第20回静岡親鸞講座のレジュメをリメイクして、『〈真実〉のデッサン10』に収録することにした。第20回(2025年9月17日)のテーマは、「『往生論』は『時間論』である」だ。これを、まずブログに「先行公開」してみた。
こういうテーマを立てた理由は、「往生」ということが、人間にとって、いったいどういうことなのか。それを仏教という狭い意味空間を俯瞰する、普遍的な意味空間から見たらどうなるのかを考えるためである。そして仏教が語ってきた「往生論」は、普遍的な意味空間から見れば、「時間論」であると提起してみた。つまり、人間にとって「時間」というものはいかなるものなのか、この関心こそ、仏教、特に「浄土教」が「往生論」を説かねばならなかった必然性ではないのか。
それでは、まず、このテーマの山へ分け入るための登山口とも言える「問い」から見ていくことにする。
1■【問い】「捨命已後(しゃみょういご)」また「臨終一念(りんじゅういちねん)の夕(ゆうべ)」という表現は、「死後」のことなのか?■
これら二つの言葉が使われている原典を挙げてみる。
A●信巻(聖典①p217②p244)【善導「観経疏」散善義】これと同じ部分が「化身土巻・聖典①p349②p409」にも引文されている。
「釈迦、一切の凡夫を指勧(しかん)して、この一身(いっしん)を尽くして専念専修(せんねんせんじゅ)して、捨命已後(しゃみょういご)、定(さだ)んで彼(か)の国に生まるれば、即(すなわ)ち十方の諸仏、悉(ことごと)くみな同じく讃(ほ)め、同じく勧め、同じく証(しょう)したまう。何を以ての故に。同体(どうたい)の大悲(だいひ)なるが故に。」
【現代語訳】
「釈尊はすべての凡夫に対して、命ある限り、ひとすじに念仏して、命終れば間違いなく阿弥陀仏の国に生まれることを示してお勧めになるが、すべての世界の仏がたもみなこれと同じようにほめたたえ、同じように勧め、同じように証明されるのである。なぜならそれらは、同じさとりからおこる大いなる慈悲のはたらきだからである。」(『浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証紋類―現代語版―』本願寺出版社)
B●『教行信証』信巻(①聖典p250②p284)【御自釈】
「真(まこと)に知りぬ。弥勒大士(みろくだいじ)、等覚金剛心(とうがくこんごうしん)を窮(きわ)むるが故に、龍華三会(りゅうげさんね)の暁(あかつき)、当(まさ)に無上覚位(むじょうかくい)を極(きわ)むべし。念仏衆生(ねんぶつしゅじょう)は、横超(おうちょう)の金剛心(こんごうしん)を窮(きわ)むるが故に、臨終一念(りんじゅういちねん)の夕(ゆうべ)、大般涅槃(だいはつねはん)を超証(ちょうしょう)す。故(かるがゆえ)に「便同(べんどう)」と曰(い)うなり。」
【現代語訳】
「いま、まことに知ることができた。弥勒菩薩は等覚の金剛心を得ているから、竜華三会のときに、この上ないさとりを開くのである。念仏の衆生は他力の金剛心を得ているから、この世の命を終えて浄土に生まれ、たちまちに完全なさとりを開く。だから、すなわち弥勒菩薩と同じ位であるというのである。」
【註】 等覚「仏因円満した正覚に等しい位で仏陀の一歩手前にあるもの。菩薩五十二位の修道(しゅうどう)階位(かいい)の第五十一位。」
竜華三会「弥勒菩薩が釈尊滅後五十六億七千万年(しちせんまんねん)の後に竜華樹(りゅうげじゅ)の下でさとりを開き、大衆
の前で三回説法すること。」
2■「言語」は三つの意味空間を持っている■
この文章を読むに当たっての前提について注意しておかねばならないことを語っておく。
Aの原文は、唐の善導大師が書かれた文章である。つまり、善導大師が「捨命已後(しゃみょういご)」という言葉を使った真意は、善導大師でなければ分からないことである。しかし、この文章を親鸞が『教行信証』に引用している。だから、善導の文章を理解して、ここに引用したのだろう。だが、いくら親鸞が引用したものであっても、それは親鸞が受け止めた限りの「善導」であり、「善導」本人の理解とズレていないという保証はない。つまり、この言葉が存在している意味空間は、二つに重なっているということだ。第一は善導の意味空間、そして第二は親鸞の意味空間である。さらにそれを現代人の私が読むと言ったときに、もう一つの意味空間が表われる。『教行信証』に引用される文章を読むときには、必ず三つの意味空間が重なっていることを意識しなければならない。
これを意識しておかないと、間違いを犯すことになる。どんな間違いか。それは、自分の見方が、そのまま善導や親鸞の見方と同じであると考えてしまう間違いである。
Bの文章は、親鸞が直接書いた部分なので、意味空間は二つである。第一の意味空間は親鸞の意味空間、そして第二の意味空間は、それを読む私の意味空間だ。特に現代でも使われている用語は、危ない。危ないというのは、中世の親鸞が書いた言葉を、そのまま現代人の私が受け止めた意味と同じだと即断してしまうことだ。親鸞の言葉の真意を、ある程度までは推し量ることができても、ピッタリと重なることはないだろう。そこで、私は、よく、こんな言い方をする。「どこまで推測して語っても、本当のところは、親鸞に聞いてみないと分かりませんから」と。あたかも現代人の私が思ったことと、親鸞が思ったことが同じだと錯覚することほど危険なことはないと思われる。この意味空間への目配りが、この二つの文章を読むための注意事項である。
3■【問題へのアプローチ】
この「捨命已後」、あるいは「臨終一念の夕」という「教言」をどう解釈するか?
