当事者研究

四十八歳の女性が亡くなり、葬儀があった。十年前にガンが見つかり手術を二回したが転移があり、それからは抗ガン剤治療をされたと言う。近代医療に頼り、民間療法は拒否されたそうだ。一人娘の中学受験を見届けるために、辛い抗ガン剤治療を頑張ったとお連れ合いは話していた。私も他人事とは思えず、いろいろと治療過程の細かい話をすることができた。
それから、私の中に起こってきたこころのうちを整理してみた。まず、四十八歳という年齢で亡くなるということは、あまりに早すぎるという思いだ。一人娘の成長を見届けられないという無念さはどれほどのものだろうか。今季、中学生になる娘さんは、お母さんとの別れをどう受け止めているのだろうか。旦那さんは、家のことなど、すべてを彼女にまかせていたので、今後、どうやってすればよいのかと途方に暮れていた。余命宣告は五年だったが、何とか十年を生きることができたのも、彼女の頑張りだと旦那さんは漏らしていた。それらを聞いた後に、私の中に起こってきた思いを一言で言えば、「さぞやお辛いことでしょう」だ。
 ただ、それがどれほど辛いことかと私が感じ取ったとしても、それは「当事者」ではないから限界がある。親子三人で暮らしてきた家族は、母を失うという大事件の当事者であるのだが、それをどう受け止めるかということになると、三人三様であるに違いない。話は変わるが、北海道浦河町の「ベテルの家」には、「当事者研究」という素晴らしい言葉がある。自己が自己自身について研究するというものだ。今回のことで言えば、旦那さんがどれほど連れ合いを可哀想だと思っても、それは彼女自身ではない、つまり「当事者」ではないということを教えられる。「家族」とは強固な「共同幻想」を共有する関係であるから、これが崩されることは自分を失うことに等しい。家族三人は、それぞれ別々の肉体をもって生きてるという面では別体だが、思いは一体になっている。家族の死は、この思いを崩壊させられることだから、耐えがたい。
藤原正遠さんの「生くるものは生かしめたもう 死ぬるものは死なしめたもう 我に手のなし 南無阿弥陀仏」が思い出された。私たちの運命をつかさどる超越神があって、それが生死を支配しているという意味ではない。私たちにとって、生死は、いつ始まり、いつ終わるかを知らされていないという厳粛な事実を歌ったものだろう。「我に手のなし」とは、もはや打つ手がないから、おまかせ以外にないのだと教えている。これは徹底的に「当事者研究」から生まれた、歌だと思われる。
突き詰めると、「当事者」が自己自身の「死」をどう受け止めるかという一点に絞られる。「死」を見たくもない「不幸」と受け止めれば、自分の人生は「不幸」を目指して生きてることになる。そもそも「死」がどこから始まるかと言えば、「誕生」からだからだ。親鸞は、「生と死」は客観的なものではなく、人間の「幻想」が織りなすものだと気付いたひとだ。そこから自分がこの人生を生きていく物語を、新たに紡ぎ直そうと呼びかける。それこそ「当事者」である自己自身以外に、これを紡ぎ直すことはできないのだから。
 もうじき、まっさん塾の講演録が出る予定だ。本の題名は、『「死」観の解体』である。「死」ばかりでなく、その裏側の「生」も解体する。