氷の如き我がこころ

昨日のお朝事では、曇鸞讃の「罪障功徳の体となる こおりとみずのごとくにて こおりおおきにみずおおし さわりおおきに徳おおし」をお勤めした。それを詠んでいるとき、自分のこころの中では、「そうかあ、罪障と功徳は氷と水のような関係なんだ。罪障が氷で水が功徳か。氷をコップの中に入れておけば、やがて溶けて水になるなあ。もともと同じ性質の物だから、氷が多ければ溶けた水も多くなる。これはオンザロックみたいなもんじゃないか。氷が多ければ、ウイスキーの原液も薄まってしまい、水割りになってしまうなあ。」などと考えていた。
 ところが、そう考えていたとき、「お前のこころは氷だったんじゃないか」と聞こえてきた。その氷を溶かして、水にしてくれたのは誰なんだ。その御恩も忘れて、オンザロックだなどと、よくも呑気なことが言えるもんだ」と。果たして親鸞聖人は、ご自分を「氷」だと思って、これを記されたのだろうかと。もしかして、そうだとしたら、私は上っ面の部分しか味わっていなかったのではないか。
 私のこころは、まさに「氷」だった。冷たく凍てついた氷の先端はとんがり、触れた物を傷つけ、周りの人間を見下げてきた。ディズニーアニメ、「アナと雪の女王」に登場する、アナの姉・エルサのようだった。一人で雪の城に籠もり、こころを閉ざして誰とも会わない。二十一歳のとき、信国淳先生から、「君のこころは暗いなあ」と吐かせたのももっともだと思われる。しかし、不思議なことに、その頃の私のこころは、そんな暗いこころとは真反対に位置づけられそうな、「平等」という観念に占領されていたのだ。だから「不平等」にはものすごく過敏に反応した。社会現象として現れてきた「不平等」に目が釘付けになり、「不平等」を作り出すものを攻撃した。
 だから、現象として現れてきたものが、「すべて同じ」でなければ気が済まないのだ。食べるものも着る物もことごとく「同じ」でなければならないという観念に占領されていた。今から思うと、偏執狂ではないかと思うほどだ。ちょうど中国の文化大革命の頃、共産党が人民に「半強制的に」着用させていたと言われる、「国民服(人民服)」に憧れをもったほどだ。共産党は、個人が外見上を気遣うのは、ブルジョア(資本家階級)志向の表れだと見なし、それを批判する「平等」の観念から、「国民服」の着用が強要された。
 なぜここまでに「平等」という観念に占領されていたのか。それは自分自身に問うてみても、よくは分からない。おそらく、自分の深奥からやってきた観念に翻弄されていたというのが、偽らざるところだろう。しかし、「平等」という理念は素晴らしいのだが、それを志向する私はネガティブで、暗いこころというのは、実に妙だ。表面上、「平等」が実現されていないところを重箱の隅をほじくるようにして見つけ出し、それをことごとく批判する。
 この問題を突きつめてみると、宮沢賢治が記した、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(「農民芸術概論綱要」)という考えに行き着くように思える。社会に表れているあらゆる「不平等」が無くならないうちは、個人に「平等」は訪れないと言い換えられようか。この理念は、非の打ち所がないほどに正しいと思われる。大乗菩薩道も、「自利利他円満」を課題としていたから、賢治と同じモチベーションだ。ただ、「理念」は崇高であっても、それを実現しようとする人間の精神はネガティブで暗いのだ。宮沢賢治も、「よだかの星」を代表する童話を書き、弱者への共感を表明しているが、それを書いている自分自身は、強者の立場から逃れられなかったのではなかろうか。よだかは、鷹からお前は、「よだか」と名のっているが、「鷹」とは似ても似つかない醜い姿をしているのだから、名前を改名しろ、さもなくば殺すと強要され、苦しみながら夜空を飛び回る。だが、苦し紛れに飛んでいるとき、よだかの口に、虫が飛び込んでくる。よだかは、それを飲み込む。ここに弱者の中に潜む強者性を賢治は表現している。自分は鷹から見れば弱者だが、虫から見れば強者である。結末は、よだかを星にするのだが、これは賢治の中の矛盾を昇華するための演出だと思われる。だから、読者は、この矛盾を感じたまま温存するしかない。
 おそらく親鸞も、賢治と通底する矛盾を感じていたことだろう。それは私の中にも流れていたものだ。それで、親鸞はどうしたかといえば、賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」を、阿弥陀さんの本願として、人間から切り離した。つまり、これは人間が実現できる理念ではないと。人間が実現しようとしたら、人間が自滅してしまい、偽善になってしまうと。私は、それを自分が実現しようと思っていたのだ。だから暗く冷たい偽善の人間になっていた。
 この理念をギリギリまで個人に突きつけると、個人から「笑顔」が奪われる。「世界がぜんたい」、「笑顔」ではないのに、なぜお前は「笑顔」でいられるのかと、自分の内奥から批判されるからだ。つまり、個人が少しでも喜んでしまうと、その理念に背くことになるのだ。だから笑顔が消え、暗くなるのは当然だ。
 ひるがえってみれば、人間が実現できる「平等」とは、外見上のことや、社会条件の改変程度のことなのだ。それでもまだまだ不十分なのだから、それはそれとして「政治的・社会的手法」で実現を目指すべきだ。それをあえて、「量的平等」と言うのであれば、「質的平等」はどこで成り立つのかが問題だ。
 私は賢治の理念を、「本願」としていただき直した。そのとき、私を縛っていた暗い鎖が解かれた。それは世界を「一つ」と見る眼が砕かれたということでもある。世界が「一つ」と見てしまうと、その世界の中で不平等を是正しようとする。しかし、世界はひとの数ほどあるのだと見出したとき、比べるという意識を超えることができる。これは乱暴な言い方だが、全人類が「国民服(人民服)」を着れば、それである意味での「平等」が成り立つかと言えば、決してそうは言えないだろう。人間は「平等」を欲する性質もあるが、「平等」を嫌悪する性質も持っているからだ。これもよく言われることだが、他人と同じファッションは嫌うが、あまりに他人とかけ離れたファッションも嫌うのだ。
 「質的平等」とは、阿弥陀さんと自己の間に於いてしか成り立たないのだろう。つまり、この世が〈一人一世界〉になったときに、実現されるのだ。「量的平等」の眼は、人間をあまりに大雑把にしか見ていない。同じ環境、同じ条件で生きてる存在を、どこかで「同じ人間」だと見てしまう。本質は、「同じ」ように見えても、個々人は決して代替えの利かない絶対存在である。つまり、「同じ」ような人間は居ても、「同じ」人間は居ないということだ。それを〈真・宗〉は、「不共業」と呼んできた。「生老病死」は絶対的個人にしか起こらない。他者とは決して「同じ」ではない側面を、そう呼ぶ。つまり、もともと個人は他者と比べることのできない絶対的存在であり、絶対的世界を生きている。この眼が「質的平等」の眼だ。
 自分のこころを縛っていたのは自分だった。それは「世界が一つ」という見方から起こる。それは仮のことであって、〈ほんとう〉は、〈一人一世界〉が真実の世界だ。この世界が開かれて、初めて「比べる」という煩悩が相対化されてしまう。「比べる」ことは煩悩だから、死ぬまでなくならないけれども、「比べる」ことは〈真実〉ではないという「教え」を聞き続けることはできる。
 「こおりとみずのごとくにて」という和讃を詠み、氷だったお前を溶かした苦労も知らずに、オンザロックだなどとふざけたことを考えてるんじゃないと、阿弥陀さんからきつく叱られたお朝事だった。