第十五回・静岡親鸞講座の「質問&感想」に応えて

二〇二四年六月三日に第十五回・静岡親鸞講座が静岡県静岡市葵区の真勝寺さんで開催された。私は、東京であろうと静岡であろうと、「親鸞講座」と名の付くものは、すべて、文書で「疑問・感想」にお答えしてきた。池袋親鸞講座は十年ほど開催されたが、そこでお答えした文書は、日の目を見ることはなかった。それはあくまで、その講座に参加された方々のためのものだから、という縛りが自分の中にあったからだろう。しかし、「疑問・感想」は、意外に、もっと人間にとって普遍的なものなのだと、思い直すようになった。これを初めて読まれる方は、「へえ、そんな疑問があるのか?」とか、「この疑問は、自分も感じていたことだ」などと共感も起こるかも知れない。思い返せば、他者の疑問を通して学ぶという形式は、大乗仏典が教えてきたことではないか。『仏説無量寿経』の中に、仏弟子・阿難が、御釈迦さんに向かって、「何がゆえぞ威神光光たること乃し爾る」(お釈迦様、なんで、いま、そんなに光り輝いておられるのですか)、と疑問を呈したことが出ている。その阿難の問いを、お釈迦さんが、大変に褒め称えている。もちろん親鸞も、そのことを『教行信証』(教巻)に引用し、この問いを切っ掛けにして、御釈迦さんがなぜ、この世に生まれたのかという意味、つまり、「出生本懐」が開陳されたのだと讃嘆している。
 なぜ阿難の問いが、それほど大切なのか。そのことの意味を、誰もが我がこととして学べ、と親鸞は受け止めたのに違いない。長々と書いたが、そんなわけで、ここに「質問&感想」を公開することにした。

①質問
広辞苑には意味が書いてない。文字の羅列しかない。この表現にビックリしたけれども、その人が文字を見た時に意味が立ち上がる。確かにそうだなと思いました。
主観と客観ということでいえば、客観というものはないのかなと思いましたが、どうでしょうか?
 主観が普遍性まで突き詰める。客観が変わる、客観が動く、客観の意味が変わるという表現もありましたが、もう少し説明をお願い致します。
武田→ 「客観」とは、「数量化・数値化」され、他者が「そうだ」と認識することです。しかし、どれほど「数量化・数値化」されても主観は納得しません。「客観的」にお母さんが亡くなったとして、お母さんを亡くした兄弟にとって、その悲しみは「数量化・数値化」できないでしょう。兄弟とは言っても、悲しみは微妙に違うはずです。「主観」というものは、それほどに個別的であり、生々しいものだと思います。
 貴方のおっしゃるように、「客観というものはない」のだと思います。その場合の「ない」を丁寧に言えば、「観念としてのみある」ということです。仏教も「共業(ぐうごう)」と「不共業(ふぐうごう)」という分け方をします。「共業」とは、「類」を共通するものが同じように感じ取ることのできる位相と、「不共業」とは、まさに個人にしか感じられない位相です。つまり、人類が共通して感じる位相(共業)と、決して「人類」という括りには分類できない固有の位相(不共業)です。例えば、味覚は人類共通の面もありますが、それでは、なぜ食べ物の好き嫌いという現象が起こるのでしょうか。知り合いに、パクチーの大好きなひとがいますが、私は好きではありません。椎茸は食べられないとか、魚介類が食べられないというひともいます。もし、味覚が人類共通の感覚ならば、「好き嫌い」も共通してよいはずですが、そうは行きません。必ず固有の世界とぶつかります。これは私がいつも引用するものですが、ユクスキュル(動物学者)の説が、そのことを教えてくれます。彼はこう言います。
 「世界が客観的にたった一つだ」というのは「妄想」であり、「この妄想は世界というものは、ただ一つしか存在しないもので、その中にあらゆる生物主体が一様にはめこまれているという信仰によって培われている。ここからすべての生物に対して、ただ一つの空間と時間しか存在しないはずだという、ごく一般的な確信が生まれてくる」(『生物から見た世界』思索社)と。ですから、四苦八苦も人類共通の位相と、極めて個人的な固有の位相があるのです。でも、共通の位相はさほど切実ではありませんが、やはり固有の位相こそが問題なのです。二人称、三人称の死は、どこまで行っても、観念としての「他者の死」ですが、「一人称の死」こそが、自分にとってもっとも切実な問題なのです。大田南畝(おおたなんぽ)が、「今までは人のことだと思ふたが、俺が死ぬとはこいつはたまらん」と言ったのは、このことでしょう。
