一昨日、磯野真穂(文化人類学者)さんのお話をお聞きした。先生は、人間が「食べる」とはいかなることかという関心から、「拒食症」について、果ては「食人」に至るまでを視野に入れておられた。お話はことごとく面白かったが、「儀式」という話題について取り上げてみたくなった。「食べる」ということと「儀式」は、とても深く結びついているという。確かに日本では、年末のクリスマスに始まり、大晦日の年越しそば、年始にはお雑煮やおせち調理、二月にはバレンタインデーがあり、春には恵方巻き、続いてホワイトデーへと、節目節目で、何かを食べている。これはまさに「儀式」と言ってもよいのかも知れない。そこには「商業主義」も、当然あるのだが、それであっても、「日本人」はそれに馴染んできた。
文化人類学には、柳田国男が提唱した「ハレ・ケガレ論」という見方がある。ハレとは、、たとえば、普段着ではなく、ハレの日には「晴れ着を着る」というように「非日常」を表わす。ケとは、それが常態化した「日常」を表わす。ただ、「日常」はやがて、ケガレていく。まあ「日常」が連続すると、それに慣れていき、やがて「ケ」が枯れていく状態になる。それが「ケガレ」である。そして、「ケガレ」が溜まると、それを一気に発散する運動が起こる。それが「ハレ」である。
このように日本人は、「ケ→ケガレ→ハレ→ケ→ケガレ→ハレ」という循環した時間観念で生きていると言われれば、なるほどと思い当たる節がたくさんある。確かに、近頃耳にする「チートデイ」もそうだろう。それは「ダイエット中に、食事制限を一時的に解除して好きなものを飽食する日」である。これはイスラムのラマダンにも、当てはまりそうだ。これなども、「ケ」という絶食状態に絶え、やがて徐々に抑圧が増えていく。それが「ケ」が枯れる状態だ。そして「ケガレ」が限界状態まで達したとき、そのエネルギーを一気に解放する。それが「ハレ」である。「ケガレ」は「気が枯れる」のだから、エネルギーが減少していくイメージだが、逆に欲求のガスが徐々に溜まっていく状態をも意味している。
その循環の時間を一年というスパンで見れば、さまざまな「行事」や「儀式」になり、ごく短期間に見れば、一日の仕事のストレスを発散する、サラリーマンの「飲み会」にもなる。
話は変わるが、よく文化人類学を研究しているひとから、真宗の広がっている地域では、研究の資料が乏しく、研究にはなりにくいという批判を聞くことがある。それは、研究者がフィールドワークで日本各地に残っている「葬儀」に関する調査をするとき、真宗が広まっているところでは、古代からの伝承が消されているというのだ。そう言えば、確かに、真宗では葬儀のとき、棺の上に置く「守り刀」は置かない。ご遺体の頭に巻く「天冠」という三角布も着けない。三途の川を越えるための「六文銭」や、死出の旅路をするための「手甲・脚絆」なども着けない。さらに「清め塩」も使わない。地方によっては、「四十九日」まで、四十九個のお餅を備えるが、この「四十九餅」も用いない。
おそらく昔からその地方で行われていたであろう伝承が、真宗によって、断絶されたのだと思われる。これはヨーロッパでも、キリスト教が伝播する前まであったアニミズム的な信仰が、キリスト教の伝播により消されたことと似ていると思われる。
それはともかく、真宗がなぜそのようなことになったのかと言えば、やはり、それは真宗の教えがもっている「世界観」が作用している。ひとが亡くなれば、即刻、阿弥陀様が迎えに来て、阿弥陀様の御手に抱かれて極楽浄土へ迎え取られるのだから、それは安心しておまかせしておけばよい。それなのに、「死出の旅路」の道中、恐ろしい魔物が出できたらと恐れ、それらを抹殺するために「守り刀」などを持つ必要がない。むしろ「守り刀」を持つということは、阿弥陀さんの救いの力を疑っていることになる。こういう理由から、「守り刀」などは使わない。
「ハレ・ケガレ論」からすれば、これは当てはまりにくいことだ。人間にとって、「死」とは、日常に起こってはならないことである。いわば「ケ」が頂点にまで達した「ケガレ」た状態なのだ。「死」を「ケガレ」と受け止める感覚は、日本人であれば誰でも納得できるのではないか。「ケガレ」ているから、葬儀から帰ったときには、「清め塩」で清めて、「ケガレ」を晴らそうとするのだ。しかし、真宗では「清め塩」を使わない。ということは、「ケガレ」を晴らそうとする感情を、「間違った感情」として拒否しているのだ。つまり、「ケガレ」を晴らそうとする感情を、「教義」を以て抑圧している。
