どうも〈真・宗〉は、人間を「層」として見ているようだ。「層」として見るということは、「多重文脈体」として人間を見るということだ。「層」だから、地層のように厚みがある。つまり、自分が知っている「自分」は、その「層」の一部分であって、全体ではない。全体は「一切衆生」と言われるような広大な裾野をもっている。
唯識という思想は、その「層」を、1「意識」、2「末那識」、3「阿頼耶識」と三層と解釈した。しかも、自分の意識で知ることができるのは、1「意識」の層だけであり、2と3は「意識」では決して自覚化できない、つまり「無意識」というか、「深層意識」とでも言うべき層だと考えた。
卑近なことで言えば、お葬式の時、私はお亡くなりになった方の法名と命日を墨書する。墨書だから、ボールペンで書くように、素早い筆勢で書くことはできない。かなりゆっくり筆を動かす。ご命日が「二十五日」だとすると、そのように墨書する。目で見て、「二十五日だな」と確認して、紙にそのように書こうとして、実際に書いた文字を見ると、「二十六日」になっていた。何で間違えたのだろうと、驚いた。いま、目で命日を確認しながら、それを紙に書き写すときに間違っている。この数秒の間に起こった間違いをどのように考えればよいのだろうかと戸惑った。これを「若いときには、間違わなかったのに、年を取ったから、こんな単純なミスをしたのか。嫌になるなあ」と解釈もした。しかし、それだけだろうかとも思った。本当は、数秒間に起こったのは、「脳波の乱れ」ではなかろうかとも解釈した。自分では、こんな間違いはしないぞと高をくくっているが、本当は結果的に上手くいっていただけの話で、本質は、脳波の動きが私を左右していたのではないかと。つまり、脳波が自分を動かしているのであって、私の意志がすべてを動かしているのではないということだ。
意識にとってはミスと解釈されても、これが深層意識が表層へと登り詰めてくるときの現れ方なのではないか。年を取るということは、深層意識が表層へと登り詰めてくるルートがたくさん出来上がることではないのだろうか。
冷蔵庫へ物を取りに来て、扉を開けた途端に、何を取りに来たのかを忘れるという現象も、そういうことではないか。意識の私を超えて、深層意識から無意識が登り詰めてきて、意識をたぶらかす。だから意識にとっては迷惑な話だが、深層意識は、まるでピエロのように意識をもてあそぶ。年を取るということは、ピエロが現れやすくなることだったのか。
私が、このブログを書こうと思い立つ切っ掛けも、ピエロのなせるワザだろう。だから書こうと思う切っ掛けは、直感なのだ。直感がまずやってきて、それから意識が言葉化していく。直感はまだすべてが意識化されていないから、言葉では言い表すことができない。徐々に言葉化されるに従って、直感が姿を現してくる。
人間は、自分自身を言葉で表すことはできないほどに深い生き物だ。だから物理的な世界は単純で明白だが、意識の世界は暗闇だ。意識は必ず言葉を通して、外界と内界を把握する。言葉がなければ意識は外界と内界を手にすることはできない。時には、暗闇の末那識(煩悩)から怒りがこみ上げてくるときもあるのだが、それを意識は言葉化していき、自分を正当化していく。怒りは末那識という深層意識から込み上げてくるものだが、それを意識は、正当化する。孫の兄弟喧嘩を見ていても、そう思う。最初はモノの取り合いから喧嘩は始まる。いままで弟は見向きもしなかったオモチャだが、それを姉ちゃんが拾って遊び出した途端に、素晴らしいオモチャに変身する。お姉ちゃんが遊んでいるものが、この上ないオモチャに見えてしまうのだ。そこから喧嘩が起こるのだが、姉ちゃんは、自分がいままで遊んでいたオモチャを弟が奪い取ろうとすることに異議申し立てをする。これが正当化だ。するとお姉ちゃんに向かって母親は、「お姉ちゃんなんだから、まだ幼い弟に渡してあげなさい」と言う。お姉ちゃんは、母親の言葉は理不尽だと思いつつ仕方なく、オモチャを弟に渡す。弟はオモチャが手に入り満足気にしてしばらく遊んでいるが、手に入れてしまえば、魅力は半減し、やがて飽きてしまう。
孫の喧嘩という単純な出来事だが、ここに人間の本質が表れている。なぜ人間はモノを欲しがるのか。それは意識にとっては分からないことなのだ。それは深層意識である末那識(煩悩)が意識に登り詰めてくるだけだから。食欲は意識を超えていると言われるが、それは本当だろうか。丸山圭三郎が、こう述べている。「何故アフリカの飢えている人びとが、すぐ近くの湖に魚がいるのにこれを獲って食べようとはしないのか、彼らにとって魚は〈食べられるもの〉であるにもかかわらずそれが〈食物〉でないのは何故か。」(『生命と過剰』河出書房新社)と。
日本人という文化の中で生まれ育った人間にとって、魚は「食物」として認識されているが、その地域のアフリカの人びとにとっては、「食べられるもの」とは認識されていなかった。それは意識による言葉化が、日本人のシステムとは異なっているからだ。まあ同じ日本人の中でも、食べ物に好き嫌いがあることが説明できないのと同じ理由だ。
親鸞が「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」(『歎異抄』第13条)と語ったのも、深層意識からの突き上げで人間は動いているということを言おうとしたのではないか。だから、末尾の「すべし」という言葉には、万感の思いが含まれているように感じる。「しなさい」、「するものだ」、「するであろう」、「するものであります」、「するものだなあ」と、どれほど現代語に訳してみても、そこから漏れてしまうものを感じる。なぜなら、「すべし」と人間が語ってしまえば、必ずそこに自己保身と自己肯定の匂いが生まれてしまうからだ。しかし、どんなことを思ってもよいのだ。最後の最後には、「すべし」という言葉によって、自己肯定と自己保身の匂いも溶解され、説得されていくのだから。それは深層意識の運動を語っているだけで、表層意識の世界では決して成り立たないことを語っていたのだ。