 言葉を換えれば、いままで「客観的」だと思ってきた「死」が、「人間特有の観念」だと覚めてみれば、この「客観的」と考えていた観念そのものが変化します。

②質問
唯識派の天親がなぜ「浄土論」を書いたのでしょうか?先生のご意見をお聞かせください。
武田→ なぜ天親が「浄土論」を書いたのかは、正確なところは分かりません。ただ天親自身が、なぜ「願生偈」を書くのかという動機に関して、「かの安楽世界を観じて、阿弥陀如来を見たてまつり、かの国に生まれんと願ずる」と言っています。つまり、阿弥陀さんの世界と阿弥陀さんを「観見(かんけん)」し、阿弥陀さんの国へ生まれたいと言うのです。そこから逆算して考えてみますと、やはり、唯識が志向する「この世での覚り」への不全感があるように思えます。いわゆる「浄土教」という関心が生まれてきた背景は、「この世での覚り」だけでは、人間存在の全体を覆い尽くすことができないという直観でしょう。お釈迦さんが説かれた「仏教」の関心は、すべて現世での「覚り」を目指すものでしたからね。しかし、人間には、「来世」という関心があります。だから、「現世」と「来世」を網羅するものでなければ、人間存在そのものが納得しないのでしょう。そういう「浄土教」的関心が天親に「浄土論」を書かせたのではないでしょうか。これは安田理深先生の受け売りですが、やはり、「浄土論」は唯識の論師が書かれたものであって、「観察(かんざつ)」が中心に出来上がっている瑜伽唯識の論だろうと。それを「浄土往生」の論として解釈したのが曇鸞であり、曇鸞が「唯識の書」を、「浄土往生の書」として再生させたのだと。だから、「三経一論」を、名実ともに成り立たせたのは曇鸞なのだとおっしゃっています。これは、比叡山にも「天台浄土教」が生まれ、高野山にも「浄土教的関心」が生まれことにも通じます。ネット情報だと、「高野山は弘法大師入定(にゅうじょう)の聖地、弥勒菩薩の浄土と信仰されたことにより、高野浄土を求め極楽往生を願う多くの念仏修行者が高野山に集まり、大念仏集団が形成された。 それは後に高野聖(こうやひじり)と呼ばれる聖(ひじり)集団となり、全国に高野浄土を知らしめることとなる。」とあります。真言宗の開祖・弘法大師空海は、もちろん「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」を目指し、「現世」での「覚り」が中心課題なのですが、やはり、それだけの関心では、人間そのものが納得しなかったのでしょう。
 親鸞まで来ると、その「現世」と「来世」の問題が明確に意識されます。それを私流にまとめると、人間にとっての「時間」とは何かという問題になります。もっと言えば、「過去→現在→未来」と考える「通時的時間」観念を「幻想」として相対化させ、〈いま〉という「共時的時間」(流れない時間)を開きます。それを「現生不退」とか「正定聚不退転」などという言葉で表現しています。
 以前の私は、親鸞の言葉を高みにあるゴールだと考え、そこを目指して考えてきたように思います。しかし、それは間違いでした。むしろ、親鸞が、それらの言葉で、何とか苦労して表現を試みようとされてきた人間の根源へ下降していかなければなりません。下降していき、人類の普遍性にまで達したとき、初めて親鸞の苦労が共感できるのでしょう。さらに、普遍性に達したなら、そこから自分なりの表現が浮上してくるはずです。「法」は普遍的ですが、「機」は特殊です。必ず、自分なりの表現を生んでくる力を「法」は持っています。

③質問
今回のテーマは「する一心」と「なる一心」ですが、「ある一心」(存在)の方が分かり易い気がしたのですが、「なる」は「する」ということではなく、「思いを超えてなっていく」又は「ならせてもらう」という意味合いなのでしょうか?「する」はしなければならないという何か義務的にも感じてしまうものからの解放なのかもと思いました。
