ある方から梨をいただいた。坊主は乞食なので、何でもいただかねばならない。その方へ、礼状を書いているとき、いろいろな思いがやってきた。当然、「有り難うございます」という感謝の気持ちが生まれる。「ものをいただけるような分でもないのに、送って下さり、恐縮している」という気持ち。また「こんな葉書一枚では、感謝の気持ちは尽くせないなあ」というやるせない気持ち。「ものをいただいても、お返しするものがないなあ」という圧迫感もやってきた。
そして、いただいてみて気づいたのだが、「いただきもの」でないものは一つもないという、厳粛な事実。身体、環境、境遇を引っくるめた「宿業」のすべてが「いただきもの」だった。「いただきもの」だと考えている考えも、「いただきもの」だった。
いただいて圧迫感を感じるのは、いただくことで負債を負うように感じるからだろう。ほんとうはお返しすることなど、ひとつも出来ないのだ。