宗教にとって、「権威」は大切だが、「権力」は危険だ。「権威」は、〈真実〉に対して人間がとる態度だ。つまり、自分には分からないものだけれども、そこに尊厳性を感じる態度だ。親鸞が「仏意惻り難し」(『教行信証』信巻)と言った態度だ。自分には分からないけれども、分からないといって、それが無価値だと言っているわけではない。また、分からないといって絶望しているわけでもない。西行の「何事の おはしますをば知らねども かたじけなさの 涙こぼるる」と似た感情だろう。まあ、これは「真理」に対する尊崇であって、その他のものに対するものではない。これはお釈迦さんが、「何事の おはしますをば知らねども」、二十九歳のときに出家をこころざした尊い感情と地続きだろう。
宗教は、ときに「恋愛感情」と似た作用をもたらす。このこと一つが明らかにならなければ、夜も日も明けないといった感情を生む。恋愛関係にある男女を、親が立ち入って引き離そうとすることは、昔からあることだ。「ロミオとジュリエット」もそうだろう。これはいわゆる新興宗教に入信した子どもを、そこから脱会させようとする親御さんと似ている。男女を恋愛関係から引き離そうとすることも、入信した子どもを脱会させようとすることも、ともに逆効果になることが目に見えている。子どもは、「子どもの幸せを願わない親がどこにいる」と言って抗い、親は「みすみす不幸になる子どもを見捨てる親がどこにいる」と言って抗う。これは突き詰めれば、「人間の幸せ」というものは、個人が感じるものであって、周りの人間からは、決して推し量ることができないという問題である。いま流行っている「(旧)統一教会」問題も、当然、それに属する。親の反対を押し切って入信しても、自分の理想とするような「幸せ」には至り得ないことが、後から徐々に分かってくる。いわゆる「熱が冷める」という状態だ。これは恋愛感情にも通じる鉄則だ。熱が冷めたときどうするかと言えば、「再加熱」するしかない。この教えは間違いのない「真理」なのだと、自分が自分に言い聞かせる力がはたらく。この試練は神が与えた試練であって、それは自分が神さまに選ばれた特別な存在なのだと言って「再加熱」する。また信者同士で励まし合って、「真理」という「共同幻想」を強固にしようとする力もはたらく。
かつて、入信していた女性が脱会後、何が問題だったかを話してくれた。それは一言で言えば、「自分の頭で考えることを奪う」と。つまり「自分を失う」ということが最大の問題だったと。人間は、「自分」を生きているように見えて、「自分」という「思い」を生きているから、これは変化しやすい。周りの状況によって、不幸を感じたり、幸福と感じたりする。この不安定感を嫌うので、何か確かなアンカーのようなものに括り付けたいのだ。そこに「権威」が「権力」を生む構造を孕んでいる。
そう言えば、かつて吉本隆明さんに、どなたかは忘れたが、「もし娘さんが新興宗教に入信したいと言ったら、どうしますか?」と聞いたひとがいたことを思い出す。そうしたところ、吉本さんは、「止めませんよ」と応えていた。あまりにあっさりと応えていたので、どんな応え方をするだろうとかと身構えていた自分が、肩透かしを食らわされた感じがした。吉本さんにとっては、たとえ自分の子どもであっても、そこは「一個人同士」という対等の関係なのだと自認されていたのだろう。これも逆説なのかと思ったが、入信するかどうかを子どもまかせにている家族からは、入信する子どもは生まれないが、そこに親が介入しようと意図する家族からは、入信する子どもが生まれるのかも知れない。まあ一概には言えないが。
恋愛感情でも、宗教感情でも、それが冷めたときに覚めたときにどうするかが最大の問題だ。何をもってきて「再加熱」するかだ。「共同幻想」で成り立っている教団というものは、やはり「権威」を「権力」という強制力によって「再加熱」を図ろうとする。それは「超能力者」であったり、「法主」や「法皇」という存在を「権力」の象徴と仕立てて、覚めた意識を「再加熱」しようとする。また信者は、自分自身を説得するために、敢えて「権力」の下僕になろとする。これは人間の深層に潜む「マゾヒズム」が関係しているのだろう。
「権威」は大切だが、それが「権力」を生む構造をいかに解体できるか。そこは讃岐の妙好人・庄松さんに学ぶべきだろう。彼は帰郷式で本山を訪れたとき、おカミソリの儀式をする「法主」の袖を引っ張った。儀式後、「法主」に呼ばれ、「なぜ衣を引っ張ったか?」と問われたとき、「赤い衣を着ていても、地獄は免れんからな」と庄松は答えている。「権威」の象徴である「法主」が、「権力」として、庄松に作用していないのだ。「権力」としてはたらいていれば、決して「法主」の衣を引っ張るなどという行動はとらない。「権力」は恐ろしい存在であり、触れることを怖れるものだからだ。
いわゆる「畏敬の念」というやつだ。しかし、その構造が庄松には成り立っていなかった。庄松にとっては、「権威」が「権力」に結びついていないのだ。
それは庄松の信仰が、「法主」とも「ヨコ並び」になっているということだ。「タテ型」の信仰は「権力」を生むが、「ヨコ型」の信仰は平等を生む。こんなことをイメージして、親鸞は「横超」という言葉を使ったのではないか。「権威」は「権力」と結びつきやすいことを知り、「権威」と「権力」をキチッと分ける目を持っていたということだろう。それで、「主上臣下、法に背き義に違し、忿を成し怨を結ぶ。」(『教行信証』化身土巻・後序)と正直に怒りの感情を披瀝できたのだろう。「主上」とは天皇のことだ。天皇と家来たちは、〈真実〉の仏法に背き、〈真実〉を見分けることもできずに弾圧事件を引き起こした。それに対して親鸞は怒っている。これは親鸞が、たとえ「天皇」であっても、自分と同じ「凡夫」であり、「ヨコ並び」だと見抜いていたから言えたことだろう。