昨日(2025/11/01)午前7時39分に、連れ合いが息を引き取った。六十六年間の生涯だった。そして、いま、改めて、連れ合いとはどのような存在だったのかと問い始めている。
小生とは、約50年間の付き合いだった。小生は今年71歳になるので、人生の三分の二を占める。そこにはさまざまな出来事があり、それを認めれば、一冊の本ができるほどだろう。しかし、その中のどれを取ってみても、いまとなっては、それらが「思い出」としてしか存在していない。
遺体を目の前にして、思うのは、果たして、小生は、このひととどのように出会ってきたのだろうか?だ。「貴方は、私とどのように出会ってきたの?」と問われ始めている。
そう問われて、彼女のことをいろいろと思い出してみても、それは一つ一つの「思い出」としてしか取り出すことができない。
つまり、それは彼女の断片であって、彼女丸ごとのことではない。彼女そのもの、彼女全体とは、いったい何だったのだろうか。
若いとき、私は彼女のことはすべて分かっていると思っていた。そんな或る時、意見の違いから諍いが起こったことがあった。そして彼女は私に向かって、「私のことを分かっているとでも思ってるの!」と言った。それを聞いたとき、彼女のことを分かっていると思っていた思いが、浅はかだったことを思い知らされた。傲慢にも、私は「彼女を分かっている」と思い込んでいたからだ。たかだか十年かそこらで、分かるはずはないのに。
それでは、いまはどうか。そう改めて問うてみても、結論は同じだ。やはり、彼女のことは分かっていないのだ。私が知っている彼女は、どこまでいっても、彼女の断片であって、彼女そのものではないからだ。
こうなってくると、ますます連れ合いとは何なのかが分からなくなる。こんな思いに浸っていたら、親鸞聖人の夢の告げにこころが向かった。親鸞は二十九歳の時、京都・六角堂で救世観音から夢の告げを受けたらしい。まあそれは親鸞が、そのように受け止めただけのことで、実際に観音菩薩が親鸞にしゃべりかけたわけでもないだろう。ただ、それを観音さまからの告げとして受け止めたところに妙味がある。
それが、「行者宿報設女犯我成玉女身被犯一生之間能荘厳臨終引導生極楽」だ。この漢詩を日本文にすればこうなるだろう。「行者よ。宿世の報いによって、たとえ女犯をするならば、我は美女の身となって犯されよう。そして一生の間、あなたに連れ添い、もしこの世のいのちを終えるときが来たならば、私はあなたの手を引いて極楽浄土へ生れさせてあげましょう」。
この謎めいた夢告を、親鸞は一生涯、大切にしたものと思われる。これを表層の意識で解釈してしまえば、陳腐なものになることを親鸞は知っていたのだろう。だから、解説はどこにも書いていない。書かなかったところが、またグッとくるところだ。
まあ横から見れば、親鸞は連れ合い(恵信尼)を観音菩薩の化身として受け止めていたようだ。観音菩薩の化身とは、のろけや買いかぶりではない。自分にとって、一番身近なところで阿弥陀さんのお仕事を具体的にされている存在という意味だ。阿弥陀さんは抽象的な誓願を起こされているが、それを具体的な形で示されるのが観音菩薩だ。
つまり、親鸞にとって恵信尼は、阿弥陀さんの教えを受けるための「権化の仁」であった。そもそも、なぜ「結婚」という縁が成り立ったのか。それすら不可思議としか言いようがない。
自分が、なぜ人間として、いまここに生きているのか。それすら不可思議である。「縁」という文字をじっと見続けると、そこから不可思議の泉が湧き出してくる。
やはり、この世は、〈私一人〉を教育するための、阿弥陀さんのの学校なのだ。連れ合いは、観音菩薩としてこの世に現われ、一生を私と添い遂げ、故郷の浄土へ還っていったのだろう。
私には、「この世でやるべきことがまだ残っているぞ、それをやりとげてから、こっちへおいで」と言っているようだ。
連れ合いは、一足先にいってしまっただけ。やがて、向こうで落ち合うことになっているから、その日を楽しみにしておこう。