新潟から、雪の下に顔を出したフキノトウをいただいた。春を強烈に感じさせてくれるのがフキノトウの香りだ。子どもの頃は、あまり好きではなかったが、大人になるに従って、この味わいが堪らなくなる。ほろ苦さと強烈な蕗独特の香りが口の中いっぱいに広がる。この香りを嗅ぐと、「春だあ」と春を実感する。まずは天ぷらで、それから蕗ミソでいただいた。食材を通して、食材にまつわるエピソードも思い起こされてくるから不思議だ。フキノトウと言えば、新宿の二階堂行邦さんだ。二階堂さんはグルメだったから他にもエピソードはあるが、まずはフキノトウだ。春になると墓地にフキノトウが顔を出すんだとおっしゃっていた。それを摘んできて天ぷらにするのが何より楽しみだとおっしゃっていた。生える場所が野山ではなく、墓地というのがいい。野山なら当たり前だが、墓地はちょっと思いつかない。思いつかないというより意外な感じではないか。墓地は人間が骨になって埋まっているところだから、そこに蕗とは言え食材があるとは連想しにくい。フキノトウのいのちの芽生えと、そこにある人間の「死」のコントラストが、実に「宗教的」だ。生と死の衝突とぶつかり合い、そこで火花を散らすいのちの祭典。フキノトウは「生と死」を含んだいのちそのもののメタファーではないか。フキノトウを食べる時には、必ず二階堂さんを思い出す。
二階堂さんは若くして親を亡くし、太平洋戦争で焼け野原になった新宿でお寺を再建された。京都の大谷大学を卒業し、さあこれからは布教活動に精を出すぞと意気込んで東京へ戻ってきたとき、小林勝次郎(素浪人念仏者)さんの、「坊主とはなんだ!?」という声にたじろいだと言われた。あまりに単刀直入な問いで、答えに窮していると、小林さんは、「坊主とはなあ、人間を相手にせず、仏さんだけを相手にして生きるもんや!」と、たった一言を言い放って帰っていかれたそうだ。これは信仰空間における真理の一撃ではないか。小林さんは、結婚もしお子さんもいたが、念仏ひとつで在家生活ができないなら本物の念仏者ではないと豪語して、仕事をすべてなげうってしまったひとだ。だからお連れ合いが苦労されていたようだ。あるとき、知り合いの陶芸家の家を訪ねていき、陶芸家が売り物にならないと縁の下に放置していた焼き物をもらってきた。それをもって大寺に上がり込み、「これは有名な、〇〇という作品だ、さあこれをいくらで買う!」と大寺の住職に迫ったそうだ。住職も困り果て、財布からお金を出して追い払ったという。まるで、たかりか詐欺師のようなだが、こんな風変わりな念仏者もいたのだ。例の熊谷直実に一脈通じるところもありそうだ。
そうそう、「坊主とはなあ、人間を相手にせず、仏さんだけを相手にして生きるもんや!」だが、この仏さんとは「亡くなった人」という意味ではない。これは阿弥陀さんのことだ。「人間を相手にせず」というのは、蓮如さんが、「一宗の繁昌と申すは、人の多くあつまり、威の大なる事にはなく候う。一人なりとも、人の、信を取るが、一宗の繁昌に候う。」(『蓮如上人御一代記聞書』)と語ったことと同じだ。坊さんはどうしても、人間を相手にしてしまう。それは人間を相手にする仕事だから仕方がない。俄然、人間の評価や共感をむさぼりたくなる。集いにひとがたくさん集まってくれると嬉しくなる。しかし、「仏さんだけを相手にしろ」と横っ面を叩かれると、正気に戻る。そして「阿弥陀さんと対話する」という意味空間へ引き戻される。
私も、ひとの顔色をばかりをうかがっている坊さんよりも、阿弥陀さんのことだけを考えている坊さんのほうが好きだ。またそうありたいとも思っている。