「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても奉ずべし」(「正像末和讃」)の「べし」は絶対命令だ。初めて、この和讃に接したとき、「べし」は如来からの、つまり外からの命令だと受け取った。如来の恩徳には身をすり減らしてでも感謝しなさいと。へえ、如来のはたらきは、そこまで感謝しなければならないほと凄いことなのかと、思った。しかし、自分は如来から、どれほどの恩恵を受けているのだろうか。恩恵とは、恩恵を受ける前とは違った良きことが与えられていなければならない。それは何か。そうやって自分のこころの中を探っても、これというものが見つからない。以前、新興宗教に入信したひとに、「なぜ入信したのですか」と聞いたことがあった。そうしたら、その男性は、「この新興に入れば、ガンが治ると聞いた。そして入ったら治ったんです」と応えた。こういう目に見える恩恵があれば、感謝しなさいという命令も受け入れられよう。でも、阿弥陀如来にはそんな力はないようだ。もっとも、ガンは治っても、また違う病気になったりするのだから、そういう恩恵は、人間から「死」が完全に排除できない限り恒常的には与えられない。そうすると、本当の報恩感謝とは何かが分からなくなる。報恩感謝と言っても、人間が感じられる範囲のことを有り難がっているだけだ。親鸞も、感謝、感謝と思っていただ、それは「罪福心」じゃないかと覚めてしまったのだろう。報恩感謝を感じて喜んでいるのは、人間の「利害損得心」じゃないかと。つまり人間にとっての報恩感謝とは「条件付き」ということだ。不利益の状態が利益の状態に変化しなければ、人間には報恩感謝は感じ取れないのだ。阿弥陀さんの悲愛は「無条件」だから、そんなものに人間は報恩感謝などできないのだ。ここが自分の居場所だった。ここから一ミリも動いてはいけない。「蛙の面にション便」と言うが、この蛙が、まさに自分だった。どんな悲愛があろうとも、そんなものを報恩感謝とは感じ取れない鈍感が私だ。鈍感とは、努力すれば、報恩感謝が少しでも感じ取れるようになることではなく、それを感じ取るアンテナがポッキリと折れてしまっているということだ。
この私に向かってのみ、阿弥陀さんは「奉ずべし」と絶対命令を下してくる。感謝できないものに向かって、感謝せよと迫ってくる。阿弥陀さんが私と接する接点は、命令のみだ。親鸞が突き詰められたときにする表現は、「信ぜよ」「生まれんとおもえ」「願ぜよ」と、すべてが命令形である。それの極めつけが、「回向したまえり」という表現だ。人間から「回向する」という動詞的関心が完全抹殺された金字塔だ。
初め、命令は、自己の外部から聞こえてくるように感じてしまう。「信ぜよ」「奉ずべし」と。外から聞こえているうちは、命令が、それに応えようとする努力へと還元されてしまう。自分にとって命令は、少なからず圧迫感に感じ取れる。「信ぜよ」「奉ずべし」が努力目標になってしまっている。親鸞は善導の「急作急修して頭燃を灸うがごとくする」(観経疏)という言葉に自己を言い当てられたのだろう。それを御自釈(信楽釈)に、そのまま引用している。「信ぜよ」「奉ずべし」が努力目標になってしまうと、寝ている間も、髪に点いた火を必死になって払うかのように強迫されることになる。それは、いつの日か、報恩感謝が感じ取れるのではないかという期待がある間は、続いていく。しかし、報恩感謝などを感じ取れるアンテナは折れていたというか、もともと無かったのだと引っ繰り返されると、いままで外にしか感じ取れなかった命令が、自分の内部に宿ってしまう。外部にあった命令が、自分自身になってしまうと言ったらよいだろうか。自分という存在が、命令そのもになる。「被命令的存在」か。それを「因位」というのだ。私はそれを〈存在の零度〉とか〈零度の存在〉と言い換えている。何も、自分が他者に向かって命令を発する者になるということではない。「すべてのことが〈未然形〉になる」とでも言おうか。「信ぜよ」「奉ずべし」は、この〈未然形〉の場所に起こっている無限運動である。この世には、ひとつも「これで済んだ」と言いうることはないという大地だ。これは原始未開から不変の大地だ。私が立ち会っている景色は、この原始未開から不変の大地以外になかったのだ。それを突き詰めた言葉が、「弥陀成仏のこのかたは いまに十劫をへたまえり」(浄土和讃}だ。これは〈いま〉、ここが永遠と接している接地面であることの確認だ。自己が自己に成るまでの背景。何十億年という背景が〈いま〉、ここにあるという驚きだ。我々のする行為もそうだが、こころの中で思われるどんな些細なことでも、それらはすべて何十億年を背景として起こっているということだ。そして、それらすべてが「済んだことにはならない」ということなのだ。我々は「過去」しか知らされていないのだが、本当の大地は〈未然形〉だったのだ。「信ぜよ」「奉ずべし」という命令を被る場所だけが、ほんのり明るいのだ。それが自己の内部で、辛うじて感じ取れるのだ。もっと言えば、「内部」も「外部」もないのだ。「内部」だ「外部」だと分けることで、〈真実〉を明らかにしたいという運動だけが、そこにあるだけだ。親鸞も、「如来と衆生」とか「浄土と穢土」とか、二つに分けて表現するのだが、もともとは二つに分けることのできないことを、仮にそのように分けているだけだ。二つに分けなければ、人間には「考える」ということができないからだ。やむを得ず二つに分ける。しかし、それは分けて何事かが分かるということではない。分けることで、本当は分けることのできない〈真実〉を表現しようとしているのだ。一を表現するために、あえて、それを二として分ける。分けるのは、もともと一であったことを知らせるためである。「外部」からの命令が、自己と分かれて二になっていたものが、やがてそれを聞いて一であったことに覚めるための悲愛だったのだ。