ようやく「よびごえ」129号の校正も終盤に入り、「まっさん塾講演録」(『相互救済物語』)の校正もほぼ終わろうとしている。「よびごえ」誌は、いわゆる「寺報」という寺からのお報せだが、いまでは寺院経営上の話題以上に、聴聞の材料として読まれているらしい。ここには寺からの一方的なお報せだけでなく、寄稿者を二名お願いして書いてもらっている。今回は、山形の女性と石川県の女性だ。山形には20年以上前から縁があって、年に4回は伺っている。山形でも北部で秋田に近い尾花沢の女性住職に書いてもらった。ご自分の辛い不妊治療などについて書いてくださり、あまりの赤裸々さに驚かされた。彼女の文章は、人間にではなく、ひとえに阿弥陀さんにだけ向けて書かれていた。その清廉さが、見事にひかり輝いている文章だ。
二人目は石川県の女性で、単刀直入な性格が剥き出しの文章だ。中には坊主批判もあり、最終的には和田稠先生に出会われた方だ。和田先生に出会って「真宗」に入った人は多いようだ。因速寺にも来ていただいた歌姫・鈴木君代さんも、そのひとりだ。また禅僧から真宗門徒となった佐野明弘さんもそうだ。私も生前、和田先生が修練の道場長のときに修練を受けたことを思い出した。先生はいつも飄々とされていた。しかし、眼鏡の奥から眼光鋭く、ひかる目をされていた。和田先生は「靖国の和田」と言われるほどに靖国問題を身体化されていた。自己の「内なる靖国」を鋭く問題にされていた。
講演録は、「相互救済物語」と命名した。阿弥陀さんの救済は阿弥陀さんが衆生を救うという一方的なものではなく、衆生が救われたならば、今度は救われた衆生が阿弥陀さん救うという相互救済なのだ。それは二段構えの構造ではなく、衆生が救われること以外に阿弥陀さんの救いはないという、ひとつのことなのだ。だから表紙の絵は、まるで勾玉が互いに抱き合っている形になっている。二つの勾玉が抱き合って、円形になっている。「救済」という言葉が示すイメージは、やはり円形なのだ。ユングも円形を重んじるが、円形は物事が安定しているイメージだ。ただし円形は、円形だけで完全円満なのだが、それに不満も感じる。円形は安定しているのだが、動きがない。躍動感がない。だから円形だけでもダメなんだ。しかし、それをイラスト化するのは難しかった。これが限界といったイメージの表現だ。また出来上がったらお目に掛けることにしたい。