道元と親鸞の深淵

増谷文雄さんが、「わたしは、法然や親鸞のえらんだ道と、この道元のえらんだ道が、まったく対象的に相違なるものであったことを思わざるを得ない。」(『正法眼蔵随聞記』水野弥穂子訳 ちくま学芸文庫1992年「解説」)と言っている。それは「法と機の問題」だとして、「法然と親鸞の撰んだ道は、まず、機すなわち人間の側の吟味から出発する。彼らは、涙をさんぜんとわが機のうえに注ぎながら、その歎かわしい姿を見究める。そこに見いだされるものは、煩悩具足の凡夫のすがたであって、それは到底、出離解脱ののぞみもない。ではいったい、かかる煩悩具足の凡夫にもふさわしい教えは何か。かくして、機によって法の選択がなされ、専修念仏の道がえらびとられる。(略)しかるに、道元のまっしぐらにまず赴いたところは、機の問題ではなくして、法の問題であった。本当の仏教とはどのようなものであろうか。それがまず彼の問題であった。機の問題はあとまわしである。機をもって法をえらぶなどというのは、彼にとっては、とんでもないことであった。」
 このように書かれているのだが、これを読んでいて、私に違和感を懐かせたものがあった。それは最初に書かれている、「法然や親鸞のえらんだ道と、この道元のえらんだ道が、まったく対象的に相違なるもの」という受け止めだ。私にはふたつが、「対象的に相違なるもの」とは思えないからだ。法然・親鸞・道元は同じベクトルで、「本当の仏教とはどのようなものであろうか」と求めたのに違いないからだ。増谷さんが、「(法然・親鸞は)機すなわち人間の側の吟味から出発する。彼らは、涙をさんぜんとわが機のうえに注ぎながら、その歎かわしい姿を見究める。」とご覧になっている、「法然・親鸞」とは何か。ただ増谷さんの理解が、ここにあぶり出されているだけではないか。親鸞が機の有り様を「煩悩具足の凡夫」と受け止めたのは、「本当の仏教」を求めたがゆえの受け止めである。だから「本当の仏教」の追求なしに、「煩悩具足の凡夫」などどいう言葉は生まれてこない。「機と法」とは同時に見いだされるもので、どちらか一方だけが明らかになるものではない。
 道元は、人間の有り様がどのようなものであろうとも、そんなものには脇目もふらず、ただひたすら「修行」せよと言っているから、「機」には着目していないと増谷さんは受け取ったのだろう。しかし親鸞は「本当の仏教」を求めば求めるほどに、その仏法に照らされた我が身を告白したのだ。
 むしろ親鸞は、道元が問わずに通り過ぎてしまっている「求道心」が、「本当の仏教」に適っているのかと問うた。道元のモチベーションは、常識でも理解しやすい。人目も気にせず、だから世間の評判などに目もくれず、また自分は愚かな者だから修行などやっても無駄と卑下しているこころも振り返らず、ただひたすら座禅せよと言うのだから、これは理解しやすい。
 しかし、親鸞はそれが「本当の仏教」だろうかと、立ち止まった。道元は立ち止まるなというのだが、親鸞は立ち止まった。「本当の仏教」を求めるこころは、〈真実〉なのかと問うた。そうやって〈真実〉から問われてみると、自分には「罪福心」しかないことに気付いた。つまり、名利や愛欲のこころしかなく、菩提心などは欠片もないと告白している。おそらく、そんな親鸞に道元が出会ったら、道元は親鸞に向かって「機を云々せずに、〈真実〉の仏法を求めて座禅しなさい」とアドバイスしたかもしれない。しかし、親鸞にとっては、「本当の仏教」を求めようとする、その初めの一歩が〈真実〉に適っているのかどうか、それが解決しなければ、すべてが虚偽になると直感したのだろう。
 親鸞にとって「本当の仏教」とは、これから求めて獲得するものではなく、自分自身の虚偽性を照らし出すものだった。その気付きがやってきたのは、やはり、覚りを求めようと意志することが「求道心」ではなく、「煩悩」だと気付いたことによる。道元の場合、覚りを求めることはよいことであり、仏道修行への第一歩だと考えている。しかし、親鸞はそれこそが問題だと考えた。まず、覚りを求めるこころとは、現状への違和感である。お釈迦さんが老病死を見て出家したように、現状のいのちへの違和感である。そこから覚りを求め出した。ただし、修道には、「求めている限り得られない」という矛盾がある。求めるということは、いまだに手に入れていないから求めるので、求めたものが手に入れば、修行をしようとする思いは消える。だから、決して現状に実現していないものを求めることが「修行」というものの矛盾である。道元もその問題を感じていて、「覚りを求めて座禅する」という態度を否定して、ただ座ること、そのことに意味があるのだと考えている。