我々は、その二つの表現を読んだとき、それを、そのままストレートに、何の疑いもなく、「死(死後)」のことだと考え、分かったことにしてしまう。
しかし、我々は「死」、あるいは「死後」を正確に知っているのだろうか?そうやって揺さぶりを掛けてくるのが、池田晶子の、この文章だ。
(『死とは何か さて死んだのは誰なのか』毎日新聞出版2009年4月7日第一刷発行 2024年4月5日第7刷発行)
「一人称の死というものがあります。これはよく考えると確かに誰でもわかりますけれども、経験できないものです。一人称の死は自分では経験できない。当然ですね。自分の死体というものは見られないわけです。つまり、死が存在するときに私は存在していないし、私が存在するときには死は存在していない。これは完全に論理です。つまり、私が存在していないということは、死は無いということ。一人称の死は存在しない、無いということが明らかにわかります。
次に、二人称の死を考えてみます。二人称というのは親しい人の死、知っている人の死です。たとえば、親しい人が道端で死んでいればとりすがって泣きます。三人称の知らない人にはあまりそういうことはしません。二人称と三人称の間では、まったく違う心の動きがあります。(略)
で、三人称の死。これが(略)いちばん一般的な死であって、現象的な死という意味ですけれども、死体として存在しています。一般的な死です。これは誰それさんが死んだという言い方で、我々は納得します。
こうやって、三つにわけてみただけでも、どれが正しい死なのか、ということは決められない、哲学的にもよくわからない。考えていくと、この生死の境目というのは非常に不明瞭なもので、わからないのです。にもかかわらず、我々は日常、毎日、生きるの死ぬのと、そのことを知っていることのように言っています。そう言えるのはなぜなのかということですよ。
たぶんそれは、他人が死ぬのを見て死がわかった、死を見た、死を知っていると思ってしまう錯覚だと思います。なぜならば、死がわかったと思うそのときに、じゃあその死とは何かというふうにひっくり返って考えると、必ずこんなふうにわからなくなってくるからです。
自分が死というものを全くわかっていないということを、わからないままに、我々が生きるの死ぬのと平気で言っているのは、日常に存在する死体、つまり、動いていないものと定義していいと思いますけれども、死体を見て、それを死と呼んでいる。動いているものを、生きている人と見て、生と呼んでいる。呼び名として、そうなっているだけだということがわかります。
つまり、これは非常に唐突に聞こえると思うのですけれども、言葉です。生死というのは、じつは言葉なんです。言葉がなければ生死は存在しないのです。なぜならば、考えていくと、生死の境目はどこにもない。そういう境目のない現象を言葉が分けているからです。だから生死は言葉なのです。」(p231~p233・傍線は武田)
池田は、まず「一人称の死は自分では経験できない」と言う。それは〈真実〉だ。死を体験するということは、「これが死ぬということか」と分からなければならない。しかし、脳などの生理機能が停止しているとすると、死を「対象的(自覚的)」に知ることはできない。
4■「他者」の「死」を学ぶこと以外に、人間には「死」を知る方法はない■
それでは、どのように人間は「死」を知ったのだろう。
それに答える文章が、「他人が死ぬのを見て死がわかった、死を見た、死を知っていると思ってしまう錯覚だと思います。」だ。つまり、人間は、「二人称の死」か「三人称の死」、要するに「他者の死」を見て、「死」というものを学んだのだ。ということは、「死」は「生理的なもの」でも、「客観的なもの」でもなく、人間の「解釈」である。それを池田は、「錯覚」と言っている。「錯覚」というのは、「人間的解釈」のことを言っている。だから、「死」を学ぶ前の幼児には、「死」は存在しないに等しい。「死」という「観念」が、まだ未成熟だからだ。大人は、自分が「死」を学習する課程で「死」を知ったことを、すでに忘れてしまっているので、「死」が、あたかも「生理的なもの」であり、「客観的なもの」だと見えてしまう。それはまさに「錯覚」なのだ。人間にとって「死」とは学ばなければ分からない〈意味〉なのだ。池田が盛んに「言葉」というのは、〈意味〉のことである。
5■「死」=「往生」ではない■
以前の私は、それを「錯覚」とも知らず、この観念を当てはめて、「往生」ということも考えていた。つまり、「死」ぬことは、「生理的なもの」であり、「客観的なもの」であるけれども、浄土真宗では、その「死」を「死」とは言わず、「往生」と意味付けるのだと思っていた。「死」を「往生」と命名するのだと考えていた。この考え方をするひとは、浄土真宗に関係するひとたちには多い。と言うか、ほとんどが、この考え方になっているように見える。この考えだと、まだ「自分は死を知っている」という観念が解体されていない。そして「自分は死を知っている」という観念と、「往生」という観念を結び付けているに過ぎない。ここに楔(くさび)を打つのが〈真・宗〉だ。
6■他の生き物にも、「死」は存在しない■
もっと言えば、人間は「他者の死」を見て「死」を学ぶことによって、「死がある」と分かるのだから、学習することのない他の生物にとって、「死」は存在しないに等しい。まあ他の生物になってみたことがないので、本当のところは分からないのだが、おそらく「死」は存在しないだろう。
「人間から見れば」という条件付きで考えてみると、他の生き物は「死んでいるように見える」のだ。猫が死に魚が死に鳥が死ぬ。あたかもそれが「真実の死」であるかのように「人間には」見えてしまう。しかし、それは「人間が人間的に見て」、そのように言っているだけであって、猫や魚や鳥自身は「死」を知らないのだから、彼ら自身には「死」は無いのだ。