武田→ 「~する」関心は、第十九願で、「ある」関心は第二十願で、「なる(されている)」関心は第十八願と言ってみたい気持ちになりました。第十九願は、「修諸功徳・臨終現前」を志向する関心ですから、常に「~する」が関心にあります。その「~する」が徹底された状態を暗示するのが、第二十願です。「~する」関心は、自分が阿弥陀さんを目掛けて「~する」のですから、自己と阿弥陀とが分裂しています。しかし、第二十願までに徹底されると、自己と阿弥陀が一体になり陶酔した状態になります。だから、「ある」は〈いま〉までの「~する」が停止し死ぬことでもあります。「不断念仏」で「~する」が常態化すれば、もはや「していること」そのことに埋没し、時間が止まったような状態になります。これは「~する」が究極まで徹底された状態です。「ある」だけで充分満足して、そこに留まってしまう。動きがなくなります。(懈慢界です)阿弥陀経には、有名な「一心不乱」という言葉があり、「陶酔」という言葉が、その状態をよく表していると思います。これは親鸞が「常行三昧堂」で体験したことではないかと思います。ところが、その「ある」に揺さぶりをかけ、「されている」に目覚ましめるのが、第十八願です。ここまでくると、自己と阿弥陀の関係が逆転します。いままで「自己」だと思っていたものは、阿弥陀さんに、そのように思わされていただけであり、真の主体は「阿弥陀さん」だったと変わってしまいます。「揺さぶりをかける」と言いましたが、これは、歎異抄第九条の「念仏もうしそうらえども」という唯円の表白が、それに当たります。「陶酔」から覚醒させるはたらきが第十八願です。直観的な話ですが、そのように思います。
④質問
南無阿弥陀仏を称えさせてもらう心が一心、信心ということだと思いますが、自然と南無阿弥陀仏は出るようになるものなのでしょうか?
それとも少し意識的に称えてみるということも「なる一心」で大切なのでしょうか?
武田→ 「南無阿弥陀仏」と「発語」することは、「宿業」の発露ですから、人為を超えています。親鸞は、それを「諸仏称名」と言います。「南無阿弥陀仏」と「発語」している状態は「諸仏」なのです。自分はそれを「聞く」というところに軸足を置きます。蓮如が、「真のうえは、とうとく思いて申す念仏も、また、ふと申す念仏も、仏恩に備わるなり。」(『蓮如上人御一代記聞書』聖典①p886②p1060)と言います。こちらがどのような状態で「南無阿弥陀仏」と発語しても、それは阿弥陀さんの促しであり、ひとつも「自分」が介在していないということです。
 ですから、どのような状態で「南無阿弥陀仏」を発語してもよいのです。もちろん「意識的に称えてみる」というのもよいと思います。称えることで、「聞く自分」に気づかせてもらえますからね。親鸞の考える「聞」は、たとえ自分は発語した「南無阿弥陀仏」であっても、それは空気を振動させて自分の鼓膜を揺らします。こころの中で「南無阿弥陀仏」と発語するのとは違います。だから、具体的なのです。「南無阿弥陀仏」を、如来から発せられた声として、受け取るところに「自分」は成り立つのです。
 誤解を受けるかも知れませんが、親鸞の「称名」は「諸仏の次元」と「自己の次元」が棲み分けられているのです。「諸仏の次元」とは、「行為の次元」であり、「宿業発露の次元」です。だから、称えている行為そのものは「諸仏」です。しかし、それでは「自己」はどこにあるのかと言えば、その「諸仏」の声を聞くというところに成り立つのです。
「称」は諸仏の次元、「聞(信)」は凡夫の次元と棲み分けができればよいのです。それを野田妙薫(みょうくん)師は「ひと声も役に立たさぬ嬉しさに、となえてはみつ、みてはとなえつ」とか、「一二三四、五六万ととなえても、さらにしるしのなきぞうれしき」と詠われています。「ひと声も役に立たさぬ」とは、どれほど南無阿弥陀仏と称えても、それは「自分が称えた」とは思えないということです。そこに「自分が」という傲慢があれば、「役に立たさぬ」ことは「うれしさ」には結びつきません。「役に立たさぬ」とは如来のはたらきだからこそ、「うれしさ」に転換します。でも、人間は「役に立つ」ものだけを「うれしさ」に還元しようとします。それは「役に立つ・役に立たない」という煩悩から生まれた「うれしさ」です。妙薫師の言う「役に立たさぬ」とは、その煩悩に騙されないという「うれしさ」です。

⑤質問
「疑城胎宮・辺地懈慢」の胎宮は阿弥陀さんの子宮で親子の対面ができないというお話をとても新鮮にお聞きしました。「疑城・辺地懈慢」ということも阿弥陀さんとの関係で考えることはできますか?
