『歎異抄』第6条には、有名な、「親鸞は弟子一人ももたずそうろう。」という言葉がある。五木寛之さんは、この文章を次のように感じたという。「そこに親鸞の深い孤独感、寂寥感のようなものを感じて、ため息をつきました。(略)どれほど親鸞が言葉をつくしても、その真意を底まで理解する弟子は少ない。いや、いないのではないか。それは当然です。親鸞は信仰において、学識において、その思索の深さにおいて、屹立した存在でした。その意味で親鸞は孤独だった。『弟子一人も持たず候』というのは宣言ではなく、親鸞のため息だと私は感じるのです。」(『私の親鸞』新潮選書p162)と述べている。まあこのように受け止めたからと言って、そこに「本当の親鸞」がいるわけではない。これは五木さんのこころに受け止められた限りの「親鸞」であって、それが「親鸞の真意」であるかどうかは別の問題だ。
五木さんは、もし自分が親鸞の立場だったとして、おそらく親鸞はそのように感じたのではないかと想像して語られたのだろう。自分の考えを心底分かってくれる弟子などいない、だから私には私を分かってくれる弟子など一人もいないのだと親鸞は思って、「弟子一人も持たず候」と言ったのではないかと想像されたようだ。
私は、そのように受け止めたことはなかったので、それは意外に感じた。私は、自分はあくまで「仏弟子」であって、「師」と思ったことはないよという意味に受け取っていた。その後の文章には、「そのゆえは、わがはからいにて、ひとに念仏もうさせそうらわばこそ、弟子にてもそうらわめ。ひとえに弥陀の御もよおしにあずかって、念仏もうしそうろうひとを、わが弟子ともうすこと、きわめたる荒涼のことなり。」とある。つまり、自分の指示や強制で他者に念仏もうさせることができるのであれば「自分の弟子」と言えそうだが、他者が念仏をするのは、あくまで阿弥陀さんの促しであって、それは人間の作為ではまったくないのだから、これが「自分の弟子」だなどと言うのは、まったく見当違いなことなのだ、という意味だ。
親鸞の〈真・宗〉は、「ヨコ並び」だから、自分が上で弟子が下ということはない。お釈迦さんも、法然上人も、先輩も後輩も、みんな「ヨコ並び」だ。自分の前には阿弥陀さんしかいない。阿弥陀さんとの距離はみんな等距離というのが、親鸞の座りだと私は思っている。
それが基本形だから、人間がどんなことを思ってもよいのだ。それこそ関東にはたくさんの門弟がいたのだし、「性信坊、真仏坊、浄信坊、慶信坊」など、お手紙にもたくさんの弟子の名前が書かれている。だから、親鸞も「自分は師」だ、関東の門弟たちは「弟子」だと思っていてたとしても、それはまったく問題ではない。
「親鸞は弟子一人ももたず」というのは、〈真・宗〉の原理を語ったまでのことだ。これが〈真・宗〉というものに関係するときの唯一の人間の基本形だよと。そこには「師」も「弟子」もいない、ただ〈一人一世界〉と〈一人一世界〉が関係しているだけなのだ。だからたとえ人間が「あいつは弟子だ」と思おうと、「自分が師だ」と思おうと、そんなことはどうでもよいことなのだ。
だから、〈真・宗〉の原理が明確に自覚されていれば、そんな思いが浮かんできても、それにぐらつくことはない。人間のこころには様々な思いが起こってくる。しかし原理が明確になっていれば、どんな思いがやってきても、それを優しく受け止められる。
もっと言えば、「師」というものは客観的に、どこかに存在するものではない。それはある「凡夫」を「師」として仰ぐ「凡夫」のこころのなかにしか存在しない。「師」と呼ばれる者も、本質は「凡夫」だから、自分は「師」などとは思わない。ただそのある「凡夫」を、〈真・宗〉への導き手としていただいたときに、「師」が誕生する。だから「師」がどこにいるのかと言えば、それは「弟子」のこころの中にしかいない。「師」は「弟子」のこころの中にしか住めない。「弟子」というものも、自分はこの師の弟子だという自覚以外に存在ない。「師」も「弟子」も、共に客観的に存在するものでは、まったくないのだ。
百歩譲って、五木さんの考えに付き合えば、確かに親鸞の考えを理解した弟子は少ないのだろう。しかし、それを歎いて、誰も自分のことを分かってくれない、「俺には、弟子なんかいないんだ」と寂しい思いをされたという見方はどうなのだろうか。むしろ、自分の言うことが理解されないという現実を、「まだまだ自分の表現が〈真・宗〉に適っていないのだ」と内省したのではないかと私は思う。自分の表現が、ひとびとに分かってもらえないのは、自分の理解と表現が、まだまだ〈真・宗〉に適っていないからだと、さらに自己探求だれたのではないか。それを自分の考えを分かってもらえないのは、弟子が劣っているからだ、これはとても寂しいことだとは考えなかったのではないか。
もし親鸞が寂しさを感じていたとすると、親鸞は「自分はもうすでに分かったひと」であって、弟子たちは「まだ分かっていないひと」と区別する観念が前提になってしまう。そんな観念があったとしたら、「よしあしの文字をもしらぬひとはみな まことのこころなりけるを 善悪の字しりがおは おおそらごとのかたちなり」(「正像末和讃」)などという和讃を親鸞は作っただろうか。もちろん「善悪の字しりがお」とは、親鸞が自分自身を自覚したときの言葉である。
蟹は自分の甲羅に見合った大きさの穴を掘ると言われる。つまり、自分が理解した範囲内で、親鸞を「親鸞」だと思いたがる。またそれ以外に、「親鸞」を問題にすることは、人間にできない。ただ、それは何処までいっても、「自己了解の親鸞」である。まあそれが「如是我聞」の伝統だから仕方がない。しかし、それは何処までも、「自己了解の親鸞」であるということを忘れないことだ。まあそれで五木さんも、書名を『私の親鸞』と名付けているに違いない。
だからそれに付いて私がどうのこうの言うのは見当違いというだけの話である。それは重々分かっているのだが、どうも一言申さずにはいられないひねくれた性格なのだ。