「死」というものは、人間以外には存在しない特殊な〈意味〉である。そしてその「死」も厳密に見ていくと、誰も体験したことがない。つまり、「二人称か三人称の死」以外を知らないのだ。
7■「死」を知らないということは、本当には「生」も知らないということ■
もっと突っ込んで考えれば、「死」の反対にある「生」も曖昧なものだ。池田も、こんなふうに言っている。「生とは、死に対するところのものである。死があるから生なのであり、生があるから死もあるのである。ところが、物質ではない死は、無として存在しないものなのであった。死が存在しないとすると、当然、生もまた存在しないはずである。しかし、現に我々は「生きている」。これは、どういうことなのか。
つまり、「生」または「死」とは、それ自体が言葉だということだ。(略)「生物」「生命」「生きている」という概念は、我々がそう思っているほど自明なものでは全然ないのである。私は不思議で仕方がない。」(同書p130)
仏教も、「いのち」を「生死」という言葉で語ってきた。それは「生と死」とは切り離せないものであることを言おうとしているのだ。生者(人間一般)は「生」と「死」は別物だと考えたい。しかし、この二つは「紙の表裏」のような関係にあるので、本質は同じことなのだ。そこで、私は以前から「」という文字を作って、これを「いのち」と呼びましょうと主張している。この文字を目にした途端に、私たちの頭は混乱を起こす。なぜ「生」に「死」がくっついているのか、と。この混乱が、自分の「」と向き合うための最初の突破口なのだ。
8■〈真・宗〉は「死なない」宗教」■
そこで、私は「〈真・宗〉は『死なない』宗教」という文章を書いて、問題提起をしてみた。これを2021年4月1日発行の『東京教報」第180号の巻頭言のテーマにした。『東京教報』とは真宗大谷派東京教区が年二回出している官報である。
本文は、こう始まっている。
「死なない」とは不老不死の意味ではない。そのために「死なない」と括弧を付けた。
以前、私はこのように理解していた。「人間ばかりでなく、すべての生き物は死ぬ。死は生理的なことで誰も逃れることができない。それでも真宗は、ひとが亡くなることを『死ぬ』とは言わず、『往生する』と表現するのだ」と。
この理解では、「死ぬ」ことが自明の出来事になっている。自分は「死ぬ」ことを知っているが、それを真宗では「死ぬ」とは言わず「往生すると意味づける」のだと思っていた。しかしそれが間違いだと気付いた。自分は「死」を完全には知らないからだ。自分が知っている「死」は二人称、あるいは三人称の死であり、「一人称の死」では決してない。自分はまだ「死」を体験したことがないのに、「死」が何かを知っているという思い上がりがそこに潜んでいる。この思い上がりでイメージされた「死」は、「暗く、冷たく、寂しい」ものだ。なぜそう感じるかと言えば、他者の「死」を〈利害損得心〉で見て、「死」をイメージするからだ。親鸞は、この思い上がりから生まれるイメージの解体を「往生」という言葉で直感したのではないか。
さらに親鸞は、それを「断」という強烈な言葉で提示する。「『断』と言うは、往相(おうそう)の一心を発起(ほっき)するがゆえに、生(しょう)として当(まさ)に受くべき生なし。趣(しゅ)としてまた到るべき趣なし。」(『教行信証』(信巻)聖典p244)と。往生とは、死んで他の生き物に生まれ変わるとか、理想の他界や地獄に生まれることでは、まったくないという意味だ。しかし、そう言われても、まだ体験したことのない自分の「死」を、あれこれとイメージしてしまうのも偽らざるところだ。たとえそうであってもよいのだ。そのイメージが沸き起こる度に、「往生は、弥陀に、はからわれまいらせてすることなれば、わがはからいなるべからず。」(歎異抄・聖典p637)と断じようとして阿弥陀さんが関わって下さるから。自分が知っている「死」のイメージが完全に解体される「臨終の一念」に到るまで。」(本文終わり)
9■「死」とは煩悩が考える、人間限定の特殊な〈意味〉である■
私は、「死」を学ぶときにはたらくものが、「煩悩」だと発見した。それは「貪欲(とんよく)rāga」であり、「利害損得心」と名づけた。この「煩悩」で学ぶので、「死」を「暗く、冷たく、寂しい」などというイメージと結び付けてしまう。「貪欲」は「生が幸福、死は不幸」と差別する原動力である。『歎異抄』(第9条)も、「いささか所労のこともあれば、死なんずるやらんとこころぼそくおぼゆることも、煩悩の所為なり。」(聖典p629)と述べている。ちょっと病気でもすれば、このまま死ぬかも知れないと心細くなるのも、「煩悩」の感じ取らせるものなのだと言う。本来、「無い」はずの「死」を、「有る」と錯覚し、さらに、その観念自身に脅かされる。この脅かしの観念を払拭するために、親鸞は「断」という厳しい言葉に注目したのではないか。
どうしても、「煩悩(貪欲)は、生の時間を延長させて「死」をイメージしてしまう。さらに、「死」んだら、「浄土(極楽)」へ往くのはよいが、「地獄」は苦しみの場所だから往きたくないと思う。「浄土」と「地獄」を取捨選択しているものが「煩悩(利害損得心)」である。その「観念」を「頓(とん)」(たちまち)に解体することによって、「死後」どこにも生まれないという「意味空間」を開いた。もっと丁寧に言えば、「死後どこかに生まれるわけではないし、生まれないわけでもない」という両極を否定した「意味空間」を開いた、これを「往生」という言葉で暗示したのではないか。
10■「原理(基礎=真実)」と「臨床(応用=方便)」の二重性■
