第2回 秋葉原親鸞講座(2024.5.8)感想・質問への応答〔武田定光〕2024/6/19
1.「一人称の死を知らない」「死が解体される」と言われる先生は、死は怖くないのですか?
武田→ 「死は怖くないですか」と問われる貴方は、「死」をどのようにイメージているのでしょうか。「死」の何を怖れているのでしょうか。漠然と怖れている「死」を凝視しなければなりません。そもそも「死」は、生者の観念にしか過ぎません。実体験できないのですから。どれほど「死」について考え、イメージしても、それは所詮、「観念の死」でしかありません。いまここで、刃物で襲われれば、防衛するし、その場から逃げるという行動を取るかも知れません。しかし、それも「観念」ですから、その時、その場で私がどう動くかをいまから予想しても、意味はありません。まあ刃物で刺されなくても、やがて肉体は生理的機能を停止していくことは予想できます。それを「死」だとイメージすれば、暗い気持ちにもなりますね。暗い気持ちにさせるはたらきの正体は、私の「貪欲(とんよく)」です。「貪欲」は人間の気分をも支配する危険な煩悩です。ですから、たとえ「暗い気分」になったとしても、それは「観念の死」を怖れているに過ぎませんから、それに左右される必要もありません。どれほど切実に考えても、それは「真実の死」ではありません。我々は「死」を体験できるようには作られてはいないのです。
たまに、「死ぬのは怖くなくなりました」などと言われるお坊さんがいます。この言葉を聞いた聴衆は、「死ぬのが怖くなるのか。さすがだな、それは素晴らしいなあ」と思ったかも知れません。しかし、そういう言葉は、そのお坊さんの現段階の感想でしかありません。もし、自分に「死」が迫ってきたとき、本当に「死ぬのは怖くない」と言い切れるかどうかの保証はどこにもないのです。ですから、それは、あくまで現段階での話であって、異なった状況では、違った感情を持つかも知れないのです。それを現段階で、それが済んだことのように語ってしまうのは、よくないことだと思います。
そもそも、「死を怖れる」と言った場合、「死ぬまでの過程を怖れる」ことと、「死後の世界についての恐れ」と二つがあるようです。「死ぬまでの過程を怖れる」とは、将来、病気になるのではいかとか、交通事故や事件などの苦しみを先取りして怖れるのです。「死後の世界について恐れる」とは、歎異抄第二条に登場する関東の門弟たちが抱えていた恐れでしょう。恐れというよりも、不安と言った方が正確かも知れません。自分が死んだ後、苦しみの多い地獄へ往くのではないかという恐れです。オウム真理教の信者が、「地獄に堕ちるぞ」と語っていたのは、「地獄への恐れ」です。この恐れは、中世とか現代という時間を超えた、人類にとって普遍的な恐れでしょう。それは「存在することに対する無意味さ」への恐れに繋がっているのかも知れません。人間は、苦しみを欲しませんが、どれほどの苦しみがあったとしても、そのことに対する「意味」が見出せれば、人間はそれに耐えうる可能性を持っています。アウシュビッツに於けるフランクルの耐え方が、それだったのでしょう。ただし、その「意味」とは、煩悩である貪欲を満足させる意味ではありません。その貪欲に騙(だま)されず、貪欲を手なずけ、貪欲を対象化された安らぎです。親鸞はそれを、「総じてもって存知せざるなり」という言葉で語ります。歎異抄第二条と後序に2箇所にのみ、この言葉が使われます。これは貪欲が完膚(かんぷ)なきまでに完全に対象化され状態を表しています。歎異抄第二条では、念仏が浄土に往くための方法であるのか、地獄へ往くための行為であるのか、私は知らないと言います。「存知せざる」というのは、それを決めたがるのは貪欲だから、そんなものに私は騙されない。だから「死後」どこへ往くのかなどという関心は捨てさせられた。それを「存知せざる」と表現しているのです。
後序では、「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり」です。これも、絶対基準に照らしてみれば、人間の関心はすべて相対的なものだと教えています。つまり、人間が決めた善悪などは煩悩が決めたものだから、そんなものに左右されないということです。つまり、貪欲を完全に対象化し、手なずけているのです。「存知せざるなり」は、そんなことは知らない、私はそんなものに惑わされないという表明でもありましょう。それが「阿弥陀さんにおまかせ」ということであります。
