親鸞は、さまざまな「動詞」を使っている。「信ずる」とか「観ずる」などと使う。これは「動詞」である。『広辞苑』第七版では、「動詞」を、こう解説している。
「品詞の一つ。事物の動作・作用・状態・存在などを時間的に持続し、また時間的に変化して行くものとしてとらえて表現する語。(以下略)」と。
こんな言葉は国語学にはないのだけれど、私は、「受動詞・能動詞」という言葉で「動詞」を考えている。普通一般に使われる「動詞」を、「能動詞」と呼んでみたい。「能動によって生まれた動詞」とでも言えようか。この世には、「能動によって生まれた動詞」以外にはない。「能動詞」しか知らないのが人間である。そこに親鸞は「受動詞」という世界を開いたのではないか。その白眉である表現が、「回向」だ。漢文読解法に長けているわけではないのでよくは分からないが、漢文というものには、そもそもルビは付いていない。それで「語」によって能動文か受動文かを使い分けている。
インターネットで調べると、こう書かれていた。「受動態(受け身)を直接表す漢字はありませんが、漢字を使い「る」「らル」と読む形で受身を表すことがあります。具体的には、「見」「被」「為」「所」の4種類の漢字が使われ、それぞれが動詞の「~される」という意味を表します。」
具体的な例として、「見(みル)→「彼(かれ)に見らる」のように使われ、「彼に見られる」という意味です。
被(こうむル)→「被らるという読み方で、「~をこうむる(受ける)」という意味です。
所(ところ)→「所(ところ)して」のように使われ、受身の状況や場所を示す際に用いられます。」などと出ていた。
親鸞は日本人なので、漢文(白文)に、ルビや「返り点」などを打つことで、漢民族の言語を、「日本文」として読んでいる。おそらく親鸞以前の人々は、「回向」を「能動詞」として読んでいたようだ。有名な『仏説無量寿経』の第十八願成就文(至心回向)に、親鸞は「至心に回向せしめたまえり」とルビを振った。この「せしめ」は、尊敬語であり、使役の意味ではない。使役で読めば、「至心に回向させていただく」となり、「回向」の動作主体が「人間」になってしまう。これは間違いであり、「至心に如来が回向して下さる」と尊敬語で読まねばならない。あくまで動作主体は「如来」である。
ところが、この箇所の『国訳一切経』も『浄土宗聖典』第一巻も、ともに「至心に廻向して」と書かれている。親鸞以前の者で、これを「至心に回向せしめたまえり」とか「回向したまえり」(欲生釈)と読んだものはないだろう。つまり、動作主体が「人間」という読み方だ。そして動作主体を「人間」と受け取るとき、「回向」は「能動詞」となる。
おそらく、師の法然も、この箇所は「能動詞」として読まれていたのだと思われる。だから『浄土宗聖典』でも、このように書かれているのだろう。歴史を遡れば、「七高僧」の中で、これを「受動詞」として読んだものはいないのではなかろうか。まあ、漢文(白文)にはルビがないので、この「回向」をどのように読んだかということの真意は分からないことだが。
親鸞は、間違いなく、「回向」の動作主体を「如来」として読んでいた。だから、「回向」は「如来が回向して下さる」と「受動詞」として読んだ。動作主体は、あくまで「如来」であり、自分はそこからの促しを受けるものという読み方だ。この視点を取ってみると、親鸞が使っていた他の動詞はどうだったのだろうかと考えたくなる。他の動詞も、「受動詞」として使っていたのかどうか。この関心に沿って親鸞の文章を見渡してみると、「能動詞」として見えていた世界がゲシュタルト崩壊を起こし、すべてが「受動詞」として蘇ってくるから不思議だ。
この視点を、さらにズームアウトさせてみると、日本語の「動詞」は、すべてが「受動詞」ではないかとさえ思う。「能動詞」と見えていた世界は、表層のことであり、人間にとっての「動詞」は、すべてが「受動詞」だったのではないか。つまり、すべての「動作行為」は、自己から「能動的」に起こるものではなく、すべては「自己」が何ものかに促され、それを「自己」が受動することによって行為するという理解になる。
これが一番よく理解できるのが、怒りの感情ではないか。ひとと意見が対立したりしたとき、怒りの感情が起こる。これは自分が起こしているのだが、相手によって引き起こされていることでもある。相手がいなければ、怒りの感情は起こそうと思っても起きることはない。怒りの起こる条件が与えられなければ、怒りが起こらない。その条件を受動することで、怒りが発動する。
