「自分」とは何かがよく分からなくなってきた。大雑把に見れば、身体を皮膚というもので分けて、皮膚の内側を「自分」と呼び、皮膚の外側を「環境」と呼ぶことができる。あるいは、姓名とか所有物を「自分」に所属させて「自分自身」だと受け取ることもできる。
しかし、私は皮膚で分けた外側も「自分」だと思っているので、果たして「自分」とはどういうものなのか分からなくなってきた。デカルトは、「我思う故に我あり」で、「思う」ということが「自分」だと言ったのだろう。しかし、「思う」と言っても、厳密には「思わさせて思う」のだから、これも「自分」とは呼べないのではないか。
「思う」ということも他力だから、どこにも「自」という根拠がなくなる。どこからが「自」で、どこからが「他」なのか、その境界が溶解してしまっている。これを釈尊は、「無我」と直感したのかも知れない。
親鸞は、「善自思量己能」(善くみずから己が能を思量せよ)」と言うが、どうやって「己が能」を思量しろというのか。表層の意味は、自分自身の能力がどの程度のものなのかをよく考えろという意味だろうが、それをどうやって「思量せよ」というのか。もし考える自分の能力が見えていなければ、自分の能力で自分自身を推し量っただけのことではないのか。それで、「量ること」ができようか。
結論を言えば、「仏意測り難し」ということが言えなければ、「善自思量己能」とは言えないのではないか。つまり、自分の能力を自分で量れないと分かるのは、「仏意測り難し」ということが成り立ったときだ。自分を自分だと知っているのは、仏意だけであって、自分の能力で「己が能」を知ることはできない。
それを自覚せよというのが、「善自思量己能」という呼びかけなのだろう。つまりは「南無」ということを自覚せよということだ。
この「思量せよ」という呼びかけというか、教育をいつから聞いてきたのだろうか。そう思うと、これは「弥陀成仏のこのかたは」からだったのではなかろうか。この世は阿弥陀さんの教育現場だから、この世で起こることのすべては、阿弥陀さんの「暗示」である。阿弥陀さんを教えるための教材である。
私は「弥陀成仏」を「十劫」の昔だから、「過去」という意味づけに押し込めているけれども、それは間違いだった。これに対して、「善自思量己能」と叫ばれる。「弥陀成仏」とは、「過去」でもあるけれども、「未来」でもあるような時間のことだろう。すべてのものがそこから生まれ、そこへ還っていくような時間のことだ。
そこで教育を受けているということは、阿弥陀さんのおられる場所でのことだ。もし阿弥陀さんのおられる場所を「淨土」と名づけるのであれば、淨土で教育を受けているのだ。思えば、〈真実〉の淨土には「淨土」という言葉も、観念もなかった。「淨土」という言葉と観念が必要なのは、この娑婆以外にはなかった。「淨土」には「淨土」を「淨土」と命名する必然性はないのだ。「淨土」とは名詞でなく動詞だから、つまりは、その場所を「淨土化」する作用そのものの場所だ。
そうなってくると、私も「阿弥陀さんの化身」だったのではないか。こんなことは口が裂けても言えないことだったけれども、いまは、そう思える。「自分」というものは観念だけのことで、何処にも実体がない。実体、つまり物質しての身体は、「阿弥陀さんの化身」であるから、仏様だ。この身体も、いわゆる環境も阿弥陀さんの身体だ。
だから、この身体から教えられるところに、辛うじて「自分」というものがあるのだろう。その「自分」とは、六識を統合した末那識のことであり、末那識を末那識として学ぶ場所である。末那識は、阿頼耶識を「自分」だと、永遠に錯覚するはたらきである。つまり、実体のない阿頼耶識を、これこそが「自分」だと錯覚しているものだ。無いものを有ると錯覚しているものだ。
無いということが、存在の故郷である。親鸞はそれを「法性のみやこ」と言ったりしている。我々はその「法性のみやこ」から、この娑婆へ来て、再び縁が尽きたら、そこへ還る。「弥陀成仏のこのかたは」から、淨土で教育を受け、縁があってこの娑婆へ誕生し、再び、「法性のみやこ」へ還っていく。この壮大な物語が往生道なのだろう。
自分の住んでいたところだから、迷わず還っていけるのだ。まだ往ったことのないところへ往くのでは不安でしかたがない。
なぜそんな面倒なことをするのか。「弥陀成仏のこのかたは」だけでよいではないか。なぜ淨土から、わざわざこの世に生まれなければならなかったのか。どうせ再びそこへ戻っていくのに。その理由を知りたいのだが、それは教えられていない。阿弥陀さんだけがご存じのことだから。
窓から外を眺めると、青桐の葉がユラユラと風になびいている。これこそが、帰り道の風光なのだろう。見渡す限りが、帰り道の風光だった。