武田→ まあ鸞聖人は、「仏智疑惑」の譬喩として、「疑城胎宮(ぎじょうたいぐう)・辺地懈慢(へんじけまん)」を用います。それぞれが面白い譬喩です。「疑城」は、疑いの城ですね。疑っているひとは、一国一城の主のように自己を受け取っています。この世界で一番正しく偉い者は自分だと思っています。自覚するしないに関わらず、私たちの意識は「憍慢の自己」なのです。自分を圧迫してくる相手は力でねじ伏せようとし、城を攻めてくる者には、城の穴から銃や弓矢で攻撃しようとします。この世には信じるものなど一つもない、みんな嘘っぱちであり信用できないと思っています。自分に言い寄ってくるものは、自分の財産を狙って近寄ってくるのだ、だからこころを開いてひとを受け容れるような危険なことは絶対にしません。孤独に閉塞した世界を作っています。曇鸞大師は、それを「繭」と言いました。「蠶繭自縛(さんけんじばく)」と譬喩で語ります。蚕が繭を出して自分自身をグルグル巻きにして縛っているようなものだと言うのです。
 「胎宮」を私は、阿弥陀さんの子宮の譬喩として受け止めています。いわゆる、「陶酔型の信仰」の譬喩です。お母さんのお腹の中は、安全安心快適な場所です。ですから、「胎宮」からは出たくないのです。親鸞聖人は、『教行信証』(化身土巻・聖典①p328②聖典p382)に『大経』を引いて「それ胎生(たいしょう)の者は処するところの宮殿、あるいは百由旬(ひゃくゆじゅん)、あるいは五百由旬(ごひゃくゆじゅん)なり。おのおのその中にしてもろもろの快楽を受くること、忉利天上(とうりてんじょう)のごとし。」と述べています。「胎生」とは「胎宮に生きるもの」という意味です。本願寺の現代語訳では「胎生のもののいる宮殿は、あるいは百由旬、あるいは五百由旬という大きさで、みなその中で忉利天と同じように何のさまたげもなくさまざまな楽しみを受けているのである。」(『浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類ー現代語版ー』本願寺出版社発行)と訳されています。「忉利天」とは「六欲天」とも呼ばれていますが、天界は欲の世界であって、欲が満足することの象徴として、ここでは使われているように思います。
親鸞聖人は、「疑惑和讃」で、〈真実〉に至り得ない信仰を、様々に表現していきます。たとえば、「仏智を疑惑するゆえに 胎生のものは智慧もなし 胎宮にかならずうまるるを 牢獄にいるとたとえたり」、「七宝の宮殿にうまれては 五百歳のとしをとしをへて 三宝を見聞せざるゆえ 有情利益はさらになし」(「疑惑和讃」聖典①p506②p619)「胎宮」を「七宝の宮殿」とも譬喩で語ります。「七宝の宮殿」とは、外から見ればとても美しい財宝で作られた宮殿ですが、人間が実際に、その中で生活することはできません。相田みつをさんが言うように「きれいな 玄関と床の間だけじゃ生活できねんだよなあ」と同じことです。宝石で敷き詰められたベッドでは、体が痛くて寝られないでしょう。「七宝の宮殿」では、人間は生きることができません。そして、大切なことは、そこに「三宝を見聞せざるゆえ」です。「三宝」とは「仏法僧」ですが、大事なのは「仏」である阿弥陀仏に出会うことができないのです。そこがどんなに美しくまた、安全安心な場所であっても、そこから生まれ出なければ親子の対面はできません。南無阿弥陀仏とは、南無(子ども)阿弥陀仏(親)であって、親子が対面したときの名乗りなのです。