覚めてみたら

いまから思うと、自分はずいぶんひねくれていた。自分はひどい目に遭ってきたと思っていた。だから「浄土」などと聞かされても、そんなものは信じないと思っていた。自分には無関係なものだと思っていた。まさかその「浄土」の中に住んでいるなどとは思えなかった。あまりにひどい目に遭ってきたから、ひねくれてしまっていたのだ。こうなるとひとの親切など受け入れられない。ひとが親切にしてくるのには必ず下心がると思うからだ。猜疑心の塊のようになっていた。
しかし、それもこれもすべて自分が描いた世界に対して、自分が取ってきた態度に過ぎなかった。まさかこの世界が、自分だけの、たった一人の世界だとは思わなかったから。他のひとたちもいて、その中に自分が暮らしていると考えると、知らず知らずのうちに「比べ」てしまう。比べると、被虐的になる。つまり、自分ほどひどい目に遭ったものはいないと思い込んでしまうのだ。「うまいことやってる奴はいいよな、自分はうまいことが欲しかったけど、手に入れられなかった。それはひどい目に遭い過ぎたから。どうせそんな人生ならどうなってもいいんだ」と自暴自棄になる。電車の中で刃物を振り回してひとを傷つけた男がいたが、あいつのこころが何となく分かってしまう面もある。この「ひどい目」というのは、裁判で裁判官が「こういう生育歴を経てきたならば、このような行為を犯すのもわからないでもない」と情状酌量されるようなことでは計れない。これは本人の内面でしか分からないことなのだ。女子高生の眼差しが、「お前なんか生きてる価値はないんだよ、死んでしまえ」と言ったように聞こえたというのも、本人の内面での出来事だから、女子高生にはまったく無関係なことだ。でもそれも本人にとっては「ひどい目」として加算されていくのだ。秋葉原で事件を犯したKも、職場で自分の作業服の見つからないことを、「同僚が隠した」と解釈してしまった。被虐的なこころで固まっていた彼は、自分は無用の存在だと思い込み犯行へと事を加速させた。
そんな人間に対して、法(dharma)は「お前が考えている世界は胎生だ」と訴えてくる。胎生とは、お母さんのお腹の中で生きているというメタファーだ。そこはぬくぬくとした温度と甘え続けることのできる温かい閉鎖世界だ。温かいけれども、閉ざされた世界だ。ところが本人は、そんなことは思っていない。本人は、自分が見たとおりに世界があると思い込んでいるから。法は「それは違う」と言う。それは「ありのままの世界」ではなく、「ありのままと受け取った世界」だと。「ありのままの世界」を人間は解釈して、「これがありのままの世界だ」と受け取ってしまう。世界は透明だから、誰の手も加えられてはいないと錯覚してしまうのだ。この透明に見えるところが恐ろしい。人間には「ありのまま」ということは受け取れないのだ。必ず解釈が介入している。でも、この閉鎖世界は、それだけでは成り立っていない。閉鎖世界を包んでいるものがある。それは「浄土」というメタファーで語られる意味空間だ。親鸞はそれを「無量光明土」(教行信証・真仏土巻)とも言っている。簡単に言えば、人間には分からん、分からんけれども明るい世界という意味だ。親鸞にとってこの世は二重構造になっている。つまり「浄土内娑婆」だ。浄土に包まれた娑婆だ。親鸞以前は浄土と娑婆は別々の世界だったが、それを二重にした。人間が、解釈した閉鎖世界を「閉鎖世界」として初めてえぐり出せたのは、「浄土」が開かれたからだ。人間には、ほんとうのことは分からんという世界を見いだしたからだ。ほんとうのことが分からんのに、あたかもほんとうのことが分かっているように振る舞うことに覚めてしまったのだ。あたかも自分が、自分好みの絵具で世界を塗りたくり、その絵具で描かれたとおりの世界がると思い込み、その世界に反応して生きていると覚めたのだ。これを「自業自得」と言う。「自業自得」を世間では、自分で撒いた種で失敗することとして悪い意味で使っているが、ほんとうは〈真実〉を言い当てた言葉だ。「自業自得」を拒否すれば絶望的になるが、それが〈真実〉だと覚めれば、明るい。誰が悪いわけでもなく、まして自分が悪いわけでもない。「業」が「業道自然」として展開しただけだから。「業」を拒否すれば縛られ、受け入れれば自由になる。何という逆説。
そう覚めてみると、「苦しみの質は違っても、量は変わらない」と思えることもある。苦しみはどんな人間にも平等に存在している。潜在化しているひともあるし、顕在化しているひともある。それでも人間には同じだけの量の苦しみが与えられている。「うまいことやってる奴」とあなたに見えるひとでも、同じことだ。まあフロイトの言う「自我防衛」のための「合理化」とも上手に付き合えるようになる。所詮、「井の中の蛙大海を知らず」が自分だと覚まされていく。こうなると、この世界をどんな世界として描いても、それはそれでよしと開き直れる。それはあなたのお好みの色で塗りたくった、あなただけの世界だから。その世界は決してありのままではないと覚まされていくから。