しかし、もう一つ考えておかなければならない問題がある。それでは、果たして、親鸞は、「断」を、「現在」に「迷いの世界の輪廻を断絶し」たが、「未来(死後)」に「浄土へ生まれる」と、まったく考えていなかったのかという問題だ。つまり、「死後」に「迷いの世界」ではなく、「浄土」へ生まれるという「往生観」を持っていなかったのかという問題だ。もっと言えば「現在(現生(げんしょう))」ではなく、「未来(臨終)」に於いて、「浄土」に生まれると考えていたのかどうか。
そう考えていたとすると、その典型的な表現が、『末灯鈔』(聖典p607)の、この文章だ。
「この身はいまはとしきわまりてそうらえば、さだめてさきだちて往生しそうらわんずれば、浄土にてかならずかならずまちまいらせそうろうべし。」
「わたしは今はもうすっかり年老いてしまい、きっとあなたより先に往生するでしょうから、浄土で必ずあなたをお待ちしております。」(『浄土真宗聖典 親鸞聖人御消息 恵信尼消息―現代語版―』本願寺出版社)
この表現は、先に引用した『教行信証』の意味空間とは違っている。『教行信証』の表現が「原理教学」だとすれば、この「消息」の表現は「臨床教学」の次元にある。
だから、この違いがはっきり見抜けないと、親鸞が矛盾したことを言っているように見えてしまう。つまり、「現在(現生)」ではなく、「未来(臨終)」に「浄土」へ生まれることを容認するとなると、それは、親鸞自身の批判する「諸行往生観」になってしまう。『末灯鈔』では、「真実信心(しんじつしんじん)の行人(ぎょうにん)は、摂取不捨(せっしゅふしゃ)のゆえに、正定聚(しょうじょうじゅ)のくらいに住す。このゆえに、臨終(りんじゅう)まつことなし、来迎(らいこう)たのむことなし。信心のさだまるとき、往生またさだまるなり。来迎(らいこう)の儀式をまたず。」(聖典p600)と親鸞は述べている。この「臨終(りんじゅう)まつことなし、来迎(らいこう)たのむことなし」とは、「現在(現生)」ではなく、「未来(臨終)」に「浄土」へ生まれることを祈る発想を否定していると読める。それで、「信心のさだまるとき、往生またさだまるなり。来迎(らいこう)の儀式をまたず。」と述べているのだろう。つまり、「現在(現生)」に「信心」が「定まった」とき、「往生」が「定まる」のであって、来たるべき未来のどこかの時点で起こるであろう「臨終」に期待することではないと。
11■「往生」は「未来(臨終)」か、「現在」か■
しかし、ここのところで理解が二つに分かれる。一つは、「信心」が、「現在(現生)」に「定まる」とき、「往生も定まる」と言っているのであって、「往生」はあくまでも「未来」である。「信心」は「現在」に成り立ち、「往生」は「未来」に成り立つ。「定まる」ということは、未来に於いて成り立つであろう「往生」への道が、「現在(現生)」で「定まる」のであり、「現在(現生)」で「往生した」と考えてはならない。このような考え方が一つ。
もう一方の考え方は、「往生」を未来の時点に、つまり、「臨終時」に見るのではなく、「現在(現生)」の「信心」の内容として考えようとするものだ。
12■「臨終往生説」か「現生往生説」か問題■
これは2017年頃、小谷信千代氏と長谷正當氏の間で展開された、「臨終往生説」か「現生往生説」かという対論を生んだ問題関心である。
私は、この問題関心の出所が、どこにあるのかを考えた。そして、親鸞の「往生観」を考えるとき、「現在(現生)」か「未来(臨終時)」かという「用語」だけでは、この問題の核心に迫ることができないと判明した。
「臨終往生説」のひとが、「往生は現在のことではなく、臨終のことだ」と主張しても、また「現生往生説」のひとが、「往生は現在のことであり、臨終のことではない」と主張したとしても、お互いが考えている「現在」、「臨終」とはどのような「時間論」をベースにしているのかを考えなければならないのだ。つまり、「往生」という問題関心は、「時間論」の問題として考えなければならないことなのである。
13■「通時的時間観念」と「共時的時間論」の関係
「死」は「客観的なもの」でも、「生理的なもの」でもなく、「死」は「観念」としてしか存在しないことが分かったと思う。その「観念」は、「時間」をどう考えるかということと深く繋がっている。つまり、「捨命已後」を「臨終(死後)」だと「常識的」に受け止める考え方も、ある種の「時間論」を元にして考えられたものなのである。そんなものは「時間論」でもなんでもなく、誰でもが分かる「事実(常識)」ではないかと思うかも知れない。しかし、それは違う。私たちが、「客観的な現実」だと感じている「時間」こそ、「観念(意味現象)」である。
私も、この問題を考え始めた当初は、「時間」などは「客観的なもの」であり、「物理的なもの」だと思い込んでいた。しかし、いろいろと「時間論」に関する書物に学んでみると、「時間」は、人間だけが感じ取ることのできる、特殊な「意味現象」だと分かった。人間以外の生き物に「死」がないのと同じように、他の生き物には「時間」がないのだ。
私は、私たちが「常識的」に感じている時間を、「通時的時間」と呼んでいる。これは、「時間」とは、「過去→現在→未来」へと流れるものであるという「観念」だ。
時計の秒針は時々刻々と秒を刻んでいる。川の流れは、上流から下流へと留まることなく流れている。これらの「事実」は、それを見ているひとにとっては、「現在ただいまの事実」として感じ取られる。これは「認識」ということだから、間違いなく「現在」の経験である。しかし、少し時間が経ってから、思い返してみると、先ほど見た秒針は、すでに「過去の秒針」であり、私たちはそれを「想起」するという仕方以外では感じ取れない。「現在」というものは、あっという間に「知覚」をすり抜け、「想起」した「過去」に飲み込まれていく。
この「通時的時間」とは、「流れる時間」とも言えるかも知れない。図にするとこうな