貪りの煩悩も、同じだ。満腹状態であっても、テレビで美味しそうなグルメ番組を見ると、その料理を食べたくなる。これなど、まさにテレビの映像に刺激されて、貪りの感情が沸き起こる。いわば映像を受動することから引き起こされる。映像を見なければ、そのような感情は起きない。
「動詞」の本質は「受動詞」だ。「能動詞」と見えるのは幻想だったのではないか。「能動詞」と見える世界を親鸞は、たった一つの表現で、「受動詞」と読み替えてしまった。「回向せしめたまえり」と。
このような視点に立つと、次の疑問が起こる。それでは、「如来が回向して下さる」という場合の「如来とは何か」、そして「如来が何を回向して下さるのか」だ。
それですぐに思いつくのが、『歎異抄』(後序)の「如来よりたまわりたる信心」だろう。つまり、「信心」を「阿弥陀如来が私に回向して下さる」という意味だ。この「たまわる」という表現も、「世間語」だから、〈真実〉を完全には言い当てていない。「たまわる」を〈真実〉に沿った譬喩にしてみると、こうなる。
太陽のひかりを「たまわって」月が輝く、だ。ひかりを「たまわる」と言えば、物を貰うという邪推が排除されるだろう。ひかりはあくまでも、太陽のものである。月はただ、そのひかりによって照らされているだけだ。反射光は、月のものではない。だから太陽のひかりがなくなれば、月の輝きも消える。これが、「如来よりたまわりたる信心」の譬喩としては、〈真実〉に適っている。
私は、そのひかりをさらに「命令」と考えている。如来からの、「命令」を「たまわる」と。まあ親鸞も「『帰命』は本願招喚の勅命なり」(『教行信証』行巻)と言っているから、「本願が叫んでいる絶対命令」と読んでいたのだろう。それはどんな「命令」なのかと言えば、「私にすべてをまかせよ」という命令だ。
これを「能動詞・受動詞」で翻訳すれば、すべての「動詞」は「能動詞」でなく「受動詞」という理解になる。つまり、いままで「自分」からすべての行為が発動していると思っていた人間に向かって、それは間違いだという叫びである。すべては、如来から始動され、それを「自分」は受け入れる器にされるのだ。「自分」という「思い」は、どうしても、「自分」というものがあり、すべては「自分」から始まると思ってしまう。
つまり、それは「如来」におまかせしてはいない。「自分」だけを頼りとしているこころの態度だ。この「自分」を頼りにしてきた人間に、それは間違いであり、「如来」にすべてをまかせよと、迫ってくるのが、「たまわりたる信心」である。
言えば、主体が入れ替わるのだ。いままで「自分」だと思っていたものが客体になり、外に見ていた「如来」が主体となるのだ。「自分」など、実体的にはどこにも存在しない。それは、「思い」に過ぎない。本質は、「関係性」しかない。これを「無我」とも表現する。これは「如来」と同義語でもある。
太陽と月の譬喩に、戻ってみよう。太陽のひかりが月を輝かせるのだが、このひかりが
「私にすべてをまかせよ」という命令である。ひかりは「命令」だ。この「命令」を受けて、それから、「まかせられる存在」にならないための「命令」なのだ。真面目な人間は、「私にすべてをまかせよ」という命令を聞けば、その「命令」に従える自分になろうとする。そこに「努力」という自力性が派生する。「命令」を聞いて、「命令」に従える自分になろうとするところに「如来」にすべてをまかせていない自分が炙り出される。「なろうとする」のは自分の力以外ではない。だから、決して、「まかせられる存在」にはなれない。この「まかせられない存在」に対しての命令なのだ。それが、ひかりは太陽のものであり、決して月のものにはならないことの理由だ。
「私にすべてをまかせよ」という命令は、自分を照らすひかりであり、どこまでも「まかせられない存在」を炙り出す。このように言うと、自分は「まかせられない存在」なのだから、「まかせる」ことなどできないと自棄を起こす。あるいは、「まかせられない存在」のままでよいのだと、自己肯定の泥を吐く。どこまでも、自分は、自分のこころを思いのままにコントロールして満足したいのだ。
どちらに転んでも、「まかせられない存在」であることに違いはない。この「まかせられない」という地点のみが、「まかせよ」を聞く場所なのだ。誤解を承知で言えば、徹底して「まかせられない」という姿こそが、徹底して「まかせた」姿なのだ。
「動詞」の表層は、「能動詞」に見えても、深層の〈真実〉は「受動詞」だったのだ。
自己の深層へと続く地下室のドアを開ける。そして、その階段を一歩一歩降りていこう。