知っている罪

いま、寺の源平桃が満開だ。桃色と白色の花の咲き分けという、見事な風情だ。塀の外には、純白の照手桃が並んでいる。山門の垂れ桜はまだ、一部咲きだ。世間では桜の花見を自粛してと言っている。人間は、花を花だと分かっているように振る舞っている。源平桃だとか、照手桃だとか。しかし、本当の名前は知らない。誰も知らない。自分で自分の名前を名乗った木や花はいないのだから。そう思うと、人間は実に傲慢ではないか。人間から見た、人間特有の名前(レッテル)を貼って、相手を「そういうやつだ」と決めつけている。本当は、名前を知らない。だから、彼らに向かって、すごく失礼なことをしているのだ。知っているということで、分かったことにしている罪だ。〈ほんとう〉のことは何も知らないということが、自分の立ち位置だ。花ばかりではない、あらゆることが。だから、突き詰めると、生も死もだ。