2.驚愕の連続でした。しかも、なぜおどろいているかを感覚としてはつかんでいても、言葉にはちょっとできません。つまりなぜかわかりません。次回楽しみです。ありがとうございました。
武田→ 仏法は表層の意識を通して、深層で聞くものですから、深層で受け止めて頂き有り難うございました。もちろん私は「言葉」を話しているのですが、それは表層に現れた出来事であって、それが「言葉」として表出されるまでには深層を経過してくるのです。親鸞も「知る」ということで、「信知」という言葉を使います。表層の「知る」は、「対象を認識する」ことでしょうが、その場合、「差異を知る」のです。「事物」と「背景」が同化していれば、我々はそれを「事物」として認識できません。「事物」と「背景」の差異を知ったとき、初めて「事物」が「事物」として立ち現れてくるのです。しかし、深層の「知る」は「信知」であって、そういう知り方を通して、「腑に落ちる」とか、「身体で納得する」という知り方です。私が、杉の林を見ているときに得た、「この世に、一本として同じ枝振りの杉は存在しない」という驚きは、「信知」だったのだと思います。「信知」は知的な差異を知るを超えて、感受性までもが変化してしまう知り方です。仏教が、「さとり」と言い、真宗で「信心」と言ってきたのは、そういう知り方だと思います。
3.「信の念仏」は、行をしなくとも、すでにあるということでしょうか。猫の話が興味深く面白く感じました。ただ、難しくて、分かるような、分からないような…。やはり分からない…です。
武田→ 「信の念仏」とは、この世のすべてが、世界が、向こうから立ち現れてくるような感動です。「行をしなくとも」と言われていますが、こちらから掴もうとする念仏ではありません。この世と私とこの世界全体が、欠けるところなく阿弥陀如来の促しで動いている。その動きそのものに圧倒されるだけです。圧倒してくるものこそが、親鸞のイメージした「行」でしょう。だから、「大行」なのです。我々には「大行」が浴びせられ続けているのです。呼吸も鼓動も、あらゆる生理現象から、様々な出来事が自分にとってはすべて受動そのものです。受動だと受け止める「自分」をも、そのように促され、「自分」だと考えさせられているに過ぎません。そもそも「自分」などという実体はないのですから。それを譬喩的に、「阿弥陀さんが主体になり、自分は客体になる」と表現したりしています。
「分かるような、分からないような…。やはり分からない…です」は素晴らしいです。人間は知的に知り得るものを好みます。知りたいのですが、知ってしまったら、飽きてしまうのです。ですから、阿弥陀さんは決して「知的」にはつかませないようにして、人間を救うのです。知的には満足できなくても、身(たましい)が満たされていくのが聴聞の醍醐味です。表層の満足ではなく、深層の満足です。当初は、「分からない」ことが不満ですが、究極的には、「分からなくてよかった」という世界に出て行くのです。
4.第1回講座の質問②に対するお答えありがとうございました。親鸞と道元のそれぞれの教えの根底には共通項があるのではと感じていたことが、武田師のお答えにより、明確なものとなりました。念仏も曹洞禅も大切にしながら、聞法を重ねていこうという思いを新たにしました。
講座2での質問です。師・法然の「行の念仏」を弟子・親鸞が「信の念仏」とした動機、理由または、宗教的体験は何だとお考えでしょうか。よろしくお願いいたします。
武田→ 親鸞も道元も、ものすごい量の表現があるのですが、それであっても、〈真実〉のフォルムの断片を表現したに過ぎません。〈真実〉のフォルムを100%、すべて表現することは、人間にはできないのです。だから、貴方の表現する余地も残っているわけです。これは「維摩(ゆいま)の方丈(ほうじょう)」のように、その中にどれほどの表現が生まれても、満席になることはありません。親鸞と道元は、たまたま違った縁で仏法に出会っただけです。しかし、念仏と坐禅は違います。その違いは、たまたまの御縁です。その御縁を通して、通底する〈真実〉のフォルムで共鳴していたのでしょう。
