人間には、「偶然」しかないのではないか。「たまたま」人間として、「たまたま」男として、「たまたま」この時代に、「たまたま」ここに生れた。自己が「いま、ここ」に存在している根拠は、「たまたま」以外からは出発していない。これが「身の事実」というものだ。
しかし、問題は「思い」である。「思い」は、「偶然」には耐えられない。「思い」が、それこそ「思いどおり」であれば、それは「必然」だったのだと受け取れる。しかし、「思いどおり」でなければ、拒否する。
「思い」とは、「煩悩」の異名であるから、人間を「煩わし、悩ませる」。この「煩悩」のメガネに合ったものだけを欲しがる。しかし、それに真っ向からぶつかってくるものが、ある。それが「生老病死」だ。この「限界状況」を前にしたとき、「思い」は、「身の事実」を拒絶し、「こんなはずではないはずだ」と愚痴を吐く。
人間が人間として成長するということは、一面、とても悲しいことである。それはいままで気づかなかった「生老病死」を知ることになるからだ。古代人も現代人も、みんな「自分はいつかは死ぬ」と知りつつ、〈いま〉を生きている。それは、自分の人生が、「偶然」から出発しているという「思い」とパラレルにある。
「なんで自分がこんな酷い目に遭うのか!」という「思い」と、同時に「自分が、こんなに酷い目に遭うはずではないはずだ」という拒絶感とが沸き起こってくる。そして「もっと、違った人生が自分にはあったのではないか」と妄想する。
さらに、「隣の芝生は青く見える」というように、他人と比べるという「煩悩」で脅かされる。比べなければ何も問題はないのだが、知らず知らずのうちに比べている。「煩悩」は、理性よりも速度が速いので、決して理性は追いつけない。「しまった!」と思わされることばかりだ。
その「偶然」が「必然」へと変わることがあるのだろうか。「生は偶然、死は必然」ということを言うけれども、その「必然」とは、「必然」などとは、決して思えない「必然」のことだろう。信仰は「偶然」が「必然」と受け取れるようになることだ、とも言うけれども、それも何処かに無理のある言い方ではないか。
自分の実感に即して言えば、人間には、「偶然」しかないのだろう。だから「死」を、決して「必然」とは受け入れられない。この、「必然」とは受け取れない人間に向かって、このひとにだけ、「必然」を成り立たせようとはたらくものがある。それが「弥陀の本願」だろう。だから、「必然」は「弥陀の本願」の側にあるのであって、人間の自覚にはなり得ないのだ。
親鸞は、「たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ(遇獲行信 遠慶宿縁)」と言っている。「遇」を「たまたま」と読ませている。これは「偶然」のことだ。「たまたま行信」だから、まあ「たまたま信心を獲たならば」だ。そして、「遠く宿縁を慶べ」とは、その「たまたま」が、いま「獲るべくして獲られた」、「必然」へ変化したことを「慶べ」と言っているように読める。つまり、「たまたま行信を獲」るために、今までの人生のすべての出来事があったのだという認識だろう。
それは、それでよいのだし、そう思えなければならないとも思う。だが、最後の「慶べ」という命令形が気に掛かるところだ。これは誰が誰に対して発する命令なのだろうか。親鸞は、誰を読者と想定してこう書いたのか。それは、『教行信証』を読むであろう読者だろうか。あるいは、親鸞自身のうちに、「慶べ」という命令が聞こえてきて、「慶べ」と記したのか。はたまた、これは親鸞が想定していたことかどうかは分からないのだが、その命令を発する主体を「弥陀の本願」として受け止めたのだろうか。つまり、「阿弥陀さん」だ。「阿弥陀さん」が、親鸞に対して「慶べ」と命令していると考えたのだろうか。
もし、そうだとすると、「阿弥陀さん」の命令を、「過去」のこととしてではなく、まさに〈いま〉、ここで聞いているように感じる。「たまたま」、「偶然」に出遇った「行信(信心)」を、〈いま〉まさに慶ぶべきことなのだと。決して、「過去」のことにしてはならないと。
これを、「『偶然』が『必然』として思えた」などという言い方でまとめてしまっては、的外れな感じになる。その言い方に違和感を覚えるのは、我々、人間には、決して「必然」などいうものは成り立たないのだと感じるからだ。もし、すべてを「過去」のこととして、それを「必然」だと受け止めたとなれば、「受け止めた」という時点に停滞してしまうことになる。つまり、「必然」という受け止めは、「宿縁」を「〈いま〉が成り立つための過去」として、まとめてしまったということだ。
