曽我量深先生が、昭和十五年に開催された「還暦記念講演」で、このようなことを言っている。
「私は今日より、親鸞と言えば聖人とは言はず、聖人と言えば親鸞と言はないであろう」(『曽我量深選集 第五巻』―親鸞の仏教史観―)と。この言葉に触れたとき、私のこころの琴線と共鳴した。私にも「親鸞」と言う場合と、「聖人」、つまり、「親鸞聖人」という場合と、この二つのベクトルしかなかったからだ。
続けて、曽我先生は、「真宗以外の祖師方に対しては『日蓮上人』と申し、『法然上人』と申し、『道元禅師』とかう申しあげるに対して、自分を正しく導き、常に自分の前に現在説法してお出になる所の自分の祖師に対しては、唯『親鸞』とかう申すのであります。」と言われている。
この講演の講題が、「親鸞の仏教史観」だったので、なぜ「親鸞の」と付けたのかということを説明する文脈に出てくる。昭和十五年当時頃の教団の内的雰囲気を想像すれば、この命名は聴衆に対して強烈な印象を与えたのではないかと思う。
聞くところによると、北陸では、法話の時に講師が、「親鸞」などと言えば畏れ多いと叱られたそうだ。「親鸞聖人」でも、まだ畏れ多いと。それでは何とお呼びすればよいのですかと問うたら、「御開山」と呼びなさいと言われたと聞いている。つまり、宗祖を直接名前で呼ぶことは、その方を汚れた手で、手づかみにするようなもので、これほど失礼なことはないと思われていたのだ。これは日本人の特性なのかどうかは分からないが、確かに、実名を直接、呼ぶことは失礼だという文化があった。貴族でも、「諱(いみな)」を用いていて実名は名乗らない。「実名」使用を忌むための名前だから「諱」である。だから、実名の他に幾つもの仮名を持つのは普通のことだった。
しかし、このような教団内的雰囲気の中で、「親鸞の仏教史観」という命名は、かなりセンセーショナルなものだったに違いない。それで、「親鸞」と呼ぶ場合と「聖人」と呼ぶ場合と、場面によって使い分けるのだと説明している。だから、どのような場面にも「親鸞聖人」と使うことはしたくないのだと言っている。
まあこれは曽我先生の場合の使い分けであって、私の使い分けとは少し違っているようにも感じる。私の場合は、「縦の親鸞」と「横の親鸞」という言葉で考えている。「縦の親鸞」というベクトルは、やはりいのちの恩人としての親鸞聖人である。親鸞聖人なかりせば、いまの私はここに存在してはいない。たとえ人間としては生存していても、それは「生物」としてただ生きているだけであり、「信仰の徒」としては存在していなかったという意味だ。つまり、「肉体」は生きていても、「こころ」は生きていなかった。だから、「縦の親鸞」を語るベクトルは、「親鸞聖人」以外にはない。まさに「あおぐべし、とうとむべし。」(『口伝鈔』)と拝跪するほどのベクトルだ。奇しくも、『歎異抄』(第十三条)で言われるように、親鸞聖人から、「たとえば、ひとを千にころしてんや、しからば往生は一定すべし」と問われれば、「はい分かりました」と応じたくなるほどの自分がいる。
しかし、そればかりでなく、その一方に、「横の親鸞」もある。「横の親鸞」とは、自分と同じ地平にいて、つねに横並びで隣にいるひとという意味だ。親鸞の言葉で言えば、「親友」としての親鸞だ。私と同じく信仰の問題に苦心し、それに取り組み、親鸞は親鸞なりの限界をもちならがも言語表現を尽くした親鸞である。だから親鸞を絶対視せず鵜呑みにもせず、ともに切磋琢磨する関係だ。私の前にも、親鸞の前にも、阿弥陀さんしかいないのだ。その阿弥陀さんとだけ対話している親鸞がいる。前を見れば阿弥陀さん、横を見れば親鸞がいる。だから、「横にいる親鸞」というベクトルになる。
この「縦の親鸞」と「横の親鸞」がキチッと峻別され混乱がない。この接点に、「いま・ここ・私」がある。この二つが矛盾することなく成り立っている。
そうそう私の好きな庄松さんが、「横の親鸞」を上手く表現している。庄松が他の同行と、お寺の法要に参加するためにお寺に向かっていたときのことだ。庄松が尿意を催したので、おもむろに道端で小便をした。それを同行が見咎めて、「なぜそこへ小便する!」と言ったら、庄松は、「御開山も小便ばったのじゃ、己らも昔は他宗、今は真宗」(『庄松ありのままの記』)と応えている。
このときの庄松は、「横の親鸞」を体験している。同行さんは、「縦の親鸞」のベクトルしか持っていなかった。それは親鸞が拝跪の対象でしかなく、自分とはよそよそしい関係だ。そこへ「横の親鸞」をぶつけたのだ。庄松は親鸞を自分の隣にいる同行として親しみを持って接した。と言うよりも、庄松の中に親鸞を体験しているのだ。庄松が尿意を催し小便をしたことと、親鸞が小便をしたであろうことが内面で重なって体験されている。だから、「縦の親鸞」が完全に相対化されている。親鸞を自己の内面に体験していくのが「横の親鸞」だ。
そう思うと、親鸞もお釈迦さんを内的に体験していたのだと思った。それが「他力の信心うるひとを うやまいおおきによろこべば すなわちわが親友ぞと 教主世尊はほめたまう」(「正像末和讃」)である。お釈迦さんとこころが通じていなければ、お釈迦さんの気持ちは分からない。お釈迦さんが「お前こそ私の親友だぞ」とおっしゃるのは、そのようにほめられた親友でなければ分からないことだ。親友とは、こころの底でお互いにお互いのこころが通じ合っているという関係のことだろう。まあ、とことん行けばこころが通じ合うなどということはないのだが、そんなことはどちらでもよいのだ。「私に於いては、そのように受け止められる」ということ以外にはないのだ。
ところが、近ごろ、「親鸞さん」という表現を耳にすることが多くなった。この「さん」というベクトルはどのようなこころのベクトルから生まれて来たのだろうか。私の中には存在しないベクトルなので、ポカンとして聞いている。
私の中には、「親鸞聖人」か「親鸞」という屹立したベクトルしかない。これが混乱せず、また矛盾せずに成り立つところが信仰の妙味だ。法話の場面では、それほどキチッと区別されているわけではないが、その場でどのような呼称表現が生まれようとも、私の内面では、この二つがキチッと峻別されている。またこの二つのベクトルが生まれなければ〈真・宗〉にはならないのではないだろうか。