謝罪の密意

2019年4月20日、NHK総合テレビで「連合赤軍 終わりなき旅」が放映された。これが私の中でいまも記憶に残っている。番組では服役後の彼らにインタビューをして、当時のことをどう思うかと問うていた。その中で、元赤軍派の植垣康博の発言が興味深かった。群馬県の山中に築いた「アジト」で仲間を何人(29人中、12人が殺害されたという)も「総括」という名の下に死に至らしめた。植垣は逮捕後、懲役20年の刑を終えた後、静岡市でスナックを経営している。植垣は事件のことを反省しない「無反省」を貫いてきた。そのことで世間からずいぶんひどい批判を受けたらしい。テレビの中で植垣は、こう語った。「無反省と言われるが、反省すればいいというものでもないだろう。いったい自分たちがやった行為が何だったのか。それが生き残ってしまった自分に課された課題だと思う。山本さんのお父さんから『下手な反省はやめてくれ』と言われた。反省されたらね、『自分たちの息子が何で殺される羽目になったのか、それが分からなくなる。それでは山で殺されたものが浮かばれない』、そういうことも言われて、『分かってます』と(答えた)」
植垣は当時、恋愛関係にあった恋人も「総括」で失っている。その恋人の上半身裸の姿を黒のボールペンで描き、それをスナックの壁に飾っている。これは服役中に描いたもので、いつも見えるところに飾っておけば忘れることもないと言っていた。そしていまも当時の事を聞きたいという要望があれば、できる限り応じているそうだ。それも大きくみれば彼なりの「謝罪」の姿なのだろうと思えた。彼が殺害を謝罪しないというのは、あの事件が過去のものになってしまうことを拒否したいからだろう。まだあれは終わっていない、まさにいま現在の問題として顕在化したいのだ。おそらく殺害された若者の親も、そう願っているのだろう。反省は、必ず過去に犯してしまった行為を顧みて詫びることだから。あの事件を過去の扉の奥にしまい込むのではなく、まさに現在の問題として、つねに出会い直していきたいのだろう。だから反省はしないという態度を貫いている。
人間界では過去に犯してしまった罪を詫びなければならない。詫びるしかない。しかし、詫びるという意識の中に、自己保身や自己慰撫があることに植垣は気付いてしまったのではないか。人間の謝罪が強ければ強いほど、逆にその意識も強くなる。謝罪とは過去に犯してしまった犯罪をなかったことにしたいという願望でもある。『歎異抄』的に言えば「つみをほぼさんと」(第14条)する「滅罪」の問題だ。犯した罪を自分から削ぎ落とし、「無垢の自分」を回復したいという善人的願望だ。善人的願望は、罪と一体化することから何とか逃れようとして、逆切れする。「ここまで謝罪しているのに、まだ私を許してくれないのですか」と相手に対して許しを請求することになる。謝罪には必ず、許しの請求が張り付いている。そうなると人間には「本当の謝罪」ということも出来ないものなのだと思わされる。
植垣は「なぜあんなことをしたのかということも、その当時は考える余裕はなかった。捕まってから考えるようになった」と語っていた。番組には他のメンバーも出てきて、当時のことを思うと「共同幻想」だと語っていた。この用語は吉本隆明の生み出した言葉で、偉大な概念として現在でも輝いている。若いときには、自分が「共同幻想」の中にあることも分からなかったが、逮捕されて初めて、それが「共同幻想」の中にいたことに目覚めたのだろう。当時は「人民のために」と思ってやっていたが、それこそ「共同幻想」の中でのことで、そんな「抽象的な人民」などどこにもいない。まず身近な人間を幸せにも出来ていなかった。そういって木工細工でオモチャを作り、子どもに送っているひともいた。私はおそらく、彼らの中で蠢いていた積極的なパッションが無力化してしまったのだろうと思った。これを菩薩道の問題に置き直せば、「七地沈空」の問題になる。いままで衆生の救済を目的に生きてきた者が、挫折をくぐり、他者を救おうという願いも失せ、また自分が仏に成ろうとする志までも放棄してしまう状態だ。小生は70年安保に後れてきた世代だが、彼らの挫折感が多少理解できる。当時は「スチューデント・アパシー」と呼ばれていた。日本語だと「学生の無力感」だろうか。これは親鸞も通った道だと思う。あらゆる苦悩の存在が救われるはずの仏教が、実は特別なひとだけが救われるものになっていたことへのアパシーである。それで比叡山を捨てて、法然の元へと行ったのだろう。そこから「救うもの」から「救われるもの」へと翻身したのだと思われる。
アパシーは自分が「救うもの」だという視点から起こってくる。自分が他者を救おうとすることは尊いことだが、それを24時間行おうとすれば、必ず疲弊して挫折する。利他を実行しようとすれば必ず自利が犠牲になり、自利を実行しようとすれば必ず利他が犠牲になるからだ。当時流行った荒井由実の「いちご白書をもう一度」には「僕は無精ヒゲと 髪をのばして 学生集会へも 時々出かけた 就職が決まって 髪を切ってきた時 もう若くないさと 君にいいわけしたね」という歌詞があった。これは比叡山を降りた親鸞を彷彿とさせる。しかしそこから再び欲界へ戻らず、法然の元へ行ったところが違っていた。比叡山へは「在家」からの「出家」だった。しかし、比叡山を降りて法然の元へと行ったことは、再び「在家」へ戻ったことではない。「出家」からの「出家」だから「超出家」と言うべきだろう。決して元の「欲界」へ戻ったわけではない。「欲界」を脱ぎ捨てることを目指す「出家」ではなく、「欲界」を絶対受動したところの「出家」である。
