本人という民族でもなく、インドや中国という人種でもない、それを超越したところにである。もし多くの人間が信仰しているから純粋だと結論づけてしまえば、それは全体主義にも傾斜していくだろう。日本人が少数で世界が多数だという量の問題に、「純粋」を還元してしまえば、それは恐ろしいことになる。
だからその論理が破綻したことは一面、純粋に対して絶望したことになるが、実は初めて純粋というものを発見したことでもある。そこで絶望したのは人間の排除意識そのものの絶望であり、その絶望が「外部」に見たものは、人間の手垢のつかない〈ほんとう〉の純粋性である。
これは民族も人種をも、当然、国家すらも超えている。つまりそこでは人間の排除意識があろうとも、またなかろうとも、人間の態度や心構えとは別次元に「純粋」が発見されたことである。それで親鸞には、その当時、仏教の本場だといわれていた天竺(インド)、中国へ行きたいという素振りがなかったのだ。もし純粋性が、どこかの国や民族や人種や人間にあるのであれば、それを欲しがったはずだ。日本人は弘法大師も伝教大師も道元も栄西も、みんな中国を目指したではないか。しかし親鸞にはその素振りすらない。
それは人間の「外部」に純粋性を発見したことの証左である。
これは矛盾した表現なのだ。人間が「発見した」と記してしまえば、それはやはり人間の同程度の純粋ということになってしまうからだ。だから、これは必ず「逆説的表現」で語られなければならない。親鸞には必ず逆説的表現がある。これはギリギリの表現なのだ。
つまり「純粋を知り得ないという形で知らされる」という表現にならざるを得ない。それを順接表現で受取ってしまえば、「なんだ、人間には知り得ないのか。それでは断念せざるを得ないのか」と誤解されてしまう。逆説的表現で受け取れば「純粋を知り得ない」という形で純粋そのものが、人間に純粋を知らせてきたと受け取れる。順接であれば絶望であり、逆説になったときに救いとなる。

ところが、以前にも書いた昭和16年の「真宗教学懇談会」では、それが完全に国家神道に飲み込まれていた。教学者と行政官30名が参加しての懇談会であったが、天皇と阿弥陀さんの意志は同じであるとか、大谷派という小集団以上に「公」の大集団の意志を優先すべきだという論理になってしまっていた。
 そこに参加された方々は、ほとんどが明治生れの方々だということも忘れてはならない要素だろう。つまり、オギャーと誕生して、幼少期を、青年期を、さらに壮年期を国家神道という共同幻想の中で「人」となっていったという事情である。
 時代とは「空気」であるといってもよい。この「空気」を対象化することは人間にとってものすごく難しいことなのだろうと思う。ドイツがナチズムに傾斜していったときの「空気」をドイツ民族は対象化できなかったのではないか。いまテロリストたちが吸っている「空気」も、おそらく対象化されていないだろう。また現代を生きている私も、同じように対象化できていないのだろう。それだけはこころに留めておくべきだと思う。
 いかなる集団であろうとも、それが共同幻想であると知っておかなければならない。民主主義は、つねに全体主義になりやすいものだ。つまり多数の意見に少数の意見は従うべきだという論理だからだ。ただ往々にして重要な問題については「49対51」に意見が別れる場合が多い。その場合51が圧倒し49は屈従しなければならないのか。まあそれを回避するためにコミニュケーションのパイプをたくさん作っておくというのが民主主義のルールなのだろう。
 懇談会の共通意識として、「公」の意志に対して大谷派は随うべきという圧迫感は常に存在している。「大本教」は大正と昭和に二回も弾圧され壊滅させられている。それを彼らは知っているのだ。
 さらにその「公」が、現代でいう「公共」という意識とは異なり、「天皇の意志」と解釈されていた。軍隊では寺族出身の出征兵士が、必ず上官からいじめ的に詰問されたと聞く。「天皇陛下と阿弥陀さんとどっちが偉いのだ?」と。真面目なお坊さんは「阿弥陀さん」と答え、軍隊に属している間、いじめを受けた。上官は非インテリ層が多く、一応、インテリに属すと見なされた坊さんは目の敵にされたそうだ。
 かつて西本文英先生が入隊したてのころ、やはり同じ質問を受けたそうだ。先生は「天皇陛下に絶対服従でありますという道を阿弥陀如来からいただいております」と答えたという。さすがに上官は「ううむ」と唸ったそうだ。こういう応用術を生み出すのが真宗の信仰ではないだろうか。〈ほんとう〉の柔軟とは、どの場面でもその場に応じた言葉が生み出せることだろう。その柔軟が生まれるためには、「金剛心」が不可欠なのだ。
 吉本隆明は「天皇制」とは「古代、アジア専制国家に特徴的な生き神様信仰」だといっている。これに地政学的分析をして、広大な平野がある場合、農業国になりやすく、「生き神様信仰」が発生するが、広大な平野のないヨーロッパなどは、農業以上に工業に頼らざるを得ないから機械化が進み「生き神様信仰」が起こりにくかったのではないかともいっている。
 シルクロードを旅するとかつて「王朝」のあったところが廃墟になっている場合が多い。それは古代農業国は、灌漑、治水や防衛などはすべて王族が一手に引き受けてきたから、「国家」といえば、爪の先から頭の髪の毛一本まで国家のなかにスッポリと包み込まれている観念が生まれたという。だから王族が滅んでしまうと、民衆はみんな離散して国家のの体をなさないために廃墟になったそうだ。
 ところが西欧にとって国家とは、いまでいえば政権や政府くらいの意識で、自分たちを包み込んでいるというような観念はないという。
 たしかに私の観念を洗ってみると、「国家」は爪の先から頭の髪の毛一本まで包み込まれている観念がある。これは日本が海岸線と国境線が同じだというフォルムからも支えられている観念ではないか。ヨーロッパや中東やアフリカなどのように国境線はいくらでも人間の作為で書き換えられるという観念とは、そもそも異なっているのではないか。これは同じように島国であるイギリスにも通じる意識なのだろうか。
 どうしても私の中で、ゲゼルシャフト(利益共同体)とゲマインシャフト(自然共同体)とが融合してしまっているようだ。これはかなりヤバい感覚なのではないか。
 
 そういうものの私は「一人一世界観」ということをいっていて、これが親鸞が直感していたものではないかと思っている。私という意味場の中に、全社会、全世界、全宇宙があるという世界観だ。
 ひとりにひとつ世界があるのだ。だから「公共」という意識は共同幻想として、私の中にあるだけだ。
 この世界観が役に立つのは、他者と比べるということがなくなるという利点だ。比べるというのは煩悩だから死ぬまでなくならないのだが、比べていること自体が幻想であると対象化できる利点だ。それは〈ほんとう〉の世界ではないと知っているからだ。煩悩は病んでいるのだ。病から抜け出ることはできないのだが、病を病だと知っていることはできる。
 「平成天皇」といっても客観的な存在ではなく、私の「一人一世界観」の中に意味として存在する男性のことである。公共交通機関といっても、運転手〇〇という固有名の人が運転している地下鉄である。
 そう考えると「〈ほんとう〉に生きているのは私一人」だけなのである。この「〈ほんとう〉に」ということが重要なポイントである。
■「罪が重いほど、存在も重くなる」

 デパートの階層と同じで、あなたと私の階層が違うと、言葉は同じ「罪」でも、意味場がずれてしまう。
あなたが4階にいて私が一階にいれば、意味場がずれてしまう。
戦後生まれの反戦論者は、4階にいるようなものだ。自分が無罪の場で戦前を批判する。
その批判は北風の批判で、太陽の批判にはならない。アンデルセンの「北風と太陽」だ。
つまり、自分の罪がとわれていないからだ。
加藤典洋は、「戦後生れは戦争責任が無罪だ。無罪ゆえに引き受ける」という回路を提起した。この論理は見事なのだが、阿弥陀信仰を抜きにして言ってしまうと論理だけが空回りしないだろうか。
私は、「無罪ゆえに引き受ける」という引き受けの場を「普遍的個」と考える。人間は、刑法で「特殊的個」の罪のみを問う。信仰は、「特殊的個」に現れた根源的罪、つまり加害者と自分が通底している「普遍的個」の罪を問う。
そこまで降りてきて、ようやく戦前の戦争責任も「自分」の課題となる。
過去に起こったことは問題の局面は違っても、未来に再び繰り返す問題である。過去は未来の鏡である。

加害に立たせられる。
阿弥陀さんによって。
本願の外以外に、本願のはたらく場所はないから。救いの可能性のない場所以外には、救いがはたく必然性がないから。
 罪が軽くなると存在も軽くなってしまう。
結局、宮沢賢治の「世界全体が幸せにならない限り個人の幸福はありえない論」(略称「世界幸福論」)を阿弥陀の悲願であると受け止め、それを「個人が幸にならないかぎり世界全体の幸福はありえない論」(略称「個人幸福論」)で受ける。
 「個人幸福論」は、いわば救いだ。その個人の救いが、実は個人の救いに終わらないというのが、「世界幸福論」なのだ。
 つまり、救いなしの原点が、救いの発動する零地点だ。
その辺の問題を、これから楽しみに温めいきたい。
 西尾市は、意外にもお茶が有名なのだ。当日も、美味しい抹茶をいただいた。
しかし、殉教記念法要を毎年6月5日に開催されているとは、実に尊いことだと頭が下がった。
 ついでに『なぜ?からはじまる歎異抄』を50冊も買っていただき、幸甚この上ない法要だった。
 
●2016年6月2日●
やはり「一人一世界観」と「一世界全人類包摂世界観」との勝負だ。
なぜ、曽我金子意識が、日本国を共同幻想と見抜けなかったのか?それはやはり世界観が問われていなかったということではないか。
 浄土教は浄土を説くが、その浄土とは「死後・あの世・来世」として、おもに時間論をベースに考えられていたのではないか。
どうも「世界観」の問題として問われていないように感じる。
 つまり、〈いま〉生きている世界観はいかなるものかという問題意識の希薄さである。
さらに信心とは「一人一世界観」を開くことだという認識がなかったことだ。
 どうも曽我金子意識は「一世界全人類包摂世界観」に洗脳されていたようにみえる。この「一神教の世界観」と共通の世界観に立った上で、その中に日本もありアメリカもありと考えている。曽我金子意識が、「日本国」という場合には、この世界観になってしまっている。
 だから、「日本国」の中に真宗大谷派もキリスト教も他派もあると考えている。「日本国」が大きく、真宗大谷派は小さい、もっといえば、「日本国」が公であり、真宗大谷派は私的なものに受取られている。
 共同幻想は確かに入れ子状態になりうる。大きな集団の中に小さな集団があるという発想は常識的だ。だから大きな集団の利益が小さな集団の利益よりも重んじられるのが当然だと考える。しかし、これも民主主義の概念をギリギリに突き詰めれば、「49対51」の場合、51が圧倒し、49は負けだ。その場合51が公に49が私的と言いうるのだろうか。
「一人一世界観」は、それらの集団意識を両方ともにも幻想だと暴き出す世界観である。
人間が「共に」と発想するところには、恐ろしいものがある。その「共に」は「私」以上に大きなものだという意識があるからだ。「共に」の利益の前には私は無化されてしまう。
これが戦時下の滅私奉公という発想と通底する。
 安保法制反対にどうして賛成しないのかという強要があった。「檀家の中には反対のひともいるでしょう。どうして、寺の代表が反対を表明しないのか」と。それは共同幻想を共有せよという強要である。つまりみんながそういう意向をもっているのに、どうしてそれに逆らうのかと。これは形こそ違え、戦時下の国家と同じ強要の形式である。大谷派は私的であり、公はそれらを包み込んだ大きいものだから、公の意志に随うべきだと。
さらに共同幻想の善意の強要が恐ろしいのは、強要する責任主体が曖昧なところだ。これを河合隼雄さんは「中空構造」と指摘した。つまり簡単にいえば「みんながそう欲しているのだ」という強要である。
戦時下では、その「みんな」を天皇と言い換えただけだ。さらに、その「みんな」の意志を先取りして、つまり空気を読んで先手先手に態度決定をしていくということがさらに恐ろしい。指示があってから動くなどというのはあってはならないのだ、先手先手に先を読んで、「天皇の御心」を推し量って行動することが要請される。その結果、戦後は誰も戦争の問題を負うことができなかった。それは中空構造だから無責任構造なのだ。
「みんな」という大衆のみえざる要求に突き動かされて、大谷派も戦争協力をしていったのだろう。
そして、それは決して戦前の話ではなく、現在にも起こりうる典型的発想形式なのだ。
曽我金子意識は、明治初期から形作られてきた「国家神道」の中に養育されていったのだろう。だから、「国家」が共同幻想だということが自覚化されてはいない。もう空気のようにあるのが当然で、それなしには生きられないくらいの雰囲気があったのだろう。
つまり、単なる意識だけではなく、感受性までをも対象化できるまでに信心を鍛えていかねばならない。
 
宗教教学懇談会では戦死者をどう扱うかも問題にされていた。
そして「死ぬときはみな仏になるのだ。国家のために死んだ人なら神となるのだ。神になるなら仏にもなれる。弥陀の本願と天皇の本願と一致している」と述べている。ここでは戦死者が英霊として靖国神社に祀られるという国家の理論と、浄土教の救いの理論とを折衷させて、何とかこの場を乗り越えようとする苦渋の政治的判断も感じる。
 しかし、〈ほんとう〉は、亡くなったひとを「英霊」として肯定的に評価することも、また否定的に「無駄死にだった」と評価することからも自由になっていなくてはならない。
生者が死者を評価すること自体が傲慢というものだ。
 個人は個人の業として、いのちを終えていったと考えるべきである。そこには生者が死者を評価してはならないという絶対の規律がある。浄土教であっても、死者を「成仏した」とか「往生した」と評価してはならないのだろう。たとえ臨床の場面では、そのように語ったとしても原理的には、その規律が根底になくてはならない。
 国家が死者を評価する場合には、かならず「共同幻想」を補強するために利用しようとする意図がはたらいているのだ。
 生者のこころの安定をはかるために、死者の死を利用してはならないのだろう。

※「曽我金子意識」と使ったのは、その時代を生きれば誰しもがそのように考えてしまう意識の傾向性を示したかったためだ。だから、特別に曽我量深・金子大栄を断罪するために用いたものではない。実は、自分の内部にも「曽我金子意識」が、つねに存在するという意味なのだ。

●2016年5月29日●
もしかしたら阿弥陀さんの本願とは、人間の本願のことではないのか。

人間は何を願って生きているのか。表層は、自我の思うがままの生活だろう。自我が快楽であり、意味があり、価値のあると判断したものを目指し、その目的が達成されれば満足、それが達成されなければ不幸ということだ。
しかし、それが「本当の願い」つまり、「本願」なのだろうか。もっと「根本の願い」があるのではないか。そもそも、人間は、究極的にどうなったら幸せかを知らない生き物だ。行き当たりばったりで人生を送ってきたのが我々の真相ではないか。

「本願」を「本当の願い」と言い換えてみたが、人類の深層にある「根本の願い」は「自利利他円満」という願いではないか。
 自分が満足することと他者が満足することが同時に成り立つこと、それこそ人間が根本的に満足する願いなのではないか。真言立川流はそれを男女の合一、つまりセックスで実現しようとした。ただそれは一瞬のことでしか成り立たないことは誰しもわかっている。
 卑近なことで考えれば、どんなに美味いものを食べても、それを「美味い」と言葉に出して共有できる関係が、つまり他者がなければ、その美味さは〈ほんとう〉の美味さにはならないのではないか。
 どれだけお金があっても、また健康であっても、どれだけ名声や地位があっても、それが自己満足の域を出ないのであれば、〈ほんとう〉の喜びには変換されないのではないか。
 一見すると、人間は「自己満足」だけで十分満ち足りているように思うが、もっと深層へ降りていくと、「自利利他円満」という願いをもっているように思える。
 その人間の深層の願いを、あえて取り出してみせて、阿弥陀の本願と擬人化したのかもしれない。
 レストランのシェフも確かにお金はほしいのだが、それ以上にお客を「美味い!」と唸らせることに心を費やしているひとがほとんどだ。
 新幹線の売り子のお嬢さんが、確かに弁当を客が買ってくれることは、やがて自分の給料に還元されるのだから、仕方なく弁当を売っているということもあるかもしれないが、だが、それだけではない。お客から「有り難う」と御礼をいわれたり、「この弁当は美味いね!」などと声をかけられたならば、やはりこの仕事をしていてよかったと、やり甲斐を感ずるはずだ。
 サラリーマンであっても、いまでは給料はほとんど会社からの振込で、給料日に奥さんが銀行から引き出して、生活費を引いたなかから旦那に小遣いを渡すということがほとんどらしいが、やはり、奥さんから「今月も有り難うございました」などと御礼を言われなければ、旦那は悄気てしまうのではないか。自分の仕事が「利他」、つまりひとのために役に立っているということがなければ、人間は〈ほんとう〉の意味の満足はないのではないだろうか。
 そう考えていくと、自利だけでなく、利他がなければ人間には〈ほんとう〉の満足がないといえる。しかし、これは、阿弥陀という言葉で象徴される、運動と同じことではないのか。阿弥陀さんだって、自分一人で悟って仏になったとしても、あらゆる人々が幸せにならなければ、自分は満足しないといっているのだから、これは人間の「根本の願」と一緒ではないか。
 そうすすると、阿弥陀さんの本願とは、実は人間の深層にある「根本の願い」ということになる。
いままで阿弥陀さんの本願と、人間の願とを対立的に考えていたが、そうではないのではないか。
阿弥陀さんは我々を救うために本願を発されたと経典では述べられている。だから、阿弥陀さんは「救うもの」、我々は「救われるもの」と考えてしまった。表層の意味としては、それは間違いではない。
 ただもっとその奥へ奥へと降りていくと、どうも阿弥陀さんの本願と人間の本願は通底しているようだ。

 そうそう、呉智英が『つぎはぎ仏教入門』(ちくま文庫)を書いていて、問題の立て方や考え方がなかなか面白いと思い読んでいた。ところが、彼は「源流純粋論」に立っていることがわかって、がっかりした。
 それでも、反面教師として読むにはなかなか面白い本だった。
彼は「浄土教の特徴は、「覚りの宗教」である仏教を一神教の構造を持つ「救いの宗教」に変容させたことである。これはキリスト教によく似ている。しかし、このことが公然と指摘されることは稀である。」と述べている。
 彼は釈迦は自己自身の覚りを得ることを課題としたので、絶対者から「救われる」という考えは出てこないといういうのだ。これはゾロアスター教かキリスト教の影響で、仏教が変質した似て非なるものになったと批判しているのだ。
 まあこれもインテリ仏教者に多い批判ではある。
まあ一言でいえば、彼の勉強不足ということである。彼は「救い」という言葉にどのようなイメージをもっているのだろうか。
 恐らく、上の方に仏様がいて、その仏様が、下の方にいる愚かな凡夫を救いの手を差し伸べて「掬い取る」というイメージで考えているのではないか。これはキリスト教ならまだしも、浄土教、特に真宗では間違ったイメージである。
 安田理深先生も、そのことに対して、もし阿弥陀仏が救い取って下さるというイメージで受取れば、凡夫は一生の間、阿弥陀仏に頭の上らない情けないものになるだろうと述べていた。つまり劣等感の宗教に堕すというのだ。
 真宗の核心は「覚る」とも「救われる」とも言葉で表現され得るのだ。それはあくまで譬喩であって、真実はその言葉の意味するところにはない。親鸞も「信楽(=信心=覚り)を獲得する」と表現する。
 いままで仏教は、真理をダルマとか空とか縁起とか法とか道とかと言い表してきた。その当体とひとつになることを、「覚る」とか「救われる」と表現しているだけなのだ。
それを「覚る」と能動形で語らず、「救われる」と受動形で表現したに過ぎない。もし能動形で語ってしまうと、自己が主体になりダルマとか縁起のはたらきが客体になってしまうからだ。やはり、「覚る」ということは、ダルマそのものが主体であり、そのダルマのはたらきが自己を変革させるのだから、やはり受け身形で表現するのが正しいのだ。
 だから、正しく表現するのであれば「覚る」ではなく、「覚らされる」だ。それを表現を変えて「救われる」と語っているに過ぎない。
「救われる」といったからといって、何か一神教の神のような存在を念頭に置いて、それが自己を救うとイメージしているわけではない。ただダルマとの出会いは、受け身形だということをいうために、そのように表現しているだけなのだ。「偶像」が念頭には存在しない。存在してしまえば、一神教になってしまう。
 まあ呉は、その本で、釈迦の覚りとはどのようなものなのかということは展開していない。自分はどの宗教や宗派の信者でも何でもないというスタンスで述べているだけだ。だからもうひとつ詰めが甘い。
 だから、釈迦の初期の言葉を残している阿含経典群だけが真実であり、大乗は非仏説だと豪語している。こういう考えが出てくる背景には、自分自身が、それこそ汗水を垂らして信仰と格闘したことのない人間だということを証明している。
 仏教は歴史を下るほど、「覚り」などと抽象的にいわれてきたものが、「具体化」してきたのだ。宗派仏教は、我々の身の丈にあう形の仏教へ「具体化」してきたのだ。
 呉は、一応、宗派仏教にも真実が流れているという立場をとっている。しかし、金の含有量が低ければ、それは百パーセントの金ではないのだから偽物というしかないとも言っている。ここが私と彼の立場の違いだ。私も金の含有量が低いのが宗派仏教であることは認める。だが、それだから偽物だとは考えない。その含有量の低い宗派仏教を精錬して、そこから金を抽出すればよいだけの話だ。
 「真実は必ず、部分にしか存在しない」というのが私の立場だ。釈迦にしても、阿含経典群は「覚り」の部分的な表現にしか過ぎない。またどの宗派の聖典であっても、そこには部分的な表現しかありえない。それではどこに真実が成り立つのかといえば、それらを精錬する信の眼のところにしかないのだ。
 
●2016年5月26日●
なぜ阿弥陀さんなのか。
どうして、仏法と「法則性」で語らず、阿弥陀さんと「人格性」で語るのだろうか。自分の内面では、それが自明のことであっても、それをあえて「なぜ?」と問うている。そう問わしめるものは何か。それも恐らく阿弥陀さんなのだろう。
阿弥陀さんとは、自分の思いを徹底的に、どこまでも相対化してくるはたらきである。
つまり、その「思い」を条件付きであり、一時のたわむれであり、恣意的であり、絶対的なものではない、とどこまでも知らせてくるはたらきである。
いわば「思い」を絶対否定してくる作用である。
その絶対否定が私にはたらいてくると、絶対化していた「思い」が溶解し、解放され、軽くなる。やはり「思い」は「重い」のである。だから、溶解が「重い」を「軽く」してくれるのだ。「軽く」されたとき、アーッとため息が出る。それをたとえば念仏といっている。
でも、どうしてそれを阿弥陀さんと「人格性」で語るのか。
それは、情が絡むからだろう。「軽く」されたとき、「ああ軽くするはたらきがやってきたのだ」と無感情で受取れないからだ。どうしても、「かたじけない」とか「申し訳ない」とか、「ありがたい」という感情が湧く。
そのときの返礼は、南無妙法蓮華経ではなく南無阿弥陀仏となる。「妙法蓮華経」に「南無」(おまかせ、信ずる)するとなると、「経」の何におまかせするのかが曖昧になる。「南無妙法蓮華経」と唱えるひとの心の中では、どうなっているのだろうか。人間がイメージした理念や仏像を信ずるということだと、それはやはり「人間が信じたナニモノカ」になってしまい、それは煩悩が把握した限りでの、つまり人間と同等のものに成り下がってしまう。そうなると、「南無」にはならない。焦点がボケてしまう。
それでは南無釈迦如来ならばどうか。これは「釈迦如来」だから「人格性」はないか。
その場合にも、南無釈迦如来と唱えるひとの心の中はどうなっているのか。
「釈迦如来」の何におまかせ、あるいは信ずるのか。信ずる対象が、もし人間の心の中に出来上がっているのであれば、それもはやり人間と同等にのものになってしまう。「お釈迦様の語っていることは間違いない」という理念を信ずるか、あるいは「仏教の始祖としての権威」を拝跪することになり、これも人間の考えた限りでの信仰対象になってしまう。まあ、人間が心に思い浮かべたものを信ずる・南無するとなると、だいたいは「御利益信仰」に堕す。信ずる必然性が、人間の側に残ってしまえば、それは煩悩の域を出られない。
 それでは南無阿弥陀仏だとどうか。
これは「阿弥陀仏」に「南無」するので、焦点が「仏」と明確化する。ただし南無妙法蓮華経と南無釈迦如来と異なるのは、信ずる対象が人間の心の中に思い浮かばないということだ。阿弥陀さんの仏像や救いの理念などが排除されてくる、その排除作用こそが阿弥陀さんのはたらきだからだ。やはりここが大きく違うところだろう。
それで私は「真宗は信ずる必要のない宗教」と表現した。
信ずる対象を心の中に思い浮かべる必要がない。必要がないというのは、必要とさせない阿弥陀さんがはたらいている証拠なのだ。もっといえば、「信ずる対象を持たない」ということだ。
この本質は、南無阿弥陀仏という言葉と矛盾するようにできている。
南無阿弥陀仏の文法上の約束は「阿弥陀仏」を「南無」する。と「阿弥陀仏」が目的語になっているからだ。このように表現しなければならないのは、人間に理解させるためだ。なぜ矛盾したものを与えるのかといえば、人間はそもそも矛盾した存在だからだ。矛盾した存在には矛盾した表現で伝えるしかない。
もっといえば、お釈迦さんがサトリを開いた後、なぜ49日間は沈黙し、なぜその後、サトリを言語化したのかということと同じ問題だ。
サトリを自分だけの世界に留めることをさせなかったはたらきは何かだ。それはサトリそのもののもっている作用だろうと思う。それを仏伝では梵天勧請というが。
「言葉」にしたということは、人間の世界を信頼したということだし、一切衆生へのサトリの共感と公開がなければ、それは〈ほんとう〉のサトリとはいえないからである。。
話を戻すと、南無阿弥陀仏という矛盾語をあえて公開し、人間がその矛盾に引っ掛かり、その矛盾を超越してほしいという悲愛が南無阿弥陀仏を生んだのだ。
だから、本質をそのまま表現すれば「南無」だけで尽きているのだ。阿弥陀仏は不要なのだ。ただ、そのように語ってしまえば、「南無」の意味すら曖昧になり、南無釈迦如来と南無妙法蓮華経との違いもわからなくなる。
南無阿弥陀仏と矛盾語で表現し、南無するのは私ではなく、南無する力そのものが阿弥陀仏だと超越させるのだ。つまり、こちらには南無する意識すらも残らないようにはたらくのが阿弥陀仏なのだ。そこまで来て、初めて「南無」だけで尽きているということが言い得るのだ。
 なぜ阿弥陀さんなのか。その問いに対する答えは、どうも人間の側にはないようだ。
ぎりぎりの普遍性を表現する場合には、どうしても特殊性(唯一性)で語るしかないのだろう。「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」(歎異抄・後序)と。
 これは多数の中の一人という世界観ではなく、「一人一世界観」が開かれたことの表明だ。自分以外にこの世を、〈ほんとう〉に生きている人間はいないという表明だ。
 世間でいう「個人より公のほうが大きい」という意識を超越したのだ。公以上に、個人が大きいというのは、この「一人一世界観」に立って初めて言い得るのではないか。
 ところが、昭和16年2月に東本願寺で開催された、「宗教教学懇談会」での曽我量深・金子大栄・暁烏 敏・関根人応・木津無庵・山辺習学・稲葉円成・柏原祐義など、宗門行政官と教学者30名の意識は、「真宗教徒たるものは、(略)大政を翼賛し奉り、大御心を奉戴して、臣民道を全うすることが絶対の道であって、天皇に帰一し奉る国民の態度に一二のあるべきはずはない。」と結論を出している。
 戦時下における危機的状況の中で出した苦渋の結論だとは思う。それで大本教のように教団解体を免れたという面は確かにある。
 歴史を後から行くものは、前を批判する資格は皆無だというのが私の立場だ。それは常に「後出しジャンケン」と同じだからだ。同時代を生きた人間以外には、その時代をある程度まっとうに評価する資格はない。後からいくものは、前の歴史を批判する資格はない。
 そうであっても、「歴史は必ず繰り返す」というのも私の立場だから、過去を学ぶことがとてつもなく大切なことだと思っている。人間は、何万年前から、進化も堕落もしていないからだ。時代は、いつでも人間の内部にある問題を白日のもとに暴露し続けてきただけだ。
 だから、これは、後から行くものの憶測を出ないのだが、もっとそのことにこだわらなければならない。
 様々な文脈の批判はできるのだが、それらを取り除いてみて、最後に私が感じているのは、30人の意識は、危機的状況だから政治的判断で問題をやり過ごすというもの以上に、体制におもねるというか、擦り寄り、天皇制に同化していこうという傾向性の問題だ。
 なぜ、その傾向性が生まれたのか、それは危機的状況における人類の普遍的な傾向性の表れなのか。それとももっと違った文脈があるのか。
 時代を「共同幻想」だと徹底的に見抜くのが真宗のはずなのに、なぜ、天皇制にからめ捕られたのか、さらにその問題を突き詰めたいと思っている。
●2016年5月14日●
これが真実だ、これを聞いてほしいとは思うが、その「これが」がわからないのだ。
言葉で言うことができないのだ。心で思うことも越えているのだ。
そうではあって、そうせざるを得ないものなのだ。これが阿弥陀に取り憑かれるということか。
私のいる場所は、五濁であり、誤解の大地だ。
〈ほんとう〉の世界からみれば、人間の世界には誤解しかない。そもそも人間の言葉は「誤解」なのだ。人間の知りうることしか言葉にはできないのだから、それを超えたものを表そうとしたときには、「誤解の用語」で表現しなければならない。
釈尊も悟りを開いた直後は「人間の言葉」で悟りを表現しようとはしなかった。49日は沈黙した。その後、「人間の言葉」にして表現し出した。そこには梵天勧請という神話があるのだが、これを非神話化すれば、悟りが神秘体験から意味体験へと深化したことを意味している。神秘体験であれば言葉はいらない。また神秘体験だけであれば悟りは完結しない。それは〈ほんとう〉の揺さぶりであって、悟りは必ず意味体験へと深化するようになっている。意味体験とは、言葉による体験の表現である。なぜ言葉が必要かといえば、それは悟りが自利だけでなく、利他へ深化するようになっているからだ。
つまり自己満足だけでは悟りとはいえないのだ。それが他者の共感に変化したとき、初めて悟りと言いうるからだ。

親鸞は「信ずべし」「たのむべし」とはいうのだが、〈ほんとう〉は信ずる必要もないし、たのむ必要のないものが〈ほんとう〉なのだ。それに気づかせるために、あえて「信ずべし」という用語を使って誤解を与えるのだ。
あたかも人間が信ずることができるような錯覚を与えて。
安田理深先生はこういう。
「たのむも助けるも世間の言葉であるが、信仰には助けるもたのむもないのが本当である。事実また、そんなことに用のないのが南無阿弥陀仏の安心である。南無阿弥陀仏ということにすべては尽くされている。」とおっしゃる。
その通り!と手をたたきたくなる。
収縮と拡散にこころが揺れ動く。
収縮とは、何をいってもすべては南無阿弥陀仏なのだと、人間の言葉がすべて南無阿弥陀仏に飲み尽くされていく方向性だ。また拡散とは、そこから無限の表現が生み出されてくる方向性だ。南無阿弥陀仏は両方の性質をもっている。
法性法身は収縮であり、方便法身は拡散だ。

親鸞は「欣慕せしむ」という。「欣慕」とは「ねがいしたわせる」という意味だ。
とにかく、「信ずべし」という世界に惚れ込んでもらわなけれ話が始まらない。そのためには、何とか、あの手この手をつかって、その気にさせなければならない。
「南無阿弥陀仏をとなうれば、この世の利益はきわもなし」などと『現世利益和讃』で唆す。
世間の欲心にうったえ掛けて、何とか南無阿弥陀仏と縁を結んでほしいと願うのだ。
まあ、南無阿弥陀仏と縁を結ぶのは、風邪を引くのと似ている。風邪を引かせようとしても、ひとはそうそう風邪を引くものではない。知らず知らずのうちに風邪にかかっているのが〈ほんとう〉だ。それでも、風邪を引かせようと、無意味な空咳をしているだけなのかもしれない。ほとんど無意味なのだが、無意味だから、なんだかワクワクしてくるのだ。
●2016年5月6日●

「子どもたちはいま、不安に生きている」と題して、「養育を語る会」シンポジウムが開催されます!
2016年5月14日(土)13:30~17:00(開場13:00)
会場:日本教育会館・中会議室 定員150人 参加費1,500円
※最寄り駅:神保町駅(A1出口)(半蔵門線・都営新宿線・都営三田線)

発言者 
 石川 俊浩(特別支援学校教諭)
 菅原 哲男(児童用語施設理事長)
 鈴木 洋一(児童養護施設指導員)
 芹沢 俊介(養育を語る会主宰)
 相馬 豊(元ファミリーホーム養育者)
 刀川 和也(映画『隣る人』監督)
 野辺 公一(養育を語る会記録人)
 藤野 興一(児童養護施設園長)
 増田 良枝(自立援助ホーム開設者)

お問い合わせ:youiku101@gmail.com

※お知り合いの芹沢さんたちが隔月に開催している「養育を語る会」が三月の例会で、なんと100回を迎えられるそうです。なんと20年も続けてこられたとは驚きです。
呼びかけ文には「なにもできない私たちにも、考えることはできるからです。養育とはなにか。養育を考えることが、そのまま子どもたちの安心と安定がそのまま私たちの不安の除去になる、そのような思想は可能か。これが一貫した私たちのテーマでした」とあります。それで今回100回を記念して、公開シンポジウムを開催されることになりました。
小生は、拙寺の永代経法要の前日ということもあって参加が難しいのですが、ご興味のある方はぜひ参加して下さい。
会では最初に主宰の芹沢さんがお話をされて、その後は、パネラー全員による公開シンポジウムが展開するそうです。必ずや、いのちの根っこが深まる集いになるに違いないと直感しています。
ご案内申し上げます!!
●2016年5月5日●
私が「もう済んだと思ったが、まだ始まっていなかった」というテーマでお話しているので、同じ様なことを、まどみちおさんが書いていると教えてくれたひとがいた。
 それは「もう すんだとすれば」という詩だ。

もうすんだとすれば これからなのだ
あんらくなことが 苦しいのだ
暗いからこそ 明るいのだ
なんにも無いから すべてが有るのだ
見ているのは 見ていないのだ
分かっているのは 分かっていないのだ
押されているので 押しているのだ
落ちていきながら 昇っていくのだ
遅れすぎて 進んでいるのだ
一緒にいるときは ひとりぼっちなのだ
やかましいから 静かなのだ
黙っている方が しゃべっているのだ
笑っているだけ 泣いているのだ
ほめていたら けなしているのだ
うそつきは まあ正直者だ
おくびょう者ほど 勇ましいのだ
利口にかぎって バカなのだ
生まれてくることは 死んでいくことだ
なんでもないことが 大変なことなのだ

 この詩を何度も読んだが、最初は、まどさんがどんな気持ちで、何を言いたいのか掴みかねた。初出のことばに対して反対の意味をぶつけて詩を作っていることはわかった。まあ必ずしも反対語ではないものもある。
そして、この詩全体が締めくくられる「なんでもないことが 大変なことなのだ」で落ちを付けていることもわかった。ところが、どうもそう解釈しても落ち着かないものが残った。これは、どうも一行一行が、それだけで大きなテーマを発しているようなのだ。たとえば「なんにも無いから すべてが有るのだ」は、『般若心経』の「空即是色」を表現している。
「あんらくなことが 苦しいのだ」は、どれほど楽なことでも、それが永遠に続けば苦しさに変化してしまうではないかという意味にも読める。
「見ているのは 見ていないのだ」は、人間は自分の見たいものしか「見えない」、決して「真実」を見ているわけではないという批判にも読める。
 そうやって解読していくと、一行一行が全体なのだ。一行が大テーマなのだ。決してこの詩全体がまとまって何かを述べているようには思えない。
 と、思っていた。
ところが、最初の一行目の「もうすんだとすれば これからなのだ」に立ち戻ってみると、「もうすでに自分がわかったことにしてきた世界は、まだ、まったく未知の世界なのだ。まったく済んではいないのだ」と人知を批判するメッセージに読めてきた。そういう読み方をすれば、私のいう「もう済んだと思ったが、まだ始まっていなかった」と軌を一にすると確信した。
 果たして、まどさんはそういう意味で書かれたかどうかは知るよしもないが。
●2016年5月3日●
孫には適わない。
境内には砂利が敷いてある場所があって、そこで孫を遊ばせていた。一歳四カ月の彼は、砂利を手にとっては、手桶の中にバッと投げ入れて遊んでいる。手が小さいから、たくさんは投げ込めず、何度も何度も投げ入れている。
砂利は、白い石とレンガ色の石と普通の灰色の石の三色が混ざっている。それを彼は無造作に掴んでは、手桶に投げ入れている。私も当初は、付き合って、一緒に手桶の中に石を放り投げていた。幼児の特徴は「繰り返す」ということだ。
その動作を、延々と繰り返すのだ。そして決して飽きることがない。私も同伴しなくてはならないと、延々と同じ動作を続けていた。そうしていた、つもりだった。
自分でもハッとしたのだが、自分の手には白色の石だけがあった。つまり、無意識のうちに白い石だけを拾っていたのだ。それを手桶に入れていた。
なんとも、大人は、行為に目的がないときには、何らかの目的を見つけ出してしまうのだ。石を選別して集めるという動作が、混じり込んでいた。やはり、無意味な行為には耐えられなくできているのかもしれない。
いけないいけないと、気を取り直して、無作為の放り投げ作業に戻っていった。同じ動作を続け、また孫の動作を見ていると、うっとりしてしまい、陶然として、夢でも見ているような感覚に陥る。これは縄文人の位相に意識が降りているときに感じるものらしい。現代人の中に流れる縄文人の血が、呆然とさせるのだ。
あの幼児の「繰り返し行動」は、大人を縄文人の世界に引き戻す魔力をもっている。
水の入ったバケツに小石を入れたり出したりと、延々と続ける動作も、大人を無意識に引きずり込む動作で危ない。眺めていても、飽きないのだが、意識が現実から遠のいていくのを感じる。
石の話に戻ろう。
ところがまた、その動作を続けていると、今度は、いつの間にか、その砂利の中に混在している落ち葉を除去しているのだ。砂利の中には、落ち葉や小枝が混在していて、それらを取り出しては、別の場所に移している自分があった。やはり、これまた、有目的的な行為だ。そうしないと落ち着かないのだ。
これはまどみちおさんも書かれていた。「かぞえたくなる」という題名の詩だ。
かもつれっしゃが
ごっとん とんとん
ごっとん とんとん
おんなじものが
つづいていくと
なぜだか なぜだか
かぞえたくなる
かぞえて こころに
しらせたくなる
えだで すずめが
ちゅんちゅん ちゅんちゅん
ちゅんちゅん ちゅんちゅん
おなじものが
ならんでいると
なぜだか なぜだか
かぞえたくなる
かぞえて みんなに
おしえたくなる

この詩を読んだとき、そういえば、数えたくなるのは、そういうことだったのかと腑に落ちた。気がつくと、マンションの階層を数えていたり、電車の車列を数えていることがよくあった。そうせざるを得ないものによって、そうさせられているのだ。数えないと気持ちが悪いのだ。そしてなぜそうしていたのかということにも無自覚だった。しかし、これは大人の普遍的傾向性なのだと、あらためて教えられた。
意外にも、煩悩は生真面目に出来上がったいるのだ。煩悩はいい加減なふうに大雑把であるように噂されているが、意外にも生真面目で几帳面に出来上がったいるのだ。煩悩は悪人面をしているのかと思いきや、実は善人面をしているのだ。
大人になると、その煩悩が巧妙に、そして微細に、さらに見事に出来上がっているので、もはやそのことすら煩悩だとは自覚されないように装われている。
これは、これは、まさに「煩悩具足」とはそのことだったのかと、孫の行為から教えられた。孫はまだ煩悩が不具足なのだ。

●2016年4月29日●
蟻地獄ではなく、阿弥陀地獄か!
蟻地獄を見たことがあるだろうか。東京では無理かな。田舎にいくと、よく見かける。古びた神社の土台の当たりに、お碗型のクレーターがいくつも掘られているのを。乾いた砂地にお碗型というかスリ鉢状というか、クレーターが掘られていて、こりゃ何だ!と好奇心をくすぐる。
別段、虫がいるわけではない。見ていても静寂だけで、何の変哲もない穴だ。ところが、ここに蟻が間違って滑り落ちると、砂が乾いていて、ズルズルとすり鉢の下へ下へと落ちていく。そして最後には、クレーターの底の方から砂煙がパッパッと跳ね上がって、蟻が食われてしまう。
これが通称、蟻地獄。これはウスバカゲロウの幼虫が作った捕食用のクレーターだ。人間にとっては、何の変哲もない穴だが、蟻にとっては、まさに地獄だ。
そこからイメージしたのが、阿弥陀地獄。この世全体は大きなスリ鉢状のクレーターなのかもしれない。その中に人間は、下へ落ちないように落ちないようにと抵抗している。ところが、もがけばもがくほど下へ落ちていく。何とか落ちるのを食い止めているのもいる。しかし、時間が経てば力尽きて下へズルズルとずり落ちていく。
そして最後には、阿弥陀さんに食われてしまうのだ。
まあ食われてしまうというのは、阿弥陀さんの悲愛に包まれて救われていくことのメタファー(隠喩)で、それこそ「逆さ地獄」じゃないかと思い至った。
親鸞は「にぐるものをおわえとる」と摂取不捨の摂取の意味を読み解いた。つまり、阿弥陀地獄から逃げよう逃げようとしているものを捕まえるのが阿弥陀さんの悲愛だと。
やはり、親鸞もこの世を「阿弥陀地獄」と見ていたのではないか。
ただ、ボーッとしているものを救うのではなく、逃げよう逃げようとしているもののみが落ちていく地獄なのだと。

●2016年4月26日●
「あなたの人生で起こりうる災いは、すべて神仏の試練であり、叱咤激励なのだ」という言い方がある。
この言い方に、どうも馴染めない。恐らく、そう感じさせるものは、〈ほんとう〉からの揺さぶりなのだろう。
この言い方をするひとは、どの立場に立っているのだろうか。どうも、災いの渦中で右往左往しているひとではなく、災いを上から眺め、そこからお説教を垂れているように感じる。それが違和感を感じさせるところだ。
しかし、他の立場でも読めそうだ。つまり、「聞き言葉」として、神が私にそのように囁いたのだと受け止める立場である。だから、自分の立場は災いの渦中にいるひとということになる。
だが、それにもまだ違和感を感じる自分がいる。そこには、どうしても「人格的」な作為性が残る。つまり、「人格神」なるものがイメージされていて、その「人格神」からのメッセージとして、災いは試練だから、それを耐えなければならないと受取っているように感じるからだ。そこに禁欲的な「耐える宗教」が生まれてしまう。
問題は、その「人格的な作為性」が完全に解毒されて、無人格にならなければと、〈ほんとう〉はいっているように感じる。
しかし、そう言わせているものを「阿弥陀さん」からのメッセージと語ってしまうので、これは厄介だ。
初期の仏教は、「さとり」を無人格に語ってきた。「縁起・無自性・因縁・空・道」などである。ところが浄土教という形式が出来上がってきてからは、「阿弥陀さん」という人格性が中心に語られるようになる。
まあ、宗教の発生学で見た「浄土教」は、ゾロアスター教の影響だとか、キリスト教ネストリウス派の影響だとかと考えられているようだ。まあ、発生学ではどのように、それを分析されても構わないのだが、私は、「浄土教」が、そのような形をとって語られるようになってきたのには、もっと人間の構造そのものが作用していると感じている。
つまり、クセノファネスがいうように「もし牛や馬やライオンに手があって、人間のように手で絵を描くことができたならば、馬は馬のような神を、牛は牛のような神を想像し、かれらと同様な姿をした神を描くだろう」だ。
だから人間が超越存在をイメージするには、人間的なイメージに頼らざるを得ない。そのイメージを大雑把にいえば、「主体(人格)と場所(空間)と時間」に集約できそうだ。

主体(人格)としてのイメージは、やはり人間的な神仏だろう。キリスト教の母体である、ユダヤ教の神(God)は、もろに人間的な煩悩の人格神だ。信じるものは救うけれども、信じないものは罰するという、ギブアンドテイクの人格性をイメージしている。だがイエスは、それはまずいと思ったのだろう。人間が信じようと信じまいと、神は一方的に人間を愛するというふうにイメージチェンジした。
仏教でも、法華経には「報い」が書かれている。「この経を謗るが故に、罪を獲ることかくの如し。若し人となることを得れば、聾・盲・唖にして、貧窮・諸衰をもって自ら荘厳し、水腫・乾瘡・疥・癩・かくの如き等の病をもって、衣服となし、身は常に臭き処にして、垢穢不浄なり。」(譬喩品)などと不信者を戒めている。
まあこれは譬喩であり、実体的にそんな「報い」があるわけではなく、むしろ「報い」を受けないように法華経を信じて下さいよという強烈な慈悲の表現だという解釈もある。
話がそれてしまった。
超越存在を人格神のように説くのは、一神教と浄土教の特徴だろう。
そして、浄土教から一神教を見ると、どうしても超越存在を人間的な、つまり人格をもったものとしてイメージしているのではないかと思えてしまう。たとえ「愛する」という言葉を用いても、「人間的な愛情」の延長上にイメージされてしまう。ところが浄土教の阿弥陀は、救いの法則性を「人格的」に表現したものであって、人間的要素が混じらない。いわば大悲とは「永遠の片思い」だからであって、人間には成り立たない愛だからだ。
あたかも人格的に表現しているようだが、実は、人間的な人格性が排除され、解毒されている。「無縁の大悲」なので、あらゆる存在と一心同体となって苦悩を同悲・同感していく愛だ。
もしあなたが救われなければ、私は仏の資格はないと告白しているのが阿弥陀さんだ。だから、私が救われて初めて阿弥陀は阿弥陀足り得るのだ。だから阿弥陀さんも必死なのだ。完璧な仏になるためには、ひとり残らず救い尽くさなければならないからだ。
「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」と宮沢賢治に表現させた当体こそ阿弥陀の慈悲だ。
一般的な神仏は、救い残しているものがいても一向お構いなしで、神仏に成っている。だから「自称神仏」だからいい気なもんだ。自分で自分を神仏だと自認しているだけで、この完璧な神仏が、哀れな存在に対して慈悲を垂れるという恩寵主義が「救い」ということになる。上位のものが救われがたい下位の存在を救うという形になる。
もしこういう形の救いであれば、人間は仏に対して、一生頭が上らないと安田理深先生は述べていた。つまり仏の一方的な利他愛で私が救われるとすると、一生、済みませんと謝って生きなければならないというのだ。実は、仏の利他愛とは、仏自身の自利なのだ。人間から見れば、利他愛なのだが、仏自身から言えば、衆生を救えなければ完璧な仏に成れないのだから、自分自身を救うために衆生を救うという自利そのものなのだ。この仏の自利の内容として、衆生の救いがあるのだ。つまり、仏自身のエゴイズムなのだ。仏のエゴイズムは、苦しんでいるものを一人でも残しておくことができないというものだ。そういう誓いを阿弥陀さんは立ててしまったのだから、仕方がない。
だから、衆生が阿弥陀さんによって救われることで、済みませんと頭を下げると、阿弥陀さんも、いやいや私が仏になるためにはあなたが救われてくれなければ困るので、お互いさまなんだよ頭を下げる。
言い方を変えれば、私が救われることによって阿弥陀自身を救うことになるのだ。阿弥陀さんによって救われる存在は、阿弥陀を救う存在になるのだ。

阿弥陀さんは「永遠の片思い」を人格的に表現したものだから、人間的に「さん」付けで呼ぶのだが、「人格」を念頭に置いて、そう呼んでいるのではない。あくまで救いの原理を、そう名づけているに過ぎない。クセノファネスのいうように。
どうしても原理や理論や概念だけでは満足しないものがある。やはり感情というか、ファンタジーというか、文学的な表現がないと腑に落ちてこない。
親鸞にも、理論的な表現の部分と文学的な表現の部分がある。『教行信証』のような一見論理的な表現と、手紙にあるように「私が先に行って淨土でまっていますよ」などという文学的な表現がある。この両面がなければ、〈ほんとう〉にはならないと思う。
原理的な面では、「念仏して淨土にいくのか地獄にいくのかわしゃ知らん」という表現もする。しかし、一方では「淨土で待っていて下さいね」という表現もある。これは矛盾でもなんでもない。この知的側面と感情的側面を十分に具えているものが宗教表現なのだ。
これはよく譬えられることだが、扇子の要だ。要としての原理がきちっと出来上がっているから、扇はどこまでもバラバラにならず、自由に開閉が成り立つ。要があるから自由に揺れ動くことができるのだ。要がはまっていれば、どんなことをしても、何を言っても、すべてそこには自由が成り立つ。扇子の要と扇子の先端の違いが、原理と応用ということになる。
そういえば、蓮如さんにも「阿弥陀如来の御袖にひしと縋りまいらする思いをなして」(御文)があった。あるいは「阿弥陀如来御辛労あって」とか。まるで阿弥陀さんが人格的な存在であるかの如くに表現する。これも扇子の先端がフレキシブルになっているから生まれる表現だろう。
これは人間的人格性を排除したうえの文学的人格表現だ。

どうも、やはり人間は人間的な形で超越存在をイメージする以外にはないのだろう。
これはやはり人間という主体をどういただくかという問題に関係する。
また、時間と場所の問題も人間的な問題だから、「往生」(時間論)と「淨土」(他界の場所)が必然的に要求されてきて、それに答えていくことになる。キリスト教の文脈に置き直せば、「終末論」(時間論)と「神の国」(他界の場所)の問題になる。
●2016年4月25日●
私の中に親鸞も、お釈迦さんもいる。
私が感じられないものであれば、それは絵に描いた餅だ。どれほど崇高な悟りであっても、それを私が感じられないのであれば、〈ほんとう〉の悟りでもなんでもない。私が感じられるものであって、初めて親鸞もお釈迦さんも同じように感じられるのだ。
それをもっと広げていけば、私の中にあらゆるひとがいると言える。私の内部に様々な人々を体験することができる。
それを難しい言葉で「普遍的自己」と呼んでいる。それに対する言葉が「特殊的自己」だ。
まあ信仰は、「特殊的自己」しか生きてこなかった人間に「普遍的自己」を開いて下さる。親鸞は「さるべき業縁のもよおせば、いかなる振る舞いもすべし」(歎異抄)という。これも親鸞の「聞き言葉」であって、親鸞が自分の行動を正当化するために述べた言葉ではない。人間が使えば、自己正当化以外にはない。親鸞に聞こえてきた「聞き言葉」なのだ。
一言でいえば、「わかっちゃいるけどやめられねえ」ということだし、「どうしていいかわからない、でも、そうなっちゃうんだよなぁ」ということだ。
怒り、むさぼり、愚癡も、どうしていいかわからないけど、そうなっちゃっているのだ。 だいたい、煩悩は「起こす」のではなく「起こる」のだ。間髪を入れず、あっと言う間に起こってくるのが煩悩だ。人間は、尊いことも考えるが、ろくでもないことも考える生き物だ。ひとに同情する優しさもあるが、他人の不幸は蜜の味というこころもある。
「愛憎違順することは 高峰岳山にことならず」と親鸞はいっている。愛情と憎しみが、山々の稜線のように折れ線グラフを描き、登ったり下ったりする。それがまさに「暴風駛雨のごとくなり」ともういう。台風や土砂降りの雨のように襲ってくる。
煩悩に翻弄されて、休む場所すらない。
身はひとつも動いていないのに、こころの中は暴風駛雨で荒れ狂っている。
これは他人にはわからない。外から見ていてもひとつもわからない。
だから、徹底して「特殊的自己」の内面の世界だ。この「特殊的自己」の内面の世界こそが、「普遍的自己」の世界でもある。つまり、私がいま感じている煩悩は、全人類が体験しうるものとして感じられているということだ。「特殊的」なことを「普遍的」な次元に深化して受取ることができる。
先日も、これは「特殊的自己」の体験だと思っていたが、「普遍的」だと教えられた。
嘆仏偈というお経がある。これは短いお経なので、時間のないときや、会合の前などで唱えられることが多い。だから、ほとんどの坊さんが暗記している。だからすらっと唱えられるのだ。ところが、どういうわけか、ひとりで唱えると、途中の経文を忘れてしまい、次の経文が出てこないという体験をしばしばする。どこかでつかえると、もうダメだ。まったく次の経文がわからなくなる。
また、忘れて思い出せないのではないかと恐怖心をもちながら唱えることになる。こんなことを知り合いのお坊さんに語ったら、「私もそうだ」、「いや僕もそうだ」と共感するものがたくさんいた。この体験は、私だけの特殊な体験ではなかったと、また教えられた。これは嘆仏偈という偈文自体の問題なのかもしれない。個人的な問題ではないことは確かだ。
あるひとは、その不安感を取り除くために、必ず経本を携行していると言っていた。携行しているという安心感があると、逆にすらすらと経文を唱えることができるそうだ。これも逆説的なことだ。

やはり、親鸞と自分の信心は同じですといえなければ、親鸞が一生かかってなされた仕事を裏切ることになる。親鸞は、そのために「私と法然上人の信心はひとつです」と宣言されたのだから。この私が救われなければ、親鸞が主張した「救いの平等性」は成り立たないのだ。
そしてそのラディカルな思想性のゆえに、流罪にされたのだ。
私は「親鸞を流罪にした我が罪を問う」と述べている。親鸞の思想を拒否したのは、「自力疑心」であり、それが私の「普遍的自己」だと受取ったからだ。
しかし、親鸞を流罪にしたことが私の罪だと語ったとき、そう述べることで、免罪されようとしているかすかな自分のいることに気づいた。
そしてその罪を一生かかって償っていくのだと、いま、あたらめて私は、思い知らされている。

●2016年4月22日●
『なぜ?からはじまる歎異抄』の広告が5月8日の朝日新聞(朝刊)の読書面に全国同時掲載が決まりました。
また週刊「朝日ビジュアルシリーズ 仏教新発見」(5月10日発売)にも広告掲載が決まりました。
別に広告が載るから、どうだとお思いでしょうしょうが、まさにそのとおりです。
すでに2刷り(増刷)が決まり、6000部が世に出た(?)形です。これでだいぶ宗門内部では知られてきました。しかし、まだ宗門外では知られていません。そこで、あの手この手を使ってなんとか、伝えようとしています。
この本には「宗教」という名前で人間が呼ばざるを得なかったナニモノカがありありと説かれているからです。
これは武田個人を通過した〈ほんとう〉でありますが、武田個人を超越したナニモノカなのです。
それを「仏教」とか「真宗」とかいう名前で呼びたくはないのです。まさに〈ほんとう〉ということなのだと思います。
一応、経過報告をさせていただきました。

明日、23日(土曜日)午前10時からは、在家仏教協会の定期講演会に行きます。会場は中野サンプラザ(7階)です。
その後、午後2時から東京5組同朋会に向かいます。会場は明稱寺(南麻布3-21-19)です。
暇なひとは、聞きにきて!
●2016年4月21日●
救いとは感動である。しかし、感動が必ずしも救いであるとは限らない。
感動だけが、人生の無意味に耐えさせる。
それは既知の出来事を、いつでも未知に変換してくれるからだ。
おおざっぱに見れば、自分は「人間」だが、微細に分析すれば、「人間」とは何者なのかがわからなくなる。身体には六価クロムや砒素も微量だが、内臓されているらしい。人体は完全に「毒」というものと縁遠いのかと思ったが、そうではなかった。自己を安全に保存して生存を長らえるのが身体だと思っていたが、「毒」がなければ、また自己を保つこともできないのだ。ううむ。矛盾している。
どだい、死ぬために生きているのだ。矛盾している。
人間は「矛盾」が嫌いなのだ。「矛盾」がないほうがよいと思って、「矛盾」を排除しようとして生きている。
しかし、「矛盾」はどうも生存の〈ほんとう〉を表現しているようだ。

「弥陀の誓願不思議を信ずる」というが、これも矛盾だ。不思議だなんて、とても信じられないという。ふむふむと意味が理解できて、始めて信じられるのだと人間はいう。
ふむふむと理解できるとは、理解する対象を上から見下ろす視点でなければ成り立たない。ただ、人間がふむふむと理解したものに対して、人間は感動しないのだ。わかってしまえば、それまでのことだ。そのことを阿弥陀さんはすでに知っていて、人間には決して理解できないものとなった。〈ほんとう〉は理解させて安心させてあげたいのだ。それで人間が根本的に満足し、救われるものであるのならば。
ただ阿弥陀さんは知っているのだ。人間が理解したものによって、人間は決して救われることがないと。
だから、大いなる悲愛によって阿弥陀さんは、あえて「不思議」というマントを身にまとうことにした。
阿弥陀さんの「不思議」はひとを不安に落としめるのでなく、安心させるためにある。
そのためには自己が人生の「主体」ではなく「客体」にならなければならない。
人生の「主人公」ではなく「客人」になることだ。
「する人生」ではなく「される人生」になることだ。
●2016年4月16日●
今回の熊本県から始まった九州全域の地震について、我々は何ができるのかという質問をいただいたので、以下のメールを返信しました。おすそ分けです。

親鸞も災害に遭ったひとをまえに「老少男女多くの人々の死に合いて候らんこと、あわれにそうらえ。ただし、生死無常のことわり、詳しく如来の説きおかせおわしましてそうろううえは、驚きおぼしめすべからずそうろう」(『御消息集』)と述べています。
ビックリするなと言ってますが、やはり、凡夫はビックリしますし、うろたえます。親鸞も、その場にいれば同じことです。
ただ、ビックリしたあと、静かになってから、よくよく我が狼狽ぶりを振り返ってみれば、如来のおっしゃることは間違いないなぁと教えられたということです。
それは、死の原因は、この世に生まれたということ以外にはないのですから。

だからといって、淡々と死を待ち受けることは人間にはできません。やはり、できるだけ、死の縁は遠ざけるべきでしょう。

また、東京にいてなにもできないのですが、無事を祈ることくらいはできるのではないでしょうか。
それ以外にはできないと思います。
聖道の慈悲しかできないと思います。

この地震で、究極的に、この世には、安心できる場所はないということを教えられます。
大地も動いているし、地球の事情で生きているのでしょう。
不動だと決めている人間の考えが間違っているのですから。

この世に安心する場所はどこにもないと教え、私(阿弥陀)にまかせよ!、南無阿弥陀仏と迫ってくるのです。

うがった見方をすれば、地震も阿弥陀さんが、我々を揺さぶっているご教化なのかも知れませんよ。
何を根本的に頼りに生きているのか、考えよという。

南無阿弥陀仏(-人-)
●2016年4月11日●
名前と居場所
土曜日の六組聞法会には海法龍先生にお越しいただいた。お話の中で、私に残った言葉が「名前と居場所」だった。戸籍に載っている名前は、自分で名づけた名前ではない。他者が付けた名前である。親や親戚や仲人であっても、それは「他者」である。「他者」であっても、自分にとって身近なひとであることは間違いない。一般的には赤ん坊の幸せを願って、名づけることになる。「富・安・幸・和・愛・吉・福・優」など、人間がよかれと思ったイメージで名づけることが多い。
私は亡くなられた方々の法名に、生前の俗名を一字お入れして付けることにしている。その方が遺族にとって馴染が湧くからである。それが尊い仏典からの命名であっても、故人と無関係の文字では、遺族にとって縁遠い名前に感じられる。それであれば、せめて馴染を感じ、親しみを感じる法名をお付けしたい。それは遺族に仏縁を結んでほしいと願うからである。
ところが、大谷派の正式法名は男性は「釈〇〇」、女性は「釋尼〇〇」である。ということは、故人の名前から一字、そして親鸞の著述や仏典から一字を選ぶことになる。これがなかなか至難の業であり、いつも心を悩ませるところである。ひとつにはあまりに選択肢が狭いからだ。さらに親鸞は、一般的に好まれるイメージの漢字を著述にあまり採用していないのだ。これは、法名を付けられる坊さんなら誰れもが感じているところである。
たとえば全著作の中で使用頻度を調べると、「繁・茂・祈・輝」は0回、「秀」は1回、「幸」は1回、「英・雅」は2回、「栄」は4回、「美」は9回と、それぞれに低いのである。人間が、こういう名前がいいなあと感じる「漢字」は、親鸞の世界ではそれほど、よいイメージはもたれていないのだ。それは親鸞があえてそうした文字を選んだということではなく、親鸞も無意識の中での選びだったのではないかと想像する。
もっといえば、人間が「これはいいなあ」とイメージするような漢字は、所詮、人間の欲望(煩悩)から生まれた名前に相違ないのだ。悲しいかな、人間には、そういうふうにしか命名することができないのだ。そうするしかないのだ、あえて子どもに「悪魔」とか「鬼」とか「悪霊」というような名前を付けることは、よほど屈折していない限り、本来できないことなのだ。
 俗名は、それがどれほど優れた名前であっても、やはり「煩悩具足の凡夫」が煩悩の眼で名づけた名前に過ぎないのだ。それだから、「二度生まれ」の儀式として、「帰敬式」という儀式を受け、法名を名のることが必要なのだ。法名なしに人間が本当に救われることはないのだ。
 昔は、法名に対して受式者がオーダーを出すことはできなかったが、現在では、末寺の住職が命名できるようになったので、住職と相談することが可能になった。また、法名は単なる命名式ではなく、そのひとの求道心に対して命名する儀式だから、まず聴聞生活が前提になることはいうまでもない。法名をもらうことは、死後の名前をもらうことではない。この世で仏弟子として生まれ変わる、「再誕」の儀式である。
 まあ我々がいただく法名も千差万別であるが、それらの法名が指し示している唯一の法名は「南無阿弥陀仏」なのだ。私の〈ほんとう〉の名前は南無阿弥陀仏なのだ。つまり、私は阿弥陀仏に南無して生きる者であるという宣言の名前なのだ。
 「同一念仏無別道故」(同一に念仏して別の道あること無し)である。
阿弥陀仏に南無して生きる者であるという名前が、この世とあの世をたて貫く精神的支柱となるのだ。
 もうひとつ、お話の中で出てきた言葉が「居場所」だった。あなたが「生きて居る場所」である。「あなたに居場所はありますか?」という問いとなる。
 居場所という言葉で呼びかけられたとき、「さて、私に居場所はあったろうか?」と考えて、自分の居住している空間かと思い至る。居場所なんて考えたこともなかったというひとは、おそらく居場所に安住できているひとなのだろう。
 「私のうちは、何にも問題がありません」と言うかたがいるが、そう言えるひとは、そこが自分の居場所なのだろう。自分の思い通りに生きていると実感しているひとは、そこが自分の天下である。その居場所の天皇であり、全知全能の神ということになる。
だから、「居場所」という言葉を聞いたとき、自分には居場所がないなあと感じるひとにとっては、居場所がはじめて問題となる。
しかし、「居場所」という言葉を聞いたとき、私のこころに浮かんだのは、「この世に自分の居場所などない!」という言葉だった。つまり、自分の思い通りにできる場所などひとつもないという直感だ。親鸞ならば「地獄は一定すみか」(歎異抄)というだろう。
臨済録には「随所に主となれば、立処みな真なり」がある。どこでも、その場所で主体性をもって生きられれば、あなたが立っている、その場所がすべて真実になるという意味だ。これも南無阿弥陀仏と通じるこころではないか。
どの場所でも自分の思い通りにできる場所はないから、地獄といってよい。その地獄を逃げずに、その地獄にすっくと立ち向かっていける勇気があるならば、あなたはどこに居ても、そこが浄土と対面する場所なのだと翻訳できそうだ。
どこかに自分の居場所があるだろうと予想している間は、そこが自分の居場所にはなっていない。
その場所が、修羅場だろうが、空しい場だろうが、どんちゃん騒ぎの場だろうが、悲嘆の場だろうが、どの場所にいても、自分の眼前には阿弥陀さんが張り付いている。
そして、「さるべき業縁のもよおせば」(歎異抄)、どのような振る舞いをもし、何を感じ、何を思うか、そんなことは、すべて阿弥陀さんにおまかせしておけばよいのだ。おまかせして、後は野となれ山となれと、解き放っておけばよい。
私は、それ以上でも、それ以下でもないのだから。
●2016年4月9日●
あいつを同じ人間だと思うと腹が立つよね~
そうだ。あいつが人間以下なのに人間と思えてしまう悲しさがある。
人間だと思わないようにしよう、単なる動物と思おうとか、モノと思ってしまおう考えても、いつの間にか「人間」だと思えて苛立ってしまう。モノだと思おうとしても、思えない自分が嫌になる。情けない、単なるモノのはずなのに。
 電車で本を読んでいるとき、隣人の話し声が気になって本に集中できないことがある。自分では単なる雑音だと思おう思おうとするのだが、知らず知らずのうちに隣人の会話の内容が気になり、そっちにこころが行ってしまって本の世界に入り込めない。それとものすごく似ている。

 なぜ人間と思えてしまうのか?
人間なら、こうしてくれるのが当然だと思ってしまうからだ。
なぜ人間ならこうしてくれるのが当然だと思えてしまうのか?
猫や赤ん坊に対しては、そう思わないのに。
やはり、無意識のうちに比べているからか?

そこには思い込みがあるのだろう。「相手も同じ人間だ」という、だから愚癡が出る。
「普通なら、こうは言わないのではないか」とか「常識ある人間ならば、そんなことはしない」とか「まっとうな人間ならば…」とか「社会人として…」とか「大人であれば…」とか。
何かこっちのほうが無意識のコード(code基準)をもっていて、それを当てはめて、相手はそのコードを明らかに逸脱していると批判している。
 相手を打ちのめすために、とにかく、絶対に「正しいこと」を叫びだす。
そのコードは誰が作ったものなのか、親鸞は「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり」(歎異抄・後序)と言っているではないか。そのコードは、「善悪のふたつ」をちゃんと知っていますというコードだ。そのコードが解体されていなければ、〈ほんとう〉ではないと親鸞は言っている。
しかし、そうなれていない自分がいる。
人間関係は、縁であるが、縁にも「近縁・中縁・遠縁」とあって、遠縁ならば、まだ成り立つのだが、近縁になるとそれが成り立たない。それは〈ほんとう〉の不徹底だ。
 
 しかし、それを突き詰めていくと、やはり「断煩悩」のやり方になってしまう。怒らないようにしようというのは、つまり、人間をやめることだ。親鸞は「不断煩悩」というのに。
 怒りをいくら分析しても、結論の出ないものなのだ。怒りが怒りとして噴出するまでには、何億年という生命の歴史が積み重なっているからだ。「怒り」は個人的なものではない。全生命の遺産である。
 道綽禅師は「悪を起こし衆罪を造ること、恒常にして暴風駛雨のごとし。本弘誓願に名を称せしむるは、これ穢濁悪の衆生のためなり、ここをもって諸仏、浄土を勧めたまえり。」(『教行信証』)と述べている。
 それを親鸞は受けて、「濁世の起悪造罪は/暴風駛雨にことならず/諸仏これらをあわれみて/すすめて浄土に帰せしめり」と和讃でうたっている。
 煩悩が起こるのは、まさに「暴風駛雨」のようなものだ。煩悩は理性で制止するよりも早く起こり、我々の全身を駆けめぐる。止めようとしても止まらず、ただなすがままにされている。
 晴天が一天にわかにかき曇り、稲光とともに土砂降りの雨がふる。そして私はずぶ濡れになり、茫然自失として立ち尽くす。
 
 暴風に晒されているときには、何が何やらわからない。ただなすがままにされているしかない。自分を超えた怒りが全身を占領しているのだから。
 その嵐が去ったことが肝心だ。独りに帰るところから、阿弥陀さんとの対話が始まる。
対人関係は、とてつもなく疲れる重労働だが、それで終わりではない。必ず次の間が用意されている。
 
親鸞は「地獄は一定」(歎異抄第2条)と述べているけど、なかなか地獄に安住できない。やはり、楽をしたいからだろう。たぶんそうなのだろう。できれば、安楽な場所でのうのうと暮らしたいのだろう。
 しかし、そうはさせじと暴風駛雨の現場に引き戻される。おそらくその現場こそが阿弥陀さんのおられる場所なのだろう。この戦いをするために生まれてきたのだと、それがお前の仕事なのだと、それ以外にお前の生きる現場ないと教えるためだろう。
 わめこうが、泣こうが、殺そうが、どうなろうと、現場で、洗いざらい煩悩の限りをつくして精一杯戦えとおっしゃっているのだろう。
「悪をもおそるべからず」(歎異抄第1条)とは、そういう意味なのだ。
●2016年4月8日●
万劫の初事
「真宗」も「仏教」も「宗教」も、いまだに始まっていなかった。自分を抜きに考えてみると、すでに始まっているかのようだ。ただそこに「自分」が抜けている。「自分」がそれを確かめたことがなかった。
ただ思い込みだけがあった。「日本人に宗教があるか?」と問われると、「日本人に宗教はある」という意見と「ない」という意見に別れる。果たして、それぞれのひとが「宗教」とは何かということを、ちゃんとお互いに理解して話しているかというとそうではない。各自が、自分なりの「宗教」という思い込みを前提にして、「ある」とか「ない」とか言っているだけだ。
それを厳密に吟味していくと、果たして「宗教」とは何かなどとは定義できなくなっていくのだ。そうして曖昧な形になって、そこから果たして「宗教」って一体何なんだと、初めの問いに戻される。
それは「仏教」「真宗」「信仰」なども、すべて同じだ。「自分」がちゃんと確かめたことがないのだ。無いのに有るかのように錯覚しているのだ。
いったん、既に済んでいたと思っていた世界にほころびが生じ出すと、次々にほころんできて、「食べる」とか「話す」とか「生きる」とかいうことも、果たしてわかっていたことなのかと疑問が生じはじめる。そうして、「愚」というところに戻される。
親鸞の言葉でいえば、「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり」(歎異抄・後序)だ。「善悪のふたつ」ということは、相対的価値の世界を意味している。いかにもすべてのことがわかってしまったかのように、既に了解済みのことにしてしまっていたが、そんなものはひとつもなかったという表明だ。
もし人間の世界を相対的世界と名づければ、それは人間の世界を超えたということだ。
人間の相対的世界を超えたところから、人間の世界に戻ってきて生きるのだろう。そういうことを親鸞は直感したのではないか。そういうことを、ほかに言葉がないので、仕方なく「真宗」という言葉で語ってしまったのだ。
〈ほんとう〉は「真宗とは〇〇である」と主語として定義できない言葉なのだ。いつも「〇〇ということが真宗である」と述語的にしか語れないものなのだ。親鸞の表現法も、おのずと述語的になっていることが多い。それはそういうことだったのだ。
まだ何も始まっていなかった。
だから、すべての出来事は「万劫の初事」だ。
「いまだに済んでいない世界」を、〈いま〉始めて赤ん坊のように生きる。
●2016年4月7日●
山形県大石田町は、まだ晩冬さながらだった。
東京では桜が満開だが、尾花沢では、蕗の薹があちこちに顔を出し、ようやく梅が咲きほこっていた。ソバ街道の「吉峰」さんで、美味しいソバをご馳走になった。
私の話を聞いた感想で、「先生の話は表白ですね」と感想をいただいた。だから、ひとが「表白文」に対してつべこべいうことはできないとも言われていた。そのひとにはちゃんと、私の言いたいことが伝わっていた。
いわばモノローグだということだ。私たちの語る言葉は基本的にモノローグ以外にはない。対話(ダイヤローグ)をしているように思えるのだが、どんな会話もモノローグが基本である。一応、日常会話は、日常の不便を便利にするために、ほとんどが「短文」でしかも、「単語」で相手に何事かを伝えている。機関銃のように相手に目掛けて打ち出していく。それが賑やかだといえるのか。それは単なる雑音ではないか。
しかし、〈ほんとう〉に自分の言いたかったことが相手に伝わったかどうかを確かめたことは一度もないのだ。これは、カウンセリングを学んだ時に、口が酸っぱくなるほど教えられたことだ。「あなたの言いたかったことが、相手にちゃんと伝わりましたか」「そのことを相手にちゃんと確かめましたか」と。この確かめをお互いに重ねることで、少しだけ他人の言いたかったことがみえてくる。
まして、日常会話では、そんな確かめなどされたことがない。モノローグとモノローグの応酬でしかない。言いっぱなしと言いっぱなしだ。言葉たちは、ひとの口から飛び出して相手に向かっていくけど、その言葉たちは相手のこころで受け止められたことがない。言葉たちは、相手の手前で力尽き、みな散り散りに地面に落ちて、朽ち果てた。
言葉たちに対して、ものすごく失礼なことをしているのではないかと思えてくる。
相手にちゃんと自分のこころが受け止められたという体験をしたことがあるだろうか。
そう問われると、絶望的な気持ちにならないか。
だから人間は、みんな寂しいのかもしれない。たとえひとが群れていても、孤独な個が寄り集まっているだけだ。そこに共感はない。
まあ、私の話はモノローグの詩でしかない。モノローグでも、それを徹底して深めていけば、他者に通底して、他者に感動を与えるものに変化していく。個から公にではなく、個から深化して普遍へという道筋が大切だ。
●2016年4月4日●
『なぜ?からはじまる歎異抄』が増刷され第2刷が発刊されました。
これは歎異抄にとって、とても嬉しいことです。
まあ、賛否両論あって、「感動しました」とか、「実に深い」とかお褒めもいただいたが、「阿弥陀さんの救済力が弱い」という表現は問題発言だとお叱りもいただいた。親鸞聖人は「大願業力」という積極的な表現をされているのに、間違えるもほどいどしいと。
しかし、親鸞も「称名憶念あれども、無明なお存して、所願を満てざるはいかん」(『教行信証』信巻)で述べている。お念仏は一切の迷いを断ち切り、あらゆる願いを満たして下さるとはいわれていても、自分を振り返ってみれば、そんなことにはなっていないと絶望している。如来の本願は「大願業力」で人間の迷いを打ち破る強力なはたらきなのでしょうけど、私にはそれがまったく感じられないというのだ。
それに答えて「実のごとく修行せざると、名義と相応るに由るがゆえなり」と述べている。「〈ほんとう〉とひとつになって生活していない、ということと、南無阿弥陀仏の意味とひとつになっていないからだ」と答えている。

この「阿弥陀さんの救済力が弱い」という表現は、私一人のいただいた信心の世界から生まれた言葉で、他人が介入することのできない言葉なのだ。
私は、自分の努力が足りないから救われないのだと思っていたのだ。曇鸞も「碍は衆生に属す。光の碍にあらざるなり」(浄土論註)と述べているではないか。問題は衆生の側に、つまり、私にあるのであって、光(阿弥陀さん)が照らしていないということではないと。 でも、はたと立ち止まった。
もし人間に問題があって救われないのであれば、それは絶対他力ではななくなってしまう。ある程度まで努力をした人間を救うということになれば、それは相対他力であって絶対他力ではない。努力が救いの条件になってしまえば、阿弥陀さんの救済力はそれほど強くなくてよいのではないか。自分でやれるのであれば、やってみなさいということになる。
それでは、無条件の救いにはなり得ない。
むしろ救いの手がかりの皆無の人間にのみ阿弥陀さんは救済力を発揮するのだろう。それが「機の深信」の表明だ。
「自身はこれ現に罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのから常に沈み、常に流転して、出離の縁あることなき身」(歎異抄・後序)の存在にだけ、阿弥陀さんの救済力が発揮されるのだ。

だから、自分が救われないのは阿弥陀さんに原因があるのだ。阿弥陀さんの救いの力が私まで届いてこないから、救われないのだ。それが阿弥陀さんの救いの秘密だったのだ。そこまで絶対他力が徹底されたとき、始めて阿弥陀さんからの謝罪、つまり阿弥陀さんの懺悔が発生する。
これは、阿闍世がお釈迦さんに慰められたときと同じだ、阿闍世が親殺しをしたのは、私の責任なのだとお釈迦さん自身が懺悔する。その懺悔を受けて阿闍世に無根の信が成り立つのだ。
これが秘儀だったのだ。
すべての責任を阿弥陀さんが引き受けてくれたとき、私の責任がすべて空っぽにさせられる。その空っぽになったところへ、今度は私の懺悔が満たされ、始めて私が「等身大の存在」となる。
一回、空っぽにさせられて、その空っぽになったところに罪なる存在が満たされるのだ。
そこから「念仏にまさるべき善なきゆえに、悪をもおそるべからず」(歎異抄第1条)という存在への勇気が生まれるのだ。あらゆる悪や罪を畏れる必要はないのだ、なぜならば、すべては阿弥陀様が引き受けて下さっているからだ。
ここまでこなければ、〈ほんとう〉の安心は生まれない。
●2016年4月3日●
信心を雨ふらす。
今日は東京真宗同朋の会の「花まつり」法要だ。私のテーマは「仏陀としての親鸞」である。
 ところで、「花まつり」とは、お釈迦さんの誕生を祝う日である。灌仏会とか降誕会といわれ、どの宗派でも、この日をお祝いする。これを「花まつり」と命名したのは、浄土宗らしい。
お釈迦さんが生まれたとき、龍が香湯を雨のように降らせたという伝説から、灌仏会といい、甘茶を誕生仏にそそぐという儀式が生まれたようだ。
この身に液体をそそぐという行為は、何か人類にとって普遍的な意味を暗示しているようだ。キリスト教の洗礼も「水」を使う。水をくぐらせることで、この世のいのちに死んで、神の僕として再生する「死と再生の儀式」である。イエスも「油を注がれたもの」という意味だと聞いたことがある。やはり液体だ。
 「水」は清浄のイメージを与えるから、人間の汚れを清めるという意味にも使われる。映画「エクソシスト」の悪霊を退散させるときに、ぶっかけていたのも「聖水」だった。仏教でも、東大寺の「お水取り」という儀式もあり、滝行やら水ごりやら、果ては弘法大師の湧水伝説やら治水伝説など、様々な「水」にまつわる伝説まである。
仏典には「法雨」という表現もあり、仏法が雨のように降り注ぐイメージだ。
親鸞は、雨よりも「海」にこだわった。本願海・群生海・煩悩海・無明海・信心海・一乗海など海のイメージで〈ほんとう〉を語った。(親鸞の「海」の使用例は173回ある)
本願の海に入れば、屍骸も形をとどめない、だから救われないひとはいないという窮極の救いをイメージした。本願の救済という肯定的な譬喩もあるが、群生海とか煩悩海とか無明海などという否定的な譬喩もある。
肯定的、否定的、両面において、それが「海」といわれるところに意味がある。海とはすべての否定的な状況を改変して肯定的なものへと変換する作用をイメージしている。だから、たとえ無明でも煩悩でも、それがそこにとどまらないことをイメージしている。まあいわば、この世に人間が下すことのできる結論はないという意味なのだ。
自分が自分に対して懐いているイメージとか、この世に対して懐いているイメージとか、そういうイメージが〈ほんとう〉だと思ってはならないという意味もある。人生には結論はないのだという安心感でもある。
面白いのは、「信心海」である。信心が海のイメージで語られることに人々は「おや?」と思われるのではないだろうか。本願が海ならばわかるのだが、なぜ信心が海なのかと。その疑問が生まれるのは、信心といえば個人の内面に成り立つこころで、とても海の広々としたイメージとは重ならないだろうと、思い込んでいるからだ。
実は、親鸞の世界では、「本願」も「信心」も同じ意味に理解されているのだ。たとえればニワトリと卵の関係である。私のよく使う譬喩だと「太陽と月」の関係である。
本願は阿弥陀さんにすべてをまかせよという命令であるし、信心とはその命令を聞くということだ。ジャズでもオーケストラでも、演奏している人の楽器から音波が流れてくる。それを私の耳の鼓膜が振動して受け止める。そこで音が聞こえて音楽となる。演奏者が阿弥陀さん(本願)なら、音楽は信心である。たとえ私の鼓膜が震えても、この音楽は私の所有物にはならない。私が音楽を聞いても、ひとつも「私の音楽」と所有意識が生まれない。
そんなことを考えていたのだろう。
「信心を雨ふらす」というフレーズがやってきたのは。本願が「悲愛を雨ふらす」といっても、奇異な感じを受けないのに、「信心を雨ふらす」というと奇異な感じを受けるのはなぜかである。
 私は「信心」という言葉を聞けば、すぐに個人的な内面にできあがるこころと受け取ってしまう。それは、「信心」に対する固定観念が固く私の内面に染みついている証拠である。
 しかし、〈ほんとう〉は「本願」であっても「信心」であっても、雨ふるものなのだ。それは向こうから降ってくるものだからだ。もっと厳密にいえば、「まかせよ」という命令の能動面(本願)と受動面(信心)のことだからだ。再度、譬喩を述べれば、演奏者の楽器の音(本願)と鼓膜に響く音(信心)の関係である。 
 いかにして、「信心が個人的な内面のこころ」という固定観念を払拭できるか。信心とは内面に溜め込むものではなく、逆に固定観念が解体され空無化されていく喜びであると表現できるのか。それが親鸞のやろうとしたことだったのだ。
 本日の「仏陀としての親鸞」が果たしてどういう展開を示すのか、私も「聞き手」として楽しみにしたいところである。
●2016年4月1日●
人間というものは、何事かを「信じて」いなければ生きていけない動物なのだろう。
日本人は、「無宗教」だといわれるが、そんなことはまったくない。まず「空気がなくならないと信じている」「地面は決してなくならないと信じている」「明日が必ず来ると信じている」「一万円出せば、一万円のサービスを受けられると信じている」、それは貨幣という観念を「信じて」いるのだ。ファストフードのハンバーガーには毒は入っていないと信じている。道を歩いていても、向こうから来るひとが、私に危害を加えないと信じている。
そうやって「信じて」いるものを、あげ連ねていくと、ほとんどのものを「信じて」いなければ、自分は生きられないことがわかってくる。そうなってくると日本人は「無宗教」どこから、膨大な信心の世界を生きていることになる。
そして、最後に一番信じているのが、自分の「自我」である。「自我」というのは、「自分という思い」のことである。これはよく譬えられるが、自我とは、「自分色のサングラス」である。膨大な信心の世界を根底で支えているのが「自分色のサングラス」なのである。まあサングラスを掛けると、最初は、色のついていることを自覚しているが、数分すると掛けていることすら忘れてしまう。そして目に見えたものが、すべて無色透明であるかのように、いわゆる「客観的」にそこにあるように見えてしまうのである。この「自分色のサングラス」を自覚化しようとしたのが、親鸞たちを揺さぶった〈ほんとう〉というものだ。
「膨大な信心」でご覧になっているあなたの世界は、〈ほんとう〉の世界でしょうか、それとも、「自分色のサングラス」でご覧になった世界なのでしょうかと問い返す作用である。親鸞に「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり」(歎異抄)と語らせたのは、〈ほんとう〉の作用である。
まどみちおの詩に「ことり」がある。
そらの
しずく?
うたの
つぼみ?
目でなら
さわっても いい?
 短い詩だが、ここにも「自分色のサングラス」を問い返す〈ほんとう〉がはたらいている。
最後の「目でなら さわっても いい?」という言葉がどういう世界から生まれてきたのか。普通は、「自分色のサングラス」を掛けていることすら忘れているので、自分の見た世界は、見たままの世界だと「信じて」いる。ところがまどさんには、それが「目で触る」という所有意識として自覚されている。目で触るということは、見たものを「我が物」とする所有意識だと感覚しているのだ。もっといえば、視覚は所有意識であり、独占意識だと。さらに、その裏には自我の毒が暗示されている。
 鋭いまどさんの一撃を生み出すものが〈ほんとう〉である。

どうしてひとは自分たちだけが正しいと、〈ほんとう〉を独占してしまうのか。
〈ほんとう〉を独占せずに、解放してあげたら、世界中の〈ほんとう〉たちが喜ぶに違いない。〈ほんとう〉は、世界中のあらゆる細部に宿っているのだから。
●2016年3月30日●
東京教区の得度研修に行ってきた。
得度とは真宗大谷派の僧侶になる儀式だが、当教区では、毎年春休みに「得度研修」という名前で実施している。14歳未満の子どもたち12人、14歳以上のひとたち7人の参加者だった。まあ、得度考査が当日実施され、合格したものが得度の資格を得て、儀式は京都の東本願寺で実施されるわけだ。まあ、子どもたちは8月の夏休みに、頭を丸めて儀式を受けるのが多い。
儀式は、人間が決めた通過儀礼のようなものだが、あなどることもできないものでもある。私は、世間で「式」といわれるものに背を向けて生きてきた人間だから、あまり大きなことは言えないのだが、やはり人間のたましいにとって大切な何かを与えるものでもある。
子どもたちは、「お坊さんになるってどんなこと?」というテーマで一泊二日を過ごすわけだ。男の子は頭を剃るのだから、かなり抵抗のある子もいる。そうでない子もいる。私も、9歳のとき、(これは親鸞が9歳で得度したことに習う)本山で得度の儀式を受けた。しかし、いまは何も覚えていない。祖廟(親鸞の墓所)にたくさんの鳩がいて、それを追っかけて素手で捕まえたことだけが鮮明に記憶にある。頭を丸めてもさほど抵抗もなかったようだ。こころが傷ついているということもない。
西本願寺では、15歳からでないと得度は受けられないらしい。東本願寺のように、わけのわからないときに得度をするのではなく、やはり、個人の自覚をもって得度を受けるべきだという考えからだろう。まあ、どちらもどちらのような気がする。お東はカソリックの幼児洗礼と同じで、個人の意志が確認できないではないかという批判もある。ただし、理屈がわかってしまうと、はたして自分が得度を受ける資格があるのかと問われ、逆に、自分には受ける資格などありませんとなってしまうのではないかと危惧する。かえって自覚を待って得度するということになると、その自覚したという自信の出所が危ういとも感じる。まあ、子どものときにするか、大人になってするかというのも決着のつかない問題である。
私は以前、大人になって、個人の自覚を待ってするのがほんとうだろうと思っていたが、いまはそうは思っていない。個人の自覚など当てにならないからだ。若いときは、「自我」とか「自由意志」を絶対視していたのだろう。果たして、何を自覚するのか。僧侶になるということが重大な責務を負うことだといったとしても、果たしてその責務とはなんなのかがよくわからない。自信教人信(自ら信じて人を教えて信ぜしむ)など人間が決意のできるものではない。だから人間が決めるというよりも、決まってくるということが〈ほんとう〉なのではないか。
19歳の青年が参加していたが、参加の動機を尋ねたら、「なんとなく」とか「生まれたら、そういう流れになっていた」とか答えられたが、この答えがとても素敵だと感じた。得度の重さを聞いたら、みんな尻込みしてしまうのだから、なんとなく、流れに乗ってというのがよいのだろう。寺とか教団というものの中で少しずつ信心が養育されていけばよいのだ。
 だいたい、息子や娘が寺の跡を取るのが真宗の専売特許だったのだ。真宗以外は出家仏教だから、そもそもセックスをせずに孤独になって修道生活をするという建前だ。だから子どもがいるはずがない。現在では、子どもがいても、一回親子の縁を切って、弟子として跡を取らせるという方法をとっているらしい。
 どうしても、出家という形式を「発展途上の仏教者であるお釈迦様」から受け継いでしまったので、そのとき無理が発生してしまったのだ。
 親鸞は、その形式を破壊したわけでも踏襲したわけでもない。生活形態をどうするかという問題を括弧に入れただけだ。そんなことよりもっと大事なことがあると見ていたからだ。
 お話のときに語ったことだが、大谷派という教団は「身悶えしている教団」なのだ。決して真実には成り得ないのだが、真実を反照していたいと願っている教団だからだ。だから共同幻想の教団としては、たくさんの矛盾を抱えている。その矛盾は堕落と呼ばれたりもする。しかし、その矛盾や堕落を削り落として、真実になろうとしてはダメなのだ。むしろその矛盾や堕落を教えとして、真実に照らされていく、そこにこそ教団があるのだ。だから常に真実ではないのだ。真実たりえないのだ。つねに堕落しているのだ。
 むしろ堕落に甘んじて、そこに存在できるというのが大谷派のよいところだ。堕落とは、在家生活、つまり欲望生活ということだ。これが私たちの居場所である。この底辺以外に阿弥陀さんに照らされる場所はない。
だから、大谷派はひとから批判される弱点だらけの教団であるべきなのだ。決して真実に成ろうとか、真実に同化しようしてはならない。そういう煩悩には騙されないことだ。真実に成ろうとすると、自己分裂するのだから。あるいは二重生活を生み出してしまうのだから。
やはり、真実から一番遠いところ以外に、真実の光の届く場所はないのだ。
(機械かソフトの問題なのか、だいぶ、ホームページの更新の時間がかかるようになってきた。もうじき更新が難しくなるかも知れません。そのときは機械が息絶えたのだとご理解下さい)
●2016年3月26日●
五木寛之の近著『はじめての親鸞』を読んだ。3月20日発売だから、ついこのあいだのことだ。
内容は、彼が「人間・親鸞をめぐる雑話」というテーマで新潮社主催の講演会でお話された講話記録だ。それを「はじめての親鸞」というテーマに盛りつけたのは新潮社の販売意欲だろう。しかしこの本のタイトル「はじめての親鸞」は親鸞仏教センター所長の本多弘之先生がかつて出されたものと同名である。
だいたい、新刊を出す前には必ず、本の題名が既刊本とダブっていないかと検索をするものだが、それをしなかったのたろうか。それとも、2008年発刊だから、もう昔のことだから、誰も覚えていないだろうと踏んで、この書名をあえて付けたのか。
まあ本多先生のマーケットは狭小でも、五木さんのマーケットは莫大だから、飲み込んでも大丈夫と踏んだのだろうか。むしろ、「はじめての親鸞」は五木さんの本という印象を与えるためかもしれない。
それはともかく、五木さんはご自分では「はじめての親鸞」は名づけづらかったのだろう。「雑話」としているところが、奥ゆかしい。親鸞をめぐっていろいろと考えたことをご披露するという体裁だ。
まあ親鸞像は曖昧で、確実なことは分からないから、決定的なことはいえないとおっしゃっている。
面白かったのは、親鸞の「非僧非俗」への考えを述べているところだ。
普通は、「非僧」は「俗人・俗世間」を表し「非俗」は「僧侶・宗教教団」を表すので、俗人でも僧侶でもない存在として親鸞は自己規定したと考えられている。しかし五木さんは、「僧侶」も「俗人」も両方否定しているのだから、第三の場所に親鸞は自己規定したと述べているところだ。
こんなふうに述べている「親鸞は自ら心の中で、自分はそこのアウトカーストであり、良民でもなく柳田国男のいう常民でもなく僧侶でもないし、まして貴族でもないと宣言したのではないか。では自分はどこにいるのか。第三階級というとおかしな言い方ですが、自ら世間から差別されている禿の世界、かぶろ頭の世界に自分は身を置くという宣言ではなかったかという気がするのです。」
まあ、そういうふうな考えもありうるとは思う。しかし果たして親鸞がそう自認していたかどうかはわからない。
わたしは、そこには阿弥陀さんがいないなと感じる。親鸞自身が、自分自身のことをそのように自己規定していたというだけでは信仰にはならない。単なる自己分析と自己規定で終ってしまう。
それからもうひとつ気になったことがあった。
五木さんは、最初と最後に同じことを二回述べている。
「親鸞を素材として自分の空想なり想像をふくらませていくのが親鸞論であり、親鸞に托して己の信心なり信仰、あるいは思想を語っているということです。そうやって、これまで数限りない親鸞論が論じられてきたのではないでしょうか。」
「学問の対象としての親鸞はともかく、生きた思想として親鸞を語るのは、ほとんど語り手の推測にすぎない。親鸞について語る人びとは、彼に托して自分を語っているのではないか、と感じている。」
まあ、彼は『親鸞』の伝記小説を書いているので、史実として親鸞の実像を突き止めることがほとんど不可能であることを知っている。だから、自分なりの空想や想像で書くしかないと言っているのだ。そこまではそのとおりだと思う。
 私の気になったのは、親鸞に「托して己の信心なり信仰、あるいは思想を語っている
」「彼に托して自分を語っている」と言っている部分である。
 この言い方だと、自分の論理を正当化したいがために親鸞を利用しているということにならないか。もっといえば、それは〈ほんとう〉の親鸞とはかけ離れた、作者自身の勝手な想像でしかないとならないだろうか。
 「托す」という言葉の意味には「かこつける。ことよせる。口実にする」(『広辞苑』)という否定的な意味も含まれている。
 ただ五木さんのその考えを踏襲すれば、五木さんの述べていること全体も、その批判を免れないことになる。
 私はむしろ、親鸞について何事かを語るとき、「親鸞に託して語る」という以外には、「親鸞」を語り得ないのではないかと考えている。
 ただ、「親鸞はこうだ」と断言してはならないという条件付きでのことだ。あくまで、「自分はこう思うが、果たして親鸞はどう考えていたかはわからない」と付け加えなければならない。
 私から見れば、こう見えるといわなければならない。それが思想というものである。「私」抜きの表現は思想にはならない。だからたとえ五木さんに「彼に托して自分を語っている」といわれようが、それを語っていかなければならない。
 だいたいお釈迦様についても、みんなそのように祖師方は語ってきたのだ。自分の限られた眼から見たらそう受け止められるという制限付きでお釈迦様を語ってきたのだ。またそれが仏教の語り方である。
 ただ、私個人のことを語りながら、それが単なる私的なことにとどまらず、そこに普遍性が醸しだされてくるというのが「思想」や「信仰」というものである。それが仏教の伝承の仕方である。 
 逆に「私」を抜きにしたところに普遍的なものを見いだそうとする考え方そのものが、近代に汚染された考えではなかろうか。

●2016年3月24日●
真宗が「難しい」とか、「わからない」というのは、言いたくはないのだが、実は、傲慢なのだ。
他の宗教は易しいのだ。真宗こそが難しいのだ。
「難しい」「わからない」といいながら、ちゃんと生きているのだから。〈ほんとう〉はそれなしには生きることができないというのが真宗なのだ。たとえれば、空気みたいなものだ。
真宗が「難しい」とか「わからない」というのは、空気なしに生きていけますよと言っているのに等しい。だから傲慢なのだ。そんなひとはいないのだから。

「難しい」といっては、腕組みして考えるがわからない。そうやって腕組していている間に時計だけは時を刻み、やがて「ご飯ですよ!」という時間がくれば、ちゃんとご飯を食べて、お風呂に入って、テレビを観て、床に就く。
ちゃんと、日常生活が送れているのだから、〈ほんとう〉は真宗など必要ないのだ。まあ趣味程度に、あるいは暇つぶし程度に、「難しいなぁ」とつぶやいているに過ぎない。
だから、やはり、傲慢なのだ。
まあ、いままで周りばかり動かしてきたからに違いない。自分が「動く」ということを怠ってきたのだ。人間は本能的に環境を変化改善することで、生き延びようとしてきた。機械をつくり、住みやすい環境を人工的に作り上げてきた。自然の生き物たちは、環境に対して、自分を変えて対応してきた。だから猿には全身に毛があるのに、人間には毛が一部にしかない。それは人間は環境を変えることで生き延びようとしてきたからだ。言わば服を着るということで寒さを覚えた。寒ければ毛を生やしたのが猿なら、服を着ることで、寒さに対応し、寒さをしのいだ。それは環境を人間的に変化させたことなのだ。
だから、本能的に、「自分が動く」ということが一番難しいのだ。「動く」というのも譬喩だ。何も運動しろという意味ではない。いわば、立場を代えて見るという訓練ができていない。
阿弥陀さんは、あなたを苦悩から救いたいと日夜働きづめに働いているのに、それを見殺しにしている。一度、阿弥陀さんの立場に立ってみたらどうだろうか。

因幡の源左は、そこが違う。
「その時(親が死んで)から死ぬるちゅうなぁ、どがんこったらあぁ。親様ちゅうなぁ、どがなもんだろうか。おらあ不思議で、ごっついこの二つが苦になって仕事がいっかな手につかいで、夜さも思案し昼も思案し、その年も暮れたいな。」(『妙好人因幡の源左』百華苑 昭和54年刊)
死ぬということはどういうことか、親様、つまり阿弥陀さんとはどういうひとか、その二つが知りたくて苦しくなって、仕事も手につかないで、夜も昼も悶々としていたという。〈ほんとう〉というのは、そういうかたちで人間にとり憑き、揺さぶり続けるものだ。
だから「難しい」とか「わからない」とか言って、安穏としておれなくさせられるのだ。

行くこともできず、とどまることもできず、じっとしてもおれず、まさに三定死(さんじようし)である。

それが破られるには、啐啄同時(そつたくどうじ)でなければならない。雛鳥が卵から孵化するとき、雛鳥がくちばしで突つくと同時に、親鳥が殻を突つく。そのとき卵の殻がわれて雛鳥が誕生する。それを、師と弟子の誕生に重ねた譬喩である。『碧巌録』のたとえらしい。
法のほうも必死に熟成し、機(主体)のほうも必死に熟成し、それが同時に成長して、あるとき、そのことが破られる。
親鸞は、それを「安楽浄土の不可称・不可説・不可思議の徳を、もとめずしらざるに、信ずる人にえしむとしるべしとなり」(『一念多念文意』)と述べている。
「もとめずしらざるに」である。こちらから求めて得られるものでもなく、そのことを理解して得られるものでもない。
 たとえれば、闇の中を銀河鉄道のように、闇雲に突っ走っているのだ。それが日常生活の有り様だ。外は闇夜だから、まわりは見えない。見えているのは、少し先に、明かりが照らしだす二本の線路だけだ。
 その線路がどこにつながっているのか、どこまで続いているのか、そんなことは知るよしもない。ただひたすら闇雲に、二本のレールの上を煙を吐き出しながら、必死に走っているのだ。
 その機関車が、どこかにぶつかるか、脱線するか、突然停止するか、さまざまな「まさか」が人生には用意されている。
 それが、チャンスである。
 何かを特別求めて人間は生きていないのだが。目の前の岩をどけながら、雨風を避けながら、ただ生きているのが人間なのだ。
 それが「まさか」にぶつかることで、始めて、自分はどこに向かってあるいているのか、なぜ歩いているのかと立ち止まる。
 源左も、親の死という「まさか」にぶつかって立ち止まった。それはピンチでありチャンスである。
 源左も立ってもいてもおられず、聞き回った。聞き回った結果、「もとめずしらざるに」という世界に出遇った。
 それは、決して「済んでいない世界」である。何もかも済んでいない世界である。生きることも済んでいない世界である。まるで赤ん坊と同じだ。
 
●2016年3月22日●
彼岸だというのに、何を不満を言ってるのか。
彼岸だから、「彼の岸」だ。「彼」と書いて「か」と読む。意味は「向こう側」だから、「こちら側」に対する言葉だ。
「こちら側」が、我々の住んでる娑婆世界に対して、「彼の岸」だから、仏の世界を意味する。
その世界を希求するというのが、一番よい理解だ。世間では、墓参り週間のような雰囲気だが、それは序の口で、本筋は、そういうことだ。
まあ、そこまでのことを希求できたら、彼岸も意味があるのだが。
宗教的にいえば、「彼」とは、超越性を意味する。だから、「彼」という言葉で、何か、人間以上のものを暗示している。

「超越」という言葉を聞くと、もうダメだ、それは宗教だから訳がわからない、俺には関係ないと、怖じ気づくひとが多い。

しかし、そんなことはない。超越的といっても、裟婆のことだ。
「超越」という言葉で人間が感じたり考えうることは、所詮、人間的なことだ。
だから「超越」という言葉を聞いても、たじろくことはない。圧倒される必要も、忌避する必要もない。
たかが、「超越」である。

まあ、〈ほんとう〉は「超越」という言葉の意味をも超えているのだから。
人間は超越を知的に理解することはできないが、感じとることができる。
自分は超越とは無関係だと、早とちりして、見限っているだけだ。

親鸞は「横超」といっているではないか。
それは親鸞が超越を感じ取ったことを表しているのだろう。
ということは、誰でもが、感じとることができるということだ。
親鸞が感じとったものを誰でもが感じとれなければ、それは〈ほんとう〉ではない。

未知の〈いま〉
未知のここ
未知のわたし

そんな「未知」が感じ取れれば、それで満足なのだろう。
人間が知ってしまったものは、常に「古い」のだ。
●2016年3月19日●
娑婆事は、なんでも満足してしまって、それからが詰まらない。
どんなに美味い酒を飲んでも、それでおしまい。どんなに楽しいひとときを過ごしても、それでおしまい。誕生日で、感動的な一日を送っても、白寿のお祝いをしてもらっても、すべては、その後が空しい。
「祭りのあとの空しさは、たとえば女でまぎらわし~♪祭りの後の空しさは~!」と吉田拓郎の歌にあった。そのときが嬉しい、喜ばしい時ほど、その後が空しい。
でも、酌めども尽きぬ法の泉を見つけたことは、やはり人生の最高のよろこびかもしれない。
決して、終らない祭りだ。終わりのない祭りだ。
それは憶念の時だ。
決して過去に飲み込まれない〈いま〉だ!
こんなに素敵な空気を、親鸞は、吸っていたのだろうか!
こんなに新鮮な空気を呼吸していたのだろうか!

