「真実」という言葉を書いたり、話したりするとき、何だか、妙にこころがざわつく。それはなぜだろうか。
それは、やはり、自分は「真実」などということを一つも知らないのに、恥じらいもなく「真実」という言葉を使っているからだろう。それでも、「真実」という言葉を使うことができるのはなぜだろうか。知らないものであれば、知らないのだから、「真実」などという言葉を使わないほうがよいのではないか、という思いも湧く。たとえば、「あれ」とか言っておけばよいのではないか。親鸞も、「彼岸」という言葉で、「あれ」を語っている。つまり、「彼」だ。また、「あれ」の言い換えで、「浄土」とか、「安養界」とか、「安楽国」とか、「かの土」とか、「無量光明土」という言葉を使っている。
それらは、その言葉が、それぞれに意味を放つ意味空間を持っているので、その意味空間に於いてのみ、意味を発揮する。それも、必ず「相対的意味空間」なので、「あれ」には対概念が存在する。「浄土」は「穢土」の、「安養界」とか「安楽国」には、「苦悩の衆生界」の、また、「かの土」は「この土」の、そして、「無量光明土」は、「有量の諸相」の。これらの対概念が存在する場所は、「相対的意味空間」であることは間違いない。
このように「相対的意味空間」で「あれ」を語るのは、相対的な意味場しか生きられない人間に、「あれ」を感じ取らせるためのシステムなのだろう。「あれ」を、マイナス感情で受け取られることを防ぐ工夫である。「相対的意味空間」を、仏教語で言い当てれば、それは、「欲界」だろう。つまり、フロイトの言う、「快楽原則」で物事を感じ取る世界(意味空間)である。
すべての生物は、不快を排除し、快を求める傾向性にある。だから人間も、快を暗示する言葉に接近する。ただ、人間は他の生物のように素直ではないから、苦(不快)を快感に変質させるマゾヒズムという精神性も持っている。肉体的には、不快であっても、それを精神の力で「快感」へと変質させるのだ。異性間の性的マゾヒズムもあれば、宗教的マゾヒズムもある。自己に不快を強いる「苦行」を与えることにより、宗教(真理)の内部に留まっていることを証明したいのだ。お釈迦さんも覚りを開く前には、六年間も「苦行」をやっていたと言われる。ところが、それをやめてしまった。その理由は、「苦行」に宗教的マゾヒズムを発見してしまったからではないか。
しかし、親鸞は、「欲界」の快を与えるために、「あれ」を説いてはいないだろう。『歎異抄』(後序)で、見事に表現されているように、「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり」である。この「善悪」とは、倫理的な意味での「善悪」ではなく、すべての「相対的価値」のことであり、それを「存知せざるなり」と対象化している。
その意味を丁寧に解説するように、「そのゆえは、如来の御こころによしとおぼしめすほどにしりとおしたらばこそ、よきをしりたるにてもあらめ、如来のあしとおぼしめすほどにしりとおしたらばこそ、あしさをしりたるにてもあらめど」と語る。
親鸞は「あれ」を「如来の御こころ」という表現で再表現している。「如来の御こころ」という「絶対基準」を見出し、その「絶対基準」に比べてみれば、自分は「相対基準」しか持っておらず、「絶対基準」など自分にはまったく成り立たないのだと言っている。
ところが、「如来の御こころ」など知らないと言っているにも関わらず、「如来の御こころ」と表現することは可能なのか。「絶対基準」を知らない人間が、「絶対基準」を表現したとしても、それはやはり「相対基準」が受け取った限りの「絶対基準」ということにならないか。
親鸞もそれを用心して、「つねに自然をさたせば、義なきを義とすということは、なお義のあるになるべし。」(『末灯鈔』)と注意している。「義なきを義とす」とは、「相対基準」ではなく、「絶対基準」のことだといくら主張しても、「なお義のあるになるべし」と。つまり、それは「相対基準」になってしまうと。いくら人間を超えた出来事なのだと主張たとしても、それは所詮、相対的な人間が主張しているのだから、やはり、人間を超えたことを表現したことにはならないのだ。人間の表現というものは、どこまで行っても、「相対的意味空間」止まりということなのだろう。それで親鸞も、この文章に続けて、「これは仏智の不思議にてあるなり。」という言葉で手紙を結んでいる。
「相対基準」でしか生きられないものは、決して「絶対基準」を生きることなどできない。だから、「これ」ではなく、「あれ」と、向こうを示す言葉でなければ表現できない。「ここ」でもなく、「これ」でもない。「あっち」であり、「あれ」なのだ。この「あれ」は、「ここ」と「こっち」を否定する意味の「あれ」である。
