正月に孫とゲームをした。チャンバラの対戦ゲームだった。最初は勝った負けたと騒いでいたが、孫の負けが込んできた。すると孫は徐々に不機嫌になり、涙目になった。悔しかったのだろう。少しは手加減したが、それでも負けが続いた。孫は何で自分ばかり負けるのか、納得がいかないという。私は、最初からうまくはできないのだから、少しずつ練習すればいいよと言った。むしろ、うまくできないのが当たり前だと。しかし孫はその説得には応じなかった。これで気づいた。「自力のこころ」は後天的に出来上がるものでなく、生まれながらにして人間が持っている天然自然のこころなのだと。
何でも出来る自分でなければ満足できないのだ。これは『無量寿経』に出てくる「国王」だ。「国王」という言葉で、「自力のこころ」を象徴的に教える。ひとはみんな、「国王」として誕生してくる。赤ん坊は、泣けば周りの者が何とかしてくれる。泣き声で「国王」は家来に命令する。しかし、成長すると「国王」の権威と権力は徐々に衰退する。やがて、自分が親になれば、逆に家来にさせられる。人間という生き物は、「国王」として誕生し、やがて家来になり、最後は奴隷にさせられるのかもしれない。この「国王」のこころとどう付き合っていくのかが、人生の大問題だ。孫は、ものすごく大切なテーマをもらった。ただ、それが大切なテーマだと気づくまでには、まだ時間がかかりそうだ。