「建永の法難(承元の法難)」が起ころうとしていた、前夜である。弟子たちは、このまま師・法然が、自説を主張していたら弾圧の危機を免れないと危ぶんだ。そして弟子・西阿弥陀仏が、師・法然に向かって、「教えは確かに間違いのないことですが、もう少し慎まれたほうが宜しいのではないでしょうか」と進言した。この言葉を聞いたとき、法然はこう言い放った。
「我、頸、截切らると雖も、このこと言わずべからず」(『一期物語』)と。
これは現代まで伝わっているどの法然の肖像画からも、決して想像できないほどに厳しい発言である。いずれの法然の肖像画も、顔も身体もふっくらした穏やかなものばかりだ。むしろ弟子・親鸞の肖像画から推していけば、このような発言は、まだ想像ができる。いわば親鸞像と真反対に位置するほどの「穏やかな法然」から、このように辛辣な表現が生れたとは想像を絶する。
そこからいろいろな想像がはたらく。法然の肖像画は、すべて法然の捏造であり、法然が内に秘めた厳しい決意を、あえて隠すためだったのではないか。敵を欺くには、まず身内からという言葉もあるように、弟子たちには、虫も殺さぬほどの穏やかさを見せておきながら、その内面では、「不退転の決意」を固めていたとも想像できる。
あるいは、そこまで深読みしなくても、あの「好々爺」振りは法然の「ありのまま」であり、そこには何ら作為的なものはなかった、とも見える。あの「好々爺」と、「厳しい決意」とは矛盾することなく同居していたのだと。
いよいよ流罪にされそうになったとき、法然は門弟にこう言っている。「流刑さらにうらみとすべからず、(略)辺鄙におもむきて、田夫野人をすすめん事季來の本意なり。」(「御流罪の時門弟に示されける御詞」)と。流罪を恨みとせず、むしろ辺鄙なところへ島流しにされるのは嬉しいことなのだ。都の人々は教化の縁に会うことができるが、辺鄙なところの人々は縁がない。だから、あえて辺鄙な場所へ赴くことは、そこにいる人々を教化できるのだから、これを喜ぶべきなのだと言っている。
法然は流罪だから、まだ余裕のある発言をしているのかも知れない。斬首された二人の弟子は違った意見を持っていだのではないか。賀茂川の六条河原で斬首された安楽房遵西と近江(滋賀県)馬渕畷で斬首された住蓮房ならば、違った発言をしたはずだと想像してしまう。
親鸞も、弾圧事件の被告として越後へ流罪になっているから、「正像末和讃」では、「念仏誹謗の有情は 阿鼻地獄に堕在して 八万劫中大苦悩 ひまなくうくとぞときたまう」と述べ、明らかに弾圧者に向かって怒りの矛先を向けている。その後(存如時代)には教団温存を図るのに不都合なので、この和讃は声明作法で、現代まで詠まない約束になっている。再び、旧仏教の怒りを買いかねないと危惧するからだ。
もちろん、親鸞は『教行信証』(後序)に於いて、「主上臣下、法に背き義に違し、忿を成し怨を結ぶ」と怒りをあらわにしている。自分はともかく「真宗興隆の大祖源空法師」を流罪にし、弟子ら四人を死罪にし、さらに〈真・宗〉を弾圧した旧仏教と俗権力に向かって怒っている。
法然は、弾圧事件の加害者に向けて、ここまでの言及はない。あったとしても、それは文字として残らなかったのかも知れない。このような非道な振る舞いに対して怒りの感情を持たないならば、それは「凡夫」失格と言わざるを得ない。ただ、その後、そこに起こってきた「怒り」の感情をどのように昇華したか、それだけが問題なのだ。そこに「脱人格性」としての〈非在〉との対話が生れるのである。
一方、イエスの場合は、少し違っている。イエスが十字架に架けられようとしたとき、イエスはこう言っている。「父よ、彼らをおください赦しください。自分が何をしているのか分からないのです。」(ルカ書23-32)と。弾圧の加害者は間違ったことをしている。だが、それは彼らが〈真実〉を見抜けないからなのだ。見抜けていれば、このような非道なことは、決してできないはずだ。だから、彼らの落ち度を許してやってほしい。彼らは何が正しく何が間違っているのかを見抜けないだけのことなのだ。だから、彼らが根っからの「悪人」ということではない。むしろ、〈真実〉が見抜けない哀れな「子羊」なのだ。よって、神さま、どうか彼らを罰しないでやって下さい、とイエスは考えている。イエスは、彼らの罪を断罪する側に身を置くのでなく、逆に彼らへの罰を赦してあげて欲しいと神に懇願する側に身を置いている。まあ「罪を憎んで人を憎まず」だ。
文献としては残っていないから何とも言えないが、このイエスの態度は、恐らく法然・親鸞の態度とも融合しているだろう。これは妄想だが、法然・親鸞に、このイエスの発言を聞かせれば、「私もそう思う」と賛同されたのではなかろうか。一つ違うところがあるとすれば、「阿弥陀さん」は「罰する神」の顔を持たないので、「彼らを赦してあげて下さい」とは祈っても、「彼らを罰しないであげて欲しい」とは祈らなかっただろう。
