また、ものすごく的確な、拙著の読後感想文を頂戴したので、転載させていただいた。
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「真宗入門」(武田定光、因速寺出版、2022年)
先輩宗教人の紹介で武田さんの本を読むようになりました。武田さんは、因速寺の住職ですが、キリスト教会の牧師のわたしが最近喜びをもって読む書き手のひとりです。彼の本は、宗教書とも哲学書とも思想書とも呼べるでしょうし、世界観の書と言ってもよいでしょう。仏教、宗教の枠に閉じ込められていない広さ、それでいて、仏教、宗教の奥を目指す深さから、読書の充実をいただいています。
「わたしの身体そのものが如来である・・・「思い」は自力、「身体」は他力です・・・その超越が実は、自分のここに内在している・・・自分の身体は自分のものじゃないですね。自分のものという「思い」を越えています」(p.48)。
わたしたちは自分であれこれ思いますし、自分の思いにこだわりますが、「身体」は自分の思いを越えていることを日々経験しています。その意味で、「身体」は「如来」であり「他力」であり「超越」である、と言うのです。
「身体」が自分の思いのままにならないことはたしかに痛感していますが、そこに「如来」「他力」「超越」を見るのは新鮮です。
「信号機を前にしたとき、「ああ、これが人生か」と教えられる。そう教えられれば、この信号機はただの信号機じゃなくなります。自己を教えて下さる「教え」に変わります。「教え」として転じてくる。こういうのが〈真・宗〉でしょう」(p.60-61)。
信号が赤になったのでしょう。思うように前に進めなくなります。人生にも同じことがしばしば起こります。でも、これは「教え」になるというのです。「教えて」くれるのであれば、これも、自力ではなく他力でしょう。超越であり如来でしょう。あるいは、そこからの教え。ならば、さきほどの「身体」も超越と言ってもよいでしょうが、超越からの「教え」とも言えるのではないでしょうか。人生で起こるすべてのことは、超越からの教え、超越が自らのことを教える授業なのです。〈真・宗〉とは真の教えという意味だそうです。
「そもそも、この世には〈私一人〉しか生きていないのですからね」(p.133)。「常識では、地球が一つ、世界は一つで、その中にいろんな生き物が住んでいるという考え方が客観的にも物理的にも正しいと思っているけれども、実は、それは「仮の世界」なんです。本当の世界は、〈一人一世界〉です。ここに一人のひとがいたら、一つの世界がある」(p.134)。
これだけ読むと、ひじょうにエゴイズムな考えに思えますが、そうではありません。「いまウクライナにロシアが攻め込んでいますけれども、あれも、根本は「世界が一つ」だと思っているから、攻め込んで、その一つの世界を自分の領土に奪取しようとしているのでしょう。でも、世界は一人ひとりに、一つずつあるのだと分かれば、そんな世界を、誰も奪うことは不可能ですからね」(同)。
「世界は一つ」ではなく「世界が一つ」という見方を否定しているのです。世界の一致団結を非難しているのではなく、ここにはアンパンが一個しかないから奪い合うしかないという世界観を否定し、アンパンは一人一個ずつあるよ、だから奪い合わなくていいよ、と言っているのです。
さらには、〈私一人〉の〈私〉は皮膚の中に閉じ込められた〈私〉のことではありません。「身体の皮膚で包まれている方だけが「自分」だというわけにはいきません。全宇宙・全世界の環境そのものが「私」なのです。こういのが「本当の自己」ですね」(p.65)。「私の世界の中にあらゆるものが住んでいる。だから、一人ということと世界というものが融合してくるんです」(p.139)。
いかがですか。おもしろいでしょう。わくわくするでしょう。
武田さんは、Amazon扱い以外にも、下記のURLのラインアップのように、安価で読みやすいサイズの本をいくつも出しておられます。ぜひ、まず一冊。そうすると、止められなくなるかもしれません。読むのを、です。
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読後感想文を読んで、やはり〈一人一世界〉なんのだと、改めて教えられた。これが〈ほんとう〉の世界なんだと。そしてこの世界観を、各人が回復しなければならないと思った。これは誰かが創った世界観ではなく、我々がもともと住んでいる世界観なんだ。
〈一人一世界〉は、他者と代替え不能の世界観だという理解は他者にも理解してもらえる。しかし、その「理解の仕方」がどういう理解なのかを再度吟味しなければならない。小生の言う「「一全世界」(「一世界全人類包摂世界観」)になっていないだろうか。世界は一つであり、その中に76億人の人類が暮らしていて、その中の一人が自分なんだという理解になっていないだろうか。これが「常識」と思ってしまうのは、あなたかが「共同幻想」(吉本隆明用語)に犯されてしまっているからだ。
これは「仮の世界観」なんだ。〈一人一世界〉は、それを「仮」だぞと教える世界観だ。いつも聞こえてくる、生物学者・ユクスキュル先生の言葉を思い出そう。
「この妄想は、世界というものは、ただ一つしか存在しないもので、その中にあらゆる生物主体が一様にはめこまれているという信仰によって培われている。ここからすべての生物に対して、ただ一つの空間と時間しか存在しないはずだという、ごく一般的な確信が生まれてくる。」(『生物から見た世界』思索社)
ユクスキュル先生は、「一全世界」を「妄想」であり、「信仰」であると批判されている。彼も、人間が創ったものではなく、ありのままに生きる生き物たちから教えてもらったのだ。人間が忘れてしまった、ありのままの世界から。