■「ただ念仏のみぞまこと」(2023/04/10)
これは名古屋別院発行の新聞・『名古屋御坊』四月号に頼まれた文章です。テーマの「ただ念仏のみぞまこと」は先方からのリクエストです。(ここに転載します)
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「ただ念仏のみぞまこと」という文言は親鸞聖人が『歎異抄』(後序)で語られた言葉である。ただしこれには前文があって、その前から引用すれば、「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもってそらごとたわごとまことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします。」とある。
「煩悩具足の凡夫」という言葉で「主体」を語り、「火宅無常の世界」という言葉で「世界」を語り、それらをすべて「そらごとたわごとまことあることなき」と否定する。この否定をくぐって、「ただ念仏のみぞまこと」と結論づけている。
現代という時代を、政治や経済という視点から眺めれば、「そらごとたわごと」だと感じるひとは多いのではなかろうか。いわゆる「厭世観」である。ちなみに「厭世観」とは「この世の中では幸福や満足を得られず、積極的な価値は認めがたいとする人生観」だそうだ。そういう見方を投影して、「親鸞聖人のおっしゃることも、確かにそうだと思います」と共感するひともいる。しかし、親鸞聖人が言う「そらごとたわごと」は、そういう意味ではない。「厭世観」で世界を見ているひとには、「ただ念仏」はなく、自分の「思い」で厭世感に浸り、厭世的に世界を見ているに過ぎない。
親鸞聖人がいう「そらごとたわごと」とは、「ただ念仏」という鏡に映された世界であって、自分の「思い」を中心にして受け取った世界ではない。だから厭世観ではない。「ただ念仏」という鏡に映された世界とは、「そらごとたわごと」と自分とが溶け合い一体になった世界だから、厭世する隙間がない。もし、自分と「そらごとたわごと」に距離があり、対象化する余裕があれば、厭世もできようというものだ。そもそも厭世観の起源は、自分のお好み通りにことが運ばないで世間をはかなむという愚癡に過ぎない。
ところで、私は「過去は未来の鏡」と言っている。人類の未来を想定してみたければ、過去を見ればよいと。過去の所業以上でも以下でもないのが、人類の未来である。それを暗示した言葉が、「五濁悪世」ではないか。五濁とは「①劫濁②見濁③煩悩濁④衆生濁④命濁」のことだが、これはお釈迦様の時代から存在する人類の濁りである。①劫濁とは「時代社会の汚れ」、②見濁とは「人々が誤った思想・見解を持つこと」、③煩悩濁とは、「煩悩が盛んに起こること」、④衆生濁とは、「見濁・煩悩濁の結果として苦しみが多くなること」、⑤命濁とは、「それらの結果、命が軽んじられること」である。
「ただ念仏」とは、この「五濁」を厭世的に見るのではなく、これが自己の本質だと受け取らせるはたらきである。つまり、いままで厭世的に、自分には無関係に、向こうにあるように感じていた世界が、逆に自分の本質を示す「教え」に転ずることである。
我々は娑婆におりながら夢を見たいのだ。「五濁」のなくなった世界こそが欲しいのだ。しかし、それは自分好みのことを欲しがる「貪欲」が見せる夢であり、その夢を「そらごとたわごと」と教えるものこそ「ただ念仏」である。
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」に出てくる悪人・犍陀多(かんだた)のことが思われる。彼はお釈迦様が極楽から下ろされた蜘蛛の糸を辿って上へと登っていった。やっと地獄の底から這い上がることができると。しかし、彼が登って来た下を見ると、その糸にたくさんの罪人たちがぶら下がり登ってきた。彼は「誰の許しを受けて登ってきた?下りろ。下りろ。」と喚いた。その途端に、糸はプツリと切れ、再び彼は地獄の底へと堕ちていった。
以前、私はこの話を、自分だけが助かろうとする利己心への戒めとして受け取っていた。だから、糸が切れ、地獄へ堕ちていった彼を哀れに思った。しかし、近頃は違っている。糸が切れることによって、むしろ彼は助かったのではないかと。彼が堕ちていったところは、一切衆生の住む「五濁悪世」の大地ではなかったのか。この大地から遊離したところに救いはない。お釈迦様は、そのことをご存じで、敢えて糸を切られたのではないか、とさえ思った。彼は、糸が切られて、一切衆生の苦悩の大地に降り立ち、一切衆生と一体に溶け合った身体を得られたのだと思う。極楽浄土とは、糸をよじ登っていったところにはなく、犍陀多が堕ちていった地獄の底にこそあったのだ。地獄の苦しみがなければ、救いの必然性はどこにもない。極楽浄土とは、地獄の底でなければ味わうことのできない、「究極の楽」のメタファー(隠喩)ではないだろうか。