面白い話を思いだしました。それは鈴木大拙(臨済禅)と曽我量深(真宗)の対話です。鈴木大拙が、「曽我さんが、そこまで分かっているのなら、もう覚っていると言ったらいいでしょう」と言うと、曽我量深は、「いやいや仏でもないのに、覚っているなどとは、とんでもない。どこまでも凡夫の自覚です」と答えたそうです。これも私の伝聞ですから、正確ではありません。しかし、ここに「道元と親鸞の共鳴」が、「大拙と量深の共鳴」とオーバーラップして聞こえてきませんか。
質問2に関してですが、「動機、理由または、宗教的体験」が何であったかは分かりません。それは親鸞の業(ごう)としか思いつきません。〈真実〉に取り憑かれていれば、「信の念仏」の地平に連れて行かれるはずですけれどね。ただ、親鸞まで行くと、もはや「念仏をする」という行為そのものが危うくなります。親鸞が問題にしているのは、内面(信)ですから。法然は、その意味では道元と同じ段階だったのでしょう。自分と〈真実〉とが触れ合うギリギリの接点に「行為」を確保したかったのでしょう。道元は「坐る」、法然は「称える」という「行為」を唯一の条件にしました。これを抜いてしまうと、自分が何をやっているのかが分からなくなりますし、そもそも仏教ではなくなるのではないかという不安もよぎります。それで〈真実〉と触れ合うためのギリギリの「易行(いぎょう)」として「行為」を確保したのでしょう。そこに踏みとどまったのです。ここまでが安全域で、ここから先は危険域です。しかし、親鸞はその「行為」をも無条件にしてしまいます。だから、親鸞からは、「~する」が殺されてしまったのです。殺されてみたら、「ある」が立ち現れ、「ある」から、すべての逆流が始まり、「されている」という如来回向が動き始めたのです。ですから、人間の眼から見れば、親鸞の「念仏」は、何もしていないのと同じように見えます。しかし、親鸞の眼から見れば、如来回向の「大行」が自己のうえに躍動しつつ、脈々と展開しているのです。法然の眼が開かれたのは、善導の「是名正定之業(ぜみょうしょうじょうしごう) 順彼仏願故(じゅんぴぶつがんこ)」(これを正定の業と名づく、彼の仏願によるが故に)です。「この称名という行為は、間違いなく浄土へ生まれるための行為である。なぜならば、それは阿弥陀さんの願いに従うことだからだ」という確信です。でも、親鸞はそうは言っても「阿弥陀さんの願に従うこと」も人間が決めたことではないかという疑念です。親鸞は、その疑念に自分自身、気づいていたかどうかは分かりませんが、結果的には、「念仏は非行非善(ひぎょうひぜん)なり」(歎異抄第8条)へ突き抜けました。だから、「法然自身が表現した教相」と、「親鸞が受け止めた法然の教相」は異質なのです。
5.留学している間に、“神様”を信じている人達に接することがあったのですが、「神様が見ている」とか「神様が与えた試練」とか、そんな感覚が分からなくて、その意図みたいなのがあるかなと、なんとなく参加しましたが、まさかの阿弥陀様はメタファーでしかないって話でびっくりしつつ、おもしろかったです。
武田→ 私は、真宗を「成熟した一神教」などと言ってます。西洋一神教は、宗教として、凄く良い線行っていると思っています。ただ、まだ「人格性」が脱色されていません。阿弥陀さんは、「人格的表現」で表しますが、本質は「脱人格性」なのです。だから、「阿弥陀さんが見ている」とか、「阿弥陀さんの与えた試練」などという表現は取りません。たとえそういう表現を取ったとしても、本気で、そんなことを思っているわけではありません。