る。(※ブログには、上手く表現できません)
【通時的時間(観念)】
未来 ←現在 ←過去
いま
これは、私たちが普段、慣れ親しんでいる「時間観念」なので、これを「対象化」して「時間観念」だと、普段は気づくこともない。いわば、「無色透明」であり、「客観的なもの」として感じられている。ところが、これは人間特有の「時間観念」なのだ。
いま述べた、「臨終往生説」の主張者も、「現生往生説」の主張者も、共にこの「時間観念」には無自覚である。無自覚であるということは、この「通時的時間(観念)」をベースに使って、「臨終」か「現生」かと論じ合っているのだ。使っていることに無自覚だから、そこから普遍的な真理に近づくことは難しいと思われる。
この図に「臨終」と「現生」を付け加えてみよう。
【通時的時間(観念)】
臨終 ← 未来 ← 現在(獲信) ← 過去
いま
現生
これだと、「現在(現生)」は「獲信(正定聚)」であり、未来のどこかに「臨終」を考えることになる。親鸞も、そういうように考えていたのかも知れない。だから親鸞は、一応、「臨終往生説」だと主張することもできる。これで何も問題がないはずなのだが、困ったことが起こる。それは、「現在(現生)」は「獲信(正定聚)」であり、「未来」のいつかに「臨終」と考えると、その「いつか」を何処に設定するかという問題が起こってくる。
『歎異抄』(第16条)は、「ひとのいのちは、いずるいき、いるいきをまたずしておわることなれば」(聖典p637)とあり、「臨終」は、つねに一瞬先の目の前にあると言う。
そもそも、人間にとって「死」の可能性は、つねに一瞬先にある。自分自身では、そんなことはつゆほども思わないが、いのちの事実は、つねに一瞬先の「死」に直面しているではないか。これは〈真実〉だ。それこそ「ご臨終間近の病人」にしても、「健康なアスリート」にしても、「死」の可能性は、平等に「一瞬先」のはずだ。「死の縁、無量なり」(『執持鈔』聖典p647)とは、まさにそのことを言っている。「死の縁」は、次の一瞬にあるのだが、それを知らされていないのが人間である。
この視点を入れ込んで考えてみると、「未来」のいつかと考えていた「臨終」が、「現生」にくっついてしまう。次の一瞬に「臨終」があるのだから、それは「現生」と密着する。敷衍すれば、「臨終往生説」とは、「現生往生説」と何も矛盾しないことになるのだ。
ただ、「臨終往生説」のひとは、これを認めないだろう。「現在(現生)」に「獲信(正定聚)」があり、やがて「未来」のどこかに「臨終」と考えるだろう。しかし、「現在(現生)」で「獲信(正定聚)」があり、「未来」のどこかに「臨終」と考えると、二段階論的発想になってしまう。これが「一益・二益」の問題を生む源泉だが、ここでは触れないでおく。
そしてこの二段階論的発想を延長すると、親鸞の批判した「諸行往生観」に通底してしまう。親鸞が、「臨終(りんじゅう)まつことなし、来迎(らいこう)たのむことなし」と表現したのは、二段階論的発想を用いて、「往生」の完成を、「未来」のどこかで起こるであろう「臨終」に期待することへの批判ではないか。
14■「現生往生説」の問題■
それでは、「現生往生説」には、問題がないのか。長谷正當氏は、「往生は、信を得たときに始まり、その究極において成仏に至る道を歩むこととなる。そのとき、往生の道は現生を貫いて死後に至るものとなり、「信を獲た」ときと、「臨終一念の夕べにおいて大般涅槃を超証する」ときとは、往生という一本の道において繋がってくるのである。」(『親鸞の往生と回向の思想 ―道としての往生と表現としての回向―』方丈堂出版2018年6月25日初版第一刷発行)と述べている。
ここには、安富信哉氏の「点的往生理解と線的往生理解」という表現も載せられている。それを踏まえて、長谷氏は、「往生は点的には捉えられず、道として捉えられてくる」とも述べている。言えば、「現在(現生)」で、「獲信(正定聚)」したことが、「往生」の始点であり、それから「未来」の「臨終(終点)」までの時間のすべてが「往生」の内容だと考えられているのだろう。
しかし、たとえ、「往生」を「点的」ではなく、「線的」なものだと考えようと、やはり、この発想がベースにしているのは、「通時的時間観念」である。「点」であっても「線」であっても、それは空間概念であって、時間概念ではない。だから、「長さ」という観念に引きずられてしまうし、どうしても、「現在」という点が「未来」へと「線的」に繋がっているという発想になる。
親鸞はこの発想に違和感を感じて、「往生すとのたまえるは、正定聚のくらいにさだまるを、不退転に住すとはのたまえるなり。」(『一念多念文意』聖典p536)と述べ、あくまで「往生」は、「現在(現生)」ではなく、来たるべき「未来」の「臨終」にあるのだと主張したのかも知れない。ただ、親鸞は「獲信」を「正定聚に住す」と言い、「往生」は「臨終一念の夕べ」(『教行信証』信巻・聖典p250)と二段階論的発想で考えていたのかも知れない。これも、一概には言えないところである。
あくまで「獲信」は「現在(現生)」であるが、それは「往生」するための原因を獲たことであって、「往生」という結果は、「未来」にあると語っているようにも読める。このように見ると、親鸞は「臨終往生説」を語っているように見えるのだが、そうだろうか。
親鸞が、「現在(現生)」に「往生」の完結を見ようとしないのは、「現在(現生)」に「往生」が成り立つと考えると、そこに「往生」のダイナミズムが消されてしまうからではなかろうか。もし、いまが「往生」の完結だと言ってしまうと、それは「造悪無碍」という偏見を生むからではないか。「私は往生したのだ。だから私の振る舞いは諸仏の振る舞いであり、何をしようと仏の行いなのだ」という思い上がりと自己肯定の罪を犯すことになる。
