第19回静岡親鸞講座(2025年6月4日)の質問&感想に応えて

1、「往生」と「臨終」について、先生のお考えをお聞かせください。

武田→
「往生」と「臨終」の違いを考えると、「臨終」に比べて、「往生」は広い意味を持っていると思います。「臨終」とは、極めて生理的なイメージの言葉ではないでしょうか。例えば、『歎異抄』第16条の、「いずるいき、いるいきをまたずしておわる」(聖典p637)とか、『御文』第二帖の「人間は、いずるいきはいるをまたぬならいなり。」(聖典p784)というような「イメージ言語」です。
 それに比べて、「往生」はもっと広い意味をイメージさせます。それこそ「臨終」と同義語でも使われますし、もっと実存的な意味でも使われます。『歎異抄』第二条では、「おのおの十余か国のさかいをこえて、身命をかえりみずして、たずねきたらしめたまう御こころざし、ひとえに往生極楽のみちをといきかんがためなり。」と述べられ、私たちの人生の意味を「往生極楽のみちをといきかんがため」という言葉で暗示しています。また、親鸞聖人は、「往生」をキーワードにして、「双樹林下往生(そうじゅりんげおうじょう)」、「難思往生」、「難思議往生」という「信仰概念」にまで育て上げ、〈真・宗〉を明らかにしようとされています。
 まあこれは、「往生」と「臨終」の語義的な意味の違いです。これを違った角度から述べてみましょう。それは「時間論」の視点です。(これは、詳しくお話の中で展開しました)「往生」と「臨終」を「通時的時間」で考えるのか、それとも、「共時的時間」で考えるのかです。「通時的時間」とは、「常識的時間」ですから、私たちには馴染み深く、肌に染みついています。つまり、「時間」を「流れ」として感覚する観念です。時間は、過去から現在へ、現在から未来へと流れるイメージです。この「通時的時間」で受け取れば、「往生」も「臨終」も、やがて近い将来の何処かの時点で迎えることだとイメージされます。
 しかし、「共時的時間」で受け取れば、「臨終」も「往生」も、次の一瞬にあると考えます。死の可能性は、誰に於いても、次の一瞬にあるのですから。このように受け取ると、「往生」と「臨終」は、〈いま〉の内容になります。
 親鸞聖人は、「臨終」を、「いのちおわらんときまで」(『一念多念文意』聖典p534)と述べています。まあ、厳密に見ると、親鸞がどちらの時間論で考えていたかは分かりませんが、もし「通時的時間」だけで考えていたのであれば、それは〈真・宗〉には適っていません。私は、〈真・宗〉とは、「通時的時間」しか知らなかった人間に、「共時的時間」を開き、「救済論的時間論」で救っていく教えだと思っています。それは「弥陀成仏のこのかたは いまに十劫をへたまえり」(「浄土和讃)」)の〈いま〉を獲ることです。この〈いま〉は、私の知っている「いま」ではなく、常に阿弥陀さんから頂戴する〈いま〉です。阿弥陀さんから頂く〈いま〉は、すべてが「万劫(まんごう)の初事(はつごと)」として〈いま〉です。

2、「浄土は今ここに隣接している」という言葉と、「どこに居ても寝ているところが、極楽の次の間じゃ」という庄松さんの言葉は、同じ意味を含んでいるように思いました。隣接しているという表現がとてもしっくりきました。