 そこは親鸞が「念仏」を扱うときの手つきと同じだ。「ただ念仏」という表現は、念仏して、何かを期待する念仏ではない。「念仏」すること、そのことがすべてであるような念仏である。それは「身業(行為)」よりも「心業(こころ)」を重んずる考えからくる。道元がとことん「身業」を重視するのに対して、親鸞は「心業」を重視する。それで親鸞は「真実の信心は必ず名号を具す。名号は必ずしも願力の信心を具せざるなり。」(『教行信証』信巻)と言う。簡単に言えば、いくら「ただ念仏」だからと言って、その意味が分からなければ、口先だけでナンマンダブツと言っても意味はないということだ。ただ口業として南無阿弥陀仏を発語しても、南無阿弥陀仏が〈真実〉に適っていることを知る(身業)ことのほうが大切だと言うわけだ。
 道元は「信」よりも「行」を重んずるが、親鸞は「行」よりも「信」を重視する。道元は常識的だが、親鸞は非常識である。仏教を求めようとするこころが起こらなければ、覚りを得ることなどできないではないか。求道心が起こるから、覚りが成就できるので、求道心を否定したら、それは仏法ではないことになる。これは明恵の批判であり、道元の批判であり、「承元の法難」と呼ばれる弾圧事件を起こした旧仏教の批判でもある。
 親鸞に来て、いままで二千年以上「常識」とまでなっていた「修道論として仏教」が解体した。道を求めようとこころざすことそのことが「煩悩」から起こるものであれば、それは真っ黒な手で純白の白紙を求めるようなもので、どこまで白紙を求め、手に取っても、すべては汚れてしまう。「求道心」を純粋なものと見るか、「煩悩」と見るか、ここが道元と親鸞の分岐点である。いわば、親鸞の仏教は「信の仏教」なのだ。それはこれから修行して、未来に覚りを得るものではなく、徹底して、「いま・ここ・私」へと還流してくるベクトルだ。道元の関心を想像して言えば、覚りは、常に〈いま〉、汝の足下にあり、だ。決して「過去」に飲み込まれることのない、〈いま〉をのみ親鸞は問題にする。道元も、そのことを直感していて、「修証一等」(修行とさとりは座禅の上に成り立つ)と言う。しかし、道元は「身業」の座禅を仏道の最後の条件とした。一方、親鸞はそれを無条件にした。だから口で南無阿弥陀仏と称える念仏をも無条件にした。さらに口で唱えるばかりではない、「さあこれから求めるぞ」という求道心(自力)をも無条件にした。「さあこれから求めるぞ」という意識は、つねに〈いま〉を拒否するから、それは〈真実〉ではないと直感した。〈いま〉が成り立っていないから、求めるという要求が生まれてくる。それは「馬の鼻先ニンジン求道」だ。馬の鼻先にニンジンをぶら下げて歩かせるのと同じだ。それは決して成就しない。そのカラクリが解明されれば、「行」が消えてしまうと道元は感じたのかもしれない。仏道を求めようというこころが「煩悩」だと見えたら、「行」は消えてしまうではないかと。ところが親鸞はそうではなく、そこから「欲生」が噴出すると直感した。如来回向の逆噴射だ。それを親鸞は、「回向したまえり」という言葉で表現した。別のところでは、「生まれんと願え」とか「生まれんと欲え」と如来からの命令として記した。それは人間が浄土へ生まれたいと思う必要がないようにと、徹底して命じているのだ。人間の願いは、求道心だろうが、物欲だろうが、すべて「煩悩」以外にはないのだ。そう見えると、その「煩悩」の底を食い破って回向が噴出し、展開してくる。違った言い方をすれば、「煩悩」を起こすことも自分の力ではなかったと底が破れた目覚めだ。これはもはや、「自分」が生きているという、「自分」から始まる生ではなくなる。「自分」をも透過して、如来そのものがはたらいている世界だ。道元も『正法眼蔵』の「生死」の巻で、そのことを直感していたのではないか。ただそのことを表だっては表現されなかった。
親鸞は「念仏(言葉)」、道元は「座禅(行為)」を契機として教えを展開した。しかし究極は、親鸞は「念仏」を、道元は「座禅」を捨てたのだろう。それはあくまで契機であって、目的ではないとして。「念仏」を捨てて念仏し、「座禅」を捨てて座禅したのが、両者の似ているところではなかろうか。