1%の「武田美輪」

 やはり、私の知っている「武田美輪」しか、私は知らないという思いがやってくる。私の知らない「武田美輪」と比較したら、ほんの少しの「武田美輪」しか知らない。知らない「武田美輪」が99%で、知っている「武田美輪」は1%だ。
 その1%の「武田美輪」が、本当の「武田美輪」だと錯覚している。この1%の「武田美輪」との記憶(思い出)をもてあそんでは、悲しんでいる自分がいる。記憶は、私が自分勝手に捏造したものではなく、やはり、「武田美輪」との関係の中から生まれたものだから、拭いがたい。
 しかし、それは1%に過ぎない。その1%が、本当の「武田美輪」ではない。私の知らない99%があるのだ。1%で彼女を云々していること自体が、彼女への冒涜のような気もしてくる。そして、私の知っている1%の彼女を、「私の武田美輪」として温存すると共に、私の知らない99%の「武田美輪」へお返ししなければならないと思う。
 厳しいようだが、その1%とは、私の「貪欲」が確保した彼女だからだ。お弔問に来られる方々を拝見していても、やはり、ご自分と関係のあった1%の「武田美輪」を、本当の「武田美輪」だと思って悲しまれているようだ。しかし、それは1%の「武田美輪」に対しての悲しみであって、それが本当の「武田美輪」ではないという思いも湧いてくる。 本当の「武田美輪」とは、方便法身としての「武田美輪」ではないか。これは、凡夫を美化することでなく、三十八億年のいのちの根っこをもって、そこから現象してきた「武田美輪」という意味である。だから、本当の「武田美輪」は、誰にも知ることができない。知っているのは、1%の、微かな現象としての「武田美輪」である。だから、「武田美輪」本人ですら、本当の「武田美輪」は知らないのだ。なぜ「武田美輪」が、「武田美輪」として現象し、存在したのかは誰にも分からない。現象させられた影しか知らない。
 如より生まれ、如に帰す。そんな運動があるだけなのかも知れない。そんな運動を「阿弥陀さん」と命名しただけなのかも知れない。「武田美輪」について考えていた視線を、逆転させて自分に向けてみれば、自分も同じことだった。なぜ「武田定光」として、いま、ここに現象しているのか。これは不可思議としか言いようがない。
 如より生み、如に帰す、そんな運動の中の一滴が、自己という存在なのだろう。
 蓮如さんは、「我やさき、人やさき、きょうともしらず、あすともしらず」(『御文』五帖眼十六通・聖典p842)とおっしゃるけれど、私は、相変わらず「人やさき、人やさき」としか受け取れない。「死」でいくのは人ばかりであり、まさか自分が今日か明日には、この世を去って行くなどとは、露ほども思ってはいない。だから、どれほど切実な顔で伴侶の「死」を悲しんでも、それは他人事である。
 やはり、悲しみは、「余裕」があるから起こってくるのだろう。所詮、他人事だから。悲しみは、ナルシズム以外からは生まれない情感なのだろう。しかし、そんな有り様を、方便法身である「武田美輪」から、逆に、そんな「余裕」はあるのか!と叱られた。
 悲しんでいる「余裕」があったら、自己自身の真の面目を追究せよと、励まされてもいる。
 「武田美輪」が「不在」となってから、この世が一気に圧縮されて小さくなった。この世の短さがヒシヒシと感じ取れる。なんだか、ボヤッとしていた娑婆が、より鮮明に感じられてきた。解像度が上がり、鮮明度が増した。娑婆の本質がむき出しになり、より鮮明に、ビビッドに感じ取れる。だから、「武田美輪」には、先に行って待っててねと言えたのかも知れない。すぐに後から行くからと。庄松の「寝て居る處が、極楽の次の間ぢゃ」(『庄松ありのままの記』)と通底している。「死」の可能性は、必ず次の一瞬にありという〈真実〉だ。まあ、そんなことは露ほども思ってはいない感覚と、裏腹に張り付いている感覚だ。
 やはり、自分という〈唯一人〉の前には、「阿弥陀さん」しかいない。そのことを忘れるなと教えてくれる教材が、他者として、つまり「権化の仁」(『教行信証』総序・聖典p149)として同伴してくれる存在だったのだ。