15■人間が感じる「現在」とは、厳密に言えば「過去」である■
このことに親鸞が自覚的であったかどうかは分からないのだが、人間に於ける「現在」とは、すべて「過去」のことなのだ。人間が「現在」をつかみ取ろうと、時計の秒針を見ても、一秒前の秒針は「未来」にあり、いま止まった秒針は「現在」であり、一秒後の秒針は「過去」となる。つまり、どれも「現在」の秒針であると同時に、すべては「現在」の秒針はなく、人間が「一秒経った」と認識した途端に、すでに「現在」からズレてしまう。つまり、人間にとって、「現在」とは、すべてが「過去」に飲み込まれた「現在」なのだ。
これを当てはめて、「現在(現生)」の「獲信」で「往生」が完結したと言ってしまうと、それは「往生」が、すでに「過去」のことになってしまい、「往生」の真のダイナミズムが欠落する。このことへの違和感を感じていた親鸞は、「獲信」は、どこまでも「往生」の因であり、「臨終」は果として分離したのかも知れない。これも、私の解釈であり、親鸞に聞いてみなければ、本当のことは分からないことである。
それはともかく、私から見ると、「臨終往生説」も「現生往生説」も、共に発想のベースが「通時的時間観念」であることに問題があるように見える。
16■「親鸞教」と「〈真・宗〉」は違う■
私の考えを言えば、親鸞は「臨終往生説」でも、また「現生往生説」でもないように見えるのだが、それはご本人に聞いてみないと真意は分からない。
まあ、私が追究しているのは、「親鸞の真意」ではなく、「〈真・宗〉の真意」だから、それは二次的関心でもある。だから、「親鸞は…」と言わずに、「〈真・宗〉では…」と考えなければならない。それで、私は「〈真・宗〉」とは、「救済論的時間論」を開くことだと主張したい。この「開く」というのも、少し遠慮がある。もっと正確に言えば、「本来の時間に帰る」ことである。人間が、本来生きている時間とは、「共時的時間」なのだ。それを人間は忘れているので、それを思い出させてくれるのが〈真・宗〉である。それを上に習って図で表現すれば、こうなる。
【共時的時間論】
未来 → 現在 ← 過去
〈いま〉
これが、「通時的時間」と、どこが違うかと言えば、「現在」と「未来」へ左へ向かっていた矢印が、すべて「現在〈いま〉」へ向かっているという点だ。まあ「時間」は四次元のものだから、紙面という二次元の図にすることは、もともと不可能なのだが、仮に、二次元の図で表現している。
「共時的時間」とは、つねに〈いま〉という時間観念である。もっと言えば「流れない時間」である。これは、当然と言えば当然のことなのだが、人間には〈いま〉という時間しか存在しないからだ。「過去」のことを思い出しているのも〈いま〉なら、「未来」の予定や希望を感じているのも〈いま〉である。厳密に言えば、「過去化した〈いま〉」である。まあ「煩悩」を介在させてみれば、「過去」は「後悔」であり、「未来」は「不安」であるとも言える。しかし、「後悔」と「不安」がどこにあるのかと言えば、〈いま〉の「思い」の内容以外にはない。「思い(意識)」は、「過去」や「未来」が独立してあると思いたいのだが、間違いなく身体が生きているのは、〈いま〉以外にはない。心臓は、明日のために鼓動しているわけではない。〈いま〉を〈いま〉として動いているのみだ。だから、「過去」も「未来」も、共に「現在の意識の内容」である。
この「共時的時間論」をベースにして「往生」を見てみよう。これによると、「未来」に設定していた「臨終」が〈いま〉の内容になってくる。まあ先ほど述べた、「臨終」とは「次の一瞬」、つまり厳密な意味での「未来」であるという見方だ。それでは、「過去」は、どう見えるかと言えば、「百千万劫(ひゃくせんまんごう)の宿業(しゅくごう)の集積体(しゅうせきたい)」というふうに見える。自分の身体は、親から生まれてきたのだが、その親も、その前の親から生まれてきた。いのちは必ず前の親から生まれてくるので、それを遡っていけば、いのちが地球に発生した38億年。それをさらに遡れば、「百千万劫」という「宿業」が、私の身体として存在している。この「過去」の集積体が、〈いま〉の内容として存在している。
17■阿弥陀さんと同い年■
妙好人のおばあちゃんに、「おばあちゃん幾つになるの?」と問うたとき、「阿弥陀さんと同い年」と答えた「時間論」だ。これは、自己といういのちの背景を遡れば、それこそ「十劫の昔」であり、その昔から阿弥陀さんの養育を受け続けてきた自分であるという感慨が含まれている。だから、このおばあちゃんの表現は、「〈真実〉のフォルム」に適った表現である。これが「共時的時間論」を生きている者の表白である。
つまり、「共時的時間論」をベースに考えると、「往生」とは〈いま〉の内容以外にはないことになる。ここで注意すべきは、この〈いま〉は「共時的時間の〈いま〉」であって、「通時的時間の「いま」」ではないということだ。つまり決して「過去化」しない〈いま〉である。これを曽我量深先生は、「純粋未来」と表現されている。
「共時的時間論」の〈いま〉とは、「物理的なこと」でも「客観的なこと」でもない。先ほども述べたように、人間にとっての「時間」とは、人間特有の「意味現象」である。つまり、人間にとって「いま」と感じ取れるものはすべてが「過去」に飲み込まれた「いま」である。人間が「いまだ」と認識した途端に、「過去」に飲み込まれる「いま」である。だから、その意味で、「共時的時間」の〈いま〉は、人間には触れることもできないし、それを生きることもできない。すべては、「過去」という思いの中に存在することになる。
それでは、その〈いま〉は「未来」ということではないかと考えたくなるのだが、「未来」という観念でもない。