〈真・宗〉は、すべてを「過去」に飲み込ませない信仰だから。「必然」という言葉の成り立たない宗教だ。「必然」という言葉は、「阿弥陀さん」にしか成り立たない、つまり、「阿弥陀さん」にしか言うことが許されない言葉なのだろう。
親鸞には、「信心(行信)」を獲て慶んでいる自分が見えたはずだ。これこそが「必然」だったのだと思ったに違いない。しかし、そう思った自分向かって、「阿弥陀さん」は、「慶べ」と命じてきたのだろう。すべてを「ああよかった」と「過去」のことにしてしまったことをひっくり返すかのように、改めて「慶べ」と命じられたのだろう。常に、新たに、決して「過去」のこととせずに、〈いま〉まさに「慶べ」と。
こうなると、この「慶べ」によってもたらされる「慶び」は、やはり人間のものではないように思える。それは「阿弥陀さん」自身の慶びではないのか。
それで庄松は、門主に「信心の得られた姿を一言申せ」と詰め寄られたとき、「なんともない」と応えたのではないか。庄松は、「信心を得た」と言っているから、それ相応の「慶び」に浴したはずだ。ただそこに留まらせないものにも出遇ったのだろう。一般に、ひとは、「慶び」を「慶ぶ」場合、それは、必ず「過去」のこととして「慶ぶ」。「こんなに素晴らしいことに出会えた」と言って「慶ぶ」のだ。
この「過去の慶び」を、「過去の慶び」とするこころを解体するのが〈真・宗〉だ。だから親鸞も、「如来大悲の恩徳は身を粉にしても報ずべし」(「正像末和讃」)と讃嘆しながらも、「愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して(略)恥ずべし、傷むべし」(『教行信証』信巻)と悲嘆する。この悲嘆がなくなれば、仏恩を報ずる場所がなくなる。この場所が、庄松の言う「なんともない」だ。
真宗と縁を持ち、「信心」の味を知ったひとは、「本当の信心」を欲しがってやまない。庄松も、喉から手が出るほどに「信心」がほしかったはずだ。親鸞も「頭に降りかかる火の粉を振り払うように」(「頭燃を灸うがごとくすれども」『教行信証』信巻)という表現があるように、四六時中、「信心」を求めたはずだ。しかし、自分から「信じよう」と「する」限り、それは「本当の信心」ではない。「信心」を求めようとしているときには、「本当の信心」が気になって仕方がない。本当に自分が「信心」を得ているのだろうか、それとも得ていないのだろうかと、問うてみても決着は付かない。その判定をしようとするものが自分の「思い」だからだ。そのうちに、とうとう、「信心などというものは、どうでもよいもの」に思えてくるようになる。この思いが「本当の信心」の味わいなのではないか。だから、「なんともない」という感慨が起こる。あれほどほしいと思っていた「信心」が、あってもなくてもどうでもよくなるのだ。
一言で言えば、「身」は「信じて」いたけれども、「思い」が「信じて」いなかっただけだと気づかされる。「身」は、すべてをおまかせで生れて来る。「思い」は、それを「偶然」だと驚くけれども、「身」は驚かない。この「身」に、「思い」が負けるのだ。本来「身」はまかせていたのに、「思い」だけはまかせることができなかった。だから、「信心」とは特別なことではない。「身」に「思い」が負けることだ。
親鸞が「罪福を信ずる心」(『教行信証』化身土巻)と言うのは、「思い」が勝手に「罪と福」を思い描くこころを作っていたということだ。「身」の世界には何ら落ち度はない。ただ「思い」が、何の理由もなく、勝手に思い描いていただけだ。何の理由もなく、思い描き、自分で自分を縛っていたというだけのお話だ。これが「自業自得」ということだろう。
この世を生きていて、「こんなはずじゃなかった」と愚痴るとき、「それでは、どんなはずならよかったのかね」と「身」は問い返す。「こんなはずじゃなかった」は、「こんなはずじゃなかった」と愚痴る「思い」が作り上げている幻想だったのだ。
だから、「信心が獲られてよかった」などという「思い」も、その場に捨てていけるのだ。「必然だと思わなければいけない」などと無理強いする言葉も、捨てていけるのだ。そして、ずんずんと進んでいけるのだ。