それはともかく、〈真実〉は基本的に人間が見たいものではないので、それを白日の下に、赤裸々に表現されたとき「一般人」はギョッとし、目を背け、驚き、たじろぎ、不安になり、やがて、不安を引き起こす者を亡き者にしようとする。そう思うと、〈真・宗〉は、これからも、事によっては弾圧を受ける教えなのだと思われる。
奇しくも、私の法話を聞いた或る門徒のかたが、「先生の話を聞いていたら、だんだん腹が立ってきた」とおっしゃった。この発言に当初はギョッとしたが、後々、この発言は、〈真・宗〉を聞いたひとの誰にでも、少なからず起こる、実に正直な表現なのだと思った。このかたは、長年、教育畑で生きてきたかただから尚更だろう。〈真・宗〉の法話には、この世をいかに都合よく安泰に過ごすかという、いわゆるHow to(どうしたら)の知は存在しないからだ。だから「教育」というものとは相容れない。つねにWhy(なぜ)を突きつけるのが〈真・宗〉だ。ひとは、How toが好きだし、人類がここまで地球上を占有できたのは、この知のお陰だと言ってもよい。だから、How toの知がWhyに出会うとたじろぐことになる。いかにしたら、この世を都合よく生きられるかと必死になっているひとに向かって、「なぜ必死になっているのですか。必死になっても人間は必ず「死」にますよ。そんな人生をなぜ生きているのですか」と問うのだから、問われたひとはたじろぐはずだ。
だから、「先生の話を聞いていたら、だんだん腹が立ってきた」という発言は、そのひとの個人的感想ではなく、全人類が感じる普遍的な感情だったのだ。この発言は、How toの知の呻きであり、そこから生まれて来た怒りなのだ。How toは、Whyの前には為す術がないからだ。
しかし、〈真・宗〉は、人間が他者に向かってWhyを突きつける教えではない。人間が突きつけるものだと感じれば、そのかたが感じたように腹も立つだろう。「お前に言われる筋合いはない」と思うからだ。ただ、Whyは、決して人間が人間に向かって突きつけられるものではない。もし、それができる視線があるとするなら、人間を超越した「阿弥陀さん」と呼ばれている「脱人格性」としての〈非在〉の場所だ。Whyは、唯一、阿弥陀さんからのみ全人類に向かって突きつけることのできる矢印なのだ。
だから、いくら話者が聴衆に向かって言葉を発しているように見えても、その実相は、話者一人に向かって阿弥陀さんからWhyが突きつけられ、それに応じてモノローグしているに過ぎない。矢印としてのWhyに打たれた者が、打たれたありのままをモノローグとして表白する。それが〈真・宗〉の「法話」というものだ。「法話」はモノローグであるべきで、ダイアローグであってはならない。だから「教育」というものではない。モノローグということは、聴いている聴衆を突き抜けて、阿弥陀さんに向かってのみ披瀝される独白なのだ。しかし、そのダイアローグが生れるためには、聴衆という「諸仏」が必要なのだ。まあ「諸仏」も、私の分身だから、そんな実体があるわけではない。〈一人一世界〉の内部のことだから。
「教育」が明日のためのものであるなら、〈真・宗〉の「法話」は、つねに、「いま・ここ・私」を焦点にしている。まさに、「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」(『論語』)と言う言葉が生れるほどのものだろう。人間は、「明日」を熱望する生き物だが、その生き物に向かって、〈真・宗〉は、〈いま〉を突きつけるのだから、驚天動地の出来事だ。
この「流れない時間」としての〈いま〉に向き合っていると、そこからオマケとして、いろんなことが起こってくる。それを「御利益」と呼んでもいいのだが、それは石を水に落としたときの水しぶきのようなものだ。親鸞も「現生十種の益」(『教行信証』信巻)を述べているが、これがその水しぶきに当たる。でも、それは例えば「十種」なので、本当は、そんな「御利益」について逐一列挙できないほどのものだろう。いろいろなオマケ、つまり「御利益」が生れて来るのだ。まあ、究極は、「阿弥陀さん」に奉仕するということが「御利益」なのだろう。それで親鸞も「知恩報徳の益」と述べている。これは、「阿弥陀さん」の言いなりになって生きるということだろう。つまり、人間の「知」を徹底的に相対化する〈真実〉という基準のみで生きるという意味だ。
たとえ首を切られようとも、「阿弥陀さん」のことについて語る以外に自分の存在はないのだと語った法然も、この「御利益」を受けていたのだろう。