人間にとって、「未来」とは何だろうか。卑近な例で言えば、「今日の予定」、或いは「明日の予定」、もっと先の「何年先の予定」というイメージで「未来」を思い描く。だから、人間は「未来」というものがあるかのように思って生きている。しかし、実は、その「未来」とは、「過去」の投影なのだ。つまり、「過去」に自分が経験した日程や行動などを「未来」という「思い」に投影して、「こうなるだろう、こうするはずだ」と思い描いているに過ぎない。こうなると、「未来」とは、「過去の投影」以外にはない。これも〈真実〉である。「共時的時間」をベースに考えると、「未来」も「現在」も「過去」も、すべてが「過去」という「思い」の中にしかないことになる。
つまり、「過去」も「未来」も、共に「現在の意識の内容」と見る見方が「共時的時間論」なのだが、それをもっと厳密に見ていくと、「共時的時間」の〈いま〉とは、人間にとっては、「過去」としてしか感じ取れない〈いま〉なのだ。人間には、純粋な意味での〈いま〉はないのだ。それではなぜ「共時的時間」の〈いま〉という表現をするのか。そこには、もう一つ、「救済論的時間論」が用意されている。
18■救済論的時間論―「救済」とは〈いま〉を獲ること―■
私は「共時的時間」の〈いま〉を、「弥陀成仏のこのかたは いまに十劫をへたまえり」という「浄土和讃」の〈いま〉として受け取っている。もし「共時的時間」だけをベースにして〈いま〉を考えていくと、それは、「知的な理解」に留まってしまう。つまり、最後はニヒリズムに傾斜していく。「結局、人間には純粋な意味の〈いま〉はないのだ。過去しか生きられないのだ」とうなだれることになる。
しかし、この「共時的時間論」から、「救済論的時間論」へと開かれることによって、〈いま〉が刹那的なものでも、否定的な感情を生むものでもない世界が与えられる。それは、「弥陀成仏のこのかたは」という表現が生む、「救済物語」の中にあるからである。
結論を言えば、「救済物語」が生む感情は、「深く如来の矜哀(こうあい)を知りて、良に師教の恩厚(おんこう)を仰ぐ。慶喜(きょうき)いよいよ至り、至孝(しこう)いよいよ重し。」(『教行信証』化身土巻・聖典p400)という、「慶喜感情」であり、「往生は、弥陀に、はからわれまいらせてすることなれば、わがはからいなるべからず。わろからんにつけても、いよいよ願力をあおぎまいらせば、自然のことわりにて、柔和忍辱のこころもいでくべし。」(『歎異抄』第16条・聖典p637)という「柔和感情」である。これは単なる感情というよりも、「全人的体験」だと言ってよいだろう。
その感情がなぜ生まれるのかと言えば、「阿弥陀さん」が「十劫」の昔から、私を養育し〈いま〉を与え続けて下さっていると頂くからである。まあ、これは「救済物語」の内部で、〈いま〉を受け取るということだ。この「和讃」の「弥陀成仏のこのかたは」をどこから計測しているのかと言えば、それは、「いまに十劫をへたまえり」の〈いま〉からである。この〈いま〉は「阿弥陀さん」が成仏するために費やした「十劫」を背景とした〈いま〉なのだ。だから、この〈いま〉と「阿弥陀さん」の費やした「十劫」とが、同時に成り立つことが「弥陀成仏のこのかたは いまに十劫をへたまえり」という出来事なのである。
もし、この〈いま〉が成り立たなければ、「阿弥陀さん」の「十劫」は無意味なものになってしまう。この〈いま〉は「阿弥陀さんの救済」が成り立つ〈いま〉なのだ。
ところが、『仏説無量寿経』(聖典p29)には、「阿弥陀さん」が成仏して、すでに「十劫」のときが経っているとある。「成仏已来(じょうぶついらい) 凡歴十劫(ぼんりゃくじっこう)(成仏(じょうぶつ)より已来(このかた)、おおよそ十劫(じっこう)を歴(へ)たまえり)」と書かれている。正確に言えば、阿弥陀仏となるための菩薩の段階にあった「法蔵菩薩」が発願し、あらゆる苦悩する生き物が救われなければ、私は仏(阿弥陀)には成らないという誓願を起こす。そして、あらゆる苦悩する生き物が救われ、「法蔵菩薩」はめでたく成仏し、阿弥陀仏に成られた。さらに、成仏されたときから、もうすでに「十劫」という時間が経っているというのだ。「十劫」とは、「永遠」と言い換えてもよいような時間の長さだ。
この「救済物語」を聞いたとき疑問は起きないだろうか。もうすでに救われていると言われても、他にもたくさんの苦悩する存在が残っているではないか、という疑問だ。そういう私自身が「救い」に与(あずか)っているだろうか。こう問うてみると、納得のいかないものを感じる。
私は、経典制作者自身が、あえて、このような疑問を感じさせるように書かれたのではないかとさえ思っている。つまり、「十劫」の昔に、救いが完成し、この世に救われていないものなどいないのだ、などということは受け入れられない。むしろ「これを読んで、お前はどう思うのだ!」と問題提起されているようにさえ感じる。
実は、これが、「普遍」を対象にして「誓願」を発す本願が、その「普遍」を「特殊な個」に焦点を当てて訴えかけてくる手段なのではなかろうか。『仏説阿弥陀経』(聖典p128)の「於汝意云何(おにょいうんが)(汝(なんじ)が意(こころ)において云何(いかん))」は、「お前自身は、そのことをどう受け取るんだ!」と強烈に訴えてくる。
そして結論を急げば、もうすでに、成仏して阿弥陀仏と成られていることなど承服できないと感じる者に対してのみ、その救いは〈いま〉実現するものだと訴えてくるのだ。それこそ「十劫」の昔に成り立った救いを、「十劫」を一気に飛び越し、現在、ただ〈いま〉に実現しようとはたらきかけてくる。これが、「弥陀成仏のこのかたは いまに十劫をへたまえり」の〈いま〉の「大願業力(だいがんごうりき)」(『尊号真像銘文』聖典p515等)の秘技である。だから、この〈いま〉は「十劫」がかかって成り立った〈いま〉なのだ。
