現真宗大谷派教団は、プロトタイプだと思った。プロトタイプとは「試作品」という意味だ。現教団の本堂内陣の荘厳は、すべて他教団やインド・中国文化の素材からの借り物で出来上がっている。なにせ、教団が出来たと宣言したのが、江戸期だから、新しくすべてを作り上げるためには、まず他教団などの形を模倣するより方法がない。
これは、単に形としての教団形式に留まらず、そもそもは親鸞の発想に淵源があるのかも知れない。親鸞の生き様は、まさにプロトタイプではないか。だから、自分を「出来上がった存在」とは、決して考えなかったひとだと思う。つまり、真実の信仰に生きるひとは、自分を手本にしろとは言わなかったひとだ。ただ、「私に於いては」こうしているだけだと。だから、親鸞は、自分の私生活についてはほとんど語らなかったのだろう。とてもひとのお手本になるような生き方はしていないという確信があったからだ。
真宗の宗風は「肉食妻帯」と言われるが、真宗門徒は、「肉食妻帯」すべしと強制などしていない。「肉食妻帯」するかしないかは、あくまで縁次第であって、それが「決定版」だとは言わない。たまたま、親鸞は妻帯をしたということが、宗門の宗風として習慣化しているに過ぎない。つまり、親鸞は信仰を外側から決定することを拒んだ。「外側」とは、生活様式や生き方だ。真実の信仰を持ったひとは、必ずこのような生活様式を取らなければならないとは言わなかった。
ただ後から行く者は、何の手がかりもないので、親鸞を「手本」にするより仕方がなかったのだろう。でも、あくまでも親鸞の生活様式は、取り敢えずのことであって、これが「決定版」だと思ってもらっては困るということだろう。言えば、外見に現れた行為から、内面の信仰は計れないと考えた。その片鱗がこの文章に表われている。
「真実の信心は必ず名号を具す、名号は必ずしも願力の信心を具せざるなり。」(『教行信証』信巻)だ。「真実の信心」とは内面にあるものだ。それが内面にある者は南無阿弥陀仏という発語行為(念仏)がおのずと外側に現れる。しかし、南無阿弥陀仏という発語行為(念仏)が外側に現れているからといって、そのひとの内面に「真実の信心」があるとは限らない。
まあ親鸞は、「必ず」と言っているが、それは言い過ぎのように思う。内面に「真実の信心」があったとしても、そのひとの口から南無阿弥陀仏という発語が生まれるかどうかは縁次第だからだ。暁烏敏さんが、「どのようにお念仏を称えたらよいのですか」と問われたとき、「オナラをする要領で」で答えられたことが、唯一の〈真実〉だろう。南無阿弥陀仏という発語行為は、出そうと思っても出るものではないし、出そうと思って出した南無阿弥陀仏は嘘になる。それであっても、知らず知らずに出てしまっていることもある。これが南無阿弥陀仏との「正しい」関わり方だと思う。
ある座談会で、「念仏(南無阿弥陀仏という発語行為)」が、日常生活のどのような場面で出るかということが話題になった。あるひとは、トイレで息んでいるときに出ると言われた。それを聞いて、私は息んでいるときではなく、ウンコが出終わった後に出ると話した。だから、何かが終わった後に出るのだ。「さあこれから」と構えたときには出ない。そして、ウンコが出終わったあとにホッとしているときに、後からナンマンダブツなどと洩れる。また、最後にこの言葉が出終わると、すべてがナンマンダブツという声の中に包み込まれ、すべてが終息していき、安心感と満足感に満たされる。そうかと言って、ウンコが出終わったときに必ず出るとも限らない。南無阿弥陀仏が出るか出ないかは、縁次第であって、こちらの作為は超えている。
それはともかく、内面の信仰が〈真実〉であるかどうかは、外見の行為からは判断できない。
親鸞の信仰は生活形態を一切問わないのだから、一面、自由さがある。ただ後から行く者にとっては、かえってそれが不自由にもなる。つまり、どのようなことをすれば、内面の信仰が「真実の信心」になるのかどうかが分からないからだ。たとえば禅宗であれば、「坐る」という形を取る。修道論的仏教は、何かを「する」ことが仏教だと考えるから、必ず「形」を持つ。それは修行ばかりでなく、戒律というものも含まれる。つまり、こうしていれば、辛うじて、それは真実の信仰に適う方法だと信じることができる。
