〈まかせよ〉の奥義

一昨日は「静岡別院公開講座」、昨日は「名古屋別院の信道講座」だった。静岡は午後2時開始で、ここが終わって名古屋へ移動し、名古屋で一泊し翌日10時から名古屋別院の信道講座を終えて帰宅した。あっという間の出来事のような、長旅だったような印象だけが残っている。天気に恵まれたので、行き帰りに美しい富士山を眺めることができた。やはり雪をかぶった富士には感動する。
 静岡のテーマは、「〈一人一世界〉への覚醒」で、これは私の付けたテーマだったが、名古屋は「はじめての教行信証」という総合テーマで、これは連続していろいろな講師が話をすることになっていた。私は「大行ー本願招喚の勅命-」というテーマで話すように依頼されていた。テーマは違っているのだが、私から出てくる話は似通ったものだった。若い頃は、テーマが違っているのだから、話の内容も違っていなければならないと思っていた。しかし、近頃はそんなことは気にならなくなった。それは「私が話す」と思っていたから、そんな気遣いをするので、法話は「私が話すものではない」と覚めてしまってからは、気にならなくなった。法話は現象的には私が話すように見えて、本当は私は楽器であって、奏でるのは阿弥陀さんだからだ。お話が終わって、あれも言い忘れた。これはこう話すべきだったという思いも起こってくる。しかしそれは「間に合わないこと」だ。だから自分には責任がない。阿弥陀さんがそうさせてくれたものだから。ただその事実だけをいただくのみだ。お話の時に、これだけは言おうと思っていて言い忘れていたことを思い出したので、ここに書いておこうと思う。それはこのテーマを私に担当させてくれたことへの感謝だ。他の講師に割り振られてもよかったものを、これを私に担当させてくれたことは、千載一遇というか、希有なことだと感謝したい。「本願招喚の勅命」とは親鸞聖人が驚嘆して歓喜のあまり書き付けた言葉ではないかと思ったからだ。そして私にとって「当たり前」のこととしてあるこの言葉を、敢えて考えよと突きつけてくれたからだ。それだけ付け加えておこうと思った。
 それでも、以前した話を掘り下げようという思いだけはもっている。法話は阿弥陀さんとの対話だから、私の中で思える精一杯の言葉が生まれてくる。法話は、私が話し手のようだが、聞き手でもある。自分でも初めて出会う表現が飛び出し、それに驚き感動している自分がいる。こんな表現が生まれてくるのかと驚くのだが、次のお話の場面ではその表現が「当たり前の表現」になってしまう。だから感動が薄まっていく。その話をしても自分は楽しくない。それで「当たり前」になってしまった表現を、それはどういうことかと再度、解体していく。解体するというのは正確ではない。解体させられていく。だから、いつも法話は「一期一会の阿弥陀さんとの対話」の場だ。もっと言えば阿弥陀さんとの対決のリングである。
 親鸞は「行」を「how toの行」から解放し、「大行」と言った。「大行」とは人間には何も要求しない行だ。念仏を称えることも救いの条件とはしない行だ。だから無条件の行だ。人間はこんなものを「行」とは認められない。それで鈴木大拙は「行」を「living」と訳した。これは「ただ生きていること、生きているとうことそのこと」という意味だ。あえて漢字に翻訳すれば、「生如」か。生きているが如くのものだ。そう大拙に翻訳せしめたものは何か。そう訳さざるを得なかったものは何か。そう訳さざるを得なくさせたものは何か。それを憶念することが「聴聞」だ。これはお話の直前に別室でテーマの揮毫をしているときにも感じた新鮮な出来事だった。名古屋でのテーマは「本願招喚の勅命」だが、これは親鸞の表現だが、親鸞にこう表現せざるを得なくさせたものは何かということが大事だと思った。私たちは、親鸞が言葉として「本願招喚の勅命」という言葉を書き記したので、その意味を尋ねようとする。その言葉を手がかりにして、親鸞は何を私たちに表現しようとしたのかと思ってしまう。もう「本願招喚の勅命」という言葉があるものだから、その意味は何かと親鸞のハラの中を探ろうとする。親鸞がその言葉を残した意味は何かと、それを詮索しようとする。そして親鸞が書き残した他の表現と照らし合わせて、「これが親鸞の本当に言いたかったことではないのか」と結論づけようとする。まあそれを「腹を探る」と言ったまでだ。そういう探り方をしても、親鸞が本当に言いたかったことかどうかは証明できない。