『歎異抄』第16条に、「回心ということ、ただひとたびあるべし。」とあることで、回心を一回限りの体験だと捉えてしまう誤解を生んだ。このように捉えてしまうと、自分は回心をしたのだろうか、まだしていないのだろうか、あるいはいつかしたいものだなどという思いが湧いてくる。こういう捉え方は、回心を人間がすることのできる体験だと受け取ってしまうからだ。それがさらに加速すれば、回心という体験をしていない自分は、無価値な存在だと自分を裁き罰することにもなる。
実は、こういう考えが起こってくるのは、そういう発想を促してくる「時間論」があるのだ。この「時間論」が、あなたにそういう発想を促してくるのだ。それを私は「通時的時間論」と呼んでいる。哲学者・中島義道は、それを「客観的時間観念」と考えていて、こう言っている。
「個々の場合、実感とずれていることは重々承知の上で、われわれは不可逆的な原因系列からなる客観的な過去をつくりあげるのです。
過去が不可逆的な原因の束であるかぎり、過去の任意の二つの出来事AとBは同時関係から先後関係でなければならない。こうして、あらゆる過去の出来事の順序は因果の系列に沿ってすみずみまでビッシリと決まっている。それは、各個人が実感に沿って勝手につくりあげてよいものでなく、あらゆる共同体の掟と同じく、否応なく(すなわち実感に反しても)個人に課せられるものとなるのです。」(『「時間」を哲学する』講談社現代新書P54)
我々は、現実の世界を、そのままにすべて認識して生活しているわけではない。目で景色を見ていると言っても、それはボーっと見えているだけだ。本当に見たいものを見るときには、今までボーっと見えていた景色の中から、対象物を選び出し、まるでカメラがクローズアップするかのように接近することが起こっている。いわば、一つの対象物を見るときには、他のたくさんの対象物は見えていないのだ。それだからと言って、一つの対象物に集中してしまっていたのでは、歩いていても車にひかれてしまう危険性もあり、階段を踏み外す危険もあるのだから、やはり、世界をボーっと見ながら現実生活を送っている。いわば、「見る」と言っても「ミクロの視点」と「マクロの視点」を併用しながら生きている。だから、決して人間は世界を「客観的」に、ありのままには見てはいない。その場合、「客観的」な世界は間違いなく存在し、自分が主観的に、その「客観的」な世界を、その通りに写し取って見ていると思っている。だから、正しいのは「客観的な世界」であって、自分は間違って受け取ることもあると考えてしまう。
中島は、それと同じように「時間」というものも「客観的」なものだと考えてしまうのだと言っている。「過去・現在・未来」という観念を「客観的時間」をベースにして、「過去の出来事の順序は因果の系列に沿ってすみずみまでビッシリと決まっている。それは、各個人が実感に沿って勝手につくりあげてよいものでなく、あらゆる共同体の掟と同じく、否応なく(すなわち実感に反しても)個人に課せられるものとなる」と。中島は「客観的時間」という観念は、とても強固なものであって、この感じ方を否定するのが難しいのは、個人が作り上げているものではなく、共同体が個人に課しているものだからだという。まさに、吉本隆明の言葉で言えば「共同幻想」であり、流行りの言葉で言えば「同調圧力」である。
我々が、時間がアッという間に過ぎたと感じるのも、「客観的時間」と「個人的実感時間」とのズレから起こる現象であり、その場合、「客観的時間」は正しく、「個人的実感時間」は戯れだと考えているかなのだという。しかし、この「客観的時間」という観念も、実は「客観的」なものではなく、「共同幻想」として人類が構築した虚構なのだ。この「客観的」という言葉の起源を考えてみると、人間の外部、つまり人間を超越した神(God)を起点にしたところからの視線という意味ではなかろうか。