●2016年3月17日●
昨夜の池袋親鸞講座の質疑応答を載せて、おこうと思いついたので載せます。
▼第5回池袋親鸞講座(2016/2/17)の質問と感想に応えて▼ 2016年3月16日 武田定光 記
【1】お話のマクラが面白く、自分でも考えたことのない思い付きが色々浮かんできました。人体=小宇宙の発想は洋の東西を問わずにある考え方ですが、微生物がヒトに成るまでの道のりや痕跡を残した体の各部分から生まれた身体的な発想だからなのかな、と思いました。筋肉や骨格=動物(考える)、内臓=植物(感じる)という言葉に、なるほど、と頷きました。「腑に落ちる」「腸が煮えくり返る」等の慣用表現は、現代よりも身体感覚鋭い昔の人達が、身体の声をきちんときいた結果生まれたもののような気がします。
人は忘れるというお話も耳が痛いような気持ちで聞きました。原発のこと、バス事故のことなどを無理に憶えていようとは思いませんが、自分が「結局は他人事」と考える人間であることへの後ろめたさをどうすればいいのか、分からなくなります。何をしても「私は悪人です」と自己肯定しているような気になるので…。自分で自分を裁くような振る舞いは、確かにとんでもなく傲慢ですね。
後半のお話の「入学の誓い」「ゲーム」は、そこにいる自分をゲームのキャラクターとして考える、つまり一種のメタ視点を得ることに繋がっているのかもしれません。まず型を学び、そこに気持ちを沿わせたり、逆に反発したりする中で自分の考えの輪郭を知っていくことができるような気がします。
武田→ 私は近頃、「私はまだ生きていない」のかもしれないと思うようになりました。確かに「生きている」とは思ってきたのですが、果たして「生きる」とはどういうことなのか、その〈ほんとう〉のことはまだわかっていないようなのです。近視眼的には、カレンダーに予定が書かれていますから、その仕事への準備や何かをしてはいるのですが。その眼をずっとズームアウトしていくと、それらの目的の延長上には「死」があります。そこまで引いてみると、果たして自分の「生きる」ということはどういうことなのか、よくはわかりませんね。意味があるのかないのか、何のために生きているのか。まあ、そういうことを考えないようにするために、人間は日々忙しくしているのだともいわれます。
 人間は「動物」ですから、日々動き回っています。しかし、果たして、その動作の行き着くところはどこなのでしょうか。そういう人間の構造自体が「他界」を要求してきたのではないでしょうか。
 私は近頃、なぜ私たちの教えが「浄土教」と呼ばれてきたのか考えています。浄土教とは、仏教学的意味場では、阿含系、般若系、唯識系、華厳系、天台系、密教系等のひとつの仏教の系譜として分類されます。
 法然はいわば寓宗(教学としては一宗をなすが、宗派としては他の宗に付属するもの)であった「浄土教」を、「浄土【宗】」として独立させました。させたといっても、「公的に」認められたわけではなく、自分で「独立宣言」を出したわけです。つまり「公的に」という規範そのものを外してしまい、誰でもが「独立宣言」できるようにしたのです。これはいままでの仏教を否定して、「浄土宗」以外に仏教はないという独立宣言でした。それはそれとして、仏教の出発がお釈迦様の成道(悟り)だとしますと、仏教の目的は、この世で悟りを開くことです。お釈迦様は、「縁起の法を悟った」といわれております。そして悟りを開けば、仏陀(buddha=覚者)と呼ばれます。それを目指して様々な系譜が生まれました。ですから、目的は「この世」で悟りを開くことです。
これは歎異抄第15条で扱われている問題です。「この世」で悟りを目指す天台法華宗にしても、真言密教にしても、次の世で完璧な悟りを要求します。これは、やはり「人間の構造」そのものが他界を要求せざるを得ない形になっているからでしょう。その要求が、浄土教というものを要求したのではないかと思います。浄土教は、阿弥陀仏の浄土への往生を優先的に説くので、一般仏教からすれば亜流だと思われてきたのですが、どうもそうではないようです。浄土教は、他の宗派と対立するものではなく、人間そのものの構造が、要求する宗教的要求に答えたのでしょう。だからどの宗派の中にも内在できるのです。
浄土教の側も、優先的に阿弥陀仏の浄土への往生を目的に説くので、これは「往生教」であって「仏教ではない」という批判を避けるために、「成仏」も説くようになったのでしょう。親鸞も「浄土真宗には、今生に本願を信じて、かの土にしてさとりをばひらくとならい」(歎異抄15条)と説きます。阿弥陀如来の浄土へ往生するのはなぜかといえば、それは「さとりをひらく」、つまり成仏するためであり、浄土教も仏教の中にあるのだと展開します。しかし、私は、これは浄土教側の人びとが、「仏教」の中に踏みとどまろうとするための辻褄合わせのように感じます。浄土教は本質的に阿弥陀さんの浄土へ往生することを究極の目標として説けばよいのです。往生するのは、最終的に成仏するためなのだなどと説く必要はなかったのではないかと思います。だいたい浄土へ往生するかどうかという問題関心を阿弥陀様にあずけてしまうのが信心ですから、それから先、浄土へいくのか地獄へいくのか、仏に成ろうがなるまいが、そんなことは詮索する必要がないのです。
そう考えると浄土教は、いわゆる「仏教」ではないのかもしれません。そこでもう一度立ち返ってみると、そもそも「仏教」とは何かということがよくわからないのです。私たちは「仏教」はあるらしいとは聞いていますし、あたかも仏教があるかの如くに生活していますよね。教団がありお寺があり、葬儀や法事や花まつりがありと、あたかもあるかの如くになっています。しかし、〈ほんとう〉はどうなのでしょうか。「悟りを開くこと」が仏教であれば、私たちは「悟りを開いた仏陀」に出会ったことがあるのでしょうか。また「さとり」とはいかなるものでしょうか。それを自分自身が確かめたことはあるのでしょうか。そういうことがないとすれば、どうも「仏教」とはブームのような、あるいは意味現象だけのことなのかもしれません。
もういちど、ゼロ地点から考えてみなければならないところに差しかかっているのではないでしょうか。
かたやアマゾンがお坊さん宅配便などを始め、いろいろと物議を醸している現代では、ますますその必要性があるように思います。ちょっと余談ですが、私はお布施に定価がないのが〈ほんとう〉だと思っております。お坊さんの仕事はサービス業的な形はしていますが、それだけではありません。労働に対する対価という考えもおかしいです。定価がいけない最大の理由は、そこに自己肯定感が生まれてしまうからです。定価を支払ったのだから、サービスを受けるのが「当たり前」という感覚、これは現代の「消費者感覚」です。またもらったほうも定価だから、これだけのサービスをするのが「当たり前」と考える感覚が生まれしまうことです。その「当たり前」感覚は、必ず自己肯定の傲慢が生まれます。つまり、そこには施主と僧侶の人間関係しかなく、阿弥陀さんという媒介がないのです。お布施はあくまで、阿弥陀さんという媒介を経由して成り立つものです。
 施主としては、お金を払ってもこころのなかにわだかまりが残ります。「多すぎたのではないか」「出しすぎで損したかな」とか「少なすぎたのではないか」「少額でお坊さんに内心で嫌われたのではないか」「まあこのくらいが相場だから、これでいいにしよう」とか。それらは、すべて煩悩です。でも、この煩悩を通して阿弥陀さんと交信できるのです。 また僧侶の側にも煩悩が起こります。「これはちょっと少ないな」「セレブなんだから、もっと多くてもいいのでは」「これはちょっと多すぎではないか」「貧しい生活なのに、これは多すぎでもらいすぎではないか」など様々な煩悩が起こります。こういう煩悩も阿弥陀さんを媒介にして、我が教えとして転換されます。ですから阿弥陀さんを抜きにしますと、そういう煩悩がすべて消えてしまいかねません。煩悩が消えてしまうと阿弥陀さんと対話する方法がなくなってしまうのです。ですから、私は定価はよろしくないと考えております。出すほうももらうほうも、ともに慚愧の念がなくなればお布施の意味はなくなり、商品の売買という資本主義の意味場に転落してしまいます。出す方も頂く方も、そこにわだかまりが生まれ、割り切れない感覚が残ってこそ、お布施なのです。その感覚を無いものにしようとするのは、阿弥陀さんとの対話をなくしてしまうことです。
また別件ですが、先日も「どうしたら信心を得ることができますか?」という質問があり、この手の質問は多いのですが、すでにこの問いの中に答えが表現されていますとお答えしました。「どうしたら?」という問い方を「自力のこころ」といいます。それは方法論を問うている態度で、方法論を聞き出して、それを実践するのが自分という発想です。なんでも方法を教えてくれればやりますよ、出来ますよという自信の表れで、そこには阿弥陀さんのお助けが介入できる場所がありません。ですから、信心は得られないのです。その「問い」がなくならない限り信心は得られないということになります。その「問い」が破られるというか、もはや静かにしていても、頭に浮かんでこなくなるということ以外にないのです。ですから、何もする必要がないということが究極の答えなのです。してはいけないのです。
まあそれは究極の答え方で、段階論的な答え方もあります。たとえば、自分の気になる歎異抄の条を暗記するとか、前十条まで暗記するとか、暗記することで教えの言葉が身体化されます。あるいは、直感的に「これだ!」と感じた先生の本を抜き書きするという方法もあります。この抜き書きが多くなれば、それがあなたの「聖典」になります。実はこれは親鸞がやったことです。諸先輩の書物から抜き書きして、まとめたものが『教行信証』ですから。私たちは一人一人の『教行信証』を作らなければならないのです。
これもいつも語ることですが、お年寄りの方に同じような質問をされたので、「20年は聴聞して下さい」と答えました。そのお年寄りは、私にはそんなに時間はないのですといわれました。私は、何も20年聴聞したらわかるということを言いたかったのではないのです。その方の〈いま〉の決断を聞きたかったのです。分かろうが分かるまいが、「はいわかりました」と答えられれば、その20年という時間を超えるのです。しかし、その方はおそらく後20年も聴聞しなければわからないのかと絶望的な気持ちになったのかもしれません。その絶望感は、20年経てば分かるものなのだという自信過剰から生まれたものです。仏法はつねに、〈いま〉の問題です。これも好堅樹の譬喩と同じことです。日常の時間を超えるのです。(「好堅樹」は浄土論註に出てくる、時間を超えるという譬喩です)
【2】往生は、今か、臨終か、という問いも二つに分ける罪ではないでしょうか?
武田→ そうですね。二つに分けることができるという考えは、通時的時間論に立っている考え方です。今、現世で信心を得て、やがて臨終のときに往生するという発想は、通時的時間論をもとにした考え方です。そのうえで「今」か「臨終」かと二つに分けてしまうのですから間違いなのです。〈ほんとう〉は二つに分けることはできません。「永遠に過去にはならない瑞々しい時間」を生きることを「往生」というのです。人間は煩悩によって、時間を過去・現在・未来と分けて考える本能をもっています。〈ほんとう〉の時間は、そんなふうに分けることはできません。それを私は「永遠の今」とか「宗教的時間」とか「共時的時間」といってきました。決して過去にはならないのですから、永遠に今という時間です。これは流れない時間です。
 でも、本当のことをいいますと、私たちは「過去」にしか生きられないのです。未来は未知ですから、把握できませんし、今を生きているといっても、私たちが「今」と認知した時間は、すでに本当の「今」からはズレてしまっています。つまり過去に飲み込まれてしまいます。人間が把握したり感じたりできるのは、「過去」だけなのです。ですから、〈いま〉を知っておられるのは如来だけです。決して過去にならない永遠の〈いま〉を人間は生きることができないのです。それで、譬えとして「たとえ百歳のご老人であっても、まだ人生は始まっていないと言い切れる」のが信という世界なのです。すべてを「済んだこと」にしないのです。まだ人生が始まっていないのですから、百歳のご老人でも、〈ほんとう〉はみどり子と同じです。年齢を重ねた、汚らしい、みどり子なんです。
 「永遠の〈いま〉」とか「決して過去にならない〈いま〉」とかいろいろな言い方をして、それを言い当てようとしているのですが、なかなかうまくいきません。またこの先、新しい表現が生まれてくるかもしれません。私もそれを楽しみにしたいと思います。
【3】最高に楽しかったです?なんまんだぶつ
武田→ 私も、そうです。親鸞講座は私と皆さんで創造する共同創造空間ですからね。私は、何をしゃべろうかと決めてはいても、そんなものはライブには通用しません。ですから私も皆さんに引き出されてしゃべっているだけです。その意味で、面白かったかどうかは、皆さんにも半分の責任が発生します。話者と聴衆の対話は、言語対話だけではありません。非言語的な対話をしているのです。たましいの部分で。だから、会場、つまりは聴衆によって私は様々に変化させられているのでしょう。自分でも思わぬ言葉が出てきたり、そうだ!と感心したり、何かが溢れ出てくるのです。そうやって私も教えられているのです。死ぬまで教えられ続けていくのです。それが楽しみなのです。
【4】 大谷派の先生の本を読んでみると、「宿業」という言葉がよく出てきますが、その意味が分かったようで、実はよく分かっておりませんでした。しかしながら、ゲームの喩えを出された時に、強制的に参加させられて、勝手に選べずプレイヤーを与えられた事実が宿業なのだと思い至りました。プレイヤーが置かれたフィールドが御約束の中であった。皆が私と同じように宿業によってプレイヤーにさせられたのだと気が付いた時に、プレイヤー同士が立つ大地(御約束)が見えてくる。これが宿業共感であったと改めて気づかせて戴いたことです。大変、有難い御縁を戴き、誠にありがとうございました。
武田→ 宿業と運命論は違います。運命論は人間が考え出したニヒリズムです。宿業とは、〈いま〉、ここにいる自分を、丸ごと、すっと、静かに受け止めましたという自覚の言葉です。「等身大の自分」にこころがちゃんと納まった感覚です。いかにも「宿業」という言葉のもっている存在喚起機能が、おぞましいものを連想させてしまうのでしょう。仏教は、ひとに誤解を与えておいて、その誤解を手がかりにしてお育て下さり、ちゃんと正解に導いて下さる装置です。だから安心して誤解して下さい。まあ私の人生を丸ごと、ありのままに受け入れるということがなければ、そのひとの人のこころは一生涯、被害者で終っていきます。こんなはずではなかった、まさかこんな目に遭うとはと、怨みと愚癡の人生に終ってしまいます。それで私は人類はみんな「未生怨(みしようおん)」で生まれてくるのだと言ったのです。その未生怨の存在の原初に、実は、オセロゲームの白いチップが打たれていたと驚嘆するのです。それが歎異抄第1条の「弥陀の誓願不思議に助けられまいらせて…」という言葉が生まれてくる背景です。いままでの人生は、黒のチップばかりだとぼやいていたのです。いくらやっても、黒しか出てこない。なんてこった、なんて人生だとどす黒いチップを打ってきたのです。ところが、自縄自縛で、自分自身が白を黒に塗りたくってきたのだと目が覚めてみると、自分の存在の第一歩に白のチップが打たれていたと気がつくのです。誰かが黒にしていたのではないのです。自分自身が黒にしていたのです。そのことにいま気がつくと、その気づきは白となり、白と原初の白にはさまれていた部分は、黒から白へとすべて変わってしまったのです。
 目が覚めてみると、怨みも愚癡も、阿弥陀さんのゲームの中に折り込み済みになっていて、自分で怨みひとつを引き起こせるものではなかったのだと、絶対他力に目覚めていくのです。
【5】 アミダさんもナムアミダブツも、浄土も穢土も、人間の想像力や願望や絶望の所産でしょう。それでいいと思います。思いますが、唯一罪悪生化のイキモンが一体何時の頃から「自分の考え」などという毒を育むようになってしまったのかと、20万年前の人類誕生についつい思いを巡らせてしまう爺さんです。最初はもっともっとマトモ(他のイキモノ並に本能という摂理できちっと治定していた)だったんじゃなかろうか、と。二足歩行、言語、道具、火と水のコントロール、社会形成、文字・暦・通貨の考案(その正体は先ず効率的支配征服の手段)…、他のイノチから加速度的にはぐれて迷走し始める。脳味噌こそがホモサピエンスの真の恥部になりもてゆく甚深の悲しみの歴史を、二尊より遥か遠い昔にまで遡ってみることがあながちに荒唐無稽とも思えませんが如何でしょうか?人間様だけが自分を分析解釈意匠できるという不埒不始末、結局ケラクなんじゃないですか?歯止めのかからない不気味さ原因はここいらへんでしょうか。存在の悪の淵源即ち「私の意見」なんてそもそもあったんでしょうか、アフリカの原人の皆様には。絶対他力!
宗教(「人間」と断言しても概ね意は偏る、それが文顕につながりもして、いっそ面白いです)が、道徳に堕落し、哲学を気取り、科学に追従し、文学に陶酔し、偶像崇拝に麻痺し、不偏不党を装い、無自覚な偽善に浸る…芯から腐ってゆく営みです。でも赤裸々な事実に即し、更にその底にある真相へと掘り下げてたゆみない真宗大谷派、その解釈センスが素敵です。日本人が日本語で八百年に渡り研ぎ澄ませてきた脱宗教運動、信心を信心たらしめない厳しさ清々しさ、俄然定まらない教義、お茶目で意地悪な真宗、明るい(底抜けに)親鸞様。
はからずも、誓願にして名号たるナムアミダブツを申せるおのが身が懐かしうございます。親との御縁を賜り、本願に包(くる)まれ、お念仏の宿霊として此の世に誕生しました。その事実を七十余年かけて思い知らされたのですから。合掌。
「都市伝説・池袋親鸞講座」満を持しての今期初受講、古希越え月一の御馳走いただいております。この世の他の思い出が「生きる」(「暮らす」は人生に数えていません)に呼応する至福の刻、有難うございます。
武田→ ものすごい格調の文章ですね。明治時代へ舞い降りたかのような文章に驚かされます。ひとが、どこからひとになってきたのかという問題は、難しい問題ですね。結果的にいまこうなっているということは分かりますが、この結果から原因を探っていくのは難しいです。諸説あるようですしね。面白いことを聞いたことがあります。進化論が本当なら、なぜ地球上に猿がいるのか?という問いかけです。猿から進化して人間になったのならば、猿はこの世にいないはずだと。まあ猿と人間はどこかで枝分かれしたのだといわれていますが、面白いですね。二足歩行で大脳の肥大化とか、親指と他の指でものを掴めるようになったとか、衣服を着るようになったから寒さを感じるようになったとか。なぜ男性に乳首がついているのかとか、面白い話はたくさんあります。なかでも、私は言葉を使うようになったことが大きいと思っています。
 象徴的な話がヘレンケラーの世界獲得です。ヘレンケラーは耳と口と目に障害があり、世界とつながるツールは触覚しかありませんでした。ところが家庭教師のサリバンさんが、手話を教えてもなかなか、当初はうまくいきませんでした。話を端折りますが、とうとういやがるヘレンーをサリバンが、水道の蛇口まで引っ張っていって、ジャージャーと水を出しながら、彼女の手にW・A・T・E・Rと手話で教えました。その単語の羅列をヘレンは「言葉」として会得したのです。そのとき、いやがるヘレンはもうそこにはいなかったのです。ヘレンが手を取って、逆にサリバンに確認するようにW・A・T・E・Rと順番に示したのです。嬉々として、ヘレンはそのとき「言葉」を獲得したのです。
 面白いことに、記号が言葉へ変化するときには、言葉だけを手に入れるのではありません。「世界(意味空間)」を獲得するのです。私たちは言葉によって「世界」を獲得してきたのです。しかし、それは残念なことに天然自然の世界ではなく、あくまでも人間的な、人間の恣意的な幻想として「世界」を獲得したのです。人間は、天然自然はわからないのです。いや、薄々は勘づいているのですが、明確に把握することはできません。
唐突ですが、阿弥陀という言葉はそういうことを教えてくれます。阿弥陀は矛盾語です。ア=無・ミダ=量ですから、人間の考えでは量ることができ無いという意味です。量ることができ無いのですから、本当は言葉にもならないのです。ただ、人間がすべてを分かったことにしているので、それを否定して下さるために、敢えて「阿弥陀」と命名させていただいたのです。
いやはや池袋親鸞講座が「都市伝説」ですか。これは褒めすぎのような気もします。しかし親鸞が直感していた〈ほんとう〉は、世界思想ですからね。そういうことかもしれません。私たちの「仏教」とか「浄土教」とか「真宗」とかいう既成概念ではとらえることができないナニモノかです。それらを超えているものであることは間違いありません。
【6】 仏法は生活の場で自分(1人1人)が確かめていくものだと思いました。生活そのものが仏法ですね。
武田→ まさにそうですね。2500年前にお釈迦様が悟りを開いたとはいわれていますが、それは教科書に書かれているだけで、だれもそんなものを身で確かめたことはないのです。それを自分が「確かにそうだ!」と確かめてみなければ、仏教はまだ始まったことにはなりません。「いつでも、どこでも、だれでも」が真実と対面できること、それが親鸞の直感していた〈ほんとう〉です。それを「いつでもない〈いま〉、どこでもないここ、だれでもない自分」が証明するのです。いつでも、どこでもですから、生活すべてが仏道の道場です。何をしていても、〈ほんとう〉に対面しているのです。変な譬喩ですが、私はそれを〈ほんとう〉に蹂躙されると表現しています。如来にとり憑かれるのです。いやはや、みんな如来にとり憑かれてなどいないだろうと思い込んでいるのです。実はそうではなく、だれでもがみんな如来にとり憑かれて生活しているのです。怨みも、悲しみも、喜びも、すべて如来が引き起こして下さっているのです。おそらく、全存在の背景にある阿弥陀を思い出せと命じているのです。なんせ、最初にオセロの白いチップが打たれているのですから。白のチップは必然、黒のチップは偶然なんでしょう。
【7】 未成怨の「怨」の字から、「穏」「静」「温」「豊」へ矢印が向かっており、「愛」「御約束」へと突き抜けていくように聞こえたのですが、「穏」「静」について、もう少しお話を聞かせて頂けますでしょうか?根本感情が転換していくような感じがしたのですが、「根本」感情というくらいですから、転換することはないようにも感じます。
武田→ そうですね。私も思いつきで話しているので、いつも直感的な言葉しか出てこないのですね。ですから、説明すると、またおかしくなるのかもしれませんが、やってみます。
「あなたは、いつからあなたになったのですか?」という問いが浮かんできました。母親が生んだ時となるでしょうが、その母親は誰が生んだのか、といのちの源へと遡及していくと、原初はわからないのです。これは自己のいのちに対するイメージであって、物理的なことを言っているわけではありません。あの「自身はこれ現に罪悪生死の凡夫、曠劫より已来、つねに沈みつねに流転して出離の縁あることなき身」(歎異抄後序)も、そういうイメージと重なっています。
そうなると、私がこの世に誕生したのは、たんなる偶然のいたずらではないかと思えてしまうのです。もっといえば事故です。たまたま、偶然で、自分が自分になったのだと思いますと、自分を生んだ原初は偶然ということになります。偶然ということになると、自分は偶然の事故によって誕生した「事故」そのものになります。事故の被害者です。ひとはみんな被害者から人生を始めるのです。といっても赤ちゃんはそうではありません。やがて成長して言葉を覚え、ひとになっていく過程で「四苦八苦」に出会い、心が変形し、被害者として成長するのです。そもそも、生を突き詰めれば死で終ります。死ぬために生まれてきたのですから。虚無的にならざるを得ませんね。死をもってくれば、この世の価値はすべてゼロに等しいですから。その虚無主義者に対して「永遠の片思い」でかかわろうとするのが、阿弥陀さんです。法華経でいえば、常不軽菩薩ですね。決してあなたを軽んじないというこころを擬人化した菩薩です。こちらは、そんな悲愛のあることなど忘れて生活しているのです。今朝も眼が覚めてしまったから、渋々、今日を生きざるを得ないのです。おそらくそういう生活というのは、「ただ死なずにいるだけ」で、〈ほんとう〉に生きているとは言えないのでしょう。まあそれも私の意味づけであって、〈ほんとう〉のところはわからないのですけどね。
それで現代人は、どこか鬱々としていませんか。鬱々とせざるを得ないのもわかります。被害者ですからね。被害者は、悪いものは外にあるのだと考えます。景気が悪い、社会が悪い、政治が悪い、アメリカが悪い、北朝鮮が悪いと、外に外にと「悪」を見ていきます。そして、あたかもそれらが私を苦しめているのではないかという物語を作り上げます。この物語という結晶化(竹田青嗣用語?)が起こると、その物語に支配されて生きるようになります。生きることの最初は、わけのわからない現象に出会って生きているのです。ところが、そのひとつひとつの現象の意味が、「これはこういうことだったのか」と明確に認識され始めます、それが「結晶化」です。結晶化することで物語ががっちりと出来上がります。ひとは物語を抜きには生きられませんから、この結晶化はとても起こりやすいものです。つまり悲劇の主人公の物語が出来上がるのです。物語は意味空間ですから、あとは悲劇の主人公として演じる生活が始まります。生活の中で意味不明の出来事に出会っても大丈夫です。その物語の中のお話に意味転換して受取っていけるからです。あらゆる犯罪の底辺を形成しているのが物語の結晶化作用ではないでしょうか。
 でも、私たちの浄土教も物語ではないかと批判を受けそうですね。確かに物語で語りますから。しかし、安全弁は、それはあくまでも人間が恣意的に作り上げた物語だと、徹底して教える物語なのです。ここが人間の理性で作り上げた物語とは意味が違います。いえば、人間の理性の物語を徹底して破壊するための物語です。それが物語だと相対化されて見えたときには、その物語から抜け出しているのです。よくテレビドラマや映画を観ているときに経験しませんか。物語に没頭して、悲しみがやってきたり、ハラハラしたりと。しかしハッと覚めることがあります。なんだ、これはフィクションじゃないか!作り物じゃないか!と。するとテレビ画面からこころが引き離され、フッと覚めてしまい、ハラハラした感情が冷静になります。おそらく人間は、あのドロドロした感情やハラハラ感や怒りの感情から冷静になりたいという要求をもっているのでしょう。つまり「覚めたい」という欲求です。冷静に静かに落ち着いた状態へ戻りたいと。
この人生も、私たちが恣意的に作り上げた物語なのかもしれませんよと、教えるものが阿弥陀の本願です。阿弥陀の本願は「永遠の片思い」で、人間の作り上げた物語を徹底して破壊して下さいます。そして悲愛の中に、初めからあなたが在ったのだと物語で教えます。しかし物語という表現も両刃の刃であって、それでは阿弥陀さんが私の人生をすべて支配しているということかと誤解も生まれます。そういう誤解は一神教の神のイメージで阿弥陀さんを考えるからでしょうね。そうではありません。阿弥陀さんは悲愛を擬人化したもので、人間的な人格をもっていません。どうも一神教の神さまは、人間の人格性をそのまま投影したイメージが強いです。いわばその人格性をすべて払拭したものこそ阿弥陀さんです。人間の人格性で考えると、「支配する」とか「妬む」とか「信じるものは愛するが信じないものは愛さない」というふうになってしまいます。阿弥陀さんは「永遠の片思い」ですから、そういう人間的な人格性(煩悩)はすべて排除されます。
 ですから、人間には本質的に分からないものなのです。分からないものとしてだけ人間がかかわれるのです。人間にわかってしまった人格神は人間的に脚色されてしまいます。唯一、分からないという作用で救って下さるのが阿弥陀さんです。救って下さるというのは、「それはお前の作り出した物語」だよと教えて下さるということです。人間の作った物語を破壊して、その底辺で支えて下さるのが阿弥陀という悲愛の物語です。この悲愛に触れることで、いままで被害者として、怨みを根本感情(基調音)にして生きてきたものが、温・静・明・軽等の根本感情に転換されるのです。歎異抄では「柔和忍辱のこころ」(第16条)と表現されます。あるいは「仏恩をも知り、また師の恩をもしる」(第6条)とも出てきます。
●2016年3月14日●
曽我量深先生が『救済と自証』(昭和32年9月発行)の中で面白いことをいわれている。
「法蔵菩薩によって始めて救わるべき十方衆生は法蔵菩薩の前に既に佛であったのである。畢竟ずるに、佛が佛になるのであります。凡夫が佛になるものだと思っているから、凡夫はどうして佛になるか、凡夫が佛になるならば、却って佛が凡夫になるであろ。凡夫が佛になると思って一生懸命にさとりすましてやっていると、眼を覚ますとやはり凡夫だ。
されば十方衆生が佛になるということは、佛が佛になるということであります。佛が佛になるということは、かねて本来佛だと自覚することである。救済とは何ぞや、佛になることである、自覚とは何ぞや、佛であることである、その佛であるということと、佛になるということとは一である。」(下線・武田)
 これは曽我先生の講演録だから、聴衆と共に作り出されたライブ感あれる聞法創造空間があったことだろう。ライブを文字に変換してしまうと、法の旨味が抜けてしまう。ライブは一期一会なので、そこには熱気溢れる生の仏法が展開していたことだろう。
 聞法空間に身を運べとは、そのことだろう。聞法空間には言語的コミュニケーションのほかに、非言語的コミュニケーションがあふれかえっているからだ。違ったたとえでいえば、意識が教育されるのではなく、無意識が教育されるのだ。
 それはそれとして、曽我先生のことばはちょっとわかりづらいところもある。なぜならば、私たちは固定観念をもっているからだ。それは、阿弥陀仏が苦悩する衆生(凡夫)を救うという固定観念だ。上位のものが下位のものを助けて成仏させるという感覚だ。
 しかし、曽我先生は、凡夫が佛になることはないという。いくら悟ったといっても、凡夫は凡夫のままだと。そうすると、仏になるということは、本来仏であったものが、仏に目覚めるということ以外にないのだという。目覚めることを自証といい、それ以外に救済はないという主張だ。
安田理深先生も、凡夫が佛に助けられるのであれば、凡夫は佛に一生涯頭が上がらないことになると書かれていた。それは劣等感の信仰が信仰だと勘違いするなという戒めだろう。確かに、私が救われるということは、佛を救うことにもなるということはわかる。

 この論理の出発点には、曽我先生の問いがあった。なぜ法蔵菩薩の48願の文面に、「諸仏」ということが書かれているのかという問いだ。問われてみれば、その通りで、眼からウロコが落ちた。法蔵菩薩が阿弥陀仏として成仏するには、48願が成就しなければならない。つまりあらゆる存在が救われなければ、私は仏とは成らないという誓願が満足するためには、救われていない存在がなければならない。救われざる一切衆生に対して悲愛を投げかけているのだ。それなのに、すでに48願に「諸仏」という言葉があるとすると、本願が成就する以前に、すでに救われた存在、つまり「諸仏」がいることになる。これは矛盾ではないかというのだ。
 この問いを出発点にして、先生は憶念されている。
それで、「諸仏」とは一切衆生の救われた姿なのだとご覧になった。一切衆生の果位としての「諸仏」である。だから48願文には救われる前の「因位の存在」(凡夫)と救われた後の「果位の存在」(諸仏)とが並列的に書かれているのである。
 つまり、凡夫といっても本来性は佛ということになる。しかし、これは実に危ない表現だ。それでは天台本覚論に傾斜していく傾向が生まれる。
 臨済禅の白隠禅師の『和讃』にはこういものがあって、これと同じ文脈で曽我先生の表現を理解してよいだろうか。
衆生本来仏なり
水と氷の如くにて
水を離れて氷なく
衆生の外に仏なし
(私たちはもともと仏である。 それは水と氷の関係のようなもので、水がないと氷ができないように、私たち以外に仏はありえないのである。)
 これは、曽我先生と同じような文脈にあるようにみえてしまう。
 安田理深先生の言葉も載せておこう。
「たのむも助けるも、世間の言葉であるが、信仰には助けるも、たのむもないのが、本当である。事実また、そんなことに用のないのが南無阿弥陀仏の安心である。南無阿弥陀仏ということにすべては尽くされている。」(『安田理深選集』第9巻)
 一応、救済物語をモチーフにしている浄土教は、「たのむ」とか「たすける」という言葉を用いて、〈ほんとう〉を暗示してきた。しかしそれはどこまでも我々を〈ほんとう〉へ誘引するための譬喩語である。そこでも我々の固定観念を破るかたちで、〈ほんとう〉を表現しようとする。
 安田先生は「凡夫の自覚において菩薩となり、また佛となる。」(『安田理深選集』第9巻)という、この「自覚」という言葉がキーワードになる。
 「凡夫」という言葉も、私たちは〈ほんとう〉の意味場では読めていない。つまり、「凡夫」をわかったことにしている。「私は凡夫だ、佛とは違う」と固定観念で考えている。その固定観念を問題にしろというのが「自覚」という言葉だ。
 信心の眼で「凡夫」をみているのか、それとも迷いの眼で「凡夫」をみているのかだ。信心の眼でみれば、凡夫も「因位の佛」である。「因位の佛」とは「やがて救われて佛になるのが凡夫」の意味である。そういう信心の眼を養えということをいっているのだ。
 曽我先生は、信心の眼でみれば、「十方衆生が佛になるということは、佛が佛になるということであります。佛が佛になるということは、かねて本来佛だと自覚すること」とおっしゃっているようだ。
 そこまで、そのように受取ってみても、どうしても、曽我先生の表現が納得できない。十方衆生が本来佛だと言い切ってしまうと、どうしても天台本覚論にならないか。
 安田先生が、それは自覚の問題だという。佛も凡夫も菩薩も体は変わらない、ただ自覚の違いであると。それはそうなのだろうけど、何か残ってしまうものがある。それは何か。

 親鸞には、次の和讃がある。(『正像末和讃』)
罪業もとよりかたちなし
妄想顛倒のなせるなり
心性もとよりきよけれど
この世はまことのひとぞなき
(「人間のつくる罪や悪い行ないは、もともと形がない。それは妄想や錯覚で、そう見えているだけであり、本来の心は清いのだ」とはいわれているけれども、この世には本当に清いこころのひとなどいない)
この「心性もとよりきよけれど」というのは、『大集経』の「一切の衆生、心性本と浄なり」のことだと柏原祐義先生は述べている。(『三帖和讃講義』)
 つまりもともと、衆生のこころが清いという発想は大集経の発想であって、そうはいっても現実には汚れきった人間ばかりではないかと親鸞は批判しているのである。
 やはり「心性もとよりきよけれど この世はまことのひとぞなき」という親鸞の表現がしっくりくる。凡夫はもともと佛だという認識は、人間にはできないので、やはりそれは佛そのもののご覧になる世界ということに返したほうがよいように思う。仏々相念の世界だけで、そういうことがいえるのだろうという程度ににとどめたほうがよい。
 
 以前、菅原伸郎さんから、立教大学の佐藤研先生が、キリスト教信仰は、イエスの罪意識から出発するというような話をされたと聞いた。イエスの師匠である洗礼のヨハネを裏切ったという罪意識からではないかと。
 このように言われると、洋の東西を問わず、〈ほんとう〉の信仰の形は、そういうことなのだろうなと教えられた。歎異抄の信仰というものも、この罪意識と通底しているように思える。つまり、それは、〈ほんとう〉に触れるということは、みずからを罪の側に見いださせる信仰である。親鸞が本願文第18願で、「唯除五逆誹謗正法」を削除せずに残して引用することの意味もそこにある。凡夫ももともと佛なのだというような発言を許さない意識だ。
 やはり、『なぜ?からはじまる歎異抄』で私が書いたように、親鸞を流罪にしたのが私の罪なのだと、罪の側に私を立たせる力が〈ほんとう〉の力なのではないか。
  
●2016年3月12日●
本日(3月12日)の東京新聞が拙著『なぜ?からはじまる歎異抄』の紹介を載せてくれました!
小さい掲載ですが、次のようにありました。

「最大の「なぜ?」は、どうして悪人が救われるのか、だろう。親鸞の「悪人」は品行の悪い人ではない。阿弥陀さんに頼るほかない、絶対他力の人こそが悪人なのだ。歎異抄は常識ではとうてい納得できない恐ろしい書。「往生」「念仏」「宿業と運命論の違い」など18条の「なぜ」から親鸞思想の神髄に肉薄する。真宗新書第1弾。(東本願寺出版・842円)」

この文章は私が書いたものではないので、なんともいえないが、「阿弥陀さんに頼るほかない、絶対他力の人こそが悪人なのだ」と言い切ってしまうと、どうも違うなと思える。その文意だと、箸にも棒にもかからない、手のつけられない愚か者が、阿弥陀さんのお慈悲にすがって助かるという劣等感の文脈になってしまう。
そうではないのだ。「悪人」とは単なる愚か者ということではなく、この世には「悪人」しか存在しないのであり、その最初のひとりが「私自身」であるという気づきの言葉なのだ。だからどこかに「悪人」が存在するわけではなく、私自身が阿弥陀さんから「汝、悪人よ!」と呼びかけられるところに成り立つのだ。
悪いことをした第三者を差して「悪人」といっているわけではなく、また自分自身を反省して「悪人」といっているのでもない。そこには阿弥陀さんが介入していない。
歎異抄の「悪人」は阿弥陀さんを媒介にして、透明人間のように匿名で逃げ回っている私を「悪人よ」と狙い撃ちにし、私に「悪人という存在」を与えて下さる悲愛のことばである。
「悪人」と狙い撃ちにされる前までは、自分には「自分という存在」が与えられないのだ。いわば透明人間なのだ。透明人間だから、どこにでも行けるし、誰にでも成り代わることができる。自分のやったことを、私は知りませんよ、誰かがやったことでしょうと責任逃れをして一生を終ることになる。
その逃げ回る者を狙い撃ち、「悪人」という名前で磔にし、私に「存在」を与えて下さるのだ。
悪人とは、実にありがたいことばなのだ。
※しかし新聞は凄い!さっそくうちの門徒のひとが、新聞に出ていたからといって本を買いにきてくれた。有り難いの一語に尽きる。
●2016年3月11日●
昨日は浄土真宗本願寺派・東京教区・青年僧侶協議会主催の法話に呼ばれた。
築地本願寺の振風道場という全面畳敷きの広間でのお話だった。3時から5時までの開催時間だったが、自分にとってはあっと言う間の時間だった。聴衆は45人くらいだった。
結果論だが、懇親会で大谷派の若手(つまりサクラですね)が来いて、締めの言葉を述べた。「西本願寺でお話をするのだから、いつもと違う話が聞けるかもしれないとやってきましたが、いつもとまったく同じでした!」と言ってくれた。そうなんだ、蟹は横にしか歩けないのだからと思った。
でも、場所によって微妙には違っているのだと思う。そもそも聴衆と話者が共同作業で聞法空間を作り出すのだから、聴衆が違えば内容も違って当然だ。まあ、自分でも何をしゃべるのかが決まっているわけでもなく、ただ、聴衆によって言葉が糸のように引き出されていくだけだ。そこでどういう話が出るかは、聴衆にも半分の責任はあるのだ。
しかし、お西の若手は瑞々しく、とても素晴しい感覚の持ち主たちばかりだった。聞くところによると、うちの息子たち、つまり大谷派の若手とも共同でいろいろなことをやっているらしく、まさに超党派の付き合いが展開していたのだ。
これは実に面白いというか、喜ばしいことだ。もはや教団は一緒になることはないが、それをクロスオーバーして連繋できる空間を創造していくことはものすごく大切だと思う。前途有望だなぁ!と実感した。
お西の若者が言っていた。東京と京都ではだいぶ違いますと。東京は、信楽俊麿先生の薫陶を受けたひとたちが多くおられるようで、それで私の話にも、そうそうとうなずいてくれたのだと思った。信楽先生といえば、京都では唯一の革新教学で、多勢に無勢ではあったが、お一人で伝統教学に立ち向かっていかれた先生だ。亡くなられたとお聞きしたときには、少しのショックがあった。
いやはや、自分にはわからないところで、若者たちは着実に〈ほんとう〉を共有し、無条件の連帯を作り上げていたのだった。
最後に、また呼んでね!と言って別れた。
●2016年3月9日●
明日、3月10日(木)15時~17時、築地本願寺(伝道会館。本堂向かって右側)にて私の講演があります。主催はお西(浄土真宗本願寺派・東京教区青年僧侶協議会)です。依頼されたテーマは「大谷派の現代」で、私がつけたテーマは「一人一世界観への覚醒」です。(研修費は1,000円)
どのようなお話が引き出されてくるのか、私自身も楽しみにしております。お話は、単独の発話行為ではなく、聴衆と話者とが融合しておこなわれる創造行為です。ですから、聴衆の引き出す力が話者を語らせるのです。聴衆の脳と話者の脳とが、無線ランで連繋し何かを生み出します。今世紀、最初で最後のライブが展開します。ワクワクしております。どなたでも参加可能ということですので、もしお暇な方がありましたら、遊びに来てください。BY Jyoukou
●2016年3月8日●
たとえ百歳のご老人であっても、「まだ人生は始まっていない!」と言えるのが〈ほんとう〉である。
つまり、それは人間の時間を超えるということだ。好堅樹の譬えが『論註』にある。
。「譬えば樹あり、名づけて好堅と曰う。この樹、地より生じて百歳ならん。いまし具に一日に長高なること百丈なるがごとし。日日にかくのごとし。百歳の長を計るに、あに修松に類せんや。松の生長するを見るに、日に寸を過ぎず。かの好堅を聞きて、何ぞよく即日を疑わざらん。」(『教行信証』証巻の引文)
【現代語訳】
「たとえば好堅という名の樹がある。この樹は地面から生えて百歳になろうとする。詳細にいえば、一日に生長する速さは百丈だ。毎日このように生長して、百年たったときの長さを計ると、松の生長と比較できない。松の生長は、一日に一寸も伸びない。この好堅樹のことを聞いて、どうして一日に百丈のびることなど信じられようか」
「百丈」を説明しておく。
寸=約3㎝
尺=寸の10倍で約30㎝
丈=尺の10倍で約3m
つまり、「百丈」とは、その百倍だから、300mとなる。
この好堅樹というのもメタファーであろう。一日に300m生長する樹などこの世には存在しない。いや、まだ寡聞にして私が知らないだけなのかもしれないが。
これは「超越」の論理を樹の譬えで表現していると思われる。
それを親鸞は自分の手紙(消息)に引用して次のように述べている。
「『樹あり、好堅樹という。この木、地の底に百年わだかまりいて、おうるとき一日に百丈おい候う』なるぞ。この木、地の底に百年候うは、我等が娑婆世界に候いて、正定聚のくらいに住する分なり。一日に百丈おい候うなるは、滅度にいたる分なり。これにたとえて候うなり。これは他力のようなり。松の生長するは、としごとに寸をすぎず。これはおそし、自力修行のようなり。」(『親鸞聖人御消息集』善性本)
親鸞は、百年とは私たちがこの世にいて、信心を得て正定聚の段階にいることを表すと読んでいる。そして、浄土へいくのは好堅樹が一日に300m伸びるように一気にいくのだと譬えている。一気に行くのは他力で、松が生長するように少しずついくのは自力修行だともいっている。
しかし、私は曇鸞が「好堅樹」の譬えで「時間の超越」をメタ化しているのに対して、親鸞は、表現がトーンダウンしているように感じた。
曇鸞は、菩薩が仏になるのには、五十二段階という階梯を一気にすっ飛ばして超越するのだと言っているのだが、親鸞は、それを凡夫の往生のメタファーとして利用したまではよかったが、「この世」と「浄土」を段階論的表現にしてしまったことだ。
まあ、「娑婆世界に候いて」を「この世」と読み、「一日に百丈おい候うなるは、滅度にいたる分なり」を「浄土でのこと」と読めばという条件付きなのだが。
ちょっと話が路地に迷い込んでしまった。

いずれにしても好堅樹の譬喩は「超越」を語っていることは間違いない。
松の生長は、「通時的時間」の譬喩であり、好堅樹は「共時的時間」の譬喩である。
そして親鸞にそのように語らしめた〈ほんとう〉は、「通時的時間」しか知らなかったものに対して「共時的時間」を開いたのだ。
これも譬喩的にいえば、「通時的時間」が「流れる時間」であれば「共時的時間」とは「流れない時間」である。
私たちの常識とまでなっているのが通時的時間だから、「流れる時間」の譬喩は理解してもらえやすい。しかし共時的時間がわからないとよく質問を受ける。
まあ、人間は〈いま〉しか生きていないということは、すぐに理解してもらえる。昨日のことを思い出しているのも〈いま〉だし、明日の予定を考えているのも〈いま〉だから、実感しやすい。
でも「永遠の〈いま〉」といわれるとさっぱりわからないと。仏教用語をご存じのかたは「一念」とか「即時」とか「頓速」とか「横超」という意味だと理解してもらえるだろう。これも、物理的な時間のことではなく、「頂く意味としての時間」である。
共時的時間とは、「自身はこれ現に罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、つねにしずみ、つねに流転して、出離の縁あることなき身」(歎異抄後序)といただける時間である。
この文章も、通時的時間で理解することもできる。自分は地球が生まれるまえから生まれ代わり死に代わりして、何代ものいのちの連鎖をへて自分になってきたのだと理解することもできる。しかし、共時的時間で理解すると、「曠劫という永遠」と「我はこれ現に」が同時のこととして、〈いま〉体験されることである。〈いま〉と永遠とは同時の出来事なのだ。つまり、曠劫と〈いま〉が隣接して同時に成り立っている感覚だ。
違う譬喩でいえば、「死(永遠)と生(自己)」とが同時に、ここに〈いま〉成り立っているということだといってもよい。「死」と永遠を同じことのように書いていることも誤解を受けるかもしれない。
いまここで書いた「死」とは、「非在」という意味だ。自分が〈いま〉ここにいない時間のことだ。百年前にも非在だし、百年後も非在である。そしてその非在の時間は永遠であるという意味だ。
さらにいえば、非在のほうが自分の本拠であるのだ。「浄土」というと、この世を終えていく場所とイメージされやすいが、私には「非在」のことを象徴しているように思える。
自己の本拠が非在であり、その本拠から、いま在(生存していること)を見つめているのだ。そういう時間の観念を親鸞は「信」という言葉で比喩的に語っているのではないか。
つまり永遠の方が〈ほんとう〉の自分の場所で、娑婆は「仮の存在」なのだ。
そこで、この世の時間、つまり通時的時間を超越するのだ。
違った言い方をすれば、〈いま〉の内容として過去も未来もある。〈いま〉を成り立たせているのが過去であり未来である。
それは生のほうから死(非在)を見るのではなく、死(非在)のほうから生を見つめる目線である。

そうして共時的時間が開かれてみると、この世の価値がガラガラと崩れだす。
私はまだ生きていないのかもしれない。「生きる」ということは、まだ自分にとって未知の出来事なのではないか。いや、人類にとって、まだ未知な出来事なのではないか。ただ私たちは、それを分かったことにしてしまったのではないか。

実は近江商人や堺の商人など、真宗と商業が結びついた淵源を尋ねると、蓮如に行き着く。なぜ経済の世界と真宗が結びついたのか。
それは、真宗が「自利利他円満」を課題としていたからではないか。それで計算高い商人たちが蓮如の法にうなずいたのではないか。
経済は利益追求だが、相対的利益を超えた、この世での〈ほんとう〉の利益を射程に置いていたからではないか。近江商人の倫理として「三方よし」がある。「売り手よし、買い手よし、世間よし」だ。
 それが成り立つためには、〈ほんとう〉の利益、つまり「意味の充足」が必要だと知っていたのではないか。『浄土論』には、「観仏本願力 遇無空過者」がある。「仏の本願力を観ずるに、遇うて空しく過ぐる者無し」だ。ここに「空過」という文字がある。
 快楽や利益や善徳が満たされてもなお満たされないものがある。それが「存在の意味」の問題だ。空しく過ぎることのない存在の意味だ。
 それを与えようというのが〈ほんとう〉の利益だ。
 この利益こそ、共時的時間なのではないか。永遠というものと、〈いま〉接していれば、そうそう利益追求に目の色を変えることも少なくなるのではないか。永遠を知る眼は、この世に対して、おのずと優しくなれるはずだ。
 
●2016年3月5日●
オセロってゲーム知っている?
表が白で裏が黒のチップを順番に並べていって、たとえば自分が白だったら白の間に黒をはさめば、はさんだ黒は白にひっくり返すことができる。そして最後に黒が多いか白が多いかで勝敗を決めるゲームだ。
あの歎異抄の「弥陀の誓願不思議に助けられまいらせて」という冒頭の言葉は、最初に白のチップが打たれていたということだった。白が初めに打たれていることを忘れて、黒ばかりを置いてきた。
どうせ黒だし、せめて黒なら、と青色吐息で黒を置いてきたようだ。
しかし、この冒頭の言葉は、なんと、その黒が置かれるまえに、第一手に白のチップが打たれていたとは、つゆしらず、ハッと目が覚めたということだったんだ。
あれまあ、白と白にはさまれてしまったら、黒だと思っていたのが全部が白にひっくり返ってしまったということなんだ。
取りつく島もなく、するすると弥陀の本願の坩堝にすべて落ちてしまった。どこかに引っ掛かりがあって、掴まるものでもあればと思うのだが、大きな流れに押し流されて、坩堝へと落ちていく。
これはちょっとヤバくない!?
これって、もしかしたら「宗教」と世間でいわれている、うさん臭いやつじゃない?

もしかしたらそうかもしれないなぁ。あのヤバいやつだきっと。
とにかく弥陀の本願はツルツルだ。爪もひっかからないほどツルツルだ。だから落ちていくことを止めることができない。
まあ落ちていくままに、いまんとこ身を任せるしかないようだ。

●2016年2月26日●
仙台教区・學佛道場という研修会(二泊三日)にいってきた。
初めての仙台教区への出講だった。
東京駅から乗り込んだ東北新幹線(やはぶさ号)は、思いのほか混んでいた。所要時間一時間半だから、あっという間だ。ほぼ満員だった。東北にこれほどのひとが用事があるということに驚いた。むしろ東北から東京へというのならわかるのだが、その反対は意外という印象だ。まあ青森までいくのだから、さもありなんという感じだが、仙台に着いたとき、大半の人が降りてしまったから、やはり仙台へ用事のあるひとが多かったということらしい。
まあ、東北大学の入試と重なって、ホテルなども満室だったから、そういう影響もあったのだろう。仙台の人口は120万人だから、東北最大の都市だった。市内に大学が二つもあるということで、繁華街には若者たちも多く、ちょっと地方都市らしくない風情だった。
2011年3月11日の東日本大震災の影響で、まだ復興途中という感じも残っていた。
大谷派の東北別院(仙台教区教務所)は、駅からほどない場所にあった。戦災前はもっと繁華な場所にあったらしいが、戦後今の場所に移転したという。
会場は教務所の二階の講堂だった。門徒寺族が半々で約50人ほどが参加されていた。
二泊三日、熱心にお聞きいただき感謝している。通算すると、10時間ほどお話したようだ。まあ、飽きずによくお聞きいただいた。職員が、「みなさん、寝ている方も少なく、ビックリです。」とお聞きした。参加者も、例年よりもかなり多く、これもビックリだと重ねていっていた。それもこれも、すべて阿弥陀様のお手回しだと感謝するばかりだ。
今年から、5年は通っていただきたいとお話しされたので、「生きていれば」とお答えしておいた。
お話の内容は、とにかく歎異抄を最初から最後までお願いしますということで、今回は自己紹介がてらのお話と、序文を少しいただいたようなことだった。
いつもながらの「仏教も真宗も、もう済んだことだと思っていたが、〈ほんとう〉はまだ始まっていなかった。お釈迦さんも親鸞も、まだ発展途上の仏教徒だった」という失礼なお話の連発だ。
 まあ常識的なひとならば、「念仏はオナラだ」とか「お釈迦さんは家族を捨てた人間だ」とか「真宗聖典には〈真実〉は書かれていない」とか「大谷派などは客観的には存在しない」とか「真宗は劇薬だ」などとは言わないはずだ。この非常識ぶりが聴衆を眠らさなかったのではないかと拝察している。
 「攻究」というコーナーもあったのだが、結局「質疑応答」タイムになってしまった。質問では「どうやったら信心を得られるのか?」とか「大谷派は安保法案に声明を出しているが、その場合、門徒の取るべき態度は如何?」とか「イエスの贖罪と法蔵菩薩の修行の違いは?」とか「生きているのがよいことか悪いことか本当にはわからないとお話されたが、信国先生は〈いのちみな生きらるべし〉といっている、その違いは?」とか。面白いのは今回出版された『なぜ?からはじまる歎異抄』の表紙の帯に、なぜ「やどかり」が描かれているのか?」というのがあった。この「やどかり」には別の場所でも二~三人からお尋ねがあった。
 これは私がデザインしたものではなく、東本願寺出版におまかせしたので、おそらくプロのデザイナーの感性で描かれたものではないかと推測している。自分なりに意味を憶測してみると、コツコツと海の底を這うようにして、「なぜ?」という問いに導かれながら歎異抄の世界への階段を降りていくというイメージかと思う。どうも歎異抄は空を飛ぶ生き物のイメージとはそぐわない。地や海や、その底の闇と歎異抄は共鳴する。
 質問者は「やどかりはどこで死んでも我が家かな」という川柳があるので、そういうイメージかと思いましたともお話いただいた。
 これは東本願寺出版に尋ねてお答えすることにした。
私はひとつだけ宿題をお預けした。親鸞は「大信心は長生不死の神方」といっているが、その意味をどうお考えになりますか?というものだった。まあ来年にお会いするのが楽しみだ。
 仙台教務所の清谷所長は、東京で駐在共同をしていたときから面識があり、その後、震災復興支援センターの中心的役割を荷なわれ、一言ではとても表すことのできないご活躍、ご苦労があったろうなと、日焼けしたお顔の皺に、背中から手を合わせた。
 どこの地方へ行ってもそうなのだが、その土地に、根を生やしている「面白い人びと」に出会う。そのたびに、ここにも「真宗」が生きていたのかと驚かされることである。「真宗」は流行りはしないが、消滅することもない不可思議な出来事だ。
 研修会終了後に連れていっていただいた「牛タン屋」の司(つかさ)は、超満員だった。ちょうどいくつか席が空いていて、座ることができた。牛タンは肉厚で、歯の弱い私には無理かと思ったが、甘めの醤油味で焼かれていて、なかなかの美味だった。
 駐在の鷲嶺君が、「牛タン屋も名店が揃っています。それぞれ特色があるので、いろいろとお連れします」と嬉しいことをいってくれた。
 確かに二泊三日は疲れるが、終ってみれば、またやってみるか!という妙なワクワク感が残るのだから、阿弥陀さんという覚醒剤は、恐ろしい。
 帰りの新幹線では、爆睡した。
南無阿弥陀仏。

●2016年2月23日●
難しいということが、感じられたら、高慢になっているのだ。
もはや、難しいということすら言えなくなり、言葉がすべて吸いとられ、何も出なくなる。
まるでブラックホールだ。だが、そのブラックホールの底から、南無阿弥陀仏が溢れ出してくる。

浄土真宗の説法の感想を聞くと、聴衆は「難しい」と答える。仏法へ接近するための方法論もないから、どうしたらよいのかわからないと感想をもらう。
まあ、浄土真宗は「お念仏だけで救われる易しい教え」だと看板は出しているのだが、一歩足を踏み入れれば、これほどの難行道はない。世間の宗教の中で一番難しいのではないかと思えるほどだ。
この難しさとは、用語の難しさではなく、「発想の難しさ」である。
人間は「人間の発想」に合うものを易しいと感じる。だが、仏法は「人間の発想を転換させるもの」だから、人間にとってはとても難しいと感じてしまうのだ。
それも正直な感想なので、否定するつもりは毛頭ない。
「易しく教えを説いて下さい」という要望はあるが、どれほど易しく説こうとも「難しさ」が消えることはない。また、易しく説くことができたら、それは仏法ではなくなる。だから、私はそういう要望には、できるだけ努力するけど、果たして易しく説けるかどうかは保証の限りではありませんと答えることにしている。
でも、先日、易しいかどうかは別として、「面白かったです」という反応をもらった。
これが仏法を受取るときに一番よい感覚なのではないかと思った。
彼の鈴木大拙先生は、よく「面白い」ということばを口にされたと聞く。この「面白い」は、英語ならばfunnyではなくinterestingであろう。つまりケラケラと滑稽さを笑う面白さではなく、実に興味深く意義深いという感慨を込めた面白さである。
仏法が分かったというのも、いろいろな分かり方があって、それこそfunnyの段階から interestingの段階まであるのだろう。
自分が「面白い」と感じたら、何が面白かったのだろうかと自問自答する以外にない。
宮戸道雄先生のお話も、笑い声が絶えないご法話だ。先生も「仏法は面白いでしょう。でも、ここで笑うような話は、すぐに忘れる浅い話です。後でお家にもってかえって笑うような話が深い話ですよ」などとおっしゃっていたことを記憶している。

それはともかく、仏法が「難しい」と感じるのは、傲慢であるようだ。
阿弥陀さんは、何の努力も要りませんよ、修行や勉強や経験なども要りませんよ、「信じる必要もありませんよ」とおっしゃって下さっているのに、それを「難しい」と感じるのはどうしてだろうか。
まず第一に、阿弥陀さんのおっしゃることなど、そのまま信じられませんよという反応だろう。そんな虫のよい話はあるはずがないじゃないですか、うまい話にはき気をつけなくちゃ、そのまま鵜呑みにして痛い目にあったらどうしよう、まずは疑ってかからなきゃと、内面では思っているだ。
第二に、別に阿弥陀さんに頼らなくても、私のことは私でやっていけますから、ご心配無くという自信満々の傲慢さが隠れているのだ。
そういう「自力のこころ」で充満している人間だけが、「難しい」という反応を示すようだ。
「難しい」というのは謙虚に退一歩しているようだが、実は、高いところに自分を置いて阿弥陀さんを見下している姿だったのだ。
なんということだろうか。
(さて、これから仙台教区へ出講して、みなさんをますます混乱させるのかと思うと、いまからお詫びをしておきたい気持ちになった)
●2016年2月20日●
「悪人」は向こうから聞こえてくる声の響きのみに成り立つ言葉だ。
如来が私を読んで下さる呼び声の音である。決して、聞こえてきた私のものにはならない。つまり「私は悪人です」と、その呼び声を持ち替えてはならない。
「私は悪人です」などとは、決していえないのが私である。私ほど正しく、私ほど清く、私ほど可愛いものはないと固く信じているのだから。
その善人である私を、唯一、阿弥陀さんだけが「汝、悪人よ」と呼んでくださるのだ。偽善の善人だから。

お朝事の『和讃』が「罪福信ずる行者は 仏智の不思議をうたがいて 疑城胎宮にとどまれば 三宝にはなれたてまつる」だった。ふと「仏智の不思議をうたがいて」に目がとまった。阿弥陀如来の智慧は不思議であり、それを疑っているというふうに読める。そうすると疑っているご当人は、「仏智の不思議」を疑っているという自覚が、まさにあるように読める。
しかし、待てよと思った。
果たして私が「仏智を疑っている」という自覚などもてるのだろうか。「仏智を」と仏智が目的語になっているということは、仏智とは何か、どのようなものかを対象化できているということになる。
仏智を知っているということが前提にあって、その「仏智を疑う」というふうに読めてしまう。
だが、人間は仏智なんて、まったく知らないのだ。阿弥陀さんの御こころなんかまったく理解できない。阿弥陀さんと同質のもの以外に、阿弥陀さんの御こころなどわかるはずがない。
それではなぜ、親鸞は「仏智の不思議をうたがいて」と書いているのか。
それは、もしかしたら、あなたたちは仏智を疑うというふうな傾向になっているんじゃないですかと、親鸞は我々に対して語っているように聞こえる。私は仏智を疑っているわけでも、信じているわけでもない。その曖昧なところにいる私に向かって、もしかしたらあなたは仏智を疑っているという状態なのかもしれませんよと親鸞は、ほのめかしているだけなのだ。
そのほのめかしを聞いて、私は、そうか、仏智など信じられるものでも、疑えるものでもないなぁと、自分の居場所に着地できるのだ。親鸞はいかにも、仏智を疑ったり信じたりできるかのように書いている。これも我々に対する「誘引」(化身土巻)なのだ。
このように暗中模索で生きている私に向かって、生の進むべき方向性を暗示してくれるのだ。
だから仏智不思議を疑っていたものが、仏智不思議を信じられるようになると想定してはならないのだろう。だから、「不思議」という文字を、疑う場合も信ずる場合にも、仏智を修飾する言葉として置いているのだ。
信ずるのも疑うのも「不思議」ということは、人間には明確に意識の中に上がってはこないという意味なのだ。仏智そのものは、「唯仏与仏の知見」であり、「仏々相念」の世界のことなのである。
人間は、阿弥陀さんの御こころの、ほんの一部分しか感知できないのだ。
だから言葉としては「悪人」とか「凡夫」を使われるのだが、我々には〈ほんとう〉の「悪人」も〈ほんとう〉の「凡夫」も、自覚することはできないのだ。
●2016年2月19日●
ひとは、自己弁護以外に「凡夫」という言葉を使うことはできない。
親鸞のいう「悪人」も「衆生」も、いわゆる「自分たち」を表現する言葉も、自己肯定や自己弁護以外には使うことができない。
昨日は、山陽教区(姫路)で行なわれた「女性同朋の集い」に出講した。姫路文化センターには300人くらいの人びとが集まっていた。山陽教区は、山陽新幹線が走っている、兵庫・岡山・広島・山口を網羅している巨大な教区だ。寺院数は200くらいか。西日本は圧倒的に「お西」(浄土真宗本願寺派)が多いようだ。
私のテーマは「私から始まる真宗-真宗創造論-」だ。
例のように、親鸞が「真宗」のすべてを表現し尽くしてしまったと勘違いしてきた我々の問題を指摘した。親鸞は「真宗」の一部分を表現したに過ぎない。だから我々はいまだに親鸞が言わなかった「真宗」を表現していくべきなのだ。
それも「思想に耐えうる言葉」として。
聴衆は、みなさん始めて聞く、得体の知れない私の言葉に戸惑っていたようだ。それこそ「なぜ?」という問いだけが残ったかもしれない。宮戸道雄先生の「お寺とは、世間のことをわかっている人間を連れてきて、わけをわからなくするところである」という名定義を最後にお話を終った。
感想は、「なんだかよくわからなかったが、面白かった」というのもあった。この「面白い」という感覚が仏法感覚なのだろう。アハ体験というか、サトリ体験というか。人間には仏法に反応する性質があったのだ。
信心とは世界的であり、社会的なものである。
いま(時間)→「永遠の〈いま〉」が与えられる。
ここ(場所)→「一人一世界」が与えられる。
わたし(主体)→「普遍的自己」が与えられる。

信心とは、あらゆる人間の「思い」をきれいさっぱり切り捨てて下さる大利益である。
●2016年2月18日●
親鸞の言わなかったことを言わなければならない。
仏教界は、お釈迦さんの言わなかったことを言い、真宗界は、親鸞の言わなかったことを言わなければならない。
私たちは、もう既に仏教をお釈迦さんが開いたと、済んだことにしていた。2500年前に成り立ったと。そして、真宗ももう既に親鸞が開いたと、済んだことにしていた。750年前に成り立ったと。
しかし、まったく済んでいなかったのだ。
まだ始まっていなかったのだ。

そして、真宗のすべてを既に親鸞が全部表現してしまったとも錯覚してきた。全部を既に表現してしまったのだから、それを少しずつ学んでいけばよいと怠慢を決め込んだ。遺産を食いつぶす末裔のように。そして、それが「正しいありかた」だとも考えて。
仮に真宗を円で表現すれば、親鸞は一部分の弧を表現したに過ぎない。だから、他の弧を表現していく責任が我々にあるのだ。しかし、親鸞が真宗という円を完全に表現してしまったと考えれば、もうこれ以上、私たちが表現していく余地は残されていない。
「真宗大谷派」という共同幻想は、親鸞を「はだかの王様」に仕立ててしまった。もう真宗は完璧に表現されたのだから、それを理解できないのは、すべて我々の愚かさだと、
劣等感の城に閉じこもった。その城の中にいれば、安泰だと錯覚して。
親鸞の表現がわからないのは、自分たちの愚かさが原因だ、勉強が足りないからだ、修行が足りないからだ、経験が足りないからだ、器量が劣っているからだと、劣等感の城の奥深くに閉じこもった。
それは、実は、親鸞を「宗祖」として尊び持ち上げることによって、貶め、蔑んできたことなのだ。共同幻想は、尊敬しているように持ち上げて、貶すという複雑なやり方を生み出す。
経験が足りないから、勉強が足りないから、修行が足りないからという劣等感は、裏を返せば、経験を積めば、勉強をすれば、修行をちゃんとやれば、親鸞程度のことは自分にわかるはずだという傲慢なのだ。
また親鸞を「カリスマ」に仕立てることで、自分とは無関係の人間に差別し、親鸞が「いつでも、どこでも、だれでも」が救われるという教えを貶めた。「とてもとても親鸞聖人と私を比べれば、親鸞聖人と同じ信心に生きているなどとはいえない」という言い方で、差別し貶めた。
これは、法然の学校で親鸞が体験したことと同じだ。前にも書いた「信心一異の諍論」というエピソードが、それを示している。
親鸞は法然と同じ信心でなければ、法然が説いている平等の救いと矛盾しますよねと考えていた。だから、あえて自分の信心と先生である法然の信心はひとつだと表明した。そのとき、先輩や同輩は、とてもとても法然上人と同じ信心で救われるなどとは思っていなかったのだから、後輩である親鸞に対して怒りの感情を起した。
いまの共同幻想としての「真宗大谷派」は、そのときの後輩や同輩と同じ考えをもってしまった。つまり「平等の救い」を「能力や経験」の問題に貶めてしまった。それも親鸞を「宗祖」という「はだかの王様」に仕立てて、崇め、尊び、拝跪る形をとって貶めてきた。
誰が親鸞を指さして「王様はハダカだよ」というのだろうか。
親鸞と私が同じ地平に立てなければ、親鸞の主張した「平等の救い」は嘘だということになる。
歎異抄も「くちには願力をたのみたてまつるといいて、こころには、さこそ悪人をたすけんという願、不思議にましますというとも、さすがよからんものをこそ、たすけたまわんずれとおもうほどに、願力をうたがい、」(16条)と述べられている。これを拡大解釈すれば、親鸞は悪人を助けるのが本願だと言っているが、本当は、やはり道徳的にも、品行もく、清貧な善人を救ってくれるんだと内心では思い込んでいるのだ。悪人成仏という教えを口では説きながら、内心では善人往生がまっとうなあり方だと、親鸞を裏切っているのだ。

ただ、その共同幻想から覚めてみると、現代の仏教界や真宗界は、元気がない。それは当然なのだ。釈迦や親鸞の教えの焼き直しをしているに過ぎないからだ。もう済んだことにしてしまっているのだから。自分たちが新たに造るべきものはないことになる。
仏教界も真宗界も「正しくありたい」という縛りを自分にかけてしまったから、間違ったことが言えなくなった。いままでの経典の言葉や親鸞の言葉の範疇から抜け出すことができなくなった。
「そんなことをあんたは言うけど、そんなことをお釈迦さんがどこで言ったのですか?親鸞がそんなことを言っているのですか?」という疑問に対して、出典さがしをして、「ここで言っています」と胸を張って答え、「正しさ」という城に閉じこもることができた。
そうなると、釈迦や親鸞の表現した世界をはみ出すことを危険視してしまう。そのことが仏教や真宗を消極的な処世術に変えてしまったのではないか。親鸞やお釈迦さんが言っている範囲内でしかものがいえなくなるという病気だ。そこから新しい言葉など生まれるはずがない。新しい言葉を生み出せていことは、元気のないひとつの原因ではないか。
仏教思想を仏教語で表現するという世界も確かに必要だ。しかし、現代は仏教思想を「新しい言葉」により、現代思想に耐えうる言葉として表現していく時代ではないか。
いやいや、それこそが仏教の歴史ではなかったか。仏教はこれからも経典が増えていかなければならない。一神教のように『聖典』が増えない思想ではなく、どんどん増えていくのがまっとうな仏教のあり方だ。

もう、そういう自分で自分たちを縛ることをやめなければならない。お釈迦様が言ったかどうか、親鸞が言ったかどうか、それはどうでもよい問題なのだ。それは歴史が証明することだし、もっといえば、それが正しいかどうかはあなた自身が確かめて下さいと言い返すべき問題なのだ。
親鸞でさえ84歳のとき「浄土真宗に帰すれども真実の信はありがたし」(『和讃』)と述べている。親鸞が語ったことは「真実」ではないのだ。真実そのものは阿弥陀如来のみが知っていることであり、言葉にした途端に「真実」は真実でなくなる。間違っているかもしれないが、願わくは「如来の真実義」を暗示していてほしいと言っているだけだ。
つまり、親鸞の表現は、仮なる表現なのだ。それを決定版のように受取ってはダメなのだ。それこそ親鸞の願っていたことではないのだ。
人間は誤解しかないのだ。私たちは「正しさ」などとは無縁なのだ。「正しさ」は阿弥陀さんだけが証明するのだ。だから大いに誤解し、「不実」の表現を尽くしていかなければならない。その誤解こそが、真実を裏に暗示できればよいのだ。それで私たちは表現の自由を手に入れることができる。
間違ってはいけないという縛りは、自分たちが「正しくあらねばならない」という規制であり、それは「正しくあれる」という傲慢の上に成り立つ考え方なのだ。
釈迦の言わなかったこと、親鸞の言わなかったことを表現していく責任が、新たに生まれてきた。

●2016年2月16日●
昨日の「論註に学ぶ会」で、立教大学教授だった佐藤研先生が、イエスは師である洗礼のヨハネが権力に殺されるとき、ヨハネを裏切ったという罪の意識から信仰が始まっていると語っていたそうだ。そのように菅原伸郎さんからお聞きした。イエスが十字架にかけられるとき、弟子たちは「イエス?そんなひとは知りませんよ」と嘘をついてイエスを裏切った。これは、法然に対する親鸞、親鸞に対する唯円、そして親鸞に対する私の罪と通底するように感じた。
承元(正しくは建永)の法難のとき、法然が流罪にされ、四人が死刑になった。もし親鸞が罪に問われず、死刑にされる住蓮・安楽を群衆と共に見ていたとしたらと思うと、いろいろな思いを感じる。「お前も、あいつらの一味か?」と問われたとき、親鸞はどう答えたろうか。
イエスの弟子と同じように、「私は知りません」と答えただろうか。それとも「私と同じ先生について学ぶ弟子たちです」と答えたろうか。それはわからない。
幸いにというべきか、奇しくもというべきか、親鸞は法然と同罪の遠流になった。
師に対する疑いを親鸞は「五逆」と考えている。親鸞の中では、やはり法然に対する疑念が残っていたのだろう。言葉としては、自分は法然の弟子ですとは書き残しているのだが、そうは書き残しても、心の奥の一部分では疑念が払拭できなかったのかもしれない。
 いや、親鸞の意識自身は、法然を丸ごと信じ受け入れていたのかもしれないが、無意識のある部分が疑念をもっていたというべきか。
 親鸞が書き残しているものを見ると、明らかに法然のものとは異質な部分がある。もし、法然に絶対信順しているのであれば、ああいう異質な部分は完全に消えていたかもしれない。それはどこかにある文字というものではなく、文脈(コンテキスト)が微妙に違っている。
 まあ、しかし、邪推の域をでないのかもしれない。
 所詮、師といえ、弟子といえ、「一人一世界」なので、〈ほんとう〉との距離感は同一である。どちらが先でどちらが後ということもできない。
 果たして、イエスは「アダムとエバ」の失楽園をどう考えていたのだろうか。「原罪」という発想は、キリスト教義が出来上がってくる後期の言葉だと聞いたことがある。それだからといって、根源的に、自分は〈ほんとう〉に背を向けてきたものであるという感覚が、イエスの中に流れていないとはいえない。
 親鸞も、如来の悲願に背いているという自己認識がある。それは〈ほんとう〉に背くことで、〈ほんとう〉から悲しまれている存在としてある。
 自分とは本質的に、自分のことを把握できない存在であり、自分のことを丸ごとわかっているのは〈ほんとう〉以外にはないという感覚だ。
 さらに、親鸞の場合には、背くということも、自分の力で成り立つことでなく、〈ほんとう〉それ自身がはたらきかけることによって成り立ち、背くことを通して、始めて〈ほんとう〉を感覚させるのだと展開していく。
 罪も〈ほんとう〉が引き起し、そして〈ほんとう〉が救いとるという、二重の作用なのである。
●2016年2月14日●
昨日の京都・大谷専修学院でのお話は、なんだか、物凄く興奮していたように、いまとなっては思い出す。
あの競馬の馬が、出走するためのゲートに入るのが待ちきれず、鼻息荒く、興奮しているような感じだった。専門用語では、「チャカついている」というらしい。やはり私はチャカついていた。
聴衆の、ギラギラした、剥き出しの、あの欲しがるたましいの目が私には感じられた。
聴衆に、引き出されるようにして、ゲロをするように自分から言葉が次々に溢れだした。果たして聴衆は何を感じ取ったかはわからない。しかし、間違いなく、何かを感じ取ってくれたはずだと、なんだかわからないが、私のこころは満たされていた。
お話が終って、新幹線に乗って東京へ向かっているときも、眠ろうとするのだが、眠むれないほど興奮している自分がいた。疲れていたはずなのに、憑かれていたのだ。
テーマは「私から始まる真宗-真宗創造-」だ。
 聴衆はこの3月で学院を卒業し、それぞれの現場に戻っていく。そのときに、何か、現場で役に立つことがいえるのではないかという野心があった。一応「法華信者の問いに答えて」はコピーしていただき、全員に配った。私の答えはともかく、法華経信者の問いが大切であり、皆さんがそれぞれに応答を考えてほしいと、土産代わりに渡した。
 専修学院は私が41年前に卒業した母校である。名実ともに母校であり、この学校で育てられなければ、私の現在はなかった。
 考えてみると、私は、何かにこだわって生きてきたのだ。そのこだわりがよくは意識されていなかった。そのことが、徐々に明確になり、鬱々とした時代を経て、ようやく意識化できた。
 自分は〈ほんとう〉を求めていたのだ。〈ほんとう〉とは、真であり、善であり、美をもとめていたのだ。そして求めたいた〈ほんとう〉と一体化したかった。ひとつになりたかった。でも、それは無理だった。
 ひとつになろうとすればするほど、偽善であり、醜くなってしまった。そして〈ほんとう〉との関係のとり方が徐々にわかってきた。
 要するに、〈ほんとう〉と自分はひとつになれない。なれないという関係が正しい関係なのだといまは思っている。なれないということが残念だとか挫折だとかの感情はないのだ。なれないという関係が正しい関係のとり方だからだ。
 親鸞は「ただこの信を崇めよ」(教行信証・総序)といっている。崇めるには〈ほんとう〉と自己とが離れていなければならない。一体化してしまえば崇めるという行為は成り立たない。
 崇めるという距離感が、〈ほんとう〉と自己との正しい関係なのだ。自分は〈ほんとう〉と一体化できないし、一体化できなくてよかったという関係のとり方だ。自分が〈ほんとう〉と一体化したらこんなに恐ろしいことはない。
 これを本尊とか阿弥陀さんとか比喩的に語ってきたのだろう。まさに中空構造である。自分の真ん中に大きな中空が空いている。それは私のものでもなんでもない。ただ、私のものとして私有化できない空白である。その空白だけが、〈ほんとう〉なのだ。
 それなので、自分は偽善であり、醜くいままで安住できた。
〈ほんとう〉と自己との正しい関係を学べばよいのだ。
 自己とは偽善であり醜く、全人類とつながっている醜さで成り立っているのだ。どんなに醜いことにであっても、たじろぐことも嫌悪することもなくなった。淡々とその醜さに対面することができた。その醜さは私の本質だからだ。私はその醜さで出来上がっているからだ。
 そのように自分の醜さに目を背けたり、たじろいだりしなくなったのは、〈ほんとう〉が開かれたからだ。〈ほんとう〉という鏡は完膚無きまでに私をハダカにし、醜さをさらけださせる。そのことにたじろがないのは、〈ほんとう〉があるからなのだ。
この〈ほんとう〉を生活の中に確保してほしかった。
 
専修学院の入学式に宣誓をさせられる。
「私は今日から真宗精神を体得すべく努力精進することを誓います」と。入学生は、そんなことを宣誓したくないのだ。しかしこれをやらないと入学できないので、儀式として、やむなく宣誓をする。宣誓しているのだが、本心から宣誓しているわけではない。
 これは専修学院というゲームなのだと私は述べた。ゲームにはルールがあり、それに従わざるを得ない。新入生は不本意なのだ、無理やり宣誓をさせられたという被害者感覚で、それを受け止める。
 だれも、そんなゲームに参加したくないのに、無理やり参加させられている被害者なのだ。しかしだ。私はこれは誕生と同じ形だと感じた。誕生も、生まれますかどうですかと聞かれてはいない。いわば、誕生は無理やり誕生させられたという被害者なのだ。自分はこの誕生というゲームに参加したいといっていないのに、いつのまにか参加させられていたのだ。
 だから人間は、生まれながらにして被害者感覚を生みやすいのだ。生まれたくないのに生まれ、させられてしまったという被害者感覚だ。
 この被害者感覚が、無化されるのが真宗の狙いなのだ。いわば偶然なる誕生が、実は必然だったのだと受取れれば、それが究極の目的なのだ。
 私が生まれる何億年前からゲームは始まっていたのだし、それに参加してしまっていたのだ。ただ、身は参加しているのだが、心は参加していなかった。
 その心が阿弥陀さんの慈悲に癒されて育まれて、ようやく必然へと転じていくのが信仰である。
 それを信心というのだ。 
●2016年2月6日●
★『なぜ?からはじまる歎異抄』発刊のお知らせ★
今日、待ちに待った「新書版」の『なぜ?からはじまる歎異抄』が京都の東本願寺出版から因速寺へ届いた。
これまで、『新しい親鸞』『歎異抄の深淵-師訓篇-』『歎異抄の深淵-異義篇-』『逆説の親鸞』(以上、雲母書房)、『親鸞抄』『歎異抄にきく-死・愛・信-』(プネウマ舎)、全六冊を世に問うた。
 いままでの本は、すべて単行本で、電車の車中で読むには重かった。予てから、もっと携帯に便利で安価な「新書」を出したいなあと思っていた。そんなとき、本山(東本願寺出版)から、二年間、宗派の月刊誌『同朋』に私が連載したものを出したいという話があった。当初、本の体裁は未定だったが、やがて「新書版」で出すことに決まったと知らせをもらった。
 渡りに舟とはこのことだ。
 月刊誌で連載したタイトルも「なぜ?からはじまる歎異抄」だった。A4版見開き2頁という制約のあるスペースに、原文・現代語訳・エッセイを詰め込んだ。原文と現代語訳も文字数の制約があり、『歎異抄』の原文すべてを載せることができなかった。それで原文のどの部分を捨て、どの部分を取るかという判断をしなければならなかった。まさに「選択摂取」に苦心した。
 原文に載っていない箇所を使ってエッセイを作るわけにはいかなかった。
それでも泣く泣く原文を削りながら、エッセイを書き上げることができた。短いスペースに限られた文字数で仕上げるという作業に最初は戸惑ったが、徐々にその作業にも馴れていった。
 そして、割愛された原文を前にして短文のエッセイを書くことで、どこに核心を射抜くかという妙味も味わうことができた。
 「おわりに」にも書いたのだが、この本には『歎異抄』全文が載ってはいない。一部分しか載っていない。よって全文が載っていなければ魅力がないと感じるひとは読まないことだ。
 しかし、全文がないからといって、そこに〈ほんとう〉を射抜いていないとはいえない。そもそも『歎異抄』は「抄」である。この文字は、「手偏に少ない」という成り立ちで、意味は「手で少しだけすくい取った」ということだ。親鸞の言葉全部を収録しているわけではなく、「耳の底」にとどまったところを、少しだけ載せたのだ。少ないということが真理を表していないということもあるが、逆に少ないということが、〈ほんとう〉を表している場合もあるのだ。
 まあ、控えめにいえば、これは、おひとりおひとりが『歎異抄』の世界へ切り込んでいくための入門的な書物ということになるだろう。
 そこには、確かに「武田」独存の切り取った『歎異抄』であることには違いない。またそういうものでなければ『歎異抄』についてものを書くことは不可能でもある。誰が読んでも正しいというような『歎異抄』の解釈など、あるはずもない。またあったとしたら、これほどつまらないものはない。
 だから「武田」という極限の独存がいただいた『歎異抄』である。自分の歴程をみると、40年ほど歎異抄にかかわってきたということもあって、『歎異抄』の神髄に切り込んでいるという自負もある。
 また、締め切りに迫られ、普段は疎かにして考えることを怠ってきた部分に、敢えてこだわらざるを得なくさせていただいたのも嬉しかった。そのおかげで『歎異抄』の神髄に触れたという思いもしている。
 ここで展開している表現は、「概念思考」ではなく「イメージ思考」であることを強調しておくべきだろう。『歎異抄』や親鸞の『教行信証』や『和讃』でもそうなのだが、そこに展開している表現は「イメージ思考」から生まれていると思う。
 『教行信証』などは、いかにも論理的な「概念思考」のように見えて、実はそこにあるのは「イメージ思考」なのだ。やさしくいえば、「詩心」というか、ポエムというかファンタジーの世界である。このファンタジーの世界にたましいが遊び、その穏やかで豊かな世界から、言葉が浮上してきて、ようやく「概念的」な表現に結晶化しているのだ。
 だから『教行信証』を概念的に分析しても、旨味もなにも出てこない。『教行信証』の文字群は、いわば満天の星空に散りばめられた星屑のようなものだ。まず、それらに圧倒され、ほのぼのと、ボーッと眺めていると、その星たちのコンステレーション(布置)が図として見えてくるのだ。
 親鸞は、それらのイメージを「海」という言葉によって掻き立てていたようだ。信心海・本願海・群生海・煩悩海・一乗海・生死海・諸有海等、海は様々な生き物を生かしめる場所であり、一方底知れぬ奥深さをもつものでもある。あらゆる屍骸をも海は分解してしまうし、どんなに川から水が流れても、すべて塩水に変えてしまう。親鸞の海のイメージは、変換とか転換という言葉がキーワードなのだろう。
 そういうイメージの世界を遊べないと、なかなか親鸞のイメージ世界へは通じていかないと思う。
 今回の執筆も、根底には「遊び」があるのだ。書くことが楽しみであり、驚きであり、そうせざるを得ないものであり、そうすることそれ自体が目的であるような行為だった。 さらに欲をいえば、そんなに自由に遊べる世界があるのかと、人びとが感じていただき、自分もまたそのイメージの世界を遊んでみようと奮い立っていただければと願うばかりである。
 〈ほんとう〉のことは、「各々安立」で、ひとりひとりが、ひとりひとりで自立することなのだ。他者と比べることのできない、一人一世界の確立なのだ。
 所詮、人間は、どこまでいっても他者と同じ世界には立てない。共感はできても、同感はできない。その意味で、人間は孤絶した独立世界をのみ生きられるのだ。ただ、孤絶しているがゆえに、言葉が大切なのだ。ひとは話し合えば分かり合える生き物では決してない。本質が孤絶だからだ。だから愛があり、言葉が必要なのだろう。
 
本には謝辞が述べられなかったので、この場所を借りて述べておく。
東本願寺出版の藤崎恵美さんには、数年間、編集の労を取って下さり、今回の出版に当たっても、大変なご尽力を頂いた。面識は数回しかなかったが、メールのやりとりは数知れずしていただい。『なぜ?歎』をこの世に生み出していただいて大変感謝しております。
もうひとつ、これは『なぜ?からはじまる歎異抄』というタイトルの生みの親である大須賀さんにも御礼を述べたい。
 当初、連載を依頼され、藤崎恵美さんと大須賀護さんが東京までやってこられた。そのとき、タイトルをどうするかということで話し合いを行なった。いろいろと出したい放題のタイトルをそれぞれが述べてみた。「知識ゼロからの歎異抄」、「猿でもわかる歎異抄」「ハダカで読む歎異抄」「初歩の初歩歎異抄」等々。しかし、これだ!というものが見つからなかった。
 しばらく考えあぐねていたところ、大須賀さんが、「ちょっとタバコを吸ってきます」と部屋を出ていった。そして数分して戻ってこられ「なぜ?からはじまる歎異抄」はどうですか?と提案された。
 それを聞いた私は、「これだ!」と直感し、賛辞と同意を表した。「なぜ?」という疑問がなければ歎異抄の扉は開かない。また「なぜ?」という問いで歎異抄は貫かれているのだ。お釈迦さんに「なぜ?」と感じた阿難、そして法然に「なぜ?」と感じた親鸞、さらに親鸞に「なぜ?」と感じた唯円。これらの「なぜ?」が実は仏教を生み出す源泉なのだ。その「なぜ?」が私に起きたということは、彼らに通底していた宗教心が私の中にも芽生えたということだ。この芽生えが、双葉となり、葉を繁らせ、花を咲かせ、実を結ばんことを願っている。
 もし大須賀さんがいなければ、この本は生まれなかったのだ。本当に有り難うございました。編集者たちは、常に縁の下の力持ちで、表面には顔を出さない。謝辞を本書の末尾に記したいと提案したが、即座に却下されてしまった。
 これはまさに、法蔵菩薩のご苦労だと頭が下がるばかりである。しかし、うがって考えてみれば、この本を生み出したおおもとは、やはり阿弥陀さんの勅命だろう。たまたま武田という独存を通して現れでたのだが、出たものは阿弥陀さんの公なる仏法そのものなのだ。そうであるから、編集者たちは、おのれのこととして汗水垂らして編集作業をして下さったのだと思う。
 作者と編集者共々、阿弥陀さんの手足となって、〈ほんとう〉を作り上げたというのが、〈ほんとう〉のことなのだと思われる。願わくは、阿弥陀さんの真実義が表現されておりますことを…。
※本書は、まだ一般販売を開始しておりません。2月20日より販売開始予定です。念のためお断りしておきます。   

★『新しい親鸞』電子書籍版が再版★
私の『新しい親鸞』が1月19日、電子書籍にて再版されました。今回は前半部分の上巻ですが、じきに下巻も出ます。一冊250円ですので、上下合わせても紙の本の約4分の1の値段です。
電子書籍はiPadなどのタブレット端末を持っていなくても、スマートフォンをお持ちでしたら、いつでもどこでも読むことが出来ます。
 版元の『こうる書房』(響流書房)のホームページをヤフーやグーグルなどで検索して頂ければ、そこに電子書籍の読み方や買い方などの説明が載っております。また、販売窓口であるアマゾンへのリンクも載っています。これを機会に、是非読んでみて下さい。
 響流書房とは、瓜生崇さんたちが作り上げた電子書籍出版社です。今回の再版も瓜生さんのお勧めによります。
 また電子書籍化の細かいパソコン作業などは柳衛悠平さんがすべてしていただきました。ここにご両人にこころより御礼申し上げます。
 現代では紙媒体(本)ばかりでなく、電子書籍の需要が伸びているそうです。特に若い世代には訴えるところが大きいと思います。
 もはや紙であろうが、電子であろうが、使えるものはすべて使って、仏法の〈ほんとう〉を表現していく時代に入ったようです。
 ぜひ一度ご覧になって下さい。
 
●2016年2月5日●
肉親を失った程度のことで、ひとは聞法を始めない。ということは、聞法はひとのいのちよりも重いものなのかもしれない。
肉親の死も、あくまで聞法のきっかけである。私が僧侶になって、この四十年くらい、肉親の死という切実さが聞法の縁になるに違いない、これ以外にはないというくらいに思い詰めていた。ところが、そうでもなさそうだと近頃思う。
聞法のきっかけは、ほんの些細なことなのかもしれないし、またひとが決して教えることのできないものでもある。あることが、ひとによっては物凄く切実な問題になる場合もあるが、ひとによっては、取るに足らないことでもあったりする。
宗教的なこととは、日常生活の中において、「微細」なことなのかもしれない。でも、指先に刺さった棘がチクチクと痛み、気になって仕方がないように、その「微細」なことが、気にかかって、ついついその「微細」に連れ戻されてしまうようなことかもしれない。
それは自分でも、まだはっきりとは認識できない質のものなのだ。
お釈迦さんは見てしまったのだ。田を耕すときに虫が顔を出し、その虫を鳥が空から降りてきて、ついばんで食べてしまった。そのときの光景に憂いを感じたとは。それは、まだ本人も自覚をしていなかった、悟りの予感だったのだ。
私たち現代人が聞法を始めるというのも、そういう質の予感なのだろう。
肉親を亡くして悲しむことが聞法の縁につながることは稀だ。世間では「時薬」とかいって、時間が経てば悲しみは薄らいでいくという。そういう場合も多い。誰しも通る道だから、辛く悲しいことは忘れて、前を向いて生きましょうと世間では慰められてしまう。一方で、時間が経っても悲しみが去らない人びともいる。様々だ。忘れられないということもあるし、早く忘れたいということもある。
それは自分と肉親との親密度の度合いによるのかもしれない。わが子に自死されて、見る影もなくやつれていく母を見た。常に、在りし日のわが子をイメージしてしまうのだ。忙しさに紛れているときは忘れているのに、ふっと我に返ったとき、そのイメージに占領されてしまうのだ。
厳しいようだが、人間というものは、それほどまでに我執の強い生き物だと教えられる。
愛が深ければ深いほど、執着が深くなる。愛は執着だから「愛執」といわれる。それは善悪の問題ではない。人間の愛情とは煩悩だから、仕方がない。
これも厳しいようだが、ひとは、ひとのために泣けない生き物なのかもしれない。
肉親の死より、自分自身の執着が打ち砕かれていく。そして、「一人一世界」へとたち戻されていく。
わが子がなぜ自死したのか、その理由は母にはわからない。しかし、その子ども自身にもわかっていないのだ。理由も無しに人間はいのちを絶っていく生き物なのだ。不可解な生き物なのだ。他者も、そして自分自身も。
母は、「理由」を知りたいのだろう。納得したいのだろう。でも、理由を聞いたところで、それで納得できるものではない。人間の、その母の執着は底無し沼のように深いからだ。 そのとき、わが子に執着する我が姿が、仏法の鏡に照らされる以外にない。その鏡にどんな姿が映ったか。それは「わが子」という我の執着が、己自身をギリギリと縛りつけている姿ではないか。そこに「わが子」はいないのだろう。母の執着する「わが子」だけがあるのみだ。
「夫は夫自身を愛するがゆえに妻を愛し、妻は妻自身を愛するがゆえに夫を愛す」とは安田理深先生の言葉だ。
 私自身が私を愛する、そのために肉親を利用しているに過ぎないのだ。これも厳しい真実の言葉だ。でも、それは誰もが否定することのできない〈ほんとう〉の言葉なのだ。
やはり、「一人一世界」へと静かに帰される以外にない。独生、独死、独去、独来、無有代者だ。
ひとは何のために生きるのか?
その理由を教えられていない。
だから、今日も生きられるのだろう。
進歩しているか、成熟しているのか、はたまた退歩しているのか。それすらわからないのだ。
そうなってくると、いま、ここ、わたしが、宇宙の中心なのだと思われる。

起きて半畳、寝て一畳か。

●2016年1月31日●
落としとごろが、最初から分かっていて、書かれた文章は、あまりにみえみえで、面白味にかける。
そういう文章は、「教化」とか「布教」とかいう坊さんのよく使う手だ。
それは、自己表出でなく、指示表出になる。表現そのものを楽しんでいない。表現をするとき、表現をすることで、読者に表現以上の何かを期待しているのだ。
悪くいえば、それは「啓蒙的」である。
自分は何かを知っていて、その知っているものを誰かに教えようとする。
それが、学生だつるとか、ふみ沙汰するとか、賢者の振る舞いと批判されてきたところだ。
自己表出は、表現している作者が表現に驚き、改変されることである。
宗教表現は、自己表出でなければならない。
自己表出の源泉は、原始人のうめき声である。何も期待していないところのものだ。
●2016年1月30日●
無為にして化す
東京教区の報恩講が終了した。拙組(東京六組)が当番組だったので、28日の晨朝法要に参詣するために27日から泊まって、28日終了まで真宗会館にいた。
これほど長い時間、報恩講にとどまったことはなかった。28日の日中法要から池田勇諦先生のご法話まで、講堂は満席だった。
池田先生は、報恩とは、知恩・報謝であると教えて下さった。知恩ということが抜ければ、報謝は「感謝」一般と何ら変わりがないと痛烈に批判された。まあビギナーズラックのようなことで、いままで真宗を聞いたことのないひとが教えを聞いて感動し、教えに出会えたことを「感謝」するということは、誰しもが通るところである。
しかし、その感謝とは、ものをもらって感謝するとか、お世話になったひとに感謝するとか、そういう「一般的」な感謝とどう違うのかを吟味せよというお示しだったように思う。
また、真宗を聞いたものは、聞いただけで個人的に喜んでいては、証(あかし)がないともいわれていた。聞いたひとは聞いた責任が生まれ、現代の社会のことについて積極的に発言していくべきだともいわれたように記憶している。
まあ、これも池田先生の受け止めた世界だから、このことについてひとがとやかく言うこともはばかられる。

私は、報恩講とは、背恩と忘恩の自覚なしには成り立たないと思っている。〈ほんとう〉の報恩講とは、もはや報恩などと言っておれなくなるのが報恩講である。法蔵菩薩のご苦労を思えば、「有り難うございます」などと呑気なことはいっておられない。そんことを言っている暇があるのならば、自分のやるべきことに精を出せということだ。

私は若いころ、恩徳讃を歌えなくなったことがある。恩徳讃とは親鸞の『和讃』で、「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も 骨を砕きても謝すべし」だが、これにメロディーをつけて法話会の最後に皆さんで歌う習わしになっている。
これが歌えなくなった時期があった。なぜならば、自分は、そんな決意も感謝の念ももっていなかったからだ。身を粉にしてとか、骨を砕きなど、とんでもないことだった。だから、みんなが歌っても自分は黙っていた。また、みんなの歌声が、白々しく聞こえてきた。みんな、そんなことを本気で思っているのかと。
だが、あるとき、その幻想が砕け散った。それは、恩徳讃とは、恩徳に感謝できない者が歌う歌だと気がついたからだ。感謝ができるようになってから歌う歌ではなく、まったく如来の恩徳など微塵も感じていない者が「報ずべし、謝すべし」と命令を受ける歌なのだ。自分が歌う歌声は、そのまま自分に対する命令だったのだ。
それから歌えるようになった。
だから、自分も感謝できる自分になりましたという表明ではまったくなく、どこまでも感謝も報謝の念も存在しない自分であることを確認し、その自分に対して如来が命令して下さっている歌だったのだ。
自分は、感謝に対して無感覚であり、そんなものとはまったく違う世界に住んでいることを教えられるのみである。

真宗とは、無意味に一生を捧げるという壮大なロマンであった。
●2016年1月25日●
宗教言語は、「自己表出」でなければならない。「指示表出」であってはならない。これらは吉本隆明の用語だ。
オースティンの「言語行為論」でいえば、発語行為であればよいので、発語内行為や発語媒介行為であってはならない。
つまり、発語された言葉、表現された言葉そのものが美であり、真を表現していればよいのだ。その表現に、表現者自身が感動し、こころ打たれていればよいのだ。また打たれていなければ、それは自己表出にはならない。
詩が手本だ。親鸞は、和讃をたくさん作っているが、たぶんあれも詩情でつくられている。まあ、あれもかなり窮屈な感じだ。経典などの言葉を表現の枠にはめているから、自分の創造意欲そのものが自由には遊んでいない。ただ、自由な表現は、出典が明記できない数首しかない。
まあ表現には必ず、枠というか決め事という箍(タガ)が必要だともいわれる。そのタガがあるから、ようやく沸騰する情念を冷却し、他者が読んで納得できる飲み水に変換できるのだともいわれる。だからコードは必要なのだろう。
それは、作者と編集者の関係のようでもある。作者は沸騰する情念のままに執筆したとしても、編集者という冷却装置を通して、ようやく一般の人びとが読める文章へと稀釈されて、普遍性を醸しだす。
親鸞は『顕浄土真実教行証文類』という、一見論理的にみえる作品を作っている。まあ執筆の第一義的動機が、師匠・法然教学の弁明だから仕方がない。当時の第一級の知識階級へ法然の教学の独創性と普遍性を訴えたのだから、仕方がない。
しかし、その文面の底に流れているものは、絶え間ないポエム(詩情)である。自己表出の劇場である。
それは表現することで、他者に何かをさせようとする指示表出でなく、表現することそのことが目的であるような創造行為である。
 親鸞は『和讃』で、「信ずべし」とか「~すべし」という命令形の表現をとる。それらは、第一義的には「弥陀から親鸞への命令」であり、その命令を聞いている親鸞がそこにあることの詩的表現である。
 決して、親鸞から弟子へとか、親鸞から他者へという命令ではない。それでは、宗教表現が指示表出や発語媒介行為になってしまう。そうではないはずだ。
 それは芸術そのものである。画家は何かのために絵を描くわけではない。詩人も何かのために詩を描くわけではない。ただ、描きたくなるとか、書かざるを得ない欲動に突き動かされて、そうしているだけのことだ。評価は他者がするもので、評価を期待して創造活動をするわけではない。
宗教家もそうだ。このことを表現することで、信者を増やそうとか、信者に感動させようとか、信者を教化しようとか、そういう作為は宗教からもっとも遠いところにある。その意味で宗教家は〈ほんとう〉の芸術家でなければならない。
それが宗教家の基点である。その他のことは、すべて蛇足である。蛇足だからあってもよいしなくてもよい。
●2016年1月22日●
 寒空に、人間の社会で「孫」と呼ばれているいのちを日の当たる場所で見守った。
世間的にいえば、「孫の子守をした」ということになる。
近所は、高僧の建物が多く、冬場はなかなか日当たりのある場所を探すのが難しい。
近所で「三丁目ハイツ」と呼ばれている公団住宅の南側の公園へ連れて行くことを思いついた。
この公園はけっこうな広さがある。片隅には、ジャングルジムのような遊具も置かれている。ここは日当たりがいいし、北風を遮られるので、数人のママが子どもを連れて遊ばせていた。
野良猫のために誰かが、餌を置いているのだろう、鳥たちがおこぼれを狙って木々にとまっている。オナガにスズメにムクドリやヒヨドリなどが、それぞれ群を成してとまっていた。孫は鳥たちに見とれていた。
まあ、ママたちと子どもたちが数人いて、思い思いに遊んでいる。
こっちは孫連れとはいえ男だし、ちょっと、その中に入っていくには多少の勇気が必要だった。しかし、孫はそんなことはつゆ知らず、よちよち、よたよた(時々転ぶ)と子どもたちのいる方へ歩いていく。
私も仕方なく、それに従った。遊具の近くで遊んでいると、近くに二歳児くらいの子どもが近寄ってきて、石を手渡してくれた。孫にくれるのかと尋ねると、首を横に振り、私にくれた。孫も石をもって、その子に渡そうとしているのだが、その子は無視している。まだ言語を発しないので、コミニュケーションがとれない。
子どもを面倒みている親同士が、子どもから目線を話して他の親に向かって「おはようございます」と挨拶をする。
そのママは「こないだも会ったね」と孫に向かって語りかけた。まあ孫は無視している。孫は、すでに「公園デビュー」を果たしていたわけだ。爺の私こそが初の「公園デビュー」だったのだ。
こういう場合にはどういうふうに言葉を返せばよいのか、なかなか緊張する場面だった。子ども同士の名前を他己紹介すべきかどうか。相手の子どもの年齢などを尋ねるのが礼儀なのかどうか。あるいは季節のことなどに触れるべきなのか。いろいろと考えは出てくるのだが、言葉はうまくまわらない。
公園にいるのは、すべて、いわゆる「ママ」と呼ばれる年齢の人びとだった。たまにおばあちゃんらしき年齢のひともいた。まして男で、爺は私一人だった。
向こうからどう思われているかなという意識も登ってきたが、その意識は無視しておいた。取り合っても、どうしようもないからだ。
ひたすら孫がその場所に居やすいように振る舞っておこうと思った。彼もその場が気に入ったみたいで、もくもくと地面の砂をいじっていた。たまに砂を見つめて、そのまま口に運んでいくので、それだけは制止した。
30分くらいその場にいただろうか。頃合いを見計らって、抱っこして戻ってきた。
何とも、新鮮な時間だった。
ことばを話さない存在は、私を照らす鏡のような存在だ。
●2016年1月17日●
1月15日、軽井沢のバス事故で14名の方が一度に亡くなった。
運転手と副運転手を除けば19歳~22歳までの若人たち12名のいのちが一度に亡くなられた。
バス事故は数年おきに起こっている。行政は規制強化で事故を防ごうとしてきたが、うまくいかない。事故原因を徹底的に究明すると、これも事故処理としてはお定まりの言い方だ。バス会社と企画した観光会社を徹底的に捜索している。
人間の世界は、原因をひとつに絞らなければ気が済まない。つまり「悪い奴」をあぶり出して、そいつに罪を償わせなければ気が済まないようになっている。遺族も、誰かに責めを負ってもらわなければ気が済まないのだろう。
昨日の新聞に同僚の運転手らしきひとのコメントが載っていた。あそこはカーブが多い場所を抜けてようやくゆるやかな下り坂になるところで、居眠り運転をする可能性はまずない。また、あの場所は野生動物が飛び出す場所で、イノシシや鹿が道路を横切ろうとして、それを避けようとしてハンドルが操作不能になったのではないかともあった。
もしかしたら鹿がヘッドライトの明かりに驚いて、道路を横切ったのかもしれない。それを避けようと運転を誤って、右側へ転落したのが真実かもしれない。しかし、もしそれが真実だったとしても、誰もそれを証明することはできないだろう。真実は神のみが知るところなのかもしれない。
残された家族は、あまりに突然の出来事にショックを受け、放心状態のあまり、現実感覚が溶解していることだろう。私たちの自我は「家族」という皮膚で守られて形作られている。その皮膚が一気にはぎ取られるのだから、自我は瓦解寸前になってしまう。葬儀という儀式は、その剥き出しになった自我を少しずつ修復する営みである。
先日、3・11の津波で犠牲になった家族の言葉を聞いた。そのお父んは消防隊員で、妻と子どもを津波で亡くした。お父さんはもし自分が消防隊員でなければ、家族を助けることができたのではないかと、いまも悔いていると言っていた。もう5年にもなるから周りの人たちとは明るく接しているが、自分一人になったときには、まだ涙が止まらないのだとも語っていた。
残された家族は、その悲しみをどうしたらよいのか、途方に暮れてしまうものだ。
しかし、その悲しみを背負いながら、残された人生を生き続けなければならないのだから、とても辛いだろう。
 こんな言い方をすれと叱られるかもしれないが、亡くなられたひとたちは、もはや痛みも苦しみも感じることはない。ただ残された家族がこれから痛み苦しみを、一生背負っていかざるをえないのだから、亡くなった人間以上に大変なのだ。
ほとほと、人生とは、「まさか」と「想定外」の頻発する戦場ではないかと思わされる。まあ人間の世界では、誰か悪い奴を血祭りにあげないと気の済まない世界であるが、仏さまの世界から見たらどうだろうか。
仏さまの眼から見たら、今回の事故の関係は、すべてが被害者なのではないだろうか。
そこには誰も加害者はいないと仏さまは言うのではないか。
誰も人びとを傷つけようなどとは、これっぱかしも思っていないのだから。ただ一瞬の魔が、事故を引き起こしたのではないだろうか。それだからといって安全のための規制を軽くしてよいなどとはまったく思っていないのだが。安全規制をしても、数年おきに起こる事故は、規制だけで防ぐことができないことを証明しているのではないか。

ひとのいのちを年齢で比べてはダメなんだと思う。一歳で亡くなったひとは可哀相で、百歳で亡くなったひとは当然というわけにはいかない。
比べることは、いのちそのものを冒涜していることだと仏さまは言っていると思う。
本来、比べることのできないものなのに、人間は比べるという煩悩で仏さまを冒涜する。亡くなられた方々は、もはや「諸仏」である。この世の痛みや苦しみや悲しみという俗世間から抜け出て、お浄土で仏さまと成られたのである。
そうは実感として思えなくても、そのように「教え」として受取るべきである。
この世は、宿業の縁で成り立っているので、「人間の都合」で成り立ってはいないからである。生まれるのも、死ぬのも、「人間の都合」ではない。ということは、〈いま〉ここで息をしていることも「人間の都合」ではない。
それを忘れて「人間の都合」でなんでもできると思っていることが間違っていたのだ。
お釈迦さんは、「誕生」こそが死ぬ原因だと見抜いた。事故や病気は死ぬ「条件」に過ぎない。
「誕生」は「人間の都合」ではない。奇跡だ。
この世に身を投げ出して生まれてくるのは、やはり仏さまにすべてを投げ出したことではないか。死の縁は無量に転がっている。
そのいのちの真実が今回のバス事故でより明らかになったのではないか。
「人間の都合」でひとつも成り立っていなかったのだ。
残されたものたちが、故人を「諸仏」と仰げるのかという課題が生まれたのだ。
この私も同じ場所に立っている。その課題の場所に。
●2016年1月9日●
私がこの世を生きるときの 一番底にある根本感情は何か?
ニヒリズムか、それとも温もりか。
「畢竟依」とは、生きるための根本感情なのだろう。

六十一年生きてきて〈いま〉があるのではない。
過去も
未来も
すへでが
〈いま〉の内容である。

そして、いつも自分にとって眼前に広がる世界は、未知の世界である。

お釈迦さんは「縁起の法」を悟ったという。
それは般若心経ならば、「色即是空」だ。しかし、それは、迷いを破る慧日であるが、それだけでは、救いはない。それだけではニヒリズムに傾斜する危険性が残る。一尊教の危険性が。

それが救いにつながるには、「空即是色」がなければならない。「空即是色」は、阿弥陀の本願からしか生まれない。存在の絶対肯定だ。
「色即是空」は、お前の考えているのはすべて迷いだ、目覚めよと迫ってくる。すべてが縁起だから、実体は何もないのだ、何もないものを有るかのように錯覚しているだけだと。
迷いを一刀両断にする。
 しかし、それだけだと迷いが断ち切られただけで、救いがない。受け皿がない。
その底には慈悲がなければならない。また慈悲から生まれた「慧日」でなければ、本当の破闇にはならない。

親鸞は「無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり」という。たしかに闇は破られなければならないのだが、ただ破っただけでは、何もなくなってしまう。破ったあとに、違うもので満たされなければならない。
それが「円融至徳の嘉号は、悪を転じて徳を成す正智」と補ったのではないか。転ずるのだから、何かを切り捨てて無くしてしまうことではない。転ずるためには同じだけの質量が必要だ。氷が溶けて水になるように。煩悩が溶けて菩提の水になるのだ。

親鸞はそれを知っていて。
「光明は智慧なり。智慧はひかりのかたちなり。智慧またかたちなければ、不可思議光仏ともうすなり。この如来、十方微塵世界にみちみちたまえるがゆえに、無辺光仏ともうす。」(『一念多念文意』)
 智慧は迷いを破る鋭い刃物だ。破られたあとには、「みちみちたまえる」ものがなければならない。それを無辺光仏と補った。無辺とは、あらゆる場所に遍満しているからかたよることのない仏といったのだ。

ネットをみていたら、「スキルス性胃ガンに罹ったママの本音」に出会った。

鏡をみるたび
痩せて棺に入る自分を浮かべてしまったり
両手を見て、指先にまで癌がいるのかな?とみたり
足先みて焼かれちゃうのかな?とか
物を食べても意味があるのかな?とか
はてなだらけ。
多分こんなこと言うと
かなり精神的に‥とか思う人もいるかもしれない。
でも、ヤッパリ頭から離れないょね

ニンジンジュースで気合いだぁ。
キノコだ!!
なんて最近飲んでたけど、食べてたけど
飲んでた、ある人が同じステージの癌なんだけど
一年で、亡くなっていたり…
みんな、こんな思いどうしてるんだろ…

眠れないの? 眠剤のめば?っていわれるだけかもだけど、
今日は丸1日、休まず家事と二時間かけて
でかけて、帰ったの5時だったけど、そのあと夕食作ったり…

普通にダウンだったけど
なのに朝までちゃんと、眠れない(;(エ); )
むしろ下痢

癌になってから
ほんとに、最悪だぁぁ

なんでなんでなんで
なんであたしが…!!

