「よいこともわるいことも みんな阿弥陀さんのせい」という言葉を聞いて、救われたひとがいたそうだ。その方は、ガンに罹り、何度も治療の苦しみを味わってきたひとだ。長い間、「なぜ自分がガンに罹ったのだろう。自分では気づかないけれども、何か悪いことでもしてきたのだろうか。」とズッと自分を責めては悩んでこられたという。
ところが、「よいこともわるいことも みんな阿弥陀さんのせい」という言葉に出会って、いままで自分を責めていたこころから解放されたという。やはり、この言葉には〈真実〉が宿っていたのだ。間違ってはいなかったと、改めて思わされた。
ただ、言葉には必ず、その言葉が有効にはたらく意味場があって、その意味場を取り違えると、間違った効果を発揮してしまうから注意が必要だ。その方にとっては、救いの言葉となったが、さあこれから強盗に入ろうと思っているひとにとっては、毒ともなる言葉だからだ。だから、その言葉が、どのような意味場にあるのかを見極めることが大切になってくる。
まあ阿弥陀さんは、そんな人間のちっぽけな心配など、まったく意に介さないから、ただ、ひたすら「南無阿弥陀仏」という言葉一つを、人間の前に突き付ける。誤解されようがどうされようが、そんなことは眼中にない。ただこの言葉だけを突き付けて、人間よ!さあ、どう受け取る!と迫ってくる。
この刃を突き付けられると、人間の分別など木っ端微塵に粉砕されてしまう。