■〈まこと〉が要求する三つのルール(2023/05/10)
これも前項と同様、名古屋別院発行の新聞・『名古屋御坊』五月号に頼まれた文章です。「〈まこと〉が要求する三つのルール」は、小生が付けたタイトルです。
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親鸞聖人は、全著作の中で「まこと」という言葉を五十二回使用している。また同じ意味である「真実」という言葉は三百二十一回も使われている。これは「信心」が三百十六回、「浄土」が三百十三回、これらに匹敵する使用頻度である。まあ使用頻度だけで云々できる問題ではないが、親鸞聖人の「真実」という言葉に対する思い入れが、ここまでだとは驚かされる。やはり「真実」という言葉に取り憑(つ)かれたひとなのだろう。
親鸞聖人には「真実の宗教」かどうかを見分けるルールがある。それは「いつでも、どこでも、誰でも」というルールだ。つまり、「いつでも〈真実〉に適(かな)っていること(超時間)」、「どこでも〈真実〉に適っていること(超空間)」、「誰でも〈真実〉に適っていること(超主体)」。この三条件を満たせないなら、「真実の宗教」とは認めないというルールである。
「いつでも〈真実〉に適っている」とは、お釈迦様の時代でも、親鸞聖人の時代でも、現代でも、時間を超えて成り立つものでなければ、〈真実〉ではないということ。「どこでも〈真実〉に適っている」とは、インドでも中国でも日本でも、地域(空間)を超えて成り立つものでなければ、〈真実〉ではないということ。「誰でも〈真実〉に適っている」とは、お釈迦様でも親鸞聖人でも、それを超えて私(主体)にも成り立つものでなければ〈真実〉ではないということだ。
それを証明する文言が、『歎異抄』第二条にある。それは「弥陀(みだ)の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言(きょごん)なるべからず。仏説まことにおわしまさば、善導(ぜんどう)の御釈(おんしゃく)、虚言(きょごん)したまうべからず。善導の御釈まことならば、法然のおおせそらごとならんや。法然のおおせまことならば、親鸞(しんらん)がもうすむね、またもって、むなしかるべからずそうろうか。」である。
ここには「まこと」が「弥陀の本願」、「仏説」、「善導の御釈」、「法然のおおせ」の順に四回出てくる。これらが、見事に「超時間・超空間・超主体」を物語っている。それが、「ば」という接続助詞の使い方で示される。この「ば」は「順接の仮定条件を表す」と辞書にある。それで「もし〇〇ならば」と訳す。つまり、「弥陀の本願がまことであるならば、釈尊の説教は嘘偽(うそいつわ)りではありません。仏説がまことであるならば、善導の解釈も虚言だと考えてはいけません。善導の御釈がまことであるならば、法然の仰せは嘘偽りであるはずがありません。法然のおおせがまことであるならば、私(親鸞)が語ることも、無意味でないと言えるのではありませんか」と訳すことができる。
私は、「もし〇〇ならば」では、それが「まこと」であることを証明するためには弱い表現ではないかと思った。むしろ、それを証明するためには、「ば」ではなく、「ゆえに」でつなぐべきではないかと。つまり、「弥陀の本願まことなるがゆえに、釈尊の説教、虚言なるべからず。仏説まことなるがゆえに、善導の御釈、虚言したまうべからず。善導の御釈まことなるがゆえに、法然のおおせそらごとならんや。」と。
しかし実際に、「ゆえに」でつないでみたら、恐ろしいことになった。それは宗教的権威を、上位の者から下位の者につなげるための論理に変質したからだ。要するに、自分が「まこと」であることを証明するために上位の権威を利用するのだ。これは恐ろしい宗教的権威主義である。親鸞聖人は、そのことの危険性を直観して、「ば」でつなげられたのだと思う。だからと言って、親鸞聖人の内心では、「弥陀の本願」を「もしまことならば」と仮定形では受け取っていないだろう。「弥陀の本願」こそ「まこと」だとおっしゃるに違いない。『一念多念文意』には「真実は阿弥陀如来(あみだにょらい)の御(おん)こころなり」と力強く明言されている。
ではなぜ、ここで「もしまことならば」と遠慮した表現をされたのか。それは、「親鸞におきては」という条件があるからだ。私にとって「弥陀の本願」は「まこと」であるが、あなたにとっては、必ずしも「まこと」であるとは限らないからだ。第二条の文末は「面々(めんめん)の御(おん)はからいなり」という言葉で結ばれる。つまり、「弥陀の本願」が「まこと」であるかどうかは、他ならぬあなた自身が確かめることであって、他に証明の場所はないということだ。ここに宗教的救いの平等性が確保されている。もし親鸞聖人の宗教的権威の力で門弟を屈服させたならば、それは「真実の宗教」の三条件の一つである「超主体」から外れてしまう。宗教的救いが誰にでも成り立つことを証明する場所は、「あなた」以外にはないのである。