19■永遠に〈いま〉に触れ得ない者のために、永遠に〈いま〉を与えようとはたらく■
しかし、ただそれを〈いま〉として私が受け取るときには、純粋な「阿弥陀さん」の〈いま〉ではなくなってしまう。人間が受け止めてしまった限り、それは「過去」となり、〈いま〉であることを失う。だから、人間は永遠に「阿弥陀さん」の〈いま〉に触れることができない。
しかし、それはそれで終わりにはならない。「阿弥陀さん」は、永遠に〈いま〉に触れ得ない者のために、永遠に〈いま〉を与えようとはたらくからである。これが「救済物語」である。親鸞が、「果遂(かすい)の誓(ちか)い、良(まこと)に由(ゆえ)あるかな」(『教行信証』化身土巻・聖典p356)と感銘深く記した感性と共鳴するだろう。この〈いま〉を与えようとする「阿弥陀さん」を感じるとき、そこには「慶喜感情」と「讃嘆」とが起こる。
20■信仰のマンネリズムをも転じ続ける■
だが、「讃嘆」が起こって、それでお仕舞いにもならない。「讃嘆」の感情が起こったとしても、それは人間にとって、必ず「過去」のこととして受け取られるからだ。「過去」になった「讃嘆」は、マンネリズムに堕す。ちょうど、『歎異抄』の唯円が、「念仏もうしそうらえども、踊躍歓喜(ゆやくかんぎ)のこころおろそかにそうろうこと、またいそぎ浄土へまいりたきこころのそうらわぬは、いかに」(第九条・聖典p629)と吐露した感情である。
しかし、親鸞は、「よくよく案じみれば、天におどり地におどるほどによろこぶべきことを、よろこばぬにて、いよいよ往生は一定(いちじょう)とおもいたまうべきなり。」と答えている。なぜ、そういう応答ができたのだろうか。そこには、「よろこぶべきことを、よろこばぬ」存在に対してのみ、「阿弥陀さん」の悲愛が投げかけられるからである。
人間は、「貪欲」で出来上がっているので、宗教的歓喜も「当たり前感情」に変質させてしまうのだ。そこに「阿弥陀さん」のご苦労を無駄にしている自己が教えられ、「懺悔(さんげ)」の感情が引き起こされる。この「讃嘆」と「懺悔」の往還(おうかん)運動こそが〈真・宗〉の実働である。
この実働の場が、「往生」という言葉で語られているのだと思う。まあ「往生」も、「救済物語」という意味場にあるので、死後にどこかに往くというイメージでもない。しかし、どこにも往かないということでもない。「往く」と「往かない」という両方の関心を超え離れることが「往生」なのだ。ただ、「西方」という方向の与えられた存在になるということは言えそうだ。「西方」という言葉もメタファーなのだが、「超越」という意味であり、「阿弥陀さん」を目の前にした存在という意味である。自分の前には「阿弥陀さん」しかいない。そこに向かって、「未来も過去も現在も」すべての行為が収斂されていく。そもそも、この世に「生きている」と一人称で言える存在は、自己以外にないのだから。この世は〈一人一世界〉なのだ。
21■臨床とは「遊戯」であり、自由な表現を生む■
これも「救済物語」(ストーリーでなくナラティブの「物語」)の「意味空間」の中で言えることだ。つまり、「物語」が開かれれば、「臨終間際のかたに向かって、浄土でまた会いましょう」と言いうるし、「浄土へ還る」とも、「浄土へ往く」とも安心して表現することができる。いわばこの「物語」の中を「遊ぶ」ことができる。「遊ぶ」とは「遊戯(ゆげ)」であり、「正信偈」の「遊煩悩林(ゆぼんのうりん)」(『教行信証』行巻・聖典p206)の「遊」である。
「往生浄土の時間論」に於ける〈いま〉とは、「永遠の過去」と「永遠の未来」とがぶつかり合いスパークする焦点である。その焦点に、「阿弥陀さん」から、「いま(時間)、ここ(空間)、私(主体)」をいただくのである。これこそ、自分の「既知の内容」には、決して収めることのできない、新鮮な出来事である。「阿弥陀さん」は、知っておられるのだ。もし「救い」が、人間の「既知の内容」になってしまえば、それは決して人間の「救い」にはならないことを。それだから、人間には、決して「既知の内容」にならないように、〈真実〉を与えようと、まさに〈いま〉、「阿弥陀さん」ははたらき続けて下さっているのだ。
【時間論を考えるための参考文献】
木村敏『時間と自己』中公新書1982年11月15日印刷 1982年11月25日発行
大森荘蔵『時間と存在』青土社1994年3月17日第1刷発行1997年2月10日第3刷発行大森荘蔵『時は流れず』青土社1996年9月10日第1刷発行2011年4月25日第9刷発行中島義道『「時間」を哲学する―過去はどこへ行ったのか―』講談社現代新書1996年3月20 日第1刷発行2022年2月28日第29刷発行
中島義道『不在の哲学』筑摩書房(ちくま学芸文庫)2016年2月10日第1刷発行
中島義道『時間と死―不在と無のあいだで―』ぷねうま舎2016年10月21日第1刷発行
橋元淳一郎『時間はどこで生まれるのか』集英社新書2006年12月19日第1刷発行
入不二基義『時間は実在するか』講談社現代新書2002年12月20日第1刷発行2007年7 月18日第5刷発行
池田晶子『14歳からの哲学 ―考えるための教科書―』トランスビュー2003年3月20 日初版第1刷発行2024年9月20日初版第45刷発行
池田晶子『死とは何か ―さて死んだのは誰なのか―』毎日新聞出版2009年4月7日第1 刷発行2024年4月5日第7刷発行
※今回のレジュメを『〈真実〉のデッサン10』に収めようと思ったのは、いままでの私の表現活動の中で、「往生と時間論」について、まとめて表現したものがなかったからである。ここに載せることで、この問題に関心のあるかたへの問題提起となるのではないかと思った次第である。