道行く人が笑ってるのみて老人みて子連れみて
なにをみても、羨ましくて憎たらしくて。

母も、ドライブいったけど やはり、あたしを気遣う。
ほんとなら逆なのに、申し訳なく思うし。

もう二度と心底、笑えないと
癌と告知されてから、考えたけど。
笑わなきゃ免疫力が、どうとか
いっぱいいっぱい聞いたけど
意外に難しい…

ママの本音は、ほんとうの、嘘偽りのない本音だろう。
しかし、それを読んでも、誰も彼女のように切実に実感することはできない。同じような境遇のひとでも、彼女とまったく同じというわけにはいかない。ただ自分に置き換えてみて、「さぞや、辛いでしょうね…」という程度のことでしか受け止められない。
 そう思うと、人間は絶対の孤独以外にないのだと、あらためて剥き出しの実存に帰らされる。
 それはたぶん仏さんの智慧のはたらきだろう。仏さんの智慧は〈ほんとう〉ということだから、〈ほんとう〉のことは人間にとって劇薬なのだ。
 しかし、その〈ほんとう〉を示したあとで、それを救い取る慈悲がなければならない。
彼女の辛い思いをうっちゃってしまい、その後で、彼女と一心同体になって受け止めて下さる慈悲だ。
 ギリギリのところへいけば人間は自分自身をも見捨ててしまう生き物だ。たとえ見捨ててしまったとしても、投げ出して泣き叫んだとしても、その後に、それを受け止めて下さるものがなければならない。
 人間の思いを突き破って、根本的に支える「根本感情」を慈悲と親鸞は語ったのではないか。
 所詮人間は、テロリストにも傾斜する怨みをもって生まれてくる。まさに未生怨だ。
その感情を転じて、「温もり」へと昇華する。自分を支えている「根本感情」の転換が必要なのだ。
 
●2016年1月2日●
修正会の法話は、良寛さんの言葉から始まった。
「災難に遭う時節は災難に遭うが良く候。死ぬる時節には死ぬが良く候。要はこれ、災難をのがるる妙法にて候」と。
これがお正月の「めでたさ」をもっとも象徴した言葉である。
真宗はとにかく面倒な宗教だ。元日にひとと会えば「おめでとうございます」と挨拶をします。それが常識です。しかし、真宗は、それでは「めでたい」とはどういうことか?と問い返します。さらに「〈ほんとう〉にめでたいとはどういうことか?と問われます。
そうやって問い詰めていったら、良寛さんに突き当たりました。
災難を逃れる方法は、災難を受け入れるこころ以外にないというのです。それを私流につ決めれば、「誕生こそが災難」という言葉になりました。
誕生はめでたいのかといえば、まったくめでたくありません。なぜなら、必ず死ぬいのちを手に入れたからです。この世の価値をすべて奪い尽くしてしまう死が与えられたのです。これこそ最大の災難です。
ということは、この元旦こそ、まさに災難の渦中なのです。災難を大地に、そのうえに辛うじて生が展開しているのです。
生が大地なのではなく、災難こそが大地なのです。そこにいつでも帰ることができれば、それこそ安心の大地となりましょう。まさに「地獄一定」です。
世間の「めでたい」は、この災難から逃れることで汲々としています。今年一年平穏無事に生きられますように、安全に安心で安泰な生活をいただけますようにと。それは人間の「願い」、つまり煩悩です。それでは〈ほんとう〉の安心にはなりません。何がきても災難の渦中なのだと開き直る原点以外に安心はないのです。
災難から逃れよう逃れようとする意識では不安以外にないでしょう。逆に、災難を受け入れ、災難の上に生活すれば、ほんの少しのことでも「しあわせ」が感じられます。
新年早々、『白光』とかいう雑誌が送られてきました。何やら世界平和を祈っている宗教らしい。自分の平和や幸福を優先するのでなく、まず世界の平和や幸福を祈る、そうすれば自分の平和も成り立つという。これは、いいことで、誰も批判や非難をすべき余地がない。それは誰しも願っていることだろう。
しかし、そんなことは敢えていうまでもないことのように感じる。「いいこと」の一番の問題は、誰からも非難されないところだ。難癖をつけられないところだ。世界平和を掲げて人間は侵略戦争を起こすことも可能だからだ。あの「八紘一宇」の精神は美しい、誰も非難できない「善きスローガン」だった。ただこの「善きスローガン」が一番危ないということを人類は知ってしまった。
だから、我々真宗大谷派は、表だってあまり「平和、平和」とは叫ばない。まず個人個人の信仰、信心が大切だと主張する。それは「善きスローガン」の危うさを知っているからだ。
誰もが非難できないスローガンを立てないことだ。「善さ」の危うさを充分に知り尽くしていなければならない。

我々はみんな「被害者」として誕生したのだ。必ず死すべきいのちとして誕生させられたということは、被害者として誕生させられたのだ。だからあのパリのテロリストを我々は非難できない。彼らの被害者感覚と私の感覚は同じだからだ。
その被害者意識が、どうやって加害者意識に転ずるかだ。
それを教えるのが親鸞の「悪人成仏」という思想である。親鸞のいう「悪人」とか「罪悪深重」とか「凡夫」とか「愚人」という表現は、すべて加害者としての自覚の言葉だからだ。
だから、親鸞思想は世界思想なのだ。被害者意識を加害者意識に転ずる。
自分が加害者だとして罪を自覚するとき、ひとはテロ(報復)をしようとする意識が転ぜられる。

●2015年12月26日●
今日、20歳過ぎのひとが亡くなられた。入院、三日後だった。風邪の病原菌が問題だったとか。いままで大した病気もせず、ごく普通に暮らしていたひとだったという。
ご家族は、あまりのショックにうろたえ、涙すら出てこない。
そんなことが、なぜ、いま、ここで、起こったのだろうか。
それに対して、人間は答えを持たない。
絶句する以外にない。
それを、生きている人間の意識の中に取り込んで、様々に解釈して意味づけてみても、そんなものは、死という厳粛な事実の前に、脆くも崩れ落ちる。

そして、いままで、平々凡々とか、つつがないとか、在り来りのとか、同じことの繰り返しだとか、年末とか、正月とか、そういうふうに思い込んできた日常意識がズタズタにされてしまった。
一寸先は闇ということが、いま、ここに生きていることの〈ほんとう〉の姿だったのだ。 その姿が剥き出しにされてしまった。
でも、それは実に透明ではないか。
一切の人間の意味づけという重い鎖から解き放たれた、生々しい〈ほんとう〉の姿が剥き出しにされた。
そこには親であるとか、子であるとか、男であるとか、女であるとか、若いとか老年とか、病弱とか健康とか、そんなことを完全に超越した透明感がある。
むしろ、その透明感が、人間に向かって「どうだ!」と迫ってくるようにも感じる。
これはまったく「一人一世界」の出来事である。
他者が代わりようもなく、また代わってあげられるという傲慢な意識すらも拒絶された、厳粛な「一人性」の出来事である。
その厳粛な事実の前に、こころが解体されて、無防備に、そこに座すのだろう。
こころを閉ざしてではなく、どこまでもこころを開いて、座すのだろう。
 
●2015年12月24日●
人生は、すべてが結果である。結果しか教えられていないのだ。
一瞬一瞬が、なぜ生まれてきたのかという問いに対する答えである。
私たちには問いしか与えられていない。理不尽で不条理なことでしかない。だから「なぜ」と問う。問いしか許されない。答えはすべて阿弥陀さんしか知らないのだ。
その「問い」が問いに満足すると、答えを必要としなくなるのだ。
そこで初めて「南無」が成立する。
●2015年12月3日●
マザー牧場と神野寺にいってきた。
 マザー牧場は、孫に牛を吸わせるためで、神野寺は親鸞聖人座像を見学するためだった。
牛小屋の空気には免疫力を上げるバクテリアがあるらしく、この空気を吸うと免疫力があがるというのだ。当日は天気良好風強しという天候だった。何十年もまえにマザー牧場は訪れたが、記憶にほとんどなかった。意外に山岳まではいかないが、傾斜の強い丘陵地帯に牧場はあった。思ったほど動物はいなかったが、目当ての「牛吸い」は成功した。
 その後、鹿野山神野寺(カノウサン・ジンヤジ)を参拝した。
因速寺からはアクアラインを通って75キロほど、約1時間20分ほどでいくことができる。そもそも、ここになぜ親鸞の木製座像があるのか、これが謎だ。ことの発端は吉本隆明さんが耄碌して、「親鸞は晩年、房総半島の突端へいった、そこで親潮と黒潮とがぶつかる光景を見た。まさに往相還相のぶつかる場所へ行った」などと言ったもので、まさかと思い、ろいろいと調べた結果、まさに「瓢箪から駒」という感じで発見した。
 行った時刻は3時過ぎだったが、大型観光バスが何台か駐車場に停まっていて、参拝客が大勢いた。なぜ、こんな房総半島のあまり有名でもない寺へと思ったのだが、彼らの参拝目的は、境内にある紅葉で、後は、お定まりの祈願のおまいりだったようだ。
小生の目的の親鸞座像は、「宝物館」に収蔵されていた。ほかにも、兵馬俑の人形やら左甚五郎の白蛇や獣の剥製やら、諸仏諸菩薩などが展示されていた。拝観料の500円を払えば誰でも拝観可能だ。しかし、観光客の観光ルートにはなっておらず、宝物館は我々しか入るひとはいなかった。宝物館の親鸞座像の前には、次のような説明があった。
(親鸞聖人ご自作の像)
「時の住職宥尊(ゆうそん) 大僧都は、上総介廣常(かずさのすけひろつね)の孫で、二郎堯常(じろうたかつね)と称し18歳で発心し、先代住職寂蓮法印により得度を受けた。寂蓮法印は、当時顕密の頭領として関東に名を轟かせた徳の高い僧であったが、縁浅く宥尊(ゆうそん)僧都は親鸞の巡錫に遇い、親鸞の流派に属した。(元仁元年、1224年6月17日)
親鸞と宥尊(ゆうそん)僧都は、大変親しい間柄であったのと、親鸞は当山に香花供養の誠を捧げて17日間の修行を励み、薬師如来・軍茶利明王の両本尊に巡拝するとともに念仏三昧の祈念をおこたらなかった。この様ないきさつから52歳の御自身の像を刻み、のちに当山に奉安した御影像(は、みえぞう)です。
  宥尊(ゆうそん)大僧都より永正元年(1504)まで280年間浄土真宗に属する。」
(親鸞上人御自刻像「浅草本願寺出張記録などがある」)と看板に書かれていた。

そこで出てきた疑問を羅列する。
①宥尊(ゆうそん)ってだれ?
 『親鸞聖人門侶交名牒』や『法水分流記』にもこの名前はない。
ネット検索でひっかかった「宥尊」は「正平15年(1361年)に常陸国久慈郡上岩瀬(常陸大宮市)で生まれ」云々とあり、時代が違うので別人と考えた方がいいだろう。
②「親鸞の流派に属した(元仁元年、1224年6月17日」という記述は、親鸞が『顕浄土真実教行証文類』(化身土巻にあり)を執筆中の年代と一致する。このことはどういう意味をもっているのか?
『親鸞面授の人びと』(自照社出版)の中で大網信融さんが、次のように記している「(親鸞は修験系のつながりを持っていたようだ。(略)この関係を補完する話が千葉県君津市の南に位置する鹿野山の修験にあった。鹿野山の修験には、鎌倉時代の初期段階で既に熊野信仰が入ってきていた。『鹿野山一覧記』には、元仁元年(1224)親鸞52歳のとき、『教行信証』の成就を祈って下総与沢から鹿野山に参詣したことが記されている。鹿野山信仰の中心の神野寺は、聖徳太子開基説があり、この『神野寺旧記』には、山に登った親鸞が激しい風雨で道に迷い、貧家の老人に助けられ蓑を借りたと伝える。また、神野寺宝物には親鸞自作像がある。鹿野山は、明応年間(1492~1500)頃まで念仏系のそれも浄土真宗系の山になっていたという。」とある。

しかし、これを反証する浄土真宗系の資料はあるのだろうか?ご存じのかたはお教え願いたい。
一応、神野寺の資料を下記に記しておく。

鹿野山 神野寺(かのうざんじんやじ)
正式名 鹿野山琳聖院神野寺
本尊 薬師如来・軍荼利明王
住所:〒292-1155千葉県君津市鹿野山 ℡0439-37-2351

(御縁起)パンフレット
「推古天皇六年(598)、聖徳太子の開山により始まる。天安元年(857)には、慈覚大師が再興している。平安時代から鎌倉時代にかけては、天台の道場として栄えた。永正年間(1504~)には、高野山から弘範上人が来山して、真言密教の法灯を立てた。弘範上人は、真里谷城主(木更津市真里谷)真里谷信勝の協力を得て、荒廃していた神野寺を復興している。さらに、天文年間(1532~1555)には、里美義堯が神野寺を帰依し再興をはかった。天正18年(1590)徳川家康が関東を領有すると、同年7月神野寺に朱印の禁制を与えた。それによると、軍勢などが神野寺に対して乱暴することや、放火などを厳禁している。天正19年(1591)に家康は、寺領並びに格式十万石の大名格を寄進している。また、この年に、家康は家臣である佐貫城主内藤家長に、伽藍や僧坊を造営させた。元和7年(1621)12月坊中から出荷して、堂宇を焼失した。その後、第7世の源瑜が、中興し、新義真言宗の法灯火を伝えた。源瑜が、新義真言宗の祖である。また、14世利跚(王篇+冊)も堂宇や僧坊の復興を計画し、宝永5年(1708)に再建に成功した。
この時、松平勝隆は、用材を寄進して、利跚(王篇+冊)に協力した。現在の本堂は、この時建設されたものである。大正6年(1917)9月30日、台風の襲来によって、樹齢数百年を数える巨木数十株が倒れたほか、仁王門、表門その他の建造物が倒壊した。その後、数年にわたって、境内の杉などの樹木が次々に伐採され、亭々として、空をつくようにそびえていた、神野寺の杉林は見る影を失ってしまったのである。その後、第30世楠純隆が、再建や修繕に力をつくし、ようやく、昔のような神野寺の景観を取り戻した。現在は、真言宗智山派に属し、境内地(13.3ヘクタール)には、仁王門・本堂・経堂・六角堂・鐘楼堂・五重塔・天満宮・奥の院・表門・宝物殿・太子講堂・道場・宿坊・庫裏・茶室などが点在している。」

(参拝券)
「当神野寺は、山号を鹿野山と称し、日本武尊東夷阿久留王を征討せし旧跡。推古天皇即位六年九月厩戸皇子聖徳太子の創建。 本尊薬師如来及軍茶利明王。慈覚(天台)親鸞(真宗)其の他の高徳止住。永正元年高野山弘範真言の道場となし、源頼朝を始め、北条、足利、上杉、里見、徳川等諸公信仰せられ、後水尾天皇勅願時となし給う。又嵯峨御所の信仰も厚く総房三州の民衆は氏寺として信仰今に厚し。」

「神野寺ホームページより転載」
(神野寺縁起)
推古天皇6年(598)聖徳太子の開山により始まりました。現在の地名ともなっている鹿野山は、当山の山号であり、太子が当寺を建立する際、野生の鹿が沢山集まった事からインドのお釈迦様の初転法輪の地(鹿野苑)にちなみ、山名を名付け「鹿野山」名称の発祥の寺院であります。現在では、熊野峰(鹿野山神野寺)・白鳥峰(白鳥神社)・春日峰(春日神社)の三峰を総称して鹿野山といわれており、ご祈祷(お祓い・お参り)の霊山です。天安元年(857)には、慈覚大師が再興しています。平安時代から鎌倉時代にかけては天台の道場として栄えました。永正年間(1504)には高野山から弘範上人が来山して、真言密教の法灯を立てました。弘範上人は、真里谷城主(木更津市真里谷)真里谷信勝の協力を得て荒廃していた神野寺を復興しています。さらに、天文年間(1532~1555)には里見義尭が神野寺を帰依し再興をはかっています。天正18年(1590)徳川家康が関東を領有すると、同年7月に神野寺に朱印の禁制を与えました。それによると、軍勢などが神野寺に対して乱暴することや放火などを厳禁しています。天正19年(1591)に家康は寺領並びに格式十万石の大名格を寄進しています。また、この年家康は家臣である佐貫城主内藤家長(富津市佐貫)に伽藍や僧坊を造営させました。元和7年(1621)12月坊中から出火して堂宇を焼失しました。その後、第7世源瑜が中興し新義真言宗の法灯を伝えました。また、第14世利珊も堂宇や僧坊の復興を計画し、宝永5年(1708)に再建に成功しました。この時、松平勝隆は用材を寄進して利珊に協力しました。現在の本堂はこの時建設されたものであります。大正6年(1917)9月30日台風の襲来によって、樹齢数百年を数える杉の巨木数十株が倒れたほか、仁王門・表門・その他の建造物が倒壊しました。その後、数年にわたって境内の杉などの樹木が次々に伐採され神野寺の杉林は見る影を失ってしまいました。その後、第30世楠純隆が再建や修繕に力をつくし、ようやく昔のような神野寺の景観を取り戻しました。現在は真言宗智山派(総本山が智積院、大本山が成田山新勝寺・川崎大師平間寺・高尾山薬王院)に属し、境内地(約40,000坪、東京ドーム約3個分)には仁王門・本堂・経堂・六角堂・鐘楼堂・五重の石塔・天満宮・奥の院・表門・宝物殿・太子講堂・道場・宿坊・庫裏などが点在しています。
●2015年11月29日●
ハダカの王様を、「ハダカ」と言ったのは子どもだった。
11月26日、本山御正忌報恩講法話の依頼があり京都までいってきた。昔は「改悔批判」という名前で呼ばれていたコーナーだ。いまは「報恩講法話」と改名されている。初めに門徒が5分程度、自分の信仰の在り処を語り、その後坊さんが15分程度、法話をするという形式だ。
私は、開口一番「親鸞聖人と私の信心はひとつです」と語ってみた。聴衆は果たしてどんな顔をするだろうか。話者の私からは窺い知ることができなかった。それを推し量ってみると、まず「こいつは何ということをいっているのか?」「えっ、親鸞聖人と同じ信心だなんて?」「そんな大それたことを…傲慢な」。おそらくそういう戸惑いと訝しさを聴衆は感じたのではなかろうか。
私は続けて、「以前の自分であれば、『なんと傲慢なことを、思い上がりも甚だしい』と感じたことだと思います。しかし、いまは違っています」と語った。
思い起こせば、この場面は、あの歎異抄後序の「信心一異諍論」の場面の再現だった。あのときは、吉水の草案という法然聖人の塾で、親鸞が手を挙げて「私の信心と法然聖人の信心はひとつです」と語ったのだ。居並ぶ先輩同輩の門弟たちは、この場の聴衆と同じ感情をいだいたはずだ。「なんということをいうんだ?あの高徳な法然聖人と、まだ入門したての親鸞の信心がひとつなど、どうしてそんな傲慢なことがいえるのか?」と感じたはずだ。
その感情と同じ感情が、800年を隔てて、いまここに再現されたのである。そのことにまず、話者である私は感動していた。
歎異抄では、親鸞は知恵や才覚などの知力が同じだといっているわけではない、ただ「往生の信心」は同じだといっているだけだと弁明する。それは、信心云々以前の論理的要請にもとづく発題だった。法然が比叡山をおりて「吉水の草案」を開いたのは、救いの平等性を証明するためだった。位や生れや性別や僧俗を問わない場で救いを証明したかったのだろう。
それを法然は称名念仏という行為に求めた。それを一歩踏み込むかたちで親鸞は問いを出した。称名念仏が同じなのではなく、信心がひとつだと。外面性から内面性に踏み込んだわけだ。
もし救いの平等性が成り立つ場があるとすれば、それは知恵才覚・経験や修行の年数などではなく、人間のあらゆる条件を問わない、「如来よりたまわりたる信心」以外にないからである。
それを親鸞は師の法然に尋ねたかっただけだ。 それも、一対一の場面ではなく、公の前で発題するという逃げ隠れできない場面でやったのである。憶測すれば、そんなことは親鸞と法然が対座する個人的な問答で済ませることができたはずだ。なぜ親鸞は、公然と、衆人環視の中でやったのか。その意図はどこにあったのか。
うがった見方をすれば、法然と直接対決するくらいの思いがあったのかもしれない。もし念仏を行為とのみ受け取れば、それはまだ完璧な「救いの平等性」ではない。あの場面で、親鸞が「法然聖人の念仏と私の念仏は同じだ」というのであれば、まだ法然は返答に余裕があっただろう。
この問いは、すでに他の場面で出されている。これは聖光房との対話である。
「或る時、上人(法然)かの俗をさして、『あの阿波介が申す念仏と、源空が申す念仏と、いづれかまさる』と聖光房(弁長)にたづね仰せられけるに、心中にわきまふるむねありといへども、御ことばをうけ給はりて、たしかに所存を治定せんがために、『いかでかさすがに御念仏にはひとしく候べき』と申されたりければ、上人ゆゝしく御気色かはりて『されば日来淨土の法門とてはなにごとをきかれけるぞ。あの阿波介も仏たすけ給へとおもひて南無阿弥陀仏と申す。源空も仏たすけ給へとおもひて南無阿弥陀仏とこそ申せ。更に差別なきなり』と仰せられければ、もとより存ずることなれども、宗義の肝心いまさらなるやうに、たうとくおぼえて感涙をもよをしきとぞかたり給ける。」(『法然上人全集』745頁、平楽寺書店、「48巻伝」)

しかし親鸞はそこから一歩内面に踏み込んだ。
衆人環視の場面を親鸞があえて選んだとすれば、それは親鸞の仕組んだ作戦ということになりそうだ。つまり、法然に「救いの平等性」を念仏で済ませず、信心といわせたかったということになる。衆人環視の場面だから、もし法然が信心でなく念仏によって平等性を表現すれば、親鸞は法然のもとを去ったかもしれない。
 たま、法然は念仏で「救いの平等性」を表現しているが、それだけでは、先生のおっしゃっていることがまだ不徹底ですよ、信心まで踏み込まないと貫徹しませんよと、師を思う弟子心で、あえて問いを立てたのかもしれない。
あるいは、そんな作戦など立てる余裕もなく、またまたそういう場面が訪れて、そのとき親鸞は思わず手を挙げてしまったのかもしれない。「そういう場面」というのは、「救いの平等性」を弟子たちが互いに問題にするような場面のことである。
だから、親鸞は何も大それたこととか傲慢なことを言おうとするつもりは毛頭なかったのだ。これは法然の救いの平等性を突き詰める理論上の帰結だからだ。法然の理論を突き詰めれば、そういうことになりますよね、と極めて冷静な親鸞の発題だったのかもしれない。門弟たちに対しての親鸞の気持ちは、「別に私は大それたことを言っているわけではありませんよ。先生(法然)がおっしゃってきたことは、そういうことだったではありませんか」という気持ちだったかもしれない。さらに 「もし、大それたこと、傲慢なことと受け取ってしまうのであれば、それは先生のおっしゃることに反することになりませんか」という疑問もあったはずだ。
私自身も、以前の私であれば、「傲慢な、大それたことを、思い上がりも甚だしい」と受け取ったはずだ。ところが、そのように受け取ること自体が親鸞の教えに反することだとわかった以上、そういうことも感じなくなった。
なぜ「傲慢」と感じるのかといれば、信心を人間が努力で勝ち取ることができるように感じているからだ。人間の諸属性によって左右できるものだという理解が、「傲慢だ」と感じさせるのである。だから、この場の聴衆が「傲慢だ」と感じるということは、親鸞の理解した信心とは違った信心をもっていることになるのだ。
だから、逆にいえば、聴衆全員が私の信心と親鸞の信心は同じですといえるようにならなければ親鸞に対して申し訳ないということになる。あえて吉水の草案で手を挙げて、先輩方は怒るだろうと想像しながら発題した苦労を無にすることになるのだ。「傲慢だ」と感じる自分は親鸞に背く自分であるのだ。
 しかし「大谷派」宗門は、親鸞を「宗祖」と持ち上げることによって、逆に、親鸞の信心に背いてきてしまったのかもしれない。親鸞の信心を、とても尊いものとして拝むあまり、自分とは無関係の遺物にしてしまったのかもしれない。そして親鸞がもうすでに「真宗」をすべて明らかにしてしまったという思いにとらわれ、我々は、その親鸞の遺産を食いつぶしていけばよいと胡座をかいてしまったのかもしれない。
 親鸞は「真宗」の一部を明らかにしたので、まだ未開拓でこそある。それをともに開拓していかなければならないと締めくくった。
 親鸞は拝跪するところではなく、踏みつけてきた足下にいたのだ。
●2015年11月13日●
固定観念が崩されたときの快感。
これはゲシュタルト崩壊と同じだ。文字が明確な意味と結びついている状態から、意味が溶解して、文字から遊離し、不思議な記号として見えだしてしまうことをゲシュタルト崩壊という。「観」をずーっと見ていると、なぜこの文字が「観」なのかわからなくなる。
これは信心のはたらきと似ている。
いままで明確だった意味が曖昧になり、違ったものに見えだす。そこには必ず不可思議で曖昧なものと出会った面白みというか穏やかさを伴っている。『仏説無量寿経』には、いままで従兄弟の偉いひとと思っていたお釈迦さんが、実は仏陀だったんだと、目からうろこが落ちた阿難のゲシュタルト崩壊の記録がある。
ところで、実存主義は、「人間とは〇〇だとはいえない」という考えだと定義されていたが、それではニヒリズムになってしまうのではないか。実存主義は、ひとつにはゲシュタルト崩壊の利益をもたらす。自明なものを解体し、すべてに「?」を付けるからだ。
仏教の縁起論も、固定観念を破ることには役立っても、救いにはならない。
すべては因と縁で成り立っているとは仏教の通説だ。しかし、それだけだと、自分が〈いま〉ここにあることをうまく受け取れない。縁起論だけだと、自分の〈いま〉は偶然になってしまうからだ。自分の生を必然と受け取るには、そこに阿弥陀さんがいなければならない。縁起論はニヒリズムにもなってしまう。
ニヒリズムは、超越に接してはいるのだが、まだ人知の内側であり、超越に触れていない。
つまり、人知を自己肯定してしまっているから、感情的な開けはない。その人知を超越の側からながめられなければならない。
その時、開けはやってくる。
小川に浮かぶ小舟に乗っている自分から、小舟を降りて岸から小舟をながめられなければならない。
それが超越ということだ。
超越という言葉も、言葉になってしまえば、超越ではなくなる。
デッサンは影しか描けないのだ。
そうなると、言忘慮絶の境地になってしまうのだが、そのひとの言葉を見れば、そのひとに超越が分かっているかどうかが分かるというものだ。親鸞も「染香人のその身には、香気あるがごとくなり」(『和讃』)とうたっている。こころが内にあれば、行いはおのずとそのこころの現れとして生まれてしまい、隠すことができないという意味だ。

やはり、阿弥陀さんがいるということは、こころの土手っ腹に風穴が開くことだろう。
だから決して、人間には命名することができないのだ。親鸞も「阿弥陀と名づけたてまつる」(『和讃』)といっている。そこには人間が仮に名づけさせていただいただけで、〈ほんとう〉は名づけることができないのだ。だから、別に阿弥陀という文字に捕らわれる必要はない。
ただ、象徴的に名前がないと、その風穴を呼ぶことができないので、仮に名づけているに過ぎない。
●2015年11月9日●
「仏意測り難し、しかりといえども、竊かにその心を推するに」と親鸞は『教行信証』でいう。
 自分は仏さんでもないのだから、仏さんの意図など人間がわかるはずがないと。しかし、そのわからない仏意を推測してみると、そこから感じられるものがあるという。
 これは矛盾である。
 しかしそうなると、もはや、人間は「仏教」という言葉すら使えないことになる。仏さまでもない人間が、仏という名前を使うことすら矛盾である。まあ人間にとって「仏」は不可思議、不可解なものなのだから、それを敢えて「仏」という言葉で表現したということだろう。
 「真実」という言葉もそうだ。「真実」という言葉を使えば、真実ということがわかっているかのように錯覚する。〈ほんとう〉のところは、人間に「真実」などわかるはずがないのだ。もし人間に「真実」がわかってしまえば、それこそ仏さんに成ってしまう。
 やはり「わからない」ということが大切なのだ。
 知的に「わからない」ということではなく、本質的に「わからない」ということだ。
「わからない」から人間にとっては永遠に触れることのできない「真実」なのだ。人間が理解できてしまえば、それは「真実」ではなくなる。
 「わからない」と聞くと、「なんだ人間にはわからないのか」といじけてしまうのが人間だ。それは「わからない」ということをわかっているひとが勝手にいじけているだけのことだ。
 本質的に「わからない」ということは、「人間にはわからないものだ」と聞いて、助かったと喜びを与えるものなのだ。
 以前、鎌倉の東慶寺でお話したとき、「南無阿弥陀仏とは無意味ということです」と私が話すのを聞いて、「主人が定年になって、毎日うちにいて、何で三度三度食事を作ったり、洗濯したりするのかと思っていたんですが、それもこれも無意味だったんですね!」と晴々とした顔をされた。
 この女性は、私のいう「わからない」を額面通りに受け取って下さって、嬉しかった。
「わからない」は、人間を解放する「わからない」である。
 そしてこの「わからない」をもっているひとは、人生で何が起こっても、それをちゃんと受け取っていける力を得ている。
 自分は真実を知っているという思いあがりが、人間自身をダメにしてしまうのだ。
 
●2015年10月27日●
だいぶ、更新が滞ってます。
それは、来年初めに出版する『なぜ?からはじまる歎異抄』をまとめているからです。本文は二年間、毎月月刊『同朋』誌に書いてきたものをまとめていますが、他にも今回書き足す部分があり、ちょっと、枚数は多くなります。
やがて本願寺出版部から新書版で出る予定です。
もうひとつは、10月から始まった池袋親鸞講座の質問・感想への応答文を書いています。これも結構時間がかかります。しかし、これだけがこの講座のいのちなので、精一杯応答していこうと思います。
●2015年9月24日●
南無阿弥陀仏が、私の生きる根本的構造だ。
何のために「する」のか。その「する」にはあらゆる動詞が当てはまる。
「話す・歩く・見る・食べる・書く・考える」…。
その「する」の究極は「南無」するということになる。
何に向かってか?
それは阿弥陀に向かって。阿弥陀はこの世の目的を貫きとおしたところの無限の目的。
ひとが天に向かって眠るようなものだ。布団に身体を横たえて目をつぶると、もはや瞼は見えない。でも天井があり、その上に屋根があって、その上には空が広がっている。その空をさらに突き進んでいくと、私は宇宙に向かって眠る。それも無限の宇宙に向かって。

やはり「する」ということのエネルギーは阿弥陀なんだろう。
私からいえば「させられる」ということになる。

阿弥陀に向かって「する」があるとわかると、この世の目的が「とりあえず」のものとして、相対化される。だから、この世での目的を強く固く握りしめずともよくなる。それは別に力を抜くとか、手抜きをするということではなく、もっと柔軟に柔らかく物事に対応することができるようになるということだ。

究極が阿弥陀に向かってということになると、生きること全体の目的が「?」となる。
そして、あらゆる「する」は宿業のうながしにまかせて「する」ことになる。
邪念は自業自得の道理で、自分を苦しめるだけ。
固定観念と思い込みが、自分を縛っているだけ。「これが人間としてまっとうな行為だ」とか「世間の常識に外れてはダメだ」とか「社会人としてはこうするのが本当だ」とか、そういう自己規制のたがをはめて、あたかも自分はまっとうに生きていると自己暗示をかけているのだ。
 人間は、不安定な生き物だから、自分で自分の足場を固めて安定を望む。自己規制という足場は、所詮、不安定に違いない。

 しかし、そうしながらも、今の自分の生きる方向は「真実」にかなっているのだろうか?と自問せざるを得ない。
真実の匂いを、ちゃんと嗅ぎ分けられているのだろうか。
それを知るものは阿弥陀しかないのに。
やはり、お棺のふたが閉まってから、その人生が「真実」にかなったものかどうかがわかるのだろう。
 そう思うと、どこまでいっても中途半端なことしかできないし、それ以外に生きようがないとわかる。
 
●2015年9月20日●
まだ何も始まっていないのではないか。
たとえ百歳のお年寄りに対しても、まだあなたの人生は始まっていないと言いうるものが「真宗」である。
まだ何も始まっていない。
人生はまだ始まっていない。
いまだに人間とは何なのかがわかっていない以上、すべてのことは途上にあるに過ぎない。
人間はそういう「途上にあるもの、未完成なるもの、得たいのしれないもの」が嫌いなのだ。
だから「所詮、人間は、〇〇なものなのだ」と結論づけたいのだ。その結論づけた、舌の根も乾かないところから、「それは〈ほんとう〉か?」という問いが襲いかかってくる。その問いに、既成概念やら固定観念やらが、ひとつひとつひっぺがされていく。
まだ治りきらないカサブタが爪で剥がされるように、ひとつひとつぺりぺりとひっぺがされていく。
自分は、全人類の罪が流出してくる噴火口だから、自分でも驚くような自分が流れだしてくる。
それに人間はたじろぐ。そんな差別心や猜疑心やエロスや自己チュウが、自分の中にあらわれてくるはずがないとタカをくくっているのだ。それを嘲笑うかのように、噴出してくる。チラッと見ても、それはなかったことにしたいのだ。それを赦し、宥めるのだ。
そして、このことは自分だけの秘密にして、墓場の中まで持っていくことに決めるのだ。だって、知っているのは自分だけなんだから、他人はわからないのだから、周りのひとには気付かれることがないのだから。
そうやって墓場までもっていかなければならない荷物が、徐々に増えていく。
たぶんそういうものを「つみ=罪」という単語で象徴してきたのだろう。
歎異抄第14条は「つみ消えざれば、往生かなうべからざるか」と問うてくる。罪が消えなければ往生ができないとでも思っているのかと。
●2015年9月13日●
芹沢俊介さんの「批判殺到の少年A『絶歌』から私たちが学ぶべきこと~酒鬼薔薇聖斗事件~」という講演を聞いた。
芹沢さんは「羨望」という言葉をキーワードにして話を展開した。メラニークラインの『羨望と感謝』から刺激を受けた言葉らしい。『絶歌』は25万部売れているというわりに、自分の周りで読んでいる人が少ないということもいわれていた。
遺族の感情を逆撫でする暴挙だとか、何千万という印税を遺族の賠償金にしていないとかで出版停止や販売停止が叫ばれたりした。つい最近、少年Aが自分のホームページを立ち上げ、幻冬舎社長への恨み言を送りつけたりと週刊誌で騒がれいる。
『絶歌』は前半が事件までのことが、そして後半が医療少年院出所後のことが書かれている。あまりにセンセーショナルな事件だったために、見ることも考えることも拒否したいという拒絶感が社会にあることもわからないでもない。しかしそれらは、すべて第三者的感情である。
当事者は違うのではないか。しかし第三者であっても、この社会の一構成員であるならば、実は「第三者としての当事者」なのではないか。
芹沢さんは、「養育」という視点から、A少年が事件を起こすきっかけを「祖母の死」とする以前のことを問題にしていた。それはA少年の母子関係である。A少年が生まれて、翌年、年子で弟が生まれている。このときA少年は自分が占有できた「おっぱい」を弟に奪われる。そして親は、「兄たるべし」という思いから躾という名目の「迫害」をおこなう。そのとき「羨望」という感情が起こる。「おっぱい」を奪った弟は「悪い存在」であり、その悪い存在が占有した「おっぱい」は悪いおっぱいだと同一視して羨む。
弟への虐待→祖母の死→ナメクジの解体→猫の解体→人間へと移行していったようだ。
芹沢さんのお話で一番大切だと思われたのは、A少年を「特別視」しないということだ。A少年の問題は、我々内部にも通底しているという見方だ。ちょっと断っておくが、それだからといって、彼を刑法的に許すとか、罪を無化するということとはまったく違う。
それは文脈(コンテキスト)が違う。
A少年を「ばけもの」とか「精神的奇形児」といって批判するのはたやすい。しかし、そういう見方そのものから、私たちは何も学ぶことができない。そうではなく、A少年の内部の問題と、自分たちの内部の問題は通底していて、そこに光を当てていかなければ、再犯という問題を超える道筋はない。つまり、自分とは無関係なことにして切り捨てていくということは、自分を善なるものとして確保し、温存しようとする偽善なのである。実は自分自身の内部にもある「A少年的体質」を直視することを恐れているのかもしれない。
事件は、確かに「異常」であるには違いない。だから「異常」な部分は「異常」な部分として直視し、その「異常さ」の持っている問題性の裾野を見ていくと、実は自分の内部の問題とつながっているという見方が大切なのだろう。
いつでも社会的な問題が起こると、自分と切り離して「悪いのは社会だ」とか「悪いのは学校だ」とか「悪いのは親だ」とか、外部に原因を見いだそうとする。そういう見方も成り立つのだが、その見方からは何ひとつ学ぶことはできない。
そういう見方でなく、その外部に原因を見いだそうとする矢印を自分の内部に向けてみるということだけが問題を普遍化でき、その結果、再犯防止にもつながっていくのだ。矢印を自分に向けるだけで、ひとつの事件から、社会全体が学ぶことができ、犯罪へと傾斜していく精神的傾向性から離脱することができる。
それは、いかにも迂遠な方法だが、それ以外に着実な方法はない。「愚公、山を移す」(『列子』)のように、ひと掬いの土だが、日々、延々と繰り返していけば、山を移動することも可能だという、着実な方法なのだ。
『絶歌』を読むとA少年は苦悶している、と受け取れる。
自分の「異常さ」に無自覚な段階では苦悶はない。医療少年院を出てから、少しずつ「人間の喜び」を感じ始め「生きる」ことの明るさを感じ始めたとき、苦悶が始まる。なぜなら、彼が感じ始めた「喜び」を二人の子どもたちから奪ってしまったのだから。
 「人間の喜び」をほんの少しでも感じてしまったとき、彼は地獄へと突き落とされる。それこそ当然の報いなのだと社会はさげすむかもしれない。
 ただ、もし彼が許され、救われていかないのであれば、浄土教が嘘をいっていることになってしまう。阿弥陀さんは「十方衆生」の救いを誓っているのだから、彼がこの愛の中から漏れることはない。例外はないのだから。
 この阿弥陀さんの悲愛と出遇うか否かは、彼と阿弥陀さんとの関係であって、他者が入り込むことかできないという制約がある。十八願の願文には「唯除五逆誹謗正法」という逆説が説かれている。
●2015年9月11日●
安保法制関連の問題をどう考えたらよいかとお尋ねがあったので、お答えした文章を載せておくことにする。

 安保法制が違憲であるのは誰の目にも明らかである。しかし、これはいま始まった話ではなく、どこからボタンを掛け違えたかといえば、「自衛隊は軍隊ではない」と解釈したところからだ。いままでは、このことがあまり取り上げられなかっただけで、ここに来て、憲法を解釈することで、いくらでも憲法を無力化することができるということがクローズアップされただけのことだ。
憲法を「解釈」でいくらでも無力化することができるのだから、ずっと以前から日本は法治国家ではなかったのだ。だから、何をいまさら騒いでいるのだろうと、ちょっと冷めた目でみている。
もし自民党(政府)が、まっとうな方法を取るなら、まず憲法を変え、そこから手順を追ってやっていくべきことだ。いまの国会をみていても、「議論」なんていうものではない。政府はとにかくやるんだから、結論は決まっているんだから、はやく野党の皆さんは質問の時間を消化して裁決しろということだ。初めから議論などする気はないのだ。早くしないとアメリカがイライラして怒りだしてしまうから、急いで結論を出すんだということだろう。
いくらデモで騒いでも、結論は見え見えだ。だいいち政府のやり方は「合法」なんだ。60年安保のときも国会突入をしたけれども、それだけのことだった。いまの日本を支えているのは、その時の若者たちなのだ。
また、いま反対と騒いでいるひとたちは、どこまで本気なのかわからない。これも一時の「ブーム」のようなものではないだろうか。最後は安倍首相と刺し違えるとか、テロをやるとか、その辺まで覚悟してやっているのかどうか。私は、そこまでの根性も気力も力もないから、やらない。いや、やれない。
まあデモにいく人も、そうせざるを得ないから身体が動いていくのだろう。私にデモにいかないのかと聞かれても、行かない、というか行けない。身が動かないからと答えるしかない。「よきことも悪しきことも業報にさしまかせて本願をたのみまいらする」(歎異抄)ということだ。動かざるを得ない反戦もあるが、動けないという反戦もあるのだ。
「地元から安保法制に反対する〇〇」とかいうのが、反対の呼びかけ人になってくれといってきたが、断った。呼びかけにきた人が、「檀家の人々も反対しているんじゃないですか」といってきた。それを聞いたとき、私は、「大勢のひとが反対しているのに、なぜ代表者であるお前が反対しないのだ」と聞こえてきた。はは~ん、これは恐らく第二次世界大戦のとき、「戦争翼賛」のために隣組の人々が語っていたトーンと同質のものを感じ取った。 憲法学者から何からリベラルな人々は、すべてが安保法制反対を主張し、いま「反対」をいわない奴は、逆に反動だというくらいの強迫力が蔓延しいる。
当時は、「戦争」は善だったから、なぜお前はこの善を承認しないのかと強迫する論理だ。愛する家族や子どもたちが戦地で闘っているのに、お前はなぜ彼らの無事を祈らないのか、なぜ武運長久を祈らないのかと。
今回は安保法制に反対することが善なのに、みんな反対しているのに、なぜお前は善を承認しないのかという強迫だ。そこに問題は違っても、同じ質の強迫を感じ取った。

 非戦を誓っているのは、阿弥陀如来だけだ。それを取り違えて、阿弥陀さんの願いを人間の願いであるかのようにすり替えて振る舞うのは大罪だ。ここが一番みえにくい問題だが、最も大切な問題だ。これは「真宗」以外の視点では見いだせない問題だからだ。「人間の善」はすべて偽善であるという如来の批判を受けることが大切なのだ。
私たちは大昔から本願を裏切り背いてきたのだ。その裏切り背いてきた人間が、今度は「戦争反対」と叫んでいるだけだ。大谷派には戦争責任があるのだから、反対するのだというのは、自分たちの裏切りの罪を帳消しにしようとする滅罪煩悩だ。それは「善人」の発想だ。いくら戦争に反対しても、私たちの罪そのものは、ほんの少しもなくならないのだ。なぜならば、その罪は私の内部から流出してきたものだし、いまも、これからも流出し続ける問題だからだ。

それからこれこそが根本の問題なのだが、80%もいる戦後生れがこの国に生まれてほんとうによかったとどこで思えるかだ。これは『よびごえ』108号に「戦没者とのあるべき関係」というテーマで書いたので、読んでほしい。
安保法制騒ぎが終ったとき、たぶんデモを推進したひとたちは無力感と絶望感に襲われるはずだ。しかし、「それでも自分たちは日本に生まれてよかった」とどこで思えるのか。やっぱり、日本を捨てようぜということになるのか。その引き受けの問題が大きいと思う。
掛け違ったボタンを、どこまで戻せば、そういう問題が解けるのか。解けるか解けないかはわからないが、とにかくちゃんと原点に帰って考えることだけはしておくべきだろう。ここまで立ち戻れば、ちゃんと引き受けられるという論理だけは見いだしておかなければならない。
まあ結論は南無阿弥陀仏という法則の中にあるのだが。

●2015年9月5日●
東京新聞に拙文が載り、お手紙もいただいた。
ひとりは法華経信者からだ。彼女は念仏信仰は無間地獄の因を積むことになるから、一日もはやく法華信仰に入るようにとお勧め下さった。
まあご親切なひともいるものだと思った。
しかし、親鸞は「面々のおんはからい」(歎異抄第2条)といっていて、最終的に何を信ずるかということは、各人各人の自由ということなのだ。お手紙をいただいて、ご親切だが、昔の教育ママのような、鬱陶しい押しつけられ感が沸き起こった。
お釈迦様が悟りを開いて40年間は真実を説かなかった、そして最晩年に本心である法華経を説いた、だから法華経のみが真実であり、阿弥陀経や無量寿経は方便でしかないのだとも書かれていた。
法華経を信仰しているひとたちは、みんなこの説を信じておられるようだ。果たしてお釈迦様がそういう表現をしたかどうかは確かめようがない。またお釈迦様が筆を執って書かれた経典も存在しない。
まあたとえお釈迦様がそのように語られていたとしても、その表現を金科玉条にすることはいかがなものかと疑問を感ずる。
お釈迦様といえども、発展途上の仏教徒なので、いろいろと言い間違えることも、思い違いもあるはずだ。お釈迦様を最高の解脱者としていただくか、発展途上の仏教徒と受け取るかの違いなのだろう。
我々の親鸞も所詮、凡夫なので発展途上の仏教徒に違いない。だから人間としてのダメさも愚かさも備えている。お釈迦様といえども凡夫なので、そういうものを兼ね備えているはずだ。もしお釈迦様が人間でないのであれば、それは私たちには無関係の教えになる。愚かしい凡夫が救われる教えだから、私も救われることが成り立つのだ。超人が救われる教えであれば、エリート仏教になってしまう。所詮、それは我々とは無関係の仏教だ。
お釈迦様は、たとえ出家といえども、それは家族を捨てて自分の好きなことをやって生きた人間なのだ。それはとても肯定することができない。
しかしお釈迦様がいなければ仏教はつながらなかったのだから、発展途上の仏教徒であっても、発展途上の意味が充分に尽くされている。
 信仰とは確かに、「あれかこれか」という決断を迫るもので、その意味で、これ以外に私が救われる道がなかったという深いうなずきがなければ信仰にはならない。彼女は法華経信仰で救われたのであれば、その道を徹底して進むしかない。それだからといって、他の信仰をもっているひとを邪教だとか、救われないと否定してしまうと排外主義になってしまう。
 これではイスラム原理主義と同じ発想になる。自分たちこそが真実の信仰をもっていると自負することは大切だが、それだから他者の信仰を抹殺するということは、ホロコーストを生む思想である。
 その発想の根っこにはこの世界には真実はひとつしかない、自分たちこそその真実を知っているという思い上がりがあるのだ。真実を自分たちの内部に閉じ込め、占有している感覚が危ない。
 むしろ真実とは、お前の内部に占有されるものではないと人間が閉じ込めようとする思想を解放するはたらきそのものである。
 それで私たちは阿弥陀如来という否定媒介を安置する。阿弥陀さんは人間を絶対に肯定しない。お前の考える真実は、どこまでいっても「人間的な真実」であって、〈ほんとう〉の真実ではないと否定して下さる。いくらお釈迦様であっても、所詮人間に過ぎないのだと否定して下さるはたらきを真実というのである。
 阿弥陀さんは、お前は間違っているぞ、〈ほんとう〉にそれでいいのかねと問いかけ、揺さぶり、否定して下さる。この否定してくださるはたらきを、仮に阿弥陀と名づけているに過ぎない。
 人間を超人化しエリート化しカリスマ化するのも人間なのである。そういう危ない発想をどこまでも否定してくれるものがなければ、〈ほんとう〉の平和は成り立たない。
真実の仏があるとすれば、そういう人間を徹底して否定してくれるものに違いない。
 もし人間を肯定する仏があったとしたら、それは戦争をも肯定する仏になってしまう。無病息災、家内安全…という人間の欲望を肯定する仏は、実は戦争をも肯定する仏なのである。 
●2015年9月4日●
今朝のNHKテレビで、絶縁独居老人が40万人と報じていた。彼らが不安に思っていることは、自分が亡くなった後、どのように葬送をし、またどのように今まで行ってきた先祖供養をしていくかということだそうだ。まったく親戚も知り合いもない絶縁状態のご老人は、さぞ不安なことだろう。ご老人の資産の受け取り手がいないと、すべて国庫に入るそうだ。それも年間300億円に登っているそうだ。
そこで横須賀市では、葬儀社と連繋をとり、生前に老人と契約をし、もしご当人が亡くなった場合、葬儀社と連繋をとり、ちゃんと最後まで葬送してくれることをチェックすることにしたという。
二人暮らしの老姉妹が話していた。どちらが先に逝くかわからない、後に残ったほうも大変、でもちゃんとお父さんのところに送ってもらえるのだろうかと不安そうだった。
番組の最後では、老姉妹が横須賀市の職員と葬儀社同席で話し合い、納得し、これで安心したということで終っていた。将来の不安がなくなると、〈いま〉が安定し安心するのだろう。
これも、その老姉妹が、自分の死後のことを若いときから考えていなかったツケがいま回ってきたという現象だろう。
江戸時代にはまだそういう悩みはなかったが、明治以降の日本人は、死後の世界が真っ暗になってしまった。
死後の世界をどう考えるかは自由である。パラダイスというふうにキリスト教はいうし、日本古来では黄泉の国ともいっていた。浄土教以外では、六道輪廻という迷いの輪を経めぐるともいっている。
我々、浄土教は、死後は淨土へいくことになっている。どんな死に方をしても、そのひとは淨土へ往生するのだ。信心のあるひともないひとも、そのように私が受け止められなければ、ダメだ。
世界は、「一人一人世界」なので、基本的に他者がどこへいったというのは、宗教的問題ではない。あくまで自分一人が、この世を終ってどこへいくかという問題が究極なのだ。そこから派生して、恐らく他者も、私がいくであろう淨土へいったに違いないというに過ぎない。
究極的な問題は、自分がどこへいくかということ以外にはない。
面白いことに「あの世」を考えることを通して、当たり前になっていた「この世」が違って感じられてくる。いままで不動に思っていた「この世」がフワフワと変形し、確固としたものではなくなる。これが「あの世」を学ぶことの利益である。
そのフワフワ感がやってくると、まあどのような最期を迎えても安心だとなってくる。たとえ葬儀をされてもされなくても、どんな死に方をしても、骨がどこへ捨てられようと捨てられまいと。自分が無名になり、我が家名が消えてなくなっても大丈夫という安心感へが生まれる。
現代人は、死んだら死に切りで、あとは野となれ山となれというニヒリズムになっている。それは「この世」がまだフワフワになっていない。まだ強固に「この世」を信じすぎている。それが崩されていったときの「この世」は違ってくる。
 「浜までは海女も蓑着る時雨れかな」で、やはり究極的な問題が解けると、あとは「この世」の習いに任せるという世界に抜け出ることができる。
 まずは自分が死んだらどこへいくのかという問題が、最優先されなければならない。
「この世」は死の準備教育の場所なのだから。
●2015年8月12日●
ご仏縁のあった葛西妙子さんが90歳で亡くなった。
若いころから聞法熱心で、悩みながら聞法を続けておられた。そしてあるとき、こうおっしゃった。
「もう分かるか分からないかはいいんです。分かっても分からなくても聞法します」と。この言葉を聞いたとき、葛西さんの中で信仰が深化されたと直感した。
真宗の教えは、まさに難行道で、聞いても聞いても、分かったような分からないような何ともいえない不可解さがつきまとう。それでいい加減、聞法に疲れてしまうのだ。いつまで聞いても「これだ!」という確信が持てないとおっしゃる。
それは分かろう分かろうとしなければ分からないのだが、真宗は人間が知的に理解することのできないものである。人間の頭に入るようなちっぽけな教えではないからだ。
いままでは、分かろう分かろうとしてきた。もう分からないのであれば聞法をやめてしまおうかとも思われた。ところが、その「分かるなら聞く、分からないなら聞かない」という意識を超越したのだ。
「分かっても分からなくてもいいんです」という言葉が出てきたということは、そこを超越されたのだ。
そして分かっても分からなくてもよい、一生涯聞法をしようと決断された。
葬儀会場には、生前親しまれていた仏教書やお勤めの本などが展示されていた。ご遺族はそれらを棺に入れたいとおっしゃっていたので、小生は、何冊かをいただいてきた。一緒に燃やしてしまうにはもったいないからだ。中には葛西さんが手作りで作られたであろうお勤めの冊子もあった。
お浄土にいったら読むものがないと可哀相だから、お棺に本を入れてあげたいのですとおっしゃるかたもいる。あたかも海外旅行にでも出かけるひとへのアドバイスのようだ。しかし、仏さんはもはや言葉は必要としないのだ。仏さんは人間の言葉を必要とせずに、無作為に我々を助けて下さる。むしろ言葉が必要なのは、四苦八苦の娑婆を生きる我々なのだ。我々こそが、迷いの言葉を通して教えられ、迷いを超えていける道を教えられるのである。仏さんはすでに救われてお浄土におられ、我々を教え導く仕事をされているのだ。言葉が必要なのは、むしろ私たちなのだ。
 葛西さんの淨土往生は間違いなしと確信する、有り難い葬儀だった。
●2015年8月10日●
組の研修会で、初めて増上寺へ見学参拝へいってきた。
近くに住んでいると、いつでもお参りできると思っているのか、他宗派の寺々にはまずお参りすることがない。学生時代、京都に住んでいたが、寺々へはあまり行かなかった。今回、増上寺見学参拝は、六組(拙寺の教団での所属組)の企画で、一連の他宗教・他宗派に学ぶシリーズの一環だった。
イスラム教モスク(東京ジャーミー)、カソリックのイグナチオ教会、ギリシャ正教会(通称、ニコライ堂)、そして今回が浄土宗大本山増上寺である。
総勢52人にも参加者が増えたのは、やはり増上寺だったからだろう。
最初に布教使さんのお話を45分ほど聞いて、経蔵、、宝物庫、徳川家歴代墓、安国殿、本堂をガイドしていただいた。
開祖・法然の話はほとんどなく、徳川家との因縁がクローズアップされた話が多かった。やはり、教義的には法然からだいぶ後退し、天台へ戻ってしまったようだ。
法然の真意をまっとうに継いだのが親鸞だとあらためて思わされた。
まあ、しかし天台帰りをしてしまった責任は法然にもある。法然は旧仏教から新仏教への過渡期の人間だったので、教義が玉虫色になっている部分があるからだ。
法然は「ただ念仏」と専修念仏を説いたが、それが「行の念仏」だったからだろう。親鸞は法然の「行の念仏」を「信の念仏」として受け止めた。法然のなかに「信の念仏」を聞き取ったのが親鸞である。
「行の念仏」とは人間から淨土への足掛かりをつくる念仏であり、「信の念仏」とは、その足掛かりがまったくない他力の念仏である。だから、淨土への階段は娑婆から一段一段とつくるものではなく、淨土からタラップがおりるように、向こうから下ろされてくる念仏である。これは、もはや人間の称える念仏ではない。阿弥陀さんそのものが称えている念仏である。念仏は人間のものではなく阿弥陀さんのものである。
阿弥陀さんの悲しみの愛から生まれてきた波動のようなものが念仏なのだ。その波動に共鳴したとき、人間の口からナンマンダブツと出てくることもある。出てこないこともある。そんなことはどっちでもよいのだ。
「弥陀成仏のこのかたは いまに十劫をへたまえり」(和讃)と親鸞はうたう。
宇宙が開かれる以前から私を救いたいと願われてきた阿弥陀さんの悲願に、〈いま〉出遇うことができましたという感動のうたである。
この〈いま〉は流れることのない〈いま〉であり、超歴史の〈いま〉である。
〈いま〉、宇宙開闢の世界と対面しているのが南無阿弥陀仏である。私が目の前にしている世界は、空前絶後の〈いま〉であった。このことへの感動が言葉となったとき南無阿弥陀仏と表現されただけだ。
この無意味な生を生きる力も、あらゆる倫理も、この南無阿弥陀仏から生まれてくるのだ。だから、真宗はわざわざ倫理道徳をかかげる必要がないのだ。どのように振る舞うかは、宿業の催しだから、自分で決めることができないし、決める必要がない。向こうからきたものを、体現して行為していくだけだ。
ここに自由がある。
人間は自我の思いで生きているものではなく、宿業が発露する噴火口なのだ。もともと人間は自我を超えた生き物なのだ。
●2015年8月8日●
境内の植木に水やりをした。
それにしても、水やりとは、穏やかな夏の風物詩のような、自然を愛するメルヘンのような、なんともいえないこころよさがある。
ところが、いざ、ホースをもって水撒きをすると、実に差別的な行為だと思い知った。
植木には水を与えるのだが、雑草には水を与えない。同じ植物であり、同じいのちなのに、一方は優遇し、他方は冷遇している。差別だ。
また境内の植木には水をやっても、他人の土地の植栽には水をやらない。植物には誰のものという所有観念は無関係なのに。自分のものと他人のものという分け隔てをする私心。
また、日照りの毎日で水を大切にといわれているのに、東京都民が飲むことのできる水道水を、何と地面に撒いているのだ。もったいない話だ。
あああ、とため息が出る。
水やりをしていて、娑婆の本質は「矛盾」だと思い知らされた。
さらに水やりをしながら、水やりという行為が何のためになるのかと、意味を求めている自分に気付いた。水やりという行為が、おのずから意味を求め始めるのだ、これも貪欲のなせるわざだ。
そうそう、まどみちおさんが、電線に鳥が並んでとまっていると、知らず知らずのうちに数えたくなると書いていたな。もう数えずにはおかない欲求が襲ってくるのだ。人間は同じものが並んでいると、数えたくなるという欲望を抑えることができない。間髪を入れず、数を数えている自分に、はっと気付く。これも本能的なものなのだろう。
水やりという行為が、私に「意味」を欲求してくる。
そして、アジサイに水をやると萎れていた葉っぱが、シャキッとなって元気になるのが嬉しいからとか、水やりも修行だと言い訳したり、水をやらないと植木が枯れてしまい、大損になるからとか、頭をグルグルと駆けめぐった。
山形で聞いた話を思い出したりもした。日照りのときに畑にいつ水を撒くかというタイミングが難しいのだそうだ。植物は日照りが続くと、それに耐えうるように地面から水分を吸収することをやめ、ひたすら日照りに耐える体質をつくるそうだ。だから水を与えないほうがよい場合もある。
 なまじ水をやると、植物は水がもらえるもんだとわかってしまい、地面から水分を吸収しないと耐えられない体質になるのだそうだ。だから、水をやるとなったら毎日与え続けないと枯れてしまうそうだ。そのタイミングを誤ってしまうと作物を枯らしてしまうことになる。なんだか、人間にとっての愛と似ていて、面白いと思った。
 境内の植木全体に水をやるには一時間半ほどかかった。
 子どものころ木登りをしていた山桃の木も、気付かないうちに大木になっていた。セミもワンワンと鳴いている。ショウリョウバッタやトカゲなど、野生の生き物たちも戻ってきている。
 あの高度経済成長期の下町の工場地帯には考えられないことだ。
ペンキ会社のインクの臭い、肥料会社の悪臭、お昼になると工場から聞こえるサイレンの反響。
それらもいまでは懐かしいくらいだ。下り坂には下り坂の風光があるとは、こういうことなのだろうか。
●2015年8月6日●
弓矢をいっぱいに引き絞って、放つ。
矢の飛んでいく方向は見なくてもわかる。
目をつぶっていても、わかる。
それが南無だ。
生まれるのも、死ぬのも、すべて阿弥陀さんの手の中だ。的はたったひとつしかない。
生まれて、生きていることすべてが、他力本願だから、当然、阿弥陀さんの手の中にあるに違いない。
往生間違いなしという実感があるだけだ。
見なくても分かる、実感だ。
 淨土は誰も行ったことがない世界ではないか、そんなものが有るといわれても信じることはできないという。
 そういう問いが出てくる脳内のある部分のあることは認める。だが、そういう問いが出てくる発想を、まずは問うべきだ。しかし、自分の見たものは信じられるという発想も妄信ではないか。目で見たものをわざわざ「信じる」とはいわない。それは「見た」であって、「信じる」ではない。
 また人間は自分が知ったことくらいで、すべてを託せる生き物ではない。つまり、自分が納得した上で「救い」が起こるわけではない。最初は納得して感動したとしても、そんなものはやがて枯れてしまう。
つまり、淨土が見えて知ってしまったら、もはやそれは人間が知的に把握した範囲内のことになり、そんなものを「信じる」ことはできない。
 知ってしまったものをわざわざ信じるなどという必要がないではないか。
信じるとは、人間の知性を超えたことにお任せすることである。
 それは「知る」ということではなく、実感することである。人間が見て知って、それから信じるなどという回りくどいことではない。
わからないことに任せるという知り方である。「わからないことに任せる」というのが知性が一番嫌いなことだ。それは充分に知っている。知性を放棄したら、それは狂気ではないかと恐れているからだ。
狂気の信仰と真実の信仰とは紙一重で違っている。
「淨土を見て救われた」というが狂気の信仰ならば、「淨土を見たら救われない」というのが真実の信仰だ。真理や淨土を「見て」しまったら、「わかって」しまったら、それは人間が知的に把握した範囲内のこと、つまり世俗のことになる。そんなもので人間は真底すくわれるはずがない。
真実は、つねに人間を超越していなければならないからだ。超越したものにふれなければ〈ほんとう〉の意味で救われるということは起こらない。
逆に、超越したものに触れるから、世俗の真っ只中に安心して住み続けることができるのだ。煩悩に汚れきった真っ只中に、ゆうゆうと、気負うこともなく、ふて腐れることもなく、ただ住み続けることだ。
 安田理深先生は、それを「弱点だらけの人間になること」と教えられた。弱点をさらけ出して、ゆうゆうと生きられるひとは、実に素晴しい。世間では、弱点をできるだけ減らそう減らそうと必死だ。それとまったく反対だ。 
 
 一切衆生の世界は、どこを切り取ってみてもことごとく阿弥陀さんのはたらく世界だった。生きることの底辺が変革されることを信仰というのだろう。底辺は「自分の発想」を信じるか、それとも信じないかというだけの違いだ。「自分の発想」を信じないのを真実の信仰というのだ。
●2015年8月5日●
罪は文鎮の如し。軽薄な人間をして、不動の人間たらめる存在の重しである。
酒鬼薔薇聖斗の『絶歌』を読んで、そう感じた。
誰が、彼を批判できるだろうかとも思った。
おそらく親鸞がいまの時代に生きていれば、そう語ったに違いない。
被害者の父・土師守さんは、たとえ少年であっても加害者を厳しく処罰せよと述べている。マスメディアは逆に加害者を生み出した要因を「社会」や「学校」や「家庭」に見つけ出し、むしろ彼は、彼を生み出した社会の犠牲者ではないかという。さらにこの社会を荷なう我々にも責任があるのではないかと。しかし、そういう考え方そのものが被害者をより圧迫するような発想だと土師さんは述べている。
被害者の家族としては、そういうふうに考えられるのも充分にわかる。一生涯、被害者家族は加害者を許すことはできないに違いない。
ここでの自分自身の立ち位置を整理しておくと、自分は被害者家族ではない、また加害者家族でも加害者本人でもない。共同幻想としての現代社会をともに生きる存在であるだけだ。だから第三者である。近頃、とても気持ちが悪いと感じるのは、当事者でないにも関わらず第三者が、なんやかんやと発言することだ。
まあ発言することは自由だから、それはいいのだ。ただ当事者でもない第三者が、被害者の感情を自分に置き換えて、「自分の家族が殺されたならば、加害者をぶっ殺す」「酒鬼薔薇聖をぶっ殺せ」などということを、公然と、何のてらいもなく、匿名性に隠れて表現することに嫌悪感以上のものを感じている。
 そういう表現をせざるを得ないひとは、この社会に圧迫感を感じているからなのだろう。その圧迫感は「被害者感覚」である。自分自身への劣等感や圧迫感の捌け口として、「加害者を殲滅すべし」などとつい口走ってしまうのだろう。その文脈は、ユダヤ人迫害と同じ文脈に乗っかっていることになる。
 果たして、我々は、ではなく「私」は酒鬼薔薇聖を批判できるのだろうか。
 イエスは姦淫の思いをもった者は、現実の姦淫行為と同じ罪だといった。「殺す」という思いをもった者は、「殺した」ことと同じなのだ。
 それは違うというのは、法律での線引きのことだ。法律は「行為」と「思い」を分ける。分けなければ、全人類が刑務所に入らねばならないから、線引きをしたまでのことだ。しかし、有るのか無いのかといえば、罪は目の前に有るのだ。
 現代は、罪ということが見えなくなった時代だ。
 罪は人間を、どっしりとした存在として育て上げるための重しのようなものだ。文鎮は紙が風で飛ばないように、どっしりと紙を押しつける。この重しがなければ、紙に文字を書くことができない。
 罪が感じられないということは、自分が存在になれない。つまり透明人間になってしまう。透明人間は匿名性だから、何を言おうが何をしようが責任を負うことがない。それは、人間ではない。
酒鬼薔薇聖は、一生涯、「許し」を感じられずに生きているに違いない。家族が一緒に生活しようというが、彼はそれを拒否し続けている。彼は事件当初感じられなかった自らの罪に目覚めた。そしてその重さに押しつぶされそうになって、おののいている。彼の心の中では、自分がほんの少しでも幸せや満足を感じるようなことがあれば、それを拒否するのだ。日常生活の中で、微笑んだりしてはならないのだ。ほんの少しでも微笑んでいることを感じてしまえば、途端に、彼はそれを拒否するに違いない。彼は自分が決して幸せになってはならないと固く思い詰めているからだ。
また被害者への謝罪もできないでいるのだ。いやそうではない。謝罪の文章などは書かれているし、気持ちもあるのだ。しかし謝罪という行為にも疑問を感じているのだ。
 謝罪以外にすることのないことは重々わかっているのだが、謝罪をすることの中で、自分自身の罪をどこかで免罪しようとする心を見つけてしまうからだ。罪を詫びることで、自分の罪が許されるのではないかと、どこかで考えてしまう。謝れば謝るほど、偽善を犯しているのだはないかと、自分自身を責め苛んでいくのだ。
 私は、彼はすでに許されているのだと思うが、そんなことをいうのも当事者性を忘れた戯言なのだろう。彼は彼自身が阿弥陀さんと出遇うしかない。彼と阿弥陀さんとの関係を割って入れる人間は誰もいない。
●2015年8月2日●
ことごとく、人間の意図や意志に肩すかしを食らわされるのが真宗である。
親鸞は、人間が意図的に決めた「意識性」をことごとく排除している。たとえばプラクティスとしての修行とか、ルールとしての戒律とか、人間の「意識性」から阿弥陀さんに近づくことは不可能だとしている。
なぜそういうことになっているのとかいえば、人間は虚偽であるという認識からである。虚偽な人間が真実(=阿弥陀さん)に近づこうとする意識性は、すべて虚偽ということになる。
法事が「仏法をまなぶ事」にならず、単なる人間の意識性から出発した追善供養になってはならないと親鸞は考えている。
その大前提になっている「人間は虚偽である」という認識も、人間の自己反省ではなく、阿弥陀さんとの出遇いから出発している。
つまり、南無阿弥陀仏という出遇いであるゼロ地点からすべてが出発しているのだ。
比喩的にいえば、お浄土への入口は西方にあるのではないよ、お前の目の前にあるよといっているのだ。ここではなくて西方何万キロも隔たっているということになれば、そこへいく方法も考えてしまうだろう。しかし、お前の目の前に、いま開かれているとなれば、そんな呑気なことはいっていられない。
その入口に入るか入らないかは、お前の今の「南無」以外にはないからだ。
なぜ南無しなければならないのか。
 その理由は人間には知らされていない。ただ、阿弥陀さんがそうせしめているからだろう。
 譬喩的にいえば「真実」なしに人間は生きられないからだ。「真実」に合一したい、「真実」に生きたいという人間の根源的欲求がそうさせているのだろう。
 この「真実」という言葉も譬喩でしかない。人間が使っている「真実」という言葉は人間の虚偽なる言葉だから、〈ほんとう〉の真実を表現しているわけではない。
 「真実」とあなたが聞いて、あなたの頭の中に描いた真実でしかない。そのあなたの頭の中の真実と、あなた自身が対話しているにすぎない。そうやって内面へ内面へと自己内対話をしていくと、出口がなくなるだろう。
 そのとき、ふと見上げると、真夏の樹木にセミがとまってミンミンと鳴いている。あの姿こそ真実の姿ではないかと教えられる。人間の「意識性」ではとうてい到達することのできない真実の姿である。
 ただ、その姿に真実を拝めるのは、セミではなくて人間というだけのことだ。
●2015年7月28日●
調布で小型飛行機が民家に落ちて、三名の方が亡くなった。これを仏教的にどう見るのかと聞かれた。
小生の口を突いて出たのが「娑婆だからね~」だった。娑婆とは、人間の思いやはからいとは無関係に、厳粛な縁起の法則で動いている世界のことだ。もとを正せば、飛んでいる物体は引力によって落ちるわけで、それを無理やり人間は飛ばせているわけだ。
飛行機に乗っていたひとはともかく、飛行機が落ちてきて亡くなった方は、なぜ亡くならなければならなかったのか。そを問われても答えることができない。民家にいたひとは、いわゆる「何の落ち度もない」ひとだった。
共同幻想の社会として、つまり人間が観念の産物として生み出した「社会」という意味世界を前提にしていえば「何の落ち度もない」ということになるのだろう。
しかしだ、たまたまそこに「いた」ということは、やはり「たまたま」という縁があったとしかいいようがない。それは何も、あらかじめ決められていた運命的なものを想定しているわけではない。そんなオカルト的なことを観念してはならない。
人間には事故の結果しか知らされていない。原因はわからない。たったひとつの事故の原因を探っていけば、無量無数の因が絡み合っている。またまた事故に遭った人が家にいたとか、たまたま飛行機にトラブルが起こったとか、その「たまたま」ということを挙げ連ねていけば、無量無数の因が生まれてしまう。事故でも病気でも、人間には「結果」しか知らされていない。
これが娑婆の本質なのだ。なぜその方が亡くなられたのか、その原因をひとつに決めたいという欲望から解放されなければならない。人間は、決めたいという欲望をもっている。それを仏教では貪欲と呼んできた。「決めたい」と思い、「決める」ことで、知りたいという貪欲を満足させたいのだ。おぞましい欲望だ。
共同幻想の社会では、一応「事故原因」を決めることだろう。しかし、それは仏法的にいえば、中途半端な原因になってしまう。原因はそれこそ無量無数だから、それを突き詰めていけば、加害者の加害性が分散し、罪を追求できないからだ。人間の世界は冷たい世界だから、罪を追求する相手を生み出す。
そもそもこの娑婆の本質は因縁所生の世界なので、人間の予定や都合とは乖離しているのだ。人間は「まさか」と思うが、「まさか」というのが娑婆の本質であり、これこそが〈ほんとう〉の世界なのだ。人間の予定や都合は観念で作り上げた意味世界であり、仮の世界である。
 「まかさ」が圧倒的に大きく、人間の予定は微かに小さい。
●2015年7月20日●
私の内面を、ほんの少し、ちらっとかすめた、自己嫌悪をするような心であっても、その心は一切衆生の典型としてのこころなのだ。
私は自己嫌悪すべき心をみなかったことにして、こころの中に隠しておこうと小賢しく振る舞おうとする。
しかし、そのほんのちらっとかすめたようないやらしいこころをなかったことにはできない。それを見てしまった私がいるのだから。
でも、そのこころは、ほんのひと滴の水滴が、やがて大河となって流れだすように、やはり、大河の一滴に違いない。
そのいやらしいこころは、ほんとうは、実に尊いこころの動きだったのだ。そのひと滴のこころの動きを、人類を代表して、いま私が体験しているのだから。
こんな小さなこころの動きも、地球的な、大きな宇宙のひとつの身震いのあらわれなのかもしれない。
【お知らせ】
【東京新聞「生きる」欄〔8月22日版と29日版〕に拙稿が掲載される予定です。】
●2015年7月18日●
 真宗門徒の子の相談で、相手が神道なので結婚式を神式でやりたいといっているがどう対応したらいいかと聞かれた。私は、何も仏式にこだわらなくても、神式だろうがキリスト教式だろうが何でもいいと思うと応えた。それがどんなに重要な儀式(形式)だったとしても、そんな形式ぐらいではびくともしないのが〈ほんとう〉の信心の行者の座り所だからだ。
まあこれは本質論としての応え方だ。段階論的な応え方であれば、神式でやったとしても、後でもう一度仏式の仏前結婚式みたいなものをやったらいいのではないかという言い方もできる。
 もっといえば、どんな形式でやろうと、その形式は真宗内的な出来事だからなのだ。「かしこみかしこみ…」でも「天にますますわれらの父よ…」であっても、それはすべて真宗内的な出来事に過ぎない。
 それは単なる寛容性ではない。表面的には寛容にみえるが、徹底した厳格主義である。私が呼吸するのも食べるのも話すのも歩くのも、すべて阿弥陀さんに対面している生活以外にはないという厳格主義である。私の目の前にはつねに阿弥陀さんしかいないという厳格主義である。
 それが南無・阿弥陀仏という信仰だ。
 その阿弥陀さんとは個人の内面に捏造された偶像ではないかと誤解されてしまう。そう誤解されれば南無阿弥陀仏もアニミズムになってしまう。阿弥陀さんとは決して、人間の知では理解できない、それでいて人間を徹底して問い続け、さらに人間を徹底して否定してくる何者かである。
 だから人間が知でもってつかめるものではなく、逆に阿弥陀さんからつかまえられるものが人間である。
【お知らせ】
【東京新聞「生きる」欄〔8月22日版と29日版〕に拙稿が掲載される予定です。】
 
●2015年7月14日●
うちの檀家(門徒)の柿澤未途さんの国会報告会が昨夜あった。所属政党・維新の党は政府与党に対して、安保法制の対案を出している。いまの政府の案だと世界中どこにでも自衛隊が派兵できてしまうので、日本周辺と限定しようという骨子らしい。
集会には田原総一郎さんが来ていて、30分ほど演説された。もちろん応援演説もあった。戦後、自民党内に反主流派があって、野党勢力以上の力をもっていた。しかし小選挙区制になってから、反主流派ができなくなって、与党主流派だけの流れになってしまったから、いまこそ野党が野党としてちゃんとしたはたらきをしなければならないと力説していた。 戦後日本人はアメリカの核の傘の下で、防衛ということについてまったく考えずに済んできた。日本には憲法九条があるから大丈夫だとタカをくくってきた。しかし、東西冷戦がなくなり、アメリカは日本を守る意味がなくなってきた。むしろ自国の内政に力を入れるべきだという流れになっている。そんな流れの中からフィリピンから米軍が撤退した後、中国が南シナ海に進出してきて軍事基地を作ろうとしている。この傾向をみると、沖縄から米軍が撤退したとして、中国の猛威が懸念される。
アメリカ軍を軍事抑止力として何とか日本に留めておきたいという政府与党の思いも理解できる。
これから国会がどうなるのかはわからないが、政府与党は多数派攻勢で強行採決をする兆しだ。アメリカの顔色を伺って秋までには何とか結論を出さざるを得ないからだ。地元でも安保法制に反対の動きがあって、私に呼びかけ人になってくれと要求されたが、それは拒否した。気持ちはわかるが、そういう形で運動をする気持ちにはなれない。
反対派にも賛成派にも正義があって、どちらもいいことをいっている。マスメディアでは反対派の意見が多い。多くの憲法学者は反対しているとか、違憲であるとか。しかし、そもそも憲法九条自体が違憲なのだ。違憲だという法律家もいる。違憲なのに、それを解釈して違憲でないとねじ曲げているだけのことだ。いまさら安保法制が違憲だ違憲じゃないといったところで始まらない。いくらでも解釈を変えることで違憲ではないと言い張ることができてしまう。
 そもそも九条が成り立ってきたのはアメリカの傘の下だったからではないのか。アメリカの傘の下で平和を主張しても、外国からみれば矛盾に見えないか。
一切の防衛手段を持たない国家とならなければ、九条は有名無実になってしまう。果たして丸腰の国家になれるのだろうか。相手国が戦争を起こす動機をなくすことが大切だという主張もある。外交を活発化して、つながりを深め、戦争を起こそうとする動機そのものをなくさせようというのだ。これも一理ある。
中国と日本は、頭では何だかんだと言い分をぶつけ合っているが、ヘソの下では密接な関係を保っている。観光や経済では中国抜きに日本は動かないようになっている。それにしても一党独裁は台風の目だ。
我が大谷派も非戦決議とか安保法制に反対の声明を出している。リベラルな人々から賛辞をもらっている。大谷派宗門が当時、戦争翼賛し、戦争に加担したことを反省することが声明発表の動機になっている。
 しかし反対も賛成も、それが運動になったとき、どうも馴染めないものになってしまう。学生運動の時代、安保反対が当然の思想になっていた。そして、ノンポリ学生に対してアジビラが撒かれた。まったく動こうとしないノンポリ学生に対して運動をしている学生は高みに立っていた。自分たちは彼ら以上に優秀で、正しく、世界の情勢を知っていて先がみえている、動かない学生は馬鹿だと思っていた。そういう形がいま出来上がってしまいそうな危うさを感じている。
 私は動かない。動けずに関心をもちつつ、ジッと考えることしかできない。
●2015年7月3日●
ここのところ更新が遅れているから、たぶん忙しいんでしょうね~と言われてしまった。確かに、6月月末は本山(京都・東本願寺)で新しい住職さんたちの修習があり、そのための講師をつとめた。全国各地からお集まりになった住職さんと総代さんが52名。九州から参加の方は、別府からフェリーで神戸港に着き、そこから京都をめざされた。船中泊、それから京都で二泊三日、また帰路に船中泊と四泊の工程で参加されていた。まったくご苦労さまだった。
また専業で住職のできる方が三分の一、三分の二は兼業、つまり他に職業を持ちつつ住職をつとめられる方々だった。なんと門徒数がゼロという新任住職さんも参加していた。門徒とは世間でいう「檀家」のことだが、檀家の数がゼロで、なぜ住職をやろうと決心されたのだろう。彼は、ただやってみたかったと応えたそうだ。まあ、何代にも渡って寺を維持されてきた方々への思いが、彼をこの場へ押し出したのではないかと憶測した。
私は、寺をどのような形で維持するかが問題ではないと語った。まず、自分一人が親鸞の教えに出遇い、これで自分も人間として生きられるようになりましたという謝念が起こらなければ、寺を支えることは空しいと語った。形だけの維持も大切なのだが、できればこころがあってほしい。
寺とは信心の畑だから。寺がある限り畑が維持される。不作のときも豊作のときもあるだろう。ただただ畑を維持することだけが大切なのだ。大谷派は真宗に奉仕するための共同幻想体だから。
寺が嫌で飛び出したとしても、真宗から逃れることはできない。真宗とは人類の永遠の課題に応えたものである。永遠の課題とは「必ず死ぬのになぜ生きるのか」という問いに応えたということだ。この課題は、民族も宗教も超えて、人類普遍の問いである。だから寺で暮らすかどうかは別にして、人類はみんな真宗の中にあるのだ。真宗の問いの中にあるのだ。真宗から逃れて生きることは、人間としてできないようになっているのだ。
逆の言い方をすれば、人類永遠の課題を真宗と表現しただけのことなのだ。その問いに誠実に応えようとしてきたのが大谷派だっただけだ。
まあ、親鸞亡き後、道場仏教が寺院化し、それが教団として巨大化し、歴史の流れに翻弄されながら、矛盾を抱えつつここまできたというのが大谷派である。まあダメなところは80%くらいあるのだが、その中に辛うじて真宗の問いに誠実に応えようとしてきた部分もあったのだ。それだけが大谷派の評価できる部分である。
まあ一つ悪いところがあるからといって、全部ダメだというデジタルな発想では、それが見えないのだが。別の言い方をすれば、人類のダメな部分は、すでに大谷派の中にすべて温存されているといってもよい。もっとそれを近づけていえば、自分の中に全人類のダメな部分はすべて含まれているのだ。だから、自分をみれば人類のことがすべてわかる。また大谷派の内部をみれば、人間の共同幻想のダメな部分がすべてわかるようになっている。
究極は「教恩なくして教団愛なし」なのだ。教えに出会って救われ、その恩に応えるということのひとつの道が教団を生きるということなのだ。もし親鸞のやり方だけで、寺院を持たず教団を持たなかったら、果たして真宗は温存できなかったに違いない。出家教団の殻という矛盾を抱えることで真宗が温存できたのだ。そしていまから思えば、この矛盾こそが信心を温存し育ててくれた保育器だったのだ。
在家仏教(親鸞=教えというソフト)と出家仏教(建物や衣などのハード)は常に矛盾するようにできている。だから、親鸞の教えを実践しようとすれば、寺は出家仏教の産物だから矛盾する。この矛盾によって真実信心が育てられる。
私も寺が嫌で嫌で仕方なかった。これは真宗の寺に生まれたものの宿命である。しかし寺から脱けだせば自由になれるかといえばそんなことはない。そもそも先にもいうように真宗とは人類永遠の課題だから。いまいる居場所が喜べないというのは、この世である限りどこにでもある問題である。
この問いに晒されながら、つねに寺とは何か、教団とは何かと問い続けることだけが真宗のいのちである。もうこれで寺のことはわかったとか、教団がわかったとなったら、それは真宗ではなくなる。真宗とは常に問いである。
お話のときに、住職とは過去形で語られないと語った。つまり「自分はもう住職になりました」と過去形で語ってはならない。思ってもダメだ。まあ厳密にいえば、大谷派的には任命式をうけて住職になれるのだが、真宗的にいえば、過去形で方ったら住職の死だ。つねに、住職とは何かと問い続けること以外に真宗を生きることはできない。
その問いは、永遠の答えを求め続ける流浪の旅ではない。「問い」が大事というとき、ただ問うことだけが大切だと、答えを永遠に先送りして「問いが大事だ」というとらえ方をする。まあそれは19願的とらえ方だ。
本当の「問い」とは、答えがわかった上で問い続ける「問い」なのだ。「答えがない」とわかった上での問いである。問うているうちに答えが見つかるという問い方は19願的だ。
「問い」が成熟していくと、もはや答えを必要としなくなるのだ。これが18願的な問いである。問いに生きるということは、もはや答えを必要としない問いに生きることなのだ。19願的問いは、答えがないと不満なのだ。しかし18願的問いとは、答えがなくて満足した問いなのだ。
それを「因位に生きる」ともお話しした。
それは、何もかも過去形で語ることができないという掟を生きることだ。たとえば自分は人間だ、人間になったと過去形で語ることはできない。まだ〈ほんとう〉の人間とは何かがわからない以上、私が人間になったと過去形で語ってはだめなのだ。
また大人になったというが、過去形で語ってはだめだ。まだ〈ほんとう〉の大人とは何かがわからないのだから。
そうやってひとつひとつ剥がしながら考えていくと、何一つ済んでしまったことはない。これが真宗の醍醐味だ。
●2015年6月7日●
桑名別院主催の真宗公開講座で三重県名張市へ行ってきた。
当初、依頼を受けたときには、名古屋からすぐだろうと甘く考えていたが、名張市は三重県といっても西端で、つまり紀伊半島の中央で、すぐに奈良といった感覚だった。名古屋までは新幹線で一時間半ほどだが、そこから近鉄線に乗り換えて一時間半を要した。講演は二時から、そして帰りの電車が四時四十五分だから、一日の大半を電車の中で過ごすような感覚だった。
遠いなぁと思っていたのだが、現地に着いたら「遠さ」の障りは消えていた。現地に着けば、自分がいまいる場所は、それが自分の場所になる。曠劫以来を背景にして、いまそこにいるだけ。「遠さ」とは煩悩だった。
700人規模のホールには各地からバスをチャーターして御門徒の方々が参集されていた。
そこで話を始めたのだが、なかなかモーターが動かない。なんだか話が展開していかない。どうも重たい気分で前半を終えた。
後半の冒頭、「全然話が乗ってきません」と正直に語った。なぜなのか、それはわからない。ホールという空間のせいなのか。聴衆との一体感が感じられない。だいたい聴衆の引きが悪いと乗ってこないのだとも語った。だから、話がつまらないのは、聴衆の引きの弱さなのだ。まあ、正確にいえば、こっちと聴衆の両方に問題があるのだが。
話が乗って来ずに終わってしまうこともある。それをいままでは「ダメだダメだ」と自分を裁いていたが、それも傲慢なことだと、いまでは思うようになった。それは事故みたいなもので、誰が悪いわけでもない。ただそうだっただけのことだ。
ひとは死ぬことをどこかで知りつつ日々を生きているのだから、宗教的でないひとはひとりもいない。この世に誕生するのは、宗教の中に身を投じるようなものだ。みすみす死ぬのになぜ生きるのかという問いの答えをみつけるために日々を生きている。
ただ、答えが「これだ!」と明確にとらえられてしまうようでは困る。「これだ!」と明確に、意識でとらえられる場合は、病的だと香山リカはいっている。
やはり、〈いま〉生きている場所は、四苦八苦の娑婆だ。だから、死ぬまで四苦八苦だ。その都度、なんでこんな苦しみに遭うのかと愚癡をこぼす。〈いま〉を絶対に受容することができない。そのとき、阿弥陀さんが発動して下さる。
意味が「わかる/わからない」という意識をグチャグチャにして下さる。わからなければダメだと思っている意識をスクランブルにして下さる。そして最後に、グチャグチャになった〈いま〉を与えて下さる。
 絶対不可思議の〈いま〉として与え直して下さる。
そういうことなのだろう。生きてあることを「概念」にして受け止めてはダメなのだろう。「イメージ」として、つまり曖昧なものとして温かく受け取らなければならないのだろう。わかったようなわからないような、そういう新鮮で不可思議なコトとして。
 
●2015年5月23日●
ああしたから、こうなったという考え。
それは因果論というやつだ。こうなったのはああしたからだと。こうならなかったのは、ああしなかったからだ。善因楽果・悪因苦果という考え方だ。
善因とは、「こうしたらいいなぁ」という考え方。その結果、楽果とは、「とても快適な状態が手に入った」ということ。悪因苦果とは「悪いことをやれば」、苦果、つまり「不快な状態が訪れるに違いない」という考えのことだ。
この因果論を使って人間は日々を生きている。
しかし歎異抄は「よきこころのおこるも、宿善のもよおすゆえなり。悪事のおもわれせらるるも、悪業のはからうゆえなり。」(13条)といっている。善因を積もうと思っても、そういう思いそのものが宿業の作用であり、どこにも責任の主体がない。悪いことをしても、悪いことをしようと思ってするのではなく、それすら悪業の作用なのだから、責任の主体がないという。
宿業という人間には手に負えないグロテスクなはたらきがあって、そのはたらきが全世界を支配しているなどというSF染みたことをいおうとしているわけではない。ただ、自分の意志で善いことも悪いことも行っているのではないということをいおうとして、「宿業」や「悪業」という言葉を使っているだけなのだ。人間の力が及ばない霊などのはたらきなどと解釈すると間違ってしまう。いくらジタバタしても人間には叶わない宿業の支配力で全世界は動いているのだなどとオカルティックに解釈してはならない。
この宿業という考え方を取ると、自分のいまが不幸せだったり苦しかったりしても、自分の行いを責めることから免れられる。悪因苦果という因果論に立つと、苦しい結果は自己の悪い行いが原因になり、自分が責められてしまう。それは基本的に人間を苦しめる発想ではないか。結果が楽(快適)か苦(不快)かは、自分の行いが決めているのではない。宿業のせいなのだから。
私は「宿業」を「避けざる必然性」と呼んでいる。
宿業というと暗いイメージがつきまとってしまうが、もっと違った言い方をすれば「阿弥陀さんのご催促」である。だから基本的に自分が自由に選びとれることは、この世に存在しない。そこまでくると、自我の因果論という束縛から完全に自由になる。
以前、相田みちおさんが「善いことはおかげさま、悪いことは身から出たサビ」と書いていたが、これに近い生活感情が南無阿弥陀仏だ。
善いことを自分には還元しないのだ。善いことは自分の計り知れないところから来たと受け止めている。といって、悪いことも自分の計り知れないところから来たと、無責任にはしない。悪いことは自分の所行の結果なのだと受け止めている。ここがちょっといただけないところだ。この考えだと、やはり自分の行いが悪いから苦に結びついたのだと自罰的な因果論に落ちてしまうではないか。
そこがもうひとつ突き破られていなければならない。底は二重底になっているように思う。一番の底は、最終的にどのような結果が訪れようとも、それは「阿弥陀さんのご催促」だったのだ。だから自分には全くの責任がない。自分に責任がないとわかって初めて、自罰的因果論から解放される。もうひとつ上部の底は、その自由を得たところで、再び娑婆に舞い降りる。つまり人間の住んでいる倫理的な娑婆に舞い降りる。人間の世界は決してひとを許すことのない、冷たい自罰、他罰の娑婆だ。ここでは麻原もヒットラーも救われない。人間の行った罪を決して人間は許さない。
法律家がいっていたが、最終的な賠償は「金」だと。様々な事件があっても、一度行われてしまった犯罪は帳消しにはできない。詐欺、強盗、傷害、事故、殺人など、一度行われてしまった罪は無くすことはできない。つまり犯罪がおきなかった前の状態に戻すことは不可能だ。殺人事件であれば、殺された被害者は生き返らない。その事件には二つの次元があって、ひとつには法律により刑事で裁く次元、ふたつには加害者と被害者の間に発生する保障の次元である。
そして加害者と被害者との間の心理的な問題を別にしてしまえば、金銭で保障されることになる。法律としてできることは、その次元までだと。
底の底は阿弥陀さんと自己の関係場だが、上部の底は人間対人間の関係場である。
底の底で、丸ごと許された人間が、上部の底へ戻ってきて、人間対人間の関係場へ降り立つ。そこで初めて「悪いことは身から出たサビ」と言い切れるのだろう。
おそらくドストエフスキーが『罪と罰』で描きたかったところもそのへんにあるのではないか。あそこでは老婆殺しの完全犯罪が成り立っている。人間の娑婆からは罪を問われることはない。しかしそれでは人間として、自分のすべてを受け取ることにはならなかった。そこで大地に接吻し罪を受け入れていく。
根本的に許されたが故に、決して許すことのできない人間の関係場へ降り立つことができたのだろう。人間は許すことのできない冷たい関係場だ。そのことも阿弥陀さんはお見通しなのだろう。阿弥陀さんの悲しみの愛に包まれて、人間の関係場もあるのだから。

●2015年5月17日●
零から始まる
親鸞は「行」の宗教に死んで「信」の宗教を創造した。「行」の宗教とは、身体性を重要視する宗教だ。現代アメリカでは仏教徒が3000万人になっていると聞く。組織化された信徒ではなく、趣味として、あるいはこころから仏教に惹かれる人々の数である。彼らが惹かれているのが「身体性重視の宗教」だそうである。瞑想仏教やヨーガや禅がそうだ。
ビートルズがそうだったように、西欧人はインドなどの神秘主義に憧れる。それをオリエンタリズムと呼んだりする。地球儀という球体をセルフの形にしてみれば、エゴ(自我)の部分は西洋で、エス(無意識)の部分が東洋である。エゴはつねにエスを憧れる。そんな大きなうねりのなかにあるのかもしれない。
それは現代日本社会でも起こっている現象である。いまだにオウム真理教の信者が微増しているのはそういう理由だと思われる。
ところで親鸞は「身体性重視の宗教」を危険な宗教として意識している。彼も常行三昧堂で神秘体験をしたはずである。結論をいえば、神秘体験が危ないのは、「いつでも」体験し続けることができないからだ。寝ているときも、ご飯を食べているときも、セックスしているときも、パチンコをしているときも、酒を飲んでいるときも、車の運転をしているときも、散歩をしているときも、買い物をしているときも、そんな日常の中では体験できないのが神秘体験だからだ。ある特定の時間や場所でしか体験できないものは、危険な体験だと知っていたほうがよい。
もっといえば神秘体験は、それを必ず「過去形」で語れてしまう危うさである。禅宗にしても、過去形で語れる「さとり」は野狐禅と呼び、〈ほんとう〉のさとりではないと見なされている。禅宗の中にも真宗(〈ほんとう〉)が流れているので、ちゃんと防腐剤が仕込まれている。
さとりを「過去形」で「さとった」とか、「自分はこういう悟りの体験をした」と対象化して眺めることができたときには、〈ほんとう〉のさとりではないのだ。まあ人間は過去形にしたいものなのだ。「信心を得た」とか「さとった」とか「神秘体験をここまでした」とか。それは貪欲なのだ。煩悩だ。
親鸞は「身体性重視の宗教」が危険だと知ったので、「人間から信ずる必要のない宗教」を打ち立てた。それはいままで仏教といわれてきた概念を粉砕し、まったく新しい信仰を開いたのだ。
法然も、〈ほんとう〉の宗教は「いつでも、どこでも、誰でも」のところで成り立たなければならないと直感していた。だから、称名念仏以外にはないという。それでナンマンダブツ、ナンマンダブツと口で称えていたのだ。親鸞はその考えにも満足しなかった。行為としての念仏であれば、「いつでも、どこでも、誰でも」は成り立たない。信という精神性にまで深めないと成り立たないと思った。念仏を称えることが真実の行だと法然はいうのだが、念仏を称えることによって何かを期待するような行は、仏教ではないと親鸞は直感した。念仏は報恩行である限り、感動のあまり称えられてしまうものであって、さあこれから称えて何かを期待しましょうという念仏であってはならない。念仏は感動の結果であって、原因を作為するものではない。
私のよくいうフレーズでいえば、「親鸞以前の宗教は、修行をしなければ救われない。しかし親鸞の宗教は修行をしたら救われない」となる。もっといえば修行をしようと思ったら救われないのだ。法然までは、とにかくいつでも念仏しなさいと、それは念仏とは感動の結果、自発的に生まれてくるものであって、念仏を称えて何かを期待してはいけませんよと。生活全体が阿弥陀様に南無し奉仕する生活でなければいけませんよと教えた。それは自動車のエンジンであれば、セルモーターのようなものだ。
親鸞は、少しずつ精進して、生活のどの場面を切り取ってもナンマンダブツと口に出しなさいとはいわない。生活のどの場面を切り取ってみても、自力無功であり、自力の思いを超えていることに、圧倒されなさいと教える。だから、「さあこれから念仏を称えよう」という意志すら必要ないと教える。これから念仏しよう、念仏して何かを期待しようというのは貪欲であり、自分の力で何でもできると考える「自力のこころ」だからだ。だから人間からは何もする必要がないし、何かをしようと意図することすら不要である。なぜならば、阿弥陀さんがいいようにして下さるというのに、それを拒否して、自分で自分の未来をなんとかしようとするからだ。
何かをしようとするのは、逆に阿弥陀さんの愛を疑っていることになる。絶対他力なのだから、こちらから何かを意図する必要もない。すべてがお任せなのだ。
 それが存在の「零度」である。零度から出発するのだ。存在の零度もなく、何もそこからは始まらない。零度があって初めて1、2、3…と行為が生まれていくのに。存在の起点がないところに何も生まれない。これも言い古されてきた言い方だが、「Being(存在)が先でdoing(行為)は後」である。まず存在を存在として受け止めたところからしか行為は生まれない。

