「変成男子の願」あれこれ

今朝のお朝事では、「浄土和讃」にある、次の和讃をお勤めした。
「弥陀の大悲ふかければ 仏智の不思議をあらわして 変成男子の願をたて 女人成仏ちかいたり」
 お西の現代語訳を見てみたら、このように書かれていた。「阿弥陀仏は深く大いなる慈悲の心から、思いはかることのできないさとりの智慧をもって変成男子の願をおこし、女性に仏のさとりを開かせると誓われた。」(『浄土真宗聖典 三帖和讃(現代語版)』(本願寺出版社) 
 さらに「変成男子の願」に脚注がついていた。「第三十五願のこと。『大経』に「たとひわれ仏を得たらんに、十方無量不可思議の諸仏世界に、それ女人ありて、わが名字を聞きて、歓喜信楽し、菩提心を発して、女身を厭悪せん。寿終わりての後に、また女像とならば、正覚を取らじ」とある。」と書かれていた。
 親鸞は、『大経』(仏説無量寿経)をテーマにした和讃だから、阿弥陀さんの四十八願の中の三十五番目に書かれている願文を和讃にしたのだろう。この「女人成仏」の願は、『仏説無量寿経』が書かれた、世紀百年ころの社会状況を反映したものだと言われている。つまり、一言で言えば、「男尊女卑観」の文化の中で作られている。
 それに対して親鸞は、疑問を持たなかったのだろうか、と詮索してみたくなる。親鸞の中では、「仏典」は絶対的なものであり、それをそのまま受け取らなければならないというバイアスが掛かっていたのだろうか。
 しかし、『歎異抄』(後序)では、「おおよそ聖教には、真実権仮ともにあいまじわりそうろうなり。権をすてて実をとり、仮をさしおきて真をもちいるこそ、聖人の御本意にてそうらえ。」と言われている。たとえ「仏典」だからと言って、絶対的に「正しい」ということはなく、玉石混淆しているのだから、「正しい」部分は採用して、そうでない部分は捨て置けというのが親鸞の本意だと言うのだ。まあこれは弟子の唯円が、聖人のこころを推し量って言われたことなのかも知れないので、何とも言いがたいところである。
 ただ親鸞が『教行信証』に「経典・論釈」を引用した方法は、やはり玉石混淆の中から取捨選択したものだから、唯円の言い方は間違ってはいないのだ。
 それはともかく、親鸞には「男尊女卑」がおかしいと考える意味場はなかったのかも知れない。阿弥陀さんは、一切衆生を平等に救うと誓っていて、親鸞自身も、「信心」に於ける平等の救いを追究していたはずなのに、「男女観」については目が届かなかったようだ。
 九歳~二十九歳までは、「女人禁制」の比叡山延暦寺に所属していたから、「男尊女卑」の観念は対自化できなかったのかも知れない。その時代の「常識」は、その時代を生きている人間にとっては、「空気」のように当たり前になっていて、対象化することが難しいということもある。現代という意味場からすれば、明らかにおかしいことではある。
 まあ仏典解釈で言えば、古代インドでは女性は救いの対象としてすら考えられていなかった。それをせめて男性に変身させてでも成仏させたいという、仏教側からの苦肉の策なのだとも言われている。
 でも、親鸞ほどの仏者が、時代の「空気」に流されるなどということがあろうか。まして、平等の救いを追究している人間が、そんなことにも気がつかないのか、と落胆させられる。さらに、そんな親鸞の教えなど学ぶ気にならないと、そっぽを向かれるかも知れない。
 しかし、たとえ親鸞であっても、「時代の子」だったのだと思う。だから、「変成男子の願」に違和感もなく、仏典を権威主義的に、そのまま受け取っていたのだと思われる。もし、私が女性だったとしたら、こんなふうに言ってやりたい。
「親鸞!あんたもろくなもんじゃないね。平等の救いを求めて、先生の法然上人に、あんたの信心と自分の信心が一つだとか言って、せっかく「平等の救い」は信心だとぶち上げたのに。女が男にならなきゃ成仏できないなんて、単純な差別も見えないのかね!そんなこっちゃ、「平等」なんて絵に描いた餅じゃないか!もう一回、味噌汁で顔を洗って出直してきやがれ!」