親鸞聖人も「辺地(へんじ)・胎宮(たいぐう)・懈慢界(けまんがい)の業因(ごういん)なり。かるがゆえに極楽に生まるといえども、三宝(さんぼう)を見たてまつらず、仏心の光明、余(よ)の雑業(ぞうごう)の行者(ぎょうじゃ)を照摂(しょうしょう)せざるなり。仮令(けりょう)の誓願(せいがん)、良(まこと)に由(ゆえ)あるかな。」(『教行信証』化身土巻・聖典①p343②p402)と述べられ、「三宝」に出遇えないばかりか、「余の雑業の行者を照摂せざるなり」と厳しく語られます。阿弥陀さんの摂取の光明は、このひとを照らし護ることはないと言うのです。「一切衆生」の救いを誓った阿弥陀さんが、救いに「例外」をもうけているのです。ここが本願第18願文の「唯除」の文の深淵です。「一切衆生の救い」を誓う阿弥陀さんが、「唯除」を設けることによって、初めて阿弥陀さんと親子の名乗りができたという感動を親鸞聖人は、「仮令の誓願、良に由あるかな」という言葉に込めているのだと思います。このフレーズと同じ表現を「三願転入」の終わりに、「果遂(かすい)の誓(ちか)い、良(まこと)に由(ゆえ)あるかな。」(聖典①p365②p418)と述べています。「仮令の誓願」は第19願、「果遂の誓い」は第20願です。まあ48願すべてが、ひとつの「誓願」から起こっているのですが、具体的な動き方が48通りあるというようなものでしょう。
「一切衆生」は救われても、お前だけは救わないと批判して、この本願のこころに気付けた者、つまりお前だけを救うという、念の入ったお計らいです。この念入りのお計らいに触れたからこそ、「果遂の誓い、良に由あるかな」と感慨深く述べられたのだと、私も感動をもって、この言葉を受け止めています。「果遂」とは、第20願文の言葉ですが、これを親鸞聖人は、一切衆生の究極まで本願を徹底し尽くし、私一人までに届けて下さった阿弥陀さんの懇切なお手回しだったのかと全身を挙げて感動しておられるのだと思います。

⑥質問
50歳のお同行のお通夜の話、ありがとうございました。
分からないという世界の大きさ、また仏さまの前に横並びになる。歎異抄の唯円への応答も実は阿弥陀さんへの信仰告白。私の前には阿弥陀さんしかいないのですね。
武田→ まあ〈一人一世界〉が、〈真実〉の世界観であって、「一全世界」(一世界全人類包摂世界観)は「仮りの世界観」です。〈一人一世界〉とは、もともと人間が住んでいた世界観だと思います。だから、もともとの、つまり「本来性」に還ればよいだけです。
 ただ私たちは、ついつい「一全世界」を「絶対的」であり、「客観的」だと思い込んでしまうのです。やはり、人間は「幻想」が好きな生き物なのでしょう。「幻想」は、第二十願の位相ですから、「陶酔」できる世界観です。また他者も、互いにそう思っていますから、一人で作り上げている世界観でもありません。吉本隆明さんの言葉で言えば、「共同幻想」です。
 「一全世界」は便利ですし、安全安心で快適な世界観です。「時間」は時計で計ることができますし、電車や飛行機は、その「時間」に従って運行されています。でも、人間にとって、「不快な時間」は長く、「快適な時間」は短く感じるものです。「一日は長く、一生は短い」という言葉もあります。そこに「自分」の「老病死」というものが介在すると、「時間」は伸縮します。
「一全世界」は「流れる時間」という観念の世界です。この「仮の時間観念」をジャンピングボードにして、「流れない時間」である〈永遠〉と対話していきましょう。