四ヶ月ぶりにブッディサロンが開催された。もともと「三密」にならないくらいの集まりだから、さしたることもない。それにしても、皆さんの顔を拝見できると、何かが納得する。不思議なものだ。それでも、自身の病のためや、身内の病気のために参加を断念された方もいた。集いはおしなべて、「一期一会」に違いない。「一期」とは一生のことだから、一生で一回こっきりの出会いだ。サロンは継続されて開催されているように「人間界」では考えられるが、「阿弥陀界」では、毎回が、最初で最後の出会いである。だから「同じブッディサロン」は無い。今回は新しく参加された方がいた。新宗教に7年も入っていた方だった。たまたま図書館で、小生の『新しい親鸞』を手にされ、後ろのページを見たら、自分の住んでいるところの近くで驚いたという。この本のテーマに、「変な題名!」と感じたというのだから、大したものだ。命名した自分でも「変な題名」と思っているのだから、よくぞそこに引っかかってくれた。「親鸞」に「新しい」も古いも無いじゃないか。とんでもない題名だと。話の中で、「すべてが阿弥陀さんのせい」という小生の言葉に出会い、自分を責めていた思いから解放されたような気がしたという。これも、真宗のトロの部分を上手く食べてくれた。他力とは、そういうことなんだ。あなたには罪の責任は、まったくないということなんだ、「阿弥陀界」では。この「阿弥陀界」が〈真実〉で、「人間界」が仮ごとにならなくてはならない。全責任から解放されて、初めて「罪悪深重の罪人」が誕生する。