こころよ では 行っておいで

とことん、私は「いま・ここ・私」を拒否する。今日が終わりで、〈いま〉が終わりのはずなのに、それを「明日」に先送りする。本願は、そんな私に向かって「いま・ここ・私」を押しつけてくる。思いは「明日」を希望するけれども、身の事実は、「いま・ここ・私」以外を生きていないと。なぜ、そんなことを押しつけてくるのか。押しつけられることは、迷惑の一語に尽きるのに。しかし、その訳を仕方なく考えると、それは、本願が〈真実〉を教える教育者だからだ。〈真実〉は、お前の思いが〈真実〉か、それとも身の事実が〈真実〉かと、問い詰めてくる。
 そうやって徹底的に追い詰められると、どっちが〈真実〉かが炙り出されてくる。親鸞も、「善く自ら己が能を思量世よ」(善自思量己能)と阿弥陀さんに迫られたのだろう。自分の「能力」で何とかなることかどうかを考よと。
 しかし、人間が考えられる範囲のことは、すべてが「いま・ここ・私」とズレてしまう。人間が考えられることは、厳密に言えば、「過去のこと」以外にないからだ。過去の自分が考えたことを、〈いま〉の自分が考えるのだ。そう言えば、昨日こんなことを考えていたなあと振り返ることで、「考える」ということも成り立つ。それをもっと厳密に言えば、さっきこんなことを考えていたなあと思うことも、過去のことを〈いま〉考えるという形になっている。つまり、「想起」が「考え」というはたらきだとすれば、人間は「過去のこと」以外は考えられないことになる。
 そうなれば、本願の言う「いま・ここ・私」とは、言葉では言えても、本当の意味で、人間には成り立たないことなのだ。親鸞が「義ということは、はからうことばなり。行者のはからいは自力なれば、義というなり。」(『親鸞聖人血脈文集』)と述べたのは、そういうことだろう。「義」とは、「人間の考え」という意味だから、決して「人間の考え」で、〈真実〉を知ることはできない。
 しかし、そう言ってしまうと、「〈真実〉を知ることはできない」と知ることができてしまう。そう知ってしまってからは、「〈真実〉を知ることができないならば、どうやって人間は〈真実〉を知ることができるのだろうか」と、更に考えをめぐらしてしまう。あるいは、〈真実〉を知ることができないのならば、もう〈真実〉を求めることなどやめてしまおうと、考えるひとも出てくることだろう。いや、親鸞聖人は、我々とはまったく違う優れた方だから、本当は〈真実〉をご存じなのだろうと邪推することにもなる。
 いずれにしても、「考え」というやつは、ウナギみたいなやつだ。どれほど、力強く握りしめて捕まえたと思っても、いつの間にか、ヌルヌルと逃げてしまう。決して捕まえることができない。捕まえることができなければ、そのままに放っておこう。
 八木重吉の「心よ」が浮かんできた。
こころよ
では いっておいで
しかし
また もどっておいでね
やっぱり
ここがいいのだに
こころよ
では 行っておいで
 八木さんにとって、「こころ」は、家から遊びに出て行く子どものようだ。やんちゃな子どもは、親が止めても遊びに行く。行くのなら仕方がない。いくら止めても出て行くのだから。どうしても、子どもは親の言うことは聞かないものだ。出て行くのならば仕方がない。でも、すぐに戻っておいでね。だって、ここがお前の本来、帰るべき場所だから。お前だって知っているだろう。ここが一番いいところだって。それならば、気をつけて、行っておいで。「こころ」は、「こころ」の思うままに、自由に遊び回る。しかし、必ず帰ってくるのだ。子どもは親から離れることができないから。
 子どもは「煩悩」、親は「阿弥陀さん」だ。この棲み分けが出来ればよいのだろう。親鸞が「無義をもって義とす」と法然から聞き取ったこころは、そんな構造になっていたのだろう。親は親、子どもは子ども。それが分かって初めて、子どもの自立が成り立つのだ。それは、子どもが親に成ったということではない。子どもが、子ども以外に成れないことを覚ったのだ。