西洋一神教が「神」という概念を、唯一無二という独立的で絶対的存在としている点に問題があると思います。人間が「神」を考える場合、どうしても「人間」を延長した形でイメージしてしまいます。だから、「神」は初めから「神」であって、完全無欠な存在というイメージです。しかし、阿弥陀さんは、初めから絶対的な存在ではありません。それは「誓願(せいがん)」という愛を本質としているからです。もし一人でも救われない者が存在していたなら、自分は仏失格であると誓っているのです。つまり、独立自尊の「超越者」ではありません。あなたが救われなければ、私は仏ではないと言っています。いわば「不完全な存在」であり、あなたが救われることを条件として初めて仏と成るのです。言い方を変えれば、「我を助けずんば仏ならず。仏を助けずんば我ならず」という「相互救済関係」が阿弥陀さんと私との関係なのです。西洋一神教は「一方的救済」ですが、〈真・宗〉は「相互救済」です。また「相互救済」という救済形式が「救済」の健康的なあり方です。もし「一方的救済」であれば、救済された人間は、一生涯、救済した「絶対者」に頭が上がりません。それは人間の「自律」を阻んでしまいます。もし「絶対者」が、普遍的な救いを誓っているならば、その救いが実現されるのは、「自己一人」のところでなければなりません。普遍の救いが証明される場所は、「自己一人」を除いてはないのです。「あらゆる苦悩する存在を救ってくれるのが神様だ、だから普遍的なんだ」といくら力説しても、そこに「自分」が抜けていれば、それは空言になってしまいます。逆に言えば、阿弥陀さんは、その「一人」を目掛けて愛を放ってくるのです。なぜならば、そこには阿弥陀さん自身の「成仏」が掛かっているから必至なのです。いのちがけの阿弥陀の愛だから、私にまで救いが届くのです。私が救われなければ、平然と「絶対者」の顔はしていられないわけです。これが「成熟した一神教」という意味です。「良い線行っている」と言ったのは、「一神」という、「唯一性」を大事にしているからです。信仰は「あれかこれか」という選択がなければなりません。自分の好みで選択するというよりも、御縁によって選択させられるということです。「あれもこれもよい」という言い方は、曖昧な信仰であり、その判断は、ご利益信仰に傾きます。「あれもこれもよい」と言った場合の「よい」の中身を吟味していけば、だいたいそうです。「あれかこれか」という決定的選択があって、初めて成熟した信仰になるのです。それは道元と親鸞の出会いが象徴しています。
6.私は60才定年を機に退職し、他の仕事を始めました。何故かやりたいことの一つが宗教(仏教)について知りたい。たまたまお墓のあるお寺が浄土真宗大谷派だとわかりました。身近なところから学んでみたい。触れてみたいと思いました。
宗教を信じるのは救われたい、幸せでない人、悩みのある人というイメージでした。私は自分を幸せであると思っていますし、悩まない方です。救われたいと思って参加を決意したわけではなく、どんな世界(教え)か知りたかったのです。全く知らないので。
御利益を求めてのお賽錢と同じで、熱心な信者が極楽浄土に行けるとしたら、「地獄の沙汰も金しだい」と思えます。先生の言われる「損得勘定」がこれと同義か不明ですが、私には面白かったです。本日も「念仏したからといって~」で、念仏しなくても変わらないとか念仏しないとか思っているのではありませんが、純粋に念仏する。結果を求めないで、念仏することに魅かれました。親鸞が生きた時代は生きる(食べる)のが大変な時代でした。念仏が生きることに直結した時代と今の日本で念仏する意味を考えていきたいと思いました。
武田→ ご受講有り難うございます。阿弥陀さんに成り代わりまして御礼申し上げます。「学んでみたい。触れてみたい」と思われたのも、阿弥陀さんの促しだと受け止めます。自分の内面から起こった好奇心だと思ってしまいますけれども、本当はそういうことではないと思います。ですから、曉烏敏(あけがらすはや)が「お念仏をするのは、オナラをする要領で」と言ったのは名言ですね。法然上人当時も、「ただ念仏」とおっしゃるものですから、弟子たちは、「ただ念仏といっても、たくさん念仏したほうがよいに決まっている」(多念義)、とか「いやいや純粋な念仏は、ただ一回の念仏以外にないのだ」(一念義)と主張しました。そのときの法然上人の応え方は、一念とか多念とかに執われずに、「ただ口に念仏しなさい」です。「臨終の念仏」と「平生の念仏」のどちらが勝れているかという弟子の問いに対して、「平生の念仏の、死ぬれば臨終の念仏となり、臨終の念仏の、延ぶれば平生の念仏となるなり。」(『法然上人全集』「念仏往生要義抄」平楽寺書店)と答えています。