空っぽは、自分に溜め込むことがない。
ひとは、何でも溜め込みたがる。お金や名声や評判や経験や人柄や実力や実績や信仰や知力などを溜め込みたがる。溜め込むのは、不安だからだろう。不安が、溜め込もうとさせるのだ。
しかし、幸せを溜め込んでも幸せではない。溜め込まれた幸せは、段々と重たくなる。溜め込めば重たくなる。それは幸せばかりではない不幸も溜め込めば重くなる。だから、幸も不幸も手放して、阿弥陀さんに全部、明け渡してしまえばよいのだ。
明け渡して、自分が空っぽであればよいのだ。空っぽであれば、その中に何が入ってきても、こちらからあちらへと預けられる。受け渡してしまい、自分は軽くなる。
これは特別なことを言っているわけではない。誰でも知っている、本来的なあり方だ。みんな空っぽから生まれてきたのだ。だから空っぽであればよいというだけの話だ。
何が重たくするのか。それは「思い」である。「思い」は幻想だ。幻想が重くするのだ。現実は空っぽのままだ。空っぽから出発し、空っぽに帰っていく。
ルンルンと、軽々と、空っぽを進んで行けばよいのだ。