武田→ ご質問を頂いた方と、私も同じように感じています。「浄土」は〈いま〉ここのことです。だから、「臨終」は次の一瞬です。〈いま〉以外を人間は生きてはいないのです。しかし、「原理教学」で厳密に考えれば、〈いま〉は阿弥陀さんに属する言葉であって、我々には使うことを許されていません。我々は「過去」にしか生きられませんから。だから、厳密な意味では、〈いま〉は人間には使えない言葉であり、私たちは、相変わらず「通時的時間」観念に縛られているのです。
 ですから、本当は、「共時的時間」を主張することは越権行為なのです。しかし、この越権を犯すこと以外に〈真・宗〉を言語表現することはできません。
 そもそも、「阿弥陀」という名前を付けたこと自体が越権行為です。人間を超越したものを、人間が命名することは原理的にできません。それであっても、親鸞聖人は、「十方微塵世界(じっぽうみじんせかい)の 念仏の衆生をみそなわし 摂取(せっしゅ)してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる」(「浄土和讃」聖典p486)と詠っておられます。「阿弥陀となづけたてまつる」とは、凡夫の自分が、凡夫を超越したものを、本来、名づけることなどできるわけがありません。超越したものにレッテルを貼り、それを人間が「観念」としてもてあそぶことになりますからね。『旧約聖書』でも、神はこう言っています。「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。主はその名をみだりに唱える者を罰せずにはおかない。」と戒めています。超越者を超越者でないものが、みだりに口にすべきではないと言う禁止事項です。
 それなのに、我々は「阿弥陀」と名づけているのです。これは本来、犯してはならない罪を犯しているということです。親鸞は、この罪に対して、実に畏れ多いことをしてしまっているのだと自覚して、懺悔されているのです。それが「なづけたてまつる」という言葉に含意されています。本来、口にすべきではないし、してはならない言葉が「阿弥陀」なのです。ですから、仮に「阿弥陀」と名づけさせていただくのだという言い方になるのです。
 しかし、もし超越者が超越者のままであれば、人間に「救い」は起こりません。「阿弥陀さん」と人間がふれ合えなければ、我々に「救い」はないのです。それで、あえて阿弥陀さんは、それを「よし」と受け入れられているのだと思います。ちょうど、円空仏(えいんくうぶつ)をオモチャにしていた子供たちを彷彿とします。泥だらけにされて、子供のオモチャにされても、円空仏は、にこやかに笑っておられるようです。
 どれだけ人間の手垢にまみれようとも、それで「よし」と言うのは、心底、阿弥陀さんが人間を信頼しておられるからだと思います。それで、阿弥陀さんは全身を人間に投げ与えたのです。それが「方便」としての「南無阿弥陀仏」だとご存じだからです。どれほど、「阿弥陀」の名を呼んでも、それは「真実の阿弥陀」ではありません。また指一本も〈真実〉には触れ得ないのだから、どれほど私の名を呼んでもかまわないと、「阿弥陀さん」はおっしゃっているようです。それもこれもお前一人の「救い」のためであり、そのために、あえて「阿弥陀」という名となろうと、身投げされたのだと思います。
 この御名(みな)を契機にしなければ、私たちは救われません。「南無阿弥陀仏」は、私たちが救われるための法則を凝縮した記号です。ここに、自分の名前を契機にして、人間に「救い」を届けようとされている阿弥陀さんの深い悲愛を感じます。人間に実感できる形にまで、身を落とされたのは、私たちを救うためであります。その「救い」とは、変な言い方ですが、〈真実〉の阿弥陀さんには指一本触れることができないという目覚めです。この目覚めを与えることによって、人間を解放するのです。つまり、人間は人間的な関心で、勝手に阿弥陀さん像をイメージし、それが〈真実〉の阿弥陀さんだと錯覚し、一喜一憂しているのです。それは人間の世界の中のことです。浄土とは絶縁しているのです。 ところが、絶縁とは、「絶望」という意味ではありません。「阿弥陀さん」は、あえて絶縁することで、人間を救おうとされるのです。これも変な言い方ですが、言ってみます。いままで「分からない、分からない」と言って不安になっていた者を、「分からなくてよかった」と安心した者にするのが阿弥陀さんです。それが、「難思」が「難思議」へと転じる世界です。

3、阿弥陀さん不要論。「阿弥陀さんなくても生きてこれたしな」と思ったりもします。「一人で生きていける?一人で生きている」という思いがあるのか、そういう思い違いなのか?どう考えたらよいでしょうか?

