深海の自己保身

NHKの朝ドラ「おちょやん」を知らないひとには分からない話だが、昨日、そこに出ている父親(テルヲ)役のトータス松本が「あさいち」に出ていた。ドラマを見ているひとは否定しないと思うが、テルヲは「朝ドラ始まって以来の悪い父親」と評されている。娘(千代)の幼少期には、早逝した母親の後添えの言いなりで、邪魔者として千代を奉公に出し、数年後、奉公先の道頓堀のお茶屋に借金取りから追われて千代の前に現れる始末。挙げ句、借金の形に千代を身売りするようにまとわりつく。そこから逃げるようにして京都へやってきた千代を見つけ出し、更に博打の借金を穴埋めさせようとする。テルヲが千代に借金をせがむとき、「お前だけが頼りや」と泣きついてみたり、渋々金を渡す千代に向かって「さすがに、ワシの娘や」とか、どの口でそんな言葉が吐けるのかと、殴ってやりたい衝動に駆られた。いまで言えば、テルヲはギャンブル依存症だ。博打をやめると、口では千代に言うのだが、決してやめられず、ウンコにたかるハエのように千代の居場所を嗅ぎつけ、執拗に付きまとってくる。ドラマを見ていると、テルヲが出てきた途端に、嫌悪感を感ずるまでになった。まあそれほどまでに、トータス松本の演技が上手いという一言に尽きる。「あさいち」で、トータス松本が、私は一つも悪くないんです、自分は一生懸命に演技をしているだけなんですと、言っていた。視聴者からは「テルヲ憎んで、トータス憎まず」という素晴らしいコメントも届いていた。そこからトータス松本は、深い話をした。彼はテルヲを憎むということは、私たち自身の中に「テルヲ的」な部分があるからではないですか、だからテルヲを憎むんじゃないですかと言った。それを聞いた途端に私は、「そんな馬鹿なことあるか!」と反応したが、やがて「そうだよな」と頷かされた。もし自分とまったく無縁の関係にあれば、テルヲの行状を見ていても、憎むという感情は起こらないはずだ。テルヲの姿を見ていて憎しみが沸いてくるということは、私自身の内部にある「テルヲ的」な部分が反応してしまったのだ。それを言葉にすれば、「自己保身」だ。「自己保身」のためには、娘だろうが何だろうが、手当たり次第に利用しようとする。日常生活では、あたかも人に親切に、穏やかに、みんなのために、などと思ってはいても、もっと深いところでは、「自己保身」だけを愛しむさぼっているのだ。深いところにあるから、日常の自分にも悟られないようにして潜んでいる。深海の「自己保身」だ。表層にある日常のこころは、深海に潜む「自己保身」を憎み、罵倒し、毛嫌いし、抹殺しようとする。これがテルヲを憎むこころだった。それでも、決して「自己保身」は殺せない。表層のこころでは深海の「自己保身」まで矢が届かないのだ。ここまで追い詰めてみて分かったことがある。たとえ日常のこころではテルヲを憎んでいても、深層の本心は「テルヲに成りたい自分」だということが。テルヲに成りたいのに成れないから、嫉妬し、それが恨むという心情に変化したのではないか。