それはともかく、「通時的時間」観念をベースにして「回心」を考えると、体験を未来か過去に設定するしかなくなる。つまり、「もうすでに体験した」か「いまだに体験していない」となる。曇鸞の言葉で言えば「若存若亡(存せるがごとし、亡ぜるがごとき」だ。ある時には体験しているように思えるし、またあるときにはまだ体験していないと感じられるということだ。ひとが、「通時的時間」観念をベースにして体験を考えてしまうので、その考えを転ずるように、安田理深は「回心とは一瞬であり、一生を包むような時間」だとおっしゃった。
親鸞は「回心」を「自力の心をひるがえし、すつるをいうなり。」(『唯信鈔文意』)言っている。この「すつる」は「持っていたものを捨てる」、「いままで自分を支配していた観念を頼りにしなくなった」という意味だが、れも譬喩的表現だ。正しく言えば、「自力の心」を「自力の心」として初めて発見したという意味だ。つまり、いままでは「自力の心」が見えなかったということがあって、それが対象化されて見えるようになったということだ。これを時間論に移して言えば、いままで「通時的時間」観念が真実だと思って、回心を、自分がすることのできる体験のように考えてきたけれども、それは間違いだったと気づいたことである。
それでは「回心」とは、どこにあるのかと言えば、それは〈いま〉である。この〈いま〉は、「通時的時間」観念の「今」ではない。共時的時間観念の〈いま〉である。これはブラックホールのように、時間と空間を飲み込むものであると同時に、そこから時間と空間が生まれてくる場所、私の言葉で言えば〈存在の零度〉である。
これは「回心をした」と過去形で表すことも、また「回心をしていない」と未来形で表すことからも解放されることだ。
ところが、中島は、「時間一般を理解するとき、とりわけ直観するとき、われわれは現在・過去・未来のうちで「過去」のあり方だけに着目し、それを不当に普遍化しているのです。」、「では、なぜ現在や未来ではなく過去に時間一般のあり方を統一しようとするのでしょうか。この問いには簡単に答えられます。実際のところわれわれは過去しか知らないからです。」と言っている。私が、共時的時間観念の〈いま〉だと言うことは、これとどう関係するのか。
私の言う、共時的時間観念の〈いま〉とは、確かに中島のいう「過去」なのだ。人間が受け取ることのできる時間とは「過去」以外にないからだ。自分が体験したと過去形で語る「回心」はもちろんそうだが、いつか得るであろう、未来の体験としての「回心」もそうだ。いつか体験するだろうという思いをもってしまったということは、すでにそれは「過去」だからだ。「未来」という時間はどこから開かれてくるのか。ただ人間が「未来」として感じるときには、それらがすべて「過去」化されてしまっているのだ。
それでは、「共時的時間観念の〈いま〉」とはどういう意味なのか。これは一つの謎である。人間には認識することのできない「時間」である。まあこのように語ること自体が矛盾なのだ。人間が認識できないものであれば、それは「時間」ではないからだ。この矛盾をあえて犯して、この〈いま〉は、阿弥陀さんだけがご存じの時間であり、そこからすべてが生まれ、そこへすべてが還っていく世界だと言ってみたい。
中島は、人間が感じる「客観的時間」は観念であることを証明していくのだが、それでは、それを暴いてしまった後に、何が人間に残るのかと言えば、それは「剥き出しの〈今〉」だと言う。
「〈今〉とは徹頭徹尾概念的なものであることを強調してきました。しかし、じつはそう言えば言うほど〈今〉は単なる言葉ではない剥き出しの時として立ち現れてくるのです。それは「痛み」の場合と似ています。
概念としての「痛い」はうめき声としての「ウッ」からは千里の距離があり、痛くない場合でも「痛い」と言えること、つまり「痛みの不在」に対して「痛い」と言えることこそが「痛い」という概念を了解していることだ、とこれまで口が酸っぱくなるほど言いましたが、それでも「痛み」が剥き出しのかたちで現在しているからこそ、そう言えるのです。画鋲が足裏に刺さり私は思わず「痛い!」と叫んだ。しかし、こう叫ぶことにより私は「胃の痛み」にも共通するある普遍的な痛みを表現しようとしたのではない。それは、さしあたり「痛い」という言葉で叫んだあの固有の刺激Xを表現したかったのです。