 それにしても、人間は「因果論」が好きだ。ちゃんと病院にいっていれば病気にならず死なずに済むとか、健康を維持するために運動をしていれば、老後も安心だとか。善因楽果、悪因苦果という発想である。ところが、人間が意図したように未来はやってこない。やってきてほしいというのは貪欲である。
しかし、自分が望んだ通りの未来がやって来ないから安心という世界もあるのだ。なぜなら、自分の悪が未来に悪因苦果として作用する保証はないからだ。善因楽果になる保証もないから、我武者羅に頑張る必要もない。よいことをしても結果がよくなる保証はどこにもない。悪いことをしても結果が悪くなる保証もない。そうはいっても因果論から自由になることもできずにいるのだが。まあほどほどどにしていればよいことだ。「浜までは海女も蓑着る時雨かな」(滝瓢水)で、娑婆のことは娑婆なりに、ちゃんとやっていればよいことだ。
物事の本質が、善因楽果・悪因苦果ではないとわかっていればよいのだ。〈いま〉この場は間違いなく不条理を土台にして成り立っているからだ。
この場はつねに零である。
「弥陀成仏のこのかたは今に十劫をへたまえり」と親鸞はうたっている。十劫とは永遠を意味する。阿弥陀さんが全存在を救って仏さんになられたのは、〈いま〉から数えれば永遠の昔なのですよという意味だ。ということは、全存在は、もう既に救われていることになる。それは救いの視座が開かれた世界をうたっているのだ。この永遠という時間を計っている起点は何かといえば〈いま〉である。〈いま〉という起点が開かれなければ永遠も永遠としてのはたらきを失う。〈いま〉救いのはたらきに浴しているから、永遠を永遠として仰ぐことができるのだ。つまり自分は永遠のときから救われていたと、〈いま〉目が覚めたというだけのことだ。
救いのなかにあって、自分だけは救われていないと思い込んできただけだ。それが夢だったと覚めたのだ。

法事が嫌だな、面倒だなと思った。その面倒さの本質はどこにあるのかと思えば、それは「わかっている」という罪だ。法事とは何かをどこかで知ってしまっているのだ。だから当たり前になり、面倒だという愚癡が出る。いままでの過去の法事は知っていても、まだ未来の法事をしたことがないのに、自分は、もう既にわかったことにして済ませていた。この罪が愚癡を吐かせたのだ。〈ほんとう〉は常に零だ。まだ何も知っていないのだ。それが本質なのだ。
南無とは、零度に正対して対面している姿だ。〈いま〉目の前にしているのは、永遠を背景とした世界だ。目の前の光景は、〈いま〉だけで成り立っているわけではない。〈いま〉が成り立つ背景には昨日があり、百年前があり、46億年がある。つまり自分の眼前には永遠で成り立っている〈いま〉が展開しているのだ。
 これこそ親鸞が眼前に見ていた世界ではないか。それは行為性から自由になった「零度の存在」の宗教である。
●2015年5月2日●
吉本隆明さんのお宅にお邪魔した。
いまは亡き吉本さんの自宅は、長女・ハルノ宵子さんが営む「猫屋台」へと変身していた。塀の向こう側はすぐに墓場が林立している。そこは諏訪山吉祥寺の境内である。太田道灌が礎を作ったとされる吉祥寺は、江戸城→和田倉→現在地へと変遷をたどってきた。当時は千人以上の学僧が集う「栴檀林」(学問所)であったという。中央線の吉祥寺は、この当たりの江戸市民を明暦大火後、幕府が移住保護したことに因んだ名前らしい。とてつもなく広い境内だ。
八百屋お七や二宮尊徳の墓がある。その側を、猫たちがうろついている。どうも吉本さん家に縁のある猫たちらしい。
路地からエントランスが奥へ伸び、入口には「吉本」という表札が見えた。縁側には段ボールで猫の家が「二軒」しつらえてあった。さすがに『それでも猫はでかけていく』の著書、宵子さんの城だと感心した。
私のイメージとしては、もっと古めかしい森鴎外や夏目漱石がぬーっと出てきそうな、そんな家に吉本さんは住んでいると思っていた。しかし現実は、予想に反して近代化したホームといった感じの家だった。玄関から突き当たると、吉本さんの書斎があった。床から天井まで作り付けの本棚に、本がびっしりと積まれていた。机には文字を拡大するための特殊なワープロが置かれていた。当時、吉本さんはだいぶ視力が弱っていて、一文字一文字を巨大化して画面に映さないと、原稿を書くことができなかった。小生が2002年1月(『アンジャリ』2号)に依頼した「永遠と現在」の原稿も、このワープロで打たれたに違いない。いまは、もはや永遠に打たれることのないワープロが孤独に置かれていた。
吉本さんは戦後の焼け跡と化した東京から、国訳一切経を購入し、リュックに詰めて帰郷したと芹沢さんからお聞きした。なぜ国訳一切経だったのか。古事記や日本書紀や万葉集ではなく、なぜ一切経だったのか。そこに吉本さんは自らの思想の帰るべき故郷を直感していたのだろう。
書斎からカギ型に右直すると、そこは10畳ほどの和室客間だった。最晩年の吉本さんはここで過ごされていたらしい。吉本さんが亡くなられた後に購入されたという仏壇が安置されていた。命日は平成24年3月16日、法名は「釋光隆」(87歳)とあった。なかなか素敵な法名ではないか。
ここで「猫屋台」の料理をいただいたのだが、いずれもシンプルで無駄のない、あっさりとした料理だった。しかし、どうも居酒屋に来ている気分にはなれなかった。親戚のお宅にお邪魔して、ご馳走になっているふうな肩身の狭さというか、窮屈さを感じていた。なぜそういう気分になったのか内省してみたのだが、やはり、それは吉本さんが少し前までここで暮らしていた雰囲気が残存していたからではないか。いまだにオーラかプネウマが残っていて、そういったものが重たくのしかかってきたのではないかと思った。
床の間には高浜虚子の「只ままの影がありけり菷草」が掛けられていた。「そのままの影がありけり箒草」は、ネット検索で出てきたが、「只ままの…」はヒットしなかった。この一幅だけが存在しているのかもしれない。この俳句のこころを吉本さんは、どういうふうにいただいていたのか。
襖には猫たちの爪痕がたくさん残っていて、これもこの部屋のデザインのひとつとして溶け込んでいた。有名な「シロミ」ちゃんが我々を表敬訪問された。彼女は社交家らしく、客と頭と頭をゴッツンコする挨拶を交わしてくれる。
墓場からの心地よい夜風に任せて、我々は吉本さんの「お通夜」を改めて執り行ったような気分になった。
●2015年4月25日●
1Fでお勤めされている方にお会いした。
1Fとは、東京電力福島第一原子力発電所のことである。竜田一人という漫画家が『いちえふ-福島第一原子力発電所労働記』(1)(2)を出版している。竜田さんが「いちえふ」で働いたドキュメンタリー漫画である。以前この漫画を読んでいたので、実際にいちえふで働いている方の話が身近にとても印象深く、身近に感じられた。
 彼は一号機でクレーン作業をされているという。それもモニターを見ながら遠隔操作で巨大なクレーンを駆使して作業をされている。それでも放射線量を計る計器をつけて、線量に気をつけながらの作業である。一日の作業時間が2~3時間で目一杯になるのは、漫画を読んでいたので知っていた。宿舎から作業現場への自動車渋滞、さらに発電所に入ってから、何枚も防護服を重ね着したり、何枚も靴下を履いたり、さらに顔前面を覆うための全面マスクを目張り装着する。靴下や手袋はすべて使い捨て。マスクを付けてからの顔面の痒みが大問題らしい。これも『いちえふ』に描かれていたので質問してみた。やっぱり、マスクを付けてから痒みがきたら、それに耐えることがすさまじいらしい。防護服とマスクはバッチリ目張りしてあるから現場で外すこともできない。そのときどうするか! 彼は、もうどうすることもできないので、成り行きにまかせるしかないという。そのまま我慢していると最後には涙と鼻水がどろどろと出てきて、もうどうにでもなれというこころになるらしい。これはすごい。
 作業が終わると、サーベイといって、被曝線量の検査がある。それを一人一人検査して、身につていたものを脱いだり廃棄したりして、自動車で発電所の出口に向かって殺到するのだ。そこでは大渋滞になるそうだ。なぜならば車の線量を検査するかららしい。そこまで線量に対して、丁寧にはかっているということは知らなかった。だから実際の作業以上に、現場に到着するまで、そして退去するまでの時間が想像を絶する。
現場で高線量になると線量計のアラーム音が鳴り出す。最初は驚いていたが、やがてそれにも慣れっこになるらしい。各人の年間被曝線量があらかじめ定められていて、それを超えてしまうと、いちえふで働くことができなくなる。以前、線量計をごまかして被曝線量を少なく申告していたことが発覚して大騒ぎになったためか、いまは、その手の不正はなくなったらしい。みんな長い間働きたいのだから、そういう不正も起こるのだろう。
現場の労働環境を淡々と竜田一人さんは書かれている。現場での挨拶が「ご安全に!」だそうで、必要以上に不安を抱えることを拒否しているようで、凄味のある挨拶だと思った。竜田さんは、四次下請けだったか五次下請けだったか、とにかく下請け構造が常識化している。それを強く批判するわけでもなく、淡々とそういう構造なのだと受け止めている。
私の出会った方は、クレーン操作をされているので、特殊技術取得者だった。竜田さんのような単純労働ではないので、それなりに給料はよいらしい。当初、いちえふで仕事をするキッカケは、やはり金銭だったとおっしゃる。ところが、最初は皆、金が目当てでいちえふに来るのだが、それが徐々に変化していくのだそうだ。この過酷な仕事を何とか継続し、この災害からの復旧をなんとかやり遂げるのだという使命感に変わっていくのだそうだ。それは自分ばかりでなく、ほとんどのひとがそういう変化を遂げているのだという。 これは、何か、あの大戦へ出生した青年兵士たちのマインドと通じるものがあるのではないかと思った。
それは政治体制としての国家を守るというよりも、この大地に暮らしている家族や友人や知人たちを守らなければならないという使命感だろう。
彼の話を聞いていて、我々のために辛い仕事を日々続けておられることに、ただ頭が下がるのみだった。でも、私はその方のお話を聞き続けることしかできなかった。
「ご安全に」と願うしかできなかった。

●2015年4月3日●
非行少年には四つの共通点がある
2015年 3月28日(土)の東京新聞に「少年事件が問うもの?」として井垣康弘(1940年。家裁裁判官。現在は弁護士)さんの発言が載っていた。

1心の居場所がない。
2自尊感情がない。
3人生の目標がない。
4他者から必要とされていない。

 この四つの「ない」がそろったとき、つまり四つのゼロ状態に置かれると、少年は非行に走りやすくなるといえるのです。
 しかし、四つのゼロ状態に置かれた少年でも、他者を殺してしまう非行に至るのはごくわずかで、実際には、はるかに多くの子どもが自殺してしまう。少年のデータを調べてみると、一年間で殺人の既遂が八人、傷害致死が十七人。一方、自殺者は五百四十七人もいる。少年審判で非行少年に接してきた者としては、社会は少年による殺人事件におびえるよりも、それ以上に四つのゼロ状態に置かれた子どもが自殺していることに、もっと関心を持たなければならないと思うのです。

 この文章を読んだとき自分の固定観念が揺さぶられた。四つの「ない」が揃ったとき、それがそのまま少年犯罪につながると思っていたからだ。確かにつながるのだが、それはむしろ氷山の一角であり、圧倒的に自殺(自死)を生んでいるということだ。まあ統計の取り方も注意しなければいけないが、そういう傾向が強いことを教えられた。
 しかし、果たして自分の子ども期を考えてみると、この四つのうちのほとんどに当たっていたと思われる。自分を普遍化するのもよくないのだが、周りを見てみてもこの四つが「ある」と応えられる子どもは少ないのではないだろうか。
 自尊感情などないのが思春期ではないか。自分はダメな存在だ、この世にいてもいなくてもよいという感情は、ごく普通な感覚としてあるように思う。もしこの否定的な感情のないひとは、とても恵まれた環境にあることを自覚すべきだろう。
 人生の目標などないというのも、ごく普通の青年期の感覚ではないか。むしろ、あると応えられることのほうが異常じゃないのだろうか。
 他者から必要とされるということも、どうか怪しい。あなたがいなければ私は困ります、生きていけないなどというのは、若年恋愛で熱愛中の子どもでもなければ成立しない。普通の過程環境では、難しいように思える。そんなことはない、現代の親子関係でなら成り立つではないかといわれそうだ。しかし、現代の親子関係は、芹沢俊介さんが「教育家族」と命名したように、アメとムチのリングなのだ。親は親の言うことを聞く子どもは愛するが、それを拒否する子どもは排除する。それは空間的な家庭から追い出す場合もあるが、親のこころの中から追い出すのだ。だから子どもは親から必要とされていると感じても、親の顔色を伺った上で、そう感じているだけなのだ。親は無条件に子どもを愛せないからだ。あくまで親の言うことを良く聞く、いわゆる「いい子」しか愛さない。
 唯一、私にはこころの居場所があったことだけが、窒息状態から脱けださせたのかもしれない。
 この四つの「ない」は、思春期の問題であると同時に、人類全体の問題ではないか。
超高齢化の日本のご老人にとっても、人ごとではない。

1心の居場所がない。→答えは「浄土に心が住む」
2自尊感情がない。→答えは「裁きの自己を対象化する」
3人生の目標がない。→答え「阿弥陀さんにおまかせした往生浄土の生活をおくる」
4他者から必要とされていない。→答え「相手が話しかけたくなるような人間になる」
おそらく真宗からの答えとしては、そういうことがいえるだろう。
●2015年3月27日●
昨日、今日の得度研修会でも、やはり「一人一世界」こそが、真実の世界だと語った。
伝統的に「身の事実」という言葉で語られてきた世界観は、代替え不能の実存を語る言葉だ。「独り」というのは世界観である。大勢の中に孤独な存在がポツンといるということではない。この世界を世界と見て感じ取っている世界こそ、一人一世界なのである。
だから「生きる」ということを誰かと変えることができない。食べる寝る病になる、歩く笑う等の生理的、肉体的な反応は「代替え不能」である。
これこそが、「生きる」ということの〈ほんとう〉の姿である。
だから、本質的に、他の実存と自分を比べることはできない。不可能である。ところが人間は、比べる生き物だから哀れだ。比べることのできないものを比べて、苦しんでいるのだ。まさに自業自得である。
子どもより親が先に逝くという固定観念がある。親は子どもより生きる時間は短い、子どもは長いと比べている。そんなことは比べられるものではない。私たちの「生きる」という大地は、予測不可能、空前絶後の奇跡の展開だからだ。ただ、辛うじて、今日が無事だったということだけだ。この「無事」というのも当てにならない、それはただ人間の思い通りにことが済んだというだけで、事実は人間の思いとは違う次元で動いているからだ。だから思いに対して事実が牙を剥くことがある。思いはそんなとき「まさか!」と吐く。現事実は、「まさか」の連続なのだ。それが現実であり、日常なのだ。
それを、平穏とか無事とかいう、お為ごかしで自己慰撫しているだけだ。
思いは現実に対して、常に「手遅れ」である。
比べて苦しんでいるのはわかっていても、この「比べる」という煩悩を捨てることができない。親鸞は「邪見憍慢悪衆生」(正信偈)と述べている。邪見とは、自分の思い通りにことが進むはずだという憶見である。憍慢とは、その邪見をもとにして、比べることのできないものを比べ、また比べて俺様が上だと高上りすることである。
厳密にいえば、物事を「見る」ということも、私たちは客観的に物事を見ているわけではない。「見る」ということ自体が比較心を支えにして成り立っているのだ。「見る」ことで「見えてきた」世界とは、比較した上で、つまり物事の差異を見いだすことで「見えてくる」世界である。だから比較という知がなければ「見える」ということもないのだ。
そう「見えた」ということは憍慢心のうえに「見えた」世界なのだ。だから、もう骨の髄まで煩悩が染み渡った存在なのだ。
だから〈ほんとう〉の世界を人間は見ているわけではない。そう見えたということは、あくまで「人間的に」そう見えただけである。〈ほんとう〉の世界を見ているわけではない。そう思うと、桜を見ても、〈ほんとう〉の桜を見ることはできないのだなぁと感慨が深い。〈ほんとう〉の桜を見ているわけではないのに、「桜は綺麗だ」と漏らすのだ。
哀れな存在だ。
人間は。
●2015年3月25日●
老いることは、凝集ではなく、拡散ではないか。
今年61歳になる。還暦を越した。誰かの61歳ではなく、独生性の61歳だ。他の誰かと比べることの、まったくできない61歳だ。
そして改めて、老いるということを考えた。老いることは、人生の総決算とか、人生をまとめる時期だとか、そういう凝集性で見る見方がある。しかし、それは間違っていたのではないか。
むしろ老いるということは、拡散ではないか。ご飯粒を床に落とすのも拡散だが、子や孫が増えるのも拡散である。財も最後には拡散していかなければならないだろう。
自我が充分にコントロールされて、「天命を知る」とか「耳順う」とか、物分かりのよい好好爺になっていくというのは、どうも違うような気がする。
もっともっと拡散してよいのではないか。綺麗な言葉でいえば、拡散の結果がすべて「人々のためのみになる」という方向だ。肉体も腐って、ウジやバクテリアのためになればよいのだ。
若いころは、「意味」を目指し、凝集した「意味」を目指して生きている。自分は〇〇であるという肩書や大義名分を背負って。しかし老いるというのはその逆で意味が解体し拡散していくことだ。
人生とは「意味」を求めて出発し「無意味」に着していくことではないか。
老いるという視点をとってみれば、人生は、どこを切り取ってみても「無意味」に接していたのだ。ただ若いときは、それを無視できた。老いるということは、意味に無意味が浸透して解体し、拡散することだ。
自分に責任をもつ等という、傲慢な見方が解体することだ。無責任が全身を覆い、無意味に浸食され、解体していけばよいのだ。野に咲く雑草のように。
ああ、そうだったのだ。
拡散だったのだ。
●2015年3月18日●
取り去っていく思想

一遍が「捨ててこそ」といい、煩悩を捨ててと親鸞以前の仏教がいってきた。その「捨てる」というのは、どういうことか。
名を捨て、家を捨て、仕事を捨て、財を捨て、無一物になれというのは、最終的に死へと導かれる思想ではないか。
吉本隆明が、法然・親鸞の浄土教以外の仏教はオウムを批判できないと語った。それは、現状から何事かを捨てることをヨシとする思想は、最終的に「死」をヨシとすることとなるからだ。正確には、死に一番近づいたところが最終目的になってしまうからだ。
親鸞は、不断煩悩得涅槃(煩悩を断ぜずして涅槃を得る)という。つまり、いま「ある」ことを肯定する思想だ。吉本的にいえば、煩悩を肯定する思想だ。
親鸞以前の仏教は、煩悩を敵とみて排除する。もし煩悩を肯定すれば、それは堕落だと考える。この考え方は、仏教を知らないひとでも同意できるのではないか。

私は「修行をしなければ助からないのが親鸞以前の仏教。修行をしたら助からないのが親鸞仏教」と語っている。
「修行をしなければ助からない」という発想は人間的発想だ。だから何も仏教じゃなくても、誰でもが納得する発想だ。向上心というやつだ。ところが「修行をしたら助からない」というのが、よくわからないといわれる。
これは、「ある」ということを、そのまま受容する発想だからだ。これは仏さんの大悲の視点からしか見いだせない。人間の発想ではない。
「修行をしたら助からない」というのは、何も修行という身体的行為ばかりでなく、「さあこれから修行をするぞ」と考えたら救われないのだ。仏教では「考え」も意業という行為として考える。だから「修行するぞ」という意志(意業)をもっただけで救われないのだ。
そこで親鸞以前の仏教は、死滅すする。オウムも死滅する。息の根が止められてしまう。
死滅したところから蘇ってくるのが「ある」という「零度の存在」である。
この「ある」は「あることに満足しろ」という「ある」ではない。それでは欲求不満のままで我慢しろという禁欲生活になる。「ある」を欲望の対象とすれば、自己保身と自己弁護になる。「仕方ないじゃないか、あるがままで何が悪い」と開き直ることになる。
私のいう「ある」は欲望を肯定し自己慰撫とする「ある」ではない。その「ある」は阿弥陀さんがご覧になっている「ある」である。
〈いま〉の自分を「零度の存在」としてスパッと切り取った「ある」である。
さらにこの「ある」は、永遠の未来と永遠の過去から生み出されたところの「ある」である。だからこれは人間には見ることができない領域の「ある」である。人間が見る「ある」は欲望の肯定か、欲望の否定かのどちらかでしかない。
阿弥陀さんにしか見えない「ある」がどうして人間のお前に分かるのかと反論されそうだ。これは私にもわからない。ただ阿弥陀さんが「ある」をご覧になっていることは想像できるし、それ以外に〈ほんとう〉はないともわかる。
阿弥陀さんは人間のあらゆる意識性を捨てさせるはたらきとして作用してくるからだ。その作用を擬人化して阿弥陀さんのはたらきといっているだけだ。
意識性を捨てるとは、人間から大脳のはたらきを取り去ることを意味してはいない。
ただ人間の知では把握することのできない領域を教えるだけだ。
しかし、気がつけば、そっちの領域が〈ほんとう〉の領域なのだ。桜のつぼみが膨らんで、いまにも咲こうとしている。この瞬間を誰がそうしているのか。こんなちっぽけなつぼみも、人間の知を超えた領域にある。
善し悪しの領域を超えた「零度の存在」がそこに展開している。「零度の存在」を人間は利用できない。「零度の存在」でよいのだと自己肯定することも、「零度の存在」などといっていては向上できないと自己否定することも。決して人間の手の届かないところにある。それもそのはずだ、阿弥陀さんとは真実なのだから。それで親鸞は「真実は阿弥陀如来の御こころなり」(『一念多念文意』)と語ったのだろう。
阿弥陀如来に触れ得ずして満足する。それを「悦服」という。
●2015年3月15日●
こころのアンカー

こころがどこかへ飛んで行ってしまっている。
身体はここにあるのに、こころはどこへでも飛んで行く。
何十年前にも、何千キロをも越え離れて。
目を開けると、こころはここへ戻ってくる。
こころがどこへ飛んでいこうとも、必ず帰れる場所がある。
それが罪の場所だ。
無上甚深の罪業性の場所だけが、自分のこころをここへつなぎ止めてくれるアンカーである。
このアンカーが、熱く燃えて、どこかへ飛んでいってしまいそうになるこころを、ここにつなぎ止めていてくれる。
罪は存在の重しだったのか。
 「十悪五逆の悪人」とお経に書かれているのを眼にすると、これは自分のこころがどこかへ飛んでいってしまうのをつなぎ止めていてくれるアンカーだと思わなければならない。
 まどみちおさんの詩にドキッとさせられた。
「ゆび」
ひざの うえに
てを ひろげてみるたびに
むねが つまる
ちいさな ゆびたちが 
わたしに さいた
わたしの はなの
はなびらででも あるかのように
いきを しているのだ

ほこらしそうに
しあわせそうに
からだを よせあって

まるで このわたしから
どんな いやらしいことも
どんな なさけないことも
させられたことが
なかったかのように

この詩を一行目から読んでいく。最初は、ヘエーッ、まどさんの観察眼は鋭いなと、いつもながら驚かされる。そして最後のところまでくると、その「ゆび」たちからの声を聞いているまどさんが現れる。むしろ「ゆび」たちがまどさんに反逆しているようだ。
「どんな いやらしいことも どんな なさけないことも」という箇所に差しかかると、いろいろと思い当たる節がある。
 男であれば、オナニーをさせられている指を想像する。あるいは、幼いころ、駄菓子屋で万引きした指を思い出す。あるいは、台所で、鶏のモモ肉を包丁で切っているときの指を思い出す。あるいは、テストでカンニングしたときに鉛筆を持たされていたときの指を。
 やはり罪業性は、こころをつなぎ止めて下さるアンカーだったのだ。
このアンカーのお蔭で、こころはようやく、等身大の自分の身体に納まることができる。頭をあげることのできない自分自身だったと、初めて等身大になれる。
 花たちは、そんな必要はない。
沈丁花は沈丁花として等身大の花を生きている。
ただ人間の私は、このアンカーなしに等身大には戻れないのだ。
●2015年3月14日●
ひとりひとりが阿弥陀さんと向き合う以外にない。

余命を宣告されているひとが、どのような気持ちで〈いま〉を生きているのか。
自分はいま、余命を宣告されているわけではない。しかし、臨終は常に次の一瞬にあることは間違いない。それが真実のすがただ。
それであるのに、鈍感にも、お昼ご飯はどうするとか、来週の予定はどうするとか、実に体たらくな生活感覚で過ごしている。実に申し訳ない。
鈍感であることが罪悪である。
余命を宣告されているひとの気持ちなど、推し量れない。お節介にも、さぞやお辛いのではないかと、邪推するだけだ。他人の懐をいくら覗いても、そんなものは越権行為でしかない。
ただ鈍感な日々を、鈍感として、ため息を付きながら生きている。
やはり、これは、当たり前のことだが、ひとりひとりが阿弥陀さんと向き合う以外にないのだ。
この世はあなたが、たった一人で生きる固有の世界だからだ。他の存在は、あなたの世界のお客さんだ、〈ほんとう〉の意味で生きているのは、「あなた」以外にはない。
その「あなた」が阿弥陀さんと向き合う。
阿弥陀さんは、あらゆる存在を愛しているのだが、「あなた」が向き合うときには、たった一人、「あなた」だけを救って下さる。そんな馬鹿な、そんな美味い話があるか、阿弥陀さんは俺のことなんかどっちでもいいんだとうらぶれてしまう。駄々をこねる子どものように、そうであっても、阿弥陀さんはただ黙って微笑しているに違いない。
ばら蒔かれてしまった豆は、ひとりひとりが、一粒ずつ拾い始めるしかない。
それは阿弥陀さんに向かって行為することである。どのような行為も、この世の行為は限定的だし、限界がある。ご飯を食べるというのも限定的な行為だ。発語行為も、歩行も、排泄も、睡眠も、実に単純な、そして限定的行為だ。
ただその限定的な行為の先、その延長上には常に阿弥陀さんと対面している。もっと身近な、呼吸という行為もそうだ。ひと呼吸、ひと呼吸は、阿弥陀さんとの対面である。
生活の、どこを切り取ってみても、阿弥陀さんと対面していない行為はない。
これだけは間違いのないところである。
●2015年3月11日●
2011年3月11日の東日本大震災から4年が経とうとしている。この日を挟んでマスメディアでは、これに関連した報道がたくさん流されている。
二万人以上のひとが被災し亡くなった。私も江東区の自坊で地震の恐怖にたじろいでいた。大地のうねりがいつまでも続き、このまま地球が崩れてしまうのではないかと思った。あの恐怖は、いまでも体に刻み込まれている。時々、あの揺れがまたやってくるのではないか、あるいは前兆の揺れか、とドキッとすることがある。
二万人以上のひとが亡くなったが、それは数字の綾であって、死は一人一人にあった。つまりたった一人の死がそこにあるだけだ。
残されたものは、その死から打ちのめされ、揺さぶられ、悲しみのどん底に突き落とされた。あの震災を忘れてはいけないというスローガンは、忘れることもできるひとの発言であって、真の被災者は忘れようにも忘れられないのだともいわれた。
確かにそのとおりだろう。残されたひとたちは、様々に、そして個別に苦悩をこころに包み込んでいる。それは決して周りの人間から推し量ることはできない。

宮沢賢治は「世界ぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(「農民芸術概論綱要」)といった。これは賢治の口を通して表現された阿弥陀如来の本願である。この言葉の意味するところは、人間の願いであるように見えて、人間を超えた願いである。阿弥陀さんは、あらゆる存在が苦悩から解放されなければ、私は仏さんには成らないと宣言した。世界全体が幸福にならないならば、私は仏には成らないと。
この願いを、人間が実現できるものだと錯覚してはならない。これは阿弥陀さんの願いであって、人間の願いではない。もっといえば、人間の願いにしてはならない。
人間に願われていることであって、人間が願ってはならない。
もし人間が願ってしまえば、その願いで人間の肩は砕け散ってしまう。願うものではなく、願われていることである。
その願いにひとりひとりが出遇うしかない。
どんなに悲惨で惨めな存在であっても、そのことをイエスと引き受けられるには、阿弥陀さんの悲願がなければならない。そのための願いである。
阿弥陀さんは「個人が幸福にならないうちは、世界全体の幸福はありえない」とおっしゃるだろう。もっと厳密にいえば、「個人」などではなく「あなた」である。
●2015年3月8日●
我やさき、ひとやさき。
これは蓮如の言葉だ。ご臨終は私が先になるか、ひと(他人)が先になるかわからないという意味だ。ある先生が、「蓮如さんも、嘘ばっかりいいはりますわ。なにが『我やさき、ひとや先』なもんか。『ひとやさき、ひとやさき』ばかりでしょう」とおっしゃった。それは「私がさき」など、これっぱかしも思ってはいないという凡夫の実情を暴露されたのだ。まさに、そのとおりと思わされた。
 なんという、自己への執着だろう。私一人が安泰に健康に生きられればよい、ひとがどうなろうと知ったこっちゃないという貪欲がまざまざと教えられる。
 二つの河の譬えがある。旅人が歩いてきて出会ったのは、火の河と水の河だった。おかしな河だ。普通は上流から下流へと同じ水が流れている。ところが、上流からは水が流れ、下流は火が燃え盛る河だ。水の河はまるで暴風で白波の立つ激流になっているし、火の河は水面に油でも撒かれたように火で燃え盛っている。よく見ると河の真ん中にわずか15センチ程の道があり、それが二つの河を遮っているらしい。
 旅人はこの河を渡る場所は他にないことを知っている。どうしたものかと考えあぐねていると、後から虎や大蛇が追っかけてくる。このままこの場所にいれば、旅人はそれらに喰われてしまう。旅人は独りごちる「このままここにいても死んでしまう。道を渡っていっても死んでしまうだう。逃げても同じだ」と。恐怖心を抱えたまま、まだこの河を渡ろうかどうかと迷っている。
 そのとき、顔を見上げるとお釈迦さんが、「この河を渡っていきなさい。大丈夫ですよ」と命じられる。向こう岸には阿弥陀さんがいて「お前を必ず護ってあげるから、渡っておいで」と手招きしている。その二人の言葉に押し出されるように、旅人はその15センチ程の道を渡っていく。
 これが善導大師の語る「二つの河の譬え」のあらましである。
これは私たちの日常生活を描いた信仰物語である。火の河は怒りの煩悩、つまり瞋恚である。水の河は貪りの煩悩、つまり貪欲である。虎や大蛇は老病死の譬喩だ。15センチ程の道を「信心の信仰生活」と譬喩的に語る。
 まあ善導大師は、この譬喩をまだ河を渡っていない旅人から説き始めているのだが、私は、もうすでに河の中央に立っている旅人の話ではないかと思えた。善導さんは、お釈迦さんと阿弥陀さんの声を聞いて、信仰の道を渡る旅人の決断を強調したかったのだろう。だが、私はどうも、そうではなく道の半ばにいるひとの話ではないかと直感した。
 だいたい日常生活が火の河と水の河だと、どうしてわかったのか。私たちは日常生活をそんなふうには感じていない。朝起きてご飯を食べて、人と話して、仕事をしたり買い物をしたり、それで布団で寝る。多少、人間関係のいざこざがあったり、面倒くさいことはたくさんあるが、それでも「火の河」でも「水の河」でもない、当たり前の日常が展開しているのではないか。蓮如さんは「五十年乃至百年のうちの楽しみぞかし」ともいう。
 お釈迦さんと阿弥陀さんの声が聞こえたとき、初めて自分の立っている場所が、自分だけが正しく、相手は間違っているから殺してもよいと荒れ狂う火の河と自分さえ心地よければ周りはどうなってもよいという自己中心性の水の河だと発見されたのではないか。貪欲と瞋恚の煩悩が、実は自分自身をむしばんでいることへの自覚が生まれた。
 また、そのキッカケが「三定死」という「どこへ行っても必ず死ぬ、どこへ逃げても必ず死ぬ、ここにとどまっても必ず死ぬ」といういのちの限界性への気づきである。
 ふたりの声が聞こえたとき、「おまかせ」が成り立ったのだ。日常のどの瞬間を切り取っても、非日常がぱっくり口を開けているように変化したのだ。向こう岸に立っていると思っていた阿弥陀さんが、実は目の前におられたことに気付いたのだ。眼で見るよりももっと近いところに。
 別の言い方をすれば、日常のどの瞬間も、「死」と直面していることに気付いたのだ。まあ阿弥陀さんの声が聞こえないときには「死」としか受け取れないものが、聞こえたときには「往生」という意味に変化するのだ。それはどこかへいくという話ではなく、生きる時間を阿弥陀さんにすべて預けたという意味なのだ。自分の過去も未来も、そして〈いま〉をも阿弥陀さんに預けたことである。
 いままで未来も過去もわかっているつもりでいた自分の傲慢を、阿弥陀さんにすべて投げ出したのだ。どこから生まれて、どこへ去っていくのか、そんな生活全体が自分にはまったくわからなかったのだと、初めて気付いたのだ。
 全体がわからないことに変化すると、その変化は、日常の、いまこの場所で起こっているどんな些細なことをも「不可知な現実」に変化させていく。
 この「不可知な現実」そのものが〈ほんとう〉の世界であり、わかっている世界のほうが仮の世界なのだと逆転した。
 この逆転がお念仏の御利益である。まあ、そんなことはいわんでもよいことなんだが。
この日常を、火の河水の河に見せているのは「自我執着」という一点の知だった。これは無くなることはないのだが、このお蔭で、水の河火の河だと教えられる。そこから自我執着心をも阿弥陀さんに預けることが生まれる。
 なんてことはない、この日常の、ありきたりの一瞬を、火の河・水の河の真っ只中だと教えられただけのことだ。

●2015年3月6日●
地獄は言葉の通じない世界 人間は言葉のいる世界 浄土は言葉のいらない世界。
こんなふうに曽我量深は、語ったという。
人間の世界は「言葉の世界」である。地獄は言葉が通じないといっているが、それは「言葉の世界」の内部の話だろう。だから地獄はこの世にある。言葉がなければ、人間の内部の地獄も少しは軽減されるのではないか。人間の怒りの感情は、「言葉」によってさらに刺激され激しさを増す。
言葉は単なる記号ではない。つまり、人間の思いを伝達するための道具ばかりではない。実は、それは言葉の二義的な作用であって、第一義は言葉は人間の意識を形成する。これが言葉の果たす第一義的なはたらきなのだ。それなので、言葉は「荒ぶる神」ともいわれる。
人間が人間という生き物になるためには、言葉の習得が欠かせない。赤子が幼子になり成長する段階で、言葉を習得する。言葉とともに赤子は人となる。その過程で、言葉によって世界が切り取られ、意識も形成される。
それなので、言葉無しに人は世界を手に入れることができない。言葉によって世界を手に入れた後の段階では、人が見ている世界は、そのひとの眼には「見た通りのありのまま」に映ってしまう。だが、その「ありのまま」は、そのひとが「恣意的に」切り取った特殊な世界なのだ。だから「ありのまま」は、その言葉を使う民族によっても違ってしまう。 あたかも無色透明なありのままに見えてしまう。言葉は、言葉によって染め上げられた世界を人に与えているのに、与えたあとは言葉はそっと姿を消す。与えられた人は、それが「あるがまま」に無色透明に、自分の見た通りに世界があると、思わされてしまう。そこには言葉の作為はまったく感じられない。だから言葉は恐ろしい「荒ぶる神」なのである。
ヘレンケラーは教師・サリバンが蛇口のところに彼女の手をもっていき、冷たい水をかけた。W・A・T・E・Rを一語一語、手話で彼女に伝えた。そのときヘレンケラーは、この「世界」を手に入れたといわれる。それまで口も耳も目も機能していなかった彼女は、人生を投げていた。まさに絶望していた。そのとき、サリバンが強引な形で、彼女の自暴自棄を引き裂いた。それは言葉という「荒ぶる神」を使ってだ。言葉は記号なのだが、実は、世界を切り取り形成するための道具である。言葉が彼女にとって「意味」へと熟成した瞬間である。彼女は、「世界」を手に入れることにより、生き生きと力強く生き始めた。
 人は誰しも、言葉が意味へと変化する「意味体験」を経験して、世界を手に入れたはずだ。だが、それは特殊な、限定的な世界であることをいつも忘れてはならない。
「あるがままの世界」など、人間はこれっぱかしも知らないのだ。知らないのに、知ったような顔で生きているのだから、困ったものだ。

だから、「言葉を変えれば世界が変わる」というのは真理だ。それには何千年もの時間がかかるのだが。それ以外に方法はない。
●2015年2月17日●
法然聖人の門弟に天野四郎、通称、耳四郎がいる。彼は盗人の元締めだったようだが、罪人でも救われるという法然の教えに感動し、弟子になったそうだ。それで、面白いのは、耳四郎は念仏者になった後も、まだ盗人をしていたというのだ。
以前の私だったら、それは偽物じゃないかと疑っただろう。念仏者になったのであれば、阿弥陀さんから悪人と呼びかけられ、ひとの苦しみを招くような盗人家業からは足を洗うのがまっとうな念仏者じゃないかと。
しかし、近頃は、耳四郎が念仏者になった後も盗人を続けていたというところに何ともいえないあわれさと、人間業の退っぴきならなさを感じて、有り難いなぁと思うようになった。
業というのは、人間の反省とか善意とか、そういった皮相なものを吹っ飛ばしてしまうだけの圧倒力をもっている。それが業(カルマ)ではないか。
いくらお念仏に染まっていったとしても、業をやめることができない。喫煙は体に悪いとは重々わかってはいるけどやめられないというのも業だろう。だからといって、喫煙を継続していいということではない。やめられるならやめたいという思いもある。あとは縁次第だ。
念仏者になって、善人のようになって、道徳的になるようなら、そんなのは願い下げだと思う。たとえ念仏者になったとしても、相変わらずの体たらくで、救いようのないのがいいではないか。
それでこそ真の念仏者ではないか。人間を改善したり、道徳者にしたり、そんなもののために念仏があるわけでもない。とかく人間は、念仏を利用したがる。念仏者になったら、もっとこうあるべきだと理想化する。そんなのは絵に描いた餅ではないか。
罪の深さが益々深く切り込まれるほど、お念仏の光が強烈に増してくる。そういう強烈な光と影の関係が念仏者の生きる意味空間ではないか。
人間の業の深さを、軽く見積もってしまうと、間違うことになる。
●2015年2月2日●
フリージャーナリスト後藤健二さんが殺された。無事に戻ってくるだろうと思っていたので、何ともやるせなく切なく悲しい気分で満たされた。「イスラム国」とは理屈もなにも通じないやつらだという怒りを禁じ得ない。
イスラム国を名乗る集団も、まだ未統制らしいという情報もある。イスラム過激派を吸収しているともいわれ、それらの派閥同士の統制が取れていない面もあるらしい。まあ正規軍といえども完全にコントロールされていない部分が必ずあるから、それは軍隊というもののもっているどうしようもなさだとはいえる。他の派閥は、まだ人質交渉を継続するという意志もあったのではないかと勘繰りたい。
ともかく在留邦人をもテロのターゲットとするというのだから、現地の日本人をどう護るかということも、今後の課題だろう。
我々は彼らをテロリストと呼ぶが、彼らからみたら我々がテロリスト紛いだと思われているのだろう。欧米文化が世界を席巻している一極集中型の富の偏重、そこから生まれる貧富の格差、その犠牲になっているのがイスラム圏だと彼らは考えているのだろう。
何十万ともいわれている難民への支援をおこなわないと、彼らの中からテロリストが生まれてしまうともいわれている。日本は軍事的な参加をしていない、人道的支援だとはいっても、やはりアメリカの一味だと彼らからは見なされているのだから、どうしようもない。
今回のことでは様々なことがいいうる。経済的な局面(貧困の解消と支援)、軍事的な局面(テロ対策と邦人保護)、宗教的な局面(原理主義の解明)、民族的な局面(寛容の問題)などである。しかし、私は、やはり吉本隆明がいう「共同幻想」という問題がその根っこにある問題ではないかと思える。
吉本は自分と自分の関係を「自己幻想」、自分と二人称の関係を「対幻想」、自分と集合体の関係を「共同幻想」と名付けた。
この三つのベクトルを「幻想」という言葉で命名したことが画期的なことだった。幻想といえば、まぼろしであるから、客観的にあるのかどうかを確かめることができない領域を意味している。別の言葉でいえば「意味」とか「範疇」とかで言い当てられるのだが、それを「幻想」と呼んだ。
いわば、これは人間にだけある「恣意的な意味界」を言い当てたかったわけだ。
「幻想」という言葉を投げかけることで、いままで「現実」だと思っていた意識が批判された。ここが一番大きく人びとのこころを打ったところではないか。まあ仏教の唯識思想でいえば「識」という意味なのだが、それを幻想を名付けることで、ハッとさせられた。
人間が集合体を形成して生きる以上、「共同幻想」から逃れることができない。ひとは「共同幻想」の中に誕生するのだ。またその共同幻想を呼吸して生きるので、それが「幻想」だと気付かず、「現実」だと錯覚してしまう。
「幻想」だと気付かないから、目の前のことが、誰がみても間違いのない「現実」だと映ってしまう。
砂漠で発生した宗教と農業地帯から発生した宗教は、「血」に対する感情がまったく違う。
砂漠の民は、血は温かいものであり、瑞々しいものであり、尊ぶべきものだと感じるらしい。しかし農耕民の宗教では血は忌まわしいものであり、目を背けたくなるものなのだ。だから、人間が、「我々は」と叫ぶときには、注意が必要だ。「我々は」というのは、「あなたがた」とは違うという意思表示だからだ。そしてそれが必ずある種の共同幻想から促された「我々は」なのだ。そのことを知って使うのであればよいが、知らずに使うと恐ろしいことになる。
神やGodや仏というものは、それはお前の幻想だと批判してくるものであって、決して、「お前の見ている現実は正しい」と肯定するものではない。それがどれほど正義に見えてたとしても、人間の幻想の眼で見た正義に過ぎない。それが正しい神やGodや仏との関係の取り方ではないか。
●2015年1月27日●
「イスラム国」というテロ集団の人質事件が報道され、国民全体の関心を引いている。
二人のうちひとりは殺害されたらしい。ひとりは人権活動家で、ひとりは武器商人ということらしい。もちろんすべての人質が解放されなければならない。人質という、ひとのいのちを争いの道具に用いる最低のやり方だが、「背に腹は換えられない」という思いからやっていることなのだろうが許されない行為だ。人質をつかって自分たちの思惑を暴力的に貫こうとする意図がどのあたりにあるのか、まだよくわからない。かつてのイスラム圏を奪回するという遠大な最終目的のプロセスにあるには違いないのだろうが。
フランスの新聞社が襲撃されてからほどなくのことで、連続して「イスラム国」への関心が高まった。イスラムを名乗っているので、「平和」なイスラム教徒たちは、あれはイスラムではないとか、一部のイスラム過激派だと非難して、自分たちとは一線を画していると主張している。
フランスの新聞社が掲載した「ムハンマドの風刺画」だが、あれは「表現の自由を制限してよいのか」という問題と「信仰への誹謗中傷はどこまで許されるか」という両極端のベクトルのせめぎ合いになった。この問題は未解決だが、いずれの場合も暴力をともなった解決はダメだと思う。
これは、9・11のときにも考えたが、仏教用語を使うとどうしても、一番根底にあるのは「方便」の問題のように感じている。方便とはウパーヤupayaというインド古代語の漢訳語で、「方法・手だて・巧みなてだて・便宜な手段・工夫・すぐれた教化方法・真実に裏づけられ、また真実の世界へ導くてだて」等の意味がある。
いわば一神教は「方便」を用いない。つまり偶像を否定する宗教だ。偶像は神の似姿であり、似て非なるものである。似ているけれども、非、つまり真実ではないのだ。神の絵像や彫刻を排除するのは、真実に似て非なるものだからであり、唯一の神を信ずるのではなく、偽物の神様を信ずることになるから、宗教上の浮気ということになる。それは汚れたこころのあり方だと批判されてくる。だから、自分たちも神の像をもたないが、他の人びとにも仏像や神の像をもつことを禁止する。本当の信仰は、唯一の神に仕えることであり、他の神仏を拝まないことなのだ。
ここまでは不立文字を立てる禅宗や仏教と意見は同じである。仏像などは方便であり、真実は仏像でも言葉でも表現することはできないと。ただし、「方便」を一切拒絶して、果たして真実に近づきうるのか。一神教では「預言」といって神から預かった言葉は神聖なものだと考えるが、仏教では、神から預かろうがどうしようが、それが人間の用いる「言葉」となったものはすべて方便だと考える。そこが決定的に違うところだろう。
仏像ならば破壊することも可能だが、言葉を破壊することはできない。聖書にも、神は自分の名前を称えてはならないとか、「ありてあるもの」だとだけいっている。神も、もし名前を称えられれば、方便の世界に引きずり込まれることを知っているのだ。言葉になり、名前となって、人間にイメージされた途端に真実の神は神ではなくなるからだ。
しかし神から、神の名前を称えてはならないとか、神の像を作ってはならないと禁止されてはいても、禁止されれば禁止されるほど、人間は神のイメージを心の中に懐かざるをえない。ヨブ記の主人公ヨブはさんざん神に苛められても、神の御こころは人間には決して理解できないといい、決して神を恨まなかったというのだが、果たしてそうだろうか。ほんの少しも、一瞬でも神を恨まなかっただろうか。もし恨まなかったとしたら、ヨブは「普通の人間」ではないし、そうなると、救いは「普通の人間」には無関係になってしまう。つまり、ヨブは「聖人」になってしまう。どうしても一神教は神が世界を創ったといってしまうので、物事の最終的な責任は神にもっていかざるをえない。だから、ヨブの不幸の原因は神様との距離感で計ることになる。ヨブは敬虔な信者だったのだし、自分でも少しは自惚れていたに違いない。その自分がなぜ不幸な目に遭うのかと、こころのどこかでほんの一瞬、思ったのではないか。
そもそもギブアンドテイクの関係で神を考えれば、神を人間が利用することになる。自分の信心が清ければ救われ、汚れていれば救われないという理論だと、自分のほうが救いの条件を握ることになるからだ。自分の心がけ次第で神の救済・不救済が決定するからだ。神が救うのではなく自分の行為が救いの条件になり神を支配してしまう。
一神教の神のイメージは外側に表現されない分だけ、自己の内面に出来上がってしまう。外側を否定すればするほど、内面により強固な神のイメージが出来上がってしまう。それは「神の像」ではなく、「神のイメージ」というところがミソだ。具体的な「神の像」は否定できるし、破壊することもできる。しかし、それを否定することで内面に出来上がってしまうのは「神のイメージ」である。これはイメージだから曖昧なものだし、こころのなかにしか住めない。だから人間は否定できないのだ。つまり、「神の像」を否定する行為を肯定しているのは誰かといえば、それは人間である。「神の像」を否定する人間をよしよしと肯定してくれる神のイメージがなければ破壊はできないはずだ。それは神に忠実だと自認する人間だけを肯定してくれる神のイメージである。
このイメージを破壊することができない。一方、仏教は仏像もイメージも方便だが言葉も方便だと考える。ただし、それらは、すべて真実を知るための手がかりだと受け止める。だから方便そのものが真実であるはずがない。どんな仏さんのイメージを内面にもったとしても、それは真実の仏さんではない。どれほど仏さんについて書かれたお経であっても、それ自体は真実ではない。
真実という言葉でもって真実を表現することもできないのだ。あらゆる人間の所行を肯定する仏はいない。真実というものは、人間に対して徹底的に否定形でかかわってくるものだ。人間の行為や自我を肯定する神仏は偽物だ。
 人間は、神や仏から肯定されたいのだ。肯定されなければ、残虐な行為を行うこともできない。肯定されていると妄想しているから、残虐な行為も「残虐」とは目に映らないのだろうか。人間の欲望で、神仏に肯定されたいという欲望がもっとも深い欲望なのかもしれない。
吉本隆明が人間の組織を「共同幻想」と命名したが、やはり社会も教団も「幻想」に違いない。「幻想」しか生きられないのだが、「幻想」の恐ろしさもまた身に沁みて知らなければならない。
 話は飛ぶが、先日、岐阜教区の講演会で、ある坊守さんから「真宗の御利益って何ですかと門徒の方から尋ねられたんですが、どう答えたらいいのでしょうか?」と質問された。
 私は「一切の利益を与えないのが真宗の利益です。むしろ一切の利益を奪うものが利益です」とお答えした。利益を欲しがっているうちはまだかわいいものだ。利益を得ていると自惚れたら、それは恐ろしいことになる。
●2015年1月18日●
 親鸞の言葉たちが、大海原の海面に漂う浮遊物のように感じられる。浮遊物だから、つねに揺れ動いていて、とどまるところがない。ユラユラと揺れている。その浮遊物に自分の足を乗せてみようとするのだが、揺れ動いて乗せることができない。どれかもっとしっかりしたものはないかと見渡しても、すべての言葉たちは揺れ動いていて乗せることができない。
よくみると、それらの浮遊物は、ただ無秩序に揺れ動いているわけではなかった。細い絹糸のようなものが結びついていて、それは深海へとつながっている。見れば、あらゆる浮遊物にも糸が結ばれていて、すべてが深海の一点へと伸びている。その深海の先のどこに、もう一端が結びつけられているのか、それは見えない。
もっともっと深海へ眼を向けて見続けていかなければ、その全体が見えてこない。
ただ、親鸞は何かに憑りつかれていたことだけはわかる。それを、あえて言葉に移してみれば、「まこと」とか「真実」ということになる。その「まこと」をつかめば、生きる意味も、完璧につかみ取ることができるという確信があったのだろう。
いくらそれを言葉で表現してみても、けっして言い当てることができない。「如来」といおうが「淨土」といおうが、決して言い当てることができない。それもそのはずだ原理的に言い当てることができないのだ。言い当てられるようなものであれば、魅力は失せてしまう。決して言い当てることができないけれども、言い当てずにおかせない作用があるだけだ。
ちょうど、方位磁石の針のようなものだろうか。地球上であれば、必ず針は北を指す。どこにいても北をさす。だから、「まこと」の方向性だけはわかる。こっちなんだ、こっちに行けばよいのだという方向性が教えられる。歩むのは自分自身だ。

どうも教団とか寺とか坊さんは「指示表出」が多すぎる。こっちに行きませんか、これを学びませんかと。しかし、ほんとうにひとが自発的に動き出すには「自己表出」しかない。いわば毒にも薬にもならない言葉でしか、ひとは揺り動かされない。
大学を卒業して帰って来た二階堂行邦師に向かって、小林勝次郎は「坊主とは何か?!」と詰問された。二階堂師が答えに窮していると、勝次郎翁は「坊主とは仏さんのことだけを考えるもんだ!!」と一喝してさっさと帰っていったそうだ。それは禅問答のようだが、勝次郎翁は「自己表出」に徹せよと暗示したのではないか。
若き二階堂師は、大学を終え、これからどのように人びとに仏法を伝えるかと、ひとの方ばっかりが気になっていた。そこに冷や水を浴びせるかのような一喝だったという。
そこに徹していけば、ひとが増えようがどうしようが、そんな世間的なことは捨てておかなければならない。
親鸞は建永の弾圧を体験して「証道いま盛んなり」と叫んだ。その「盛ん」とは、まぶしいような「まこと」に魅了されたという叫びではないか。教団が大きくなったとか、信者が増えたとか、そんなことではなかったのだ。
親鸞の目の前には「まこと」しかなかった。そこに他者は眼中になかった。それは「食雪鬼」と自分のことを表現した曽我量深と通底する。「まこと」に魅了された人間は、雪をただ喰っている鬼だと。ひとからみれば気が触れたのではないかと思われる所行だ。ただそこ以外に生きることができないのだ。
だから親鸞は「教団」という「共同幻想」体を築き上げるという関心はなかった。ただひとり、孤高の信という構えを築けと叫んだ。「まこと」に魅了されてしまえと。
そのことを阻害する要因に対してのみ、指示を出した。
だから自分のようになれとは一言もいわなかった。肉食しろとか妻帯しろとか、無戒で生きろとか、口で念仏を称えろとか、そういう定式をもうけなかった。親鸞をもってきて、自分が生きるための正当化の道具にするなというわけだ。どのような生活をしたとしても、それは「偽」なる生活である。その「偽」から足を一歩でも踏み外してはならない。もし「真」のほうに近づこうとすれば、それは親鸞の道ではなくなる。唯一、「偽」のところにだけ、真の光が届いてくるからだ。だから自分が「真」になる必要がない。自分は「偽」のままでよいのだ。
親鸞の道はひとから見下げられ、真宗は汚れた宗だとさげすまれようと、それで結構、それ以外に親鸞の道はないのだと、おおいに開き直ることだ。
自分が「偽」に徹していると、どこからか光が指してくる。その「偽」を照らす光が乱反射して他者にみつかる。我々は親鸞にぶつかったその光の乱反射をみているのではないか。
●2015年1月2日●
おめでとうございます。
 年末の仏具お磨き奉仕会があった。その会には参加されなかった門徒の奥さんがこんなことを言っていた。「お磨きに参加すると、いいことあるんですか?何か御利益があるとか?」。その奥さんは息子さんと一緒に来られていて、息子さんが、こう言った。「御利益をほしがるんじゃなくて、ご奉仕させていただくということなんだよ」と。そういわれて奥さんは恥ずかしそうにしていた。まあ息子にたしなめられて、嬉しいようでもあったが。
30代のであろう息子さんは、なかなかの見識があって驚いた。
確かに、そうなのだが、その「ご奉仕させていただく」というこころはどんなこころなのだろうかと問いは深まった。「ご奉仕」の動機は何だろうかと。
御利益を求めるこころは貪欲だから、ギブアンドテイクに違いない。少しの苦労を提供して、多くの見返りを期待するこころだ。しかし「ご奉仕」とは、報恩感謝のこころではないか。最初に、こっちがまず何かをもらっていて、その恩に報いるために奉仕するということではないか。何ももらっていないで奉仕ということが起こるだろうか。もし何ももらっていなのであれば、やはりその奉仕という行為はギブアンドテイクのこころから起こったものではないか。
それでは何をもらっているのか。そういう問いを立ててみても、何をもらっているのか皆目見当がつかない。たくさんもらい過ぎていて鈍感になっているのかもしれない。まずこの身体、生活環境、体力、知力、お金、健康等々、様々なものをもらってはいる。しかし、それをもらっているから感謝するということであれば、やはり何か違う気がする。たくさんもらっているのに、そのことが当たり前になってしまい、何も感謝の対象にならないとは、傲岸不遜ではないかと叱られそうでもある。
人間関係であれば、頂いたものに対して返礼の責務感が発生する。贈与に対する返礼であり、これが原始の経済原理だとモースという学者がいっている。頂いたものに対して、返礼にどれだけの財をなげうつかだ。もしその原理を仏法に当てはめれば、「身を粉にしても報ずべし、骨を砕きても謝すべし」となる。これは譬喩だから、額面どおりに受け取ってはだめだともいえそうだ。
 しかし、何かをもらったと人間が意識できるようなものが仏法だろうか。もし人間頂いた、もらったと意識できるものであれば、それはやはり人間の了解した範囲内の仏法にならないか。そんな狭いものが仏法だろうか。
 そこに〈ほんとう〉はないように思う。
 人間にとっては痛くもかゆくもないような性質のものが〈ほんとう〉の仏法ではないだろうか。180度の転換を迫る宗教ならまだしも、360度の転換を迫る真宗であれば、そうでなければならない。
 安田理深先生が「たのむも助けるも世間の言葉であるが、信仰には助けるも、たのむもないものが本当である。事実、またそんなことに用のないのが南無阿弥陀仏の安心である。南無阿弥陀仏ということにすべては尽くされている。」(『安田理深選集』第9巻237頁)
といっている。
 これは珠玉の表現ではないか。
人間が「もらった」とか「いただいた」というように意識できるような仏法は、世間の話で仏法の話ではない。そんな意識すら突破させてくれるのが南無阿弥陀仏の作用だといっているのではないか。
 だから人間が意識する必要もなく、ただここに自分が生きている、その全体が、実は仏法以外にはないということになればよいのだ。空気なくして人間は生きることができないが、いちいち空気に対して感謝する感情は湧いてこない。ただ、空気とひとつになって生きていることだけが〈ほんとう〉なのではないか。
だから空気に感謝せよというのも間違いだし、空気なんかの世話になってなんかいないと居直るのも間違いだ。
 空気とひとつになればよいのだ。
 
「僧は俗より出でて、俗よりも俗なり」という批判的な言葉があるが、それをこう読み直したらどうだろう。
「僧は俗より出でて、真の俗へ帰る道なり」と。

元日には「おめでとうございます」と挨拶をするのだが、何がめでたいのか?そういう問いを突きつけられるのが元旦である。
〈ほんとう〉にめでたいこととは何か?と。 
●2014年12月21日●
いっぺん、意味の網の目(ネットワーク・体系)が崩れなければならない。
崩れてしまって、再統合しなければならない。
いままで、これは確かだ、崩れることもないものだと思ってきたネットワークが崩れて、不可思議に飲み込まれなければならない。
すべては、コトだ。コトは意味だ。モノを人間はコトとしてうけとる。
モノは確かにあると思い込んできたのだが、それはコトとモノが一体になっている状態だ。
ところが、コトとモノが剥離する。モノからコトが剥離する。
そして、確かなモノは何もないとなる。
それから、再び、再統合されてくる。いままで確かだと思えていたすべてがくずれる。
思いが本当で、事実が虚だと思っていたものが、逆転する。
思いを頼りにしない。

12月18日に還暦を迎えて、感じられたものをつづってみた。
見た目は若いといわれ、自分でも「還暦なんて、公言できない」と思っていた。ひとに「還暦」などといえば、「冗談じゃないよ。その若さで」と冷やかされてしまうので、恥ずかしくて、なかなか公言できなかった。
昔の還暦と今の還暦は違うんだから、還暦などといってもらっては困るともいわれた。
つまり老いという成熟を迎えて初めて名実ともに「還暦」と公言できるのだという意味だろう。この若造が「還暦」などとは20年早いぞという意味である。
ただ、子どもたちからは、来年孫が生まれるんだから、名実ともにジイサンじゃないかといわれ、老人というレッテルを貼られている。老いを自覚しろという意味なのだろう。
こうやって内外から、いろんなことをいわれると自分の「老い」というものをどうとらえてよいのか迷ってしまう。
確かに、間違いなく死を覚悟せよということだろう。60歳くらいで「老い」などといってもらっては困ると高齢者にいわれるが、そのひとの60歳と私の60歳は、まったく別物なのだ。物理的な生育年齢は同じかもしれないが、意味的生は別物だ。
明恵上人は15歳にして、「我は老いたり」といった。こういう感覚が意味的生の「老い」というものだ。完成が敏感に、ぎりぎりまでとんがった意味的生は、「老い」をその若さで感覚できる。我々は15歳は若いじゃないですかと反論すると、明恵は、何と比べて若いのかねと聞き返すだろう。しかし16歳で亡くなるひともいるのだから、臨終から数えれば、残りは1年しかない、やはり「老い」というものは臨終から数えなければ本当ではないだろう。
60歳が若いというが、それは61歳より若いが59歳よりは老人である。80歳のひとを81歳のひとが「まだまだ若い」というだろうか。82歳ならそういうだろうか。自我というものは傲慢にも「年齢」まで利用して、「あいつより自分は年上だ」と威張りたくなる。そういう年齢の用い方もある。いずれにしてもし、それはどこまでいっても「比べる世界」での話だ。 正しい年齢の数え方は、誕生から数えての話ではない。臨終から数えての話である。
ただ、臨終がわからないのだから、ほんとうは歳なんていうものは当てにならないものだ。目が覚めるのも他力だから、目が覚めない朝がきっとくる。自分の努力、目覚めるひとはいないのだから。
そのとき、そっと自分を手渡せるもの、ゆだねるものがあるかだ。
まあ、ほんとうはゆだねているのだ、身体は。ただ「思い」がゆだねられないだけだ。
この身体に教えてもらおう。
あなたのように私はゆだねられないのです。困ったものですと。
●2014年12月12日●
人生で、あなたが、一番、大切にしていることはなにか?
そう問われ続けている。
そんなことは、とんと忘れて鴨川で水揚げされた巨大なブリを貪り喰っている。
こっちは、忘れていてもいいんだ。向こうが忘れていないから。
人生というものが長い羊羹のようなものだとして、どの断面を切ってみても、「人生で、あなたが、一番、大切にしていることはなにか?」と問われ続けているのだ。
臨終のひとときまで、問われ続けることを〈真宗〉というのだ。

やはり「人生は自己対話」である。
自分が、図らずも、この世に生み出されて、それは偶然として生み出されて。理不尽な生を生かされて。
その生と対話するのだ。
そしてこの生で、よかったと受け取れるかどうか。それが、人生の大きな宿題なのだ。
イエスと受け取れるかどうか。
受け取れるか、受け取れないか。そのアワイ(間)を行き来している。
自分の都合のよいときには受け取れるが、そうでないときは受け取れない。
そんなことではダメなんだ。
いつ、どこで、どんなときでも、イエスといえなければならない。
こころの奥底では、イエスといいたいのだから。
いいたいと願っているのだから。
●2014年11月24日●
子は、この生を親に生んでいただいたと頷けたら、そして、親は、子が生まれていただいたと頷ければ、それが浄土の人間関係である。
しかし、現実には、子は、「頼みもしないのに、親が勝手に生みやがって」という。
親は、「勝手に生めるんなら、もっとましな子を生んでるわ!」と応酬する。
挙げ句の果てに、母親は「お父ちゃんが、乗っかってきたから悪いんや」といい。
父親は「あの日、同僚に呑まされたんや。同僚が悪いんや。酒が悪いんや」という。
そこには、親も子も、このハダカの生を引き受けるひとが誰もいないという地獄が広がる。
いずれにしても、ひとがひとから生まれるという原因から結果の全過程が、人知を超えた出来事だということが忘れ去られている。
そこに投げ出された、ハダカのいのちそのものは、誰が引き受けてくれるのだろうか。引き受け手のいないハダカのいのちが剥き出しに放置されている。
現代にはこの悲しみがただよっている。
善導は、「父無くんば能生の因、すなわち欠けなん。もし母無くんば、所生の縁、そむきなん。もし二人共に無くんば、すなわち託生の地、失わん。必ず父母の縁、具してまさに受身の処ある。すでに身を受けんと欲するに、自の業識をもって内因と為し、父母の精血をもって外縁と為す。因縁和合するが故にこの身あり。」と述べている。
善導は、誕生をふたつの因縁で考えている。これを「両重の因縁」説という。
父が因(精子)で母が縁(卵子)だというところまでは現代医学と同意見だろう。
ところが、善導は、父母の因縁は外縁であって、「自の業識」という内因がなければ、この身は存在しないと考えている。父母だけが原因だとは考えていない。それはむしろ外縁、つまり「外的条件」だという。いくら父母があったとしても、それをも縁とする内因、つまり自の業識がなければ誕生はありえないという。
この自の業識が、なぞではないか。
これを心身二元論で考えるならば、身体は父母という条件で得ることができるが、精神は自己自身の生まれたいという「出生意志」だと考えていたのかもしれない。善導が「両重の因縁」説を述べるのは、誕生にまつわる父母の恩を強調する箇所である。もし、父母だけが誕生の原因ということになれば、それに対する責任の引き受け手がなくなってしまう。ようするに自己の誕生は「偶然」のなきゆきであり、そんなものに対して責任を感じる必要はないということになる。
誕生を偶然にしてしまっては、恩を感ずる場所がなくなる。それで「自の業識」という引き受け場所を設定したのではないか。
しかし「恩」という概念も、損得感情と混在しているから、どうしても人間の都合と連動してしまう。自分にとって誕生が得、つまり都合のよい出来事であれば、それに対して「恩」を感じるが、自分にとって損、つまり不都合な出来事であれば、感じない。
恩徳讃という親鸞の和讃がある。「如来大悲の恩徳は身を粉にしてもほうずべし、師主知識の恩徳も骨をくだきても謝すべし」と。これは、如来の恩、そして教え導いた下さった方々へ恩を報ずるという趣旨である。
究極は、この世に誕生して、何に対して感謝のこころをもっているのかということに尽きる。しかし、どれほど自分の都合どおりであっても、また不都合であっても、それを損得感情でしか判断できないことが寂しい。
恩徳讃の「ほうずべし」の「べし」は、命令形である。如来から自己への徹底した命令である。なにも親鸞が私たちに命じているのではない。つまり、損得感情でしか、そのことを受け取れない愚か者への如来からの命令なのだ。
命令を受け取る場所は、徹底して感謝できない「無慚無愧」のこの身である。
徹底して報恩感謝のできないものに対してだけ、命令が下るのだ。
その命令を聞き続けることしかないのではないか。
安田理深先生が、「助けるとか助かるということとは無関係の世界が真宗だ」というふうなことを述べている。もし如来に助けられたということになれば、我々は一生、如来に頭が上がらないと。そんなものが真宗ではないというのだ。
つまり、誕生したことを有り難うなどと、呑気なことを言っておれなくなるのが真宗ではないか。報恩ということは、徹底して「問い」としてしか存在しないのだ。報恩感謝できたとか、できないとか、そういうレベルの話ではないのだ。
●2014年11月22日●
どうも人間は、一生涯、「自分という思いの世界」から抜け出せないのではないか。
専修学院で「真実に生きよう」というテーマが掲げられた。そのとき、即座に私の頭に浮かんだのが、「人間、真実なんかに生きられるものか。そんな甘いテーマ、子供染みてるんじゃないの。そりゃ理想だけど、そんなのできっこないよ」だった。
 瞬時に「自分という思いの世界」にとりこんで、言葉に反応してるのだ。果たして、どういう意味で「真実に生きよう」という言葉が使われているのかも吟味せずに、瞬間的に反応してしまい、しかも、それが本当だと思い込んでしまうのである。まったく浅はかなものだ。
 いまでは、「真実に照らされてこの身を生きよう」という意味だったのだと了解することができた。それまでの「自分という思いの世界」では、「真実に生きよう」といわれれば、自分が真実になるように生きなさいと受け止めてしまったのだ。自分が真実になるように生きることは、端からできないと思っていた。だから、真実に生きろといわれれば、それに反発してしまうのだ。人間は真実なんかに生きられるかと。欲得ずくめで生きているのが自分だと知っているのだ。
 その自分がどうやって真実になど生きられようかと。
しかしだ、その「真実」というものを私は知っているのだろうか。そうやって問い詰めてみると、自分は真実は知らないのだ。「真実」という言葉は知っていても、〈ほんとう〉の「真実」は知らないのだ。もはや「真実」という言葉ですら真実を表現することは不可能なのだから。
 もっといえば、真・善・美が人生の目標だと設定されたようなもので、自分はそんなものとはほど遠い生活を送っている。
 しかし、「真実に照らされてこの身を生きよう」ならば頷ける。自分が真実にならなくてよいのだ。自分はどこまで偽善であっても、それを映してくれる真実があれば、その照らされた偽善のままで生きることができる。
 真実に照らされることで、あなたの考えは「自分という思いの世界」のなかそのものだと教えられる。
 人間は自己言及性をもっていて、自分について考えることができる。反省とはそのはたらきだ。しかし、反省の基準はどこにあるのかといえば、やはり「自分という思いの世界」だ。「自分という思いの世界」の中で、自分とはダメな存在だと裁くのを反省という。結局、「自分という思いの世界」を出てはいないのだ。
 そうやって、自分の思いの世界を出てはいないのだと教えてくるものが、また真実のはたらきである。
 やはり真実を認識することも見ることもできないということだ。真実を見たら目がつぶれてしまう。真実とは強烈な光のようなもので、認識することはできない。つねに「照らされる」というメタファーでしか語れないものなのだ。
 自分がいままで知っていると思っていた「自分」、自分がいままで知っていると思っていた「世界」、自分がいままで知っていると思っていた「死」、そういうものは、すべて「自分の思いの世界」のなかでのことでしかないのだ。
 〈ほんとう〉のことはひとつも知ってはいないのだ。知ってはいないのに、知ったかぶりで生きているのだ。 
●2014年11月11日●
現代人はニヒリズムを生きている
「どうせ死ぬのだ、死ねば死に切りだ、後には何も残らない、骨くらいしか残らない」と思い込んでいる。これはニヒリズムではないか。
誕生が生の根拠であり、死ねば終わりだと。お父ちゃんとお母ちゃんがエッチして、たまたま精子と卵子が結合して、自分が出来てしまったのだと。これが「科学」の結論だから、科学は基本的にニヒリズムを根底に成り立っている。
生は偶然、死は必然などというが、それもニヒリズムを根底に置いているのではないか。このニヒリズムという思想を現代人は生きさせられている。これを「ニヒリズムという物語」といってもよいかもしれない。この物語から「浄土への往生という物語」へ転換しなければならない。
つまり、生が偶然だと思っていたものが、生は必然であったと受け止められる物語である。
そこには阿弥陀さんの悲しみの愛が必要なのだ。なぜ突然阿弥陀さんが顔を出すのか?
一神教的な絶対神など仏教には不要ではないかという考えのひともいる。
なぜか?その答えが見つからない。
「偶然こそが実は必然だ」と理屈だけで自分が自分に言い聞かせたのではニヒリズムになってしまう。他者からいわれれば強制になる。サディズムだ。
偶然の生が、つまり偶然の生とは、自分が自分にまでになってきた全生命的過去が、「これでよかったのだ」と腑に落ちるには、愛が根底になければならない。しかしその愛はただの愛ではダメで、生を偶然と受け止める思いが殺されなければならない。そうやって殺してくれるはたらきも愛のはたらきでなければならない。そこに人間のいかなる意志も介入してはならない。そうすると、この自分を丸ごと超越した肯定性(愛)と否定性(智慧)が自分にかかわってこなければならない。
だから、人間からなぜ阿弥陀さんが必要なのか?という問いに対する答えはない。
人間の外部から、つまり超越した場所からしかかかわってこないのだ。
●2014年11月1日●
なぜ鳥は、そんなに急いで北に飛んでいくのか
どんな急ぎの用があるのか
カラスは山に子があるからというが

親戚に不幸でもあったか
仲間が敵にでも襲われたか
誰かに伝えなければならない、急用でもあるのか

それともやはり、子が気がかりなのか

はたまた、恋人が待っているのか

どうみても、血相を変えて、必死になって飛んでいるように見えるのだが

さて、ほんとうのところは何なんでしょうか
あなたの用事は

そうやって聞いても
あなたは教えてはくれないでしょう

人間になぞ教えたら
どんな災いがくるかを
あなたは知っているからです

だから、黙って、必死になって飛んでいってください
私はただただ、不思議にも、その問いにとりつかれているだけなのですから
●2014年10月28日●
◆自力のこころ◆
親鸞は著作の二カ所で「自力」を定義している。
「自力と申すことは、行者のおのおのの縁にしたがいて、余の仏号を称念し、余の善根を修行して、わがみをたのみ、わがはからいのこころをもって、身・口・意のみだれごころをつくろい、めでとうしなして、浄土へ往生せんとおもうを、自力と申すなり。」
(『親鸞聖人血脈文集』)
「自力というは、わがみをたのみ、わがこころをたのむ、わがちからをはげみ、わがさまざまの善根をたのむひとなり。」(『一念多念文意』)

 人間がホモサピエンス(知性人・叡知人)と呼ばれ、猿人→原人→旧人から進化したものが新人、つまりホモサピエンスという定義である。二足歩行を始めることで、大脳が肥大化し、やがて道具を使えるようになった「人類」。
 それを支えてきたのが「知」である。
その「知」を親鸞は「自力」と定義した。自分の努力のみを信じて何万年も生きてきたのだ。自分を信じ、自分の努力を信じ、未来へ向かって限りない可能性を求めて生きてきたのだ。その結果が、現代だが、そこには功罪なかばする現状がある。決して安易に否定することもできないし、手放しで喜ぶこともできない。
 いわゆるhow toという知性は人間の骨の髄まで染み込んでいる発想である。
親鸞は「臨終の一念にいたるまで」と表現しているが、死ぬ間際の息を引き取るときまで、その発想が抜けないと悲しんでいる。
「凡夫というは、無明煩悩われらがみにみちみて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと、水火二河のたとえにあらわれたり。」(『一念多念文意』)
 ここでは主に感情の側面に光を当てて問題にされているようだが、怒りや嫉みという感情が引き起こされるのも、根底には「自力のこころ」があるからである。
 「自力の思い」つまり自己中心的な欲望や意志を拒絶されたときに「怒り」が起こり、それが嫉妬を引き起こすのである。
 つまり、「自力の思い」が計画したとおりにことが進み、その結果自力の思いが満たされた場合には充足感や幸福感を生むが、それが失敗したり拒絶された場合には怒りや絶望感に苛まれるという形式である。この形式を羨んでも悲しんでも、ここから人間は一歩も逃れることができない。
 唯一、この形式に徹底的に絶望したときにのみ第三の道が開かれる。だから「世智弁聡」は仏法を聞くことができない八難のひとつとされる。「世智弁聡」とは、how toの知恵にたけ、世渡りにも成功し、健康で子孫が反映し経済的にも不自由のない暮らしができる人知のことだ。これでは仏法が染みてくる要素がない。
 歎異抄が述べられてくる大前提には、大いなる絶望がある。
その絶望を潜ったところから、歎異抄の言葉が生まれてくる。
 悪人正機で有名な第三条には「煩悩具足のわれらは、いずれの行にても生死をはなるることあるべからざるをあわれみたまいて、願をおこしたもう本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人もっとも往生の正因なり」とある。
 how toの知恵で一生を終えてしまいそうな私に対して「いずれの行にても生死をはなるることあるべからざる」と訴えてくる。どれほど命懸けで努力を重ねても、「生死の迷い」を離れることはできないと。「生死の迷い」とは、自力のこころで計画した努力と、自力のこころが満足した結果の循環の輪のことである。自力のこころは、決して満足することはない。これは貪欲という欲望を本質とした知だからだ。これでよしと満足した底から、また新たな欲望の目標を設定してしまう。それを追い求め、手に入れば満足し、手に入らなければ不満になり、その欲望の循環を死ぬまで追い求めるしかない。そういう形式なのだ。
 その形式全体が「あわれみたまいて、願をおこしたもう」とあわれまれている。そこには阿弥陀如来がいらっしゃるのだ。そこで初めて、仏さんとの関係が生まれる。それまでは無仏だ。
 徹底した絶望を通して、その底に仏さんのあわれみに触れる。
 自力のこころを本質として生きざるを得ない自分があわれまれている。大いなる悲しみの愛に出遇う。
 その発想のところに阿弥陀さんはいるか?怒りの感情が起こるところに阿弥陀さんはいるか?その計画のところに阿弥陀さんはいるか?と問われ続けている。
 ◆思いは自力、事実は他力◆
「思い」は自力だから、なんでも自分の努力次第と考えて生きている。「やれなかったのはやらなかったからだ」という自力のこころ丸出しの標語もあった。努力次第でなんでもできるというのが自力の思い上がりだ。まあそういう形式を背負って生きているから自力のこころが抜けることはない。
 しかし、現実の「事実」は他力で動いている。自分の努力で企業が動いているというけれども、商売がうまくいくのもタイミングで、いくらよい製品ができても売れるかどうかは運次第のところがあるし、いくら努力しても努力が認められないということもある。昔から商売は「運・鈍・根(ウンドンコン)といって、運というチャンスと、鈍という小さなことに一喜一憂しない鈍とした構えと、ひたすら目の前の仕事に打ち込む愚直さとが成功の秘訣だといわれてきた。この三つのバランスで成功談が語られる。そこには「運」ということもある。これは他力である。鈍も根も、実は自分の気質が他力で成り立っていることを物語っている。実は全体が他力で成り立っているのだが、それを自分の努力だとうぬぼれるのが「自力のこころ」である。自力のこころからはお蔭様という精神は生まれない。
 しかし、人生は必ず絶望するように出来上がっているから心配ない。「老・病・死」という三苦があるから、必ず絶望するようになっている。老病死は他力の所産である。若いときは自力が通じるように思えても、徐々に他力に絶望させられる。
 老病死に絶望したとき、ふと自分の人生を振り返らざるを得ない。そして、「自力」は思いに過ぎなかった、事実は他力だったと納得するのだ。絶望とはチャンスなのだ。
 人生とは、誕生という他力で始まるのだが、それを忘れて自力で生きているように錯覚し、その錯覚を他力で覚まされる物語なのかもしれない。
 人生は「骨折り損の草臥れ儲け」である。生まれ変わり死に代わり、流転していままで生きてきた私。まさに「骨折り損の草臥儲け」でしかない。しかしそれが阿弥陀さんからあわれまれているのだ。自分で自分を慰めるのではない。自分のすべての過去は、「骨折り損の草臥儲け」だと阿弥陀さんに教えられ、あわれまれるとき第三の道が開かれる。そこには限りない〈いま〉が開かれる。「永遠の〈いま〉」が開かれる。
阿弥陀如来からいただいた〈いま〉が開かれる。
阿弥陀如来からいただいた〈ここ〉が開かれる。
阿弥陀如来からいただいた〈自分〉が開かれる。
無・限が開かれる。
●2014年10月9日●
昨夜の皆既月食は、素敵だった。
いままで見上げていた月は平面な丸だったが、昨夜の月は球体だった。こんなに月が立体的に球体に見えたことはなかった。見つめていると、卵の黄身が宙に浮いているようにも見える。うっすらと血管まで走っているよう。あの月だったら、ウサギも餅つきはできないなと思った。
妖艶な感じでもあり、ミステリアスでもあり、そこに静寂が漂っている。なぜあの球体が宙に浮いているのか。不思議な感覚にとらわれた。まさに浮いているという表現がピッタリする。感情がゆらゆらと動かされて、何分間か眺め続けた。
その影響か昨夜の夢はミステリアスだった。
私はどこかの講演会場で、聴衆席に座っている。最前列の一番右側に座っていた。最前列に座るのはなかなか勇気がいる。最前列は嫌だなと思いつつ、しかし、まあ一番右端だから、まあいいかと自分を慰めて落ち着いた。少し立ってようやく、今日の話し手が入ってきた。
その人は盲目の詩人だった。講演机に座って、何やら話していた。そして、「あるがまま」ということについて、自分の言葉で語ってみてくださいと聴衆に呼びかけた。聴衆全員に語りかけているのかと思ったら、指名された。「最前列の一番右のひと!、答えてみなさい」と。
これは困ったなぁと思いつつ、何か返答しなければならないと思い焦った。それで、「そんな問題には即答できないから、少々時間を下さい」と応答した。すると詩人は、「それじゃ、その後の席のひと答えて下さい」と、私の応答を無視して次へと移っていった。
私はすっ飛ばされたことに少し腹が立ったが、答えなくてよいのだから、それでもまあいいかと自分を慰めているところもあった。
そんなことがあって講演が終わった。すると、ある女子大生が私の側に駆け寄ってきて、あの私の応答の仕方が凄くよかったと言ってきた。(まあ、覚めてみれば、何がよかったのか不明なのだが…)それで是非、私の部屋へ遊びに来てくれというのだ。なんと彼女は5階建ての女子寮に住んでいるという。そんなところへ、もちろん男子禁制の場所へ忍び込むか、困ったなぁと思った。ところが、場面が急展開して(これは夢ではよくあることだが)、その女子寮の屋上に彼女と私がいるのだ。その屋上から、下の会へ綱渡りのように降りなければ忍び込めない。彼女は慣れているのか、スーッと降りた。私は彼女がやるようにして忍び込もうとしたが、バランスを崩して、体が宙に浮きそうになった。「もうだめだ!落ちる」と思ったとき、その彼女が手を引っ張ってくれて、ようやく階下へ降りることができた。
ところがなんとそこは、職員室から見えるところで、中の先生が私に気づき、後を追っかけてきた。これはまずいことになったと思った。もし見つかったらなんと言い訳したらいいのか。新聞沙汰にでもなったらどうしよう。しかし彼女に誘われたから入ったといえば、彼女が罪に問われる。そんなことはできない。それではどうするか。窮地に立たされた。
とうとう先生に見つかった。するとその先生は、私がここにいて、それが問題にでもなって、世間を騒がせることになってはまずいので、はやく出ていってほしいと出口に案内するではないか。なんか、心配は予想外の展開で、難なく外へ出ることができた。
まあ、強烈な夢だったので、いまでも覚えている。これは皆既月食、いや怪奇月食のせいなのかもしれない。
でも、「あるがまま」を自分の言葉で表現しろというのは、なかなかの問いかけだと思った。言葉は固定化すると、それを崩して再表現していきにくい。しかしそれをやるのが信仰の本質だ。常に作っては壊し、壊しては作っていく。焼き物職人のようなものなのだ。
●2014年10月5日●
●その「考え」の耐用年数はどのくらいだろうか

