いままでごく当たり前に使ってきた仏教語の意味がふと曖昧になることがある。確かに仏教語は「イメージ言語」(河合隼雄用語)だから、概念規定を明確にしてしまうと、理性的には明快になったように思えるのだが、その言葉のもっている生命力や躍動感は失われていく。それでも、私は飽くなき「概念規定」を続けているように思う。決して「概念規定」はできないのだけれども、それでもそれをやろうと試みている。思えば、これは親鸞の学び方だ。親鸞は「字訓釈」と言って、言葉の意味を違った言葉で言い換えたり受け取り直したりする。それでその言葉の意味が明確になったのかと言えば、そうでもない。それでも執拗にそれを繰り返している。これが「一生」という時間を包んで継続する。これは〈真実〉に魅せられたものの同一行動なのではないか。言葉によって刺激や触発を受けて、その言葉で考え続けていくのだが、それで新たな表現が生まれたとしても、その表現に留まれない。それでも飽きることなく、それを続けていく。言語化することは不可能だと分かっているのだが、それでもそれをどこまでも言語化しようとしている。親鸞の言葉で言えば「無義をもって義とす」だ。「無義」は人間には決して〈真実〉は分からないという意味だ。それを「義とす」だから、言語化するという意味だ。〈真実〉は決して人間の眼でみることができない。透明で無形だ。ただ〈真実〉の手触りだけが残る。まあこれも怪しい譬喩だ。
例えば「救い」という言葉がそうだ。(親鸞は「救済」という言葉を著作群の中で2回しか使っていない。「すくう」は1回。「すくわん」は4回。関連語の「たすけ」は7回。「たすかれ」は1回。)
この「すくう」が私たちの頭の中でどんな意味として受け取られているかを森田良行は丁寧に、こう述べている。「『救う』は『掬う』(「手で水をすくう」)と同語源で、“下(マイナス評価の領域)に位置しているものを一部取りたてて、そこから拾い上げる”行為である。「助ける」が、自力で事を進めようとする対象に手を貸す行為であったのに対して、「救う」は対象の意志とは無関係にマイナス状態の領域から引き上げる行為である。マイナス評価の領域から対象が脱出するよう、主体が一方的に判断して手を下す、対象の意志や意図を無視した行為なのである。」
「マイナス評価の領域」を真宗の意味空間で考えれば、「苦悩の群萌」(教行信証)であり「一切苦悩の衆生」(同書)に当たる。慈悲が「苦を抜くを慈と曰う。楽を与うるを悲と曰う。」(論註)と定義され、また『仏説無量寿経』が「我世において速やかに正覚を成らしめて、もろもろの生死・勤苦の本を抜かしめん。」と述べているのだから、私たちの状況は「苦」という「マイナス評価の領域」にあることが前提になっている。この「領域から引き上げる行為」が「すくう」である。それも「主体が一方的に判断して手を下す、対象の意志や意図を無視した行為」であるから、「往生は弥陀にはからわれまいらせてすることなれば、わがはからいなるべからず。」(歎異抄・第16条)という歎異抄の理解が生まれる。
しかし、人間が考えることのできる「すくう」は森田良行の語るイメージでしか受け取れない。「苦悩」を感じる状況から、「苦悩」が取り除かれて「苦悩」がなくなることだ。ところが〈真宗〉のイメージする「すくう」は、そのイメージではないという。つまり、「苦悩の衆生と一心同体になって、苦悩を背負ってくださる」ことが「すくう」だと言う。つまり、苦の状況の除去ではないと。まあ、そんな「すくい」は人間は望んでいないのだ。
安田理深師は、こう言う。「我々が仏に遇うたということは、遇うというだけでは証明にならないのであって、遇うたということは、遇うた私が菩薩とされることにほかならない。菩薩に値せずして菩薩とされる。そこに大きな感動がある。そこに個人の生活から救い上がられて仏法の歴史に呼び帰られた感動がある。そして仏法の歴史から生まれて、仏法の歴史を創造する仕事が与えられたのである。楽になったということではない。仕事を与えられることが、救いである。」(安田理深選集第9巻)
また「たのむも助けるも、世間の言葉であるが、信仰には助けるもたのむもないのが本当である。事実またそんなことに用のないのが南無阿弥陀仏の安心である。」(同)
こう言われると、人間がいままでイメージしていた「すくう」が崩れていく。これを私は「信仰のゲシュタルト崩壊」と呼んでいる。いままで当たり前に使っていた言葉の意味が崩壊し、阿弥陀界が出現する。阿弥陀界は人間の「言葉」を超えた世界だ。その阿弥陀界を指向する記号に「すくう」がなってしまう。教えの言葉群が、すべて阿弥陀界を指差す記号に変わってしまう。
教えの言葉が「指」に変わってしまうと、そこからあらゆる現象が「指」に変わっていく。目にする景色が「指」に変わる。親鸞も「指」にこだわった。それは「南無」という言葉にこだわったのだ。「南無」が一生を包んでしまったのだ。