死ぬために食べている

緩和ケア病棟にいる妻だが、昨日よりいくらか食事を摂れた。それを喜んでいる自分を発見した。しかし、この喜びは何だ。結局、やがては死ぬために食べているのに。この喜びとは何だろうか。これが喜びだろうか。
 そう問うていたら、その問いが、そのまま自分に向かってきた。「そう問うているお前だって、死ぬために食べているだろう」と。「お前ばかりではない、全人類は、死ぬために食べているのだ」と。
 これは〈真実〉からの一撃だ。この一撃を喰らうことで、妻と自分が同じ場所に立たされた。〈真・宗〉の言う、「平等」とは、この場所のことなのだろう。
 この世には、一つも「済んだこと」はない。済んだことはないし、まだ始まってもいない。
 そう教えられて、よくやく「等身大の自己」にこころが収まった。