●哀れ 人間は 火山噴火を 災害と呼ぶ

●河豚に毒があるのは エサに毒があるかららしい 果たして 人間の毒は どこから来るのだろうか
※近頃、更新テンポが落ちている。それは、上記のような、詩とも川柳ともつかないものをA4用紙に筆書きしているからである。これを何と呼ぶべきかと考えて「こころのデッサン」と呼ぶことにした。デッサンは影しか描けないからだ。ほんとうのことは文字で表せないし、声で言うこともできない。影しか書けない。
●2014年9月22日●
「当たり前って簡単に壊れてしまうんだなぁと思って…」。
この言葉は、広島の土砂災害現場を見た女子小学生の言葉だ。テレビをみていたときに心に残った言葉だ。3・11のときにも、そう感じた。釜石市を訪れたとき、悲惨な状態だったのは、すべて人工物だった。自然は自然自身を受け入れて、別に悲惨さはどこにも感じられなかった。
現代人は廃墟を知らない世代だと髙村薫は述べていた。確かにそうかもしれない。しかし、いま目の前に広がっている「当たり前」は仮装であり、〈ほんとう〉の姿は「廃墟」だと思っていたほうがよい。
私はビルの解体現場に惹かれる。街を歩いていて解体現場を見つけると、ついつい立ち止まって見入ってしまう。あの廃墟の感覚に惹かれるものを感じる。なぜだかは分からない。
先日、知人から、おまえの名前が漫画の題名になっていると教えられ、さっそくネットで調べるとあった。それは「破壊魔定光」だった。アニメにもなっていて、正義の見方が悪をやっつけるというストーリーだそうだ。なんと正義の見方なのに「破壊魔」と命名されているところが面白い。
既成のものが破壊されたところに真実が顔を覗かせるというようにも読める。そこに「死と再生」のストーリーを読むこともできる。
今日も、「当たり前」の日常を生きているのだが、これは仮装だ、仮の装いだと知りつつ生きなければならない。
「当たり前」を破壊し、破壊しながら。
●2014年9月15日●
昨夜、NHKスペシャル「臨死体験の謎に迫る」を観た。立花隆がコメンテーターで番組は進行した。観たあとの感想だが、まあその程度のことだろうなぁだった。臨死体験しているときの自分を自分で対象化して見たいという欲求が立花にはあるようだ。しかし、それは夢を見ているときには夢だとは気付かないし、そうでなくても、夢の中で「これは夢なんだよなぁ」と思いながら見ていることもある。まあその程度のことではないか。
臨死体験をしたひとたちが、みな共通して光を見たとか花畑を見たとかいっても、それはそれだけのことだ。それだから死後の世界があると考えたいというのも、その程度のことだ。
結局、人間は自分の生きてきた文化レベルに合わせた臨死体験をしているに過ぎない。西欧の人たちは、至って一神教的な文化世界に生きてきたので、自分の意識するかしないかに関わらず、それに影響された体験をしているはずである。
まあ、自分はネズミになって蛇に追い回されたなどという体験もあるかもしれないが、それであっても、文化以前のもっと原始的な生物としての人類の無意識がそういう体験をさせたということであろう。
面白かったのは、過去の記憶の問題で、現実には体験しなかったことだが、写真を合成して、あなたは子供のときにこういう体験をしたのだと伝え続けると、そのひとはいつしか、そういえば自分はそんな体験をしたはずだと思い込んでいくという実験だ。これは多かれ少なかれ、実感のあるものだった。
記憶は自分で変形させて、新しい記憶として改変して蓄積していくのである。太平洋戦争の空襲体験記憶や、昔の家族の何気ない日々の記憶とか。自分で薄々勘づいてはいるのだが、記憶を美化して改変している場合がある。まあ、不都合な記憶や不甲斐ない記憶を美化して、改変する場合が多いのだ。自我は自我自身を無上の宝と感じているからだろう。
話は変わるが、浄土教は「阿弥陀如来の浄土へ往生する」という物語で説かれる。あたかも死後の世界があるかの如くに説く。しかし、この物語は、信仰の譬喩になっていて、一般的な意識でとらえることのできないようになっている。つまり、死んだら肉体は焼かれて骨になるけど、魂は浄土へいくのだと物理的な現象の如くに説くことはできない。
何が浄土へ往生するのかと問われれば、真実の信心が往生するとしかいえない。
「ひとが死んだらどこへいくのか」という問いと「自分が死んだらどこへいくのか」という問いのレベルは明らかに質が違う。「ひとが死んだらどこへいくのか」という問いは、第三者がどこへいくかという問いであり、自分が問題になっていない。そして自分が問題になっていない問いには信仰譬喩は応答しないようにできている。
まず「自分が死んだらどこへいくのか」という問いが前提になる。その次に「自分」がどういう意識のレベルでそのことを問題にしているのかということが問われる。どうもひとが死ぬと、体が冷たくなり、動かなくなる。いままで動いていたあのひとはどこへ行ったのだろうかと疑問が浮かぶ。その問いには「浄土へいったのだ」と応答される。
次に「浄土」とは何か、どこにあるのかという問いが生まれる。それに対して「西方十万億土」とお経は答える。
次にどうやってそこへ往生するかが問題になる。歎異抄は「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて往生をばとぐるなりと信じて」(第一条)と答える。自分の努力で行くことができない。阿弥陀さんの力以外では行けないと出ている。
それではどうやって阿弥陀さんの力に任せるかという問いへと進んでいく。それに対して、「いずれの行も及びがたき身」(歎異抄第2条)は答える。つまりどのような努力もかなわない自分であるという自覚だけが阿弥陀さんにまかせることだと教えられる。
そこまでくると、「自分が死んだらどこへいくのか」ということを問うていた次元から意識が深化して、阿弥陀さんの連れて行かれるところであればどこでもよいという次元へ入っていく。つまり、自分で自分の死後の世界がどんな世界であるかを確かめたいという欲望から自由になるのだ。花畑なのか、ひかり輝く場所なのか、あるいは暗黒世界なのか、そんなことはどこでもよいという世界へ入っていく。それが「おまかせ」という次元である。
その全体が「阿弥陀如来の浄土への往生」という物語の中で説かれるのである。
だから、死後の世界は明るい世界でなくても、暗黒であっても、どんなところでもよいと手放すことができる。
それは一見するとニヒリズムにすごく近いように見えるのだが、まったく違う世界である。なぜならば、阿弥陀如来の悲しみの愛の中で表現される世界だからである。
立花隆も、阿弥陀さんの悲しみの愛に触れられれば、臨死体験をしようがしまいが、死後の世界があろうがなかろうが、安心されるのではないか。
●2014年9月14日●
善導大師は「経教は鏡の如し、しばしば読みしばしば尋ぬれば、知恵をいだす」という。
ここから「仏法は鏡の如し」という。我々は外出するとき鏡で自分の姿を見る。そこにはひとに見られても、まあまあ問題ないという自分を確認して出かけるのだ。いわば、他人の目線を受けても、それに耐えうる鎧を付けて出かけるのだ。だから、それは「〈ほんとう〉の自分」の姿ではない。鎧をまとった自分でしかない。
女性であれば、「化粧」という、まさに文字通り「化けるためによそおう」わけだ。
だいたい、鏡に移った顔は左右が反対である。私は顔の左にホクロがあるのだが、鏡に移った顔には右にホクロがある。左右が反対に映っているのが鏡だ。だから〈ほんとう〉の自分が映っているわけではない。それでは、寝起きの顔が〈ほんとう〉の自分かといえば、そうでもない。
鏡を覗き込んで、自分の〈ほんとう〉の顔を探しても見つからない。だいたい鏡を覗き込むときは自分が冷静になときだ。感情があらわになった顔をみたことはないだろう。家族に怒りを向けているときの自画像はどんなだろうか。
筧忠治(1908-2004)という画家がいた。彼は自画像にこだわった。何十枚もの自画像を残している。それもまるで仁王像のような自画像だ。どうしてこんな絵に仕上がるのだろうかと不思議に思う。しかし筧さんは、自分を見つめ続けた。徹底的に。自分といっても固定したものではない。常に変化し続けている。それをまるで連写映像でも見るかのように自画像に留めた。
仏さんの前で一分でも二分でも合掌して黙想すると、どんな世界が見えるだろうか。おそらく大したことを考えてはいない。あるお婆さんが、普段は洗濯したり買い物したりと生活しているときには気にも止めなかったが、仏壇の前に座っていると、どうでもよいことばかりを考えてしまうと愚痴っていた。晩御飯のオカズをどうしよう、洗濯物を取り込まなくては、そうそうあのお金振り込んだかしらと。普段動き回っているときには気付かなかったこころの動きに目がいった。普段の生活が動画なら、仏壇の前は静止画だ。立ち止まってみると、いかにこころが動いていたことかと呆れた。
しかしこの立ち止まってみることが仏壇の御利益ではないか。
そこに自分のこころを見せていただける。ほんとうにお粗末なことしか考えていないのだ。でも、そのお粗末が自分だと教えていただければ、それは仏説を聞いたのに等しい。大切なことは、それが反省とは違うということだ。反省とは自分の価値観(色眼鏡)で自分を裁くことだ。あんな自分ではダメだとか、ひとを裁いてみたり。しかし、あるがままの自分のこころを見せてもらうのが仏前である。その「お粗末」を仏説としていただけるかどうかだ。
実は「考える」ということも他力である。考えることも自分で自由に考えているわけではない。宿業因縁で考え自身が動き回っているだけだ。そういうふうに教えられると、どんなことを思おうと、あるがままの自分であることを知らされる。
人間は、ひとさまにいいところだけを見せたいものだ。どろどろした醜いこころはひとに言わなければわからないと秘匿する。しかし、知っているのだ自分自身はこころの奥底で。ひとに言わなければわからない醜いこころも、仏さまはお見通しだ。
そこで仏さんに洗いざらい投げ出してしまうしかない。
水子のことで60年間も悩んでいる女性がいる。人にいえず、ひとりこころの奥底に抱えていた。そこにあるのは罪の意識だ。それをどうやって浄化するのか。
罪は決して消えない。しかし罪があってもそこを引き受けて生きていける世界がある。それは如来の悲しみの愛の世界だ。阿弥陀さんと二人三脚でその罪を背負って生きるしかない。
「衆生病むが故に我病む」。ひとに苦しみがあるところはどこにでも如来の悲しみの愛が降り注ぐ。
●2014年9月11日●
「信心」を得たら、その結果「どうなるか」など、いちいち言う必要がない。
親鸞は「信心」を得たら「現生に十種の益を獲る」というのだが、これも渋々言っているだけだ。ほんとうは、そんな利益をいちいち挙げる必要がない。もっとも数え上げれば十種くらいでは足りないし、挙げればキリがない。
しかし、ひとに問われれば、また弟子たちに質問されれば、苦肉の策で何とか答えなければならない。それで、便宜上「十種」と言ったに過ぎない。蓮如も「この六字の名号のうちには無上甚深の功徳利益の広大なること、さらにそのきわまりなきものなり」(『御文』)といっているが、そんなことを言う必要もないようなものだ。
だいたい利益を期待して信心するというのは損得根性だから信仰ではない。グリコのキャラメルを買えば、ちゃんとオマケはついてくる。オマケが欲しくてキャラメルを買うのは本末転倒だ。
まあ「信心」を得たらどうなるんですか?と聞かれたとき、「現生に十種の益を得る」(『教行信証』)と答えてもいいし、どうにもなりませんと答えてもよい。イエスでありノーでもある。その両方を包んでいるのが「信心」である。禅でも、そういう場面では「無功徳」と答えるようだ。スケベ心でもって何かを期待して信心するのは、すべて無功徳なのだ。
それでは、その「信心」の動機は何か。実はその信心の動機はない。
人間の側に信心の動機は皆無だ。徹底的に、人間から信心の動機をはぎ取っていく力だけが「真実の信心」である。だから、人間は決して望んではいないものだ。人間は、安心・安全・安泰を求めて生きるものなのに、それをはぎ取って削ぎ落としてしまうものが「真実の信心」だからだ。とても恐ろしい、ものすごく切れ味のよい刃物のような信心が親鸞のみていた信心である。
まあ、言葉というツールがなければ、人類の生活は、ほとんど変わらない生活を送っているのではないか。「信心」といおうが「信仰」といおうが、たぶん言葉が存在しなければ、天皇も大統領もホームレスも、さほど違った生活は送っていないはずだ。食べて出して寝て話して、動いているだけだ。
所詮、「宗教」といえども、「口舌の徒」のいたずらごとだと思っていた方がいい。熱心党のひとがいたら、叱られてしまうかもしれないけど。命懸けが信仰だと叱られてしまうに違いない。国家といえ、教団といえ、そんなものはすべて「共同幻想」に過ぎない。
そうやって幻想を削ぎ落とされて、孤独な一人に返っていくのだ。
「いなかのひとびとの、文字のこころもしらず、あさましき愚痴きわまりなきゆえに」(『尊号真像銘文』)と親鸞が語りかけてくる、そこに自分があるだけだ。南無阿弥陀仏。
●2014年9月3日●
瓜生崇さんにお越しいただき「宗教集団の光と影-親鸞会に学ぶ-」というテーマで研修会を開いた。ご自分の12年間の親鸞会経験を通して2時間ほど熱く語っていただいた。お話をお聞きして、親鸞会に対する誤解も解けてきた。
■誤解1■
「いつ廻心体験したかを日にち限定で語る、あるいは確認させる」ということは誤解であるとわかった。
 廻心体験をした日を問われて、それに対してちゃんと答えられないものは偽物だというふうに親鸞会でいわれると聞いていたが、それは誤解だった。そんなことはないらしい。それそれ親鸞会の基本的セオリーは「教祖(高森氏)の教えを聞いて信心を発し絶対の幸福になる」ということらしい。だから「信心を発す」つまり「信心決定」ということが要求されるのだが、公式に「信心決定」をしているひとは高森顕徹(教祖)ただひとりということになっているらしい。ということは誰が「信心決定」を判断するかとなると、教祖以外にないということになりはしないか。これはオウムの「最終解脱者」という位置づけと似ていないか。
 これは蓮如の時代にもあった「善知識だのみ」という信仰的異端になるだろう。「信心決定」は自己と阿弥陀如来との関係で決定されることで、たとえ教祖であろうと人間が決定するものではない。そこには「信心決定」とはどういうことかという、そもそもの問題がある。ごくごく簡単にいえば、自分には「信心」などというものは欠片もないと確信できることだ。信心が決定しているのは阿弥陀如来だけだ。こっちはその阿弥陀さんからいつも「謗法者」として批判を受ける。いえば、その批判を受けるアンテナを「信心」と表現してよいのかもしれない。
■誤解2■
「親鸞会では信者に高額な寄付を要求する」というのも誤解だとわかった。
信者の年会費の額は信者個人の申告によって決まるらしい。それはリベラルなやり方だと感心したが、それが額によって色の違ったバッジをつけると聞いて、ちょっとゾッとした。たとえば、トヨタクラウンを乗っているのに、そんなに低い会費額でいいのという周りの眼というプレッシャーがはたらく。まして法座の座る位置も違ってくるとなれば、信者各人は、自分の立場や見栄で会費額をあげるようになる。それは果たしていかがなものかと思った。
 だが、現大谷派教団でも「相続講」という制度があり、やはり金額に応じて肩衣の色やバッジが違ってくるのだから、親鸞会と同質の部分を抱えている。関東ではそうでもないが、かつて真宗の盛んだった北陸地方などでは、肩衣をつける集会も多かったことだろう。その場では見栄や虚栄の論理がはたらいて献金額が増えるということもあるだろう。まあ、現大谷派教団では、その献金システムがちゃんとはたらいてはいないように感じる。やはり親鸞会は新しい宗教集団だから、まだその献金システムが劣化せずに強力にはたらいているといえるのではないか。
■誤解3■
 「親鸞会では信者に出版物の購入を強制しているのではないか」というのも誤解だった。この誤解は大手新聞に、親鸞会が「一万年堂出版」の名前で広告する『歎異抄をひらく』や『なぜ生きる』が何十万部と売れているところから起こったようだ。それには親鸞会関係の書籍が何十万部も売れるはずがないのではないか、そこには何か仕掛けがあるのではないかという勘繰りがあったためだろう。おそらく信者に強制的に何部か購入しろという命令が下って、あれだけの売り上げをあげているのではないかという勘繰りだ。この手法は「幸福の科学」が使っていると聞いたことがあるが、それも真偽の程はわからない。ところが今回瓜生さんの話を聞くと、『歎異抄』関連の書物で、あの『歎異抄をひらく』は近年マレに見る売り上げだそうで、やはり宣伝効果により一般読者に売れているということらしい。
 私も読んでみたが、思い込みに反して「ちゃんとした」内容だった。なぜひとは死ぬのに生きねばならないのか、生きる意味は何なのかという問いかけの部分は、その通りだと頷ける内容だった。まあ気になったのは「絶対の幸福」という言葉だった。あっさりと親鸞聖人の教えを信じれば、最終的に「絶対の幸福」に至るのだとという書き方で終わっている。この「絶対の幸福」という言葉は親鸞会が非常に重んじる独自のキーワードで、それがそこここに書かれているのだが、その「絶対の幸福」とは何かという話は書かれていない。そこから先を知りたければ親鸞会に来なさいということなのだろう。
 ともかくインターネットで「親鸞・念仏・信心・本願」など仏教に関する言葉を検索をすると、冒頭に出てくるのはほとんどが親鸞会関係の情報だ。この現状はひとえに彼らの信仰に対する「熱心さ」がやっているということもわかった。まあその「熱心さ」とは何かということが問題ではあるのだが。つまり宣伝費にかなりの費用を掛けているということだ。現大谷派年間予算は50億円程度だが、親鸞会は10億円程度で動いているらしい。その小さい集団でも、あれだけの広告・宣伝活動が可能なのだ。現大谷派教団や現本願寺教団でも、「やる気」になればやれないことはない。だがそれが出来ていない。それは教団があまりに大きくなってしまったことの弊害である。大きな教団になると、「教団を護る」という発想が生まれる。そうすると社会に向かって表現するときには、「正しい信心の表現」でなければならないという自己規制を生む。次にその「正しい表現」を誰がするのかという問題が起こる。宗教集団が小さいときには教祖の一存で動けるが、それが大きくなると民主制を取る。民主制とは「合議」ということだ。それは責任が分散されることで、個人が責任を負えない体質になる。これは現大谷派教団に強く表われている体質である。むしろ現本願寺教団は「本願寺出版」というところから、いろいろな書物を出しているのだから、その体質は低いと見える。それでも大手新聞社を使っての大広告を掲載することは出来ていないのだから、やはり大教団の問題点なのではないか。
 瓜生さんたちは、仲間を作ってひとりでも多くの人に仏法を伝えようと「浄土真宗の法話案内」というサイトを立ち上げている。→http://shinshuhouwa.info
このサイトでは全国のどこでいま真宗の法話が行われているかを掲載している。そこには次のようにある。
「一人でも多くの人に、浄土真宗の教えにあっていただきたい。ただひとつの願いのもと、当サイトは立ち上げられました。日本全国に20,000ヶ寺以上ある浄土真宗のお寺や関連施設、公共施設では毎日どこかで法要、法話、聞法会が開かれています。仏法に遇うきっかけとして、どうぞ当サイトをご利用下さい」と書かれている。関心のあるひとは是非、検索してもらいたい。
大教団はタンカーのようなもので、なかなか小回りがきかない。やはり小舟のほうが小回りがきく。タンカーは舵を切ってもなかなか方向を変えられない。やはり個人が小舟で小回りのきく方策を発案すべきなのだろう。
近頃は、地方の公共施設や個人宅で開かれる「勉強会」や「お講」に親鸞会の講師が出講していると聞く。ある地域では、既存寺院のお坊さんに依頼したが忙しくて断られた。ところが、この先生に頼んだら、ご老人たちを自家用車で迎えてきてくれて、法話までしてくれたというのだ。こんな有り難い先生はいないとご老人たちは大歓迎だそうだ。ところがその講師とは親鸞会講師だったというのだ。
ここにも親鸞会の「熱心さ」があらわれている。3・11の災害ボランティアにも親鸞会は突出して関わっているという。こういう「熱心さ」は大教団では難しいのが現状なのだろう。あっても一部のお坊さん止まりということなのだろう。
瓜生さんが脱会して、今度は大谷派のお坊さんになろうと「教師修練」という研修を受けたときの話が面白かった。修練に参加していたお坊さんの息子が感話のとき「自分はこんなところへ来たくなかった。事情があって仕方なく坊さんになるんです」と話したそうだ。それを聞いていた瓜生さんは「なんてやつだ。そんな動機で坊さんになる資格はない」と内心に思ったという。しかし、使命感をもって燃えているひとだけでなく、渋々、坊さんになろうというひとも安心して存在できるのが既成教団のよさではないかという。もし親鸞会であれば、そんなものは決して許されないのだから。
 親鸞会で講話を拝聴するときには、必ず正座だそうだ。一時間でも二時間でも正座をし、姿勢を正してお話を聞くのだ。これは「熱心さ」の表れかもしれないが、そうできない劣等な存在は排除されてしまう。
 ある因速寺の門徒を初めて真宗会館の法話会に連れて行ったとき、お話を聞きながら居眠りをしている聴衆が何人かいた。このありさまを見たとき、私は「まずい光景を見られてしまったな」と内心で思った。初心のひとがこの光景をみたら、ちょっと誤解を受けるのではないかと危惧したのだ。やがてお話が終わって、その門徒に感想を聞いてみたら、「居眠りの光景を見て安心した」というのだ。「居眠りができるということは、その場所が安心できる場所だからではないか」ともいうのだ。私は胸をなでおろした、というか、彼の受け止め方の深さに感服した。
 彼は新興宗教の集会にも誘われていったことがあったようで、その場所ではキチンと姿勢を正して拝聴し、だれひとり居眠りをするひとはいなかったという。あの光景は不自然だというのだ。
 まあ居眠りがいいというわけではないが、長い間話を聞いていると眠くなってくるのが生理現象である。まあ、感動のあまり眠気を起こす暇もないということもあるのだろが、眠くなる人をも受け入れるというのが自然ではなかろうか。
 既成教団は、教えに不信感をもつひとも、嫌々お坊さんになるひとも、使命感に燃えるひとも、いろいろな存在を許容できるのがいいところなのだ。その全体がやがて阿弥陀如来にすべてを任せる方向へと誘引されていけばよいことなのだ。やはりタンカーの動きは遅い。しかし間違いなく全体をもってジワジワと前進していけるのだ。
 違う例えでいえば、既成教団は「海洋牧場」なのだ。魚を育てるにも、この海全体が牧場というくらいの規模で動いている。だから果たして、この海を耕しているのかどうかもわからない。それに比べて新興宗教教団は、「養殖生け簀」のようだ。促成に餌を与えて太らせて、鯛やハマチを養殖する。だからその生け簀には鯛なら鯛しかいない。ハマチの生け簀にはハマチしかいない。純粋であるかもしれないが、そこには人工の不自然さがある。それに比べて「海洋牧場」という発想は、太平洋全体が養殖生け簀のようなものだから、そこで育った魚たちは千差万別だ。天然の鯛は育てるのに時間がかかるし、荒波がきたとき、遠くへ逃げていってしまうかもしれない。ただし食べてみれば、養殖がいいか天然がいいかはすぐにわかる。
 そにれしても、彼らが何とかして親鸞聖人の話を聞いてほしいという「熱心さ」は飛び抜けている。 親鸞会の講師陣は、「顕真学院」という親鸞会独自の講師養成学校の出身者である。そこには常時200人ほどの学生がいるらしい。まあオウム真理教の「在家信者」と「出家信者」の例えを借りれば、「出家信者」に当たるのが顕真学院の学生ということになる。在家信者に対してはものすごく優しく丁寧な対応で勧誘するが、一旦、出家信者に入ったとき、過酷な修行の日々が待っているという。
 瓜生さんも全国各地で開催される高森顕徹(教祖)のお話を聞きに回ったようだ。学生だったので交通費も大変だったという。親鸞会活動に専従し、とうとう大学も中退することになったそうだ。親鸞会の教えは「親鸞聖人→蓮如上人→高森顕徹」という伝統で、現代に正しい信仰を説けるのは教祖(高森)だけだと教えられるそうだ。顕真学院では、それを徹底して教え込まれ、いわゆる「機責め」があるそうだ。「機責め」とは、ひとりの人間を取り囲み、周りで先輩たちが「お前の信心を言ってみろ!」「お前の信心はなってない」「お前は何も知らない馬鹿だ!」「善人ぶっているお前自身を懺悔しろ!」などと、徹底して責めまくるやり方だ。この「機責め」によって、完全に親鸞会絶対の精神が叩き込まれるらしい。
 オウムの場合もそうだったが、教祖の言いなりになるロボットを生み出すのが急性期の信仰集団の特徴である。そこに自分の判断を入れてはならないと教え込まれる。親鸞会を疑ったり、教祖を疑えない人間に仕上がっていくそうだ。瓜生さんはナチスのホロコーストを例にとり、600万人以上のユダヤ人をガス室に送り込んだヒムラーの話をした。ヒムラーは呆れるほどの家族思いで、嫁さんの誕生日には花束を送るような優しい旦那だった。そのヒムラーがなぜあれほど残忍な行為をすることができたのかと問われて、ヒムラーは「命令でやったまでのこと」と言ったそうだ。ここにも人間がロボット化し、自己判断を失うことの恐ろしさを示している。それが宗教集団のもっている人間のロボット化とつながっている。
 逆にいえば、躊躇ったり、不安を感じたり、憂鬱になったりすることの大切さが浮き彫りにされる。それを問題にしているのが歎異抄第9条だろう。第9条にも親鸞会独自の解釈があるらしいが、それは聞きそびれた。
 彼は親鸞会を完全に否定しているわけではない。やはり彼が出会うべくして出会ったものである。確かに親鸞会の功罪もあるが、それは大谷派教団の内部にある功罪でもある。それはあらゆる宗教集団の内部に、いつでもある問題である。その問題をいつでも自覚できるような安全弁をもつべきである。所詮、宗教集団は「共同幻想」でしかない。帰るべきところはひとりひとりの信心である。
 私がいつも言っているのは、「誤解以外で宗教が流行することはない」である。
●2014年8月23日●
そのひとの言葉を聞けば、そこに〈ほんとう〉が感じられる。それは具体的にどういう言葉かということはいえない。〈ほんとう〉を生きているひとの口から出てくるのだから、千差万別である。千差万別でなければならない。
『同朋会運動の原像-体験告白と解説-』(法蔵館)が大谷大学の真宗総合研究所の企画で出された。その中でお念仏に生きた方々の言葉が述べられている。十人十色で、いろいろな輝きを放っている。それを読んでいて、そこに〈ほんとう〉を感じとることができた。各人は、それぞれの事情で仏法に触れている。そこに各人が〈ほんとう〉に引きつけられていった片鱗が見て取れる。しかし、心底、自分のこころのありのままを、あるがままに吐露しているわけではない。そのひとの心の底にはいわく言い難いものがあるに違いない。それは信心が言葉で表現することができないという〈真実〉そのものの性質にある。だから「弥陀の誓願不思議」とか、「不可称・不可説・不可思議」という言葉で表現するしかない。ただ、そのひとが〈ほんとう〉を生きているならば、そのひとたちの言葉を聞いたもののこころの内に、〈ほんとう〉が開かれてくるから不思議だ。
 信心は言葉にした途端に汚れていく。言葉は人間界の意思疎通の道具だから、ある意味で「誤解の道具」でもある。「信心」という言葉を使った途端に、「ああ、信心ね」とわかったことにしてしまう。わかったことにした上で、「信心なんて、役に立たないよ」とか「鰯の頭も信心だからね」と、即断する。その人がその言葉をどういう文脈で使っているのかということをいちいち確かめることをしない。まあそれが日常会話というものの悲しい姿である。言葉の定義をいちいち聞いていたら、会話が進まないからだ。
 だが、丁寧に聞ける場面では、ちゃんと言葉の定義を確かめながら話を進めなければならない。「たかが言葉、されど言葉」なのだ。
 あるひとが、「ああ、他のいのちに生かされているのが人間なんだなぁ」と語った。それを聞いたとき、嫌な感じを受けたことがある。だが他のひとが同じことを言ったとき、そうだそうに違いないなぁとこころが落ち着くことがあった。同じ言葉を聞いても、違って聞こえるのはなぜか。これは、話者の言葉に〈ほんとう〉が宿っているかどうかで違ってくる。最初のひとは、「生かされている」というのを損得根性で受け取っていたのだ。自分は三度三度食事をしているが、食べ物のお蔭で「生かされている」、有り難いと。それは間違った考え方ではない。しかし、そこに損得根性が隠れている。食べ物として殺されたいのちたちに無感覚なのだ。だから、自分が生きるための食物によって自分が生かされているのが有り難いのだ。
 しかし後のひとは、食べるということの中に罪悪性を見抜いていた。だから食べることに対して悲しみをもっていたのだ。それで「生かされている」という言葉の中に隠れていた損得根性が浄化されていたのだと思う。
 寺では朝のお勤め(お朝事)の時に、お仏飯を阿弥陀さんと親鸞聖人の前に飾ることになっている。炊きたてのご飯を仏飯器で綺麗にかたどって仏前に安置する。浄土真宗本願寺派は蓮のつぼみをあらわすように、こんもりと盛る。一方、真宗大谷派は、盛槽という突き出し用の道具を使って蓮の実をあらわすように円筒形にご飯を盛りつける。なぜお仏飯を飾るのかとという理由として、様々ないのちに対して感謝を表すためだと説明されている。しかし私は独自の解釈をしている。
なぜお仏飯を飾るのかといえば、他の様々ないのちを喰い殺し犠牲にして自分が存在していることを忘れるなという戒めだと思っている。つまり、ついついその罪を忘れてしまうのだが、その罪を決して忘れないようにということでお仏飯を飾るのだと思う。
 感謝といえば実に宗教的な雰囲気はするのだが、その前に懺悔がなければ感謝は〈ほんとう〉にならないのではないか。「ありがとう」の前には「ごめんなさい」がなければならない。学校でも宗教でも感謝ばかり教えるから、〈ほんとう〉の感謝にならない。その前に懺悔を教えることだろう。
 毎日、どっち向いて生きているのだろう。そう思うと、どっちに向いていても向いた方向が阿弥陀さんと思っている。どこへ連れていかれるのかも阿弥陀さん任せ。何がしたいのかも阿弥陀さん任せ。身体は阿弥陀さんに全面的にお任せしているのに、お任せできない我が心で苦しむ。まあ苦しんでいるから阿弥陀さんは同伴して下さっているのだ。苦しみがなくなってしまったら、これもまた面白くない。思うようにならない苦しみに出遇うことで、私はようやく人間の顔を取り戻すことができるように思う。
●2014年8月22日●
孫の問いに追い詰められた。
中島尋子さんという念仏者と孫との対話が凄い。
「孫が五歳くらいのときかな、『ばあちゃんのじいちゃん、どこ行ったと』って私に聞いてきたのです。孫からしたら、なぜか皆さんが毎月集まり、皆仏さんにお参りするもんで、やっぱり疑問に思ったのでしょう。『僕のばあちゃんには、じいちゃんがおらんし、むこうのばあちゃんには、じいちゃんがおんなさるし、だったら僕のばあちゃんのじいちゃんはどこ行ったと』って。そいけん、『仏さんになっとったい』って応えました。そしたら、『なんで仏さんになると』っていうわけよ。『死んだらみんな仏さんになるとたい』っちいうたらね、『なんで死ぬと』っていうわけよ。それは孫のそのままですよ。そいけんでっさい、『生まれてきたら死ぬとよ、みんな』っちいうたら、そしたら『なんで生まれてくると』っていたわけ。そのときには今度私が困ってね。『ああそうね、何で生まれてくるやかね。一緒に考えようね』っていうくらいのことでごまかしたわけよ。
ただ、私はそのときはじめて自分自身で『私は生まれてきたら死んだ』っていいよったんやね。その言葉が自分から聞かれたときに、私は気がついたんです。いままで『あなたの旦那さんはなんで死んだんですか』って聞かれたときには、『癌で死にました』って、ずっと人にいいよったんけど、そこではじめて、ああ、癌で死んだっちゃないとって。癌は縁たい。それから、楽になったっていったらいかんけどですね、癌ば恨まんでもよかじゃないですか、縁じゃけん。それも孫から気付かされた。だけん、みんな私は、外から気付かせてもらったっちゅう感じ。」(『同朋会運動の原像』法蔵館2014)
この問答を読んで、人間は凄い!と思った。五歳の子供の中にも〈ほんとう〉が流れている。五歳の素朴な問いは大人でさえ答えることができない。こういうのを一切衆生悉有仏性というのだろう。「一切の衆生に悉く仏性あり」と。仏性とは、〈ほんとう〉の性質という意味だ。〈ほんとう〉の問いには誰も答えることができない。まあ中島さんは「ごまかしたわけよ」と言っているが、そう答えるしかないだろう。
大人は癌で死んだ、病気で死んだ、事故で死んだと死の「条件(縁)」を原因だと錯覚している。それは錯覚だと五歳の問いは教えてくれた。誕生が死の原因だと。
 孫に聞かれれば、じいちゃんは仏さんになっとるとまでは答えるだろう。そこから大人の知恵は、仏さんって何?という問いへ流れる。しかし五歳の孫はそっちへいかず、「なんで生まれてくると」と問うた。この問いには答えられない。万事休すだ。
 もう生まれてきてしまっているのだから、そんなこと問うても仕方がないではないかと大人は考える。だが、そうはいっても、相変わらずその問いに答えられていない欲求不満だけが残る。
 面白いのは中嶋さんの「私はそのときはじめて自分自身で『私は生まれてきたら死んだ』っていいよったんやね。その言葉が自分から聞かれたときに、私は気がついたんです。」という発言だろう。妙なフレーズは「その言葉が自分から聞かれた」だ。自分で発言した言葉を自分が聞いたという意味だ。文法的にいえばこんな使い方は間違いだろう。「自分は話す」ので「聞くのは相手」ということになる。この「自分から聞かれた」という表現は、念仏者特有の表現なのだ。自分の発言した言葉が、自分自身をハッと驚かせ、自分自身の言葉で自分自身が教育されたのである。
 中島さんはお説教で、人間は事故や病気で死ぬのではない、死の原因は誕生だとさんざん聞いてきたことだろう。だが、いくら真理の言葉を聞いても、そのときには自分には聞こえてこない。聞こえてくるためには、聞こえてくるだけの時間が必要なのだ。孫から問われることで、自分自身の中から〈ほんとう〉の言葉が引き出され、その言葉によって自分自身が心底、説得されたのである。そこに驚きと微かな悦びが花開く。
 こういう気付きを日々繰り返し頂いているのが、念仏者の悦びなのではないか。
それにしても「なんで生まれてくると」という問いは真理の一言としかいいようがない。
さあ、この問いにどう答えたらよいのか。
●2014年8月21日●
念仏者は何を食べていたのか?
仏教では「食べる」ことを四つに分ける。「段食・意食・触食・識食」だ。段食とは普通の食事のこと、意食とは意志、触食とは感覚作用、識食とは考えることである。普通の食事は、段階的に食べるから段食らしい。感覚作用や考えることなども「食」と考えるところが面白い。心身を養ってくれているものすべてを「食」という言葉でイメージしたのだろう。
イエスも「人の生くるはパンのみに由るにあらず、神の口より出づる凡ての言(ことば)に由る」(マタイ福音書)に言っている。人間は肉体を養うだけでなく、生きるための意欲によって生活が成り立っていることを物語っている。まあ「意欲」は貪欲という煩悩だから、「意欲」で人間は生きられないということも語っている。また神の言葉が人間を規制する倫理になってしまえば信仰は道徳に堕落していく。
意欲を意識的に感じているひともいるし、そんなに感じていなくて、惰性で生きていると感じているひともいる。むしろこっち側のひとが圧倒的に多いのではないか。生きることは、向こうからやってきたものに対して、対処することでもある。向こうからやってきたものとは、仕事への通勤とか病院への通院とか、学校への通学とか。差し迫ったものに対処しているうちに人生は終わってしまうものかもしれない。
また自分では「私はひとりでちゃんと生きてきた」と思っているひとも、実はいろんなものに支えられて生きていたりする。分散型になったとか、故郷には両親がいないとか、そんな理由もあるのだろうがお盆の帰省ラッシュがまだ国民的行事として定着している。子供や孫の帰省を楽しみに、日々を過ごしているお年寄りもまだまだ多いのではないか。家族の愛というものが、そのひとを支えているという面もある。
振り込め詐欺事件で何百億円という金が動くのも、お年寄りが子供や孫を愛しているからなのである。もし見捨てられるような子や孫であれば、お年寄りは決して振り込んだりしないはずだ。
まあ、普段はそんなものは意識しないのだが、無意識の領域では、間違いなく家族の愛がそのひとを支えている。
先日の新聞には、奥さんの前で旦那が平気な顔をしてオナラをするので、奥さんが「ひと前なんだから、少しは考えて」と言ったら、旦那は「お前はひとではない、空気だ」と応えたと載っていた。そういわれた奥さんは複雑な心境になったという。
お前はひとではないと言われれば、ひととして扱わない旦那に対して腹も立つ。だが、空気だといわれてみれば、ひとは空気なしに生きられない、ひいてはお前なしに生きられないオレなんだという表現とも受け取れる。奥さんも複雑な感情だったろう。
空気は当たり前すぎて、感謝の対象にはならない。しかし空気なしにひとは生きられないのも事実だ。やはり、当たり前のものに我々は支えられているのだ。当たり前のものに養われながら生かされているということなのだろう。
ただその当たり前のものを失ったときに、初めてそれによって支えられていたことを教えられるのがひとの悲しいところだ。だから、ほんとうのところは、自分は何によって支えられているのかを知ることができないのだ。
ところで、念仏者は何を食べて生きていたのだろうか。その「食べる」というのも、単なる食事ではなく、意欲や意味といったものを含んでいる。そういう問いを投げかけてみて考えた。おそらく念仏者は、「自分の思い通りにならない現実」を前にして、それを自分の食事に変えていたのではないか。
人生は思い通りになることよりも、思い通りにならないことのほうが多いように思う。今朝も寝床で目が覚めてしまった。目が覚めるというのも他力なので、自分の自由意志ではない。目は他力で「覚める」のであって、目を意志で「覚ます」のではない。どういうわけか目が覚めてしまった。だから生きざるを得ない。間違いないのは、自分の生は死に向かっている。まあ念仏者は「死なない」ので「浄土往生」に向かっていきているといわなければならない。
目が覚めるという事実も、人間の思い通りにならない現実だ。誕生も死も、自分の思い通りにならない現実である。この心臓の鼓動も、自分の意志とは無関係だ。そうやって見ていくと、生活全般にわたって、思い通りにならない現実でほとんど生活していることに目がいく。別の言い方をすれば、無量無数の思い通りにならないことによって養われているのが自分だ。
この「思い通りにならない」というのを別の言葉で、「思いを超えている」と表現してみたい。「思い通りにしたい」というのが煩悩だが、それがもし思い通りになったとしても、さほどのことはない。ただ「思い通りにしたい」という貪欲を備えていることだけはわかる。南方に住むハブという蛇は、生き物の熱を感じ取ると熱を発するものに向かって牙を剥き噛みつく習性がある。人間の貪欲もこれと同じだ。本能的に獲物に向かって飛び掛かっていく。後先のことは考えにない。咄嗟に飛び掛かっていくのが貪欲だ。
「思い通りにしたい」と思って飛び掛かるのだが、「思い通りにしたい」と思った意志(原因)と、「思い通りになった」という現実(結果)がひとつにならない。ひとを殺してしまった被疑者が必ずいう言葉がある。「殺すつもりはなかった、死ぬとは思わなかった」と。殺したいと思うこともあるし、怒りに狂って暴挙を振るうこともある。しかし、結果的に相手が死んでしまうことは予想していない。だいたい、ひとをどの程度に殴ったら死ぬのか、ひとには知らされていないからだ。一回殴っただけで、相手がフラフラと倒れ、地面の石に頭をぶつけて亡くなるというケースもある。
原因と結果が矛盾するのが世間の常である。
まあ、何十年か生きてきても、自分が自分に成ろうと思って生きてきたということはないはずだ。たまたま、気がつけば、自分に成ってきてしまったというのが事実である。刻一刻と時が刻まれている。刻一刻、自分は自分の思いに反して、自分に成ってきている。自分に成るというよりも、自分が自分にさせられてきたということだろう。思いに反して。
土石流も3・11も「思いを超えている」出来事だった。
そんな現実を前にして、念仏者・高光大船は「それでええがや」といったのだろう。その「ええ」というのは、人間が悲惨な現実を肯定している「ええ」ではない。思いを超えた現実を受け入れることのできない愚かな自分を前にして、その自分を「それでええがや」と受け入れたときの「ええ」である。その「ええがや」の前には、「ええ」と受け入れることのできない現実が厳然と横たわっている。これが念仏者の食事だったのではないか。
●2014年8月17日●
答えはある。問いが見いだせないだけだ。
答えはナンマンダブツだ。ただ、問いが見いだせないのだ。問いが問いとなっていないといったほうがいいか。問いにも表層の問いと深層の問いがある。最初は、ちょっと気になるという問い。これは表層の問いだ。その問いが、指に刺さった棘となって疼きだす。
その問いが、どんどん深まって、深層の問いとなる。深層の問いとなると、表層の問いはそのままに、答えを要求しなくなる。「問い」と「問うている自分」がひとつになると、問いが昇華される。
生活のどの地点を切り取ってみても、「万劫の初事」に違いない。地球が誕生してから初めて起きている出来事ということだ。それが真実だ。どの地点を切り取ってみてもだから、喧嘩してるときも、寝てるときも、食っているときも、糞しているときも、話しているときもだ。
それがナンマンダブツの答えなのだろう。ただそれが答えにならない。「なんで?」と問わざるを得ない。その「なんで?」はまだ深層の問いにはなっていない。
「なんで?」が深まってくると、「なんで?」が消えて、「さもありなん」へと変化する。
未解決のままが、解決になる。表層の問題は、未解決の問題が解決して一件落着する。しかし深層の問題は、未解決が未解決のままに落着する。
人間、右を向いても左を向いても、苦しみばかりだ。それは自分の思い通りにならないだけなんだ。だから、自分がこの世にいるということは、苦しみ発生機があると思えばちょうどよい。苦しんでいないのは、自分の思い通りにいっているときだけだ。
 なぜ苦しむのか、それは理由はいろいろあるのだが、本質的になぜ苦しむのか、その意味がわからない。その理由がわかっても、そのことがどうしても納得できないし、受け取れない。「なぜなんだ」という問いだけがある。
 炎天下に蟻がチョロチョロ動き回って、他の蟻とぶつかってゴッツンコしているのと同じだ。人間も蟻も同じで、ゴッツンコする。ひとつ違うところがある。人間はゴッツンコしたら空を見上げることができる。
 空には阿弥陀さんがいる。その阿弥陀さんを仰ぎ見ることができる。そして阿弥陀さんと対話する道が開ける。
 それだけのことだ。苦しめるのは相手の問題、苦しむのは自分の問題、その苦しみを通して阿弥陀さんと対話する。
 そして徹底的に自分がその苦しみを納得すればよいだけだ。これは阿弥陀さんと自分だけのひそひそ話だから、ひとにいう必要もない。秘め事だ。
 苦しみがなければ、阿弥陀さんと話す縁がない。だから苦しみは大事だ。
 相手が悪いわけじゃない。まして自分が悪いわけじゃない。ただゴッツンコしてびっくりしているだけだ。夫婦喧嘩は犬も食わぬというが、どちらにも言い分があって、ゴッツンコする。第三者が聞けば、「そんな理由で喧嘩したの」と唖然とする。
 ゴッツンコしたら空を見上げよう。そこに阿弥陀さんが必ず待っている。

●2014年8月14日●
肝心なときにはお念仏は出てこんもんや。
近頃、霜降り牛肉よりも赤身に人気が出てきたとテレビで報じていた。ヘルシーとかいわれて人気らしい。いままで乳牛として飼われてきたジャジー種に雄牛が誕生すると、すぐに殺処分されていたらしい。ところが、試験的に育てて肉牛にしたところ、赤身が美味いということがわかって、需要が伸びているとか。
 テレビに出てきた子牛たちが、なんともいえず愛らしかった。あの牛の目が美しい。あの男の子牛たちは、やがて食われてしまうのかぁ、と思うと、ほんとうに可哀相だ。
 自分の見える範囲のことには感情が動くのだが、焼き肉店で食べる牛肉には何の感情も動かない。動くのは食欲だけだ。この矛盾に、なんともやるせない気分にさせられる。
 宮沢賢治の「ビジテリアン大賞」という作品でも、菜食派に対して食肉派の敗北に終わらせている。まあ宮沢賢治らしい優しさだと納得させられる。
 どのように食肉派の肩を持ったとしても、肉食に対して「仕方がない」と妥協することは許されない。それはわかっている。自分は罪人だと知ってはいても、それは自己弁護であり妥協でしかない。罪人だと言うことで免罪符にしようとしている。
 いやなら喰うなといわれるだけだ。話はそれだけのことだ。
 そんなことをいちいちここに書く必要もないと。書くことによってカタルシスを得ようとしている自分にも気づいている。
 お念仏しかない。お念仏しかないということが免罪符だと気づいていても、それしかない。
 自分の意志以前に、胃袋というものが備わってしまっている人間存在。子牛が可哀相だというのも〈ほんとう〉のことだが、牛の肉を美味いと感じる貪欲さを備えてしまっている悲しさも〈ほんとう〉のことだ。
 曽我量深先生が晩年、病の床にあったとき、苦痛に耐えていたという。そのとき、先生は「当然の報いでありますからね」とおっしゃったそうだ。様々ないのちを喰い殺してきたことの報いだから、これを受けていかねば仕方がないのですと受け取っていたのだろう。この潔さが自分にはないなぁと思う。
 生活の中で思い通りにならないとき、口からナンマンダブと出てくる。あ~あ、嫌になっちゃうなぁ~ナンマンダブ。もう、どうしようもないなぁ、ナンマンダブ。なんでこんなことをやらなきゃならないんだ、ナンマンダブ。
 家人に、それって愚痴の代わりじゃないのと言われた。確かにそうだ。愚痴の念仏だ。そんなときにしか念仏が出てこない。
 家族の発言がくだらないので、相手の発言をやめさせたいときにナンマンダブとやる。不思議とナンマンダブとやると、相手は黙るしかない。
 そして、「またナンマンダブツでごまかしてらぁ」と反論される。そういわれたときも応酬はナンマンダブで返す。ナンマンダブは実に便利な言葉だなあと感じる。言い訳、自己弁護、愚痴、自己防衛、様々な場面でナンマンダブが使える。使った直後は汚れているのだが、やがてそれらの毒が消されていく。ナンマンダブはなんでもかんでも、それらを浄化する作用をもっているようだ。まあ、意味不明だから余計にありがたいのだ。念仏は涙か、ため息かだ。
 でも、肝心なときには念仏は出ないものだ。
NHK朝ドラ「花子とアン」で、愛児歩の死で悲しみのどん底に落とされた花子。疫痢で亡くなったそうだ。迫真の演技で朝から涙があふれてきた。こんなときナンマンダブが出てもいいのになあと思うが、そのときはただ悲しいだけだった。
 まあお念仏が出ない生活も、お念仏の中の出来事なのだ。
 
●2014年8月10日●
人間という井戸の底にある毒を掘る。その底を掘って掘っていけば、また毒が出てくる。以前は、その毒に驚き、たじろぎ、うろたえていたが、いまでは、その毒を額面通りに受け取れるようになった。
毒に対して不感症になったのか、習い性になったのか、鈍感になったのか。
人間という井戸は、人間が思いはかっている以上に深い。掘っても掘っても毒ばかりが出てくる。
人間とは、初めから善なるものではない。善が初めからないので、善を求め、善に寄り添いたくなるのだろう。善を求める根拠は、自分自身が毒そのものだからなのだ。
どうもその毒と馴染んできてしまった。だから周りのひとから、「口が悪い」とか「ひとが悪い」とかいわれてしまう。
どんなに善だといわれているひとにも毒がある。毒の上に善をメッキしているだけだ。
どんなプロスポーツマンでも、所詮は金欲しさだろうと皮肉をいう人間がいる。私はその意見には賛同できない。
 金ももちろんほしいだろうが、それだけでプロスポーツをやっているわけではない。本質は、そのスポーツに魅せられているということだ。これはどんな仕事にも通じる。やはり、仕事に惚れているひとは、その仕事に魅せられているのだ。コンビニのレジ係でも、それは金が当面の要求だが、それだけではもたない。そこに接客した相手の笑顔や、御礼のことばから仕事におけるエロスを受け取っている。
 皮肉をいう人間は、自分自身の毒をちゃんと受け取れない人間だ。露悪趣味は、敢えて悪をひけらかして、人間そんなにいいもんじゃないぜとうそぶく。それは悪と親和しているように見えて、悪を軽蔑している。つまり、それは自分自身が善人であることを暗に示すことになる。
 悪への親和性は、悪への敬いから起こるのではないか。悪を敬うというのはちょっと馴染のない表現だ。悪は自分から出てきたものだが、自分勝手に生み出せるものでもない。人間が本質的に抱えている性質から生み出されてくるものだ。そういう意味で、悪は自分自身を超えている。自分で打ち消すこともできない賜り物である。そういう意味で「悪を敬う」といったのだ。
 「凡夫」という言葉も、私は言い訳として使う。言い訳として以外に使いようがない。人間が使った限りの「凡夫」は、自己弁護以外には成り立たない。そうとはわかっていても自己弁護の文脈以外では使えない。
 やはり、自分の見つめる自分自身には「自己嫌悪か自己肯定」のどちらかの感情しかおこらない。自己弁護を嫌悪するか、肯定するかしかない。もっといえば、人間を嫌悪するか、人間を肯定するかしかない。
 そこには救いはない。
そこは無仏の世界だからだ。仏さんがあれば、第三の道が開かれる。第三の道とは「自己嫌悪と自己肯定」が「懺悔と讃嘆」へと転じられる救いの道である。
●2014年8月4日●
お坊さんが非生産であること。パート2
それから、もうひとつ、お坊さんが非生産であるということは、人類にとって象徴的な出来事を知らせるためなのかもしれない。それは、非生産である時間は地球を消費しないからである。お坊さんは乞食で、つまり貰い物で生きているありかたである。これは、人類全体がそうならなければならない生活形態ではない。たぶん全人類がそうして生きられるはずもない。どこまでも、特殊としてのありかただ。それは、必要悪なのかもしれない。ただ、そのことが象徴的に示している大切なことがあるように思える。
それは、加藤典洋の『人類が永遠に続くのではないとしたら』(新潮社2014年6月)を読んで感じたことである。
加藤は述べる。
「まず、地球の有限性がやってきて、私たちの生きている世界がいまや無尽蔵な包容力を失いかけていることがわかった。母なる自然は、もう許容限界のリミットに来ており、経済の世界でも産業の世界でも、資源も環境も、これ以上はサポート「できない」ことが誰の眼にも明らかになった。しかも、それはただ外からやってくるだけではなかった。巨大技術が過酷事故をもたらし、次には金融資本主義の暴走とその破綻があり、大量消費、大量廃棄の産業を駆動してきた資本主義の行く末について黄信号がともった。共産主義思想による問題解決が遠のいたあとで、自由主義をチェックするものがなくなり、自由主義、民主主義に対しても、その独善化、空洞化の兆しが強まった。簡単にいえば近代の指南してきた「できること」のすじみちが危うく感じられるようになった。」
加藤は「近現代」の社会の現状をものの見事に表現している。牽強付会だが、私の立場からいえば、その「できること」とは「自力」という文脈になる。そこから「「することもできる」力、「しなくてもよい」というコンティンジェント(偶有的)な自由なあり方、「しないことができる」力を喜ぶ感性と価値観が浮上してきたが、これも広くいえば「できこいこと」との私たちとの出会いと向き合いから生まれてきたのだ。」と続ける。
 ちょっとややこしい表現だが、「「できないこと」との私たちとの出会い」とは、これも牽強付会だが、「自力無功」という意味合いで受け取れる。
 さらにそこから、「いまでは、私たちにとってもっとも深い自由とは、「することができる」自由でもなければ、「しなくてもよい」自由でもない。私たちが欲するのは、恣意的な自由、「してもしなくともどちらでもよい」自由、「することもできるし、しないこともできる」自由である。でもなぜ、この自由が大切なのだろうか。その理由は、これが、「何でもあり」の文字通り恣意的な自由だからというのではない。それは結果にすぎない。この自由が尊いのは、どのような奇跡と必然性からも独立し、大儀にも使命感にも欲望にも承認欲求にも縛られないまま、でも、それらの友人として、それらとともに、この自由がコンティンジェント(偶有的)に、過誤的に生きていることなのである。」と述べる。
 ややこしい表現だが、ここに加藤のいいたいことのほとんどが尽くされていると受け取った。
 3・11を経験した私たちは、環境的な有限性も、また制度的な有限性にも直面し「自力無功」の状態にある。いわば、生きることの中心がアパシー(無力感からくる無気力)に占領されている状態にある。
 しかしそのアパシーは、加藤いわく「「できないこと」との私たちとの出会いと向き合いから生まれてきた」のである。それではそこからどういう、「生きる」が人間に生まれるか。それが次の文章で表現されている。
 キーワードは「恣意的な自由」である。これは、ケセラセラの自由ではない。絶望の自由でもない。あらゆるマイナス要素を排除したあとに残る自由である。加藤は丁寧にひとつひとつを排除していく。
 まず「奇跡と必然性からも独立し」という。これは、宗教的な奇跡や信仰的必然性の要素を排除しているようだ。さらに「大儀にも使命感にも」という。これは「こうあらねばならない」という大儀や、そのための使命感に支えられる社会、つまり社会主義的要素を念頭に置いて排除する。さらに「欲望にも」というのは、資本主義的な社会要因の排除だ。最後の「承認欲求にも縛られない」というのが一番深い問題だ。
 「承認欲求」とは他者から自分が承認されたい欲求のことである。恋愛関係であれば、私をすべて承認し受け入れてくれる他者(恋人)がなければ生きられないというものだ。私をこの地球上で一番に愛してくれる他者の承認という意味だ。さらに、会社であれば、あなたがいなければ会社が成り立ちませんよ、あなたはこの会社にとってなくてはならない存在ですよと承認される欲求のことを意味している。つまりそれらはすべて他者依存心を満たすものでなければならない。加藤は、他者承認がたとえなくなったとしても、それでも生きていける核心を念頭に置いて「恣意的な自由」といっているのだと思う。
またまた牽強付会だが、加藤のいいたいことの焦点を私なりに受け止めると「親鸞一人」という言葉に結実する。
 「欲望にも」ということで排除したものは、「本願ぼこり」の排除である。人間は欲望を生きるエネルギーにしている。だから、様々なものを欲望する。欲望をいち早く叶えることのできる社会を目指したのが資本主義だ。本来、欲望は人間に備わったものなのだから、それを十分に発揮して欲望を叶えてどこが悪いんだという、それこそ「本願ぼこり」と通底する。そのことへの痛みがない。あるいは痛みがあっても、そのことを打ち消してしまおうという足掻きすら感じる。
 それを制御したのが一神教の世界観である一週間という時間の切り分けである。創世記では神が7日目に休んだから、人間は働いてはいけないと禁止された。それが環境資源の破壊の制限へ導いた。つまり地球環境は有限性だからゆっくり利用しなさい、そう我武者羅に消費してはいけませんよというものだ。だが、「働くことは神様の栄光を輝かせることだ」という神学と資本主義の合体が大量生産・大量消費のキッカケを作ったとマックスウエーバーは考えている。しかし、いくらゆっくり消費したとしても地球環境の有限性は目に見えている。
 先日、近所のイオンというマーケットの食料品売り場に行った。そこには海のもの山のものなどの生鮮食料品がふんだんに展示販売されていた。その光景をみたとき、愕然とした。地球上で食べることのできるものはなんでも目の前に、ふんだんに存在している。おそらくこれほど欲望が自由にふんだんに満たされる社会は、もうこないだろうという感慨だ。これが何ともない、当たり前の光景だと感じる感性は狂っている。おそらく全商品が買い上げられることはないだろう。待っているのは大量廃棄だ。
 ため息をつきつつ、そこから考え続けた。
 歎異抄の記述者である唯円は、「本願ぼこりを批判するひと」をこそ批判している。つまり欲望のままでダメだ、ちゃんと節度を守って正しく生きろと主張するひとを批判している。いまでいうエコロジスト批判にもつながっていく。しかし、唯円の批判は義を得ていないのではないかとすら思えてしまう。
 確かに唯円は「本願ぼこり」を全面的に肯定はしていない。「邪見におちたるひと」と批判しているが、その批判の強度は「本願ぼこりを批判するひと」に対するものと比べれば弱い。
 「本願ぼこり」のひとは、自分が欲望に狂って消費していることへ無自覚ですらある。一方、「本願ぼこりを批判するひと」は、欲望まる出しではダメで節制すればなんとかなると自分の立場を善しとしているひとである。このひとがなぜダメなのかといえば、自分で自分の立場を善しとしているからである。そこには仏さんが顔を出せる隙がない。つまり「自力」のこころ構えで生きることになる。
 資本主義は「できることはやる」「やってよい」という欲望肯定の主張だし、社会主義は「やるべきことをやれ」「やっていけないことは禁止せよ」という理性的な当為の主張である。そのふたつの根底にあるのが、「自力」の心構えだ。これを唯円は問題にする。
その両極端を排除するところにあるのが加藤の暗示する「恣意的な自由」である。喘ぎながら導き出した「恣意的な自由」という考えに同意はするのだが、決定的に違う部分がある。それは、そこに仏さんが介在するかどうかだ。
まあ仏さんとは、ある理念を人格的・神話的に表現しているに過ぎない。ある理念とは、欲望でしか生きられないことを歎かれている罪の感覚と、その罪のものを絶対受容して下さる愛の感覚である。まあ感覚だから「理念」とは違うのかもしれない。
どこまでも人間存在を批判し悲嘆し続けているはたらき、それを仏さんという信仰譬喩で受け取る。
「本願ぼこり」を批判するひとは、「それでは欲望だらけで、地球が消費され尽くしてしまうではないか」という。しかし、それは多少速度を遅くすることはできるかもしれないが、遅かれ早かれ地球の有限性は生滅する。そうはいっても、それほど悲観的に絶望しているわけでもない。技術革新により終末を延長できる可能性はある。
「本願ぼこり」を決して肯定するわけではないのだが、そういうふうにしか生きられない人間という存在を額面通りに受け取るべきだろう。
その人間存在を外側から、永遠に批判し続ける存在がなければならない。いちど徹底して批判を受けたところから、その者をこそ肯定し受容する愛がなければならない。その両方が必要だ。
地球は遅かれ早かれ生滅し、人類も生滅する。その宇宙の終わりに対面しつつ、それでも淡々と、その終わりを目の前にして〈いま〉を生きる。
「〈いま〉を生きる」というと主体的な意志を感じさせてしまうからダメだ。「生きる」ということは受動体験であり、そこには「主体的」とか意志的なものは混じっていない。今日も布団の中で目が開いてしまったから、生きてしまったのだ。渋々生きてしまったのだ。自分の意志とは無関係に。だから受動体験なのだ。
生に引きずられて嫌々生かされているのが自分自身である。嫌々に違いない、宇宙の生滅を目の前に、〈いま〉という生に引きずり回されているのだから。
空には雲があり、青空が続いている。青く見えているのは、ある種の錯覚だ。その先を望遠鏡で見ていけば、闇に違いない。闇すら消えた透明しかないのだ。
そうなってくると、呼吸をし、鼓動が鳴っている生は、宇宙的な出来事だ。月面をひとが歩いたといって驚いたが、実は、それと同じくらい驚嘆すべきことが、〈いま〉目の前で起きているのだ。
そのことに無自覚なだけだ。その驚嘆から生まれる「生」が展開しつつある。
「物事の真実は矛盾である」。死ぬために生きているという矛盾である。
 その矛盾を目の前に、空気が鼻から肺へと流れ込む。宇宙の原初と終末を体験しながら〈いま〉が展開する。

●2014年7月31日●
なぜお坊さんは、はたらかないのですか?という問い。
この問いを投げかけたとき、あるお坊さんは「お寺での生活が後ろめたかった」と答えた。この感覚は寺院生活者なら誰しもが感じたことではないか。
なぜ後ろめたいのか。それは、寺院生活という形体が「実業」ではなく、虚業だという感覚があるからではないか。実業とは、資本主義的生産活動に合致しているということだろう。そうすると、その生産活動の意味空間から漏れているものが虚業ということになりそうだ。
広辞苑で「虚業」を調べると「(「実業」をもじった語)堅実でない事業。実を伴わない事業」とあり、ついでに「虚業家」を引くと「実務を行わず、ただ権利譲渡などを目的とする名義だけの会社をみだりに起して実業家を気取る者」とあった。
もっと調べたくなり、「実業」を引いてみると「農業・工業・商業・水産などのような生産・経済に関する事業」とあった。これは主に第一次産業を意味しているようだ。直接自然にはたらきかけるものが、それに当たるようだ。
 第二次産業とは「産業のうち、地下資源をとりだす鉱業と、鉱産物・農林水産物などをさらに二次的に加工する工業をいう。工業には製造業(狭義の工業)と建設業が含まれる。」とあり、さらに第三次産業には「商業・運輸通信業・サービス業など、第一次・第二次産業以外のすべての産業を指す」とあった。
 この三つの類型で分類するとお坊さんは、第三次産業に分類されそうだ。
寺の主な収入源は通夜・葬儀・法事など布施である。特に他宗派の寺院は不動産利益を主な収入源としているところも少なくない。真宗系は土地所有は少なく、やはり布施が主となる。
 その布施は死者儀礼の御礼という意味合いになり、典礼サービスに対する対価とは考えにくい。つまり資本主義的生産活動の中にははまり切らない。だから、死者儀礼の典礼は非課税と税務関係は考えているようだ。そうなると、サービス業という範疇にも寺院経済は納まり切らないことになる。布施収入からの所得税は徴収されているのだが。
 千石剛賢、率いる聖書研究会の「イエスの方舟」は宗教法人認定を申請していない。彼は、ちゃんと税金を納めるのが宗教家のまっとうなあり方だと考えていたようだ。まあ「まっとうな」というのが意味深長なのだが。
 
お釈迦さんはどう考えていたのか。お釈迦さんは、出家というヒンズー教伝来の方法を選んだ。彼はどう考えていたかわからないが、自分たちの集団は社会の中で、「出家」という一部の集団でいいとしていたのではないか。多数の一般社会は、今までどおりのバラモン教文化の理念で動いていても、その中のごく一部の出家教団の存在意義はあると考えていたのではないか。別段、この社会全体が「出家」しなければならないとは考えていなかったようだ。まあ当初は男性出家者だけのグループで発想されたが、やがて比丘・比丘尼という男女の出家グループと、優婆夷・優婆塞という男女の在家グループの両輪で教団を考えていたようだ。
『ブッダの言葉』には、お釈迦さんは耕して食べろと人々にお説教しているのに、あなたの耕している姿をみたことがないと批判したひとの話が出てくる。それに対して、私は種を植えて食べているよとお釈迦さんは答えた。それは人々に信心の種を植えて、そのあがりで食っていると譬喩で答えている。この観念から「法施(ほうせ)と財施(ざいせ)」という考えが生まれてきた。法施とは出家者が在家者に仏法を伝え施すことである。財施とは、在家者がその御礼として出家者に差し出す布施のことである。これで成り立っているのが仏教教団だというのだ。
 お釈迦さんの当時、お坊さんは自分たちの悟りを目指して修行をするものであり、葬式などはしていなかった。日本では、古代は仏教が入っていないが、中世には律宗や時宗、また禅宗が早くから葬儀に関わり、江戸期の寺請け制度をとおして、死者儀礼という社会福祉的な行為を請け負うようになったらしい。これとて、仏教の教理的必然性から発生したものではなく、副次的な要因で発生したようだ。
 面白いのは、真宗の場合である。
「民俗学では真宗がさかんだった地域では昔から火葬だったこと、また一部に「無墓制」がみられることはよく知られている。無墓制とは民俗学の用語で、火葬にして骨のごく一部を本山に納め、他の骨は捨てるので墓がないものをいう。(略)真宗では阿弥陀如来のみが信仰対象であって死者は崇拝しないという教理を現在も守っているが、それと関連して墓を重視しないことが古くからの宗儀だったとみられる。」(『日本葬制史』勝田至)
 真宗とて当然、民衆の要請に応じて教団が作られた面があり死者儀礼も行うが、それはあくまで阿弥陀如来信仰への促しの中における典礼である。勝田はあたかも阿弥陀如来と死者を別々の対象と考えているようだが、そうではない。自分が、生きているということをどう理解するかというのが信仰であり、その限りにおいて生も死も共に阿弥陀如来の浄土への道程だと受け止めるのであるから、当然、死者儀礼は往生浄土の讃嘆であり、愛するものを失ったことへの悲しみの癒しとなるのだ。

話が横滑りしたようだ。
 寺院生活になぜ後ろめたさを感じるのかという問いである。この「後ろめたさ」の出所は、ひとつには資本主義経済のシステムから外れていることからくるようだ。まあ、後ろめたさを感じないお坊さんも圧倒的に多いことは確かなのだが。テレビでビートタケシが言っていたが、友人のお坊さんに亡き母のための読経をたのんだら、「普段はあげない高いお経をあげてやろうか」と持ちかけられたというのだ。そもそもお経に値段など付けられないし、価値の差などはないはずだ。お経に安い高いと値をつけるのは、資本主義の精神ではないか。もうひとつには読経の対価として金銭を要求できるということに何の疑問も感じないという、これまた資本主義的精神に洗脳された狂気の沙汰ではないかと呆れた。坊さんがそのことに何の疑問ももっていないことに呆れる。やはり織田信長が比叡山や高野山を焼き討ちしたくなったのもわかる気がする。つまり世俗を超越して、世俗を批判しなければならない出家教団が、反対に世俗の論理にどっぷりと漬かってしまい、出家教団として機能しないことを批判したのではないか。
 これは、真宗のお坊さん独特の「後ろめたさ」なのだろうか。それともどの仏教教団でも持ち合わせている感覚なのだろうか。この「後ろめたさ」は周りのひとからいくら慰められたとしても、一向に消え失せることのない感覚だということは間違いないことだ。「家族を亡くして悲しんでいるのに、坊さんはひとが亡くなれば儲かるから嬉しいんだろう」という揶揄は、決して消えることはない。まあ、ひとの悲しみや苦悩が結果的に、生業となっている職業もあるにはある。たとえば、弁護士とか医者とか消防士とか葬儀屋とか。しかしもっと普遍的に、悲しみや苦悩を「困ったこと全般」にまで広げれば、あらゆる職業はその困ったことに対する援助という意味を帯びてくる。そういった職業とお坊さんも連なっているようである。
 やはりお坊さんの「後ろめたさ」は、価値の交換が目に見えないところにあるからなのだろうか。第一次産業であれば、収穫や漁獲高は目に見える。第二次産業であっても、それらの加工品や工業製品は確かに目に見える。目に見えないのが第三次産業である。
情報・通信・サービス等の産業は、成果が目に見えない。たとえばインターネット販売会社は商品をインターネット上で紹介することを通して販売会社と契約を結んでいる。販売会社の商品が売れれば、その何パーセントかが利益としての収益となる。これも資本主義経済のシステムの中にすんなり定着しているから、後ろめたさには傾斜しにくい。あるいは芸能活動をする歌手であれば、ワンステージいくらという交渉があり、劇場との取り決めでギャラが決まる。これとても歌手と依頼主が直接料金交渉はしない。間にマネージャーを介してである。歌手であれば、自分の歌唱力とかタレント性が評価されて依頼があるわけだから、その人でなければ商品価値は生まれない。そこには後ろめたさが生まれる場所はなさそうだ。お坊さんの場合、別にお坊さん個人に商品価値があるわけではないから、突き詰めれば、寺や葬儀社からの紹介でも十分間に合う。
 まあ聖道門的仏教のお坊さんであれば、一般人にはできない修行をし仏徳を身につけていると自認しているのだから、坊さん個人の商品価値が高まると考えてもよいだろう。聖なる者が、死者に引導を渡して悟りの道へと導くのだという建前が通じる。しかし、真宗の場合は、個人の霊力や超能力で仏さんが成仏するのではなく、あくまで阿弥陀如来の救済力によって救われるわけだから、なおさらお坊さんの特殊技能性は持ち込めない。むしろそんな力に頼るのは、却って阿弥陀如来の救済力の能力を疑っていることだから、絶対に救われないということになる。個人の特殊能力を徹底的に排除したところに阿弥陀如来の救済力が確保される。そうすると、お坊さんとしての技能や特殊能力などを排除されるわけだから、誰がやってもよいという地平に出てくる。やり甲斐とか役に立った感は徹底的に削がれていく。ということは、この後ろめたさは真宗のお坊さん特有のものなのではないだろうか。
だからといって、その後ろめたさから解放されるために、寺を出て他の職業につけば、〈真宗〉から遠ざかってしまう。寺ではない娑婆の仕事についてこそ、〈真宗〉が勉強できるというひともいるが、それは空論であり、現実には難しいという現状を見てきてもいる。
やはり、その後ろめたさを感じるところで〈真宗〉にアプローチしていくのがお坊さんとして「まっとう」なあり方のように感じる。
その後ろめたさは、お坊さんという仕事ばかりが感じる感性ではなく、もっと人類にとって普遍的なところからくる後ろめたさなのではないだろうか。食べるという殺生罪を犯さなければ自分が存在していないとか、人類は地球にはびこる癌細胞のようなものだと揶揄されるようなこととか、大小は問わないけど、嘘をつかなければ生きていけないとか、そういった人間の罪から、その後ろめたさはやってきているのではなかろうか。この後ろめたさは何をもってきても打ち消すことができない罪である。
 どうも後ろめたさの淵源をたどっていくと、人類のもっている後ろめたさへとつながっていくようだ。
 これは、いわゆる「罪業性」の自覚の問題になる。人類がこの世に存在したことで感じた「後ろめたさ」が何十万年という経過を経て私個人にまで結実したようだ。これを「考えすぎ」だとか、「過敏になり過ぎる」という戯れ言で捨ててしまってはもったいない。

 いま回向されてきた考えは、実はこの「後ろめたさ」は阿弥陀如来の慈悲のはたらきではないかというものだ。別段後ろめたさを感じなくてもよいことを、後ろめたいと感じるのは、後ろめたいと感じさせるはたらきがあるからだ。そのはたらきこそ阿弥陀如来の慈悲なのではないか。
親鸞はいう「凡夫というは、無明煩悩われらがみにみちみて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえず」(『一念多念文意』)と。
 これは生まれてから死ぬまで「後ろめたさ」から解放されることはないという証明である。この「後ろめたさ」から逃げようとするのは、思い上がりというものだ。何か、この後ろめたさを帳消しにでもできるかのような思い上がりなのだ。これは坊さんから逃れたとしても、人間である以上つきまとう「後ろめたさ」なのである。阿弥陀如来の慈悲は、思い上がりを粉砕して、徹底して「後ろめたさ」を感じさせる。それを感じている間は、人間が正気に戻れるのではないか。もし「後ろめたさ」を感じなくなったら、人間は傲慢になり暴走を始めるのではないか。
この「後ろめたさ」は真宗の宝のような気がしてきた。
 
※ちょっとお坊さんの非生産というテーマからズレてしまった。次回はもう一度そこへ戻ってみたい。

●2014年7月29日●
「本願成就」とは、「助からなくてよかった」ということだ。
昨日の論註の会で、小生の口から出てきた言葉である。阿弥陀如来の本願が成り立つ場所はどこか。それは自己一人の上だ。阿弥陀の本願は苦悩の存在を救おうという愛だ。その愛が自己一人の上に成り立つとき、「助からなくてよかった」という言葉が生まれる。
助かろう助かろうとしていたときには愛が見えていないのだ。そうだったか!と膝を打ったとき、助かる必要のなかった自己一人が成り立つ。
助からなくてよかった。もし助かってしまっていたら、救済は色あせてしまっただろう。助からない場所、ここは地獄の底の底。
その底の底の底の底に阿弥陀さんはいたのだ。いるのだ。
●2014年7月13日●
ご主人の一周忌法要で寺に来られた奥さんが、「出かける前に、お仏壇に向かって、『あなた行ってきます』と声をかけて出てきたのですが、果たして主人はどこにいるのでしょう?」と語られた。
この問題提起はとても大切な問題だ。特にお盆の時期だから、こういう問題が突出する時期でもある。
真宗には別段、「お盆」という行事の必然性はない。「お彼岸」というのも必然性はない。ただ、日本人の古くからの習慣として、そういう行事があるので、それにお付き合いしてやっているだけのことだ。それならば、「真宗はお盆という行事はやりませんよ」と主張すればよいではないかというひともいる。しかし、「お盆はやりません」と主張することもしない。なぜならば、お盆という行事がお寺にお参りするためのご縁(キッカケ)となるからである。どんな理由でもよいのだ、とにかくお寺やお墓の前に身を据えるということの縁となれば、ありとあるゆるものを利用しなければならない。
お盆とかお彼岸という行事があるから、日本人はかろうじてお墓やお寺にお参りしているのだ。そういう行事でもなければ、それこそ仏前や墓前に身を据えることすらなくなってしまうではないか。これを大切なご縁とすればよいのだ。またどんなことでもご縁に変え為すのが真宗の応用力である。生活全般、あらゆることがご縁になる。それで真宗は生活こそが仏道の道場という。
お盆の迎え火・送り火も真宗では必然性がない。あれは仏さんをあの世から迷わず自宅へ迎えるための火であり、四日間、家族と一緒にいて、送り火を焚いてあの世へ送るという。しかし真宗では、365日、つまり年がら年中がお盆だと受け止めているから、「迎える、送る」という行為が起こってこなかっただけだ。別段、迎え火・送り火を禁止しているわけでもない。しかし家族と年がら年中一緒にいるという時の「いる」という意味が重要だ。どういう意味で「いる」のか。またどうして「いる」と言えるのか。そのためには生きてはたらく仏さんに遇わなければならない。
例えば、身内に不幸が続いたから、あるところでみてもらったら、数年前に亡くなった叔父さんが供養されていないから供養をしてもらえといわれたとか。それで、寺で供養してもらったらスッキリしたとか、そういう話を聞くことがある。
そういうのは全部、人間が思い描いた世界であって、仏さんとは何の関係もない。亡くなったひとが迷っていると見えるのも、救われていると見えるのも、人間の見方の問題で、仏さんには一切関係ない。人間のモノサシで迷った、救われたと言ってるだけ。
ただし、人間のモノサシで仏さんを浮かばせたり、迷わせたりしているさもしい者が私自身であったと教えられれば、それこそが「仏さんと遇った」ことになる。
結局、迷っているか救われたかということを他人に決めてもらっている限り、不安はなくならない。故人が救われたと思っていても、不幸が続けば、またぞろ迷っているのではないかと不安が出てくる。
結論をいえば、故人がどこへいったのかを「自分」が確信しなければ不安は取り除けない。そのためには生きてはたらく仏さんと出遇うことしか道はない。
 生きてはたらく仏さんといっても、故人が神通力でも使って家族に向かって、お腹が空いているからお仏飯をくれとか、喉が渇いているから水をくれというようなことをいっているわけではない。
 生きてはたらく仏さんとは、私の心のありのままを教えて下さるはたらきのことである。さっきも述べたように、自分のモノサシひとつで仏さんを迷わせ、浮かばせしているこころ全体を教えられることだ。その自分のこころでは仏さんに通じない。この「通じない」というのが大切なところだ。通じないのは、仏さんの世界が人間の世界を超越しているからなのだ。つまり、人間のこころでどこまで想像しても決して推し量ることのできない世界だからである。
 それこそが無量光明土といわれる阿弥陀如来の浄土である。所詮、「浄土」といおうが「極楽」といおうが、そんなものは、全部人間が考えた言葉に過ぎない。だから、言葉でも考えでも表現することができない。「言忘慮絶」という仏教語があるが、まさにそれである。「言葉も思いも超絶している」のが浄土なのである。
 だから、〈ほんとう〉のことをいえば、仏さんは迷っているのでも救われているのでもない。むしろ、迷うとか救われるとかいう世界を超越しているのである。迷うとか救われるというのも人間の世界の話であって、仏さんの世界とは無関係である。
 曽我量深先生は、それを「独立宣言」というメタファーで語っていた。人間の世界は人間の世界として独立し、仏さんの世界は仏さんの世界として独立する。そこを越境してはならないと。慰霊や霊障などは、すべてその越境から起こってくる問題である。
●2014年7月11日●
よかれと思ってやったことが、結果的によくないことになるという、これは業道自然というやつか。
本堂の正面にはまっているガラス製の大扉を長女が、それは綺麗に、一点の曇りもないくらいほどに磨き上げた。まるでガラスがないくらいに透明に見えた。みんなは、凄く綺麗になったとほめていた。
ところが、先程、彼女が半泣き状態でやってきた。どうしたのかと聞くと、あのガラス扉にスズメがぶつかって、ショック死してるというのだ。駆けつけてみると、濡れ縁にスズメがぐったりとしている。拾い上げてみると、体にはまだぬくもりがあって温かい。
彼女は、自分がよかれと思ってやったことが、結果的にスズメの死につながってしまったと罪責感に打ちひしがれた。
以前にも鳩がぶち当たって死んだことはあった。死ぬまででなくても、ガラスには鳩の拓本のようなシルエットがいくつかこびりついていた。鳩は体が大きいぶん、ショックも少ないのかもしれない。しかし体の小さいスズメが亡くなったのは今回が初めてだった。
我々が生きている、この娑婆というやつの本質は、とてつもなくグロテスクにできあがっているようだ。「吉凶はあざなえる縄の如し」か。
歎異抄で親鸞は「善悪のふたつ、総じてもて存知せざるなり」と語る。
つまり、この娑婆ではよかれと思ってやったことが悪い結果になったりする。本質的に、人間が考える善悪は、結果としての善悪に結びつかない。
親鸞は続ける。
「そのゆへは、如来の御こゝろによしとおぼしめすほどに、しりとをしたらばこそ、よきをしりたるにてもあらめ、如来のあしとおぼしめすほどに、しりとほしたらばこそ、あしさをしりたるにてもあらめど」と。
阿弥陀如来がお考えのようにあなたが知っているのであれば、善を知っているということもいえましょう、阿弥陀如来が悪いとお考えのように、あなたが知っているのであれば、悪を知っているということもいえましょうと。
あなたは如来ではありませんよ、愚劣な凡夫なのですよ、だから本質的な善悪はわからない存在なのですよという教えである。
いままで、自分のよかれと思ってやったことは正しい結果をもたらすものだと信じて生きていた。ガラスを美しく磨き上げることは、決して悪いことではない。むしろ称賛されるべきことである。誰からも非難されるようなことではない。
ただ、娑婆の狂おしい本質は、その考えを赦してはくれなかった。
この事件は、単なる事故として済ますことは難しい。結果としてのスズメの死は事故であったかもしれない。ただし、そのことから受ける罪責感をどう受け取って、立ち直るかは難しい問題である。
いままで、よかれと思ってやってきた行為が、「生きる」ことを支えてきた中核の思想だからだ。歩くこと話すこと食べること、そしてひとと関わることのすべてが「よかれと思ってやってきた行為」なのであるから。その中核が揺らぎだすと、生きていること全体が揺らぎだす。
そこから、新たに見えてきたのは「罪」という問題である。
自分がよかれと思ってやってきたことの全体が、罪へと飲み込まれていく。殺生は、自分の「思い」とは別次元にある。死んだスズメを庭に埋葬するためシャベルで穴を掘っていた。庭には木々が生えているから、藪蚊が多い。シャベルをもっている手にとまって肌に針を刺してきた。咄嗟に、その蚊を手で叩いて殺した自分にハッとさせられた。一方ではスズメの死を悲しみ、一方では蚊を叩き殺している身の事実が思い知らされた。スズメには涙を流しても、藪蚊には何の感情もはたらかない。良寛さんなら、蚊にも涙を流したかもしれないが。
 生きるということは、他のいのちを殺して自らの血肉へ変えることである。この罪は逃れることができない。
 その「思い」に対して歎異抄は「つみ消えざれば、往生はかなうべからざるか」(第14条)と批判してくる。お前の罪が消えなければ、阿弥陀さんの浄土へ行けないとでも考えているのかねと。私の浄土は「悪人」以外には入れないのに、まさか善人にでもなれると思っているのかねと。
 罪を消そうとする「思い」は善人になろうとする意識である。その「思い」で罪を消し去って身軽になって、晴々としたいのが人間だ。ところが、歎異抄は、それこそが思い上がりだと批判してくる。罪を消そうとする「思い」こそが罪を覆い隠し無かったことにしようとする罪ではないかと。もはや罪を帳消しにすることすらできないのだ。
 そこから、阿弥陀如来にすべてをおまかせしなさいという促しを受けることになる。そこには飛躍があるではないかと批判を受ける。なぜ阿弥陀にまかせるのかと、まかせることで罪が帳消しにできるとでも思っているのかと。
 そんなことではない。罪を引き受けられない「思い」のありのままを阿弥陀如来に差し出すのである。
 「衆生、病むが故に、我病む。衆生、悲しむが故に、我悲しむ」、これが阿弥陀の慈悲だ。
●2014年7月9日●
煩悩が人間の皮をかぶって生きている
そうだったのか、どうも表面にかぶっている「人間」という仮面を信じて生きてきたようだ。その仮面の内側は「煩悩」で充満している。
夏の京都北山には畑がまだ広がっている。散歩しながら、ふと畑を見ると、一面チョコレート色のビニールシートで覆われている畑があった。ビニールシートといっても、ゴワゴワした素材ではなく、靴でポンポンと弾いてみると、プニョプニョしていて気持ちがよい。そこでやめておけばよかったのだが、元来、好奇心のひと一倍強い私は、もう少し強く弾いてみたくなった。そして靴でトントンとたたいてみると、ビニールシートが破れてしまい、靴ごとその中に足が埋まってしまった。
慌てて、引き抜くと、ものすごい悪臭が鼻を突いた。ビニールシートは、豚の糞を堆肥にした畑の覆いだった。夏だったと記憶しているのだが、畑の中では太陽の光を十分に吸収した豚の糞がはち切れんばかりに発酵していた。ビニールが太陽の熱を含みパンパンに膨らんでいた。それを破ってしまったのだから、それはもうあんた、この世のものとはいえないくらいの臭いだった。
その後始末が大変だった。畑は何事もなかったようだが、足をどうするかだ。近くを流れていた用水路に靴ごと入って、ジャブジャブとやるしかなかった。それでも一度こびりついた悪臭は、簡単には振りほどけず。脱臭作戦は生易しくなかった。
また、この靴は私が30歳の頃、蓮如上人の御下向に参加したときの記念の靴だ。いくら悪臭がこびりついているからといって捨てるわけにはいかない。なんといっても京都から吉崎御坊まで約280キロを共に歩んだ靴なのだから。
それはともかく、あのビニールシートが「人間」という仮面なんだと直感した。あの中には豚の糞でパンパンに発酵して悪臭を放っている。これこそが「煩悩」だ。煩悩がビニールを破ってあふれ出しているのが人間社会というものではないか。
 いくら表面を綺麗に装ったとしても、ビニールのなかは煩悩が発酵して悪臭で満ちている。そこまで酷評しなくても、ちょっとは人間にもましなところがあるんではないかと思いたいのも人情だ。しかし阿弥陀さんという〈〈ほんとう〉〉の鏡は、完膚無きまでに人間のすがたを暴き出す。ほんとうに阿弥陀さんはひとが悪い。決して人間に夢をみさせない。
 ある弁護士が、人間社会には様々な問題が山積するけど、訴えやら調停やら裁判やらがあるけれども、ゆきつくところは金銭で補うという方法しかないのが、現代社会のありようだと語っていた。気持ちとしては、それは違うんではないかと抗いたいところだが、よくよく考えてみると、そうだなとしみじみ納得した。
 なんだ、所詮、すべては金か!という怒りもあるに違いない。しかし、個別の案件になり、その当事者に自分がなったとき、落ち着くところはそれ以外にないというのも、娑婆の真実だ。
 金で補われても、決して、それで人間のこころが解決したことにはならない。取り敢えず金で処理されるのだが、後に残るのは決して処理されることのないこころの問題である。
 合議で決めるというのが娑婆の習いだが、案外、多数決で49対51票でことが決するのも娑婆の常である。51で決しても半数の49には恨みが残る。
 殺人事件で家族が被害者になった場合も裁判の末に、加害者に刑罰(死刑か懲役刑かは別として)が与えられ、被害者家族には補償金が支払われることで、処理されていく。「目には目を」という相殺刑罰観の生きている社会であれば、加害者を被害者が殺すということにもなる。仇討ち思想だが、たとえ加害者を被害者が殺したとしても、家族を奪われた悲しみは癒されることはないだろう。どっちにしても恨みが残る。
 「しかれども、おもうがごとくたすけとぐること、きわめてありがたし」(歎異抄第4条)と聞こえてくる。人間の「思ったとおり」になることはほとんどないと。人間の「思い」は煩悩の糞袋だから、そんなものは一時の満足以外にない。〈ほんとう〉の解決にはならい。究極的には「しかれば、念仏もうすのみぞ、すえとおりたる大慈悲心にてそうろうべき」(同書)しかない。
 人間のやることは所詮、煩悩の糞袋の範囲内のことである。そのことにまず達観すべきなのだ。人間にはまだ善いところもある、純粋なところもあるという夢を捨てるべきだ。だからといって、人間は煩悩の糞袋だから、どうしようもないと悲観する必要もない。
 その両極端に死ぬことだ。それが達観という意味だ。そこまでくれば、〈ほんとう〉の愛、つまり大慈悲心に救われることになるのだ。
 だから、人間という仮面に騙されてはだめだ。それは糞袋を覆い隠すためのビニールでしかない。日本人は「疑う」ということを学んで来なかったようだ。だからこれほどまでに「振り込め詐欺」が流行する。疑ってはならないと教えられてきたのではないか。人間は本来、尊く素晴しいものだという幻想を信じ込まされてきたのではないか。
 先日ある独り暮らしの老女から、振り込め詐欺らしい電話があったと聞いた。それで私はこう言ってやったわと。「あんた、うちの息子はいまアフリカのローコンビアイスにいるんだけど、その場所知ってる?」と。そうしたらやつら「知ってます」と答えたのよ。それで、この電話は嘘だとわかったわと。
 どうして嘘だとわかったのですか?と私が尋ねると「だって、ローコンビアイスって、ローソンというコンビニでアイスを買うから、私が作った名前なのよ」と。これは凄いひとだと感心した。ここまで巧みに「疑い」に熟練していれば、引っかかることもないのだろう。
 これからは、「疑う」ということを学んでいかなければならない。疑うことは信じる以上に大切なことなのだ。
「人間」を信じてはならない。
●2014年7月8日●
「南無阿弥陀仏の主になる」とはどういう意味か。
蓮如さんの「弥陀をたのめば、南無阿弥陀仏の主になるなり。南無阿弥陀仏の主になるというは、信心をうることなりと云々」(『蓮如上人御一代記聞書』239)がある。
まあ蓮如さんじゃないから、〈ほんとう〉のことはわからないという制約はある。それにしても蓮如さんは、どういうつもりで、「南無阿弥陀仏の主になる」といったのか。「南無阿弥陀仏が主になる」ならまだわかりやすいのだが、「の」がわからない。
「が」であれば、南無阿弥陀仏が私の、この世を生きるときの究極的関心事になるということだろう。つまり、南無阿弥陀仏が服を着て歩いているということだ。いままで、「私」が主体だと思ってきたが、それは間違いだった。〈ほんとう〉の主体は南無阿弥陀仏だったのだと。
 ところが「の」というと、「南無阿弥陀仏の主」になる主体を連想させてしまう。「弥陀をたのめば、何かが南無阿弥陀仏の主になる」と考えてしまう。まあ、それは誤読かもしれない。
 もし誤読でないとしたら、ほかにどう読めばよいのか。
 それは、依存的な信仰で「お助けありがたや、極楽往生ありがたや」と言っていた従属的な信仰ではだめだ。むしろ南無阿弥陀仏を自由に使いこなす積極的で創造的な信仰でなければならないと蓮如さんは考えたという読み方である。これもありそうな気がする。
 南無阿弥陀仏に引きずり回される従属的な信仰ではなく、南無阿弥陀仏に乗って、南無阿弥陀仏を自由に乗りこなす信心でなければ、積極的信仰にはならないという読みもありそうだ。南無阿弥陀仏の客人ではなく南無阿弥陀仏の主人になれと勧めているようにも受け取れる。蓮如さんには「仏法を主とし世間を客人とせよ」という言葉もあるくらいだ。
 まあ、文法的にいえば「の」は格助詞の所有をあらわす「の」ではなく、同格の「の」、つまり「南無阿弥陀仏である主体になる」という意味かもしれない。どこかに「主体」があるのではなく、「阿弥陀仏に南無する主体」ということだ。要するに「南無阿弥陀仏の主になる」とは、自分が阿弥陀仏に南無する主体になるということである。
 それであれば、「の」といおうが「が」と言おうが同じことなのかもしれない。
しかし、南無阿弥陀仏が服を着てあるいているようなものだという譬えは我ながら面白みを感じた。人間は、「自分」という主体があるように思って生きている。宗教は信じないが「自分の考え」だけは信じて生きている。だから、現代人は「自分信仰」である。無宗教だ豪語するひとがいるが、あれは嘘だ。無宗教どころか、「自分信仰」にどっぷり使っているのが現代人の信仰心だ。
 でも、〈ほんとう〉に「自分」とは何かと問い始めると、「自分」は曖昧になり、徐々に散り散りになっていく。「自分」には名前がある、家族がある、性がある、民族や国籍がある、経験もあるく。これも、タマネギの皮むきのように、どんどん剥いていくと、それだけが「自分」であるのか不安になる。
 そうして、最後には「自分」とは何かが分からなくなる。
 これは「自分」を問うときに行き着く終着駅である。だから、あわてて、「俺は俺だ」と叫びたくなる。叫ぶかどうかは自由だ。しかし、タマネギの皮のような「自分」の片鱗を集めてみても、何だか空しくなる。
 南無阿弥陀仏は、そもそも「自分」なんていう実体があるの?と問いかけてくる。〈ほんとう〉は「自分」なんていうものはないのだ。あるのは「自分はあると思っている思い」だけだ。ここに逃げ込むしかないのは寂しいことだ。
 〈ほんとう〉は南無阿弥陀仏が服を着て、南無阿弥陀仏が様々な食物を食べて、南無阿弥陀仏が糞を排泄し、南無阿弥陀仏が眠っているのかもしれない。
「自分」の中心は空洞なのだ。片鱗はたくさんあって、それらをヤドカリの着けるイソギンチャクのようにくっつけているが、〈ほんとう〉は空洞だ。
 それが真実の姿ではないか。それを教えるのが南無阿弥陀仏である。真実の姿に戻れば、「南無阿弥陀仏の主になる」のだ。自分が主になろうとしたら、それは失敗する。確固としたものを打ち立てようとすれば失敗する。むしろ、そんな確固たるものはないのだ、本来無一物だと「自分」を明け渡してしまえば、自由になる。それこそ南無阿弥陀仏の自由だ。無名になって、ちゃんと死んでいける自由だ。
●2014年7月7日●
「生きる」ということはいったいどういうことなのか、まだその答えは出ていない。
どうも、人間ってやつは渋々生きているという感じが強い。目が開いてしまったから、今日を生きなければならないのだ。生まれてしまったから、生きざるを得ないのだ。どうも生きるというやつは、受動体験のようだ。
喰うために仕事をするというのは言い訳であって、本質的には「生きる」ということの答えにはなっていない。
「生かされる」という言い方は妙に宗教チックな残滓がこびりついていて嫌いだ。「生かされる」ということにうんざりしているという意味でなら賛成だが、「生かされていることに感謝します」となったら、絶望的で辟易する。「生かされている」ことと「感謝します」の間に、損得勘定がはたらいているからだ。
「生かされている」ことは受動体験だから、自分にとってはとても迷惑なことである。頼んで生んでもらったわけではないし、自分になりたくて自分になった覚えもない。大きな迷惑だというのが実感ではないか。そもそも死ぬために「生かされて」いるのだから。
 その実感をごまかしてはダメだろう。その実感から出発しなければ。
しかし、それもこれもみんな「計らい」だろう。「死ぬために生かされている」というのも「なぜ生きるか」ということの答えにはなっていない。
宮戸道雄先生の「人間は食わねば死ぬ。しかし食っても死ぬ」は〈ほんとう〉の言葉だ。そんなことを考えていると。電話がかかってきて、誰々が亡くなりました…という。はたまた、〇〇証券ですが、ご住職はご在宅でしょうか…とセールスの電話が入る。そうこうしているうちにピンポーンとチャイムがなり、法事のために参詣人が玄関から入ってくる。向こうから、いろいろと攻めたてられ、追いまくられて、「生きる」ことが押しやられていく。
「なぜ生きるのか」その答えは見つからない。ただ「見つからない」ということで救われているのかもしれない。
香山リカはこう述べている。
「これまで私が会った中で、『このために生まれた』という確信が揺らがなかった人は、二種類しかいなかった。ひとつは、新興宗教や悪徳ビジネスなどで洗脳された人たちだ。彼らは、『私はグルにおつかえするためだけに生まれたんです』『この商品を世界に広めるのが生きる目的だと気づきました』と目を輝かせて話す。またもうひとつは、ある種の精神病で強烈な妄想を持った人たちだ。『私は世界を救う救世主だったんです。昨日、宇宙の声が聞こえました。今日から街頭で演説して人々を救いますよ』と夢中で話す人は、『自分がなぜ生まれたのか』という意味を確信しているように見える。」(『しがみつかない生き方』幻冬舎新書)
ただ彼女もいっているように、だからといって人間は完璧に「生きる意味」を忘れて無関心で生きることは難しいと。最後には、また揺り戻しのように「逆に(生きる意味が…武田補記)これだという答えが出たときは危険なのだということは頭の片隅にとどめながら悩むべきだ」とも語っている。
ということは、向こうから避けざる必然性でやってくる日常の雑事にこそ、「生きる意味」の秘密が隠されているのではないか。
煩わしい雑事だと見捨てていた極々単純なことのなかに、その秘密がありそうだ。これは雑事、それも雑事と拒否し切り捨てて、最後に何が残るというのか。おそらくラッキョウの皮むきみたいなことになるだろう。
「雑草という草はない」というように、「雑事という事(コト)はない」のかもしれない。
事を雑だとみている眼があるだけだ。その眼は「邪見憍慢」の眼ではないか。
私は以前から「〈いま〉以外に人間は生きられない。〈いま〉は永遠の過去と永遠の未来によって作り上げられている」と主張してきた。そうであれば、雑な事はひとつもないはずだ。ひと呼吸ひと呼吸が、永遠性の表現である。
その現事実を前にして、自分は「生きる意味」を貪ろうとしているのではないか。自分のお気に入りの「生きる意味」がほしいだけなのだろう。無味乾燥な雑事の連続ではないかと愚痴りながら、不可思議な現事実を拒否しているのだ。
香山リカは、その本の中で「存在の秘密は無意識だけが知っている」と述べる。
「精神分析学者の新宮一成氏は、精神分析の知恵と経験を通して、『人の存在の秘密は、たしかにあるけれど、一生その人にはわからない』と言っている。研究会などの臨床報告で新宮氏がよくあげるのは、患者さんの夢の話だ。夢には、よく手紙やノートなど字が書かれた紙が出てくるが、たいていの場合は、そこに何が書かれているのか、読むことができない。そういう夢は、実は無意識が存在の秘密を自分に伝えようとしているものだ、と解釈される。そしてその秘密が何なのかは、どうやっても自分の意識では読み解くことができないのだ。」
 新宮氏は「無意識が知っている」というのだが、私は、あえて「〈ほんとう〉の存在の意味は阿弥陀さんだけが知っている」と表現してみたい。
 人間の自我は邪見憍慢を本質としているから、常に不安で揺れ動いている。その揺れを止めようと「生きる意味」を固定したがる。あるいは、常に「生きる意味」をつかんでは壊され、壊されてはつかみなおすことを繰り返している。
 たまたま、テレビでお笑い芸人のフジモンとユッキーナ夫婦の「ドッキリ番組」を見た。フジモンはユッキーナと結婚して、四年目になり、一子を授かっている。昔はチューもハグもしてくれたのに最近、ユッキーナはつれないとフジモンは不満をいう。愛というのも、一度愛情表現が成り立ったというだけでは揺らいでいく。常に愛情を投げかけられていないと不安になり満足しないのだ。大げさだが、これを「生きる意味」に置き換えてみると、つねに「生きる意味」がこれだ、これだと確認されないと人間は不安なのだ。
 雑事だと見えている不可思議な事(コト)は、阿弥陀さんから与えられたコトなのかもしれない。そう考えてみるのも面白い。
 「計らい」でヒートアップして沸騰しそうな心が、クールダウンさせられる。
〈ほんとう〉の「生きる意味・存在の意味」は阿弥陀如来だけが知っておられる。であれば、雑事という名前の不可思議な事(コト)は、阿弥陀如来が「生きる意味」を暗示するためのメタフアー(隠喩)なのかもしれない。ただそれは暗示であって、決して人間に解明されることないメタファーだ。
 もっと短くいえば、「生きる」ということ全体が阿弥陀如来のメタファーなのだ。
南無=自己であれば、自分はどの瞬間にも阿弥陀如来に対面している。南無・阿弥陀仏とはそういうことだ。阿弥陀如来に対面するとは、3・11に対面することだ。
 そうだったのか、人間の欲しがる「生きる意味」を、ことごとく奪ってしまうのが阿弥陀さんの愛だったのか。
 どうして「生きる意味」が成り立たないのか、その答えがわかった。もしそれが成り立ってしまえば、お前は私(阿弥陀)の愛など必要としなくなるだろうと阿弥陀さんはおっしゃるに違いない。
 そうか、私は阿弥陀さんを抜きにして、私自身に成っていると誤解していた。そうではなかった。阿弥陀さんを抜きにして、私には成れなかったのだ。この私一人の世界全体は、阿弥陀さんが阿弥陀さんであることを証明するために、私に仕掛けた大いなるメタファーだったのだ。
 だから、私が「生きる意味」を得られるかどうかなどどうでもよいのだ。大いなるメタファーをメタファーとして受け取っていけばよいのだ。人生のどの瞬間、どの場面を切っても、その根底には不可知の阿弥陀如来が横たわっている。これが人生の本質だったのか。「ただほれぼれと弥陀の御恩の深重なること、つねは思いいだしそうろうべし」(歎異抄第16条)とは、そのことへの感動だった。
 「ただほれぼれと…」とはなんもよい言葉ではないか。この言葉は自分という思いに完全に死んで、阿弥陀さんだけが生きているという、その感動を表した言葉だ。
 「生きる」という言葉を、過去形にしてはならないのだろう。「何十年生きてきた」と過去形で語っては傲慢だ。まだ「生きる」ことが始まったばかりなのに。あるいはまだ「生きた」こともないくせに。「生きてきた」と思っている思いが打ちのめされていく。そして何十年生きても、赤ん坊のいのちと同じ時間を生きているのだと思い知らされた。
●2014年6月26日●
どう考えても、こちらに菩提心などおこるはずがない。どう考えてみても、こちらに仏道を求める要因はない。どこを探しても見つからない。
だいたい、仏道とか悟りなど初めからどんなものであるのかもわからないのだから、それをほしいと思うこと自体が矛盾である。
であるにもかかわらず、どうしてよく分からない仏法に惹かれ、気になり、それがほしいと思うのか。それが不思議でならない。
何か目指すべき御利益でもあるのであればよいのだが、そんなものも見当たらない。
気がつけば、そんな眼には見えない牽引力に引っ張られてきたのが私の人生だったように思える。
それが善導の「仏の捨て遣めたまうをばすなわち捨つ。」、「仏の行ぜ遣めたまうをばすなわち行ず。」、「仏の去ら遣めたまう処をばすなわち去る」という言葉の真意ではないか。
ここでいう「仏」とは、釈迦でもなく、念頭にある人格的な阿彌陀でもない。その「仏」とは、「そうせずにはおれない牽引力」を人格的に表現しただけのことだ。
 だから、悟りを求めるこころは、仏さんのほうに責任がある。こっち側にはない。
それを「如来にとり憑かれる」と表現してきた。
 如来にとり憑かれた人間は、ずいぶんとグロテスクなたましひをしている。常識ある一般的社会人には、とうてい眼を背けたくなるようなグロテスク性をもっている。人間の仮面をかぶった「サソリや蛇」が〈ほんとう〉の自分だと見せつけられながら生きているのだから、グロテスクにもなる。普通は、グロテスクな人間は依怙地になって、ニヒルになる。如来にとり憑かれた人間は、それと紙一重のところで違っている。
 グロテスクが自分の真相であって、他はすべて身過ぎ世過ぎのための方便だと達観しているからだ。ニヒルはまだ、自分に絶望していないのだ。どこかで自分に夢を抱いている。だからそうなれなかった自分をニヒリスティックに眺め捨てているだけのことだ。
 果たして人間は、どうなったら〈ほんとう〉に幸せなのか。人間社会はどうなったら〈ほんとう〉に幸せなのか。それがわからない。
 大人たちは、この世がバラ色で、まあバラ色とはいかないまでも、みんなが生きていてよかったといえる社会を築こうとしている。しかし所詮、それは量的なことだ。要するに外見上のことだけだ。いくら幸せの条件を整えても、それで〈ほんとう〉の幸せが感じられるわけではない。
髙村薫はこう述べている。「人間の社会には、得をする人がいて損をする人がいて、幸せと不幸が入り交じり、けっして平等でもない。ついていない人はとことんついていないし、不幸な人は本当に不幸で、幸せな人は腹が立つくらい幸せというのが人間の社会です。そういうものなのだ、という一つの諦観みたいなものを、私たちは持つほかないと思うのです」
 これは〈ほんとう〉の言葉だと思った。
 彼女の言う「諦観」とは、〈ほんとう〉の幸せとは質的なものだという意味ではないか。そうなれば、量的なものがあっても、なくても、それに左右されない幸せが成り立つはずだ。外見上の幸せは、馬の鼻先にぶら下げたニンジンに過ぎない。ニンジンは人間の貪欲という煩悩が向こう側に捏造したものだから、自分がこの世にいる限りなくなることはない。
 そういう構造が明らかになればよいのだ。
〈ほんとう〉は、いつも自分は空前絶後の不可思議な現実と対面しているのだ。3・11が常に目の前に展開しているだ。いつ心臓が止まっても不思議ではない〈いま〉という瞬間を生きているのだ。そのことを忘れてしまう愚かさがある。明日がきっと来るだろうと、臨終の間際になっても思い込んでいる愚かさが、ぽつんと、そこに座っている。
●2014年6月24日●
認知症で草むしり
認知症にも様々な個性がある。徘徊といえば、家から無断で出かけてしまうものとばかり思っていた。自分の家なのに、実家に帰るという女性、知り合いの家や、生まれ故郷へ帰るという動機もあるらしい。徘徊とは違うのだが、中には「草むしり」という特殊行動もあるらしい。
あるご住職が認知症を発症し、家族が知らないでいると、外に出て「草むしり」を熱心にしているという。それも毎日必ずするというものでもないらしい。それこそ「さるべき業縁のもよおせば、いかなる振る舞いもすべし」(歎異抄13条)で、いつするかわからない。もよおしたときには、雨だろうが表に出て、草をむしっているという。それもいつまでも延々とやっているらしい。
畳のほつれなど見つけたら大変で、そのほつれをむしってしまう。
その話を聞いたとき、初めはとても微笑ましい話だと感じてしまったが、ご家族のご苦労を聞くと、微笑ましいなどとはとても言っていられない。やはり誰かが監視していないと体を壊す。認知症は「程度」というものがわからなくなるのだ。さあ今日は、これくらいにしておこうという「程度」が。
 しかし、認知症になってまで、「草むしり」という所行を徹底する住職は、それこそほんとうの住職なのかもしれないとも思った。おそらくご本人にとっては無意識に近い所行なのだろう。草むしりが無意識に近い領域にまで身体化しているということは、ものすごいことではないだろうか。都市部ではないので、年がら年中、草が生えてくる。その草との格闘の歴史がその住職そのものを形作ってきたのだろう。
 自分に引き当てて考えてみても、とても認知症になってまで「草むしり」などはしないだろうと恥ずかしくなった。ひとに見られようが見られまいが、ひとつの単純な作業に没頭する姿は、まさに菩薩の姿である。ご住職は、草をむしりながら何を憶念していたのだろうか。
 あるひとは草を自分という大地に生えてくる煩悩としていただいていた。むしってもむしっても生えてくる煩悩(草)これを日々抜くのだが、また生える。草むしりをしながら自分の煩悩と対話していたのだろう。
 昭和天皇は「雑草という草はありません」という名言を残している。確かに大雑把だ。どの草にも、それぞれ固有名があるはずだ。それを「雑草」と抽象化することは許せない、と草は思っているだろう。「雑な草」とは何事だと。
 人間にとって「雑草」は目の敵だが、草を邪魔者扱いしているのはその人間だけだ。ほんとうは人間の都合とは無関係に、草はいのちいっぱいにはびこっているのだ。それを邪魔者扱いする人間の傲慢さこそ問題だ。
 とはいえ、やはり境内に生えてくる「雑草」はむしらなければならない。この矛盾に喘ぎながら草むしりをするのだ。草をむしりながら、その矛盾と人間の罪をむしっているのだろうか。
●2014年6月11日●
「毎日が地獄です。」Tシャツというのがある。写真掲載できないのが残念だが、胸の全面に「毎日が 地獄です。」と独特な筆書きがされているTシャツだ。今日は、午前中に仏具磨き奉仕会があり、午後には写経の会があったので、これを着てみんなの反応をうかがった。
「ええーっ」という顔をされるひとが多かった。その後、よく文字をみて、笑うひともいれば、怪訝な顔をするひともいた。
みなさんに「これどうですか?」と声を掛けてみると、いろいろな反応が返ってきた。
「ちょっと、重そうで~。ひとにはあげられないです~」。
「洒落のわかるひとなら別ですけど、普通のひとにはちょっと無理かな」
「毎日が地獄なんて、ちょっと辛すぎません…?」
「天国ならいいけど、地獄なんていやです。地獄なんてあるんですか?」
「でも考え方でさぁ、毎日が地獄だっていわれれば、それもそうかなぁと思いますね」
「私は地獄とは思わないですね。だって毎日、生かされていることに感謝することはあっても、地獄だとは思えないです。50代~60代の頃は生きるのが必死でしたけど、いま(80代)では考え方が変わりましたね。」
「これを着ているときに、これってどういう意味って聞かれたら答えられないから、私は着ないと思います」
「毎日が地獄だなんて。もっといいこともあるんじゃないですか?とても地獄ばかりの生活をしているとは思えませんけど」
他にもいろいろあったが、みなさんの反応を聞いているのが面白かった。
実は、このTシャツは、大分空港でお土産として売られているものだ。なぜ大分で地獄かというと、大分県には有名な温泉地・別府があり、そこには坊主地獄や血の池地獄や海地獄など、さまざまな温泉に「地獄」と命名し、「地獄巡り」などと宣伝されている。この「地獄」からTシャツが連想されたのだと想像している。他に、地獄と大分を結びつける要素はないと思える。なにか宗教的な意味を含意して作ったわけではないだろう。もしそうだったりすると、かえって怖いものを感じる。実は連れ合いの実家が大分(宇佐)なので、里帰りのときに土産として購入したものである。
ただこれを東京に持ってきて、なんの脈絡もなく着ていると、これを見たひとたちの反応が面白い。これを見て反応するのは、そのひとの「地獄」から受けるイメージに反応しているだけなのだ。だから一様ではない。
話は簡単。自分の思い通りに生きられれば天国、自分の思い通りに生きられなければ地獄である。だから地獄はどこかにあるものではない。自分の思いが作り上げる幻想世界である。日々の暮らしは、いいこともあれば悪いこともある。それは当たり前だ。悲喜こもごもが日常生活だ。その生活全体が「地獄」だと親鸞はいっているだと思う。
生老病死などの四苦八苦という「地獄」の大地の上で暮らしているのが人間だ。だから、日々の暮らしに感謝するときもあるだろうが、一旦、逆境に遭えばそんなものは脆くも崩れる。そうすると、天国も浄土も地獄も、それを作り出しているのが自分であることがわかる。もっと正確にいえば、自分が好き好んで、自分の思いだけで勝手に作り上げているのではない、逆境と自分との間に地獄が生み出されてくるのである。
この地獄は、他人には見ることのできない地獄である。地獄は、必ず孤独にある。
このTシャツには残念なことがひとつある。それは着ている本人に文字が見えないことだ。他者からしか見ることができない。まあ鏡でもあれば見ることができるのだが。ほんとうは自分自身にとって、いつでも見えるようにしておきたいのだ。そして自分がいる居場所が地獄であることを常に確認しておきたいのだ。生きていることの本質は「地獄」なのだ。それを忘れて生きているのも人間なのだ。だから、いつも原点に立ち返るように教えてほしいのだ。地獄の底にしか仏さんがいないからだ。
着ている本人には見えないのだが、他者は、この文字が自分にとってどういう意味かと咄嗟に反応する。「毎日が地獄です。」というメッセージ性はものすごく強烈だ。被害者意識が強いひとは、「なんで、毎日が地獄なんだ!お前にそんなことを言われる筋合いはねえ!」と反応するかもしれない。それほどまでに「地獄」という文字は人間のこころをえぐり、何か脅迫するようなメッセージをもっている。ということは、まだまだ「地獄」という文字が、無味乾燥な記号として死んではいないということではないか。中世から現代までを貫いて、人間の感情を揺さぶり続ける深層の言葉なのだ。
 現代において「浄土」という言葉は死んだが、「地獄」という言葉はいまだに生き続けている。これは凄いことではないか。
たとえば、もし「毎日が浄土です」というTシャツがあったとして、人々は、それに対してどんな反応を示すだろうか。これも面白い実験ではあるが、地獄ほど興味深い反応は返ってこないだろうと想像する。
●2014年6月3日●
散弾銃とライフル銃
今朝のお朝事の御文(蓮如)は「それ、女人の身は、五障・三従とて、おとこにまさりてかかるふかきつみのあるなり」(『御文』5-7)だった。これじゃ蓮如は女性差別者だといわれても仕方がない。女の罪が男以上に深いなどと、現代の法話では絶対に聞けない話だ。まあ室町時代という空気(意味空間)があって成り立った発言である。
これを現代の視座からどうやって理解するかということで、みんな苦労している。オーソドックスは、やはり時代の空気(意味空間)が男尊女卑だったということがひとつある。蓮如は、それを逆手にとって、いままで「女性」を救いの対象としてこなかった一般仏教が、蓮如にきて始めて救いの対象として特化されたのだと。だから蓮如は差別者ではなかったと。
まあ蓮如も玉虫色でいろんな発言をしている。
「『五濁悪世の衆生』というは、一切我等女人悪人の事なり。」(同5-6)とか「弥陀如来と申すは、かかる我らごときのあさましき女人のためにおこし給える本願なれば」(同2-1)と女人を自分と同化して「われら」と語っている箇所もある。この表現は表現でしかないから、蓮如の意識までは推し量れない。「われら」といってはいても意識は、「罪深き女人」と「私たち」は区切られていたという推測も成り立つ。あるいは、罪深さは同質であることを重々知っていて、その上で敢えて女人を特化して教化するためにデフォルメして表現されたのだという見方も成り立つ。どちらにしても推測の域は出ない。
 それでは、この蓮如の御文を当時の「女人」たちはどう受け止めたのか、そのとき思いついたのが「散弾銃とライフル銃」だ。
 散弾銃は、細かい胡麻粒のようなたくさんの弾丸が圧縮されていて、引き金を引くと、それが一気にスプレー状に発射されてターゲットに向かう。つまり、大雑把な分だけ射程距離が短い。蓮如の「女人発言」を聞いていて、私も含めていろいろなひとたちに向けて女人が罪深いといっているのだと聞いていた女人もいたことだろう。これは散弾銃だ。
 しかしもう一方の聞き方もあったはずだ。それがライフル銃。ライフル銃は引き金を引くと鉛の玉がターゲットに向かって一直線に進んでくる。つまり一対一の関係だ。その玉は獲物の肉体の内部にとどまり相手に致命傷を与える。こういう聞き方をした「女人」もいたはずだ。
 それは自らの猜疑心や嫉妬心に膿んでいる、つまり罪深さを自覚している「女人」だ。出生前に障害児だと診断されて堕胎したら、健康児だったと悩むお母さん。何の前触れもなく、家族に知られず自死した少女のお母さん。一緒に津波に呑まれたが子供の手が離れ、九死に一生を得て自分だけ助かってしまったお母さん。
 人知れず罪意識にさいなまれている「女人」こそ、蓮如のターゲットだったのかもしれない。やはりライフル銃だったのだろう。
 その「女人」に対して「あながちにわが身のつみのふかきにもこころをかけず、ただ阿弥陀如来を一心一向にたのみたてまつりて」(同2-10)とか「我が身のあさましきつみのふかきことをばうちすてて…一心に、阿弥陀如来後生たすけたまえと、一念にふかくたのみ…」と語っている。
 この「わが身のつみのふかきにもこころをかけず」、「つみのふかきことをばうちすてて」ということが難行苦行である。
 どこまでも罪に悩み苦しみにさいなまれて、立ち直ることはできない。その深層には、やはり罪の無いものになろうとする意識が蠢いているのではないか。一言でいえば、罪滅ぼしの意識である。自分の罪を帳消しにして「善なるもの」になって浄化されたいという意識である。
 ここまで人間のこころの階段を深層まで降りてきたら、もう後戻りはできない。
歎異抄は「罪消えざれば、往生かなうべからざるか」(14条)と囁いている。あなたは罪が消えなければ、阿弥陀如来の浄土へなど往生できないと思っているのですかと。
「善なるもの」に成ろうとする意識を打ち捨てて、そんなものにこころをかけず、ただただ阿弥陀如来にすべてをおまかせしてしまいましょうと勧めている。
 全身全霊を投げ捨ててしまえる南無阿弥陀仏というごみ箱がどうしても必要だ。
救いの主は阿弥陀如来であり、決して人間であってはならない。
2014年5月30日●
何をしたらよいのかわからないという感覚は、全方位に対してたましひが開いている状態ではないか。「つれづれなるままに、日暮らし硯に向かひて、心に移りゆくよしなしごとを、そこはかとなる書きつくれば」ではじまる徒然草(吉田兼好)は、まさにその状態を表している。
何か、これをするためにいま自分がここにあるのだときつく握りしめていたり、自己規定したりするのは無理があるのではないか。
たとえ、一日の日程がきちっと決まっていて、その中で忙しく動いているひとにおいても、またサンデー毎日で、今日はなにをして過ごそうかなぁと考えているひともである。人間的にみれば、そのお二方は違った人生を送っているようにみえてしまう。しかし、もっと根源的にみえば、そのお二方とも、同じだと言いうる地点があるはずだ。
それが、「何をしてよいのかわからない」という感覚ではないか。本質的に、私たちは死を目的地にして生きている。死ぬまでの時間をいかに費やすかという見方もできる。多忙で過ごすか、ブラブラ過ごすか。
そう思うと、やはり、〈いま〉という時間は、本質的に何をしたらよいのかわからない時間なのだろう。
それをよく教えてくれる場所が、〈寺〉という場所だ。何のためにお経を読むのか、何のために写経するのか、何のために葬儀をするのか、何のためにお参りするのか、何のために掃除をするのか、何のために聞法するのか。それらの目的が表面的にはわかっているようだが、根源的にはまったくわからない、またわからなくさせるのが〈寺〉の役割である。〈寺〉はフタファー(隠喩)である。
人間はどうしても目的意識があって、自分のしていることが何かの役に立っていないと気が済まないという要求に責めたてられている。それは目的意識が求めているものであって、あなたの深層のたましひが求めているわけではない。
たましいは、全方位に対して開かれているのではないか。そのなかで、たまたまひとつのことを選びとって行為しているというに過ぎない。いつでも、どこでも、〈いま〉という場所は無目的である。逆にいえば、無目的だから、どの方向の行為をも選ぶことができるともいえる。その行為が選ばれたのは、たまたまの縁だ。
そう思うと、忙しくしているのも、実は暇つぶしなのかもしれないと思わせてくれる。まあ〈死〉というのも自分にとってはメタファーで、本質的にはわかっていないのだけれども、〈死〉を思うと、生きてきたことがリセットされるような気がする。いま死ぬ可能性があるから、生が終わるときがくるから、そう思うと、逆に〈いま〉が際立ってきて、〈いま〉が特別なものに思えてくるから不思議だ。
中世の宗教家がメメント・モリ(死を思え)と語ったのも、確かに御利益がある。死を思うことは、逆に〈いま〉という生を再発見させる効果がある。
誰にとっても、一瞬先の〈いま〉は、絶対の未知なる世界だからだ。
2014年5月25日●
曇天の味わい
今日も、いやな感じの残る法事が終わった。どの法事がよく、どの法事がいやだという話ではない。どんな法事であっても、法事をお勤めした後に、すっきりしたという思いはなかなか起こらない。たとえ聴衆が法話でウンウンと頷いて乗ってきた場合でもだ。どこまで話してもキリのない話が法話である。また相手に伝わって感動しいただいたとしても、それは喜ぶべきことだが、それはそれだけのものでもある。
これが宗教のもっている底無し沼の本質だ。どこまでやってもキリがないし、かといって怠惰でいられるほどの勇気もない。ゼロにも百にもなりきれないところにあるものだ。その上、御布施という何がしかの金銭をいただくのだから、まして憂鬱が重なる。金銭に見合っただけの仏法を相手に手渡しているのだろうかと問えば、これは甚だ絶望的なことだ。だからといって、手を抜いてやることもかなわない。だから、どう考えてみても、いやぁ~な感じが残るものが法事というものだ。
これは宗教のもっている独特の憂鬱ではないか。譬如日光覆雲霧(たとえば太陽が雲に覆われているようなものだ)という曇天の憂鬱である。この憂鬱は宗教の本質だから、これを無くしてしまったら宗教ではない。吉本さんが「宗教は25時の仕事だ」というのも分かる気がする。本質的にこの世の尺度で推し量ることのできないものである。
かつて北陸が真宗王国だといわれたのも、この曇天という気候風土が触媒になっていたのかもしれない。西田幾多郎、鈴木大拙、曽我量深、金子大栄、暁烏敏、藤原鉄乗、高光大船等々、どんよりとした北陸の曇天が思想信仰を育てたのかもしれない。
 その雲は、「貪愛瞋憎之雲霧」だと親鸞はいう。貪愛とは、むさぼりと愛執。瞋憎とは怒りと憎しみである。それらが「常覆真実信心天」、常に真実信心の天を覆えりという。
信心の世界は、一生涯、曇天で晴天などどこにもない。
 貪愛瞋憎というけれど、怒りや憎しみや悲しみや空しさは自覚しやすい。感情だから。一番自覚しにくいものが「むさぼり」ではないか。肉体的な空腹感が「むさぼり」を自覚させる場合もある。生理的欲求だから。しかし、知性という「むさぼり」が自覚しにくい。
知りたい見たいという知的貪欲が雲霧を生み出しているのではないか。
そのからくりを知った親鸞は「無明のやみはれ、生死のながき夜、すでにあか月になりぬ」と表現したのだろう。これは「摂取心光常照護」(摂取の心光、常に照護したもう)の解釈だ。阿弥陀如来の摂め取ってすてない愛は、いつでもあなたを照らし護って下さっているというのだ。
 ここにも「常に」とあり、貪愛瞋憎之雲霧が覆うのも「常に」とある。愛はいつでもあなたを包んでいるけど、雲霧がいつもあなたを覆っていると。ただ、それは闇夜ではない。闇夜が晴れて昼間になったのだと。それが信心の得た光景である。
 雲の中を飛ぶ飛行機が間違いなく目的地に飛んで行けるのも、レーダーのお蔭である。目の前は暗中模索だが、どっちに行ってもそこは安心の世界なのだ。その信頼感が曇天への信頼感である。
 この憂鬱感も、丸ごと捨てられる場所が真実信心天なのだろう。有頂天になっも、あるいは行き詰まっても、その思いのすべてを捨ててしまえる場所が南無阿弥陀仏だ。だから南無阿弥陀仏はこころのごみ箱に違いない。
 これさえあれば、どんなことが起ころうと安心だ。なかなかわだかまっていて捨てられるものではないけど、最後には捨ててしまえるのだから。捨てさせて下さるのだから。
 そしてまた新たに、貪愛瞋憎之雲霧を生き始めることになる。
南無阿弥陀仏でレベルオフだ。
2014年5月18日●
問いには必ず先人がいる
「問い」を持たなければ、新しい視座を得ることができない。いかなる「問い」と出会ったが、そのひとの人生を決める。
 生活している中で、ふとわからないことに出くわす。たとえば、魚のネンブツダイがなぜネンブツダイと呼ばれるようになったのか?とか。朝方、スピークッスピークッと鳴く鳥の名前はなんだろう?とか。ふと疑問が湧くときがある。そんなときに、即座に頼ってしまうのがインターネットの検索エンジンだ。すぐに頼りすぎるということに対して、ちょっと待てということも感じるのだが、やっぱりやめられない。
 そして即座にネット検索してしまう。そして驚くことだが、「問いには必ず先人がいる」ということだ。この疑問に対して先人はいないのではないかと思って調べると、必ず先人がいるのだ。恐れ入ってしまうほどに先人がいる。
 おそらく親鸞も、曇鸞が「称名憶念あれども無明なお存して、所願の満てざるはいかん?」という問いに出会ったとき、同じ感想をもったのではないか。自分の疑問と同じ質の疑問を問うていたひとがいたと。そして、さらに唯円が「念仏申しそうらえども、踊躍歓喜のこころおろそかにして…」と親鸞に対して疑問を呈したとき、ここに曇鸞、親鸞、唯円を貫く「問い」の伝統があったのかと感動したことだろう。
 これは親鸞が教行信証の教巻を記す根底の動機でもあったのではないかと思える。親鸞が教巻に抜きだした部分は、仏弟子・阿難が師・釈迦牟尼仏に向かって、「なぜあなたは神々しく輝いておられるのか」という疑問の部分だ。その問いはどこかに書いてあったとか、誰かから聞いたとか、噂とかでなく、阿難自身の中から出てきた問いであることを釈迦牟尼仏は褒めたたえる。
 この問いの背景には、阿難と釈迦牟尼仏が従兄弟関係であるという事情がある。いわゆる「身内」なのだ。イエスキリストも「予言者は、自分の郷里や自分の家以外では、どこででも敬われないことはない」と述べているように、ややこしい言い方だが、要するに「宗教者は身内には尊ばれない」ということだ。同様に釈迦牟尼仏の身の回りの世話係だった阿難にとって、釈迦牟尼仏の宗教性は感じ取ることができなかった。
 その背景があったために、今始めて釈迦牟尼仏の宗教性に触れたという場面を親鸞は抜き取ったのだ。宗教性が身内性を突き破って表出してきた部分だ。
 吉本隆明の「対幻想」という言葉を使えば、宗教性が対幻想を突き破り顔を出してきたのだ。正確には「対幻想」は性を媒介とするのだが、師弟とか身内や家族も対幻想と拡大解釈したい。
 在家仏教教団の浄土真宗は、家庭生活を仏道の道場とする。つまり対幻想の場を道場とする。この対幻想を食い破って、いかに宗教性が表出できるかという極難の課題を背負わされている。住職が門徒相手に本堂で語る質と家族と食卓で語る質の落差が問われる。
 阿難にとって身内の釈迦牟尼仏は、ゴータマシッダールタに過ぎなかった。それが宗教性の発露とともに、釈迦牟尼仏となって現れたのだ。
 つまり、その出遇いが起きるまで阿難は釈迦牟尼仏を釈迦牟尼仏として見ることができなかった。いわば蔑ろにしていたのだ。もっといえば世間的には宗教者として尊ばれているか知らないが、自分にとってはただの身内の偉人程度にしか映っていなかったのだろう。その日常性が崩れて、神々しい仏として出遇ったということだ。
 つまり、逆の言い方をすれば、宗教性が目覚めるためには対幻想の汚れが必要だったのだ。日常性の「当たり前性」に埋没するということがあって、始めてそこから宗教性が食い破って誕生してくるのだ。
 これは、親鸞が法然に出会ったときにも経験したことではないのか。親鸞が比叡の山から降りて、法然の元へ通ったのは100日だと記されている。三カ月ちょっとである。そこには、劇的な出遇いが薄れ「日常性」へと埋没していった時間があったのではないか。日常性への埋没とは、尊んでいたものを足蹴にし、当たり前の存在へと変質させていく。そこに親鸞の慙愧があったのではないか。
 親鸞にとって、それは師への裏切りとまで感じ取られたのではないか。それが五逆罪の「仏の身を傷つける」(出仏身血)であり「師を殺す」(殺阿羅漢)という罪として受け止めれたらのではないか。
 日常性とは、ほんとうは驚嘆すべきことを当たり前へと変質させていく。それが当然の成り行きだと傍観しておられないもの。それこそが宗教性ではないか。
 
