恩徳讃が歌えないという「お育て」

 十月二日は、第十四回目の「まっさん塾」だった。お話の最後にご質問をいただいた。「お勤めの最後に、「願以此功徳」ととなえますよね。あの「功徳」とは何でしょうか?と。また、お勤めは正座で勤めるので足が痛くなります。「あなかしこ あなかしこ」まで来て、ようやく終わりだ、足の痛いのから解放されると思うとホッとします。それから、恩徳讃をちゃんと歌えないんです。歌っていると、段々小声になってしまうんです。これはどうしたことでしょうか。」と。
 この質問を、私はこう受け止めた。自分には「功徳」も「恩徳」も感じていないのに、大きな声で発声すること対して抵抗感がある、これをどう考えたらよいのだろうかと。
 ご質問をされたかたは、なかなか質問をうまく言葉にできないもどかしさを感じつつ質問されていたようだ。私は、このご質問をお聞きしながら、この「恩徳讃が歌えない」という問題を私も抱えたことがあったと思い、この方のご質問が痛いほどよく分かった。
 恩徳讃とは、親鸞の「正像末和讃」にある、「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も 骨をくだきても謝すべし」に音符を着けたものだ。真宗教団では、法座の後に、これを歌う習わしとなっている。私も最初は、何の抵抗もなく、皆さんと一緒に、これを大きな声で歌っていた。しかし、あるとき、これが歌えなくなった。それは「如来大悲の恩徳」など自分は感じているのか。それも「身を粉にして」とか「骨をくだきても」と言えるほどの御恩を感じているのか、と問うものが私の内面に沸き起こったからである。そう問われてみると、自分は、そんな恩徳などこれっぱかしも感じたことがないと、忸怩たる思いが湧いてきた。そもそも、「如来の恩徳」が分からないのにも関わらず、平気な顔で、この歌が歌えようか。
 そう思ってからは、「恩徳讃」が歌えなくなった。法座で、皆さんが歌っていても、私は歌えなかった。そのうえ、周りのひとたちが大声で歌っている歌声が嘘っぽく感じられた。皆さんは本当に「如来大悲の恩徳」を感じた上で歌っているのかと、疑わしくさえ思った。
 しかし、あるときから歌えるようになった。それは「恩徳讃」は、「如来大悲の恩徳」を感じている人間が歌う歌ではなく、そんなものをまったく感じられない人間が歌う歌だと覚醒したからだ。いままでは、「如来大悲の恩徳」を感じる人間が歌う歌だと思っていた。また、「如来大悲の恩徳」を「身を粉にしても報ずべし」と願われているのだから、そのように成らなければならないと思っていた。しかし、それは自分が自分自身を圧迫する考え方だった。
 問題は、「身を粉にしても 報ずべし」の「べし」という命令を、誰が誰に対してして行っているかだ。それで「恩徳讃」が、どのように訳されているかを見てみた。柏原祐義『三帖和讃講義』には、このようにあった。「私共はこの如来大悲の恩徳に対しては身を粉にして報じても、猶ほ且つ不足と申さねばならぬ、またこの大悲の思召しを伝えて下された師主知識の恩徳は、骨を砕いて報じても充分とはいえない。」(部分引用)この理解は、親鸞が我々に命じているという位置関係で読まれている。しかも、その「我々」は、もうすでに「如来大悲の恩徳」を感じているという立場からなされている。だから、「骨を砕いて報じても充分とはいえない」という表現が生まれてくる。「如来大悲の恩徳」を感じられないなどとは、口が裂けても言えないわせないような強制力さえ感じる理解だ。
 また、別の『浄土真宗聖典 三帖和讃(現代語版)』では、このように訳されている。「わたしたちをお救いくださる阿弥陀仏の大いなる慈悲の恩徳と、教え導いてくださる釈尊や祖師がたの恩徳に、身を粉にしてでも骨を砕いてても、深く感謝して報いていかなければならない。」と。この現代語訳者の立場は、まだ柏原ほど踏みこんだ解釈ではない。あくまで、親鸞聖人は、そのような思いから、この和讃をお作りになったのではないかという雰囲気すら感じる。
 柏原は、親鸞が感じているものを我々に向かって「報ずべし」と命じているように受け取っている。私も以前はこのように受け止めていた。しかし、いまは、親鸞自身が阿弥陀さんから命じられたという文脈で受け取っている。だから、「報ずべし」と命じている主体は阿弥陀さんということになる。ひたすら、この命令を聞いているところに親鸞はある。だから、親鸞が我々に向かって、「報ずべし」と命じてはいないと思う。もし親鸞が、他者に向かって、つまり「我々」に向かって「報ずべし」と訴えているとするならば、「恥ずべし、傷むべし」(『教行信証』信巻)などという言葉は生まれてこない。「我々」に向かって、「報ずべし」などと言えるような資格もないと親鸞は思っていたから、「報ずべし」と自信を持って記せたのではないか。なぜならば、それは「親鸞一人」が阿弥陀さんから受け取った命令だからだ。
 その命令も、やがて「如来大悲の恩徳」を報ずることができるような人間になるための命令ではない。その命令を聞く度に、ひたすら「恥ずべし、傷むべし」と懺悔させられる命令だ。だから、報ずることのできる人間になどなることができないと知らされたのだ。自分も、少しは報ずることができるようになれたなどと思ったら、それはせっかくの阿弥陀さんの命令を台無しにする思いなのだ。この「報ずべし」という命令は、少しも命令に従うことのできない存在を生んだのだ。
 ここまで来て、ようやく、自分も親鸞と「平等」の大地に立つことができた。自分も親鸞と同様に、「如来大悲の恩徳」などを感じることもできない存在だし、むしろ「報ずべし」という命令に背いている存在だ。それで、恩徳讃を再び歌えるようになった。一言付け加えると、それは、「御恩を感じられなくてもよいのだ」という自己肯定と、「御恩を感じるべきなのだ」とする自己叱咤の「自己」が死んだということだ。
 いまは、恩徳讃を歌う度に、「如来大悲の恩徳」など少しも感じられるような存在ではないと教えられる。御恩など感じられるような人間でなくてよかったとも思う。もし、少しでも御恩を感じられていると思ったら、それは「利害損得心」の餌食にすり替えているに過ぎないからだ。人間の感じる恩徳とは、自分にとって都合のよいこと以外にないからだ。そうやって、「恩徳」などと絶縁している自分に覚醒させてくださるもの阿弥陀さんのはたらきなのだ。恩徳讃が歌えなくてよかった。これも阿弥陀さんのお育てだったのかと思えば、やはり阿弥陀さんの手から逃れることなどできないものだと思われる。