この方法は間違っていると、直前に思ったのだ。そういうやり方を以前私は「親鸞の出した糞を分析すること」と言ったことがあった。そうではなく、「親鸞が何を食べたか」を憶念することが大切なのだ。親鸞に「本願招喚の勅命」という言葉を吐かせたものは何か。そう表現せざるを得なくさせているものは何か。それを憶念することが大事だと。親鸞にこの言葉を吐かせたものを擬人化すれば、「阿弥陀さん」ということになる。しかし、阿弥陀さんがそういう表現を促したのに違いないのだが、「阿弥陀さんが促した」と言ってしまえば、またその表現は「凝固」してしまい「当たり前表現」になってしまう。それでも仕方ないと思いながら、仮にそういう表現をしている。
 親鸞が「本願招喚の勅命」と表現したのは、まさしく奇蹟なのだ。親鸞の腹を探る前に、この言葉が生み出されたことに驚嘆しなければならない。これは私の想像だが、親鸞からこの表現が生まれてきたとき、親鸞自身はこの表現に打ち震えたに違いない。驚嘆と感動とため息が生まれたに違いない。その余韻が、この言葉から感じ取れる。これも自分の内面に親鸞を体験したところから感じた、私の個人的感想かもしれない。まあ、そうやって親鸞を知る以外に方法がないので仕方がない。
 阿弥陀さんとの対話の場は、自分の精一杯の表現を更に解体させられていく場である。いままでの表現を阿弥陀さんの前に突き出し、自分の精一杯はこれだけだと居直っている。そして私にそういう表現をさせている意味は何なのですかと仰ぐ。それはどういう意味でしょうかと自分を投げ出す。これは断崖絶壁の頂に立ち尽くし、もう一歩進めば転落するような危険な場所だ。ものすごくスリリングな出来事が、瞬間的に〈いま〉に起こっている。まさに「百尺竿頭、一歩を進む」(『景徳伝統録』)だ。
 さて親鸞の原文は「帰命は本願招喚の勅命なり」だ。「帰命」とは「南無阿弥陀仏」の「南無」と同じ意味だ、簡単に言えば「おまかせ」だ。だから、「『おまかせ』は阿弥陀さんの「私にまかせよ」という呼び声となった絶対命令」という意味になる。「帰命」は「私が阿弥陀さんにおまかせすること」だ。しかし、実はその「おまかせ」とは阿弥陀さんの「まかせよ」という絶対命令だというこなると私の頭が混乱する。私が「おまかせ」するということなら分かるが、その「おまかせ」が阿弥陀さんの命令とはどういうことだろうか。ここに主語が変わっていることがわかる。いままで「おまかせ」の主体は自分だと思ってきたのだが、その主体が解体されて、「おまかせせよ」という命令に乗っ取られてしまっている。自分が「おまかせ」するのであればわかりやすい。文字通り「南無阿弥陀仏」とは「阿弥陀仏に南無する」という意味だから、当然、「南無する」主体は自分であり、「南無」される対象は阿弥陀さんとなる。しかし、ここではその常識が通用しない。「南無する」という動詞が解体されて、「南無せよ」という命令に変わっている。阿弥陀さんが私たちを救う方法は、私に「南無せよ」と命じることだが、その命令を聞いて私が「南無する」ものになるのではないということだ。その私が解体されていなければならない。解体されて「南無せよ」という命令に全身全霊が蹂躙し尽くされなければならない。だから「南無」は何かを期待して何かに依頼する「おまかせ」ではない。「おまかせ」する対象はない。なぜなら「阿弥陀仏」は「南無せよ」という命令そのものだから。〈真宗〉は「信ずる対象なき信仰である」と以前語ったこともあった。「おまかせせよ」という命令を受け取る主体が解体されて、「命令」だけとなった。つまり、「おまかせせよ」という命令が自分となったのだ。この自分とは阿弥陀さんと同質のものという意味だ。もはや「自分」というものが実体としてあるわけではない。「自分」と思うことも阿弥陀さんの「思え」という命令だから、思うことも阿弥陀さんだ。そうなると阿弥陀さんでないものはここに一つもないことになる。阿弥陀のみがあって阿弥陀のみが運動しているようだ。
「おまかせせよ」という命令を聞いて「おまかせ」できる存在となって救われるのではない。「おまかせせよ」という命令に悦服するのだ。すべての行為や考えは私から起こってくるものではなく、すべては阿弥陀さんの「そうせよ」という命令が実現される場だったのか。
思えば、いつから「おまかせせよ」という命令を聞いてきたのかと言えば、「弥陀成仏のこのかたは」からだったのだ。