武田→ まあ、「阿弥陀さんなど、なくても生きられる」という思いが「罪」だと感じ取れるのは、そのひとが、もうすでに信仰にあるからです。信仰にないひとは、そんなものは、「罪」にも感じることはありません。そもそも、「阿弥陀さん」など、あってもなくてもどうでもよいことなのですから。
 私たちの「思い」は、何でも「思い」ます。ですから、「自分は一人で生きていける」ということも「思い」ます。でもちょっと怪我でもして不自由になれば、他人の世話になり、やはり、自分一人の力では生きていけないなとも、「思い」ます。
 仏教は、「縁起」を説きます。「縁起」とは、「関係性」のことです。つまり、この世は持ちつ持たれつであって、無量無数の因縁の網の目で成り立っているのです。ですから、何事もご縁、としか言えません。
 厳密に言えば、「思い」は、「宿業」にもよおされて、なんでも「思い」ます。そもそも、「自分」というものがあると「思って」もいます。しかし、「自分」などという実体は、存在しないのです。「自分」は無量無数の関係性で、仮に成り立っているだけのものですから。ただ、「自分」という「思い」があるだけです。だから、事実は「縁起」以外にありません。
 ところが、「自分」という「思い」があるものですから、別に「阿弥陀さんなどいなくても、自分は生きていける」と「思い込んで」しまうのです。それを私は「阿弥陀さん不要論」と呼んでいます。
 この辺のことについて、親鸞聖人はお手紙(『御消息集』)で、丁寧に語られています。「もとは、無明(むみょう)のさけにえいふして、貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・愚痴(ぐち)の三毒(さんどく)をのみ、このみめしおうてそうらいつるに、仏(ぶつ)の御(おん)ちかいをききはじめしより、無明(むみょう)のえいも、ようようすこしずつさめ、三毒(さんどく)をもすこしずつこのまずして、阿弥陀仏(あみだぶつ)のくすりをつねにこのみめす身(み)となりておわしましおうてそうろうぞかし。」(聖典p561)
「もとは」とは、「元々は」とか「当初は」という意味で、「〈真・宗〉にご縁が生まれる前は」という意味でしょう。その頃は、毒のような煩悩そのもので生きているので、煩悩で感じられたものしか愉しみとは感じません。ところが、阿弥陀さんと縁を結び、〈真・宗〉の教えを聞き始めると、ようやくいままで煩悩で狂わされていたことに気づき、煩悩を対象化する覚醒の薬、つまり阿弥陀さんの教えを尊く感じるようになるのです。このお手紙をこのように読めば、自分の実情を丁寧に語られているように感じます。これは門弟たちに向かって語っているのですが、親鸞聖人ご自身の信仰の歴程を振り返りながら披瀝されているのでしょう。
 ですから、「阿弥陀仏のくすり」を「このみめす身」となってみなければ、「仏智疑惑」が、最も重い罪だとは分かりません。それだからと言って、煩悩を捨てることもできませんから、相変わらず、自分は、「阿弥陀さんなどなくても、自分の力で生きていける」と思っています。こう思うのは、煩悩が激しく自分を動かしている証拠です。このように煩悩のはたらきを見えるように教えて下さるのが阿弥陀さんです。こうやって、阿弥陀さんの教育を受ける自己が誕生するのです。自分の前には、阿弥陀さんしかおられません。この阿弥陀さんと対話をすることだけが、人間の仕事だと思っています。

4、人間が感じる程度の「悪」(善?)しか見つけることができない。そのように考えたことがありませんでした。どこかで善も悪も分かっていると考えていました。ご指摘ありがとう御座います。阿弥陀様のはたらきは本当にそうか?と常に問いかけてくれているのでしょうか?

武田→ このご質問も、前のかたの質問と繋がっていますね。曇鸞大師は、法律的な「犯罪」以上に、「仏智疑惑」の罪が重たいと言っています。親鸞も牛盗人よりも、仏法者と見えるようにふるまうことの方が罪が深いと『改邪鈔』で言っています。これは信仰の眼が見出した罪です。世間的な眼では見えない罪です。
「仏智疑惑」とは、阿弥陀さん不要論です。阿弥陀さんなどいなくても、自分は自分の力で生きていけます、という「思い」です。つまり、これは世間的に言えば、「常識」でしょう。娑婆は「自己責任」を追求する場所です。「何をしてもよいが、他人様に迷惑だけはかけるな」、「自分でやったことは、すべて自分が責任を負っていくべきだ」という論理です。この論理は、まっとうであり、正しい考え方だと見えてしまうのが、娑婆の眼です。
 これで何も問題はないはずなのに、これが間に合わないことに出くわすのです。そこから「阿弥陀仏のくすり」を好む自分が調教されていくのです。