ところが親鸞は、一切の「形」を否定してしまったから大変だ。たとえ、南無阿弥陀仏という発語行為すら不要だと考えたのだから。まあ、これが「易行」ということなのだが。「形」にしがみつこうとする思いをすべて否定してしまった。こうなると後から行く者は、取り付く島がない。
これは、唯一の「形」を追究した鎌倉仏者の中では破格のことだ。道元は「ただ坐る」ことを唯一の「形」とした。様々な行をするのではなく、これ以外を否定した。この「一形主義」が仏教であるかないかを決する最低条件ではないか。もし、「一行」をはずれてしまったら、それは仏教とは言えないということになる。法然も、この「一行主義」に踏みとどまった。
行という「形」を持てば、初心の者からベテランまで、いつでもこの「形」に立ち返ることができるから安全だ。つまり、この「形」を持つことで、自分は真実に近いところに「ある」ことを実感できる。たとえ目的地に到達はしていなくても、目的地に至ることのできるきっかけにはなると安心できる。唯一の条件を「形」として保存した。
しかし、親鸞は、この唯一の「形」すら否定してしまった。念仏(南無阿弥陀仏という発語行為)すら不要だと考えた。つまり、真実に至るための条件をすべて否定してしまった。「自力」が否定されてしまえば、行為としての「形」に頼ることができなくなる。
そこから一気に、すべてが逆転し出した。「する」と思っていた主体が、実は「されていた」と逆転した。「されている」が真実であって、「する」は幻想になった。それには「何が」という主語はない。「されている」のであれば、「何にされているのか」と問いたくなるのだが、その答えはない。それでは困るので、便宜上「阿弥陀さん」という言葉が、メタファーとして着想された。一応「されている」ことの主語を「阿弥陀さん」と語るだけで、別に「阿弥陀さん」という実体があるわけではない。いわば、論理的必然として、そう命名しているに過ぎない。
いわば親鸞の表現の真の主体は、「阿弥陀さん」ということになる。つまり、生活の真の主体は「阿弥陀さん」だ。親鸞自身は、その「阿弥陀さん」からの促しで生き、「阿弥陀さん」からの自動記述で、すべての文章を書いている。「阿弥陀さん」に「浄土」も、「真実」も、すべてを投げ込み、まかせてしまった。自分の居場所は、「娑婆」であり、「不実」に棲み分けた。
だから、なぜそのような生活形態を取っているのか、またなぜそのように表現したのか、その理由は親鸞自身にも分からない。ただ「されている」ということだけは知っている。
私の言う「そうせざるを得ないことを、そうしている」というのが、どうも本当のようだ。こうなってくると老荘思想とかなり近寄ってしまう。老荘思想とどこが違うのかと問えば、やはり、「南無阿弥陀仏」という言葉に帰ることができるという一点だろう。
キチッと娑婆と浄土、つまり、「真実」と「不実」の壁を持つたのだ。自分は「不実」であり、自分に「真実」がないと棲み分けられると、「自由」が与えられる。逆に、どこかに「真実」を知っている、「真実」になれるのではないかという思いがあれば、「不自由」になってしまう。「浄土真宗に帰すれども 真実の心はありがたし」(悲嘆述懐和讃)と言えた親鸞は「自由」を獲得したのだろう。自分が一つも「真実」になる必要がないと分かったからだ。
「真実」と「不実」の境界が出来ることで、どこまでもプロトタイプの生を得たのだろう。プロトタイプとは、「現生正定聚」ということである。どこまでも試作品であり、「不完全」であるという「自由」を得たのだ。「決定版」を持たねばならないとか、「決定版」にならねばならないという「不自由」から解放されたのだ。
別の言葉で言えば、プロトタイプとは、「問題提起」だ。決して「結論」を持つ必要がない。どこまで表現し尽くしても、それは「問題提起」という表現水準に留まる。人間が出そうとする「結論」を解体してしまい、「問題提起」に変えてしまう。
「所詮、人間は死ぬんだから、何をやってもいいでしょう」という「結論」を解体してしまう。これを解体して、「それが果たして結論でしょうか」と問いに変えてしまう。
人間が絶望するときには、必ず「結論」を持ってしまっている。その「結論」を解体し、「果たしてそれが結論でしょうか」とはぐらかす。いつでも、どこでも、この「はぐらかし」に遇えるのが、〈真・宗〉ではないか。