「自力」という言葉を分かったことにしていた。「自力」は分かっているが、「他力」こそが分からないのだと思っていた。ところが、そうではなかった。「自力」という言葉こそ、本当は分からない言葉だった。
「自力」を分かったことにしているから、「他力」が見つからない。実は、「自力」という言葉の意味が、ただ事ではなかったと、教えるはたらきを「他力」と言うのだ。だから、「自力」という言葉を知るには、「他力」が必要だった。こういうカラクリがある。
「自力」を分かったことにしている自分とは、「自力」を「自分の力(努力)」と考えている自分である。そんなことは、いちいち言うまでもないようなことだ。
しかし、そもそも「自分」などというものなど無いのだと教えるはたらきが「他力」だから、「自力」の意味など分かるはずもない。「自力」とは、「まず自分があって、その自分が努力すること」とイメージしているからだ。
「自力」とは、「自分」などというものもなく、また「自分の努力」などということもないと教える「他力」によって、初めて教えられる言葉だった。
「自力」とは、「思い」であって、「他力」は「事実」。ただそれだけのことだった。
ただそれだけのことが、ただ事ではないことだった。