5、安田先生の仏と衆生との関係は、「完全者と未完全者の関係」ではなく…仏と衆生との関係は、「完全なるものと完全なるものとの関係」である。とても大切な言葉に感じました。衆生は煩悩具足で聞くものとして完全ということなのかと思いました。

武田→ 私たちは、いつの間にか、「仏」は完全者、「衆生」は不完全者という観念を作り上げてしまいます。まあ、その「仏」もお釈迦様をイメージしてみたり、阿弥陀さんをイメージしてみたり、あるいは、具体的なイメージはなくても、「仏さんは絶大で、自分は劣等な者である」という劣等観念で教えを聞いてしまいます。この劣等観念が「奴隷」を生みます。安田理深先生は、次のように言われます。
「人間が人間以上のものを頼むという形を持つ信仰は、それは結局、神といおうが仏といおうが、奴隷になるよりほかはないであろう。それは人間を救うものではない。本当に本願に目覚めた者は、仏に頼ることのないものであり、如何なるものにも頼らないのである。我にも頼らない。如来が我となるという自覚、如来こそ我なる自覚において、一切衆生と苦悩を共にする。これが信仰の面目というものであろう。」(『安田理深選集』第10巻p223) ここで、「人間以上のものを頼む」という観念が「奴隷」を生む観念だと教えられています。この観念を超えて、「仏に頼ることのないものであり、如何なるものにも頼らないのである。我にも頼らない。」という自律した信仰が〈真・宗〉でしょう。私は、それを「相互救済」という言葉でいただいております。つまり、「我を助けずんば仏ならず、仏を助けずんば我ならず」です。どちらか一方が「救済」の対象ではありません。仏と我が同時に救われることが、〈真・宗〉の「救済論」なのです。

6、以前から疑問に思っていたのですが、亡き人が浄土に帰っていくという表現がありますが、浄土往生という時、人の何が往生するのか?また私自身は往生したいと思っているのか?という思いもあります。ご意見いただけますでしょうか?