そんなことをいくら説明しても、所詮、「仏智の不思議」なのだから、詮ないことなのだと言っている。もしこの言葉に続く言葉があるとするなら、妙好人・讃岐の庄松が語る、次の言葉だろう。
「己らが本願つくったでなし、助けてやるものを持っているでなし、何も聴かせるようなものはない」、(『庄松ありのままの記』)だ。
こうきっぱりと言われてしまうと、もはや取り付く島もない。我々には「相対基準」以外に生きることはできなのだが、できないことを、単に落胆するのではなく、「如来の御こころ」と比べて表現するところに温もりが生まれる。「如来の御こころ」など、知りもしない者が、「如来の御こころ」と比べているのだから、大矛盾だ。
しかし、もし「如来の御こころ」と表現しなければ、「相対基準」をしっかり、「相対基準」としてえぐり出すことも叶わないのだろう。
「絶対基準」など人間にはまったく知り得ないのだ。まったくの不可知だ。この不可知が温もりに転ずる不可知でなければならない。以前には、それを「壁」というメタファーで表現したこもある。まさに「不可知の壁」である。「不可知の壁」は人間に絶望を与えることによって、絶望から解脱させる。どういう形で解脱させるのかと言えば、「絶望など人間にはできないことなのだ」と教えることで解脱させる。「絶望」とは、単に自分の都合通りにことが運ばなかったことの愚癡だと目覚めさせる。「あるひとが、絶望して自殺した」という言い方をするが、これは真に絶望していないことの表れだ。真に絶望していれば、「自殺をする」ということにも絶望していなければならない。とことん人間は「絶望」などできる生き物ではない。
このように気づかせて「絶望」から解脱させる。これが「不可知の壁」の裏側の肌触りだ。「絶対基準」を知らず、〈真実〉を知らぬ者として再生させる。ここまで来て、ようやく「絶対基準」とか、〈真実〉という言葉を、メタファーとして使用することができる。
メタファーとは、「隠喩」などと訳されるが、決して、この世の知に翻訳することのできない表現とでも言えようか。だから、私が〈真実〉を知っていて、それを人々に伝えるということではない。私が〈真実〉を知っていて、それを教えて欲しいと言われても、私には何も教えるすべがない。だから、そこで私に向けていた顔を、私と共に、〈真実〉へ向け直して欲しいと願うばかりだ。そして〈真実〉と、ご当人が直接対話をする、それ以外にない。なぜならば、この世を生きているのは、〈私一人〉であり、他のひとは客観的に存在してはいないからだ。他の人々や事物は私の世界を構成する構成要素であり、この世は〈私一人〉そのものだからだ。極端な言い方をすれば、「他者などはどこにも生きてはいない」のだ。「生きているように私に見えている」というだけのことなのだ。このように言って、初めて、〈私一人〉の存在が、果てしもなく重たく思えてくる。
この絶対なる個としての〈私一人〉を回復するために、「あれ」が必要なのだ。「ここ」でも、「これ」でもない、唯一の「あれ」が。〈真実〉を知っているという思いと、〈真実〉を知りたいという思いを、「あれ」の中にぶち込んでしまえばよいのだ。「あれ」はクラウドのようなもので、無限に情報を投げ入れることができる。そして、私が軽くなればよい。荷物を持ちすぎているから苦しいのだ、その荷物をすべて「あれ」にぶち込んで、こっちが軽くなる。そのために「あれ」があるのだ。
考えてみれば、本来、私には「絶対基準」は分からなかったのだ。それを分かったかのように考えていたこと自体が間違いだ。だから、「不可知」の「不」とか、「無碍光」の「無」という否定形でしか、人間は「あれ」を表現することができない。いくら肯定形の文脈で表現していようとも、その底には必ず否定形が張り付いている。
たとえ親鸞が「安楽浄土へかならずうまるるなり」(『尊号真像銘文』)と肯定形の文脈で語っていようとも、その底には否定形が張り付いている。否定形とは、「どこにも生まれない」という否定形だ。人間が「死んで」から、どこかの他界へ生まれるという観念が完全に否定されている。これが「安楽浄土へかならずうまるるなり」の深意なのだ。死後、どこかに生まれるのではないかという「相対基準」が完全に対象化されて、一切当てにしないのが、「安楽浄土へかならずうまるるなり」である。
問題のありかは、つねに〈いま〉以外にはないのだ。「安楽浄土」の根っこは、〈いま〉にあるのだ。「流れない時間」としての〈いま〉にあるのだ。
だから、庄松も、「何も聴かせるようなものはない」と言い放った後に、続けて、「己らやお前を生まれさせずば、正覚とらぬと誓いをたてた佛が、今ここに正覚とってあるじゃないか、これでも不足なのか」と言っている。
庄松が「今ここに」という、この「今」とは、死後、「浄土」に生まれられるだろうかという不安のこころを、そのまま〈いま〉、阿弥陀さんにまかせろと言っているのだ。