娑婆では、本日を「元日」と呼んでいる。「新年」とも呼んでいる。しかし、これは「幻想」である。人間が命名した、人間界だけで通用する出来事だ。だから、「元日」も「新年」も古くなる。娑婆の時間は「流れる時間」なので、新しいものは必ず古くなる。これが〈真実〉だとしたら、人間は耐えられない。少なくとも私は耐えられない。
決して流れ去ることのない時間、永遠の時間が欲しいのだ。それを与えようというのが阿弥陀さんだ。人間が一番欲しいものを与えようと。でも、そう言われても人間界は、どうやってそれを獲たらよいか分からない。それで、仕方なく「南無阿弥陀仏」という呪文のような言葉を与えた。与えたというよりも、阿弥陀さんと人間とが一緒に作り上げた。「南無阿弥陀仏」という言葉は、阿弥陀さんだけでは作れないのだ。そもそも阿弥陀さんは、人間の言葉を使うことができない。人間界を超えているのだから。だから、人間と一緒になって、言葉として「南無阿弥陀仏」を拵えたのだ。
それもこれも、人間に「流れない時間」を与えるためだ。
今朝は、夢の中で、いまは亡き竹中智秀先生とお会いした。京都大谷専修学院は、京都市左京区岡崎天王町にあった建物だが、これは夢の中なので、実物とは違っていた。実物と言っても、現在は取り壊されてどこにもない。その庭で、竹中先生のための法事のようなものが行われていて、先生方が集まってきた。庭の奥にある竹中先生の墓碑に向かって、読経が行われ、それからある先生の法話があることになっていた。私は、なぜかそこに間に合わないのだ。間に合わないので、一生懸命、そこへ行くため慌てて支度をしていた。皆はすでに墓碑の前に集まり、読経を終え、もう法話の時間になっているのではないかと思い、ますます焦った。履き物も、慌てては履き、ようやく中庭に駆けつけた時、竹中先生の法事の筈なのに、なぜか先生ひとりが立っていて、私を待っていて下さった。そして、「ようこそ来て下さった」と両手を開いて私を受け入れて下さった。私は思わず先生と抱擁し、涙を流した。喜びと懐かしさの思いが溢れてきて、涙が止まらなかった。
そこで目が覚めた。私は待たれていた存在だったのだ。竹中先生を透過すれば、阿弥陀さんが待っていたのだ。
思えば、親鸞聖人も、夢に導かれてご自分の一生が形作られていったひとだ。夢は人間界にありながら、人間界を超えるヒントをあたえてくれる。親鸞を殺そうとしていた山伏弁円も、「山は山、道もむかしに変わらねど、変わり果てたる我が姿かな」と詠ったという。人間とは、「変わる生き物」だ。
自分は常に、「自分が思っている自分」を超えている。だから、自分が感じている時間も、仮の時間だと脱皮させてくれる。「お前の感じている時間は、人間界だけの時間であって、〈真実〉の時間ではないぞ」と。
私の書く文章には、やたらと「だから」が多い。「だから」とは、そのことの理由を述べるときに使う言葉だ。もうすでに「事実」はあるのだ。その「事実」が起こってきた理由を、「だから」と述べる。「だから」、必ず「事実」が先にあるということだ。この「事実」とは、「すでにして悲願います」と親鸞に書かせた「事実」である。
人間界の「流れる時間」を引き裂くかのように、「すでにして悲願います」という「事実」を叫ぶ。必ず、「すでにして」と関わってくる。「だから」、その「すでにして」という「事実」を述べるために、人間は「だから」という言葉をのみ発せざるを得ない。
「思い」より先に「事実」があった。竹中先生を生み出した「事実」が先にあったのだ。生まれたいと思ったひとは誰も居ない。「だから」思いよりも「事実」が、必ず先にあるのだ。