武田→ あなたの、「人の何が往生するのか?」という疑問の中に、すでに答えが包まれています。こういう疑問が起こって来るこころの構造を問えばすぐに分かります。あなたが、なぜこのような疑問をお持ちになったのでしょうか? それを考えると、おそらく、ご自分を「身心二元論」を元にしてお考えだからだと思います。「自分」というものは、「身体」と「精神」の二つで出来上がっていて、そのうちの「身体」なのか、「精神」なのか。もっと言えば、「タマシイ」みたいなものがあって、それが「臨終」のときに分離して、浄土へ往生するとお考えなのではないでしょうか。ですから、「人の何が往生するのか?」という疑問が起こるのでしょう。「何が?」と問うということは、自分をパーツのようなものとして考えているということです。そして、「どのパーツが往生するのですか?」と問うているのです。
 また「往生」とは、この娑婆のいのちが終わったら、何かが分離されて、その分離されたものが、「浄土」なる他界に往くとお考えかも知れませんね。
 このように分析してみると、自分がどういう発想をしているのかが分かります。そして、これは親鸞聖人が示されるような「往生」と違っていることも分かります。
 そもそも、この発想は、「自分」というものが、「まずある」ということが発想の前提になっています。この「ある自分」が、臨終で何処へ往くのか、また何が往くのかと発想させるのです。
 結論を急げば、「往生」とは何かが往くわけではありませんし、何処かへ往くことでもありません。まあそれを踏まえて譬喩でお答えすれば、「信心が往生する」と言ってもよいかも知れません。しかし、こう言われても、疑問は解けないと思います。
 そこで阿弥陀さんは、そういう「問題関心」をすべて、私に預けなさいとおっしゃっているのです。人間は、自分の「問題関心」であれこれと思い描き、その思い描いたものによって、煩わされ脅かされるのです。ですから、自分の何が往生するのか、また何処へ往くのかという「問題関心」を、根こそぎ阿弥陀さんにお任せして下さい。これが「往生」という言葉の深層の〈真実〉です。
 さらに、「また私自身は往生したいと思っているのか?という思いもあります」とありますが、それはあなたが、「往生」ということをどのように受け止めているかが、ここにあぶり出されています。親鸞聖人の門弟たちは、「往生」が欲しくてならなかったのです。しかし、貴方はそれほど欲しいものではないのでしょう。だから、「自分が往生したいと思っているのかどうか、曖昧だ」とお感じなのでしょう。
 親鸞聖人の門弟たちにとっては、「この世」は苦しみが多く、「浄土」は「極楽」で、安心の世界だと思っているのです。さらに「この世」の時間は短く、「浄土」は遙かに長い、永遠の世界だと思われています。ですから、「この世」が終わったら、「浄土」へ「往生」することが、必須の関心事になっていたのでしょう。親鸞聖人の門弟たちが生きていた時代と比べて、いまの日本は比べものにならないくらい「安心で便利な世界」です。ですから、現代人は浄土へ「往生」したいなどとは思わないのです。ただ、それは、「往生」を、「安心・便利・快適・不便」といった基準で受け取っている「欲界」の話で、「利害損得心」が感じる世界でのことです。
 そうは言っても、親鸞聖人の門弟たちであっても、ギリギリのところに行けば、「久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、いまだうまれざる安養の浄土はこいしからずそうろうこと」(『歎異抄』第九条)だったのだと思います。どれほど、「浄土」が「極楽」だと聞いてはいても、やはり、この苦しみの娑婆に、一秒でも長くしがみつきたいと思うのでしょう。その意味で、現代人も中世の人々も本質は変わらないのです。
 ただ、親鸞聖人がおっしゃる「往生」とは、そういう「問題関心」では見つけられないでしょう。親鸞聖人の言う「往生」とは、「自己の生きる意味」という「問題関心」に於いてのみ応答してくる言葉なのです。「必ず死ぬのに、私はなぜ生きるのか」という「問題関心」です。死んでしまうのに、生きる意味がどこにあるのでしょうか。こういう存在の意味の領域にあるのが「往生」という言葉だと思います。
 もう一つ、付け加えておくべきことがあります。それは、親鸞聖人のお手紙での態度です。お手紙の表現には宛先があります。つまり、門弟に対して出しているのです。そこでは、親鸞聖人の信仰世界が、実に自由に表現されています。これは、「臨床」の物語表現です。『教行信証』に見せる「原理」的表現とは異質だと思います。お手紙には、こうあります。
「親鸞はさきだちまいらせ候わんずらんと、まちまいらせてこそ候いつるに、さきだたせ給い候う事、申すばかりもなく候う。かくしんぼう、ふるとしごろはかならずかならずさきだちてまたせ給い候うらん。かならずかならずまいりあうべく候えば、申すにおよばず候う。かくねんぼうのおおせられて候うよう、すこしも愚老にかわらずおわしまし候えば、かならずかならず一ところへまいりあうべく候う。(略)さきだちまいらせても、まちまいらせ候うべし。」(『御消息拾遺』)
(私、親鸞が先立つであろうと、その時を待ちこそしていたのに、先立っていかれましたこと、申す言葉もありません。覚信坊も先年亡くなりましたが、間違いなく先立ってお浄土でお待ちになっていることでしょう。必ずお二人は出会われるに違いありませんから、何も申すに及びません。また、覚然坊の言われることは、この愚老に少しも変わるものではありませんから、私どもも必ず一つ浄土へまいることでありましょう。(略)私が貴方に先立ちましても、浄土でお待ちしていましょう。(細川行信他『現代の聖典 親鸞書簡集 全四十三通』)
 この「さきだちまいらせても、まちまいらせ候うべし。」とは、あたかも「浄土」を、「この世」を終えた後に往くべき、「他界」のように表現しています。「原理的信仰表現」であれば、「往生」は阿弥陀さんと個人の関係で成立するものですから、他者が、そこに割って入ることはできません。しかし、ここでは、あたかも「他界観念」を元にして「浄土」を語っているようです。これは、矛盾ではなく、「原理」と「臨床」の棲み分けがされているのだと思います。「原理」としては、誰が「浄土」へ往くのか、また往けないのか、それは阿弥陀さんだけがご存じのことです。しかし、それを基礎に置いた上で、「臨床」表現として、「他界観念」を遊んでいるのです。「原理」の基礎づけがしっかりしていれば、それを足場にして、「臨床表現」の世界を自由に遊べる余裕が生まれるのです。