すなわち、剥き出しの時としてのもう一つの〈今〉とは、われわれが概念化=過去化された個物ではなく、なまの個物に出会う時、われわれに「痛い!」と言わせる個々の刺激に出会う時です。ですから、そうした〈今〉はつねに異なった〈今〉です。」(p208)
ここでいう「剥き出しの〈今〉」とは、煎じ詰めれば、人間に一瞬だけ「知覚される今」ということではないのか。それもあっという間に「知覚」から「認識」の世界に絡めとられてしまうので、人間には「認識」することができない〈今〉であるのです。
昨日のブログでも述べたが、それは「時間」というものを厳密に分析された表現ではあっても、個々バラバラの〈今〉を生きることになり、それらが統一される焦点を失うのではないだろうか。
私は、それを「因果論」を元にした発想だと中島から批判されようとも、〈いま〉を生み出す背景を考えてしまう。中島は、時計の秒針が時々刻々と移動するのも、太陽が東から西に移動するのも、(地球から見ればだが)それは事物の移動であって、それが、そのまま「時間」ではないという。人間が事物の移動するのを見て、そこに受け取る意味こそ「時間」だと考えている。それは確かにそうなのだ。「時間」は人間にとって、意味としてしか存在しないからだ。
私が、自分の身体がこの世に誕生したことの背景に眼がいくのも、「因果論」を前提にしている。〈いま〉ということを成り立たせている因縁の淵源を辿っていけば、それは「弥陀成仏のこのかた」まで遡れる。ここが〈存在の零度〉ではないか。そこからすべてが生まれ、またそこへ還っていく。そんな「物語」を受け入れることが「回心」だろう。
あらためて考えると「回心」とは、阿弥陀さんから雨の如くに浴び続けるものである。この雨はいくら浴びても、自分の身体にはひとつも染みてこないものだ。だから常に、永遠に、〈いま〉、浴びせてくる。この雨は、本願の雨だ。この本願の雨を浴び続ける姿そのものが、信というものだ。だから信と願とは同質のものなのだ。月光と日光の違いであって、光そのものは太陽の光である。本願は、「信ぜよ」と雨を降らせ、私は、それを「信ぜよ」と受け取る。決して、「信じた」とか「信じる」とはならない。本願から浴びせられる「信ぜよ」は、信ずることが決して起こる可能性のない者にのみ向けて発こされる。
いわば、私にとっての「時間」とは、決して〈いま〉という認識で受け取ることのできない、阿弥陀さんからの促しである。だから、認識としてではなく、直観として〈いま〉感じ取る。これは「弥陀成仏のこのかた」という「永遠」からの促しである。「永遠」だから、つねに〈いま〉として現出する。この促しに〈いま〉出遭うとき、人間の時間観念と空間観念とが、「意味」として対象化される。『歎異抄』(後序)の言葉で言えば、「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのことみなもって、そらごとたわごとまことあることなき」と対象化される。「まことなき」ということは、人間が考えたとおりに空間があるわけでも、また時間が流れるわけでもないという意味だ。それでは「まこと」とはどこにあるのか。そう問うても、人間が肯定するような意味で「まこと」は存在しない。人間が決して認識したり、肯定できないという意味が、「まこと」だからだ。
そのように受け取ることを親鸞は、「たのむ」とか「まかせまいらせ」という言葉で表現している。親鸞が、宗教表現を尽くしていこうとする相手は、「いやしからん身にては往生いかが、なんどとあやぶまんひと」(『歎異抄』第12条)である。つまり、生きることの意味を喪失し、怖れうろたえたじろいでいる存在に焦点を絞って表現を尽くされているのだ。その存在の意味を失って、一番底に沈んでいる者とは、この世にたった一つの〈唯一人〉である。
だから「回心」とは〈唯一人〉を得ることでもある。〈一切衆生人〉でありつつ、〈唯一人〉であり、〈唯一人〉でありつつ、〈一切衆生人〉である。それこそ〈零度の存在〉を得ることである。