今朝、ニュースを見たら、アメリカで銃がよく売れているという。それは、アジア系民族に対する、差別によるという。端を発したのは、トランプが、コロナウイルスを「チャイニーズ・ウイルス」と呼んだからだ。「アメリカ人」は、コロナの感染拡大の責任は「アジア系民族」にあり、自分たちは被害を受けていると感受してしまった。実際に、暴言や暴力にもエスカレートしているという。それで、「アジア系民族」のひとたちが、自衛のために銃を買っているらしい。
なんとも痛ましい。「アジア系民族」も、コロナの被害者なのに。それが見えない。
あるところに、連れ合いが中国人の旦那がいる。連れ合いが中国から戻り生活していた。寺で法座が開かれようとしたとき、その家のひとを法座には来ないようにしてほしいと、寺に連絡があったという。これも痛ましい。
正論は、「憎むべきは、ウイルスであって、民族ではない」だ。これは絶対に正しい。
間違ってしまうのは、いつも、「あいつらは」と発想することだ。そういう自分も、発生源が「武漢」だと言われたとき、(どこが、また何が発生源か分からないが)「あいつらは」という意識がどこかに沸いて生きたことに嘘はつけない。否定しようにも、沸いてくるものに、人間は為す術がない。ただ、そのことにゾッとしたのも間違いない。
おそらく、ゾッとさせたものの根源を阿弥陀と親鸞は名付けたのだろう。