2014年5月12日●
「~ども」という言葉
親鸞の教行信証の(信巻)には「称名憶念あれども…」とあり、歎異抄(第9条)には「念仏もうしそうらえども…」とある。
この「ども」という言葉が重たく、ありがたく響いている。理屈としては、お念仏は万善が備わっているのだ。しかし、いくらそれを称えたとしても、その効果が感じられない。それで、「念仏もうしそうらえども…」となる。いくらやっても、ため息ばかりが出てくるではないかと。念仏のマンネリ化である。
この「ども」というのが、私の、間違いない、たったひとつの居場所である。
この「ども」があるから、次の展開に「是を以て」と開かれていく。
親鸞は比叡山に出家した。しかし下山して結婚した。それは出家生活から堕落したのではない。出家生活を再び出家したのである。単なる欲望生活に戻ったわけではない。つまり出家を超えた出家、だから「超出家」が親鸞の選んだ在家仏教である。
 超出家とは、仏たんと対面する生活のことだ。いつ、どの場面でも、自分の前には仏さんがいる。透明だから見えないけど。仏さんに取りつかれた生活が「超出家」である。
対面している自分の居場所は、「ども」という居場所。そこから一点一画も変更できない。微動だにできない居場所が「ども」の居場所。この居場所だけが仏さんと対面する場所である。他の場所に移動したのでは仏さんとは出遇えない。
 目に見えない仏さんとどう対面するのか。これはメタファーだが、「見えない仏さん」というものと出遇うわけだ。人間は何でもわかったことにしてしまう。仏さんも、世界も、他人も。「わからない」ということすらわかったことにしてしまう。「わからない」ことをわかったことにすると、人間には不満や不安が発生する。だから、絶対に人間の知恵では「わからない」という世界のいただけることが救いなのだ。
 超出家仏教が親鸞の仏教だ。それは結婚生活や家庭生活を送らなければわからないというものでもない。結婚や家庭を条件にした途端に、超出家ではなくなる。むしろいかなる条件も必要としないものが超出家だ。
2014年5月6日●
「観を破った念を称という」
この言葉は安田理深先生の真理の一言である。親鸞のいう念仏とは、観念の念仏を破った称名念仏という意味だ。
法然・親鸞以前の念仏観は、観念念仏が上等で、称名念仏は下等だった。観念とは、メディテーションの中で直感する念仏であり、これは個人個人の内面に沸き起こる仏である。しかし、称名とは声に出す念仏だから、内面に直感する念仏よりは簡単だし、誰でも発語することができる。誰でもできるものは、高度でもなくありがたくもないというわけだ。
道元さんが、称名念仏はカエルがケロケロ鳴いているのと変わりはないといったが、確かにそういう非難が起こる可能性をもっている。まったく別のことを考えているときでも念仏は口で称えることができるからだ。道元さんは、外面にあらわれたものより、内面の心理が大事だと思っているのだろう。この考え方は、現代人でもわかる。
内面ではそれほどでなくても、口先だけで「愛してる」と異性に向かって発語することができるからだ。やはり心と口が一体化していなければ無意味だと現代人も思っている。
大雑把には、そう思っているのだが、果たして「愛してる」という思いと言葉が一体になっているかと問われると、これが怪しくなってくる。
 どうも人間は愛が純粋なものであり、無条件に相手を愛し得ると思い込んでいるようだ。誰が何といっても、恋人を想う思いは間違いないと豪語したくなる。でもよく思い返してみると、エゴイズム以外に愛はないと地に落ちるのがおちだ。自分の思いを満たしてくれる相手だから愛という感情が起こるのだろう。自分の思いに反するとき、愛は起こらない。ところがマゾヒズムという特殊な愛の形もあるから、人間は厄介だ。たとえマゾヒズムであっても、その根底には自己満足が愛という観念を支えている。だから仏教は愛を「貪愛(とんあい)」と呼ぶ。愛とは貪り(むさぼり)であると。
 ただ、ことが人間関係ではなく、仏さんとの間のことだから厄介だ。仏を想う思いと、その思いを声に出すことが一体であるということが結構難しい。
 安田先生がいう「観を破った念を称という」の称とは、称名のことで、もっと言えば、声だ。声に出すということは、外化作用であり対象化であり具体化だ。自分の口から発語された言葉であるが、それが言葉になったとき、空気を伝わって、自分の耳に届いてくる。我が声であるが、耳の鼓膜を震わせるとき、仏語に変身する。そこで仏を想う思いという観念と断絶する。
 内省してみれば、仏を想うといったところで、その内容はお粗末なものだ。いわば自分の思い描いた仏というイメージを、〈ほんとう〉の仏だと錯覚しているのだから。ありがたい感情のときもあれば、あわれな感情のときもある。どの感情がやってきても、〈ほんとう〉の仏さまとは絶縁しているのだ。そもそもが自分勝手に思い描いたイメージだから。たとえ、そうであっても、それはそれなりにありがたいことだ。それは〈ほんとう〉の仏さまではなく、お前の思い描いたイメージだぞと教えて下さるのだから。
 そこまで来ると、もはやどのように仏さまをイメージしようが、「ご自由にどうぞ」という世界に出てくる。どれだけ自分勝手に思い描こうと、それは〈ほんとう〉の仏ではないのだから。仏さんに触れてはいないのだから、仏さんを汚すことにもならない。
 ここで道元禅師とお別れすることができる。
道元さんは、「思い」と「声」とが一体でなければならないと思っているが、親鸞は、「思い」と「声」とがバラバラだからありがたいと思っている。
 カエルのケロケロと鳴く声を聞いた親鸞は、これこそが我が念仏だと感動したはずだ。
どれだけ仏さんを思おうと、それはまさにカエルのツラにションベンなのだ。仏さんとは無関係の所行なのだ。
 そこまで来て始めて、親鸞は〈ほんとう〉の仏と対面した。
お念仏を称えるこころは、どのような状態でもよい。あくびと一緒でも、ふと称えても、また一生懸命に称えても、どうでもよい。些細な内面の思いから出てきた念仏であっても、それは自分の内面に必然性はなく、あくまでご縁のたまものなのだ。声に出てしまえば、それは、もはや自分の所有物ではない。声は仏さまの世界の出来事だから、他力である。
 声は、仏語であり、それを聞くところに新しい自己が誕生する。自らの口から出た念仏で、自分はその声の弟子となり、汝と呼びかけられる存在になる。
 いわば称える自己(発語)と聞く自己が分割される。
自己は聞く自己となり、汝と呼び掛けられる存在にされる。
 昨日も近田昭夫先生から、野田明薫先生の「ひと声も、役に立たさぬ、嬉しさに、称えてはみつ、みては称えつ」、「一、二、三、四、五、六万と称えても、さらにしるしの無きぞ、嬉しき」という仏説をお教え頂いた。
 「ひと声も、役に立たさぬ」というのが素晴しい。人間は、やれ何のため、安心のため、夫婦円満のため、家内安全のため、平和のため、追善のためといっては、仏さまを酷使してきたのだ。その一切合切を「役に立たさぬ」と切れ捨てて下さるのが、お念仏だ。切り捨てて下さる大慈悲が仏さまのおはたらきそのものである。
 こういうはたらきこそが〈ほんとう〉の仏力である。切り捨てられて、空前絶後の「いま・ここ・わたし」という「零度の存在」をたまわるのである。
2014年5月1日●
門徒の葬儀で「歎異抄第4条」を告別勤行の後に読むようにしている。このアイデアはある住職から教わった。当の住職も、思いつきで「読んでみよう」という程度のノリで即興で読んだことを覚えている。それ以来、因速寺の葬儀勤行次第には歎異抄第4条が印刷されることになった。
「聖道の慈悲というは、ものを哀れみ、悲しみ、育むなり」は分かりやすい。身に覚えのあることだから。しかし、「浄土の慈悲」が難しい。身に覚えがないから。「念仏して、急ぎ仏になりて、大慈大悲心をもって、思うが如く衆生を利益するをいうべきなり」と記されている。終いには「しかれば念仏もうすのみぞ、末とおりたる大慈悲心にてそうろうべきと云々」となっている。
ひとつには、大慈大悲心は人間には成り立たず、仏さんだけが起こすことができると読める。急いで仏になった後の愛情だからだ。
もうひとつは、「念仏もうすことだけが、絶対的な愛」だと述べている。この「念仏もうす」とは、一心不乱にたくさんの念仏を死者に向けて投げかけるという性質のものではない。追善供養の廻向として称える念仏ではない。
そうすると途端にこの「念仏もうす」がわからなくなる。
それが今回、ようやく腑に落ちてきたように感じた。
亡くなられた家族を目の前にして、涙が止めどなく流れ出してくる。悲しみが襲ってくる。それらをすべて、阿弥陀さんにおまかせすることなのだ。おまかせした上で、涙が枯れるほど泣けばよいのだ。遺族には、自分たちがもっとはやく病気に気づいてあげればとか、もっとこうしていれば、ああしてあげればという思いが襲ってくる。そういう思いもすべて阿弥陀さんにおまかせしてしまうことなのだ。
 いままでは人間だった家族だが、もはや仏さんとなられたからには、人間の思いを超越した世界に旅立たれたのだ。だから、悲しみや後悔や慙愧のこころも、すべて洗いざらい阿弥陀さんに投げ込んでしまえばよいのだ。
そしてこっちの思いが空っぽになっていけばよいのだ。それだけが絶対的な阿弥陀さんの愛である。
人間の愛は条件付きだし限定的だし差別的でもある。「存じの如く助け難ければ、この慈悲始終なし」とも第4条は述べる。あなたが知っているように、家族を助けることが難しいのだから、聖道の慈悲、つまり人間が起こすことのできる愛には限界があるという。
まさに限界がある。誕生が死の原因であり、出会いが別れの約束だからだ。
生きている人間の側には「聖道の慈悲」しかない。「浄土の慈悲」は阿弥陀さんだけが起こすことができる。
それだから、阿弥陀さんにおまかせしてしまえば、亡き人ばかりでなく、悲しみに呉れている遺族自身が助かっていくことなのだ。
人間の愛は、決して仏さんに届かない。そこには超えられない断絶がある。そう気づいたとき、こっちは泣こうが喚こうが、後悔しようが感謝しようが、そんなものは、どうでもよい。泣きたければ泣けばよい。悲しみたければ悲しめばよい。まあそれらは感情だから、そもそも人間の思いなどを超越している。
そういうことが「念仏もうす」だったのだ。阿弥陀さんに洗いざらいの思いをすべて投げ込んでしまえばよいのだ。
2014年4月29日●
六組の研修会で靖国神社を見学研修にいった。
ひとことで、直感したものは「靖国神社は重層的」だなぁというもの。季節も4月下旬といういかにも清々しい頃だ。そよ風が境内の葉桜を揺らし、八重桜の花びらが、ヒラヒラと舞い降りていた。
この「靖国神社」という記号には、無量無数の重層的な意味合いが潜んでいる。境内の空気は、実に透明で優しく、そこには血なまぐささなど微塵もない。空気が透明であるほど、その空気には目で見ることのできない重層な意味場が重なり合っていた。そのひとつひとつの意味場を薄く薄く、一枚一枚鋭利な刃物で切り分け、ひとつひとつ丁寧に剥がしていかなければ、靖国神社は理解できないと思い至った。
 本殿の入り口に、戦死したお父さんが娘に宛てた手紙が掲示してあった。短い手紙だったが、こころを動かされるものがあった。これも靖国神社にあるひとつの意味場である。愛する家族を引き離し、戦に刈り出させたものは何か。そこには家族を愛するが故に、敵を滅ぼし守るのだという論理もある。戦には必ず正義と邪悪が作られる。正義が邪悪を滅ぼすための戦という筋書きだ。西欧列強からアジア人民を解放するための「大東亜共栄」という観念だ。「遊就館」では、そういう論理で映画が作られていた。映画のナレーションには、邪悪が微塵もないという口ぶりだった。たとえアジア人民を守り解放するという論理であっても、他国民からすれば自分の国へ軍隊が入ってきたら侵略と受け止められても仕方がない。略奪などがなかったかといえば嘘になる。西欧列強に取られる前に、利を我が物にしたいという欲求がなかったとはいえない。
 本殿は幕末の戦から太平洋戦争までに亡くなった戦死者、246万6千余柱が合祀されているという。パンフレットには「246万6千余柱の神霊が鎮まるところ」と記されていた。明治政府が、神仏分離令を発令し、廃仏毀釈により神道を国家神道へと鋳造させていった過程で作られたのが靖国神社である。西欧列強に抗するためには、人々に国家という強固な共同幻想を植えつけなければならなかった。共同幻想を植えつけた為政者も、その時代背景に生きれば、そうせざるを得なかったのかもしれない。為政者も、その当時のメディアも、そして民衆も一体となって共同幻想を作り上げていったのではなかろうか。三者のうち、どこが最大の原因か、なかなか特定することは難しいのではないか。「時代の空気」というやつは、いつも無色透明でありながら、人心を支配していくものである。これはなかなか対象化して、取り出すことが難しいものだ。無色透明だから。たとえば若者の犯罪の凶悪化ということも、時代の空気が生み出した共同幻想だ。データを見れば、現代は凶悪な殺人事件の件数は以前に比べて減少している。しかし、メディアを通して、凶悪化を厳罰に書すべきだという無言の強制がはたらく。メディアは、そういう情報を民衆が望むからだと言い訳する。視聴率の上昇、発行部数の上昇が至上命令だからだ。民衆は、何が白で何が黒か、明確にしてほしいのだ。100か0かを決めてほしいのだ。そしてその判断がつけば一気に白へと傾斜し暴徒化していく。それが無色透明である共同幻想の恐ろしさだ。
 自分が、時代の空気に知らず知らずのうちに洗脳されているという恐怖がある。それをどうやって逆洗脳するかが課題だろう。

 靖国神社では、戦死者を「柱」という単位で呼ぶ。広辞苑には「直立して上の荷物を支える材。根幹となるもの。貝柱のこと。」などとあるが、最後に「神・霊または高貴の人を数えるのに用いる語」とあった。あそこに「246万6千余柱」という何があるのだろうか。遺骨ではない。まさに共同幻想である。
 上映された映画の最後にかつての軍人(老人)が、国で靖国神社に代わる慰霊施設を作るというが、そんなものを作ったら、亡くなった戦友になんと申し開きをすればよいのかと絶叫していた。戦友たちとは、靖国神社で会おうと約束したのだ、だから、他の慰霊施設ではダメなのだという。
 遊就館では、戦死者を「英霊」と呼び、戦地で亡くなられた英霊は、まず日本にある靖国神社へ集まり、そこから自分の出生地へと旅立っていくと記されていた。電波が中継局に集約され、そこから地方局へ転送されていくという観念だ。この観念はどこから生まれたものなのだろうか。戦友に「靖国で会おう」と約束した、その観念は、どこから生み出されたものなのだろうか。
よく「あんたは戦後生れだから、その当時のことは実感として分からないだろうけど…」というふうな言い方をされることがある。この言い方には、さまざまな含みを感じる。「あんたに話しても通じるわけがない。これ以上話しても無駄だ」という会話拒絶の態度を感じる。それはそれとして認めたい。なぜなら人間は当事者でなければ絶対に分からないことがあるからだ。だが、それで会話拒絶のまま沈黙していてよいのだろうか。
戦争体験を風化せずに語り継ごうという運動があるが、あれも運動となると、ちょっとね、と感じてしまう。まあまったく「なんの落ち度もない被害者」であれば、戦争体験も語れるのだろうけど、多少なりとも加害が混じっていれば、それを語ることは難しいことである。シベリア抑留者や満州引き上げ者たちが、沈黙するのは、完全なる被害者ではないからだろう。
ひとは、極度の限界状況に置かれたとき、一心同体という観念に凝固するのではないか。戦友という関係は、それを物語っているのではないか。それも当事者でなければ決してわからないことだろう。その観念に対して、第三者が云々できる余地はないように思う。
確かに、そういう意味場もある。
ともかく、戦死したひとたちを生き残ってしまった人間たちは、どう受け取るのかということになるのではなかろうか。「遊就館」では、戦死者たちの犠牲によって今日の日本の繁栄が成り立ったのだという文脈で一貫していた。だから戦死者たちに感謝して御礼を申し、彼らの存在を永遠に賛嘆し、顕彰していく義務があるというのだろう。それも戦後「一宗教法人」に格下げされた靖国神社を「国家」として顕彰していく義務があると、生き残った戦友たちは語るのだろう。
戦争犯罪に加担した加害者などという観念は微塵もない。望まずして、いわば国家の命令で戦争にやむなく刈りだされた被害者である。国家の命令で参戦させられ戦死した、その責任は「国家」が負うべきではないかというのだろう。戦争責任論を突き詰めていくと、まず軍部であり、メディアであり、国会であり、やがて天皇であり、周り回って、それを支持していた民衆でありと、雲散霧消していくのではないか。日本ばかりでなく、ドイツのナチスが誕生したのも、そういう構造だったのではないか。
「国家」という観念は、共同幻想なのだが、それを支えているのはひとりひとりの観念である。まさに「時代の空気」というやつだ。
もう一度、頭を冷やして考えてみよう。
まず、第三者としてという考えを外してみよう。自分にとって、太平洋戦争での犠牲者は、祖母が1945(昭和20年)3月10日の東京大空襲が原因で亡くなっている。大叔父がシベリア抑留された。戦闘で亡くなったのではないが、戦争がきっかけの死である。彼らの死は、犠牲者としての死だったのか。確かに無念の死だったかもしれない。ただし、加害者への報復と謝罪を求める観念はない。やはり人間という存在は、愚かしく、どうしようもない生き物だという観念にたどり着いていく。
相手に百パーセントの罪があり、自分たちがゼロパーセントであれば、何かもの申すという感情も起こる。しかし、「人間」には潔白のゼロパーセントはないように思える。「人間」という存在に生まれてしまったことのどこかに罪が宿っているように感ずる。魚や鳥たちは、戦争というものを引き起こさない。私たち人間だけが戦争を起こす。
自我という知性を組み込まれた存在、その自我が共同幻想を生み出し、突き詰めれば戦争をも生み出すのではないか。
仏教語でいえば、「共業」(宿業を共にする存在)存在が人間ではないか。
そうして、民族や人種や国家を超越した視点から、人間存在を取り出してみなければ、どうも落ち着かない。加害者・被害者という観念からは、報復と謝罪要求しか生まれてこない。その観念で最終的に、人間のこころそのものが落ち着けるのだろうか。
亡くなられた人々自身は、どう思っているのかは絶対にわからない。まさに当事者でなければわからないことである。いつも問題が起こるのは、生き残ってしまった私たちでしかない。生き残った私たちが亡くなられた人たちの死を、名誉の死だっのではないか、無念の死だったのではないか、無駄死にだったのではないか、戦争反対の叫びの死ではないか等と邪推しているに過ぎない。〈ほんとう〉のところはわからないというのが真実だ思える。死者と生者の間には決して超えることのできない一線がある。それをいとも簡単に飛び越してしまうのが「思い」である。その思いとは煩悩でしかない。
 煩悩を煩悩として、ちゃんと照らしだすものを持たなければならない。その煩悩が時代の空気を生み出すものだからだ。
 これは譬えであるが、ひとりひとりの吐く息が煩悩であれば、大気汚染を生み出す。ひとりひとりが清々しい息を吐けば、世界全体の空気が澄んでくる。
この世を超えて、この世にかかわる視点が大切なのだろう。
2014年4月28日●
昨夜の親鸞講座でも問題にしたことだが、「言忘慮絶の真理」ということがある。もはや言葉で表現することも考えることも不可能な真理のことである。簡単な言葉でいえば、人間には「わからない」ということだ。この「わからなさ」に二種類があると親鸞は語る。
それがこの二つの和讃だ。
自利利他円満して
帰命方便巧荘厳
こころもことばもたえたれば
不可思議尊を帰命せよ(讃阿弥陀仏偈和讃)
これは阿弥陀様の世界は人間の「こころもことば」も絶えているから、阿弥陀様にすべてをおまかせしなさいと命じている。「わからない」ものにすべてをおまかせしなさいということだ。
 もうひとつの和讃がある。
自力聖道の菩提心
こころもことばもおよばれず
 常没流転の凡愚は
いかでか発起せしむべき(正像末和讃)
自力聖道の菩提心というのだから、幽玄な真理を自力で獲得しようとすことだろう。これは崇高すぎて凡夫の計り知ることのできない世界だから、どれだけ頑張って起こそうとしても無理ということだろう。
 ここに二種類の「わからなさ」を語っている。一方の「わからなさ」はおまかせすべき「わからなさ」である。これを「他力のわからなさ」と呼ぼう。もう一方の「わからなさ」は凡夫の起こすことのできない「わからなさ」である。これを「自力のわからなさ」と呼ぶことにする。同じ「わからなさ」であっても質が違う。
 この問題を南無阿弥陀仏という翻訳機にかけてみた。すると、「他力のわからなさ」とは、凡夫にはわからないということの理由がわかったわからなさであると答えが出た。一方の「自力のわからなさ」は、凡夫にはわからないということすら分からないわからなさであると思う。
 直感的になるが、親鸞の言葉でいえば「難思議」と「難思」の違いだ。「他力のわからなさ」は「難思議」であり、「自力のわからなさ」は、「難思」である。牽強付会だが、「難思議」は、「思い難いという議がわかった状態」であり、「難思」とは「思い難いという理由すらわからない状態」である。
 違った譬喩を使おう。これは正信偈の「譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇(譬えば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇無きが如し)」である。日光とは太陽の光である。太陽の光が雲霧で遮られたとしても、曇り空だから歩くことができる。つまり真っ暗闇ではないという譬喩だ。これが「他力のわからなさ」である。なぜわからないのかといえば、煩悩の雲霧が真理を遮っているからだ。その理由がちゃんとわかっている。ところが「自力のわからなさ」は、闇のわからなさである。暗中模索であり、自分がどこに向かって修行しているのか、出口がどこにあるのか、五里霧中の状態である。闇の中を手さぐりで、出口を探しているような状態だ。
 その闇は、向こうにあるものなのだろうか。むしろ出口を探さなければ、いまいる場所は闇ではないのかもしれない。闇とは信仰の譬喩(メタファー)であり、現実には白昼のことなのだろう。見えすぎるほどに見えている現代社会の有り様である。見えすぎるほどに見えているから、この場所が「闇」だなどとは思ってもみないのだ。
 その場所から、「自力の菩提心」が起こり、うかうかしていられない、なんとか生の意味を見つけなければならないと求めだす。聖道門の方々の出家発心は、まじめな菩提心の発起である。うかうかして呑気でいることができない。自力の菩提心が起こったひとにとって、いまいる場所は、白昼ではなくなる、つまり闇に転ずる。闇とは、菩提心が感じ取るものだ。出口を探し始めたときに、いまいる場所が闇に転ずるのだろう。だから発心がなければ、闇もなにもないに等しい。
 そこから、信仰が深化していく。そして闇を生み出している正体にぶつかる。それは「自力の菩提心」そのものだったというのが親鸞の結論だろう。自分を救うはずだった菩提心こそが、闇を生み出していたのだ。そこで親鸞は菩提心に死んだのだ。菩提心に死んで、まったく違った仏教に復活した。それが「他力の信心」である。
 闇を生み出していたのが「自力の菩提心」だと気づいたとき、その闇は雲霧へと転換された。雲霧であれば、その下を自由に歩くことができる。闇が雲霧へ転換したということは、闇を生み出していた構造が解明されたということを意味する。自力の菩提心とは、煩悩だったのだと気づいたのだ。まさに菩提心とは貪欲である。つまり、自分の気に入った生の意味、自分にとってとても輝かしい未来、安定して安心の未来というものを貪っていただけだのだ。理想のサトリとは、貪欲が向こうに描いた画餅である。
 ここで初めて阿弥陀さんが登場する。煩悩のものをすくい取りたいという絶対の慈悲だ。サトリを求めて一歩でも自力で動こうとしたら、それは阿弥陀の慈悲を疑うことなのだ。自分の足で救いへ近寄っていける人間を阿弥陀さんは目当てにしていない。自分で一歩たりとも動くことのできないものだけが救いの対象である。自分で動こうとする意志が死ぬ。そして阿弥陀にまかせるという世界へ出る。
 まかせてしまえば、いま目の前に展開している世界は、まかせた後の世界になる。つまり、苦楽の境遇もまかせた上での境遇になる。自力の菩提心では、自分が楽になったり、安心したりする世界を求めていた。それは楽だからまかせるというまかせかただ。それは阿弥陀さんにすべてをまかせてはいない。楽ならまかせるが苦がやってきたらまかせないという損得根性である。阿弥陀さんにまかせたうえは、苦がくるか楽がくるか、それはまかせた上でのことだ。
 どちらも阿弥陀さんの与えてくれた〈いま〉である。その与えられた〈いま〉に対して、これまた煩悩で不平不満が溢れ出てくる。ここは、貪欲(むさぼり)と、それが遮断されたときの瞋恚(怒り)と、達成されなかったときの後悔(愚癡)の渦巻く娑婆である。自分で自分が嫌になるほどの煩悩だらけの世界だ。煩悩に日々馳せ使われてヘトヘトになっている娑婆世界だ。しかし、そこから一歩たりとも抜け出ることができない。
 その煩悩にヘトヘトに疲れ切っているもののために慈悲を投げかけてくれるのが阿弥陀さんだ。
むしろ煩悩がなければ、阿弥陀さんと出遇うことができないのだ。煩悩は厄介だから、阿弥陀さんとの橋渡しをして下さる大切な要素である。信仰のマンネリ化も煩悩が引き起こすものだからありがたい。
 マンネリ化があるから、それが破られる悦びをいただけるのだ。人間は「わかって」しまえば、「わかったもの」を馬鹿にする生き物だ。「わかったもの」を見下すのだ。自分の知の手でつかみ取って、我が物にしたかのような錯覚に落ちる。「わかったもの」に対して、もはや人間はトキメキを感じない生き物だ。傲慢な生き物だ。
 だから、阿弥陀さんは決して、私の前に正体を現さない。現してしまえば、それで凡夫は見捨ててしまうからだ。決して正体を現さないという形で自分の存在を凡夫に暗示する。どれほど阿弥陀さんを凡夫が思い描こうと、そこには〈ほんとう〉の阿弥陀はいない。そこにはいないよと教えることだけが阿弥陀さんの存在証明なのだ。
 
2014年4月15日●
先日の法事でお会いした高橋さんは介護の仕事をされている。いろいろと聞いてみたら新潟(三条市)で、重度の障害者用の車椅子を作られているという。それこそ、すべて手作りで、一人一人の状態に合わせて、5ミリ単位で削ったり、角度を変えたりで個人にぴったりフィットした車椅子を作っているのだという。
車椅子といえば、既製品のものしか知らなかったので、驚かされた。さらに、彼はお寺にも顔を出し、仏法にも親しんでおられた。仏法があることで、自分の生きることのブレが少なくなっているという。
優しい方で、障害者の方々のなんとか手助けはできないかと日夜考えられていた。それでこっちがしてあげたいと思っても、向こうはさほどそれを望んでいないことが多いとも言われた。どうしても、こっちはしてあげたいという思いが強く、向こうの立場に立つことが難しいともおっしゃっていた。
いまでは、障害のある方々に会うのが楽しみになってきたという。朝目が覚めて○○ちゃんに会えるので嬉しいのだそうだ。それはもう意識もないくらいの障害の方でもである。お会いすることで、自分自身が教えられることが多いのだそうだ。むしろ障害のある方のほうが阿弥陀さんに近いのではないかと思ったともいう。お話を聞いていて、よく仏法が染みているひとだと感心した。
身体は実に正直で、できることとできないことが明瞭に別れる。障害が努力して少なくなるひとはそうしなければならないが、努力しても機能的に無理な方もいる。その方々に努力しなさいというのは酷だ。実に身体は正直だ。
以前、星野富弘さんが書かれていた。「不自由と不幸は結びつきやすいけど、不自由と不幸は違う」と。この言葉に出会ったときハッとさせられた。私たちは不自由、つまり障害のあることは不幸なことだと、何の疑問も持たずに考えてしまう。ところがそうではないと富弘さんはいう。立ち止まって静かに考えてみればそうなのだ。不自由を不幸と解釈するのは、人間の「思い」である。もっといえば評価だ。
 大雑把に人間を見ていると、「常識」という砦に立てこもることになる。「不自由は不幸だ」と解釈する砦にだ。現代社会は資本主義社会だから、「役に立つものは価値があり、役に立たないものは価値がない」という差別観念の社会だ。それは恐ろしい観念だ。
 まあ、常識では障害はない方がよいのだろう。ただ、障害のある方の側に属したならば、そんなことは言っていられない。「身の事実」がそうはいわせない。
 障害を排除して生きようとする思いは、「身の事実」から、老・病・死を排除して生きようとすることにつながっている。ところが、老・病・死を排除したら人間の「身の事実」は成り立たない。青春の一時はそれでよいかもしれないが、人間をトータルに見たとき、それは成り立たない。
 ある牧師さんから伺ったことが印象的だった。その方は重度の障害児をもったお母さんの相談に乗っていた。最初、お母さんは「なんでこんな子を生んだのか。他の子どもたちは五体満足なのに、どうして自分に障害児が生まれたのか」と嘆き苦しむのだそうだ。この子と一緒に死んでしまいたいという方もおられるそうだ。
 しかし、また継続的にお話を聞いているとお母さん自身が変化していくという。「いままで、なんでこの子を授かったのか苦しんできました。でも、この子を残して死んでいくことはできません。いえ、この子を育てるために私は強く生きていかなければいけないと思います」という。お母さんが変化したのだ。
 それも通りすぎると、また変わってくるというのだ。「この子を授かったお蔭で、他のお母さんには体験することのできないことを体験させてもらっています。もしこの子と出会わなければ、大切なことに気づかずに生きてしまいました。いまではありがたいです」と。
 お母さん自身が変化していくことで、この子とともに生きていこうというふうに深化していったのだ。
 事態は相変わらず不自由には違いなのだろう。大変な苦労をしておられるのだろう。しかし、その生活は不自由であっても不幸ではないと思える。その見極めがつけばよいのだろう。
 「思い」と「身の事実」のギャップに人間は一生かかずりあっていかなければならない。でも、帰るべきところはいつでも「身の事実」である。「思い」のほうではない。幸福も不幸も、「身の事実」とは無関係なのだ。いつも「思い」が幸不幸を決めているに過ぎない。この「思い」が人間にはとても厄介な存在だ。実は「思い」こそが盲点なのだ。
 目の前に広がっている世界は、自分が見ているとおりの世界という思い込みを生むからだ。目の前に広がっている世界は、物理的に客観的に存在している世界ではない。どこまでも主観的に自分の思いで受け取った観念の世界なのだ。
 このように自分の「思い(主幹)」と「世界」を剥離しなければならない。夕日を見て、美しいなぁと感じるひともいれば、もの悲しいなぁと感じるひともいる。それは夕日自身には関係のないことである。
 果たして、自分にこの世界が、そして人々がどう見えているのか。それを仏前に座って、静かに確かめなければならない。
2014年4月13日●
私の出会った、或る新宗教の信者はインテリだった。「この世」でおこなったことは、すべて「あの世」での生活のポイントになるから、「この世」での生き方が大切だと語っていた。その人は、「この世」の仕事を生き生きとこなしていた。とにかく生き生き、はつらつと仕事にいそしんでいたのが印象的だった。なぜ、そこまで生き生きと仕事に励めるのかといえば、その人は「この世」のことはすべてプロセスであると受け止めていたからだ。「この世」で成功したことも失敗したことも、それは「この世」で決定的に評価されるわけではない。成功したからといって有頂天になることはない、また失敗したからといって絶望する必要はないと達観しているのだ。すべては「あの世」で正しく評価されるのだから、「この世」での成功・失敗に一喜一憂する必要はないという考え方だ。
こういう考え方に立てば、「この世」のことに一喜一憂しなくて済むのだろう。
元気に生き生きと生きているのだから問題はないようなのだが、その話を聞いていて、どこかにしっくりこないものを感じていた。
そしてそれを親鸞の信仰世界と比較してみた。すると、その「生き生きとした生」とは、19願の世界ではないかと思い至った。19願とは「臨終来迎」を期待する信仰である。天台浄土教の源信が生きていた世界である。つまり、いのちは六道をグルグルと輪廻して生れ変わり死に変わる。生まれ変わりして、地獄へ落ちるのではなく浄土へ解脱していこうとする信仰だ。「この世」のおこないが清く正しい場合には臨終に阿弥陀様や諸菩薩たちが現れてお浄土へ迎えてくださる。しかし汚れて間違ったおこないの場合には地獄へ落とされる。だから、「この世」でのおこないが大切になってくるという発想だ。
これは中世の人々の「臨終来迎」信仰だと思っていたのだが、そうではなかった。現代でも新宗教では、そういう信仰になっているようだ。「臨終来迎」思想は、「この世」でのおこないが大切になってくるから、「この世」では倫理的な規範に沿う形で生きることになる。「臨終来迎」思想は、おぞましい信仰ではなく、人間を生き生きと元気づける信仰だった。
これが人間を生き生きと元気にするのであれば、これでよいではないか。親鸞がわざわざ18願が真実の信仰だという必要はないのではないか。でも、親鸞の信仰ルールは、〈ほんとう〉か〈うそ〉かであるから、どうしても19願の信仰にもの申すことになる。たとえ人間を生き生きと元気づける信仰だったとしても、それが〈ほんとう〉の信仰かと問われれば、ちょっと待ったといわなければならない。
19願の信仰は、「あの世」を期待する信仰である。「あの世」こそが〈ほんとう〉の評価を受ける世界だと信じている信仰だ。
ところが18願の信仰は、「あの世」ではく〈いま〉がすべてでなければならない。「あの世」のために〈いま〉を手段として利用するのではなく、〈いま〉ですべてが尽きていなければならない。〈いま〉以外を生きてはいけないのだ。
〈いま〉をしっかり受け止める信仰と、〈いま〉はどこまでもプロセスと考える信仰の違いを明確に指摘したのが親鸞ではないか。19願の信仰で何がいけないのか。それは〈いま〉を〈いま〉として生きていないからである。〈いま〉の現状を否定し、プロセスと見ることによって来るべき未来に何事かを待望しようとする。18願の信仰からいえば、未来に何事かを期待するのは煩悩の仕業である。つまり貪欲である。未来に御利益を期待する待望信仰である。
未来に何事をも期待しないのが18願だ。阿弥陀さんの来迎を必要としないのだ。もっといえば「あの世」を必要としないのだ。浄土を必要としないのだ。
〈いま〉がどれほど自らの欲望に適っていようと、あるいは絶望の状態だとしても、そのいのちのあるがままの事実を、これでよかったのだと受け止められるのが18願の信仰だ。
18願の信仰は、生き生きと元気を出して生きるものではない。親鸞の正信偈を借りれば、曇天を生きるのだ。親鸞は「摂取心光常照護 譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇」と歌う。「摂取の心光、常に照護したもう。譬えば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇無きが如し」と。阿弥陀さんの愛は常に私を照らしているけれども、たとえば太陽が雲に隠れているようなものだ、真っ暗闇ではないけれども、曇天の明るさだという。そんなにすっきり晴れ渡った青空のような世界を生きるものではない。曇天だ。
歎異抄第9条を借りれば、「いささか所労のこともあれば、死なんずるやらんと心細くおぼゆることも煩悩の所為なり」だ。ちょっと体調を崩したりしたら、死んでしまうのではないかと不安になるのも煩悩のはたらきなのだという。また「浄土へ急ぎ参りたくそうらわんには、煩悩の無きやらんと怪しくそうらいなまし」ともいう。急いで阿弥陀さんの浄土へ行きたいなどというのは、煩悩がないのではないかと怪しく疑わしく思えるではないかというのだ。
ぐずぐすウロウロ不安になったり、倦怠感に打ちのめされてみたり、あるときには絶望的な気分になったり、そういう世界が18願の世界なのだ。
なぜ、そのようになることができるのか。その裏側に阿弥陀さんの愛が裏打ちされているからだ。待望される「あの世」などへ行く必要がないのだ。〈いま〉がすべてなのだ。
「この世」を生きることがプロセスで、それらが「あの世」でのポイントに加算されるなどという物語を信じる必要がない。
〈いま〉に全過去と、全未来をぶち込んで、その〈いま〉をいただくのが18願ではないか。
〈いま〉という時も阿弥陀さんからいただいたものだ。倦怠も不安も、あらゆることが阿弥陀さんからいただいたものとして受け取るのである。
言い方を変えれば、〈いま〉阿弥陀さんと出会っているのだ。〈いま〉浄土に出会っているのだ。死んでからという未来の時を待望する必要がない。
 あるがままに煩悩が展開する。そのあるがままの展開が、ありがたい。一瞬たりとも煩悩の外に出ることができない。阿弥陀さんがあるから、倦怠にも不安にも絶望にもなることができる。こんなに安心感のある世界はない。

2014年4月11日●
■ようやくウインドウズXPからウインドウズ7に乗り換え、「つぶやき」も更新することが叶いました。全然更新されないじゃないか!とお叱りも頂きました。申し訳ありませんでした。「つぶやき」ファンの皆様、長い間お待たせしました!■

親鸞は「聖道の諸教は行証久しく廃れ、浄土の真宗は証道いま盛りなり」(『教行信証』)で述べている。「聖道の諸教」とは、旧仏教を指している。旧仏教の教えは、「修行」も「証(さとり)」も、決定的に廃れている。しかし「浄土の真宗」だけが「証道(さとりのみち)」が盛んなのだという意味だ。
 これを親鸞が書いた時期は特定できないが、おそらく30代の島流しの前である。旧仏教の弾圧を契機にして、自分たちの「浄土の真宗」だけが盛んなのだと主張しているようだ。「浄土の真宗」を信仰しているひとは、数字的にいえば微々たる人間に過ぎない。数としては、圧倒的に旧仏教を仏教だと考えいるひとたちが多い。その中で、何をどうとらえて親鸞は「証道いま盛りなり」と語ったのか。 
 何が親鸞をして、そのように語らしめたのか。何か、負け犬の遠吠え的な感じをもって、この言葉を読んでいた自分が問われた。
 そして、いま思うことだが、微々たるものの中にこそ真実は宿るということがわかってきた。
 真宗教団の寺々へ頼まれてお話をしにいくことがある。どの寺へいっても、聞いているひとは多いとは言えない。むしろ、少ないのだ。その現状を見て、「こんなに少なくてよいのか」と嘆きの感情が起こってきたのである。なぜそう感じるのか。それは、蓮如が言うように「人の多くあつまり、威の大なる事」(『蓮如上人御一代記聞書』)が真宗の本来性だと錯覚していたのだ。蓮如さんの言葉を正しく引けば「人の多くあつまり、威の大なる事にてはなく候う。」である。
 もっといえば、真宗が流行し人々が多く参集し、教団が大きくなるということは間違っているということだ。それはどこかで真宗の誤解が起こっているということだ。
 真宗はこの世で唯一正しい教団だ、自分たちしか間違いのない教団はないのだという考えが起こってきたときには、大いなる誤解をしていると考えなければならないという戒めである。
 だいたい、真宗は人間の理解が及ばないところにある。つまり人間にとっては不可解きわまりない教えなのだ。
「親鸞は父母の供養のために一遍たりとも念仏したことがない」(歎異抄)とか、蓮如上人は、「他宗には親のため、また何のためとて、念仏をつかうなり。(親鸞)聖人の御流には、弥陀をたのむが念仏なり」(『御一代記聞書』)といってのけるのである。
 人間が「これが宗教だ、これが真宗だ、これが正しい供養だ」と思っていること自体を問題にしてひっくり返すのだ。
 そもそも親鸞は、なぜ阿弥陀如来が本願を発されたのかと問いを出して、それにたいして「仏意測り難し」と答えている。つまり、阿弥陀さんが何を考えているのは私にはさっぱり分からないというのだ。分からないものを信じるなど人間にはできる相談ではない。 仏法の話を聞いても、分かるような分からないような、そういう感情が起こってくる。でも、その感じ方が正しい感じ方なのだ。「これで分かった」ということになってしまえば、もう仏法とは縁が切れてしまうのだ。
 人間は「分かった」ものに対してトキメキを感じない。知ってしまったものに対して、感動しないのだ。仏法とはときめきである。それがなくなった仏法は仏法ではない。
 それでは仏法は分からないのかといえば、分からないということでもない。曽我量深先生は「感応動交」だとおっしゃった。分からないけれども、体が感じるものが仏法だということだろう。
 だから、お話に行って参加者が少ないことを見て、私は目の前の方々が選抜された方々だと直感した。普通の人間には通じない仏法をどこかで感じて下さって、参加して下さっているのだから、これは選ばれし人々なのであった。 
 そういう世界を親鸞は「証道いま盛りなり」と表現したのではないか。弱小勢力が真宗なのだ。たくさんのひとが理解できるようなことは仏法ではないのだ。少数こそ、仏法が盛んである証明なのだ。どこかで、大人数がよいのだ、真宗が理解されるのが当たり前だと考えている自分が、なんと傲慢なことかと教えられた。
 蓮如さんは「仏法は一人居てよろこぶ法なり」(『蓮如上人御一代記聞書』)というではないか。この「一人」という味わいをどう受け取るかだ。
 それは「おれだけわかっていればよい」というものではない。また「自分にしかわからないものだ」というのでもない。ただ、〈ほんとう〉は自分にはないと、ちゃんと真実と断絶できる眼がなければならない。親鸞は、真実は自分には分からない、仏さんのことはわからないと、ちゃんと言い切れたひとだ。この言い切りが実現できるかどうかだ。
 実は、この「わからない」ということは、自分の能力が足りないから分からないのではない。阿弥陀さんが言わしめているのだ。「仏意測り難し」の「難し」とは、親鸞が自分の情けなさを語る言葉ではなく、阿弥陀さんからの「難し」という断絶だったのだ。
 「難し」という言葉を聞けたのが、生きた仏さんの声を聞けたことなのだ。だから、絶大なる感動がその言葉の裏に張りついているのだ。
 「仏意測り難し」だから、もともと人間には分かるはずがないとふて腐れているのではない。「仏意測り難し」という仏さんの声を全身に浴びているのだ。それこそが間違いのない仏さんとの出遇いである。だから、「証道いま盛りなり」なのだ。
 自分の思いの中の仏に出遇うのではなく、自分の思いの通じない世界で圧倒してくる生きた仏に遇わなければだめなのだ。
2014年3月17日●
今日はお彼岸のための「仏具お磨き奉仕」だった。参加された方々は、久保田・大須賀・森下・見谷・高橋・梅澤・丸山・田中・額田・武田・武田・武田だった。寺では年間六回の仏具磨きをやっている。数えてみたら、年に六回だった。そんなにやってたか!?と我ながら驚いた。春彼岸・永代経・お盆・秋彼岸・報恩講・年末にしているから六回なのだ。真宗大谷派の仏具は真鍮製が多く、磨きやすくできている。仏具磨きにはピカールという薬を使う、これをタオルに取って靴でも磨くように磨いていく。するとタオルが真っ黒になる。こんなに汚れていたのか!とびっくりする。それを今度は乾拭きして仕上げる。磨く前には黄色みががっていた仏具が拭きあがると白っぽい輝きに変わる。これがなんともいえず気持ちがよい。これが仏具磨きの醍醐味だろう。
皆で磨き終えて、正信偈をお勤めする。そしてナンマンダブ…とやっていたら、あることに気づいた。自分の口中に外から空気が入ってくることを感じた。それは普通意識することなく自然にやっていることだった。息を吐けば、必ず吸うという行為が生れる。ハーっと息を吐き出せば、今度は吸う以外にない。
このとき空気が口中から胸中へと進入してくる。どこから進入してくるのだろうか。
それは限りない未来からではないか。いまこの世に誕生して、まったく新しい新鮮な空気が胸中に入ってくる。それはつねに新しい。未来から、つまり浄土から胸中へと入ってくるのではないか。すると、私は浄土を呼吸しているのかもしれないと気づいた。
2014年3月7日●
この文章は、ウインドウズXPというプログラムのパソコンで作っている。マイクロソフト社が、サポート更新をこの3月で打ち切ると発表したので、やむなくウインドウズ7が搭載されたパソコンを購入した。
XPは2001年頃からお世話になってきたので、相当なものだ。いままでのパソコンからデータやソフト等を新しいパソコンに引っ越しの最中である。これがなかなか骨が折れる。まだ引っ越し中なので、新パソコンと旧パソコンに乗っかった状態で、股裂き状態になりつつある。
新パソコンのキーボードにも慣れず、文章を作るのはやはり指慣れしている旧パソコンである。そんなことを悟ってか、旧パソコンがちょくちょくフリーズするようになった。旧パソコンは「もう私に用はないのね…」とでも言っているようだ。こうなってくると、単なる機械という領域を超えて、人格化が起こってしまうから不思議だ。
まだ旧パソコンと新パソコンの両方を行き来しているが、もうじき旧パソコンから完全撤退の日がやってくる。あるいは、文章はまだ旧パソコンで作成しようかとも考えてみたりしている。なかなか別れられない。
キーボードも小生の使用しているものは富士通が開発した「親指シフト」というものだ。ニコラ配列のキーボードともいわれている。(多少の違いはあるが)日本語入力に無理なく、また操作性も早くということを考えて富士通が開発したものだ。ひらがな入力やローマ字入力に比べるとタッチするキーの数が少ないので、ブラインドタッチがしやすい。基本はひらがな入力のように、一度キーを押すことで一文字を打鍵できるので、日本語入力には適している。たとえば「東京都江東区」をローマ字入力するとtoukyouto koutoukuと17回キーを押さなければならないところ、親指シフト入力だと、「とうきょうとこうとうく」と11回で済む。まあいままでローマ字入力に慣れているひとは、不自由は感じないかもしれない。要は「慣れ」ということで解消されるような問題でもある。
しかしいまではローマ字入力に圧倒され、親指シフトは風前の灯火というか、後方支援もない難民状態ということらしい。
ところがネットを調べていたら「親指シフト・キーボードを普及させる会」なるものを発見した。そこに賛同者リストがあった。作家では「新井素子/飯野文彦/内田康夫/太田忠司/折原一/笠井潔/久美沙織/高斎正/斎藤純/佐々木譲/妹尾ゆふ子/菅浩江/鈴木輝一郎/高橋源一郎/武上純希/西澤保彦/貫井徳郎/野村正樹/服部まゆみ/牧南恭子/矢作俊彦/山田正紀/渡辺容子/姫野カオルコ」が名を連ね、「脚本家・映像作家・ライター」としては「伊佐治弥生/金春智子/島田満/菅良幸/園田英樹/高屋敷英夫/戸山田雅司/中弘子/丸尾みほ/雪室俊一/茂清伊作」が名を連ねていた。
小生の知る限りでは、他にも「ジェームズ三木・三浦綾子」と「親指ヒュンQ」という無料ソフトを教えてくれた大澤真幸がいる。
親指シフトを搭載した機械は「富士通」だけである。しかし富士通本社の中でも、親指シフトに対する扱いが微妙なものになっていると聞いた。いわゆる利用者が少ないということは、開発費がかけられないという資本主義の論理だ。言い出しっぺが富士通なので、道義的に途中でやめるわけにもいかないから、渋々機械を開発しているという扱いらしい。これでは賛同者を増やしていくしかないかもしれない。
結構な有名人も親指シフトを使っているんじゃないかと反論したが、その人びとも、ご高齢になっているひともいれば、もうはやご高齢になられる方が多く、先細りという感が否めないというのだ。
しかし、大澤真幸に教えられた「親指ヒュンQ」は、無料ダウンロードソフトで、ローマ字配列のキーボードに焼き付けて使うことができる。これであれば、パソコンを選ばないので、どの会社のキーボードでも親指シフトキー配列で使うことができる。
さっそく、パナソニックのレッツノートにダウンロードして使ってみたが、なかなかの使い心地だった。(Macは問題があるらしいが)これも「慣れ」が必要だが、さほど苦労なく軽快に使えたのでお勧めだ。これには目が開かれた思いがした。親指難民に救済の手が差し伸べられたようなものだ。 とまあ、こういう事情で、「つぶやき」の更新も遅れているという、言い訳のようなものになってしまった。
2014年3月2日●
一瞬一瞬が「答え」である。異熟として与えられた答えである。
結果に対して「なぜ?」と問うても答えはない。というか原因(問)は無数にあって特定できない。
ただ私の意識がそれを受け入れない。そこに苦しみがある。意識が苦しいのだ。意識以外が苦しいことはない。
12因縁の最初は「無明」だから、分からないということだ。最後はわかっている。「死」である。ところが、死とは生者にとって不可知である。
意識で捉えることができない。
生以前も生以後も分からないということは、まさにいま生きていると考えている、この今も不可知なのではないか。
わかったような意識こそが、間違っているのではないか。
何が正常な細胞をガン細胞にさせてしまうのか?そのきっかけは無明である。

この一瞬一瞬の眼前に広がる世界が無明の具体的表現なのだ。
「異熟」という言葉が面白い。これは仏教の存在論ともいえる唯識の言葉である。意味は、「原因とは異なって、結果としていま熟している」ということだろう。ひまわりの種は、花と違った形をしている。原因(種)と結果(花)が違った形をしているが、違った形としていま熟しているというのだ。これが私が生きている「現在」の神秘なのだ。
私が私となってきた原因は「無明」だからわからない。「私」という結果しか教えられていない。
でも、カボチャの原因(種)からひまわりの花は咲かない。ということは、やはり原因(種)と結果(花)は、同質のものでなければならない。これを「等流」という、「等しきものが流れている」ということだ。同質(等流)のものでありながら、しかも違った形(異熟)で存在する。これは存在の神秘だ。

現在をどう受け取るか、どう受け入れるかが仏法だといわれる。生老病死という現事実をどう受け取るかと。
つまり、偶然としてたまわった私を必然としてどう受け取るかだ。世間のことは因縁(関係性)の織りなす出来事で満ちている。それはすべて偶然である。偶然ということに対して、私は一切の責任を負う必要がない。偶然は向こうからやってくる出来事だから。しかし、偶然が偶然のままでは「生きる」ということにならない。
偶然では、存在に責任という重みを感じることはない。形はあっても、それは張りぼての寅のようなもので、内容がスカスカの空洞だ。
親が生れてきた子どもに対して、「あんたが勝手に生れてきたんだから、私の責任じゃない」といったら、どうなるのだろうか。おそらく子どもは、自分自身の存在はスカスカだと軽蔑することにならないか。無責任は無限に連鎖していく。
そのスカスカが必然として受け取られることによって、存在に重みが生れる。生れてきたのは「私の子ども」であり、「私に責任があるのだ」と親自身が必然として、それを受け止めなければ、存在に重みが生れない。
でも、それを親自身が、親自身の努力で、必然として受け止められるだろうか。社会は非情だから、親に養育の義務があると押しつける。それが社会常識であり、人倫の根幹だと押しつける。また、親自身も、押しつけられるまでもなく、自分自身の責任として、何とか必然へともっていこうとする。
人間以外の動物は、そこを本能でやってのける。ところが、理性の動物である人間は、そうはいかない。所詮、家族は幻想のつながりだから、意識的にもっていかなければならない。
言いたいことはこうだ。阿弥陀さんがなくて、偶然を必然として受け取ることが人間にできるのかということだ。もし理性で偶然を必然にもっていこうとすれば、難行苦行ではないか。それは無理強いのような気がする。無理強いで引き受けても、そこには毒が残ってしまう。「なんで私が引き受けなければならないのか」という毒が溶けてはいない。
やはり、人間にとって存在はどこまでも偶然の産物に違いない。それを理性で必然へとねじ伏せれば無理が生じる。どこまでいっても偶然は偶然のままでよい。偶然を偶然のままにしておいて、そのままが必然へと落着く道がなくてはならない。
それは、〈阿弥陀如来の謝罪〉を媒介としなければ実現しないことではないか。
偶然の産物である、自分も、そして生れてきた子どもも、ともに被害者である。その被害者に対して謝罪をしているのが阿弥陀如来ではないか。「お前には罪はない、罪があるのはむしろ私のほうだ」と阿弥陀如来の謝罪を受ける。この愛の謝罪をくぐって、初めて偶然が必然へと転換されるのではないか。
まったく受け取ることのできない私を、受け取れないままに許して下さること、そこにしか必然性は生れないように思う。
阿弥陀如来は、地獄の底にこそいるのだ。地獄の底で待ちうけているのだ。
2014年2月13日●
靖国参拝は共同幻想の産物である。
他国で戦争をすれば、これは侵略と解釈されるのが普通だ。だからそれには言い訳できない。アジアを列強から守るためといっても、それは通じないだろう。
国の問題をもっと身近に引き寄せて考えてみた。
たとえば刑事事件で、窃盗目的で家宅侵入した犯人が、現場で家人と出くわし家人を殺してしまう。しかし、その人間も家人の反撃にあい死んでしまったという場合を考えてみる。家人の家族があれば、故人となった家人を供養するということになる。一方、犯人の家族も個人となった犯人を供養するということになるだろう。
この場合、故人となった犯人の供養をするのは止めろと、家人の家族が要求できるだろうか。韓国はそう要求しているようだ。
だから被害者家族の見えないところで、犯人の家族は供養をすることになろう。この「見えないところで」というのが難しい問題ではある。
加害者が被害者からどうしたら許されるかという問題は感情論だから、許されることはあり得ない。相手を元通り生き返らせられない限り、すべての謝罪は通じない。そこで、近代法では裁判等の手続きをして、究極的には金で補ってきた。日本は韓国への国家賠償は済んだという立場らしい。韓国は済んでいないという立場らしい。後は、国際司法裁判所で決着をつける以外にない。これも両国が裁判をやりましょうという態度に出なければ成立しないという。

安倍晋三首相が靖国参拝をするのは、純粋に国のために犠牲となった方々のみたまにこうべを垂れるためだと語った。だから、他国に対して嫌悪感を抱かせるものではないと。
安倍さんは、純粋な気持ちから靖国参拝を企画されたのかもしれないが、先の例を引けば、被害者家族の見えるところで供養をしたことになる。やはり被害者家族への配慮は必要だろう。しかし安倍さんは、皆に見えるところで参拝したかったし、そうしなければ意味がないと思っていたのではないか。

追悼慰霊という観念についえいえば、靖国神社に「御柱」とか「英霊」と呼ばれる実体があるわけではない。つまり、それは「意味としての英霊」でしかない。英霊にこうべを垂れるとは、いわゆる供養の気持ちであろう。国のために犠牲になられた方々に対して哀悼の意と謝念とを述べることだろう。それは、死者に対する生者の愛情のあらわし方ではあるのだが、突きつめると生者の自己満足になる。どれほど感謝や鎮魂や慰霊だといっても、それは生者が死者に対する思いでしかなく。それはどこまでも生者自身の癒しになり、自己満足の域を出ない。果たして、その供養で死者が慰霊されているか、安らかになっているのかはわからない。確かに供養されて安らかになったという証拠がない以上、その供養は底無しであり、限界がない。ところが人間には限界があるから、どうしてもその供養は生者の「まあ、ここまででいいだろう」という思いの癒しに過ぎないことになる。
ただ、安倍さんにその気持ちがあれば、自分の信仰する対象物に向かって述べるできではなかったか。何の実体もない靖国神社に行って、こうべを垂れる必要はないはずである。まあ共同幻想として靖国はあるから、「霊が存在する」と見えるひとたちにとっては、受け入れられないことかもしれない。それは私の私見であり、安倍さんはそこに英霊がいるのだと考えているのかもしれない。その英霊とどういう対話をしているのだろうか。もし生者の一方的な意味づけとしているのであれば、それはやはり生者の一方的な思い込みの供養に過ぎないことになる。
見えるところでの靖国参拝にこだわるのは、遺族会を筆頭にする集団のご機嫌撮りであり、ひいては票集めを目的としているパフォーマンスとしか思えないではないか。
外交という面からいえば、それは国益という利害の問題だから、パフォーマンスとして靖国に行くか止めるかを考えるべきだ。これは利害の問題だ。国家の長なのだから、国の利害を考えて、「なんで年末のこの時期に靖国にいったんだ。タイミングが悪い」と批判するひともいる。そういう利害の側面で物議をかもすこともある。
遺族会は、国のためにいのちを捧げた人間に対して、国の長たるものは頭を垂れるのは当然のことじゃないかというだろう。国のためにいのちを捧げたひとを何と思っているのかという憤りもあるだろう。
亡き人たちは、戦争の悲惨さを教えてくれたといおうと、無駄死にではなかったといおうと、いまは英霊として私たちを見守っているといおうと、二度と戦をするなと命じているといおうと、突きつめて考えると、生者に対する批判原理以外にしてはならないように思える。
生者が思い描くところに、故人はいないと。「千の風」のようにお墓の前にも、あなたの思いの中にもいないと批判してくるのではないか。
そしてそれが自分のこころの中にどのように納まるのかといえば、私はやはり南無阿弥陀仏のところ以外ではないように感ずる。
阿弥陀とは「無・意味」という意味だから、人間の思い(意味)を「無」として否定し批判してくれる作用である。決して、仏さまには触れ得ないという形で接してくるものである。決して、人間の思いの中に入らない仏と人間の国境を築くことで、両者の関係を明確にし、仏の世界に触れしめる。
浄土には浄土という言葉はない。浄土という言葉は、人間が仏国を仮に名づけたに過ぎない。決して命名することも、意味することも、考えることもできない。まさに「不可称、不可説、不可思議」の領域が「浄土」なのだ。この触れ得ない浄土に触れ得ることだけが、自分を鎮静化させてくる。
ここに帰ってようやく、私は静かに納まる。
歎異抄第16条には「自然のことはりにて、柔和忍辱のこころもいでくべし」と述べられている。この「自然のことはり」というのが、なんともよい言葉ではないか。南無阿弥陀仏の精神に触れると、こころが柔らかく和やかになり、苦渋をちゃんと受け止められるようになるということだ。まあ自分自身を、ちゃんと受け取れるということだろう。
原発も靖国も、そして永遠の平和も、それらすべてが地球とともに消え去っていく時がくる。その時から現世を見つめなおすべきだろう。この世のことはすべてすえとおらない。つまりこれでよいと言えない問題ばかりだ。
人間が生きるということ全体が「問題」を生みだすものだからだ。生きる=問題だ。
それを包みこむ世界がなければ、この世は納まらない。永遠の眼がなければ、この世を安心して生きることができないのではないか。
2014年2月2日●
東京新聞・土曜版の「生きる」が面白い。小生も昨年8月に載せてもらったので、手前味噌の感もあるが、さまざまな執筆者の顔ぶれに、毎週土曜版が届くのを楽しみにしている。先週号と今週号は末木文美士さんの「浄土という問題系」だった。趣旨は、近代は「死者」を観念のうちから排除してきたのではないか、そのことが大問題ではないかということのようだ。
仏教界そのものが「生者」中心の発想で、「死者」を切り捨てているとまで考えられているようだ。こういうふうに述べられている。
「著名な仏教学者が『本来、仏教は死者のためのものではなく、この生をよりよく生きるための知恵だ』などと説き、それが正しいかのように世間に流布した。そこから、僧侶たちまでもが、『葬式仏教は、日本の民俗に妥協した方便であり、仏教の正しいあり方ではない』などと言うようになった。『葬式は死者のためにするのではなく、それを機会に関係者が集まり、信仰を深める場だ』と公言してはばからない僧侶もいる。そんな僧侶に葬式をされるのでは、死者はあまりに気の毒だ」と。
もっとも、釈尊は葬式をしなかったし、仏弟子たちも、葬儀はしなかったらしい。ひたすら自己自身の悟りを目指して修行する集団がサンガ(仏教求道集団)だった。2500年前に仏陀(釈尊)が悟りの内容を人間の言葉で表現したのが仏教の原初形態であるならば、いかに自己自身の悟りを目指すかというのは、仏教の基本形ではないか。
だから葬式も法事も、日常のあらゆることを「自己自身の悟り」を目指すためのきっかけにするという姿勢は仏教がひとに関わるときの本来性ではないか。
末木さんは、そのこと自体が「現世のこと」「生者中心のこと」だけで、死者が切り捨てられていると感じているのだろうか。どうもそのニュアンスが強いような気がする。
震災で多くのひとたちが亡くなった。そのたくさんの死者たちをどう考えるのかというメッセージもあった。
私は死者には、「一人称の死者」「二人称の死者」「三人称の死者」があると思う。
まあ「一人称の死者」とは、矛盾した表現ではある。自分が死者になったときには、死を死として感じる器官そのものが壊れているのだから、「一人称」は成り立たない。ただし、生きているときに「一人称の死者としての自分」を考えることだけは残されている。
問題にできるのは「二人称の死者」「三人称の死者」であり、一番深刻な問題は「二人称の死者」である。
しかしそれすら、生者がイメージする家族の死であることには違いはない。無念の死を遂げた家族を、生き残ったものがどうイメージするかだ。言葉にすると「追悼・慰霊・鎮魂・供養」という言葉に収斂していくようだ。
それらは、生者が死者をどうイメージするかにかかっている。鎮魂・慰霊の儀礼をすることで、御霊が安らかになったとイメージするか、それともまだ無念が晴れず苦しんでいるとイメージするか。
鎮魂・慰霊の儀礼は、生者の愛の形ではあるのだが、死者は苦しみ傷ついているという思いを前提にしている。生者が供養して浮かばせてあげなければならない、哀れな存在だというのだ。これは、生者が死者に関わるときには普遍的な感情であるだろう。これは民俗をも超えた人類普遍の感情ではないか。亡くなったひとがかわいそうだという思いだ。
愛する家族を失った人の思いに、同伴し共感することは宗教家にとって必須の条件だと思う。覚如の『口伝鈔』には次のようにある。
「かなしみにかなしみをそうるようには、ゆめゆめとぶらうべからず。もししからば、とぶらいたるにはあらで、いよいよわびしめたるにてあるべし。酒はこれ、忘憂の名あり。これをすすめて、わらうほどになぐさめて、さるべし。さてこそとぶらいたるにてあれと、おおせありき。」
「弔い」とは、歎き悲しむひとに共感し、酒などを勧めて笑いでも出るくらいにして慰めて帰るものだと親鸞は語っていたという。
これは、生者が死者を失ったときの感情に共感し、その上で、生者が死者をどう考えているかを吟味する知へといざなうことである。同情や共感という感情のレベルで終始してしまったなら、それこそ仏教でもなんでもない。ただのヒューマニズムや鎮魂慰霊に終ってしまう。
それを「生者→死者」という局面から「生者←死者」への局面への転換と呼んでもいいだろう。私たち残されたものが死者をどう見るかという視座から、死者が私たちをどう見るかの視座への翻転である。
この「生者←死者」ということは、現実には不可能なことなのである。死者はすでに亡くなっているのだから、それを生者が云々することはできない。それはあくまで生者の内面での出来事には違いない。
しかし、「生者→死者」というベクトルで見ていたものが、「生者←死者」というベクトルへと翻転すると、違った局面が開かれる。何がわかってくるかというと、生者の自己満足である。死者を成仏したと思って安心するのも、また地獄に落ちて苦しんでいると思って悲しむのも、生者の勝手な思いではないかという内省である。
その段階まできて初めて、「生者と阿弥陀如来」の関係が開かれてくる。
死者をどうイメージするかは生者の勝手な思いであり、生者は死者に指一本も触れることができないということは、死者をイメージすることを断念したことである。もう亡くなってしまった家族に思いですら触れることができない。この大いなる断念が目の前にしているのは大いなる闇である。透明な闇である。
まさにそれが阿弥陀如来である。その闇は実は透明な闇である。そこに人間の感情を入れてはならない。闇という言葉はまだマイナスなイメージと結びつきやすい。もっと丁寧にいえば、透明感ではないか。
それが「たましいが行き詰まる」ということだろう。
行き詰まってみれば、今度はそこから「死者」との関係が再び開かれてくる。親鸞はそれを「還相の菩薩」とイメージしていたのではないか。自分にとって師である法然は阿弥陀如来の化身としてイメージされていた。まさに、浄土から還りきた相(スガタ)の菩薩として。あるいは「南無阿弥陀仏をとなうれば 十方無量の諸仏は 百重千重囲繞して よろこびまもりたもうなり」(『現世利益和讃』)とうたう。
諸仏とは、死しても自分を教え導いて下さる化身という意味ではないか。単に追慕や追悼の化身ではなく、あくまで「教え」を媒介とした存在へと転身するのではないか。
そこまで来たとしても末木さんは、それこそ生者中心の考え方であり、「死者」が入っていないといわれるのだろうか。
2014年1月29日●
「行き詰まる」ということ。
その道に行き詰まって、どんつきまできたら、後はどうする。
行き詰まって、立ち止まったら、横をみる。まわりをみる余裕が生れないか。
ほんとうは、いま、ここはどん詰まりに行き詰まっているんじゃないか。
そう思ったら、広々とした世界を感じられた。
藤原正遠さんのうたが浮かんできた。
「いづれにも 行くべき道の 絶えたれば 口 割りたもう 南無阿弥陀仏」
別に、ナンマンダブツと声が出なくてもよいのだ。南無阿弥陀仏に収めなくてもよいのだ。必ずお念仏が出なければならないと、お念仏にもっていこうとするが、そんな必要はない。それはたまたま出ることもあるだけのことだ。
長生きしようと考えると先が不安になる。人生が、まだまだあると思うと暗くなる。
逆に、いま、ここがどん詰まりだと突き当たってみると、広々とした未来が開かれないか。
いたるところに青山ありをもじれば、人生、いたるところに逆説ありだ。
逆説の味わいがわかってこそ人間に生れた甲斐があるというものだ。
2014年1月26日●
四宝印でいうところの「一切皆苦」は喜怒哀楽の感情ではなく、教えであり、理念である。
人生は悲喜こもごもだから、苦だけではないという意味での「苦」ではない。それは感情としての苦である。仏教の「苦」は、苦という理念である。つまり、悲喜こもごもであっても根底には苦以外にないのだという受け止めである。
そこには人生の究極は何かという問いがある。その究極の、つまり突きつめたところにあるものは苦であるという受け止めだ。
それは、歎異抄第2条の「地獄は一定すみかぞかし」という受け止めと同じである。
いま、ここ、私の居場所は苦悩のどん底であるという受け止めである。それ以外に自分の居場所はないという受け止めである。感情としての悲喜こもごもはあってもだ。
仏教は感情を「慈・悲・喜・捨」という言葉で考えてきた。慈は慈しみの愛情、悲は悲しみ、喜は喜び、捨は他の三つが強烈に感じられないニュートラルな平常心である。この「捨」というのが面白い。何も感じていないのも、感じていないという感情だというのだ。
それはともかく、苦が人生の本質だと仏教は見抜いた。いま目の前には慈悲喜捨のどの感情が起こっていようとも、究極的には苦以外にないのだと受け取る。
もしいま、子どもが生れたとか、結婚間近だとか、思わぬプレゼントをもらったとか、家族が病床にあるとか、明日旅行にいくとか、さまざまな感情経験をしていようとも、その根底には苦が横たわっている、と受け取る。震災がなくともだ。表層の感情がいかようにあろうとも、その深層には苦があるという教えとして受け取る。
苦という通奏低音だ。
普段は、それが覆い隠されているだけだ。ベールに包まれているだけだ。紛れもなくその底にあるのは苦だ。これはペシミスティックな慨嘆ではない。苦という真理なのだ。
眼前に展開する世界を凝視せよ。そのどんな細部にも苦があるのだ。もし、それが見えないならば、大雑把に見ているだけだ。細部に苦は宿る。苦という真理が宿る。
それをちゃんと拾い上げておかなければならない。
救いはないのだ。人間には、永遠に。そう阿弥陀如来は叫んでいるに違いない。
2014年1月23日●
大澤真幸と橋爪大三郎の対談集、『ゆかいな仏教』(サンガ新書)が面白い。読んでみるとなぜ「ゆかいな…」なのか合点がいかないのだが。ややこしさはあっても「ゆかい」ということは感じられないのだが。まあ第2刷が出ているので、現代人には反響が大きいようだ。やんちゃな大澤が先輩の橋爪にいろんな角度から疑問を提示し、それに対して橋爪が応ずるという体裁だ。
対談では現代思想家が出てきたり、一神教との比較が出てきたりと、なかなか立体的な構想になっている。いわば信仰の外側から「仏教」とは何かを解きあかそうという試みではないかと思う。
作者が信仰の内部にいて「仏教」とは何かということを問題にすると、読者には警戒心をもたれやすい。逆に、その方が信頼されるという場合もあるのだが、現代人のインテリ層には警戒されやすい。信は、どこかでうさん臭いというのが「インテリ」の通り相場だ。
現代仏教は宗派仏教になっているから、その宗派から見た「仏教」は御免だというのだろう。どの宗派にも属さない、純粋な知のレベルで「仏教」を覗いてみようというのがこの本の狙いのようだ。二人とも大学の先生(社会学)だから、信仰の外にいるという建て前なのだろう。
脱線だが、そういうインテリは「源流純粋論」に陥っているのだ。源流、つまり仏陀(釈迦)が何を説いたか、そこにこそ純粋の仏教があるので、それから2500年も下った宗派仏教は汚れきっているという考え方だ。まあ、釈迦の語った純粋な仏教を突き止めようとしても、それは無理なのだ。枝葉を落として根幹を取り出せば、よくいわれるのが「四諦・八正道・縁起」ぐらいまでしかさかのぼれないだろう。それをそのまま説明しても、ほとんど面白くない。それらをどう解釈するかという段階になると、これまた濁っていく。
実は、その濁り切った流れの中にしかない純粋をどうやって抽出するかということでしか真理は証明できないのだ。抽出作業をしたのが親鸞だし道元だし日蓮だろう。これは誰かがやってくれるものでもない。ひとがやってくれることでもない。自分自身がやるしかないのだ。自分の前には、自分を生きてくれるひとがいないように、仏教の前には自分が尋ねるべき「純粋な」仏教があるのだ。仏教は時代と時間を超越している。
まあお二人の対話は面白い。
たとえば「慈悲」ということが問題になっている。
「大澤→一般のイメージとしては、慈悲は、たいへん仏教的な用語だと思われている。しかし、初期仏教の中では、それほど重要なものではなかったのではないか、という印象を僕はもっています。個人主義をベースとする仏教において、慈悲は、もともとの仏教の中では、中心的な価値をもっていなかったのではないか、と推測できます。後の大乗の展開の中で、慈悲ということも重要度を高めたのかもしれません。キリスト教と対比させれば、慈悲は隣人愛に似ています。しかし、隣人愛に類することが仏教の文脈の中で言われなくてはならない理由は、本来、ほとんどなかったのではないでしょうか。
橋爪→なぜ隣人を愛するのかと言えば、Godがそう命じるから。命じるから、疑いようもない倫理として、隣人愛は義務づけられる。慈悲はこれに似ているように見えるけれども、いま大澤さんが言ったことには賛成です。大乗は慈悲を非常に重視するが、その前はそれほどでもなかった。ただ大事な点は、慈悲ははじめから、仏教の論理として内蔵されていたと思う。釈尊を信頼し、私も真理をめざそうと思ったひとが仏教者だとして、仏教者と仏教者の相互関係がどうあるかということは、最初からあったはずだ。これは端的に慈悲なのです。仏教者と仏教者のあるべき関係は、仏と仏弟子の関係をモデルにするはずです。」
ここまでは、その通りだと受け取ることができる。
しかし次に橋爪が語る部分がわからない。
「橋爪→釈尊が覚ったあと、人間ではないものになってしまった。人間ではないものになって世界と一体化したんだけれども、その後ふたたび人間のかたちをとり肉体の中に戻ってきた。そしてほかの人間と出会う。覚った場合、自分はない。他者はない。自分と他者の区別がない。そこで誰と出会っても、過去の自分として出会うことになる。私は覚っているから優位であり、相手はまだ覚っていないから気の毒な劣位にあるんだけれども、自分であることには違いないから、自分に対するように手を差し伸べる。覚っていないというネガティブなことでは悲しみであるわけです。だけど、自分であるから慈しみであるわけで、「慈悲」と呼ぶわけでしょう、中国語の場合ね。これは「愛」とは違います。「愛」というのは相手を肯定することなんだけど、なぜ肯定するかというと、キリスト教の場合、価値がないけれども肯定する。価値があるのはGodだけだから。隣人は価値がないんです。でもGodが、愛せよと言った。だから愛する。
「慈悲」の場合には、相手は、覚る可能性があるのです。仏性がある。つまり相手には、ささやかだが、価値がある。この点が異なると思います。」
釈尊が覚ってから人間ではないもの、つまり世界と一体化したというのがわからない。果たして、覚って世界と一体化するとはどういうことなのか。つまり、覚った釈尊の頭の中では、自分と他者の区別がなくなったということなのか、だから、自分を愛することと他者を愛することが同じことになるということなのかもしれない。自己愛そのものが他者愛になっている、それが慈悲の出所だというのだろうか。
この釈尊を浄土教の阿弥陀如来に置き直して考えると、少し理解できる。阿弥陀は救済原理、つまり法(ダルマ)である。それも「永遠の片思い」としての誓願である。その誓願を人格的に表現したものが阿弥陀如来である。だから、阿弥陀にとっては、最初から自己と他者は同一である。「同体の大悲」という言葉がヒントになるのだが、阿弥陀は他者と自己が同体になっている。つまり、あらゆる存在の苦しみをすくい取りたい、つまり愛したい一体化したいという願いを本性としている。この「永遠の片思い」が根底にあって、そのうえで私たちは苦しんでいる。また苦しみから救われたいと思っている。
自分はいま、この世を生きているのだが、それはたとえれば上層のことで、そのもっと根底には如来の慈悲が土台として裏打ちされているということだ。まあ、その視座をもつこと自体が、阿弥陀内的な視座ということになるのだが。だから浄土教の視座に立てば、如来の慈悲なしに我々の存在を考えることができないことになる。お二人の対談で話題になっている人間釈尊ということではもうひとつ理解の及ばないところがある。
他のところで、仏教は完璧な独我論だということが述べられて、そこから対談が展開する。
「大澤→完璧な独我論と、他者がたくさんいる世界とは論理的には、区別がつかないんですよね。完璧な独我論の世界の中には、いろいろな「他者」というか、多数の人間・衆生が登場人物として含まれているでしょう。しかし、独我論というものの定義上、この独我論、あの独我論というものを包括するような世界はもうないわけですから、私しかいない世界と私の他に多数の他者たちがいる世界とを区別できません。」
独我論というと、「ひとりよがりの独我論」と理解されることが多い。しかし、大澤は「完璧な独我論」は他者が同体に包括する世界だと暗示する。つまりユニバーサルというか、他者と自己とが同体になっている世界観のことを直観している。これは、知で仏教を突きつめたところから導き出された仏法の世界観であると思う。この感覚はそうだと肯定されるべきだろう。
「大澤→仏教の場合には、法身は、ときどきおじさんのような姿をとることもないのではないか。どうして、おじさんとしてのブッダもいるのか。これはどうですか。
橋爪→それは、人間の可能性として仏になるという道がひらかれているのに、それがよくわかっていない衆生がいるから、衆生のために出てきているんじゃない?
大澤→法身のほうの善意ということですかね。あってもなくてもいい善意。
橋爪→ブッダは本来、そんなことをする必然性は全然なく、端的にブッダをやっていて、合体していて--
大澤→それでもいいんですよね。
橋爪→全然それで問題ないんだけれど、慈悲というのは覚っている人と覚っていない人とのあいだに働く力学。
大澤→しかしその場合、論理的には、ブッダにとっては、慈悲はあってもなくてもいいような要素ですよね?慈悲があるかどうかということ、あるいは善意があるかどうかということは、ブッダのブッダたる条件には何の関係もない。
橋爪→仏も人びと(衆生)に慈悲をかける義務なんか、特にないといえばないわけだけれども、でも、この世界の衆生を気にかけるという本性を、仏はもっている。そして、不断に働きかけている、というのが大乗じゃないですか。」
ここでも慈悲が問題になっている。
 ブッダが法身であれば、自他同一の身体なのだから、そこに他者に慈悲を起こす必要はないではないかと大澤はいう。わざわざ「おじさん」つまり、ゴータマシッダッタとか、親鸞とか道元とか、そういう人間として存在する必要はないではないかというのだ。
 でも、それが人間の問題ではなく、法身そのものが「あってもなくてもいいような要素」として慈悲を本性としているという点があぶり出されている。これは、浄土教であれば、「阿弥陀のひとりばたらき」とか、親鸞のいう「弥陀仏の御ちかいの、もとより行者のはからいにあらずして、南無阿弥陀仏とたのませたまいて、むかえんとはからわせたまいたるによりて、行者のよからんともあしからんともおもわぬを、自然とはもうすぞとききて候う」ということと同じことをいいたいのだろう。
 私たちが助けてほしいと阿弥陀にすがる以前に、すでに阿弥陀の側が「永遠の片思い」を投げかけてくれていて、それに応じて「助けてほしい」という願いが引き起こされるというわけだ。
大澤と橋爪が、知で仏教を追いつめようとしていくとき、どうしても傾斜していく方向性が浄土教ということになってくるようだ。これは浄土教を持ち上げて、これこそが正しいと正当化したいためにいっていることではない。
 何が人間にとっての〈ほんとう〉なのかということが、少しでも表現され、それに人間のたましいが共鳴されていけばよいのだと思う。〈ほんとう〉というのは、この世には部分でしか表現できない。完璧な表現は存在しない。
 いま、この時点でも、病床に、明日をも知れぬいのちを生きているひとがいるのだ。死に直面しながら、生に喘いでいるひとがいるのだ。「さあこれからだ!」という言葉が叫ばれても、そんな言葉に共感できないいのちがあるのだ。
 最後に大澤はこんなことを述べている。
「橋爪さんの話をうかがっていて、仏教が、この「未だに」のアスペクトと「すでに」のアスペクトの緊張の中で展開したのだな、と思いました」と。
「未だに」という要請からは、「さあこれからだ!」という強制が生れてくる。しかし、それは二の次だ。まず「すでに」という世界に出会っていくしかない。
この「すでに」という世界に出会うことなく、人間は死んでいけないのではないか。
この「すでに」の根底には阿弥陀如来の慈悲が横たわっているのだ。
2014年1月11日●
寺の本堂の正面はガラスの扉が四枚あり、これを通して本堂の内部が見えるようになっている。透明ガラスだから外から仏さんをお参りすることができる。
今朝、ガラス戸が数カ所汚れて白っぽくなっているので近寄ってみると、鳥が衝突した跡だった。羽の形が分かるくらい白い粉がついている。くちばしの形も鮮やかに見えるほどだ。大きさからいって鳩だとわかる。以前にも鳩のぶつかった跡があり、年末に掃除して綺麗にしてあったのに、ふたたび今朝みたら衝突跡があった。カラスはこんな馬鹿なことはしない。ぶつかるのは鳩ばかりだ。鳩はなんと馬鹿なんだと笑っていた。
ところがである。あの鳩と人間はさほど違わないのではないかと気がついた。鳩はガラスが透明だから、まさか衝突するなどは露程も思っていないに違いない。何もないから外から滑空してきて、ガラスに思い切りぶつかって脳震盪でも起こしているのだろう。死骸がないから、おそらく立ちおなって再び空へ帰っていったと思う。
人間も、鳩と同じだ。まさか自分の将来に様々なトラブルがあるなどとは思っていないに違いない。透明だと思って生きてきた自分の将来に、突然大きな障害物が立ちはだかる。その障害物に思い切りぶつかって身動きがとれなくなる。
あの鳩と人間は同じくらい愚かだ。しかし、鳩と人間の違うところもある。人間は、そのことを「愚か」と受け取れるところだ。
鳩と人間の現実はかわらない。相変わらず、透明だと思って生きている。ガラスという障害物があるなどとは思ってはいない。
でも、それでよいのだ。それ以外に生きようがないのだから。すべてをお任して、透明なガラスに向かって滑空していこう。
2014年1月6日●
正月気分もないまま、あっと言う間に1月6日になってしまった。「世間では9連休だってさ、羨ましい」と息子が愚癡っていた。でも、連休だからといって何をやったらよいのか〈ほんとう〉のところはわからないのだ。ただ時間を持て余しているというのが本音ではないか。
仕事をやった日はビールが美味いのに、休日が続くとそれほどでもないのはなぜか。
そこにも「比べる」という煩悩が関与していたことに気づいた。知らず知らずのうちに、まったく無意識に「仕事をやった日」と「だらだらしていた日」とを比べている。それがビールの美味さに反映している。もうすでにそれは身体化されてしまっているということではないか。
その身体化している「比べる」という意識すらをも超えていかねばならない。
「~をした」という思い、「~ができた」という思い、そういう思いこそ「自力のこころ」なのだ。その思いで一喜一憂しているだけだ。
〈ほんとう〉は何もしなくてよいのだ。何もしていなくても、それを喜びに転換できなければならない。病で寝込んだとき、老化でベッド生活になったとき、もし「比べる」という意識をうっちゃることができなければ、ベッド上の自分を受け入れることができない。
本質は、動かない。つまり「零度」なんだ。それが生の原点なんだ。そこへいつでも帰ることができれば、と思う。
2014年1月5日●
終わりの地点から生きはじめる
死ぬという地点に立って生きる。人生の終着点が「死」であれば、その死を念頭に置いて生きる。言い換えれば、「浄土」を念頭に置いて生きる。
ずっと前、任天堂が出したファミリーコンピューター、略して「ファミコン」が爆発的にヒットした。1983年頃である。小生も野球ゲームから、ゼビウス、マリオブラザーズ、ロードランナーとはまった。そして1989年に糸井重里が作った「マザー」にはまった。いわゆるロールプレーイングゲームというやつである。ロールプレイとは、「ロール=役割」を「プレイ=演じる」ということで、ゲームの主人公という役割を自分が演じて、目的地へ進んでいくのだ。
ゲーム中で二人の友だちと出合い、いろいろな街の中で謎をとき、様々な敵と戦いながら、目的を達成していく。
そして、最後のギーグとの戦いに打ち勝ち「完全にクリアー」した。これを通称「ゼンクリ」と呼ぶ。ゼンクリするまでは敵と戦い謎を解き、ハラハラドキドキしながらまったく息が抜けない。やっとのことでゼンクリしたときには嬉しさが込み上げてきて、ものすごい達成感を味わうことができる。ただ、その至福の時間もやがて色あせていく。そして、もう一度初心にかえり、ここまできた行程を辿りなおしてみたい欲求にかられる。
仮に、ゼンクリをめざす方向性を「往相」と呼び、ゼンクリからファーストステージに帰る方向性を「還相」と呼んでみる。
還相をしているときは、一度ゼンクリした場所だから安心していられる。万が一、敵と出くわしても往相のときのようなヒヤヒヤ感はない。結果がわかっているので敵と戦っても安心感が土台にあり慌てることはない。さまざまな街へワープしてみたり、いままで見過ごしてきた街のなかを探索してみたり、これがまたなかなか楽しいゲームの味わい方だった。ゲームの作者も、そこかしこに巧みな仕掛をほどこしてあるから、これも一興なのだ。
ゲームからも人生の極意は学べるものである。
まあ人生をゲームにたとえてしまえば、ゼンクリするのに相当な時間が必要になる。何十年もかかることになる。そこを一気にお念仏の力で飛び越えて、ゼンクリしたことにする。つまり、これから何十年後に目的地を設定するのではなく、たったいま、息の根が止まった次の瞬間に目的地を設定する。というか、いのちの事実は、次の一瞬に死があるのだ。瞬間瞬間にゼンクリしている。
その死から逆に生を見つめる。つまり逆観だ。その視座に立てば生が軽くなる。これから死へ向かう生ではなく、死から逆にみる生へと転ずる。ほんとうは、そこに存在していないはずの自己がいま仮に、ここに存在しているのだ。
これが生の真実ではないか。
まどみちおの「ぼくが ここに」に、その感覚がよく表われている。
「ぼくが ここに いるとき
 ほかの どんなものも
 ぼくに かさなって
 ここに いることは できない
もしも ゾウが ここに いるならば そのゾウだけ
 マメが いるならば
 その一つぶの マメだけしか
 ここに いることは できない
  ああ このちきゅうの うえでは
 こんなに だいじに
 まもられているのだ
 どんなものが どんなところに
 いるときにも
 その「いること」こそが
 なににもまして
 すばらしいこと として」

