孫という師

孫の嗜好は変遷する。最初は、ディズニーアニメの「リメンバー・ミー」、それから、「トイ・ストーリー」、やがて「鬼滅の刃」、宮崎駿の「ハウルの動く城」、続いて「千と千尋の神隠し」、いまはディズニーの「ピーターラビット」にはまっている。なので、当然、私はここ数週間、「千と千尋の神隠し」と同伴してきた。気に入ったシーンがあると、その部分だけを何十回も繰り返し巻き返し観させられた。孫がビデオを巻き戻せというとき、「もう一回!」と漏らす。このサインが出たときは、すかさずリモコンの10秒戻しのボタンを押して巻き戻した。何十回も同じシーンばかりを観させられると、普通の大人はうんざりする。義祖母は「〇〇ちゃん、もうやめて」と言ったそうだ。私は「普通」ではないので、何十回観ても大丈夫だった。そのシーンのどの部分が、どんな台詞が孫の好奇心をくすぐるのか、それを何十回も観ながら憶念した。
いろいろなシーンに立ち止まったが、最初のほうの千尋と両親が迷い込んだ町並みの食堂街が、そのひとつだ。両親は、人影はなく閑散とした町並みから、料理の美味そうな臭いを嗅ぎつけ、そのうちの一軒のカウンターに腰を下ろす。カウンターには、いまできたての美味そうな料理が、湯気を上げて並べられている。両親は空腹だった。しかし、店には誰もいないから「誰かいませんか」とお父さんが尋ねる。声を上げても、誰も出てこない。お母さんは、「食べましょ。後でお金を払えばいいんだから」と言ってチャーシューのように赤々と窯焼きされた鶏肉(これが、また美味そうなのだ)にかぶりついた。そして「千尋も食べな、美味しいよ」と千尋を振り返る。千尋は、「わたし食べない。お店のひとに怒られるよ。もう帰ろうよ。」と両親に向かって吐く。しかしお父さんは、そんな忠告は耳に入らないかのようにカウンターに並んだ大皿料理から箸で、自分の皿に取り分け、千尋の説得には応じない。更に「大丈夫だよ。後で払えばいいんだから。財布もカードも持ってるし」という。お母さん用にも皿をもっていて、二つの皿に料理を取り分けるのに夢中だ。(お父さんが食べたプニュプニュした料理が美味そうだった。解説によると、あれはシーラカンスの胃袋だそうだ)料理にむしゃぶりつく二人を尻目に、千尋は町の奥へと探検に行く。とうとう「油屋」(ゆや)という看板のある、神々が疲れを癒やしにくる温泉宿までやって来てしまった。油屋の前には橋が架かっていて、そこに「はく」という若者が突然現れ、千尋に元の世界へ戻るように強く言う。「ここへ来てはいけない!戻れ!もうじき日が暮れる。早く戻れ。あっ火が入った。私が時間をかせぐ、早く戻れ。」と。千尋はその言葉に促されて、食堂へ戻ろうとする。辺りは急に暗くなり、食堂街には夜の照明が灯った。千尋は「何よあいつ」と口走るが、両親のもとへ戻った。やっと戻って千尋は両親に「お父さん、お母さん」と呼びかけるが、まったくこっちを振り向かず、がむしゃらに料理をむさぼっている。その時の両親は後ろから見ても分かるのだが、もう人間の格好ではなく、太った豚になっている。二匹の豚が、衣類を着て料理にむしゃぶりついていた。お父さん豚が行儀悪く、食べながらお皿を地面に落として割った。すると店の中から黒い影のような生き物が、お父さんめがけてムチのようなもので顔をひっぱたいた。パシン、バシンと顔を叩かれ、座っていた椅子から転げ落ちた。映像ではお父さん豚がブヒーブヒー!とあえぎ声をあげて、口からダラダラの唾液を飛ばして倒れた。むさぼるとはどれほど醜いことか。これを見れば一目瞭然の映像だった。この姿を見て千尋は、これはお父さんじゃないと覚り、両親はどこかえ行ったのだと思い込み、「お父さん!お母さん!」と大声で探しながら、元来た方へと走っていく。
 このむさぼりの映像を、孫は「もう一回!」とせがみ、何十回も見せられた。もううんざりするほどに見せられた。それでも孫は「もう一回!」とせがんでくる。孫は、この映像の中に何を見ていたのだろうか。それが知りたくて何十回も付き合った。私には、自分自身の貪欲の深さを、これでもかこれでもかと見せつけられる思いがした。豚が口から吐き出す唾液の飛んでくる様は、まさに醜さの極地で、それは私の貪欲の醜さをえぐり出してくる。これは私の受け止めだから、孫の世界とは違っているはずだ。孫はそこにもっと深いものを読み取っているふうだった。何か、貪欲を通して、人間のもっているもっと深い〈真実〉を直感しているのではないか。大人ならば眼を背けたくなる映像に、じっと立ち止まり続ける孫のすごさを感じた。「脚下照顧」とか「己事究明」とか「後生の一大事」とか、宗教語では、そう表現するのだろうが、そんなものをすっ飛ばして、孫は〈真実〉を直感していたのだろう。まあ本人はそのことを自覚してはいないだろうけど。私は孫を師として、それを教えられた。