「死」は「ケガレ」た状態ではなく、むしろ「死」を「ケガレ」として受け取る発想をひっくり返し、逆にその発想がどこから起こってくるのかと、自分に向けた問題提起としているのだ。つまり、「死」を「ケガレ」として自分から排除しようとする発想を問うのだ。「死」を他人事にして排除しようとしているけれども、自分もまた「死」を抱えた存在ではないのかと。自分は、もともと「死」の内部にあるのだ。この問いは「ケガレ」を晴らそうとする感情を抑圧することになる。一言で言えば「スッキリさせない」のだ。「スッキリさせない」という状態は、相変わらず「ケガレ」の状態が継続されることになり、ストイックな「ケ」に包まれる。
それでは、真宗の葬儀には、「ハレ」はないのか。そう問うてみると、確かに「儀式」をしているのだから、それは「非日常」であり、「ハレ」を生み出している。「儀式」としては、「ハレ」なのだから、「ケ」(日常)」が枯れた「ケガレ」の断絶である。「葬儀」をするのとしないのとでは、「葬儀」終了後の遺族の感情は明らかに違っている。やはり、「葬儀」をすることで、「死」をみんなで共有し、そこにみんなで悲嘆し哀悼するという共同感覚が生まれる。キチッと「生」と「死」を切り分けることで、遺族は再度「日常」という「ケ」に帰っていけるのだ。
しかし、それはどうも表層の「ハレ・ケガレ論」のような気がする。真宗には、深層の「ハレ・ケガレ論」があるのではないか、と思った。あえて、それらを「時間論」に当てはめて考えてみることにする。「ケ」は現在、「ケガレ」は過去、「ハレ」を未来と。真宗が問題にしているのは、つねに〈いま〉である。〈いま〉をどう受け取るかによって、過去の意味も未来の意味も変わってくる。過去がどれほど苦しいものであっても、それが〈いま〉の幸せにつながれば、過去は恨みの種にはならない。逆に〈いま〉が不幸であれば、過去は恨みの種になる。未来に不安があれば、〈いま〉は不安になり、未来に安心が待っていれば、〈いま〉は安心となる。ことごとく、問題は、〈いま〉をどう受け取るかに掛かっている。
この「ケ=〈いま〉」のところに、「ケガレ(過去)」と「ハレ(未来)」とを開こうとするのが〈真・宗〉ではないか。それを「死と再生」に当てはめれば、「死=ケガレ(過去)」と「再生=ハレ(未来)」の運動を「ケ=〈いま〉」に実現しようとするのだ。「死」を他人事にせず、自分の内部に起こっていることとして内面化すれば、「ケガレ」こそが「ケ」として常態化する。しかし、それに人間の感情は耐えることができない。そこに「ハレ」が起こらなければならない必然性がある。それを真宗用語に置き換えれば「救い」である。「ケガレ」た状態から「救われる」ためには、「ハレ」がなければならない。
それは過ぎ去ってしまうものではなく、つねに〈いま〉、ここで起きていなくてはならない。「ハレ」が一時的なものではなく、気がつけばいつでも、「ハレ」が回復される契機にならなければならない。サラリーマンが、一日のケガレを飲み屋で晴らすのには時間が掛かりすぎる。「一日のケ」がケガレていくためには、一日という時間が必要だ。この一日を待たずしてハレを実現するためには、そこに「死と再生」のハレが用意されていなければならない。
深層の「ハレ・ケガレ論」は、やはり時間論の転換である。「流れる時間」ではなく、「流れない時間」が開かれなければ、「死と再生」は起こりえない。「死の可能性」は誰においても、次の一瞬である。気がつけば、という言い方も変な言い方だが、「気がつけば死んでいる」のだ。まあ、だから誰も「死」を一人称では体験できない。「死」は、他の生物には決して存在しない、人間特有の「意味」としてのみあるのだ。だが、「死」が「客観的」に、また「生物学的」に存在していないからこそ、人間には「救い」がある。人間にとって、「死」は「意味」としてのみあるのだから、それを「意味転換」するという、「救い」が成り立つのだ。この「死と再生」は、「ケ(日常)」のど真ん中で起こらねばならない。「ケガレ」が、「ハレ」により解体される場所は、「ケ=〈いま〉」以外にはない。解体されることによって、「ケ=〈いま〉」が「祝祭空間」に変化する。「祝祭空間」とは、「ケ=〈いま〉」が、「万劫の初事」として再生される空間だ。
詩人のまど・みちおさんが、太陽や月や星などを見たとき、「ああ 一ばん ふるいものばかりが どうして いつも こんなに 一ばん あたらしいのだろう」と感嘆した「祝祭空間」だ。
文化人類学が考えている「ハレ・ケガレ論」は「感情論」だが、〈真・宗〉の意味空間に置き直せば、それは「意味論」となる。つまり、「意味転換論」として受け止め直されるのではないか。