普段、称え続けていれば、いつかいのちの終わるときが来るのだから、それが「臨終の念仏」になるし、「臨終の念仏」だと思って普段称え続けていれば、それは「平生の念仏」になると言うわけです。だからどちらも同じだと言うのです。あるいは、こんなふうにも言っています。「上人つねにのたまいしは、一丈のほりをこへんとおもはん人は、一丈五尺をこへんとはげむべし。往生を期せん人は、決定(けつじょう)の信をとりてあひはげむべき也。ゆるくしてはかなふべからずと。」(「聖光上人傳説の詞」)現代語に訳せば、こうなりましょう。「法然上人が常に語られていたことには、一丈(約3メートル)の堀を飛び越そうと心掛ける人は、一丈五尺(4,5メートル)の堀を飛び越そうと心掛けて励まなければならない。来たるべき往生を待望するひとは、「決定の信」を得てももなお励まなければならない。気を許してゆっくりと「念仏」していたのでは「往生」は不可能であろうと、おっしゃっておられました。」このような表現を目にすると、やはり法然上人は、「口称念仏」に徹底的にこだわられたかたなのだと思わずにおられません。それで「毎日、六萬遍」とか「七萬遍」の口称念仏を称えておられたということなのでしょう。
ところが親鸞は、「口称念仏」よりも「信」を重視します。『教行信証』(信巻・聖典①p236②p268)には、次のようにあります。
「真実の信心は必ず名号を具す。名号は必ずしも願力の信心を具せざるなり。」と述べています。「真実の信心」は、必ず「名号(口称念仏)」を生むが、だからと言って、「名号(口称念仏)」には、必ずしも「信心」が備わっているとは限らない」と。これは法然上人とは明らかに異なった受け止めだと分かります。法然上人は、「信」よりも「口称」、親鸞は「口称」よりも「信」を重視しています。しかし、その真意の分かりやすいのは法然、分かりにくいのが親鸞です。「口称」は発語ですから、外化されれば、つまり「称え」られれば、自分の耳に聞こえまますし、他者にも聞こえますから、いま自分が何をしているのかが確かめられます。しかし親鸞の「信」とは、内面の思いであって、外化できませんから、自分では確かめることができません。ですから、自分が「真実の信心」になっているのかどうかが分かりません。確証が持てないのです。
そのことに立ち止まられたのが、曇鸞(どんらん)大師です。それを親鸞は見逃さず『教行信証』に引用しています。「かの無碍光如来の名号よく衆生の一切の無明を破す、よく衆生の一切の志願を満てたまう、しかるに称名憶念あれども、無明なお存して所願を満てざるはいかんとならば、実のごとく修行せざると、名義と相応せざるに由るがゆえなり。」(聖典①p213②p240)
「南無阿弥陀仏と称えることで、人間のすべての迷いが破られ、すべての願いが叶うと言われているけれども、南無阿弥陀仏を称えても、一向に明るくなれないし、願いが満たされないのはなぜなんだ。」と。この問いは親鸞も感じていたものだったのでしょう。そして、それに対して、「それは真実に適った修行になっていないからであり、南無阿弥陀仏の意味と一つになっていないかだら」と曇鸞大師は答えを述べています。
「~する」という関心で行う念仏は、人間の関心であって、「如実修行」ではありません。その関心が引っ繰り返ったとき、「~する」が消え、「されている」という世界へ抜けていきました。「弥陀の御もよおしにあずかって、念仏する」(歎異抄第六条)という理解が親鸞の念仏理解です。ここまで内面深くまで来ると、もはやそれは「信」ではなくて、「願」と言うべきでしょうね。「願」は、あらゆる手段を使って「自己肯定」へと傾こうとする「信」を解体し、広大な「願」の世界を開きます。これが曽我先生のおっしゃる「信に死して、願に生きよ」でしょう。
曇鸞大師の気づいたこの「問い」は、親鸞も感じた「問い」であり、やがて、この「問い」は、歎異抄第九条の唯円の「問い」へと重なり、私にまで届きます。「念仏もうしそうらえども、踊躍歓喜のこころおろそかにして」という唯円の「問い」です。さらにこの「問い」は、一切衆生を代表する「問い」です。「念仏を称えていても、喜びのこころが継続しないのはどうしてでしょうか」と。この「問い」に恵まれることが、本願への扉を開きます。