滂沱の涙

師と抱き合って、涙を流している。お互いの涙が床に落ち、ビシャビシャに濡れているのが、ありありと分かった。私以上に師は、たくさんの涙を流されていた。私も負けじと泣いた。目が覚めてみても、涙で眼が濡れていた。
 そこは数人が参加する真宗の学習会でのことだ。私はそこで、どうやら発表をする番になっていたようだ。いろいろとお話をしていた。しかし、皆さんのために用意し、配布していたレジュメなのに、自分の分がないのだ。仕方なく、記憶に頼って発表していた。それでも、私の分もコピーしてくれたと仲間が言うので、辺りを手探りで探しながら、発表を続けていた。そんなときだった、私の発表を聞いていた師が、突然、私の話を遮って発言し出した。師は、「真に求道の苦労をしたものでなければ、このような文章を書くことはできないのだ」と話し、やがて下を向いて、大きな涙を流された。私は、机の斜め前に座っている師と一緒に泣きたくなり、そのまま本や原稿や文房具が乗っているテープルの上を乗り越えて、師を抱きしめた。お互いに大泣きして、滂沱の涙が床に流れていた。
 まさか、こんな夢を見るのかと、我ながら驚いた。そして、こんな恥ずかしい夢を、ここに載せてよいのだろうかと、戸惑いも感じた。さらにこんな恥ずかし夢を、まさか師に伝えることなどもできないと思った。そう思ったら、恵信尼の気持ちと一緒だと思った。
 恵信尼は、夢に夫である親鸞聖人をご覧になった。親鸞聖人と師である法然上人の夢だ。法然上人は勢至菩薩の化身であり、親鸞聖人は観音菩薩の化身であるという夢だ。しかし、夢から醒めて、夫である親鸞聖人には、法然上人が勢至菩薩であるという夢を見たとだけ告げた。それに対して親鸞聖人は、「実夢」だと承認されたという。しかし、自分の夫が観音菩薩であるという夢については話さなかった。もしそのことを親鸞聖人に話したなら、親鸞聖人はそのことを否定されただろう。それは間違いだが、法然上人のことは、まさにそのとおりと言われたに違いない。
 まあこの手紙は、娘である覚信尼に対して送られているので、身内の通信ではある。そこに夫である親鸞聖人の偉大さを娘に伝えたかったという意図がある。『恵信尼消息』には、こうある。
「観音の御事は申さず候いしかども、心ばかりは、その後、うちまかせては思いまいらせず候しない。かく御心得候べし。」(観音菩薩のお話は、夫には話しませんでしたが、心の中では、夫は普通のひとではない、つまり観音菩薩であると思うようになりました。ですから、貴女もこのようにお心得下さい)
 これは越後にいる母から、京都にいる娘に送った手紙である。お父さんを普通のひとと思ったら大間違いですよという母の思いが溢れた手紙である。でも、そのことを夫には伝えていない。やはり、夫には恥ずかしくて言えなかったのだろう。いわゆる「のろけ」とも解されかねない出来事だからだ。しかし、恵信尼の中には、間違いなく観音菩薩の化身であるという認識があった。まあ観音菩薩と言っても、メタファーだから、それが恵信尼の中で何を意味するのか、本当のところは分からないのだ。
 恵信尼が、このことを夫である親鸞聖人に話せなかったように、私もこのことは秘匿しておこうと思う。師と弟子とは、身内以上に親しい関係だからだ。