私たちは、決して自分の死を素直に受け入れることができない。もっといえば、この世の他者がほとんど死んだとしても、自分だけは決して死なないと固く思い込んで生きているのが我々である。その証拠に、今晩には死なない、今晩くらいは大丈夫だと思い込んでいる。それが明日になってれみれば、また「今晩くらい大丈夫」と思うのだ。さらに明後日なってみれば、同じように今晩は大丈夫と思っているのだから、それをずっと延長してみれば、自分は死なないと思い込んでいるとしか考えられない。
それが癌の宣告でもされれば、向こうから死が生の扉をノックする。いつでも死は「自分だけは死なない」という思い込みを打ち破る形で出現する。死の立ち現れ方は、これ以外にはない。
ただいのちの厳粛な事実は、次の一瞬に死があるということだ。思いはそれを拒否しているだけだ。
親鸞は「大信心は長生不死の神方」(『教行信証』信巻)という。どういう意味で親鸞がそう述べたのかはわからない。私は生の方向性が、「死」ではなく「浄土への往生」と変わるといいたいのではないかと考えてみた。
曇鸞さんは大部な仏教経典を勉強するためには長生きしなければならないと考え、仙人の教え、つまり道教を身につけた。曇鸞さんはある種堅実な方法を選んだのだ。ところが、帰り道、三蔵法師にあって、「お前は何を学んできたんだ?」と問われ、曇鸞さんは「仏教を勉強するために長生きするための教えを学んできました」と応えた。すると三蔵法師は、地につばを吐いて「長生きするなんていうのは気休めじゃないか。本当の仏法は死なない方法だぞ」と批判した。これが親鸞の「長生不死の神方」という言葉のヒントではないかと思う。
そもそも死というのは物理的な問題ではない。「死」という観念の問題である。これはよくいわれてきたことだが、私たち人間は自分自身の死を体験することはできない。体験したときには体験する肉体そのものが死んでいるから、論理的に死の体験は不可能なのだ。それでは私たちは何を死と呼んでいるのか。それは他者の死でしかない。家族や友人知人や同僚などの死を目にして、「死ぬとはこういうことなのか」と推測しているだけに過ぎない。自分が体験してみたことではないのだが、そうに違いないと勘繰っているに過ぎない。
ものごとを考えるには、そものを凝視して見つめなければならない。死をわかったことにしてきたが、死とはまだ生者にとって未知の出来事なのだ。だから、私たちは死を噂としてしかしらないのだ。
だから、「死ぬのはいやだ」というとき、あのように死んでしまったひとと同じようになるのはいやだということを言っているのだ。死体は冷たいし動かないし。たぶん暗く悲しく冷たい世界が死なんのではないかと推測しているだけである。
だから、一度、死は体験できないものであり、人間にとって死は観念としてしかないのだと思い切る必要がある。
そこまで退一歩して考えることができたら、「生の方向性」とは何かという次の問題に入る準備ができる。
一般的に「死」は「死ねばお終い」という観念としてある。これは根底にニヒリズムがある観念だ。そこに「往生」という方向性を提起したのが浄土教だ。つまり、生全体がおおいなる物語の中の出来事だと受け取りなおしたのだ。
その物語とは、西方浄土往生物語である。
これは、この場所からどこかへいくという物語ではない。いま、ここ、私という存在の基点がどういう意味世界の中にあるのかと確認することである。社会的な通念としてある「いま・ここ・わたし」を、物語の中に位置づけ直すことだ。「ここ=場所」は、自分を中心にした唯一無二の意味世界であり、「いま=時間」は自分固有の時間意味であり、「わたし=主体」は紛れもない代替え不可能な自分である。
仮に浄土を「死」と言い換えてみる。
浄土は西方にあると経典は物語的に語る。西方とは、〈いま〉ではないということだ。つまり時間的にいえば未来であり、場所的にいえばここではないということだ。主体的にいえば、私ではないということだ。
そこで一番大事なことは、いま、ここ、私という観念を超越に預けてしまうことだ。自分はいま、ここ、私を生きることができないと自覚することだ。まずその観念に死ぬことだ。その死んだ観念を拾ってくださるのが阿弥陀如来だ。
そしてその観念を物語の中に位置づけなおして下さる。
いつかではない「いま」に、どこでもない「ここ」に、誰でもない「わたし」に。
この「わたし」は、阿弥陀如来の物語の中を生きる「わたし」だ。脱皮したての「わたし」。つねに新しく新鮮な「脱皮したわたし」をいただき続ける。
それでお終いかと問われれば、それでお終いと答える。もう言うことは他にないのかと問われれば、無いと答える。その後には永遠の沈黙があるだけ。
ただ、その永遠の沈黙から新しい言葉が生れる。永遠に生れ始める。あ…。
2013年12月28日●
母音のお蔭
人間は、様々な言葉でしゃべる。いろいろな地域の言語でしゃべる。言葉がなければ、他者との関係が取りづらい。言葉があるから、意思の疎通ができるが、逆に言葉があるからそれが災いになる場合もある。言葉は両刃の刃でもある。
現代日本では、子どもの数よりペットの数が多いと聞く。ペットは言葉をしゃべらないから、人間にとって癒しをもたらす。言葉で癒される場合もあるが、言葉だけでは癒されない局面を人間はもっている。複雑なものだ。
今日も言葉をしゃべっていて感じたことがある。それは言葉は子音と母音でできあがっているということだ。カラスであれば、ka+ra+suと発音する。k・r・sは子音であり、a・a・uは母音である。子音と母音が組み合わされないと言葉にならない。
これは私と仏さんとの関係ではないかと感じた。つまり子音は私であり、母音は仏さんである。いかにも自分は言葉を子音だけで話しているようだが、母音の支えがなければ言葉にはならない。「殺すぞ」という言葉も「ko+ro+su+zo」だから、oouoという母音の支えがなければ言葉にならない。暴力言語も母音の支えがある。一方、「愛してる」は「a+i+si+te+ru」となり、「aiieu」という母音に支えられている。愛語も暴力語も、すべて母音に支えられている。どのような言葉にも母音は同伴する。
母音はいつも控えめに子音の後ろに隠れていて自分を顕示しない。それでいていつも子音を支えている。子音は母音の支えがなければ言葉になれないのに、そのことに無自覚である。子音はなんと傲慢であろうか。
2013年12月22日●
他力の信心とは、お釈迦さんとも親鸞ともこころが通じ合うことである。
親鸞は、それを「親友」という関係だと述べた。親友とは、友と友とのこころがひとつに通じ合うことだ。
だから、親鸞が様々なことを書いていても、「そうか、そうか」と頷ける。また親鸞の筆が滑っているところは聞き捨て、言い足りないところは補って受け取ることができる。だから、表面的に、親鸞のことばに騙されることがない。
たとえれば、親鸞の描いた文章は糞である。その糞ばかりを研究していても何のことやらわかりらなくなる。大事なところは親鸞が何を喰って、その糞をしたのかである。親鸞が喰っていたご馳走は、文字に現れてこない。ただ糞から逆に類推することで、察しがつく。
だから、親鸞が言い足りないところ、まだ親鸞が言っていないことを親鸞に成り代わって表現していくことができる。親鸞は鎌倉人だ。現代とは思想的に、異なった時代を生きていた。鎌倉人の関心事に則して親鸞は生きた。だから現代を生きる我々は、親鸞の食べていたご馳走を食べ、現代人の糞をしなければいけない。親鸞の糞を喰ってはならない。
糞ばかり喰っているひとは、「親鸞はそんなことは言っていない」と新たな表現を危険視する。確かにそんなことは言ってはいない。しかし、現代に親鸞が生きていたら、そういうふうに言ったかもしれないではないか。言ったという証明はできないが、言わなかったという証明もできないのだ。
曽我量深が、「これからますます真宗は明らかになっていくことでしょう」ということばは、親友のことばである。親鸞とこころが通じているからいえる事だ。どんどん新しい表現が生れてこなければいけない。また、そのことを恐れてはいけない。
2013年12月21日●
熊本に行ってきた。熊本空港から八代へ、八代市日奈久というひなびた温泉街にある西寳寺さんである。八代真宗保育主任保育士部会という、保育園ではたらくひとたちの集いであった。
テーマは「ひとがひとに成るということ」とした。
人間は「社会人」に成ることが、まっとうなあり方だと思っている。仕事をもち家族をもち、社会貢献のできるひとが一人前の人間だといわれる。仏教は、それもそうだがもっと大切なものがあると主張する。それは、「自分自身に成る」ことである。
その自分自身とは老病死を抱えた我が身であり、それをどう受け止めるかということが自分に成るというテーマだという。
私の最近の考えをいうと、こうなる。
A、人生とは自己対話である。
B、人生とは一生かかって自分自身を受容することである。
C、人生は煩悩によりお育てを受ける道場である。
こう考えると、私はまだ「自分自身」に成っていないと思える。まだその途上である。
今日出会った自分自身は、すでに過去の自分自身だ。まだ出会っていない自分自身がある。未知の自分自身がある。その未知の自分自身をひとつひとつ丁寧に教えられて自分が自分自身に成っていくのだろう。
親鸞は「さるべき業縁のもよおさばいかなる振る舞いをもすべし」(歎異抄)といっている。これが自分自身を教えられる態度だろう。いま自分が何を思い、何を行うか、それは業縁である。つまり宿世からの業の作用である。腹が立つのも宿世からの業縁の作用であり、自分では止めることができない。だから煩悩は大切なのだ。自分でとどめることができない作用こそ業縁のもよおしだ。
この「振る舞いをもすべし」の「べし」は、「しなさい」という命令ではない。「するに違いない」という確信の推量でもない。「してしまうものだなぁ」という悲嘆が混じっている。
仏教では感情を、悲と喜と捨(シャ)で表現する。悲しみと喜びは感情的には激しいものだから、自覚することが容易だ。ただ「捨」という感情はもの静かだから目立たない。ようするに普段の平常心の状態を差している。もっといえば、「当たり前感覚」である。
悲喜の感情だけでは、人間は疲れはててしまう。そこに捨がなければ日常生活は成り立たない。この悲・喜・捨の感情も受動的なものである。自分から起こすことはできにくい。
これも業縁のはたらきなのだ。
私はまだ人間に成っていない。ということは、まだ何ものでもないのだ。まだ人間でも私自身でもない。だって結論が出ていないのだから。結論が出たときに、初めて自分は「人間です。人間に成りました」と過去形で表現することができる。
これは面白くなってきた。まだ何ものでもない状態を「因位」という。「因位」に生きることは、未知なる自分自身と出会い続けることだ。自分の思いを超えた業縁としての煩悩が花開き、それによって引きずり回されて、ようやくひとはひとに成っていくのだろう。
2013年12月8日●
2013年12月7日の東京新聞に千日回峰行を二回された酒井雄哉阿闍梨のことが書かれていた。執筆者は久保田展弘さんで、氏も回峰行者の後を着いて峰々を歩いた経験をお持ちだそうだ。
氏は述べている。「七年にまたがり琵琶湖側から京都側に及んで、一日に四十キロから八十余キロを一千日間駆ける回峰行とはどんな行なのか。それは最初の三年間は、一年に百日ずつを回峰し、四、五年目にはそれぞれ二百日ずつ回峰を重ね、この時点で七百日となる。千日回峰行の半ばを超えたかに思えるこの七百日の回峰を遂げたその日の午後から、行者は無動寺谷の明王堂に籠る。これは二人の僧の注視のもと断食・断水・不眠・不臥をもって九日間、不動明王の真言を十万遍唱え、法華経全巻を読誦する〈堂入り〉と呼ばれる、限りなく死に近いといわれる行であった。生きるための基本を支えるべきもの一切を断絶したこの〈堂入り〉は、自分の苦しみを乗り越えようと重ねてきたそれまでの自利の行から、すべての他者の幸せを願う利他の行へと進んでいくその境界にあった。しかも〈堂入り〉には、毎朝二時に、二百メートルほど離れた地へ桶を肩に水を汲みに行き、仏前に供えるという過酷な儀礼が含まれている。しかしその日の朝私は、唇が乾き、目が虚ろで透き通るような青白い顔を仰ぎながらも、行中跳ぶような身のこなしを見せたその白衣姿を思い浮かべ、この人ならどんな苦行も乗り越えるにちがいないと確信していた。」
酒井阿闍梨は、この回峰行を二度までも遂げている。それはそれは、決して人の真似のできない偉業でなかろうか。そのことをとやかくいう資格は自分には、まったくない。
とかく浄土教徒は、こういう過酷な修行に対して冷やかな視線を送ってしまう。これは難行道だから、特別なエリートであれば達成できるでしょうが、自分たちのような愚かなものにはとても達成不可能だというふうにして。そこから、一気に、どなたでもたやすく実践することのできるお念仏こそが普遍妥当性をもった行なんですよと畳み込む。
それは救いの原理を説明するためにはそれでもよいかもしれないが、どうも難行苦行をしたひとに対する賞賛の度合いが低いように感じる。酒井阿闍梨にしても、そうせざるを得ないからそうしたまでのことだろう。結果がどうだとか、賞賛されるかされないかなどとは次元の違うところに生きているに違いない。
そのへんのところを歎異抄は、さすがに、さらっと書いている。
「われらがごとく、下根の凡夫、一文不通のものの、信ずればたすかるよし、うけたまはりて信じさふらへば、さらに上根のひとのためにはいやしくとも、われらがためには最上の法にてまします、たとひ自余の教法はすぐれたりとも、みづからがためには、器量をよばざればつとめがたし、われもひとも生死をはなれんことこそ、諸仏の御本意にておはしませば」(第12条)と。
私たちのような下劣な者は南無阿弥陀仏で十分なのだから、優秀なひとにとっては、南無阿弥陀仏が卑しい法だと思われても、それはそれでよいではないか。私たちにとって最上の法だと受け取ればよいだけのことだ。たとえ南無阿弥陀仏以外の法が優れているといっても、私たちにはとても勤めることができないのだから。私もひともみんな娑婆の苦しみから救われることだけが仏さんたちの願いなのですから、法の違いで争うことはいらぬことだという。
修行の問題を考えるときには注意がいる。そこには「行為の次元」と「思いの次元」とがある。その二つをを分けて考えなければならない。千日回峰行ができるかどうかは「行為の次元」に属する。体力知力などは行為の次元にある。行為の次元は仏の次元にあり、それはとても尊いことである。しかし、その行為を「思いの次元」でどうとらえるかが仏法の問題である。
修行をした自分をどう受け取るかだ。行為は、つまり修行はそれをしている間は清浄であり、聖なる次元にある。ただ修行を終えてしまえば、消えてなくなるわけだから、俗そのものに舞い戻る。そのとき、行為をした自分をどう受け取るのだろうか。
私たちは「生きる」ことそのことが修行だと受け取っているから、生きるという行為そのものは諸仏の次元に属している。つまり救われているのだ。ところが「思い」が救われないのだ。貪り、腹立ち、嫉み、妬みとは、「思い」の次元にある。これが「行為」をいろいろと陰らせてしまう。〈ほんとう〉に救われなければならないのは「思い」である。
2013年12月6日●
一遍は、ある意味で、法然の思想を突き詰めた極北である。
とにかく南無阿弥陀仏だけが真実だと語る。人間のとなえようとする努力とか、心掛けとかは一切不要だという。そんなことにとらわれず、とにかくとなえよという。
となえる力も南無阿弥陀仏からくるはたらきだと考えている。となえた結果も、すべて南無阿弥陀仏から与えられるので、そこに人間の意志を差し挟んではならないと考える。
法然が南無阿弥陀仏のとなえやすいように生活すべきというのは、そういうことだろう。
一遍は法然が理想として導き出した念仏者の具体像ではなったか。いかんせん法然にはそれができなかった。それは法然の持って生まれた業である。「知恵第一」といわれるほどの知性があり、身分の上下を超えて尊ばれてしまった彼の業がなせるわざである。
おそらく法然は自分の置かれた状況を見て、ため息を漏らしていたのではないか。本当の理想とするところは、一遍の形だったのではないか。一遍は法然からすれば、曾孫弟子に当たるから、ふたりが出会うことはなかったようだが。
一遍は、『仏説無量寿経』に出てくる上輩・中輩・下輩を独自の受け取り方で解釈する。上輩とは、「捨家棄欲」(家を捨て欲を棄て)することができるひととして無量寿経には出てくる。つまり信仰的には優秀な求道者の姿として描かれている。しかし一遍は、それは物理的に捨てることではなく、精神的に捨てることだと受け取る。そして上輩とは家庭を持ち家を持っていても、それに執着しないひとのことだと解釈する。中輩とは家庭は捨てるが家が捨てられないひとだ。さらに下輩とは家庭も家も捨てられないひとだという。自分は、その下輩だと考えている。
つまり家庭も家も持っていれば、それに執着してしまうのが自分だと認識している。だから、執着を起こさないように、あえてそれらを所有しないようにする。それに比べて、家庭や家をもっている修行者は、信仰的にみて優秀なんだという。彼らはそれらを所有していても執着していないのだからと。
そのとき一遍のみていた人物像は誰だったのだろうか。想像だが、それは親鸞ではなかったか。親鸞と一遍の年齢差は66歳だ。つまり親鸞が関東から京都へ戻った頃に一遍は誕生している。それから親鸞は20年間を京都で暮らすのだから。一遍が親鸞を知らなかったということはない。
親鸞は家族をもちながら、しかも念仏者集団のオルガナイザーとしてあった。一遍は、自分はああはなれないと思ったに違いない。だから、妻と子を連れて日本を流浪した。これは念仏者としてはダメな生活形態なんだと重々知りつつである。自分の生活形態を真似をするようではダメだと考えていたに違いない。こんな念仏者の形態は、自分で終わりにさせなければいけないとさえ思っていたのではないか。
まあ、そんな風変わりなお坊さんが一人くらいいてもいいだろう。だが、一遍を慕って、やがて「時宗」という集団ができあがる。これも人間という生き物のサガだろう。
それに比べて親鸞はどうか。親鸞自身のことはわからないのだが、私が想像すると親鸞は家庭があってよいのか、なくてよいのか、その判断を任せてしまっていたのではないかと思う。一遍のいう「捨てる」という傾向は、親鸞にはなかったように見える。親鸞にとっては、「捨てる」ということが菩提心ではないと考えられていたから。「捨てる」のも煩悩だと受け取られていた。だから「捨てる」という思いも捨てるというとにならなければ〈ほんとう〉ではないだろう。
一遍も、そういう段階まで行ったのだと思う。それが「踊り念仏」である。あれは、「捨てる」という意志すら捨てて、念仏と一体になった動きをすることである。
この段階を親鸞の受け取りでは20願の段階という。誰が称えるということでもなく、忘我の状態で「一心不乱」に称えるのだ。世界的にみても、宗教が導き出すひとつの典型的な類型が20願の宗教である。
その「捨てる」ということを突きつめていくと、180度の翻身は達成できる。家庭も家も財産も捨てるのだから、周りの人からみればわかりやすい。ところが、360度の翻身はまわりからは見えない。見方によれば、欲望生活へ舞い戻って堕落しただけだとも見える。
この欲望生活が、聖なる生活だとどこでいえるのか。
そこに仏さんへのおまかせがあるかないかが問われる。煩悩を汚れたものと見るか、煩悩を押しいただいて生きるかである。
欲望と煩悩は違う。欲望は生理的な欲求である。食欲・性欲・意欲は本能的なものだ。それは煩悩ではない。煩悩とは、「欲望に煩わされ悩まされている状態」を意味する。だから、煩わされ悩まされるということがなければ、それは煩悩ではない。
欲望が煩悩として自覚された生活をこそ宗教生活というのである。煩悩である限り、そこに苦しみがともなう。その苦しみが揺り動かしてくる方向にこそ信仰がある。
苦しみの原因が煩悩だと思っていたのだが、そうではなかった。苦しみを通して、煩悩を通して、苦しまれている阿弥陀如来に出遇うのだ。煩悩に苛まれているものにこそ阿弥陀は寄り添う。この慈悲に触れることによって、初めて汚らわしい煩悩生活が、押しいただけるようになる。煩悩生活は阿弥陀如来と出遇う、出遇いの場だったのだ。
そして自分を教えてもらうための教育の場だったのだ。
日々新鮮に煩悩を教えられ、日々新しい自分を教えていただくことが始まる。今日という日は、私がこの世に生れて初めて目を覚ました、私の誕生日なのだ。
2013年12月1日●
法事のとき、大人たちに連れられてきた幼子たちが本堂のなかを走り回ったり、わめいたりしていた。大人でも退屈なのだから幼子なら無理もない話だ。しまいにはとうとう大声で泣きだす始末。これでは到底、読経の声も聞こえない。
こんなことは、よくあることで、「だから子どもは困る」とか「子どもを法事に連れてくるな」とは思わない。この場所にも仏法が流れているのであれば、ここにも仏法が展開していなければならない。そこから仏法をどうやって汲み取るか、だけだ。
子どもは、やむにやまれずそうしているに違いない。もはやジッとしてその場にいることができないのだ。それで走り回っている。
やがてあと十年も経てば、走り回ってくれと頼んでも走り回らなくなる。〈いま〉この場所でしか、そういうことは起こらないのだ。だから尊い姿である。
彼らを走り回らせているものは何か。それは好奇心である。好奇心が一時も彼らをジッとさせておかないのだ。
それで仏典の中には、菩薩を「童子」と比喩的に表現しているのではないか。菩薩は好奇心に突き動かされて止まることのない存在だ。好奇心は、単なる好奇心ではない。それはまさに菩提心である。菩提心とは、人間を突き動かす好奇心の親玉みたいなものだ。〈ほんとう〉を知りたがっている好奇心だ。表層的な好奇心は、ものを知ってしまえば満足して停止してしまう。菩提心は、知っても知っても満たされることがない。永遠の好奇心である。知っても知っても、まだ不満、まだ不満だと、どこまでも人間を突き上げてくるものである。
そんなことを考えていたとき、本尊が立ち姿であることが、より一層輝いて見えた。あの立ち姿は、もはや、やむにやまれず立ち上がり、娑婆に降りてきて私たちを助けずにはおかない慈悲の姿だったのではないか。
そうせずにはいられない、やむにやまれないあのお姿と、幼子たちがやむにやまれず走り回っている姿が共鳴した。立ち姿の阿弥陀さんは、もはや浄土でジッと坐って悟りに安住していることができなくなったのだ。その座から立ち上がって、いてもたってもいられず娑婆に現れたのだ。私たちを目覚めさせ、揺さぶり続け、〈ほんとう〉に気付と。
幼子たちが走りまわって、私に阿弥陀さんのはたらきを教えてくれたのだ。生きた阿弥陀さんのはたらきを見たような気がした。
2013年11月27日●
人間は客観的な時間を生きることができない。
客観的な時間とは、時計やカレンダーの時間である。これらは、これから行動を起こすまでの時間を知るためのツールである。予定や計画を実行するまで、どのくらいの時間があるかを知るためのものだ。また過去を知るためのツールでもある。あれからどれくらいの時間がたったとか、何年前に仕事をやめたとか。
それでは、〈いま〉を流れている時間を生きることができるだろうか。それはできないのである。年表や日記や日表ならば書けるが、秒表は書けないからだ。
この「時間」というやつは、人間が「時間」と命名した意味に過ぎない。いかにも客観的な時間があるかのようだが、それは社会通念上便利だから、仮にもうけた意味空間でしかない。人間に社会がなければ時計は不要だろう。人間関係がなければ、時計は不要だろう。
もし客観的な時間があるとして、私たちは「これが時間だ」と感覚したとき、それは客観的な時間より少しあとの時間を体験することになる。ビビッドな時間ではない。それなので、私たちが体験できる時間とは「時間が流れた」と受け取るときに発生する「時間意味」ではないか。
考えれば、地球が誕生した46億年まえから、2013年の現在までの時間が流れたようにイメージできる。それは自分が〈いま〉目の前にしている「時間意味」内部のことである。〈いま〉百歳のひとにとっての100年とは、どこにもない。百年を生きてきたとイメージするときに感ずる「時間意味」があるだけである。
「時間意味」は、客観的な時間とイコールではない。だから、苦しい時間は長く感じ、楽しい時間は短く感じる。これらも人間特有の「時間意味」だから起こる現象だと受け止められる。
そうやって改めて考えると、我々は「客観的な時間」を生きているのではなく、「時間意味」という意味現象を生きているのではないか。
そうすると、「時間意味」は、個人個人で異なっていて当たり前だ。70歳でも若く感じられる人もあれば、年相応のひともあり、やけに老けているひともいる。ひとによって時間の流れ方が違ったと考えてもよいのではないか。誰においても平等な時間の流れなどはないのではないか。
さらに自分が時間を感じるときの時間は、やはり、常に〈いま〉の時間である。この文章を書き始めた時間と、この行まで書いてきたときの時間とは客観的にズレがあるはずだが、いま目の前の文字を書くときには、いつでも〈いま〉でしかない。「時間意味」は、目の前の時間でしかない。その中に何十年も何百年の時間も納まっているのだろう。
蓮如が「白骨の御文」で、人間の一生を「まぼろしのごとくなる一期なり」と記したのは、このことではないか。まぼろしとは、一瞬の出来事ということだろう。いつでも、自分の生きてきた時間を受け取るときには「まぼろし」と感じる。何十年生きてきても「まぼろし」である。
万が一、百歳まで生きたとしても、本質は「まぼろし」である。「まぼろし」と感じさせるものは、如来の時間を感じているからだ。如来の時間の尺度は、十劫である。つまり永遠の時間である。永遠の時間の尺度にとっては、百歳はまさに「まぼろし」でしかない。
この如来の時間尺度を身につけることが、どうも課題のようだ。
それは水平の時間ではなく垂直の時間への入口である。水平の時間とは客観的な時間尺度だ。それを人間は生きられないとして、どういう時間を生きればよいのかと考えると。それは垂直の時間である。それは深い時間を生きることだ。
深く生きることだ。
時間を超越して、時間意味を生きることだ。
2013年11月24日●
この瞬間にも、病床で生死の境をゆきつ戻りつされている方々がいる。うめき声や泣き声を上げることすらできずに、苦しみの感情だけに包まれ、痛苦に苛まれておられる方々がいる。
冬晴れの清々しい日々の中に、孤独な懊悩が、間違いなく存在する。
我々のいのちは、この瞬間にも、心臓を動かし続け、外界の空気を肺内に吸引している。だが、このいのちの淡い現事実の真の姿は、薄氷を踏むが如きではないか。
人体が大地と接するのは、両足裏のごく限られた空間でしかない。ここは、いまにもひび割れてしまいそうな薄氷の上だ。これが真の姿だ。
それを忘れ果てているということは、いのちの真の姿に背いているのだ。背き続け、まよい続け、忘れ惚けている。
この罪のものを、如来は悪人と呼ばれるのだろう。

宿業を果すためにここにいる。自分を超越した宿業は、私の思いを超えて現前に展開する。それに対して私は「なんでこんな目に遭わなければならないんだ!」と叫ぶ。
人間には「結果」しか知らされていないようだ。「原因」をご存じなのは如来のみということか。
2013年11月18日●
こうすれば、ああなるだろうというのも「思い」。こうしたからこうなったんだ、というのも「思い」
人間は、いつでも「思い」しか相手にすることができない。
いわゆる「事実」とか、「ありのままの事実」というものには接することができない。
一番いけないのが、自分の見ている現実は「ありのままの現実」だという思いであり、そのことに無自覚であることだ。
ドキュメンタリー映像でも、それは「ありのままの現実」ではない。あるひとりのカメラマンという主観の眼を通した「現実」でしかない。カメラという媒体は、写している側の主観が透明になるようにできている。つまり、写真でもテレビ画像でも、そこにはカメラマンは映ることがない。映っているのは被写体だけである。
あるたったひとりの人間の眼(主観)を通して切り取られた映像なのに、そこには作為がまったく混じっていない「ありのままの現実」であるかのように騙す。騙すといえば、悪意のある言い方になってしまう。カメラという媒体が、もともとそういうふうにできあがっているといったほうがよい。

いま目の前に展開している「現実」が、運命だと受け取るのも、また自分の為した結果だと受け取るのも「思い」である。この「思い」でもって落胆したり楽観したりしているのが人間である。
そこに「ありのままの現実」はあるのか、人間に見えるのか、と問いかけてくるものが如来である。
問いかけられて人間は、はっと我に帰る。私は「ありのままの現実」を見ていたのではなく、「ありのままの現実だと思っていた思い」を見ていたことに。ようやく私は「わたし」に帰ることができた。
2013年11月16日●
南無阿弥陀仏という翻訳機

あらゆることを南無阿弥陀仏という翻訳機へかけて翻訳してもらって、それをいただくのが信心の行者だろう。
親鸞の言葉も、そのままではダメで、南無阿弥陀仏の翻訳機へかけて、頂きなおさなければならない。親鸞の言葉だけではない、家族の言葉や、テレビのニュース、さらに自分の中に起こってきた様々な心理までをも含めてだ。
いま境内のハナミズキが、真っ赤に紅葉している。朝日が葉っぱを裏から照らし出し、赤が強烈に輝きだす。境内で、季節感を一番よく表してくれるのがハナミズキだ。春には黄緑色の葉っぱが美しく、夏には白い花が可憐で、秋には真っ赤な紅葉、さらに厳冬には、その葉も落として骨だけになる。生き物のいのちのまっとうなあり方を教えてくれているようだ。
安田理深先生は「真理には時はない。真理はいつでもはたらいているものだから、それは時がないといってもよい。時が必要なのは迷っている我々なのである」というふうなことを述べていた。
真理には、触れてみようもない。ただ、ハナミズキを美しいと感じる瞬間、その〈時〉に真理の片鱗を感じ取るだけだ。
人間の一生は、〈時〉のなかに誕生し、〈時〉の中に終っていく。それはまさに、「私一人の物語」の〈時〉である。
人間は「客観的・物理的」な時間を生きることはできない。時計は、他者との約束や、決められた社会性の中で便利だから使っているだけだ。何も、時計の時間を人間は生きているのではない。まさに時間は、「時の間」だから、間にあるのが「意味としての時間」である。時計の針は1時を差していても、その1時を生きられない。2時を差していても2時を生きられない。生きられるのは、1時と2時の「間」である。
だから、「意味としての時間」は、ひとによって流れ方が違って当然だ。
どんな時間を生きるか。それは自分だけの、固有の時間である。他者と共有することを許されない時間である。
この瞬間も、「意味としての時間」に立ち会っている。この時間を南無阿弥陀仏の翻訳機で変換して、いただきなおしたい。
翻訳されたらどんな言葉になって出てくるのだろうか。その問いをも翻訳機にかけてみた。そうしたところ翻訳してもらった結果も南無阿弥陀仏でしかなかった。
どのように翻訳されたとしても、どれほど多くの言葉に翻訳されたとしても、究極的には南無阿弥陀仏にならなければ収まりがつかない。
こうやって、ほとんど無意味なことを述べているように思えるのも、翻訳機の味わいのひとつではないか。
2013年11月06日●
親鸞の言葉に騙されてはならない。
先日、聴衆とのやり取りの中で、「親鸞の言葉に騙されてはいけません」という言葉がでてきた。これは語った自分でも、オッと唸った言葉だった。親鸞の書いたものを読んでいて、「そうだ」と思ったり、「ええ~?」と思ったりするのは何に対して反応しているのか。それは、その言葉のもっている意味に反応しているのだ。もっといえば、その言葉のもっている表面の文字面の意味に反応している。
そこには、三つの問題が重なってある。
1、親鸞が書こうとしたことと、文字に表現されたものは異次元にある。
2、親鸞が書こうとした動機(意図)が、どのような文脈に乗っかっているか。
3、その表現に対して、読んでいる自分の何が、そう反応しているのか。
たとえば親鸞の「弥陀の本願しんずべし」(和讃)という表現がある。他にも「帰命せよ」と命令形の表現がある。 また他方では「不回向」といい「真実の回向心なし、清浄の回向心なし」(『教行信証』信巻)と述べる。人間から如来に対して、何事かを祈願したり差し向けたりする心は欠片もないと。つまり人間にはこっちから信ずるという心は起こらないということだ。人間から起こす信心は、すべて毒の混じった信心だという。
一方では「信ずべし」と述べ、他方では「回向心なし」という。これをそのまま読めば矛盾である。だから、親鸞の表面上の表現に騙されてはならないのだ。
これをどう読み解くか。
「信ずべし」という命令は、親鸞が他者(弟子)に対して訴えているという文脈でも読めるが、親鸞自身が阿弥陀如来から命じられているとも読める。両方の文脈で読める。それは場面によって両方の読み方をしてよいと思う。「回向心なし」というのは、親鸞が懺悔している姿であるが、それは単なる懺悔ではない。「回向心なし」と促してきているものがある。それが如来の教育力である。「回向心なし」といわしめている如来の力に遇っているから、それは喜びでもある。念仏者の心理関係図から、こういう表現が生まれるのである。
▲▲念仏者の心理関係図▲▲
│ □□□□C如来 □□□□│
│ □□□□□↓□□□□□│
│B他者←→自己←→自己A│

A、自己と自己の関係
「見る自己」と「見られる自己」。「反省する自己」と「反省される自己」。この関係は、優越感と劣等感の関係である。
B、自己と他者の関係
人間は社会的な生き物だから、人間関係を生きる。家族・友人・知人・職場関係等。
この関係は「利用と被利用」、「支配と服従」、「義務と縁起」の関係である。
C、如来と自己の関係
このCの関係をもっているのが信仰に生きる人間である。
ただし、AとBの関係とは一線を画する。Cによって映し出されるのは、AとBの内容そのものである。
所詮、人間は「自己内対話」でしかない。
もっといえば、人生は「自己内対話」ではないか。どれほど、ひとからよいといわれる人生であっても、それを自己がどう受け取っているか。ひとからどれほど腐されても、本人が自分自身をどう受け取っているか。人間関係は煩悩関係だから、つねに他者とぶつかる。これはB関係である。B関係での問題が、そのままC関係の内容となる。
煩悩は起こすものではなく、起きるものである。だから、そのとき煩悩の起こっている自分がそのままC如来に写された我が姿に映し返される。そうすると、自分を受け取るための教えに転換する。
自分が自分の所行を反省しても、それは「教え」には転換されない。優越感か劣等感のどちらかの穴に堕ちる。「教え」に転換されると、そのことを素直に受け取れる余裕が生まれる。
誤解を恐れずにいえば、自分の所行がそのまま、自分を教えてくれる「教え」になる。教えられれば、そこには感謝が生まれる。「自然のことわりにあいかなえば、仏恩をも知り、また師の恩をも知るべきなり」と歎異抄はいう。この「自然のことわり」が、C如来の鏡に写される装置のことである。
そこに仏さんがあればよいのだ。仏さんが有るか無いかが大問題だ。
2013年11月04日●
逆ハダカの王様症候群
ハダカの王様は、アンデルセンの有名な童話だ。主人公の王様は、実際にはハダカなのに、ご自分では大層ご立派な服をまとっていると錯覚している王様である。洋服の仕立屋に、「この服は、賢いひとにしか見えない服」だと唆され、そのマジックに引っかかってしまった。王様は、自分には服は見えていないのに、周りの賢人からは「立派な服」が見えているに違いないと思っている。ということは、王様は、自分は賢人ではない、馬鹿な王様だと自覚しているということである。でも、それを打ち消し、覆い隠すように、自分には見えていないけど、賢人には見えているのだろうから、賢人が見えているように振舞おうとしている。とても哀れな王様である。
それを見ている大人たちも同様に、自分には見えていないけれど、〈ほんとう〉は立派な服を着ているに違いないと称賛した。みんな、「自分には見えていない」という現実を実感しているのに、それを「他のひとには見えているに違いない」という知で覆い隠してしまった。
そして、時代社会は、往々にして「大人の知」で覆い隠すことを常としてきたのだろう。
東アジア全体が共に栄えるようにという「大人の知」、原発は「安全」という「大人の知」、
そして自然は人間がコントロールすることができるという「大人の知」。
王様がハダカだと言ってのけたのは、「子ども」である。子どもとは直感と実感の象徴だろう。この「子ども」をどう取り戻すかだ。
子どもが「子どもの知」をもっているのは当たり前だ。「大人」が「子どもの知」をどう回復するかが問題なのである。
近頃「逆ハダカの王様症候群」が気になっている。
これはハダカの王様と反対の現象である。自分は愚かで、か弱く、ごく一般的な人間だ、自分はハダカだと自認しているひとだが、まわりから見ると、羽織袴の立派な服を身にまとっているひとのことだ。自分なんて、馬鹿で愚かで、学もないし、経験も不足しているし、感情的で、忘れっぽく、まるでハダカ同然だよと言っているわりに、そこまで自分を卑下できる力をもっている。
こういうのを卑下慢という。卑下と懺悔は違う。自分をこれ見よがしに卑下する言葉をまわりで聞いていると、妙に腹立たしくなるのはなぜだろう。それは、卑下している人間の本心がそこにはないと感じてしまうからだろう。本心は、自分ほど偉く賢い人間はいないと固く思っているからだ。そのこころがまわりにいる人間には直感的にわかってしまう。 だから、愚かさを吐露して、聞いている人間にも「そうだなぁ~」と実感されることは、並大抵のことではない。
逆ハダカの王様症候群のひとが結構に多い世の中ではないか。
(釋尼唯文さん有り難う!
2013年10月25日●
ここのところ、「親鸞をして親鸞たらしめたものは何か?」、「親鸞をして、こういう表現をとらせたものは何か?」と考えている。
どうも、私たちは「親鸞」のことばに囚われすぎていたのではないか。囚われるというのは、自分の観念の中に親鸞のことばを取り込んで、そのことばに勝手に反応して騒いでいる状態だ。
ひとつの具体例を示したい。
それは『歎異抄』(後序)の「如来よりたまはりたる信心」ということばだ。この「たまわる」ということばを勝手に自分の観念に取り込んで、品物をもらうという意味で受け取ってしまっていた。
お歳暮でもお中元でも、品物をもらったら、それは焼いて喰おうが煮て喰おうが自分の勝手だとなる。信心も同じような観念で考えてきた。だから、人間の内部に溜め込んで、我が体験とすることのできるものだと思い込んでいた。
ところが、そうではなかった。「たまわる」というのも信仰の譬喩でしかなかったのだ。まあ「信心」ということばがいけない。もはや固定観念で塗り固められたことばではないか。「鰯の頭も信心から」というように、人間の信ずる態度や思いが信心だと思い込んでいる。だから、「信ずるのは自分だ」という観念から抜けられない。
そうすると、「私は、まだまだ信心が足りない」とか「信心を得ていない」と考えてしまう。
いわば、信心とは月の輝きであり、本願(如来)とは太陽である。太陽から月に光が届くので月が輝くのだ。だから輝きは月のものではなく太陽の作用である。月自身が輝かせているのではない。これを月自身が「おれの光だ」と勘違いしてはいけない。どこまでも太陽の光の反射でしかない。
別の表現をつかえば、「信心」とは、「如来が信ぜよと命令する心」と表現してもよい。その意味で「信心」は、動詞である。信じられないものに向かって、つねに信ぜよ、信ぜよと命じるはたらきだ。決して名詞にはならない。
しかし、それは信心ではなく、本願というのではないかと疑問をもたれるだろう。本願が私たち人間に向かって、阿弥陀様を信ぜよとはたらきかけてくるのだと。確かにそうだ。本願は阿弥陀そのものの願いである。信心も本願も同質のものなのだ。
ただ呼び名が違うだけだ。如来の側にあるときには「本願」といい、人間の側にあるときには「信心」という。作用そのものは同じものだ。一応、表現の便宜上、「本願」と「信心」と表現を変えているだけのことだ。
本願が私たちにむかって阿弥陀にすべてを任せなさいと命令する。その命令にしたがって「信じます」というこころが起こったのが信心だと、一般的には語られる。それも便宜上の譬喩だと思う。
真実をいえば、私たちに「信じます」というこころは起こらない。これっぱかしも起こらない。もし、そんなこころが起こってしまったなら、阿弥陀の本願はそのとき無用のものになってしまうではないか。
だから親鸞は18願文の「欲生我国」を「我が国に生まれんと欲え」とよみ、「願生彼国」を「彼の国に生まれんと願ぜよ」と読む。どちらも人間に投げかけられた命令なのだ。
信心とは、どこまでも信じられないものに「信ぜよ」と命令し続ける願心だったのだ。
2013年10月17日●
危険を犯してまで台風をみたかった小学生。二人の小学生が台風の波に飲まれた。台風26号で学校は臨時休校になっていた。子どもたちは、学校が休みになったことをよいことに、荒れ狂う海をみたいという好奇心に突き動かされた。
台風の災害から避難するための臨時休校だった。それが、逆の結果に結びついてしまった。休校が、かえって事故を呼び寄せてしまった。
荒れ狂う海をみたいという好奇心は、じゅうぶんに理解できる。穏やかな海もよいが、台風に荒れ狂う海はどれほどのものだろうか。それをみたいという気持ちが痛いほどわかる。
ただ、その好奇心がいのちを奪ってしまった。
学校の管理者も、そして家を抜け出す子どもたちに気付けなかった親たちも、そしてまさかこれほどまでに海の力が強いとは知らなかった子どもたちも、みんな後悔し絶望した。
でも、誰も悪くないのではないか。
そうなるべくして、そうなるしかなかったのではないか。これは、人類が人類として成り立ってきた全歴史をひっくるめて、そう思うのだ。
人間は、どこまでいっても、悲しい生き物ではないか。こころの中にぽっかりと穴があいたような、決して塞ぐことのできない穴があきっぱなしだ。
2013年10月6日●
足の爪を切っている。
どうも近頃、爪の伸びるのが早いなぁと思う。
でも、足の爪ひとつ、自分の思いで左右できない。
ここにも、自分を超えた世界があったのかと、ふっと、正気に戻してもらった。
「火宅無常」とは、煩悩の火で燃え盛る自分のことをいっている。
煩悩の火はものすごく熱い。いつも熱気を帯びている。
その熱気に水をかけて、正気に戻してくれるものが必要なのだ。
2013年9月15日●
家族と暮らすという生活には、必ず煩悩が巻き起こる。これが在家仏教の修行場なのだ。
そして、どうしても収まりのつかないことがある。たとえば、言い合い、喧嘩がそうだ。自分が相手を言い負かせても、また相手に言い負かされても、どっちにしても収まりのつかない。
そのときどうするか。そのときは、南無阿弥陀仏のお出ましだ。最後には南無阿弥陀仏が出てきて、すんなりと収まる。
別の言い方をすれば、南無阿弥陀仏が出てこなければ、すべては収まりがつかない。生活というものは、南無と阿弥陀仏の間にあるのだ。
南無(生活)阿弥陀仏である。
最初と最後には南無阿弥陀仏がある。それで一件落着する。
なんとも、便利なことばではないか。
ひとにとっては、別段、気になることでもなく、とるに足らない些細なことでも、家族にとっては、指に刺さったケドのように気になってしまうことがある。
近くで、父親が幼子を叩いて殺してしまった。父親は、まさか殺すつもりはなかったという。それもそのはずだ、人間はどの程度に叩いたらひとが死ぬかなんてわかっていないのだから。そのときには煩悩の火達磨になっているだけだ。気がついたら、死んでいたということだ。
幼児の残酷性もある。両親が、他のことでてんてこ舞いしているときに限って、わざわざ服を汚してみたり。それも、「ほら、ほら、早くしないと、服を泥んこにしちゃうぞ」と言わんばかりに、親を挑発する眼をするときがある。
まあ子どもは親を試しているのだ。その唆しに耐えられる親はいない。つい暴力を奮ってしまう。子どもを殺した男親は、連れ合いと離婚後、他に三人の娘も引き取っていたそうだ。現場で、どのようなことが起こったのか知る由もない。
そこに南無阿弥陀仏が起こってくれていればと、実感した。
おい、阿弥陀さん!なんとかしろよ!といいたくなる。
やはり阿弥陀さんは無力なんだなあ。無力だから、いつも阿弥陀さんは、永遠に謝っているのだろう。
2013年9月6日●
二週にわたって東京新聞に文章が載ったので、それに対しての質問などがあった。
8月17日版は「信ずる必要のない宗教」というテーマだった。それで「信を否定したら宗教は成り立たないのでは?」という質問があった。新聞の編集者には、その質問者の背後には百人のひとが潜んでいるというようなアドバイスをいただいた。その質問に共感するひとが百人はいるということだ。
その方には「信ずる必要がない」とは書いていませんと応答した。「信ずる必要のない宗教」というところまで読んで下さいとお願いした。
このテーマは、自分が奇をてらってつけたわけではない。原稿執筆中には、現代、人間、仏教などのキーワードが頭の中を巡る。その中から、いろいろと文章が浮かんでくるのだが、テーマがなかなか煮詰まってこない。そんなことをしているときに、向こうから立ち現れてきたのが「信ずる必要のない宗教」という言葉だった。
だから、自分としては、「そうだったのか!これしかありませんね!」と受け取らせてもらっただけだ。自分が捏造したという感覚はなかった。だから自分にとっても、向こうから与えられたという感覚で、そのテーマに応じて筆を進めたというしかない。
もし人間から信ずるという能動性が生まれてしまったら、「真宗」ではない。親鸞も「信ずべし」という表現はする。しかしその「信ずべし」は、親鸞が弟子に向かって命令する「信ずべし」ではない。まあ親鸞もひとだから、臨床の場面ではそういういいかたもする。しかし、親鸞の深層では、阿弥陀如来から親鸞に向かって「信ずべし」と命じてくる力を表現しているに過ぎない。
親鸞には臨床の表現と、深層(原理)の表現とか混在している。それを見分けられるようになることが「信の眼」といってもよい。
親鸞の文脈でいえば、「信ずる必要がない」というのは、凡夫の「自力の信」ではダメだとか、不回向(こちらから回向する必要がない)という表現になっている。だから他力とか、如来の勅命だという表現にもなる。
それで私は親鸞の信は「能動詞」ではなく「受動詞」だと語ってきた。
自分が信ずる主体ではない。自分は信じられる客体である。阿弥陀如来によって信じられている存在である。信じられているというのは、揺さぶられ続けるということだ。
文中に親鸞の和讃を引いた。
「浄土真宗に帰すれども 真実の心はありがたし、虚仮不実の我が身にて、清浄の心もさらになし」と。
これは85歳の親鸞が、法然に帰して56年たってからのことばだ。自分には真実の心はないと。「真実の心」とは「真実の信心」と同じ意味だ。これは親鸞の懺悔のことばだと理解されてきた。
50年以上念仏の教えを身をもって聞いてきたはずなのに、なんにも染みていない。まったく信仰心もない自分なのだと歎き苦しんでいる表白だと受け取られてきた。確かに、懺悔のことばではある。しかしその懺悔は懺悔だけではない。その裏側に、阿弥陀さんに出会えた無上の喜びが貼りついているのだ。なぜならば、「信心の心はない」と言わしめているはたらきを感じているからだ。それこそ阿弥陀さんのはたらきだからだ。
ここで大事な点は、親鸞は自分の情けなさを自分が歎いているわけではない。歎いているのは阿弥陀さんなのだ。その阿弥陀さんから、お前には真実の心はないぞとよびかけられているのだ。それがこの和讃の真意なのである。
つまり、自分には信は必要ないよということが分かったのだ。信=真は如来の側にあるので、自分の側に置く必要がない。むしろ自分の側に置いてしまったら、それこそ重荷になる。あたかも信仰者のように見えるように振舞わなければいけないからね。
自然体が崩されてしまうからね。それこそ不自由でしょう。
自分に真がなければ、いくらでも間違うことができる。間違ってたじろいでつまずいても大丈夫という世界に親鸞は出たのだ。こっちはいくらでも揺さぶられ、揺れ動き、迷いに迷ってよいという自由が与えられたのだ。
そんなことを、昨日の町田教室では語ったような気がする。
2013年8月30日●
「親殺し」(朗読・野外劇)の初日が開幕した。
嬉しい悲鳴だが、予約席は満席、当日券も出て満員御礼の盛況ぶりだった。
役者たちにも、満員御礼の観客を前にして、初日特有の緊張が走った。
冒頭に読経が流れ、親鸞が訥々と語り始める。2500年前の親殺し事件が、グーッと現代へと引き寄せられてくる。
そこには、時代を超えた「親子」という関係のもっている特殊な宿命があった。それは人類が「家族」という共同体をもった、何十万年前にまで遡れる問題なのかもしれない。 それはまた家族という集団の問題であると同時に、「自分が、自分自身を受け入れる」という存在受容の問題でもあった。
眼は芝居を観ているのだが、こころの眼は芝居を通して、自分自身の内界をさまよい始める。自分自身の親子関係、そして自己受容の問題へとこころの階段を降りていくのであった。
「親殺し」という強烈なテーマに観客は身構えてしまうのだが、笑いやジョークが仕掛けられていて、こころの緊張を解きほぐしてくれる。
夜の新宿には心地のよい風が吹き抜けていた。専福寺の境内にはケヤキと桜の大木があり、これが自然に本堂前の空間を、劇場空間に変えてくれた。
私は、以前訪れたトルファン(シルクロード)の野外演芸を思い出していた。
阿闍世王子が、砂漠の向こうから立ち現れてくる幻想へといざなってくれた。
そして、私のこころと親殺しをする阿闍世王子のこころとが共鳴し出した。
それが現実の犯罪にまでつながらなくても、親を殺そうとか、親に背くこころをもたなかった子供はいないのではないか。
反抗の理由が、子どもに自覚されている場合もあれば、無自覚の場合もある。理由が分かっていればまだ救いがある。いや、「救いがある」などとはいえない。その理由によって苦しめられ、その理由を排除することのできない苦しみで窒息しそうになっているのだから。
しかし、理由のわからない場合のほうが問題の根は深いのかもしれない。
親という理由が自分を苦しめていたのだと気がついてしまった阿闍世は、反逆の刃を親に向けることができた。しかし、理由が見つからないときの阿闍世は、悶々と、鬱々と、理由無き圧迫感に翻弄されていたのだ。
かりに「大人」を存在受容できたひと、と意味づけするとなれば、現代人は、いまだに「大人」になることのできない「子ども」なのではないか。思春期・青年期の若者には、まだ殺すべき親が目の前にいる。しかし中高年という名の「子ども」には、もはや殺すべき親がこの世にいない。
ここから中高年の自己受容というテーマが、新たに生まれてくるのである。

芝居のクライマックスには、何かがメタファーとして現れる。その何かは芝居を観てのお楽しみである。
(お蔭様で、30日31日の予約席は満席です。9月1日のみ多少空席があります。当日券のかたは申し訳ありませんが、立ち見覚悟でお越しください。)
2013年8月24日●
『親鸞抄』の校正にとりかかっている。
次著の発刊は10月が予定されている。題名はなんと『親鸞抄』だ。書名はぷねうま舎主の中川一夫さんの命名による。
『親鸞抄』というから、親鸞の言葉を抜き出してきて集めたものと誤解されては困る。親鸞がそう表現せざるを得なかった世界、もっといえば、親鸞をして親鸞たらしめた世界を表現したものである。
いままで書きためたものなどに手を加えてまとめたものである。それをまさか『親鸞抄』と命名していただくとは、驚きである。
これは、いつも校正段階に感じることだが、また「校正ブルー」にはまっている。
こんなものを世に出してよいのだろうか、この程度の表現でよいのだろうか、読者にこの表現で通じるだろうかと躊躇いが起こってくるのだ。
校正をしながら、ため息がつい、出てしまう。
それでは、躊躇いや不安が出てきたときに、どこへ返ればよいのか。
それは、「沈香も焚かず、屁もひらず」でよいのかという掟へだ。
ついつい、それでよいではないかと、鳴かず飛ばずであれば打たれることも誤解されることもない。平々凡々でよいではないかという欲望に唆される。
そんなとき、ハッと我に帰ることがある。
そのハッさせるものはなにか。
言葉にしてしまえば、「零度の存在」への立ち返りだ。いま目の前に奇蹟が展開しているのだ。いのちの事実は「奇蹟」なのに、それをないがしろにしてしまう。覆い隠そうとしてしまう。
それを撃ち崩そうとする力がある。恐ろしいことだが、その力に身を任せる以外にない。
2013年8月17日●
塩谷菊美先生のお話を聞いた。
親鸞のプロフィールはほとんどが不明で、いままで語られてきたものは、「お話」であって、「史実」ではないというショッキングなものだった。
親鸞伝説のもとになっているのは、『親鸞聖人御因縁』と『御伝鈔』であり、そこから様々なお話や解説や教義書が誕生したという説だ。
塩谷さんは「覚如(親鸞の曾孫)が『伝絵』を作ったのは親鸞没後三十三年目、親鸞の直弟やその子供たちが大勢生きていた時代です。誰一人として『絵伝』(御伝鈔)の記載に事実どおりでない部分があると気付かない、などということはありません。そもそも『伝絵』は親鸞の史実を書いたものとして読まれていたのでしょうか」と問いを立てている。
そして結論はこうだ。
「『御伝鈔』の親鸞や弟子たちは、「お話」の登場人物としての「親鸞」や「蓮位」や「平太郎」であって、鎌倉時代に生きていた生身の親鸞・蓮位・平太郎ではありません。彼らの言動は「お話」の登場人物のそれとして書かれ、読まれていたので、彼らの実像を知っている者たちによって、事実と違うと非難されることもなかったのでしょう。」と。
(『語られた親鸞』法蔵館)
とはいえ、様々に物語られてきた親鸞伝をミックスさせてドロドロにし、そのエキスから抽出されてきたところに、おぼろげだが史実としての親鸞も確かにある。
誕生は1173年、日野家の出身で、出家して20年間比叡山で修行し、29歳頃下山して師の法然と出遇い、その頃、結婚し、関東で生まれた子供も合わせれば、6~7人もうけ、35歳で弾圧されて新潟に流罪になり、その後、関東で20年ほど暮らし、60歳ころ京都に帰り1262年90歳で亡くなるというプロフィールは動かしがたい史実だ。
それは略歴であって、身体で例えれば骨格だ。その骨格にくっついている肉やら脂肪やら皮膚やらを復元して考えていくのが「門弟という集団」である。
だから、なにが親鸞をして親鸞たらしめたのかを考えていくとき、エピソードは大切なヒントになる。それは「史実」か「物語」かを判断する文脈とは、違う局面にあるように思う。
私は「三夢記」は、親鸞をして親鸞たらしめてものを象徴するものだと思っている。歴史学では、「19歳磯長の夢告と28歳大乗院の夢告」は江戸期の創作で、29歳の六角堂の夢告のみ史実だと考えているらしい。
親鸞が何に悩み苦しんでいたのか。それは19歳の磯長の夢告において、「汝の命根、まさに十余歳なり」という余命宣告がヒントになる。それをきっかけにして約十年後、28歳の比叡山東塔(大乗院)における「汝が願いまさに満足すべし、我(観音菩薩)が願いまさに満足す」という29歳の六角堂夢告を予告する夢告を受ける。そしてとうとう、29歳の六角堂の女犯偈夢告を受けるのである。
結局、六角堂夢告がなぜ成り立ったのかという準備段階としてふたつの夢告があるとみえる。それも歴史学者は、女犯偈を解釈するための「物語」だというだろう。それはそれでよいのだ。ただし信仰を生きる者として、それらをどう解釈するかということが私の関心のあるところだ。
はたして現実に親鸞が何に悩み何を感じたのかはわからない。それはそれで十分によいのだし、果たして親鸞が思っていたものと違っているのかどうかも関心の外である。
つまり、そこでは「親鸞」は歴史上の親鸞ではなく、「私が親鸞であったならば」と自己置き換えをした上での親鸞なのである。この「さて、自分においては」と考え抜いていくことが信仰の眼なのである。そこが歴史学の眼とは違うところである。
しかし、この六角堂夢告をどう受け止めるのかを親鸞はどこにも書いてはいない。これが法然のところに向かうきっかけとなった夢告だという見方と、結婚を促す夢告だという見方がある。
私には結婚を促すきっかけとなった夢告だと読める。そのことを考える中から生まれてきたのが、結婚三箇条である。
①結婚とは別れを約束する儀式である。。
②結婚とは犯罪である。
③結婚とは過去形で語ることを許さない何かである。
結婚とは、生物学的にみれば、ごく普通の雄と雌の営みともいえる。ところが、現代の人間にとっては、赤の他人と一番身近な場所で暮らす生活形態である。
そこに介在してくるのが「煩悩」である。他の生物には「発情期」があるが、人間は本能が壊れているので、四六時中が発情期だ。生物は身体で、人間は大脳でセックスをするともいわれている。性が汚れたものとかエロチックなものと感じられるのも人間特有である。なぜ性に負の側面を感じ取るのかといえば、そこに煩悩を感じ取ってしまうからである。その煩悩はエゴイズムである。つまり貪欲を基本にして自分が気持ちよくなるために相手の身体を利用するという点である。
仏教は「邪婬」を戒める。それはやはりそこにエゴイズムという煩悩を感じ取ってしまったからであろう。「不邪婬戒」を我が夫、我が妻以外の淫らな男女関係と限定したのはいつのころだろうか。
三箇条の①番目は仏教の根本テーマであるから、誰でも納得するだろう。②番目は女犯偈の「犯」から類推したテーゼである。夫婦共に「犯」という加害者の立場に立つということだ。まず自己を加害者の立場に置く。犯罪者であるからこそ、阿弥陀如来は救わずにはおかないのだと展開する。それは「悪人成仏」の文脈にあるのだ。
③番目の「結婚とは過去形で語ることを許さない何かである」というのが面白い。
本質的に、「結婚」とはどういうことなのか、その結論はまだ出ていない。ということは、つねに「結婚とはどういうことなのですか?」と問われ続けているということだ。だから、既婚者が、「自分はすでに結婚している」と言ってしまったら、それは間違いなのである。まだ結論が出ていない以上、そう言い切っては間違うのだ。
まあ法律的な文脈でいっているのではない。信仰の文脈でいっているのである。
親鸞と恵信尼との夫婦関係は、お互いを「観音菩薩」の化身として理解していたフシがある。別段、それは美談でもない。夫婦といえども、他者である。他者と他者がぶつかれば、そこに諍いが起こる。そのとき、自己の内面から沸き起こってきた煩悩が噴出する。その噴出した煩悩を見せていただくきっかけが、観音菩薩である。
お互いが、お互いを通して自己の煩悩と直面し、そのとき阿弥陀如来と正対する道が開かれる。まさに第三の道だ。
「史実としての親鸞」、それに「伝承(物語)としての親鸞」、さらに、「信仰としての親鸞」が重なって、ようやく立体的な親鸞が誕生するのではないだろうか。
2013年8月10日●
鹿島神宮へいってきた。
太平洋の鹿島灘に近いのだが、ここだけは鬱蒼とした鹿島の森が広がっている。2011年3月11日の大地震で入口の大鳥居が崩れ落ちたそうだ。参道を歩いていくと、本殿は右手近くにあった。杉の大木が参道を形成し、太陽を遮ってくれるので、涼しく歩くことができる。本殿を過ぎて奥の院までは、15分くらいで着いた。そこから坂を下っていくと、御手洗池がある。ここの水は冷たく、透明度もあった。真四角のプールのような形に作られていた。何かには鯉が泳いでいた。
ここを親鸞が訪れたのは間違いないだろう。弟子の順信がここの生れである。なんといっても鬱蒼とした森の力が感じられた。順信は鹿島の宮司の出身だといわれる。当時の宮司は、武家の殿様と同じような権力をもっていたそうだ。
やはり、親鸞に直接指導を受けた弟子は、大衆の上層部に位置した人間たちだろう。たとえ農耕民だとしても、それらを束ねる力をもっていた人々だと思われる。親鸞と手紙のやり取りができる人間たちは、当時、そう多くはなかったはずだ。
だから、親鸞の教えは親鸞在世時代には、そうは流行しなかった。ただ、書き記したものが残っているから、辛うじて、当時の状況を想像することができるということだろう。
親鸞の教えが大衆化するのは八代目の蓮如を待たなければならなかった。
蓮如は『御文』という手紙形式の媒体を通して、民衆に「読み聞かせ形式の教え」を作った。たとえば村の長が読み聞かせることで、民衆の鼓膜に直接蓮如の声を響かせたのである。やはり、言葉は時間を超えていつまでも歴史に残る。
言葉は残るのだが、時代のほうが変化していく。だから、蓮如の表現が封建的だとか差別的だとか浄瑠璃的だとか揶揄されるが、それは蓮如の問題ではなく、ひとえに時代の落差の問題である。
また、言葉は時代の落差を超えて、そこに〈ほんとう〉を伝承していくものでもある。
だから表層の表現形式はどうでもよいという面もある。聞き手の関心の強さが、深層に流れる〈ほんとう〉を聞きとめてきた。これが〈真宗〉の不可思議なところである。
そんなことを思いながら、鹿島の森を歩かせてもらった。この数メートル下を親鸞が歩いたと思うと、なんともいえない感懐に浸ることができた。
昼御飯は佐原の「東洋軒」という洋食屋に入った。大正時代の創業らしい。女将さんらしきひととご主人と二人で切り盛りしているようだ。エビフライは絶品だとものの本に書いてあったので、さっそくエビフライ定食(1000円)を注文した。エビフライ自身は、とても美味しく、海老独特の香りがあった。やはり評判を信じてよかったと思った。無頭海老なのだが、有頭か無頭かは問題ではない。細かいパン粉であげられた三匹のエビフライが皿にどうどうと盛られて出てきた。
ところが、女将が料理を運んできたとき、「カラシを下さい」と頼んだら、「海老に…ですか?」と聞き返され、カラシは出してもらえなかった。それ以上追求するのも大人げないと思い辞退したが、フライものにはカラシは必需品でしょう。ちょっとがっかりさせられた。
また定食と書いてあるから、味噌汁と丼のご飯と箸で食べるのだが、私はやはり、ナイフとフォークもほしかった。皿の上で海老がナイフで切られるとき、あの海老独特の香りが湯気とともに立ち上ってくるのが楽しみのひとつなのだ。箸で食べるとなると、それは口中で起こる秘儀に変わってしまう。これもがっかりしたところだ。カラシの一件でさえこの反応だから、箸があるのに、このうえナイフとフォークは要求できなかった。
後ろの客は、チキンカツ定食を頼んでいた。彼らにはちゃんとフォークとナイフが渡されていた。それは鶏肉は固いから箸では無理と考えてのことだとは思うのだが。羨ましかった。チキンカツにはデミグラスソースが乗っているようで、これを傍で見ていて、ぜひ試してみたい一品だと食指が動いた。
定食最後には、小振りのグラスアイスコーヒーのサービスがあり、これは気に入った。
エビフライ評論家を目指す私としては、これからも各地の絶品を味わいたいと、修行に終わりはないぞと言い聞かせている。
2013年8月3日●
源流純粋論を問う
これを何と名づけたらよいのか迷っている。仏教は釈迦ひとりが始めたから、一へ戻るべきだ、そこに真実があるはずだと考える思考法が根強い。日本の現状は宗派が何百とあって、どれが純粋でどれが不純だかわからないではないかという批判にもつながる。
それで仏教を学ぼうと思うひとは、できるだけ源流に遡って釈迦の言葉に頼ろうとする。しかし、釈迦はそもそも教えを文字では記さなかったし、まして漢字も知ってはいない。釈迦が語ったのは、当時のインドの民族語だったといわれている。だから、もっと源流に遡るのであれば、2500年前の原語を学ばなければならない。それであっても釈迦自筆の経典はないわけだから、弟子たちの聞書を学ぶことになる。しかし、そこまで源流に遡って仏教を知ろうとするひとはまずいない。だいたい原始仏典とか阿含経典とか、ダンマパダやスッタニパータくらいに遡るのがおちだ。
いろいろなことがいわれているが、それらを総合して考えると、釈迦が語ったのは、縁起、四諦、八正道程度だったのではないかと考えられている。つまり、釈迦は生涯において、ほんの少しのことしか語ってはいなかったというのだ。
釈迦の没後、さまざまな伝承や教義を作り上げてきたのが仏教教団の歴史だ。釈迦が純粋であれば、教団は不純であり、歴史を下ればもっと純度が悪くなると考えてしまうのも無理からぬことだ。近くを流れている荒川も源流は純粋だが、私の住んでいる河口近くではかなり汚れてくる。
この感覚は常識的な感覚なのだが、その感覚は〈ほんとう〉だろうか。この「源流純粋論」とでも命名したい発想はどこからやってきたのであろうか。
どうも親鸞は、その発想を疑っていたフシがある。伝教大師・最澄が書かれたといわれる『末法灯明記』を引用して、「無戒名字の比丘」が真の宝であるといわせている。末法には、すべてのものが堕落し僧侶も堕落し、酒場に子どもを手を引いていくということが起こるのだという。そのことを歎いてはいるのだが、それであっても、名前だけの僧侶であったとしても、それが宝なのだという。宝という意味は、不純な中にも純粋の片鱗が宿っているということを言おうとしているのだ。選びの基点は「仏法か非仏法か」だ。
親鸞は、不純な状況の中においても、その中に純粋の欠片を見出していたのではないか。いわば、仏教は宗派仏教になり大いに堕落するだろうが、その中にも純粋の片鱗を見出していくという見方である。教団は人間が構成するものだから、不純に決まっている。不純以外に教団は成り立たない。だから、その教団の純度はどの程度かということで判断するしかない。100パーセント純粋などはありえない。たかだか1%しか純粋がないかもしれない。それであっても、無よりはましなのだ。教団自身は純粋ではなくても、純粋を暗示させることができるからだ。
それも教団から人間や諸事万端に移して考えてみると、親鸞のいう「一切衆生悉有仏性」ということが理解できる。78億人くらい地球上にはいるらしいが、その人々のなかに、仏性、つまり純粋性があるとみる見方だ。純度はひとによって様々だが、純粋の片鱗が宿っていると見るのだ。
この見方に立つことは難しい。1%でも不純なものがあれば、その人間は100%ダメな人間だと受け取ってしまうからだ。その「0か100か」というデジタルな発想が狂っているのだろう。
いやいや、如来と自己との関係において、親鸞は「0か100か」という発想で貫いている。自己が不純か純粋化と如来から問われれば、1%も純粋はないと、徹底して自己の不純を表白する。
ただ、自己と他者の関係においては、その発想をとらない。親鸞はつねに「如来と自己」というベクトルと「自己と他者」というベクトルを生きていた。この二重性こそが、人間が信仰を生きるというときには必ずなくてはならないものだ。

ところで、仏教の宗派が多すぎてどこから学んだらよいかわからないと問われることがある。そのときは、自分の直感で学ぶしかないと答える。鎌倉期の仏者たちは、そうしてきたのである。仏道の門前に立つという意味では、釈迦も仏者たちも、そして私も同じ地点にある。
学んでいくうちに、これこそが真実だと直感したら、そっちに向かって舵を切っていければよい。駄目だったらやりなおせばよい。それこそ「面々のおんはからい」である。
蟹は自分の甲羅にあった穴を掘るという。どの宗派に出会い、何を純粋と感じるかは、自らの甲羅に聞いてみるしかない。「類は友を呼ぶ」という言葉のように、自分の純度程度に宗派を受け入れるということもあるだろう。所詮、その程度のものなのだ。
どの宗派も自派が純粋ですよ、こっちにおいでと手招きしてくる。そのとき自分はどうするか。それは自分自身の直感のみが解決の糸口になるだろう。誰かが代わって決断してはくれないのである。
それも当然か。
自分に代わって「自分」を生きてくれるひとはいないのだから。
2013年7月26日●
二週間以上ひとと口を聞かない人が、ひとり暮らしの男性の場合16%なのに対して、女性は3%だとラジオがいっていた。聞いていて、さもありなんと頷いた。男性は、無口なひとが多い。また話したとしても用件のみで、世間話が苦手だ。私もその例に漏れない。そこへいくと、女性の会話能力はずば抜けている。世間話ができるのも特殊能力じゃないかと思える。
とりとめもない話をするのが男性は苦手だ。どうやって世間話をしてよいのか、皆目見当がつかない。天気の話、健康の話くらいが関の山だ。道端で長い時間、立ち話をしている女性たちがいるが、何を話しているのか教えてもらいたいほどだ。
男性のための世間話講座などというものを開設すべきなのかもしれない。
「今日はいい天気ですね」「そうですね」、その後が続かない。
「暑いですね」「暑いですよね」、その後が続かない。次に何を話したらよいか探している間に無口になる。一生懸命に話題を探している間に、なんとなく相手と気まずい関係になっていく。話題に窮していると相手は、自分が当主を苦しめているかもしれないと感じてくる。それを感じ取ってか、「それではまた」とその場を立ち去ってしまう。それを引き止めることもできない。やっと苦痛から解放されたとさえ感じてしまう。それで世間話は断絶する。
男性は、職場と家庭とを行き来して一生を過ごしてきた。以前は職場が疑似家族だったから、職場の人間関係で男性は支えられてきた面がある。ところが最近は、そういう「濃い」人間関係を嫌うひとが多くなり、疑似家族的な付き合いも激減したそうだ。
多趣味なひとはまだよいが、仕事が趣味というひとも多く存在する。そのひとが定年退職で家庭定住型になってくると、困るのが連れ合いだそうだ。
一人暮らしの男性の関心事は、健康と金だそうだ。この世を去るときまでの生活を支える金とひとに迷惑をかけないための健康だ。子どもたちには迷惑をかけたくないというひとが多い。
私は誰とも口をきかなくてもよいのではないかとも思っている。私には「内語」があるから、断えず語り合うことができる。こうやって「つぶやき」をしたためている間も、たくさんの内語が飛び出してくる。
親鸞は死ぬ前「ひとり居てよろこばば二人と思うべし、二人居てよろこばば、三人と思うべし」(『御臨末御書』)と語ったという。「ひとり居て」というのは、たとえひとり暮らしでもということでもある。そのひとりの内面には二人、つまり親鸞がいるという意味だ。ひとりであっても親鸞と対話する生活ができるということだ。現実にことばとして口から出るかどうかは別だ。「内語」というのは、教えのことばとの対話である。この世界は豊かではないか。
昨夜も数人と話していたが、ことばを語ることで、「うんうん」とか「そうだね」と相手に理解されるというのは、それこそ奇蹟ではないか。そのことを相手がちゃんと理解したかどうかは不明なのだ。しかし「うんうん」と相槌を打たれると「わかってもらった」という感覚になる。果たしてほんとうに相手が、自分の思っているとおりに理解しているかどうかはわからないのにだ。
ひとりになったとしても、最後は「ことば」に頼るしかない。内語の対話は、何ものにも変えがたい味わいがある。
2013年7月24日●
地獄一定を忘れてしまう。
いま・ここ・わたしは、地獄の場所なのに。それをすぐに忘れてしまう。どうしてだろう。なぜだろう。
娑婆の本質は地獄のはずなのに、あたかも浄土にでもいるかのように安穏に暮らしている。まあ、どちらが本質かと問われれば、地獄が本質である。浄土の生活などは、仮のことだ。
だから、いつ浄土から地獄へ転落しても、それは転落といってはならない。娑婆の本質がより明らかに姿を現したといわなければならない。
本質は地獄なのだから。
車を運転しているときに思う。そこの路地から子どもが飛び出せば、轢いてしまうだろう。ちょっとハンドルを切り間違えば、ひとを殺傷してしまうだろう。そうならない保証はどこにもない。「車は走る凶器」に違いないのだ。それが本質だ。そうとは分かっていても相変わらず車を走らせている自分がいる。
そう思ったら運転をやめればよいのだ。しかしそれができない。煙草は吸わない、車の運転はしない、地震のとき危ないから地下鉄は使わない。なるべくタクシーを使う。体のために酒量を減らす、減塩食品に切り換える等々、危険なことをすべて排除していこうとする自分がいる。小さく、小さくまとまって、萎縮していく自分がいる。
まさに「沈香も焚かず屁もひらず」を地でいこうとしている。
しかし、それで「生きた」といえるだろうか。否、「自分が生きた」といえるだろうか。「悪をおもおそるべからず」という歎異抄の愛語がありがたい。
2013年7月22日●
高山へ行ってきた。
名古屋までは新幹線で一時間半。しかしそこから高山線で二時間半が長かった。川沿いに北へ北へと線路は続いていく。飛騨の山々を避けるように、飛騨川を縫うように高山線は進んだ。飛水峡という天然記念物に差しかかると車掌のアナウンスが入った。長年の流れにより河原の岩石が複雑にえぐり取られ、見事な景観をかもしだしている。
あの景観が作られるまでには、何百万年かかっているのだろうか。それだけならば、単なる観光だ。そこから、自分のいのちに眼がうつってくる。この自分が自分になるまでの時間と、飛水峡がいまの景観をかもしだすまでの年月は同じだという驚愕の事実が飛び込んできた。なんということだ。この「いま・ここ・わたし」という「零度の存在」は。
こういう頂き方ができるのも仏法のはからいである。
自分に引き移してみると全世界のことが、まさに仏法花盛りとしていただける。いやはや、「証道いま盛りなり」と豪語した親鸞の心境と共鳴した。
還来寺さんの同朋会合同研修会というイベントだった。
前日には飛騨の美味をご馳走していただいた。いまが旬の鮎の塩焼き、さらに飛騨牛。さらにさらに味わい深い鮮魚の刺身。高山は山奥なのだが、鮮魚が旨い。どうも富山経由で新鮮な海産物が入荷してくるようだ。
温泉がまたいい。ナトリウム塩化物泉でややしょっぱいから体が温まる。当日は高原にいるような清々しい空気のなかで法座がいとなまれた。
還来寺さんは開基以来300年ということだが、立派な七堂伽藍が聳えていた。しかし寺の宝は何か。それは建築物もさることながら、やはり「ひと」だ。300年間、寺を支えてきた無数の人間たち。そしていま目の前に座っておられる門徒の方々。これこそが寺の宝ではないか。そう思うと、話している私と聞かれている門徒の方々が対面しているこの場は、まさに奇蹟の場だ。感動した。
寺は、信心の畑だ。不作のときも豊作のときもある。それでも営々と畑を耕し続けることが大切なのだ。寺の宝はひとだが、ひとの何かと問い詰めれば、ひとの信心である。
別名、〈ほんとう〉を愛してきたこころだ。〈ほんとう〉を人間は煙たがり、毛嫌いする傾向もある。それでも、心底人間を支えるものは〈ほんとう〉以外にはないのだ。谷川俊太郎が、「ぼくは葬式に出ると明るい気持ちになる。それは葬式には真実があるから」というのは、そのことだろう。
京都のタクシーの運転手はおしゃべりが多い。いつだったか、本山の前を通ったとき、運転手が「お東さんは、間違ってまっしゃろ。だって、親鸞さんのお堂より阿弥陀さんのお堂が小さいんでっせ。これ、逆と違いますか?」と。確かに一理ある。御影堂よりも阿弥陀堂が小さい。阿弥陀さんによって救われるのが人間だ。だから親鸞より阿弥陀さんを大切に大きくつくるのが当然だろうという批判だ。
私は、そのとき、「こうやって間違ってはいかんよと教えてくれるのが真宗」というふうな答えをした。そういえば、本山の北東角に「鬼門除け」がある。築地塀がそこだけ角を削ってつくられている。親鸞は日の善し悪しや方角の善し悪しなどにはとらわれてはならんといっているのに。これも親鸞の精神に反したことをしているではないかと批判がある。それもそう。親鸞だ本願寺だといっておきながら、こういう間違いをするのが人間の愚かさだと教えてくれる。こうやって教えてくれるところに「真宗」があるのだ。
真宗が現実のものになってしまったら真宗ではなくなる。つねに批判原理として以外に「真宗」はないのだ。
しかし、どうも教団人は、この矛盾をなくして、この世に「真宗」をつくりたいようだ。そして「見てください。私たちの本山は親鸞の精神にのっとって、決して間違ったことはしていませんよ。正しい姿を示していますよ」と胸をはっていいたいようだ。
どうだろうか。もしこの世に、これこそが正しい真宗の姿ができあがってしまったら、そこには真宗はなくなってしまうのではなかろうか。
もしそれが実現してしまったら、それは理想像とはなっても批判原理としてはたらかないのではないか。もっといえば「改邪の精神」ではあっても、「歎異の精神」ではない。それは歎異抄が批判する「善人意識」になってしまわないか。
それでは逆のような気がする。どれだけ矛盾しても、どれだけ間違っても、その間違ったものを消し失わずして、そこから真宗を汲み取っていけるのが〈ほんとう〉の真宗ではないか。間違いを恐れないということだ。だって、人間は基本的に間違う生き物だし、間違うことができる能力をもっているのだ。
ひとつひとつ間違いを帳消しにして、正しい真宗を作り上げようとするのは、「われとつみを消して往生をはげむ」(歎異抄14条)ことではないのか。
皆さんの聞き方もそれぞれだ。まあそれが人間のよいところでもある。今日の話は全然眠くならなかったと反応してくれたひともいた。安心して寝ているひともいるし、真剣なひともいる。「みんな違ってみんないい」(金子みすゞ)だ。
午後2時からの懇親会は、会館にテーブルをならべて大宴会だった。「夏でも熱燗」という伝統を崩さないスタイルは尊敬に値する。「ご返杯」という杯をやり取りする伝統文化も教えいただいた。
願わくは、お寺で聞いたことを家に持ち帰って、そこで味わいなおしてもらいたいものだ。寺は信心の教習所だ。家という現場に帰って、自由に運転できるようになってほしいものだ。これはよく聞くことだが、寺では感動したり、いいなぁと感じたりするけど、それを自分のことばで言えといわれると困ってしまうと。それもわかるような気がする。
信心とは、意識を通すのだが無意識から生みだされてくることだからだろう。夢をひとに語ろうとしても、難しいのと同じだ。
まあ、〈ほんとう〉に帰るべき現場は、家ではなく、ひとりひとりのこころの中なのだ。独生独死独去独来である。
2013年7月17日●
新興宗教はダメじゃないかと話していたら、浄土真宗だって新興宗教じゃないかと反応された。どこを起点にするかだ。地球の誕生から計算すれば、仏教だってキリスト教だって新興宗教だ。
まあいいたかったのは、とどのつまり、現世利益で、人間の理想をかなえる程度ではダメダといいたかったのだ。
参議院選挙でも、新興宗教の人たちが応援する候補者が出ていた。こっちは老舗だと高をくくっていたのだが、よくよく考えてみると、新興宗教の原点も、実は自分の内部にあったのだ。
そう気がついてみると、恐れる必要もないし、不思議に思うこともなかったのだ。
すべて自分の内部から表れてきた現象に過ぎない。やはり人間程度のことでしかないのだ。人間以上でもないし、人間以下もでない。そうなんだ。
この人間の外、つまり人間を超えるというのが、なんというか、言葉では言い表せないのだが、〈ほんとう〉のところなのだ。
2013年7月16日●
ひとつ ひとつの ことが、すべて奇蹟である。
あなたとの出会い、吹いている風。ひとつとして同じことはない。
因果論は迷信だ。
ああなったからこうなる。こうなったからああなる。こうなったのは、こういう理由があったらだ。そういうのがすべて因果論だ。迷信だ。
事実はひとつひとつが、すべて奇蹟だ。
理由をさがせば無量無数の理由がみつかる。結果はたったひとつでも、その結果が成り立つための原因は無量無数というのが、ものごとの本質だ。
それが人間にとって、都合がよいか悪いかはわからない。ただ奇蹟であることだけは間違いない。
どうして「奇蹟」が、「当たり前」に変質してしまうのか。人間には意識(思い)があるからだろう。どうも事実は刻一刻と変化しているのに、その微細な変化にこころがついていくには、あまりに大変なんだろう。だから、意識は「だいたいこういうこと」とまとめて受け取ってしまう。
3・11はその思いを打ち破った。規模が大きかったから、何回もテレビで報じられている。忘れないように、風化させないようにと。しかし、毎年、日本では約百十万人が亡くなっている。それらの遺族は、どういう気持ちでいるだろう。彼らは無言でいる。こころの中では、いろいろな思いが日々巡っていても無言で暮らしている。この無言が、恐ろしいくらいに私のたましいを揺さぶってくる。地鳴りのように。
姜尚中の『心』に出てくるシーンが思い出された。
ライフセーバーではなくデスセーバーだと呟く青年。彼は津波で流された遺体を引き上げるボランティアだ。当初、彼はどこかでそれを、「よいことをしている」という思いでやっていた。ところが遺体の痛みが酷く、その遺体を家族に引き合わせたとき、「なぜ引き上げたんだ」と拒絶された。引き上げなければ、まだ家族はどこかで生きているという淡い望みをもてたのに。さらに、こんな酷い姿を見なければ、もっと安らかにあの世に行っているとも思えたのに。酷すぎると。青年自身が精神的に崩れていく。
現実は残酷である。見ないことで救われていくこともある。現実の残酷さを支える受け皿もないままに、引き合わされる遺族はたまったものではない。

ここが人間の悲しさだ。愚かさだ。
いま、ここ、わたしが、人生の終着点。
そこに立てば、自由が与えられる。それを忘れているとき、不自由になる。
人間は、あれもこれもできない。できるのは、目の前の、たったひとつのことだけだ。
2013年7月14日●
今月の『ネットワーク9』だったか、故二階堂行邦先生の追悼文が掲載された。
近田先生が、小林勝二郎さんと二階堂さんとのエピソードを書かれていた。それは若かりし二階堂さんが、京都の大谷大学を卒業され東京へ戻ってきたときのことだ。小林さんという武人というか、勇ましい念仏者が専福寺(自坊)を訪ねてきたそうだ。
それで二階堂さんに「坊主とは何や?」と単刀直入に尋ねられた。あまりに単刀直入だったので、戸惑っていると、小林さんは「坊主とは、仏さんだけを相手にして生きるもんや」と喝破されたという。それだけ言い置いて、スタスタと帰っていったそうだ。
若かりし二階堂さんは、大学を終えて寺という現場に戻るのだから、これからは人間こそが大事なんだ、つまり門徒さんたちを相手に、どうやって真宗の縁を結んでいくかという思いでいた矢先のことだった。その思いがあったから、逆に小林さんの言葉が弾丸のように胸に刺さったそうだ。いまでは、ようやくそのことが腑に堕ちたと漏らされていた。
小林さんは、剣の達人のような凄味をもった念仏者だったのだろう。「ただ念仏」で喰えないようなものは本物じゃないと、仕事をやめてしまったという。女房子どももあってのことだ。どうやって生きていたのか、いま考えても不思議なひとだったと二階堂さんから伺ったことがある。
しかし、「仏さんだけを相手にして生きるもんや」という返答は、決して否定できない。まあ、この言葉をどういうふうに受け止めるかということが問題なんだ。なにも念仏を称えて法事・葬式を熱心にしろということではないだろう。もっと根源的なことを意味しているのだ。
つまり、自分が究極的に何に向かって生きているかということなんだ。表面のことは、すべて五官という感覚器官から入ってくる。眼(視覚)・耳(聴覚)・鼻(嗅覚)・舌(味覚)・身(触覚)を通して我々は外界と接している。何を見、何を聞き、何を嗅ぎ、何を味わい、何に触れているか。そのことの窮極の答えが「仏さん」である。
自分のことに引き当てて考えてみると、次の本は9月に出版が予定されている。こういう著述活動のすべては、何に向かって表現することなのか。それは表面上は人間社会なのだが、突きつめていくと、それは阿弥陀さんに向かって以外にではない。究極的には、あらゆる行為は、すべて阿弥陀さんに差し向けられているものなのだ。
何のために見るのか。それは阿弥陀さんのため。
何のために聞くのか。それは阿弥陀さんのため。
何のために嗅ぐのか。それは阿弥陀さんのため。
何のために味わうのか。それは阿弥陀さんのため。
何のために触れるのか。それは阿弥陀さんのため。
そして何のために考えるのか、それは阿弥陀さんのためなんだ。
その窮極のところまでいかなければならない。この世のことはすべて「末とおらない」ものなのだから。阿弥陀如来のところまで至って、ようやく落着する。
阿弥陀さんに慰められない限り、この世のことで慰められていても、それは慰めにはならないだろう。どれほど「この世」のことで満足を与えられたとしても、その満足は味気ない。どれほど健康だろうと、どれほど財産があろうとだ。

2013年7月12日●
亡くなった主人は、いまどこにいったのでしょうか?と問われた。
知り合いのお坊さんには「阿弥陀如来のところにいっている」といわれたという。ご本人は、それがほんとうかどうか不安な様子。
私は、「自分で確かめない限りひとから、成仏しているといわれても、迷っているといわれても不安は解消できないでしょう」と答えた。
どうすればそれがわかるのかと問われるので、「信心の眼を獲ればわかります」と応答した。
よく、自分がどこに行くのかがわかったときに、亡くなった方々がどこへいっているかがわかるといわれる。
そうだと思う。
すべて自分が抜きになってしまっては、ダメである。
姜尚中の『心』を読んだ。
若者との往復メールで全体がつづられている。若者は親友を病気で失う。その直後、東日本大震災を体験し、ライフセーバーとして遺体発見ボランティアをする。眼のない遺体、内蔵のない遺体、首のない遺体、それらの遺体を発見し引き上げる。自分のやっているのはライフセーバーではなくデスセーバーだという。若者は精神的にダメージを受ける。その中で、「生きているとはなにか?」「死ぬとはなにか?」という問いに突き当たる。
彼は、死があるから生が輝くのだともいう。
姜はその応答に「永遠という言葉でしか表現できないものがこの世に存在することだけは確かです。そしてそれは、ただそこに存在するのではない。永遠はおそらく現在を生きるわたしたち一人ひとりの、その時々の決断によってもたらされるのです」と応答している。
そうにであってほしいし、そうに違いないのだが、そこに仏さんと呼ばれてきた媒介がはさまれていないと、永遠は実働しないのだと、思ってしまう自分がいる。
仏さんという言葉で逃げていてはダメなのだ。そういう言葉で表現されてきた何かがあるのだ。人間にとって、そういう言葉でなければ、伝わらない何かがあったのだ。
姜は自らのご子息を失っている。
ご子息の最後の言葉は「生きとし生けるもの、末永く元気で」だったそうだ。生と死が、光と影のような陰影で描かれている。
その言葉は、人間が人間に対して吐く言葉ではない。人間が人間に吐いてはダメなんだ。人間が人間に対して吐いてしまっては、絶望へ行き着くしかない。
それは人間が聞くことばであってほしかった。人間に聞こえてきた、「聞き言葉」であってほしかった。
これは『在家仏教』に高村薫の文章を題材に書いたことだが、彼女がいうように仏教には「死ぬな」というメッセージはない。しかし、「だったら生きてもいいじゃないか」というメッセージはあると。生と死が等価になったときだけ、生もありうるのだ。
生のみが真で死は無だと考えていれば、それは絶望だ。
生と死の綱渡りだ。どっちに転ぶか。最終的に、そのギリギリのところに、私の〈いま〉はある。
もし、次の一歩が、エベレストの頂上への綱渡りの一歩だとしたら。足を踏み外せば断崖だ。目の前の道は、平坦でちょっと踏み外しても、全然問題はない。しかし、本質的にはエベレストへの一歩に違いない。次の一歩が。
生と死がむき出しに問われているひとにとっては、納得のいくことだ。
本質的に、生がよいのか死がよいのか、それは仏さんのみが知っていることである。
2013年7月9日●
本願の海を泳ごう
我々が泳ぐのは本願の海だ。広々した海を、どこまでも泳ぐ。
泳ぎを覚えたのはいつのころだろう。小学校の頃、夏には水泳の時間があって、あれが苦手だった。とにかく水に顔をつけるのが苦手だった。プールに腰掛けて、両手を伸ばして耳の所に当てて、いち、にの、さーんで水中に飛び込むやつ。
頭から水に突っ込むのが怖くてできなかった。どうしても顔を上げて突っ込んでしまう。進行方向が見えていないと不安なのだ。顎を引けと先生にいわれたが、どうもそれができなかった。
だから、水中に浮くということができない。水の中では、空気中と違って、妙な感じになる。水中に耳が没入したとたん、ジャバーという変な音がする。不快だ。下手をすると水が耳に入ってしまう。
長じてから、友人とよく伊豆七島の式根島へ遊びにいった。シュノーケリングで潜水を楽しんだ。日に焼けて東京へ戻った。あの頃には、まあまあ泳げるようになっていた。どうやって泳ぎを覚えたのかはわからないが、いつとは知れずだった。
そんなとき、「信仰的自立」とか「独立」ということが気になっていて、ふとこんなことじゃないかという譬喩が思い浮かんだ。
信仰的自立とは、自由に本願の海を泳ぎ回れることではないかと落着した。
泳ぎができないとき、いろんなものに世話になった。つまり親鸞という島や、お経という浮輪。泳ぐのが不安なときは、自分の足がつかない深い海に出て行くことが怖い。だから、ちょこちょこ泳いでは、浮輪に世話になったり、親鸞という島にしがみついていた。
いつとは知れず泳げるようになると、そういうものにしがみついていたことがわかり、そういうものに世話にならなくてもよいことがわかってきた。
相変わらず、歎異抄とか教行信証とか、そういう親鸞の言葉とは下着のような関係なんだ。でも、突きつめてみれば、それらの言葉は「とりあえず」のものでしかない。しがみつく島でしかない。
正確にいえば、たとえば「悲しきかな愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し」と親鸞が書いている。それは誰も否定することのできない文字として現代に残っている。しかし親鸞が、それをどういうつもりで書いたのか。その真意は知ることができないということだ。
それをどう受け取るかということが教学というものである。しかしだ、それは解釈するひとによって全部違ってくる。それはそれでよい。
いけないのは、どれが正しい受け止めかと考えてしまうことだ。どれが親鸞の真意に近いのかと考えてしまうことだ。まあそういう考え方を知らず知らずにしてしまうのも仕方のないことだ。それも許容しよう。
でも、どれが真意に近いといってみたところで、それが果たして親鸞の真意と一つであるかどうかは確かめようがない。相手は死んでしまっているのだから。
確かめようがないということで、引き下がっていればよかったのだが、それに飽き足らず、順位をつけてしまう。そういう煩悩も起こる。これも許容しよう。
つまり親鸞の真意が見出せないのは、後代の、つまり我々が劣っているからだと考えてしまってきた。これは「劣等感の系譜」であり、この考え方はいまも強烈にある。
お釈迦さんや親鸞を絶対視してきたから、弟子どもは馬鹿ばかりという劣等感の系譜だ。この劣等感の系譜を断ち切らなければならない。というか、親鸞はそれを主張したのではないか。相手にすべきは、親鸞ではなく阿弥陀さんだった。
金子みすゞをもじれば「みんな違ってみんないい」というやつだ。
親鸞という島は島としてあってよい。時々、休憩のために立ち寄る程度でよい。自分は自分の目の前に広がる本願の海を自由に泳ぎ回らなければならないのではないか。
自分を生きるということは、前代未聞、空前絶後、前人未到の〈いま〉を生きることだからだ。富士山の世界文化遺産登録どころの騒ぎではない。もっと重たく、もっと貴重なことが、目の前に展開しているのだ。
目の前に展開している世界は、本願の海だったのだ。
それじゃ、それこそ、取りつく島もないといわれそうだ。何を基準にして生きたらよいのかわからないと問われそうだ。
まあ、一応、島はあるじゃないか。ただ、それはしがみつくための島ではなく、休憩程度の島なんだ。
もっと誤解を恐れずにいえば、「自分」(自の分)の中に親鸞も仏陀もおられるのだ。親鸞的自分、仏陀的自分、そしてもっといえば麻原的自分、ヒトラー的自分、阿闍世的自分。それらが、ぎっしりと詰まってはち切れそうになっているのが「自分」である。「自分」とはそういう構造をもっているものだった。
本当に、いま、ここで、確かに生きていると実感できるのは、「自分」だけなんだ。目の前に存在している人々は、みんな私の目に映ったお客さんだ。これはあなただけの固有の世界として、誰にも犯されず目の前に展開しているのだ。これが本願の海だったとはつゆ知らずである。
さて、それをどういただくかだ。
2013年7月6日●
「結果がすべてである」
宿業という言葉が、私の深層で蠢いていたのだろう。宿業という言葉は、なんともいわく言い難い情念をかきたてる。言葉でいえば、グロテスクとか、魑魅魍魎とか、重苦しいとか、そういったおどろおどろしい感情の波をかきたてる。
そうだっのだ。宗教言語は、「イメージ言語」だったのだ。
理性的に綺麗に腑分けさたお行儀のよい言葉ではないのだ。感情やら怨念やらを引きずっている言葉なのだ。
だから、理性にとってはいかんともしがたいダークなものを潜めている。宗教言語はどれだけ理性的に解明されたとしても、一向に解明されないまま頑としてそこにある。だから、理性にとって宗教言語は、つねに「?」という印象を与える。それが宗教言語のもっている生命力だ。
違った側面もある。それはワクチンのような効能だ。生のワクチンとは、弱毒の生の菌で、それを体内に取り入れることで病原体と出会ったときに免疫力を発揮するものらしい。 宿業というワクチンが私の体内に入っていたようだ。それは本人が意識するとしないとにかかわらず、体内ではたらいている。余談だが、聞法とは、無意識の教育である。それは本人が意識するとしないとに関わらず、宗教言語が体内でワクチンのようにはたらくことである。
それがあるとき、病原体と出会ったときに、違った形の言葉へ結実してくる。それが「結果がすべてである」だ。
〈いま〉、ここに、このように在ることが、すべてなのだ。
何を食べ、何をし、何を語り、何を思い、何を愛し、何を憎み、何を欲したかのすべてが、〈いま〉という結果を形作っている。
そのことに圧倒されることだ。他のことは、すべて妄想だ。過去のことも、未来のことも。
歎異抄に「すべて業報にさしまかせて」という言葉がある。この「さしまかせて」という言葉が魅力的だ。
何を思い、どう行為したとしても、その全体は「さしまかせて」いることなのだ。
そしてそのうちのどの瞬間を切り取ってみても、文句のつけようがない。
それらのすべてがお前だと教えられる。
「自分」とは、実におもしろい言葉だ。「自の分」である。自として分けて受け取っていることのすべてが自分だ。どこかに切り取って取り出せるような実体があるわけではない。
この全宇宙、全世界が実は「自の分」である。
2013年6月26日●
「紫陽花や 梅雨空 憎し 立ちションベン」
これは、私の作った駄作の俳句だ。ひとから下品と評された。
どうも下品なことしか出てこない質のようだ。
「江戸っ子は 五月の鯉の吹き流し 口先ばかりで ハラワタはなし」
といって、汚い言葉を吐いた後に、毒消しの台詞として使わせてもらっている。
汚い言葉を吐くときには、感情が波立つ。
スイカ割りのスイカに振り下ろした棒がぶち当たり、中から真っ赤なスイカが顔を覗かせたような、気味のよい感覚がある。
そして感情的になっている自分が、恥ずかしくもあり、その台詞を吐くのだ。
そうとう酷いことを言って、ひとを傷つけたこともあるようだ。
自分ではそのことに無自覚なのだ。
近頃では、「人間など信じられるものではない。人間を信じてはいけない。信じられるのは阿弥陀如来だけだ」と連発して、それを免罪符にしている。
意外にも「武田はジェントルで、いいひとだ」という買い被りがある。
これは買い被りであり、人間の表面的な皮を見ているに過ぎない。それは事実誤認なのだ。
「外面如菩薩、内心如夜叉」という言葉がある。まさにこれだ。
親鸞も「こころは蛇蝎のごとくなり」といっているではないか。
なんか、親鸞に助けられた気がする。親鸞でさえもといおうか、親鸞だからこそといおうか。
人間は買い被られようが、くさされようが、ほんとうの自分とはズレている。
くさされたほうはまだ、ほんとうの自分に近いのかもしれない。始末に悪いのが、買い被りだ。この延長上にあるのが「善知識たのみ」という異端である。
でもだ。買い被るのも、くさすのも、ほんとうのところはこっちに与奪の権利はないのだ。だから、「ご自由に…」というしかない。
〈ほんとう〉の自分をちゃんと知っていてくれるのは阿弥陀さんだけだ。
自分で、自分自身のことがわかったような顔をしているだけで、〈ほんとう〉のところはわからないのだ。
それでよいのだ。

そうかと思うと、今日なんかは、雨が水たまりに落ちたときの波紋にうっとり見とれている自分もいる。
波紋は、どれもこれも丸い。ザーザー降っている雨では見えないのだが、パラパラと降る雨は、すべて円形の波紋が広がる。
波紋と波紋とが重なって、実に美しい。考えてみると三角形の波紋も、四角形の波紋もない。すべは円形なんだ。
円形にしているのは誰なんだろう。
2013年6月22日●
野菜と聞けば、すぐに食べ物だと思い込んでいる。
食べ物であるまえに、植物なのだ。

ナメタ鰈の煮つけを食べた。
縁側は、ヌメヌメの皮でできているから、ゼラチン質で旨い。
しかし、小骨がやたらに多い。
海の底を、滑らかに泳ぐには、こういう骨格でなければならないのだろう。
数時間前まで、海の底をウネウネと泳いでいたであろう鰈が、いまは私の口の中にいる。
小骨が多く、食いにくいなぁと感じる。

そのうちの一本が喉に刺さった。
痛みとともに、憎しみすら起こってくる。
鰈は「食べ物」である前に「生き物」なのだ。
なんという単純な事実。
鰈は、俺は生き物だ!と叫んでいる。
その悶絶の断末魔で、最後の一撃を食らわしたのだろう。
2013年6月20日●
教如がなぜ東本願寺を創立したのか。この問いに取りつかれている。
 その意図を探っていくうちに、東本願寺の見解と見なされうる『教如上人と東本願寺創立-本願寺の東西分派-』(教学研究所編・東本願寺出版部発行)が、「結果的に本願寺教団は二つになった。しかしそれは、教如、准如が意図的に行ったというよりも、むしろ教団が社会的存在として世俗に対応する中で生起したことであるといえよう。」という結論が、まあまあ納得できるところなのかと考えるようになった。
 しかしそれだけでは状況分析に停まっていると考えたのか、次の判断を述べている。
「教如は教団が内包する人間関係を引き受けつつ、『聖人一流』の教えを相続し伝持する教団を願い、根本道場である本廟・本願寺を護持することを生涯の課題としたといっても過言ではあるまい」
 それは教団としては、そうあってほしいし、そのように受け取るべきだと指針を示しててもいるわけである。
 
 もう一度、冷静に「教如の本願寺創立の意図は何か」という問いの質を、自分自身に聞いてみるべきだと思う。その問いは、意図はひとつであるべきだという質になっていやしないか。しかし、調べれば調べるほど、創立の意図は一つではないのではないかと思えた。 教如の生涯をみるとき、何といっても誕生の場所が、あの大坂本願寺、後に戦場となる「石山本願寺」である。さらに教如が13歳~23歳の多感な青春期を過ごしたのは、まさに戦場だった。
 名称は確かに「本願寺」ではあったが、別の角度から見れば、これはやはり戦国大名の占有する城ではなかったか。
 歴史学者・神田千里は次のように述べている。
①「本山の滅亡により親鸞の教えが断絶して信仰が拠り所を失うという危機に対して戦うべきであり、だから信仰を守るために蜂起せよ、ということである。こうした論理が門徒にアピールして本願寺門徒の蜂起を促した、その限りでは教団を守る戦いと言えよう。」②「だがそれは、個々の門徒が曝された信仰の危機に対する戦いではなく、幕府内の有力者や守護大名らと密接な政治的関わりをもっていた、本山本願寺とその教団の政治的立場を守る戦いであったと思われる」(『宗教で読む戦国時代』講談社選書メチエ2010年2月)
 いままで石山本願寺合戦のシナリオは①であるとだけ思っていた。ところが神田はむしろ②が客観的な状況判断から類推できると結論している。
 その傍証として、「実如は加賀から一〇〇〇人の門徒を動員して政元の依頼に応えたという」と述べ、一向一揆とは、「政治抗争に巻き込まれた本願寺教団が、抗争の中での生き残りをかけて諸国の門徒を戦場へと動員した、というほうが実態に近いように思われる」
といっている。つまり門徒の意識としては、真宗という信仰を守り、教団を守るために弾圧勢力と戦うというものだったのだが、客観的には戦国期の政治状況のなかで教団をいかに存続させるかという意図が大きかったのではないかというのである。
 そこからみえてきたものは「多面体としての教如」である。
A、戦国大名としての一面。
B、真宗門徒としての一面。
C、本願寺教団の門主としての一面である。だいたい三つにわけて考えれば間違いないように思える。
 BとCは重なっている部分もあるので見分けにくいが、一応分けておきたい。
教如の信心の核心部分があらわれているのではないかと思える表現を探してみた。
 家康に寺領をもらった教如だが、御堂を建ててやろうという家康に対して、それを拒否し、「堂宇、造営相続等の事は、門葉の懇志を相待そうろう事こそ、一宗の本意にて候」(『校注 教如上人伝記』昭和一四年一一月 稲垣廣運 法蔵館)と述べている。
 さらに「報恩の為に各の分にしたがい、懇志を運び候ことは、開祖以来の宗風にて、今に始めぬ事に候。しかるに寺禄を賜り候はば、子孫化導に怠り、かえりて本意を失い申さんが、」と述べている。
 土地は権力者からもらったとしても、建物は自分たちの力で建てるのが親鸞以来の「宗風」なのだと教如は考えていたようだ。おんぶに抱っこでは「化導に怠り、かえりて本意を失」うという危機感をも示している。つまり、本願寺といえども、建物を建てることが本意ではなく、化導こそが本文、本末転倒をしてはならないというのだ。ここに信心のひとしての教如の一面が表われているのではないか。最初に建物ありき、教団ありきではなく、「化導」こそが第一義だというのだ。

 真宗歴史学者・大桑斉は、教如の伝記がいままで書かれなかったのは、教団の恥部だったからだと判断している。(『教如』二〇一三年三月法蔵館)
 教理の問題で東西分派があったとなれば誇らしいが、それ以外の理由では単なる御家騒動ではないかというのだ。そういう事情があって、盛大な「御遠忌」はなかったようだ。今回(2013年4月)の「教如上人400回忌法要」は、違例の扱いらしい。
そこで教団は教如の本願寺創立の意義をさがさなければならないことになった。そういう促しから大桑は教如のBの側面を「本願寺の家は慈悲を以って本とす」という文章を『宇野新蔵覚書』から見出している。
 物乞いが教如に「お剃刀」(仏弟子となる儀式)を受けたいと申し出たところ、家臣たちは高貴な方が、直接物乞いにお剃刀をするなどはもっての外だといったときの教如の応答がこの文章だ。
「本願寺親鸞聖人の申し残され候通には、非僧非俗、我ら遠行の後、死骸をば加茂川に入れ、魚に与うべし、とある上は、本願寺の家は慈悲を以って本とす」と。
 大桑は、それを解釈して、「お剃刀を受けて仏弟子になるのに、僧とか俗人、門跡とか物乞いというような、そのような身分的差別はない、それを超えたものが親鸞の精神だという意味である。(略)自分の身を施して他者を救えという、いわば捨身の慈悲、菩薩行としての慈悲、その意味で使っている」と述べている。
 ここにBの教如があらわれてはいる。しかし、それであっても、なぜ東本願寺が別立されなければならなかったかという理由にはなりえていないように思う。
まあその点は親鸞にしてもしかりである。親鸞は「教団」を立ち上げるという意志はなかった。ただ結果的には出家仏教のハードを利用して、「在家教団」としての道を歩んできたのが真宗教団である。親鸞には教団創立の意図はない。教団は娑婆の組織だから、必ず変質するという思いがあったのだろう。善鸞義絶という影も、そういう思いを強くさせたのではないか。
しかし、親鸞の意図どおりであったら、おそらく教団は消滅していたことだろう。矛盾を排除して純粋な信心に生きるという願いは、間違いない。これは私の譬喩だが「教団は卵の殻、信心は黄身」である。殻がなければ、黄身はヒナに孵ることができない。その意味で殻は信心を温存し養育する保育器である。ただし、その中に停まってしまっていたのでは、殻は障害のままでしかない。殻を破って自立していくのが信心である。
原始教団が共同で支えてきた親鸞の「廟所」を「寺院化」した曾孫・覚如の功罪を秤にかければ、罪よりも功のほうが大きいのではないかとさえ、最近、私は思うようになった。
功罪の罪はないほうがよいと考えるのは、机上の空論である。純粋を目指すのはよいが、それは脆い。むしろ罪にこそ人間存在の深みを見出していけなければ脆い。

 いろいろ述べたが、すべては結果論だが、「教団が社会的存在として世俗に対応する中で生起した」(前掲)ということに収まりそうである。
 まして徳川家康が別立させたという筋書きのありえないことは明白になっている。しかし現実的に二派に分派して、現在まで四〇〇年が経過している間に「宗風」の違いが生れてきたことも事実である。
 それまで「高田門徒・横曽根門徒・鹿島門徒」等と「門徒」という名称で、ある程度組織化された真宗各派の力関係を大きく編成しなおしたのが本願寺八代目・蓮如である。組織の統合は、無理を生む。一向一揆は、目的意識をもった組織論をもたなかった。強圧に集団で立ち向かったという程度のことだった。
まだ煮詰まってはいないのだが、そこから考えると、「宗風」の分岐点は、石山本願寺合戦で、和睦を支持した顕如派と徹底抗戦を支持した教如派の分裂と考えてもよさそうだ。『教如上人と東本願寺創立-本願寺の東西分派-』では、江戸幕府が「本末制度・寺請制度」を設けることで、組織化を促すなかで、「本願寺が東、西に分かれた以上どちらに属するかをあらためて確定しなければならない。従来より「教如支持」の門徒もあれば、東、西どちらの末寺になるかを迷ったり、意見の対立などがあったと推察できよう。」と述べられている。

分派してから今日にいたるまで、東西両本願寺は約四〇〇年の異なる歩みをしてきた。離婚した夫婦が、それぞれ新たな家族をもって違った人生を歩んできたと譬えたらおかしいだろうか。私にはその譬喩が素直に受け入れられるのだが。
 いずれの教団にも功罪両面がある。教団を肥やしとして、そこから新たな信心のひとが生れていくというかたちになれば、以て瞑すべしではないか。
 
2013年6月9日●
日帰り団体参拝で、茨城県常陸太田市の西光寺(真宗大谷派)と那珂市の上宮寺(浄土真宗本願寺派)へ行ってきた。
西光寺は唯円ゆかりの寺、上宮寺は弁円(明法房)ゆかりの寺である。
唯円とは誰か。
有名なのは河和田の唯円。このひとは歎異抄の著者と推定されている。西光寺の唯円は「鳥喰(トリハミ)の唯円」である。果たしてふたりの唯円は同一人物なのか別人なのか。まさにミステリアスだ。しかし、名前はどうあれ、そこにそういうひとが存在し、人間関係を形成し、何事かを伝承してきたことは間違いない。
寺の宝物として、「法然上人流罪の肖像」と「南無阿弥陀仏の名号」(伝蓮如)と「鬼人成仏絵伝」とがある。それと鬼人が成仏したときに抜け落ちたという二本の角である。
一番気になったのが二本の角だった。
橋本御住職の話だと、調べてもらったところ、アジア地域に住む動物のものではないことが判明したそうだ。またまた、ミステリアスだ。
伝絵によると、ある女(タメ)とある男が婚約してい。ところがその男、なぜだか知らないが結局違う女と結婚してしまった。怒ったのは女(タメ)だ。男を呪い殺そうと、神社に夜な夜な願掛けをした。その姿があまりに壮絶になり、やがて女は鬼人となってしまう。鬼人となって男を殺しに家まで押しかけるのだが、南無阿弥陀仏の本尊がまぶしくて男に近づけない。怒りが溢れだし村人を喰ってしまう。神社の御神体が、それではかわいそうと鳥を一日三羽食わせるからひとを喰ってはならないと命令する。それを哀れに思った唯円が親鸞聖人にお知らせし、説法をしてもらい、やがて鬼人は成仏する。そのとき、いままで生えていた角が二本、ぼろりと抜けたというのだ。それが宝物として飾られている二本の角だ。
私は、この話を参加者にどう思いますかと聞いたら、あるひとは信じられないと答えられた。まあ一般的な現代人であれば、そういう感想をもつだろう。科学的にひとから角が生えるはずがないし、まして鬼人になるなんていうことも信じられないだろう。それは私も同感である。
しかし、この話の核心はそこにはない。この絵伝を何百年の間、受け伝え語り継いできたひとのこころが核心なのだ。問題は角ではなく、人間の伝承力である。
角が架空のことならば、我々が本堂に安置している阿弥陀如来も架空のことに違いない。 角は非科学的だと否定して、阿弥陀如来は、そこにましますが如くに扱う、この矛盾をどうするのか。
どちらもシンボルとして有効に意味を汲み取っていけばよいのである。
この角があれば、どれほどそこからいろいろな味わいが生れてくるか、信心の出汁がどれだけとれるか、果てしないことではないか。だから、あの角がほしくなった。
一方、上宮寺は山伏弁円のゆかりの寺だった。
弁円のお話は御伝鈔にもあり、有名な話だ。親鸞が越後から関東へこられ、常陸を教化されたとき、もともと根付いていた修験道信仰が危機感をもったのだ。それで弁円は親鸞を亡きものとしようと画策した。最後には親鸞の住居にまで押しかけた。ところが実際に出会ってみたところ、弁円は親鸞にころっと参ってしまった。いままで殺そうと思ってやってきた人間が、ころっと参ってしまったというのはどういうことなのだろうか。
事実は小説よりも奇なりということなのだろう。
ひとつには「親鸞の無防備な態度」、ふたつには「敵に対する親鸞の慈悲深い包容力」。果たしてふたりの間にどういうことがあったのか、それは知ることができない。あとのことは解釈に過ぎない。
私は、敵対する弁円のこころに親鸞自身のこころを感じ取ったのではないかと思った。ひとを殺したいという思いが自分のなかにもあり、そのこころと弁円のこころは同じだと感じた親鸞がいた。むしろ弁円以上に残酷なこころを親鸞はもっていると告白したのではないか。
親鸞の和讃に「悪性さらにやめがたし こころは蛇蝎のごとくなり」というのがある。みずからのこころを毒蛇やサソリだと見抜いている。これこそが弁円と同質のこころではないか。
弁円は弓を置き刀を下ろし、親鸞の弟子となり「明法房」と法名を頂戴する。この法名もおもしろい。自分を殺しにきた人間に対して、親鸞は「法を明らかにする」「法が明らかになる」「明らかなる法」というような意味づけの法名をつけている。これをどういうふうに解釈したらよいか。
この「修験道」という宗教のあり方と、親鸞のあり方とは交差しないまでも、付かず離れずの平行線のような感覚を受ける。
弁円もそうだが、善鸞もその影がある。唯円にもその影がある。千葉県房総半島の神野寺の修験道とも関係があったという資料もある。
そういういわば親鸞のダークな側面とピュアな側面とが共存して、初めて立体的な親鸞があるように思える。現代の視点は純粋な信仰に生きたピュアな親鸞像だけを崇拝してきたように思えて仕方がない。それはやせ細った親鸞ではないか。やはり人間が生きるというのはもっと重層的なことが孕まれていなければならない。それが人間という生き物の奥深いところだ。
親鸞のダークな側面とは、臨床や応用の側面である。ダークな側面があっても、一向にピュアな側面を傷つけることがない。親鸞の神髄は「ただ信心を要とすとしるべし」である。その信心が人を前にして、臨床として展開したのが応用編である。幽霊済度、大蛇済度、餓鬼済度等々、民間伝承の親鸞は奇想天外である。そこまで奇想天外でなければ、民衆には届かなかったのだろう。どれほど純粋な水であっても、一口でもひとの口に入れば、汚れた水になってしまうようなものだ。しかしひとは、その一口の水なしでは生きることができない。
2013年5月31日●
阿弥陀という名前を使うことに対して、以前は感情の微かな昂りを覚えた。
それは、超越性を凡夫が扱うことは不可能だという思いがあったからだ。不可能なことなのに、あたかも扱えるかの如くに使用してることに対して、ためらいと、傲慢さを感じていたからだろう。
しかし、いまは違う。
阿弥陀すら相対性の内部にしかないと知ったからだ。 名前があると実体があるかの如き、実体観にとらわれていた。
相対性のものが超越を扱えることは、永遠に不可能なのである。
根が切れると、ようやく独り立ちだ。
自分の内部にあった実体感がきれいさっぱり切り落とされると。今度は、そこから自由に表現が生れてくる。どのように表現しようと、語ろうと、決して、指一本「阿弥陀」に触れてはいないからだ。
触れているという微かな傲慢が残っていたのだ。それが微かな昂りとなって感じられていたのだ。
そうではなかったのだ。完璧に相対性のなかの住人だったのだ。それでよかったのだ。
竹部勝之進さんの「垣ヲスル」という詩を思い出す。
垣ヲスル
垣ヲシテ
垣ノウチダケヲ
ワガモノト思ッテイルガ
ソウデハナイ
天地ガワガモノデアル