そこで法然に教えられたことは「廃立(選択・選捨)」というマインドだ。つまり「真実は如来に属し、虚偽は人間に属す」という徹底した決判だ。つまり、「自分が他者を救う」という発想が〈真実〉ではなかったと覚ったのだ。救いは如来、つまり阿弥陀さんの仕事であり、自分は救われるものにさせられた。丁寧に言えば、「自分が他者を救う」のでも「他者によって自分が救われる」のでもなく、「自分も他者も、共に救われる」ものになったのだ。自分が「救うもの」という発想からは、「平等の救い」という世界は開かれない。
「共に救われる」地平とは、連合赤軍の兵士がなぜあのような行動をとったのかが不明になる地平だ。物事には理由があるのだが、人間にはその理由を完璧に答えることができない。だから植垣も、決して答えることができない。後からいろいろな理由を考えることができても、それが行われたその時点での理由はわからないとしか言えない。親鸞は山を下りてから、その答えを「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」(『歎異抄』第13条)と述べた。「そのようにしか行為できない『避けざる必然性』がやってきたならば、どのような行為であっても、人間にはそのようにしか行為することができないものだ」と。いわば人間の行為は表層の意識だけで動いているものではなく、もっと深い無意識が左右していると考えたのだ。それを私は「一果無量縁」と呼んでいる。「一果」とは「ひとつの結果」という意味で、それは「無量の縁」で成り立っているという意味だ。だから、一つの行為の結果を一つの縁では説明できない。私たちは「因果律」という幻想に慣れ親しんでいるので、「一果無量縁」は受け入れられないようになっている。しかし、これは「ほんとう」のことなのだ。
私は『救済詩抄』(因速寺出版)で「一切の罪が許されて 罪人が誕生する」と書いた。これは『教行信証』に引用されろ涅槃経に出てくる阿闍世王子の翻身から学んだことだ。父王を殺して煩悶する阿闍世を親友・耆婆は全面的に受け入れる。そして耆婆はお釈迦さんに会うように導く。そこでお釈迦さんが言ったことは「汝父を殺して当に罪あるべくは、我ら諸仏また罪ましますべし。もし諸仏世尊、罪を得たまうことなくは、汝独り云何ぞ罪を得んや。」だ。現代語訳は「そなたが父を殺し、それが罪となるのなら、わたしを含めて仏がたにもまた罪があるはずである。仏がたに罪がないのなら、そなただけにどうして罪があろうか。」(『浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類(現代語版)』だ。つまり父が国王になれたのも、仏陀に帰依した恩恵であり、父が王様にならなければ阿闍世は父を殺すこともなかったのだから、私にも罪があるのだとお釈迦さんが謝罪したのだ。この謝罪を受けて、阿闍世は「罪人」になった。罪人とは業縁のもよおしで生きているものという認識だ。涅槃経では、「世尊」が人間釈迦と書かれているのだが、これは「阿弥陀さん」と受け取らなければならない。正確にはお釈迦さんの謝罪の言葉を通して、阿弥陀さんの謝罪の声を聞いたと言うべきだろう。
それを涅槃経には「無根の信」と表明し、続けて阿闍世は「世尊、もし我審らかによく衆生のもろもろの悪心を破壊せば、我常に阿鼻地獄に在りて、無量劫の中にもろもろの衆生のために苦悩を受けしむとも、もって苦とせず。」と述べる。現代語訳は「世尊、もしわたしが、間違いなく衆生のさまざまな悪い心を破ることができるなら、わたしは、常に無間地獄にあって、はかり知れない長い間、あらゆる人々のために苦悩を受けることになっても、それを苦しみとはいたしません。」(同書)だ。
いままで自分の犯した罪の重さゆえに地獄に堕ちることを畏れていた阿闍世が、阿鼻地獄でもどこへでも堕ちてかまわないと翻ったのだ。これを「罪人が誕生する」と私は書いた。いままで自分から罪を削ぎ落として「善人」になろうとしていた阿闍世が、阿弥陀さんの謝罪を受けることによって罪と一体化したのだ。阿弥陀さんの謝罪を、「罪の無罪性」と呼べば、無罪性が開かれて、初めて罪と自分とが一体化したのだ。このありさまを親鸞は「恥ずべし、傷むべし」(『教行信証』)と述べている。それをうがった言い方で言えば、「慚愧」から「懺悔」への深化と言えるだろう。「慚愧」は反省だが、それは「善人的願望」から起こる。その「善人的願望」をもえぐり出され、阿弥陀さんの謝罪を受けて「悪人」と呼ばれる。この「悪人」とは人間の自覚にはならず、必ず阿弥陀さんの呼び声としてのみ私に浴びせられる言葉だ。この言葉を聞くのが「懺悔の悪人」である。