「垣ヲスル」ということさえ気付いてはいなかったのだ。阿弥陀さんに初めて、「垣」をしていることを教えられたのだ。
でも、それは、阿弥陀さんだけのことなのだろうか。阿弥陀さんだけが超越したものだろうか。〈ほんとう〉は、あなたも私も、どこかでこの世を超えているのではないか。相対的だというけれど、限界のあるものだというけれど。どうしてそれがわかったのだろうか。そう考えると、どこかで私は阿弥陀さんを直感していたのだろう。
「天地ガワガモノデアル」というのは、阿弥陀さんにすべてをおまかせしたひとの言葉に違いない。
2013年5月28日●
永代経法要が終った。
谷川俊太郎さんが、駅での待ち合わせの時間を間違え、30分遅く着かれたので、ヒヤヒヤした。
天気も、どうせ雨だろうと踏んでいたが、穏やかな天気だった。
会場には150名くらいのひとが、席を埋めてくれた。好都合なことに、キャンセルのひとが出たため混乱するほどの混雑にもならなかった。
江東少年少女合唱団の40人の子どもたちの歌声に、一同、感動の渦に巻き込まれた。(これは、懇親会で、みなさんの感想をお聞きしてわかったことだが)
初めから、阿弥陀さんにすべてをおまかせしているので、ちゃんといいようにしてくださるに違いないと踏んでいたので、なんらこれといった不安もなく、淡々と時間が流れていった。
私の法話は、こんな感じだった。
永代経法要の意味は、参加者ひとりひとりが、自分の先祖が浄土にいっているのか地獄にいっているのかを見極めることだと語った。だから、参加者はお客さんではなく、当事者であるということだ。
誰しも死ぬことを知りつつ生きるのだから、生きるということ全体が宗教なのだ。無宗教のひととて、実は宗教の中を生きているのだ。死を知っているということは、生の意味をとうことにつながる。みすみす死ぬのになぜ生きるのかという問いから逃れることができないからだ。私たちは、つねに生から問われているのだ。その問いに答えなければならない責任がある。ごまかすか、答えようとするかだ。
ともかく「信心」が大切だ。といっても真宗は、信ずる必要のない宗教だ。この信心とは、「自分が信ずる信心」ではないということ。阿弥陀さんが信じてくださっていることを受け入れるだけなのだ。だから「信ずる」という動詞の主語は、私ではなく阿弥陀である。
自分が信じられるかどうかを考えてみても、決して信じることはできない。「自分が…信ずる」という限り、決して信ずることは成り立たない。「自分が…を信ずる」というとき、信ずる主体と信じる対象が同程度になっているからだ。
信じているかいないかは簡単にわかる。「自分」を信じているひとは阿弥陀さんを信じていないのだ。それは信心ではない。阿弥陀さんを信じているひとは自分を信じてはいないのだ。これが信心のひとだ。ここは二者択一なのだ。「自分」か「阿弥陀」かのどちらかしかない。
その「自分」とは自分の価値観を信じていることなのだ。自分の色眼鏡を信じて生きていることなのだ。それでは阿弥陀さんを信じられるはずがない。「善悪のふたつ総じてもて存知せざるなり」(歎異抄・後序)となっていない。根本的に善悪を知らないものだと気付いたとき、自分の価値観を手放せる。
ひとは信じることなどできないのだ。人を信じないで阿弥陀を信ずるのが真宗だ。ひとなどまったくあてにならないのだ。
「真実は阿弥陀如来の御こころなり」(一念多念文意)と親鸞はいう。結論をいえば、真実とは私たちのこころを映し出す鏡のことだ。だから、どこかに真実があるのではない。私たちのありのままのこころの姿が映る鏡なのだ。その鏡に映ったすがたを親鸞は「蛇蝎」だという。毒蛇と毒サソリである。水を飲んでも、それを毒に変えていく生き物になってしまう。毒とは、我毒である。
親鸞は「浄土真宗に帰すれども真実の心はありがたし」(和讃)と述べているではないか。真実のこころは阿弥陀如来だけのこころだ。そのこころに映されてみれば、真実のこころなどありえないと懺悔しているのだ。毒蛇、毒サソリだと。
自分のこころに映すのではない。阿弥陀如来の真実に映すだけだ。それでよいのだ。

信心が成り立つと、死なくなる。信心が成り立つと、このいのちが終るときには往生することになる。まあ丁寧にいえば、「死ぬ」という意味から「往生する」という意味に転換される。物理的には同じことだというひとがいるかもしれないが、それは違う。意味が違えば、「物理的」な条件が違う。
だいたい、私たちは「死」をわかったことにしているが、誰も体験したことがないのだ。他者の死はみたことはあっても、自分自身で体験したことはない。体験したこともないのに「死」をわかったことにしている。それが傲慢というものだ。
そのへんから「死」という固定観念を砕いていくと、もっと違った意味へと変化していく。それが死なない生を手に入れることだ。

私の法話は「江戸っ子は、五月の鯉の吹き流し、口先ばかりで、ハラワタはなし」なのだ。口汚い法話なのだ。しかし、それはただ口汚いだけで、他意があるわけではない。人間のいうことを信じてはいけないということの証明だ。人間の言葉ではく、阿弥陀如来におまかせすることのみが大切だ。

谷川俊太郎さんのライブトークも楽しかった。
谷川さんは、屈託のないひとで、いつも自然体だから、みんなをホッとさせてくれる。詩も朗読して下さった。
実をいうと、若いころの詩にはあまりこころを動かされることがなかった。少し前に知ったのだが、最近の詩はぐっとくるものが多い。ようやく私の中の「谷川度」が急上昇した。
「ありがとう」も「そして」もよかった。
自分の詩を読んでいて、胸がつまることがあるといわれていた。そういう詩ばかりではないけれども、たまにそういうことを体験するという。そういう詩はおそらく自分の考えた詩ということではないのだ。谷川さんは、いまコンピューターの世界で「クラウド」というのがあるけれど、あれみたいなもので、雲(クラウド)のように人類何百万年の知の蓄積があって、そこからたまたま自分に降りてきたことばだと理解していた。
そういうのを仏教では「無我」というのだと私は補った。谷川さんは私に「無我になったことありますか?」と聞かれた。私は「そんなものはありません」と答えたと思う。しかし、いまになってもっと的確に補っておけばよかったと後悔している。
無我は、「無我の境地」のことではない。「境地」として受け取れば人間には成り立たない。「無我」とは、本来性なのだ。つまり、人間はもともと無我なのだ。ただ、それを忘れているだけだと付け加えなければならなかった。いま、後悔している。
もうひとつ、こういえばよかったと後悔していることがある。
谷川さんは、本質的にひと嫌いなのだといっていた。私もそうだといったら、「お坊さんなのにひと嫌いで大丈夫なのですか?」と応答してきた。そこで、こういえばよかったと思ったことがある。
それは、お坊さんはひと嫌いではないはずだという固定観念が谷川さんにあるのではないですかといえばよかった。お坊さんは、ひとが大好きなはずだと。ところが、私はそうではない。そうではなくてもお坊さんをやっているという現実がある。
もっといえば、「お坊さん」って何だかよくわかっていないのだ。何をするひとだか。葬式法事という儀式をするひとという定義で満足しているひとには、それでよいのかもしれない。
だが〈ほんとう〉にはわかっていないのだ。
吉本隆明風にいえば、お坊さんの仕事は25時の仕事なのだ。
わかっていないから、平気な顔をしていられるのだ。わかっていたら、こんなに辛いことはないはずだ。〇から100までが坊さんの仕事だ。それで、飄々としていられるのだ。
2013年5月25日●
私は、阿弥陀如来を信じていなかったのではないか。
阿弥陀さんを「信じているかいないか」をはかるテストがある。
人間に対して、自分は完全に絶望しきっているかいないかを自分に聞いてみればよい。そうすればすぐにわかる。阿弥陀さんを信ずるということは、そっくりそのまま「人間」というものを完全に信用しないということの裏返しなのだ。
阿弥陀さんを信じているということは、人間に対して完全に絶望しているということだし、人間のどこかを信頼しているということならば、阿弥陀さんを完全には信用していないということだからだ。話は簡単なのだ。
そう問うてみると、自分は人間にもどこかよいところがあって、捨てたものではないと信頼していたのだ。だから阿弥陀さんを信じてはいなかったのだ。
その証拠に、ひとに対して腹を立てる。まず、ひとに対して腹を立てることは、瞋恚という煩悩である。「怒り」だ。なぜ怒るのかといえば、その裏には貪欲という煩悩がはたらいているからだ。貪欲とは、自分の都合のよいことを欲する煩悩だ。自分の都合のよい煩悩は、他者の煩悩とぶつかる。貪欲には、エゴが付随している。そのエゴが他者とぶつかる。それで自分の都合を否定されたときに貪欲が瞋恚に変わる。
それだけではなく、慢という煩悩が、その下敷きにある。慢は「比量」と唯識ではいわれる。つまり「量を比べる」という作用だ。簡単にいえば、「こんなはずではなかった」ということだ。それではどんな「はず」だったらよかったのか。自分のエゴの都合と合致する「はず」が欲しかったのだ。そうならなかった現状を、そうであったはずの観念と比べて歎いている。
さらに、そこに正義をたてる。あいつの行動はおかしい、常識では考えられない、世間では通用しない、人間の仕業とは思えないと。夫たるもの、こうすべきではないか、妻たるもの、こうあるべきではないか、住職たるもの、門徒たるもの、子どもたるもの、社会人たるもの、大人たるもの等々。
何に比べて酷いのか。その根底には「人間とはもっと優しく穏やかで人情味のある存在であるはずだ」という思い込みではないか。
その思い込みに対して、相手の所業があまりに酷すぎると愚痴をいっているだけだ。
もっといえば、人間は信頼することのできるものという妄信があったのだ。
人間を信じているということは阿弥陀さんを信じていないということの裏返しだったのだ。
親鸞は「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもてそらごと、たわごと、まことあることなきに、たゞ念仏のみぞまことにておはします」(『歎異抄』後序)と述べている。
これは人間には「真実」は塵ばかりも成り立たないということだ。
『横川法語』にも「妄念はもとより凡夫の地体なり」ともある。妄念以外はありませんということだ。
和讃で親鸞は「悪性さらにやめがたし こころは蛇蝎のごとくなり 修善も雑毒なるゆえに 虚仮の行とぞなづけたる」と述べる。「蛇蝎」だと。
『教行信証』では「外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、中に虚仮を懐いて、貪瞋邪偽、奸詐百端にして、悪性侵め難し、事、蛇蝎に同じ。」(散善義)と、人間の本性は、蛇や蝎と同じだと述べる。毒を保持しているのではなく、全身が毒である。どの部分を切り取ってもみても、毒以外にはないということだ。
これらは、親鸞の深い自己反省の言葉だと理解されてきた。しかし、これは人間性の〈ほんとう〉のすがたを淡々と述べているに過ぎないのではないか。
それらを読むとき、自分の内面では、「なにもそこまでいわなくてもよいのではないか」という思いが湧いてこないか。いくら悪いとはいっても、ちょっとくらい人間にもましなところがあるのではないかと、夢をみたいのだ。
どこからみても、私は阿弥陀さんを信じていないのだ。
2013年5月23日●
山形へ行ってきた。
4組の夏季講座だった。お話のなかで、「熊の皮」に座ったことを思い出し、そのことを話した。
先日の苫小牧の不退寺さんに置いてあった「熊皮」である。
親鸞には「熊皮の御影」という肖像画がある。いままでに有名な肖像画は、「鏡の御影」と「安城の御影」(親鸞83歳の肖像)である。
「熊皮の御影」は、親鸞の壮年期の容貌を表現しているといわれる。構図は「安城の御影」をベースにしているといわれる。ところが安城が狸皮に座っているのに対して、熊皮は、まさに熊の皮に座っている。ディテイルについていえば、「安城の御影」に記されているネコ皮の草履と火桶(桑)はなく、鹿の角をついだ杖は置かれている。これらの構図は、親鸞が意図して配置したものではないかと推測したい。肖像だけを描けば、それでよいではないか。それで十分のはずだ。他の雑貨を置けば、肖像の印象に集中しづらい。むしろ夾雑物のようにさえ感じてしまう。
なのに、いかにも、そこへわざわざ置いたというふうな感じで、それらは描かれている。
そこに雑貨を置いたという誰かの意図を感じずにはいられない。それは親鸞だろうか。親鸞だと一応決めて考えてみたい。
さらに、右上隅には、小さい色紙型の紙に、六角堂夢告偈(通称「女犯偈」)が書かれている。「安城の御影」には、上部に浄土論と無量寿経(18願文等)の銘文が下部には正信偈の抜粋が記されている。これは正統というか、正面から見た親鸞が描かれているようにみえる。
しかし、「熊皮の御影」は、裏から見た親鸞というか、斜めから見た親鸞というか、不思議な「実存性」が散りばめられているように感じる。かなりダークな感覚を受ける肖像である。
「安城の御影」の年齢は83歳なので、円熟したというか枯れた親鸞だ。顔つきは「嘯き(ウソブキ)」といわれ、おちょぼ口を尖らせたような格好であるのに対して、「熊皮の御影」は、一点を見つめて睨み付けるというか、ものの神髄を見抜くまでは、そこを頑として動かないというふう頑強な感じを受ける。これも親鸞の意図したシチュエーションなのだろうか。
細部にわたって、さまざまな仕掛けがあるような疑いさえ感じてしまう。
銘文が「女犯偈」であることがさらに深みをかもしだしている。
原文は「行者宿報設女犯 我成玉女身被犯 一生之間能荘厳 臨終引導生極楽」(行者、宿報によりたとい女犯すとも、我、玉女の身と成りて犯せられん。一生の間、よく荘厳して、臨終に引導して極楽に生ぜしむ)である。
これは救世観音がわざわざお坊さんの形になって親鸞に夢告したと書かれている。一応、観音菩薩からの御告げという形をとっている。
これをどう解釈するかだ。親鸞はこのことについて一切解説していない。しかし、大事な夢記として門弟に受け伝えられてきたようだ。直弟子の真仏が書写して伝承してきた。
親鸞は、これをそれほど多くのひとには見せていないのではないか。つまり、これぞというひとにだけ、まさに奥義を秘伝するかの如くに伝えたのではないか。
一般的な説としては、「女犯偈」が、親鸞の結婚を決意させたのではないかというものだ。
ただし、伝記によっては、法然の斡旋だということも述べられている。九条兼実が法然に対して、「あなたは独身を貫く出家の身だから、阿弥陀様に救われることは間違いないでしょう。しかし我々のように結婚して子どもを設ける俗人が救われることはないでしょう」と。口では在家出家を選ばないとはいっていても、行いは聖人ではないですかという批判だ。それではといって法然は弟子の親鸞を呼びつけ、あなた(九条兼実)の娘と結婚させましょう、これで出家の身で結婚しても救われることの証拠としましょうと。親鸞は、突然のことにたじろぐと、法然は、あなたは「女犯偈」の夢告を受けたでしょう、そのことを私知っている、これこそ予知夢だと畳みかけた。それで親鸞は泣く泣く結婚したという筋書きだ。
おそらく九条兼実の娘かどうかはわからないとしても、親鸞は法然門下にいるとき結婚している。出家僧でありながら、「正式」に結婚したと当時の権力は判断して流罪にしているからだ。当初は死罪だったが、親戚の取りなしもあって罪一等を減じられ流罪になっている。
そのときの親鸞の気持ちはどうであったか。
もし、裁判が開かれていたらどうだろうか。師の法然が結婚しろと押しつけられてやむなく結婚したので、私の本心ではありませんと弁明しただろうか。あるいは、これこそが在家仏教の証なのですと弁明しただろうか。あるいは、比叡山のお坊さんたちも、みんな隠れて結婚生活を送っているではないですか、なぜ私だけに罪があるのですかと言い訳しただろうか。
現実には裁判は開かれていないからわからない。ただ親鸞の内面には、なんらかの感情が沸き起こったはずだ。
妄念はどんどん膨らんでいく。
もし流罪にならずに、他の弟子と同様に京都に残ったとしたらどうだったろうか。吉水の草庵という僧伽は解散させられ、ちりじりになった弟子たちは、どうしていたのだろうか。インテリたちは、比叡山へすごすごと引き上げて、天台僧の風情を取り戻しただろうか。朝廷に縁者のあるひとは、取りなしの結果、無罪になったひともある。比叡山の座主が身元引受人として保護観察になったひともある。京都では専修念仏取り締まりの触れが出ているから、決して自分が専修念仏者であることを見破られないようにしなければならなかったのではないか。
もし、三条河原で安楽房が惨殺される場面を民衆が見ていたとしたら、その中に法然門下の弟子たちがいたとしたら、どういう感情をもっただろうか。
イエスが磔刑になったとき、弟子たちは、「イエスなど私は知りません」と嘘を言って言い逃れをしている。その場面と二重写しになってみえてくる。
幸いにといっては語弊があるが、法然同様に親鸞も越後に流罪となったので、その憂き目を見ることはなかった。
親鸞の結婚を考えるのには「赤山明神」の伝説が興味深い。
比叡山で学んでいた親鸞は京都市内から山へ戻ろうとしていた。そのとき明神が女性に変身して、「私も山へ連れて行って」と迫る。親鸞は「ここは女人禁制だから、無理」というと、女性は「お釈迦様は男女平等の救いを約束したんじゃないの?男と女を差別するのは仏教じゃないんじゃないの?」と食いついてきた。たじたじとなっている親鸞に追い打ちをかけるように「女人禁制というけど、この山には雌の鹿や雌のサルはいないの?えええー?動物の雌ならよくて、人間の雌はダメなんだ!そんなの誰が決めたの?」と。もうアッパーカットを食らった親鸞は、絶命寸前でマットに沈んでしまったという伝説だ。
原文はもっと品よく書かれてはいるのだが。
ここに点在するエピソードはまさに星座を形成する、ひとつひとつの星のようなものだ。それらの星から、いかなる星座が浮かび上がってくるだろうか。
星たちの配置から推測すると、親鸞の課題としていたことは、いつでも、どこでも、誰でもが救われる「平等の救い」ではなかったかということだ。
他にも30歳過ぎの親鸞が「信心一異の諍論」という問答をやっている。なみいる先輩を相手にして、「私と師(法然)の信心は同じです」といってのけた。先輩たちは、「この青二才が何をいうか。お前のような新参の弟子と師の法然上人の信心が同じわけがなかろうが」と。それに対して親鸞は「いやいや勘違いされては困ります。師の知識量とか推察力とか判断力とか知力が同じだといっているわけじゃありません。あくまで信心が同じだといっているのです」と反論した。それでも先輩方は納得できず、「そこまでいうなら、師の前で決着をつけようじゃないか」と受けて立った。
さて、両者が対面する「お白州」に師の法然上人が静々とお出ましになる。ことの子細を聞いた法然は「親鸞の信心も、私の信心も如来からいただいたものだから同じですよ」と答えた。この言葉が出てくるまでには、法然も考える時間があったのではなかろうか。
「あのやんちゃな親鸞のことだから、何を考えているのか。めったなことはいえないぞ。うーん」と考えをめぐらしたのではないか。それにしても、もし私の信心と親鸞の信心が違うといえば、高弟達は納得するだろう。一応、吉水草庵の秩序は保つことができる。年功序列という暗黙の領解が、草庵という学校の秩序を生みだしていることは間違いない。
しかし、もし、違うといってしまえば、私が語ってきた、いつでも、どこでも、誰でもが救われるという専修念仏の教えが嘘ということになってしまう。ここは考えものだと。
そうか!その両者を超えていく言葉が閃いたぞ。つまり「信心」を自分の努力で作ったものではないといえばよいのだ。努力に還元してしまえば、阿弥陀如来の慈悲は不要ということになってしまう。そうか!「如来からいただいた信心」といえばよいのか!と閃いたのではないか。
それが「如来よりたまわりたる信心」だった。
「常識的」な考えであれば、新参の親鸞が高弟達を前にして、敢えて心を逆撫でするようなことはいわなかっただろう。「常識的な日本人」であればだ。
しかし、親鸞にはそれが通用しない。親鸞は「常識的な日本人」ではないといいたいわけではない。親鸞とて、「常識」は弁えたひとだっに違いない。ただし、親鸞が黙ってはいられないようにさせたものがあるに違いない。親鸞をして、その常識さえ破るように仕向けたものがあるのだ。それが「平等の救い」はどこで成り立つのかという問いだったのではないか。この疑問が解けなければ、自分は呼吸はしていても死んでいるのも同じだ、生きているとはとてもいえないという切迫した問いだったのではないか。

さて、「熊皮の御影」は絵で見てはいたが、実際、熊皮に座ってことはなかった。ところが今回生れて初めて体験したのだ。まあ親鸞の座っているのは、熊皮を四角く裁断したものだから、敷物然としていたのだろ。私が体験したのは、まさに熊がそのまま皮を剥がれて、ベターッと地面に張り付けられたものだった。耳も鼻も爪さえはえているグロテスクなものだった。そこへ跪いて座ってみた。すると、剛毛な熊の毛触りといい、凶暴な熊が地面に貼りついているような、妙な興奮を覚えた。なにかとてもこころの揺さぶられるものを感じた。それをひとことでいえば、「い・の・ち」である。
親鸞が敢えて熊の皮を敷いて肖像を描かせたとするならば、そこに意図したものはなにか。やはり、それは肉食妻帯ということのもっている罪性ではないか。
野生の世界でナンバーワンを誇る熊であっても、殺すことができ、生き物たちの頂点にたっているのが人間である。恐ろしい熊をも殺すことができる力をもち、「い・の・ち」を敷物にすらすることのできる傲慢な存在が人間なのだ。
この熊皮のことを親鸞伝研究者の佐々木正さんに伝えたら、「熊皮の御影」の熊はツキノワグマであって、北海道にいるヒグマではないと教えられた。確かにそうかもしれないが、熊には変わりはない。
生物界の頂点に君臨し、すべてを何の前提もなく、我が所有物として略奪し、何事もなかったかのような涼しい顔をしていられる傲慢さが問われているように感じた。
2013年5月16日●
北海道へ行ってきた。気温6°は寒かった。札幌ではようやく桜の開花宣言が出ていた。
本州の桜とは違い、エゾヤマザクラという種類が多い。ピンクがソメイヨシノよりも濃い。花と葉が同時にでるので、さほど感動的ではない。(ちなみに、札幌=サッポロはアイヌ語で、サッは「乾く」・ポロは「大きな」・ペッは「川」で、「乾いた大きな川」という意味だそうだ。「ポロトコタン[アイヌ民族博物館の情報]」
足かけ四年のうち、三回の連続講義だった。テーマは「複眼教学」。「臨床教学と基礎教学のコラボレーション」である。今回のサブタイトルは、「時間論で説く往生」だった。いままで仏教で考えてきた「往生」を、人類の課題としてひかりをあてれば、それは「時間論」ということだという着眼だった。
簡単にいえば、ひとは、どういう時間を生きているか?ということだ。それもみすみす死ぬことを分かっていながらだ。
一般的には、時間は流れるものだと感覚している。あたかも過去と現在と未来という時間があるかの如くに感覚しながら生きている。この感覚は人間特有の「意味現象」でしかない。他の生き物にはない。
我々は、時間は物理的な現象であって、「客観的」にあるものだと思い込んできた。主観的な時間は縮んだり延びたりするけど、「客観的」な時間は不動の真理だと思い込まされてきた。
ところが、そうでもないようだ。その「客観的」というのは、人間が命名した、「とりあえずの客観性」ということだ。それは人間が受け止めた時間ということであって、〈ほんとう〉のことではない。
一番問題になるのは、〈いま〉という時間だ。
杉村春子が90歳まで現役で役者をして、91歳で亡くなった。そのとき、新藤兼人監督が、「どういう気持ちで役者をしているの?」と聞いている。それに対して春子は「私はねぇ、昨日も、明日もないわ。今日を生きるだけよ」と答えている。彼女の答え方は、事実を言い当てている。過去は記憶や記録のなかにしかない。過去を出してみろといわれても、過去そのものを取り出すことはできない。未来もそう。未来とは、予定や希望のなかにあるだけだ。未来が現実になってしまえば、それは〈いま〉ということになる。
つまり、思いは過去にとらわれ未来に期待するけど、身の事実が生きているのは、〈いま〉という時間以外にない。その事実を「今日を生きるだけよ」と述べているのだろう。
そこまでは一応納得できる。問題はその次。それでは厳密な意味で、人間は〈いま〉を生きることができるか、という問題だ。
〈いま〉といってみても、厳密な意味で〈いま〉を幅のあるものだと考えれば、幅の先端は未来だし、幅の終端は過去になる。仮に、〈いま〉と口に出してみたらわかる。〈いま〉と言ったとたんに、〈いま〉は過去に呑み込まれてしまうではないか。
人間が〈いま〉を考えるといっても、それは〈いま〉の残像であって、厳密な意味での〈いま〉ではないことがわかる。
それでは、人間にとって、時間はどこにあるのかといえば、それは人間の心の中、ということになる。未来も現在も過去も、すべて人間の思いの中のみあるのだ。
それを人間の内側と名づけてみると、果たしてその外側には何があるのか。
ところが外側は、人間の知ることのできない領域だ。それを「真・宗」教徒は、阿弥陀の世界とメタファーとして語ってきた。庄松ならば、「寝ている次の間が極楽じゃ」と。この「次の間」というのが、時間のメタファーになっている。
知り得ないものだが、知り得ないということに念が残っていない。本来人間には知り得ないことだとあきらめている。あきらめるとは、「明らかにみる」ということが訛った言葉だ。もっといえば、「知り得ない」とは、人間の吐く言葉ではなく、阿弥陀さんからの命令ということになる。
〈ほんとう〉のことは、すべて阿弥陀さんだけが知っているのだと、自己を明け渡す。〈ほんとう〉の時間も、〈ほんとう〉の場所も、そして〈ほんとう〉の自分もだ。
いま・ここ・わたしというものを、阿弥陀さんに丸投げしたところから、「零度の存在」を生き始める。

●信は受動詞である●
歎異抄第1条の冒頭「弥陀の誓願不思議」に「たすけられまいらせて」とは、「阿弥陀さんに私が信じられて」という意味だ。いままで「信」を能動詞としてしか考えることのできなかったものが逆転する。「信」の主体が、自我であれば、自我はその内容を把握してしまう。つまり、「○○の理由で私は○○を信じます」となってしまう。信じている内容をひとに、理性的に説明できてしまう。そうなると、信じる内容と自我は同程度のものになってしまう。
自我を超越しているものが自我にかかわる場合には、信の内容は「不可思議」でなければならない。自我と同程度か、自我以下のものしか自我は知ることができないからだ。
つまり比喩的にいえば、信ずる主体が自我でなく、如来になる。如来が自我を信じ受け入れていたのだ。自我は信ずる主体ではなく、信じられる被主体つまり客体になる。
そこか自我主体に生きていたものが、客体として生き始める。
違ったかたちでいえば、いま・ここ・わたしという「零度の存在」の根底が不可思議であることを受け入れたということだ。
家族であっても、どんな出遇いであっても、人間の出遇いは、根底的に阿弥陀さまのお引き合わせでしかない。「偶然だ」というのは、自我が受け取っている世界だ。偶然とは、根底的に、無根拠であることを知っている言葉だ。無根拠では耐えられないと涙を流している言葉だ。それは突きつめればニヒリズムだ。絶望だ。
事実は絶望しているのだが、絶望をごまかしているのが娑婆の生活だ。
娑婆はいたるところに絶望がある。薄氷如き絶望の湖を、おずおずと歩いているのが娑婆生活だ。
自我は、絶望を恐れている。しかし、絶望こそが我が大地だったのだと逆転させてくれるのが弥陀の愛だ。
「零度の存在」に帰してもらえる喜び。地獄一定の喜び。

●いま・ここ・わたし●
いまとは時間、こことは場所、わたしとは主体。共時的時間を得ることは、時間ばかりでなく、場所と主体をたまわること。それは同じことの違った側面でしかない。一言でいえば「零度の存在」を得ること。
「如来よりたまわりたる信心」という謎の言葉がある。この「たまわる」とは、譬喩である。頂き物、贈物、プレゼントである。しかし、弥陀の愛は品物ではないから、もらっても自分の所有物にはならない。もらってももらっても、自分のものにはならない贈物である。
品物ではないことを教える譬喩が「ひかり」である。
竹部勝之進さんの「ココトワタシ」という詩。

ココ
ココ
ココ
ココニイル
イマココニイルワタシ
ワタシハイマココニイル
ココ
ココ
ココ
ワタシハイマココニイル
ココガワタシノイマノ場所
ココヨリホカニワタシノ場所ハナカッタ
ハズカシイケレドココガワタシノ場所ダッタ
ココ
ココ
ココ
ココニイルワタシ
ココニイルココガハズカシイケレドワタシノ場所ダッタ
ココガアカルイ
ココガアカルイ
スバラシクアカルイ

口に出して、何度でも称えてみたい。
キーワードは「ハズカシイ」と「アカルイ」だ。
宗教用語でいえば、懺悔と讃嘆である。
2013年5月12日●
お茶の水の「ニコライ堂」へ行ってきた。
ニコライ堂の正式名称は「東京復活大聖堂教会」である。主宰している教団名は「日本ハリストス正教会教団」である。
パンフレットには「正教会(Orthodox Church)はその名称の通り、ハリストスに始まる初代教会の信仰を今日に至るまで、正しくそのまま継承してきた唯一の教会です」と記されていた。(ハリストスとはキリストのギリシャ語発音読み)
お話をして下さった司祭は北原史門さんとおっしゃる、若い神父さんだった。
正教会はもともと、「東方正教会」あるいは「ギリシャ正教会」と呼ばれていた。これは民族を超えて「ギリシャ正教会・キプロス正教会・グルジア正教会・アメリカ正教会・ロシア正教会・ブルガリア正教会・セルビア正教会・ルーマニア正教会・日本正教会」となっているらしい。
民族は超えているが「それぞれが信仰している内容は全く同じ」と記されていた。
日本正教会には全国に約60カ所の教会があり、ニコライ堂はその中心となる教会だそうだ。
パンフレットによると「ロシア正教会の主教でいらした、亜使徒聖ニコライによって正教が日本に伝えられましたので、娘が母に似るように、日本正教会は母教会であるロシア正教会に似た建物の形や聖歌などを受け継いでいます。1970年に日本正教会は母教会であるロシア正教会から自治正教会として自治権を認められました。日本正教会は自立して運営される共同体として、正教の信仰に基づいた生活を送っています。」と記されている。

北原神父が正教会へ入るきっかけとなったエピソードをいくつか紹介された。
お父さんはプロテスタントの牧師だそうだ。彼が一度無神論に傾斜していたそんなある日、ニコライ堂を訪ねたのだそうだ。
まず、ここでは勧誘されなかったということに新鮮な印象をもったという。さらに、信者であるお年寄りの女性に出会ったときの話が面白い。
彼女は「プロテスタンから来られた方はよく聖書を勉強されているんでしょうね。私たちも聖書を勉強しなくちゃいけないんだけどね~。私全然読んでなくって」といったそうだ。プロテスタントの方であれば、「ちゃんと聖書を勉強して下さいね」というスタンスで発言するはずなのに、このおばあちゃんは違ったという。とても謙虚な姿勢を身につけていたのだ。
これが正教会にたましいを揺さぶられたこととして語られていた。
正教会はプロテスタントのように「聖書絶対主義」ではないという。ここが西方教会とは違うところだと強調された。
面白いのは「聖伝」という考え方だった。
聖伝を構成するひとつの要素として「聖書」も入っているのだが、他にも「信仰体験の記憶・イコン・聖歌・聖人伝・公会議決定」等が入っている。
つまり、信仰を生きている信者の生活態度というか、こころの構えにまでに染み渡っている信仰のありさままでが「聖伝」に含まれるのだ。おばあちゃんの言葉が、そのことを表していたと受け取ったそうだ。
だから、聖書を読んでキリスト教を理解しようとすることは否定しないが、それだけでは信仰を理解したことにはならないという。信仰とは、体験的に知ることであって、理性的に知ることではないということだ。
正教会は「聖伝」の中に聖書はあると考える。一方、ローマカソリックは、聖書と聖伝を並列だと考え、プロテスタントは、聖書のみと考える。正教会は、「生きた体験の記憶」のほうが、聖書より以上に聖伝としては重要だと考える。

さらに西方教会では、イコンは認められない。これは「偶像崇拝禁止」に引っかかるからだ。その点を質問してみた。すると、それは「恋人と恋人の写真」の譬喩で説明してくれた。
恋人を想うのに、写真を飾っておいてもよい。しかし、写真は本人以上のものではない。
本人以上のものに絶対化したら、それはおかしいという主張だった。
聖人の肖像画をイコンというのだが、仏教でいえば、「方便」という理解なのだと受け取った。真実に触れ得るためのきっかけとしてイコンを用いるのであれば、仏教のいう方便と同義ではないか。

とにかく西方教会(ローマカソリック)と東方教会の違いを知ることができたことが、今回の研修の成果だと想う。
西方教会は、バチカンのローマ法王を頂点としたピラミッド型の組織という感じが強いが、東方教会は、各民族の正教会が並列の関係でつながっているということだ。だから「法王」という存在はないらしい。
一応の公会議決定やニケア・コンスタンティノポリ信経という公式見解はあるようだが、それを各国の教会に強制的に従わせるということではない。北原神父曰く「おのずと同じ理解になっている」ということだった。ロシア正教会からニコライさんによってもたらされた日本正教会だが、上部組織から下部組織へという権力的なものはないらしい。面白いのは、それを「母子関係」で説明するところだ。
上部組織を「母教会」、下部組織を「娘教会」と呼ぶらしい。つまり母子関係で教会がつながっているということだ。そこには権力の匂いはないというということだろう。
もうひとつ北原神父が入信した動機を聞いた。
神父は、ニコライ堂でおこなわれたある神父の葬式を体験したことだと答えた。ひとことでおっしゃったが、その背景にはいろんなものが詰まっているのだと感じ取った。

また、西方教会の教えにある「原罪」という考えを東方教会はとらないらしい。端折っていえば、原罪によって、イエスが十字架にかかり、人類全体の罪を担って亡くなったことを信じるという西方教会の考え方を否定はしないともいっていた。
しかし、罪の贖いということは、「負い目」を感じていることだが、誰に対して負い目を感じるのか、神なのかどうかと問われた。

他にも、カソリックでいうところの「告解」はあるのかという質問に対して。
特に「告解」をする部屋があるわけではない。教会の片隅で神父は信者の心情を聞くことはあるらしい。それもひとには聞こえないようにするらしい。
善はひとに見えないところで行いなさいという宗風があるからだそうだ。つまり、善はこの世では隠されていても、天国に家を建てるようなものだといっていた。
正教会には七つの「機密」ということがいわれる。
「機密」とは、目に見える形で「信者の霊魂に見えない神の恩寵を授けるもの」だと定義されていた。
その中に「痛悔機密」がある。これが赦罪(罪の赦し)とされる。他にも「聖体機密」(霊の培養の恩寵)、「神品機密」(教訓と機密で、他人の霊を育てる恩寵)、「婚配機密」(婚姻と子どもを生み養育することを成聖する恩寵)、「聖伝機密」(霊疾と身体の疾病の癒しの恩寵)があるそうだ。まあここに上げたものは一部であるとも記されていた。
やたら難しい漢字が使われるのは、聖ニコライが日本語に精通しておられたためらしい。漢文の白文をそのまま読むことができるほどのひとだったという。

最後に正教会の教えを理解する手引きとなる図書を三冊推薦していただいたので記しておく。
『ニコライの日記』(上)(下)岩波文庫
『なんでもわかるキリスト教』八木沢涼子 朝日文庫
『ギリシャ正教』髙橋保行 講談社学術文庫
2013年5月6日●
ゴールデンウィークは、お寺にまったく無関係だ。さすがに、この期間中に法事をする家は少ない。みなさん、お休みでどこかへお出かけなのだろう。別段羨ましいということもないのだが。普段休めないひとが大量に休むのだから行楽地などは混雑するはずだ。
みんながリクレーションを考えているのだから、こんな時期に法事を計画したら、親戚からクレームがくるだろう。それを懸念してか、法事の申し込みが少ない。これは例年のことである。
当然、寺にいることが多くなり、小生は、次に出版する本の校正に時間をつかえた。
毎回そうなのだが、校正しているときには、気分がだんだんブルーになってくる。こんなことを書いていて、いったい何になるのだろう。こんなまわりくどいことを書いていて、誰が読んでくれるのだろう、本を出す意味があるのだろうかなどと、自問自答が始まり、気分が徐々に落ちこんでくる。これを「校正ブルー」と呼んでいる。これは毎回感じることだ。
それで、ゲラを見るのもいやになり、他のことで時間を紛らわせる。しかし、どうしても立ち向かわなければならなくなり、再び思いなおしてゲラに向き合う。そんな時間が過ぎていった。
これは、女房曰く、料理と同じだそうだ。自分が調理した料理を自分ではちゃんと評価できないというのだ。つまり、たとえば塩加減が濃いのか淡いのか、微妙な味を確かめているうちに、よく分からなくなるというのだ。それなので、誰かに味をみてもらって、安心するのだそうだ。(まあ大概、孤独な作業なので、誰も味見はできないのだが)
これは、どんな創作活動であっても、共通したものなのかもしれない。
35歳のお釈迦さんも悟りを開いてから、49日間は悟りをことばにしなかったという。それは、「校正ブルー」と似ているのではないか。まあ神話では、梵天勧請といって、ブラフマン神が、なんとか悟りをことばに変換してくれないかと請うたということになっている。私は、それは、ことば自身がもっている力のなせる技だと思っている。
悟りといっても、ひとつの意味体験であって、それは、人間にとって内語(インナーランゲッジ)体験であるからだ。つまりことば化されているから、悟りなのだ。神秘的な体験だけでは悟りにはならない。
内語がもっている内語自身の表現力が、お釈迦さんをして語らざるを得なくさせたのだ。
それはモノローグなのだ。決して、ひとにわからせようなどというスケベ心ではないのだ。
モノローグの質が先鋭化してきたとき、それはおのずと他者へと伝播していくものだ。
ここまで書いてきて、ハタと気付いた。
ひとりよがりでよいのだ。ひとりよがり以外で人間は生きていないのだ。
もっと単純化していえば、「受け売り」と「ひとりよがり」で仏教は伝承されてきたのだから。
こうして、再びゲラの前へと立ち向かう勇気が湧いてきたのである。
2013年4月30日●
茶壺がある。口は真鍮製でできていて、下部は陶器でできている。その真鍮製の蓋が上手くできていて、蓋を口にかぶせるだけで蓋の重みで閉まっていく。閉めるときには蓋を口に載せればよいのだ。茶壺の中の空気が押し出されて、ゆっくりと蓋が下がってきてぴったり閉まるのだ。
見ているだけで惚れ惚れとする。よほど真鍮の蓋と口がぴったりと隙間なくできていなくては、こうゆっくりと閉まることはない。
このとき、『浄土論註』の「函蓋相称(カンガイソウショウ)」ということがわかった。
もし函と蓋とが、まったく同じものだったら重なるということはない。函と蓋とはぶつかり合って閉まることはないだろう。函と蓋との間に、隙間があるから閉まるのだ。
もっといえば、函と蓋とは、まったく別物でなければならない。別物でなければ、そもそも函と蓋と別の名前はない。同じ名前でよいのだ。
まったく函と蓋とは異質だ。しかし異質だからこそぴったりと閉まるという現象がおこる。
これは如来と自己との関係を暗示している。決して如来は「人間の頭の中」には入りませんよという断絶がありがたい。指一本、如来に触れることはできない。だからこそ、ぴったりと重なりあうことがあるのだ。
2013年4月25日●
甥っ子の結婚式(大分県)、その後、山形教区へ、戻って昨日は勉強会があり、ちょっとへたっている。
疲労は移動時間ではなく移動距離に比例するという。曽我量深先生が90歳で大谷大学学長を引き受けられて、ある方が「先生、お疲れではありませんか?」と尋ねたところ、「私はちっとも疲れておりません。疲れるというのは意識が疲れているのでしょう。私はちっとも疲れてはおりません。」と返答されたといわれたそうだ。疲れたなぁと思うとき、いつもそのお話が頭の中に去来する。
さて、ご存じように拙著『歎異抄にきく-死・愛・信-』(プネウマ舎)http://www.pneumasha.com/が出版された。また、皆さんのご感想なりをお聞かせいただければと思う。
面白いもので、この世に本が出版されると、私のなかでは、それはすでに過去のことになってしまっている。もはや、次のことに頭が動いていく。不遜なことだが、親鸞もそうだったのではないか。親鸞は晩年70代後半から、取りつかれたように作品を書き上げていく。書き上げてしまったものは、親鸞のなかで、すでに過去の領域に入ってしまったのではないか。それは小生の感覚と同じだったのではないかと、不遜にも考えてしまった。
いまから思えば、70代後半といえば、超老人だ。余生を送るといった感覚だろう。しかし、親鸞にはそんな気配はない。おじいちゃん、ゆっくりお茶でも飲んでてねなとどいわれても、仕方のない年齢のはずだ。
親鸞には、人間の寿命とか年齢といったものを視野に入れるだけの余裕がなかったのではないか。それは、つねに〈いま〉しかなかったからだろう。
月刊『同朋』の「なぜ?からはじまる歎異抄」も、すでに一年分の原稿は書き上げてしまっている。
なんてせっかちなんだろう。何を生き急いでいるのだろうと、自分で自分のことがよくわからなくなる。
やはり、何かに取りつかれているのだ、いえば、如来に取りつかれているのだ。きっと。
親鸞は「たのむ」という言葉を使う場合、すべて「憑」という漢字を使う。全著作で、6回使用している。他の漢字、たとえば「頼」や「恃」は使わない。この事実をどのように解釈するかだ。
和語では、「たのむ」とも使っているが、これは依頼の意味でも、また信仰の意味でも療法の意味で使われている。
「頼」や「恃」は、どうしても人間が何事かを向うにたのむという意味になる。人間の意志でたのむということになると、どうしても、人間の煩悩が絡んできてしまう。
漢字文化が流入する以前の日本古来の「基礎日本語」ではどうか。それを『岩波古語辞典』で調べた。「たの・み」は「タは接頭語。ノミは祈(の)みの意か。ひたすらよい結果を祈って、相手に身の将来をまかせる意。①全面的に依頼して相手の意のままにまかせる。②あてにする。期待をかける。③相手を主人として一身に託する。」などとある。
大和言葉、つまりは基礎日本語としての「たの・む」は意味を限定するのが難しいが、漢字文化の「頼・恃」と「憑」は意味が異なる。
この「憑」は、人間が向うにあるものに対して、それは人でも神でも仏でもよいが、そこに人間の何事かを依頼してたのむという意味ではなく、向うのものが人間に乗り移ってくるというニュアンスがある。たとえば「狐憑き」は、キツネの霊が人間に乗り移り、人間をコントロールすることである。
このイメージと「如来回向の信心」、「如来よりたまはりたる信心」(歎異抄)は同質ではないか。
如来が人間に乗り移ってくるということだ。人間から向うにたのむというニュアンスで「憑」はつかえない。むしろ如来が乗り移ってきて、人間を向うの意のままにするという意味である。
その意味で、親鸞は如来の言いなりになって生きていたのだと思う。南無阿弥陀仏の表面的な意味は、「人間が阿弥陀仏に南無する」という意味だ。しかし、〈ほんとう〉の意味はそうではなく、阿弥陀仏南無、つまり「阿弥陀仏が人間に南無する」ということが「憑」という意味だと親鸞はいいたかったのだろう。
2013年4月13日●
親鸞が房総半島へ!?

芹沢さんから、「吉本さんが、親鸞が房総半島の突端へ行ったと『教行信証』に書いていると話しています。記憶がなく、教えてくれませんか」という内容のメールをもらった。どこで話しているのかといえば、『フランシス子へ』(講談社2013年3月)でである。
「宗教とか宗教的なものっていうのも、みんな、そうなのかもしれない。
ひとつとして確実なことは何もないじゃないかっていう。
だけど人間っていうのはおかしなもので、何かにこだわっていないと、どうも生きてるって感じがしない。そこがおもしろいっていえば、おもしろいところですよね。
そういうことを根本から問い続けた人に、僕のいちばん大好きな宗教家の親鸞がいます。 親鸞も、はじめに疑ったことを最後まで確かめようとした。
それを確かめるために最後にどこまで歩いたかというと、房総半島の先端まで行っています。
『教行信証』という親鸞が書いたいちばん大きな著書に、そのときのことがちゃんと書かれています。」とあった。
しかし、『教行信証』にそういうことが書かれていることはないと思う。
何か吉本さんの中で記憶の錯誤があるのではないかと思った。そうであったとして、それではなぜ吉本さんが錯誤するようなことになったのか、その背景があるに違いないと思って先を読んだ。すると、
「島流しからご赦免になった後、親鸞はお師匠さんの法然とも袂を分かって、どういうわけか京都に戻らず、たったひとりで関東の果ての果て、房総半島の先端に向かった。(略) じゃあ、そこに何があるのかっていった、外房と内房、ふたつの海流があわさって、うず潮になって存在する。うず潮そのものは、たぶん親鸞が確かめたい本筋のことではなかったと思うんだけど、とにかくそこに行けば、なんらかの光明ある考えかたに到達できるんじゃないかっていうのが、親鸞の最後の願いだったんじゃないでしょうか。」と述べていた。
長女のハルノ宵子さんが、あとがき風のところで「この頃の父は、事実誤認では済まない。頭の中で自分だけの記憶の再構築がされている」と語り、さらに「生と死の狭間にあった、シャーマンとしての父のことば」と語る。
おそらく、現実の、つまり現世の「正確さ」は、もうどうでもよいのだ。シャーマンとしての吉本隆明が、シャーマンとして思想の普遍性を語ろうとしているのだと思った。
吉本の頭の中にあったものを再現してみれば、「二極」の問題である。
聖と俗、僧と俗、浄土と穢土、この世とあの世、往相と還相、仏と人、煩悩とさとり、信と不信等々。そういう「二極」の問題をどう超えるかというテーマに親鸞の終生をみたのではないか。それが外房と内房という言葉に象徴されているようだ。そして、それは確かに、問題の確信に触れていると思えるのである。
そんなこともあって、私も南房総市にある真宗大谷派の勝善寺へ電話した。住職さんに聞けば、この土地に親鸞が来たという伝承はないという。自分の寺の伝承としては、親鸞が伊豆から安房に船で航行中、暴風にあって勝善寺にたどり着いたとあるらしい。
その当時の東海道は、内陸を通っているはずで、古代東海道ルート、つまり三浦半島から房総半島へのルートは通っていないのではないか。
しかし、そうだからといって、親鸞がそのルートを通らなかったという保証はない。
それから房総の親鸞伝説を探していたら、『親鸞面授の人びと』(自照社出版)の中に、鹿野山(神野寺)に親鸞像のあることを見つけた。さっそくネットで調べてみると、親鸞像の写真が載っていた。それは親鸞が52歳(元仁元年)に主著である『顕浄土真実教行証文類』(通称、『教行信証』)の執筆成就を祈願するために鹿野山へ参詣したという伝承だった。
そうすると、あながち吉本の語っていたことが史実ではないといえないような、嘘から出たマコトのような話しになってきた。さすがに、シャーマンかもしれないと、ブルッときた。
この「史実」と「物語性」の関係は、ふたつが決して交わらないところが面白い。親鸞は、自分のことを詳細には語らない。語らないので、歴史家は親鸞の実像を探ろうとやきもきする。しかし、それは後代の人間たちに、フォークロアを豊かに描かせるための親鸞の仕掛けだったのかもしれないと。
そう思うと、親鸞そのものも、したたかなシャーマンだったのかもしれないと思ったりしてしまうのだ。
果たして「史実」とは何か。客観的な事実は、ひとつであっても、それを受け取る人間によって、「史実」が内面へ受け渡される。受け渡されるときには、必ずそれを受け取る人間の文脈がはたらく。どういう文脈で、「史実」を受け取るかで随分と違ってくる。
そう考えると、「史実」などというものが果たしてあるのかと思えてしまう。
すべてはある文脈の人間が、ある特定の文脈のなかに「史実」といわれるものを定着させてきただけではないかと。
後代の人間が、どう受け止めてみても、先史の人間の行状は不可解さが残るはずだ。それがまた、歴史の面白いところである。
〈ほんとう〉の真実というものは、永遠に、人間には知らされていないのだと、あらためて思わされた。
2013年4月3日●
仏教の学校で、私は何かを教えている。直接、生徒に教えているのではないらしい。先生は他にいるようだ。授業が終って、生徒達がテーブルをはさんで雑談していた。それを近くで聞いてしまった。
ある生徒が「こんなペーパーを読んでいても、わけわかんないし、つまんないなぁ」と漏らした。
それを聞いていた私は、思わず言葉をはさんだ。
「それは大問題だよ。このお経の言葉に何も感じないって。それじゃここで勉強している意味がない。だって、この一瞬一瞬の世界創造に君は参加しているんだよ。そういうことが記されているんだ、このペーパーには。ただ知識の勉強をしているわけじゃない。このペーパーと君が無関係じゃ、私たちが教えていることが無意味ということになってしまう。
いいかいこの一瞬一瞬は、流れ去っていく。ひとつも留まっているということがない。つまり一瞬一瞬が新しい世界なんだ。そして、それは自分の外の世界が流れ去っていくのではなく、私の意味世界が創造されては消えていくのだよ。だから、とても凄いことが起こっているんだよ。それを感じてほしいんだ。」
そこまで話すと、生徒が涙ぐんできた。彼は自分の愚かさを叱られているように感じてしまったようだ。
私は、しまったと思い、続けた。
「別に君を叱っているんじゃない。ただ、あまりにもったいない。君が生きているということは、君の固有の世界を創造しているのだから、それに立ち会っているのに、それを感じ取れないのは、あまりにもったいないと言いたいだけなんだ」と宥めた。
傍には生徒たちもいたが、彼はそのなかで涙ぐんでいた。
そこまで見て、夢がさめた。
何やら、自分にとってはとても感動的な場面だった。そうだ、そうに違いないと思い、さっそく文章に残した。
どうしても私たちは、人間が生みだした「時」という観念に引きずられてしまう。あたかも時が「客観的」なものだと錯覚してしまう。時は物理現象ででもあるかのように思い込んでいる。だから、なかなかこの時間観念をうっちゃることができない。
自分とは無関係に「客観的」に時間が流れていると感じてしまう。むしろその「客観的」な時間に流されていると感じてしまう。
ところが真実はそうではない。
「客観的」な時間などというものは、人間の観念が生みだした「恣意的現実」なのだ。「意味現象」なのだ。
むしろ真実は、私が、もっといえば私たちが生みだした共同幻想が時間ではないか。そうとらえたとき、この時間という意味現象を創造している自分にも責任が出てくる。
私固有の時間世界、それは他者と重なることがない。私だけの時間なのだ。そしてその時間という世界を、私が彩り創造しているのだと。
夢の中で生徒に語っていた私は、それを言いたかったのではないか。一瞬、一瞬、時間を、いや時間という観念を生みだし、その繭の中に自分を閉じ込めていることを。
もし自分以外の何かが時間を作っているのだと考えると、私は被害者になってしまう。時間というものに流され、翻弄される被害者に。しかし、真実は、自分が生みだしているのではないか。むしろ加害者ではないか。
それも一瞬、一瞬に。生きるとはなんと希薄なものか。そうであっても、自分は世界の創造に、時間の創造に参画しているのだ。だからどこをとっても新鮮だ。
2013年4月1日●
有り難うなどと、呑気なことを言っていられなくなるのが、親鸞の念仏ではないか。
信心を得て、報恩感謝の生活をするのが理想だといわれたりする。生かされています、有り難うございますと。
確かに感謝が生れてくるのは素晴しいことだ。しかし、どうもおかしい、どこかおかしいと感じていた。
そして、それが解けた。
親鸞の念仏は、有り難うございますなどと、呑気なことを言っていられなくなるのだ。感謝の心情があっても、それを敢えて表明する必要はないのだ。できないのだ。
もっと信に突っ込んで、前のめりになって、すべてを如来に投げ渡してしまう。報恩感謝というこころが消えてなくなるほどに突っ込んでいかなければならない。
そして後には何も残らないようにならなければだめだ。
感謝とか、生かされていますとかいう思いが浮かび上がってきたら、それは怠慢のしるしだと感じるくらいに。
浄土真宗では、「供養」という言葉が嫌われる。
どうしても、死者=浮かばれない人と死者差別して、生者が死者を浮かばせてあげると傲慢になるからである。供養は生者が死者に対する愛の表現なのだが、それは生者の偽善なのだ。自己満足なのだ。
もし、供養という言葉を生かせば、全身全霊を供養しなければならない。
感謝の気持ちも、浮かばせて上げたいという欲望も、そういうものもすべて投げ出して供養してしまわなければならない。
後にはなにも残らないくらいに供養し尽くしてしまわなければならない。
2013年3月28日●
同級生の葬儀が終った。
火葬場で、彼が焼かれ、骨になった。その骨をみたとき、感じたことがある。それは、これは彼ではないという直感だ。こんな白っぽい骨が彼であるはずがない。
彼はどこにいるのか。それは、私の中にいるという感覚だ。
つくづく人間という生き物は、不思議な存在だ。いったい、私は彼と出会っていたのだが、彼の何と出会っていたのだろうか。彼を知っていると思っていたが、それは彼の一部分、つまり彼の断片ではないか。〈ほんとう〉の彼自身に出会っていたのだろうか。まあ、彼自身も、〈ほんとう〉の自分自身に出会っていたのかどうかはわからない。
やはり、〈ほんとう〉の彼自身とは、タマシヒではないか。それは淡いものであり、微かなものなのだ。
そのタマシヒと私は関わっていたのではないか。利害損得など、隙いることができない関係だ。不可思議な出遇いだ。
いま彼はどこにいるのか。それは私の中に、タマシヒとして存在しているのだ。目をつぶれば、彼のタマシヒと出会える。タマシヒは残された人間のこころで生きる。

もうひとつ感じたことがある。それは、真宗とは何かということだ。通夜・葬儀を執り行っているのだが、これはいったい何をやっていることなのかという揺さぶりの行き着く先は、この問いに収まる。
真宗とは、○○であると徹底して肯定的に語ることをゆるさないものだ。真宗とは、人間の虚偽を暴き出し、そうではない、そうではないと否定し続ける作用そのものだ。否定形でしか表現できないものが真宗なのだ。
ひとは必ず死ぬ。病気で死ぬのでも、加齢で死ぬのでも、事故で死ぬのでもない。それは条件であって原因ではない。その証拠に、病気にならずとも、歳をとらずとも、事故に遭わずとも死がある。そういうことは、死の根本原因は、誕生以外にない。
これは、〈ほんとう〉、つまり「真」ということだ。
〈ほんとう〉は人間の耳に痛い。人間は〈ほんとう〉が嫌いだ。〈ほんとう〉に背を向けて生きたいのだ。
しかし、ところが、さにあらず。この辛く目を背けたくなるような〈ほんとう〉以外に、人間を救うものはない。そう〈ほんとう〉は、ちゃんとわかっているのだ。
〈ほんとう〉以外に人間を癒すものはない。それ以外のものは慰撫でしかない。気休めでしかない。
〈ほんとう〉は「おもうがごとくたすけとぐること、きはめてありがたし」(『歎異抄』第4条)である。人間の思い通りに助けることは、絶対に不可能だという。これは人間には受け入れられない言葉だ。たとえ受け入れられなくてもよいのだ。それは〈ほんとう〉のことだから。〈ほんとう〉は知っているのだ、やがて人間は自分に気付かざるを得ないことを。
真宗はひとが悪い。せっかくひとがいい気分で夢を見ようとしているのに、それに水をぶっかけ、夢を覚ますようなことばかりをいう。供養をして安心しているようだが、仏さんはほんとうに成仏しているんですかね。それは生者の気休めではないですかと揶揄する。
なんでそんなことをいうのか。それは、〈ほんとう〉に目覚めてほしいという願いがあるからだ。それは人間の願いではない。〈ほんとう〉自身がもっている願いだ。
〈ほんとう〉に目覚めたからって、何も得にも損にもならない。〈ほんとう〉からバックマージンをもらっているわけでもない。
ただ〈ほんとう〉に覚めてほしいと、〈ほんとう〉自身が望んでいるとしかいいようがない。人間の作為や願望ではない。〈ほんとう〉自身が、人間にそう促してくるのだ。
〈ほんとう〉だけが、人間を癒し、人間を自立させるものだから。
〈ほんとう〉は人間を肯定する形であらわれてこない。人間を徹底的に否定する形でしかあらわれてこない。
人間の何を否定するのか。それは人間の「自力のこころ」をだ。自分があると思っているこころ、自分が努力すればなんでもできると思っているこころ、正しいことをすれば、必ず仏さんはそれをご存じで、必ず優遇されると思っているこころ、そういうこころを否定することを通して〈ほんとう〉をあらわす。
やはり〈ほんとう〉に魅入られてしまったのだ。こっちは願い下げにしたいのに、向うが許してくれない。蛇に睨まれたカエル状態だ。
〈ほんとう〉の言いなりになるということか。真宗とは、「〈ほんとう〉に魅入られる」ということだ。人間が本当に生きようと志すこととは違う。人間がやろうとすることは、すべて慰撫の範疇をでない。
まあ、慰撫でもいいのだ、死者供養でもいいのが、死者を思い出にすることでもいいのだ。それが突きつめられ、行き着く先は〈ほんとう〉以外にないと〈ほんとう〉自身が知っているのだから。
〈ほんとう〉の前に立ち尽くす。たったひとりの人間として立ち尽くす。
2013年3月23日●
4月に出る本の第3校正が昨日終わり、ようやく私の手を離れた。また光圓寺住職の通夜葬儀の打ち合わせが終わり、式次第やら準備やらで、慌ただしく一日が過ぎた。
光圓寺の彼とは同い年なので、彼の遺体が私の無意識を刺激し、妙に日常生活が浮ついていて所在がない。入院中は鬚も剃らなかった、いや、剃らせなかったらしく、まさに「出山の釈迦像」そっくりだった。これは苦行像ともいわれ、ラホール博物館にある。釈迦が六年間苦行に明け暮れた果ての姿をイメージしたものだといわれる。骨と皮だけ、肋骨には血管が浮き立っている。落ちくぼんだ眼は、見るものを恐れさせる。末期の彼は、そんなふうだった。
死ぬのは怖くない、しかし息子たちに自分が伝えたいことが、まだ充分に伝えられていないことが口惜しいといった。
あとは、宜しく頼むと。
頼まれても、別段、これといって、「わかったよ」と答えられるわけのものでもない。
死からの距離は、誰においても等距離だ。
それを意識している人間、意識せざるを得ない人間と、意識しないで済んでいる人間がいるだけだ。
昨夜の彼は、きれいに鬚が剃られていた。あの恐ろしい形相もなくなり、静寂とひとつに溶け合っていた。微笑んでいるわけでもなく、しかめ面でもなく、零度の表情だった。淡々というか、飄々としているようでもある。
弔問客がなんと言って声をかけても、彼はひとことも返答することもなく、淡々としている。言うがまま、されるがままになっている。ドライアイスの冷たさが、彼のほっぺたを覆っている。
顔を見ていると、不思議に生前の記憶が私の胸に去来してくる。走馬灯とはこのことか。
どんな声をかけてもよいのだ、どんなことを思い出してもよいのだ。
そんなところに彼はいないのだから。彼はすでに阿弥陀如来の領域へ入ってしまったのだから。
そうだったのだ。南無阿弥陀仏は、吸引力の強力な掃除機だ。どんなことも思っても、どんな言葉をかけても、すべてを吸引して下さる。
それ以外にない。それだけでよいのだ。
2013年3月11日●
 昨日は東京大空襲の3月10日、今日は東日本大震災の3月11日、ともに追悼の日だ。一度にたくさんの人々のいのちが断たれたということは、とても痛ましいことであるに違いない。手を合わせたい気持ちはやぶさかではない。しかし、私はへそ曲がりなのか、この追悼に対する感情に、どうしてもすんなり溶け込めないものを感じてしまう。それは何なのだろうと考えてみた。
 感情的な言い方かもしれないが、ひと言でいえば、それは「死者差別」である。追悼するのときの方向が、生者から死者へ向かってしまう。読経も供養も願いも、すべて。二度とあってはいけない、二度と繰り返してはいけない、私たちは決して過ちは繰り返しません、二度とこのような惨事にならないために万全の方策を尽くします、どうか安らかにお眠り下さい。その方向が、生者から死者へという一方通行でしかない。
 逆の方向の言い方もある。亡くなられた方の無念をはらすために、我々はどのように今後を生きていくべきかと。その言い方も、実は生者から死者へと向かうベクトルのなかでいわれている。
 しかしそれ以外に追悼の向きはあるのか。おそらくないだろう。生者から生れる追悼は、生者の思い以外にはないからだ。生者は生者の都合で、じっとしていられないのだ。せめて追悼という形ででも何かをしなければ、自分自身がもたないのだろう。
 人間は、小さく、愚かで、か弱く、惨めな生き物だ。
生者の論理で、亡くなった人々の存在を推し量ってしまう。可哀相、無念、浮かばれないと。私は、それだけはしたくない。それは「死者差別」になるからだ。亡くなった方々は、ほんとうに「可哀相な存在」なのか、「無念な存在」なのか「浮かばれない存在」なのか。それは生者の邪推というものではないか。
 罪の一端は宗教にもある。「供養」という言葉がそれだ。「供養」とは、生者が供え物等をして亡くなったひとの霊を慰めることだ。それが仏教だと思い込んでいる宗教家が山ほどいる。そうすべきだと説教する宗教家もいるくらいだ。しかし、その「供養」という考えが成り立っている前提には、「死者差別」がある。
 どういう差別か。それは亡くなったものはことごとく、生者が供養しなければ浮かばれない哀れな存在だと決めつけることだ。そんなことは、亡くなった人々がいっているわけではない。生者の勝手な思い込みだ。ただし、亡くなった人々は、それに対して「死者差別じゃないか!」と訴える術をもっていない。
 私は亡くなった人々の弁護人を買って出て、「それは死者差別じゃありませんか」と反論したいと思う。
 そんなことをいって、それじゃ、生者はどうやって亡くなった人を思えばよいのだと反論されるだろう。そのときは、阿弥陀様におまかせしなくてはならないと応答しよう。
親鸞は「さればよきことも、あしきことも、業報にさしまかせて、ひとえに本願をたのみまいらすれ」(『歎異抄』第13条)といっている。
 生者の邪推は、これまたやめることができない。供養感情はとめることができない。起こってくるものだから。それをやめろと親鸞はいわない。ただ、そういう心のあり方をひっくるめて、阿弥陀様におまかせしなさいといっているのだ。
 亡き人の冥福をお願いするのではない。冥福をお願いするような愚かな思いを阿弥陀様におまかせするのだ。おまかせできれば、生者のこころは空っぽになり、念が残らない。
おまかせできないと、念が残りくすぶってしまう。
 供養という言葉を生かすとすれば、我が思いのありったけを阿弥陀如来に供養してしまうことだ。全身全霊を供養してしまうことだ。
 それ以外に、生者も死者もともに救われていく道はない。
2013年3月2日●
専福寺前住職・二階堂行邦師が2013年2月22日に還浄され、通夜葬儀がおこなわれた。公私ともに、30年ほどお育て頂いた先生だっただけに、まだちゃんと受け止められていない。あの話声、笑顔、立ち居振る舞い、考え方、仕種、呑みッぷり、寝言等々が脳裏に去来する。
お通夜には私が感話を依頼された。二階堂先生との縁を、記憶を辿りながらお話した。なんといっても巨星だった。教団的には、「東京の臍」と譬喩的に語らせてもらった。東京大空襲の焼け跡から寺を復興され、その後の教団問題でも中枢を占めて活躍された。まさに「東京に二階堂あり」という印象を誰も否定できなかった。人徳も厚く、老若男女が、先生を慕っていた。
東京教区では年に一回、温泉地で一泊の同朋会議を開いた。たまたま亡き高藤法雄さんと二階堂さんと同室になった。懇親会の後、寝床についたのだが、おふたりともに、形相が凄かった。高藤さんは、轟音とも評されるイビキ、二階堂さんは、上半身を起こしてまで語りだす寝言。この日は、眠ることができなかったのを思い出す。おそらく二階堂さんは寝ていても、頭は起きておられたのだろう。
私的には、呑みがからんだお育てだった。新宿2丁目の「へぎソバ」は呑みの終着駅だった。2丁目は、ちょっと普通の街とは違った様相をかもしだしている。そこを抜けると、ソバ屋があった。「ソバ切れ」というソバの切れ端をあてに熱燗を仕上げに呑んだ。
ゴールデン街にも連れていってもらった。お節という店だった。いまもあるのかどうかはわからない。新宿ゴールデン街は、とても若造が一見で入れそうな感じがしなかった。また、先生は、貝好きだったので、「貝の会」を立ち上げた。二階堂・王来王家・青樹・武田の四人だけの会だった。こっちに貝の旨い店があるといえば、そこに出向いては貝で盛り上がった。
奥様・道子さんが2006年4月にお亡くなりになってからは、見る見るうちに弱られた。一心同体の夫婦だっただけに、片方が亡くなると、もう片方も共鳴してしまうのだろう。愛とは、火傷するほどに熱いものでもあるが、反面、残酷なものでもある。仲の悪い夫婦は、片方を失ったときにはダメージが少ないものだ。むしろ前より元気になられるケースもよく見受けられる。ある老女が「男は弱いわね」と漏らしていたが、そういわれても仕方のない生き物が男というものなのだろう。
晩年は、「浄土論註に学ぶ会」が正午に終っても、近くのそば屋に行くことも叶わなかった。パーキンソン病が体を動かすことを困難にしていた。それでも1月22日の論註の会の新年会では、お酒を少量ではあったが旨そうに呑まれたのを思い出す。あれがご一緒した最後になってしまった。
息子(行寿)さんから、23日の午前中に電話をもらった。家人から「専福寺さんから、電話ですよ」と取り次いでくれた。そのとき、ピンと来た。二階堂先生が亡くなったのだと。電話の内容は予想したものだった。
直接死因に結びつくような病気はなかったという。22日は熱っぽかったが、息子さんがヨーグルトなどを呑ませ、寺での法事を勤めていた。朝、電話をして主治医の先生に往信を依頼していたので、法事が終り、先生とふたりで、お父さんの自室へ入ったところ、すでにお亡くなりになったいたそうだ。それから、救急車が来て警察の検屍にまわったという。
つまり二階堂さんは、自室でひっそりと、おひとりで亡くなられたのだ。
これを聞いたとき、私は先生らしい死に方だなぁとしみじみと思った。誰の手も借りず、自分で自分を引き受けていかれたのだろう。ただ、そこには阿弥陀さんがおられたはずだ。
そういえば、お釈迦様の涅槃図というのがあるが、あそこには阿弥陀さんはおられない。仏さんらしいものが描かれているが、あれは雲に乗ってやってきたマヤ夫人、つまり先立たれたお母さんだそうだ。
だからお釈迦様の最後は惨めなものだったのだろう。おまかせするものがなかったのだから。しかし二階堂先生の場合は違う。そこに阿弥陀如来がおられたのだ。
先生は私にとって、浄土から還来された菩薩だった。人間の体を借りて、友となり、父となり、先生となって私を導いて下さった。そして浄土へ還っていかれた。
南無阿弥陀仏の中からやってきて、南無阿弥陀仏の中へお帰りになった、そういうふうに受け止めている。
いまは寂しい中に、ホッとしたものを感じている。これでよかったのだと思えるものが湧いてきた。これは私の中にも流れている南無阿弥陀仏という感性が感じさせるのではないか。
南無阿弥陀仏はよい言葉だ。南無阿弥陀仏に始まって、南無阿弥陀仏に終るのだ。
2013年2月23日●
ご縁のある方々へ
昨日、2月22日、専福寺前住職 二階堂行邦師が命終されました。通夜は27日、葬儀は28日です。ご縁のあった方がおられましたら、ご伝言よろしくお願い申し上げます。
2013年2月23日●
三河地域教化センター主催の「聖典学習会」へ行ってきた。
東岡崎は初めて訪れた町だと記憶する。矢作川と菅生川が流れ、家康誕生の岡崎城があり、とても落ち着く街だなぁというのが第一印象だった。三河別院は、駅から北東方向にあった。敷地は一万坪くらいの広大な土地だ。厳如時代だとすると明治期の開創か。小雨の降る寒い夜に40人ほどの聴衆が参集していた。会場は満席で、多少熱気も感じられた。
最初は私が登壇し、次にお西の総合研究所の塚本一真さんがお話された。さすがにお西の教学は、細密な原典研究を素地として成り立っている。レジュメには、親鸞の言葉を引き、それを「現生往生説」の立場だとこう読まれている、「臨終往生説」の立場だとこう読まれていると理路整然と解説された。そして最後には自分は「臨終往生説」だと表明されたが、レジュメの末尾には「親鸞聖人においては、法に出遇い、阿弥陀仏の光明に摂め取られ、決して捨てられることのない正定聚の利益にあずかることこそが、無上のよろこびであった。いまだ往生・成仏していないことで満たされることのない人生ではなく、未来の浄土を待ち焦がれた人生でもない、現に正定聚に住するということに充足された人生であったと考えられる」と記されていた。
「現生往生説」の方の主張の往生を「住正定聚」に変えられれば理解しやすいのではないかと付加された。
その後、ディスカッションをし、最後に聴衆より質疑を受けて終了。
聴衆は、「現生往生説」の武田と「臨終往生説」の塚本氏がぶつかる場面を期待されてもいたようだが、かみ合うことはなかった。それは当然といえば当然で、そもそも両者のスタンスの違いがあったからだ。
私は、親鸞という存在を「発展途上の一人の浄土教徒」として受け止めているので、親鸞の表現の世界だけでものを考えていないからだ。お西では、というか、お東の教団でもそうだが、いままでの教学は親鸞の表現世界の中だけでものごとを考えてきた。親鸞の表現した言語をどう理解するかということに終始してきたように思う。それはそれで専門学としては正しいあり方だと思う。
しかし、私は、親鸞の言語表現だけでものを考えようとはしていない。そして今回の「往生」という問題も、親鸞のフィールドを包摂している全世界的な知のフィールドから親鸞の言葉を受けとっていくという手法を取った。まあ、この手法が今後、拡張されていかなければならないとは思っている。
つまり、親鸞が結果として表現した言語の世界だけを研究するのではなく、親鸞が何をイメージし、何を考えてその言葉を使ったか。その表現が生れてくるパラダイムは何かを探っていかなければならないということだ。
そして見えてきたものが、親鸞が「往生」という言葉でイメージしていたものは、世界的な知のパラダイムへ移してみると、「時間」という問題だと突き止めたのである。
人間は、誕生し、人生を生き、やがて死んでいく。このライフサイクルをどう意味づけるかという人類永遠のテーマが、人間にとっての「時間」の受け止めである。このテーマが親鸞の念頭にあったと思う。
そして見えてきたものが、私たちが「往生」という言葉で考えてきたベースに「通時的時間論」のあることを発見した。「通時的時間論」とは、私たちが常識的に生きている、普通の時間観念である。一年は元旦で始まり大晦日で終る。つまり、カレンダーや時計が刻む時間のことである。私たちはこれを「客観的な時間」だと思い込んでいる。すべてはこの時間に従って動いているのだと思い込んでいる。この「思い込んでいる」ということが問題なのだ。実は時間は「客観的」なものではなく、人間特有の意味現象なのである。それは人間だけが「死」を知っているということと絡んでいる。死を知ることによって、時間が不可逆であることを知り、そのことで直線的な時間観念を私たちは作り上げているからである。
この流れのような直線的時間観念をもとにして「往生」を論じてきたのが私たちである。この通時的時間論をベースにして往生を考えれば、どうしても現在に信心を獲て、やがて未来に彼の土(浄土)に往生するという発想になる。獲信と往生との間にギャップが生れてしまう。それで何も問題がないようなのだが、それでは信心を獲て救われてから、往生までの時間をどう考えるのかという問題が生れてくる。それでその間を埋めるために、還相の菩薩として衆生を救う仕事をするのだという理屈をあてはめることも起こってきた。
親鸞の表現を厳密に読まれた塚本氏の言葉を借りると、『唯信鈔文意』の「即得往生は、信心をうればすなわち往生すといふ」の解釈は、「信心を得ると同時に往生するという現生往生説の解釈が成り立つと見ることができる。しかし、現生往生説だけでなく、臨終往生説の解釈も成り立つため、いづれにとっても絶対的な根拠とはならない」と述べられている。
つまり、親鸞の言説が現生往生説にも臨終往生説にも受けとれるということなのだ。
なぜそういうことが起こってくるのかといえば、親鸞の表現(言説)が微妙なというか、曖昧な表現になっているからである。
そして、親鸞がなぜそういう曖昧な表現をしたかといえば、それは親鸞の表現能力の問題ではなく、「往生」という問題がもっている時間論の微妙さゆえなのである。
そして今回私が主張したことは、信心獲得とは「通時的時間論」に生きてきた人間に、「共時的時間論」が開かれることであり、この共時的時間論のことを「往生」という言葉で親鸞は象徴的に語ったということだ。
それを通時的時間論をベースにして語れば、臨終往生説の臨終をどの時点にイメージするかである。信心を獲て救われたという体験を獲てから何年後に臨終を設定しているのかということだ。信心は前世で得るが、往生は命終時だとすれば、そういう時間的齟齬が起こる。親鸞は臨終を「いのちおわらんときまで」と記している。これも親鸞が何をイメージして語ったのかが問題だ。「いのちおわらんときまで」を人間の平均寿命に押し当てて、20年後とするか、5年後とするか。どういうイメージで親鸞は受けとったいたのだろう。私は、臨終時を「次の瞬間」と受けとっている。果たして親鸞はどう受けとっていたのかわからない。
通時的時間論をもとにして考えれば、「次の瞬間」といっても人間は生きているじゃないかと反論できる。それは我々の意識、親鸞の文脈でいえば「自力のこころ」が感じている時間から生れる。「自力のこころ」は、自分だけは永遠に死なないと固く信じているこころである。だから、臨終など決して受け入れることのできないこころである。ところが、「身の事実」はどうかいえば、次の一呼吸が臨終である。ただそれが「自力のこころ」には知らされていないだけだ。「自力のこころ」は、次の瞬間に死ぬなどとは到底受け入れられないことなのだ。その「自力のこころ」の思いを打ち破るようにして、死は現れてくるのだ。可能性としての死は誰においても「次の瞬間」としてある。つまり、臨終は「一瞬先」の出来事なのだ。
こう言わしめるもこそ共時的時間論である。
そうなると、往生はどこにあるかといえば、「次の瞬間」である。それを〈いま〉といってはならない。だから、安田理深先生がいうように、
「未来とは永遠の時間で象徴したものであるから、象徴を象徴として受け取る限り未来往生ということになる。これは間違いではないが、象徴が象徴性を失ったら未来が死後になる。死後の往生になる。未来往生というのはまだ間違いではないが、死後の往生と言ったら間違いである。」(『安田理選集』第1巻文栄堂)
未来往生と死後往生とは違うのである。
共時的時間の〈いま〉を分析すると、人間にとって「現在」という時間はあり得ない。人間が感じ、受け止めた限りの時間は、必ず過去の出来事である。なぜならば、いまという時間はものすごく早いスピードで流れているから、捕まえることができない。人間が「今だ」と受け止めたときには、それはすでに過去の出来事である。
だから、決して過去に消え去ることのない時間、そこに「往生」があるのである。その理由から曽我量深先生は「純粋未来」と表現した。つねに未来だから、臨終往生と表現することもできる。しかし、その臨終が死後という未来の現象と考えてしまったら、間違いである。つねに未来にある、しかし未来にあることで、往生していないということでもない。
親鸞は「因位」ということを大切にした。つまり、「うべきことを、かねて先立ちてよろこぶ」という表現をする。決して手に入れることのできない純粋未来を、かねて先立って獲ているということだ。これは、現世の事柄の譬喩で語ることは不可能なのだろう。「休日の前日の晩のワクワク感」と譬喩で語ることもある。翌日が休日だと思えば、前の日の晩はワクワクして喜びを感じるだろう、それが往生の喜びだと。しかし、一方で、「いまだ生れざる安養の浄土は恋しからず」(歎異抄第9条)ということも偽らざる真実なのだ。
もし、浄土へ往生したいと喜びを感じるようでは、煩悩がないのではないかと怪しむべきだと歎異抄はいう。
それはともかく、往生を通時的時間論で語れば、両面を切り離さなければならない。つまり「現在の出来事ではない」と「未来の出来事でもない」と。それを敢えて共時的時間と表現してみたのである。未来の出来事でもないし、過去の出来事でもない、そこにある実に微妙な時間が共時的時間である。
その共時的時間論に立ったうえで、もう一度帰ってくるのが通時的時間論である。親鸞は手紙で、自分は先立って浄土で待っていますと門弟に書き送っている。それは完全に物語性で語っているのだが、単なる物語性ではなく「還相の物語性」である。実体的にどこかにある浄土へいくということではない。行き先はすべて阿弥陀如来にまかせているのだ。つまりどこへ往生するかという問題関心から完全に自由になっている。そのうえで、そこから生れてくるのが「還相の物語性」である。
還相の視座を獲ているから、この世のことがすべて信仰のメタファーとして転換することができるのだ。通時的時間に死んで共時的時間に蘇る。そこに「死と再生」がある。
通時的時間論に死んで、共時的時間論に蘇ってくる。蘇ってきたところには「還相の物語性」が立ち現れてくる。
ほんとうはすべてのことが物語の中の出来事なのだ。たまたまこの身体を得て、自分の所有物であるかのごとくにしているのも物語である。寺に生れ、家族を得て、親鸞と出遇い、いつ終るとも知れない日々を生きている。この全体が物語である。何一つ本質的なことを知らないままに日々を生きている。
この人生という舞台を物語として、主人公の自分を生きている。その主人公はいったい誰と対面しているのか。それは阿弥陀さんだけである。いつ、どこで、何をしていても、そこには阿弥陀如来がいる。
2013年2月13日●
2月18日は三河地域教化センター主催の「聖典学習会」へ出講する。テーマは「往生とは」で、サブタイトルが「現生往生説と臨終往生説」。それで東派からは小生が西派からもお坊さんが出演されるという。
このサブタイトルは、つい昨日知ったばかりで、ちょっと戸惑った。いわばヴァーサスで、リング上で戦わされ、それを見物するという趣向だ。
まあ、テーマとしては面白いが、たぶん、ヴァーサスにはならないだろうと思う。
まず「往生」ということが、解説されていないからだ。
サブタイトルにもなっているが、その「往生」とは何かということが問われていない。まあそれも含めて問題にしようというのが主催者の狙いなのだろう。
ヴァーサスだと、親鸞は現生往生説の立場だ、いや臨終往生説の立場だと論戦するということになるのだろう。そんな論争はほとんど無意味である。そのために前提になっている「往生」を解明しなければならない。
私の立場は、浄土教で長い間、問題にされてきた「往生」とは、人間が生きるということに関して、何を問題にしているのかといえば、それは「時間」ということだ。
「時間」という言葉に置き直せば、おそらく現代人が、「往生」ということで浄土教が何を問題にしてきたのかが想像できるはずだ。
ひとはみんな、時間を生きているからである。どういう時間を生きているかだ。
私たちは死を知っているから、自分の人生を誕生日で始まって、命日で終ることを知っている。知りつつ〈いま〉という時間を生きている。この〈いま〉という時間をどう受け止めているかだ。
小生は、信仰とは「共時的時間」を開くものだという立場で語りたいと思う。
だから、親鸞がこういったに違いない、いやいやそうは言わなかったのではないかというレベルの話は無意味だと思っている。「親鸞が直感していた時間とは何か」という提起の仕方で語ることになる。
だから、親鸞の表現にも限界があると考えなければならない。親鸞がうまく表現している部分と、そうではない部分がある。だから、親鸞が語った、記した文字で考えるのではなく、親鸞がその言葉で考えていた事柄を発掘していかなければならない。
どんな結果になるのか、またご報告する。いまは、どんなことが繰り広げられるのか、ワクワクしている。

※ここのところ「つぶやき」の更新が少ないといわれるが、いま、新しい本の出版作業に入っている。そのため校正作業がどうしても多くなる。ご迷惑を掛けるが我慢してほしい。タイトルは『歎異抄に聞く 死・愛・信』(プネウマ舎)で出る予定だ。乞ご期待。
2013年1月29日●
今朝のお朝事の和讃は「本師道綽禅師は 聖道万行さしおきて 唯有浄土一門を 通入すべきみちととく」だった。
「唯、浄土一門有りて通入すべき」という。なぜ浄土教が「浄土」という思想を必要としたのか。この世で悟りを開くのが仏道の原初形態のはずだ。なぜ「浄土」なのか。
これは大問題である。この大問題を、この日常生活の中で、どううなずいたらいいのか。 そう問われて、ウムと考えてたら、すぐに答えがやってきた。
〈いま〉への安住を拒否する安全弁だと。
浄土とは、〈いま〉ではないよ、あっちに行ってからだよという意味だ。それを初期の浄土教は「死後」と受けとってしまった。まあ、原初は仕方ないことだ。この世は苦しみの世だから、死んだらいいところへいけるんだと考えても仕方がなかった。いやはや、わかっているひとはいたんだろうが、原初はおおむねそういう受取りしかなかったのだろう。
しかし浄土教が成熟してきて親鸞まできたら、死後ではなくなった。というと未来を排除しているようで誤解を生む。死後なら死後でよいのだが、死後をどの時点にイメージしているかだ。親鸞以前は、何十年後というイメージだったが、親鸞は「次の瞬間」とイメージした。
浄土はどこにあるかと問われれば、次の瞬間である。それが、この世を生きるものにとっては、永遠に次の瞬間である。次の瞬間が〈いま〉へと変質することはない。だから浄土は永遠の未来であるともいえる。
この発想は、この世に決して満足しない「改良型宗教」と接近する。補足すると親鸞の信仰世界では19願と規定されている発想だ。これは〈いま〉に絶対に安住しない。
それでは親鸞の規定する〈ほんとう〉の信仰、つまり18願の発想とどう違うのか。
18願の発想も、19願の発想と似ていて、〈いま〉に安住することはない。
19願の発想は、〈いま〉に安住せずに未来に理想的なものを予感する。18願の発想は、一度、現世を完全に肯定し、安住したところから、敢えて安住を拒否する形になる。
もし〈いま〉に安住してしまったら信仰は停滞してしまう。そんな信仰は楽しみのない信仰だ。〈いま〉がすべてであり、〈いま〉で満足という信仰は、信仰の腐敗だ。それだからといって、未来に理想的なものを夢見るものではない。そんな理想的なものは未来にはないと達観しているのが18願だ。
修行をするのは、まだ悟りという理想形を実現していないからだ。このマインドは、現状に満足することはない。まだ悟っていないからだ。悟ってしまえば修行は成就して止まる。これは19願の発想だ。それではこの譬えで18願を解いたらどうか。
18願の信仰は、修行して悟ってしまったところから初めて修行が始まる。19願の修行は、現状否定の修行である。いまはまだ悟っていないのだから、休んでいる暇はない。18願の修行は、悟ってしまった時点から出発する。その修行は終わりのない修行である。何かを理想として求めることがなくなった修行である。それは永遠に出口のない部屋から出口をさがすような修行ではない。どこにも出口をさがす必要のなくなった修行である。もともと出口はなかったのだ。出口があると思っている思いにだけ出口があったのだ。むしろその思いが出口を捏造していたのではないか。
〈いま〉に安住させないために浄土を語るのが18願だ。浄土という言葉を聞くと、私には「〈いま〉ではないよ」と聞こえてくる。私が「これが〈いま〉だ」と受けとった限り、いまはすべて過去の時間に入ってしまう。つまり〈いま〉が凝固して腐敗していく時間である。「〈いま〉ではないよ」という言葉が新鮮な風のように懐に入ってくる。
〈いま〉という時間の防腐剤が「浄土」だったのだ。「唯有浄土」とは、解放の言葉だったのか。
2013年1月21日●
京都の専修学院にいたころの話。
学院生は住職の資格を取るために、二週間の本山合宿、正しくは「修練」を受けなければならない。そこでの話。学院には18歳から70歳代までのひとが学生として在籍している。学院は基本的に全寮制なのだが、それ相当の理由があると認められ、特例として京都市内から通学が許させているひともあった。そのうちの一人のおじいちゃんが西陣から通っていた。このおじいちゃんは、寺を継ぐわけでもなく、自分だけのために学院に入学し研鑽をつみたいという動機だった。京都弁の堪能な不思議な、まさにネイティブ京都人。
このおじいちゃんは、阿弥陀さんはそっちのけで、地水火空という在来の神様を信仰していた。実はそのおじいちゃんの本音が、こともあろうに修練で発覚した。それが分かった以上、修練の修了証は出せないという問題が起こった。
そのことの弁明のため学院長が本山まで出向くということまでに発展したと聞いている。詳しい、ことの顛末はわからないが、事なきを得たということだけは知っている。
そのおじちゃんは、毎日歩いている大地にお世話になっている、空気がなければ生きられないから空気にお世話になっている。人間は水なしに生きられないから水にもお世話になっている。暖房や料理に火は欠かせない、火にもお世話になっている。だから地水火空の神々を信仰しているのだ。別にどこにいるかわからない阿弥陀如来のお世話にはなっていないと。これも一理ある考え方である。
まあ親鸞の信仰から批判できるとすれば、そんなのはすべて御利益信仰じゃないか、南無阿弥陀仏の信仰じゃないと、一応は切って捨てることができる。しかし、それでは南無阿弥陀仏と御利益信仰がどう違うのか。また我々にとって御利益がなければ信仰は継続しないのではないかという問いもある。
「一切の功徳にすぐれたる、南無阿弥陀仏をとなうれば、三世の重障みなながら、必ず転じて軽微なり」という親鸞の和讃がある。
文章の流れは南無阿弥陀仏を称えたら、重障が転換されて軽く受け止められるである。しかし親鸞は、どの時点でこの和讃を詠っているのかといえば、転換されて軽く受け止められた時点である。決して、これから南無阿弥陀仏を称えて、その功徳で転換を得ようと考えているわけではない。つまり、重たい障りが軽く受け止められたのは、南無阿弥陀仏のお蔭なんだよなぁということだ。それは南無阿弥陀仏の御利益である。御利益をもらった原因を尋ねれば、それは南無阿弥陀仏のお蔭だというのだ。
その利益と地水火空の神の御利益とどう違うのか。
結論から述べよう。南無阿弥陀仏の御利益とは、御利益に留まらせないという御利益である。地水火空の神さまは、「お蔭様で、今日も生かさせていただいております。有り難うございます」で終わっていく御利益だ。「今日も無事に過ごせました」、めでたしめでたしで終わっていく御利益だ。
南無阿弥陀仏の御利益とは、めでたしめでたしで終わらない。めでたしめでたしと、そこに安住している自分を揺さぶってくる。何をめでたしと感じているのかといえば、まさに自分のご都合でしかない。自分にとって好都合を御利益といい、不都合を不利益と分別し、御利益を貪ってはめでたしめでたしとほざいている傲岸さを批判してくる。
だからこれは一般的な御利益ではないだろう。むしろ人間にとっては御利益の範疇には入らないものである。如来からの批判なのだから。
しかしこの批判が南無阿弥陀仏の御利益である。
御利益を欲しがると、神や仏のご機嫌をうかがうような姑息な生き方になる。「今日も無事に生かさせて下さい」というこころは誰にでもあるのだが、それは、裏を返せば不幸を畏れる信仰になる。不都合という不幸をできるだけ排除して、自分にとって好都合の幸福を貪ろうとするこころである。それは神や仏のご機嫌を取って依存していくものとなる。つまり仏や神の奴隷になる信仰だ。
人間は仏や神から解放されなければならない。
よく「ご先祖のお蔭で、今日も無事に過ごせています。有り難うございます」とおっしゃるひとがいる。その挨拶には、どうしても苦笑が出てしまう。それはよいことだ。十分によいことなのだが、そこに留まっていては南無阿弥陀仏にならないからだ。
「今日も無事に過ごせて有り難うございます」と感じる自分がある。それを否定してはだめだ。そう感じている自分のあることは確かなのだから、それをちゃんと認めなければいけない。そんなふうに感じてはいけないということも間違っている。
ただそう感じた後から、「無事に過ごせて有り難う」なんて呑気なことを感じて喜んでいるだけでよいのかという如来の声を聞きたい。自己批判ではなく、如来の声でなければだめだ。自己批判には血が通っていない。如来の声だけに歎異の慈悲心が宿っているのだ。
仏さんに叱ってもらえるのだから、これは御利益に違いない。仏さんと関係が結べたということだから。
2013年1月17日●
「悪人」はレッテルのように、人間が人物に対して張り付けることのできない言葉である。「悪人」とは歎異抄に記されているのだから、これは人間が張り付けることのできる言葉ではないかという反論もあるだろう。確かに、これは親鸞の言葉を唯円が聞きとめた「悪人」なのだから、人間が用いた言葉に違いない。しかし、親鸞のいう「悪人」という言葉の生れてきた世界を想像してみると、どうもこれは親鸞が作為的に用いた言葉というよりも、親鸞の内面に聞こえてきた言葉ではないかと判断した。つまり「聞き言葉」ではないか。歎異抄第9条の「仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫とおおせられたることなれば」の文脈で受けとるべきだ。これをパラフレーズすると「仏かねてしろしめして、『悪人』とおおせられたることなれば」となる。「悪人」は、仏さんだけがご存じで、その仏さんが私を「悪人」と呼んで下さったというふうに読める。
だから、私が誰かを指さして「悪人」というふうに使う言葉ではない。当然、言葉だからレッテルのように使うことも可能だ。言葉は「道具」という側面もあるから。しかし、それは誤用だと知っていなければならない。他人に対しても、あるいは自分に対してもレッテルとして使ってはならない。つまり「自分は悪人です」と自称しては誤用なのだ。これは唯一、仏さんから呼びかけられるところにだけ成り立つ言葉だからだ。
もっといえば、仏さんから呼びかけられるまで、私の本当の名前はないのだ。俗名は記号としてある。他者と判別するためにある。しかし同姓同名であれば、班別することもできない。俗名は生と死を分ければ「生」だけの限定的な名前だ。生と死を通じて成り立つ名前ではない。生と死を通じての名前が「悪人」だ。仏さんが私を「悪人」と呼んで下さったとき、初めて宇宙軸としての自分が誕生する。それまでは暗闇なのだ。
まさに機の深信の言葉のように「自身はこれ現に罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた常に沈み常に流転して出離の縁あることなき身」が私である。この機の深信の言葉も仏のおおせである。暗闇の中を生まれ変わり死に変わりして、いま、ここに、私がある。まあそのときは暗闇であることもわからずにいるのだ。その暗闇の存在が、仏さんより「汝、悪人よ」と呼びかけられることにより、初めてここが暗闇であり、その暗闇の中を迷いに迷っていた存在だと知らされる。その暗闇に、一点の光明として「悪人」という命名が起こる。その光に照らしだされたものこそ、宇宙軸としての自分である。
「悪人」とは、如来からの呼びかけであるから、これは慈悲のこもった愛語である。呼びかけは仏の愛から起こってくる。
どうして愛なのかといえば、自分で自分自身を把握したり、命名する欲求から解放されるからだ。自分の存在の意味を見つけなければならないという要求から解放されることでもある。それは「意味の病」からの解放である。
自分のことを〈ほんとう〉に知っているかたは仏さんだけである。自分では自分のことはわからない。表面的なことは知っているが、肝心のことは何も知らない。知らなくてよいのだ。もともと知ることができないのだから。そうして自分自身を仏さんに委譲すればよいのだ。南無とは全身をまるごと阿弥陀如来に委譲することだったのだ。
2013年1月10日●
基本的に、「生きる」ということが動詞であれば、仏さんが命じればそうするし、そうでなければしないし、出来ないということだろう。
動詞のすべては、そういう性質のものだと思う。そこまで書いてみると、ちょっと意地悪な反論も浮かんできた。それじゃ居直りじゃないか、あまりに無責任というものではないかと。
しかし、生きるということを何十年もやってくると、だいたいその傾向というものがわかってくる。つまり「思い」と「行為」は性質を異にしているということだ。「思い」は思い自身が考えていて、「ああもしたい、こうもしたい」と動いている。それは私の自由にコントロールすることもできないような動きである。そのくせ結果的に思い通りに行為できたかといえば、これがなかなかイエスとは言い切れない。ラブレターを女の子に渡そうと認めたが、結果的に渡すことができなかったなんていうこともある。
ああしようこうしようと年頭に決めたことが、三日坊主で駄目になったこともある。それは意志が弱いからという解釈も成り立つが、物事の本質を見失っている解釈だ。行為の原因は「思い」だけに還元できるものではない。
ところが行為を司る身体は老化するが、「思い」を司る自我というやつは老化しないから厄介だ。俺が俺がという思いは決して衰えることがない。歳とともに思いも老化してくれれば、どれだけ人間は幸せになれるだろうか。それがそうならず行為は年齢と共にままならなくても、「思い」は死ぬまで万能感をいだいているのだ。何とも痛ましい。
2011年3月11日の東日本大震災を契機に国民全員が、なんとか被災者を助けたいと願った。実際に救援活動に挺身したひともたくさんいる。しかし、それができなかったことをいまでも悔いているひとがいる。果たして、それができるかどうかは縁次第である。動けたひとも動けなかったひとも縁である。私の言い方をすれば、仏さんが命じればそうするし、命じなければそうできないということだ。動けたひとは、「動かざるを得なかった」という。その無言の強制力を擬人化すれば、仏さんがやれと命じたという表現になる。
だから、動けなかったことを悔いても仕方がない。動けなかったということ以外に真実はない。
それを動かなかったと解釈してはならない。動かなかったという表現が生れるのは、自我の万能感に支配されているからだ。自分は何でもできるように思っているから、動けなかったことを裁いて苦しんでいるだけだ。この自虐地獄は、自我の万能感が生みだしている苦しみである。
その全体を仏さんは御覧になって、哀れなるかな衆生よと悲しんでくれるのだろう。悲しみの本質は仏さんのものだと思う。悲しみは必ず苦悩するものに寄り添ってくる。死ぬために誕生してきた我々全体をおおいに悲しんでいる。
やはり行為はすべて仏さんが支配しているのだ。どこにも自分はない。
2013年1月3日●
超越という言葉
「超越」という言葉は、〈ほんとう〉の超越を表してはいない。「超越」という言葉になった段階で、〈ほんとう〉の超越をやめているのだ。それでも人間は「超越」という言葉を使う。「超越」を使って、何事かを表そうとしている。
「超越」を知っていて「超越」を使っているひとと、「超越」を知らないで「超越」を使っているひとがいる。私は後者だ。
「超越」は人間に知られた段階で「超越」であることをやめるのだ。「超越」を知るまでは「超越」を知っているふうだったが、「超越」とわかってしまってからは、「超越」がわからなくなる。「超越」という言葉になってしまえば、それは魅力を失う。
ちょうど「感動」は大切だ、と力説していたとき。「感動だ、感動だ」といえばいうほど〈ほんとう〉の「感動」から遠ざかってしまうようなものだ。
だから〈ほんとう〉のことは、あまり言葉で表さない方がいいのかもしれない。言葉をたくさん使えば使うほど、その言葉が生みだされた世界からは遠ざかるから。言葉はお金と同じで、多すぎるとインフレーションを起こしてしまう。インフレーションを起こすと、お金の価値が下がってしまう。言葉もそれと同じだ。言葉のインフレは、言葉からなんの感動も生れてこないことだ。
言葉を紡ぎだすということは、まったく矛盾したことをしているのかもしれない。言葉が生れるためには、初めに感動がなければならない。しかしそれを言葉にしていくほど、〈ほんとう〉の感動を無価値なものに変えてしまうからだ。しかし、それでもその矛盾したことしかできないのが愚かなところである。
宗教は、ひとに伝えるための使命をもっているなどというが、それは嘘だ。ひとに伝えようという作為の秘められた言葉は、決してひとに伝わらない。それは二義的なことである。初めに感動があって、それを言わずにおれないというのが〈ほんとう〉だろう。たまたまそれを見たひとが、一緒になって喜んでくれるということに過ぎない。だから宗教言語は、徹底してモノローグでなければならない。
「汝の隣人を愛せよ」というイエスの言葉も、モノローグだったに違いない。〈ほんとう〉は自分しか愛することのできない罪を告白しただけのものかもしれない。それは大衆に向かって発した言葉ではなく、いわゆるカミに向かってのモノローグだったのではないか。
それにしても〈ほんとう〉のことは言葉ではいえないのだろう。
無言ということが、どれほど人間を励ますか。無言ということが、どれほどひとを癒すか。無言はとても静かで清浄な世界だ。それに比べて言葉の世界、つまり有言の世界は汚れている。言葉の世界はどこかに、微かにでも緊張が生れてしまう。
あのご遺体の顔を見ていると、どこにも緊張がない。とても清浄な世界を感じる。
それに比べて、生きている人間は、どれほど汚れていることか。
2013年1月1日●
なんとも平板な年明けである。年が改まったということらしいが、何も改まっていない感覚とでもいおうか。何か体が重たいような、何かを引きずっているような、そういう重苦しさを抱えたまま2013年が始まってしまった。
恐らく、人間は、直線の時間に耐えきれないから、循環の時間をあみ出したのだろう。一年というサイクル、ひと月というサイクル、そして一週間というサイクルを。一年がたてば、その前の年とはまったく異質の時が始まったと考えたいのだ。前の年の重苦しさを、年を改めることで帳消しにできるかの如くに。
ケが重圧のように溜まっていくことをケガレという、ケが枯れてくると。その重圧を一気に噴出させるのがハレである。民俗学では、このサイクルで日本人のこころが動いていると考える。納得させられる考え方である。
以前は循環型の時間が機能していた。ここのところその循環にほころびが見えだし、直線型が姿を現してきた。つまり、何も改まらない、過去の重みをどこまでも引きずり帳消しにできない感覚は、そこから来るのだろうか。時代は、その時代の空気を吸い、その空間を生きた人間にしか感覚することはできない。十年もたてば、いま私が感じている感覚すら意味不明のことに変質する。それが時代というものの恐ろしさでもある。
こうやって時間というものを考えていくと、終わりから考えたくなってくる。「要するに生きているとはどういうことか」という問いに収斂する。自分の死、あるいは地球の死、宇宙の死から、〈いま〉を逆算して考えたくなる。これが宗教的欲求というものだろう。
逆に〈いま〉という時間から将来の自分の死を考えると不明確になってくる。〈いま〉から将来の死を考えるということは、マイナス思考ではないか。死はすべてを奪うものであるから。〈いま〉が百であれば、死は、そこからの引き算である。ところが将来の死から〈いま〉を考えると、ゼロに〈いま〉という数字を掛けるようなものだ。ゼロに何をかけてもゼロであるから。なぜか清々しいこころになる。算数の問題でゼロにどんな数字をかけても答えがゼロということに快感を覚えたのは私だけだろうか。
将来の死は数字のゼロと同じなのだろう。そのゼロから〈いま〉をみると、〈いま〉がものすごく微かなものに変質してくる。それは存在の軽やかさといってもいいだろう。
本来、存在は軽やかなものなのかもしれない。それが重たいものと受けとってしまうのはどういうことか。たぶん人間は因果論から逃れられないからだろう。物事には必ず理由があり、目的があるという発想を因果論といっているのだが、それが通用するのはごく限られた場面だけだ。というか、それは人間にとって表面的なことであり、深層の真実は因果論では解けない。
高村薫の『冷血』には人間の得体の知れなさが描かれている。犯人がなぜ一家殺害事件を起こしたのか。その深層は決して因果論では解けないものだった。人間は犯罪動機を知りたいのだ。因果論的欲求で。
自分の中にあるグロテスクな部分が恐ろしい。自分は何をするかわからない生き物である。自分では自分をほんとうにコントロールすることは不可能だ。そういうグロテスクがいつむき出しになるか、それは恐ろしいことである。生きることは恐ろしいことだ。
それに戦いている私に向かって、歎異抄は「悪をもおそるべからず」(第1条)と呼びかける。これは愛語である。悪をおそれることはない、そのままのお前でよしとすべてを引き受けられる安心感に満たされる。
そこから生き始めよう。ゼロに向かって。
2010年~2012年
Copyright (C) 2009 – Insokuji -. All rights reserved.